2010年11月27日土曜日

安倍貞任・宗任の墓

安倍貞任・宗任の墓


京都清水の舞台真下の桜樹のなかにアテルイの記念碑が建立をされている。これは、近年建立された新しいものであるが同じ蝦夷であった安倍貞任・宗任の墓の言い伝えが同じ京都でも京北町に残されている。


今から約950年前の後冷泉天皇の時代 に行われた源頼義による奥州討伐・厨川の戦い(前九年の役)で敗れた安倍貞任・宗任の墓の存在が京北町下宇津に存在すると言い伝えられている。


安倍貞任・宗任や厨川の戦いに関しては高橋克彦氏の”炎立つ”を読まれた方は概略はご存知であろうと思う。東北(岩手県)出身の高橋氏の小説と京北町の言い伝えが微妙に違うのはご愛嬌としておこう。


過去に京都新聞社が刊行した書籍の中でもこの安倍貞任・宗任の墓に関して書かれていたような記憶があるが書籍のタイトルを忘れてしまい思い出せないでいる。


言い伝えでは、次の2点がポイントとなっている。1点目は、何ゆえに京北町の下宇津周辺なのかということである。話によれば、単に処刑をせず極刑(トゲのある柚の木で打殺し)に処し死体をバラバラに切断し近くの山へ埋葬をせよ。なお、埋葬地は、東西南北に流れる川の近くがいいというのが陰陽師のみたてであった。その条件にあった場所として選ばれたのが嵐山を流れる桂川の上流域である上桂川・下宇津周辺が選ばれた理由である。


地図でいえば栗生谷山のすそを東西に流れている上桂川が下宇津で南北に流れを変える。遺体を切り分けた場所が、宇津字弓槻の”切り畑”とされ現在も地名として残っているようである。近くは何度も通っていそうなのだが、明確にはわからない。


下宇津から日吉町中世木へ通じる峠を人尾峠とよぶ。この人尾峠から日吉町天若へ通ずる道を地元の方は貞任峠とよぶ。貞任峠の道端にあるという祠(気がつかなかった)は貞任の首塚と言い伝えられ人尾峠には安倍貞任の足を埋葬したとされ、頂上にはお地蔵さんがまつられていると聞く。


さて、では安倍貞任の胴体と安倍宗任の遺体はどこに埋められたのであろうか。残念ながら安倍貞任の胴体と安倍宗任の遺体に関しての言い伝えは聞いた記憶も文献・書籍も目にした記憶も自分にはない。


2点目は柚の話である。

厨川の戦いで安倍貞任は討ち死にをしたのであるが遺体は生きて捕らわれた安倍宗任と共に京に送られ極刑(トゲのある柚の木で打殺し)に処されている。安倍宗任は柚の木の鞭で打殺されるのであるが宗任は死ぬ間際に”宇津の川上ユウ(柚)を成らさぬ”と言い絶命したとされている。それ以来、上桂川の宇津から川上(上流)には柚が育たないという。


この柚の言い伝えを聞くまで自分は気にも留めないでいたのだが、上桂川は自分が鮎つりを覚えた川でもあり”そういえば、柚の樹は見た記憶がない”と気がつく。上桂川から深見峠を越えると美山川となり由良川の上流部となり日本海に注ぐ。この美山では小粒のみかんを食べた記憶がある。


みかんと柚では違うではあろうが同じ柑橘類と考えた場合、みかんが育つのであるから柚も・・・と考えれるのは素人の浅はかな考であろうか?


”安倍貞任・宗任の墓が京北町に存在する”という話を前は時折ブログ等で見うけられるのであるが、最近はとんと見かけなくなってしまった。自分も京都に戻ったら探してみようと思っているがようやくそれが叶いそうである。早ければこの秋、紅葉の季節には実現しそうである。


2010年11月15日月曜日

最高裁のウラ金問題 生田暉雄

 検察の裏金問題は、三井環氏が公表をしかなりの方が、検察に裏金が存在していた事実を知ることが出来た。しかし、最高裁の裏金問題は一部でウワサになり出ては消え。ししてまた消えては出ての状態が続いていた。



最高裁のウラ金

-正常な司法なくして、正常な社会の発展は無い-

2010年11月10目

〒760-0020             
香川県高松市錦町2丁目4-21
生田ビル2F 生田法律事務所  
  TEL(087)822-0550 
  FAX(087)822-0552 
弁 護 士   生 田 暉 雄





目次


序 裁判官統制と、最高裁ウラ金のしくみの解明


第1章 裁判が主権者の主権実現の手段となることを拒んだGHQと為政者

 第1節 裁判は主権実現の手段である

 第2節 陪審制度を採用しなかったGHQ

 第3節 憲法裁判所制度を採用させなかったGHQ

 第4節 権力統制機能を有する行政裁判の活性化をおそれたGHQや為政者

 第5節 民事裁判を公的法的サービスに徹底させないGHQや為政者

 第6節 検察の思い通りの結果になる刑事裁判を容認したGHQ
     - 気に食わない政治家の排除、闘う労働組合の弾圧も思いのままの
       人権後進国日本 -

 第7節 国連の個人通報制度の未批准


第2章 最高裁による裁判官の統制
     - 憲法違反、犯罪行為を犯してでも裁判官を統制する最高裁 -

 第1節 なぜ最高裁は裁判官の統制をしたがるのか

 第2節 裁判官統制の内容 反主権者的裁判の原因

 第3節 最高裁の顔色をうかがうヒラメ裁判官

 第4節 裁判が主権実現の手段から遠ざかる


第3章 最高裁のウラ金
     - 裁判官統制と一石二鳥でウラ金を作り、最高裁擁護環境に気息えん
       えんの最高裁 -

 第1節 最高裁のウラ金の内容

 第2節 最高裁擁護環境に気息えんえんの最高裁

 第3節 国の将来の展望を持たない最高裁


第4章 ウラ金作りのため、行政権力とウラ取引も厭わない最高裁
     - 日本の官僚の横暴は最高裁の保護下にある -

 第1節 ウラ取引の内容

 第2節 官僚の統制は主権者の手でなければ統制できない


第5章 社会の進展は裁判の発展をともなう
     - 訴訟社会と揶揄して裁判の発展を阻止する日本国家 -

 第1節 政治教育を拒否する日本

 第2節 人と違うことをおそれる日本

 第3節 日本国力の著しい低下

 第4節 世界的な政治意識の覚醒とデモクラシーの深化

 第5節 態度表明社会の到来


第6章 公文書公開による最高裁の裁判官統制、最高裁のウラ金の暴露

 第1節 公文書公開

 第2節 公文書公開の裁判

 第3節 民主国家において、公文書公開は最大の主権者の武器である


第7章 裁判が主権者の主権実現手段として定着する

 第1節 住民訴訟

 第2節 国民訴訟


リンク


本文
トップ 目次 次へ
序 裁判官統制と、最高裁ウラ金のしくみの解明

 皆さんは、労働組合が警察によって不当な弾圧を受け、これを跳ね返す刑事裁判で、なぜ裁判官が不当性を理解出来ないのかと不思議に思うことが、一方ならずあったことと思います。
 また、多発する冤罪事件について、なぜ不当な自白を見抜けないのかと、不思議にお思いのことと思います。
 少なくとも、不当弾圧や冤罪を大勢の第三者に説明するに当たり、不当性を理解しない裁判官自体の問題性を説明することに困難を感じたこともおありでしょう。
 しかし、答えはいたって簡単です。裁判官自身が最高裁の複雑な統制を受けていて、初めから、公正な裁判をやる気がないのです。
 このような不公正な裁判しか出来ず、裁判官の独立も保障されていない本来裁判といえない「裁判」を、日本社会では、裁判であると思い込まされています。
 最高裁は、裁判官を給料や任地を「えさ」に、統制しています。
 裁判官を統制することは、裁判官の身分を保障した憲法76条3項に反して違法です。
 そればかりか、最高裁は、裁判官20年目で裁判官の俸給3号になる4号の裁判官全員分の予算を取りながら、そのうちの3分の1ぐらいしか3号にはならせず、その残りの3分の2の予算をウラ金にしています。
 これは、詐欺、背任、横領罪等の犯罪に該当します。最高裁は憲法違反をやり、犯罪を行っているのです。
 われわれ国民は、犯罪者による裁判を永年受けているのです。
 給料と任地による統制について、どのような要件が3号になるために必要な要件か、最高裁は一切明らかにしません。
 また任地についても、転勤の要件はどのようなものか、要件を明らかにしません。
 そこで、裁判官は、最高裁に気に入られるよう、少なくとも嫌われないよう、最高裁の顔色を非常に気にします。これが上ばかり見るということで揶揄されるヒラメ裁判官です。そこで、判決も最高裁に嫌われないよう最大の気を使っています。
 裁判官の俸給3号以上にならないと裁判長にもなれないので、裁判官の立場は切実です。
 1号以上にならないと所長にもなれません。
 大都市と地方の任地では、事件の種類もガラッと違います。
 裁判官が大都市でマスコミの耳目を集める事件をしたいと思うのは、人情として当然のことです。
 このような裁判官の統制の結果が、刑事裁判では冤罪を多発し、民事・行政裁判では市民側の敗訴(行政事件の市民側の勝訴率10%) となっています。また違憲判決は極少数です。
2、なぜこのように、憲法違反である裁判官の統制が、いとも簡単にされているのでしょうか。
 裁判官の独立の保障も無く、日本国民は、三権分立という近代社会の恩恵さえ受けない後進国に住んでいるのです。
 第二次大戦敗戦直後の裁判所の司法改革に湖って根本的に検討する必要が今明らかとなってきています。主権者は、裁判の本質が主権実現の手段であることなど、裁判の本質に思いを致し、日本の裁判がなぜこのようにおかしな裁判であるのかについて、その根本原因をさぐる必要があるのではないでしょうか。
 遅ればせながら、その解明を実現する時期に来ています。
 本稿は、そのささやかな試みです。


第1章 裁判が主権者の主権実現の手段となることを拒んだGHQと為政者
トップ 目次 次へ
第1節 裁判は主権実現の手段である

1、 戦後の司法改革
(1) 1945年8月14日ポツダム宣言受諾後、GHQは、1945年10月4日人権指令発布、同月11日五大改革指令発布と、治安維持法等の弾圧立法の廃止、秘密的弾圧機構の廃止と、矢継ぎ早に旧治安弾圧機構の廃止を行いました。
 GHQの司法改革は、旧治安弾圧機構の廃止までで、新たな民主的司法機構の構築に殆ど尽力していません。
 しかし、司法改革の核心は民主的な司法機構の構築にあったはずです。
 ポツダム宣言でも、民主的傾向の復活、強化が謳われています。
 司法の民主化を構築しなかったのは、日本を共産主義のとりでにするため、民主化よりも経済的再建と自立を優先させるべきとするG2と民主化を強調する民生局の対立を背景として、民主的司法機構の構築が遅れていたところへ、いわゆる逆コースが重なったことと考えられます。
 日本側元官僚の委員は、旧制度の維持を基本に臨んでいました。
 司法制度が、政治経済の制度に比較して改革されなかった状況は、本レジュメの巻末に添付の「戦後改革資料」から明らかです。
 その結果、1947年(昭和22年)4月16日公布の裁判所法に至っています。
 裁判所法及びその後の刑事訴訟法等は官僚的司法制度の成立を許したもので、民主的なものではありません。

(2) 裁判の機能は、第1に、民事・刑事の裁判に典型的な紛争の法的解決、第2に、行政裁判に典型的な権力の統制機能、第3に、違憲立法審査権に典型的な法令等の憲法的抑制機能です。

 この裁判の本質は、国政等の選挙や、直接民主主義的表現の自由とともに主権の実現手段であるのです。
 GHQのうちのG2や逆コース、さらには日本の官僚委員は、日本の主権者が裁判を手段として民主主義的方法を取ることを嫌い、主権者が、裁判を民主主義実現の手段として立ち上がるのを阻止するため民主主義的には利用出来にくい裁判制度にしたのです。
 戦後、裁判が民主主義的闘争の有力な手段となることは、憲法の平和主義と安保体制の矛盾、アジア的規模で予想される戦後補償請求、不当行政に対する各種行政訴訟を考えただけでも明らかです。
 以下では、戦後司法改革の反主権者性及び不徹底さについて見ていくことにしましょう。

トップ 目次 次へ
第2節 陪審制度を採用しなかったGHQ

 陪審制は、社会を支える草の根民主主義と市民参加意識とに密接にかかわっている裁判における民主制度であり、単なる法制度ではなく、政治制度としても重要なものであります。
 日本では、1923年(大正12年)4月28日法律第50号で日本陪審制が制定され、1928年(昭和3年)から施行され、1943年(昭和18年) 4月1日に戦争終了後に再開するという約束で停止されたままになっている陪審法があります。
 ところが、GHQは、この陪審法の改良・復活について何ら言及せず、もちろん、官僚の日本委員も言及せず、陪審法の改良・復活はなりませんでした。

トップ 目次 次へ
第3節 憲法裁判所制度を採用させなかったGHQ

 憲法裁判所制度は、通常の司法と異なり、事件性を必要としません。
 その分、国民の国政の参加、即ち、法律や行政の憲法違反の主張が容易になります。
 第二次世界大戦後、憲法を改正、制定した国の多くは、憲法裁判所制度をとりました。
 オーストリア(1945年)、イタリア(1948年)、ドイツ連邦共和国(1949年)、トルコ(1961年)、ユーゴスラヴィア(1963年)、フランス(1959年)、ポルトガル、スペイン、ギリシャ、ベルギー等。
 ところが、GHQは、憲法裁判所制度ではなく、憲法違反の裁判について、アメリカ型の司法制度(憲法81条)を採用しました。
 司法の違憲審査制について、大きな進歩であると一時期もてはやされましたが、憲法裁判所制度を採用しなかった点において、世界的動向に無知な当時の日本人は、GHQに騙されたといえるのではないでしょうか。
 その典型は、警察予備隊違憲訴訟(昭27.10.8)です。
 アメリカ型では、事件性を要するだけでなく、違憲訴訟の提起に対しては、高度の政治問題には司法は立ち入らない(統治行為論)とか、司法消極主義等、種々の憲法判断回避の手段を弄して、憲法判断を避けます。
 このように、違憲機能の制限は、憲法の存在意義の低下を招き、ひいては国民の法意識の低下となり、国民が国政や社会において主体性をもって活動することの低下となり、低成長社会、情報化社会で国全体が方向性に苦しむ事態となるのです。
 GHQは、国民の憲法の平和主義を根拠とする憲法裁判所制度の利用をおそれ、また、アジア規模での戦後補償の裁判をおそれてアメリカ型の司法制度にしたものとしか考えられません。

トップ 目次 次へ
第4節 権力統制機能を有する行政裁判の活性化をおそれたGHQ

1、 行政裁判は、権力の行使によって、市民の権利や自由が侵害された場合に、市民の側から提起する裁判です。
 このように行政裁判は行政権力を統制する機能を有します。
 このような行政裁判について、行政訴訟という特別の類型ではなく、民事裁判ですることが出来れば、市民にとって非常に便利です。アメリカではそのようになっています。
 ところが、GHQは、日本では行政裁判制度にしました。
 行政の不正や権力の違法な行使をチエックする行政訴訟は、日本では年問1800件程度です。
 ドイツでは年間50万件で、人口比で日本はドイツの500分の1です。
 人口比で、日本は台湾の80分の1、韓国の28分の1です。
 その上、日本では、約20パーセントが門前払いで、市民の勝訴率は約10パーセントです(日弁連第24回〈2010年9月11目〉司法シンポジウム基調報告書59頁)。
 同じような経済体制のドイツの500分の1の行政訴訟で、どうして日本はやっていけるのでしょうか。
 これが、日本の公務員の不正、行政の違法、税金の無駄遣いが多い理由でもあるのです。
 日本の主権者は、もっと公務員の不正や行政の違法、税金の無駄遣いに、行政訴訟を起こす必要があります。
 公務員の監督、統治は、主権者が行政訴訟ですべきなのです。
2、日本で行政訴訟が極端に少ないのは、行政訴訟を起こしてもほとんど絶対に勝てないからです。
 アメリカなどでは、訴訟を起こすと、相手方(行政側) は、手持ちの全証拠を開示しなければならないことになっています(証拠開示、ディスカバリー、ディスクロージャー) 。
 ドイツでも、公務員は記録を取る義務があるとされており、訴訟が起こされると、この記録を全て提出する義務があるとされています。
 市民が行政に不服がある場合は、口頭やはがきの殴り書きでも受け付けてくれます(「よくなるドイツ、悪くなる日本①」関口博之著、地湧社)。
 これが500倍の実態です。ヒットラーの政権に対する反省から、行政に厳しく市民の意思を尊重するのがドイツです。
 ところが日本では、この証拠開示の義務が、行政庁・公務員側にはありません。
 そこで、市民は裁判を起こしても行政庁側の証拠を利用出来ないので、必ず負けます。
 このように常識的に考えても、行政庁公務員側にある証拠開示をさせずに行政訴訟が起こせるはずのないことは明らかです。
 このようにわかりきったことを、為政者はあえてしないのです。
 これは主権者に行政訴訟を活用させないためです。
 主権者に対する重大な裏切り行為です。日本における訴訟は正に鎖国政策です。
 さらに日本では、行政訴訟を起こす資格である原告適格、どの行政庁が被告となるかの被告適格、行政庁がどのような処分をしたため行政訴訟の対象となるかといった処分行為、市民に行政訴訟を起こす時に既に具体的な紛争が現存するか、行政訴訟を起こすことによって得られる法的利益である訴の利益等の要件を極めて厳密にして、これらの要件が認められなければ訴訟の内容には入らずに、いわゆる門前払いとします。年間1800件しかない行政事件ですが、その20パーセントはさらに、内容に入った裁判ではなく門前払いとなっているのです。
 前記のドイツの、口頭やはがきの殴り書きでも受け付けることとの差は甚大です。
 このような行政訴訟をあえて起こそうとする主権者はきわめて少数であることをお解りいただけると思います。500分の1の差になっているのです。
 諸外国では、主権の実現手段としての裁判を十分に利用しています。
 このように、権力統制機能の制限は、官僚の横暴を招き、官僚の肥大化、選挙による代表者の政治家による政治ではなく、官僚政治の横行となるのです。主権者は、官僚政治の弊害を呼ぶだけでなく、それを是正する行政訴訟の活用にも注目すべきです。

トップ 目次 次へ
第5節 民事裁判を公的法的サービスに徹底させないGHQや為政者

1、民事裁判(損害賠償裁判、貸金返還裁判等)は、紛争の法的解決であり、公的・法的サービス機能の実現です。ところが日本では、権力作用のような間違った捉え方をしているようです。

2、司法の容量を小さくする
 日本は世界の中で訴訟回避国として有名です(「民事訴訟の比較歴史分析(一)(二)」クリスチャン・ヴォルシュレーガー、大阪市立大学法学雑誌48巻2号、3号)。先進国の中で訴訟件数が極端に少なく、裁判官の数も極端に少ないのです。
 この理由は、日本の裁判・司法は、江戸時代の鎖国政策に例えるのが適切です。江戸幕府は、長崎の出島だけに門戸を開き、オランダ・中国・朝鮮とだけ開国を許し、大船禁止令を出して、海外に渡航可能な船の建造を禁止し、日本人の海外渡航を禁止していました。
 これと全く似た状態にあるのが、現在の司法・裁判なのです。
 裁判は主権者の主権実現の手段でもあるのですが、為政者は陰に陽に主権者が裁判を利用しないようにしています。つまり、主権の行使をさせないようにしているのです。
 正に、鎖国によって、諸外国の事を国民に知らせないことと同じです。
 裁判から主権者を遠ざけようと必死なのです。
 まず、日本の司法の実態を見てみましょう。
 司法は三権分立の一つですが、司法の年間予算約3276億円で国の予算約84兆円の0.394パーセントです(「日本の司法をダメにする最高裁事務総局の正体」西島博之、プレイボーイ2009年10月12日号)。
 年間予算額から見ると、国家権力の三権の一翼どころでは全くありません。また裁判官の数も先進国の約10分の1です(「裁判が日本を変える」生田暉雄著、日本評論社)。
 これに反して、アメリカを含むヨーロッパ諸国では、大々的に主権者による裁判の利用がされています。アメリカが訴訟社会であることは有名です。中国も訴訟社会に入りつつあるといわれています。
 ドイツと日本は、法や近代化、経済制度について多くの共通点をもっています。
 しかし、ドイツの訴訟率は日本の16倍です(前出、大阪市立大学法学雑誌48巻2,3号)。
 日本がドイツと同率の訴訟になれば、日本の裁判所は今の16倍の数、裁判官(今は2500人)も、16倍に裁判官(4万人)が必要ということになるのです。
 そうなれば、今日の日本のように、裁判官を特別視して身分視をすることもなく、必要以上に市民が裁判官を崇めることがなくなると思われます。裁判官も単なる一つの職業に過ぎなくなるのです。
 このように司法の容量を制限する手段として、為政者は「裁判沙汰」といって、裁判を嫌う意識を国民に植え付けました。横並びの日本社会ではこのような宣伝は非常に効果的で、裁判は主権者から嫌われています。
 このように小司法容量による裁判の制限は主権実現の制約でもあります。これは主権者の主権の行使に対する無関心を引き起こし、各種の国政選挙の投票率の低下となり、国政に対する無関心層の増大の遠因ともなるのです。
 裁判の多さと国政投票率の増加は比例します。裁判の多いヨーロッパ各国は、国政の投票率も高いのです。市民は主権の行使を当然視しているのです。

3、諸外国に比較して極端に少ない法律扶助
 訴訟を起こす費用のない人を援助する法律扶助も日本は諸外国に比較して極端に少ないのです。
 イギリスの法律扶助の事業費は年間約1610億円(うち国庫負担約1146億円) ですが、日本の年間事業費は約18億円(うち国庫負担約4億円)で、イギリスの90分の1です。
4、その他、訴状の印紙代は、アメリカは一律100ドル(1万円)ですが、日本は訴額の1000万円で5万円、1億円で32万円と累進制になっており高額です。印紙代さえ負担できない人がたくさんいます。

トップ 目次 次へ
第6節 検察の思い通りの結果になる刑事裁判を容認したGHQ
    - 気に食わない政治家の排除、闘う労働組合の弾圧も思いのままの
      人権後進国 日本 -

1、人権後進国と国連から種々の改良を求められる日本の刑事裁判

(一) 捜査段階の問題点

① 予審の欠如
  予審の欠如は捜査に対するチェック機能の欠如を意味します。

② 捜査機関(特に警察)のチェック制度の欠如
  捜査それ自体の中にチェック機能がありません。
  ・捜査の3段階の欠如
  ・自白偏重捜査

③ 取調べの可視化の欠如
  ヨーロッパ諸国では当然視されている取調べの可視化が目本では全くありません。
  ・弁護人の立会ナシ
  ・ビデオ、録音ナシ

④ 異常に長い勾留期間
  ヨーロッパ諸外国では3日、日本では23日という長い勾留。

⑤ 代監一自白偏重
  取調べの警察の手元に身柄を勾留しないというのはヨーロッパでは常識ですが、日本では全く逆です。

⑥ 調書の問題点
  ・戦前の刑訴法は、警察官、検察官には原則として尋問権が無く、尋問調書は作り得ない(ただし、聴き取り書の脱法行為の横行)。
  ・一問一答ではなく、物語風で、取調官の心証を被疑者がしゃべった形になっています。

(二) 公判段階の問題点

① 自白の偏重

② 共犯者、第三者の検面調書を独立証拠とできる。
  ・アメリカは検面調書を独立の証拠とすることは出来ず、弾劾証拠とすることが出来るだけです。
  ・特信性があると日本では独立の証拠となり、殆どの検面調書はヒラメ裁判官により特信性ありとされます。
  ・鈴木宗男の裁判と村木厚子元厚労省局長の裁判

③ 証人裁判ではなく調書裁判

④ ヒラメ裁判官による裁判

⑤ 99.9%の有罪率

2、遅れた刑事裁判制度の改革はどのようにすれば可能になるのでしょうか。

トップ 目次 次へ
第7節 国連の個人通報制度の未批准

 個人通報制度とは、自由権規約において認められた権利を侵害された個人が、国際機関(規約人権委員会といいます)にそれを直接訴えることができるというものです。つまり、個人が規約人権委員会に直接通報することによって、自分自身が受けた人権侵害を国際的な場で取り上げられるという制度のことです。
 人権侵害を受けた個人は、その国において利用できるあらゆる国内救済措置(その事案により異なりますが、裁判、不服申立など)を尽くした後であれば、誰でも規約人権委員会に直接通報することができます。その通報が受理され、審議された後、規約人権委員会はその事件に対する「見解」を出します。これは裁判の判決とは違って拘束力はありませんが、国際国内世論を高めることによって、通報された国にかなりのプレッシャーを与えることができます。実際、規約人権委員会の出した見解によって、通報された国が自国の国内法を改正するにいたった例は少なくありません。
 つまり、規約人権委員会が、どのように人権を保障すべきかを当該国に具体的に提案することができるのです。報告制度や国家通報制度と異なり、個人通報制度は通報者と訴えられた国の双方に対して発言や反論する機会を設けているので、公平さ、信頼性を期待できます。
 1998年1月末現在、自由権規約締約国140カ国中、個人通報制度に加入している(つまり選択議定書に入っている)のは93カ国です。自由権規約を批准している国々の中でも半数以上の国が個人通報制度を受け入れているわけですが、残念ながら日本はその中に入っていません。
 日本が選択議定書を批准すれば、通報をすることで私たち市民が個人通報制度を利用できるようになるのです。日本国内の人権問題が国際的な場で話し合われることになるのはもちろんのこと、規約人権委員会から見解が示されれば、日本はそれらの問題に対して何らかの改善や措置を求められることになります。
 このような有効な個人通報制度を、日本国は、国連中心主義を謳いながら、なかなか批准さえしないのです。


第2章 最高裁による裁判官統制
    - 憲法違反、犯罪行為を犯してでも裁判官を統制する最高裁 -
トップ 目次 次へ
第1節 なぜ最高裁は裁判官の統制をしたがるのか

 司法本来の役割を果たしていなくても、裁判官が最高裁と違う判断をするのではないかとおそれる最高裁は、以上のような司法に対する種々の制約だけでは安心せず、さらに強力に、裁判官を給料と転勤をエサにして統制しています。
 そのため裁判官は最高裁の顔色ばかりを気にするので、上ばかり見るということでヒラメ裁判官といわれています。
 裁判官は、憲法上、司法権の独立、裁判官の独立が保障されている(憲法76条)、最高裁による裁判官の統制は憲法違反です。
 戦後、裁判所は、戦前の司法省(行政機関)の統制を受けていたことに懲りて、最高裁判所を頂点とする自律的司法行政機構を形成することになりました。
 この結果、司法行政について、行政権力からの干渉は制度的には完全に遮断されることになりました。
 しかし問題は、主権者からの正当な干渉からも殆ど完全に遮断されることになったことです。
 最高裁判所を頂点とする自律的司法行政機構を形成する以上、主権者たる国民の正当な干渉を十分にするための諸制度を導入する必要がありますが、最高裁はそのような事を全くしないため、戦後は司法省に代わって最高裁の独裁が司法権に横行することになったのです。

最高裁の独裁を排する7条件
 最高裁の独裁を排するためには、(一)裁判官の任用に、国民の参加を認めること、(二)最高裁判官任用、高裁長官任用、地家裁所長裁判官の任用の法定用件を定めること、(三)裁判官の給料表に定員人数を法定すること、(四)裁判官の給料表の昇級要件を法定すること、(五)裁判官の転勤の要件を法定すること、(六)以上(一)ないし(五)に対し、最高裁の説明責任を明記すること、(七)以上(一)ないし(六)の公文書開示を義務づけること、以上です。
 ところが、最高裁は、以上(一)ないし(七)を全く定めず、行政権力や国民一般からの干渉から完全に遮断され、最高裁の思い通りに裁判官を統制するようになったのです。
 驚くばかりの、主権者から独立した官僚機構が最高裁なのです。
 1959年(昭和34年)3月30日、東京地裁(伊達判決)は、日本に駐留する米軍は、憲法9条上、その存在を許されない、としました。
 このような駐留米軍が憲法9条の戦力にあたるか、さらには安保条約自体の問題点を含めて、国側は、伊達判決に対して、高裁の判断を飛ばして、最高裁に跳躍上告をし、最高裁は1959年(昭和34年)12月16日、合憲の判断をしました。
 この伊達判決から憲法体制と安保体制の矛盾から引き起こされる安保体制をめぐる種々の違憲訴訟の続出を予想し、最高裁は下級裁判所及び裁判官の統制の必要性を痛感したと考えられます。
 このような違憲訴訟だけでなく、行政訴訟自体についても主権者が活用することも何とか制限しようとしたと思われます。

トップ 目次 次へ
第2節 裁判官統制の内容 反主権者的裁判の原因

 それでは、最高裁の裁判官統制について述べましょう。

 裁判官の統制
 裁判官になると10年間は判事補といわれます。再任を経て判事となり、給料は8号から順次上昇します。
 裁判官になって20年目(俸給4号)までは、皆平等に昇給します。
 ところが、21年目以降、俸給判事3号以上に昇給する裁判官としない裁判官に分けられます。
 3号の報酬月額は106万9000円ですが、4号では90万6000円です(西川伸一著「日本司法の逆説」五月書房、200頁以下)、(生田暉雄著「裁判が日本を変える」日本評論社、107頁以下)。月額差は、16万3000円、年間にして200万円近くの差で、これはボーナスや調整手当やらの差が加わり、年収500万円以上の差になります。これが以後、少なくとも15年以上続き、退職金にも大きな差となります。
 3号以上にならないと裁判長にもなれません。
 4号から3号(3号から2号へ、2号から1号へも同じ)になる要件、期間は、最高裁から示されないので、裁判官は順当に3号になろうと、最高裁の意向を最大限注意します。少しでも最高裁に嫌われることをしないよう、判決内容から平素の行動まで注意を払います。
 このように、最高裁といった上の方ばかりに注意を払うので、ヒラメ裁判官といわれます。
 俸給だけでなく、大都市居座りや大都市転勤も裁判官に対する利益誘導に役立っています。
 最高裁は、国家公務員法に反して、俸給表だけを明示し、昇格、昇給の要件、期間を明らかにしません。また、国家公務員法に反して、3号、2号、1号の級別定数(その級の定数)も明らかにしません。さらには、転勤の要件、期間も一切明らかにしません。
 そこで最高裁は極めて恣意的に最高裁の思い通りに裁判官を3号、2号、1号にし、大都市だけの転勤にすることが出来ます。

トップ 目次 次へ
第3節 最高裁の顔色をうかがう裁判官

 裁判官はそのような有利な地位に就こうと、最高裁に気に入られるよう率先して競争をします(国を負かす判決や、無罪判決をしない)。
 これが、最高裁の行っている裁判官の統制政策です。
 憲法上、裁判官には裁判及び裁判官の独立が保障されています(憲76条)。
 人間としての生存権を脅かす利益誘導による裁判官の統制は憲法違反です。
 それだけでなく、3号ないし1号の級別定数が無いので、当然に昇級できるのに昇級させないことは私権を侵すことであり犯罪でもあります。

トップ 目次 次へ
第4節 裁判が主権実現の手段から遠ざかる

 主権者は、裁判官を主権実現のため管理・監督する義務があるとさえいえます。
 これは、公務員の統制の一内容でもあります。
 何よりも、前述した最高裁の独裁を排する7条件を即刻実現する体制を整えるべきです。


第3章 最高裁のウラ金
    - 裁判官統制と一石二鳥でウラ金を作り、最高裁擁護環境に気息えん
      えんの最高裁 -
トップ 目次 次へ
第1節 ウラ金の内容

 最高裁はその年分として、3号該当者全員分、2号該当者全員分、1号該当者全員分の予算を獲得し、4号のうちの3分の1を3号にし、3号のうちの3分の1を2号にし、2号のうちの3分の1を1号にしているようです。
 そうすると、獲得した予算のうち、3号分3分の2、2号分3分の2、1号分3分の2が余ります。
 最高裁はこれをウラ金とします。
 このウラ金は年間どんなに少なく見積もっても年間10億円は下らないでしょう(戦後、昭和25年からでも600億円を下らないウラ金を最高裁は取得している)。
 このようにウラ金が潤沢なので、裁判員裁判のタウンミーティングに27億円(魚住昭「官僚とメディア」)、学者を最高裁寄に批判的な意見を書かないよう学者の囲い込み、お気に入りの裁判官の外国旅行等、使い放題なのです。
 誰が見てもおかしな日本の司法制度、ヒラメ裁判官の存在、不十分な日本の行政訴訟に、真正面から異議を主張しない法学者が皆無である一事をとっても、最高裁による学者の囲い込みの成功は明らかです。
 このようにウラ金を使って最高裁の安泰をはかっているのです。
 最近の流行の言葉でいえば、裁判所はガラパゴス化しつつあるのです。
 このように明らかに使用しない予算を獲得することは、虚偽公文書作成、詐欺、横領、背任罪になります。
 日本の主権者は、犯罪人による裁判を受けているのです。
 これが、当然排除しなければならない虚偽の自白調書を採用して、無実の者を有罪にした再審事件が多発するなどおかしな判決が出る根本原因です。
 裁判官は、虚偽の自白調書であるとして証拠から排除して無罪にすると、最高裁から、自分が反権力者意識を有する裁判官であると思われるのではないかと、そのことを虞れて、虚偽の自白調書だと認定はしないで有罪とするのです。それが何十年か後に再審無罪となっているのが実態です。
 行政事件でも、裁判官は、行政側に厳しい判決をすると、自分が反権力意識の裁判官であると最高裁から疑われるのを虞れて、行政側を負かせる判決をしないのです。
 このような実態は、もはや裁判とはいえないことを意味しています。
 最高裁は、憲法違反の裁判官の統制をし、それで浮いた金をウラ金としているのです。
 そして、利益誘導された裁判官は反主権者的裁判をしているのです。
 公正・公平な裁判を期待する主権者は何に目を向けるべきか、もうそろそろ目覚めても良いのではないでしょうか。
 犯罪人が裁判所を乗っ取って裁判をしている現状を、主権者はいつまで許し続けるのでしょうか。


第4章 ウラ金作りのため、行政権力とウラ取引も厭わない最高裁
    - 日本の官僚の横暴は最高裁の保護下にある -
トップ 目次 次へ
第1節 ウラ取引の内容

1、弁護士生田暉雄は、平成21年7月16日付で会計検査院に対して、「最高裁判所の裏金、裁判官のヒラメ化の原因である裁判官3号報酬に関して実施した会計検査の結果が分かる行政文書の開示」を求めました。
 しかし、会計検査院は、平成21年7月31日付で、「開示請求に係る行政文書を作成・取得しておらず、保有していない」との理由で、不開示決定通知書を送付してきました。
 戦後60年以上にわたって、裁判官3号報酬に関して会計検査がされていないことなどは考えられないことです。
 このことは、あえて会計検査をしないということを意味し、最高裁と会計検査院が馴れ合っていると理解されても止むを得ないものといわなければなりません。
2、最高裁は学説や下級審の判決に反し、違法・不正をした公務員の大元の監督責任は国家賠償責任の対象になるが、個人としての公務員は国家賠償、民事賠償の責任を負わないとする。その理由は公務員が個人責任を負うとすると公務が畏縮するとするのです。
 しかし、最高裁の理由は必ずしも合理性を有せず、最高裁による裁判官3号報酬の制限及びウラ金を知っている行政庁とのウラ取引であると見るのが相当でしょう。
 最高裁と行政庁はお互いに馴れ合って不正をかばいあっているのです。

トップ 目次 次へ
第2節 官僚の統制は主権者の手でなければ統制できない

 官僚の統制は主権者の手でなければ統制できない。しかし、最高裁が官僚の横暴を黙認しており、これでは官僚の統制が出来るわけがありません。
 日本の主権者は、近代社会の恩恵である三権分立の国家制度にも浴せず、最高裁の横暴のままの社会に生活している。このような社会が永続的に発展するとは考えられない。
 日本では2008年からGDPが世界3位から23位、IMP国際競争力順位が90年の第1位から2008年には22位へ転落しているのも無理のないことであると思われます。
 正常な司法なくして、正常な社会の発展は無いのです。


第5章 社会の進展は、裁判の発展をともなう
    - 訴訟社会と揶揄して裁判の発展を阻止する日本国家 -
トップ 目次 次へ
第1節 政治教育を拒否する日本

 ドイツでは、公民教育は、20世紀初頭、国家による「国民教化」として始まった。戦後、市民一人ひとりの「政治的判断力・行動力」の獲得を促す政治教育へと変貌した。「人々の非政治的態度がナチズムを生んだ」という反省から、歴史認識や右翼急進主義、マスメディアによる世論操作など、現実社会が抱える問題を、多様な視点から学ぶ取組がなされてきたのである。そして現在も、東西ドイツ間の政治意識・歴史認識の壁を乗り越えるための教育が模索されている。現実を直視し、生徒の「政治的成熟」を目指すその教育実践は、「中立性」という名のもとに政治を忌避しがちな日本の教育にも、重要な示唆を与えるといわれている(近藤孝弘著「ドイツの政治教育-成熟した民主社会への課題」岩波書店)。

『 戦後の(西)ドイツにおいては、民主主義の発展のためにはそれに相応しい政治教育が不可欠と考えられ、その努力が多くの資源を投入して実際に進められてきた。それを一種の政治的な心理操作であるかのように受け止めがちな日本とは好対照をなしている。
 なお、念のために確認すれば、日本でも政治教育という言葉が肯定的な意味で用いられる場合もある。なんといっても教育基本法(旧法8条、新法14条)には次のように書かれている。

第8条(政治教育)良識ある公民たるに必要な政治的教養は、教育上これを尊重しなければならない。
② 法律に定める学校は、特定の政党を支持し、又はこれに反対するための政治教育その他政治的活動をしてはならない。

 第1項が示すように、政治教育は尊重されなければならないのである。少なくとも旧文部省が教科書『民主主義』上・下(1949年)を著し、国民に民主主義を学ぶように訴えていた頃には、政治教育の重要性についての理解がその一部に存在していたと考えてよいだろう。
 しかし、その後の展開は、冷戦下の保革対立の中で第2項が拡大解釈され、現実の政治的問題を意識的に扱うような政治教育は、学校から排除されていくことになった。そして民主主義に基づく社会秩序の代わりに、日の丸君が代といった文化的シンボルを介した民族主義的な愛国心による体制維持が図られて今日に至っている。政治教育や民主主義教育という言葉に左翼的あるいは少なくとも古めかしい響きが漂っているのは、日本の社会が多少の揺れを見せながらも基本的には、国民の政治離れをバネとしながら保守化あるいは右傾化の道をたどってきた結果にほかならない。』
(同7頁)

 何よりも、政治教育が徹底すれば、日本の遅れた裁判制度、最高裁による裁判官統制、最高裁のウラ金は一溜りもないでしょう。
 あるべき政治教育を切望するものです。

トップ 目次 次へ
第2節 人と違うことをおそれる日本

 日本人は人と違うのが怖い国民性を有するといわれています(田原、猪瀬、財部、花岡著「壊れゆく国-なぜ日本は三流国に堕ちたのか-」日経BP社)。
 この点を逆手に取るのが為政者です。
 個々の主権者が、裁判がおかしいと思っても行動にまでは起こせないのです。
 そこを逆手に取って、為政者は訴訟国家になってはいけないと国民を教育するのです。

トップ 目次 次へ
第3節 日本の国力の著しい低下

 日本の一人当たりのGDPは2000年の世界第3位から10年に27位まで落ち込んだ。IMD 国際競争力順位も、90年の1位が08年に22位に落ちてしまった(榊原英資、竹中平蔵著「絶対こうなる日本経済」アスコム社)(前壊れゆく国)。
 これは、司法の後進国性と大いに関連があるのではないでしょうか。
 社会に民主主義性がなく、官僚、企業の努力だけで経済を高めることの限界があるのではないでしょうか。

トップ 目次 次へ
第4節 世界的な政治意識の覚醒とデモクラシーの深化

 ところが、21世紀になり、世界的な政治意識の覚醒とデモクラシーの深化がいわれるようになってきました。
 かつてカーター政権の国家安全保障問題担当大統領補佐官をつとめたアメリカの政治学者ズビグニュー・ブレジンスキーは、グローバルな政治覚醒ということを盛んに主張し、世界中で政治的意識の覚醒が見られると指摘しています。
 日本においても、不平等意識はかってない高まりを示しており、「格差社会」が盛んに論じられるようになりました。
 教育における不平等、社会・経済的な階層に基づく不平等について論じられるようになってきたのです。
 そのことから、従来、良きにつけ悪しきにつけ個人を包み込んでいた集団は現在、急速に弱体化しています(宇野重規著「(私)時代のデモクラシー」岩波新書)。
 この点からも最高裁の裁判官統制やウラ金が主権者に知れ渡らずに済むことはないでしょう。
 最高裁の不正の暴露は時間の問題です。

トップ 目次 次へ
第5節 態度表明社会

『世界同時不況から1年余。生活者は生き方の抜本的な見直しを迫られています。長引く不況への対応、「温室効果ガス排出量の25%削減」への取組、少子高齢化やグローバル化といった激変する社会環境への対応など、多くのマクロ課題が生活者の暮らしにダイレクトに降りかかっています。それらを常に受け止めて耐え続けてきたのが、バブル崩壊以後の生活者だったのかもしれません。ところが事態はいよいよ深刻です。明るい兆しは一向に見えません。「自らが率先して変わらなければ続かない」そんな危機意識が生活者だけでなく、企業にも、政府にも、自治体にも着実に広がっています。自分たちを取り巻く閉塞感を打破しなければ、出口はない。漫然とこれまでの体制に乗っていては、沈没してしまう。ゼロベースから生き方そのものをリブート(再起動)しよう。そう、日本は今、一億総リブート時代を迎えているのです。
 こうした時代環境に対し、生活者も新しい行動を始めています。リスクを背負ってでも起こすこの動きは、これまでとは違う社会像を生み出そうとしているのです。それが今回の生活動力のテーマ「態度表明社会」です。これまで日本人は、自分の立場をはっきりと表明するのをどちらかといえば苦手としてきました。しかし、この危機的状況に及んではそうもいってはいられません。人々は積極的に自らの考えや行動を公に明示してきています。日常的な事柄から、企業や政府や自治体に対してまで、生活者の態度表明は今後もあらゆる領域に広がっていくでしょう。それは他者に対しても態度表明を迫ることを意味します。企業も生活者に対して前向きに態度表明していかなければならないでしょう。例えばこうして生まれた生活者と企業の態度表明の交換が、互いのゼロベース発想を触発し、現在の不透明な状況を打破する革新的な動きを生み出すかもしれないのです。』(生活動力2010「態度表明社会」博報堂生活総合研究所)といわれています。
 このように、個々人が態度表明を明らかにするようになれば、裁判に対するこれまでの統制はひとたまりもなく打破されるでしょう。
 最近、日本の若者に覇気がないとよく言われるが、その理由は、米国の崩壊感が強まって、対米従属を続けることが難しくなっているのに、官僚組織やマスコミが主導して無理矢理に対米従属を続けているので、国民の精神が抑圧されているからだ(田中宇著「米中逆転」角川Oneテーマ21)といわれています。
 そうすると、憲法の平和主義による裁判統制の必要性も無くなってくるでしょう。


第6章 公文書公開による最高裁の裁判官統制、最高裁のウラ金の暴露
トップ 目次 次へ
第1節 公文書公開

1、平成21年4月28日、弁護士生田暉雄は最高裁に以下の司法行政文書の開示を求めました(平成22年(行ウ)第32号公文書公開拒否処分取消請求事件。第1回 平成22年3月24日、第2回 平成22年5月21日、第3回 平成22年11月12日)。
 その内容は以下のとおりです。

『第1、裁判官の人事管理に関する法令について、以下のものを明らかに
    されたい。
  1、裁判官の人事評価に関する法律、命令、規則、運用規則、運用マニュアル
  2、裁判官の報酬に関する法律、命令、規則、運用規則、運用マニュアル
  3、裁判官の転勤に関する法律、命令、規則、運用規則、運用マニュアル

 第2、裁判官の人事評価について以下のことを明らかにされたい。
  1、裁判官の人事評価に関する規則(平成16年最高裁判所規則第1号)
    の運用規則並びに運用マニュアルを明らかにされたい。
  2、平成16年以前の裁判官の人事評価は何に基づいてしていたか、規
    則、運用マニュアル等を明らかにされたい。

 第3、以下のことを明らかにされたい。
  1、最高裁判所が裁判官を最高裁判所判事に推薦する基準
  2、最高裁判所が高等裁判所長官を任命する基準
  3、最高裁判所が地方裁判所、家庭裁判所所長を任命する基準
  4、裁判官の転勤に関する規則、基準、運用マニュアル
  5、司法修習生のうち、裁判官に採用する修習生の採用要件を定めた根
    拠規定及びその根拠規定に該当するか否かの判断は、誰が、いつ判断
    するのか、及びその運用を定めた根拠規定及び運用マニュアル。
  6、裁判官に採用した司法修習生の最初の任地をどこにするかについて
    定めた根拠規定及び運用マニュアル。

 第4、裁判官の報酬の予算について
  1、(1) 平成20年度の裁判所の全予算額はいくらか。
    (2) 平成20年度の全裁判官用の報酬の予算額はいくらか。
       その内訳を明らかにされたい。
    (3) 第何号報酬用にいくらかといった予算の決め方をしているのか。
    (4) 平成20年度の裁判官用の報酬予算額のうち、報酬に使った
       残りの額はいくらか。
    (5) (4)の残りの額が生じた理由は何か。何号報酬用から残りの額が
       生じたか。

  2、(1) 平成19年度、20年度の裁判官報酬の予算中、平成19、2
       0年度において裁判官3号報酬に使用した各額はいくらか。
       3号報酬用の予算中、平成19、20年度で残った額はいくらか。
       その額はどのようにして保管しているか。
    (2) 平成19、20年度中の裁判官用の予算の中、平成各19、2
       0年度において、裁判官の報酬に使った額はいくらか。その残り
       はどのようにしているか。

 第5、裁判官の報酬に関して
  1、裁判官の報酬の根拠規定とともに、運用の根拠規定、運用マニュアル
    を明らかにされたい。
  2、裁判官が当該報酬に該当するか否かは、だれが、どのような規定に
    基づいて判定するのか、その運用マニュアルも明らかにされたい。
  3、裁判官の報酬について、報酬が上がる要件を定めた規定及びその運用
    マニュアルを明らかにされたい。

 第6、裁判官3号報酬に関して、以下について根拠規定と運用の根拠規定
    を明らかにされたい。
  1、裁判官が3号報酬になる時期は、裁判官任官後何年を経た何年何月
    から支給されるのか。
  2、(1) 3号報酬に最初に支給される年月に、その期の裁判官全員が支
       給されるのか。
    (2) 全員でないとすれば、その期の何パーセントが支給されるのか。
    (3) その期の残りの裁判官はいつ3号報酬になるのか。
    (4) 3号報酬に裁判官在官中にならない裁判官はその期の何パーセ
       ントか。
  3、平成20年に3号報酬になった最初の期は、何期で何人か。
  4、平成20年に3号報酬になった期別の人数を明らかにされたい。
  5、平成20年に2号報酬になった期別の人数を明らかにされたい。
  6、平成20画に1号報酬になった期別の人数を明らかにされたい。

 第7、
  1、裁判官の任地に関する法律、規則、運用マニュアルについて、明ら
    かにされたい。
  2、裁判官の転勤サイクルに関する法律、規則、運用マニュアルについ
    て明らかにされたい。
  3、当該裁判官が当該任地に勤務することになるためには、だれが、ど
    こで、どのような規定に基づいて決定するのか。そして、何年間その
    任地で勤務するかについては、どのような規定ないしどのような規則
    又は、誰の判断等で決まるのか。その運用マニュアルも明らかにされ
    たい。                           』

2、最高裁は、平成21年6月1日開示の延期を、平成21年6月30目再度開
  示の延期を通知してきて、平成21年7月29日、同年8月18日、以下のと
  おり一部を開示しました。

(1) 開示されたもの

 ① 平成20年度の裁判所の全予算額が分かる文書
    327,580,849(千円)
 ② 平成20年度の全裁判官用の予算額のわかる文書
    28,867,503(千円)
 ③ 開示する司法行政文書の名称
    (ⅰ) 裁判官の人事評価に関する規則(平成16年最高裁判所規則第
       1号)(片面で3枚)
    (ⅱ) 平成16年3月26目付け最高裁人任 E 第421号最高裁判所事
       務総長依命通達「裁判官の人事評価に関する規則の運用につ
       いて」(片面で6枚)
    (ⅲ) 平成16年3月26日付け最高裁人任 E 第422号最高裁判所事
       務総局人事局長通達「裁判官の人事評価の実施等について」
       (片面で8枚)
    (ⅳ) 平成16年3月26日付け最高裁人任 E 第423号最高裁判所事
       務総局人事局長通達「裁判官の人事評価に係る評価書の保管
       等について」(片面で3枚)
    (ⅴ) 平成16年3月26日付け最高裁人任 E 第424号最高裁判所事
       務総局人事局長通達「裁判官の人事評価に係る評価書の保管
       等について」(片面で2枚)

(2) 開示しないこととした司法行政文書の名称

 ① 裁判官の人事管理に関する法令について
   ア 裁判官の報酬に関する命令、規則、運用規則及び運用マニュアル
   イ 裁判官の転勤に関する命令、規則、運用規則及び運用マニュアル
 ② 裁判官の人事評価について
   平成16年以前の裁判官の人事評価は何に基づいてしていたかが記載
   された規則及び運用マニュアル
 ③ 次の事項に関する司法行政文書
   ア 最高裁判所が裁判官を最高裁判所判事に推薦する基準
   イ 最高裁判所が高等裁判所長官を任命する基準
   ウ 最高裁判所が地方裁判所、家庭裁判所所長を任命する基準
   工 裁判官の転勤に関する規則、基準及び運用マニュアル
   オ 司法修習生のうち、裁判官に採用する修習生の採用要件を定めた
     根拠規定並びにその根拠規定に該当するか否かの判断は、だれが、
     いつ判断するのか、及びその運用を定めた根拠規定及び運用マニュ
     アル
   力 裁判官に採用した司法修習生の最初の任地をどこにするかについ
     て定めた根拠規定
 ④ 裁判官の報酬の予算について
   ア 平成20年度の全裁判官用の報酬の予算額及びその内訳が分かる文
     書
   イ 裁判官の報酬の予算は第何号報酬用にいくらかといった予算の決
     め方をしているかどうかが分かる文書
   ウ 平成20年度の裁判官用の報酬予算額のうち報酬に使った残りの額
     が分かる文書
   エ ウの残りの額が生じた理由及び何号報酬用から残りの額が生じた
     かが分かる文書
   オ 平成19年度、20年度の裁判官報酬の予算中、平成19,20年度に
     おいて裁判官3号報酬に使用した各額が分かる文書。3号報酬用の
     予算中、平成19,20年度で残った額が分かる文書及びその額をどの
     ようにして保管しているかが分かる文書
   力 平成19, 20年度中の裁判官用の予算の中、平成各19, 20年度に
     おいて裁判官の報酬に使った額が分かる文書及びその残りをどのよ
     うにしているかが分かる文書
 ⑤ 裁判官の報酬に関して
   ア 裁判官の報酬の根拠規定並びに運用の根拠規定及び運用マニュアル
   イ 裁判官が当該報酬に該当するか否かは、だれが、そのような規定
     に基づいて判定するのかが記載された司法行政文書及び運用マニュ
     アル
   ウ 裁判官の報酬について、報酬が上がる要件を定めた規定及びその
     運用マニュアル
 ⑥ 裁判官3号報酬に関する根拠規定と運用の根拠規定について
   ア 裁判官が3号報酬になる時期は、裁判官任官後何年を経た何年何
     月から支給されるのかについて定めた根拠規定及び運用の根拠規定
   イ 3号報酬に最初に支給される年月に、その期の裁判官全員が支給
     されるのかが明らかになる根拠規定及び運用の根拠規定
   ウ 3号報酬に最初に支給される年月に、その期の裁判官全員が支給
     されるのではないとすれば、その期の何パーセントが支給されるの
     かが明らかになる根拠規定及び運用の根拠規定
   エ 3号報酬に最初に支給される年月に、その期の裁判官全員が支給
     されるのではないとすれば、その期の残りの裁判官はいつ3号報酬
     になるのかが明らかになる根拠規定及び運用の根拠規定
   オ 3号報酬に裁判官在官中にならない裁判官はその期の何パーセン
     トかが明らかになる根拠規定及び運用の根拠規定
 ⑦ 次の事項に関する司法行政文書
   ア 裁判官の任地に関する規則、運用マニュアル
   イ 裁判官の転勤サイクルに関する規則、運用マニュアル
   ウ 裁判官が各任地に勤務することになるためには、だれが、どこで、
     どのような規定に基づいて決定するのかが記載されたもの並びに裁
     判官が何年間その任地で勤務するのかについて定められた規定、規
     則、運用マニュアル及びそれがだれの判断等で決まるのかが記載さ
     れたもの

(3) 開示しないこととした理由

   (2)の④のアのうち、平成20年度の全裁判官用の報酬の予算額が分かる
  文書として、国立印刷局刊行の予算書が考えられるところ、この予算書
  は、情報公開法第2条第2項ただし書第1号にいう行政文書から除外さ
  れる書籍に相当し、司法行政文書開示の対象とはならない。
   その他のものについては、いずれもそのような文書は存在しない。

(4) 未開示のもの

 ① 平成20年に3号報酬になった最初の期は、白血で何人かが記載され
   た司法行政文書
 ② 平成20年に3号報酬になった期別の人数が記載された司法行政文書
 ③ 平成20年に2号報酬になった抄出の人数が記載された司法行政文書
 ④ 平成20年に1号報酬になった期別の人数が記載された司法行政文書

トップ 目次 次へ
第2節 公文書公開の裁判

1、1999年5月14日「行政機関の保有する情報の公開に関する法律」が制定公布されました。
 この情報公開法は、2001年4月1日から施行されました。
 この情報公開法にいう行政庁に、裁判所は含まれないことから、最高裁は別途「最高裁判所の保有する司法行政文書の開示に関する事務の取扱要綱」「裁判所の保有する司法行政文書の開示に関する事務の基本的取扱いについて」を平成13年(2001年) 4月1日から実施しています。
 最高裁判所の保有する司法行政文書の開示申出については、①法令に別段の定めがあるとき、②開示を求められた情報が、情報公開法5条に定める不開示情報に相当するもの(裁判事務の性質上、公にすることにより、その適正な執行に支障を及ぼすおそれのある情報を含む) であるときを除き、司法行政文書を開示するものとしています。
 情報公開法の趣旨、情報公開法に則って、裁判所の独自性を加味して定められた「最高裁判所の保有する司法行政文書の開示等に関する事務の取扱要綱」の規定の内容、公開の趣旨、その他の規定から、本件司法行政文書の開示請求に対しては、当然に公開すべきです。

2、そこで、弁護士生田暉雄は、平成22年1月28日、不開示処分の取消を求めて、東京地裁に提訴し、現在裁判中(第3回口頭弁論期日は、平成22年11月12日)です。

トップ 目次 次へ
第3節 民主国家において、公文書公開は最大の主権者の武器

 お上を信じる日本人。それがメンタリティとなっている日本。それを良いことに、裁判の機能を萎縮させ、憲法違反の裁判官の統制をし、挙句の果ては裁判官の統制で浮いたウラ金で、自分たちが潤う官僚最高裁。
 このようなことが民主主義国家で許されるはずがありません。
 情報公開法で主権者の知る権利は当然に充たされるべきものです。
 行政透明化(司法行政も同じ)の要請から、情報公開法は更に深化した改正が準備されつつあります(「自由と正義」2010年9月号)。
 まず、目的規定に「国民の知る権利」の保障の観点を明示すべきことを提案すること。
 第2のポイントは情報公開法5条の不開示情報の縮減、即ち、公務員氏名の原則開示、国の安全、公共の安全情報に係る裁量尊重規定の削除、審議・検討情報に係る不開示事項の縮減等です。
 第3のポイントは、行政機関の長等による不開示決定を内閣総理大臣に報告するものとした上で、必要があると認める場合に、内閣総理大臣が措置要求をすることができるという新しい仕組みを提案することです。
 その他、2~3の提案が準備されつつあります。
 この情報公開法の改正案からみても、本件訴は、当然に開示の方向で認められるべきです。


第7章 裁判が主権者の主権実現手段として定着する
トップ 目次 次へ
第1節 住民訴訟

  地方自治法242条1項による違法・不当な公金の支出等に対し、監査請求し、監査の結果に対して住民訴訟が提起できるものです。
 公金の支出等の違法だけでなく、原因行為の違法性も問題に出来るもので、市民オンブズパーソンの最大の武器です。

トップ 目次
第2節 国民訴訟

 地方公共団体による違法な公金の支出だけでなく、国に対しても同様の訴訟が出来なければなりません。
 これがないことから国や行政機関の違法・不当な公金の支出を主権者たる市民が問題に出来ません。住民訴訟の国家版である国民訴訟が待望されています。
 日弁連において法改正を準備中です。

以上


リンク
「最高裁のウラ金」 生田暉雄 元裁判官

http://www.saikousai.info/saikousainouragane.pdf
 

2010年10月30日土曜日

会計評論家 細野祐二から見た陸山会事件

公認会計士であった細野祐二氏からみた陸山会事件

この4億円が記載・不記載で騒がれていた頃、自分は会社の経理も見ていたことから、会計上何の問題があるのか不思議でならなかった。叉資金の移動に関してもようは資金繰りの一環でしかなく、ただ「4億円」という数字が一人歩きしている怖さだけが際立っていた。





東京第5検察審査会「小沢一郎起訴相当」決議を会計的に解析する

会計のプロが徹底分析

会計評論家 細野祐二 永田町ディープスロート
(現代ビジネス 2010年10月29日) http://bit.ly/bORUOC


 東京第5検察審査会が、政治資金団体陸山会の土地購入をめぐる政治資金収支報告書虚偽記載事件において、2回目の起訴相当決議を行った。改正検察審査会法の規定に基づき、小沢氏は強制起訴され、その身の潔白を法廷で争うことになる。

 検察審査会の強制起訴の妥当性をめぐっては、政治家や司法関係者が、国会やマスコミで喧々諤々の論争を繰り広げている。しかし私には、これらの論争が何らかの建設的な意味を持つとは思えない。なぜなら論じる人の中に、この問題の会計的側面に論及している人が誰も居ないからである。

 もとより政治資金収支報告書とは政治団体の会計報告書なのであり、すべての会計には会計上のルールがある。

 ルールを知らずにルール違反(虚偽記載)を論じても無意味ではないか。そこで東京第5検察審査会起訴相当決議の会計的解析を行ってみた。

 東京第5検察審査会が指摘する犯罪事実は、東京都世田谷区の土地3億5261万6788円の取得に関する会計処理、並びに、この土地取得に先行して行われた小沢氏からの4億円の資金供与に関する会計処理の2点より構成されている。

 そこで、まず、世田谷区の土地取得について検討する。検察審査会は、平成16年10月に土地代金3億5261万6788円が支払われたことを根拠として、この土地取得が平成16年度の政治資金収支報告書に計上されなかったことを虚偽記載としている。

 陸山会側では、世田谷の土地の本登記が平成17年1月7日であることから、この土地を平成17年度の取得として政治資金収支報告書に計上したが、検察審査会はこれを偽装工作として断罪している。

 ここで問題となるのは、土地の取得を代金の支払時点で計上するか(代金支払説)、あるいは登記の完了時点とするか(登記完了説)の会計処理である。この点に対する会計上の正解は簡単だ。どちらでも良い。公正ナル会計慣行上、土地の取得は代価の支払時点で計上しようが、登記の完了時点で計上しようが、財務諸表作成者の自由なのである。実務においても両手法はあまねく混在している。

 陸山会の場合は、代価の支払が平成16年の10月で、登記の完了が翌平成17年の1月なので、この間に決算報告期末の12月31日を挟んでしまっている。ここで、登記完了時点で土地資産を計上する場合、すでに支払済みの土地代価は未だ土地資産に転化しない金銭債権という事になり、これを会計上「前渡金」という。

 すなわち、登記完了説をとる場合、12月31日の決算報告時点での支払済の土地代金は前渡金となる。これに対して、代金支払説をとる場合は、支払代金はそのまま土地として処理される。



どちらにしたところで、内訳としての前渡金と土地との資産科目の違いに過ぎず、報告体の財政状態や経営成績に対する影響があるわけではない。要は大した話ではない。

 ところがここに政治資金規正法が絡むと、話は俄然ややこしくなってしまう。なぜなら、政治資金規正法は部分単式簿記を前提としており、登記完了説をとった場合に出てくる前渡金には、資産計上が求められていないからである。

 政治資金規正法第12条において求められる政治資金収支報告書の記載事項は、政治団体の「収支とその他の事項」とされている。

 ここで「その他の事項」としては、不動産、取得価額100万円超の動産、預貯金、金銭信託、有価証券、出資金、貸付金、支払金額100万円超の敷金、取得価額100万円超の施設利用権、並びに、100万円超の借入金が限定列挙されているに過ぎない。この規定では、土地取得の前渡金3億5261万6788円は政治資金収支報告書に計上すべき項目とはされていない。

 陸山会は土地の資産計上につき登記完了説をとったため、世田谷の土地取得は、その代金支払年度である平成16年度ではなく、登記完了年度である平成17年度の政治資金収支報告書に計上された。

 登記完了説をとった場合、決算報告時点における支払代価3億5261万6788円は前渡金となるが、前渡金は政治資金規正法第12条に定める政治資金収支報告書の記載事項ではないので、平成16年の陸山会の政治資金収支報告書に計上されていない。

 本件土地取得に関する陸山会の会計処理は、公正ナル会計慣行並びに現行の政治資金規正法の定めにまことに忠実であり、この会計報告に対して虚偽記載を主張する事は出来ない。


■ふたつの4億円処理に問題はあるのか

 次に、土地取得に先行して行われた小沢氏からの4億円の資金供与について検討する。ここで問題とされている小沢氏から陸山会への4億円の資金移動は、実は2本ある。

 最初の4億円は2004年10月上旬のこと。小沢氏の説明によれば、この金は、陸山会が東京都世田谷区の土地を購入するに際して当座の資金がなかったので、自分が一時用立てたものとのことである。

 この現金授受には金銭消費貸借契約書も作成されていなければ、返済期間や金利の定めも一切なされていない。この資金移動は平成16年度の政治資金収支報告書に記載されておらず、第5検察審査会はこれをもって政治資金収支報告書不記載の犯罪事実としている。

 さて、陸山会は2004年10月29日午前、東京都世田谷区の宅地を3億5261万6788円で購入し、その土地代金支払の数時間後、石川議員は、他の小沢氏関連の政治団体から陸山会に合計1億8千万円を移し、残っていた資金と合わせて陸山会名義で4億円の定期預金を組んだ。

 そして、小沢氏は、この定期預金を担保に個人名義で銀行から4億円の融資を受け、同額を陸山会に貸し付けたという。こちらの4億円は平成16年度の政治資金収支報告書において小沢氏からの借入金として計上されている。

 二番目の4億円は小沢氏から陸山会への貸付金であり、陸山会はこれを借入金として政治資金収支報告書に記載している。そこで一番目の4億円が問題となるが、小沢氏は「自分が一時用立てた」と言っているのであるから、この金は使途の最終形態が不明確なまま一時的に移動した資金ということになる。



会計上、このような資金移動を仮払・仮受という。陸山会が小沢氏から受取った一番目の4億円は、会計上の仮受金と評価するのが正しい。

 小沢氏は、10月29日に出した2番目の4億円を陸山会に貸付けたと言うのであるから、そのときの4億円は小沢氏の金だったはずだ。だから定期預金を担保にしてその4億円を銀行から借りたのも小沢氏である。そうすると、小沢氏が担保にした定期預金は一体誰ものかということになる。

 ここで小沢氏は政治団体名義の定期預金を自ら銀行担保に差し出し、借りた金はしっかりと自分の金として政治団体に貸付けている。

 このことから、小沢氏がこの定期預金が実質的には自分のものだと思っていたことが分かる。そして陸山会側もまた、この小沢氏の言動に即した会計処理を行なっているのであるから、定期預金は実質的には小沢氏のものだと認識していたことになる。

 ならば、陸山会は、あの10月初旬に小沢氏から用立ててもらった1番目の4億円の仮受金を、この定期預金で決済(返済)したことになるではないか。

 さて、東京第5検察審査会は、「陸山会が、平成16年初めころから同月27日ころまでの間に、被疑者から合計4億円の借入をしたのに、平成16年分の収支報告書にこれらを収入として記載せず」として不記載罪を主張している。ということは1番目の4億円を政治資金収支報告書に収入として記載しなかったことが、政治資金規正法違反の犯罪になると考えていることになる。だが、この主張はそもそもの理屈が間違っている。

 なぜなら、1番目の4億円は、会計期間中に決済された仮受金となり、期中決済された仮受金は資金残高には一切影響しないのであるから、これを書く、書かないは、政治資金収支報告書作成者の任意となるからだ。陸山会がこの仮受金を政治資金収支報告書上の収入として計上しなかったのは、正しい会計処理なのである。

 公正ナル会計慣行上計上しなくとも良い仮受金収入を計上しなかったことをもって、政治資金収支報告書不記載を主張する事はできない。

 もとより私は、会計人として、小沢氏の本件4億円を含む資金原資全般に対し、常人以上の強い疑惑を感じるものである。しかし、同時に私は、日本国民の刑事責任は、法と証拠のみに基づいて追求される得るべきものであることを知っている。小沢氏の資金源泉に対する疑惑はこの例外にはならない。

 東京第5検察審査会は、陸山会の政治資金収支報告書虚偽記載における小沢氏の共謀を認定し、起訴相当決議を行ったが、この認定は間違っている。なぜなら、問題とされた陸山会の政治資金収支報告書には虚偽記載そのものが成立しない。従って共謀そのものがあり得ない。

 すなわち、東京第5検察審査会は起訴事実がないにもかかわらず、起訴相当決議を行ったのであり、その決議に基づく強制起訴は不当である。陸山会の政治資金収支報告書に対する公正ナル会計慣行が法廷で立証されることを期待する。



細野祐二(ほそのゆうじ)
昭和28年生まれ。早稲田大学政経学部卒業後、公認会計士登録。KPMG日本(現あずさ監査法人)およびロンドンにおいて会計監査並びにコンサルタント業務に従事した後に独立、有能な会計士として知られた。しかし、シロアリ駆除の上場企業「キャッツ」経営陣による株価操縦事件に絡み、東京地検特捜部に粉飾決算の容疑で逮捕。裁判では会計学者から粉飾ではないとの鑑定意見が出され、また他の容疑者のよる被告に有利な証言が相次いだにもかかわらず、敗訴。その不可解な捜査の内幕と裁判の過程を描いた『公認会計士vs特捜検察』は話題になった。

2010年10月14日木曜日

行政訴訟のアプローチ

検察審査会による「起訴すべき」とする議決と検察の「不起訴」とする決定の間に生ずる疑問や行政法上の問題点を郷原氏・桜井氏によって語られています。

起訴便宜主義が、なぜに認められてきたのか。その起訴便宜主義でも起訴ができない事案であったがゆえに検察審査会を用いたのであればこれは由々しき問題と言わざるをえない。

ビデオの下の記者レクチャーを文字に起こした記事を掲載(http://www.comp-c.co.jp/pdf/101014reku.pdf から転載)してあります。叉岩上氏HPから郷原・桜井両氏の発言趣旨を転記をしています。
リンク元は→http://iwakamiyasumi.com/archives/3993





郷原氏の記者レクです。

2010.10.14
第 103 回定例記者レク概要
名城大学コンプライアンス研究センター長 郷原信郎
特別ゲスト:学習院大学教授 櫻井敬子様

郷原
先日来、今話題になっている第5検審の起訴議決に関して、手続面、内容面、両方から重大な問題があるということを私も指摘していますし、そのうちの1つが最新号の『週刊朝日』に書いたものです。それに関して、小沢弁護団の方が法的な措置を取るということがこの前から報じられていたところですが、今日の報道によると、明日、提訴するということが報じられています。そこで、この問題は法的にもいろいろややこしい問題だと思いますし、今日、我々で分かる範囲で検審の議決をめぐる法的な問題と、提訴というのが一体どういう法的な手続のことを言うのだろうか、行政訴訟という観点からどういうことが問題になって、どういう手段が取り得るのかに関して予備知識を提供するということも含めて今日の段階で記者レクを開催しようと思ったわけです。

そこで、私も行政法のことは専門ではありませんし、ご多忙な中、特にお願いして学習院大学の櫻井教授にも来ていただきました。とりあえず、私の方から、これまでこの検審の起訴議決について、何が問題だと指摘してきたのかを簡単に振り返ってみて、その上で行政法的な観点から櫻井先生にお話しいただきたいと思います。

今回の検審議決については、内容面に関しても非常に問題があると思います。なぜ起訴すべきと考えたのかという議決の理由については、法解釈の問題、政治資金規制法の解釈の問題……どういう場合に会計責任者だけでなく、政治団体の代表者も共謀で責任を問われるのか、ということに関して、非常に乱暴な考え方が取られている。その前提としての政治資金規正法の解釈を誤っているのではないかという問題があります。

それから、供述の信用性の評価に関しても、昔のことについての供述については具体性・迫真性がない方がかえって信用できるかのような、まことに不可解なことが書かれている。そういう起訴すべきという理由に関しても非常に問題があると思いますが。その一方で、重大な問題があると指摘してきたのは、起訴すべきとされた犯罪事実が、当初の審査の申し立ての事実、その前提としての告発事実、審査の申し立ての事実、そして1回目の起訴相当とされた事実、そして、それを受けて行われた検察の不起訴の対象事実、そこまではほぼ同じような政治資金規正法違反、虚偽記入の事実だったわけですが、その事実を逸脱した、まったく別の社会的な事実を含む虚偽記入の事実が追加されている。それが、少なくとも検察審査会法の強制起訴の手続は、審査申し立て人の申し立てに基づいて、1回まず起訴相当の議決が行われ、それを受けて検察官が再捜査し、不起訴処分が行われた後に、もう1回、同じ事実について検察審査会が起訴すべきという議決をしたときに、検察官の公訴権の独占の例外として、検察審査会の起訴議決に基づいて裁判所が選任した指定弁護士が起訴の手続を取る、という制度であることから考えて、途中の段階まで全く出てこなかった事実がいきなり2回目の審査、起訴議決で出てくるというのはこの制度の主旨にまったく反するものだということで、これも実質的に検察審査会法の主旨に反する無効な議決ではないかということを言ってきたわけです。

問題は、議決が無効だと、法の趣旨に全く反するものだと言っても、現に議決らしきものがすでに公表されているという今の状況においては、どういう法的な措置が取り得るのかというのは、議決というのがどういう法的な性格のもので、その法的な性格に従ってどういう措置が取り得るのかということを考える必要があるわけです。そこで、行政法の専門の櫻井先生に、こういった点について行政法的にどう考えたらいいのかをお話し頂きたいとお願いしたわけです。先生、それではそのあたりから。
櫻井 学習院大学の櫻井です。私は行政法という領域を専門にしていまして、今回の強制起訴については、これは争う手段が基本的には裁判所に行くしかないという中で、きちんとした理論構成をしていけば、行政訴訟はあるいは可能ではないかとは思っていたところです。それで、資料をお配りしていますが、行政訴訟は難しくて、しかも、今回、この問題を考えるにあたって、なかなか、上級問題だということをつくづく感じました。紙を見ながらお話しさせていただきたいと思います。

訴訟は、民事訴訟と刑事訴訟はよくご案内だと思いますが、もう1つの類型が行政訴訟というのがありまして、これは、公権力の行使に対して何かしら訴訟を起こしていくという場合に、行政訴訟と言っていまして、行政事件訴訟法がこれを規律しているということになります。行政訴訟は、実は平成16年に43年ぶりに改正されたような法律で、行政訴訟自体は、割合、最近になって少し活況を呈してきたと言いますか、やっと少し使えるようになってきたという、ちょうどそういう流れがあったので、そういう流れを見ると、次のような訴訟が可能ではないかと考えられるところです。

行政訴訟というのは、まず1つは、大きな類型としては、公権力の行使に対する不服を申し立てるというのが基本類型、これは抗告訴訟と言っています。抗告訴訟は対象が限定されています。行政の行為のうち、それが行政処分でなければそもそも訴訟が起こせないということになっています。従来、行政訴訟は死骸累々ですが、だいたい行政の行為はどこを捕まえても、処分ではないとか言って門前払いされるのが通例でした。ただ、平成16年の改正をはさんで、ずいぶんそこが緩やかになった、というとちょっと言い過ぎかもしれませんが、だいぶ広がってきたことは事実です。今回の事件については、1つは1のところですが、起訴議決が検察審査会の議決ということで、検察審査会は裁判所が事務局にかかわりますが、それ自体は裁判を行うとかそういうことではなく、行政作用であろうと考えられます。この問題が難しいのは、司法権と行政権の中間にあるような、両方にまたがっているようなところがありまして、単純に三権分立で考えるとちょっと理解しにくいと。そこが上級論点と言った理由です。

起訴議決については、行政処分と構成できれば取消訴訟が可能であり、それからもう1つは、起訴議決を受けて、指定弁護士の指定処分がありますが、これは裁判所が行う処分ですが、この場合の処分は、裁判所自身が、別に判決を書くわけではないので、一種の行政機関として指定処分をするというふうに理解するわけです。そうすると、可能性ということで言うと、指定弁護士の指定処分の差し止め訴訟が行政訴訟として、これは新しく作られた類型ですが、こういうのが考えられるだろうと。その場合の最大のポイントは起訴議決とか、指定処分が行政処分と言えるのかというところで、まずそうした抽象的な論戦に勝っていかないと処分性の問題はクリアできないということがいえます。行政訴訟は、口では市民のための行政法とか言いますが、沿革から言うと、お上に対する不服の申し立てですので、基本的には争いにくく作っているというのが歴史的な経緯といっていいと思います。民事訴訟と違って最初のハードルが高いというところが、それはそれで問題点の1つということになります。

2番目が、これが改正法でにわかに使われるようになった、当事者訴訟というのがありまして、これが、ついこの間、平成17年ですが、在外投票の、在外の邦人が選挙権を行使できないということが公職選挙法に書いてあったんですが、それが憲法で国民は選挙権を保障されているにもかかわらず、選挙の機会を奪っているということで憲法違反であるという判断が出されました。これは改正法の後ですが、これは憲法訴訟なんです。それは、法律があるけれども、本当は選挙権が、外国にいる日本人だって当然あるのに、それが、妙な法律によって選挙権を行使することができなくなっているということで、次の、直近の選挙で、選挙できる地位の確認訴訟というものをやりまして、最高裁は公職選挙法は違憲であるというふうに言って、選挙権が行使できるんですよということを確認されたという、非常に画期的な判決でしたが、そんなものがあります。

そうすると、よく仕組みを見ますと、検察審査会法とか、刑事訴訟法を見ると、起訴というのは大変重大な人権侵害と言いますか、自由権に対する制約ですので、基本的な法律の作り方としては、まっとうな検察官による、まっとうな起訴によって、起訴されるというのが大原則なわけです。ですから、法律上は、みだりに適当な手続で起訴されないということは、当然そこに法の含意としては保障されているというふうに考えられますので、もし当事者訴訟を使うとすると、1つは、法律上、変な手続でもって起訴されないという利益を確認するといった訴訟は可能ではないか。

もう1つは、憲法論です。検察審査会の議決が、仮に突然出されてきた犯罪事実についていきなり多数決で起訴するということになると、嫌疑がないのに起訴されることになって、起訴するかしないかを単純な多数決で決めていいのかという、そういう話になると思います。仮にもしそういう実態があるとすると、これは完全な憲法違反だというふうに思いますが、直接すぐ思い浮かぶのは憲法31条のデュープロセスの保障というのがあって、刑罰権を科されるときには、これは適正手続によるべきであるということは古典的な自由権として認められています。

あと、もう1つ、憲法論で言われるのは憲法13条というのも一緒に言われることが多いですが、これも幸福追求権の条文ですが、一般的に私人の自由というのは国家権力からきちんと守られなければいけないというのがあって、起訴されることは大変なことですし、ということになりますと、そういう自由権に対する検察審査会といえども国家権力のワンセクションであることは間違いありませんので、だとすると、そういう憲法的な保障というのは、理屈として検察審査会との関係でもそれがないということはとてもできないので、憲法論は当然出てくるだろうと思います。

それで、検察審査会法の仕組みはご案内だと思いますが、改めて検察官のいろいろな問題も出ているところですが、もともとは、きちんとした検察官がちゃんとやっているという前提で法制度できていまして、そのときの基本的な考え方がだいたい5つくらいあるのかなということで整理しています。1つは起訴するかどうかは重大な自由の制約ですので、国家が責任を持って行うというのは1番目です。国家訴追主義といます。それから、責任ある官憲というふうに言葉を使いましたが、検察官がきちんと行うということで、起訴独占主義というものがあります。しかも、このあたりがポイントだと思いますが、起訴するかどうかは、検事さんの裁量に任されているということで、起訴便宜主義が認められています。起訴便宜主義は、起訴してもいいし、起訴しなくてもいいということで、そのことの意味は、疑いがあったら必ず起訴するというふうに言ってしまうと、自動的に起訴されるので、それをしなくていいということです。その方が、被疑者、被告人にとってはむしろ利益になりますので、そういうことで容疑があっても起訴しないということが、むしろ自由主義の観点からは悪いことではないということで、起訴便宜主義というのは認められてきたものです。

4番目としては、刑罰権は謙抑主義なんですね。刑罰権は発動しなければ発動しないほどいいという考え方です。つまり、法律上は要件を満たしていて、刑罰権を発動できるんですが、できるけど、あえてしないということがむしろ好ましいという、大原則があります。よく、企業のコンプライアンス違反の事例などがあると、もっと処罰を強化しろという議論がいろいろ出てくるのですが、専門的にいうと、罰則なんて実はいうほど意味がないんですね。罰則というのは謙抑主義なので、罰則を置いても発動しないというのが前提になっています。めったやたらにやらないと。だから、本当に処罰したいとストレートに思うのであれば、刑罰でないサンクションを考えないと本当はいけないのですが、これが謙抑主義の問題です。

それから、無罪推定の話はそこに書いた通りで、仮に有罪であっても、人間のできる能力には限りがあるので、立証ができなければそれは無罪ということになりますし、要するに、ここでの含意は、ちゃんと悪いことをした人は処罰されるのが正義だと思いますが、無辜の処罰だけはやってはいかんというのが基本。仮に、黒な人が無罪放免になってしまう事態があったとしても、それはある程度やむを得ないという、大変理性的な考え方で近代の刑事法はできているということはいえようかと思います。

これに対して、2ページ目になりますが、今回の検察審査会法はそれで言うと、法務省さんはどういうつもりで作ったのかと伺いたい感じですが、驚いたのは、検察審査会法を改めて見ると、くじ引きで選んだ人たちが判断をするという仕組みになっていますが、法律を見ると、どういう観点から検察官の不起訴処分が不当なのかと、あるいは相当なのかということについて判断するのかについての判断基準が法律の中に一切ないわけです。行政法の議論では、例えば、行政庁に裁量があるというふうに言ったら、専門技術的な裁量があるということはあり得ます。専門家にしかなかなか分からないので、そういう場合は専門技術的な裁量があるからそれを尊重するという議論はありますが、このケースの場合、よく分からないですが、どうも判断基準がないということは、審査員になった方の国民の完全自由裁量があるということのようにも読めます。これは何なんでしょうか。素人裁量って聞いたことがないですが。単なる民意の反映と条文には、法律には書いてありますが、これはどう説明するのかということが1つ気になります。

それから、もし理由なき起訴が、やろうと思えばできる仕組みになっている点です、多数決で。2回やって、強制起訴だということになったら、それは、起訴される方の立場からしてみると、まったく嫌疑がないのに起訴されることになりかねないということになりますが、それをむしろ制度が許しているようなのですが、法律の作り方としては、どういうことなんでしょうかね。これは、たぶん、2回目の強制起訴なんかどうせやらないだろうという前提でお作りになったのか、あまりちゃんと深く詰めて法律を作っておられないのではないだろうかという感じもしまして、これはむしろ立法担当者の方にお尋ねしたいようなところです。

それから、ちょっと分かりにくいのは、ポイントというところに書きましたように、検察官の任務は、よく司法、司法と言いますが、正確には司法でなく、行政です。司法作用は裁判所が行う裁判のことで、検察官の起訴は、事件を裁判所に持って行って、裁判所に判断をしていただくための前提行為を行っているということにとどまりまして、その意味で司法作用に密接にかかわることは事実ですが、起訴行為それ自体は行政作用に入ると。行政官による行政的な一種の処分であるというふうに理解するのが厳密には正しいということです。検察審査会も同じように裁判ではありませんので、そういう意味では行政作用にかかわっているということです。

情報公開のことも一言だけ言いましょうか。3番目は行政法的に見ると興味深いのは、検察審査会の議事録が開示請求できるかどうかという問題がありますが、この点については、最高裁の性格が問題となります。最高裁って実は3つの顔がありまして、レジュメに書いたとおりです。最高裁は、通常よく知っているのは裁判を行う、最後の判定する場所であるということで、これが裁判を行うという第一の作用です。もう1つが行政作用をやっているという点です。

実質的な意味での行政作用ということになるのですが、司法行政という言葉がありますが、簡単に言うと、裁判所という名前の行政機関があると思っていただいていいと思います。最高裁って入り口が2つあって、法廷に行く入り口と裏から入る入り口と両方あります。裏から行くとよく分かりますが、思いっきり役所、役所しています。そこは、いろいろな法務省とか、財務省とかありますが、それと同じように最高裁という名前の行政機関があって、いろいろな裁判関係の、職員がいますし、裁判官もいるし、予算の問題もあったりするので、人事配置の問題とか、そういうことを仕切っているわけです。そこの部分では、むしろ上命下服になっていますので、まさに役所そのものだし、その場合は、最高裁自身が行政のトップということになるわけです。最後のひとつに立法作用というのもあります。 それで、検察審査会の議事録は、そういう意味で言うと、司法行政の文書と理解されまして、行政文書については、ご案内のように、行政機関情報公開法がありますので、行政機関の文書だと法律に基づいて文書開示ができます。ところが、司法行政文書については、一応形は裁判所にあるものですから、情報公開法という法律の適用範囲からは外れています。そうすると、それに相応するものを作っておかなければいけないということで、そこに、裁判所の保有する司法行政文書の開示等に関する事務の取扱要綱というのがあります。これはまさに、実質的な作用が行政だということで、バランス上、情報公開法ができたときに、裁判所の司法行政の文書も開示しないとまずいよね、ということで作られた要綱です。

ただ、制度自体はインフォーマルに作っているものなので、本当はちゃんと両並びでやるのであれば、それはもっとちゃんとした正規の規則を裁判所は作れるんですが、それでやった方がいいという指摘が可能かと思います。実際に、要綱に基づいて情報公開が請求された事例として、ロッキードの事件についての最高裁判所の裁判官会議の議事録を要求した事件というのがあります。これは面白いですが、ジャーナリストの方が、裁判官会議の議事録の開示請求をしたら、最高裁裁判所裁判官会議規程というのがありまして、これは裁判所が作る正規の規範です。言うなれば法律に当たるようなものです。そこの裁判官会議規程には裁判官会議は非公開にする、公開しないという条文があるので、そのために会議を公開しない以上議事録も公開する必要がないというふうに最高裁は考えまして、裁判官会議の議事録は全面不開示であるというふうに対応したんです。

そうしたところ、その請求された方が全面不開示は違法だということで、請求当時はまだ平成16年の行政事件訴訟法が改正される前だったので、国家賠償請求しかなかったので、国家賠償請求をしましたところ、東京地裁は全面不開示は違法だというふうに言って国家賠償を認めました。これは面白くて、最高裁の措置を、東京地裁の裁判官がひっくり返したということで大変興味深いというか、……河村裁判長ですね。だいたい裁判官の名前を覚えていくとどういう判決が出るのかが分かるようになるんですが、そういうことで、なかなか面白い、元気な判決がこの頃東京地裁は大変多かったので、そのうちの1つと言うことができると思います。

その後、高裁に行きまして、高裁に行くとだいたい全面的に反対の判決が出て、原判決を取り消す判決が出るんですが、その後最高裁にかかることになりました。最高裁は自分の不開示の措置を最高裁自身が裁判するという、そういう妙なことになっていまして、このあたりも含めて、最高裁というか、裁判所の司法行政文書についての開示制度は不備であるということは言えるだろうと思います。一応、論点の指摘ということで申し上げます。

郷原
ということで、今、お話しいただいた考え方からして、今回の検審の議決が重大な瑕疵があって、もし無効だと言えるとすると、これは行政訴訟、今説明していただいた当事者訴
訟ということになるわけですね。それによって、訴訟の形としては差し止め、執行停止ということですか。 桜井 仮の救済はそれぞれあります。民事でやるところの仮処分みたいなものですが、これが行政訴訟には行政訴訟の仮の救済の制度がありまして、取消訴訟であれば執行停止を申し立てることができます。それから指定弁護士指定処分の差し止め訴訟ですと、これも新しく作られた仮の差し止め訴訟というのがあるものですからそれを求めるということになります。これも、1点申し上げたいのは、公法上の当事者訴訟は最後にいい加減に作ったものですから、仮の救済についての規定が不整備のままです。だから、本当は憲法訴訟みたいなことも考えるとすると、当事者訴訟も仮の救済がなければいけないんですが、これが立法の不備で、作ったときから分かっていることですが、いろいろあってできなかったということで、仮の救済がないような、できるような・できないような非常に使いにくい仕組みになっているということです。

郷原
少なくとも、指定弁護士の指定については仮の差し止めというのが考えられる、とい
うことですね。

桜井 そうですね。

郷原
正確には明日、提訴された段階でその内容が分かると思いますが、検察審査会の議決自体が行政行為と構成できる余地があるということと、それと、弁護士の指定、指定によって
最新号の『AERA』にも出ていましたが、指定された弁護士には捜査権限が与えられて、強制捜査も場合によっては可能で、被疑者の逮捕も一応、権限的には可能になるわけです。そういう非常に大きな権限を持たせることになる弁護士の指定というのが行政行為であって、それが仮の差し止めの対象になるのではないかと、そういうことです。

それから、今一般論を話していただいた議事録の開示の問題ですが、これは確か、一昨日でしたか、衆議院の予算委員会で川内議員も質問していましたが、この点について、今回の議決に関連する会議録の公開について最大のポイントは、補助弁護士、審査補助者の説明、発言の部分、ここは、開示の対象にするのが、私はむしろ当然ではないかと思います。検察審査会法上は、会議自体は非公開とされています。こういう公開しないとされている一方で、議事については会議録を作らなければならないとされている。そして、審査補助員の職務について当該事件に関係する法令およびその解釈を説明すること。当該事件の事実上及び法律上の問題点を整理し並びに当該問題点に関する証拠を整理すること。当該事件の審査に関して法的見地から必要な助言を行うこと。というふうに、その職務の内容が書かれていて、そして更に、審査補助員はその職務を行うに当たっては検察審査会が公訴権の実行に関し、民意を反映させてその適性をはかるために置かれたものであることを踏まえ、その自主的な判断を妨げるような言動をしてはならないと定めているわけです。

審査補助員がこのような法律の規定に従って職務を行うかどうか、これは非常に重要な問題で、先ほど桜井先生が言われたように、どういう審査を行うのか、どういう判断を行うのかという基準が書かれていないわけですが、その代わり、審査補助員がそういう法律の専門家として、こういう役割を果たすことによって、この審査の適正さが確保されるという考え方だろうと思います。そうだとすると、それが法律に従って適正に行われているかどうかを何らかの形で担保する制度が必要ですけども、もし、この会議録が公開もされないし、誰もそれをチェックしないとすると、この法律は実効性がまったくないということになってしまいます。

しかも、ここの部分の審査補助員の発言部分の公開をすることに関しては個人のプライバシーの問題とかまったく関係ない。そういう意味では公開することによる不利益もまず考えられないわけですし、ここの部分は開示するのが当然だと思います。先ほど桜井先生が言われた最高裁に対して司法行政文書の公開を求める手続を取って、審査補助員の発言部分が公開されるべき理由をしっかり指摘して公開を求めれば認められる可能性というのはありますか。

桜井
裁判官会議の議事録については、そもそも最高裁の不開示措置の理由は司法権は独立
しているので、これを完全に守らないといけないので、従って全面不開示だと。絶対譲れないという、そういう措置です。しかし、これに対して地裁判決は、地裁の裁判長が何と言ったかというと、個別的な事情の有無にかかわりなく、事後的にもおよそ非公開するような実質的な理由はないのではないかと。常にすべての審議事項にわたって、事後的にもおよそ非公開としなければならないほどの情報が含まれているとは考えがたいと。だから、ちょっと個別的に検討してはいかがかというのが、結局、最高裁の措置が違法であると言った実質的な理由です。

個別に審査するということだと思います。

今回の検察審査会の議事録は、検察審査会はそれこそ裁判官会議ではないので、司法権の独立にはかかわらないわけです。まずそれが1つ。そういうロジックは使えないだろうと。だけど、例えば、非公開でやって、市民であるということで匿名性をとりわけ保障する理由があるのだということが仮にあったとしても、しかし、およそ補助される弁護士、審査補助員の言動そのものについてまですべて含めて一切不開示だというふうに考える実質的な理由はやっぱりないだろうと思われます。ですから、可能性としては、筋論からすると全面不開示はおかしいのではないかと。これをを正当化する理由はないのではないかということだと思います。

郷原
特に、今回の審査補助員の発言に関しては、読売新聞に具体的に出ているわけです。10月6日の読売新聞に。犯罪の実行行為者ではなく謀議に参加すれば共犯として有罪になる
などと認定した、暴力団内部の共謀の正否が争点となった判例など、こういったものを示して、暴力団や政治家という違いは考えずに上下関係で判断してくださいと説明したと。これがこの通りだとすると、完全に法律の規定に違反する、自主的な判断を妨げる説明だということは明白だと思います。読売新聞の言っていることが全然でたらめでまったく信用できないというなら別ですけども、一応、大新聞が書いている以上は、その疑いがあるわけですから、本来、審査補助員の発言は公開の対象にしてもいいわけですが、一層、今回の場合は公開する必要性が高いと言えるのではないかと思います。 桜井 あと、私が素朴に疑問に思ったのは、検察審査会の議決書を読むと、市民の方の感覚を反映するということですが、文章自体は完全に法律的な文章になっているんです。誰が実際に文章を書いたのかなというのは非常に疑問と言いますか、まず審査員、市民の人ではないんだろうと思いますし、事務局なのかもしれませんし、あるいは弁護士さんかもしれませんが、まったく分かりませんが、あの文章はそういう意味では素養のない人は書けないと私は思いま
す。

郷原
それにしてはへたくそですけどね。

桜井
内容はともかくとして、言葉遣いなんかはプロっぽいなと。

郷原
内容はともかくとして、法律家的な言葉遣いが使われているので、審査会ではなく審査補助員が議決書を書いたのではないかということですね。もう1つの問題ですが、昨日、一
昨日あたりから審査員の平均年齢が、最初から30.何歳だと公表されていて、その数字については、確か小沢氏本人も、検察審査会の正体についてまったく分からない、審査員の平均年齢が30.何歳ということしか分からないと言っていた。ところが、その平均年齢が間違っていたということが一昨日ぐらいから明らかになって、最初は正しい平均年齢が最初、30.9歳から33.91歳に訂正されたわけですが、昨日になってこれもまた違っていたということが分かって、平均年齢は34.55歳に再度訂正されたわけです。

最初は割り算を間違えたという話だったのが、その後、足し算を間違えたという話で、ほとんど小学生レベルの間違いで、こういう程度の人が検察審査会の事務局の仕事をしていということがまったく信じられない。ここまででたらめだと、率直に言って、そもそもこの審査員の選任手続、抽選とか、選挙人名簿から候補者を抽出する、というような作業を小学生レベルの割り算や足し算が正確にできない人に果たしてきちんとできるんだろうか。そういう意味では、そもそもこの検察審査会がやってきたことを、最初から全部チェックしてみないとよく分からないのではないかと思います。

しかももう1つ指摘されているのが、最終的に正しいとされている平均年齢は34.55歳で、1回目の議決のときの審査員の平均年齢とまったく同じ。この、まったく同じというのは一体何を意味しているのか、こんなことがあり得るんだろうか。メンバーが入れ替わっているはずなのにまったく同じというも非常に不思議ですし、こういう検察審査会が1つの行政庁だとして、そのやっていることがあまりに信じられない、そもそもの信頼そのものが崩れているのではないかと思えるときって、行政法的にどうしたらいいんでしょうか。

桜井
情報公開って実は、アンビバレスな仕組みで、情報公開請求している人は情報を知っている人でないと公開請求できないという実態があります。本当に知らない人は何をとっかかりに、何を聞いていいか分からないということなので、実は情報公開請求する人はすでに知っている人であるというのが1つの実態を示していると思います。検察審査会については、そういう意味では全然情報がそもそもないので、私自身も一体どこから手を付けていいのかなと思いますけど。どうでしょうかね。一方では法務省さんは、それなりに情報をもちろん持っているはずで、恐らく議事録も持っている可能性があると思いますが、それが開示対象のファイルになっているかどうかという問題はまた別途ありますが、やっぱり、裁判所と法務省さんと両方に対してきちんとどういう実態になっているのかということは説明していただかないと、一般人も含め誰でも多数決で起訴される可能性があるということなので、なかなか由々しい事態になっているなとは思っています。

郷原
訴訟によって行政的な措置、法的な措置で救済を求めるということと同時に、こういうアクションが取られることによって、議決の内容を見ても、平均年齢を見ても、あまりにでたらめなので、さすがにこのままじゃまずいだろうということで、事実上、裁判所から検察審査会を何とかしろよというふうに働きかけて、例えば、議決のやり直しとか、ということになる可能性はあるんじゃないかと思います。それは、私は、こういう場合と似ているんじゃないかと思います。検察官は権限としては誰でも起訴をすることはできるわけです。検察官であれば、特定の人について、こういう犯罪事実で起訴状を書いて裁判所に持っていけば、刑事訴訟法上は有効な起訴のはずですけども、もし仮に、検察庁の正規な書式も使わないで、上司の決裁も受けないで、勝手に手書きで起訴状を書いて、裁判所に持って行ったとしたら、いくら本人が検察官であることは間違いないと言っても、裁判所はそのまま受付けないだろうと思います。

受付けないで、検察庁に問い合わせて、検察官が勝手にこんな文書を持ってきたけどどうしますかと聞いたら、検察庁の側で今すぐにやめさせますと言って、その起訴状を引き取りに来ると思います。それで、その起訴状は効力を生ずることなく終わると思います。それと同じで、こんなでたらめな議決だということが分かったら、良識ある裁判所であれば、ちょっとこれはあまりひど過ぎるので、検察審査会でもう1回考えてみてくださいということで、職権で再検討するように促して、検察審査会が、それを受けてちゃんとした手続を取るということになるのではないか。それは訴訟の問題とはちょっと別の事実上の……。

桜井
検察審査会に上級庁がいれば、いるかどうかよく分からないですけども、上級庁は下級庁に対して取り消せとか言えるわけです。もう1つは、検察審査会自身が議決に指摘通り少
し問題があると認識したならば、自ら職権で取り消すことはできるんです。やり直して修正させて違うのを出させていただく、という手続は物理的にいつでもできるので、私は一番いいのは検察審査会が良識を発揮して、ちょっとやり過ぎちゃったけど……というふうに思うところがあるのだとすると、もう1回考え直してみる、そのうえで職権取り消しをすることを考えてはどうか。それは全然やって構わないというか、かえっていいことではないかと思います。

郷原
起訴される前に一応被疑者に対して何らかの弁解の機会ぐらい与えるのが当然だと思います。それが適正手続の1つの重要な要請じゃないかと思います。検察官は、そういったことを十分にわきまえて、特に法律では決められていないけれども、弁解の機会を与えた上で起訴の手続をするということです。それを検察官じゃない検察審査会が起訴議決をする場合でも同じ要請が働くはずです。やはり、最低でも検察審査会法の手続を踏んで、告発、審査の申し立て、1回目の議決、検察官の不起訴というものを経てきたものが起訴議決の対象になる。その中で弁解の機会も与えられているというのは、当然の憲法31条の適正手続の要請の中に含まれていると思います。そこを全然無視しているわけですから。私は憲法31条の手続からいっても、その手続自体が違憲と言えるのではないかと思います。 少なくともまず告発をされれば、その告発事件について検察官が調べるわけでしょう。審査の申し立てがあった後にもう1回検察官が不起訴処分にする前にも、何らかの形で対象になっているのであれば、それについての弁解を聞いたりはするはずだし、強制起訴の手続きは、そういったことを予定しているんじゃないかと思います。ところが、最後の段階で突然新たな事実が加わると、そういう弁解の機会ってまったく与えられないわけです。それはあまりに手続としておかしいのではないかと。

桜井
基本的に常識論であると思います。

郷原
あまりに常識が通用しないことだらけで、あまりにおかし過ぎるので、おかしいのが
普通かなと思っちゃうんですけど。だってさっきの年齢のことだって、我々、検察官が事実を認定するときの経験則から考えて、仮にも世の中の人みんなに知らせる平均年齢が、当事者が1人で計算しました、間違えましたということ事態があり得ないけども、1回間違えたと公表するときに、その次の数字をまた間違えるということはおよそあり得ない。そのときぐらいもう1回確かめて今度は絶対に間違いはないだろうな、というふうにやるのが、これはどこの世界においても当たり前だと思います。それでまた間違えるというのは、すでに完全に常識を逸脱していると思います。


岩上氏がまとめた郷原・桜井氏の発言趣旨

(郷原弁護士の論旨)
・前提としての政治資金規正法の解釈を誤っているのではないか。

・審査の申し立て事実、告発事実、一回目の起訴相当の被疑事実、不起訴の対象事実まではほぼ同じ。
 その事実を逸脱したまったく別の虚偽記入事実が追加されている。

(櫻井教授の論旨)
・起訴されるということは、重大な人権侵害であるので、
 刑事訴訟法では、真っ当な検察官によって真っ当に起訴されるのが大原則

・検察審査会の議決が、突然出された犯罪事実で多数決で起訴するということになると権利がない状態になる。

・憲法31条のデュー・プロセスの保証。刑罰が科される時には適正手続きによるべきであるということは、
 古典的な自由権として認められている。

・起訴するかどうかは、重大な自由の侵害なので国家が責任を持つことになっている。

・検察審査会法はどういうつもりで作ったか分からない。判断基準が法律の中に一切ない。

・検察審査会法は、「理由なき起訴」が多数決で可能な制度。

・検察審査会の議事録は、「司法行政文書」にあたるので、情報公開法は適用されないが
 「司法行政文書」には、「裁判所の保有する司法行政文書の開示等に関する事務の取扱要綱」がある

(郷原弁護士の論旨)
・議事録公開に関して、審査補助員(弁護士)の発言は公開するのが当然ではないか。
 情報公開法には、基準が書かれていない。審査補助員が法律の専門家として役割を果たす
 ことによって、適正さが確保されるという考え方ではないだろうか。
 議事録が公開されず、チェックもされないとなると、適正さを担保できない。

(櫻井教授の論旨)
・一般人を含めて強制起訴される可能性があるということになると、
 それを決める権限を持っている検察審査会の実態を説明するのは正に政府の責任。

2010年7月23日金曜日

口蹄疫の説明(旧備忘録より)

口蹄疫の説明 ビデオニュース・ドットコムより

口蹄疫は適正な対策でも感染拡大が止まらない異例の事態
2010年5月25日 ビデオニュース・ドットコム

 宮崎県で口蹄疫の感染が拡大を続ける中、今回日本で発生した口蹄疫は、国際機関の指針に則った対応を適切に実施しているにもかかわらず、感染の拡大が食い止められていなことが、獣医微生物学の専門家の指摘で明らかになった。
 
 東京大学大学院農学生命科学研究科の明石博臣教授は、今回宮崎で発生した口蹄疫に対する対策は、家畜の国際的な安全基準OIE(国際獣疫機関)が定める指針を基に農水省が定めた「特定家畜伝染病防疫指針」に基づいて適正に行われており、過去の発生事例からの知見が凝縮されているその指針が、現時点での最善の対策であると考えられると言う。しかし明石教授は、それにもかかわらず感染拡大が止まらない異例の事態となっているとの見方を示した。
 
 感染拡大が止まらないことを受けて、政府の初動の遅れなどを批判する声もあがっている。だが明石氏は、現時点で口蹄疫については上記の基準以上の方策は考えにくいとし、「農水省はじめ宮崎県も防疫指針で定められた作業を重ねているが、不幸なことに感染が止まらないのが現状だ」と語り、これをいたずらに政治問題化することには否定的な見方を示した。
 
 今週のニュース・コメンタリーでは、獣医微生物学の専門家の明石博臣氏に、口蹄疫の現状と適正な対策とは何かを聞いた。
 
神保(ジャーナリスト): 口蹄疫については、赤松農相がゴールデンウィーク中に外遊に出て初動が遅れたとの批判があり政治的な問題もあるようですが、今回は口蹄疫そのものについて、東京大学大学院農学生命研究科教授の明石博臣先生にお話を伺いたいと思います。まず、明石先生は現状をどうご覧になっていますか。
 
明石(獣医微生物学者): 口蹄疫という病気は、農家の被害も大変なものですが、同時に国際的に畜産物の流通という面でも非常に重要な病気です。そのために発生国は非常に大きな制限を受けます。そのため、なるべく早く見つけ、殺し、埋め、ウイルスが拡散しないようにするというのが基本的な対処法です。政府は早く抑えるための一連の手順書である特定伝染病防疫指針を定め、現在それに則って作業が今行われているのですが、不幸なことになかなか感染をとめることができないというのが現状です。
 
神保: 手順書通りにやっても成功していないということですか。そもそも口蹄疫とはどういう病気なのかということについて、正確な認識を持っておきたいと思います。口蹄疫 とはどのような病気なのでしょうか。
 
明石: まず、人にはかかりません。BSEのような神経的な変化も起こさない。典型的な症状は口や鼻でウイルスが一度増えて体の中にもぐりこみ、口やひずめのところにウィルスが戻ってきて水疱を形成するというものです。水泡がそのうちやぶけて、潰瘍形成をして、そのうちかさぶたになり、かさぶたがそのうち剥がれる。それが一連の症状です。
 
神保: 放っておいても治る病気なのでしょうか。
 
明石: そうです。
 
神保: 人にはうつらないにもかかわらず、10万頭を超える殺処分をするのをニュースで見て、よほど怖い病気なんだと思っていました。
 
宮台(社会学者): 私も治る病気だと聞いておどろきです。
 
神保: 人にもうつらず、治る病気なのになぜそのような処置をそこまでする必要があるのでしょうか。
 
明石: この病気は動物のウイルス病の中でトップクラスのスピードで早くかつ広範囲に広がる病気です。ヨーロッパなどでは一つの国で発生して広がると周辺の国にどんどん広がります。そうするとかかった病気の動物の肉は食べられないので売れない、お乳も取れないということになるとその国の畜産と呼ばれている差産業は壊滅状態になってしまいます。
 
神保: 肉が売れなくなるというのは、人体への影響はないが、病気の牛の肉や乳は市場価値がないという意味ですか。これは早く押さえ込まないと経済的な畜産業という業界が影響を受けるので早く押さえ込む必要があるのだという理解でいいですか。
 
明石: そうです。
 
神保: ここまでの流れを見ていて、今回かなり広がってしまっているということですが、もう少しこういうことをしていれば段階でこうしていればここまでならなかったんじゃないかというのはありますか。
 
明石: 先ほど話した口蹄疫の防疫指針は、国際的な機関であるIEOが出している指針はじめ今までに得られたいろいろな事実を反映して策定されています。ということは考えられる限りそれがベストのやり方だからそういうやり方を日本もとったということです。それに従って防疫という作業を続けてきたのですが、たまたま理由が未だにわからない、なぜそうなのかというのはわからないけれども、結局そのベストに近いようなやり方をとってもなおかつ広がっている。その理由がわかればとめようがあるのですが、現在理由がわからない。そこが問題です。
 
神保: 現状では国際的、一般的水準でやられるべきことはもともとやられているわけですね。それは何政権であろうがやられていると。もっとやるべきだったのではないか、危機管理ということになると手順以上のこと、手順と違ったことについても政治の判断でやるべきだったという議論になると思うのですが、そこはどうでしょうか。
 
明石: それがあれば、国際的に広がっていないです。今回のケースについてもこうすればよかったというのはきっとあるのでしょう。振り返って批判することはとても簡単です。どんなことでもうまくいって当たり前という話になってしまいます。今回はうまくいかなかったケースなので、いかなかったことを批判しようと思えばいくらでも批判できるけど、誰がどうだったかと言い出すとそれがわかっていれば最初からやっているよということになりますね。基準では広がりを止められない場合というのも、想定されているわけです。広がりを止められない場合にワクチンを打って広がりを止めるそういうことも想定されています。ただ、その広がりが止まらないというのをいつの時点で判断するかというのは、科学者にできることではなくて、高度に政治的な判断です。政府はそう判断したのです。
 
宮台: マスメディアの情報だけ見ていると、国際機関が指定した手順書通りやるしかなないのだということがよく伝わっていないので、そこまでやらなくてもいいのではないかという見方が出てきてしまうのではないでしょうか。政府なのかメディアなのか責任の所在はよくわからないのですが、今のところできることが決まっていて、手順書通りやるしかない以上、宮崎の農家の方も手順書通りやっていただくしかなくて、保障については別途政府と交渉してくださいというしかないということですね。
 
明石: お金の話になるとわれわれには理解の外の話なので、科学的な論拠に基づいた議論ではないですね。だから政治がワクチンを打つ、今が打つ時期だと決める、だとすると一番効果的なワクチンはどれかは科学的に立案することはできますが、打たれる人に対して嫌だと言わないでくださいとは科学者としては言えないですし、それは政府が言うことですね。
 
神保: 感染力を抑えるという意味で、ワクチンは有効なものですか。口蹄疫にかからなくということですか。
 
明石: ワクチンを打てば完全にかからないということはない。それはどんなワクチンでもそうです。病気を少なくするが、ワクチンを打っても病気になるという例はいくらでもありますから100%完全なワクチンというのはこの世にあり得ない。口蹄疫のワクチンもそうです。ただ、かかっても重篤にならないという効果があります。これも一般的なワクチンの効果ですね。
 
宮台: 宮崎県知事が現地の人が納得しなければワクチンや殺処分ができないんだというふうに言っているというのは、今の話を伺う限りではポピュリズムのにおいがしていやな感じがしますよね。つまりやらなきゃいけないことは決まっていると。やらなきゃいけないことをやったから必ずおしとどめられるわけではないが、やらないよりはましということが経験的に分かっているということであるならやるべきであって、保障などの後処理は別途やるべきだと。そうしないとその地域の農家がどうなるという問題をこえて大変な問題になってしまうと。そういう問題なのだということがニュースを見ていてもよく伝わってこなかったですね。難しいですね。
 
神保: 政治の初動が遅いうんぬんという話は手順書通りやっているのだからということである程度納得したのですが、現在も続いているカリブ海での原油漏れについて見ると、事故が4月20日に起きたあとオバマ大統領は5月2日には現地に行って、明らかに演出されたメキシコ湾が見えるところに記者会見台を設置して、前代未聞のことになる可能性があるので、しっかり対応するということを約束すると表明しました。そのことの意味がどれくらいあるかは、実際は手順通りやるだけでさして大きなものではないかもしれませんが、同じようなことがなかなか日本ではできない状況にあるということが、政治的には非常に深刻なのかなという感じがしますね。
 
宮台: 政治的な危機管理をする能力ないしそういう能力を提供するアドバイザリーグループが機能していないということですね。今の先生の話を伺っている限りは、直接今回手順の踏み間違いがあったということではなくて、演出上、ややうまくなかったということのようですね。
 
神保: いずれにせよまだ終息には程遠い段階です。今後も気をつけて見ていかなければなりませんね。
 

出演者プロフィール

明石博臣(あかしひろおみ)
東京大学大学院農学生命科学研究科教授。1947年京都府生まれ。71年東京大学農学部卒業。77年東京大学農学研究科博士課程修了。農学博士。農林省家畜衛生試験場研究員、農林水産省家畜衛生試験場室長、独立行政法人農業技術研究機構動物衛生研究所上席研究員を経て、2001年より現職。共編著に「獣医微生物学」、「動物微生物学」、「動物の感染症」など。

【給油活動】 The Voice of Russia()

 このニュースが流れた時に、自民党の佐藤正久議員の問うてみた。氏からは、すぐに返事がきて、多少ニュアンスは違うのだが、おおむね事実と相違ないという話である。

このことは、国会でも取り上げられ、審議をされていたのであるが、見逃していた懸案であった。

=====================================================

ジブチに建設される海上自衛隊基地をめぐって
2010, 04, 28.19:41
http://japanese.ruvr.ru/2010/04/28/7048749.html

 ソマリア沖の海賊問題を受け、紅海沿岸のジブチ共和国で、日本の海上自衛隊基地建設が近日中に着工される。日本国外に建設される初の日本の、また史上初のアフリカ大陸の日本基地となる。

 北川敬三海上自衛官は現地で、今年の初夏には基地建設が開始し、その約半年後に終了すると述べた。APF通信が伝えた。日本にとって、このような海上自衛隊基地建設は前代未聞。日本は第二次世界大戦後に憲法を採択してから、国際問題解決の手段として武力を行使することを永遠に放棄すると宣言している。これに関連して2009年、日本政府は、日本の駆逐艦2隻をソマリア沖での海賊対策に参加させるため、新たな法律を採択した。その後1年が経過したが、その間ソマリア沖での事態は悪化する一方だ。日本の船舶の所有者は警鐘を鳴らしている。日本は危険地域からほぼすべての原油を入手しており、日本向け輸出に最重要な航路のひとつがこの地域を通っているため、航路の変更は不可能である。結論として、日本は自国の船舶を護衛するため、第二次世界大戦後初の海外での海上自衛隊基地を創設するという、少し前には考えもつかなかった行動に出る用意を進めている。問題となっているのは日本の軍事ドクトリン全体の見直しだが、なぜソマリア沖の海賊が、日本という遠い国の法律を変えてしまうほど影響力をもつのだろうか。

 モスクワ東洋学研究基金のセルゲイ・ルジャニン教授は、海賊による脅威は実際に深刻なものだが、実際より誇張として、次のように語った―

「肝心なのは、西側主要先進国が当初、報道も軍の諜報機関も、海賊行為とは、貧困にあえぐ人々が生活の糧を手にするため犯罪に及んだものだとする、間違った解釈をしていたことにある。しかし実際はそうではない。この海賊行為が、自前の教育・訓練養成システム、諜報機関や最新の通信機器、巨大な資本を有した、強力な国際機構であることに、いまや疑いの余地はない。またこの国際機構は、過去にいずれかの国で諜報機関に関係していた専門家を利用していると考えるに十分な根拠がある。これは新たな形の国際テロリズムであり、政治に大きな影響を与える。また海賊の正体を正しく評価できないこと等により、戦いは非常に困難なものとなる」

  実際、この西側諸国の基地が密集する地域の目と鼻の先で、いかにしてソマリア沖の海賊がすばやく略奪を成功させているのか、理解に苦しむところだ。ジブチには最大規模のフランス在外海軍基地があり、また2003年にはそれを上回る規模のアメリカ海軍基地が建設された。日本はこの地で第3の海上自衛隊基地を建設することになる。すでに明らかなように、この地のアメリカやフランスの基地には海賊への抑止力はない。アメリカやNATO軍のなしえなかったことに日本が成功し、この地域の海賊行為に決定的な打撃を与えることができればいいが、その望みは薄いだろう。実際のところ、西側諸国の基地や強力な装備にもかかわらず、海賊は常に活動を続けている。今のところ、海賊らは一歩先を行っている。そしてこの問題は、この海域全体が西側列強のまさに軍事的利益ゾーンと今にも宣言されるような規模に発展しそうな雰囲気だ。

 ちなみにこの地域の歴史には、そうしたことがかつてあった。面白いことに当時も、まさに海賊対策がその口実とされたのである。

2010年7月21日水曜日

【東京地検特捜部】 不当逮捕

 色々な方が、石川議員の逮捕は不当であり、陸山会事件そのもの自体がでっち上げだとする論もある。自分も過去に何度か書いている。

それ以外でwebに流れている中で、秀逸なものを載せておきたい。

==================================================

起訴は不当だった。その根拠を、ここに明らかにすることにしました。

2004年~2007年迄の収支報告書を詳細に分析しました。

結果、虚偽記載の事実は一切ありませんでした。

石川さん、検察とマスコミを提訴してください。冤罪とする根拠はこれです。

【根拠1】
2004年10月に小沢氏からの借入金4億円を収支報告書に収入として記載しなかったとされる件

2004年_平成16年分政治資金収支報告書
⇒http://www.soumu.go.jp/main_content/000047155.pdf#page=162
の247頁の本年収入の内訳に、「 借入金 小澤 一郎 400,000,000 」と記載されている。

【根拠2】
2004年に関連政治団体からの寄付1億4500万円を収支報告書に収入として記載しなかったとされる件

当該報告書の248頁の本年収入の内訳_寄付の内訳に、
「 (政治団体分) 民主党岩手県第4区総支部 150,000,000 」と記載されている。

【根拠3】
小沢氏に返済するために陸山会が07年に支出した4億円について、同報告書に記載しなかったとされる件

2005年_平成17年分政治資金収支報告書
 ⇒http://www.soumu.go.jp/main_content/000047150.pdf#page=164
の247頁の支出の内訳_政治活動費に、
「 その他の経費 239,702,734 」と記載されており、243頁の資産等の内訳に、
「 借入金 小澤 一郎 263,939,061 」と記載されていることから、
4億円の内、2億円が返済されていることは、明白です。

2006年_平成18年分以降の政治資金収支報告書
 ⇒http://www.soumu.go.jp/senkyo/seiji_s/seijishikin/

(検索方法)
平成19年 9月14日公表(平成18年分 定期公表)」 (希望年度の定期公表を選択)
→資金管理団体の「リ」を選択→陸山会を選択

平成18年分の37頁の政治活動費の内訳に、
「 その他の経費 239,702,734 」と記載されており、243頁の資産等の内訳に、
「 借入金返済 200,000,000 平成18年03月31日 小澤 一郎 」と記載されていることから、残りの2億円が返済されていることは、明白です。

つまり、返済は2006年迄にすでに完済されております。

以上の通り、虚偽記載の事実は一切ありませんでした。

ここからは、詳細な分析の中身を解説いたします。

【分析1】
2004年の4億円の資金の動きについては、当時、小沢氏は4億円の現金とは別に4億円以上の定期預金も持っていて、その定期預金を担保に4億円を小沢氏個人で借入をした上で、最終的に陸山会に4億円を貸し付けた、ということです。

尚、2004年の収支報告書を見れば解かりますが、当時陸山会には担保にするほどのお金はありませんでしたから、政治資金を担保としたものではなく、これは小沢氏の個人的な借入金ということは明白です。

【分析2】
一方、小沢氏の個人資金である4億円の現金にて支払った手付金と土地代金については、この時点では小沢氏の個人的な支払をしたと考えるべきでしょう。

(理由1)
登記料・登記手数料等の付随費用が未だ発生していないので、土地計上金額が確定していない。

(理由2)
未だ登記がされていないということは、この時点で所有権はないのであるから、例えば土地は小沢氏の所有とし、その土地を陸山会に貸し付けるという方法も可能であり、所有権を陸山会にするかどうかは未定だった。
故に、小沢氏個人に帰属する支払とみなすことが妥当と言える。

(理由3)
発生主義的、総額主義的な観点から、同一年度に土地計上と支出計上をする為には、付随費用が確定するまでは、手付金及び土地代金については小沢氏個人の取引とすることが妥当と言える。

(理由4)
翌年の登記完了日である平成17年01月07日をもって、不動産業者には付随費用を小沢氏には手付金及び土地代金相当額を支払ったことは明白。
2005年分の政治資金収支報告書の支出の内訳_経常経費に
「事務所費 415,254,243」(この中に土地計上額が含まれていることは明白)
資産等の内訳_(土地)に
「世田谷区 342,640,000 17.1.7 」と記載されている。

【まとめ】
検察の起訴理由を推察すると、おそらく、次のようなことでしょう。
小沢氏個人の銀行からの借入も収入計上すべきであり、当該銀行への返済も支出計上すべきところが不記載であると言っているものと推測されます。

つまり、小沢氏の個人資金の動きまで収支報告書に記載せよと言っている訳です。
こんなんで、現実に起訴できちゃうものなんですか。恐ろしいーー。

検察の起訴理由など、ヤクザ屋さんの因縁より理が通りません。
  
政治家は家計簿まで、収支報告書に記載せよと言っていることと同じです。

「平成18年分の37頁の政治活動費の内訳に、
「 その他の経費 239,702,734 」と記載されており、243頁の資産等の内訳に、・・・」

の部分が間違っていました。

正しくは、
「平成18年分の30頁の政治活動費の内訳に、
「 その他の経費 236,406,365 」と記載されており、37頁の資産等の内訳に、・・・」
です。

====================================================

<04・05年陸山会収支報告書の記載は正しい>

石川議員ら3人は、「04年10月29日に土地を購入した際、小沢氏が4億円支払ったことを4年の収支報告書に記載せず、05年の収支報告書に記載した」期ずれ報告が違法ということで起訴されたが、投稿者は、「収支報告書の記載時期は正しく、記載のずれはない」とする見解だ。


以下、投稿者の主張(投稿文から抜粋)

「◆【豆知識03:陸山会の正しい土地の計上時期】
 陸山会は、法人税法用語で『人格のない社団等』に該当します。
 まず、この意味から説明します。『人格のない社団等』とは、文字通り法律上の人格を持たないということです。法律上の人格を持っていれば、法務局に法人登記(人間で言う出生届)をします。同時に実印登録を行います。これにより、印鑑証明書が必要な土地取引や土地登記等を行える権利を法人自体がもてるということに成ります。
つまり、一言で言うと、 『陸山会は、土地の登記ができない社団である』
 従って、陸山会代表としての小沢一郎では、2004年中には、当該土地取引は出来なかったということになります。
 尚、本登記が2ヶ月余り遅れたのは、当該土地が農地であった為、農地転用の手続き期間(農業委員会は1,2ヶ月に一度だから)が必要であった為と、埋め立て工事、地ならし工事等を経て、更地にしてから引き渡しをするという、社会通念上の、土地の引き渡し要件を満たす為であった、と考えられます。
 そして、2005年1月7日に小澤一郎個人として本登記すると共に登記料・登記手数料等(等の中には、農地転用費用・不動産取得税などの更地にするまでの一切の費用が含まれます)を業者に支払い、この時点で当該土地は小澤一郎個人のものとなりました。
 さて、今度は小澤一郎個人から陸山会代表としての小沢一郎へ当該土地の譲渡をしようにも方法はありませんから、権利書と交換で、当該土地の利用権を譲渡した場合と同等の意味をもつ「確認書」を取り交わしましょう、ということになります。
 「確認書」により、登記上の移動があるわけではありませんから、不動産取得税は関係ありませんが、『現金・預金出納帳』に記載されている通り、実際に陸山会から小澤一郎個人に3億4264万円の支払いという実態がありますから、民法上は売買としてみなされることとなります。
 以上のことから、2005年の収支報告書に当該土地が記載されているのは当然であり、むしろ、2005年の方が、正しい会計処理であった、と言うことであります。     」


<「収支報告書の記載は正しい」はもっともだ>

投稿者の見解はこうだ。

04年10月29日時点では、小沢氏がお金を支払ったのだから、小沢氏個人と売主の売買であり、陸山会収支報告書に記載することはできない。05年1月7日に登記が完了し、陸山会と小沢氏個人との間で、権利書の交換、確認書の取り交わし、3億4264万円の支払いが行われた。この時点が、陸山会と小沢氏個人との民法上は売買とみなされるから、この時点で、陸山会収支報告書に記載すべきである。

至極わかりやすい説明だ。
石川議員らは正しい会計処理をしていたということだ。

正しい会計処理をしているのに、捜査段階で検察に追及され、石川議員が「記載ずれ」を認めてしまったようだ。異常な取調べの中で、5年以上も前のことを高圧的に追及されれば、やむをえなかったと思う。

郷原信郎氏など多くの識者も記載ずれがあったと解釈した。検察の解釈も同じだし、メディアもそのように報道している。
投稿者が「このことに言及しているのは日本で自分ひとり」と言っているがその通りだと思う。実態がわからない国民は「記載ずれがあった」ということは認識している。

投稿者のように、事実を確認し冷静な見方をすることが大切だと思う。


<小沢さん側に違法行為は全くなし、検察の言いがかりだけだ>

「記載が正しい」となると、大変なことになる。

小沢氏が「やましいところはない」と言っていた通り、小沢側に違法の事実はひとつもなかったことになる。これまでのことは、全て検察の言いがかりだ。

秘書3人の起訴は不当だ。

検察が収支報告書に虚偽記載があるとしたため、検察審査会は、その虚偽記載に関与したとして小沢氏"起訴相当"の議決をした。虚偽記載でないとしたら、起訴相当などの判決はないはず。

検察の責任は大きい。


<「収支報告書の記載が正しい」とすれば、今後の展開は180度変わる>

石川議員は「記載が正しい」と頑張っていれば検察は起訴出来なかったと思う。しかし、それは詮無いこと。

一市民Tは石川議員に会う機会に、投稿者の考えを直接伝える。

石川議員はこれから、裁判で「記載は正しい」として争えばよい。完全無罪を勝ち取れるはず。


9月には、第5検察審査会で、小沢氏の起訴をめぐって再度審査が行われる。

「記載のずれに小沢氏が関与した」との容疑に対し審査されることになっている。
記載のずれがないとしたら、小沢氏が関与したかどうかなど関係ない話になる。

小沢氏側は土地に絡む金銭の動き、登記、権利書の交換、確認書等を再確認し、「記載時期」はどの時点が正しいのか確認してほしい。

そして、投稿者の言う通りであれば、その旨を上申書などで検察審査会に伝えるべきだと思う。

補助弁護人はこのことを審査員に伝えて審査に入るべきだ。
審査員がメディアに如何に洗脳されていたとしても、起訴相当などの議決はできないだろう。

========================================

『虚偽記載』容疑で逮捕しておいて、起訴の段階で、『起訴事実は公判で明らかにする』などと言い、公判前整理手続き中の6月16日には、『やっぱり、「裏献金」5千万円を立件する』と言い、このような公訴権乱用の暴挙を許してしまったということは、もはや、日本国は、検察の支配下に置かれているということを認識すべきです。

 このような状況下での参議院選挙で、何が生まれるのか、空恐ろしい気がします。

◆◆◆【収賄容疑は不当であるとする根拠】

◆◆【「裏献金」を受け取る動機が無い】
 平成18年分(2006年)の収支報告書に「(その他の経費)返還金 \120,000 水谷信夫」との記載がありました。それと、もう1件だけ、同じ三重県桑名市の川村尚という人物にも、同額が同じ平成18年9月に返還されていました。(2004年と2005年の返還については、官報である為、確認不能)
 調べて見ると、問題の2004年と2005年に、両氏からの寄付として12万円ずつが入金しているでは、ありませんか。

 つまり、陸山会は、2004年当時から、水谷建設を「ブラックリスト」に載せていたと思われます。
 そして、たとえ、水谷建設関係者からの「表献金(個人献金)」であっても、丁重に『突き返す』ように指示していたと言うことが、窺えるのであります。

 これほど、水谷建設を警戒していた最中に、『水谷建設からの「裏献金」を石川氏にホテルで手渡した』などと言われても、その、信憑性は、まったく無いのであります。

 また、別の観点から考察すると、2004年の「現金預金の次年度繰越額 610,051,380円」を見ても解かる通り、当該5千万円が無かったならば、当該土地の購入が出来なかったとは、到底言えない状況であり、「裏献金」を必要とする動機が、まったく、見当たらないのであります。

 ちなみに、検察様のおっしゃる通り、4億円も不記載ということになれば、10億1千万円以上の現金預金が年末にあったことに成っちゃったりする訳で、益々、「裏献金」を必要とする動機が無いことに成っちゃうんだよね。これが。(大笑)

  検察も、どこまで『バカ』なのか、底が知れない。

◆◆【物的証拠が無い】
 水谷建設(三重県桑名市)からの「裏献金」5千万円について、10月18日に陸山会の口座に同額が振り込まれたと言っているが、石川氏にホテルで手渡したとされる5千万円が、石川氏により入金(振込)されたとは、言っていないということに留意すべきです。

 どこから振り込まれたのか、ウソなのかは、『現金・預金出納帳』を見れば、即座に、明らかに成ることです。もし、石川氏が入金していたのであるならば、とっくの昔に、贈賄罪として逮捕・起訴していたことでしょう。

 もし、『現金・預金出納帳』に記録が無い場合には、可能性として考えられるのは、石川氏が横領している場合しか考えられないので、その場合には、検察は、2004年当時に、物的証拠である、当該5千万円の札束を証拠品として押収していなければ成らないのであって、押収していないのであれば、正当な逮捕理由も物的証拠も無いまま逮捕したことになり、これは、不当逮捕です。

 だいたい、映画『マルサの女』でも解かる通り、贈賄罪として逮捕・起訴するには、現物の証拠品である当該5千万円の札束を押収するのが先ですよね。
押収したとしても、当該5千万円の札束が水谷建設からの「裏献金」であることを証明して、始めて、逮捕・起訴するのが、合法的な手順と言えるのでは、ありませんか?

 ちなみに、検察様は、『当該5千万円は、小沢さんからの借入金4億円に含まれている』とおっしゃられていたようだが、【収支報告書と全て辻褄の合うストーリー】の通り、その4億円は、銀行からの融資金を、そのまま、又貸ししちゃったものなので、その銀行からの融資金の中に含まれている訳が無いんだよね。これが。(大笑)

検察も、どこまで『バカ』なのか、底が知れない。

◆◆◆【『虚偽記載』は不当であるとする根拠】

◆◆【本事件の奇妙さ】

 近頃、検察とマスコミの陰謀なのか、日本人の常に新しい情報に群がる習性のせいなのかは知りませんが、『虚偽記載』事件が忘れ去られようとしています。

そこで、『虚偽記載』事件の知られざる真実の全てを、ここに記録しておくことにしました。

 プロの会計士や弁護士等が、現金主義会計下で作成される収支報告書は、『現金・預金出納帳』を集約したものであるということに、今もって、気がついていない理由は、

 『定期預金年末残高』 + 『現金と普通預金年末残高』= 『次年度繰越額』

 という計算式に、『たどりついていない』、ことによります。
 結果、『法四条の解釈』とか、『期ずれ』と言うような不毛な論争になってしまいました。
 もし、これに気が付いていれば、『虚偽記載の起訴事実』や『検察審議会の議決理由』の全てが検察とマスコミの『デッチアゲ』であることが証明できた事でしょう。

 それこそ、逮捕の段階で、『不当逮捕である』と逆提訴ができたのです。

 今頃は、小沢首相が、官僚主導ではない、『国民が主役の政治』を実現していた事でしょう。

 本事件の最も奇妙なことは、このことに言及しているのは、何故か、日本中で、私だけと言うことです。
本を出版されている方達には、これを認めると『本に書いたことがウソになる』等の理由で、無視していることは考えられますが、石川議員や小沢擁護派の人達までも、気が付く気配すら無いというのは腑に落ちません。

 本稿を読んで頂ければ解かりますが、『現金・預金出納帳』は、公判で有利な材料となることはあっても、不利になるようなことは、絶対にありません。
 故に、安田弁護士等が、『現金・預金出納帳』の記録内容について、わざわざ、公判まで触れないでいる必要など、まったく無い、ハズなのです。

◆◆【冤罪と断定する物的証拠】:(【豆知識01】参照)
 まず、『虚偽記載の起訴事実』や『検察審議会の議決理由』が検察とマスコミの『デッチアゲ』であるという証拠が、

『現金・預金出納帳』

 に全て記録されているということを覚えておいて下さい。

 そして、収支報告書は、その『現金・預金出納帳』を集約したものにすぎないということも覚えておいて下さい。

 従って、過去に「不記載」や「架空計上」等があれば、今日、現在の現金預金の手持ち有り高が『現金・預金出納帳』と相違することになることから、収支報告書においては、絶対に「不記載」や「架空計上」等は発生し得ないということも覚えておいて下さい。

 それに、よく考えてみて下さい。収支報告書に「不記載」や「架空計上」等を恣意的にしたとしても、脱税や粉飾決算ができる訳でもなく、そんなことを、する意味が無いでしょう。

 おっと、『「裏献金」は恣意的に「不記載」にするだろう』ってか。
 それは、【収賄容疑は不当であるとする根拠】に戻って、もう一度読んで下さい。
 それから、報道によれば、『虚偽記載』の起訴事実の中には、「裏献金」は入っていませんでした。何故か解かりませんが、「裏献金」については、起訴の時点になって、検察がマズイと気がついたのでしょうか、起訴事実の中から外しているのです。

◆◆【4億円の収入が不記載】:(【豆知識04】参照)
 【2004年 収支報告書の記載内容】の通り、4億円の収入は、ちゃんと、記載されています。
【収支報告書と全て辻褄の合うストーリー】の通り、2004年10日29日午後、小澤一郎個人が銀行から融資(返済期限が2007年)を受けた4億円については、そのまま、陸山会に又貸ししたことが2004年の収支報告書に記載されており、2005年と2006年に、それぞれ2億円ずつ、小澤一郎個人に返済されていて、それを原資として、小澤一郎個人が、返済期限である2007年に銀行に返済しており、この件は、完結しています。

 とすると、2004年の借入と2007年の返済の4億円の不記載の件は、『小澤一郎個人と銀行との取引』を、『小澤一郎個人と陸山会との取引』と言うように、検察が、話を『すり替えて』報道させていたようですね。

 ちなみに、検察様のおっしゃる通りならば、2004年~2007年もの長期間に、『現金・預金出納帳』と実際のお金が4億円も相違したままで、しかも、『1円も使わないで持っていた』って事に、成っちゃったりする訳なんだな。これが。
でも、こんな起訴理由が、どうして、まかり通っちゃったワケ? (笑えない現実です)

 検察も、どこまで『バカ』なのか、底が知れない。

◆◆【土地代金が不記載と期ずれ】:(【豆知識02】【豆知識03】参照)
 政治資金管理団体は、土地の登記が出来ません。
 故に、2004年10月29日に仮登記をして、土地代金を支払ったのは、小澤一郎個人ですから、『現金・預金出納帳』に記載がある訳がありません。

つまり、『期ずれ』の問題では無かったということです。

 検察は、ここでも、『小沢さんと売主との取引』を、『陸山会と売主との取引』と言うように、話を『すり替えて』報道させていたようですね。

 尚、地目変更、埋め立て、地ならし等の更地にするまでの工事を年内中に終えて2005年1月7日に小澤一郎個人で本登記をした後、「確認書」により、権利書と引換えに、小沢さんに土地代金相当額を支払ったことが『現金・預金出納帳』に記載されているハズです。

 ただ、検察は、どこまでウソをついているのか解かりませんから、社会通念上、土地代金を支払う時期は、更地に成った後の、本登記後に支払うのが通例ですので、この場合には、2005年1月7日に、小沢さんに替わり、陸山会が直接に売主に支払っていることも考えられます。(「確認書」参照)

 いずれにせよ、2004年に土地計上をするなんてことは、大間違いです。

 ちなみに、『?を隠蔽するため本登記を恣意的に翌年に延ばした』などと、ワケの解からない、『検察審議会の議決理由』は、『ヤクザ屋さんの、いんねん』なんかよりも、『レベル』が低いよね。
 『脳みそ』が、腐ってんじゃないの。
 『一体、何という犯罪なのか言ってみろ!』 っつーーの!
 でも、こんな議決理由が、どうして、まかり通っちゃったワケ? (笑えない現実です)

 検察審議会も、どこまで『バカ』なのか、底が知れない。

 追:『幹事長を辞職したから、許して』などと、上申書を提出するとは、
『情けない!』 『弁護士達は、何やってんだ!』

◆◆【収支報告書と全て辻褄の合うストーリー】
以下、登記の記録等を根拠とした私の推測したストーリーを述べます。
(『』内は、登記記録の内容より抜粋)

(1)2004年10日5日
 『原因 平成16年10月5日売買予約』ということから、小澤一郎個人の定期預金を担保に銀行に4億円の融資申し込み(返済期限2007年)を行ったと推測します。
 (銀行への融資申し込みには、正当な理由が必要です。)

(2)2004年10日29日午前中
 小澤一郎個人として土地代金の3億4200万円(推定)を支払った。
 (銀行の融資が降りるのが遅れたため、小沢さんの個人資金より支払う。)
 『登記の目的 所有権移転請求権仮登記 受付番号 平成16年10月29日 第77290号 権利者 岩手県水沢市袋町2番38号 小澤一郎』ということから、小澤一郎個人で仮登記の受付をしたことが明らかです。

(3)2004年10日29日午後
 小澤一郎個人に降りた使途を失った融資金4億円は、そのまま陸山会に貸し付けた。
 陸山会は、これを2億円の定期預金2本として組んだ。
 陸山会は、2004年の収支報告書に「(収入)借入金_小澤一郎 4億円」と「(負債)借入金_小澤一郎 4億円」と「(資産)預金等(定期預金を意味します) 4億円」を記載した。

(4)2005年1月7日
 『登記の目的 所有権移転 受付番号 平成17年1月7日第695号 原因 平成17年1月7日売買 所有者 岩手県水沢市袋町2番38号 小澤一郎』ということから、小澤一郎個人で本登記し、登記料・登記手数料等を業者に支払ったことが明らかです。
 土地利用権を陸山会に移譲する為、「確認書」を取り交わすと共に、陸山会は権利書と引換えに、土地代金及び登記料・登記手数料等相当額の3億4264万円を小澤一郎個人に支払った。
 陸山会は、土地代金相当額に登記料・登記手数料等の付随費用を加算した金額3億4264万円を取得原価として、2005年の収支報告書に「(支出)事務所費」と「(資産)土地」に記載した。

(5)2005年中
 陸山会は、2億円の定期預金を解約し、小澤一郎個人に返済した。
 陸山会は、2005年の収支報告書の「(負債)借入金_小澤一郎」と「(資産)預金等(定期預金を意味します)」より、それぞれ2億円を減額して記載した。
 同時に「(支出) その他の経費」に2億円を記載した。

(6)2006年中
 陸山会は、2億円の定期預金を解約し、小澤一郎個人に返済した。
 陸山会は、2006年の収支報告書の「(負債)借入金_小澤一郎」と「(資産)預金等(定期預金を意味します)」より、それぞれ2億円を減額して記載した。
 同時に「(支出) その他の経費」に2億円を記載した。

(7)2007年中
 小澤一郎個人は、銀行の返済期限が到来したので、2005年と2006年に陸山会から返済を受けた4億円を原資として、銀行に返済した。これにより、定期預金の担保が取れて定期預金証書の返却を受けたので定期預金を解約した。

 以上のストーリーが正しければ、2004年~2007年迄の収支報告書の内容は一点の曇りもなく、全て、完璧に、正しく記載されていたことになります。

◆◆◆【豆知識集】
◆【豆知識01:現金・預金出納帳】
 『現金・預金出納帳』上の残高は、定期預金と普通預金の残高については、通帳及び銀行残高証明書により、確認されています。現金については、毎日若しくは週2~3回行われる現金実査(金種表のような現金実査票により現金の枚数を数えて帳簿上の残高と合っている事を確認する作業)により、「不記載」や「架空計上」等があれば、その場で、発覚します。

◆【豆知識02:政治資金規正法第四条】
 政治資金規正法第四条の話をする前に、発生主義会計と現金主義会計の違いから、説明いたします。

 そもそも発生主義会計は、継続企業を前提としているため、期間損益の平準化の要請から人為的に1会計期間に区切った損益を適正に按分計算するために必要な、現金の出入りを伴わない、未収金、未払金、経過勘定項目、引当金、減価償却費等の勘定科目を使用した会計を意味します。

 これに比べて、現金主義会計は、現金の出入りが伴う会計事象に係る勘定科目のみを使用した会計を意味します。従って、仮払金、仮受金、立替金、預り金、前払金、前受金等も、こちらに該当します。

 従って、土地代金の支払いが、仮払金であろうと、立替金であろうと、もともと、現金主義会計下での会計事象でありますから、収支報告書の「支出」には、ちゃんと、記載されています。

  つまり、政治資金規正法第四条の解釈は、無用ということです。

 プロの会計士等が、勘違いしてしまったのは、土地代金が2004年に支払われているから、2004年に支出として計上すべきという根拠が、発生主義だと思われた点でしょうね。(もっとも、支払ったのは小澤一郎個人であって、陸山会では無いのですが。)

 それ故、政治資金規正法第四条の解釈上の論争となり、『支出は2004年に計上すべきであるが、土地の計上は翌年でよい』などと、とんでもなく、間違った意見を述べ合ってしまったのだと思います。

 まだ、納得のいかない諸君は、【2005年 収支報告書の記載内容】を見て下さい。
「事務所費 415,254,243円」と「(土地)世田谷区 342,640,000円」と記載されている通り、『支出』と『土地』は、同時計上されています。
 このように、例えば、土地の取得原価が確定していない等の理由で、仮払金として会計処理した場合においても、『資産』である「仮払金」は、記載不要項目なので、収支報告書への記載は無くなりますが、『支出』である「事務所費 415,254,243円」の計上は変わりなく、ちゃんと、記載されています。

◆【豆知識03:陸山会の正しい土地の計上時期】
 陸山会は、法人税法用語で『人格のない社団等』に該当します。
 まず、この意味から説明します。『人格のない社団等』とは、文字通り法律上の人格を持たないということです。法律上の人格を持っていれば、法務局に法人登記(人間で言う出生届)をします。同時に実印登録を行います。これにより、印鑑証明書が必要な土地取引や土地登記等を行える権利を法人自体がもてるということに成ります。
   つまり、一言で言うと、

   『陸山会は、土地の登記ができない社団である』

 従って、陸山会代表としての小沢一郎では、2004年中には、当該土地取引は出来なかったということになります。

 尚、本登記が2ヶ月余り遅れたのは、当該土地が農地であった為、農地転用の手続き期間(農業委員会は1,2ヶ月に一度だから)が必要であった為と、埋め立て工事、地ならし工事等を経て、更地にしてから引き渡しをするという、社会通念上の、土地の引き渡し要件を満たす為であった、と考えられます。

 そして、2005年1月7日に小澤一郎個人として本登記すると共に登記料・登記手数料等(等の中には、農地転用費用・不動産取得税などの更地にするまでの一切の費用が含まれます)を業者に支払い、この時点で当該土地は小澤一郎個人のものとなりました。

 さて、今度は小澤一郎個人から陸山会代表としての小沢一郎へ当該土地の譲渡をしようにも方法はありませんから、権利書と交換で、当該土地の利用権を譲渡した場合と同等の意味をもつ「確認書」を取り交わしましょう、ということになります。

 「確認書」により、登記上の移動があるわけではありませんから、不動産取得税は関係ありませんが、『現金・預金出納帳』に記載されている通り、実際に陸山会から小澤一郎個人に3億4264万円の支払いという実態がありますから、民法上は売買としてみなされることとなります。

 以上のことから、2005年の収支報告書に当該土地が記載されているのは当然であり、むしろ、2005年の方が、正しい会計処理であった、と言うことであります。

◆【豆知識04:検察リークによるマスコミの悪質な情報の捏造】
 以前、小沢さんは不明朗な27億円を現金で持っていたなどという記事が報道されたことがありましたが、その27億円の金額は『4億円と5億円が3回出入りした』として、検察が勝手に捏造して報道させたものでした。さすがに、検察も起訴理由にしたのは、4億円の出入りの8億円だけで、あとの19億円は預かり金であるとして問題としませんでした。

 で、その5億円は、何のお金を指しているのか解かりますか?

 検察に代わって説明するのも変ですが、銀行の融資には、実行率というのがあって、通常80%程度なので、5億円の定期預金を担保にして、4億円の借入ができるのです。たぶん、この5億円を指しているのではないでしょうか。

 また、小澤一郎個人名義の5億円の定期預金を担保に銀行から4億円を借入して、陸山会に又貸しするという、何故こんなややこしいことをするのかと言うと、陸山会では4億円の融資枠が無いため借入ができず、小澤一郎個人名義の定期預金を担保として小澤一郎個人名義で借入するしか方法が無かったのではないかと考えられます。

 それに、この方法なら、陸山会にマタ貸しすることにより、陸山会が直接銀行から借入したのと同等の効果がありますからね。
同等の効果というのは、例えば、金利の計算・管理などは銀行がやってくれるので、毎月、小沢さんが銀行に支払った金利相当額を、陸山会は小沢さんに支払うだけなので、金利計算等の煩わしい事務処理が省けるということです。

 とすると、【収支報告書と全て辻褄の合うストーリー】をもう一度見てほしいのですが、検察の起訴理由の2004年の4億円の収入の不記載と2007年の4億円の返済の不記載というのは、小澤一郎個人と銀行との間のお金の動きのことを指しているのだと言うことが解かります。

 このように、検察の『デッチアゲ』の手口は、『小澤一郎個人と銀行との取引』を、『小澤一郎個人と陸山会との取引』というように、うまく、話を『すり替えて』、マスコミに報道させるという、卑劣極まりない所業なのであります。

◆◆◆【資料集】

◆【登記記録】
順位番号   4
登記の目的 所有権移転請求権仮登記
受付番号   平成16年10月29日 第77290号
原因      平成16年10月5日売買予約
権利者   岩手県水沢市袋町2番38号 小澤一郎

登記の目的  所有権移転
受付番号   平成17年1月7日第695号  
原因     平成17年1月7日売買
所有者   岩手県水沢市袋町2番38号 小澤一郎

◆【確認書】
http://specialnotes.blog77.fc2.com/blog-entry-2327.html


◆【現金と普通預金の年末残高の計算式】
前年繰越額+本年収入額-支出総額=次年度繰越額
次年度繰越額-預金等(定期預金を意味する)=現金・普通預金繰越額

【2004年の収支報告書より】
151,229,466+580,024,645-121,202,731=610,051,380
610,051,380-471,500,000=138,551,380
【2005年の収支報告書より】
610,051,380+339,099,635-679,964,189=269,186,826
269,186,826-256,500,000=12,686,826
【2006年の収支報告書より】
269,186,826+134,586,054-325,390,217=78,382,663
78,382,663-56,500,000=21,882,663
【2007年の収支報告書より】
78,382,663+103,854,350-115,060,981=67,176,032
67,176,032-56,500,000=10,676,032

◆【2004年 収支報告書の記載内容】
【収入】
前年繰越額 151,229,466
寄付 政治団体分 157,100,000
借入金 小澤一郎 400,000,000
【支出】
事務所費  38,355,343
【資産】
預金等(定期預金) 471,500,000
【負債】
借入金 小澤一郎 491,478,416

◆【2005年 収支報告書の記載内容】
【収入】
前年繰越額 610,051,380
寄付 政治団体分 309,060,000
【支出】
事務所費 415,254,243
その他の経費 239,702,734
【資産】
預金等(定期預金) 256,500,000
(土地)世田谷区 342,640,000 17.1.7 476㎡
【負債】
借入金 小澤一郎 263,939,061

◆【収支報告書のありか】

2004年_平成16年分政治資金収支報告書
http://www.soumu.go.jp/main_content/000047155.pdf#page=162

2005年_平成17年分政治資金収支報告書
http://www.soumu.go.jp/main_content/000047150.pdf#page=164

2006年_平成18年分以降の政治資金収支報告書
http://www.soumu.go.jp/senkyo/seiji_s/seijishikin/
【検索方法】
平成19年 9月14日公表(平成18年分 定期公表)」 (希望年度の定期公表を選択)
→資金管理団体の「リ」を選択→陸山会を選択