2010年10月30日土曜日

会計評論家 細野祐二から見た陸山会事件

公認会計士であった細野祐二氏からみた陸山会事件

この4億円が記載・不記載で騒がれていた頃、自分は会社の経理も見ていたことから、会計上何の問題があるのか不思議でならなかった。叉資金の移動に関してもようは資金繰りの一環でしかなく、ただ「4億円」という数字が一人歩きしている怖さだけが際立っていた。





東京第5検察審査会「小沢一郎起訴相当」決議を会計的に解析する

会計のプロが徹底分析

会計評論家 細野祐二 永田町ディープスロート
(現代ビジネス 2010年10月29日) http://bit.ly/bORUOC


 東京第5検察審査会が、政治資金団体陸山会の土地購入をめぐる政治資金収支報告書虚偽記載事件において、2回目の起訴相当決議を行った。改正検察審査会法の規定に基づき、小沢氏は強制起訴され、その身の潔白を法廷で争うことになる。

 検察審査会の強制起訴の妥当性をめぐっては、政治家や司法関係者が、国会やマスコミで喧々諤々の論争を繰り広げている。しかし私には、これらの論争が何らかの建設的な意味を持つとは思えない。なぜなら論じる人の中に、この問題の会計的側面に論及している人が誰も居ないからである。

 もとより政治資金収支報告書とは政治団体の会計報告書なのであり、すべての会計には会計上のルールがある。

 ルールを知らずにルール違反(虚偽記載)を論じても無意味ではないか。そこで東京第5検察審査会起訴相当決議の会計的解析を行ってみた。

 東京第5検察審査会が指摘する犯罪事実は、東京都世田谷区の土地3億5261万6788円の取得に関する会計処理、並びに、この土地取得に先行して行われた小沢氏からの4億円の資金供与に関する会計処理の2点より構成されている。

 そこで、まず、世田谷区の土地取得について検討する。検察審査会は、平成16年10月に土地代金3億5261万6788円が支払われたことを根拠として、この土地取得が平成16年度の政治資金収支報告書に計上されなかったことを虚偽記載としている。

 陸山会側では、世田谷の土地の本登記が平成17年1月7日であることから、この土地を平成17年度の取得として政治資金収支報告書に計上したが、検察審査会はこれを偽装工作として断罪している。

 ここで問題となるのは、土地の取得を代金の支払時点で計上するか(代金支払説)、あるいは登記の完了時点とするか(登記完了説)の会計処理である。この点に対する会計上の正解は簡単だ。どちらでも良い。公正ナル会計慣行上、土地の取得は代価の支払時点で計上しようが、登記の完了時点で計上しようが、財務諸表作成者の自由なのである。実務においても両手法はあまねく混在している。

 陸山会の場合は、代価の支払が平成16年の10月で、登記の完了が翌平成17年の1月なので、この間に決算報告期末の12月31日を挟んでしまっている。ここで、登記完了時点で土地資産を計上する場合、すでに支払済みの土地代価は未だ土地資産に転化しない金銭債権という事になり、これを会計上「前渡金」という。

 すなわち、登記完了説をとる場合、12月31日の決算報告時点での支払済の土地代金は前渡金となる。これに対して、代金支払説をとる場合は、支払代金はそのまま土地として処理される。



どちらにしたところで、内訳としての前渡金と土地との資産科目の違いに過ぎず、報告体の財政状態や経営成績に対する影響があるわけではない。要は大した話ではない。

 ところがここに政治資金規正法が絡むと、話は俄然ややこしくなってしまう。なぜなら、政治資金規正法は部分単式簿記を前提としており、登記完了説をとった場合に出てくる前渡金には、資産計上が求められていないからである。

 政治資金規正法第12条において求められる政治資金収支報告書の記載事項は、政治団体の「収支とその他の事項」とされている。

 ここで「その他の事項」としては、不動産、取得価額100万円超の動産、預貯金、金銭信託、有価証券、出資金、貸付金、支払金額100万円超の敷金、取得価額100万円超の施設利用権、並びに、100万円超の借入金が限定列挙されているに過ぎない。この規定では、土地取得の前渡金3億5261万6788円は政治資金収支報告書に計上すべき項目とはされていない。

 陸山会は土地の資産計上につき登記完了説をとったため、世田谷の土地取得は、その代金支払年度である平成16年度ではなく、登記完了年度である平成17年度の政治資金収支報告書に計上された。

 登記完了説をとった場合、決算報告時点における支払代価3億5261万6788円は前渡金となるが、前渡金は政治資金規正法第12条に定める政治資金収支報告書の記載事項ではないので、平成16年の陸山会の政治資金収支報告書に計上されていない。

 本件土地取得に関する陸山会の会計処理は、公正ナル会計慣行並びに現行の政治資金規正法の定めにまことに忠実であり、この会計報告に対して虚偽記載を主張する事は出来ない。


■ふたつの4億円処理に問題はあるのか

 次に、土地取得に先行して行われた小沢氏からの4億円の資金供与について検討する。ここで問題とされている小沢氏から陸山会への4億円の資金移動は、実は2本ある。

 最初の4億円は2004年10月上旬のこと。小沢氏の説明によれば、この金は、陸山会が東京都世田谷区の土地を購入するに際して当座の資金がなかったので、自分が一時用立てたものとのことである。

 この現金授受には金銭消費貸借契約書も作成されていなければ、返済期間や金利の定めも一切なされていない。この資金移動は平成16年度の政治資金収支報告書に記載されておらず、第5検察審査会はこれをもって政治資金収支報告書不記載の犯罪事実としている。

 さて、陸山会は2004年10月29日午前、東京都世田谷区の宅地を3億5261万6788円で購入し、その土地代金支払の数時間後、石川議員は、他の小沢氏関連の政治団体から陸山会に合計1億8千万円を移し、残っていた資金と合わせて陸山会名義で4億円の定期預金を組んだ。

 そして、小沢氏は、この定期預金を担保に個人名義で銀行から4億円の融資を受け、同額を陸山会に貸し付けたという。こちらの4億円は平成16年度の政治資金収支報告書において小沢氏からの借入金として計上されている。

 二番目の4億円は小沢氏から陸山会への貸付金であり、陸山会はこれを借入金として政治資金収支報告書に記載している。そこで一番目の4億円が問題となるが、小沢氏は「自分が一時用立てた」と言っているのであるから、この金は使途の最終形態が不明確なまま一時的に移動した資金ということになる。



会計上、このような資金移動を仮払・仮受という。陸山会が小沢氏から受取った一番目の4億円は、会計上の仮受金と評価するのが正しい。

 小沢氏は、10月29日に出した2番目の4億円を陸山会に貸付けたと言うのであるから、そのときの4億円は小沢氏の金だったはずだ。だから定期預金を担保にしてその4億円を銀行から借りたのも小沢氏である。そうすると、小沢氏が担保にした定期預金は一体誰ものかということになる。

 ここで小沢氏は政治団体名義の定期預金を自ら銀行担保に差し出し、借りた金はしっかりと自分の金として政治団体に貸付けている。

 このことから、小沢氏がこの定期預金が実質的には自分のものだと思っていたことが分かる。そして陸山会側もまた、この小沢氏の言動に即した会計処理を行なっているのであるから、定期預金は実質的には小沢氏のものだと認識していたことになる。

 ならば、陸山会は、あの10月初旬に小沢氏から用立ててもらった1番目の4億円の仮受金を、この定期預金で決済(返済)したことになるではないか。

 さて、東京第5検察審査会は、「陸山会が、平成16年初めころから同月27日ころまでの間に、被疑者から合計4億円の借入をしたのに、平成16年分の収支報告書にこれらを収入として記載せず」として不記載罪を主張している。ということは1番目の4億円を政治資金収支報告書に収入として記載しなかったことが、政治資金規正法違反の犯罪になると考えていることになる。だが、この主張はそもそもの理屈が間違っている。

 なぜなら、1番目の4億円は、会計期間中に決済された仮受金となり、期中決済された仮受金は資金残高には一切影響しないのであるから、これを書く、書かないは、政治資金収支報告書作成者の任意となるからだ。陸山会がこの仮受金を政治資金収支報告書上の収入として計上しなかったのは、正しい会計処理なのである。

 公正ナル会計慣行上計上しなくとも良い仮受金収入を計上しなかったことをもって、政治資金収支報告書不記載を主張する事はできない。

 もとより私は、会計人として、小沢氏の本件4億円を含む資金原資全般に対し、常人以上の強い疑惑を感じるものである。しかし、同時に私は、日本国民の刑事責任は、法と証拠のみに基づいて追求される得るべきものであることを知っている。小沢氏の資金源泉に対する疑惑はこの例外にはならない。

 東京第5検察審査会は、陸山会の政治資金収支報告書虚偽記載における小沢氏の共謀を認定し、起訴相当決議を行ったが、この認定は間違っている。なぜなら、問題とされた陸山会の政治資金収支報告書には虚偽記載そのものが成立しない。従って共謀そのものがあり得ない。

 すなわち、東京第5検察審査会は起訴事実がないにもかかわらず、起訴相当決議を行ったのであり、その決議に基づく強制起訴は不当である。陸山会の政治資金収支報告書に対する公正ナル会計慣行が法廷で立証されることを期待する。



細野祐二(ほそのゆうじ)
昭和28年生まれ。早稲田大学政経学部卒業後、公認会計士登録。KPMG日本(現あずさ監査法人)およびロンドンにおいて会計監査並びにコンサルタント業務に従事した後に独立、有能な会計士として知られた。しかし、シロアリ駆除の上場企業「キャッツ」経営陣による株価操縦事件に絡み、東京地検特捜部に粉飾決算の容疑で逮捕。裁判では会計学者から粉飾ではないとの鑑定意見が出され、また他の容疑者のよる被告に有利な証言が相次いだにもかかわらず、敗訴。その不可解な捜査の内幕と裁判の過程を描いた『公認会計士vs特捜検察』は話題になった。

2010年10月14日木曜日

行政訴訟のアプローチ

検察審査会による「起訴すべき」とする議決と検察の「不起訴」とする決定の間に生ずる疑問や行政法上の問題点を郷原氏・桜井氏によって語られています。

起訴便宜主義が、なぜに認められてきたのか。その起訴便宜主義でも起訴ができない事案であったがゆえに検察審査会を用いたのであればこれは由々しき問題と言わざるをえない。

ビデオの下の記者レクチャーを文字に起こした記事を掲載(http://www.comp-c.co.jp/pdf/101014reku.pdf から転載)してあります。叉岩上氏HPから郷原・桜井両氏の発言趣旨を転記をしています。
リンク元は→http://iwakamiyasumi.com/archives/3993





郷原氏の記者レクです。

2010.10.14
第 103 回定例記者レク概要
名城大学コンプライアンス研究センター長 郷原信郎
特別ゲスト:学習院大学教授 櫻井敬子様

郷原
先日来、今話題になっている第5検審の起訴議決に関して、手続面、内容面、両方から重大な問題があるということを私も指摘していますし、そのうちの1つが最新号の『週刊朝日』に書いたものです。それに関して、小沢弁護団の方が法的な措置を取るということがこの前から報じられていたところですが、今日の報道によると、明日、提訴するということが報じられています。そこで、この問題は法的にもいろいろややこしい問題だと思いますし、今日、我々で分かる範囲で検審の議決をめぐる法的な問題と、提訴というのが一体どういう法的な手続のことを言うのだろうか、行政訴訟という観点からどういうことが問題になって、どういう手段が取り得るのかに関して予備知識を提供するということも含めて今日の段階で記者レクを開催しようと思ったわけです。

そこで、私も行政法のことは専門ではありませんし、ご多忙な中、特にお願いして学習院大学の櫻井教授にも来ていただきました。とりあえず、私の方から、これまでこの検審の起訴議決について、何が問題だと指摘してきたのかを簡単に振り返ってみて、その上で行政法的な観点から櫻井先生にお話しいただきたいと思います。

今回の検審議決については、内容面に関しても非常に問題があると思います。なぜ起訴すべきと考えたのかという議決の理由については、法解釈の問題、政治資金規制法の解釈の問題……どういう場合に会計責任者だけでなく、政治団体の代表者も共謀で責任を問われるのか、ということに関して、非常に乱暴な考え方が取られている。その前提としての政治資金規正法の解釈を誤っているのではないかという問題があります。

それから、供述の信用性の評価に関しても、昔のことについての供述については具体性・迫真性がない方がかえって信用できるかのような、まことに不可解なことが書かれている。そういう起訴すべきという理由に関しても非常に問題があると思いますが。その一方で、重大な問題があると指摘してきたのは、起訴すべきとされた犯罪事実が、当初の審査の申し立ての事実、その前提としての告発事実、審査の申し立ての事実、そして1回目の起訴相当とされた事実、そして、それを受けて行われた検察の不起訴の対象事実、そこまではほぼ同じような政治資金規正法違反、虚偽記入の事実だったわけですが、その事実を逸脱した、まったく別の社会的な事実を含む虚偽記入の事実が追加されている。それが、少なくとも検察審査会法の強制起訴の手続は、審査申し立て人の申し立てに基づいて、1回まず起訴相当の議決が行われ、それを受けて検察官が再捜査し、不起訴処分が行われた後に、もう1回、同じ事実について検察審査会が起訴すべきという議決をしたときに、検察官の公訴権の独占の例外として、検察審査会の起訴議決に基づいて裁判所が選任した指定弁護士が起訴の手続を取る、という制度であることから考えて、途中の段階まで全く出てこなかった事実がいきなり2回目の審査、起訴議決で出てくるというのはこの制度の主旨にまったく反するものだということで、これも実質的に検察審査会法の主旨に反する無効な議決ではないかということを言ってきたわけです。

問題は、議決が無効だと、法の趣旨に全く反するものだと言っても、現に議決らしきものがすでに公表されているという今の状況においては、どういう法的な措置が取り得るのかというのは、議決というのがどういう法的な性格のもので、その法的な性格に従ってどういう措置が取り得るのかということを考える必要があるわけです。そこで、行政法の専門の櫻井先生に、こういった点について行政法的にどう考えたらいいのかをお話し頂きたいとお願いしたわけです。先生、それではそのあたりから。
櫻井 学習院大学の櫻井です。私は行政法という領域を専門にしていまして、今回の強制起訴については、これは争う手段が基本的には裁判所に行くしかないという中で、きちんとした理論構成をしていけば、行政訴訟はあるいは可能ではないかとは思っていたところです。それで、資料をお配りしていますが、行政訴訟は難しくて、しかも、今回、この問題を考えるにあたって、なかなか、上級問題だということをつくづく感じました。紙を見ながらお話しさせていただきたいと思います。

訴訟は、民事訴訟と刑事訴訟はよくご案内だと思いますが、もう1つの類型が行政訴訟というのがありまして、これは、公権力の行使に対して何かしら訴訟を起こしていくという場合に、行政訴訟と言っていまして、行政事件訴訟法がこれを規律しているということになります。行政訴訟は、実は平成16年に43年ぶりに改正されたような法律で、行政訴訟自体は、割合、最近になって少し活況を呈してきたと言いますか、やっと少し使えるようになってきたという、ちょうどそういう流れがあったので、そういう流れを見ると、次のような訴訟が可能ではないかと考えられるところです。

行政訴訟というのは、まず1つは、大きな類型としては、公権力の行使に対する不服を申し立てるというのが基本類型、これは抗告訴訟と言っています。抗告訴訟は対象が限定されています。行政の行為のうち、それが行政処分でなければそもそも訴訟が起こせないということになっています。従来、行政訴訟は死骸累々ですが、だいたい行政の行為はどこを捕まえても、処分ではないとか言って門前払いされるのが通例でした。ただ、平成16年の改正をはさんで、ずいぶんそこが緩やかになった、というとちょっと言い過ぎかもしれませんが、だいぶ広がってきたことは事実です。今回の事件については、1つは1のところですが、起訴議決が検察審査会の議決ということで、検察審査会は裁判所が事務局にかかわりますが、それ自体は裁判を行うとかそういうことではなく、行政作用であろうと考えられます。この問題が難しいのは、司法権と行政権の中間にあるような、両方にまたがっているようなところがありまして、単純に三権分立で考えるとちょっと理解しにくいと。そこが上級論点と言った理由です。

起訴議決については、行政処分と構成できれば取消訴訟が可能であり、それからもう1つは、起訴議決を受けて、指定弁護士の指定処分がありますが、これは裁判所が行う処分ですが、この場合の処分は、裁判所自身が、別に判決を書くわけではないので、一種の行政機関として指定処分をするというふうに理解するわけです。そうすると、可能性ということで言うと、指定弁護士の指定処分の差し止め訴訟が行政訴訟として、これは新しく作られた類型ですが、こういうのが考えられるだろうと。その場合の最大のポイントは起訴議決とか、指定処分が行政処分と言えるのかというところで、まずそうした抽象的な論戦に勝っていかないと処分性の問題はクリアできないということがいえます。行政訴訟は、口では市民のための行政法とか言いますが、沿革から言うと、お上に対する不服の申し立てですので、基本的には争いにくく作っているというのが歴史的な経緯といっていいと思います。民事訴訟と違って最初のハードルが高いというところが、それはそれで問題点の1つということになります。

2番目が、これが改正法でにわかに使われるようになった、当事者訴訟というのがありまして、これが、ついこの間、平成17年ですが、在外投票の、在外の邦人が選挙権を行使できないということが公職選挙法に書いてあったんですが、それが憲法で国民は選挙権を保障されているにもかかわらず、選挙の機会を奪っているということで憲法違反であるという判断が出されました。これは改正法の後ですが、これは憲法訴訟なんです。それは、法律があるけれども、本当は選挙権が、外国にいる日本人だって当然あるのに、それが、妙な法律によって選挙権を行使することができなくなっているということで、次の、直近の選挙で、選挙できる地位の確認訴訟というものをやりまして、最高裁は公職選挙法は違憲であるというふうに言って、選挙権が行使できるんですよということを確認されたという、非常に画期的な判決でしたが、そんなものがあります。

そうすると、よく仕組みを見ますと、検察審査会法とか、刑事訴訟法を見ると、起訴というのは大変重大な人権侵害と言いますか、自由権に対する制約ですので、基本的な法律の作り方としては、まっとうな検察官による、まっとうな起訴によって、起訴されるというのが大原則なわけです。ですから、法律上は、みだりに適当な手続で起訴されないということは、当然そこに法の含意としては保障されているというふうに考えられますので、もし当事者訴訟を使うとすると、1つは、法律上、変な手続でもって起訴されないという利益を確認するといった訴訟は可能ではないか。

もう1つは、憲法論です。検察審査会の議決が、仮に突然出されてきた犯罪事実についていきなり多数決で起訴するということになると、嫌疑がないのに起訴されることになって、起訴するかしないかを単純な多数決で決めていいのかという、そういう話になると思います。仮にもしそういう実態があるとすると、これは完全な憲法違反だというふうに思いますが、直接すぐ思い浮かぶのは憲法31条のデュープロセスの保障というのがあって、刑罰権を科されるときには、これは適正手続によるべきであるということは古典的な自由権として認められています。

あと、もう1つ、憲法論で言われるのは憲法13条というのも一緒に言われることが多いですが、これも幸福追求権の条文ですが、一般的に私人の自由というのは国家権力からきちんと守られなければいけないというのがあって、起訴されることは大変なことですし、ということになりますと、そういう自由権に対する検察審査会といえども国家権力のワンセクションであることは間違いありませんので、だとすると、そういう憲法的な保障というのは、理屈として検察審査会との関係でもそれがないということはとてもできないので、憲法論は当然出てくるだろうと思います。

それで、検察審査会法の仕組みはご案内だと思いますが、改めて検察官のいろいろな問題も出ているところですが、もともとは、きちんとした検察官がちゃんとやっているという前提で法制度できていまして、そのときの基本的な考え方がだいたい5つくらいあるのかなということで整理しています。1つは起訴するかどうかは重大な自由の制約ですので、国家が責任を持って行うというのは1番目です。国家訴追主義といます。それから、責任ある官憲というふうに言葉を使いましたが、検察官がきちんと行うということで、起訴独占主義というものがあります。しかも、このあたりがポイントだと思いますが、起訴するかどうかは、検事さんの裁量に任されているということで、起訴便宜主義が認められています。起訴便宜主義は、起訴してもいいし、起訴しなくてもいいということで、そのことの意味は、疑いがあったら必ず起訴するというふうに言ってしまうと、自動的に起訴されるので、それをしなくていいということです。その方が、被疑者、被告人にとってはむしろ利益になりますので、そういうことで容疑があっても起訴しないということが、むしろ自由主義の観点からは悪いことではないということで、起訴便宜主義というのは認められてきたものです。

4番目としては、刑罰権は謙抑主義なんですね。刑罰権は発動しなければ発動しないほどいいという考え方です。つまり、法律上は要件を満たしていて、刑罰権を発動できるんですが、できるけど、あえてしないということがむしろ好ましいという、大原則があります。よく、企業のコンプライアンス違反の事例などがあると、もっと処罰を強化しろという議論がいろいろ出てくるのですが、専門的にいうと、罰則なんて実はいうほど意味がないんですね。罰則というのは謙抑主義なので、罰則を置いても発動しないというのが前提になっています。めったやたらにやらないと。だから、本当に処罰したいとストレートに思うのであれば、刑罰でないサンクションを考えないと本当はいけないのですが、これが謙抑主義の問題です。

それから、無罪推定の話はそこに書いた通りで、仮に有罪であっても、人間のできる能力には限りがあるので、立証ができなければそれは無罪ということになりますし、要するに、ここでの含意は、ちゃんと悪いことをした人は処罰されるのが正義だと思いますが、無辜の処罰だけはやってはいかんというのが基本。仮に、黒な人が無罪放免になってしまう事態があったとしても、それはある程度やむを得ないという、大変理性的な考え方で近代の刑事法はできているということはいえようかと思います。

これに対して、2ページ目になりますが、今回の検察審査会法はそれで言うと、法務省さんはどういうつもりで作ったのかと伺いたい感じですが、驚いたのは、検察審査会法を改めて見ると、くじ引きで選んだ人たちが判断をするという仕組みになっていますが、法律を見ると、どういう観点から検察官の不起訴処分が不当なのかと、あるいは相当なのかということについて判断するのかについての判断基準が法律の中に一切ないわけです。行政法の議論では、例えば、行政庁に裁量があるというふうに言ったら、専門技術的な裁量があるということはあり得ます。専門家にしかなかなか分からないので、そういう場合は専門技術的な裁量があるからそれを尊重するという議論はありますが、このケースの場合、よく分からないですが、どうも判断基準がないということは、審査員になった方の国民の完全自由裁量があるということのようにも読めます。これは何なんでしょうか。素人裁量って聞いたことがないですが。単なる民意の反映と条文には、法律には書いてありますが、これはどう説明するのかということが1つ気になります。

それから、もし理由なき起訴が、やろうと思えばできる仕組みになっている点です、多数決で。2回やって、強制起訴だということになったら、それは、起訴される方の立場からしてみると、まったく嫌疑がないのに起訴されることになりかねないということになりますが、それをむしろ制度が許しているようなのですが、法律の作り方としては、どういうことなんでしょうかね。これは、たぶん、2回目の強制起訴なんかどうせやらないだろうという前提でお作りになったのか、あまりちゃんと深く詰めて法律を作っておられないのではないだろうかという感じもしまして、これはむしろ立法担当者の方にお尋ねしたいようなところです。

それから、ちょっと分かりにくいのは、ポイントというところに書きましたように、検察官の任務は、よく司法、司法と言いますが、正確には司法でなく、行政です。司法作用は裁判所が行う裁判のことで、検察官の起訴は、事件を裁判所に持って行って、裁判所に判断をしていただくための前提行為を行っているということにとどまりまして、その意味で司法作用に密接にかかわることは事実ですが、起訴行為それ自体は行政作用に入ると。行政官による行政的な一種の処分であるというふうに理解するのが厳密には正しいということです。検察審査会も同じように裁判ではありませんので、そういう意味では行政作用にかかわっているということです。

情報公開のことも一言だけ言いましょうか。3番目は行政法的に見ると興味深いのは、検察審査会の議事録が開示請求できるかどうかという問題がありますが、この点については、最高裁の性格が問題となります。最高裁って実は3つの顔がありまして、レジュメに書いたとおりです。最高裁は、通常よく知っているのは裁判を行う、最後の判定する場所であるということで、これが裁判を行うという第一の作用です。もう1つが行政作用をやっているという点です。

実質的な意味での行政作用ということになるのですが、司法行政という言葉がありますが、簡単に言うと、裁判所という名前の行政機関があると思っていただいていいと思います。最高裁って入り口が2つあって、法廷に行く入り口と裏から入る入り口と両方あります。裏から行くとよく分かりますが、思いっきり役所、役所しています。そこは、いろいろな法務省とか、財務省とかありますが、それと同じように最高裁という名前の行政機関があって、いろいろな裁判関係の、職員がいますし、裁判官もいるし、予算の問題もあったりするので、人事配置の問題とか、そういうことを仕切っているわけです。そこの部分では、むしろ上命下服になっていますので、まさに役所そのものだし、その場合は、最高裁自身が行政のトップということになるわけです。最後のひとつに立法作用というのもあります。 それで、検察審査会の議事録は、そういう意味で言うと、司法行政の文書と理解されまして、行政文書については、ご案内のように、行政機関情報公開法がありますので、行政機関の文書だと法律に基づいて文書開示ができます。ところが、司法行政文書については、一応形は裁判所にあるものですから、情報公開法という法律の適用範囲からは外れています。そうすると、それに相応するものを作っておかなければいけないということで、そこに、裁判所の保有する司法行政文書の開示等に関する事務の取扱要綱というのがあります。これはまさに、実質的な作用が行政だということで、バランス上、情報公開法ができたときに、裁判所の司法行政の文書も開示しないとまずいよね、ということで作られた要綱です。

ただ、制度自体はインフォーマルに作っているものなので、本当はちゃんと両並びでやるのであれば、それはもっとちゃんとした正規の規則を裁判所は作れるんですが、それでやった方がいいという指摘が可能かと思います。実際に、要綱に基づいて情報公開が請求された事例として、ロッキードの事件についての最高裁判所の裁判官会議の議事録を要求した事件というのがあります。これは面白いですが、ジャーナリストの方が、裁判官会議の議事録の開示請求をしたら、最高裁裁判所裁判官会議規程というのがありまして、これは裁判所が作る正規の規範です。言うなれば法律に当たるようなものです。そこの裁判官会議規程には裁判官会議は非公開にする、公開しないという条文があるので、そのために会議を公開しない以上議事録も公開する必要がないというふうに最高裁は考えまして、裁判官会議の議事録は全面不開示であるというふうに対応したんです。

そうしたところ、その請求された方が全面不開示は違法だということで、請求当時はまだ平成16年の行政事件訴訟法が改正される前だったので、国家賠償請求しかなかったので、国家賠償請求をしましたところ、東京地裁は全面不開示は違法だというふうに言って国家賠償を認めました。これは面白くて、最高裁の措置を、東京地裁の裁判官がひっくり返したということで大変興味深いというか、……河村裁判長ですね。だいたい裁判官の名前を覚えていくとどういう判決が出るのかが分かるようになるんですが、そういうことで、なかなか面白い、元気な判決がこの頃東京地裁は大変多かったので、そのうちの1つと言うことができると思います。

その後、高裁に行きまして、高裁に行くとだいたい全面的に反対の判決が出て、原判決を取り消す判決が出るんですが、その後最高裁にかかることになりました。最高裁は自分の不開示の措置を最高裁自身が裁判するという、そういう妙なことになっていまして、このあたりも含めて、最高裁というか、裁判所の司法行政文書についての開示制度は不備であるということは言えるだろうと思います。一応、論点の指摘ということで申し上げます。

郷原
ということで、今、お話しいただいた考え方からして、今回の検審の議決が重大な瑕疵があって、もし無効だと言えるとすると、これは行政訴訟、今説明していただいた当事者訴
訟ということになるわけですね。それによって、訴訟の形としては差し止め、執行停止ということですか。 桜井 仮の救済はそれぞれあります。民事でやるところの仮処分みたいなものですが、これが行政訴訟には行政訴訟の仮の救済の制度がありまして、取消訴訟であれば執行停止を申し立てることができます。それから指定弁護士指定処分の差し止め訴訟ですと、これも新しく作られた仮の差し止め訴訟というのがあるものですからそれを求めるということになります。これも、1点申し上げたいのは、公法上の当事者訴訟は最後にいい加減に作ったものですから、仮の救済についての規定が不整備のままです。だから、本当は憲法訴訟みたいなことも考えるとすると、当事者訴訟も仮の救済がなければいけないんですが、これが立法の不備で、作ったときから分かっていることですが、いろいろあってできなかったということで、仮の救済がないような、できるような・できないような非常に使いにくい仕組みになっているということです。

郷原
少なくとも、指定弁護士の指定については仮の差し止めというのが考えられる、とい
うことですね。

桜井 そうですね。

郷原
正確には明日、提訴された段階でその内容が分かると思いますが、検察審査会の議決自体が行政行為と構成できる余地があるということと、それと、弁護士の指定、指定によって
最新号の『AERA』にも出ていましたが、指定された弁護士には捜査権限が与えられて、強制捜査も場合によっては可能で、被疑者の逮捕も一応、権限的には可能になるわけです。そういう非常に大きな権限を持たせることになる弁護士の指定というのが行政行為であって、それが仮の差し止めの対象になるのではないかと、そういうことです。

それから、今一般論を話していただいた議事録の開示の問題ですが、これは確か、一昨日でしたか、衆議院の予算委員会で川内議員も質問していましたが、この点について、今回の議決に関連する会議録の公開について最大のポイントは、補助弁護士、審査補助者の説明、発言の部分、ここは、開示の対象にするのが、私はむしろ当然ではないかと思います。検察審査会法上は、会議自体は非公開とされています。こういう公開しないとされている一方で、議事については会議録を作らなければならないとされている。そして、審査補助員の職務について当該事件に関係する法令およびその解釈を説明すること。当該事件の事実上及び法律上の問題点を整理し並びに当該問題点に関する証拠を整理すること。当該事件の審査に関して法的見地から必要な助言を行うこと。というふうに、その職務の内容が書かれていて、そして更に、審査補助員はその職務を行うに当たっては検察審査会が公訴権の実行に関し、民意を反映させてその適性をはかるために置かれたものであることを踏まえ、その自主的な判断を妨げるような言動をしてはならないと定めているわけです。

審査補助員がこのような法律の規定に従って職務を行うかどうか、これは非常に重要な問題で、先ほど桜井先生が言われたように、どういう審査を行うのか、どういう判断を行うのかという基準が書かれていないわけですが、その代わり、審査補助員がそういう法律の専門家として、こういう役割を果たすことによって、この審査の適正さが確保されるという考え方だろうと思います。そうだとすると、それが法律に従って適正に行われているかどうかを何らかの形で担保する制度が必要ですけども、もし、この会議録が公開もされないし、誰もそれをチェックしないとすると、この法律は実効性がまったくないということになってしまいます。

しかも、ここの部分の審査補助員の発言部分の公開をすることに関しては個人のプライバシーの問題とかまったく関係ない。そういう意味では公開することによる不利益もまず考えられないわけですし、ここの部分は開示するのが当然だと思います。先ほど桜井先生が言われた最高裁に対して司法行政文書の公開を求める手続を取って、審査補助員の発言部分が公開されるべき理由をしっかり指摘して公開を求めれば認められる可能性というのはありますか。

桜井
裁判官会議の議事録については、そもそも最高裁の不開示措置の理由は司法権は独立
しているので、これを完全に守らないといけないので、従って全面不開示だと。絶対譲れないという、そういう措置です。しかし、これに対して地裁判決は、地裁の裁判長が何と言ったかというと、個別的な事情の有無にかかわりなく、事後的にもおよそ非公開するような実質的な理由はないのではないかと。常にすべての審議事項にわたって、事後的にもおよそ非公開としなければならないほどの情報が含まれているとは考えがたいと。だから、ちょっと個別的に検討してはいかがかというのが、結局、最高裁の措置が違法であると言った実質的な理由です。

個別に審査するということだと思います。

今回の検察審査会の議事録は、検察審査会はそれこそ裁判官会議ではないので、司法権の独立にはかかわらないわけです。まずそれが1つ。そういうロジックは使えないだろうと。だけど、例えば、非公開でやって、市民であるということで匿名性をとりわけ保障する理由があるのだということが仮にあったとしても、しかし、およそ補助される弁護士、審査補助員の言動そのものについてまですべて含めて一切不開示だというふうに考える実質的な理由はやっぱりないだろうと思われます。ですから、可能性としては、筋論からすると全面不開示はおかしいのではないかと。これをを正当化する理由はないのではないかということだと思います。

郷原
特に、今回の審査補助員の発言に関しては、読売新聞に具体的に出ているわけです。10月6日の読売新聞に。犯罪の実行行為者ではなく謀議に参加すれば共犯として有罪になる
などと認定した、暴力団内部の共謀の正否が争点となった判例など、こういったものを示して、暴力団や政治家という違いは考えずに上下関係で判断してくださいと説明したと。これがこの通りだとすると、完全に法律の規定に違反する、自主的な判断を妨げる説明だということは明白だと思います。読売新聞の言っていることが全然でたらめでまったく信用できないというなら別ですけども、一応、大新聞が書いている以上は、その疑いがあるわけですから、本来、審査補助員の発言は公開の対象にしてもいいわけですが、一層、今回の場合は公開する必要性が高いと言えるのではないかと思います。 桜井 あと、私が素朴に疑問に思ったのは、検察審査会の議決書を読むと、市民の方の感覚を反映するということですが、文章自体は完全に法律的な文章になっているんです。誰が実際に文章を書いたのかなというのは非常に疑問と言いますか、まず審査員、市民の人ではないんだろうと思いますし、事務局なのかもしれませんし、あるいは弁護士さんかもしれませんが、まったく分かりませんが、あの文章はそういう意味では素養のない人は書けないと私は思いま
す。

郷原
それにしてはへたくそですけどね。

桜井
内容はともかくとして、言葉遣いなんかはプロっぽいなと。

郷原
内容はともかくとして、法律家的な言葉遣いが使われているので、審査会ではなく審査補助員が議決書を書いたのではないかということですね。もう1つの問題ですが、昨日、一
昨日あたりから審査員の平均年齢が、最初から30.何歳だと公表されていて、その数字については、確か小沢氏本人も、検察審査会の正体についてまったく分からない、審査員の平均年齢が30.何歳ということしか分からないと言っていた。ところが、その平均年齢が間違っていたということが一昨日ぐらいから明らかになって、最初は正しい平均年齢が最初、30.9歳から33.91歳に訂正されたわけですが、昨日になってこれもまた違っていたということが分かって、平均年齢は34.55歳に再度訂正されたわけです。

最初は割り算を間違えたという話だったのが、その後、足し算を間違えたという話で、ほとんど小学生レベルの間違いで、こういう程度の人が検察審査会の事務局の仕事をしていということがまったく信じられない。ここまででたらめだと、率直に言って、そもそもこの審査員の選任手続、抽選とか、選挙人名簿から候補者を抽出する、というような作業を小学生レベルの割り算や足し算が正確にできない人に果たしてきちんとできるんだろうか。そういう意味では、そもそもこの検察審査会がやってきたことを、最初から全部チェックしてみないとよく分からないのではないかと思います。

しかももう1つ指摘されているのが、最終的に正しいとされている平均年齢は34.55歳で、1回目の議決のときの審査員の平均年齢とまったく同じ。この、まったく同じというのは一体何を意味しているのか、こんなことがあり得るんだろうか。メンバーが入れ替わっているはずなのにまったく同じというも非常に不思議ですし、こういう検察審査会が1つの行政庁だとして、そのやっていることがあまりに信じられない、そもそもの信頼そのものが崩れているのではないかと思えるときって、行政法的にどうしたらいいんでしょうか。

桜井
情報公開って実は、アンビバレスな仕組みで、情報公開請求している人は情報を知っている人でないと公開請求できないという実態があります。本当に知らない人は何をとっかかりに、何を聞いていいか分からないということなので、実は情報公開請求する人はすでに知っている人であるというのが1つの実態を示していると思います。検察審査会については、そういう意味では全然情報がそもそもないので、私自身も一体どこから手を付けていいのかなと思いますけど。どうでしょうかね。一方では法務省さんは、それなりに情報をもちろん持っているはずで、恐らく議事録も持っている可能性があると思いますが、それが開示対象のファイルになっているかどうかという問題はまた別途ありますが、やっぱり、裁判所と法務省さんと両方に対してきちんとどういう実態になっているのかということは説明していただかないと、一般人も含め誰でも多数決で起訴される可能性があるということなので、なかなか由々しい事態になっているなとは思っています。

郷原
訴訟によって行政的な措置、法的な措置で救済を求めるということと同時に、こういうアクションが取られることによって、議決の内容を見ても、平均年齢を見ても、あまりにでたらめなので、さすがにこのままじゃまずいだろうということで、事実上、裁判所から検察審査会を何とかしろよというふうに働きかけて、例えば、議決のやり直しとか、ということになる可能性はあるんじゃないかと思います。それは、私は、こういう場合と似ているんじゃないかと思います。検察官は権限としては誰でも起訴をすることはできるわけです。検察官であれば、特定の人について、こういう犯罪事実で起訴状を書いて裁判所に持っていけば、刑事訴訟法上は有効な起訴のはずですけども、もし仮に、検察庁の正規な書式も使わないで、上司の決裁も受けないで、勝手に手書きで起訴状を書いて、裁判所に持って行ったとしたら、いくら本人が検察官であることは間違いないと言っても、裁判所はそのまま受付けないだろうと思います。

受付けないで、検察庁に問い合わせて、検察官が勝手にこんな文書を持ってきたけどどうしますかと聞いたら、検察庁の側で今すぐにやめさせますと言って、その起訴状を引き取りに来ると思います。それで、その起訴状は効力を生ずることなく終わると思います。それと同じで、こんなでたらめな議決だということが分かったら、良識ある裁判所であれば、ちょっとこれはあまりひど過ぎるので、検察審査会でもう1回考えてみてくださいということで、職権で再検討するように促して、検察審査会が、それを受けてちゃんとした手続を取るということになるのではないか。それは訴訟の問題とはちょっと別の事実上の……。

桜井
検察審査会に上級庁がいれば、いるかどうかよく分からないですけども、上級庁は下級庁に対して取り消せとか言えるわけです。もう1つは、検察審査会自身が議決に指摘通り少
し問題があると認識したならば、自ら職権で取り消すことはできるんです。やり直して修正させて違うのを出させていただく、という手続は物理的にいつでもできるので、私は一番いいのは検察審査会が良識を発揮して、ちょっとやり過ぎちゃったけど……というふうに思うところがあるのだとすると、もう1回考え直してみる、そのうえで職権取り消しをすることを考えてはどうか。それは全然やって構わないというか、かえっていいことではないかと思います。

郷原
起訴される前に一応被疑者に対して何らかの弁解の機会ぐらい与えるのが当然だと思います。それが適正手続の1つの重要な要請じゃないかと思います。検察官は、そういったことを十分にわきまえて、特に法律では決められていないけれども、弁解の機会を与えた上で起訴の手続をするということです。それを検察官じゃない検察審査会が起訴議決をする場合でも同じ要請が働くはずです。やはり、最低でも検察審査会法の手続を踏んで、告発、審査の申し立て、1回目の議決、検察官の不起訴というものを経てきたものが起訴議決の対象になる。その中で弁解の機会も与えられているというのは、当然の憲法31条の適正手続の要請の中に含まれていると思います。そこを全然無視しているわけですから。私は憲法31条の手続からいっても、その手続自体が違憲と言えるのではないかと思います。 少なくともまず告発をされれば、その告発事件について検察官が調べるわけでしょう。審査の申し立てがあった後にもう1回検察官が不起訴処分にする前にも、何らかの形で対象になっているのであれば、それについての弁解を聞いたりはするはずだし、強制起訴の手続きは、そういったことを予定しているんじゃないかと思います。ところが、最後の段階で突然新たな事実が加わると、そういう弁解の機会ってまったく与えられないわけです。それはあまりに手続としておかしいのではないかと。

桜井
基本的に常識論であると思います。

郷原
あまりに常識が通用しないことだらけで、あまりにおかし過ぎるので、おかしいのが
普通かなと思っちゃうんですけど。だってさっきの年齢のことだって、我々、検察官が事実を認定するときの経験則から考えて、仮にも世の中の人みんなに知らせる平均年齢が、当事者が1人で計算しました、間違えましたということ事態があり得ないけども、1回間違えたと公表するときに、その次の数字をまた間違えるということはおよそあり得ない。そのときぐらいもう1回確かめて今度は絶対に間違いはないだろうな、というふうにやるのが、これはどこの世界においても当たり前だと思います。それでまた間違えるというのは、すでに完全に常識を逸脱していると思います。


岩上氏がまとめた郷原・桜井氏の発言趣旨

(郷原弁護士の論旨)
・前提としての政治資金規正法の解釈を誤っているのではないか。

・審査の申し立て事実、告発事実、一回目の起訴相当の被疑事実、不起訴の対象事実まではほぼ同じ。
 その事実を逸脱したまったく別の虚偽記入事実が追加されている。

(櫻井教授の論旨)
・起訴されるということは、重大な人権侵害であるので、
 刑事訴訟法では、真っ当な検察官によって真っ当に起訴されるのが大原則

・検察審査会の議決が、突然出された犯罪事実で多数決で起訴するということになると権利がない状態になる。

・憲法31条のデュー・プロセスの保証。刑罰が科される時には適正手続きによるべきであるということは、
 古典的な自由権として認められている。

・起訴するかどうかは、重大な自由の侵害なので国家が責任を持つことになっている。

・検察審査会法はどういうつもりで作ったか分からない。判断基準が法律の中に一切ない。

・検察審査会法は、「理由なき起訴」が多数決で可能な制度。

・検察審査会の議事録は、「司法行政文書」にあたるので、情報公開法は適用されないが
 「司法行政文書」には、「裁判所の保有する司法行政文書の開示等に関する事務の取扱要綱」がある

(郷原弁護士の論旨)
・議事録公開に関して、審査補助員(弁護士)の発言は公開するのが当然ではないか。
 情報公開法には、基準が書かれていない。審査補助員が法律の専門家として役割を果たす
 ことによって、適正さが確保されるという考え方ではないだろうか。
 議事録が公開されず、チェックもされないとなると、適正さを担保できない。

(櫻井教授の論旨)
・一般人を含めて強制起訴される可能性があるということになると、
 それを決める権限を持っている検察審査会の実態を説明するのは正に政府の責任。