2010年6月23日水曜日

【日米同盟】 天木直人

鳩山内閣は米国の意向に潰された
(ゲンダイ)
960年に改定された日米安全保障条約はきょう(23日)、発効から50年を迎える。くしくも「対等な日米関係」を目指した鳩山前首相は、沖縄の普天間基地移設問題でメディアの猛バッシングにさらされ、わずか9カ月で退陣してしまった。

バトンを受け継いだ菅首相はきのう党首討論会で「日米同盟をいかに維持、発展させるかという視点が必要」と強調していた。そんな「対米従属」回帰を真っ向から否定するのが、鳩山政権退陣を受けて緊急出版された「さらば日米同盟!」(講談社)だ。

昨今、やたらと日米同盟「深化」が叫ばれる。しかし、「日米同盟とは日米『軍事』同盟。日本は常に米国の軍事協力要求に悩まされ、最後は日本国民の利益を犠牲にしても米国の要求に従わざるを得ない」とバッサリ。

まさに、この象徴が「国外、県外移設を叫ぶ沖縄県民の悲願よりも、米国の意向に従い、軍事協力を優先する決断」に至った普天間基地移設問題だったと指摘する。「対等」外交を掲げた鳩山前首相は結局、自民党政権から連綿と続いてきた「日米同盟」の前に退陣を余儀なくされたのだ。

一方の米国側のかたくなな姿勢についてはこう言い切る。「在日米軍は日本防衛のためではなく米国の戦争のために存在する。好きなだけ、好きな場所に米軍を駐留させる。これが米国の揺るぎない一貫した方針であり、だから普天間基地移設問題も決して譲歩しない」国際情勢が激変し、米国による一国支配は崩壊。これまでの「対米従属政策」の正当性も奪われた。

今こそ、この政策を見直さないと、日本は永久に自立できない。最大の政治問題「日米同盟」を考えるきっかけになる一冊だ。

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天木 外務省には35年間いましたが、そのなかで私が最も日米同盟を意識したのは、中曽根総理のときでした。内閣安全保障室というところに出向したことがあったんです。そのときに防衛予算を決定する閣僚会議の準備などにも携わりましたが、会議では承認印が押されるだけで、実際の予算は当時の防衛庁が決めているということを知ったのです。

つまり、防衛庁が決めた予算を、ほかの省庁が追認していたわけですね。で、それを見て「この国の防衛政策というのはイカサマだ」と感じ、日本の安全保障政策、日米安保条約を勉強しようと思い、いろいろ資料を探してみたんです。

外務省の関係資料を漁るなかで、天木氏は驚くべき資料を目にすることになる。新刊の一部を引用しよう。

〈(私は、外務省の)条約課長が書いたという安保条約についての解説書というものを先輩から手渡された。これさえ読んでおけばほかの解説書を読む必要はない、むしろ有害だ、と言われて。
解説書といっても、それは日米安保条約を担当する職員への心得のような小冊子だった。
その中の次の箇所だけは忘れることができない。そこには次のようなことが書かれていたのだ。
すなわち、米国が日本を守ってくれるかなどという疑念を持つこと自体、米国に対し失礼である、と。あらゆる説明なしに、ただ無条件で米国を信じ、日米安保条約を受け入れろ、というのである〉
天木 この内容が書かれた小冊子は、たまたま渡されたものでしたが、それを見たときには「やっぱりこんなものか」と思いました。要するに日米同盟ありき、アメリカ追従で一切の議論がなかったということを、原体験として知りましたね。

-その後天木さんは、外交官としていろいろな国に赴任されていますが、当時、各国での日米同盟はどのように認識されていたのでしょうか。

天木 日米同盟という日本とアメリカとの軍事協力関係を、他国の外交官と議論することはありませんでした。他国の国民や一般的な有識者は、そんなことに関心がありませんから。しかし話をしてみると、言葉の端々から「日本は要するにアメリカの属国だ」と捉えられていることを知りました。

-そういった背景があって今回の出版につながったのですね。執筆の直接のきっかけは何ですか?

天木 日本の外交はことごとく行き詰まっています。拉致問題に始まり、日中関係、中東関係、対米関係、すべてがね。

外務省にいたってはもう“崩壊”したような状態です。過去に起きた機密費横領事件から立ち直れていないだけではない。最近では、もう外務省は組織として崩壊しています。本来なら身内を庇うはずの外務省OBが、現役批判をしたり、対立を始めなきゃいけないくらいひどい状態になってしまった。

そんななか、「外交について本を書いてくれ」という人はいたのですが、もう私は、本を書くつもりはなかったのです。「今の日本の対米従属外交はこのままでいいのか」という意識はありましたけれども。

ところが、日米安保50周年を迎えるにあたり、「安全保障問題について、天木さんが常日頃言っていることを本にしないか」という誘いをいただきました。

日本は政権が代わっても日米同盟と言い続けている。この機会に、「日米同盟はなくなるときがくる」とはっきり言っておきたかったので、本書の執筆にとりかかったのです。

私はこの本を、日米同盟をなくしたいという思いで書いたわけです。日本の外交は、この日米同盟がある限り、変わらないし、変われない、という非常に強い確信がありましたから。

私が鳩山民主党政権でいちばん落胆したのは、「対等な日米同盟関係」という言葉が出てきたことなんです。それはありえないことです。アメリカの軍事政策はどの国の影響も受けません。ヨーロッパの国々でさえ、「対等はない」と言っているほどです。

それほど強力な軍事力を誇るアメリカと、日本が対等になれるわけがありません。だから日米同盟が存在する限り、日本はアメリカの意向にしたがうしかありません。だから「対等」なんて言葉を聞いた途端、「これは必ず失敗する」と思いましたね。

日本の安全保障と今後の政局

-日米同盟を否定した場合、日本の安全をどう守るか、という問題が出てきますよね。

天木 そうです。一番大きな問題点だと思ったのが、どうやって日本を守るかということです。

単純に戦争反対だとか、憲法を守るとか、そんなことを言う論者は大勢います。しかし、誰一人として「だったら、どうやって日本を守るんだ?」という問いには答えられない。

例えば、この日米同盟にいちばん反対しているのは共産党です。それから、かつての社会党ですね。しかし彼らには、日本の安全を保障するうえで、国民を説得できるだけのポリシー、つまり防衛政策を明確に提起できていません。

「戦争は悪だ。したがって、日本の軍事政策を語ることは悪だ」「自衛隊を語ることは悪だ」あるいは「違憲だ」と、こんな意見ばかりでは議論が進まない。日本の国民を説得できないから、いつまでたっても日米同盟がなくならないわけです。

いっぽう、「アメリカに従属するのはもうまっぴらだ」という日本人は多いが、大半は自主防衛論者で、憲法を改正して強い軍隊をもてと主張する。しかし、その行きつく先は核防衛しかありません。そして核を持つのは現実的に不可能なことです。

ではどうするか。日米同盟なしで日本を守るには、専守防衛の自衛隊、平和外交、集団安全保障政策の三位一体の自主防衛策の確立です。

自衛隊は専守防衛の、日本を守るための自衛隊にせねばなりません。国民はすでに現実のものとして自衛隊を受け入れているし、憲法は専守防衛を認めている。ところが今の自衛隊は、アメリカの戦略に組み込まれて、その意のままに動いています。それを本来の姿に戻さねばなりません。平和外交と集団安全保障については、東アジア全体で連帯する必要があります。

-東アジア全体での集団安全保障体制の重要性について、天木さんは、著書のなかで幾度も強調していましたね。

天木 はい。ところが日本は、かつても今もアジアでの集団安全保障には非常に消極的です。私が外務省にいたときの話ですが、ASEAN地域フォーラムでアジアの国々が集まって、安全保障について話し合いがおこなわれたことがありました。しかし日本は乗り気ではなかった。なぜかというと、結局それが進んでいくと、日米安保条約が必要なくなるからです。

外務省は昔も今も日米同盟しか見ていない。そればっかりなんですよ。実際、この本を書き始めたときは、鳩山さんが言い出した「対等な日米同盟」などありえないことを説明するつもりだったんですが、鳩山内閣は倒れてしまった。その後は菅さんが首相になって、自民党よりももっと対米従属的なことをやり始めています。図らずとも本書は、菅政権の対米追従外交を非難するものとなりました。

-天木さんが期待を寄せている政治家はいないのでしょうか?

天木 私は、小沢一郎さんの動向に関心をもっています。

私は菅さんも鳩山さんも、たいていの人とは現役の外交官だったときに、多少なりとも接触があるのですが、小沢さんとはありません。小沢さんを非常に高く評価する人もいるが、正直なところ、私の彼に対する評価は定まっていません。

小沢さんがもし、もういちど表舞台に“復権”するのであれば、恐らく唯一、正当化される方法は、国民に目を向けた政治をやることしかないと私は思っています。

で、そんな政治とは何かと言ったら、私は消費税を上げないことと、沖縄を見捨てないこと、この二つだと思うのです。小沢さんが沖縄の基地反対の声を受けて、今の民主党を割るくらいの覚悟で対立軸に立ってくれれば、という期待はありますね。その時のキーワードは、私が本書で提唱する“自立した平和外交”です。それしかない。

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