昨年末から、内閣法制局長官に憲法解釈等の国会答弁をさせないとするいわゆる「官僚答弁の禁止」の中で何かと話題に上る内閣法制局であるが、先日、テレビ朝日の番組で内閣法制局長官の公邸が映し出されていた。あの画像をみられた方がどのような印象を持ちえたかは不明ではあるが、朝日新聞のGLOBEで、この内閣法制局に関しての記事が載せられている。この後に出てくる「長官の待遇はVIP級」のくだりは、その放送を元に書かれたものと推察できる。
鳩山政権から菅政権にかわり朝日新聞の「内閣法制局長官」の答弁禁止に関しても矛先が鈍ったように思えるのは、小沢氏が幹事長の座を退いたからであろうか。
内閣法制局長官に憲法解釈などの国会答弁をさせない方針を続けると菅政権の組閣発表の会見の場で官房長官・仙谷由人は述べている。
法制局の法律解釈は
法制局が法解釈をするにあたって重視するのが、他の法律や過去の解釈との「整合性」だ。ただ、法律にも複数の解釈があり得る。絵で例えると、図のように、花ビンと顔の両様に解釈できる場合だ。だが、ある時点で花ビンだと解釈されて花がかきこまれると、そうでない解釈は閉ざされ、当初から花ビンとして描かれた、ということになる。
横文字法律はNG?
「我が国は包容力ある漢字文化を有しているのだから、漢字で表記できないはずがない。その努力をすることなく、生煮えの外来語に飛びつくべきではない」
こんな理屈で、内閣法制局にけられた幻の法案名がある。リゾート開発がはやったバブル期の1980年代に提案された「リゾート法」は、結局、「総合保養地域整備法」に落ち着いた。旧建設省など「リゾート」を推した側は「保養地には、深夜まで酒におぼれるイメージがあり、心身共に健やかに自己を高める意味合いが包含できない」という理屈だったが、「総合保養地域……」の名称も趣旨が分かりやすいとは言い難い。「保守的で柔軟性がない」と法制局を批判する時に何かと引き合いに出される例になった。
長官の待遇はVIP級
内閣法制局長官は、特別職の公務員としては、官房副長官や宮内庁長官などと同格。月額給与は144万4000円で、国会議員の歳費(129万7000円)を上回る。これだけでも、政治家の中には「国会議員より高収入の公務員がいるなんて」などと問題視する声もある。
さらに権力を象徴するように言われてきたのが、五反田・池田山の高級住宅街にある旧長官公邸。延べ床面積1555平方メートルの白亜の御殿は、複数の会議室や、11台の地下駐車場を備え、建設費は11億円。公邸廃止の政府方針に伴って会議室として使われるようになったが、2002~05年には小泉元首相の仮公邸に。「総理大臣公邸より、官房長官公邸より、官僚の公邸の方が上なのかなあ」という小泉節のために、かえって「豪華すぎる官僚公邸」の代名詞になった。
「若しくは」「又は」の違いは?
「リンゴ若しくはミカンの皮をむく、又はスイカを切り分けるときに……」。日常会話で、こんな言葉遣いはしない。しかし、法律の世界では「若しくは」と「又は」は厳密に使い分けられている。それをチェックするのも内閣法制局の役割だ。局内の「法令整備会議」で日ごろから接続詞や句読点にいたるまで点検を重ね、統一を図っている。
「若しくは」と「又は」の場合、一番大きな段階での並列を表すのに「又は」を使い、それより下のレベルでの並列には、「若しくは」を使う。
ちなみに内閣法制局設置法施行令は、第三部の所管事務を「主として金融庁、総務省、外務省若しくは財務省又は会計検査院に属する事項」と書いている。
どの省出身なら幹部になれる?
内閣法制局は、各省庁の出向者の精鋭を集めているといわれるが、どの省庁からでも出向できるわけではない。とくに、部長などの幹部になるのは、原則として法務、財務、総務、経済産業、農林水産の5省出身者だけ。無言の「格付け」があるようだ。
さらに、部長より上に進むには、事実上の更なる線引きがある。ある長官経験者は「法制次長、長官は、部長になれる5省から農水を除いた4省の出身者という、これまた、不文律がある」と話す。法制局に詳しい明治大学政経学部の西川伸一教授によると、長官になるには第一部長になるのが必須。「第一部長→法制次長→長官というロイヤルロードは1952年以来破られていない」という。
内閣法制局(法令解釈担当は官房長官に)
http://globe.asahi.com/feature/100614/01_1.html
[Part1]
「内閣が責任を持った憲法解釈論を
国民のみなさま方、あるいは国会に提示する」
8日、菅政権の組閣発表の会見。官房長官に決まった仙谷由人は、よどみない口調でこう述べた。
「憲法解釈は、政治性を帯びざるを得ない。その時点、その時点で内閣 が責任を持った憲法解釈論を国民のみなさま方、あるいは国会に提示するのが最も妥当な道であるというふうに考えている」
鳩山内閣と同じく、内閣法制局長官に憲法解釈などの国会答弁をさせない方針を続ける、その理由の説明だった。前行政刷新相の枝野幸男が兼ねていた「法令解釈担当」を自分が引き継ぐとも表明した。
自民党政権下では、憲法や法律についての内閣の統一解釈は、内閣法制局が示すとされてきた。国会の主な委員会では、首相の真後ろに内閣法制局長官が着席。首相や大臣が答弁に行き詰まると、すっくと立って法解釈をそらんじ、難局を乗り切る。そんな場面がよくあった。
だが、民主党は年明け後、長官の国会出席をやめさせ、2月には枝野に法令解釈担当を命じた。戦後初の役職だった。
国会でのデビューは3月3日。参院予算委員会で、自民党の脇雅史が「この法律の解釈につきまして、法制局、いかがでしょう」と質問すると、内閣法制局の法制次長を制し、議場のざわめきを抑え込むように「私から内閣法制局の上申を踏まえた内閣としての解釈を申し上げます」と切り出した。
脇が求めたのは、民主党が中止を目指す八ツ場ダム建設をめぐる水資源開発促進法などの解釈。法律に基づく基本計画にダム完成が盛り込まれていると指摘し、「政治的に中立であるべき法制局」(脇)に、その法律が「生きている」ことの確認を求めた。
枝野は、「法律には計画の変更や廃止の手続きがあり、それに向けて担当大臣が作業に入るのは法令上問題がない」と答弁。法制次長の山本庸幸が「大臣がおっしゃったとおりでございます」と続けた。
双方の関係者によると、枝野の担当就任後、法制局幹部が大臣室に枝野を訪ねた。安全保障関係を中心に主な法令解釈を20分ほど説明。資料を渡した。その後の国会答弁についても「大臣が使うかどうかは別として想定問答は用意していた」。枝野の在任中、従来の法制局解釈と異なるような答弁はなかったという。
それでも法令解釈の主役の交代に、法制局の関係者らには警戒感が広がった。あるOBは「枝野さんは一応弁護士だけど、昔勉強したというだけ」と話した。
民主党が内閣法制局の力をそごうとしている背景には、前幹事長の小沢一郎の意向があったとの指摘が多い。湾岸戦争時に、法制局の憲法解釈のために自衛隊の海外派遣ができなかったことを根に持っている、との見方だ。
だが、小沢と「遠い」とされる仙谷や枝野も、憲法解釈は政治家の責任と明言する。
新首相の菅直人は、副総理だった昨年11月、国会でこう発言している。
「私はこれまでの憲法解釈は間違っていると思っていますから」
菅が否定するのは、立法、行政、司法を横並びにとらえる「三権分立」の発想だ。「三権分立なんて憲法のどこにも書かれていない」と繰り返し述べている。
行政と立法を並列すると「内閣は国会から独立しており、官僚に任せればいい」という「官僚内閣制」の考え方に支配されてしまう。しかし本来は、国民の信託を受けた国会が名実ともに国権の最高機関としての役割を果たす「国会内閣制」が正しい。菅はそうした憲法観を、11日の所信表明演説でも改めて強調した。
1998年の著書『大臣』では次のようなことも書いていた。――多くの官僚は「行政権は、内閣に属する」という憲法65条を「行政権は官僚にある」と理解している。しかし官僚はあくまで補佐役だ。「内閣は国会に対し連帯して責任を負う」という憲法66条を根拠に「閣議は全会一致が原則」と解釈されているが、事務次官会議の存在とあいまって、すべての役所が拒否権を持つ「省益優先」の仕組みになっている――。
事務次官会議は鳩山政権下で廃止された。普天間基地問題などでの迷走を教訓に、菅が霞ヶ関と融和を図るとの見方もある。内閣法制局内からも「ようやく分かってきたか」との声がもれる。
だが、菅は所信表明でも「官僚内閣制」から脱するとの目標を掲げた。明治以来その要にあったともいえる内閣法制局は、どう扱われるのだろうか。
内閣法制局(戦前から続く絶大な権力)
http://globe.asahi.com/feature/100614/02_1.html
[Part1]
官庁のなかの官庁 「法は政権の意思を超える」
「法制局は官庁の官庁であって、その権限と法に忠実な番犬たること戦前戦後を問わず、いささかも変わったことはない。各省庁にとり大蔵省主計局と内閣法制局は最も手ごわい相手であり……」
内閣法制局が創設100年を記念して発行した文集に、こんなOBの手記がある。
内閣法制局の設立は1885(明治18)年。内閣制度の発足と同時で、明治憲法発布より4年早い。初代長官は長州出身で工部卿なども務めた山尾庸三、2代目は明治憲法や教育勅語の起案にあたった井上毅。戦前は勅令の審査・解釈も手がけ、他省庁とは別格の存在だった。
米占領下でいったん解体されたが、サンフランシスコ条約で日本が主権を回復すると、吉田茂の意向ですぐに復活。主計局との「二局支配」と称される地位は保たれた。法の制定や解釈にあたり法制局は各省庁に高いハードルを課すが、いったん「お墨付き」を得れば、あとは安心できる。――こう打ち明ける官僚はいまも多い。
パワーは官僚組織の外にも及ぶ。
「どちらが上司か、分からなかった」
こう回想するのは、橋本龍太郎の首相秘書官だった江田憲司だ。憲法解釈をめぐって首相に「総理、これは譲れません」「もう決まった話ですから」と言い放つ法制局長官の姿が記憶に残る。
国会でも、法制局の法解釈が、与野党の議論の土台になってきた。最高裁判所の長官経験者すら、「法制局が厳密に合憲性のチェックをしているので違憲訴訟が少なかった」と、その「重み」を認める。
内閣法制局の規定は、憲法にはない。法解釈を担う根拠は、内閣法制局設置法で「法律問題に関し内閣並びに内閣総理大臣及び各省大臣に対し意見を述べること」を所管するとされる点に尽きる。
それでもときに首相に対しても強い態度でのぞむ理由は何か。法制局関係者は「積み上げてきた法解釈の整合性を守らなければ、法秩序の安定が保てないからだ」という。元長官の阪田雅裕は「政治判断で行政府の法令解釈がころころ変わるようなことでは法治国家ではなくなる。政権の意思を超えて存在するのが法だ」と話す。それを担保するのが法制局というわけだ。
2007年5月の衆院外務委員会。野党だった民主党の前原誠司は、「閣議決定は全会一致」との法制局解釈に、異論を唱えた。当時の法制局長官、宮崎礼壹は、解釈を説明した後、こう付け加えた。
「このことは、古く昭和21年7月の制憲議会での担当大臣の答弁以来、歴代の総理、官房長官が一致して述べてきておられますし、またそのように運用されてきているところでございます」
ただ、法律の解釈は、1+1=2のように答えが一つとは限らない。学界でもときに多数説と少数説が分かれる。最高裁でも少数意見が付されたり、後に解釈が変更されたりする。法制局の解釈も「決める時点」では、複数の選択肢から選んでいる面がある。
しかし、自民党は「選択」の責任を負うのを避け、野党からの攻撃の「防波堤」として法制局の解釈を使ってきた。その「政治の怠慢」こそが法制局の存在感を高めた――江田はそう指摘している。
[Part2]
小沢vs.法制局 湾岸戦争以来の確執
「おまえは政治家だ。現状を変えることが、すべてに優先する。法制局が文句を言ってきたら、おれが全部抑えてやる」
自民党の実力者だった小沢一郎から、こうハッパをかけられたのを、当時側近だった船田元は覚えている。1991年に自民党の「国際社会における日本の役割に関する特別調査会」の事務局長に就いたときのことだ。会長は小沢だった。
90年の湾岸戦争で、日本は130億ドルの財政支援をしたが、自衛隊を派遣しなかった。自民党幹事長だった小沢は「国家が行使する自衛権と国連の活動とは、まったく異質のもの。(自衛隊が参加する)国連の活動は、武力行使を含んでも憲法に抵触しない」というのが持論。小沢率いる党執行部は内閣に湾岸戦争への自衛隊派遣を迫ったが、首相の海部俊樹は態度を明らかにしない。当時の法制局長官、工藤敦夫は「国連の指揮下でも憲法の制約は及ぶ。正当防衛を除く武器使用はできない」と首を縦に振らなかった。
当時の内閣官房副長官、石原信雄は「海部首相自身が、自衛隊派遣に積極的ではなかった」と振り返る。だが、批判の矛先は法制局長官に向かった。小沢調査会が92年にまとめた答申は、「これまでの政府解釈は、もはや妥当性を失っている」と結論づけた。
その後小沢は自民党を離党。細川連立内閣などを経て、野党新進党の党首になる。97年10月の衆院予算委員会。小沢は首相の橋本龍太郎に海外での自衛隊活動についての憲法解釈を問いただした。橋本は、自分は他国の武力行使と一体化しない後方支援は可能だと考えていたと述べたうえで「だが、従来、政府は必ずしもそういう見解にならなかった」と発言。小沢は「憲法解釈を変えたのか」とたたみかけた。
すると、橋本をさえぎるように当時の法制局長官・大森政輔が答弁に立ち、湾岸戦争時も一体化がなければ違憲ではないと説明していたとして、当時と「何ら見解に相違はない」と強調。橋本も「当時論議の足りなかった部分を今回補強した」と修正した。水を差された小沢は「お役所としては、ちょっと僭越(せんえつ)だ」と不快感をあらわにした。(インタビュー参照)
小沢は自由党党首だった03年には「日本一新11基本法案」の一つとして「内閣法制局廃止法案」を議員立法で提出。08年には民主党代表として「内閣法制局はいらない。国会に法制局があればいい。なぜ行政府に法制局がなければいけないのか」と発言している。
今年5月、民主党などの議員が「国会法改正案」を提出した。官僚でも例外的に国会答弁を認める「政府特別補佐人」から内閣法制局長官をはずす内容だ。その提出者名の筆頭も「小沢一郎」だった。
[Part3]
ガラス細工の「戦力」解釈
内閣法制局は、集団的自衛権の行使は違憲であるとの見解を維持し、国連指揮下での自衛隊海外派遣は合憲とする小沢らの憲法解釈にも一貫して否定的だ。こうした姿勢を見て、最近では「護憲」を掲げる政党が法制局を「憲法の守り手」として持ち上げることが多い。
だが、法制局はかつて、ガラス細工のように無理な理屈を重ねる組織との批判も浴びてきた。憲法9条に則して「戦力」を持たないと言いながら、戦車や戦闘機、護衛艦を持てる。武装勢力の攻撃が頻発するイラクにも自衛隊を派遣できる――。それでも「憲法解釈は変わっていない」と主張してきたからだ。
法制局は解釈の基準に「3原則」を掲げる。①法律の文言や趣旨に則し、②立法者の意図や背景となる社会的情勢を考慮し、③議論の積み重ねのあるものは全体の整合性に留意する。これにより、法律的に解釈は「論理的に確定すべきものである」という。
1952年に復活した内閣法制局は、憲法9条は「自衛のための必要最小限度の実力を保持することまで禁止したものではない」とし、「戦力とは近代戦争遂行に役立つ程度の装備、編成をそなえるもの」と定義。54年に警察予備隊から改組された自衛隊は「戦力ではない」とした。
自衛隊に米国から最新鋭兵器が次々と導入されると「戦力という言葉にはおのずから幅がある。国土保全を任務とし、必要な限度において持つ自衛力を禁止していることは当然考えられない」と解釈。これを受け、政府が最新鋭戦闘機の航続距離を伸ばす空中給油装置を外して批判をかわしたこともあった。
イラクへの自衛隊派遣では「非戦闘地域」という概念を持ち込んだ。「現に戦闘が行われておらず、活動の期間を通じて戦闘行為が行われることがないと認められる」地域への派遣ならば、国としての武力行使や、他国軍隊との武力行使の一体化も理屈上は起きない。万が一、そこで武器を使用するような事態が起きても、それは「自己保存のための自然権的な権利」であって、9条違反にはあたらないとした。ただし、当時の首相、小泉純一郎が「自衛隊の活動地域が非戦闘地域」と答弁。問題になった。
[Part4]
「法制局長官の答弁禁止で、
国会論議の粗悪化が進む」
大森政輔・元内閣法制局長官インタビュー
――小沢一郎氏が1997年の国会で当時の橋本首相に「憲法解釈の変更か」と迫った時、自ら手を挙げて答弁を補足し、後に「越権」との批判も浴びました。あの行動にためらいはなかったのですか。
「総理が憲法上問題の残る答弁をしたら、補正する努力をするのは法制局長官の職責。そのために首相の後ろに座っていたのですから。あのまま黙っていて、『湾岸危機の時と防衛協力指針の検討の時で、憲法解釈は変わった』と認めたままになっていたら、それこそ大変だ。まったくためらいはなかったし、むしろ義務の履行のつもりで答弁に立った」
――その小沢氏が主導した今の法制局長官の国会答弁禁止をどう見ますか。
「弊害ばかりで、いいところは一つもない。まず、法律解釈をめぐる国会論議が非常に低調になり、きめの粗い議論にとどまってしまう。国会中継を見る限り、非常にお粗末な場面を目にします。さらに、今まで国会論議などを通じて確立してきた見解が政治家の一存で変えられる可能性が生じる。現実には、社会的・政治的に大問題となるので簡単には実現しないでしょうが、『しようと思えばできる』すき間ができることは問題だ」
――鳩山内閣では枝野氏が、新内閣では仙谷氏が法令解釈を担当しています。
「甚だ疑問だ。政治家自らが省庁間の(法律面の)意見調整に当たるのでは、適切な対応は期待できない。法曹資格を持った人であっても同様だ。法律問題の適切な処理には、個別の問題だけでなく、周辺問題、さらには法律問題全般を熟知していることが必要だ。自分の在任中にそのような事態になれば、辞任していたかもしれない。もっとも辞めただけでは事態の解決にはならないが……」
――法制局の役割をどう考えますか。
「『創造と抑制』の二つの側面がある。内閣の直属の補佐機関として、法令案の審査を通じて、政府が展開しようとする施策のための法的枠組みを作るのは価値創造の作用。他方、政策の展開はすべて憲法の枠内で行わなければならず、抵触するおそれがある場合には、憎まれ役かもしれないが、内閣に対して躊躇(ちゅうちょ)なく意見を述べる職責があり、これは抑制的機能だ。その時々の社会情勢によっては抑制的な側面が目立つ時もある」
――最高裁判所に最終的な憲法解釈権があるなかで、法制局がなぜそこまで憲法判断にかかわる必要があるのですか。
「(憲法裁判所ではない)司法機関が憲法判断をする現行憲法制度の限界として、最高裁は憲法判断に消極的だ。仮に、最高裁の事後審査により違憲判断が下された場合には、事柄によっては著しい混乱と損害を生じさせることになる。このような事態を避けるために、事前の検討機関としての内閣法制局の職責があるのでしょう」
[Part5]
「間違った憲法解釈の是正はあり得る」
枝野幸男・前法令解釈担当相(現民主党幹事長)インタビュー
――内閣法制局のあり方を、これまでどう見てきましたか。
「中学生のころ、新内閣の発足時の新聞の閣僚名簿に政治家の面々と並んで法制局長官の名前や略歴が載っているのを見て強い違和感を持った。なぜ内閣法制局だけが霞が関の中で別格なんだろうと。だから、法制局のトップには国務大臣が必要だというのは、僕の長年の持論です。支持者の集まりで『政権取ったら何大臣になりたいか?』と聞かれると、『法律改正して法制局長官やりたい』って言っていたくらいだ」
――国会でも、政治家たちが法制局を別格に扱ってきたのでは?
「政治論としては、法制局側も政治家側も、お互いを都合良く利用してきたということでしょう。でも、憲法論的にいえば、憲法判断の最終決定権は司法にあるにしても、立法府は国権の最高機関で、立法という機能を通じて違憲審査している。行政府の憲法解釈に立法府が縛られるいわれは全くない。逆はあるかもしれないが。 それが、あべこべになってきたのは非常に不思議な話だ」
――大臣が法令解釈を担当すると、恣意(しい)的な変更の危険が生まれませんか。
「それは勘違いでしょう。もともと内閣法制局は広い意味での意見具申機関だから、長官が何を言っても、首相や官房長官が『あれは参考意見です』と言えばおしまい。それは各省の事務次官が色々な意見を言っても最終的には大臣の判断で決まるのと同じことです。担当大臣がおかれても変わらない」
――2月に担当相になってから菅内閣発足で交代するまでの間に、法令解釈の運用を変えたところはありましたか。
「具体的変化はない。法律案作成のプロセスで各省と内閣法制局との調整があり、必要があれば乗り出しますよと閣議で申し上げたが、そんなに頻繁にあったらおかしい」
――内閣法制局と小沢前幹事長が対立した憲法9条の解釈論への見解は。
「コメントを控えたい。ただ、9条に限らず、行政における憲法の解釈は、恣意的に変わってはいけないが、間違った解釈を是正することはありうる。従来の内閣における憲法9条の解釈は、誤解されて受け止められている面が多々あると思っている」
「それに、『集団的自衛権の行使に当たるので憲法を変えないとできない』と流布されてきた話の大部分は、従来の内閣の見解に基づいても集団的自衛権の行使に当たらないと思っている。この点では、私の考え方は法制局とも一致した」
――将来、法律的素養のない人が担当相になったときに問題は起きませんか。
「そうした時の、バックアップこそが、法制局の役割だろう。けんかをする関係ではないし、非常に有能な法律家集団であることには違いない」
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