2014年8月11日月曜日

原発利権

関電、歴代首相7人に年2千万円献金 元副社長が証言 藤森かもめ、村山治 2014年7月28日03時41分 関西電力で政界工作を長年担った内藤千百里(ちもり)・元副社長(91)が朝日新聞の取材に応じ、少なくとも1972年から18年間、在任中の歴代首相7人に「盆暮れに1千万円ずつ献金してきた」と証言した。政界全体に配った資金は年間数億円に上ったという。原発政策の推進や電力会社の発展が目的で、「原資はすべて電気料金だった」と語った。多額の電力マネーを政権中枢に流し込んできた歴史を当事者が実名で明らかにした。 • 金を渡すと角さんは「頂いたよ」 • 関電からの2千万円 元首相側「初耳」「わからない」  内藤氏が献金したと証言した7人は、田中角栄、三木武夫、福田赳夫、大平正芳、鈴木善幸、中曽根康弘、竹下登の各元首相(中曽根氏以外は故人)。  内藤氏は47年に京大経済学部を卒業し、関電前身の関西配電に入社。62年に芦原(あしはら)義重社長(故人)の秘書になり、政財界とのパイプ役を約30年間務めた。関電の原発依存度は震災前は5割を超え業界でも高く、原発導入を円滑に進めるには政界工作が重要だったという。  内藤氏は2013年12月から今年7月にかけて69時間取材に応じ、11年3月の東京電力福島第一原発の事故について「政府の対応はけしからん」「長年築いてきた政・官・電力の関係に問題があった」と指摘した上、多額の政治献金を電気料金で賄ってきた関電の歴史を詳細に語った。  さらに「関電には芦原さんが直接、総理大臣や党の実力者に配る資金があった。トップシークレットだった」と証言。 首相や自民党有力者らに毎年2回、盆暮れのあいさつと称して各200万~1千万円の現金を運ぶ慣行があったと明かし、授受の様子や政治家の反応を細かく語った。  当時は政治家個人への企業献金は法律で禁止されていないが、電力各社は74年、「政治献金分まで電気料金を支払いたくない」という世論を受けて企業献金の廃止を宣言。内藤氏は当時の業界は「そんなことを出来るわけがない。政治家を敵に回したら何も動かない」という雰囲気だったとし、その後も政治献金を水面下で続けたと証言した。  献金の理由は「一に電力の安泰。二に国家の繁栄」とし、「天下国家のために渡すカネで、具体的な目的があったわけではない。許認可権を握られている電力会社にとって権力に対する一つの立ち居振る舞いだった。漢方薬のように時間をかけて効果が出ることを期待していた」と強調した。  関電広報室は「承知していない」と取材に答えた。(藤森かもめ、村山治) ■元首相側は否定  内藤氏が献金したと証言した7人の元首相側は取材に対し、「そのような事実はないと思う」「わからない」などと答えた。  政治資金規正法は金権スキャンダルのたびに改正を重ねた。ロッキード事件後の1980年に政治家個人が受けた献金の収支報告が義務化され、リクルート事件や東京佐川急便事件を受けて99年に政治家個人への企業・団体献金が禁止された。99年までは政治資金収支報告書に記載していれば問題ないが、記載の有無は取材で確認できなかった。      ◇ ■痛烈な自己批判、過去に例ない  《歴史の関係者から話を聞き取る「オーラルヒストリー」第一人者の御厨貴東大客員教授の話》  電力を独占供給する巨大公益企業の政界工作を中枢の元役員が明かした衝撃の告白だ。これほど痛烈な自己批判は過去にない。歴史をこの国に記録として残そうとする勇気ある行為だ。  関電は電気料金を使って政治家を値踏みし、政界のタニマチ的存在になっていた。巨額献金が独占支配を強め、自由化を嫌がる自己改革のできない組織にさせたに違いない。内藤氏は電力業界に誤りはないと信じてきたが、原発事故で過信だったと気づいた。関電にとって目指すべきモデルで超えるべき対象だった東電の事故は、裏方仕事が国家のために役立つと信じてきた彼の価値観を画期的に変えたのだろう。  電力を各地域の独占企業が担い続けていいのか。この告白は業界への戒めであり、世論への問いかけだ。 (原発利権を追う)金を渡すと角さんは「頂いたよ」 2014年7月28日03時50分 ■関電の裏面史、内藤千百里・元副社長の独白:1  《関西電力社長・会長を歴任した芦原義重の政治担当秘書を務めた内藤千百里は、田中角栄秘書だった佐藤昭子と長い友人だ。田中の首相在任中の1972~74年に政治献金を持参した場面から、内藤の告白は始まる》 • 関電、歴代首相7人に年2千万円献金 元副社長が証言 • 特集「原発利権を追う」  芦原さんが角さんの事務所で1千万円を渡すと、角さんは「おーい。頂いたよ」と昭さんに伝える。 昭さんは「そうですかー」と受け取りに来る。 1千万円は紙袋や風呂敷で持っていく。大した重さではなかったね。私が昭さんに電話で「行きますよー」と言えば、「いらっしゃーい」と面会を入れてくれた。  芦原さんが直接、総理や党の実力者に渡す資金がありますねん。会社のトップクラスのみ知っている。総理には盆暮れに各1千万円ずつ計2千万円。総理を辞めた後にも同額を渡した人はいた。辞めたからといって800万円に下げるわけにはいかんでしょ。  《盆暮れに政治家に現金を届けるのが芦原と内藤の「務め」だった。電力各社は74年に政治家への献金をやめると宣言したが、関電はひそかに続けたという》  官房長官、自民党幹事長、政調会長ら実力者と野党幹部には1回200万~700万円。年間総額は数億円になると思う。私が政治家の実績を伝えると、芦原さんが金額をパパッと決めた。芦原さんと一緒に運んだのは年間14、15人はおるでしょうな。他の役員が運んだ分もあった。  芦原さんと新幹線で大阪から行き、東京駅に専用車が迎えに来た。私が秘書に面会の約束をとり、政治家の事務所や自宅へ向かう。総理の場合、人目につかない早朝に自宅を訪ねることが多かった。前の晩に芦原さんと東京へ入り、皇居近くの定宿に泊まる。現金は私が枕元に置いて寝た。  《内藤はいま91歳。政界とのかかわりは62年に社長秘書になってからだ。以来25年間、電力業界を代表する政治担当と呼ばれた。福島原発事故とその後の混迷を見て、自らの歩みを実名で語る決心をした。69時間にわたる独白は、戦後電力史の裏側を浮き彫りにするものだ》 (敬称略) ■原発事故機に心境変化、後世へ証言  関電元副社長の内藤千百里氏は、政治献金について「関電のみならず関西財界を東京と同じ地位までレベルアップする」ことを目的とし、芦原義重元会長はその結果、「総理大臣と一対一でいつでも話し合える関係になった」と証言した。  これまで政界工作を明かすことはなかった。政界、官界、電力業界のつきあいは「天下国家のため」と思い、原発に疑いを抱いたこともなかった。今でも芦原氏と自分が果たした役割への自負はあるという。  芦原・内藤両氏は1987年に経営を私物化していると批判され、取締役を解任された。内藤氏は東京電力福島第一原発の事故を機に心境が変化したという。「なぜ今も汚染水をコントロールできないのか。地質調査をしたはずなのになぜ地下水の影響が大きい場所に原発を建てたのか」  「政府の監督の甘さがあった。長年築いてきた三者の関係に問題があった」とも感じ、自らの足跡をたどって戦後の政官電の関係を再考したいと思った。13年に90歳になったことも「実名告白」の背中を押したという。「死を意識するほど自分の歩んで来た道を思い出した。今まで口を割らなかったことを話す気持ちになった時に記者が来た。後世に役立つと思った」 (原発利権を追う)三木さんは「足りない」と言った 2014年7月28日19時06分 ■関電の裏面史、内藤千百里・元副社長の独白:2  盆暮れに現金を渡した総理大臣は、角さん、三木、福田、大平、鈴木、中曽根、竹さんまで。選挙のあるなしは関係なく、1回1千万円で年2回。 • 関電、歴代首相7人に年2千万円献金 元副社長が証言 • 特集「原発利権を追う」  《関西電力元副社長の内藤千百里(ちもり)は、元会長の芦原(あしはら)義重が現職首相に現金を渡す場面に立ち会ってきた。明確に記憶しているのは田中角栄、三木武夫、福田赳夫、大平正芳、鈴木善幸、中曽根康弘、竹下登。1974年に電力業界が政治献金の廃止を宣言した後も続いたという》  関電の中でやめようという話は出なかったね。 具体的な目的で渡す汚いカネではないという意識だった。天下国家のためのカネ。一に電力の安泰、二に国家の繁栄。  三木さんは事務所で私のひざを触りながら「足りない」と言ってきたことがあった。芦原さんが現金を渡すとニコニコして「お元気で何より」。福田さんは東京の自宅が多かった。何十羽のごっつい大きな鳥が飛んでくる家だ。天下国家の話をして帰り際にあうんの呼吸で置いて帰る。福田さんは玄関まで見送り「ありがとうー」と言っていた。  大平さんも自宅。現金をもらうと「いやあ、お疲れさん」。鈴木さんは照明の暗い家だった。中曽根さんは事務所。「ありがとうございます」とさっと受け取った。竹さんも事務所やね。ベテラン秘書が一手に仕切っていた。  私が現金の入った紙包みを関電の経理から受け取った。総理の家や事務所に着いて、車を降りる時に芦原さんに「はい、これ」と手渡す。総理との現金のやりとりはトップ同士。代わりがするわけにはいかん。芦原さんも「自分でやる」とプライドをもってやっていた。私はその間、秘書と前室で雑談しながら待っていた。(敬称略) (原発利権を追う 「関電の裏面史」独白:3)献金、秘書に「領収書を書いて」 2014年7月30日05時00分 《関西電力元会長の芦原義重とともに政治献金を配った内藤千百里の重要な任務は、政治家秘書から領収書をもらうことだった》  角さん(田中角栄)の秘書の昭さん(佐藤昭子)に「領収書を書いてくれよ」と言うと、「そう?」と書いてくれた。中曽根さん(中曽根康弘)にもしっかりした秘書がいて、彼の部下が領収書をくれた。  どの政治家からも必ず領収書は頂いた。後で会社に送ってもらった。会社から着服を疑われないためにね。向こうの都合で領収書は3~5枚(の政治団体名)に分けて届くことが多い。私の秘書数人が経理と処理した。社内で保管して税務署には見せなかった。  《関電は当時、税務申告ではお金の支払先を明らかにせず、使途不明金として処理した疑いがある》  芦原さんと部屋にいた時、木川田(一隆元東京電力会長)さんから「政治献金をやめざるを得ない。協力してくれ」と電話があった。芦原さんが「内藤君、東電が献金を廃止すると取締役会で決めた。どうするかな」と言うので、「表向きは賛成した方がよいけど、取締役会で決めると約束を破った時に法的問題になりうる。常務会決定にしましょう」とアドバイスした。  《1974年に「政治献金分まで払いたくない」として電気料金不払い運動が起き、東電は政治献金廃止を決定。関電を含む8電力が追随したが、内藤に献金をやめる考えはなかった》  関電は木川田さんの考えに反対だった。政治家を敵にしたら何も動きはしません。その後も盆暮れの献金はひそかに続けました。  《中部電力元幹部も1980年代から90年代にかけ自民党有力議員に100万~300万円を渡したと朝日新聞に証言した。電力業界の政治献金廃止宣言は骨抜きだった》(敬称略)      ◇  関電広報室は領収書を保管し、税務署に見せなかったとの証言について「承知していない」としている。 (原発利権を追う 「関電の裏面史」独白:4)「献金も宴席代も電気料金から」 2014年7月31日05時00分 政治家に盆暮れのあいさつで渡す献金は電気料金から出てますねん。官僚、政治家、学者との宴席代ももちろん電気料金。本社や支店長の専用車、専用の運転手も、役員のゴルフ会員権の費用も、すべて電気料金。ね、玉手箱。   《関西電力元副社長の内藤千百里は、有力者と関係を築くため使ったお金はすべて電気料金が原資だったと語る。電気料金は電気をつくり届ける費用と電力会社のもうけから算定した金額だ。内藤は当時は費用のチェックが甘いうえ、もうけ計算に使う「事業報酬率」も高く、政治資金や交際費を潤沢に捻出できたと証言した。事業報酬率を関西なまりで「フェアーレターン(Fair rate of return)」と呼んだ》  何でも経費に入れる。フェアーレターンも現在は2~3%に下がったけど当時は7~8%。アメリカの計算をまねしただけや。「こんないい加減なものでよろしいのかな」と思ったけど「アメリカがやっているならそれで行きましょ」と決まった。だから電気料金から献金や宴席代が出る。それじゃなければ、どこからカネが湧いて来ますねん。  《内藤は若い頃、月1回電力各社でつくる電力中央研究所に通い、電気料金の英文資料を翻訳して各社に配る仕事をしていた》  フェアーレターンは「高すぎる」「科学性に欠ける」と議論されてきた。学者も百も承知。ほかに方法がなかったというけど、本当は公益企業としてやったらあかん。フェアー(公正)じゃなかったわけよ。  《内藤は日本の事情に応じた価格を検討すべきだったと言う。事業報酬率は導入時の1960年は8%。改定を重ねて現在は2・9%に下がった》(敬称略) ◇  関電広報室は「交際費は必要な範囲で適正に支出し、ゴルフ会員権は業務に必要な範囲で所有している。少なくとも80年代以降は料金原価に含めていない。それ以前は資料がなくわからない。社用車は業務遂行、情報セキュリティー、安全性確保の観点から利用し、料金原価に含めている」としている。 (原発利権を追う)芦原さんは欲深くまじめな人 2014年8月1日04時16分 ■関電の裏面史、内藤千百里・元副社長の独白:5  《関西電力で政界工作を担った元副社長の内藤千百里は、大阪出身で6人兄弟の末っ子だ。高校で召集されて陸軍に配属された》 • 連載「原発利権を追う」  昭和18(1943)年に学徒兵に召集された。幹部候補生だったけど、中国大陸へ行く前に門限に遅れ格下げされた。終戦の数カ月前に姫路に移された。広島に原爆が落ちた日は、はっきり覚えている。終戦の詔勅を姫路で聞いて「やっと帰れる」と思ったら、連隊がすでに移っていた九州に行くことを命じられた。1カ月ほどで除隊になり、仲間とポンポン船を借りて大阪を目指した。嵐で船が木の葉のようになってしもうて死ぬかと思った。気づいたら船は四国の浜辺に着いていた。ドラマでしょ。  《47年9月に京大経済学部を卒業し、関電の前身の関西配電に入社した》  兄貴が関西配電に入っていたので、軽い気持ちで試験を受けたら採用された。「通訳の勉強をしたい」と神戸支店を希望した。  《東京支社などを経て62年に関電社長だった芦原義重の秘書に就く》  「社長、この男が内藤です。いくらしかりつけても大丈夫です」。これが私の秘書の始まり。身体が丈夫で、ものおじしないから選ばれたと聞いた。芦原さんは一言で言えば非常に欲の深い人。それは生命力の深さでもあった。真面目で頭が良く考えは柔軟だった。  秘書になった時、政治担当という役割はありませんでした。私は東京支社に勤務したことがあるので顔が利いた。秘書をしつつ立地環境本部長や副社長を兼務した。芦原さんは、私をずっと離さなかった。私的な問題もずいぶん助けました。芦原さんは恥ずかしがって自分から頼み事を出来ないので、私が感じ取って対応した。常識を超えた関係は男女の仲に近いかもしれません。  《芦原は内藤と築いた人脈で力を増した。内藤も「関西財界の官房長」と呼ばれた》(敬称略) (原発利権を追う)政治献金、じわじわ効く漢方薬 2014年8月2日03時00分 ■関電の裏面史、内藤千百里・元副社長の独白:6  《死者171人。世紀の難工事となった富山県の黒部川第四発電所(1963年完成)の発電量は原発1基の半分に満たない。関西電力元会長の芦原義重が抱く原発推進への強い思いを側近の内藤千百里は感じていた。そのために必要なのが政治献金だったという》 • 連載「原発利権を追う」  芦原は電力需要がどんどん増える中、安定した電源として原子力を増やそうと考えた。電力業者はふんだんに電源を持ちたいが、水力は黒四ダムで限界が見えた。火力も石油危機で不安定さがわかった。  世の中は業者、官僚、政治家の三角関係で成り立っている。電力会社は許認可を握る官僚に弱い。官僚は大臣を務める政治家に弱い。政治家は献金と票を集める電力会社に弱い。だから、電力会社は日頃から政治家と仲良くしておく。 政治献金はフレンドリーな関係をじわじわとつくる漢方薬。権力への一つの立ち居振る舞いや。即効性のある頓服薬では(贈収賄で警察や検察に)やられる危険が大きい。政治家がもらったと意識しない程度に時間をかけて渡す漢方薬が大事。これは民間が長い間に学び取った知識なの。  《その効果は、複数案でもめた北陸新幹線のルート決定で出た。福井県は関電美浜原発のある若狭湾沿岸の開発につながる西側ルートを望んでいた》  琵琶湖の西側を通して欲しいと角さん(田中角栄)に頼んだことがありました。当時の福井県知事が周りから責められていて「新幹線を通して欲しい」と頼んできたので、角さんの目白の自宅に芦原と頼みに行きました。私が家の前で待っていると、芦原が出てきて「意見を聞いてもらえた」と。当時の芦原は東京でも通用しました。  《田中は73年、西側ルートを決断する。時は流れて一昨年、金沢市から福井県敦賀市までの延伸がようやく認可された》(敬称略) (原発利権を追う)若手に100万円「はい、どうぞ」 2014年8月5日03時05分 ■関電の裏面史、内藤千百里・元副社長の独白:7  佐藤内閣の時、歴代総理と関西財界人が定期的に飯を食う「吉兆会」が始まりました。 • 特集「原発利権を追う」  《高級料亭「吉兆」は1930年に大阪市で開業、61年に東京・銀座に出店した。関西電力はここで政治家や官僚と親交を結んだ》  吉兆会に来たのは角さん(田中角栄)、三木武夫、福田赳夫、大平正芳、鈴木善幸、中曽根康弘、竹下登。芦原は東京に昵懇(じっこん)の料理屋がなく、関西出身の吉兆を可愛がった。財界人が一堂に会するから、大事な話はあらへん。総理と顔をつないで、企業が個別に付き合った。  《「関西財界を東京と同じ地位までレベルアップする」ことを悲願とする関電元会長の芦原義重と元副社長の内藤千百里にとって歴代総理との料亭会合は献金と並んで重要だった。さらに有望株の若手議員に対しても布石を打っていく》  80年代初め、将来性のある若手議員を芦原につなぐ会合もつくりました。知り合いだった自民党の林義郎(元蔵相)に「あんたがいいと思う若手10人を紹介してくれ」と頼み、月1回、東京のホテルで朝食会を開きました。毎月の当番議員を決めて、その議員の話を1時間半聞いた。  彼らにはお盆と暮れの会合で1人100万円ずつ配った。封筒に入れて帰りしなに「はい、どうぞ持って行って」と渡す。アットホームなものですわ。領収書は後で秘書から受け取った。電気料金のおかげ。朝食会は3年ほど続いた。「電力」が名目と言った途端に汚職になるから「天下国家を担う人間との会合」という位置づけ。政情が荒れた時、彼らは非常に芦原の役に立ちました。新進気鋭の彼らの話で政治状況がわかった。(敬称略)     ◇  林義郎氏側の事務所は「質問には答えられない」としている。 (原発利権を追う)建設促進「瀬島さんが相談に来た」 2014年8月6日03時33分 ■関電の裏面史、内藤千百里・元副社長の独白:8  《関西電力元会長の芦原義重と元副社長の内藤千百里は、元大本営陸軍参謀で戦後は政財界のブレーンとなった瀬島龍三を招く勉強会も催した。場所は銀座の高級料亭「吉兆」だ》 • 特集「原発利権を追う」  戦は負けたのに大した男がおるぜと聞き、私から瀬島さんに申し入れた。瀬島さんは、芦原さんのお役に立つなら喜んでと。末広がりの八を入れ「八兆会」と呼びました。2カ月に一度で3年ほど続いたと思う。一部高級将校だけ閲覧できた旧日本軍資料「統帥綱領」を講義してもらった。経営学に当てはまる内容で瀬島さんがガリ版刷りのレジュメを作ってきました。  《内藤の手元に残る1978年11月28日の八兆会の案内状には、出席者欄に東京電力社長の平岩外四、通商産業事務次官の濃野滋、翌年大蔵事務次官となった長岡実ら9人の名があった。瀬島は当時、伊藤忠商事会長だった》  メンバーは私が仲間と選んだ。我々は電力会社だから、今の通産次官は誰や、それを入れておくかと。長岡は大蔵省のボス。本当にベストメンバーをそろえたんですよ。政治家も入れた方がいいんですが、いい若手がおらんかった。平岩は忙しくて来なかった。  瀬島さんは(2007年に)亡くなる数年前、「原発の建設促進はどうしたらよろしいか」と相談に来た。私は「それほど安全というなら、大阪湾と東京湾に一つずつ建てれば誘致合戦になる」と。瀬島さんは心を打たれたようで「いいことを聞きました。早速、通産大臣に言います」と帰った。めったに自分の意見も本心も言わない人が賛成した。(敬称略)      ◇  長岡氏は取材に「会には参加した。会費は払っていない。電力会社のことが話題になったことはない」と話した。濃野氏の家族は「本人は高齢のため答えられない」とした。 (原発利権を追う)官僚接待「建前は割り勘」だけど 2014年8月7日03時00分 ■関電の裏面史、内藤千百里・元副社長の独白:9  《関西電力元会長の芦原義重と元副社長の内藤千百里は1987年、「経営私物化」と批判され、取締役を解任された。その後の90年代も東京・銀座の高級料亭「吉兆」での宴席は続いた。小沢一郎や田中角栄の秘書だった佐藤昭子が参加したという》 • 連載「原発利権を追う」  小沢や昭さんと2カ月に1回は飯を食った。「あの首相は絵に描いた餅ばかりを言って許し難い」とか、天下国家をさかなにして仲良く話した。  芦原は解任された後も良好な関係を維持したかった。自分を解任した関電の後任者に政治家や官僚とのパイプは譲らなかった。芦原は高齢だったので、途中からは私が内容を報告した。支払いは電気料金や。 《90年代の吉兆での宴席には、霞が関の官僚やOBも参加した》  通産省や建設省の事務次官とも飯を食ってたの。人物本位で一流を選んだ。関電のかの字も言うたことがないが、高いレベルの情報がほしいだけでね。  大蔵省はなかなか警戒が強いが、外すわけにはいかない。他の場所でも局長や課長クラスと飲み食いして天下国家を語りました。大蔵省は通産省に比べてタテ社会なので、事務次官は辞めた後も権力があった。  《官僚側の出席者が接待批判を受けないように、内藤は配慮を欠かさなかったという》  あとから問題が起こった時のために、建前は「割り勘方式」にしてある。あとでまとめて請求しますと。そうしないと危ない。相手に傷がつく。実際は違うし、後で請求しない。向こうもわかっているわけ。こちらがそういう気遣いをしないと、一流の官僚は来ない。(敬称略)      ◇  小沢一郎氏の事務所は取材に対して「回答できない」としている。 (原発利権を追う)核のごみ処分「離島を買おう」 2014年8月8日03時08分 ■関電の裏面史、内藤千百里・元副社長の独白:10  《鹿児島県の馬毛島(まげしま)は種子島の西12キロにある小さな島だ。旧平和相互銀行の伊坂重昭監査役(当時)が関西電力の内藤千百里にこの島の売却を持ちかけたのは1980年代初めだった》 • 連載「原発利権を追う」  伊坂が「内藤さん、あの島をいりませんか」と聞いてきました。平和相銀はまとまったカネが必要だから、「島を240億~250億円で買わないか」と言いました。  《馬毛島のほぼ全島を買収した平相銀の関連会社は当時、レジャー基地建設を目指したが頓挫し、売却を急いでいた。伊坂は86年に摘発された平相銀の巨額不正融資事件で中心人物として逮捕、有罪となった人だ》  住民がいない離島なので私は高レベル廃棄物の処分地に適地だと考えた。本土では地下水が流れていると問題だが、離島ではそれもない。レジャーランドにするぐらいの平坦(へいたん)な土地で広さも十分だった。  《原発の使用済み核燃料から出る高レベル放射性廃棄物の最終処分場は、現在も作られていない。原発が「トイレなきマンション」と批判されるゆえんだ。その候補地探しは電力業界の重要課題だ》  芦原(義重・関電元会長)に「買い取りませんか」と話をした。技術屋の芦原も「それはいい考えだ」と同意してくれた。すぐに東京電力の平岩(外四元会長)さんに連絡し、芦原・平岩会談が開かれた。平岩さんは「電事連(電気事業連合会)で買います」と明言したんです。  《平岩は当時、業界団体の電事連会長でもあった。電力業界の東西トップの会談がまとまり、馬毛島を最終処分場の用地として買収する計画はそのまま進むかに見えた》  ところが、風向きが変わったんです。(敬称略) (原発利権を追う)「馬毛島買っていたら、楽できた」 2014年8月9日03時03分   ■関電の裏面史、内藤千百里・元副社長の独白:11 連載「原発利権を追う」 •  《青森県は核燃施設を受け入れたが、最終処分場は拒否し、国から最終処分地にしない確約を得た。電力業界も青森県での最終処分を表明していない。だが電事連は馬毛島の選択肢を捨てた時点で青森での最終処分場建設をめざしていると芦原と内藤千百里は受け止めた》 •  あの時馬毛島を買っていたら、電力業界がどれだけ楽をできたか。売り込んできた伊坂(重昭・旧平和相互銀行元監査役)と私をつないだのは、元右翼の豊田一夫さん。暴力団などの裏社会に顔が利くので、表に出せないトラブルを解決してもらったこともある。電力は立地や送電線下の補償費でしょっちゅうトラブルを抱えていますから。 •  《内藤は一時期、関電のトラブル処理を担った。水面下で処理する人物とのつながりは不可欠だったという》(敬称略) •      ◇ •  関電広報室と電事連はこの経緯を「承知していない」としている。

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