2009年6月4日木曜日

【総務省関連】 郷原信郎氏定例記者レクの概要

 西松事件で一貫して、マスコミ報道のあり方と検察の恣意的捜査に異を唱えていた郷原信郎氏が、日本郵政のガバナンスとコンプライアンスを検証をはじめている。この記事をココログから引越しをしたのが2010年に入ってからなので、引越しの時点では総務省の顧問と言う立場である。なお記事は、アップされた日付けとなっている。


2009.6.4
第62回定例記者レクの概要

名城大学コンプライアンス研究センター 郷原信郎
今日は二つのテーマを用意しました。まず一昨日、6月1日の二階経産大臣の派閥に対する西松建設の例の関連団体からのパーティ券の購入について、収支報告書の虚偽記入で告発を受けていた事件について不起訴処分をした件。この件は、政治団体の方の収支報告書の虚偽記入の問題と、お金を出していたほうの西松建設側が他人名義の寄付、この事件では他人名義のパーティ券の購入の容疑にも問われていて、同様に告発をされていたのですが、こちらの方も不起訴になりました。この2つの問題に分けて考えてみる必要があると思うんです。

まず政治団体側の問題です。この「新しい波」という二階氏の派閥の政治団体の側に収支報告書の虚偽記入罪が成立するかどうかということに関して、読売新聞の記事が一番詳しかったのですが、パーティ券の購入を西松建設側に依頼したのは二階経産省の秘書で、新しい波事務局では西松側と接触がなく、2団体がどうしてもダミーだということを認識していなかったという理由で、嫌疑不十分で不起訴になったということだそうです。こちらの方の不起訴はこういう事実関係を前提にすれば致し方ないのかなという感じがします。陸山会の問題では、直接、西松建設関連の政治団体側や西松側との接触があったのは、小沢氏の秘書の、逮捕された大久保秘書だったのだろうと思います。

ところが、今回は派閥のパーティ券の問題で、このパーティの主催をする政治団体というのは、二階さんという政治家そのものでなくて、派閥だということなので、この政治団体の収支報告書の記載などは、二階氏の秘書などではなく、派閥の側の担当者が行っていることになります。こうなると、仮にこの2団体が西松建設のダミーであったとしても、ダミーだということの認識がなかったということは十分考えられるところで、これは仕方がないという感じがします。もちろん、それにはもっと隠された事実があって、この派閥の関係者も丸ごと西松建設との関わりを知っていたとか、そういったところにも関わっていたというような可能性もないではないかも知れませんけれども、少なくともそういうような事実が出て来てないということになると、ここは政治資金規正法違反に問うのは認識の点で無理だというのは、これはいちおう理解できるところだという感じがします。

問題はもう1つの西松建設側の被疑事実です。こちらはこの読売新聞にも書いてあるように、「一方、国沢被告は違法献金の仕組みを考案したが、民主党の小沢一郎前代表の秘書の事件ですでに起訴されているため、起訴するまでもないと判断した」と。だから、起訴猶予だと言うんですけども。こういう理由で起訴猶予にできるかなという感じがします。まず、この西松建設側、国沢社長はもともと確か7千万ぐらいの外為法違反の事実で逮捕されてたんです。それで、今回この小沢代表の秘書が逮捕されたと同時に、再逮捕されたわけです、政治資金法違反で。その事実は陸山会に対する100万円の他人名義の寄付の事実です。そして、起訴の段階で500万円に膨らんだわけです。当初は陸山会に対する寄付でしたが、それをなんとか金額を増やしたかったんでしょう。小沢さんが代表を務める政党支部のほうへの寄付も含めて、他人名義の寄付500万ということで起訴されたわけです。ただ、少なくとも逮捕拘留容疑は100万円の他人名義の寄付だったのです。

一方、今回起訴猶予になった他人名義のパーティ券の購入ですけども、これは収支報告書によりますと、6月21日に愛知のパーティで120万、それから7月28日に東京のパーティで100万、それから6月26日にこれも愛知で60万、7月20日に60万。トータルすると340万になります。となると、起訴事実の500万と340万を比較しても、そんなに小さな金額ではない。3分の2ぐらいですよね。しかも逮捕拘留事実の100万と比較すると3倍以上です。これがなぜ、すでに小沢前代表の秘書の事件で起訴されているために起訴するまでもないというのか。これでは起訴猶予にする理由にならないのではないかという感じがします。

敢えてそこを忖度すると、もともとこの件は外為法違反のほうが本件で、そっちの方が量刑上も重要な事実なんだから、この他人名義の寄付だとか、他人名義のパーティ券の購入の部分は端パイだ。最初から大して重要じゃないんだというのならわかります、そういうのであれば。ただ、そうであれば、最初から100万円だけの事実で再逮捕するのかというところが疑問になりますし、もう1つはもしそういう考え方で外為が主体で、政治資金規正法違反は大して重要じゃないと言うのであれば、6月19日の西松建設側の第1回公判のときにも、全体のうちわずかの部分しか書かないのが当然だと思います。その被告人の起訴された事件の中ではほんのちいさなもので、量刑上もそれほど重要性はないんだけども、そこのところだけを世間に対して目立つようにしたいという他の目的をもって、政治資金のところばかり冒陳の記述を膨らませるということは通あってはならないと思いますし、その辺のバランスが問題になるのではないかと思います。いろんなところで今後のこの事件をめぐる動きにも関わってくるのではないかという気がします。

いずれにしても、二階派の政治団体のほうの虚偽記入について嫌疑不十分は致し方ないという気がしますが、西松建設側の不起訴理由については、私はちょっとおかしいのではないかという感じがします。そういったところに、そもそも自民党側の事件には手をつけたくない、という検察の姿勢がうかがわれるのではないかと思います。
もう1つのテーマが、例の日本郵政株式会社の西川社長が続投する・しないということで、今大変な騒ぎになっていて、鳩山総務大臣がこの続投の人事案は認可しないということを言っているということなんですが。この問題を企業の、会社のコーポレートガバナンスの観点からどう考えたらいいのか。これはちょっとむずかしい問題ですね。今回、私も少し考えてみました。

まず、そもそも日本郵政株式会社というのはどういう経緯でできたのか。日本郵政株式会社法というのは基本的にどういう考え方の法律なのかということを考えてみないといけないのではないかと思います。要は例の郵政民営化の流れの中で、それまで日本郵政公社だったものが、分割されて民営化されたわけです。そのときに公社から民営会社になって、100%株式を国が保有する会社になった。一方で、こういう役員の人事に対する国の介入ということで、会社の取締役の選任・解任、並びに監査役の選任・解任の決議は総務大臣の認可を受けなければ、その効力を生じないということになったわけです。要するに、これは郵政民営化に伴って、それまで公社だったものを完全に民間会社にしていくのだけれども、そのプロセスでまだ公社的なといいますか、公的な性格の強い会社という存在にどうしてもならざるを得ない、その移行期では。その移行期において役員の選任・解任についての所管官庁の認可というような制度を残したということになります。

一方で、すでに民営会社になって、株式会社化されているわけですけども、その株式は国が100%すべて持っているわけです。今回、問題になっているのは、民営会社になった、民間会社になったんだけども、100%国が株式を持っているという状況で、その保有している株式を所管している大臣は財務大臣、そして郵政公社のところからきている、民間会社になっても国の介入、管理が予定されている、その認可権のところは総務大臣の所管。そこで両方の大臣の意見が違っているのをどうしていくのかということになっているわけです。

この問題、どうしてこういった認可をしないということが出て来ているかというと、例のかんぽの宿の問題で、要するにこの問題に関して、日本郵政の西川社長が責任をとるべきだという考え方を鳩山総務大臣はしているわけです。これがむしろ公的な会社としての社長の責任なんだと。こういった問題を引き起こした以上、公的な会社の社長の人事のあり方として辞任するのが当然だという考え方にもとづいて、それを今回の認可のところでそういう結果を実現しようとしているわけです。

そう考えると、株式を担当している財務大臣のところで「株主として異論はない、それでそのまま続投してもらってかまわない」という話と、総務大臣のところでの認可の話とはまったく方向の違う話なんだと思うんです。財務大臣のほうというのは株主の立場ですから、要するにこの会社の経営者として、会社の利益を生んでもらわないといけない、損失を出さないようにしてもらわないと困るという観点から、この西川社長が続投するんだという人事は会社にとって必ずしもマイナスではないという判断をしたということだと思います。

ところが、公的な性格を持った会社ということになると、国民の意思というものをある程度反映させて、多くの国民が疑念を持っている問題について、きちんと決着をさせないと、国民の信頼を得て事業を行っていくことができないという観点から、総務大臣が認可権限に基づいて「この人事はノーだ」と言っているのであり、株主の利益の問題とは別の観点の判断なのかなという感じがします。

私は、この問題に関しては、今の過渡期状況をどのようにとらえるかということにもよるんですけれども、やはり総務大臣の立場での判断が、これがむしろ優先されるべきなのかなと思います。問題はその総務大臣の判断が適切なのかどうかということだと思います。第三者委員会がこのかんぽの宿の売却に関していろんな問題があったことを指摘はしているけども、結論としてはそれは違法ではなかったという判断を示している。そこが非常に微妙なんですね。違法ではなかったかも知れないけども、この西川社長の下で進めようとしてきたかんぽの宿の問題が、そのまま社長が続投することが適切ではないと言えるような問題なのかどうか、ということを改めて総務大臣の判断が適切かどうかということを考えなきゃいけないわけで、財務大臣が、株主の立場でいいといっているから別に問題ないんだという理屈はちょっとおかしいんじゃないかという感じがします。

かんぽの宿問題も非常に微妙なので、これはなんとも言えないところなんですけど、そこをもう一回じっくり鳩山総務大臣は何をもって「これは絶対に続投は認められないんだ」と言うか。それに対して、そうじゃないんだと。これは続投することを容認することが、むしろ公的な性格を持った会社としても適当なんだと言えるのかどうか。そこを詰めて考えていかないといけない。そこがポイントなんじゃないかと思っています。

私の方からは以上です。

□□ プロセスから、どうして総務相が考えが優先されるべきだというふうになるのでしょうか。

郷原 私の考え方は、完全に公社だったところから、完全に民営会社になる。最終的には民営会社として認可というのがなくなっていくプロセスなんです。今どういう段階にあるかということなんだけれども、おそらく日本郵政という会社にはまだかなり公的な性格が残っていて、その公的な性格というところに関して、総務大臣の認可権というのが残っている。とすると、その公的な性格を持っているところというところが、おそらくかんぽの宿の売却問題に関しても、そういう制約の下で売却すべきだということになっているわけでしょう。だから、ここでこの西川社長の下で売却をしようとしたことに関して、ああいう、いわゆる不祥事というのが発生して、それに対して国民の疑惑を招いたということが問題になっているわけで、もしこれが本当に絶対許されないような不祥事を起こしたのに、社長が経営責任をとろうとしないということであれば、それについて総務大臣が、認可権に基づいて「ノー」というのは当然のことではないかと思います。それを「いや、今後ちゃんとやっていくんだから、株主に対して迷惑かけないんだからいいや」ということで考えられるかと言ったら、おそらくそうは考えられないだろうと思います。そういった公的な性格の部分を考えて、やはり認可ということは残っているわけだから、総務大臣がそういう観点から認可しないというのは、理屈上はおかしくはないと思っているんです。それと関係なく、「財務大臣が100%の株式をすべて所管しているんだから、財務大臣がいいと言えば、総務大臣が口を出すべきではない」とは言えないだろうと思います。

問題は総務大臣が言っている「認可しない」というのは、これが適切なのかどうかというのは、もうちょっと議論を詰めないといけないところで、今問題になっているのは、総務大臣と財務大臣が意見が違っていて、調整不可能になってどうしたらいいのかという話をしているんだけれども、僕はむしろ総務大臣の認可権限というのは、ちょっと本件については無視できないだろう。そうであれば、総理大臣が総務大臣とよく話をして、それで納得するかどうかの話であって、財務大臣は引っ込んでいた方がいいんじゃないかということなんです。

□□ コーポレートガバナンスという観点から、つまり日本郵政は傘下に4事業会社をぶら下げている持ち株会社であるわけです。今回、かんぽである日本郵政、持ち株会社のところで不動産事業売却ということで、そこが問われているわけですけれども、一方でそれ以外にも郵便事業会社での郵便不正とか、傘下の事業会社でもいろいろ起きていると。だから鳩山大臣はトータルで日本郵政グループのガバナンスがなっていないという説明をもって、退任の要求をしているわけですけれども、その考え方はどうなんでしょうか。つまり一説には持ち株のトップに傘下の郵便事業のところまで責任を求めるのは酷じゃないかという考え方もあるようですけども、そこはコーポレートガバナンスという観点から見ると、どうですか。

郷原 やはりそれは連結ベースで、グループベースで考えるのが最近の会社法とか、企業のコーポレートガバナンスの潮流でしょうね。それは別におかしなことではない。やはり、もともとは1つの公社だったものが分割されて、それを持ち株会社として、どうやって全体をうまくマネージしていくのかということは、これはやはり持ち株会社自体の問題でもあるし、しかも私は例の郵便不正事件というのは、日経ビジネスオンラインにも前にちょっと書いたのですが、郵政民営化を進めていく過程で、競争原理を徹底するという前提であれば、もう少し料金設定も自由にしないといけないはずなのに、郵便法という古いスキームがそのまま残っていて、たしか第三者郵便は120円、それから大口割引60円と、その下が障害者割引で突然8円になっちゃうわけでしょう。そういうような硬直的な価格設定のもとで、郵便事業会社側で取扱い数量を確保しろと。受注量を確保しろと言われたって、できないでしょう。それで郵便料金の収入の問題と、量を確保の問題をトータルで考えると、8円という料金での受託にもかなり重きを置かざるをえなくなったというようなところが背景にあるのではないかと思います。そうだとすると、これは郵政民営化という国の政策の進め方の問題であって、ある意味では日本郵政株式会社という持ち株会社の経営方針とか、経営姿勢がもっとも問われる問題と言えるのではないか。そういう意味では、その問題も併せて、社長続投を認可するかしないかという判断の材料にするというのは全然おかしくないと思いますね。

□□ 郷原さんは、例えば今のかんぽの宿の問題とか、例の郵便会社の問題とか、そういうことが起きた結果としての日本郵政グループ全体のコーポレートガバナンスの問題について、これはやっぱり問題があるよねと。今、見えてる事実からしても問題あるよねと。ついては、これは今の企業社会の普通の常識であれば、企業責任をとってもいいような、そういう問題を起こしたのであるというふうに見られるのか、いや、そこまでは行かないよねというような問題なのか、どちらでしょうか。

郷原 私はむしろそういう意味で考えると、郵政民営化を円滑に進めていくプロセスに失敗しているんじゃないか。それは国の方針で始めたことなんだけども、それをやはり全体の企業グループのトップとして着実に、円滑に進めていこうというのは経営者の責務じゃないですか。それが果たされてないのでその過程でこんな問題が発生しているわけだから、やはり責任を問われるのは当然じゃないかと思うんです。その責任の重さの判断については事実に基づいて細かく考えていかなければいけないので、その当否について私の立場ではっきりしたことは言えませんが、鳩山総務大臣が「これは辞任に値する。それを辞任させない、続投させるという判断がおかしい」というのは、それなりに理屈は通っているということです。

□□ これ、どこに真実があるのかむずかしいと思うんですけれども、この制度設計に問題があるとしたら、それを来てまだ2年に満たない西川社長に全責任を被せるということになんとなく割り切れない感じがあるんですよね。
郷原 そうですね。だから、そこは私も今回の問題とか、日本郵政株式会社のコーポレートガバナンス全体について細かく検討したわけじゃないので、西川社長が持ち株会社の社長の立場でいったいどこまでのことができたのかについては、ちょっとなんとも言えないんですが、しかし、基本的にこの郵政民営化のスキーム、その船が向かっていく方向自体がまともじゃないんじゃないかと思われるときに、その船の船長さんなんだから、船長さんはやっぱりしっかりしてもらわないと困る。おかしいんだったら、おかしいってちゃんと言ってもらわないと困るでしょう。それを、そのまま船長として船を操縦してきて1つの方向に舵を切ってきた。その結果、こういう問題が発生しているということは、かなり重大な問題と受け止めてもらわないといけないんじゃないかということですね。

□□ 所感をおうかがいしたいんですけれども。小沢問題の強制捜査があってちょうど丸3ヶ月になるんですが、この間、郷原さんは一方の側に立って、検察捜査について一石を投じて、この間世の中にいろんな論争を呼び起こしてきたと思うんです。その成果、ありやなしやと。この3ヶ月の時点で中間総括を聞かせていただけますか。

郷原 改めて振り返ってみると、3月4日だから、ちょうど3ヶ月前ですか。大久保秘書の逮捕、強制捜査着手の翌日に記者レクをやって、そこで20人余りの人が来てくれて、私が今回の強制捜査の対象となった政治資金規正法違反の事実について、いろんな問題点を指摘した。そのとき記者レクに集まった人のうちかなりの割合の記者の人たちがそれなりのアウトプットを行ってくれた。週刊誌とか新聞、通信社とか、いろんな人がいたわけですけども。それが今までにはなかったような、この種の検察捜査に対する社会の反応につながったということは言えるんじゃないか、そういう意味では私がこの記者レクの場で発言をした意味はあったかなという気はするんです。

もちろん最初は、捜査の状況がまったくわからなかったわけだから、いろんな仮定の下で考えるしかなかったし、基本的には捜査の行方を見守りながらコメントをしていくしかなかったわけです。私は検察の内部の情報はまったく入手し得ない立場で、外からこの事件を見て、考えられるだけのことを考えて、ものを言ってきたつもりですが、基本的には私が外から見て予測したことは、ほぼその通りの展開になっていったのではないかと思います。司法クラブの方々は検察の内部から情報をとろう、とろうとされてたんだと思うんですけども、意外と離れたところから客観的にものを見ていったほうが正確に動きが予測できたという面があるのではないかという感じがします。

一方で、私が検察捜査の問題を指摘して、一方でそれが政治的に民主党の小沢代表の辞任の時期を遅らせることになったとか、有利に働いたという面もあるかもしれないんですが、これはまったく私の意図するところではありません。私は政治的にはいろんな場で言ってますけれども、もともと小沢的政治手法というのは支持しないというか、あまり自分としては評価しないという立場であって、別に小沢さんを延命させようというような意図で発言をしていたわけではまったくありません。私は検察捜査のあり方についてものを言うのは、検察に長くお世話になってきた自分の義務だと思っています。こういうかたちで問題のある捜査がもしそのまま容認されて、その程度の捜査で今後重大な政治的影響が生じさせられるということになったら、日本の民主主義にとっても重大な脅威になるだけでなく、ほんとに検察の組織自体にとってもマイナスだし、後輩たちの、これから良い仕事をやっていかないといけない特捜検察にとっても絶対マイナスだと思うんです。

その問題に関しては民主党の設置した第三者委員会の報告書、たぶん来週ぐらいには公表できることになると思うので、そちらのほうをぜひよく読んでもらいたいと思います。われわれ第三者委員会のほうでは別に特別の新たな調査とかやったわけじゃなくて、公表されている資料――収支報告書とか、あるいは西松検察の内部調査委員会の報告書とか、そういったものにもとづいて改めて今回の事件を見るしかなかったわけですが、いくつかはっきり言えることは、今回の西松建設の事件は、私が今まで思っていた以上に刑事事件として問題があると考える根拠になるような事実が、第三者委員会の事実確認の中でたくさん出て来たということです。1つは、多くの人は西松建設の政治団体から陸山会に対する寄付は2003年以前にも行われていたが時効にかかっていた。2003年以降のものだけが時効にかかっていなくて捜査の対象にされ、起訴された、というふうに思っていると思いますし、私もそうだったんですけども、そうじゃないんです。この陸山会に対する寄付は2003年以降だけです。それ以前はありません。これは収支報告書を調べてみてもらえばいい。2002年までは小沢氏が党首をしていた自由党の政治資金団体、改革国民会議に対して行われていた。その寄付がほぼそっくりそのまま振り替わるかたちで陸山会のほうに行くようになったんです。

ですから、その段階で小沢さんが自由党の党首として民主党に合併したわけですから、合併に伴う事務手続的なものとして、陸山会の収支報告書に西松検察から従来改革国民会議で受けていた寄附を、どう記載するかについて、政治団体だから資金管理団体で寄附を受けても問題ないという判断が行われたと見るのが自然ではないかなと思います。とすると、捜査の最初の段階で言われていた、西松建設の政治団体はそもそも小沢氏への政治資金を流すために、そういったことを画策してつくった団体なんだ、という話はいったいどこから出てきていたのだろう、ということが大変疑問になります。これは少なくとも政治資金収支報告書を見ると明らかです。

『思考停止社会』で様々な分野の事例について世の中が大変誤解をしている問題を書きましたけれども、この西松献金事件もひょっとしたら世の中が大変な誤解をしているのではないかという感じがします。それ以外にもいろいろありますが。その辺は第三者委員会の報告書の中で書くことになると思います。

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