2005年6月9日木曜日

【沖縄資料】 下河辺淳氏メモ インタビュー ②



●本土政党と沖縄政党の相違点

江上:最初に前回の続きで、もう一回確認したいことの御説明をお願いして、そこから始めたいと思います。真

板さんからどうぞ。

眞板:前回め部分でですね、最初の方に永田町・自民党と沖縄自民党は、水と油ほど違うんだよというお話が

あったんですが、具体的にどう違うのかっていうことをご説明頂けませんでしょうか。

下河辺:そうすか. ヤマト自民党ってのは、55年体制の中で構築した政党ですよね。だけど、沖縄自民党っての

は、沖縄のことしか考えていないのは当然で、日本が考えることと、沖縄が考えることは、あの当時、非常に差

があったわけですね。

だから、アメリカに対する理解のしかたもぜんぜん違いますしね. あの当時の沖縄っていうのは、むしろ、英語って

いうのものが、かなり大きな役割を果たしていたですよね。日本っていうのは、日米で親しいのに英語に詳しいっ

ていう国じゃなかったでしょ。だから、私なんかが悪口言えば、沖縄っていうのは、チューインガムとチョコレートみた

いな印象なんですね。日本人っていうとコメっていう感じでしょ。そういう点、非常に違うし、そして、しかも、沖縄

自民党っていうのは、米軍相手の仕事で、稼いでいる人たちが、主役でしたからね. だから、県民から言えば、

沖縄自民党っていうのは、なんか敵だったわけですね。

革新系の人たちにしてみれば、あれは日本の経営者じゃないっていうことさえ言ったですよね。米軍になんかたか

りまくって、食ってレ′)る輩だって、いう言い方をしている人もいましたね。

江上:そうですね。その当時は基地依存経済でしたたから、やはり基地からお金を引き出さないと、産業界は成

り立たないっていう状況はありましたから。

下河辺:そういう客観的なこと以上に、積極的にそれで食っている人たち、わかって認めているって入っていう感じ

があるわけでしょ。

江上:そういうので、沖縄の基本的な考え方フていうのは、55年体制でできた本土の自民党とは体質が違って

いたということですね。

下河辺:そうですね。そういう激しい歴史の中に放り込まれちゃったわけですよね。

江上:そうですね。そうすると、当然、考え方が違ってくるわけですから。
224

下河辺:そうです。
江上:沖縄の復帰の問題を巡っても、同じ自民党でありながら、意見の衝突があったわけですよね。

下河辺:さあ、琉球っていうのは、そういう伝統をもっているんすね。侵略者に対して、戦うということよりは、なる

ようになっていくことを自然に任せるんですね。そして、彼ら昼いつでも、必ず侵略者っていうのは去っていくと、信

じているんですね。

島津のときでも、明治政府のときでも、同じように理解したんでしょうね。いろんな侵略者が現れたわけですから

ねえ。無抵抗で歴史を作ってちゃう名人ですよ。

眞板:実は65年に沖縄自民党が、当時、松岡政保主席の与党として誕生するわけなんですけども、その後、

副幹事長なさっていた吉元栄真さんが、主に本土自民党との繋ぎ役というかパイプ役で、行ったり来たりしてい

るもんですから、その間に本土自民党のカルチャーつていうのもが、当然、沖縄自民党にも入り込んでくるだろう

と見てたもんですから、意外だなあと思ったしだいなんですが。

江上:いや、それも入り込んでいるんだろうけど。

下河辺:社会党についても向じなんですよね。

江上:社会党でも同じだということですか。

下河辺:沖縄社会党っていうのはぜんぜん違うんですね。

江上:成り立ちも違いますよね。

下河辺:日米安保と戦うわけですからね。

眞板:当時の本土社会党は、日米安保反対じゃなかったでしたっけ?

下河辺:いやいや、反対ですけども、なんていうんすかね。安保条約として反対するわけでしょ。だから、沖縄っ

ていうのは、なんていうんすかね。平和条約さえ認めていなかったっていう、だけではなくて、彼らとしたら、独自の

生き方をしたいって考えたわけですね。日米安保っていうのはある意味では、反共政策ですからね。

それに対して反共っていう言葉は、沖縄になかったと思いますね。隣に中国があるって認識は強いし、台湾があ

るっていうのも強いんだけども、反共っていう感じじゃないんですね。

江上:アメリカとか日本本土のように、共産主義勢力に真っ向から反対するというのは、沖縄にはあまりなかった


下河辺:もちろん、革新の一部にはいたわけですけどね. だけど、沖縄全体としては、そういうことではなかったと

思うんすね。

江上:あの瀬長亀次郎さんの人民党も、最終的には復帰後、共産党と合流していきましたけども、日本本土

の共産党とちょっと違いますよね。

下河辺:違うんですよ。

●沖縄自民党内にも独立論者が
225

江上:違いますよね;先生もおっしゃったように、最初、人民党は沖縄独立論を主張していましたしね。それで、

本土の自民党と沖縄の自民党もかなり違っていて、その両者をつなぐために先生はいろいろとご苦労なさったと

思うんですが、どういうことでご苦労なさったとかそういう具体的な事例はおありでしょうか。

下河辺:そうですね。なんか、忘れちゃったけど。そうですね。なにしろ、日本から独立したいという過激な人がい

たくらいですからね。

江上:沖縄の自民党内にですか。

下河辺:ええ。

江上:あ、そうですか。革新ではなくて沖縄の自民党の中に。

下河辺:自民党でもそう、でしたね。だから、_遠まわしにいつでも、大航海時代の琉球っていうのは、復帰の目

標であったという、のが、そういう思想を背景に持っているんでしょうね。

江上:それはそうでしょうね。それはありえますね。

眞板:あの、沖縄自民党で独立論を唱えた人のお名前ってご記憶にございますか。

下河辺. :え、なんとかさんっていたなあ。ちょっと忘れちゃった。顔だけ覚えてて、

眞板:小渡さんですか。

下河辺:えっ。

眞板:小渡亨さんですか。

下河辺:小渡さんじゃないなあ。

眞板:小渡三郎か

江上:小渡さんじゃないでしょ。

眞板:確か海軍ですよね。

下河辺:忘れちゃったなあ。

江上:顔は浮かびますか(笑)

下河辺:顔はなんか覚えているんですけど。汚い宿屋でしゃべったのは覚えているんだけど。だめだなあ。

江上:自民党の中に独立論の方がいらっしゃったというのは、初めて聞きました。

眞板:初耳です。

下河辺:そうですよね。

江上:でも、考えてみたらありえますよね。沖縄のいままでの歴史から考えると。

下河辺:東京から行く自民党の人たちの演説っていうのは、復帰をするってことを喜んでいながら、自分の党の

支部になれっていう感じなんですよね。そんな永田町に支配されて、沖縄支部の自民党なんていうことをみんな

喜ばなかったんじゃないでしょうかね。

江上:それは先生もご存知でしょうけども、復帰後もありますね。

下河辺:いまでもあるんですよ。

江上:いまでも自民党の本部と沖縄県連の間では確執がしばしばあって、うまくいくときもありますけど。うまくい

かないことも多い。今度の総選挙の場合もそうですよ。
226

下河辺:ああ、そうですか。

江上:自公路線で、公明党の白保さんを自民党が推すということで、いったん決まって、それは特に東京の方針

ですよね。沖縄は支部と呼ばないで県連と呼ぶんですが、県連はあくまで下地幹部という自民党議員を候補

者として立てようとしたので、それでもめて国の方針と沖縄の方針がぐちゃぐちゃになって、両方、立っちゃったんで

すね。

下河辺:そういうことあるでしょうね。

江上:(笑)いまでもありますね. 一種独特ですよね。他府県だったち中央の意思がこれほど地方で抵抗されると

か、拒否されるというのはあんまりないでしょうね。

下河辺:あんまりないんじゃない。

江上:ないですよね. これはやはり沖縄独特の現象ですね。

下河辺:テーマですね。

江上:歴史があるからですね。

●大学院大学構想の原型は亜熱帯総合研究所

眞板:次は、亜熱帯総合研究所のお話が出てたと思うんですが、下河辺先生の文言とですね、尾身、当時、

沖縄開発庁長官をなさっていた尾身さんが、大学院大学構想を打ち上げたときの文言がですね、世界的な規

模の研究所であるとかですね、世界的な規模の研究者を招くんだとかっていう下りから想像するとですね、もし

かしたら、この大学院大学構想っていうのは、先生のご発案だったんじゃないのかと、いう風に思いまして。

下河辺:私っていうよりも、私が一緒にやっていた野村総研の意見だったんですよね。野村総研っていうとあんま

り正しくなくて、野村総研にいた何とかさんっていった、個人的な提案だったですよ。

江上:福島さんじゃない一ですか。

下河辺:あ、福島さんっていったかな。

江上:そうでしょう。

下河辺:ちょっと、正確に覚えていないな。

江上:大田県政のときに、国際都市形成構想のいろんな調査に係わった方ですよ。

下河辺:ああ、そうですか。

江上:福島清彦さんとおっしやい草したかね。

下河辺:言ったかなあ、ちょっと忘れちゃったなあ、実に熱心に

江上:あの、割りと小柄な方で

下河辺:小柄でしたよね。

江上:割りと丸顔で

下河辺:丸顔
227

江上:そうでしょう。じゃあ、福島さんですね。私はその調査で坂口さんと福島さんと一緒にニューヨークの研究機

閑の視察に行ったことがあるんです。

下河辺:ああ、そうですか。

江上:国際都市形成構想で、彼がいろいろ調査していましたね。

下河辺:ああ、そうですか。

江上:たぶん、それだったら、福島さんでしょうね。

下河辺:そうでしたかね。

● 「亜熱帯総合研究所構想」秘話

巌板:それはも′しかしたら、日米連合大学院大学構想と関連していることですか。

下河辺・:いや、なんかむしろ'ハワイにあったイースト・ウエスト・センターに対して、ノース・サウス・センターつて言

おうっていうくらいに、ふたつを並立させようっていう発想だったですからね。

そしたら、なぜかアメリカがイースト・ウエスト・センターつていうことをあんまり、取り上げてくれないんで、ちょっと止

めちゃったんですけどね。確か、そのあたりの資料はおたくに渡しちゃったから、確かそのなかにあると思いますよ。

江上:そうですね。ありましたね。あとで、調べておきます。亜熱帯研究所は、結局、先生がおっしゃったように、

県の施設なってしまって。

下河辺:県が自分で作っちゃったんですよ。

江上:作っちゃったんですか.。聞いた話によると、県は、最終的に国が面倒をみてくれるんじゃなかろうかと考えて

いた。国がもっと立派なものを作ってくれるんじゃなかろうかと思ったところが、それが途中からぽしやつちゃって、結

局、県が自分で作らざるを得なくなったというような話ですが。

下河辺:それはうそですね。

眞板:というか、何もないところに亜熱帯総合研究所を国立で作るのは、難しいんで、まず、そのう露払い的な

意味合いで、県で何か基盤を作ってくれと、それを突破口にして、国がそこに予算付けして拡充していくから、と

いうような見方を沖縄ではしているみたいですよ。

そしたら、いつの間にか来なくなっちゃったという。

下河辺:だから、それが早合点なんですね。私と橋本さんの間で、橋本さんがいくつもあるうちのひとつを選んで、

これを国でやろうって言ったわけです。そして、沖縄に通知したら、気がついたら県立で作ったって言うから、びっく

りしたんです。県立の研究所を補助するっていうと、日本にたくさんある研究所の補助の一貫でしかないですよ

ね. だから、特別に作るっていうところを県が慌てて作ったために、ただ普通の県立の研究所になっち
ゃらたわけです。

江上:ちょっと、手順を間違えたんですかねえ。

下河辺:_間違えたの。それで補助金を特別に文部省に申請した、なんていう、そんな次元じゃ、補助金ってい

うのはできないよって言って、もう後の祭りだったですね。
228

江上:後の祭りですね。県の亜熱帯研究所はあまりうまくいっていないようですね。

下河辺:そして、国際級の教授を呼ばなければ、意味がないっていうところも、県立なんでだめになっちゃったんで

すね。

江上:そうですね。琉球大学の施設を利用した、こじんまりとした形になって」結果的にはあんまりばっとしない状

況になっています。

下河辺:そうですよ。

眞板:当時もノーベル賞級の学者さんを学長か主任研究員に迎えてっていう話があったそうですね。

下河辺:そうですよ。そうやったら、どうかって言ったら、なんとなく自信がないんですね。そういうレベルじゃ、ないん

ですね. やっぱり、県立の研究所のレベルで、考えちゃうから。

江上:県は、世界レベルの研究所づくりにはちょっと、自信がなかったからでしょうか。

下河辺:そうです。

江上:それで、世界レベルの大学院大学構想を国自らがやるというような形になっていくわけですね。

下河辺:なっちゃった。

江上:それで結局、沖縄とは、あんまり関係ないよと。これは国のものだよというような方向性ができたんですかね

下河辺:そうでしょうね。

江上:はあ、そうか。そういう歴史的な経過があるんですね。

眞板:そうですね。

江上:でもやはり、これまで先生がいろいろと関わられた、そういった構想が合流しながら、大学院大学という構

想になっていっているんですね。

下河辺:なっちゃったんです。

江上:そういうことですね。

●普天間跡利用構想--ヘリコプターネットワーク

眞板:あと、最後なんですが、盛んにヘリコプターのネットワークのお話を普天間の海上へリポートの返還の絡み

でですね、おっしゃっておりましたが、これはもしかしてですね、四全総のなかで謡われておりました、エアコミュータ

ー構想のヘリコプター版というような理解、あるいはアイディアとうことで。

下河辺:いやあ、ヘリコプター版というか、あの三全総、復帰したときの計画では、′小型航空機っていうことがテ

ーマでして、地元から言ってきたわけですね。だから、名護でも1000メーターの滑走路を作うてくれとか、その当

時、日本の離島の飛行場っていうのは、そういう発想が多かったですよね. そして、経営難にみんな陥? ちゃった

わけですけども、だけど、沖縄にはせっかく海兵隊がいるから、その海兵隊のヘリコプターの払い下げを受けて、

安上がりに作ったらどう、つて言ってたんですけどね。
229

江上:面白いアイディアですよね(笑)

下河辺:特に、病院というのを島へ作ること不可能だから、本土の病院へヘリコプターで患者を運ぶっていうこと

を作っといたらいいだろうっていう、話してて、その医療システムには国費を投入してもいいんじゃないかっていうこ

とを言ってたわけですよね。

眞板:先生、素朴な疑問なんですけど、そのヘリコプターで離島がカバーするエリア、沖縄本島を中心に考える

と、いわゆる島尻郡、久米島とか慶良問諸島とかあのへんは、もちろんカバーできると思うんですよね。

下河辺:いやあ、全県カバーできる。

眞板:ただ、その航続距離の問題で、たとえば、南北大東島であるとか、与那国、波照間とい_うようなところか

ら、本島に持ってくるとすると、米軍のヘリでも一回給油しているくらいですんで。

江上:南北大東と那覇は一度に行き切れないの?

眞板:ヘリコプターはちょっと厳しいんじゃないすか。

江上:厳しいの?

下河辺:いやその。

眞板:もしかしたら、行けるのかもしれないですけど。

下河辺:いや、行けると思いますよ。

眞板:あ、そうですか。

下河辺:ただ、給油のシステムっていうのは別なんですよね。特に米軍の場合には、攻撃されないように、燃料

貯蔵しなきやいけないっていうような軍事作戦上のテーマがあるでしょ。だけど、平和でもって病院のことだったら

、病院でもって給油できれば、いいじゃないですかね。

江上:残念ながら、それは実現には至らなかったんですね。

下河辺:いまでも、まだ、それは、やろうとはしているわけです。

江上:ああ、そうですか。

●ヘリコプターネットワークのモデルは海軍病院

下河辺:装置型の医療っていうことができるようになってきましたからね。だから、沖縄の海軍病院が先頭に立っ

て開発してくれてますから、沖縄の海軍病院っていうのが、モデルだって思ってましてね、今でも米軍はベトナム

からカンボジアからフィリピンあたり側へとつながって、なんていうんすか、コンピュータで医療管理することをやって

んじゃなすか。
230

江上:そのくらい大きな拠点が嘉手納の海軍病院なんですか。

下河辺:そうです. それはやっぱり、日本の医療ってのは、そういうものとつながることを好まないんですね。 医師

会っていうのがあって、医師会は海軍病院とは付き合おうとしないですね。

だから、海兵隊にすると、せっかくいるのにもったいない、なんて言っているけども、現実に沖縄本島では、海軍

病院とつながっていませんね。

江上:そうすると、米軍の病院関係者と沖縄や日本本土の病院関係者とはぜんぜんつながりがいないんですね

下河辺:ないというより、しちやいけないんですね。

江上:しちゃいけない、軍の施設だから、というわけですか。

下河辺:軍だからというより、日本の医療体制からはずれたシステムなんですね。

眞板:ただ、最近、県内では年間数名研修医という形で海軍病院に行って研修して。いるみたいですけども。

下河辺:そうですね。研修には行っていますし、見学には行っているみたいですけどね。

江上:でも、共同作業をするというようなところまでは至らない。

下河辺:患者を受け取るっていうことをあまり喜ばないすね。

江上:そうですか. なかなかいろいろ難しいですね。軍の施設といってもお医者さん同士とか病院同士が協力す

れば、いろいろ成果とかあがるではないかと思いますけどね。

下河辺:沖縄の軍というのを小泉内閣が、有事のためとだけしか認識していないからおかしくなんですね. 有事な

んてないって、沖縄の軍は言っているわけですからね。それじゃあ、平和なときに駐留している理由はなんだ、つ

て言ったら、ゲリラ対策もあるでしょうけれども、医療とか研修とか留学とかっていう手伝いをしているわけですね


眞板:どうもありがとうございました。

●一次振計策定について-一補助率のかさ上げ

江上:それでは、本日のテーマに移らしてもらいます。先日、高島さんに質問表・メモのようなものをお渡しておき

ました. というのも、もう既に先生の方から私の方に関連の資料をたくさんいただいているんで、先生は書類をお

持ちにならないわけですから、私の質問してお答えなさるほうもご不自由だろうと思ってそのようにしました.
下河辺:いやいや。

江上:非常にお粗末なメモで恐縮です。でも先生はずっとご自身でやっておられているから、振興開発計画につ

いては、そういうのを見なくても十分お答えなさることができると私は思っているんですけども.。一応、順を追ってl

、沖縄振興開発計画についてお聞きしたいと恩うんですけども。まず、最初にその根拠となる沖縄開発特別措

置法についてですけども。

これは先生よくご存知のように目的は「1、基礎条件の整備をはかる、2番目に、産業の均衡ある振興開発を

はかる」そして、手段として、「1、国の負担または補助率のかさ上げおよび事業主体の特例により振興開発事

業を推進する、2番目に工業等開発地区および自由貿易地域の制度を活用することにより企業立地を推進

するととちに貿易を振興し、もって産業振興をはかる」という風になって、この基本原則を基に、振興開発特別

措置法が展開されているわけですけども、これについては、目的、手段というのを当時を振り返られて、どうです

か。こういう形で、やるしかなかったといいますか、こういう形でやるのが当然であったという風にお考えで。
231

下河辺:当然のように県がこうやって陳情に来たことは確かですね。それで、陳情だから国もそれを受けて、こうい

う特別法を作ったんですね。

江上:これは、ほとんど沖縄側の意向を受けて。

下河辺:ええ。

江上:_こういう形になったという. ことですね。

下河辺:それが私は、非常に疑問に思っていましたから。だから、こういう形でやっぱり、はや、の、県と同じように

やりたいんだなあと思って、受け取っていましたけどね。沖縄はこういう形にはなんないっていう、感じが強かったで

すね。

江上:それは補助金の問題とか、そういうものでしょうか。

下河辺:補助金じゃなくて、産業構造として議論のし直しだと思いましたね。産業って中う言葉が、いったい何を

言っているのか、そして、手段でもって、工業化地区と自由貿易地域っていうような話にしちゃうから、相変わら

ず製造工業のことを振興の中心に置いているんじゃないかって、思うと、無理だろうなっていう。

江上:そうですか。

下河辺:できりやあいいととですけどね。

江上:結果的には先生が当時卜おっしゃったように無理だろうなっという炊祝があったんですね。

下河辺:私はとても無理だと思いましたね。だから、同情してやってくれたのは松下幸之助さんだけでしたよ。それ

で、土地買ったままナショナルは、とうとう工場を作らずに終わっちやいましたしねえ。

●工業等開発地区および自由貿易地区の制度の活用

江上:ということは、国の負担または補助率のかさ上げという手段のひとつですけども、2番目の工業等開発地

区および自由貿易地区の制度の活用というのも、これ全部、沖縄県側が要求したんですか?

下河辺:そうです。いまでも、いまの知事も同じことを要求してんじゃないすか。

江上:そうですね。
下河辺:補助金と制度がよければ来ると思n込んでんじゃないすか。だけど、実績は上がらないじゃないすかね。

それは日本の企業、行きませんよ。
232

江上:これは、_工業等開発地区が当時の全国総合開発計画で、新全総であったものをそのまま、沖縄県に

もってきたわけですね。新全総で日本本土のあちこちで工業等開発地区があるから、それを沖縄県に当てはめ

て、、先生がおっしゃるように、工場の設置を沖縄にも是非やって欲しいというようなことで、こうい~ぅことになった

んですね。

下河辺:そうですよね。

江上:そうですね。ということは、国の方から、こういうものを当てはめてやった方がいいと言ったわけではない。特に

、先生はそうは思われなかったということですね。

下河辺:そうですよ。政府の方も言われるものを全部登録して、検討事項としてやったのが、なんか88項目かな

んかあったりして、それで結論があまりないままに置かれてんじゃないすか。ですから、亜熱帯研究所を設立する

っていう話が、多少、話題になっただけなんじゃないすかね。

イースト・ウエスト・センター・に対するノース・サウス・センターなんかも、もうトラウマになっちゃっいましたしね。

江上:ということは、こういうやり方で、沖縄の産業振興を、工場設置を興そうとしても、先生としては、結果的に

うまくいかないんじゃないかという風に、最初から危倶噂されていたんですね。

下河辺:そうですね。むしろ、現実的に動いているのは観光だけでしたから、200万という目標が達成されて、

300万観光くらいまでいったわけですから、そしたら、いまの沖縄県は、500万観光って言って、それが拡大する

ことを言っているんですね. ところが、どういう観光で拡大するかっていう具体性が、あんまりないから、500万まで

いくのは容易じゃないんじゃないですかね。だから、知事は航空運賃を補助金つけて安くすれば来るなんていう、

話になっちゃったんじゃないですかね。
●沖縄と北海道の振興開発計画策定方式の相違

江上:それで、同じ沖縄振興開発特別措置法の第4条「振興開発計画の決定および変更について」ですが、

、「沖縄県知事が振興開発計画の案を作成し、内閣総理大臣に提出するものとする」と規定されています. そ

れで、「内閣総理大臣は沖縄振興開発審議会の議を経るとともに・・」と続いて、「内閣総理大臣は振興開

発計画を決定したら、これを沖縄県知事に通知するものとする」とあります。それで、振興開発計画の案を作

成するのは、あくまでも沖縄県知事だという風になってい,ます。これは北海道開発庁とはぜんぜん違いますよ
ね。北海道開発庁については、こういう規定はもちろんありませんので、非常に対照的です。これは下河辺先

生から言わせると当然だということですか. 沖縄県側にそれだけ振興開発計画を作る主体性を与えた、というこ

とになりますか。

下河辺:一応、第一次振計ということを沖縄県が、独自に作って、政府に持ってきたっていう経緯から始まっ考

んですね。そして、やっぱり、沖縄県独自に作ったものを政府が、受け取って、それを基本に政府の計画を作る

っていうルールがまずできたから、法律作るときにそれをその通り書いたわけですよね。北海道のように、拓殖って

いうか、国が入植っていうところから始まった、北海道とは違うっていうことは言ってましたね。
233

江上:そうですね。事情が違うっていうことと、それと沖縄の場合は、そういった沖縄自らが振興開発計画を国に

持ってきて、これを実現してくれといった復帰当時の経緯がこういう形になったということですか。

下河辺:そう・ですね-。

江上:それはやっぱり、二次振計でも、三次振計でも同じですか。

下河辺:それはそのままつなげていますから。

江上:そうですか. ということは、国としては沖縄県側から振興開発計画を持ってきて、二次振計も三次振計も

、ほぼその通り受け取って実行したんですか。

下河辺:そうですね。その通りっていうわけには、財政の都合があるからできないわけです。だから、県と相談して

補助金を配りながら、計画の基礎になってきたことは確かですね。

江上:もちろん、計画自体の調整も必要なとことあったでしょうね。

下河辺:それはありますよね。

江上:でも、基本的にはやっぱり、沖縄県側が作ってきた計画を尊重しながら、実施してきたということですね。と

いうことは、ある意味では、最初の一次振計もそうですけども、一次振計もほとんど沖縄側が作っているわけで

すから、二次振計、三次振計も沖縄側が作ったんですから、これがうまくいったかどうかという責任は、ほぼ沖縄

県側にあるということになるんですか。

下河辺:いや、政府だってあるわけです。政府がそれを飲み込んで沖縄対策を国としてもやってきたわけですから

、だから、一番、国も県も困ったのは、日本の企業誘致がうまくいかなかったこと、ですね。

江上:そうですね。

下河辺:それで、観光だけがうまくいったっていうことは、なんか国も県も同じ認識でいるんじゃないすか。
●県内工業団地の現状

江上:ひき続いて、第一次振興開発計画、いわゆる一次振計の中身に入りますけども、まず第1に、一次振計

作成時点での10年後の数値目標は、その当時60%弱の県民所得を80%くらいにする、そして第二次産業の

比率を当時、18.1だったものをこれを29. 7%に引き上げる。

特に製造業の比率を復帰の時点で9. 3%だったものをこれを18. 6%、ちょうど2倍に引き上げるというような数

値目標を決めました。それから、新全総の工場の地方分散、すなわち、企業誘致という手法が沖縄にも適用

されました。72年10月に沖縄は「工業再配置促進法施行令」によって、工業誘致地域に指定されました。
工業等開発地区として、糸満、南風原、読谷、具志川を含めて、11カ所が指定を受けました。糸満工業団

地と中城港湾新港地区工業団地が整備されたんですけども、先生も再三指摘されましたように、うまくいかな

かったわけです。特に、工場誘致は革当強い願望だったっということが、この計画から見てもわかりますけども、ほ

とんどうまくいかなかった。

私、糸満の近くに住んでいましたけども、糸満の工業団地は、いまほとんど住宅地になっていますね。工場とし

ては地元企業のリュ-セロなどが少し、そこに入っていますが。
234

眞板:まさひろという泡盛の会社も入っています。

江上:泡盛の会社も。地元の会社がいくつくらい入っていた? 地元の。

眞板:地元の企業ぽっかりです。

江上:地元の団地がいくつか入っている。あとは、ほとんど住宅街になりましたね。

眞板:そうですね。

江上:新興住宅街になりました。中城港湾の方は、いま工場団地を造ってやっているでしょう。

眞板:そうですね。最近ですと、台湾の企業が沖縄でオートバイを組み立てて、メイド・イン. ・ジャパンで輸出で

きるということで、そういうのが入っている。

江上:いまは、糸満よりもむしろ中城港湾の方が活発だね。

眞板:はい。

江上:ですよね。そういうような状況になって、期待が大きかったんですけれども、そういった工場を立地するだけ

の諸条件が整わなかったということですね。これについて、先生、何かコメントがおありでしょうか。

下河辺:いやあ、まさにこういうことで、新全総としてのやったわ`けですけども、なかなかうまくいかなくて、工業では

もともとの地元の産業の砂糖とビールっていうようなことをどうしようってことさえも、ままならないままになったんじゃ

ないすかね。

江上:砂糖とビールですか。

下河辺:そうですね。沖縄ビールっていうのは、沖縄にとってはひとつの産業でしたからね。

江上:オリオンビールは復帰前からずっとあったんですよね。

眞板:そのはずですが、途中でキリンビール、あれ、キリンビールの技術指導でできたという風に聞いてはいますけ

ど。

江上:そのあと、キリンビールから離れたんですか?

眞板:資本的にはいまアサヒビールですけど。
235

●沖縄開発庁の一次振計の自己評価について

江上:いまはアサヒビールだね。そういうことで、 「沖縄開発庁二十年史」などで、第一次振計についての自己

評価を沖縄開発庁がやっているんですけれども、ひとつは社会資本が確実に整備されたということを言っ,ていま

す。一次産業については、野菜、花井、畜産等作目の多様化の方向に歩みながら、着実な伸びを示した. 二

次振計はもう再三言っていますように、新規工業の立地はほとんど進まなかった。ただ、地元企業は、相応の

検討ぶりをみせたと. つまり、地元企業はそれなりに頑張ったと記しています。でも、特に本土からの新しい工業

の立地がほとんど進まなかった。建設業は、公共投資の増大等により大幅に伸びた。第三次産業として、観光

客が年々、増加し、観光関連産業を中心に比較的順調な伸びを示した. 1971年に観光客は20万人、観光

収入は145億円だった車のが、その10年後、1981年には観光客数は200万近く、193万人になったと記して

います。


10年間で10倍近く伸びている。観光収入はそれに応じて、大きく飛躍して1971億円にまでなったと記していま

す。そして、-人当たり県民所得の対全国格差ですけども、72年度の約57%から、一次振計が終わる81年度

は、70. 7%まで縮小した、つまり、相当県民所得は上がったということを言っています。こう・いう沖縄開発庁の

評価について、先生はどう思われますか。

下河辺:いやあ、まさにこの通りで、第二次産業が計画的に行かなかったっていうことが、問題として残っただけで

すよね。夢一次産業については、コメを作るっていうことの是非論っていうのが、ちょっとまだ検討課題じゃないで

すかね。

江上:昔は、沖縄でもかなりコメを作っていたんですね。

下河辺:そう。

江上:いまはもう、コメはほとんど作られていませんね。

下河辺:いや、復帰のときのテーマは、コメを作ることだったわけですからね. それをやったんだけども、買うはうが安

いですからね。

江上:復帰のときには最初、コメを作ろうとしたんですね。

下河辺:したんです。そいで、土地改良の事業が、さんご礁を潰しちゃうっていうトラブルがあったわけですね。農

地を作るたんびに、土壌が海に流れて、さんごの上にかぶさっちゃうんですね。

江上:それで、途中でやらなくなったんですか。

下河辺:そうです。で、あんまり農地開発はやらないでおこうっていう環境派の連中が強かったんじゃないすかね。

江上:それで、コメ以外の野菜とかを作ろうとしたんですか。

下河辺:小一さな規模のものはやったんすね。

江上:それで、第二次産業が大きな課題だったんですけども、それ以外に第一次振計の残された課題として、

沖縄開発庁はまだ十分に達成されていない課題として、交通施設、道路網の整備、水資源、エネルギー、一

製造業のウエイトが低い、それから財政支出に大きく依存している、沖縄のもつ地理的自然的特性が生かさ

れていない、というようなことを指摘して、そのために二次振計が必要であると、いう結論にになっ七います。残さ

れた課題について、先生は、その通りだと思われますか。
236

下河辺:いやあ、これは表現がこんな風なら、いつでもどこでも同じこと言って大丈夫なんで、あんまり提案した

理由になんないすよね。おそらく、この交通施設っていうのは、鉄道のことを言ってんでしょうかね。那覇から名護

までの鉄道がビジョンだったわけです。

だけど、採算がとれないんですよね. それで、補助金で造るなんていう、話になっていたから、なかなか実らなかっ

たんじゃないすか。そして、むしろ沖縄は自動車の方をいいという意見で、鉄道を熱心にやった連中も、東京に

はいっぱいいましたけども、一結局できなくて、自動車の沖縄になっていますよね。

●モノレールについての評価

江上:モノレールはいま走っていますけど、あのモノレール計画は割りと早く出ましたよね。

下河辺:そうですね。

江上:あれは西銘県政のときに出てきてますね. あれはとうですか。

下河辺:その、空港と街をつなぐっていうことの道具を道路でやるっていうこと以上に、モノレールでやるっ七いうこ

と'に展開していったっていうことがありましたね。特に道路を拡張できなかったっていうか、米軍基地があって、飛

行場に続く道路の拡幅っていうのが、あれ以上無理だっていう話になって、モノレールになっていったわけですけど

もね。

江上:これはやはり、沖縄にとって造ってよかったんでしょうか。

下河辺:造らなきゃ、だめなんじゃないすか。

江上:でも、やっぱり、採算がとれるかどうかについてずいぶん、心配もありましたよね。

下河辺:そうです。.だけど、ああいうインフラっていうのは採算を超えて、やっておくことが県民にとって便利なんじゃ

ないすかね。

江上:最近、私もモノレールに乗りましたけど、空港から那覇の中心街に行くには便利になりましたね。

下河辺:そうですよ。

江上:空港から那覇の中心街に会議で行くときは非常に便利になりました。観光客は首里に行くのに便利にな

りましたね。それで、いまのところ、予想以上に利用客は多いみたいですね。

下河辺:そうですね。

江上:それで、ずっとそのまま推移するといいんですけど、ただ、痕民としてはいまの空港から首里までのルートを

もっと伸ばして欲しいという意見が強いです。

下河辺:そうかもしれないね。

江上:採算の問題があるでしょうけども、できたらやはり公共交通機関としてもっと伸ばして県民の役に立つとい

いですね。
237

下河辺:そうですね。沖縄は水がないですからね。

江上:水が不足して、つい最近まで水の問題は非常に大きな問題でしたですね。

下河辺:特に、建設工事が多くなったために、水っていうものがとても面倒な問題になったんすよね。

江上:そうですね。

下河辺:セメントで工事するっていうのが、ほこりだらけの空気になりますからね. 水をまいていないと、だめなんで

すよ。
●沖縄のもつ地理的自然的特性について

江上:あとは、課題として、沖縄のもつ地理的自然的特性が生かされていないということ」を沖縄開発庁が言っ

ているんですけども、これは・具体的にはどういうことでしょうか。

下河辺:これはどういう意味ですかね。

江上:これは国療交流の拠点になっていないっていう意味ですかね。

下河辺:なんか、地理的自然的っていうと、海って感じでしょうかね。

江上:そうですね。

下河辺:だから、海っていうのが生かされていないっていうことは、飛行機と自動車っていう、ことに対して疑問を

持っているんじゃないでしょうかね。船による観光でも産業でも考えたらどうかっていう意味なら、まさにそうかもし

れませんね。

江上:その点について、開発庁の二十年史にはこのように書いてあります。「我が国の経済社会において、沖縄

が東南アジア諸国との接点に位置し、海外交流の歴史的経験を有していながら、人的・物的国際交流は進

展しておらず、、豊かな太陽エネルギー、広大な海域、多彩な観光資源についても十分に活用されていないな

ど、沖縄のもつ地理的・自然的特性は十分には発揮されていない」と。

下河辺:ま、そういうことなんでしょうね。

江上:そういうことなんですね. 非常にもっと広い意味ですね。先生、おっしゃった、海とかですね、国際交流とか

ですね、太陽エネルギーとか、そういうことなんですね。

下河辺:そうですね。

江上:これは先生も強調されてきた点ですね。

下河辺:そうです。

●復帰8年でコンクリートジャングルになった沖縄
238

江上:先日、私が沖縄に行ったときに、県の資料室を見ていたら、先生が1980年に沖縄県で講演された記録

が残ってました。それは、第二次沖縄振興開発計画に向けて、西銘県政の比嘉幹郎副知事が司会をなさっ

ていまして、阜れで、「第二次沖縄振興開発計画はどうあるべきか、先生の意見をお伺いしたい」と始まってい

ます. これは、県庁の職員を前に先生が講演なさった記録です。そのコどこ'、に基づいてお聞きしたいんですが、

先生はずいぶん長く講演なさっているので全部を網羅することはできませんけども、私が印象に残ったとこだけ話

します1970年に初めて沖縄に先生が行かれて、それから10年経った1980年、一次振計を経て、沖縄がずい

ぶん変わったということを最初におっしゃっています。

「第一に感じたことは、変わったなあという感じだと思うんです。どんなに変わったかというのは、どうも説明しきれない。複雑な気持ちですけども、少なくとも見た景色としては、昔の琉球という景色がなくて、緑も増えたんだけれども、コンクリートが非常に増えたという感じでした。西表に至るまで、建物がほとんどコンクリートに変わった
ということは、復帰後まだ8年なんでしょうが、景色としては異常な変化だという気がします」ということを述べられています。このへんに先生の気持ちがこもっているような気がするんですけども。

ストレートにはおっしゃっていないんですけども、ちょっと、こういう計画でいいのかなあっていう先生の考えが出ているのではないでしょうか。

下河辺:私、復帰するまで、あれだけ通っていろいろやったのに、復帰したとたんに、沖縄が嫌いで、行かなかったんですよ。7、8年行かなかったんじゃないすかね。それはなぜかって言ったら、もうセメントのジャングルでしかないと、これは沖縄のスラム化って言った方がいいなんて言って、嫌だったんです。そしたら、西銘さんがそんなこと言わないで、前どおりやってくれって言って、で、彼は先輩なもんだから、断れないで、またいつの間にか沖縄のこと、考えるようになったんですけども。

いつだったかな。13日だから、. 明日、明後日ですね。宜野湾市長と吉元とふたりが、ここへ来るんですけども、何しに来るのかわかんないんですけど。

江上:ああ、そうですか。

眞板:伊波さんが。

江上:伊波さんが来るんですか。

下河辺:ええ。

江上:革新市長の伊波さんが来るんですか。

下河辺:ええ。

江上:伊波さんと吉元さんが

下河辺:ええ。

江上:革新系のお二人ですね?

下河辺:ええ。それで、何しに来るのか。何か頼みにくるんでしょうね。

江上:そりゃあ、なんか。

下河辺:何か企んでしょうね。

江上:企んでしょうね。企んでいるなんて言っちやあ失礼かもしれない(笑)。 伊波さんが下河辺先生のところに会いに来る用件というのは何でしょうね。

下河辺:なんか13日の夕方来るそうです。
239

江上:そうですか。なるほど、それは楽しみというか(笑)。
先生が最初に沖縄に行かれたのは1970年ですが、私が琉球大学に赴任したのが1977年です。先生の7年後ですけど、私も沖縄の第一印象として、やたらとコンクリートが多いなと感じました。昔の琉球の建物が非常に少なくなっていて、沖縄の街が美しいという感じがあまりしなかったですね。琉球大学そのものも拡大に追いつかずに、プレハブの建物が多かったです(笑)私の研究室もプレハブでした。講義室もプレハブという始末でした。スペースが狭かったからしょうがなかったんですが。

下河辺:コンクリートにした理由が、台風が年中来るたjLJびに、屋根が飛ぶっていうことが問題だから、コンクリートにしたっていう理屈になってんですね。

江上:そうですね。

下河辺:だけど、それはとても疑問で、風が吹いて屋根が飛べばいいじゃないのと。翌日には、もうちゃんと直して暮らしているよって言ったんだけども. そういうことをやる経験と能力が、若者になくなったんですね。だから、屋根が飛ぶと、なんか建設業に仕事をだすようなことになったから、ちょっと、やっぱり、壊れない家っていうテーマになっちゃったんでしょうね。

江上:赤瓦の屋根で覆われた沖縄独特の建物が非常に少なくなりましたね。

下河辺:なくなっちゃったでしょ。

江上:なくなっちやいましたね。でも、あの赤瓦の屋根は台風には強いはずですけどね。

下河辺:強い。

江上:あの屋根は大きくかぶさっていて。

下河辺:そうそう

江上:だから伝統的な沖縄の家は台風に弱いっていうのは、私、解せないんですけどねえ。

下河辺:弱いっていうかな。あの瓦でも、修理が簡単っていう意味なんですよね。

江上:修理が簡単なんですか。

下河辺:壊れないって意味じゃないんです。

江上:コンクリートのブロックの家の方が修理が簡単なんですか。

下河辺:いやいや、昔の琉球の家

江上:昔の家の方が修理が簡単なんですか。

下河辺:簡単。だから、壊れないっていうテーマよりも、修理簡単っていうテーマでやったわけですよね。それが修理可能っていうんじゃなくて、壊れないっていうテーマにしたら、壊れたりするからちょっと混乱してるんじゃないすか。

江上:なるほど. 風景としては、コンクリートの塊りっていうのはあんまりいい風景ではないですね。

下河辺:まあ、せっかくの沖縄、無責任な遊び人の私にとっては、つまんないですねえ。食い物も東京並みの食い物が一番いいなんていう、話を聞くとがっかりするんすね。飛行場降りて車に乗って、ホテルへ行って、東京と同じめし食って、海に行かないで、宿の中のプールで泳いでいるってのは、つまらない沖縄ですね。
240

江上:そうでしょうね。先生から見ると特にそうでしょうね。でも一応、先生はおそらくこの当時、沖縄に対してお世辞をこめてでしょうけども、「いま来てますと、非常に大きく変化し、発展してきてるなあという気がいたします」と言っていますけど(笑)

下河辺:これは本当を言ってんですよ。良い方か悪い方かは言わなかったんですよ。

江上:それは言わなかった(笑)。

下河辺:変わっちゃったっていうのは、ある意味で嫌味なんです。

江上:嫌味なんですね。読みながら、私はここで笑っちゃったんですけども。

眞板:先生が一番最初に行かれたころは、沖縄の伝統的な家屋、赤い瓦を薫いた家とか、那覇市内にかなり多かったんですか。

●沖縄の芝居小屋の思い出

下河辺:多くありましたね。芝居なんか見に行くと、沖縄の芝居っていうのは、まったく言葉、われわれにはわかんない。いま、そういう芝居小屋なくなっちゃったんじゃないすかね。あの当時の。

眞板:少なくなりましたね。

下河辺:ですね。

江上:まだ、あるの?

眞板:仲田幸子劇場は、まだ健在です。

江上:仲田幸子劇場は小さな家みたいな建物でしょう。

眞板:そうです。

江上:先生のいう劇場は、ちゃんと芝居小屋みたいに構えてあったんですよね。

下河辺:そうです。

江上:それはいまではほとんどなくなったでしょう。昔はダイエーの近くにもひとつありました。

下河辺:中国で京劇観んのと同じで、沖縄劇観ている上、字の解説が幕に書いて垂れ下がるんですよね。それで、私なんかは何やっているっていうのが、わかるっていう。

江上:つまり日本語が書いてあった。

下河辺:日本語が。

江上:日本語の幕がぶら下がっているんですね。そうでないと私らはぜんぜんわかりませんしね。ストーリーが(笑)

下河辺:ぜんぜん、わかんない。

江上:わからない。

眞板:そういうのは、旭橋の郷土劇場に全部、集約しちゃったんじゃ。

江上:郷土劇場がひとつだけありますね。
241

眞板:あと、ちょっとしたこういわゆるスナックみたいな、大箱のスナックで簡単な劇も見せますよ、音楽も聞かせますよというのは残っています。

江上:飲み屋みたいなところね。

下河辺:飲み屋じゃなくて、ちゃんとした芝居小屋で、見せてもらったけども。 言葉ぜんぜんわかんなくて、解説が出て面卓かったけど、中身は見てても非常に面白い劇で、面白かったですけどねえ。なんか瓦を作る職人の労働者の話で、手とか足が泥で色がついちゃって、誰が見てもあれは瓦職人ってわかるっていう姿になってんですね。 で、その連中は女郎を買うことを女郎が拒否していたんですね。それを何とかして女郎と付き合いたいって言って、夜、夜中に忍び込むんですね。そしたら、女郎は自分を訪ねて来てくれたっていうんで喜んで、付き合ったらぐっすり寝込んじやって、朝起きたら隣りに寝ている男が、瓦職人だってわかって、飛び起きて怒ったっていうシナリオの芝居だったんですよ。それをみんな見ながら大笑いして、見ましたね。

江上:いろいろたくさんあ・りますよね。出し物が。

下河辺:そういう出し物いっぱいありましたね。

江上:そういった沖縄の芝居小屋がいくつも昔あったんですよね。

下河辺:そうなんですよね。

江上:それがもうどんどんなくなって、最近はお盆とか旧盆とか旧正月でテレビでやっていますね。

眞板:はい。

江上:いまはテレビでも見られるんですね。

下河辺:いまはもう、ねえ、テレビができちゃったから、わざわざ芝居小屋まで行かない人は多いでしょうけどね。ああいう伝統芸術っていうのは面白いですよ。

江上:その当時はおそらく、沖縄の言葉をしゃべる方もとっても多かったでしょうね。

下河辺:多かったですよ。みんな、聞いていると笑っているんすからね。周り見ると笑わないの私ひとりなんですよ。

江上、眞板:(笑)。

江上:そうですね。もういまは、沖縄の言葉しゃべる人が少なくなりました。いまの若い人はしゃべれなくなりましたね。

下河辺:そうでしょうね。

●国際性を失った沖縄

江上:先生のこの講演の中で、沖縄は農業が非常に大切だとおっしゃっています. やはり沖縄らしさとか、沖縄の特性というものをどうやって、うまくつかまえるかということが大事だと強調されています。それと、島おこしですね. 島おこしがすでに始まっていた。

島おこしは、八重山あたりから始まったんですね。
242

下河辺:なんていうか、南の島々が最初に議論になりましたね。

江上:ええ、そうですね。島おこしが沖縄から起こって、それが結局、大分県の平松知事の村おこしという言葉になっていく。そうした島おこしが沖縄で始まっているけれども、これをもっと進めていただきたいと先生は、おっしゃっています。

下河辺:そうなんです。

江上:それから、那覇について、「那覇というのは日本の都南の中では、地方都市として非常に国際性の高い都市である」という風に言っていいんじゃないかと。「だが、復帰後8年経って那覇を歩いてみての感じだと、復帰帝に琉球政府当時に感じていたことと比較してみて、著しく国際性が欠けてきている」という風におっしゃっています. -だから、「復帰することによって、国際的なひとつの素質というものを那覇は失うてきているんじゃないか」
ということおっしゃっています。先生はどういう面で那覇は国際性を失っていると感じられたのですか。

下河辺:いやあ、つまんないことから言えば、最初に行ったころは、国際通りなんてのがあって、英語のお店でしたよね. ですけども、国際通りもなくなった感じだし、英語が通じなくなったし、つていうことあんじゃないすかね。

江上:それは、とりたてて本土と同じようにする必要なかったんじゃないかということですか。英語の看板があって、英語を使っていたままでもよかったんじゃないかということでしょうか。

下河辺:誰を相手に生きるかっていうときに、アジア全体の人とともに生きるっていう沖縄だとしたら、共通語は英語じゃないすかね。だから、台湾の人とさえ、英語で付き合うはうが、ずっと親密にいくんじゃないすか。中国の福建省とも英語で大丈夫なんじ示ないすかね. だから、英語が通じる街っていう国際性を失ったのは残念ですね。

江上:そういう意味だったんですね。

下河辺:それが最近、インターネットとかパソコンがだっと入ってきたら余計そう思いますね。沖縄ではパソコンやインターネットは、もう英語でやったらいいですよね。

江上:いまの大学院大学構想も、もちろん講義は全部英語でという手とですので、それを受けて、いま琉球大学でも講義の半分は英語でやろうと計画中です。

下河辺:あ、そりゃいいですね。

江上:ところで、一次振計の成果をみて、ちょっと沖縄がいびつになっているなと先生は嘩じられた。いわゆる沖縄の伝統的なもの、あるいは国際的な要素というのが、生かされていないとお感じになったわけですね。

下河辺:そうですね。だから、沖縄の人材っていったら、英語と日本語と中国語と3カ国語を自由に使える人が人材だっていう、こと言ってたんですね。
243

●二次振計の特徴-1失業率の高さを特色に

江上:それで、一次振計が終わって、次に第二次振計に進むわけですけども、所得格差はほとんど一次振計が終わった時点(1981年)とあまり変わらない。基本的には、二次振計は一次振計を受け継いで社会資本の整備をやっていく一方で、沖縄の経済社会の自立的な発展というものを模索していくという状況になります。二次振計の特徴としては、先生はどういう印象をおもちでしょうか。

下河辺:三次振計のときの問題っていうのは、もう業績が上がった観光っていうことが、非常に大きな討論になっていたわけで、あとは第一次振計と同じようなことを言っていたわけですね。したがって、-人当たりの所得についても、目立った特色っていうのはなくて、だいたい維持できているっていう程度。ただ、失業率の問題だけが、非常に討論になって、失業率が高いことが問題だっていう、ことが常識的に言われて、いかにして失業を減らすかっていう議論だったんですけれども、私自身は、失業率高くないと、その日本が失業率が低すぎるんであって、失業率っていうのは7、8%っていうのは、もうあっていいテーマだってことを言ったんで、失業率の高いことを問題にした人たちに、だいぶ、叱られたことがありますけども。

沖縄の特色っていうのは、失業率が大きいっていうことに特色を求めてもいいんじゃないすかね。青年たちが、生きていればいいっていうか、自分の好きなことをやって生きていける島っていうことが大切なんですね。

江上:失業率の高さが沖縄のライフスタイルの表れでもあるんですか。

下河辺:ええ. ちょっとアルバイトすれば食えるっていうのは、いいですよね。だから、失業っていうのが、ドイツなんかと議論しても、失業率の定義が違うから、国際的な比較ができないんだけれども、やっぱり、失業率づていうのはある水準で高いはうが、労働市場が豊かなんですね。

江上:労働市場が非常に弾力的になるってこと_ですか。

下河辺:そうですね。その会社の方の都合じゃなくて、働く側の都合で動く社会っていう意味で、面白さがあるんですね。

江上:でも当時は、それを言ったら沖縄の人から、相当、怒られたでしょうね。

下河辺:いやあ、労働組合なんかにだいぶ叱られちやいましたよ。

江上:沖縄の失業率は本土の失業率の2倍あってずっと5%を超えていた。「5%失業率超えたら、ヨーロッパでは、革命が起こるっていわれているんだ」と比嘉幹郎先生が当時、おっしゃっていたことを思い出しました。

下河辺:いやあ、それは労働組合が、そんなこというのはおかしいじやないかと。失業率が高くてこんなにうれしそうに豊かに暮らしているんだから、どっか考え方が、間達っちやってるんじゃないかって言って、吉元たちがやっている労働組合の会議で言ったから大騒ぎしたけども、なんか一人の組合の人が、いやあ先生実は、困ってんのは、失業率が高くなると組合の組織率が下がるっていうのは、変なもんですねえって言んすね。失業者が増えたら、緊張感があって、労働組合が組織力を発揮するときだと思っていたら、逆だっていうんセすね。組合に関心を持つ人がいなくなっちゃうとは、夢にも思わなかったって言って、そりゃそうでしょうねって、大笑いしたことあるんすけどね。

江上:確かにその当時、先生が指摘されるようにこ失業率が高いことはいい面もあるんだという意見を言う人はいなかったでしょうね。

下河辺:いなかったですね。

江上:いまではそういう意見も増えているのでしょうか。

下河辺:たまにいますけどねえ。

江上:いまでも少数意見なんですね。

下河辺:そうですね。労働市場をやっと労働者側が取り上げたのに、経営者に返しちゃうような発言しないほうがいいよって言ったから、みんなにちょっと叱られちゃった。

江上:ところで、観光の問題を相当議論したと先生はおっLやいました。沖縄の観光どうすべきか、沖縄の観光を良くしようと思うんだったら、観光の質を変えるべきだとか、そういう意見がいろいろ出たんですね。

下河辺:観光の質を良くすればいいのに、どうも従来通りのほうへ巨額な投資をして、お客を迎えようっていう体制ができちゃいましたよね。

江上:そうですね。

下河辺:立派なホテルがいっぱいできて、驚いちやいますね.

江上:第一次振計で社会基盤を整備するた釧こ沖縄では建設業者は増えました、それで二次振計や三次振計がそのように増えた建設業者を支えるためにも公共工事をやっていかざるを得なかった部分もあるんではないですか。

下河辺:それはどうですかね。もうちょっと、実証的に見ないと、結論が出ないすね。いまの若い人みたいに、筋肉労働者として、建設工事をやっていう′ことを好む青年いないんじゃないすか。もっと、ボタンでも、押せばできちゃうような建設業の方がいいんじゃないすか。建設工事のコンピュータ化っていうことが、いま、非常に重要になって、日本の建設業者、みんなそっちへ向いて、努力しているけども、沖縄の方がそれを一番最初に取り組んだって言ってもいいんじゃないすか。

江上:そうですか。

下河辺:ええ。

江上:コンピュータ化ですか。

下河辺:米軍がいましたからね。米軍の工事っていうものを真似ていく状態で、やっていったわけですからね。

江上:それで建設工事のハイテク化は沖縄の方が進んでいたということですか。

下河辺:そうですよね。日本の建設業自体が戦後、米軍の工兵隊に指導されているのが多いですからね。なんか、時間短く、コスト少なく、コンクリート打つなんていうのは、米軍の軍事の必要性からきていますからね。攻撃するときに、砦を造りながら進むわけですよね。

日本の大きなダムなんっていうのは、みんな沖縄海兵隊のなんか仕事の技術を学んだことが多いんじゃないすかね。
245

●三次振計について

江上:そうですか。それでは次に、第三次振計の話になるわけですけども、第三次振計の特徴としては、自立化を目指した産業育成と南の交流拠点形成というのが全面に出てきて、強調されているようの思えます。先生はどうお考えでしょうか。

下河辺:それはもちろん、このふたつが柱ですけれども、柱で思ったことは、商っていうのは、途上国相手っていう意味ではなくなったんですね。むしろ、沖縄を中心とした300キロ圏とか500、600キロ圏とか1、000キロとか3000キロっていう圏域で交流拠点になるっていう発想を生かそうとしたわけですね。

江上:それと、交流の範囲がずっと広がったんでしょうね。

下河辺:そうです. 広域圏を狙ったセンターにしたかったわけで、これ米軍との関係でそういうことが、可能性がとても高くなったときなんですね。

江上:そうですか。

下河辺:アメリカにすると、沖縄拠点という意味は、東南アジアっていうんじゃなくて、だいだい5000キロくらいのエリアは、沖縄拠点って考えていたわけでしょうね。

江上:5000キロというと相当なエリアですね。沖縄と東京の間が1600キロですからね。

下河辺:そうですよ。

江上:3倍くらいありますね。それで、自立化を目指した特色ある産業の振興というのは、具体的なものはどのようなものがあるのでしょうか。

下河辺:なんか、私たちが議論した、ときには、いわゆる重厚長大の工業ではないということは、ちゃんと言おうとしましたね。一時そのもくろみもあったけども、みんな失敗して、重厚長大ではないと。そのた釧こ、一気に飛んでハイテク型のセンターつていうことを郵政省なんかはじめとして、言い出したわけだけども、あまり成功していないと. いうことで、むしろ、文化、伝統、自然界境っていうようなことをテーマにした産要がいいんじゃないかっていうことを第2の柱として言いましたね。

だから、沖縄は平和な自然が豊かな文化的な島であるっていうビジョンの基に、ビジネス化を図ろうっていうことを言ってたと思うんですね。

眞板:具体的にはどういう産業なんですか。

下河辺:染物でもそうだと思ったし、音楽もそうじゃないかと思ったり、いろんな沖縄の伝統的なものをもう一度生かしていこうっていうことは、まず最初の議論でしたね。

眞板:これは外から人を呼び込んで、たとえば、染物を売るとか、あるいは音楽を聞かせるということなのか、それとも、県外や海外に出てって、それを興行として外貨なり、本土でお金を稼いで帰ってくるという意味合いなんですか。
246

下河辺:お金を稼いでくるってことでもないし、お客を呼ぶっていうんでもなくて、国際市場に貿易として広めていくっていうことですよね。だから、香港とかシンガポールとかでお店を持つとか、中国にお店を持つっていうようなことまでやろうとしたわけで、中国との関係じゃ、蓬莱経済圏なんていうことをとても楽しみに議論_したものせすよね。

江上:当時、梶山官房長官が沖縄に来てよくその話をしていましたね。

下河辺:ええ。

江上:三次振計の文章としては、「豊かな亜熱帯・海洋性自然と特有の伝統文化と歴史的蓄積を活用した国際的リ′ゾ-ト観光保養地域の形成」というのがありますけれど、このへんは観光の質の転換ということを意識した文言でしょうか。

下河辺:山形県が雪国の環壕で年寄りが暮らしていくの大変だから、沖縄にレジャーと同時に、リハビリっていうことで、人々を沖縄に連れて行くっていうことをやって、沖縄と提携したことがありましてね。
江上:ありましたね。

下河辺:沖縄の人は雪を見たことがないんで、山形の雪を見に来ませんかっていう、ことをやったときもあって、リゾートっていうのはそういう形で、そういう展開すると良いんですけども。最近じゃあ、カヌチヤでなんか、春山さんっていう特別な人が、なんかプロジェクトを持ち始めたのを、ちょっと参加して楽しんでますけどね。カヌチヤっていうようなプロジェクトが成功するのは、沖縄のなんかの独自開発とかレジャーとか健康って意味ではとてもいいと思いますね。

江上:カヌチヤのプロジェクトっていうのは、そういう総合的なプロジェクトなんですか。

下河辺:総合っていうより~も、なんていうんでしょうかね。年寄りのリハビリセンターつていうところから始まったわけですね。だけど、年寄りだけの島にしちゃったら、活力もなくなっちゃうから、若い人も年中遊びに来るような、地域を作ろうということで、なんか沖縄県の建設不動産業者と一緒になってやってんのは、いいプロジェクトですね.
江上:そうですか。そういうのがもっとあちこちで展開されるといいですね。

下河辺:いいです。

江上:一般の人々が沖縄にやって来て長期滞在セきるような、そういう工夫がなされてきている。

下河辺:′そうです。

寅板:西銘さんの県政の末期のころだったと思うのですが、いま先生がおっしゃった、その保養所とか療養所みたいなものを沖縄に全知集めてくるっていうプロジェクトがあったような記憶があるのですけど。各都道府県、他府県と組んでですね、保養所をやんぼるのほうへ作ったりとかですね、いくつか話はまとまりかけたっていう、ことが西銘県政の県政の末期くらいにあったと思うのですが。

下河辺:西銘さんのときに、いま言った山形との話が、できたり、いろんな地域とやろうとしたんですけどもね。だけども、そんなにうまく発展しませんでしたね。それはなぜかって言うと、そういうのは行政に邪魔されたくないっていう年寄りの方が多いんじゃないすかね。だから、もっと民間企業が呼んでくれれば、行ったりするんじゃないすかね。
247

江上:行政がや. ると窮屈なんですかね、いろいろと。

下河辺:ルールができちゃうでしょ。

江上:ルールができると面白くなくなる。

下河辺:面白くないし、自由じゃないもんねえ。

江上:不自由になっちゃうんですよね。それであまり発展しなかったんですね。

下河辺:自分の好きなようにやりたいって言って、観光業考が上手にやってくれれば、一番うれしいわけだし、文句も言いやすいですよね。

江上:民間でカヌチヤみたいにどんどん展開してくれるといいんですね。

下河辺:いいと思いますね。

●三次にわたる振計の評価

江上:行政主導では、限界があったわけですね。

ところで沖縄振興開発計画全体としては、一次振計、二次振計、三次振計を振り返ってみられて、まあまあうまくいっていったのではないかとお考えでしょうか。

下河辺:私たちはこういう仕事の専門家だから、成功したことに対する思いがないんですよね。うまくいかなかったことだけが、残っちゃうっていう不幸な生活ですね。

江上:(笑)そうですか。

下河辺:自慢話って言うのは、ぜんぜんなくて、なかなか思うようにいかなかったなあっていう苦労話ぽっかりですよね. 仲間が集まっても。

江上:そうですか. そうでしょうね. でも復帰後の沖縄は、日本のはかの地方よりもいまは経済的にもいろいろ盛んでいいんじゃないかと、以前に少しおっしゃっていましたが。

下河辺:大航海時代の琉球に戻ってきたっていうことが、私にとっては一番うれしいことで、島津にやられ、明治政府にやられ、太平洋戦争でやられ、いうことで動いていったでしょ。その間、無抵抗主義でずっと耐えてきたわけですもんね。これからいよいよ、琉球らしさっていうのを発揮して、県民の自由が保障されるのが一番うれしいですよね。

江上:そういう条件がいま沖縄では整ってきたということでしょうか。

下河辺:そうそう。
248

● 「下河辺メモ」について

江上:そのように先生はお考えなんですね。是非そういうようになっていくことを私たちも切に願っています。それでは次に、話題を変えまして、一番大事なテーマなんですけども、普天間問題に移りたいと思います. 先生、普天間に深く関わっておられたので、たくさんの資料が手元にありました。先生からそのたくさんの資料を見せていただきまして、初めて私は「下河辺メモ」という存在を知'りました。この「下河辺メモ」については最近、「新しい時代を迎える国土計画に関する考察--21世紀の人と国土-」(国土計画協会、2003年1月)に掲載なさっていますね。このメモについては、はかに御厨先生たちのオーラルの記録、「沖縄問題の同時検証プロジェクト」にも言及されてい. ます。この同時検証プロジェクトの先生のオーラルは、まだタイム・カプセルに入ったままなんですか。

下河辺:いやいや、それがそうなんです。

江上:そうですか。

下河辺:発表できないって考えてたんです。

江上:ええ。

下河辺:橋本内閣のことがあったりして、政府がやらなきや、私が勝手に発表しちゃいけないっていうんで、カプセルって言葉使ったんですけども。

江上:ええ。

下河辺:意外ともう早く出しちゃおうっていうことになったんで、

江上:じゃあ、これはもう出てるんですか。

下河辺:もう出ちゃってんです。

江上:そうですか。

下河辺:もう誰にでも見せてます。

江上:公開してもいいわけですね。

下河辺:はい。

江上:どうもわかりました。ありがとうございます。

下河辺:いまはもう公表しちやいました。

江上:そうですか. 先生の下河辺メモっていうのは新聞に出ましたか?

下河辺:出てません。

江上:出てませんよね。私も見た記憶がありません。

下河辺:ずっと、公表しないでいましたから

江上:そうですね。

下河辺:それで、御厨さんの研究会で初めて公表しちゃった、いうことです。だから、記者に対して、記者レクっていうのはやってませんから、出ないんでしょうね。

江上:出てないですよね。そうでしょうね。私の研究にとっては非常に貴重なメモを見せていただいてありがいです。

下河辺:いままで、誰にも見せてないんですiナビ。もういまじや、秘密にする必要ないと思います。

江上:そうですか。ありがとうございます。それでは先生のオーラルである「沖縄問題の同時検証プロジェクト」も公開されているんですね.

下河辺:はいそうです。
249

江上:それで、普天間の問題ですが、これはいうまでもなく非常に重要な問題であり、先生の果たされた役割もすごく大きかったことは、私も沖縄にいた当時、よくわかってたんですけども、このメモを見まして、私が想像していた以上に、先生の役割が大きかったということを痛感しました。

この沖縄問題では相当ご苦労をなさったと思うんですけどもここの話をぜひ伺いでたいと思います。御厨先生達のオーラルヒストリーがありますけども、これは直後のものであり、それから、7年経過し、その間にいろいろなことがありましたので、先生の見方も、あるいはコメントも少し変わったところもあるかもしれませんので、そういう意味で改めて、代理署名問題や普天間問題について先生のご意見をお伺いしたいと思います。

下河辺:そうですね。普天間っていうのは、ちょっといろいろ議論したらいいと思います。

江上:そうですね。先生のオーラルヒストリーを作られたときに、先生が作成された年表があります。

下河辺:ああ、この一年間ね。

●普天間との関わり

江上:そうですね。この年表の最初に、「3月4日、官房長官」とあります. 梶山官房長官ですよね。

下河辺:ええ。

江上:このときから、先生が、普天間に関わることになったということですね。

下河辺:そうです。

江上:それまでは、まさか沖縄の普天間問題に関わるとは先生は夢にも思っておられなかったんですか?

下河辺:いやあ、ぜんぜん、思ったこともないし、だいたい私は、軍事については、関係していないって言ってたんで、だけど、この普天間については、ずいぶん、いろいろと議論させられました。

江上:で、梶山官房長官が突然、先生のところに来られて、、何とかしてくれとおうしやったんですか。

下河辺:いやあ、そうなんですけども、その最初に来たのは、普天間の移転先のそのプロジェクトをアメリカのある業者が、梶山さんへ送ってきたんですね。で、それをちょっと見て、専門的に評価して見てくれって言われたから、会らたんです。

江上:ああ、そうですか。じゃあ海上∧リポートのプロジェクトの

下河辺:そうです。
江上:そのプランが持ちこまれて、それについて専門的な立場から先生が意見を求められたわけですね。

下河辺:そうです。

江上:それが始まりですか。
250

下河辺:それで、みんな反対とか何とか、ごちゃごちゃ、したもんですから。それから梶山さんと沖縄問題で、なんかときどき会うことになっちゃったんですけども。

江上:3月4日っていうのは、プロジェクトの問題でですか。

下河辺:そうです。そうです。

江上:そうですか。

下河辺:そうです。

眞板:その民間業者って、ベクテルですか。

下河辺:ベクテルですね。

江上:橋本首相の海上へリポート案はまだあとですよね。

下河辺:あとです。

江上:あとですよね。はああ。それがあとになlってつながっていくわけですね。

下河辺:そうです。

江上:はあ、はあ、そうですか。

下河辺:そして、どうも私はアメリカの業者が来たのも沖縄海兵隊とそのプランを調整してから来たような気がしてんですね、 いまだに。沖縄の海兵隊っていうか、普天間基地っていうのは、移転しないわけにはいかない、軍事上の問題でしかなかったんですね。住民のためとか、、そんなことではないんですね。普天間基地が軍事的に陳腐化しちゃって、新しい装備に切り替えたいっていうことを考えたときに、いまの基地を工事期間中、空白ができるのが怖いから、そのまま普天間を使いながら、新しい新装備の基地を造るっていうことを米軍自体が考えたんですね。だから、移転じゃないんですよね。重点装備なんです。で、そのときに、もう新しい意味では、滑走路なんかそんな1000メーターもいらないっていうことになったんですね`。

それで、レーダーなんてぜんぜん古くて、話に何ないで、アジアの平和のために、普天間を移転して新しい装備された基地を造りたいっていうのが、海兵隊の意向だったんですね。

江上:それが先生が普天間と関わるきっかけなんですね。

下河辺:そうです。普天間を見に見学に行って、将校と議論していて、私が見て素人なのに、ずいぶん古ぼかしい技術をいまだにやってんですかって言ったら、先生のような人には見せたくなかったと、それは軍事上たいへんなことになりますと.。

そんな機能しないってわかっちゃったんなら、アジアで困るって言うんですね。やっぱり、一刻も早く普天間から、引っ越して、新しい基地を造りたいって一所懸命言っていましたよ。

江上:そうですか、なるほど。米軍から見ると、それだけ普天間は老朽化してたんですね。

下河辺一:老朽化して。

江上:使い物にならない。

下河辺:とっても無理だった。

江上:そうですか。彼らからするとやはり新しい基地に取り替えたいというこ上ですか。

下河辺:そうです。で、そんなもめているうちに、台湾も朝鮮も、なんだかそんな危険な状態じゃ、なくなってきたから、仕事が遅れていっちゃったわけですよね。いまだに、なんかすっきりしないでしょ。
251

江上:すっきりしないですね。いまだにすっきりしない。それで、この最初の「3月4日、官房長官」とあるのは、御厨先生達のオーラルによりますと、代理署名の問題で官房長官から呼び出しがあったようになっていますが。

下河辺:ああ。

江上:3月4日官房長官から突然、、呼び出しがありまして、沖縄の問題が大変になことになったというので、沖縄の問題について考えを述べて欲しいというような要請があったのですか。

下河辺:そうです。

江上:海上へリポートはいまのお話のあとですね。

下河辺:このへんまで言うと、8月28日の最高裁の判決を巡って議論してたわけです。

江上:海上へリポートのですか。

下河辺:そうです。

江上:あ、それはその頃なんですね。

下河辺:ですから、これが裁判が判決を出すのが、決まってたんで、どんな判決が出るかっていうことで、議論したんですね。

そうすると、これは明らかに安保条約からみて、沖縄県の負けだっていうことがわかってたんですね。だから、これに負けたっていう前提のもとで、沖縄の基地問題をどうしようって議論をしはじめたのが、3月の5日くらいからなんです。

江上:3月5日くらいからその裁判の問題ですね。

下河辺:裁判の結論はわかっていたから。

江上:裁判の結論がわかっていたから。

下河辺:裁判で判決されたっていうのを大義名分に基地を認めた行政をするっていうことを考えたんですね。

江上:しかし、

下河辺:その結果について3月7日に橋本さんに会って、説明したりして、私のメモを出したわけです。8月の12日にですね。

江上:重要なメモを出されたわけですね。3月4日に官房長官と会われて、その次の日に大田知事と会われたんですか。

下河辺:はい、そうです。

江上:これはどこで会われたんですか。

下河辺:東京です。

江上:東京で会われた. それで大田知事に意向を聞かれたわけですね。

下河辺:そうです。

江上:このときは代理署名の真っ最中ですよね。
252

下河辺:代理署名っていうことをやっていたわけですね。

江上:このときはまだ、普天間返還もまだ決まっていないです。普天間返還の話も出てないですよね。
下河辺:そう、ですね。

江上:先生のメモでは「1997年」の3月から、10月ってなっていますが、これ「1996年」ですね、先生。

下河辺:あ、そうでしたか。

江上:これ1996年のことだと思います。

下河辺:あ、そうですか。

江上:それで、普天間返還が橋本・モンデール会談で決まってくるのが1996年の5月ですから、普天間返還の前でまだ、国と大田知事の間に代理署名訴訟で緊張しているときですね。

下河辺:そうです。

江上:そのときに、官房長官が下河辺先生にちょっとなんとかしてくれというようなことでお願いされて、それで大田知事に東京で会われるんですね。

下河辺:そうなんです。

江上:このときの大田知事はどんな印象でしたか。それまで大田知事とはあまり面識はなかったんですか。

下河辺:あんまりないっていうか。県の仕事としては、行けば会ったりしてたんですけど、だからまったく、初めて会ったんじゃあないんですけど。ただ、基地問題で議論し始めたのは、3月5日からで、で、このときの私の仕事は、総理とつなぐことが、一番テーマでした。だから、約半年かかって、知事と橋本さんとがゆっくり話し合うっていう環境になったっていうのが、私の仕事でした。

江上:そうですね. それが一番重要な仕事でしたね。

下河辺:それで、知事は梶山さんと橋本さんっていうのは、軍人内閣としか思っていないんですね。

江上:要するに、タカ派内閣ということですか。

下河辺:タカ派内閣です。

江上:そういうことですね。

下河辺:そのころ、新聞にもときどきそういうのがでたわけです。

江上:そうですね.

下河辺:それが、橋本さんと梶山さんにすると、知事は過激派革命家だって思っているわけです。

江上:(笑)すごいですね。そりゃあ(笑)

下河辺:だから、水と油みたいな

江上:なるほど。
253

下河辺:知事と総理なんですね。

江上:それは大変ですね。

下河辺:だから、それじゃ何にも解決しないから、つていうんで、私が両方に向かってしゃべったわけです。で、大田知事っていうのは、アメリカに友だちも多いし、アメリカとの付き合いを大切にしてて、安保条約を否定するような人じゃないということを一所懸命、口説いたわけです。

そしたら、選挙見てたら、そう言ってないっていうから、選挙のときは、自分で思っていないこと言わなきゃ当選しないでしょ、と言ったら、大笑いになって。

江上、眞板:(笑)。

下河辺:それで、一回会ってみるかってなったんで、大田知事に梶山さんっていうのも、ちょっと分かっている人だから、会って話した方がいいって言ったら、行って、取り込まれちゃったって、うわさになったら困るっていう。

江上:大田さんが言ったんですか。

下河辺:はい。だから何もそんなことしないで、自分の思うことぜんぶ、言って、「イエス」なんて言わなくて帰ればいいじやないかって言って。それで、やっと、二人が会ったんですよね。

江上:実は二人が会うまでが大変だったんですね。

下河辺:そこまでが大変で、半年かかったですよ。そのとき、吉元がよくやってくれたですよね。だから、古川、吉元っていうのか、その段取りしてくれて、それで、私のメモを使って、総理に説明して、やっと始まったわけですよね.

江上:先生が橋本総理に沖縄の問題について話される以前には、橋本総理は沖縄について断片的にはご存知でしたけども、沖縄の歴史とかあるいは沖縄の全体像とか、また沖縄の社会とか風土などについてはもちろん、あまりご存じなかったんですよね。

下河辺:まあ、だけど、日本人一般としては、知識をもってますよね。

江上:一般的な知識はおありだった。

下河辺:それで、大田知事っていうのを、やっつけちゃわなきやだめだっていう、自民党が勝たなきやだめって思っていますかね。私が、それはいいことだけども、大田知事に期待してみることを一回やったほうが、現実的だって言って、橋本さんも、じゃあ一回会おうって会ったことになったんですね。

江上:やっつけるのもいいかもしれないけども、一度、期待してみてはどうかと。

下河辺:こっちの提案をしたらどうか、言って、私のメモを説明して、このメモの中からあなたが選んで、知事とやりあってみたらどうかって言って、やっと、9月になって、それができるようになったんですよね。
254

●下河辺氏の役割
江上:この下河辺先生のメモができるまで、先生は沖縄の方にいろいろ、おそらく坂口さんなどを通して、吉元さんとか大田さんとかに打診してますよね。おそらく、大田・橋本会談の前段階で、先生fまいろいろと意見を聞かれたうえでメモの文面をつくられたのでしょうか。

下河辺:屋良さんの子分たちとずうっと付き合ってきましたからね。いまじゃ、その連中がみんな定年退職しちゃったから。現役じゃ_ないですけどねえ。

江上:そういったパイプが生きたわけですね。

下河辺:ええ。

江上:考えてみたら、そういう意味では運命的なものがありますね(笑)

下河辺:あります。

江上:先生は沖縄の日本復帰という大きな時代の節目のときと、さらにもう一度、日本政府と沖縄県が激しく対立した最大の危機のときに、先生の活躍の場ができたというのは。

下河辺:なぜか不思議なことに沖縄の一般の人と過激な革新派と自民党とかすべての人と、会って話をしている人が、私くらいしかいなかってですからね。その当時

江上:そうでしょうね。それだけ、長い蓄積のある方も他にはおられなかったでしょうね。

下河辺:そうです。

江上:そうですよね。そうした役割を果たせるのは、先生しかいなや、ったんですね。

下河辺:だから、それが私の役割だと思って、せっせとつないだんセすけども、いまになってみると、つないだことが良かったのか、どうかね。

喧嘩別れして。 琉球国なんていう独立国になっていたら、もっと面白かったかもしれませんね。

江上:(笑)徹底して喧嘩別れして、独立ですか(笑)

下河辺:それで、国連の一国になってたりしてたら、面白くなっていたかもしれない。沖縄県人が国連の議長にでもなったらね. 面白かったと思う。

江上:そういった独立論の議論は、復帰前に先生が初めて、沖縄に渡られたときにもあったんですよね。

下河辺:そうです。

江上:先生もまあ、それもいいじゃないかって感じで応じられたんですよね。

下河辺:佐藤内閣で、核抜き本土並み復帰なんていうのは、どうも賛成しないなんて余計なこと言ったから、佐藤さんの秘書官に怒られちゃったりして。

江上:楠田さんですか。

下河辺:楠田さん。

江上:(笑)余計なことを言うな、と。

下河辺:楠田さんって本当、沖縄のために働いた人ね。だから、沖縄と楠田さんとの関係を一度処理してもらったらどうかしら。

江上:そうですか。

下河辺:なんか。先生のところで、楠田と沖縄っていうテーマで資料の整理、一回やってくんないかしら。
255

江上:いいですよ。

下河辺:とってもおもしろいから。

江上:それは私も興味があります。

下河辺:これ、楠田さんが書いた本なんだよ。また、返してください。

江上:はい、ありがとうございます. しばらくお預かりしてお返します。

下河辺:この中で沖縄のことについて、楠田さんが自分で書いていますから、ちょっと見ていただくと面白いです。

江上:はい、これですね. 「産経新聞政治部秘史」という本ですか。

眞板:知らなかった。

江上:こちらは、楠田さんの日記の原本ですよね。

下河辺:そうです。

江上:それからもうひとつ、別の「楠田賓日記」が出ています。これは要約本でおそらくこの原本の一部だと思います。楠田さんが沖縄との関係で言及した箇所を調べてみます。

下河辺:見てください。

江上:ええ、見てみます. すぐにはできないかもしれませんが、できるだけ早くやってみます。

下河辺:ゆっくりでいいです。

江上:それでは拝借-して利用させていただきます。きょうは一番、肝心な部分に入りかけたところで時間になってしまいました(笑)それで次回に普天間返還問題の話についていろいろ伺わせていただきたいと思います。

下河辺:はい、そうしてください。

江上:先生、長い時間おつきあいいただきましてありがとうございました。

下河辺:なんかもう、記憶でしゃべって怪しいから

江上:今度は御厨先生たちのオーラルもありますので、そのオーラルも参考にしながら、先生が果たした役割について私たちも記録にとどめていきたいと思います。

下河辺:いやあ、記録なんかいいんですよ。沖縄っていうのは、本当に大変だったっていう印象だけは残っていますけど。もう私は昔の人ですよ。

江上:でも、先生がウラでいろんな働きをなさっていたってことはある程度、わかっていても、そんなに大変だったんだというのはほとんど知られていません。

下河辺:そりゃあ、私に能力が足りないから苦労したんであって、ほかの人がやったら、ちょこちょこっとやったら、ちゃんとやってもらえたんじゃないすかね。

江上:うーん、沖縄にとって大変な大きな出来事でありますので、この判断は後世の人が下すのでしょう。

下河辺:そりゃあそうですね。

江上:じゃあ次も、先生、そういう次第でよろしくお願い致します。ありがとうございました。
256
(了)
(次回は11月17日午後1時半)

●下河辺メモの背景

江上:それでは、きょうの本題に入らせていただきます。

先生のメモとこの日付によると、1996(平成8)年の3月4日、梶山官房長官とお会いになるところから始まるんですけども、その前の流れを少し整理すると、1996年に1月に橋本内閣が成立しまして、それで橋本首相が初の施政方針演説で、「沖縄の方々の苦しみ、悲しみに最大限、心を配、つた解決を図るため、米軍基地の整理統合・縮小を推進する」と述べます。

そして、1月23日に橋本総理と大田知事が初めて会談するんですけども、このときはまだ、対立したままの話ですよね。

大田知事からみれば、橋本政権は軍事内閣もしくはタカ派内閣という感じだったと思うんですね. それで〔2月23日に日米首脳会談があって、橋本首相がアメリカに渡ってクリントン大統蘭と会談するわけですけども、このときに橋本首相は普天間問題に言及してます。

それはなぜかといいますと、最初の会談で大田知事が橋本首相に対して、普天間基地を返還してもらうことが沖縄の望みだということを述べた、さらに首相の渡米直前に諸井さんが沖縄に行って会ったときの大田さんとの話で、大田知事が普天間返還を最優先に考えて欲しいと述べた。

それで結局、普天間返還は難しいとという外務省の意向もあったんですけども、橋本首相はあえて日米首脳会談で普天間問題に言及したんだろうと思います。

こういう流れを受けて、それでその後、高裁で代理署名裁判が大田知事側の敗訴となりました. その後、最高裁に行くんですけども、最高裁で沖縄側が敗訴することはほぼ分かっていたんで、それで、そろそろ決着をつけなければならないというところで、おそらく、梶山官房長官が先生を訪ねられて、沖縄問題大変なことになってきたから、なんとか力を貸して欲しいということをおっしゃったんだと思うんですね。

それで、官房長官と会われたあくる日に、先生は大田知事と会談されています。で、先生が大田知事とじっくり話されたのはこのときが最初ですね。

下河辺:うん。

江上:そうですよね. それで、官房長官に頼まれて先生は大田知事と会談に臨まれたんですけども、そのときの大田知事の話された内容とか印象とかはどういう感じだったんですか。
258

下河辺:いや、もうそのときは、政府と沖縄のつなぎが終わってからですから、わりに和やかに話してましたよ。

江上:あ、そうですか。それまでに大田知事と総理とのつながりは、ある程度できていたんですか?

下河辺:できてたって言うか、その私の解説を受け入れていましたから、総理もそのつもりだし、知事もそのつもりだったんじゃないすか。

江上:ああ、要するに、普天間問題で沖縄が望むように積極的に取り組むと、-橋本首相も言っていたんですか.
下河辺:言ってました。

江上:大田知事にそう話したら、大田知事は、非常にありがたいということで、心を開きはじめていたんですか。
下河辺:そうです。

江上:そうなんですね。最初は、大田知事は橋本政権に対して、軍事政権みたいだとか、タカ派政権みたいだって思っていた. そうした警戒感や反感みたいなものは、先生と話したときは薄れていたんですか。

下河辺:だから、半年かけてそれを説得しといたわけですから。

●3月の時点では敵同士だった

江上:ということは、ここの、3月の時点でですか。

下河辺:だから3月では敵同士だったんです。

江上:3月時と会ったときは、敵同士だったんです。

江上:まだ、敵同士でしたよね。

下河辺:それで、8月までかかって、両方説得したわけです。

江上:やはり橋本政権に対する大田知事の警戒感っていうはかなり強かったんですか。

下河辺:3月はね。

江上:あまり信用できない、と。

下河辺:3月ごろはそれであったし、総理の方も、知事は革新の代表であって、安保反対で基地を撤去せよっていう一本槍の意見だって思っていたわけですよね。

江上:この時点ではですね。そうすると、一応、先生としては、このころはまだあれですよね. まだ政府と沖縄のパイプ役をすることはまだ決めてらっしやらないですよね。

下河辺:ええ、もちろん、その決めてはいなくて、決まったことは一回もないんですよね。ずっと暖味なまま、なんか関係させられていて。

江上:(笑)先生としてはずるずると引き込まれていったとか。

下河辺:-8月にメモを出してから、事務的な話に。

江上:なったんですね。
259

下河辺:なっちゃった。

江上:ああ、そうですね。それまでは、ちょっと暖味な関係だったんですね。

下河辺:そうです。

江上:そうすると、3月5日に大田知事と話をされて、大田知事がどういうことを考えて、どういうことを望んでいるか、というようなことを先生が聞かれて、それで3月7日に、2日後に橋本首相と会われたんですね。

下河辺:そうです。

江上:そのときは、おそらく大田知事がどのようなことを考えているかということを橋本首相に伝えられたんですか。

下河辺:大田知事のことも言いましたけども、なんか総理に私の意見を言って、知事もそれを理解しているから、そういう前提で、会ったらとうかって、言ったわけですね。江上:そうしたら、橋本首相はどのように返答されたんですか。

下河辺:それなら、そういうふうにしてみようって言い出したから、だんだん知事と総理が、会って話し合う雰囲気ができてきたわけです。

江上:両方ともに、会ってみようかなっていう雰囲気ができてきたわけですね。

下河辺:そうです。

江上:先生はそういう雰囲気作りを行なう努力をなさったんですね。でも、まだ食い違いがいろいろあったけども、食い違いがあってもいろいろお二人で話されたらどうですかという風になっていかれたわけですね。

下河辺:食い違いって言うよりも、現実の認識の仕方とか、将来の見通しが分からないときでしたからね。

●3月の橋本・大田会談

江上:そうですね。
ちょっとどうなるか見当がつかなかった時期ですね。そして、3月の22日に橋本首相と大田知事が会談することになるんですね。

下河辺:はい。

江上:そうですね。で∴このときは、要するに、話し合ったということ、同じテーブルについたということが意味があったんでしょうか。

下河辺:とっても意味があったんです。

江上:この会談で、意見の一致を見たとか、あるいはこういう成果があったということがあったんでしょうか。

下河辺:ただ、面倒なのは佐藤内閣がアメリカとどういう密約しているかっていうのが、お互いに不信感なんですね。

江上:佐藤内閣がですか。

下河辺:佐藤内閣でしょ、返還問題は。
260
江上:はい、そうですね.

下河辺:そのときに、返還がよく成り立ったっていう面だけが評価されたけど、アメリカが返還に応ずるのには、相当たくさんの条件を飲まされてんじゃないかっていう. で、繊維問題がひとつだけ、表面に出ましたけども、繊維以外にいろいろあったんじゃないかっていう。特にロッキードとの関係とか、いろいろとあって、沖縄に核武装することについても、本当はいろいろあったんじゃないかとか、そういう疑いがとても濃厚でしたよね。

江上:そういう話を大田知事が橋本総理になさったんですか、その3月22日の会談で。

下河辺:いや、直接はやっぱり、言い切れませんよね。

江上:言えませんよね。

下河辺:証拠がないから。

江上:でも、大田知事の側に、沖縄返還のときのいろんな不信感があったということですか。

下河辺:あったですよ。

江上:そうですか。でも、また橋本首相は橋本首相の方で、やはり大田知事に対して不信感があったんでしょうか。

下河辺:いや、それは佐藤さんに対する不信感なんですね。佐藤さん、ラメリカと密約した内容を自分で背負い込んで外に言っていませんから。・自民党でも誰もわかんないんです。

江上:そうですね。

下河辺:だから橋本さんは、総理になってから聞いてびっくりしているわけですから。

江上:そうですか。そういう問題があったわけですね。

下河辺:そうですね。

江上:その間題については、これからずっと話し合いが進展していくなかで、佐藤内閲の沖縄返還時における、そういったいった不審のの根源をなすものは、お二人の間で少しずつ解けていったんでしょうか。

下河辺:いや、解けることはないんじゃないすか。

江上:ないですよね。

下河辺:お互いにわかんないで、しゃベってんだもの。

江上:そうですね。しかし、最初に橋本総理と大田知事が会談するときに、それが大きな暗雲となっていたけれども、そういうのが遠ざけていたというとこなんですかね。それがやはり一番大きかったんでしょうか。

下河辺:いや、いや、会ったときは、もう、そのへんとこを超えて、沖縄のた馴とっていうこ. とで会ったわけですから、佐藤内閣がどんな密約しているかっていうことは棚上げにせざるを得ないですよね。どっちも知らないんですから。

江上:そうですよね。それを言っても埒が明かないわけですね。

下河辺:こないだお貸しした、楠田さんだけが知っているんですね。楠田さんには文句言ったんでけども、「楠田日記」っていうのは、そこんとこぼやかしてあるって言ったら、やっぼり総理の見解なんでしょうね。

江上:そうでしょうね. 若泉さんは先生からお借りした「楠田日記」に数多く登場しますね。

下河辺:そうですね。

江上:でも、返還のときの裏舞台の実情については、楠田さんは記述していませんね。

下河辺:死んだから楠田さんの日記、ちょっと借りたいって言ってんだけど、まだうまくいっていないんですけどね。

江上:そうですか。

下河辺:本当は手帳に書いてあんじゃないかと思うんですね。

江上:そんな気がしますよね。また、そこを確認できれば、また大きな発見になりますね。

下河辺:いやあ、なんか当然だったろうっていうことを確認できるだけですけどね。

●事前から分かっていた普天間返還

江上:そうですけどね。それでその後、4月12日に普天間返還が合意されて発表されます.橋本首相がモンデール駐米大使との共同記者会見で、普天間飛行場を5年から7年以内に全面返還するということに合意した発表されました. この普天間返還については、先生は事前にわかっていたんですか。

下河辺:うん?

江上:普天間返還については、先生にとっても突然の話でしたか?

下河辺:いや、そうは思わなかったですね。それじゃ当然、普天間は返すと思っていましたから。

江上:ああ、そうですか。

下河辺:それは、普天間は移転しなくちや防衛上の役割は、果たせないっていうのが、海兵隊の結論ですから、移転ていうのは追い出されての移転ではなくて、軍事技術上の必要から移転するわけですから、当然、移転すると思いましたね。

江上:そうですね。先生はそれまでの経緯もずっとご存知ですから、追い出されてではなくて、要するに、普天間基地が老朽化しているから、それで、新しい施設に移ったほうがいいということで普天間返還となるだろうなということを、先生は事前にお察しになっていたんですか。

下河辺:だから、面積的には4分の1で大丈夫って米軍は言っていたわけですよね。それが地元の市長さんたちが、軍民共用飛行場で、1000メーターの滑走路がいるっていったから、小さい規模でなくなっちゃったんですよね。

江上:それで、このときの普天間返還合意は代替施設の条件付でした。これも先生の事前の理解からすると、やはり条件付になるだろうなと0 つまり、普天間を返す代わりに新しい機能を備えた代替基地を。
262

下河辺:米軍にしたら、近代化のために移転するということであって、住民との関係で普天間を返してもらう運動に、合意したなんていうことは一切ないですよ。

江上:ということは、当然、そういうものを要求して新しい場所に移る。

下河辺:ただいま工事中だから、攻撃はやめてください、なんて言えないですよね. だから、普天間で防衛しながら、新しい基地を造ろうとしたわけですよ。移転というよりは、私は装備の近代化だと思うんですけどね。

眞板:とすると、1995年9月の米兵たちのよる少女暴行事件であるとか、大田さんの代理署拒否っていうのは、あくまでハプニングであって、米軍としてはもともと普天間からどこかへ移りたかったということが既定路線としてはあったということですか。

下河辺:そうなの。

眞板:それが何かごちゃごちゃになって、少女暴行事件があったから、じゃあ海兵隊も県民にご迷惑をかけたから、じゃあ移設しましょうねっていうわけではなかったという。

下河辺:そんな甘い話じゃないですよね。女の子がレイプされ暴行したから、移転しますなんてことにはなんないですよ。補償とかお詫びはするかもしれないけどね。それが基地の移転なんていうことにはなんないすね。

●嘉手納統合案から海上へリポート案へ

江上:でも、あの当時もいまもそうだと思いますけど、県民も国民もそうだろうと思っていますよね。事件が起こったから沖縄で反基地運動が激化して、アメリカが譲歩して移転することになったとおおかたの人びとはそのように受け取っています。

だが、先生によれば、そんなに甘い話じゃないということですね。

従来の考えとはずいぶん違った見解ですよね。参考になります。しかし、普天間返還の条件からすると、最初、嘉手納統合案が出てましたが、嘉手納の周辺の人たちが非常に強い反対意見が出まして、それで嘉手納統合案がだめになって、それで辺野古移転になる?

眞板:嘉手納統合案とそうですね。それから、ずうっとあとにきて、津堅島の埋め立てしてっていう

江上:津堅島は、ずうっとあとだ。それからもう、あの海上へリポートの話になっていくんですね。

下河辺:嘉手納の問題は、住民の反対で止めたんじゃなくて、その航空隊が受け入れんの拒否したわけです。

江上:空軍のはうが反対したんですね、海兵隊を引き受けるのを。

下河辺:海兵隊入れるの嫌だって言って

江上:米軍内部の問題がありましたね。

下河辺:そうです。

江上:それがあって、嘉手納統合案はすぐ潰れました.
263

下河辺:そうなの。

江上:それで、その後、橋本首相が海上へリポート案を発表されるんですよね。

下河辺:そうです。

江上:で、大田さんはやっぱりこの普天間返還っていうのは、自分も望んだことだし、県民も望んだことを橋本首相は、実現レてくれたっていうんで、とても喜んだんでしょうね。

下河辺:いやあ、原則は県外移転っていうことですから。

江上:あ、県外移転。

下河辺:県内に決まったことは、知事としては喜べないんです。

江上:喜べない。

下河辺:選挙民に対して県外移転で訴えていたわけですから。

江上:じゃあ、やっぱり、この普天間返還を大田さんは最初から、、手放しではとても喜べないような状況だっ. た。

下河辺:喜べない。

江上:でも、橋本首相からすると、普天間返還っていうのを強く望んだんじゃあないかと。ということで、それが自分が一所懸命このアメリカ政府と交渉して、取り付けたわけだから、それをもっと喜んで、しかやべきじゃないかとい′うようなお気持ちは、橋本首相にはあったんじゃないですか。

下河辺:いやあ、そう思っていないっていうのは、知事はもともーと革新派だと思っているから、返ってきたから喜ぶっていうことじゃあないだろうって総理は思ってたんじゃないすか。

江上:あ、そうですか。じゃあ、まあ、そんな手放しでは喜ばない

下河辺:グアムにでも移転するって決まったら、喜んだかもしれない。

江上:ああ、そのことは橋本首相も分かってた。

下河辺:分かるわけですよ。

江上:そうですか。でも、そうはアメリカとの交渉ではならなかったわけですよね。アメリカはそうじゃないわけですから。

下河辺:いや、だから、知事にすると、最高裁の土地に対する裁判の結論と総理が安保上、沖縄の基地を断れないっていう、ふたつをはっきりして、止むを得ないっていうふうに言いたかったわけですよ。

江上:で、4月17日に日米首脳会談がありまして、日米安保共同宣言が発表されます。それで、先生は、7月23日に神戸の問題と保険の問題って書いてありますけども、7月23日. に橋本首相と再び会談なさって、そのときに橋本首相がちょっと沖縄のことも、つていう話をなさってて、このときは先生はしいろんなテーマがありましたから、それでまた後日ということで、7月29日もう一回、沖縄の問題で橋本首相とお会いになっているんですね。

下河辺:_そうですね。
264

●首相からまとめ役の依頼

江上:それで、このときに裏のまとめ役を橋本首相が下河辺先生にお願いしている。そのときは、まだ下河辺先生は引き受ける気はなかったと、いうふうにおっしゃってますけども。ま、橋本首相が先生に沖縄問題の裏方でまとめ役をしてくれないか、というのは、どういう理由だったんですか。どういう理由っていいますか、なんかそういう、なんかあったんでしょうか。

下河辺:だから・さっき言ったように、政府としてやってくれっていうのを総理は、熱望したわけですよね。

江上:政府側の人間として、このときもですね。

下河辺:特別補佐官でも何でもいいから、肩書きつけるから、ちゃんとやってくれって言ったんですよ。

江上:そうすると、これは別に裏のまとめ役っていうことではなかったんですね。裏でなくて、裏でも表でもなかったんですね。

下河辺:いやあ、表です。

江上:表ですね。このときはむしろ。

下河辺:私が裏も表も嫌って言ったから、違ってきた。

江上:違ってきたわけですね。で、このときは表でやってくれと、いうふうに言われたけど、先生はこのときは、引き受けなかったんですね。

下河辺:そうです。

江上:先生、それは、引き受けられなかった理由は?

下河辺:だって、県民のこと考えたら、政府の立場に立っちゃったら話し合いできないじゃない。

江上:そういう意味ですね。政府の一員として政府の取りまとめ役するというのは、沖縄県民の意向を考えて、とても引き受けられなかったと。

下河辺:そう。

江上:そういうことですね。そのあとに、8月6日に大田知事と沖縄で、会われますね。

これは、もう、初めから大田知事と会われるためにだけに行かれたんですか。

下河辺:そうです。

江上:これは、橋本総理とか、あるいは梶山官房長官とかの?

下河辺:関係ないです。

江上:ぜんぜん関係ない. ただ、先生ぶらりと行かれた?

下河辺:ぶらりとというか、吉元がちゃんと段取りしてくれましたから。

江上:ああ、そうですか。そうすると、吉元副知事にはこのときに、やはり先生に間に入って欲しいという意向があったんですか。
265

下河辺:いや、いや、もう、間に入っていたわけですから。

江上:もう間に入っていたわけですね。

下河辺:そのときは、私が行くことの段取りをしただけであって、関係はできていたわけです。

● 「下河辺メモ」の作成

江上:関係はできていたわけですね、明確な取りまとめ役ではなくて。それで吉元副知事の段取りで8月6日に大田知事と会われ、その3日後の8月9日に副知事と官房長官と、東京海上の研究所で会われました。それで大田知事からも、間に入ってまとめて欲しいと言われ、このときに下河辺先生は、日本政府と沖縄県をまとめる裏役を引き受けること_を決心したと考えてよろしいでしょうか。

下河辺:裏役って言うよりも、私の考え方、をメモにするから、それを見てくれっていうことを言っただけなんですよ。

江上:そうですか。自分の考え方を示すから、それでいいか、ということですか。

下河辺:いいかどうかよりも、それを参考にして、国と県との間で、話し合いをしなさい、つていうことを言ったわけです。

江上:ああ、そうすると、先生のメモ、いわゆる「下河辺メモ」を作成して示すからと。

下河辺:そう。

江上:作成して示すから、少し考えたらどうかということだったんですか。

下河辺:そうです。

江上:そういうことをこのときに、ある意味では予告なさったわけですね。

下河辺:そう

江上:そういうことですね。でもしかし、そういうことをさなるということは、すでにそういう役割を始めてらっしやったということですね。

下河辺:そうね。

江上:そういうことですね. それで、8月12日にその非常に重要な先生のメモが作成されて出てくるわけですけども、その下河辺メモの作成は、先生の独断で作られたんですか?
それともいろんな方々に相談なさったんですか?

下河辺:それはもう、ずっと引き続いてやっていたわけだから、メモを書くときは私の記憶で、全部書いちゃったから、誰とも会ってませんよ。

江上:橋本首相とも大田知事とも、あるいは長い間、沖縄ともお付き合いがあるから、そういう蓄積の中で先生が独自に作成されたわけですね。

下河辺:まあ、要するに結果を整理しただけですからね。

江上:特別に誰にも相談されることはなく、先生が独自で書いたわけですね。先生の考え方をまとめらーれたわけですね。
266

下河辺:そうです。

● 「下河辺メモ」を見た首相の反応--亜熱帯研究所構想に意欲

江上:そういうことですね. それで、このメモを橋本首相にお見せになるわけですよね。

下河辺:そうです。

江上:そのとき、橋本首相は先生のメモを見られてどんな感じでした?

下河辺:これでいいんじゃないか、と。そして、県の意向を確かめようと、ただ総理自身では、提案したプロジェクトの中の亜熱帯研究所っていうのは興味があるねえっていう話はしてました。

江上:そうですか。橋本総理が亜熱帯研究所に興味があるとおっしゃったんですか。

下河辺:亜熱帯研究所を国際級のレベルで造ったらどうかって言ってましたね。

江上:そうですか。

下河辺:だから、それじゃあそうしましょうって言っていたら、なんか知事がその話をしたら、自分で作ったちゃったんですよね。

江上:県のほうでですね。

下河辺:県のほうでね。だから、橋本さん、がっかりして、知事が自分でやるら、それで任せようって言って、それでおしまいになっちゃった。

江上:ちょっと段取りが違っちゃったんですね. 先生はそのことを再三、指摘されていますね。

眞板:先生、それで、そのくだりなんですが、御厨先生のオーラルを拝見するとですね。

県立で先に作らせて、それから、国立化へ向けて努力しようっていうようなお話が、実はこの中に出てくるんです。

下河辺:県がそう言ったんですか?

眞板:いえいえ、下河辺先生がこの中でそういうお答え方をなさっているんですよ。

下河辺:いやあ。だから、いまとなってはしょうがないと、県立なんかじゃとてもだめじゃないっていうことを言ったことは確かです。

江上:でもできちやったんですね。

下河辺:政府として大蔵省にしたら、県立でできたものを国立にするなんて経験ないすもんね。

江上:そうですね。別ですからね. 県で作っちゃったら国は関係ない、つて感じになってしまいますね.。私も長い間、琉球大学にいましたが、国立大学ですから沖縄県とはなかなか一緒に仕事ができないんですよね。予算も権限もぜんぜん違うから。

下河辺:それに、やっぱり、国が造ったら、ちょっといいと思ったのは、さんご礁の専門家が、一人だけいたんですね。

江上:山里先生ですか。
267

下河辺:山里さん。彼だけが世界に通用する学者だったんで、その学者を頼って、国立を造っときゃあ良かったなあと今でも思ってんですけど。
一度、県立で作っちゃうと、文部省としたらなかなかちょっと、国立に直すこと、難しいですよね。

江上:そうでしょうね。それで、梶山官房長官もそのとき、下河辺先生のメモを見られたと思うんですけども、官房長官は何かいわれましたか。

下河辺:別に何もっていうか. なんか少しずつ実現する・といいっていうことは言ってくれましたけど。たくさん、提案出したから、一度にはとてもできないって言って。

江上:先生のメモを事前に古川官房副長官も見られたんですか。

下河辺:もちろん、古川と一緒で親しい吉元と私と古川と3人で、議論したんですから。

江上:そうですね. 古川官房副長官は先生のメモに対して何かおっしゃったんですか。

下河辺:いや、いや、これでどうなるかやってみようって、言ってくれてましたよ。彼がまとめ役だから、良い悪いっていう感じじゃ発言しませんからね。

江上:なるほど。吉元さんはどうだったでしょう。

下河辺:膏元さんも、政府がこれをやってくれんなら、ありがたいっていう立場でしたから。

江上:ああ、そうですか。

下河辺:私のメモに対する討論っていうのはなかったですね。

江上:じゃあ、もうみんな賛成されたんですね。

下河辺:みんな

江上:異議なしですね(笑)これでいけるぞ、というわけですね。むしろ沖縄側としては、吉元さんとしては、これだけ先生のメモに提示されたものを本当に日本政府がやってくれるんだったらありがたいという感じだったんですね。
下河辺:そういう立場でした。

江上:それで、8月28日に代理署名訴訟の最高裁判決が出まして大田知事の敗訴が決まります。で、この後の9月5日に、先生のメモをもとに古川試案が作られるんですね。9月5日に古川官房副長官が先生のメモをもとに、公式発表できるような試案を作られたんですね。

下河辺:うん

江上:そして橋本総理のところで、下河辺メモの公式化について、議論がありました.。でもこの議論では、先ほどの先生のご意見だと、先生のメモの中身についてはほとんど異論がなくて、それをどのように公式の政策として発表できるものにするか、についての話し合いに終始したんですか。

下河辺:そう、そう
268

●5 0億円の調整費と政策協議会の設置を提案

江上:そういうことですね。で、首相自ら、50億円の調整費と政策協議会の設置を提案されたということですか。 橋本首相が独自にふたつのアイディアを出されたんですか。

下河辺:いや、いや、大蔵省と十分相談してあったと思いますよ。

江上:橋本総理が大蔵省と話し合った結果、ふたつの提案が出たということですね。

下河辺:総理が勝手に言うってことはないです。

江上:なるほど。それらは十分、根回しして調整した上で出てきたわけですね。それで50億円の調整費と政策協議会の設置が検討されていることは、先生は事前に十分ご存知だったんですか。

下河辺:そりゃそうです。

江上:最終的に大蔵省等の調整を経て、合意を得られて50億円の調整費と政策協議会を設置するということが古川試案の中で盛り込まれたわけですね。

下河辺:、そうです。

江上:その後、9月7日に沖縄で吉元副知事と会談されていますけど、この内容を巡って吉元副知事と話されたんですね。

下河辺:いやあ、知事と会うための準備をしただけですよ。

江上:そうですか。そうすると次の8日の方が本番ですね。

下河辺:いや、その公式には8日ですけども、8日にやったことはぜんぶ、7日に吉元くんに解説して、どうだろうって言って、彼がそれでいいと思うって言うから、そのまま、知事にしゃべったわけです。

江上:そうすると、おそらく8日に先生と大田知事が会われたときには、もう7日に吉元副知事と大田知事の間でほとんど話し合いは済んでいたんでしょうね。

下河辺:ついたっていうか、ついといてくれないと、困るって言ったから、ちゃんとやってくれたですよ。

●基地に対する住民の意識変化一一県民投票結果の見方

江上:吉元さんがやってくれた。9月8日は、先生は大田知事とかなり長時間の会談をなさったということですね。

下河辺:それはその、こういったメモを巡る話は、もう十分事前に吉元くんがやってくれているから、なくて、むしろ、沖縄県内の政治情動の議論が長かったんです。

江上:ああ、そうですか。

下河辺:県民投票っていうことで、どうなっていくか、名茸の市長選挙から、ずっと一連のいろんな県民に対する意見聴取があった。この傾向を議論したんですね。そして、だんだんだん基地反対派ではなくなってきているっていう、ことがテーマだったわけです。

江上:基地の反対派でなくなってきているっていうのは、それは県民がですか。大田知事がですか。
269

下河辺:いや、いや、住民たちが

江上:住民たちが、ですか。

下河辺:投票の結果を見ていると、反対派のシェアがどんどん下がっていくんですね。

江上:それで、この日に県民投票が実施されていますね. 先生が御厨先生のインタビューの中で、知事は県民投票にあまり賛成でなかったと語っておられます。ですが実は、私の記憶によると、大田知事が代理署名を拒否して、当時の村山内閣と真っ向から対立したときに、大田知事が国を相手にけんかするのは大変だ、それで、連合沖縄に是非、自分をバックアップして欲しいということを頼んだんです。

それで連合沖縄の渡口さんが、じゃあ住民投票でもやって大田知事を支援するからということになって準備が始まったんです。

しかし結果的には、時とともに次第に国と橋本内閣は和解するような状況になき、大田知事にとって、自分を助けてく-れるはずの県民投票が足かせになっていった、ということでしょうか。

下河辺:足かせになったから困ったっていう、今は選挙にとって、そういうことが言えるんだけども、沖縄県にとっては、国とのつながりが見えてきたっていう、明るさとして受け止められてましたよね。

江上:そうですね。それで、県民投票をやれば、結果は「ノー」となることがわかっていたんですね。

下河辺:わかっていたつもりが、結果見たら、そうじゃなかったから、驚いたんですね。

江上:驚いたんですか。

下河辺:反対派が意外と小さかったんですね。

江上:投票率が意外と低かったですね。

下河辺:そうです。だから、知事としてはちょっと混乱した時期でした. それは、主に投票の中身から見ると、戦争を知らない若者の票が多いんですね。だから、現実にその日のときのめしの食い扶持っていう点で、反対してこないんですね。

基地があるからこそ、入ってくるお金も少なくないし、そういう現実性がでてきちゃったから、なんか県民投票っていうのは、非常に複雑な情勢になっていました。

江上:そうですね。投票率か予想したより低かったというのは、そのときの沖縄県民の複雑な心情を反映していましたね。

下河辺:そのことが、とうとう大田さんが落選するっていうところまで、広がっていっちゃったわけですよね。

江上:そうですね。大田知事も沖縄の複雑な状況をずいぶん、気にしていたんですが。

下河辺:気にしてたっていうより、私があなたは選挙に今度負けると。負けるのは、若手の票がつかめてないと、若手の票がつかめないのは、戦争にこだわっているからだって言ったら、大田さんは自分は政治家として、そういう政治家として終わっていきたいと。

だから、負けることよりも、~説を曲げないっていうことで、いきたいっていうから、私はそれは立派ですって言って. だから、選挙の前にも、ちょっと負けるなっていう気がしたし、知事自体もその気になっているなって、思ったですね。
270

江上:それは、大田さんの3期目の知事選の直前ですね。

下河辺:そうです。

江上:それで、海上基地反対ってということを大田さんが宣言したのは、その後の選挙ですね。

下河辺:そうです。

江上:でも、先生の表現では、大田知事は、県民投票に賛成でなかったという、ふうに書かれているんですけども。これは、どういう?

下河辺:いや、そのなんていうんですかね. 県民投票で、圧倒的に軍事基地に反対が多いと思ったからなんですね。で、そういうの出すと、ちょっと、政府としても、アメリカとしても、ちょっと困るんじゃないかっていう。

江上:そういう意味ですね.。そういう結果が出てしまうと困るというわけですね。

下河辺:そう。

江上:いま、せっかく和解しようとしているのに、、それに水をかけるような話になりますからね。
_
下河辺:逆に出たんで、ちょっと、扱いが困ったんじゃないすか。

●9月の橋本・大田会談

江上:そうですね。それで、9月9日にさらに、事前の打ち合わせをなさってますけども、もうこのときは、先生のメモをもとに橋本内閣の公式発表が出るという直前ですけども、このときの事前の打ち合わせは、どういうことだったのですか。

下河辺:どういうことっていうと?

江上:9月10日に首相と知事が会談レますね。その前に打ち合わせをするというのは、どういうことだったんですか。

下河辺;それは3月から半年かけた、積み上げそのものだから。

江上:その総整理をなさったんですか。

下河辺:調整っていうか、総理と知事が、その半年間のプロセスを了解したっていう形ですよね。

江上:そして、9月10日に首相と知事が二人だけで会談なさったんですか。

下河辺:二人だけっていうのは。

江上:お付なしで。

下河辺:お付なしでなんでこと、ありえませんよ。総理が。

江上:そうですね。

下河辺:だから、しかるべき人が。

江上:周りにお付きの人たちがいたんだけども実質的には直接二人で話されたということですか。
271

下河辺:話し合った。

江上:そういうことですね。このとき、先生はそばにおられたんですか?

下河辺:このときもいたと、思い事す。

江上:そうですね。でも話のやり取りはお二人だけで進んだということですね。このとき、お二人でどういうことを話されたのですか。

下河辺:いや、それはこれまでの調整のプロセスを説明したから、それを巡って二人でしゃべってましたよ。

江上:そうですか。もうこのへんのところは、実質的にもうシナリオの終わりの段階で、形式的なものですね。詰めの段階ですね。

下河辺:形式には結論の会議ですけどね。

江上:それで、お二人の会談のあとはみんな集まって、短時間で打ち上げるという考え方でやったと先生は述べておられます。その後、. 要するに沖縄問題についての内閣総理大臣談話・閣議決定が出されます。これを各新聞は一面トップで報道したわけです。それで、11日、12日に大田知事は関係者と徹底的に話し合い元気になっていったということですが。

大田知事は、自分はもう決断した、それに国も全面的に経済振興策にバックアップしてくれるからこれでいくんだという覚悟ができたということでしょうか。

下河辺:ま、そういう経済的なことがあるけれでも、政治的にちょっと知事とのけんかじゃなくて、政府が援助してくれるっていう自信ができたのが、一番うれしかったんじゃないすか。

●橋本首相、海上へリポート案言及について

江上:そうですね. 政府の支持が取り付けることができたということが大きかったでしょうね。沖縄の経済振興策は、政府の支援なかったら何もできませんからね。その後、9月13日に大田知事が代理署名の合意書を政府に送る. ここで大田知事と橋本総理の実質的な和解が成立して、このあと総選挙になるわけですね。そこで一件落着となりましたが、そのあと、橋本首相が沖縄に、入られて、海上へリポート案というのに、初めて言及されま
す。これについては、先生のところに以前からいろんなアメリカや日本の関係の業者や会社が、プランを持ってきましたよね。

下河辺:9月17日の総理の沖縄入りは、普天間の土木工事で行ったんじゃないすからね。

江上:ええ。

下河辺:沖縄復帰の記念を祝して、総理の挨拶をして、その中で、安保上沖縄を軍事基地にすることは、了解して欲しいっていう声明をLに行ったんですよ。

江上:でも、その挨拶の中でちょっとだけ触れた海上へリポートがクローズアップされて、マスメディアでも大きく取り上げられました。
272

下河辺:それは、ついでくらいの話ですね。

江上:そうですか。

下河辺:演説の内容は、普天間問題じゃないすから。

江上:でも、とくに沖縄側では、移設先がどこになるかが非常に話題になっていて、最初の嘉手納統合案が暗礁に乗り上げてしまって、すると次はどこかとうことで、海上へリポート構想を橋本首相が言及したとたんに大きく取り上げられたんですね。

下河辺:いえ、そんなことはないと思いますよ。

江上:そうですか。

下河辺:海上基地なんていうのは、総理や知事の話じゃないですからね。

江上:はあ、そうですか。

下河辺:漁民たちの話とか、市長の話とか、が中心でしたから

江上:でもやはり、こ.のとき首相が移設案に言及されたのは影響が大きかったのではないでしょうか。

下河辺:ぜんぜん、触れないっていうのは変でしょう。

江上:そうですね。

下河辺:触れる立場はないから、一応、-触れたっていうだけじゃないすか。

江上:一応、触れたといういうだけで、どうなるかは、その後のいろんな動向を見守るということですかね。

下河辺:そう。

江上:それで、先生のスケジュール・メモによりますと、10月3日に首相と官房長官と

古川官房副長官、大田知事と吉元副知事と先生で会食をなさって、_これでもう、お疲れ様でしたという感じだったんですか。

下河辺:そうです。

江上:どちらで会食なさったんですか。

下河辺:これはどこでやったのかな。官邸でやったんじゃないすかね。

江上:そうですか。

下河辺:昼飯ですから。

江上:はあ、そうですか。先生としてはそれまで一所懸命、解決に向けて働きかけてこられたのですから、これで本当にはっとなさったんでしょうね。

下河辺:はっとしませんでしたね

江上:あ、そうですか(笑)。

下河辺:これからが大変だと思いましたよ。

江上:ほう、そうですか。これはまだ、第一歩に過ぎないという感じですか。

下河辺:一歩というよりも、国と県との関係の事務でしかないわけですよ。だけど、沖縄県には沖縄県の仕事がいっぱいあるわけですよ。それにも私、触れてたから、これから本当にどうしたらいいかつていうのは大変でしたよ、この当時は。
273

江上:そうですか。まだやはり、前途に難問が山積しているという思いが強かったのですか。

下河辺:そうです。

江上:それでこのあとに、ある新聞で先生を首相補佐官に、という記事が出ます。だが先生はそれをお断りになって、あくまで政府の中に入らずにやるという姿勢を貫かれますね。

下河辺:私はそういう立場で沖縄のことを考えてきたわけじゃないから、ぜんぜんそんな気にはなりませんでしたね。

江上:そうですか。

● 「下河辺メモ」に関する疑問一一代理署名拒否問題

眞板:飲み込みが悪くて恐縮なんですけど、先生がお書きになった「下河辺メモ」を拝見するとですね、そもそもトラブルの原因になったのは、少女暴行事件であり、大田さんの代理署名拒否っていうことだったと思うんですけど、メモを拝見した感じで、大田さんの代理署名拒否っていうのは、要は土地問題であったというようなお話が以前あったと思うんですが、このメモを拝見する限りにおいて、土地問題ずばりについてお応えになってい
・る、つていうのはよくよくみるとないなと、感じたんですが、

下河辺:土地問題だって言ったんですけれども。

眞板:たとえば、土地問題であるとすれば、このメモの中に、具体的に軍転特措法の問題であるとか、県側に有利なような働きかけが必要じゃないかというようなものが、あっても良かったんじゃないか、という気がしました。
下河辺:それ以前なんですよ. 裁判は。安保条約と土地との関係、それを最高裁が裁定しちゃったわけですからね。だから、安保条約の下で、日本の憲法としては、土地の提供を拒否することはできませんっていうことの判決を大田知事も飲まざるを得なかったわけですね。だから、沖縄で米軍の土地ができることを否定していたのに肯定して仕事することになっただけですよね。

眞板:それでその裁判の判決の結果を受けて、米軍基地の土地問題という~ものをオーソライズしていったという
下河辺:そうです。

眞板:表現になるわけですね。あと、前後して恐縮なんですけども、このr下河辺メモ」のタイムスケジュールの中には入っていなかった4Jですが、3月の23日に大田さんと橋本さんがお会いになられているようなんですが、これについては先生は関わっていらっしゃらなかったということで、とちらには入っていないんですか。

下河辺:いや、そうじゃないと思います。そのメモは私が行動した範囲だけが書いてあって、ほかの用事はいろいろありましたからね。県民との話し合いとか、琉球大学の学者との話し合いとか、新聞社との話し合いとか、いっぱいやっていましたから。
274

●首相談話一一日米安保における沖縄米軍基地の重要性について

江上:それで、首相談話が出されますけども、沖縄問題についての内閣総理大臣談話の内容は、文章を読むと先生のメモをもとに談話が作られている、という感じですね。

下河辺:まあ、そう言っていますけども、私の文がなかったら、やんなかったか、つていったら、やるでしょうね。
だから、参考になったろうっていうだけの話ですよ。

江上:それで、橋本総理の談話の中に、「日米安全保障条約は、日本の安全のみならずアジア・太平洋地域の平和と安全を維持していく上で、極めて重要な枠組みであります。米軍の施設・区域はその中心的な役割を果たすものであり、その安定的使用を確保することは重要であると認識しています」とあります。

ここの部分について、御厨先生たちのオーラルの中で、日米安保が重要で、しかも沖縄の基地が極めて重要だということを国家の責任者が、県民に向かって言明して欲しいということで、これがこのくだりになっていて、これは重要なセンテンスになっている、ということを先生が述べられています。こういうふうに沖縄の基地が日本国家にとって必要だということ言った総理は、いままでいないんだと。これをはっきり、言ったほうがいいと、いうことを述べられています。これは先生の持論だったんでしょうか。

下河辺:そうです。

江上:そうですね。

下河辺:私の意見として言いましたけども、知事が沖縄に総理が来たときに、国家として必要だっていうことを是非言ってくれと、いうことを言いましたね。

江上:大田知事がですか。

下河辺:ええ. だから、土地の裁判を受ける話と国家としての総理の意見を受けるっていう、ふたつが、知事にとって県民に対して必要なことだったですね。自分の意見ではなくて、ふたつが客観的な政治情勢であることをちゃんとしたかったわけでしょ。

江上:これはとても重要なくだりですね。

下河辺:そうです。

江上:先生としては、橋本内閣にとっても大田知事にとってもこれは重要なことであるということですね。そしてここの部分が日米両政府からも評価されたということですね。

下河辺:そうです。
275

●つなぎ役としての下河辺氏の立場

江上:そういうことですね。先生の言及で、このくだりがそういう重要な意味をもっていたのだということを私は初めて知りました。そしてまた御厨先生たちのオーラルで印象に残っている先生の言葉は、私は沖縄の立場に立つという言葉です。最初に大田知事と会われたときに、自分は沖縄の立場に立ってそのつなぎ役をするというようなことを先生はおっしゃっていますよね。それまで非常にかたくなだった大田知事が、先生につなぎ役をお願いしたいと言ったときに、一番心を動かしたのは、沖縄側に立? 、というこの言葉だったのではないでしょうかeどちらかといえば、先生は日本政府側の人ですから、日本政府側の人が沖縄側に立つよと言ったことがやはり、非常に大きな感銘を与えたんじゃないかなと私は思うんですが。

下河辺:それはちょっと、私には分かんないけれども、私は政府の代わりとか、学者の代わりっていうことでは、能力まったくありませんと、いまは政府を離れているし、学者じゃもちろんない、だけども沖縄に関心を持つ人間のひとりとして、大田知事との相談に乗りたいっていったんですね。

そしたら、知事は本当にそうしてもらいたい、つて言ってましたよ。そして、沖縄県民のいい人たちと話をすると、絶対反対って言う意見しかないから実務上との意見交換になんないんですね。反対運動のための論理はできるけれども、それじゃあ、毎日、行政的にどうしたらいいかっていう相談ができないっていう。そこへ私が現れたから、いろいろ聞きたかったんでしょうけど。私にすると、大田さんっていう人が、どういう考え方をするのかっていうのを勉強したいっていうのが、′一番大きかったですね. だから、こういうとき、大田さんはどういうふうに考えんのかなっていうことをいろんな点で勉強しましたよ。

江上:大田知事の著書車読まれたんですか。

下河辺:そうですよね。

江上:あのとき、橋本総理も大田知事の著書を読まれたんですよね。

下河辺:そうです。

江上:『高等弁務官』などの著書を。

下河辺:そうです。そうです。

江上:大田知事がどういう考え方をするか、ということを知るするために、彼の著書を読んだりして研究なさったんですね。

下河辺:私は大田さんが、国会議員になったことは、とっても寂しかったです。大田さんが選ぶ道ではないと、思ったんセすね。あんな、沖縄から出てきて、ひとりの議員になったところで、彼の力を発揮できませんよ。質問だってね、5分しか許されないとか. 、そんなんで、むしろ、彼は学者として残って、意見を言う立場を確保したら良かったのに、と思いますね。残念でしたね。

江上:社民党から担がれたっていうこともあったしょうけどね。

下河辺:そうでしょう。

江上:最近も、大田さんは有事法制関係で本書いてら中ますよ。学者魂はまだ健在のようですね。でも国会ではかつての精彩はないようですね。

下河辺:ないですよ。そりゃ二無理ですよね。

江上:限界がありますしね。
276

●御厨オーラルのその後について

眞板:この御厨先生のオーラルヒストリーなんですが、どうも、5回目が最終回のようなんですけれども、終わりのほうを拝見すると、まだ続きそうな雰囲気、ま、そういう余韻を残されているみたいなんですね。

下河辺:あ、そうですか。

眞板:で、何か動きがあったらまたやりましょうねって、いうような感じで、終わっているんですよ。

下河辺:それはもちろん、なんか沖縄問題が発展したら、やるつもりだってでしょう。

江上:そのときはですね。

眞板:でも、実はこのあと、最後が98年3月になっているんですが、このあとの7月の参院選でご承知の通り、自民党が大敗して、橋本内閣が潰れ、大田さんの方も、11月の選挙に向けて、公明党も自民党の方に乗り'っていう中で、非常に状況が両方とも悪くなっていくんだと思うんですけど。というと、もう1回くらいあっても良さそうだなと。

下河辺:そんなこと言ったら、永遠に終わんない

一同:(笑)

下河辺:沖縄がいなくなっちゃうわけでもないし。

江上:沖縄の問題は永遠ですね(笑)沖縄の問題これからまたどうなるか、わかりませんね。

●ラムズフェルド国防長官訪沖時の稲嶺知事の対応

下河辺:稲嶺さんが、こないだの国防長官との話し合いを新聞で見ている限り、何にもわかってないね。いまの軍とは何かとか、沖縄っていうのは何だとか、アジアは何だっていうことに、ついてまったくだめね。

江上:そうですか。

下河辺:なんか、聞いてて悲しかった。国防長官が機嫌が悪くなっ、たっていうのは。

江上:分かる気がするということですか。(笑)

下河辺:なんか、本当に日本の恥のような気がしてね。せっかく来たんだから、もっとちょっと上手な頼み方があってもね。

江上:両者の会談は7項目の陳情の場にになっていましたね。

下河辺:しかも、その7項目がなんか昔話よね。

江上:ラムズフェルド国防長官の対応は取り付く島のないような感じでしたね。稲嶺知事もどちらかと言えば、県民向けのアクションだったんでしょうね。ラムズフェルド国防長官と話しながら、稲嶺知事は県民に対して、国防長官にこれだけ言ったぞといいたかったんでしょうね。
277

下河辺:そりゃそうですよ。言いたいことぜんぶ、言っとかないと、まずいって県民に対して思ったから、聞くほうはそんなこと聞いてもしょうがない。

江上:なんでそんなことを聞かなければいけないのかと撫然としたそうですね(笑)。

下河辺:そう。

●大田知事の言動の不可解さ

江上:さっきの話の続きですけども、先生と大田知事が話されたときに、沖縄のことはなかなか日本政府の側に伝わらないという話がありましたね. 本当. の沖縄の心情とか要望とかがなかなか日本政府のほうに伝わらないということを大田知事が先生におっLやいましたね。

下河辺:ただ、まさにそうなんだけども、大田さんは何を言おうとしているか、私にもわかんない面があるし。

江上:橋本首相もそんなことをおっしゃったことがありますね. ころころ変わるので、大田さんが何を言っているのかわからない、と。

下河辺:ころころ変わるって言うよりも、本当に何を思ってんだろうっていう。県からはもう、予算陳情のテーマでしかありませんからね。安保条約でも、軍事基地の問題でもなくて、ようするに補助金が欲しいって方向に行っちゃってますからね。

江上:だから、大田知事が代理署名に応諾するにあたって、50億円の調整費と政策協議会の設置という形で国と沖縄県が和解するとなったことに、とくに大田県政の支持母体が抗議しましたね。

下河辺:それ、どういう意味ですか。

江上:基地反対と訴え、基地をなんとかしてくれって言い続けたのに、最終的に50億円の調整費を始めとした経済振興策で妥結したと受け止めた人たちも少なくなかったんですね。

下河辺:調整費は基地反対と何にも関係ないんじゃないすか。むしろ、返還した土地の開発についての調整費なんてなことはやったけどね. だけど、返ってくれさえすりや、いいんだっていう人にとっては、調整費って何の関係もないんじゃないんすか. 返ってきても役に立ったところって、ほとんどないもんね。

眞板:50億の調整費が各省庁に下りていったときに、食い散らかされるというような表現がオーラルの中でもあったと思うんですけど、タテ割り行政の中で、こうなってしまうのしょうがないんですか。

下河辺:しょうがないでしょうね。私たちは調整費じゃなくて、ちゃんとプロジェクトやろうっていうのに、できなかったわけですよね。沖縄県がまとめきれないんですよ。
278

江上:あ、沖縄県がまとめきれなかったんですか。

下河辺:あれやこれや、あれやこれや、言うだけで、まとめるって方向じゃないんですね。で、県がこれはいらないっていう立場がとれなかったのは、かわいそうでしたね。県民か言っているの全部やってくれって言う以外ないすよね。だから、50億でも100億でも、いいよって言ったら、まとまったかもしんないすね。だけど、50億って決めちゃうと、枠の中に納めることが、誰にもできなくなった。

江上:当時の大蔵省としてもそんなにのべつなく出すわけにいかなかったでしょうから。

下河辺:いやあ、おそらく、何でも出したんじゃないすか。

江上:そうですか。

下河辺:沖縄の中に入ることであれば。

江上:でも沖縄県としてその50億をどういうふうに使うかというのは、十分対応できなかったんでしょうか。

下河辺:できなかったですね。岡本さんみたいな人が行って、市町村長おだて歩いちやったから、市町村長みんな期待しているわけですよ。それでJ県はそれの調整ができないから、だめですよね。

眞板:岡本さんが配って歩いたお金って、その50億円の調整費だったのですか。

下河辺:いえ、その外側です.

眞板:外側なんですか。

江上:50億円の調整費は、30億と20億に分けるんですね、雇用対策費と調査費として。

下河辺:分けてんです。

江上:大田知事が代理署名を応諾するにあたって、いろんな関係者と話をしました。それで、知事は結局、日本政府と妥協したんじゃないかっという批判が大学の関係者などから出てくるんですが、それを大田知事は自信を持って説得ではなく説教をしてしまったと、いうのが逆に大田知事を支えた大学の知人たちを余計に硬化させてしまったんじゃないかという先生の見方が御厨先生方のオーラルにありますね。

下河辺:あ、そうですか。大学の先生になんかして、硬化したって別にいいじゃないですか。

江上:(笑)

下河辺:どうぞ自由なこと言って下さいっていうだけだもの。
279

●行政の立場

江上:でも、ここはいかにも大田先生らしいと思うんですが。大田先生は琉球大学で学生に教えていましたから、教え子に話すみたいに、自分がいちど決めた方針について言い聞かせたのではないか、とそのように感じました。でも先生は、行政というのは、自信がないことを売らなければだめな商売だ(笑)とおっしゃっていますが、これは大田先生には無理だったろうな、という気がしますね。行政っていうのは、やっぱりそうなんですか?

下河辺:だって、行政に詳しい人ほど、結論ってないんですよ。どうしていいのかわからないっていうのが、行政の立場ですよ。いままでは、どうしていいか、わからないっていうことを言うことをしなかったのが、'役人なんですよ. どうしていいのか、わからないのは、いまも昔も同じなんですね。ーだけど、最近では、それを言っちゃうっていうことができるようになっただけ、役人は気楽なんじゃないすか。政治家と住民に押しつけて、自分じゃおっしゃるとおり、にやるだけで、わからないって言っていいでしょう. そ_う言ったほうが、かえって立派なようなことを言われたりする。あれだったら、そんな役人いらないっていう、感じがするけどね。いま日本ではそういう役人のほうが、,受けるんじゃないすか。

江上:でも大田知事は代理署名の応諾を決断し、そういう形で政府と和解してやっていくんだっていうことは確信をもっていましたから、それで突き進んで、支持母体に対してもそのことを一所懸命説明な~さったんですよね。

下河辺:それに大田さんは、アメリカと付き合いが深いし、学者らしく見通しとしては、楽観的だったんじゃないすかね. アジアの軍事情勢もぜんぜん違っちゃって、台湾問題も朝鮮問題もなくなっ-ちゃうような事態で、米軍がいることの意味が、なくなっていくことは、アメリカ人からも聞いてて、所詮時間の問題だったとしか思っていなかったんじゃないすか。

●大田知事の「海兵隊撤退論」

江上:そうですか。しかしながら大田県政の末期には海兵隊の撤去を大田さんは訴えました。県知事として、県民の代表として、言わざるを得なかったんでしょうか。

下河辺:言わざるを得ないじゃなくて、アメリカから聞いているから、言ってんじゃないすか。アメリカの軍は、なるべく早く、撤去する方向なんじゃないすかね。

江上:でも、先生のお話だと、もし海兵隊を撤去することがあったとしても、沖縄の基地はリニューアルした形で、最新鋭の装置を備えた形で、やはり必要だということですか。

下河辺:いや、必要かどうか、そこが混乱してくんじゃないすかね。普天間でも移転して近代化っていうこと言っているけれども、海兵隊自体がいらなくなったら、近代化もへったくれもないすよね。

江上:そうですね。

下河辺:ま、そこのところは、まだ今後の情勢を見ないと分からない。

江上:そういう実地調査のために、ラムズフェルド国防長官は沖縄に今回、立ち寄ったんでしょうね。
280

下河辺:中国が運営に失敗して、難民が出たり、テロが出たりしたら、沖縄、また緊張するでしょう。そうすると、米軍′がやっぱり緊張状態になって、. 撤去できないっていうことになるでしょうね。そのときは、おそらく、普天間の移転を急ぐでしょうね。いまだと、必要がないから、移転を急いでいないんで、ちょっと、なんとなく、議論が複雑っていうか、結論が出ない状態ですよね。

江上:日米安保体制も沖縄を取り巻く情勢も、いま不透明な状況になってきていますよね。

下河辺:そう。軍事情勢がぜんぜん達っちゃったから。

江上:そうですね。今後どういうふうになっていくか、その展望がまだ見えないところがありますね。

眞板:普天間_の移設問題というのは、橋本さんと大田さんがなさったころと、いまも基本的には海兵隊が出てってくんないかなあっていうのを"待ち"というか。確か御厨先生のオーラルをお答えになった時期も、50%の確率があるなら、もうちノよっと、様子を見てみようか、というようなお話が出てました骨れども、基本的にはいまの内閣も、稲嶺さんも50%の確率があるなら、もうちょっと様子を見てようか、つていうような感じなんですかね。

下河辺:いや、あの当時、まだ冷戦という恐怖が残っている状態でそう言ったんで、冷戦の恐怖がなくなって、朝鮮問題も台湾問題もないっていう事態ではぜんぜん違うんじゃないんすか。普天間がいらないか、いるかって話だけになっちゃって、いらないって意見が強くなってるんじゃないすか。だから、普天間の海兵隊q)役割が、改めて議論なんで、今度も国防長官がそれを確かめに来たんじゃないすかね。で、それは軍事じゃなくて、平和なもとでの医療とか教育っていうことに、役割があるかないかが、問われているんじゃないすか。

眞板:確かに、ラムズフエルドさんは部隊の近代化ということをかなり、あ、近代化ではなくハイテク化ですね。を進めることによって、沖縄という地域、沖縄には限りませんが、そこに部隊を貼りつけておくということに対_して、非常に懐疑的な方ですよね。実際、今回のイラクでも、ご承知の通り、ほとんどがアメリカ本国から部隊が行っているわけで、沖縄から行ったのは、いわばその交代要員とか、護衛のために、嘉手納からF15がちょこっと行ったくらいですから、基本的にはあんまり必要ないわけですよね。そういう意味では。

下河辺:だけど、沖縄っていうのは、米軍がいなくなったら、ゲリラの巣になんないすかね。抵抗がなくなった沖縄って、とっても危ないって気がするんすね。アジアのテロ行為として、琉球のどっかの島を占拠されたら、ちょっと大変ですね。

江上:島はたくさんありますね。

下河辺:そうもだから、米軍が平和のために、いてくれるといいってことさえ、言う人もいますよね。

江`上:沖縄も昔と違って、日米安保体制の重要性については、先ほどの大田さんの話ではありませんけど、かなり理解を示すようになりました。かつては、米軍基地絶対反対と主張する人たちは多かったですけど、いま、そういう人は少なくなってきています。
281

下河辺:いないですよ。

江上:だから段階的に、だが目に見える形で負担を軽減して欲しいというように、昔に比べると主張が基地撤去から基地縮小へと穏和になってきました。

下河辺:なにしろ、県民が180万人を超えて、200万の方向へ行っているっていうことで、集まっているのは若者ぽっかりだから、戦争なんていうことにぜんぜん、無関係ですよね。沖縄での楽しみ方を求めている青年たちですからね。

● 「下河辺メモ」進行時の感想

江上:それで、橋本首相と大田知事の和解に至るまで先生のタイムテーブルは、本当に細かくメモされていますが、実際、この通りに動いていったんですね。

下河辺:そうですね。

江上:このタイムテーブルを作られたのは、先生ですか。

下河辺:そうですね。

江上:ほとんどこの通りにずっと動いていったというのは、振り返ってみると見事ですね。

下河辺:見事っていうよりも、結果がどうなるか、わかんないでやっていましたから、結果的にその表を見ると、ああ、そいうスケジュールなんて気楽にいえますけど、やっているわれわれにすると、1カ月ごとにちょっとどうなるか、ちょっとどうなるかってやってきましたからね。橋本さんだって、大田さんだって、いつまでもこっちの意見を聞いてく
れる状態にいるとは、あんまり自信をもっていませんでしたから。

江上:先生はこの期間、阪神大震災の問題もありましたしね。

下河辺:そうです。

江上:そういう仕事をやられながら沖縄問題にも取り組んでおられたんですね。

下河辺:そうですよね。

江上:大変だったでしょうね。

下河辺:大変っていえば大変だけども、太陽っていうのは、ちゃんと1日1日24時間しかないんすからね。だから、-忙しいだろうって言われたら、忙しいって言うけども、それ以上に、間に合わないと時間が延びるってなんてことないすものね。いくつ仕事があったって、365日、24時間の中でこなすしかないすもんね。

● 『沖縄の決断』 (大田昌秀著)

江上:後日談ですが、大田知事が3期目の知事選で破れた後、朝日新聞社から『沖縄の決断』という著書を出されました。この中で大田さんはわざわざ、1項目をさいて先生のことに言及していますね。
282

下河辺:書きづらいことだったじゃないすか。本を見るとね。

江上:そうですか。

下河辺:本当になんか恐縮するような書き方してる。

江上:下河辺淳氏という見出しをつけて、先生からいろいろ助力を受けたと大田さんは述べています。

下河辺:いやあ、本当ね。なんかずいぶん、いろんなこと、ありましたし、知事さんと内緒の話をするのはステーキ屋さんで、なんとかっていうステーキ屋がいつも決まっていて、昼飯ステーキって言うと、なんか特別な相談があるなあと. 食いながら、ちゃんと、難しいこと言い出すんですよ。

江上:大田さんはステーキがお好きなんですね。

下河辺:ステーキ大好きですね。

江上:そうですか。いかにもアメリカに留学した先生らしいですね。確か、ウイスキーは「シーバス・リーガル」がお好きと聞きました。

この著書では先生に対する感謝の気持ちがよく表われているんですが、ただ普天間飛行場の跡地利用計画については、いまひとつ実効性に欠けると先生がおっしゃったそうです。

それで、大田知事が下河辺先生にじゃあどうしたらいいですか、とたずねたら、下河辺先生は、普天間飛行場はそのまま、民間の飛行場にしたはうがいいというふうに応えられたそうです。それで、ここのところは、ちょっと意見が合わなかったと述べておられます。この点だけ意見が合わなかったとおっしゃっていますね。

下河辺:そうですね。普天間の人たちも、騒音というようなことと軍事的危険っていうことがあって、どっか行ってくれって言ってんのに、行ちゃったら、またヘリコプターじゃあ、騒音とか、なんか飛行機が落ちたりする危険がないから、嫌だって言う人が圧倒的に多くて、県庁もそう言ってましたよ。だけど、私はいまでも、県庁の昔の職員が代わったから、新しい職員に同じこと提案しているんですよね. 沖縄県っていうのは、島でできた県だから、ヘリコプターで全島をつなぐ、ネットワークを作ったほうが、行政的にもいいし、病院にも便利だし、食料品から宅送便まで、全部それがいいということをいまでも言ってんですよ。

●伊波市長、来訪について

江上:先日、伊波宜野湾市長がお見えになった時にもそのことをおっLやいましたか?

下河辺:そう言ったんです。

江上:伊波さんはなんって言ってましたか。
283

下河辺:そしたら、なんか、普天間っていうのは、どうも基地をなくすっていうことで、自分はやってきたんで、基地がなくなることが前提だっていう。そして、なかなかなくなんないっていう軍事情勢が、出てきちやったっていう. 軍事情勢が厳しければ、軍備の近代化のために、米軍が自分で好んで移転したに違いないのに、移転するお金をかけるまでもなくいらなくなったっていう。だから、返還がかえって早いかもしれないよっていって、市長は困っていましたよ。それで、跡地はどうするって話で、3分の1は国の施設で埋めたいっていうから、そんなの期待してたら、いつになるのかわかんないし、特に地主に土地を返すなんていう話をすると、30年以上かかるよと言って、市長、困ってましたよ。

それじゃあ、あなたはどうすろつもりだって言うから、県と企業との合弁のヘリポート会社を作って、ヘリポートを運営した方が、県生活にとってプラスが大きいっていう話をして、それは、いまでも完全にそう思っているって、言ったんですけどね. 騒音がやっとなくなったら、またヘリコプターつていうんで、市民は反対でしょうって言ってました
よ。

江上:で、も、そのヘリポート構想では、いまの普天間基地を全部使う必要はないですよね。

下河辺:全部使ったらいいと思いますよ。

江上:全部使ったほうがいいですか. 全部使ってそういった離島の交通ネットワークを作るんですか。

下河辺:もしやれば、あそこの山のところに、病院くらいは作ったらいいかもしれない。

普天間って、病院が弱いですから。だから、やったらいいし。ショッピングセンターなんていうのも、ヘリポート基地には絶対必要かもしれないすね。

江上:そうですね。

眞板:宜野湾マリーナの方にも、ショッピングセンター作っているんですけどね. いま、海のほうにも、ダイエーが一度入ろうとして、癖局、経営破たんしちゃったんで、撤退しちやいましたけど。

そういう話もあったりで、`いま、コンベンションの周りあたりも、開発をやっているんですよ。

下河辺:そうですね。

●梶山官房長官との馴れ初めについて

江上:話は変わりますが、先生のタイムスケジュール・メモの一番最初に、梶山官房長官が先生のところに何とかしてくれと依頼に来ました。それ以前から梶山官房長官とはお付き合いがあったんですか。

下河辺:いやあ、もちろん、若いころから、彼は茨城県で、私を茨城県の知事にしようとしたり、知事を断ったら、衆議院に立候補しろって言ったり、大変だったんですよ。

江上、眞板:(笑)

下河辺:それを一切選挙とか政治は嫌いだっで、断ったんです。

江上:そうですか。

下河辺:断ったら、やっと、彼があきらめたばっかりに、沖縄を手伝えとか、何は手伝えって言って、「ふるさと創生」なんていうのを手伝わされたり、まあ、いろんなことやらされました。彼が死んでホッとしていますよ。
284

江上、眞板:(笑)

江上:そうですか。

下河辺:生きてたら、いまもまた何か言って来たに違いない。

江上、眞板:(笑)

江上:梶山官房長官のお人柄はどんな感じだったんですか。

下河辺:いやあ、いい人ですよ。

江上:そうですか。

下河辺:彼は陸軍だったから、沖縄に陸軍のひとりとしてお詫びしたいなんていう人でしたからね。

江上:そうでしたね。そんなことをおっしゃっていましたね。私も一度、沖縄で、梶山さんとお話したことがあるんです。

下河辺:ああ、そうですか。

●沖縄サミット

江上:はい. サミットが沖縄に決まった直後に、もう官房長官は辞めておられましたけども。稲嶺知事と、もう亡くなりましたけどオリオンビールの会長なさってた金城さんと私が梶山さんと一緒に、地元紙主催でサミットについて会談したことがあります。その後、一緒にお酒も飲みましたので、思い出深いですね。

眞板:サミットといえば、御厨オーラルを拝見してたら、沖縄でやったらいいじゃないか、というようなくだりがでてくるんですが、あのアイディアはもしかして、下河辺先生なんですか。

下河辺:そうですね。

眞板:実は大田さんが自分の手柄だと言っていましたけど。

下河辺:大田さんがもちろん、やったんですけども、大田さんにちょっとやったら、どうかって言ったんですよ。無理ですかねえ、なんて言って、ちょっと、やっぱり言って見たかったんじゃないすか。

江上:サミットの誘致を大田さんも要望していましたね。

眞板:はい。

江上:先生とのお話し合いでサミットがあったんですね。

下河辺:だけど、意外とフィジカルにホテルがうまくできないんですね。その各国みんな分散してホテルっていうときに、各国に割り振るホテルが分散して難しくて、なかなかだめですね。

眞板:ちょっと大変でしたね。あの宿割りっていうんですかね。

下河辺:そうです。
285

江上:やはり福岡と宮崎のほうが条件的には良かったんでしょうか。

下河辺:そりゃあ、やりいいでしょうね。

江上:あれは、やはり小渕首相の政治的判断だったんですね。

下河辺:宮崎なんてシーガイアがなかったら、できないでしょうしね。いまなら沖縄もホテルが増えたからやれるかもね。

眞板:サミットのときは、一番遠いイタリアでしたかね、読谷村のホテルまでいきましたからね。

下河辺:そう。そうですよ。

眞板:道路がないものですから、58号は警備のために基本的にストップになちゃって、地域の人は相当、困ったみたいですけどね。

●蓬莱経済圏構想

江上:ところで梶山官房長官が沖縄に来るたびに蓬莱経済圏構想について講演してましたけど、あれはやはり先生のアイディアだったんですか。

下河辺:・そりゃそうですよね。台湾問題もあったし、中国問題もあったから、日本の東京政府がやるよりも、沖縄、台湾、福建省とつながもことは、とても大きな意味があるということを梶山さんも認めてたから、蓬莱経済圏っていうのは、彼は熱心でしたね。

江上:そうですね。

下河辺:沖縄にしても、福建省に事務所作ったりして、ちょっとだけ、はじめたんですけども、吉葬が辞めたら、やる人がいなくなっちゃったんですね。あれ、吉元がひとりではりきってましたから。

江上:そうですね。やはり交易が自由にできるようないろんなしかけも必要だったでしょうね。

下河辺:必要だし、できそうだったんですよね。

江上:あ、できそうだったんですか。それは、旗振り役の吉元さんがいなくなった、つていうんで。
下河辺:そう。

江上:それで消えていったんですか。

●台湾について

下河辺:消えちゃったんですね。それで、台湾っていうのが、ちょっと蒋介石の台湾っていうイメージを完全に消えるときのちょうど、真っ最中でしたから、いまだったら、もっと楽にできたと思うんですね。

台湾っていうのはかわいそうな島で、台湾人のための台湾考えられるのは、最近ですも。
286

江上:そうですね. 本省人と外省人の歴史的な軋轢もありますしね。

下河辺:そうです。

江上:国民党が完全に力で台湾人を制圧した形になっていましたね。それが、最近になって状況が変わってきました。

下河辺:やっと片付き始まったんで、蒋介石親子が死んだあと、連れてきた兵隊の始末が誰にもできないんですね。老兄問題と称して、もう戦えない年寄りの軍隊が台湾に残っちゃったんですね。ノそれで、台湾の人が、自分の生まれ故郷に戻そうっていうことで、北京と相談したんですね. そしたら、北京は自分たちの敵ですから、面倒見られないんですね。

だから、むしろあなたがたが、直接その地域の代表と相談して、戻したらいいっていうサジェッションだったんですね。で、台湾へ行った国民党の人たちが、故郷の地域の委員会昼申し込んだんですね. そしたら、受け付けたところは、3分の1くらいで、3分の2は、われわれは敵にして、逃げた人を受け入れられないって言って、墓さえ入れないんですね。だから、台湾に墓を作った人が少しいますけどね。なんか、生まれ故郷じゃない地域に、帰っていった兵隊もいたりしましてね。歴史の悲劇ですね。

江上:沖縄にとっても台湾と中国本土の問題は非常に大きな問題なんですけども、今後、台湾と中国がひとつになるか、ふたつになるかという問題は、それほど大事にならずに解決に向かっていくでしょうか。

●尖閣諸島の問題

下河辺:まあ、大丈夫ですね. 若手たちって、そういう問題意識もっていないですよ. だから、あのあたりで、尖閣列島だけがちょっとトラブルですけどもね。

江上:尖閣はいまでももめていますね。

下河辺:だけど、鄧小平なんかは、尖閣列島は日本と中国とで共同管理したら-、いいんじゃないのって言ってんですね。それは穏やかな意見ですよね。

江上:そうです。そのようにすれば問題はなくなるんですが。今でも中国から調査船が時々やって来たりして紛争の種になっています。

下河辺:そうです。

江上:月本の海上保安庁の監視船が追っかけたりしていますね。共同でやればいいんですよね。日本はしかし、尖閣諸島は日本の嶺土だって言っていますし、中国は中国の鏡土って言い張っている。

下河辺:日本の外務省は共同で開発はいいけれども、土地は日本って決めたらば、やるって言ってんですね。中国は、それを決めんのが難しいから、共同開発って言ってんのに、ちょっと、意見が食い違っていますね。

江上:意見が食い違ってますね。そのへんのところが少しずつ時間がたてば平和な方法で解決できるんでしょうか。
287

下河辺:いやあ、ああいう衛士問題っていうのは、どこだって同じですよね. 領土間題が素直に片付く、なんていう経験はないわけでしょ。

江上:それは懸案ですか。

下河辺:そうですよ。北方領土ひ′とつ片付かないんですからね。

江上:そうですね。そういう意味では、沖縄返還の問題というのはよく決着したものですね、米軍基地は残りましたが?

下河辺:ええ、よく片付いて、佐藤さんの手柄話でノーベル賞までもらったわけですよね。

江上:やはりそれだけの価値はあるのでしょうか。

下河辺:価値はあるけども、何の取引したかは秘密になっちゃったから、ちょっと困ったもんですよね。

江上:このことについては、首相秘書官だった楠田さんも最近、亡くなりましたし、ずっとわからないままになるのでしょうか。これは日本の外交文書に残っていない. んでしょうが。

下河辺:残っているでしょうね。

江上:残っています? そうですか。では日本の外交文書がもし公開されるようなことになれば、そこのところは出てくるかもしれない。

下河辺:出てくるわけですよ。だから、むしろ、アメリカから先にでるんじゃないですか。

江上:先生、きょうはどうもありがとうございました。長い間お付き合いいただいて恐縮ですが、来週が最後になりますけども、これにまつわるその後の話とその関連するような話をまた伺いたいと思います。ありがとうございました。
(了)
(次回は11月25日午後2時)
288


【沖縄資料】 下河辺淳氏メモ インタビュー ③

下河辺淳氏メモ 前書き ①

●亜熱帯総合研究所と大学院大学

江上:今日の「沖縄タイムス」に出てたんですけども、沖縄県の財団法人である亜熱帯総合研究所が、11月

21日に沖縄科学技術大学院大学の先行的研究事業に有償貸与する研究棟の建設を決めたそうです。

下河辺:あ、そうですか.

江上:だから、先生が再三、言及されてきた亜熱帯総合研究所も、この大学院大学構想の実現に向けて関

与し始めたようですね。

下河辺:入っちゃうんですね。

江上:お手伝いしようという形になってきたみたいですね.

下河辺. :ああ、そうですか。

江上:それで、建設資金3億1300万円ぐらいを上限にして大学院大学の建物をつくるみたいですね。

下河辺:ああ、そうですか。

江上:それを大学院大学のほうに有償貸与する、要するに先行投資するんですね.


下河辺:あ、そうですね。はい。

江上:そういう話が地元紙に出ていました.それではまた、お話をお伺いしたいと思います。よろしくお願いします。

下河辺:はい。

●国際都市構想と三次振計の相関関係

江上:_前回も先生の「下河辺メモ」と言われるものを中心にお聞きしたんですけども、沖縄問題を解決するた

めに、国際都市構想の下にさまざまな施策を講じられています。それらは、進行中の三次振計とはぜんぜん別

枠だったんですか。

下河辺:別枠ってどういう意味?

江上:一次振計、二次振計、三次振計っていうのは、それぞれ、やっぱり、10年計画で作られていきますですよ

ね。
289

下河辺:ええ。

江上:それは、10年計画で進んでいきますが、先生の「下河辺メモ」で出てくる、その国際都市構想っていうの

は、そういった三次振計といった沖縄振興開発計画と関連させながらの提言だったんでしょうか。
下河辺:いえいえ、関連はしませんよ。

江上:関連はしませんよね。

下河辺:県は県でやっているわけだし、私は知事と総理との調整役のために作ったメモですからね。

江上:そうですよね。

下河辺:ええ。

江上:だから、三次振計にあることをわざざわざ先生が持ち出されたら、そういう調整の意味がなくなるわけですよ

ね。

下河辺:いえ、あんまり県に干渉するっていう目的はなかったわけですよね。敵と味方の知事と総理との間を仲

良くさせるっていうだけですからね。

江上:そうですよね。それで、先生がその調整作業に入られる前に、すでに沖縄県は「国際都市形成構想」とい

うのを打ち出していましたね。

下河辺:ええ、そうですよ。

江上:そうですね。

下河辺:あの、基地返還と関連しているわけですから。

江上:そうですよね。基地を15年間で、基地を段階的に縮小、撤去しするという。下河辺:いや、場所自体が。

江上:場所がですか。ただ、国際都市形成構想も打ち上げたものの、沖縄県としては財源を持っていなかったん

ですよね。

下河辺:財源っていうのは何かなあ。

江上:構想だけで、一応、それを具体化するための財源までは準備できていなかった。

下河辺:だって、市の事業ですからね。

江上:えっ、市の事業ですか?

下河辺:那覇市の仕事だから。

江上:はあ。

下河辺:県は面白くないすよ。

江上:でも、沖縄県の「国際都市形成構想」は、県が出したものですよね。

下河辺:いや、だから、構想は出したけども、実施は市ですよ。

江上:あ、実施は市ですか。

下河辺:県の計画っていうのは、自分でやるのと、市町村がやるのと、. みんなあるわけで
す。
290

●大田知事が「下河辺メモ」を受諾した目的・理由

江上:ああ、そうですね。そういうことですね。わかりました。

それで次の質問ですがまず、大田知事が先生のメモを受諾したその日的もしくは理由は何だったんでしょうか。

下河辺:だって、私のメモっていうのは、私の意見はないんだもの. 知事の意見と総理の意見をまとめたんだもの

。両方がそれを了承しただけなんです。

江上:ということは、「下河辺メモ」には大田県政側の意見が十分、、反映されていたと太田知事は判断したわ

けですか。

下河辺:そう思います。

江上:そういうことですね。′それでは橋本首相にも同じことが言えるわけですね。

下河辺:そうです。

江上:先生のメモの中に橋本総理の意向が十分汲まれていたということですね。

下河辺:だから、選挙を超えて、両方で合意してやりましょうっていうのが、私のメモだから。

江上:それはやはり、両方とも、大田知事も橋本総理も、先生のメモを通してできることなら仲直りしたいという

状況にあったんですね、その当時は。

下河辺:仲直りはできなくとも、両方で協力して、沖縄なんとかしなくちゃいけないっていう点では、知事と総理は

一致してたんじゃないすか。

江上:そういう状況下で両者が歩み寄っ′たということですね。

下河辺:そうですね。

江上:その歩み寄らせるための作業を先生がなさったわけですね。

下河辺:なにしろ、歩み寄るのに半年かかったわけですから。

江上:時間がかかりましたね。

下河辺:6月から始まって、何月かな? 9月、やっと、3月から9月までかかった。

江上:そうですよね。9月まで約半年かかりましたからね。最初のうちはぜんぜん両方ともとりつくしまがなかった。

下河辺:ええ、敵同士。

江上:敵同士。それを先生が一所懸命つないで握手にこぎつけた。

下河辺:知事も総理も相手を誤解していたっていう形の和解だったですから。

江上:そうですか。なるほど、そういった誤解を解くためこ、先生は両方に懸命に働きかけたわけですね。

下河辺:ええ。両方にせっせとしゃべったわけです。

江上:そうですね。

下河辺:それで、半年たらたら、わかったって話になって、両方が直接会って話をするようになったわけですよね。
291

江上:橋本首相は大田さんの『高等弁務官』を読んだそうですね。

下河辺:あ、そうですね。

江上:それは先生がお勧めになったんですか。

下河辺:そうですよ。

江上:そうですか、やはり(笑)橋本首相が沖縄の高等弁務官に関する専門的な本を読まれたというのは、ちょっ

と不思議な気がしたものですから。やはりそうですか(笑)それで分かりました。

● 「下河辺メモ」と予算措置

眞板:ちょっと、前後して恐縮なんですけど・、「下河辺メモ」とですね、予算措置という部分で、ちょっとお尋ねし

たいんですけれども、「下河辺メモ」の入り口の部分としては、50億の調整金で、その下河辺メモに書かれたプ

ロジェクトの調査費というかですね、をつけていくという、ようなお話を前回伺ったと思うんですが、で、これがもし、

軌道に乗った場合ですね、下河辺メモのプロジェクトというのは、予算項目でいくと、これは沖縄開発費の方に

入ってしまうのか、あくまで官邸の直接の別立てのメニューで考えられていたのか。

下河辺:そこはちょっと、誤解があるのが、、、、

眞板:はい。

下河辺:私のメモが50億には関係ないんです。

眞板:関係ない.

下河辺:で、50億は岡本さんのお金なの。

江上:岡本さんのラインですか。

下河辺:岡本さんが、その沖縄の市町村長との相手役を仰せつかってやっていたわけです。それで、岡本さんに

50億渡して、市町村に自由に配んなさいっていう形になったわけです。そのこと自体は私には関係ないし、県も

関係ない。

江上:ああ、そうですか。じゃあ、50億は岡本さんのラインから入ったんですか。

下河辺:そうです。

江上:あ、そうですか。50億の調整費が報道されたときに、この金額だけが一人歩きして前面に出てしまって、

50億で和解するのかという批判がでましたね。

下河辺:いや、50億で市町村長は納得したかどうか、つていうのが話題だったけど、50億はさし当たってのお金

であって、必要があったらまた出すんだから、ちょっと`50億で打ち切りなんて思うはうがおかしかったね。

江上:そうですね。あれは、調査費としてでしたからね。
下河辺:んっ?
292

江上:調査費というか

下河辺:調査費?

江上:調整費ですからね。

下河辺:そうです。

江上:そうですよね。

下河辺:市町村の事業を調整して、岡本さんがちゃんと整理したわけですよ。

江上:ああ、なるほど。

眞板:ちょっと、誤解していのかもしれませんが、確か50億という数字は、御厨先生のオーラルによりますと、先生

が20億か30. 億より、50億くらいがいいんじゃないかと。で、50億という根拠を聞かれると、いやあ、ちょっと、弱

っちゃうんだよと、先生、お答えになっているですけど、その50億はそっくりそのまま岡本さんの方へ行っちゃったん

ですか。

下河辺:そうです。

眞板:あの、当初、大田さんが雇用対策をしてくれということで、そ. の50億のうち、30億を使うという話がござい

ましたよね。

下河辺:それはちょっと、別の話でだと思います。

江上:御厨先生たちのオーラルのときに、50億のことはちょっと困るとおっしゃっていますが、それは先生の出したア

イディアではないからですか。

下河辺:いやいや、そういうことよりも、なんか岡本さんに市町村を任せて、沖縄県に対する補助金は、別の議

論で政府でやろうっていうふうたしたわけですよね。

江上:はあ、そうですか。

下河辺:国としては県への補助金が中心テーマですから。

眞板:というと、下河辺先生の「下河辺メモ」をベースにした構想とか、いろんなものに対して、予算措置と_いうこ

とはなされなかったんですか。

下河辺:しませんよ。

眞板:あっ、そうなんですか。

下河辺:はい。実施したら、実施することが決まったら、金つけるっていう話です。

江上:そういうことですね。これにいちいちいくらとはつけてないですよね。

下河辺:事前のお金ってないですよ。

眞板:そうなんですか。いや、調査費くらいついてたのかなあって、勝手に理解してたもんで。

下河辺:いや、調査費はついているわけですよ. 実施の50億っていうことは別の問題なんです。
293

● 「下河辺メモ」 A項一一国際交流会館構想

江上:それでは次の質問に移ります. 先生の「メモの6」で挙げられた検討すべき事業のA、B、C、D、E、F、G、

H、I、Jの10項目についてです. 国家的プロジェクトということで、AからJまで先生が提示されています。これはい

ろんなそれまでの沖縄との付き合いで、あるいは先生独自のそういった行政経験からこのアイディアが生まれてき
たんだろうと推察いたしますが、ひとつずつお伺いしていきます. まず最初に、A項では、国際交流会館について

先生は言及しています。先生のメモを読み上げますと、「APEC、サミット、G7、アジア・ヨーロッパ会議、拡大ア

セアン会議等の開催地としての沖縄の役割を具体化するため、国際交流会館を建設し、日本と世界の交流

拠点を形成すること」と記されています。

下河辺:そうです。

江上:これについては進展状況はどのようになっているのでしょうか。

下河辺:あの、沖縄でこういう建物は立ってんですよね。国際会議をやるための。

江上:万国津梁館ですか。

下河辺:万国津梁館。

江上:はい。

下河辺:だけど、それは建物であって、このA項で言ったのは、なんか会議をきちんと作ろうとしたんですね。たくさんある国際交流の事業をこの会館に収容すると同時に、会館主催の交流事業を作ろうとしたわけです。

江上:というと、その会館自身がもっと主体的かつ積極的に国際会議のかなめとなり、また、会議をいろいろ実施できるようなシステムを作ろうとということですか。

下河辺:そう

江上:そういうもっと広い意味だったんですね。

下河辺:だから、会議場の建物の話だけが進ん′でいたけれでも、実際の交流事業をやろうじゃないかって言ったわけです。

江上:国際交流会館を建設して、建物だけじゃなくて、そうした国際交流事業の機能も持たせて、日本と世界の交流拠点を形成しようということですね。

下河辺:それがあんまりうまくいかなかったですね。

江上:そうですねこ万国津梁館っていう建物は実際、完成しましたが。

下河辺:沖縄の大学の学者が反対なんですよ。

江上:そ_うですか。

下河辺:世界の優秀な人が来て、俺たちは認められないっていう。

江上:そうですか(笑)0 いやあJ世界の学者が来たら、沖縄の先生方もその人たちと一緒に研究交流が下きるから喜ぶんじゃないかと思いますが。

下河辺:喜ぶ先生は優秀な先生。

江上:(笑)。 そうですか。これを最初の項目に上げられていますので、先生としては非常に強い期待があったんじゃないかと思います。一応、サミットは沖縄で、小渕総理の志もあって実現しましたけども、国際会議を頻繁に行うような意味での世界の交流拠点Iとはまだなっていませんね。最近、沖縄で開催される国際会議は増えてきてはいますけど。
294

眞板:万国津梁館、大人気みたいですけどね。

江上:そうなんですか?

眞板:サミット以降、予約が入りっぱなしだそうですよ。

江上:そう?

眞板:はい。

江上:そんなに頻繁に沖縄で国際会議やっているの?

下河辺:ええ、やっていますよ。

江上:あ、そうセすか。

眞板:多いみたいですよ。

下河辺:非常に多いです。

眞板:学会もやっていましたし。

江上:国内も使うでしょ。

眞板:あ、国内もそうです。

江上:要するに国内と国際とで、万国津梁館は国際会議だけではなぐて国内会議に使っている、それで予約がいっぱいになっているんでしょう。

眞板:そうです。

江上:そういうことですね。万国津梁館はそういう意味では建ててよかったんで-しょうね。

でも下河辺先生の仕掛けがはもっと大きかったんですね。

眞板:そうですね。

下河辺:いいんですよ。そんなに賛沢言わなくても。
江上:(笑)。いいんですか?

●宜野湾・コンベンションホールとの相違点

眞板:先生、宜野湾に県が作りましたコンベンションホールというのがございますが、それを核にということには、また先生のイメージとは違うんですか。

下河辺:また別なんです。

眞板:別なんですか。

下河辺:それは宜野湾市にとってのテーマだったわ,けです。それで、普天間基地というものを持った市長さんが、基地問題だけで終始するのはまずいと、市民のた釧こ何かってっ言って、始まったわけです。そして、具体的にこないだやったのが、なんか民話とか伝説みたいな全国大会をあそこで開いたわけですね。
295

●沖縄国際センターとの相違点

江上:沖縄国際センターもありますけども、あそこは、JICAが管轄してて、あんまり沖縄の国際交流事業とは関係ないんでしょうかね。

下河辺:いや、関係ないことはないでしょうけどね. だけど、財界は財界でやりたいし、新聞社は新聞社でやりたいわけですよね。だから、われわれみたいな、あいまいな人たちでやろうっていうのも、認めてはいるけれど. も、沖縄は自分で主催してっていうのをとても期待してんじゃないすかね。

江上:ああ、沖縄県のはうがですね。そういう意味ではネットワークがもっとうまくできるといいですねJICAもこの10月から独立行政法人になりましたので、そういう意味ではだんだん、国と県との権限の違いとかなんとは少しずつなくなっていくと思われます。

下河辺:そうです。

江上:もっと自由にいろんな行き来はできるようになってくるかもしれませんね。

下河辺:そうです。

● 「下河辺メモ」 B項一一国際情報センター構想

江上:それでは、次の質問に移らせていただきます。B項はこれまでの先生の話でしばしば登場した国際情報センターの話ですね。「沖縄の3000キロ構想によって、圏内各都市間の経済交流・文化学術の情報サービス、コンサルタント・サービスのための国際痛報センターを創設すること」とあります。

この場所は先生どこを想定されていたのですか?
以前に西銘さんが言ってし_1たように、浦添市にある沖縄国際センターの前の敷地ですか。

下河辺:いやあ、そうじゃなくて、これはまだ固まってなくて、米軍の施設を利用した方がいいっていう意見が出ているわけです。

江上:米軍の施設ですか。

下河辺:米軍もすでに、5000キロぐらいの

江上:そうですね。

下河辺:情報技術的なネットワークを持っていますから、それは戦争のために作って、いまはもう、利用がなくなったから、沖縄で使ったらどうかっていうのが米軍の意見で、私はそれに賛成したんですけれども、まあ、沖縄県民には米軍の占嶺を認めることになるのが嫌だと言って、あまりはっきりした返事していないんですよ。

江上:そうですか。この当時の大田県政側から、このB項については、あんまり前向きな返事は返ってこなかったんですか。

下河辺:そうです。たまたま、基地返還論の一環だったものですからね。
296

● 「下河辺メモ」 C項-1蓬莱経済圏構想

江上:なるほど。大田県政の政策としては、ーちょっと矛盾することになったんでしょうかね。それで、C項は「蓬莱

経済圏構想」ですね。これについても再三、下河辺先生からいろいろとこれまでも話していただきました。「福建

、台湾、沖縄に広がる広域経済圏(蓬莱経済圏)を形成するため、貿易、直接投資、雇用機会、文化学輝

交流、観光事業等の交流が.活発化するような各地域が協力して特別な処遇捨置を講ずること。特別な処

遇措置として、免減税、入国ビザ、交通通信システム、資源共同開発、自由_貿易地域」と記されています。
これについてはどうですか。

下河辺:いや、吉元がひとりでまとめ上げたわけですよ。

江上:そうですか.

下河辺:それで、私がそれをバックアップしたんですけれども、政府が了解しなかったんです。

江上:政府がね。外務省とか大蔵省とかがですか。

下河辺:やっぱり、法務省ですね。

江上:法務省ですか。

下河辺:入国管理上、ちょっと面倒臭い問題なんですよ。

江上:入国ビザとか。

下河辺:それで、将来の問題にされちゃったから、ほとんど実現しなかったんですけどね。

江上:先送りになってしまったんですね。

下河辺:だから、闇の貿易になってんじゃないすかね。

江上:(笑)昔、戦争直後の混乱期に沖縄には闇貿易の時代がありましたが。

下河辺:そうです。

江上:梶山官房長官が沖縄に来られたときに、よくこの構想を提唱していましたが、これは本当は吉元きんのア

イディアだったんですか。

下河辺:吉本さんたちとわれわれがやったわけです。

江上:先生たちと。

下河辺:それで、吉元が福建省へ行って、福建省が了解して、事務所まで作ったわけです。

江上:立派な建物を作りましたよね。

下河辺:ええ

江上:完成しましたね。

下河辺:それっきりで終わっているわけですね。

江上:そうなんですよね。

下河辺:だけど、また台湾問題の情勢がちょっと違ってきたから、もう一度やる人がいたら、まとまるかもしれない


江上:そうですね。あここまでいって建物まで造って、活用しないともったいないですよね。うまくいっていないのは、

入国ビザとか免減税とか、そういった規制緩和の部分でやはり、日本政府の抵抗がかなり強かったんでしょうか

297

下河辺:そうですよ。抵抗っていうか、なかなか法律的には、難しいんですよ。

江上:阜うですね。沖縄だけ例外扱いする形になりますから、それが難しかったんでしょ
うね。

眞板:外務省は特に文句言わなかったんですか。

下河辺:文句って言うよりも、不可能って言ってたですからね。文句以前ですよ。

江上:外務省ははなから相手にしなかったんですね。

下河辺:そういうローカルな国際交流を認めてなしiんですからね。ロシアと北海道のさえ、認めなかったわけで、

日本はそういう意味じゃ、外務省も法務省も非常に鎖国的ですよね。

江上:そうですよね。地方からの国際交流を、という時代がありました。沖縄も西銘県政のときにかなり盛り上げ

ようとしましたが、国際交流事業は外務省を通さないと、なかなか実施するのが難しかったんですね。

眞板:ちょうど西銘さんのころに、台湾に事務所を作ろうとしてですね、それが、上りの情報になってしまって、外

務省の目に留まることになって、県がものすごく叱られてですね、結局、事務所は地元の民間企業が作った法

人が、事実上、県の出先事務所みたいな形で。

下河辺:そうですね。

眞板:何とかこぎつけた、なんて話がありましたけど。

江上:C項の特別な処遇措置のひとつに「資源共同開発」とありますけど、これについては先生はどういうことをイ

メージされているんですか。

下河辺:自然?

江上:資源の共同開発

下河辺:それはどれです?

江上:C項の中で「免減税、入国Iビザ、交通通信システム、資源共同開発、自由貿易地域」と列挙されていますが、その中の「資源の共同開発」ですね。

下河辺:資源の共同開発っていうのは、そのひと′っのテーマは砂糖でしたね。

江上:ああ、砂糖ですか。

下河辺:それから、深海の海水の利用ですね。

江上:海洋深層水といま言われているものですか。これを福建とか台湾とか沖縄で共同でやったら、どうかということですか。

下河辺:そうです. それで尖閣列島を一緒にやろうと。

江上:尖閑の近辺には油田があるのではないかといわれていますが、油田発掘も共同作業でやればいいじゃないか、というお考えだったんですか。

下河辺:イメージだった。

江上:なるほど、そういうイメージだったんですね。この蓬莱経済圏構想は、今からでも可能性があるでしょうか。
298

下河辺:いやあ、それは具体的な中身の討論のし直しでしょうね。

江上:なるほど。

下河辺:時間が経っちゃったから。

江上:先生が考えられたときとは、状況が変わってきた。

下河辺:ちょっと達うんじゃない。

● 「下河辺メモ」 D項一一国際学術交流研究所構想

江上:違ってきましたね。

そして次のD項は、要するに熱帯・亜熱帯の国際学術交流研究所を、ということなんですが、D項は先生のメモを全部読ませていただきますと、「南アジア、太平洋諸島における食料生産と環境保全のための技術を発展させ交流するために熱帯亜熱帯農林水産畜産に関連する国際学術交流研究所を設置すること. 一つの事例として、環境問題(ゼロ・エミッションズ)とサトウキビ関連産業の振興を連動し、研究開発と起業化を図ること」というふうになっています。これは結局、その後、ト沖縄県の亜熱帯総合研究所になるんですか。

下河辺∴いや、亜熱帯総合研究所っていう前提じゃなくて、何か日本の大学が、なんか国産型の大学しかないから、国際的な大学を沖縄に例外的に認あられないかって議論したんですね。そしたら、沖縄から反対があってつぶれたんです。

江上:先生のこの文章を読むと、これは要するに大学院大学の構想そのものですね。

下河辺:いやあ、大学院大学の構想も、国産型の大学院大学を言っているから、国際的な大学を作りたいって私は思ったわけです。

江上:そうですね。国際学術交流研究所と、たしかに「国際」がついていますね。

下河辺:国立じゃないっていう。

江上:国立ではない。国立だったら文部科学省の管轄になりますからね。

下河辺:入っちゃって、またカリキュラムから、なんか教授から、みんな決まっちゃうわけでしょ。

江上:そうなりますね。

下河辺:だから、そうじゃなくて、沖縄には例外的に国際的な大学を作ろうって言ったんですね。そしたら、政府のほうは、本当にできるのならっていうぐらいの関心は持ったわけです。

そしたら、案の定、沖縄の大学が反対でできなかったんです。沖縄にそんなに立派な大学はいらないって
江上:そうですか。

眞板:いま進んでいるのは、文部省の所管外に。

下河辺:そうそう。
299

眞板:ということですよね。易の、尾身さんの構想では、文部省の所管外で国際的なノーベル賞級の人を学長だか何かに迎えて、世界中から学者を集めて沖縄で研究してもらうという、構想でしたよね。

下河辺:で、その構想、誰がやるんですかね. 国がやらなくて、できんですかね。

江上:内閣府が大学院大学構想を推進しているけれども、最終的にその大学もできたら文部科学省が管轄するんですよね、いまのままだったら?

眞板:そうですか。

江上:だから、先生はそうじゃなくて、日本政府の所管に入らない、まったく別個の大学を構想しておられたんですね。

下河辺:まあ、最初はアメリカがノース・イーストのイースト・ウエストセンター持っているから、沖縄はノース・サウス・センターを作ろうっていう話し合いから始まったんですよね。

江上:そうですね。

下河辺:そしたら、アメリカのほうで、そのイースト・ウエスト・センターはちょっと、おかしくなっちゃったから、なんか、 サウス・ノースっていう言葉の意味がなくなって、野村総研の人がまとめてくれてたのが、ちょっと挫折しちゃったんですよね。

江上:でも、ここで先生が言われている国際学術交流研究所は、いまの科学技術系の大学院大学構想につながっているんですね。

下河辺:考えていいでしょうね。

江上:そうですね. ま、だからそういう意味では、この大学院大学構想がこのまま順調に進展していけ. ば,このなかに先生の構想のひとつが結実するということになります。ただ、それが本当に国際的な大学院になるかどうかという問題は残るでしょうね。これは、環境問題とか、ゼロ・エミッションとかサトウキビ関連の振興ですから、やはり農林畜産寒の大学院大学でしょうか?

眞板:基本的には自然科学系

江上:自然科学系。あれバイオか。それは特にいま科学技術系の沖縄の大学院大学は、バイオテクノロジーつていうのを全面に出していますね。

下河辺:バイオの仕事をやろうっていうのもありますけどね. だけど、むしろ、インフォメーション・テクノロジーつていうか、ITの方がむしろ興味が彼らに深いんじゃないすか。

江上:ITの方がですか。「彼ら」というのは、尾身さんたちのことですか。

下河辺:そう。

江上:この国際学術交流研究所は、関連産業の振興と連動させ、研究開発と起業化をともに図ることを織り込んであります. だからこれはビジネスにつながるわけですね。
下河辺:そうです。
300

● 「下河辺メモ」 E項一一国際医療センター構想

江上:次のE項は、国際医療センターについてですね。

下河辺:そうです。

江上:これは、とくに米軍関係の医療施設を利用するということですか。

下河辺:そうです。海軍病院っていうものの役割をどう評価するかだと思うんですね。

江上:そうですか。

下河辺:だけど、日本は医師会が頑張ってて、海外からのサービスを受けようとしてませんからね。ちょっと難しさがあるわけです。

● 「下河辺メモ」 F項--アメリカントレードセンター構想
江上:なるほど。
それで、次のF項は「AmEx951nOkinawa'を発展させて、アメリカのアジア市場への玄関口として、日米共同してアメリカントレードセンターを建設すること」とあります. AraEx95inOkinawaに先生が携わって協力されたんですよね。

下河辺:そうですね。

江上:95年に行われたんですね。

下河辺:そうです。それも、返還土地の利用ってことと絡んだり、あるいは、那覇の港の機能と絡んだりして、総合的な問題にしようと、したんですけどね。そしたら、大阪のアメリカントレードセンターのほうが、先にいったんで、沖縄のはうが、ちょっと、動いていない状態ですね。
.
江上:大阪の方へ行っちゃったんですね。

眞板:大阪のトレードセンターって、第三セクターでやっているものですか。

下河辺:そうです。

眞板:かなり、財政的に悪化しているところですよね。

下河辺:いまは、悪化してますけど、悪化は当然、予想されてたんじゃないすか。これから時間かけて、何とかしてくんでしょう. 大阪の復活については、一番重要なテーマですからね。

江上:これは要するに、アメリカの企業がもっと沖縄に来てくれないか、ということですよね.。そういう願望は沖縄の人々からもずいぶん、聞いたことがあります。たとえば、フェデイクスですね。
フィリピンのス-ピックの基地を私はかつて視察に行ったことがありますが、あそこにはフェディクスの輸送機が群がっていましたね。

下河辺:ええ、そうです。

江上:沖縄にも来てくれないかという要請を受けて、フエディクスも調査にきたことがあったようですが、その後、やはり何の反応のないままです。
301

下河辺:いや、反応がないんじゃなくて、アメリカの企業は、小泉さんの姿勢がちょっと解せないんですよ。小泉さんは沖縄とアメリカの関係は、有事のためだっていうことしか言わないんですね。有事のためなら、行ってもしょうがないっていうことになっちゃうんですね。

江上:平時にならないわけですね。

下河辺:ビジネスの市場には何ないですね。

江上:なるほど。

下河辺:一番最初はアメリカの企業は、沖縄を基地にして中国市場を狙うっていうことを考えたんですね。それを小泉さんが、断った形になるんすね。

・江上:そうですか。

下河辺:有事のときしか、沖縄考えないっていう、話になっちゃうんで。

江上:それは、・最近の話ですか。

下河辺:最近っていうか、小泉さんが最初、総理になってからずっと、一貫してんじゃないすか。

江上:2年前から

下河辺:とにかく有事論が、あの人、好きだから。

江上:アメリカのビジネスが沖縄に入ってきて、沖縄の経済にも大きく寄与するというのはいいんじゃないかと沖縄の指導者から聞いたことがあります。

下河辺:いや、ですから、、、、

江上:それはやはり中央政府のはうが反対なんですか。

下河辺:-中央政府がだめなんですよ。

江上:そうですか。

下河辺:台湾っていうのが問題地域だっていう認識が、かつて強かったわけですからね。
北朝鮮と台湾問題っていう形の議論を一所懸命してたときだから。

江上:そのようにはならなかったわけですね。

● r下河辺メモ」~G項-国際大学構想

次のG項に移りますけど、G項は国際大学の設置ですね。「MITなどアメリカの大学と共同して、国際的な学術交流を行い、アジアの留学生を受入れ、アジアの発展の人材を育成するため国際大学を沖縄に設置すること」ということですけども、これは、さきほどのの亜熱帯の国際学術交流研究所とは別の話ですよね。

下河辺:別です。

江上:こちらは人材育成の話ですね。

下河辺:ええ。ですから、さっき言ったように、現地の大学、みんな反対だったんです。

江上:(笑). そうですか. 「沖縄国際大学」があるからでしょうか。
302

下河辺:そう。

江上:そうか. 現地の大学からぜ、んぜん、協力が得られなかったんですね。むしろ協力を得られるどころか、反対意見が相次いだんですか。

下河辺:そうです。

江上:先生は既存の大学にはないような、もっと国際的な学術交流や留学生の受け入れがアジアを中心に展開されるような大学を構想されていたんですか?

下河辺:沖縄と北海道にちょっといままでの大学とは違った国際的な意義をもった大学を作ろうっていうのを沖縄や北海道の人たちとだいぶやったんですよ。

江上:そうですか。

下河辺:両方ともうまくいかなかったですね。

江上:北海道のほうもやはり既存の大学から反対があったんですか。

下河辺:いや、既存の大学が賛成と反対に分かれちゃって。

江上:あ、賛否が分かれたんですか。

下河辺:賛否が分かれたです。

江上:沖縄の方はぜんぶ反対だったんですか。

下河辺:ぜんぶ反対

● 「下河辺メモ」 H項-一国際ニュービジネスコンサルタント協議会構想

江上:そうですか。そういう事情があったんですか. 沖縄の大学は、立派な大学ができると自分の大学が圧迫されると考えたんでしょうかと(笑)

それで、次のH項に行きますけども、これは国際ニュービジネスコンサルタントの提唱です。「沖縄に新産業構造を創造するためにベンチャー型のニュービジネスに便宜を提供し、全世界の起業家に機会を与えるため、助成、免減税など特別支援を講じ、国際ニュービジネスコンサルタント協議会を設置する」とあります。

下河辺:斡旋をするための協議会を作りたかったんですね。・で、アメリカやヨーロッパへ行って、宣伝してくるような仕事をやろうって言ったんですね. ただ、日本の企業さえ行かないのに、欧米の企業が行くわけないじゃないか、なんて冷やかされたことは多かったですけどね。

江上:このビジネスコンサルタントって、これから重要になりますね。

下河辺:これはとても大事です。

江上:大事ですよね。

下河辺:ただ、なかなか沖縄の立地条件から言うと、受けて立つっていう企業は、あんまりないでしょうね。

江上:ずいぶん努力しました,が、国内での企業も来ませんでしたからね。
そうとう思い切った仕掛けとか特別措置を講じなければ無理でしょうね。でもビジネスコンサルタントはこれから沖縄が経済発展しようと思ったら、特にベンチャー型のニュービジネスを育てようとしたら、とても大事ですね。
303

下河辺:いやあ、そうですよ. ニュービジネスっていうことは、製造環境じゃなくなってきでんですね。情報産業とか観光産業っていうことで、具体化することが必要なんでしょうね。

J 「下河辺メモ」 I項-1観光企画機構構想

江上:そうですね。

それでは次にI項ですが、これは観光企画機構の設置についてです。「沖縄観光500万人を目標に、官民協力して、観光のテーマとイベントを発掘するた臥観光企画機構を設置すること」と記されています。

下河辺:そうですね。

江上:沖縄県にコンベンションビューーローがありますけれど、これとはぜんぜん別ですか。

下河辺:いやあ、それはまだ、ひとつも固まってないんじゃないすか。

江上:固まってないですね. 要するに沖縄観光業の抜本的な計画あるいは企画を作る機構が必要だということですか。

下河辺:いや、機構って言うよりも、沖縄観光って何だっていう、そもそも論をもっと議論する必要がありますね。

江上:要するに、再三、先生が指摘されてIゝるように、沖縄観光の質を考えるべきだということですね。

下河辺:だから、県庁でもそれを認めてて、県計画の中の観光計画をどうするっていうのは、宿題になってんだけども、現在の審議会の委員で、そういうことを議論する人がいないんですね。

お客の立場に立つ人がいっぱいいても、なんか、観光を動かしていく専門家がいないんですね。

江上:沖縄県には観光課がありますけども、観光政策をもう少し、きちっと打ち出すべきじゃないかということですか。

下河辺:観光業者を監督する役所であって、観光を創造するような仕事をしていないんですよね。

江上:そうですか。

下河辺:結果的に人数が増えたの減ったのっていうことで、一喜一憂しているわけです。江上:ということは、この観光企画機構は沖縄県などの役所とは別枠で構想されたんですか?

下河辺:そうですね. ま、県庁辞めて来てくれる人がいてもいいとは思いましたけどね。全県に詳しい人がいた方がいいですからね。それは、行政の仕事としては限界があるっていう。
304

江上:沖縄コンベンションビューローは民間の人と県からの出向の人とが一緒にやっていますけどね。

下河辺:そうですね。

江上:まだ十分な成果が上っていないようです。

下河辺:中身がないと、成果は上んないですよね。

● 「下河辺メモ」 J項一一国際通信、国際空港、国際港湾整備

江上:それで、最後の項であるJ項に移りますけども、これは「国際都市沖縄構想を実現するための諸事業の共通する基本的インフラストラクチャーとして国際通信、国際空港、国際港湾を整備すること。これらの整備のため、米軍基地との調整を図ること」と先生は記されておられます. 沖縄の国際空港の機能は弱いですね。国内空港としては新しく立派なものができましたけども、国際空港としては貧弱ですね。

下河辺:お客がいないもの。

江上:確かに客がいない(笑)
沖縄の国際空港は国内空港はおろか離島垂港よりもずっと小さくてお粗末ですよね。

下河辺:そう。

江上:国際空港というイメ「ジではないですね。

下河辺:所詮は嘉手納の空港を官民両用にすると号が、やがてきますよ。

江上:そうですか。

下河辺:それ待つ方が懸命だね. 新たに自分で造るなんて、大変なことだからね。

江上:かつて嘉手納の軍民共用については少し沖縄で議論されたことがあーりますが。
下河辺:いや、いまだって。

江上:そうですか。

下河辺:地元は言っているわけでしょ。だけども、地元の名護市の市長が言っているのは、なんか米軍の飛行場論とちょっと違ってんですよね。せっかく移転するなら、小規模空港でいいって、言ってんのに、併用すると、大きな飛行場を造んないとだめなんですね。だから、最低1000メーターの滑走路がいるっていうことになって、それを軍用として造ってくれって言ってるわけですね。それを軍の方は、50メーターの滑走路で十分って言っているから、なんか併用っていう言葉の意味が、技術的には混乱するんですね。

江上:ずいぶん大きくなってしまいましたよね. 軍民共用ということになって民の部分を付け加えたからですね。

下河辺:だけど、まだ決まんないんでしょうあれ。つていうのは、普天間を移転する前に、もう、撤去するっていう議論がまともに出てき-たからじゃないすか。

江上:あ、そうですか。

下河辺:はい。
305

江上:晋天間から撤去するというのは、海兵隊がですか。

下河辺:海兵隊が。

江上:はあ。

下河辺:それで、ちょっと様子が、事情が変わりすぎて、複雑ですね。だから、アメリカにすりやあ、グアムに移す方が、よっぽど、合理的かもしれない。

江上:そうですね。海兵隊の_グアム移転は前から話が出ていますね。でもやはり米軍としては、対中国との関係で沖縄に置いといたほうがいいんじゃないでしょうか。

下河辺:対中国との関係で、いらなくなったって見ているわけです。

江上:いらなくなったんですか。それは中国との緊張関係がなくなってきたから、ということですか。

下河辺:軍事協定するんじゃないすか。もう間もなく。

江上:そうですか。そうすると、確か′に沖縄の基地の重要性は減少しますね。

下河辺:沖縄は朝鮮と台湾のために、置いてあったようなもんだから、朝鮮の問題も台湾の問題も、ほぼ終わっちゃうんじゃないすかね。

江上:そうなると、もう沖縄に米軍基地がある必然性はなくなりますね。

下河辺:だから、小泉さんは慌てて、有事のために米軍が必要なんてことを積極的にしゃべっているわけ。

江上:あ、そうですか。小泉さんの方は一所懸命、米軍の引止め策にかかっているんですか(笑)

下河辺:海兵隊に会うと、もう有事なんて言っている時代じゃないって言って、いますよね。

江上:そうですか。

下河辺:北朝鮮が攻めてくるわけはないし。

江上:、そうですね。

下河辺:中国とは軍事協定したし、ぜんぜん状況が違うって、思ってんじ_やないすか。

江上:台湾と中国の関係が荒れることなく治まれば、沖縄の周閲の危険性は大幅に緩和されます。

下河辺:いやあ、もう、治まったんですよ。

江上:そうですか。

下河辺:それは台湾っていうのが、反中国の蒋介石の軍隊が占拠したっていう意味で緊張してたわけでしょ。それで、蒋介石親子が死んで、兵隊は年取っちゃって、いまや台湾に軍事的なテーマないですよ。むしろ、残った年取った兵隊を老兄と称して、老兄をどう処理するかのテーマでしかないすもんね。

江上:ということは、その世代が消えていけば。

下河辺:おしまいになっちゃう。

江上:そうなったら、ふたつの中国とか、ひとつの中国とかの問題も、おのずから解決の方に向かうということですか。
306

下河辺:そんなのいまや、誰も考えないじゃない. 台湾は台湾人の島っていうことで、はっきりしたんじゃないすか。だから、中国だって、台湾人の島っていうのを否定なんかしていませんよね。

江上‥なるほど。そうすると近いうちに、沖縄の基地が大幅に縮小撤去される可能性が十分出てくるんですか。

下河辺:出てきますね。

江上‥そうですか。でも、小泉さんが有事だ、有事だ、と言っている限りだめなんだ(笑)

下河辺:えっ?

江上:小泉さんが有事だ有事だって言っている限りはだめなんでしょう?

下河辺:有事だめづて言うのは、撤去できないってこと?

江上:ええ、アメリカに対して有事のために米軍が必要だということを、小泉さんが言い続ける限りにおいては。
下河辺:それをアメリカに?

江上:ええ、アメリカに(笑)

下河辺:アメリカに言ったって、どうしようもないでしょ。そんな有事なんかありませんって言うだけでしょ。

江上:そうですね。

下河辺:それは小泉さんも知っているから、アメリカには言わないんじゃないすか。

江上:アメリカには言わない。

下河辺:日本の憲法と自衛隊との関係でだけ、言うんじゃないすか。

江上:ああ・そういうことですか。先日、ラムズフェルド国防長官が沖縄にも韓国にも自ら出向いて視察したように、アメリカは自国の軍事戦略を自らの眼で確かめ国益に則して決定していきますからね。

下河辺:だから、彼はもう決めてきたんですよね。

江上:そうでしょうね。

下河辺:沖縄っていうのは、平和の島がいいんじゃないかっていう感覚で来たら、なんか米軍がいることのトラブルだけが話題になったから、なんか話し合いになんないと思ったんじゃないすか。

●沖縄特別県制構想についての検討

江上:(笑)なんかそんな感じでしたね・鳩が豆鉄砲食らったような(笑)
稲嶺さんが要求7項目をつきつけたんで、びっくりして(笑)

これまで検討すべき事業として先生のメモにあらた10項目について逐次、説明を加えていただいてありがとうございました。それでは次の質問に移りますが、先生のAからJまでの10項目は、大田県政と橋本総理をつなぐ、言い換えれば、歩み寄らせるための大きな方策だったんだと思うんですけども、このときの調整では吉元さんたちがかつて主張していた、沖縄特別県制構想のような沖縄の自治の問題が入る余地は、ぜんぜんなかったんですか。

下河辺:その、自治っていうことの自治労との論争が、ちょっと失敗っていうか、うまくいかなかったんです。

江上:そうですか。そういう経緯があったんですか。

下河辺:というのは、失業率がこんなに高くなって、労働組合の役割が大きくなったって吉元が理解したら、組合の組織率が下がる一方なんですよ。

それで、労働組合っていったいなんだって、根本論に移っちゃったんですね。で、日本からフォーラムへ来た学者たちは、古い労働組合論の人たちぽっかりだったんで、答えが出なくなっちゃったんですね。

私はもともと、沖縄で労働組合って古い組織では、労働問題に対応できないっていう立場だったから、なんとなく学者も吉元さんも困ってましたよ。だけど、いまやまさにそうなっちゃったんじゃないすか。

江上:ということは、そういった自治の問題っていうのは、労働組合との関係でうまく浮かび上ってこなかったわけですね。

下河辺:ちょっと、むしろ沈んでっちゃった。

江上:沈んでしまったんですね。労働組合の考え方がこういう沖縄のターニングポイントで、うまく主張とか政策を反映させるような状況にはなかったということですか。

下河辺:実際問題として、企業と戦う賃金の問題っていうことだとすると、そういう条件って沖縄にはなかったわけですね。

江上:はあ。

下河辺:企業がないんですから。

江上:小さな企業しかありませんからね。

下河辺:それでいて、一人当たり所得の低い過疎県であるにもかかわらず、人口増加が激しい唯一の都道府県の中のひとつだったわけですね。だから、実際、労働組合の連中は、どうしていいか、わかんなくなフちゃったんじゃないすか。

江上:沖縄には、先生がおっしゃるように大企業はありませんので、中小企業ばかりですので、そういう意味では自治体が職場としては-番大きいんですよね。組織としては、沖縄県庁が7000名くらい職員がおりますから、で、そういう意味で、沖縄労働組合の主力は自治労だったんですよね。

下河辺:自治労は強かったんですけども。

江上:強かったんですよね。

下河辺:ただ、それが、県庁の中で、自治労から脱退する職員が、どんどん増えるんで、困っていたわけですね。

江上:-その当時からですか。
308

下河辺:はい。

江上:自治労が職場の人たちにアピールする力を失ってきたんでしょうか。

下河辺:そうですね. なんか、労働者個人が自分の問題として考える時代になっていったわけですね。自治労に頼って、賃上げしようなんて思う職員が、いなくなっちゃったのね。

江上:ということは、かつてのように沖縄の自治とか、あるいは沖縄特別県制とかの構想を、当時の自治労としては、もうあまり支える人たちもいなかったんでしょうか。

下河辺:彼らはやりたかったんでしょうけども、組合員がみんな離れていっちゃちゃできようがないですよ。

江上;そうですね。自治の要求を阻むを要素や作用ががあったんですね。そういうのより、現実的な経済政策の方はやはり、良かったんでしょうかね。

下河辺:ま、経済政策って言っても、国に援助を頼むとか、米軍に期待するっていうような姿勢が、労働組合でも捨てられなかったからね。

江上:そうですね。

下河辺:だから、かってのように、独立運動なんていう青年がどんどんいなくなっちゃったんですね。

2015年期限問題

江上:そう′ですね。それでは3番目の質問に移りますけども、2015年期限の問題がありましたね。先生はもうちょっとうまくやればよかったんじゃないかというを発言なさっていますけども、これはどういうことだったんでしょうか。

下河辺:いやあ、沖縄にすれば、15年っていう長さの中で、話し合いする約束だけしちゃいたかったんですね。だから、遅くとも15年後には、復帰するっていうことを思っていたわけです。で、私は、よくまあ15年も待つ気になったねえっていうことを言っていたんですね。だけど、早くもあと12年になりましたから、ぼやぼやしていると期限が来
んのかもしれませんね。

江上:あっという間に15年、20年経っちゃって(笑)何も変わらないままでは困りますね。

下河辺:それでも、米軍のほうが、国際情勢の変化かち、撤去する可能性はいままでより、はるかに高くなっていますね。

江上:でも、この2015年という期限は実際、計画をアメリカにぶつけるような形_になって、アメリカからはとんでもないっていう話になっちゃったんですか。

下河辺:とんでもないっていうのは、時間は決められないって言ったけど、もっと早くちやいけないのっていう質問さえ出たんですね。

江上:アメリカからですか。

下河辺:そうです。
309

江上:はあ、そうですか。

下河辺:アメリカは沖縄有事っていう問題はなくなったっていう認識で議論していますから、アメリカのタックスペイヤーが、沖縄に軍を派遣することを認めるかどうかさえ、わかんないっていうようなことを言ってましたね。

江上:なるほど、そういう意味ですね。

下河辺:これから、また緊張状態なんかが出れば、10万以上いるっていう意見が、アメリカから出る可能性があるかもしれませんが、いまだったら、15年もいないっていう気持ちの方が強いんじゃないすか。

江上:じゃあ、稲嶺さんが1988年の知事選で当選したときに出した15年期限論ですが、あれについても先生はだいたい同じような考えですか。

下河辺:いや、まさにそのことを言ってたわけです。

●橋本・大田の信頼関係破たんについて

江上:そうですね。別に15年じゃなくても、もっと早めで、たとえば、5年とか10年とかでもいいじゃないかということですね。

それで、先生を始めとするいろんな方々の努力で、いったん大田県政と橋本総理が歩み寄りまして、それで政策協議会も設置され、いろんな経済振興策も動いていくということになりました。阜れでしばらくは良かったんですけども、結局、ご存知のように、せっかく築き上げた信頼関係が破たんしていくことになります。そういった破たんに向かっていく分岐点はどのへんだったんでしネうか。

下河辺:破たんしたんですかね。

江上:大田さんと橋本さんは結局、最後は再び対立しましたね。

下河辺:それは、ちょっと、私のメモで提携したっていう話と別の話ですね。

江上:それとは別の局面です、もちろん。

下河辺:だから、政治的には選挙なんかになれば、当然、敵と味方ですよ。

江上:総選挙までは良かったですよね。

下河辺:選挙後もいいですよ。

江上:そうなんですか. でも結局、両者の関係がおかしくなっていったのは、名護の住民投票などもあって大田さんが次第に海上基地建設に反対に傾いていってからです。

下河辺:それはよく、大田さんと話し合ったけども、名護の市長の選挙だけじゃなくて、いろんな県民投票っていうか、アンケート調査なんかでも、もう大田政権の時代じゃないことを大田さんがよく知ってんですね. で、私は大田さんに大田政権続けるのなら、那覇のヤングを捕まえるっていうことを特別にしないと、選挙は負けだよって言ったら、大田さんは負けていいんじゃないかと、自分の沖縄戦以来の政治姿勢を変えないまま辞めていきたいって言いましたよ。だから、私はそれは立派なことで、大田さんは最後まで自分の政治姿勢を崩さなかったっていう歴史を残しましょうって言ったら、彼は喜んでたよ。
310

江上:それは沖縄県知事選挙の直前に大田知事と会われたときの話ですね。

下河辺:そうです。

江上:そのときに、基地に「ノー」と言って、準挙で負けてもいいと大田知事が先生に話されたんですね。

下河辺:そう。

江上:大田さんは平和学の研究者として筋を通す形となりました。

下河辺:そう、筋を通したかったわけですよ。

●大田知事と岸本市長の移設先基地イメージのギャップ

江上:通したかったわけですね. 橋本首相との関係で大田知事が海上基地を応諾しようとした時期もずいぶんあったようにみえましたけでね。

下河辺:いやいや、応諾っていうのは、また別の問題ですよ。それは、何ていいますかね。普天間の移転っていうことは、・知事のテーマだし、移転してくれるのはありがたいことだし、そして、規模縮小案だったから、余計、知事はうれしかったんですね。ところが、名護の市長が併用論を出してから、小規模基地でなくなったんですね。

1000メーターの滑走路を持つなんて話に戻っていったから、知事はそのころは、もう地元の話に任せていて自分の意見を言いませんでしたね。

江上:なるほど. 海上へリポートから海上基地に変わっていって、大田さんが想定していたような規模の小さな移転先でなくなってしまった. それで、大田知事自身もだんだん身動きが取れな_くなっていったっていうことでしょうか。

下河辺:身動きが取れないっていうか、むしろ名護の市長の言うとおりにしようと思ったわけですよ。米軍とはまた意見が違っちゃって、で、知事と米軍とは考え方が一致しての移転だったんすね。それが市長さんの意見で、ちょっと大規模化が進んじやったっていう。

江上:岸本名護市長の考え方に従うと結局、大幅な縮小という形で移転したいという大田さんの本来の考えから離れていったんですね。

下河辺:そうです。

江上:普天間移設をめぐっては県民も意見が分かれました。

下河辺:そう、で、まあ、アンケート調査とか選挙のたんびに、どうもちょっと、厳しい意見ではなくなってきたわけですね。だんだん沖縄で、米軍の駐留を認める方向へ、世論は動いていちやったから、そのときに世界情勢が転化して、米軍が出て行くっていうような情勢とまったから、ちょっと意見がすれ違っているんすね。そこへ小泉さんが出てきて、有事の沖縄なんていうことを古めかし'く言ったから、米軍とも離れ、県民とも離れちゃってこいるのが現在じゃないですかね。

311
江上:日本政府と大田県政は結局、関係修復ができなかった。大田さんは知事選で「海上基地反対」を掲げて、学者知事としての筋を通した形になりました。下河辺先生のお話によると、大田さん自身がそれを望んだということでしたが、しかし橋本首相をはじめ日本政府としては、それは約束が違うじゃないかという思いだったでしょうね。

下河辺:約束っていうのは。

江上:ですから、沖縄側が望んだ普天間返還を橋本総理がアメリカ政府と一所懸命、掛け合って実現したわけですから、それで、それが条件付だったわけですけれども、名護移設に向けて大田知事が骨を折るのが筋じゃないかと橋本首相は考えられたんではないですか。

下河辺:いやあ、あまりそう思っていないんじゃないすか。

江上:そうですか。

下河辺:移転ということはいまだに消えてないわけでしょ。だから、移転するんじゃないすか。それで、不思議なことになったのは、大田知事が国会議員になっちゃったっていうことで、あんな当選したって、国会での発言権って小さいけれども、1回発言しましたよね。それは、米軍の沖縄から撤去するのはいつかっていうような質問に終始したんですね。

そうすると、情勢しだいでやがてでしょっていうような答弁しか期待できませんよね。

江上:そうですね。まあ結局、国政では沖縄のために活躍する場は小さくなりますね。

下河辺:だから、私は彼は学者になって、戻ってりやあいいのにと、思ったのね。で、学者としての発言の方が、みんなから注目されると思うんですね0 だから、参議院議員からなんか言っても、当然のような話になるんで

江上:いろんな事情があったのかもしれませんね、参院に出ざるを得ないような。社民党に担がれたというのもあるのでしょうし。

下河辺:社民党とともに滅びちゃうんじゃないすか。

江上:でも今度の選挙で、社民党は2議席を沖縄で取りましたからね。
下河辺:そうね。

●吉元副知事、不再任の影響

江上:共産も1議席を取りましたから(笑)。この結果は日本全体の社民、共産退潮の流れとまったく逆ですから(笑). これも不思議な現象です。

話は変わりますが、吉元副知事が結局、再選されなかったということは、先生がいろいろ作業なさる上でマイナスとなることが大きかったんでしょうね。

下河辺:いや、辞めたからプラスになったから. どっちがいいかわかんない。
江上:プラスもあったんですか。

眞板:プラスはどういうのがあるんですか。

下河辺:いやあ、知事の考え方と違う場合なんかは、やりやすかったよね。吉元が担当してやっていると、反対するのが、ちょっと悼られた感じだ、でも、だんだんと吉元が県庁や大田県政から離れると、私にとっては頼みやすかったね。

で、政府の方も吉元を信頼して、大田知事を信頼してたわけじゃないから、~辞めても政府は吉元に相談したりしていたからね。`
312

江上:稲嶺県政になってからも、吉元さんは政府とのパイプ役をやっていましたね。

下河辺:そう、やってましたよ。

江上:そうですよね。

眞板:あの、じゃあ、そうすると、前後しちゃうんですけど、先生のご認識では政府と大田さんというのは、大田県政がなくなるまで、そんな関係は悪くなかったという。

下河辺:悪くなかったですよ。

眞板:実は県内のマスコミの方に伺うとですね、だいたい、吉元さんが再任を否決される97年の秋口くらいからですね、その政府とのパイプが目詰まりしだして、関係が悪化していくというような分析をなさっているかたが、案外、多ございまして、で、最終的に政府から見放されちゃうと、沖縄はどうしても、こう財政依存していますんで、不利益をこうむるというこ. とで、地元の財界の方は、じゃあ大田の対抗馬を立てようということで、稲嶺さんを立てて、という解説を。

下河辺:それは、おかしい、そんな講じやつながんないと思うの. 自民党系の人で、知事を立てたいっていう仕事は、政治的に当然なわけよね. 革新系の知事でいい、なんて思わないですよ。だけせ、そのことと、吉元がどうだっていう話とは関係ないのね. 吉元を使って、政府の窓口をして欲しいわけ、それは革新系も保守系も両方ともそうなんです。

江上:いっしょなんですね。

下河辺:そいで、彼がともかく東京へ来て、政府との折衝をして、補助金のことから何からみんな整理していたわけです。

江上:そうなんですか。

下河辺:大田さんっていうのは、結果だけを聞きに来たことはあっても、折衝する人じゃない。

江上:ということは、副知事を降りてからも吉元さんは政府とのパイプ役をやり続けていたんですね。そのことと知事選の動向とは関係ないわけですか。

下河辺:私と古川官房長官と吉元の関係は、ずっと続いていましたよね。

江上:そういうことですか. 確かに、保守系の人たちや経済界の人にとっては、革新系の知事よりはやはり、自民党系の知事の方がいいですからね。

下河辺:そりゃそう。

江上:そっちのほうを担ぎ出そうとしますよね。特に海上基地反対というようになると、真っ向から政府と対立する形になりましたからね。それと吉元さんの再任否決はちょっと達うんですね。

下河辺:橋本さんた. ちにすると、ずるく構えて、自分たちでアメリカに言い辛いところは。

大田知事なら言うだろうっていうような悪さもあったと思うね。

313
眞板:ただ、吉元さんが、副知事という立場からお離れになってしまうと、知事の公式的なメッセージを、公式的というか本音ですね、たとえば、海上へリポート基地に反対表明って言っても、選挙民向けにそうは言うけども、本音としてはこうですよ、みたいな、えーなって言いますかね、ネゴシエイションというか、を言う人間がいなくなっちゃうんじゃないですか。

下河辺:いなくて、いいじゃないの。知事が本当にどう思っているっていうことが、政府としては聞きたいわけで、戦略的な話を聞いてもしょうがないわけでしょ。だから、知事は本当は何を考えているのっていうことを吉元あたりからちゃんと聞きたいんじゃない。

眞板:それは副知事を離れても、あまり差し支えはなかったということですか。

下河辺:差し支えって-いうよりも、彼がよく勉強しているから、役に立っているよね。

江上:でも大田さんはその吉元副知事がいなくなったことで、かなり困ったでしょうね。各方面の交渉の大半を吉元さんに任せていましたからね。

下河辺:いや、それはもちろんそうでしょうね。

●海上基地のプラン

江上:やはり吉元副知事が否決されたあたりから、大田県政はいろんな面でギクシヤクしてうまくいかなくなっていきますね。

ところで海上基地についてですけども、先だっての話で60年代にアメリカ海兵隊にプランがありましたけども、その辺のプランと先生はずっとやっぱり関わってきたということですか。

下河辺:いやいや、そうじゃなくて、この60年代のプランっていうのは、どのことを言っているかによって達うんですよね。

江上:いろいろあったんですか。

下河辺:60年代のプランっていうのは、私たちの認識だと、アメリカの埋め立て業者のプランっていうことで、梶山官房長官のところへそれが送られてきて、官房長官が、普天間移転ということをアメリカが認めたから業者が出してきたんじゃないかっていう認識になったわけですね。

江上:はあ、そういうことですか。

下河辺:そして、どうなっちゃうか、反対が激烈になっちゃうんじゃないかって、言っていたら、意外と漁民が賛成しだしたから、そういう方向にちょっと向いたんですね。

眞板:というと、海上へリポートのような案がベクテルからあったという話がございましたよね。この埋め立ての業者のプランっていうのは、また違う業者?

下河辺:いや、その、そのことです。

眞板:あっ、そうですか。

江上:ベクテルですね。このベクテル以外にもあったんですか。

下河辺:いやいや、なかったんじゃないすか。
314

江上:でも、橋本首相が海上へリポート構想を打ち上げたその前あたりに、すでに日本の業者やアメリカの業者がいろんなプランを先生のところに持ってきたんですよね。

下河辺:そうですね。

江上:何社くらい持ってきたんですか。

下河辺:いやあ、そのアメリカのプランが中心で、梶山さんが議論してましたから、我々もそういう議論してましたけど。

江上:日本の業者もいましたですよね。海上の、なんといいましたかね。

眞板:ヘリポートみたいな、ぷかぷか浮いた、フローテイングですね。

下河辺:フローテイングのあれ。

江上:ありましたよね。そういうのが。

下河辺:あったんですけども、フローテイングっていうことで、漁業を守ろうとしたわけですね。

江上:そうですよね。

下河辺:ところが、漁民が賛成しちゃったら、そんなお金かけないで、安上がりの埋め立ての方がいいっていうこと

にすぐなったんじゃないすか。

●海上へリ基地と日米建設摩擦の関係

江上:それで海上へリポートも消えていくんですよね。沖縄の海を傷つけないようにといろいろ苦心惨憤して海上

へリポート案が出てきたんですが、地元の業者たちが地元に多くの金を落とすためこは大規模にやったほうがい

いとなっていくんですから、皮肉な話ですよね。

ところであの海上基地については当時の日米構造協議とか日米建設摩擦とのからみがあったんでしょうか。

眞板:確か橋本内閣が課題としていたのは、日米構造協議があったと思うんですよ。で、その中に先生もお関わ

りになられていますけど、保険問題とか、あと通信の問題とか⊥あと建設の問題。建設摩擦. だいたい大きく3つ

くらいのテーマがあったと思いますが、その時期的なタイミングでこれは邪推かもしれないんですが、建設摩擦を

回避するた馴こ、アメリカのゼネコンを日本の公共事業に参入させて、それのパイロットケースとして、普天間の

跡地の建設をこうやらせようとしたんじゃないのかと、いうように思ったんですけども、そういうこう日米関係との関

連性っていうのはどの程度あったのかなと思ったんですけど。

下河辺:いや、そういう議論はあったけども、結局、アメリカの建設業者が、日本へ来て建設事業やる気はなかっ

たんです。

眞板:あ、そうなんですか。
315

下河辺:だって、何がメリットになるの? 入札価橡でアメリカから持ってきて、勝てるわけがないじやない。だから、

彼らは日本の建設業者を使う発想しかできない、わけなんです。そうすると、使う分だけコストが高いじゃない。

だから、現実的にはあまり日米構造協議でアメリカの建設業者を使え、なんて話は話だけで現実的じゃないわ

け. むしろ、それよりは日米構造協議としては日本が公共事業をやることで、内需拡大をすると、日米の貿易に

いろいろプラスが出てくるんじゃないかっていう、ことだけ議論したのね。

眞板:県内的に見ますとi国場組がベクテルとJVを組もうとして、ベクテル案を国場組は一所懸命、推していたと

いうような話も地元では伝わってはいるんですよね。

下河辺:いや、だから、日本にやらせることで、自分でやるんじゃないってアメリカの企業が、もし、アメリカの業者

に頼まれることがあったら、国場組に下静'けさせようとしていたわけでしょ。

江上:そういうことですか。

下河辺:だけど、実らなかったんじゃないですか。

江上:・昔から国場組アメリカの基地の仕事をやっていましたからね。

下河辺:そうです。

●大学院大学構想について

江上:あとは大まかな話をお伺いして、そろそろ総括の方へ移りたいと思いますけども、先生はこのメモでいろんな

構想を出されて、その中でまだ実現していないのもありますし、まだこれから可能性があるのもありますけども、い

まの大学院大学構想がもっとも実現に向っているような感じがしますが。

下河辺:いやあ、もう年取ったから、関係ないけれども、いま、大学についての討論がようやく政府の中で始まっ

たわけでしょ。

江上:はい。

下河辺:だから、大学の改革論っていうのは、どういう結論になるかっていうのと、沖縄の大学院大学構想と、非

常に関係が深くなりましたね。

江上:そうですね。大学改革のいろんなプランとかアイディアがいま、いろいろと出てい
ますね。

下河辺:そうですよね。

江上:そうすると、沖縄の大学院大学構想もそういった大学改革の一環となる可能性があるということですか。

下河辺:一環になってきている。

江上:前例のない大学として。

下河辺:独立法人としての新しい沖縄の大学の構想を練る必要が出てきてんじゃんないすか。

江上:そうですね。国立大学はまもなく全部が消滅しますからね。
316

下河辺:そうですね。

江上:そういう意味では、大学改革という組織論の観点から見ても、この沖縄の大学院大学構想というのは面

白いということですか。

下河辺:そうです。

江上:新しい大学のあり方が検討されている時期での構想ですからね。

下河辺:私は具体的な点では、. 終身雇用制なくそうと、で、5年契約っていうことが可能なような道を開けって

いうのが、沖縄大学院に対するひとつの見方ですね。それで、大学の自治っていうことを本格的なものにするって

いうことで、もうちょっと知恵が要るんじゃないかっていう。

なんか、文部省の監督の下に、なんか自治って言っているような感じがあって、ひとつも自治じゃないって言って

んですけどね。

江上:(笑)いまの大学の独立行政法人化はそんな感じがします. 文部科学省の監督がとれないままで大学の

自主性を誇っても中途半端な感じがします。教員の任期制については、すでに取り組んでいる研究所や大学

があります。

下河辺:あるんだけれども、なんか生活の保護とか、失業手当とか、社会保障の点ができないのね。

江上:なるほど。

下河辺:終身雇用を前提にして作ってあるからね。だから、時間制の簡単に言えば、パートタイムの人たちの厚

生福利事業が、どうなるって問題と同じになっちゃったのね。なんかこのへんの喫茶店で働いている女の子と大

学の先生が同じテーマになっちゃう。そのあたりは、なかなか解決しないかもしれないね。

江上:確かに難しい点があるでしょうね. でも5年くらいの契約にしたら、むしろ外国からは研究者が来やすいんで

はないでしょうか。

下河辺:いや、むしろそう望んでいるわけでしょ。

江上:そうですよね。

下河辺:だから、沖縄なんかでも、アメリカの先生たちが来たいっていう面はあんですよね。特に志願兵の中にい

るんですね。医者でも哲学者でも、沖縄の大学で勉強したいっていう。

だけど、なかなかちょっと日本の文部省が、大学論をそこまで弾力的に考えることが、いまんとこ. ろはちょ`っとで

きないんじゃないですかね。

江上:そうですか。もうちょっと、日本の大学の先生たちをもう少し動けるようにしたはうがいいと思いますね. 私は

早稲田大学に移る前に、琉球大学に25年半いましたが、その間、できたら北海道とかあちこちの大学に行って

みたかったなあといまでも思います。

下河辺:いや、動けっていうと、現在の自分たちを守ってくれっていう動きにしか、なんないだよ。

江上:そうですか。

下河辺:国際化しようなんて先生、いないんじゃない?

江上:(笑)そうですか。そういう意味では、大学院大学に、先生は期待をもっておられるんですか。
317

下河辺:いやあ、日本の大学を沖縄でなくてもいいから、そういう大学できないかなあって思うね。そういうとき、

国として作りやすいのは、新しく作るんなら、沖縄じゃないかなあっていう。

江上:沖縄の. 方が作りやすいですね。北海道も前に検討されたことがあったとおっしゃってましたけども。

下河辺:あるんですけども、北大が強くて、国立大学だから、拘束されてて、なかなかうまくいかなくて。

江上:そうですね。北海道で北大が強いですね。

下河辺:本当は北大の連中が自分たちの大学潰して、新しい大学作るくらい元気があるといいんだけども。

江上:まあ、大学という組織は保守的な傾向がありますから(笑)。

眞板:沖縄開発庁の事務次官経験者の方に、大学院大学構想について、ちょっと聞いてみたんですよ。そした

ら、国が旗振り役で作るは結構だけれども、地元が欲しいって言ったわけじゃないんでしょと。で、そんなもの沖

縄に作ったって、場所だけ貸しているだけで、地元はありがた迷惑なんじゃないのかねっいうようなお応えが返って

きましたよ。

下河辺:それは、沖縄頼んだことがないんじゃないすか。だから、文部省の役人にすれば、頼まれなきややんない

すよ。だけど、頼事ない方がいいね. 新しい大学を作ることが消えてっちゃうよ。頼んだら。

●沖縄問題に関わってきた感想

江上:それで、おおまかな感想でよろしいんですけども、先生は復帰前の1970年から今日まで34年間の長きに

わたって沖縄に関わってこられました。沖縄の問題は、基地の問題と経済振興の問題がいつも出てきて今日ま

で変わらないのですが、まあ、そういった沖縄問題に長い間、関わってこられて、どんな感想をお持ちでしょうか。

下河辺:いやいや、要するに時代の変化が激しくて早いっていうことに、ひたすら驚いているね。だから、その時代

、なんかの変化の大きさと速度っていうものに、対応した沖縄を論ずることをやらないと、現実的なテーマになら

ないね。だから、復帰のときから付き合った、私にすると、その国際的な状況の変化が、一番大きなテーマね。も

う、戦争のためとか有事のためとか、そんなテーマがまうたくなくなったっていうのは、当時からみると考えられないも

んね。

江上:ということは、沖縄を取り巻く国際状況は非常に早く変化しているので、そういった変化に対応していきな

がら、沖縄の将来の方向性を見つけるべきであるという御意見でしょうか。

下河辺:見つけるべきっていうよりも、それしかないんじゃない。
318

江上:確かに、東南アジアや東アジアの諸国もかつては貧しいと言われていましたけども、ずいぶん発展しました

よね。

下河辺:いや、それでもまだ、貧しいっていうのは、たとえば、医療の点とか、なんか福祉行政の点とか、遅れてい

る面がいっぱいあるわけでしょ。

江上:それはありますね。

眞板:経済振興に関連しますけれども、沖縄にとってのテーマっていうのは、常に自立型の経済へ進んでいくんだ

というようなことが、叫ばれておりましたが、先生のお考えとしたら、目立っていうのは、どういう状態になったら自立

とか、経済的に見ると、これが自立型の経済であると、いうふうにお考えでしょうか。

下河辺:目立っていう言葉は、いろんな理解があるけれども、いま言っている目立っていうのは、成功してんじゃ

ない。というのは、あれだけ、たくさ4Jめ若者が、入り込んで、めし食ってんだもんねえ。人口があんなに増えるな

んていうことは、倒産以外ないって、我々は思って血わけだから、それがいま人口が百、、_、、

江上、眞板:135万くらいです。

下河辺:くらいでしょ。70万超えたら、大変だってなことを議論していた時代から見ると、物凄いよね。で、彼ら、

本当にどうやって食ってんだろうね。

江上、眞板:(笑)

下河辺:結構、楽しそうだもんね。失業率が高いことで、まためし食っている面もあんじゃない。失業手当を当て

にした生活も出てきていて、なんかさっきの労働組合なんか、がっかりするほど組合に頼ろう、なんていう青年じゃ

ないんじゃない。で、戦争を知らないっていう、青年があれだけ集まっちゃったっていう、それは過疎県にしたら珍し

いしねえ。

沖縄戦争知っている人から見りや、あ、なんか、ぜんぜん、不可思議な青年が、いっぱい集まっちゃったわけでし

ょう. それでもその青年たちが、琉球の伝統を守ろうとしたりしてんのはいいね。そういう意味じゃ、本当に戦争の

ころから、復帰のころから、こんにちまでの沖縄との付き合いっていうのは、まったく変化したね. いまの心境とした

ら、私が沖縄に対応する必要はまったくなくなったって思うね。もう自力でなんとかなっていくから、私のような年寄

りが、でしゃばって、口をきくようなことは、一切なくなったね。

眞板:じゃあ、その意味で、本土並みになったということなんですか。

下河辺:「並」って言葉はなんなのかね。並にはなんなくていいんじゃない。あの当時、核抜き本土並みって言っ

たのは、一人当たり所得を47都道府県の中で、何番目に持っていくかってな議論しかしてないわけでしょ。何番

目でもいいんじゃないすかね。幸せなら。

江上:先生は別に本土並みを目指す必要はないと、常々、おっしゃっていますね。

下河辺:本土並みって意味がわかんないから、答えようがないよね。

江上:別に沖縄は沖縄独自のやり方で、やっていけばいいんじゃないかと。

下河辺:そう、だから、人によると、なんか一人当たり所得が、同じになるかそれ以上になれば、沖縄、本土並み

って言うんだっていうけれども、それは単なる算術上の問題でね。幸せかどうかっていう考え方とは違うよね。

319

眞板:ただ、やはり所得格差の部分はよく出てきますね。県内では。
下河辺:高すぎるって?

江上:(笑)

眞板:全国平均から比べると、7割だとか、やれ7割きっちゃったとか、そういう話ぽっかりですね。で、要は平均値

になれば、そういう意味では、ああ県内的には本土並みっていうことなのかなとっていう気もするんですけど。

下河辺:そんな気するかねえ。

眞板:いやあ、よくわからないです。

下河辺:無理矢理して、公害で自然が壊れたり、人々の気持ちがすさんだ'り、つていうようなことになっちゃうとし

たら、嫌なんじゃない。

●新全総の「沖縄開発の基本構想」

江上:ところで新全総の中に、沖縄が返還された後で、第4部に「沖縄開発の基本構想」が付け加えられます。

ここの文章は先生が書かれたんですか。

下河辺:そうですよね。あのころ、私がやってたから、なんか復帰したとたんに追加したんですよね。

江上:そうですね。だから、新全総の改訂版にはこの沖縄の部分が入っていますね。

下河辺:そうです。

江上:そうですね。

下河辺:だけど、そのころは、70万っていう人口にこだわって書いたから、いま見ると実態とはずいぶん違っちやい

ましたね。

江上:この「沖縄開発の基本構想」には、先生の沖縄に対する考え方が一番よく表われているなあと私は恩う

んですが。

下河辺:考え方をまとめたと思って、いまでもそれでいいと思うんですけどね。

江上:そうですよね。沖縄に対する先生の基本的な考え方がよく出ている感じがします。

下河辺:その人口についても、沖縄から人々が海外流出することが、いまでも重要だと思うんですね。だから、

100何万っていうようなことの方が、不自然であって、もっと出たらいいと思うんですけども. ただ、人口増加が、

本土からの流入人口が多いってなると、変な話ですよね。

江上:たしかに変な話です(笑)いやあ、ほんとに。この「沖縄開発の基本構想」には、沖縄の進路はこうあるべき

だという先生の基本的な考え方がよく出ていると思うんですが、残念ながら、一次振計、二次振計、三次振計

の結果は、必ずしもその通りにはならなかったですね。

とくに先生が強調されたアジアとの国際交流の推進とか亜熱帯の特性の活用などは一次振計などではずいぶ

ん優先順位が落ちてしまいました。
320

下河辺:そう。ただそれをやったのは、昭和47年ですから、だから、元の沖縄県の計画がずっと出てきたけども、そ

れを基本にしてますということは、毎回言ってんですね。だけども、具体性のテーマってなると、あんまり具体的じ

ゃないから、やっていないような感じになるわけですけどね。

●沖縄の日本復帰の是非

江上:いま沖縄は日本の中にあるわけですけども、沖縄は日本に復帰してやはりよかったんでしょうか。
下河辺:いや、良かったって、、、、

江上:難しい質問でしょうが。

下河辺:九州だって、独立したいっていう意見はいっぱいあるわけだし。

江上:そうですね。私も九州出身ですから、子供に頃、そういう話をよく聞きました(笑)

下河辺:沖縄だって独立したいっていう意見があって当然であって、だけど、佐藤内閣が折衝して、戻ってきて、

ノーベル賞までもらったっていう歴史は、やっぱり、記録されるんじゃないすかねこだけど、これからどうなるかってい

うのは、誰にもわかんないんじゃないすか。

ただ、ちょっと言えんのは、沖縄の若者に独立するエネルギーがないんじゃないかっていう、ふう~には思いますね


江上:そうですね。実際に独立する、独立しないは別として、独立するくらいの気概は必要ですよね

下河辺:いやあ、それはあったほうがいい. と思いますよ。

江上:あったほうがいいですよね。確かに先生の御指摘のように、いまの沖縄の若い人たちの中で独立したいと

言う人はいませんね。

下河辺:だけど、大田さんじゃないけれども、戦争を知らないよそ者の沖縄ですからね。

江上:そうですね。

下河辺:そんな激しい意見になりっこないですよね。

江上:ならないですね。大田さんは過酷な沖縄戦を体験していますからね。

下河辺:あの人は、初めから終わりまで沖縄戦をベースに考える人ですからね。

江上:そうですよね。それだけの体験をしておられますからね。

下河辺:そうなんです。

江上:そういう体験をした沖縄の人びとは非常に少なくなりましたからね。それと同時に、やっぱり沖縄が豊かにな

ったんでしょうね。

下河辺:それは豊かになってますよ。

江上:だから、ハングリー精神もないですよ(笑)。豊かなんですから。

下河辺:豊かっていう意味は、お金の上でフィジカルに豊かっていう意味では、まさに豊かですよね。そのことが幸

せかどうかっていうと、琉球時代の方が幸せだったかもしれないよね。
321

●これからの沖縄の視点

江上:そうですね。先生も当初から考えておられたと思うんですけども、沖縄は東京ばかりに目を向けずに、もっと

アジアのいろんな国々に目を向けて出かけるべきではないでしょうか。

かつての大航海時代のように近隣アジアとのいろんな交流の中で進路を見つけられるような、そういうふうに時

代が来ればなあと私も思います。先生もそういうことをお考えになりながら、蓬莱経済圏などを構想されたんじゃ

ないかなあと考えます。そういう時代がこれから先、沖縄にやって来るでしょうか。

下河辺:来るっていうよりも、来させないといけないんじゃない。

江上:来させないと。

下河辺:だから、県民たちが東南アジアとの交流について、具体的な提案をする時代に来てんじゃない。 それは

、米軍の医療のこともあるけれども、いろんな情報センターとしての役割っていうところも来たけども、それ以上に

何か、共通のビジネスを作るっていうことができるといいって、思うのね。

江上:そういう意味では沖縄自らがこれから努力して必要もありますが、まだまだ沖縄には可能性があるというこ

とでしょうか。

下河辺:いやあ、とにかくそういう人が出てこなきゃ、だめなわけよね。だから、沖縄人、琉球人っ七いう人の中で

、どういう人が出てくるかっていうことが、期待ですよね。

江上:沖縄を新しい世界に導いていき、沖縄の新しい時代を築くような人材を撃出して欲
しいということですか。

下河辺:それは、小さな仕事でいいんですよね. 大げさ. に世界を引っ張っていくなんていうことを期待しない方が

いいと思うけど。特に漁業なんていうのは、これからどうなりますかね。糸満漁業がどうなる、なんていうことで、糸

満の青年たちが、いろいろ考えるといいと思ったりするしね。

江上:そういう小さいところから育っていく人材が、、.
下河辺:そう。

江上:そういうことですね.

下河辺:砂糖なんかでも、沖縄の砂糖が、キi-バの砂糖と違う何かを訴える必要があって、量的に戦おうと思うと

、生産性が低くて、とても勝てませんけどね。だから、塩でも砂癖でも、このごろは少数の特色のある砂糖とか塩

を売るようになってきましたよね。塩のはうが先に、いまそうなって。

江上:そうですね。そうなってますね。

下河辺:いますけどねえ. これから、いま、日本じゃあ、なんかエベレストのなんか西洋型の塩の種類をたくさん売

ったりしているけども、琉球砂糖っていう、たくさんの種類の砂糖を作ったりしたら、面白いと思うけどね。
322


江上:私は常々、不思議に思っていたんですけども、サトウキビを栽培しているところはほとんどラム酒があります

よね。

下河辺:んっ?

江上:ラム酒です。

下河辺:ああ、ラム酒。

江上:沖縄はラム酒がないんですよね。

下河辺:ああ

江上:これはなぜかなと(笑)

眞板:'先生、復帰前に一軒あったんです。

江上:あ、ラム酒屋があったんですか。

眞板:はい。中城あたりに。′潰れちゃったの。

江上:泡盛に勝てないの?

眞板:はい。主に米軍向けに売っていたみたいで、アメリカ兵は飲むんだけれども、どうも沖縄の人は飲まない。

江上:ラム酒を飲まな. い?

眞板:ええ。

江上:だって、奄美は黒糖酒がありますよ。

眞板:ありますからね。

江上:黒糖焼酎だから。

眞板:そういう意味では、沖縄って不思議なところなんですよ. 自分のところで作れる作物で、酒を造るんじゃな

いんですね。輸入物ですから。

江上:タイからね、いまでもタイのコメを輸入して泡盛造っていますからね。

眞板:酒文化論で考えると、すごく面白い。

江上:しかし、泡盛の酒の文化が長かっ_たから、それに比べればアメリカ支配の時間って短いからね。

下河辺:でも、泡盛だって、国産じゃないでしょ。沖縄産じゃないんじゃないすか。本来。

江上:タイに泡盛のルーツがあります。

下河辺:どっからか、知らんけども、入ってきたんじゃないすか。

江上:そうそう、タイからですよ。いまでもタイの奥地に行くと、泡盛に似た味の古い酒があります。もう一般には販

売されておりませんけども。それは本当に昔の泡盛の味とよく似ています。

下河辺:そうですか。

江上:だから、泡盛は本来、輸入物だったんですね。輸入物だったのをその造り方をまねして、沖縄で造るように

なったんですね。

下河辺:沖縄っていうのは、そういう国際的文化センターだったんですよね。
323

江上:いろんなものを海外から取り入れてミックスさせるんですね。

眞板:ただ、土着的なお祭りですと、やはり、お神酒みたいなのが出てくるんですよ。本土の方のお祭りと同じ、ど

ぶろ-くみたいなのをみんなに振舞ったりして。

下河辺:島津藩と付き合ったあたりから、そういう影響を受けたんじゃないすかね。

眞板:かもしれないですね。

江上:どぶろくみたいなのがあるの?

眞板:ありますよ。

江上:ふうん。

眞板:あの大宜味の塩屋湾あたりで2年に1度やるんですが、うんじやみ、あの海神祭っていうんですけど、網元

の家がだいたい3軒くらいあって、それを持ち回りで。

●下河辺氏にとっての沖縄の未来

江上:そうですか。それは、先生がおっしゃるように島津藩あたりと接触したあたりからでしょうね。

さて、最後の質問になりますけども、下河辺先生が長い間、沖縄と関わられてきましたが、下河辺先生にとって

沖縄というのはどういう存在だったんでしょうか。

下河辺:どう言ったらいいでしょうね。まあ、佐藤内閣の復帰の問題あたりから付き合って、楠田賓っていう新聞

記者が盛んに追い回してきたりして、なかなか面白かったですけどね。

しかし、さっき言ったように、世界やアジアの政治的な軍事的な情勢が激変したから、最初、考えたり言ったりし

てたことと違った沖縄になりましたよね。そして、こんにちになって、やっと有事としての沖縄よりは平和の沖縄って

いうテーマに戻ってきたから、この歴史が将来、どういう展開を示すかっていうことに、一番興味がありますね。

だけど、′
私の命はここでおしまいだから、沖縄どうなるか、楽しみにして、ま、去っていくことになるでしょう。

江上:そういう意味では、先生は沖縄の未来については明るい見通しをお持ちなんでしょうか。

下河辺:ええ、とても明るいと。

江上:そうですか。

下河辺:ええ。その20世紀っていうのが異常でしたよね. 世界大戦が繰り返されたりして、最後は冷戦っていう第

三次大戦を経験して、それが終わって、21世紀、22世紀はどうなるかで、私は22世紀が非常に期待される世

紀だと思うんですね。

そのためこ、21世紀をみんなで頑張んなきやならん、と。地球と人類との関係をひとつの方向を見つける一世紀

であって欲しいって思うんですね。

江上:20世紀は戦争の世紀だったといわれますが。

下河辺:そう。
324

江上:先生のお言葉を借りると、21世紀は平和を創り出す世紀であって欲しいと。沖縄も本来、平和を愛する

人々の島ですからね。

下河辺:人類が地球に住んだことや、地球が宇宙の中でどういう惑星であるかっていうことを思いながら生きてい

く世紀になるんじゃないすかね。

江上:そうですね。是非そうあって欲しいと思いますし、沖縄もその中で平和に貢献できるような役割を是非担っ

ていってほしいですね。

下河辺:沖縄っていうのは、東京からの遠隔地じゃなくて、地球の一点です車んねえ。

江上:そうですね。

下河辺:すべての地点が地球のワンポイントという形で存在を議論するようになるでしょう。人類と宇宙とか地球

っていうのは、これから面白いテーマにどんどんなっていくんじゃないすかね。

江上:ありがとうございました。最後は含蓄のあるお話を聞かせていただきまして本当にありがとうございました。

下河辺:ご苦労さまでした.
(了)
325


2005年5月10日火曜日

【拉致問題】 英科学誌『ネイチャー』(未翻訳)

 時間をみつけてから翻訳をしようと思いながら、ブログを移転しなければならなくなりそうなので、そのままの状態で、アップをしておきます。

 「いつになったら解決するのか」と悲壮な声を上げている。
 その間、日本外交は、拉致問題を解決できなかったばかりか、それに足をとられ、「日本の安全保障にとって最大の脅威」とする北朝鮮の核・ミサイル問題解決に何の役割も果たすことが出来ず、民生を犠牲にして防衛費ばかり天文学的に膨らませてきた。

 この失われた5年の責任は、誰が負うのか。
 家族会など被害者に解決を約束しながら、実際は拱手傍観するだけで成すことが何もないのは、偽善欺瞞と言うべきである。

 その意味で、昨日の参院予算委員会で民主党の石井一委員が、「小泉、安倍のツッパリ路線では拉致問題は解決できない。(8人について北朝鮮が出した)死亡診断書なども日本の基準で考えていては分からない」と小泉、安倍政権時代の対応を辛辣に批判し、福田首相の迅速な対応を促したのは、至極当然のことと言える。
 しかるべき反省と主体的な努力もなく、米国が対話に舵を切ったからと不承不承付き従うだけでは、今後も成果が期待できまい。
 
 拉致問題は、04年の小泉首相の第二次訪朝の時点では解決に向けて動いていた。
 小泉第二次訪朝については家族会が強く反対したが、拉致被害者5人の家族来日が実現したため、日本世論はこぞって歓迎し(各種アンケート調査では訪朝支持が七割以上)、拉致問題は事実上、一件落着するはずであった。
 しかし、第3回日朝実務者協議で日本側の強い求めで夫・金英男氏から横田めぐみさんの「遺骨」が引き渡され、鑑定を受けた後、細田官房長官(当時)が「経験豊かな世界最高権威の鑑定の結果、本人のものではなかったと判明した」とする偽物説を発表し、局面は一変する。

 それを機に安倍・自民党幹事長代理兼拉致対策本部長が、「横田めぐみさんは生きている」「8人全員の返還を求める」と強硬論をかざし、対北朝鮮制裁を主張して世論の喝采を浴び、ポスト小泉の後継首相に収まった。
 それとともに北朝鮮との対話が断絶し、膠着状態に陥り今日に至ったのは周知の通りである。

 しかし、科学的には「遺骨」は偽物とは言えない。

 北朝鮮側は05年1月24日の備忘録で「日本は反朝鮮謀略劇の責任から絶対に逃れられない」と非難し、数度にわたり遺骨返還と謝罪を求めている。

無論、北朝鮮が主張しているから偽物ではないと言う訳ではない。
 当の鑑定をした帝京大医学部法医学教室の吉井富夫講師(当時)が英科学誌『ネイチャー』(05年2月2日付)とのインタビューに応じ、「火葬された標本を鑑定した経験はまったくない。自分が行った鑑定は確定的(not conclusive) なものではなく、サンプルが汚染されていた可能性がある」と、科学性を明確に否定したのである。
 それについて細田長官は「偽の証言だ」と否定した。さらに、吉井氏は警察庁科学警察研究所医科長に「栄転」し、外部との接触を断った。

 すると、『ネイチャー』は同年4月7日号で「Job switch stymies Japans abduction probe(転職は日本の拉致証明を妨害)」と反論し、「遺伝学者の新しいポストはDNA鑑定に関する証言を止めさせるかもしれない」と日本政府の口止め工作を批判した。

 どちらかが嘘を言っているのだが、国際的には、政治家の細田官房長官よりも、権威ある英科学誌『ネイチャー』に軍配を上げるのが圧倒的である。 
 米誌『タイム』(4月4日号)は「吉井氏が用いた分析技法の遺伝子重合酵素法(nested PCR)に疑問点がある。同法は信頼度に問題が多く、米国の法医学研究所では使用しない」と米国のDNA分析専門家の言葉を紹介し、「北朝鮮側は日本政府発表の遺骨鑑定結果に強く反論したが、日本側はその主張に耳を傾けなかった」と批判した。
 
 日本では各メディアに権力からのバイアスがかかり、現在まで偽遺骨説が一人歩きしている。
 『週刊現代』(05年3月19日)が渦中の吉井氏に取材し、「政府からも、警察からも、大学からも、この件についてはコメントするなと止められている。だから話せない」とコメントしたことを報じたが、マスコミからは無視されている。
 某大手紙が吉井氏にインタビューしたとの情報もあるが、いまだに紙面には報じられていない。

 他方、国会では、首藤信彦・民主党議員が同年3月30日に衆院外務委員会で町村信孝外相(当時)に、「警察訓練を受けていない民間人を部所長にするのは異例だ。証人隠しではないか」と質問した。
 だが、町村外相は疑惑に答えなかった。

 野党が少数のときは、国会審議は在って無きが如しであったが、幸いにして先の参院選を境に、伏されてきた情報が開示され、内容ある審議が可能になった。

 福田政権になって北朝鮮との対話が再開し、日本側は拉致問題の再調査を申し入れているが、その実をあげるためにも日本が自ら出来ることをするのが筋ではないか。

 吉井氏の証人喚問を実施し、「遺骨」の鑑定に絡む疑惑を解明する必要がある。そうしてこそ、北朝鮮との交渉に堂々と臨むことができよう。

 人道問題としても、真相解明を妨げ、被害者家族を弄ぶのは今や罪悪と言うべきである。


Job switch stymies Japan's abduction probe
転職(出向)が日本の拉致被害者(遺骨)調査を妨害しています。

David Cyranoski(デイビッド・シラノスキー)
6 April 2005(2005年4月6日)

Geneticist's new post could stop him testifying about DNA tests.
遺伝学者の新しい地位がDNA鑑定についての彼が証言を阻むでしょう。

stymie(邪魔する、妨害する)
Tokyo - A geneticist has landed a plum job at the Tokyo police department,
just weeks after his work rekindled a row over the fate of Japanese citizens abducted by North Korea.

東京発-1人の遺伝学者が、東京警察(警視庁)に栄転(科捜研研究科長)しました。彼の仕事が北朝鮮拉致被害者日本人の運命に騒動を再燃させたわずか数週間後のことでした。

plum(割のいい、望ましい、セイヨウスモモ)

But critics are claiming that the transfer of Tomio Yoshii from Teikyo University to head the forensics unit at the Tokyo metropolitan police department is intended to shield him from enquiries about the accuracy of his DNA tests.
In a fractious parliamentary exchange with foreign minister Nobutaka Machimura on 30 March, Nobuhiko Suto, a member of the opposition Democrat Party of Japan, suggested that the government had used its influence to plant Yoshii in his new position.

しかし批評能力がある人々は、吉井富夫氏の帝京大学から東京都警科学捜査研究所長への移転は、吉井氏のDNA鑑定の精度に関する問い合わせから彼を守るために計画されたと主張しています。
野党日本民主党の首藤信彦議員は3月30日の町村信孝外務大臣との議会での激しいやりとりのなかで、日本政府が吉井氏を新しい地位に移すよう影響力を行使したとほのめかしました。

forensics(科学捜査、法医学)
fractious(手に負えない、気難しい、むずかる)

The Japanese government has claimed that Yoshii's DNA analysis proves beyond doubt that cremated remains provided by the North Korean government late last year were fromsomeone other than Megumi Yokota -a Japanese
woman kidnapped by North Korea in 1977. Japan has been demanding a full
account of the fate of Yokota and several others who were allegedly
kidnapped.

日本政府は吉井氏のDNA分析は、昨年北朝鮮から提供された遺骨が1977年北朝鮮に拉致された横田めぐみ氏とは別人のものであると間違いなく証明していると主張してきました。日本は横田氏、他の拉致されたと言われている数名の消息の十分な説明を求めています。

beyond doubt(間違いなく、疑問の余地なく)

But in an interview with Nature, Yoshii has conceded that his results
could have been the result of contamination (see Nature 433, 445; 2005).
Japanese government officials have disputed the Nature article, claiming
that Yoshii says he was misquoted. A documentary film-maker from Australia,
a South Korean broadcasting company and other reporters have since sought,
without success, to interview Yoshii.

しかし吉井氏は「Nature」とのインタビューで彼の(DNA鑑定)結果は、コンタミネーション(汚染)に基づいた結果でありうることを認めました。(「Nature」433号 445ページ2005年参照して下さい)。日本政府高官達は、吉井氏は彼のの発言が間違って引用されたと言っていますと主張し、「Nature」記事に反論しました。以ずっと、オーストラリアのドキュメンタリーフィルム制作者、韓国の放送会社、その他のリポーターが吉井氏にインタービューを試みたが成功していないのです。

government official(政府高官)

★科学誌「Nature」が横田めぐみさん「ニセ遺骨」に関する記事-火葬された遺骨は誘拐された少女の運命を証明できない?
http://www.asyura2.com/0502/war67/msg/141.html

Suto says he wants Yoshii to testify on the matter before parliament's foreign affairs committee. But in Yoshii's new position with the police force, he can only appear if his employer agrees -an arrangement that Suto says is being used as an obstacle. During the 30 March debate, Suto told Machimura that it was "surprising" that "a civilian without real
police training" should suddenly obtain a top position in the police department. "Isn't this just hiding a witness?" Suto asked.

首藤(議員)は吉井氏にこの件に関し(衆議院)議会外務委員会で証言して欲しいと言います。しかし吉井氏の警察の新しい地位においては、彼の雇用主(警視庁)が、ある手続き(首藤議員によれば障碍)に同意しないかぎり出席できません。30日間の議論で首藤議員は町村(外務大臣)に「一民間人のおよそ警察的な訓練を受けていない人」が突然、警視庁のトップの地位に就くというのは「驚き」だと言いました。首藤(議員)は「これは証人隠しじゃないですか」と尋ねました。

Yoshii's results were taken as conclusive by the government despite
contrary reports from the National Research Institute of Police Science
in Chiba, which found that no DNA could be gleaned from the remains. "If
we are going to take the word of a single academic at a private university
over that of this huge research institute, shouldn't we just get rid of the
institute?" Suto asked Machimura.

吉井氏の(DNA鑑定)結果は日本政府によって確定的なものとして受け止められました。遺骨からはDNAは検出できなかったと判明した千葉(柏市)の科学警察研究所からの報告と正反対にもかかわらずです。「この巨大な研究機関の報告を越えて、一私学の一研究者(吉井元講師)の言葉を受け入れるのであれば、研究機関(科警研)は廃止したらいいじゃないですか」と首藤(議員)は町村(外務大臣)に質しました。

glean(収集する、落穂拾い)

Machimura called Suto's scepticism "an insult" and said that the ministry
had taken the investigation seriously. "We were not just trying to pull
out some predetermined conclusion," he protested. "I wish you would choose
your words more carefully." Suto still plans to call Yoshii to testify, and
says he will get to the bottom of why the government set so much store by
Yoshii's results. "If Japan keeps going in this direction," he warns, "it
will undermine its scientific reputation."

町村(外務大臣)は首藤(議員)の懐疑主義を「侮辱」と呼び、内閣は調査に真剣に取り組んできたと述べました。彼(町村外務大臣)は「私どもは、何の予断も持たずに、あらかじめどういう結論を引き出そうとしたわけではございません」と抗議しました。「よく慎重に言葉を選んで御発言をいただきたいとお願いをいたします」(と)。首藤(議員)は更に吉井氏に証人喚問要求を計画し、なぜ政府が吉井氏の(DNA鑑定)結果からあんな(逆方向の)結論を出したのか、真相を究明すると首藤氏は言います。彼(首藤議員)は「もしも日本がこの方向に進み続けるなら、日本の科学の評価(一般)の土台から侵食していきます」と警告します。


get to the bottom of(真相を究明する)
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
前号の首藤議員の<私は、日本の名誉のために、国会議員として真実を明らかにしなければいけないと。 私は、別に政府を批判しているんじゃないんですよ。真実はどこにあるのか。真実を確証できるならば、証拠があるなら、もう一度確証したらどうですか、そういうことを言っているわけですよ。それは、ですから外務大臣、まさに同じ言葉をお返ししたいと思います。 残念ながら時間になりましたけれども、私は、この問題を明らかにしなければ必ず国際社会の場で日本が再度たたかれることになる、したがってやはりこの問題はしっかりして先へ進んでいきたい、そういうことを切に切にお願いして、質問を終わります>の通り、4月6日「Nature」
http://www.melonpan.net/letter/backnumber_all.php?back_rid=361286
が「科学誌」にも関わらず、というか日本政府が科学を「愚弄」しているが故に3回目の記事を「終に」発表しました。記事の最終部分にあるようにこの問題を放置しておくと日本の科学「一般」の評価を貶める、すなわち、この問題に知っていて軽視、沈黙している日本の「科学者」とやらは、私立、国立、民間を問わずエセ「科
学者」であり、この記事に気づいた科学者が他の科学者に日本政府の科学を愚弄する暴挙を知らせて、何らかの手立てを取るべき「大問題」で、科学者の「社会的責任」を果たさなければいけないでしょう(既に取っているかもしれませんが)。

前号で<外務省のスポークスマンは、遺骨がDNA鑑定で消費されたので再鑑定する方法がないと言います。横田めぐみ氏の父、横田滋氏は、DNA鑑定を取巻く問題をまったく理解していないのではなく、「日本が現在北朝鮮との交渉で愚かに見える」ということに怒っていますと「TIME」誌に語りました>となっているにも関わらず、自公
http://www.melonpan.net/letter/backnumber_all.php?back_rid=361286
広報戦犯NHKラジオは、昨日、本日も北朝鮮の遺骨引渡し段階での疑わしさを根拠に横田夫妻が北朝鮮への制裁を求める声を報道したままであり、「まっすぐ、真剣。NHK」という番組まで報道した「らしい」のは、許しがたい暴挙であって、自公政権の
http://dailynews.yahoo.co.jp/fc/domestic/nhk/
横暴もこれ以上許してはならいでしょう。「派兵差止訴訟全国弁護団有志による「アンマン訪問団」、帰国直後の概要報告」の池住義憲氏の<3月29日夜のパレスチナの人たちとの語らいの中で、「ヨルダンの民主主義の度合いは60パーセント。一方、日本は選挙制度や集会・結社・表現の自由など進んだ民主主義の国なのに、なぜ米国に追従・加担する人たち(議員)を選ぶのですか?」との問いかけがありました。
私が通訳をしていて心を動かされた瞬間の一つです>とまではいかないまでも、自公
http://university.main.jp/blog2/archives/2005/04/post_897.html
政権、新聞、テレビが腐っていることを「前提」にしても、日本列島住民の力量で米国追従をさせないための働きかけが「可能」である以上に「Nature」記事(及びDNA鑑定)の問題は、もっと容易に日本政府(自公政権)の異常さを暴く、止めさせることは可能なはずです。

It has frequently been noted that the surest result of brainwashing in
the long run is a peculiar kind of cynicism, the absolute refusal to
believe inthe truth of anything, no matter how well it may be
established. In other words, the result of a consistent and total
substitution of lies for factual truth is not the lie will now be
accepted as truth, and truth be accepted as lie, but, that the sense
by which we take our bearings in the real world-- and the category of
truth versus falsehood is among the mental means to this end-- is being
destroyed(Hannah Arendt).
www.tompaine.com/feature2.cfm/ID/3169

洗脳の最も確実な最終的な結果としてよく指摘されるのは一種の冷笑主義になること、つまりあらゆることに対して、たとえその根拠がいかにしっかりしていようとも、そこに真実があるとは絶対に信じたくなくなることだ。事実に対して一貫してかつ全面的に嘘を置きかえれば今度はその嘘が真実としてうけいれられ、そして真実が嘘だと中傷されるようになるのではない。それよりも、われわれが現実の世界に自分の位置付けを確かめる感覚(そして真実対嘘という範疇がその目的の知的な方法の一つなのだが)自体が破壊されることになる
のだ(ハンナ・アーレント)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4622020181/
http://www.melonpan.net/letter/backnumber_all.php?back_rid=333840
といった状況を抜け出すために、「政治 政治学から「政治界」の科学へ ピエール・ブルデュー」の解説<政治的代表委任制が必然的に孕む簒奪の契機、すなわち受任者がみずからの権威を得るおおもとの委任者を疎外し権力を簒奪する構造が鋭く抉出されている。代表委任制あるいは表象のアポリアである。
となると表象を、象徴を、代表制を廃棄すべきなのか? ブルデューはそうは考えない。重要なのは介入である。つまり代理表象(代表)の自閉構造を批判的に分析した上で、代表者の自己正当性は被代表者からの承認に存することを思い起こすこと、そして代表者がこの承認に及ぼす象徴権力の暴力性を個別的・批判的に分析し、被代表者の尊重へ可能な限り連れ戻すことである。代表制の正当性の根拠を忘れて代理表象の構造的暴力に居直ったり、また代理表象を厄介払いしたりそこから逃走することは、権威主義、前衛主義、破壊主義、純粋主義、シニシズムでしかない。正当化の原理は、突き詰めれば、自己以外の場あるいは他者へと絶えず自己を開こうする努力以外にはない。これは代理表象のアポリアを嫌悪したり居直ったりせずに、真にそのアポリアを引き受ける
ことである>にあるように、代表委任制なり、新聞、テレビを「キチン」と機
http://www.fujiwara-shoten.co.jp/book/book466.htm
能させるためのチャンスが到来しているわけです。「あえて」書いておけば、
http://backno.mag2.com/reader/BackBody?id=200504091813290000099632000
今回の問題は、自公政権が「崩壊」するネタにも関わらず、外務省職員射殺事件に類し、野党(民主党の大半、共産、社民)も熱心でないことを「前提に」に「介入」していった方が良さそうです。

2005年2月28日月曜日

【歴史問題】 日本版「ドレスデンの和解」

日本版「ドレスデンの和解」をやろう──日米間の「歴史問題」も忘れてはならない
『世界と議会 2005/02』【特別論文】
松尾文夫 (ジャーナリスト・元共同通信ワシントン支局長)


 二〇〇五年は、日本がアメリカと戦い、敗れた一九四五年から六十年目の節目の年に当たる。いま日本とアメリカは、歴史も文化も伝統も価値観も異なる国同士としては、世界の歴史でも前例がないといっていいほどの緊密な関係を保っている。外交、軍事面での「同盟」関係のみならず、政治、経済、社会、文化、さらにはスポーツ─と「アメリカという国」は、日本の生活のすみずみまで入り込んでいる。そして、日本の自衛隊は、二〇〇五年の新年をイラクの地で迎えた。

 しかし、日本にとって、「アメリカという国」は、まだまだ知っているようで知らない国なのではないか。近いようで遠い国なのではないか─私は、自らの二回にわたる共同通信のニューヨーク、ワシントン特派員時代の仕事、その間のインドシナ特派員の仕事、二〇〇二年に経営側を退いたあと、あえて再びアメリカを追うジャーナリストに「現役復帰」した現在の仕事への自省を含めて、自問自答を繰り返す日々である。そして、現在の表面的な親密さ、物理的な近さとは裏腹に、日本はまだまだ「アメリカという国」をきちんととらえていないのではないか、一八五三年のペリー艦隊来航で始まるアメリカとの関係では、突き詰めると深層では、「すれ違い」といっていい状況を続けているのではないか─この重いテーマとの格闘を続ける日々でもある。

 しかし、本稿では、敗戦六十周年の節目に改めて向き合っておかなければならないと思う、日本とアメリカの間に残る「歴史問題」の清算という問題を提起しておきたい。本物の「日米パートナーシップ」を確立し、アメリカとの新たな「すれ違い」を演じないためにも、第二次世界大戦以来、日本人の心の隅に突き刺さっている「棘」を取り除いておくべきではないのか。六十周年の今年は、その絶好のチャンスではないのか。日本とアメリカがあの戦争を戦ったという過去が年々風化していくなかで、あるいは最後のチャンスではないのか─という問い掛けである。

「相殺の論理」の拒否

 この「棘」とは、大戦末期、アメリカが行なった広島、長崎への原爆投下や、東京をはじめとする全国六十七都市に対する「夜間無差別焼夷弾爆撃」による多数の非軍事要員、つまり民間人の犠牲者に対して、きちんとした鎮魂の儀式が行なわれていない、という事実である。

 私がこのことにこだわるのは、一つは、私自身が十二才の国民学校六年生として、一九四五年(昭和二十年)七月十九日の夜、墳墓の地である福井市に疎開中、B29百二十七機の「夜間無差別焼夷弾爆撃」を受けたというアメリカとの出会いの原体験を持つからである。ナパーム剤が詰まった焼夷弾三十六発を束ねたM69と呼ばれた集束型親爆弾がたまたま欠陥製品で、予定通り地上三百メートルで開かず、そのまま目の前の水田に落下、泥水をしたたかにかぶっただけで九死に一生を得た、という強烈な経験がある。

 しかし、それ以上にこだわるもう一つの痛切な経験がある。同じ大戦の敗戦国、ドイツの場合との対比である。ドイツでは、日本と比べると、例外的といってもいいアメリカ・イギリスの連合空軍による無差別爆撃を受け、一般市民三万五千人が犠牲者となった東部ドイツ、エルベ川沿いの古都、美しいバロック建築の街並みで知られるドレスデン市で、敗戦五十周年にあたる一九九五年、きちんとした鎮魂の儀式が行なわれていた事実を知ったからである。

 一九四五年二月十三日と十四日の二日間、既にソ連軍が国境を越え、敗色濃いナチス・ドイツ。軍事的価値はゼロで、逃げ込んできた難民があふれるだけのドレスデン市に対して、イギリス・アメリカ合わせて千六十七機の爆撃機が三波にわたって合計七千四十九トンの爆弾、焼夷弾を投下した。旧東ドイツ時代の市役所の発表としては、三万五千人の犠牲者が公式数字となっている。しかし、十三万五千人説を唱えるイギリスのライターもあり、戦史家・泰郁彦氏は、七万人以上という数字が妥当ではないかとの見解を示している。

 私はたまたま一九九五年二月十三日、ワシントンに出張している時、ホテルのテレビのニュースで、このドレスデン爆撃五十周年の追悼式典が厳粛に開かれ、しかも、その追悼内容が通り一遍のものではないことを知った。そしていまだに一人でこだわり続ける。

 ワシントン・ポスト紙は翌朝、この鎮魂と和解の儀式を写真付きで大きく伝えた。またウォール・ストリート・ジャーナル紙は、オピニオン欄のトップに「ドレスデン─我々がソーリーという時─」と題するロンドン・タイムズ紙への寄稿をわざわざ転載した。しかし、日本のマスコミは当時、このドレスデンでの出来事を一切報ぜず、私が帰国後、月刊「文藝春秋」の一九九五年五月号の巻頭随筆に「ドレスデンと東京」と題して寄稿するまで、一般には知られなかった。

 通り一遍ではない儀式とはどんなものだったのか。

 まず当時の東西ドイツ統一後二代目の大統領、ローマン・ヘルツォークの追悼式典での演説が、きわめて剛直な内容だった。その長い演説の本当のさわりだけを抜粋して紹介する。

 「五十年前、わずか数時間でドレスデン市は完全に破壊されました。数万の命が戦火の中で失われ、ヨーロッパ文化のかけがえのない貴重なものが、二度と甦ることなく失われました。それには人間の魂も含まれます」

 「ここにお集まりの方々には、告発や後悔、自責を求めないでしょう。ナチス国家におけるドイツ人の悪行をこの出来事によって相殺しようとはしないでしょう。もしそれが目的だったら、ドレスデン住民はイギリス、アメリカの客人たちを、いま経験しているようには暖かく迎えることはしなかったでしょう」

 「まず死者に対する哀悼を捧げたいと思います。それは人間文化の最も古いものの一部です。歴史全体を理解しないかぎり、人は歴史を克服できないし、安寧も和解も得ることはできません。そして我々は我々の弔意を、我々ドイツ人が他の国民に対して行なった犯罪行為を自国の戦争犠牲者、追放の犠牲者によって相殺しようとしている、と主張する人に対してはそれが誰であるにせよ抗議します」

 「生命は生命で相殺できません。苦痛で苦痛を、死の恐怖を死の恐怖で、追放を追放で、戦慄を戦慄で、相殺することはできません。人間的な悲しみを相殺することはできないのです」

広島、長崎の死者に触れず

ヘルツォーク氏は、一九三四年生まれ。一九三三年(昭和八年)生まれで、国民小学校の六年生で敗戦を迎えた私と一つ違い、つまりナチス支配下で同じように戦火を経験し、生き延びたであろう世代に属する。CDU(キリスト教民主同盟)出身の法律家。旧西ドイツ連邦憲法裁判所長官を経て統一ドイツとしては二代目大統領。

 このドレスデン演説は、前任者の初代統一ドイツ大統領、リヒャルト・ワイツゼッカーが、日本にも紹介されている有名な「荒野の四十年」演説(一九八五年)で、過去から学ぼうと訴えたのを、一歩踏み込んだ立派な演説だと思う。すなわち、
「死者の相殺はできない」との論理で、アメリカ、イギリスに対し、非戦闘員爆撃の責任を認めることをはっきり迫り、そのうえで、まず死者を悼んだあとで、かつての敵も味方も一緒になって「平和と信頼に基づく共生」の道を歩もうと、旧連合国との「和解」を宣言する格調の高いメッセージの表明であった。

 しかも、驚いたのは、この演説の率直さ、厳しさだけではない。ヘルツォーク大統領が、かつての敵ではなく今日の友人の代表として歓迎した出席者の中に、なんとイギリス女王名代のケント公、それにアメリカからジョン・ジャリカシュビリ統合参謀本部議長、イギリスからは国防幕僚長を交替したばかりのナウマン・インジ将軍、つまりアメリカとイギリスの制服組トップの顔があったのである。もちろん両国の大使も出席していた。ドイツからは、ヘルムート・コール首相、クラウス・ナウマン連邦軍総監らトップが参加している。

 私は、アメリカ、イギリス側が、ヘルツォーク演説の前か後に何か発言していないかどうかについて調査を重ねた。しかし、何も発言していないことが確認された。つまり、演説を黙って聴いただけなのである。それで十分だったのではないか。

「相殺」の論理は認めない、と暗に旧連合軍の責任に言及したうえで、死者を弔おうという大統領の言葉に耳を傾けるだけで、「鎮魂」と「和解」のけじめがきちんと果たせられた立派な儀式だったのではないか。少なくともドイツとアメリカ、イギリスとの間に残っていた戦争の「棘」は取り除かれたのではないか─私はそう思う。

 こうした巧みな外交ショーをドイツ側とアメリカ、イギリスの旧連合国側のどちらが仕掛けたのか─私はまだ結論に達していない。しかし、三国の間で相当の外交努力が払われたことは、アメリカ、イギリス側の出席者の顔ぶれから明らかである。少なくとも日本とアメリカの間にはなかった外交努力であったことは間違いない。

 そして、どうして日本で、この「ドレスデン和解」と同じような「鎮魂」と「和解」の儀式をアメリカとの間で持つことができなかったのか。このヘルツォーク演説と同じような演説を、アメリカ政府、軍部の代表を前に、B29の「夜間無差別焼夷弾爆撃」による日本全国六十七都市の焦土作戦の幕開きとなった東京大空襲の記念日である三月十日、あるいは原子爆弾が投下された広島の八月六日、長崎の八月九日、つまりドレスデンをはるかに上回る犠牲者を出したそれぞれの現地で、あるいはそのすべてを代表するいずれかの都市で、日本の首相が行なうことができなかったのか。「死者の相殺はできない」との論理のうえで、非戦闘員の犠牲者を悼み、ドイツと同じように、日本とアメリカとの間の「棘」を取る儀式を持つ発想がなぜ日本側から出なかったのか。少なくとも自衛隊のイラク派遣は、この日本版「ドレスデンの和解」が行なわれたあとでのことではなかったのか─私は、自らのジャーナリストとしての責任を含めて、こだわり続ける。

 特に心が痛むのは、ドレスデン爆撃が、ドイツ国内では多くの民間人の犠牲者が出たことで「ドイツのヒロシマ」と呼ばれていることである。イギリスのチャーチル首相も爆撃直後から「やりすぎだ」との批判的な発言を行なっており、戦後、ドイツ国内のみならず、イギリスその他の欧州諸国でも、ドレスデン爆撃はその正当性をめぐって長い議論が続いていた。一九九二年、イギリス皇太后がドレスデン爆撃を強く主張したハリス・イギリス空軍爆撃軍司令官の銅像の除幕式をロンドンの国防省前で行なった時には、当時のコール首相はじめ、ドイツ各界指導者から抗議が相次いだ。そのために「ドレスデンの和解」のような盛大なけじめの演出が必要だった、と思われる。

 しかし、アメリカ国内では、日本の本物のヒロシマ、ナガサキで、原爆投下によって十四万人、七万人という死者が出た事実でさえ、いまだにきちんと国民の前に示されていない。現在、ワシントンのダレス国際空港横にオープンしたスミソニアン航空宇宙博物館別館、オハイオ州デイトンの空軍博物館でそれぞれ完全に復元され、ピカピカに磨き上げられた、広島原爆投下のB29エノラ・ゲイ、同じく長崎投下のボックス・カー号が展示されている。その前に置かれた説明板では、B29が史上初めて気密室を持った最優秀の爆撃機であったかが記述され、対日戦末期に原爆を投下したというところで終わっている。広島十四万人、長崎七万人という犠牲者はどこにも触れられていない。

 「ドレスデンの和解」が行なわれたのと同じ一九九五年、戦後五十周年の節目を意識して、スミソニアン航空宇宙博物館の原爆関係の展示を企画したとき、アメリカ在郷軍人会や空軍協会から、その内容に横やりが入った。特に説明板への死者数言及の賛否で紛糾した。結局スミソニアン博物館館長が辞任に追い込まれ、展示そのものが流れてしまい、説明板にも死者数は触れられなかったという経過がある。

 そのまま十年の月日が流れたということである。当時、私が再会したレーガン政権時代のホワイトハウスの高官は、「原爆投下という日米間の棘をきちんと抜くいいチャンスだったのに残念だった。スミソニアン側がもう�ュし慎重に企画を立てればよかったのかもしれない」とコメントしていたのを思い出す。

アメリカ人と「対話」を始めよう

 アメリカとの関係でのドイツと日本の違いをいえば切りがない。ドイツ人は、独立戦争に際し、イギリス国王側の傭兵として参戦して以来の新大陸での長い定着の歴史を持ち、第二次世界大戦でも、強制収容所入りを命じられた日系人のような扱いは受けなかった。戦争責任の取り方も自殺したヒットラーにすべてが帰着したドイツと日本の場合とは異なり、アメリカは、一九九三年、大統領令でワシントンの中心部にホロコースト・ミュージアムをつくり、ナチスの犯罪を永久に語り継ぐインフラをつくり、ドイツ側もこれを容認し、協力した。「ドレスデンの和解」はこの日本とは違うドイツとの独特の関係の実績のうえで組み立てられたものともいえた。

 しかし、ブッシュ大統領はいま、しばしば大戦後のドイツと日本の民主主義化をアメリカのサクセスストーリーと意義付け、イラクに民主主義を植え付けるためのアメリカの武力行使正当化の理由として使う。大戦初期でのドイツと日本との戦いが苦難に満ちたものであったことを、武力勢力の抵抗に手を焼く現在のイラクでの状況とだぶらせ、アメリカ国民の忍耐を呼び掛けている。

 にもかかわらず、「ドレスデンの和解」を果たし、同盟国としての「棘」を抜いたドイツは、イラク軍事介入にははっきりと距離を置き、アメリカ、イギリスもそれを受け入れて基本的な友好関係は崩れていない。これに対して日本は一〇〇%ブッシュ路線を支持して、自衛隊の派遣に踏み切った。日本版「ドレスデンの和解」も果たさずにである。

 それどころか、ドレスデンなどいくつかの例を除き、基本的には軍事目標に向け、照準爆撃の戦術がとられたドイツとは異なり、夜間無差別焼夷弾爆撃という非戦闘員、一般市民を巻き込むことを前提にした戦術をあみ出し、戦後は空軍参謀総長までのぼりつめたカーチス・ルメー将軍に対し、日本政府は一九六四年十二月、「航空自衛隊の育成に貢献した」との理由で、勲一等旭日大綬章を授与している。ドイツとのこの激しい「落差」ははっきり噛みしめなければならない。

 私は、反米主義者ではない。逆にアメリカとの友好関係こそ日本にとって最も重要な二国関係だと強く思う。それにアメリカに謝罪を求めるものではない。ただただ、ドイツと同じように、「死者による相殺はできない」という論理で、東京を皮切りとする六十七都市での焦土作戦、広島、長崎での原爆投下による死者の霊を共に弔うけじめの儀式をいつかどこかで行ない、アメリカとの関係における「棘」を抜くことが、日本とアメリカとの関係でいままでになく重要になってきたと思うだけである。戦後六十周年の今年、日本版「ドレスデンの和解」以上の記念行事はないのではないか、と思う。

 最後に、この日本版「ドレスデンの和解」のTPOについては、エノラ・ゲイ号やボックス・カー号の展示説明文に広島、長崎の死者を記録することに反対した保守派を含めてアメリカ側ときちんと話をすれば、彼らも受け入れる可能性が決してゼロではないと、私は思う。アメリカ人は、最後にはこうしたフェアネスを好む(注)。いま必要なのは、アメリカ人とこのテーマでの「対話」を官も民もいろいろなレベルで始めることだと思う。私もジャーナリストとしての立場で実践したい。それはまたアジアの近隣諸国との間で依然として抱える「歴史問題」を清算する意外に有効な踏み石にもなるのではないか、と思う。
(完)

(注)こうしたアメリカ人の本音と建前については二〇〇四年三月に小学館から発行された拙著『銃を持つ民主主義─「アメリカという国」のなりたち』(第五十二回日本エッセイストクラブ賞受賞)の中で詳述した。ご参考にして頂ければ幸いである。

2005年2月20日日曜日

【日米歴史問題】 日本版「ドレスデンの和解」

 追記メモ=2009年だと思うのだが、小沢一郎氏が、米国が一九四五年二月十三日と十四日にドイツ「ドレスデン攻撃に対し、謝罪をしたという認識でいる」と語った。それに対し、保守色の強い産経新聞は、小沢氏の認識は間違いであると噛み付いたことがある。

これは、ドレスデンの和解と称されるものであるが、松尾文夫氏が論文を寄稿をしていたので、小沢氏・産経関係なく記録として残したものであるが、日本の広島・長崎に米国の大統領が訪れることがあるのだろうか。

『世界と議会 2005/02』
【特別論文】
日本版「ドレスデンの和解」をやろう
 ──日米間の「歴史問題」も忘れてはならない

松尾文夫
(ジャーナリスト・元共同通信ワシントン支局長)


 二〇〇五年は、日本がアメリカと戦い、敗れた一九四五年から六十年目の節目の年に当たる。いま日本とアメリカは、歴史も文化も伝統も価値観も異なる国同士としては、世界の歴史でも前例がないといっていいほどの緊密な関係を保っている。外交、軍事面での「同盟」関係のみならず、政治、経済、社会、文化、さらにはスポーツ─と「アメリカという国」は、日本の生活のすみずみまで入り込んでいる。そして、日本の自衛隊は、二〇〇五年の新年をイラクの地で迎えた。

 しかし、日本にとって、「アメリカという国」は、まだまだ知っているようで知らない国なのではないか。近いようで遠い国なのではないか─私は、自らの二回にわたる共同通信のニューヨーク、ワシントン特派員時代の仕事、その間のインドシナ特派員の仕事、二〇〇二年に経営側を退いたあと、あえて再びアメリカを追うジャーナリストに「現役復帰」した現在の仕事への自省を含めて、自問自答を繰り返す日々である。そして、現在の表面的な親密さ、物理的な近さとは裏腹に、日本はまだまだ「アメリカという国」をきちんととらえていないのではないか、一八五三年のペリー艦隊来航で始まるアメリカとの関係では、突き詰めると深層では、「すれ違い」といっていい状況を続けているのではないか─この重いテーマとの格闘を続ける日々でもある。

 しかし、本稿では、敗戦六十周年の節目に改めて向き合っておかなければならないと思う、日本とアメリカの間に残る「歴史問題」の清算という問題を提起しておきたい。本物の「日米パートナーシップ」を確立し、アメリカとの新たな「すれ違い」を演じないためにも、第二次世界大戦以来、日本人の心の隅に突き刺さっている「棘」を取り除いておくべきではないのか。六十周年の今年は、その絶好のチャンスではないのか。日本とアメリカがあの戦争を戦ったという過去が年々風化していくなかで、あるいは最後のチャンスではないのか─という問い掛けである。


「相殺の論理」の拒否

 この「棘」とは、大戦末期、アメリカが行なった広島、長崎への原爆投下や、東京をはじめとする全国六十七都市に対する「夜間無差別焼夷弾爆撃」による多数の非軍事要員、つまり民間人の犠牲者に対して、きちんとした鎮魂の儀式が行なわれていない、という事実である。

 私がこのことにこだわるのは、一つは、私自身が十二才の国民学校六年生として、一九四五年(昭和二十年)七月十九日の夜、墳墓の地である福井市に疎開中、B29百二十七機の「夜間無差別焼夷弾爆撃」を受けたというアメリカとの出会いの原体験を持つからである。ナパーム剤が詰まった焼夷弾三十六発を束ねたM69と呼ばれた集束型親爆弾がたまたま欠陥製品で、予定通り地上三百メートルで開かず、そのまま目の前の水田に落下、泥水をしたたかにかぶっただけで九死に一生を得た、という強烈な経験がある。

 しかし、それ以上にこだわるもう一つの痛切な経験がある。同じ大戦の敗戦国、ドイツの場合との対比である。ドイツでは、日本と比べると、例外的といってもいいアメリカ・イギリスの連合空軍による無差別爆撃を受け、一般市民三万五千人が犠牲者となった東部ドイツ、エルベ川沿いの古都、美しいバロック建築の街並みで知られるドレスデン市で、敗戦五十周年にあたる一九九五年、きちんとした鎮魂の儀式が行なわれていた事実を知ったからである。

 一九四五年二月十三日と十四日の二日間、既にソ連軍が国境を越え、敗色濃いナチス・ドイツ。軍事的価値はゼロで、逃げ込んできた難民があふれるだけのドレスデン市に対して、イギリス・アメリカ合わせて千六十七機の爆撃機が三波にわたって合計七千四十九トンの爆弾、焼夷弾を投下した。旧東ドイツ時代の市役所の発表としては、三万五千人の犠牲者が公式数字となっている。しかし、十三万五千人説を唱えるイギリスのライターもあり、戦史家・泰郁彦氏は、七万人以上という数字が妥当ではないかとの見解を示している。

 私はたまたま一九九五年二月十三日、ワシントンに出張している時、ホテルのテレビのニュースで、このドレスデン爆撃五十周年の追悼式典が厳粛に開かれ、しかも、その追悼内容が通り一遍のものではないことを知った。そしていまだに一人でこだわり続ける。

 ワシントン・ポスト紙は翌朝、この鎮魂と和解の儀式を写真付きで大きく伝えた。またウォール・ストリート・ジャーナル紙は、オピニオン欄のトップに「ドレスデン─我々がソーリーという時─」と題するロンドン・タイムズ紙への寄稿をわざわざ転載した。しかし、日本のマスコミは当時、このドレスデンでの出来事を一切報ぜず、私が帰国後、月刊「文藝春秋」の一九九五年五月号の巻頭随筆に「ドレスデンと東京」と題して寄稿するまで、一般には知られなかった。

 通り一遍ではない儀式とはどんなものだったのか。

 まず当時の東西ドイツ統一後二代目の大統領、ローマン・ヘルツォークの追悼式典での演説が、きわめて剛直な内容だった。その長い演説の本当のさわりだけを抜粋して紹介する。

 「五十年前、わずか数時間でドレスデン市は完全に破壊されました。数万の命が戦火の中で失われ、ヨーロッパ文化のかけがえのない貴重なものが、二度と甦ることなく失われました。それには人間の魂も含まれます」

 「ここにお集まりの方々には、告発や後悔、自責を求めないでしょう。ナチス国家におけるドイツ人の悪行をこの出来事によって相殺しようとはしないでしょう。もしそれが目的だったら、ドレスデン住民はイギリス、アメリカの客人たちを、いま経験しているようには暖かく迎えることはしなかったでしょう」

 「まず死者に対する哀悼を捧げたいと思います。それは人間文化の最も古いものの一部です。歴史全体を理解しないかぎり、人は歴史を克服できないし、安寧も和解も得ることはできません。そして我々は我々の弔意を、我々ドイツ人が他の国民に対して行なった犯罪行為を自国の戦争犠牲者、追放の犠牲者によって相殺しようとしている、と主張する人に対してはそれが誰であるにせよ抗議します」

 「生命は生命で相殺できません。苦痛で苦痛を、死の恐怖を死の恐怖で、追放を追放で、戦慄を戦慄で、相殺することはできません。人間的な悲しみを相殺することはできないのです」

広島、長崎の死者に触れず

ヘルツォーク氏は、一九三四年生まれ。一九三三年(昭和八年)生まれで、国民小学校の六年生で敗戦を迎えた私と一つ違い、つまりナチス支配下で同じように戦火を経験し、生き延びたであろう世代に属する。CDU(キリスト教民主同盟)出身の法律家。旧西ドイツ連邦憲法裁判所長官を経て統一ドイツとしては二代目大統領。

 このドレスデン演説は、前任者の初代統一ドイツ大統領、リヒャルト・ワイツゼッカーが、日本にも紹介されている有名な「荒野の四十年」演説(一九八五年)で、過去から学ぼうと訴えたのを、一歩踏み込んだ立派な演説だと思う。

すなわち、「死者の相殺はできない」との論理で、アメリカ、イギリスに対し、非戦闘員爆撃の責任を認めることをはっきり迫り、そのうえで、まず死者を悼んだあとで、かつての敵も味方も一緒になって「平和と信頼に基づく共生」の道を歩もうと、旧連合国との「和解」を宣言する格調の高いメッセージの表明であった。

 しかも、驚いたのは、この演説の率直さ、厳しさだけではない。ヘルツォーク大統領が、かつての敵ではなく今日の友人の代表として歓迎した出席者の中に、なんとイギリス女王名代のケント公、それにアメリカからジョン・ジャリカシュビリ統合参謀本部議長、イギリスからは国防幕僚長を交替したばかりのナウマン・インジ将軍、つまりアメリカとイギリスの制服組トップの顔があったのである。もちろん両国の大使も出席していた。ドイツからは、ヘルムート・コール首相、クラウス・ナウマン連邦軍総監らトップが参加している。

 私は、アメリカ、イギリス側が、ヘルツォーク演説の前か後に何か発言していないかどうかについて調査を重ねた。しかし、何も発言していないことが確認された。つまり、演説を黙って聴いただけなのである。それで十分だったのではないか。

「相殺」の論理は認めない、と暗に旧連合軍の責任に言及したうえで、死者を弔おうという大統領の言葉に耳を傾けるだけで、「鎮魂」と「和解」のけじめがきちんと果たせられた立派な儀式だったのではないか。少なくともドイツとアメリカ、イギリスとの間に残っていた戦争の「棘」は取り除かれたのではないか─私はそう思う。

 こうした巧みな外交ショーをドイツ側とアメリカ、イギリスの旧連合国側のどちらが仕掛けたのか─私はまだ結論に達していない。しかし、三国の間で相当の外交努力が払われたことは、アメリカ、イギリス側の出席者の顔ぶれから明らかである。少なくとも日本とアメリカの間にはなかった外交努力であったことは間違いない。

 そして、どうして日本で、この「ドレスデン和解」と同じような「鎮魂」と「和解」の儀式をアメリカとの間で持つことができなかったのか。このヘルツォーク演説と同じような演説を、アメリカ政府、軍部の代表を前に、B29の「夜間無差別焼夷弾爆撃」による日本全国六十七都市の焦土作戦の幕開きとなった東京大空襲の記念日である三月十日、あるいは原子爆弾が投下された広島の八月六日、長崎の八月九日、つまりドレスデンをはるかに上回る犠牲者を出したそれぞれの現地で、あるいはそのすべてを代表するいずれかの都市で、日本の首相が行なうことができなかったのか。「死者の相殺はできない」との論理のうえで、非戦闘員の犠牲者を悼み、ドイツと同じように、日本とアメリカとの間の「棘」を取る儀式を持つ発想がなぜ日本側から出なかったのか。少なくとも自衛隊のイラク派遣は、この日本版「ドレスデンの和解」が行なわれたあとでのことではなかったのか─私は、自らのジャーナリストとしての責任を含めて、こだわり続ける。

 特に心が痛むのは、ドレスデン爆撃が、ドイツ国内では多くの民間人の犠牲者が出たことで「ドイツのヒロシマ」と呼ばれていることである。イギリスのチャーチル首相も爆撃直後から「やりすぎだ」との批判的な発言を行なっており、戦後、ドイツ国内のみならず、イギリスその他の欧州諸国でも、ドレスデン爆撃はその正当性をめぐって長い議論が続いていた。一九九二年、イギリス皇太后がドレスデン爆撃を強く主張したハリス・イギリス空軍爆撃軍司令官の銅像の除幕式をロンドンの国防省前で行なった時には、当時のコール首相はじめ、ドイツ各界指導者から抗議が相次いだ。そのために「ドレスデンの和解」のような盛大なけじめの演出が必要だった、と思われる。

 しかし、アメリカ国内では、日本の本物のヒロシマ、ナガサキで、原爆投下によって十四万人、七万人という死者が出た事実でさえ、いまだにきちんと国民の前に示されていない。現在、ワシントンのダレス国際空港横にオープンしたスミソニアン航空宇宙博物館別館、オハイオ州デイトンの空軍博物館でそれぞれ完全に復元され、ピカピカに磨き上げられた、広島原爆投下のB29エノラ・ゲイ、同じく長崎投下のボックス・カー号が展示されている。その前に置かれた説明板では、B29が史上初めて気密室を持った最優秀の爆撃機であったかが記述され、対日戦末期に原爆を投下したというところで終わっている。広島十四万人、長崎七万人という犠牲者はどこにも触れられていない。

 「ドレスデンの和解」が行なわれたのと同じ一九九五年、戦後五十周年の節目を意識して、スミソニアン航空宇宙博物館の原爆関係の展示を企画したとき、アメリカ在郷軍人会や空軍協会から、その内容に横やりが入った。特に説明板への死者数言及の賛否で紛糾した。結局スミソニアン博物館館長が辞任に追い込まれ、展示そのものが流れてしまい、説明板にも死者数は触れられなかったという経過がある。

 そのまま十年の月日が流れたということである。当時、私が再会したレーガン政権時代のホワイトハウスの高官は、「原爆投下という日米間の棘をきちんと抜くいいチャンスだったのに残念だった。スミソニアン側がもう少しし慎重に企画を立てればよかったのかもしれない」とコメントしていたのを思い出す。


アメリカ人と「対話」を始めよう

 アメリカとの関係でのドイツと日本の違いをいえば切りがない。ドイツ人は、独立戦争に際し、イギリス国王側の傭兵として参戦して以来の新大陸での長い定着の歴史を持ち、第二次世界大戦でも、強制収容所入りを命じられた日系人のような扱いは受けなかった。戦争責任の取り方も自殺したヒットラーにすべてが帰着したドイツと日本の場合とは異なり、アメリカは、一九九三年、大統領令でワシントンの中心部にホロコースト・ミュージアムをつくり、ナチスの犯罪を永久に語り継ぐインフラをつくり、ドイツ側もこれを容認し、協力した。「ドレスデンの和解」はこの日本とは違うドイツとの独特の関係の実績のうえで組み立てられたものともいえた。

 しかし、ブッシュ大統領はいま、しばしば大戦後のドイツと日本の民主主義化をアメリカのサクセスストーリーと意義付け、イラクに民主主義を植え付けるためのアメリカの武力行使正当化の理由として使う。大戦初期でのドイツと日本との戦いが苦難に満ちたものであったことを、武力勢力の抵抗に手を焼く現在のイラクでの状況とだぶらせ、アメリカ国民の忍耐を呼び掛けている。

 にもかかわらず、「ドレスデンの和解」を果たし、同盟国としての「棘」を抜いたドイツは、イラク軍事介入にははっきりと距離を置き、アメリカ、イギリスもそれを受け入れて基本的な友好関係は崩れていない。これに対して日本は一〇〇%ブッシュ路線を支持して、自衛隊の派遣に踏み切った。日本版「ドレスデンの和解」も果たさずにである。

 それどころか、ドレスデンなどいくつかの例を除き、基本的には軍事目標に向け、照準爆撃の戦術がとられたドイツとは異なり、夜間無差別焼夷弾爆撃という非戦闘員、一般市民を巻き込むことを前提にした戦術をあみ出し、戦後は空軍参謀総長までのぼりつめたカーチス・ルメー将軍に対し、日本政府は一九六四年十二月、「航空自衛隊の育成に貢献した」との理由で、勲一等旭日大綬章を授与している。ドイツとのこの激しい「落差」ははっきり噛みしめなければならない。

 私は、反米主義者ではない。逆にアメリカとの友好関係こそ日本にとって最も重要な二国関係だと強く思う。それにアメリカに謝罪を求めるものではない。ただただ、ドイツと同じように、「死者による相殺はできない」という論理で、東京を皮切りとする六十七都市での焦土作戦、広島、長崎での原爆投下による死者の霊を共に弔うけじめの儀式をいつかどこかで行ない、アメリカとの関係における「棘」を抜くことが、日本とアメリカとの関係でいままでになく重要になってきたと思うだけである。戦後六十周年の今年、日本版「ドレスデンの和解」以上の記念行事はないのではないか、と思う。

 最後に、この日本版「ドレスデンの和解」のTPOについては、エノラ・ゲイ号やボックス・カー号の展示説明文に広島、長崎の死者を記録することに反対した保守派を含めてアメリカ側ときちんと話をすれば、彼らも受け入れる可能性が決してゼロではないと、私は思う。アメリカ人は、最後にはこうしたフェアネスを好む。いま必要なのは、アメリカ人とこのテーマでの「対話」を官も民もいろいろなレベルで始めることだと思う。私もジャーナリストとしての立場で実践したい。それはまたアジアの近隣諸国との間で依然として抱える「歴史問題」を清算する意外に有効な踏み石にもなるのではないか、と思う。
(完)