2000年1月3日月曜日

【北朝鮮】 日(自・社)朝3党共同宣言

Ⅰ 自民・社会両党代表団の北朝鮮訪問と日朝3党共同宣言

1 日朝関係改善への動き1965年(昭和40年) 6月22日、日本と韓国は日韓条約諸協定を締結した。

戦後の日韓関係は、これを土台として政治、経済を中心に協力と交流を拡大してきた。条約諸協定の一つである日韓基本条約には、「大韓民国政府は、国連決議195号に明示されているとおりの朝鮮にある唯一の合法的な政府である(1)」と規定されており、これに沿って、日本政府は、韓国の管轄権は朝鮮戦争の休戦ライン以南に限られると解釈した(2)。

当時の佐藤首相は、国会で「朝鮮半島は二つの実質的な権威のもとに統治されている。こういう場合、片一方の国を承認した国は他方と外交関係を樹立しないのが今日までの外交慣例である。

また、国連決議を尊重しており、北とは外交関係を持たない(3)」との発言を行っており、北朝鮮との関係は「白紙」と位置づけた。これに対して、北朝鮮は、日韓条約を無効とし、対日賠償請求権をはじめ諸般の権利を引き続き保有するとの立場を主張した(4)。

こうした経緯から、長い間、日本と北朝鮮との関係改善の環境は整っていなかったが、1988年7月の盧泰愚大統領の「特別宣言」(以下「七・七宣言」という。) を契機として状況は変化した(5)。

日本政府は、この宣言により、国際情勢と南北朝鮮関係の双方で新しい時代が到来したことを確認し、北朝鮮との関係改善に向けて動き出したのである(6)。七・七宣言が出された同日、日本政府は、「関係国とも緊密に協議の上、日朝関係を積極的に進める」、2人の日本人船員が北朝鮮に抑留された第18富士山丸事件(7) の解決を前提条件として、「日朝間のすべての側面について北朝鮮側と話し合う用意がある」との見解を発表した(8)。

この後、1989年3月30日の衆議院予算委員会で、当時の竹下首相が、「朝鮮半島をめぐる情勢が新たな局面を迎えているこの機会に、改めて、同地域のすべての人々に対し、過去の関係についての深い反省と遺憾の意を表明したいと思う。

朝鮮民主主義人民共和国との間においても、朝鮮半島をめぐる新たな情勢に配慮しつつ、先に述べた認識に立脚して、関係改善を進めていきたい(9)」と発言した。この首相の発言は、北朝鮮の正式国名を用いるとともに、過去の北朝鮮との関係について「深い反省と遺憾」の意を表明し、日朝関係改善を進める意思を明確にした点で、朝鮮半島との外交において一つの節目となった。

そして、竹下首相が国会で発言を行った同日、北朝鮮に向けて当時の社会党代表団(田辺誠団長) が出発した。
北朝鮮側は、代表団との会談で、竹下首相の発言を「評価」する意向を示し、日本の国会議員団の北朝鮮訪問を受け入れることを表明した(10)。こうして日朝関係改善を進める環境が整えられていった。

2 自・社両党代表団の訪朝と日朝3党共同宣言

1990年9月24日から28日まで、当時の自由民主党代表団(金丸信団長)、日本社会党代表団(田辺誠団長) が北朝鮮を訪問した。訪問期間中、両代表団は、朝鮮労働党中央委員会の金日成総書記及び朝鮮労働党代表団(金容淳団長)と会談を行った。

この結果、北朝鮮に長期間抑留されていた第18富士山丸乗組員2人の釈放が実現することになった(11)。さらに、同年11月中に国交樹立のための外交交渉を開始することなどを盛り込んだ「日朝関係に関する日本の自由民主党、日本社会党、朝鮮労働党の共同宣言(1990年9月28日)」(以下「日朝3党共同宣言」という。) が発表された(12)。

この日朝3党共同宣言は、8項目からなり(表1参照)、「戦後45年間朝鮮人民が受けた損失について十分に公式的に謝罪を行い、償うべきである」こと、「朝鮮は一つである」ことなどが盛り込まれた(13)。

Ⅱ 日朝国交正常化交渉の歩み

1 3回の予備会談
日朝3党共同宣言の発表を契機に、日朝両政府は、国交正常化に向けた予備会談を始めた。

予備会談は、1990年11月から12月にかけて3回開催され、協議の結果、本交渉の議題として次の4点が確定した(14)。

①日朝国交正常化に関する基本問題、
②日朝国交正常化に伴う経済的諸問題、
③日朝国交正常化に関連する国際問題、
④その他双方が関心を有する諸問題。

予備会談では、北朝鮮側が求める戦前、戦中とあわせて戦後の「償い」問題と北朝鮮に対する「核査察」問題をめぐって対立したが、戦後の「償い」については、②の経済的諸問題で、「核査察」については、③の国際問題で議論す
ることで合意した(15)。
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日朝3党共同宣言(骨子)

3党は、自主・平和・親善の理念に基づき日朝両国間の関係を正常化し、発展させることが両国国民の利益に合致し、新しいアジアと世界の平和と繁栄に寄与すると認め、つぎのように宣言する。

一、過去に日本が36年間、朝鮮人民に与えた不幸と災難だけでなく、戦後45年間、朝鮮人民が受けた損失に対しても、十分に公式的に謝罪を行い、償うべきである。
二、できるだけ早い時期に国交を樹立すべきだ。
三、通信衛星の利用と、両国間の直行航空路を開設する。
四、日本政府は在日朝鮮人の法的地位を保証し、日本旅券の「北朝鮮除外事項」を削除する。
五、朝鮮は一つであり、南北の平和的統一は朝鮮人民の民族的利益に一致する。
六、地球上のすべての地域から「核の脅威」をなくす。
七、国交樹立のための政府間交渉が11月中に始まるよう政府に働きかける。
八、3党の関係を一層強化し、相互協調を発展させる。
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これまでの日朝交渉の歩み
第1回1991年1月30~31日(平壌)
第2回1991年3月11~12日(東京)
第3回1991年5月20~22日(北京)
第4回1991年8月30~9月2日(北京)
第5回1991年11月18~20日(北京)
第6回1992年1月30~2月1日(北京)
第7回1992年5月13~15日(北京)
第8回1992年11月5日(北京)
第9回2000年4月5~7日(平壌)
第10回2000年8月21~25日(東京)
第11回2000年10月30~31日(北京)
第12回2002年10月29~30日(クアラルンプール)
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(日朝3党共同宣言、出典) 以下の資料により作成。
環太平洋問題研究所『韓国・北朝鮮総覧1993』原書房, 1993.8, pp.591-592.
小田川興「日朝交渉の歩みをたどる」『北朝鮮その実像と軌跡』高文研, 1998.9, pp.252-253.

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