2007年6月21日木曜日

【メモ】 信濃町の投資先

出典
ゴールドマン・サックス証券会社の社報2007年6月社報から

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個人筆頭は企業ではないのですが発言力は相当なもの
ライブドアに関してはesugakuが直接的に支配しています。
その株式だけの資産で約6千5百億円にのぼります。

2007年5月2日水曜日

【沖縄密約】 西山太吉氏'(外国人特派員協会会見)

2007年05月02日16時43分掲載  
沖縄密約

「違法機密の暴露はメディアの使命」 「沖縄密約」報道で西山・元記者が外国人特派員協会で会見

 外国人特派員協会(The Foreign Correspondents Club of Japan)は4月26日、東京・有楽町の会議場に西山太吉・元毎日新聞記者を招き、昼食会のあと記者会見を行なった。西山氏は約1時間余、佐藤栄作政権の「沖縄返還交渉」に関する背景を詳しく説明。「日米密約の存在が米公文書公開などで明らかになっても、日本政府は一貫して『密約はなかった』と主張し続けている」と、その不条理を厳しく批判した。その論旨は筆者(池田)を含めて既に報道されているので、ここでは氏の密約報道の経緯と日本のジャーナリズムの姿勢をめぐる外国人特派員との質疑応答を紹介したい。(池田龍夫)

 ──西山さんの話されたことはすべてが正しいと思う。しかし、第一報(毎日1971・6・18朝刊3面)の「400億ドル密約」に関する記事は目立たず、このほか具体的記事がなかった。どうして、明快な記事にしなかったのか。社会党の横路孝弘衆院議員に電文コピーを渡して質問させた(72・3・27衆院予算委)のはよくない。これは政治活動で、正当な取材活動ではないと思うが…。

 西山 「請求権疑惑」は6・18朝刊だけでなく、ほかにも書いている。当時、請求権問題を追求しているリポーターは、毎日新聞の西山1人だった。従って大々的に書けば、外務省内外で「西山の記事だ」とすぐ分かってしまう。いろいろ考えたが、(1)はっきり書けば、ニュース源がバレル恐れがある。(2)「毎日」がいくら紙面に載せても、政府は否定し続けるだろう。この2点から紙面化に慎重になった。

 沖縄返還交渉をめぐって、政府に揺さぶりをかけていた社会党は私の所にしつこく情報提供を求めてきた。ずっと社会党の要請を拒んできたものの、「〝秘密〟の存在を、国民にいかに伝達するか」を考え続けていた。そして遂に(国会閉幕寸前)、横路議員への電信文コピー提供に踏み切った。「書くか書かないか以前の苦渋の選択だった」ことをご理解いただきたい。この選択には、自分自身満足してはいないが…。

 ──新聞社と記者の関係について聞きたい。あの事件に懲りて、新聞社は権力におもねり、自己規制に走ったのではないか。新聞社は貴方を守ろうとしたか。

 西山 一審で私は無罪だったが、ニュース提供者が有罪判決を受けた。この責任を痛感して、直ちに毎日新聞社に辞表を出した。これはこれとして、新聞社の根本的姿勢はダメだった。私の逮捕・起訴によって局面は暗転し、日本のジャーナリズムは政府の秘密・不正追及を止めてしまった。ジャーナリズムの自殺行為ではないか。

 ところが、米国の情報公開によって日本のジャーナリズムは大問題に気づかされ、動き始めた。柏木雄介・ジューリック日米財務担当官が合意した「密約文書」が1988年9月米国で発掘されたのを皮切りに、2000年と2002年に「密約」を裏づける膨大な米外交文書が表に出てきた。

 さらに2006年2月、当時の交渉責任者、吉野文六・元外務省アメリカ局長が北海道新聞の取材に応えて、「沖縄返還密約はあった。スナイダー米代表と自分の間で作成した文書にサインした」と爆弾発言したのである。これら動かぬ証拠を根拠に「国家賠償請求訴訟」を起こしたが、07年3月27日の東京地裁判決で「除斥期間」を理由に賠償請求は棄却された。

 私の裁判(外務省機密漏洩事件)で検察側証人に立った吉野文六氏は「知らぬ、存ぜぬ」と18回も偽証し、歴代政府はその証言を唯一の根拠に、「密約はなかった」と強弁し続けてきた。その吉野氏が「密約があった」とすべてのメディアに暴露したのに、麻生太郎外相は「外務省(「密約はない」)と、吉野発言(「密約はあった」)のいずれを支持するのか。国民は外務省を支持するに違いない」と、現在も詭弁を弄している。論理的に、政府の弁明は破綻してしまっているのだが…。

 読売まで、社説(07・3・28朝刊)で「『密約』の存在をいまだに否定し続ける政府の姿勢は、ちょっとおかしいのではないか」と指摘していた。

 ──問題の「電信文」を、どのような形で入手したのですか。これまでも「密約」はありましたか。

 西山 私は当時、「秘密文書」の存在を知らなかった。「公文書」の回覧・確認のため、外務省内で各部署の事務官が書類を日常的に持ち運んでいる。私の親しい事務官がたまたま、問題の「電信文」をコピーして渡してくれた。それを読んで、初めて「日米密約」の裏取引を知って驚いた。

 岸信介内閣の時に、「核持ち込み」の密約があった。このことは、『佐藤栄作日記』に記されている。また、佐藤首相も沖縄返還交渉の際、「核持ち込み」を密約していた。

 ──最近、中国潜水艦の火災報道をめぐって、防衛機密漏洩が問題化しました。この点をどうお考えですか。

 西山 機密には、「実質秘」と「形式秘」があるが、中国潜水艦火災は実質秘ではなく、東シナ海での火災事故に過ぎない。何故あんな騒ぎになるのか。米軍の衛星探査機が火災を検知し、防衛省に流した情報がマスコミに漏洩したことを、米側が問題視して圧力をかけてきたのだろう。一般的に公開すべき情報までが、〝防衛機密〟を盾に伏せられてしまう。政府は「機密保護法強化」を狙っている。中国潜水艦報道に当たって、メディアは「この火災事故は秘密に当たらないケース」との視点からスタートすべきだった。徒に騒ぐのはよくない。今の新聞は、政府のペースにはまっているような気がしてならない。

 一方、「沖縄密約」は実質秘だが、〝違法秘密〟は暴くべきだ。国家として守るべき実質秘はあるのだろうが、私が告発したような〝政府の違法秘密〟は許せない。

 ──最後に、西山さんの思いとアドバイスを。

 西山 日本の官僚機構は異質で、完全に閉鎖社会。欧米と違って、権力構造は〝鉄壁〝だ。外務事務次官がエンペラーのような権力を持ち、都合のよい情報しか出さないのが現実だ。〝内部告発〟が最近叫ばれているが、日本では真の〝内部告発〟を期待できない気がする。だからこそ、この〝鉄壁〟を破るには、メディアの力しかないのだ。〝特ダネ〟にはイレギュラーな要素がつきまとう。〝違法機密〟のネタは並大抵のことではとれない。

 日本の民主主義のレベルは低い。一方、政府権力は情報を守ろうと狂奔する。そして、機密保護法を強化し、都合のいいように情報操作して国民を誘導する。日本国民は特に外交・安保に無関心すぎる。あの沖縄・参院補選の投票率が47%台とは情けないではないか。メディアも国民も批判精神をなくして時代に流されたら一大事である。ボヤボヤしていられない。

2007年05月01日11時19分
沖縄密約

物足りない在京6紙の「沖縄密約」判決報道 国家権力のウソ追及に及び腰 


  「沖縄返還協定」は1971年6月17日調印され、翌72年5月15日に沖縄は祖国に復帰した。当時の日米首脳は、佐藤栄作首相とニクソン大統領だった。「核抜き本土並み返還」が評価されて佐藤氏は74年ノーベル平和賞に輝いたが、負の遺産である「沖縄返還密約」の疑惑解明は一向に進まず、封印されたままだった。

 2000年の米外交文書公開以降、「米国が負担すべき3億2000万㌦を、日本が肩代わりする密約があった」経緯が次々明らかになり、30年近く「外務省機密漏洩事件」として葬られていた「沖縄返還交渉のナゾ」が再び注目を集めている。国家公務員法違反で有罪となった西山太吉・元毎日新聞記者が2005年4月、国を相手取って国家賠償訴訟(請求額3300万円)を東京地裁に提起。その判決が07年3月27日言い渡されたが、「原告の請求をはいずれも棄却する」と、わずか5秒の〝門前払い〟には驚かされた。
 原告側が吉野文六・元外務省アメリカ局長の「密約存在証言」など約80点もの証拠を提出、約2年・9回も審理したにも拘らず、加藤謙一裁判長は最大の焦点だった「日米密約」には一切言及せず、民法724条後段の除斥期間(20年)を盾に、肝心の「密約」に口をつぐんでしまった。密約を証明する証拠が続々出てきたのに、「除斥期間」という〝武器〟で政府側のウソを隠蔽してしまった。

 藤森克美弁護士が判決文を分析、ホームページに公表した一文が、簡明・的確なので参考に供したい。

▼歴史の真実から逃げた裁判長、裁判官

 (1)アメリカ公文書の発掘によって、沖縄返還協定内外の密約は計5本、2億0700万ドルにも及ぶ巨額なものであり、密約の大枠は1969年11月の日米共同声明発表の折の柏木雄介大蔵省財務官とジューリック財務長官特別補佐官との間で交わされた『秘密覚書』で決められていたのである。これらの事実は今や社会的、客観的に誰の目にも明らかである。密約の存在を裁判所が認めることになると、次に密約の法的評価が問われることになる。国会の承認を得ず、密約を交わすことは憲法73条3号但書違反であるし、予算の執行を伴う以上、予算に嘘を盛り込むので虚偽公文書作成・同行使(刑法156条、158条)に該当し、血税を目的外支出させることになるので、詐欺(刑法246条)ないし背任(刑法247条)に該当することは明らかであり、正に沖縄返還密約は佐藤栄作首相、福田赳夫蔵相、大蔵官僚らの権力中枢の国家組織犯罪であったことを認めなければならなくなる。
 沖縄返還密約が国家組織犯罪であることを認めるとなると、西山太吉を起訴し、公訴を追行した検察官の訴訟行為は違法となるし、西山を有罪とした最高裁決定も当然誤判ということにならざるを得ない。

 (2)本判決は密約の存在について全くの言及をしていない。「争点に対する判断」中には一行一言も触れていない。歴史の真実である密約から裁判長以下3人の裁判官は正に逃げ出したという外ない。裁判を受けたというよりも行政当局の判断を受けたに等しい。裁判官が事実と証拠から目を背け、逃げ出してどうする! 司法の権威は失墜し、国民の裁判に寄せる信頼はゼロに帰したという外ない。

 (3)除斥期間による損害賠償権の消滅、国務大臣らの発言・回答は原告個人に向けられたものではないとの判断も亦、行政当局の言い訳を聞かされているに等しい。

 (4)消滅時効、除斥期間と関係ない検察官の再審請求権の権限不行使の違法の請求原因については、結論しか書いておらず、検察官が巨大な密約存在を知っていたか、知るべき立場にありながら違法な起訴と訴訟追行をした先行行為としての違法性に対する判断理由、判断過程については何ら言及していない欠陥判決である。

▼今後の方針

 (1) 沖縄返還は巨大な密約の塊であり、それらの密約は権力中枢の国家犯罪であり国民主権、官治国家でなく法治国家の立場、納税者の立場から西山さんは当然無罪の冤罪であり、その名誉は国家から回復されるべきであるので、控訴して闘いを続ける。
 (2)また、刑事再審では、時効消滅、除斥期間論で裁判所が密約判断から逃げることができず、密約の存否の判断は得られるので、刑事再審の申し立てに是非取り組みたいと思っている。

▽沖縄県2紙が、判決当日の夕刊に速報

 当初「知る権利・取材の自由」をめぐって政府と報道機関の間に激しい論争があったが、「外務省女性事務官を欺いての取材→国家公務員法違反の罪」に擦りかえられて、「国家権力のウソ」が隠蔽され続けたのが、沖縄密約裁判30数年の流れである。従って、今回の判決についての検証紙面を期待した。果たして、各紙はどう応えたろうか…。

 3月27日の判決言い渡しが午後1時半すぎだったため、夕刊に間に合わなかったのはやむを得まい。ところが、沖縄県の『琉球新報』と『沖縄タイムス』は夕刊最終版一面トップに「西山敗訴」を報じていた。際どい時間帯だったのに、一部地域とはいえ速報に踏み切った価値判断を高く評価したい。沖縄県紙は、米軍基地の動向に本土紙より厳しい目を注ぎ続けているが、現在の米軍再編問題に絡めて「沖縄返還密約裁判」も執拗に追っており、28日朝刊でも大々的に紙面展開していた。
 もう一つ驚かされたのは、『北海道新聞』が28日朝刊一面トップに報じていたことだ。同紙は昨年2月、「吉野証言」をスクープしており、裁判の行方を熱心にフォローしていたに違いない。

 在京六紙(28日朝刊)を点検すると、『東京新聞』が社会面トップに報じた以外、朝日・毎日・読売・日経・産経すべて第二社会面3段扱いだった。政治的に難しい事件だけに、各紙の分析・視点の置き方を知りたかったが、残念ながら物足りない紙面だった。

 六紙のうち社説を掲げたのは三紙だけで、『読売』は「『密約』の存在をいまだに否定し続ける政府の姿勢は、ちょっとおかしいのではないか。……外務省の元アメリカ局長は『密約とは公表されていない交渉内容。この問題は米側文書で公開された』とも語っている。『外交秘密』として保護すべき正当な理由は、もはや見当たらない」と述べ、『東京』は「すでに相手側が公表している事実を秘密にすることは、少なくとも外交上は必要性がない。強いて理由をあげれば、『平和的に領土を回復した』と称えられた佐藤栄作首相(当時)の栄誉を傷つけたくない、ぐらいだろう。司法は存否を判断しないことで、国民を欺く、政府の密約隠しに協力したことにならないか」と指摘していた。『朝日』社説は一日遅れだったが、『毎日』が書かなかったのは腑に落ちない。

▽「日米関係の基礎 空洞化」

 米国の公開文書から「沖縄返還密約」を発掘した我部政明・琉球大教授が『琉球新報』(3・28朝刊)に寄稿した論評の一部を紹介したい。
 「確かに、この判決は、密約の存在を認めない日本政府の短期的な利益を守った。しかし、日米両国民の信頼のもとに長期にわたり安定させるべき重要な二国間関係の基礎部分に空洞を作ってしまった。この裁判を通じて国民は、政府はやはりウソをついていたと知ったのではないか。国民の政府への信頼感が失われては、成熟する民主主義国家とはいえない。慰安婦の存在を否定する現政権への海外からの視線が厳しいのと同様に、国民への情報公開に消極的な政府は見放される。

 もう一方でこの事件は政府が秘密にする情報と、どのように対峙すべきかメディア自身に問うていた。メディアは国民の『知る権利』の代理人である。それ以上でも、それ以下でもない。取材する側の特権がメディアに与えられているはずもない。この裁判をめぐる報道に、情報源を守りながらも報道の透明性の確保こそが、国民からの信頼に応えることだとの言及は乏しかった。その背景には、情報を握る政府への接近が、ときに記者をして権力におもねることを厭わない素地があると指摘できよう。それは、取材側が日々接する政治家や官僚の視点に、自ら立つという勘違いをすることではないだろうか。こうした事態が起きるとき『知る権利』は存在しなくなる。だからこそメディアにとっての『知る権利』は、権力に向かっては自らを奮い立たせるエネルギーであり、自身に向かっては市井の視点を知る『知る原点』となろう」

 実に含蓄に富む指摘で、それだけに「沖縄密約事件」の更なる検証と執拗な追究の重要性を痛感する。


2007年04月03日15時30分
沖縄密約

沖縄返還「密約」の判断を回避 東京地裁の「西山・国賠訴訟」判決 


 「原告の請求をいずれも棄却する」─。3月27日の東京地裁「沖縄返還密約・国家賠償訴訟」で言い渡された判決は、素っ気ない主文のみ。約2年間口頭弁論を積み重ねてきたのに、加藤謙一裁判長はわずか5秒で〝幕引き〟を宣言して退廷した。まさに、司法の名の下に国家権力側が示した〝門前払い〟である。

 1971年6月に日米間で調印された「沖縄返還協定」に関する公電を外務省女性事務官から入手し密約を暴いたスクープは、佐藤栄作政権を揺るがす大問題に発展した。毎日新聞の西山太吉記者=当時=(75)が国家公務員法違反で逮捕され、一審無罪のあと二審で逆転有罪、最高裁で有罪(懲役4月執行猶予1年)が確定したものの、「知る権利」が大きな争点の事件として特筆される裁判だった。

 事件から約30年の歳月が流れ、〝風化〟の扉を破ったのが、「日米密約」を裏付ける米国外交文書公開である。2000年と2002年に封印を解かれた米公文書により、「密約はなかった」と強弁していた日本政府のウソが白日のもとに曝されてしまった。〝国策捜査でペンを奪われた〟西山氏は故郷に長らく蟄居していたが、「政府の謝罪と3300万円の賠償」を求めて2005年4月東京地裁に国家賠償請求訴訟を提起した。次いで06年2月、日米交渉に直接関わった吉野文六・元外務省アメリカ局長が従来の否定発言を翻して、「日米密約はあった」とマスコミに証言、政府はさらに窮地に追い込まれた。

 政府の密約否定の〝ウソ〟を大方の国民は察知しており、今回の東京地裁判決が極めて注目されていた。ところが、加藤裁判長は、最大の焦点だった「日米密約」には一切言及せず、「仮に違法な起訴や誤った判断があったとしても、賠償請求権は民法の除斥期間(20年間)を過ぎて消滅している」として、原告の請求をすべて棄却して「密約」を封印してしまった。

 原告側が9回の口頭弁論の場に提出した証拠は約80、その中で「検察官らに24の違法行為があった」とも指摘したのに対し、被告側(国)は実質審理に応じる姿勢を全く示さず、形式論理に終始。「密約論議の土俵には上がらない」との姿勢で臨み、「除斥期間」を盾にした判決を引き出す法廷戦術に出た。

 東京地裁が公表した「判決要旨」はB5判約14頁で、「争点」を(1)刑事事件の高裁判決及び最高裁決定は誤判か(2)原告に対する被告公務員の違法行為の有無(3)民法724条の適用の当否(4)原告の損害の有無及び程度等(5)名誉措置の必要性――の5点に分類。このあと「裁判所の判断」が明記されている。苦渋に満ちた判決文を通読して、「初めに結論ありき」の印象を受けたので、原文に忠実に要点を紹介しておきたい。

   「沖縄密約・国賠訴訟」東京地裁判決の骨子

[民法724条後段適用の当否]
 民法724条後段の規定は、不法行為による損害賠償請求権の除斥期間を定めたものであり、不法行為による損害賠償を求める訴えが除斥期間の経過後に提起された場合には、裁判所は、当事者からの主張がなくても、除斥期間の経過により上記請求権が消滅したものと判断すべきであるから、除斥期間の主張が信義則違反または権利濫用であるという主張は、主張自体失当であると解すべきである。

 原告主張の(国家公務員法違反にかかわる)違法行為については、これらの各行為から20年を経過した後に本訴が提起されたことが明らかであり、かつ、民法724条後段の規定の適用を妨げる事情は証拠上何ら認められないから、仮にこれらの行為について不法行為が成立するとしても、国家賠償法4条及び民法724条後段により、これらの行為に関する損害賠償請求権は既に消滅したとものというべきである。

 従って、原告主張の違法行為に関する請求はいずれも理由がない。

[検察官、政府高官及び国務大臣の原告に対する違法行為の有無]
 本件に顕れた一切の事情を検討しても、検察官において、本件刑事事件につき具体的に再審請求をしなければならない事情があるものとは考え難く(検察官でなければ再審請求をすることが著しく困難であるとの事情も見当たらない。)、検察官がその義務を負うものと認め難いというべきである。そうすると、検察官が再審の請求をしないことが、国家賠償法上、違法な行為であるとはいえず、この点についての原告の主張を採用することはできない。

 原告が指摘する国家公務員及び国務大臣らの発言・回答は行政活動に関する一般的なものにすぎず、原告個人に関してされたものとはいえないし、一般人の普通の注意と読み方・聞き方を基準として、当該発言回答が原告に関するものであることを認識しうる程度に特定性・具体性を有しているということもできない。原告主張の違法行為(羽田浩二外務省北米第一課長の回答及び河相周夫外務省北米局長の発言)においては、「西山氏の御発言については承知しておりません。いずれにせよ同氏個人の御発言について政府としてコメントする立場にないと考えます」との回答ないし「…日米間の合意というのは日米返還協定がすべてでございまして、それ以外の密約は存在していないということでございます。」との発言が、一般人の普通の注意と読み方を基準として、原告の社会的評価を低下させるに足りるものであると認めることはできない。したがって、この点についての原告の主張は理由がない。

 原告は、平成12年5月24日ころ、朝日新聞の米公文書発見報道に対して、外務省職員と河野洋平外務大臣は、吉野文六に電話して、「(報道の問い合わせに対して)『密約はない』と否定してほしい。」と懇願し、原告の名誉回復の機会を奪い、この行為は原告に対する不法行為を構成すると主張する。しかし、外務省職員と河野洋平外務大臣が上記行為をしたと認めるに足りる的確な証拠はなく、この原告の主張を採用することはできない。

 よって、その余の点について認定・判断するまでもなく、原告の請求はいずれも理由がないことに帰する。

        ――――◆――――

 原告側は「時効の起算点は、米公文書が発掘・報道された2002年6月とすべきだ。除斥期間を画一的に当てはめることは公平に著しく反し、権利乱用に当たる」と主張したが、上記のような〝三百代言〟的判決で、賠償請求の道を断ち切ってしまったのである。

 閉廷後、東京地裁内の記者クラブで西山太吉氏と藤森克美弁護士が記者会見、次いで弁護士会館で「沖縄密約訴訟を考える会」の報告会も開かれ、両氏から〝肩透かし判決〟に対する厳しい批判と今後の決意が表明された。

 西山太吉氏 こちらが目指したものは、全部肩透かし。想像していたものの中で、一番グレードの低いものが出てきた。除斥期間という武器で何でも抹殺できる、これが国家機密裁判だ。行政のメンツを守るためだけで、日本に司法がないことを証明するような判決だった。歴代外相が密約を否定し、それを社会、メディアが容認する。これは先進国じゃない。
 権力は〝鉄壁〟…生やさしいものじゃない。しかし、法廷は自分にしかできないジャーナリズムの場。勝ち負けはあるにせよ、問題を発信し続けていくことに意義がある。

 藤森克美氏 密約の存在に触れず、除斥期間という一番楽な方法で結論を導き出したと言わざるを得ない。木で鼻をくくったような判断で、非常に志の低い判決だ。控訴はもちろんだが、民事では〝つまみ食い〟判断されやすい。この際、(除斥期間で逃げられず、密約の存在の判断を避けられない)刑事再審を求めたいと考えている。

 吉野文六・元外務省アメリカ局長は2006年2月、北海道新聞の取材に応じ、「沖縄返還交渉当時の米国はドル危機で、議会に沖縄返還では金を一切使わないことを約束していた背景があった。交渉は難航し、行き詰まる恐れもあったため、沖縄が返るなら(本来、米国が負担すべき)土地の復元費400万ドルを日本が肩代わりしましょうとなった。当時の佐藤栄作首相の判断だ。……交渉当初は米国が無償で沖縄を返すと言うので、佐藤首相もバーンとぶち上げた。ところが、先ず大蔵省が折衝を始めたら、米国はこれだけ日本でもってくれとリストを出してきた。外務省は驚きましたよ。(協定7条で日本側が負担する)3億2000万ドルだって、核の撤去費用などはもともと積算根拠がない。いわばつかみ金。あんなに金がかかるわけがない。費用を多くすればするほど『核が無くなる』と国民が喜ぶなんていう話も出た。3億2000万ドルの内訳なんて誰も知らないです。……西山さんの言っていることは正しい。だから機密扱いなんです」と初めて密約を認めた(道新06・2・8朝刊)。

 この後も各報道機関に同趣旨の証言をしており、密約問題のキーマン的存在になった吉野氏だが、今回の判決内容を聞いて「西山さんは本物の電文(公電)を入手して報道したがゆえ罰せられた」(毎日07・3・28朝刊)、「法律の目的は真理の探求ではなく、みんなが平和に収まることだから、この判決は妥当だと思う。ただ、僕は裁判で罰せられても真理を探究する西山さんは偉いと思う」(道新同日朝刊)などと、感想を述べていた。

 「沖縄密約訴訟を考える会」世話人の田島泰彦・上智大学教授は新聞数紙の取材に答え、「米公文書や吉野発言などで密約は証明されており、西山さんを国家公務員法違反で有罪とした根拠はなくなった。当時と状況は変わっているのに東京地裁判決は全く触れず、除斥期間を中心とする法的な形式論だけで退けてしまった。司法が本来すべき判断を示さず、歴史の真実を隠した。非常に残念な判決だ」と、地裁判決を厳しく批判している。

 原告側は東京地裁判決を不服として控訴。一貫して「密約」の存在を否定している政府の厚い壁に挑む原告側との厳しい攻防は、今後さらに続くに違いない。



2007年02月22日10時47分掲載  
沖縄密約

「沖縄返還密約」裁判の今日的意義 3月27日に「国家賠償訴訟」判決 


  太平洋戦争後27年間も米軍占領下にあった「沖縄」が、祖国に復帰したのは1972年5月15日。あれから35年の歳月を経て、沖縄は〝平和の島〟を取り戻せたろうか。今なお米軍基地の75%が集中している現状は深刻である。在日米軍再編をめぐる動きが大きな政治課題になっている今、沖縄返還時の「密約」に関する裁判が注目されている。
 「密約の存在」をスクープした西山太吉・毎日新聞記者(当時)は、佐藤栄作政権の国策捜査(外務省機密漏洩の疑い)で有罪判決を受け、30余年蟄居し続けてきた。その西山氏が2005年4月25日、「密約を知りながら違法に起訴したうえ、密約の存在を否定し続けたことで著しく名誉を傷つけた」と、国に謝罪と約3300万円の損害賠償を求める訴訟を提起。1年半に及んだ東京地裁(加藤謙一裁判長)の口頭弁論が昨年末結審し、3月27日に判決が下される。

 沖縄返還密約を告発した西山氏が、30数年前の日米関係と現在の米軍再編の類似性を的確に指摘しているので、その一部を紹介したい。
 「〝歴史は繰り返す〟というが、今回の日米軍事再編の動きをみていると、まさに、あの沖縄返還時の手法そのものの再現といっても、決して言い過ぎではない。いや、〝繰り返す〟というよりは、あの当時まいたタネが、その後芽を出し、どんどん成長して、この手狭な庭園の中で、必要以上に深く、広く根を張りめぐらすほどの巨木としてもはや、ちょっとやそっとで動かすことのできない存在にまでなったと言ったほうがいい。しかも、この巨木の周囲には、〝立ち入り禁止〟の柵が張りめぐらされた感すらする。

 これまで、二度にわたって公開された米国の外交機密文書(2000年・02年)、さらには先に世間を驚かせた吉野文六元外務省アメリカ局長の証言(2006年2月)にみられるように、米国は、沖縄返還に際し二つの基本方針で臨んだ。一つは巨大な沖縄の軍事基地の自由使用であり、ほかの一つは、基地関係諸経費の日本側による肩代わりの推進である。この二大方針に基づいた米国の強い要求に対し、日本側は、大幅な譲歩をもって応じ、対米コミット(約束)を国内に流した場合の摩擦や混乱を避けるため、あるものは隠し、あるものはウソをつくといった外交史上例のない情報操作を繰り広げ、交渉成果の〝美化〟(吉野証言)に奔走したのである。

 例えば、〝核抜き〟の問題では、それを『永久秘密』とすることを予め想定してか、正式な外交ルートとは別に、『密使』をもって衝に当たらせ、表向きは〝核抜き〟をうたいながら、裏では、緊急時における核の沖縄への持ち込みについての日米両首脳による秘密合意議事録の署名という政治犯罪をやってのけた。また、返還後の米軍基地の扱いについても、『返還が先決であり、そのため実質的な話し合いは、ほとんどしなかった』(吉野証言)にもかかわらず、『都市部を中心に、基地の整理縮小を推進する』と宣伝し、『基地返還リスト』を公表したのである。これがいい加減な〝空手形〟であったことは、30数年経った今、沖縄の米軍基地が、日本全体の75%を占めているという事実が証明している。

 財政面では、米側支払いの形をとったⅤOA(ボイス・オブ・アメリカ)の沖縄外への移転や米軍基地の復元補償などを対米支払い3億2000万ドルの中に含める一方、今日の『思いやり予算』の原型ともいえる米軍施設改良・移転工事費6500万ドルを地位協定からはみ出していることと、対米支払いの増大につながる(米外交機密文書)という判断から、ついに発表しないまま実行に移し、さらに円をドルに交換して、無利子のまま米国に自由に使わせて1億1000万ドル以上の便宜供与を実施したことも公表しなかった。
 以上の対米支払い根拠の偽装と復元補償費の肩代わりや、6500万ドルの件は、返還時に暴露された電信文中に明記されていたが、ほかの問題も、すべて米外交機密文書により詳細が表面化し、吉野氏もこれを追認したのである。」

 「日米軍事再編――沖縄返還の今日的意義」と題する西山論文(『琉球新報』06・5・15~17掲載)のほんの一部を紹介させてもらったが、見事な〝今日的分析〟である。「在日米軍再編推進特別法案」が2月9日閣議決定され、〝日米軍事一体化〟が加速されている現状が、〝歴史は繰り返す〟を実証しているように映る。「今回の日米軍事再編は、日本側からの双務的協力の方向を固定化するとともに、これを拡充するための突破口をつくり出すことにある。沖縄返還が安保変質の原点であるとすれば、今度の再編はその集大成であり、究極の変質と言ってよい。このことは、憲法第9条の〝改憲〟への外堀を埋めることを意味する」という西山氏の指摘はズシリと重い。

▽生かされなかった「朝日1998年のスクープ」

 「沖縄密約問題とジャーナリズム」と題する研究会が2月3日岩波セミナーホールで開かれた。「日本マスコミ学会ジャーナリズム研究部会」主催で、マスコミ研究者やジャーナリストが多数集まって、熱っぽい論議を交わした(講師に招かれた西山太吉氏の発言内容は、インターネット新聞『日刊ベリタ(2・5)』参照を)。
 「沖縄密約問題」が再び注目されるようになった契機は、「2000年の米機密文書公開」以降と言われてきたが、それ以前に二つの重要な指摘があった。しかし ジャーナリストも研究者も追究を怠っていたことが、今回のセミナーで取り上げられ、反省をこめて「ジャーナリストと研究者の連携」などにも論議が及んだ。

 2000年の米機密文書公開以前の文書は1998年の朝日新聞記事と、1999年の政策研究大学院大学の「オーラルヒストリー」に応えた吉野文六証言の二つだが、朝日新聞98年7月11日夕刊1面トップに掲載された「特ダネ」をきっかけに、この問題を掘り下げる意識を持たなかったのは、〝ジャーナリズムの敗北〟と指摘されても抗弁の余地はあるまい。98年の朝日記事は、2000年公開文書のエッセンスが書き込まれている貴重な資料だ。
 [注=「吉野・オーラルヒストリー」が公になったのは2006年以降だった]

 「沖縄返還時/米軍移転費を秘密補償/大蔵が覚書/協定外に6840億円」との見出しを掲げたトップ記事で、「沖縄返還に日米政府が合意した佐藤・ニクソン日米首脳会談直前の1969年11月、当時の福田赳夫蔵相が米財務当局に沖縄米軍施設の移転費などを日本側が負担することを約束し、日米財務当局で秘密覚書を取り交わしていたことが、我部政明・琉球大教授が入手した米国立公文書館の外交文書や関係者の話で明らかになった。日本は沖縄返還協定に記載された対米補償額3億2000万ドル(当時の為替レートで1152億円)とは別に、在日米軍基地改善費などとして1億9000万ドル(同684億円)を秘密裏に米側に補償していた。公表分の補償額についても、核撤去費を実際より大幅に水増しし、核とは無関係の米軍施設移転費用などに転用することを黙認していた」と前文に明記していた。

 このあとの本文74行には「沖縄返還後に米大使館が作成した報告書では、沖縄返還協定に記載された対米補償額3億2000万ドルの使途についても、日本政府の公式な説明と食い違いを示している。日本政府の発表では、核撤去費用として7000万ドルが米側に手渡されたが、米側が実際に核撤去に使ったのは500万ドルに過ぎなかった。かわりに日本側発表にはない米ラジオ局ボイス・オブ・アメリカ(VOA)の移転費や『その他支出』などに計7800万ドルが使われており、核撤去費や『労働コスト増大分』の保証金が転用された実態を明らかにしている。柏木・ジューリック両氏の交渉は71年4月ごろまで続いており、同年6月の返還協定調印式までに最終的な秘密合意を結んでいた可能性が高い」など〝密約の存在〟を推察できる記述は、本質を衝くものだ。

 同紙2面の解説では、「文書は『沖縄の買い戻し』が明るみに出ることを福田蔵相ら当時の財務当局が恐れ、その費用を予算に計上させない方法に腐心しながら米側に『機密扱い』を求める経緯にも触れている。その結果得をしたのは、『より大きな経済的利益』を得た米国であり、交渉の『影の部分』を見せずに領土回復という政治的成果を達成した佐藤政権だった。……4半世紀が過ぎた今も、普天間飛行場、那覇軍港などの返還は、代替施設の建設に地元が反発し、暗礁に乗り上げたままだ。普天間基地返還に伴う海上基地建設問題などで、この『覚書』が前例になっていないか――」などと指摘していた。
 この記事から9年も経過した「沖縄基地の現実」の解説としても通用する内容ではないか。「沖縄返還の今日定意義」を痛切に感じるのである。

2007年01月05日18時07分
沖縄“密約”は明らか 「西山太吉・国家賠償訴訟」結審、3月27日に判決 


 沖縄返還交渉をめぐる“密約”問題は、35年経ってもベールに閉ざされたままだ。佐藤栄作・ニクソン日米両国首脳が交わした“密約”の存在が、米外交文書公開などで明らかになってきたのに、日本政府はいぜん隠蔽し続けている。この問題は、元毎日新聞記者・西山太吉氏(75)が1971年5月から6月にかけて入手した極秘電信文に、「米側が支払うべき軍用地復元補償費400万ドルを、日本側が密かに肩代わりする」と記載されていた事実を暴露したのが発端。佐藤政権は、密約を隠蔽するため“国策捜査”ともいえる姿勢で臨み、「沖縄返還密約事件」を「外務省機密漏洩事件」にすり替えて、西山氏と外交資料提供の女性事務官を逮捕、有罪にしたのである。その後、2000年の米外交文書公開を突破口に、“日米密約”を裏書きする新証拠が続々出てきた。

 西山氏は2005年4月25日、「密約を知りながら違法に起訴したうえ、密約の存在を否定し続けたことで著しく名誉を傷つけられた」と、国に謝罪と約3300万円の損害賠償を求める訴訟を東京地裁に起こした。同年7月の第1回口頭弁論から1年半、9回の弁論を重ねてきた。

 第9回口頭弁論は2006年12月26日、東京地裁で開かれ、加藤謙一裁判長が冒頭「今回で弁論を終結する」と申し渡し、最終審理に入った。原告・被告双方の提出文書を確認したあと、原告代理人・藤森克美弁護士が10分余にわたって最終弁論を行なったが、裁判所に[甲70号書]として提出済みの澤地久枝著『密約──外務省機密漏洩事件』」の主要個所を紹介しながら、「密約の本質は明らか」と訴えた。淡々とした語り口に説得力があり、加藤裁判長が身を乗り出すようにして耳を傾けていた姿が印象に残った。藤森弁護士が法廷で読み上げた、澤地氏の鋭い指摘の一端を再録し、参考に供したい。

 「昭和46(1971)年6月17日の沖縄返還協定までの外交交渉において、佐藤栄作内閣ならびに外務省中枢の主務者たちによって米国政府との間に《密約》が結ばれた。相手国あっての外交であれば、限られた期間、守られるべき秘密があることは当然ともいえる。しかし、代理民主制を建前とするこの国で、国民にも知らせることのできないような国家機密は、きわめて限定されるべきであろう。譲歩につぐ譲歩、妥協につぐ妥協によって、基地の島沖縄をそのまま買いとったのが返還交渉の実情であり、蓮見→西山の連繋によって辛うじて公けになった基地復元補償400万ドル肩代わりは、いわばかくされた《密約》の氷山の一角に過ぎない。真実の全容は闇から闇へである」

 「アメリカが議会に対する約束を楯として、沖縄返還にあたり1ドルの支出もできないことを強く主張して『国益』と議会に対する信義を守ったのであれば、日本側は、国会(ならびに主権者)に対して、妥協譲歩しつつ沖縄返還の実をとらざるを得ない歴史状況・政治力学を明らかにする義務があったと私は思う。しかし、『密約なし』と国会で強弁をくりかえした佐藤首相は、日米間の電信文という動かぬ証拠をつきつけられて、あたかも政治責任をとるかのような意思表明をしながら責任を回避、検察当局は《密約》暴露に一役買った男女を告発し、いわゆる『下半身問題』を表面化させることで世論の矛先をそらさせると同時に、問題の本質を比較もならない卑小で低次元なものにすりかえてしまった」

 「『情通問題』の目つぶしをくらって世論が流れを変え後退する中で、昭和47(1972)年5月15日、傷だらけの沖縄はともかく27年ぶりに本土に復帰し、6月17日、佐藤首相は7年8ヵ月という首相としての最長不倒記録を確立して、引退の花道を去っていった。佐藤首相としては、最長不倒の記録の最後の花が、沖縄本土復帰の実現であり、その内幕について誰からもうしろ指をさされたくない心境であったことは推測できる。しかし、主権者の投票によって選ばれた政治家であり、与党であり、さらに政権担当者であることを考えれば、肩代わり400万ドルの損出を生じ、余分な税金を使った責任は、タックス・ペイヤーである国民に対して明らかにするべきものであったはずである。だいたい、基地復元補償の一点に限ってでも、ともかく日本の主張が通ったという見せかけをつくるために、わざわざ肩代わりの財源を提供する姑息な面子とはなんだったのだろうか。それが国家公務員法でいうところの『国家秘密』とよび得るものであったかどうか。ごく平静に常識的に判断をすれば、結論は『否』でしかない。だが、政治家たちや外務高級官僚たちの政治責任は問われることなく、裁きの場に一組の男女が被告人として残された。そして控訴審では西山氏一人になった」

 「法律の世界とは、奇妙な世界である。事柄の本質からみれば枝葉の部分にいる人間を国家公務員法違反の罪に問う。そして、西山氏は『国家秘密の取材』にかかわって法廷で裁かれる最初の新聞記者であった。『国家秘密』を取材した新聞記者が罪に問われる法律があるなら、国会と主権者に対し欺瞞と背任をおこなった政治家を告発する法律があってもよさそうなものである。しかし、『国民の知る権利』という正統的で受身な主張はなされたが、主権者の側からの法律上の告発はなかった。選挙がそれにかわるものとして存在するわけだが、投票する側の意識にはその因果関係の自覚は希薄であったように思える。『国家秘密』とはなにか。報道の自由とはなにか。西山氏の蓮見さんに対する言動が国公法の『そそのかし』に該当するか否か。法廷の争点はここへ絞られて、沖縄返還の内実も佐藤内閣の本質すりかえの責任も法廷では問われない。起訴状にそった検察対弁護側の応酬がくりかえされるのが裁判である。それが常識・常道であるとはいえ、事件の本質の質量に比べてきわめて限定されたたたかい──。それが裁判というものに約束された世界であった」

 「沖縄返還密約事件」裁判を熱心に傍聴、最高裁判決に至る経過を検証し問題点を探り続けた作家・澤地久枝氏の分析力・洞察力に改めて敬服した。30余年前に書かれたものだが、視点の鋭さはさすがだ。「西山国賠訴訟」の最終弁論に立った藤森弁護士が、その内容の一部を引用しながら、「密約の存在」を暴く補強材料に使った意図が分かる。

 藤森弁護士は、最高決定後に発掘された「2000年・2002年の米外交文書」のほか、「(1)柏木・ジューリック合意(2)吉野・シュナイダー密約(3)米国の『ケーススタディ』」、さらに「吉野元外務省アメリカ局長の爆弾発言」などの新証拠をあげて、原告側主張の正当性を主張。再度、澤地氏の「この事件の本質を見すえるところから私たちは歩きはじめるべきなのであろう」という下りを引用し、「その歩き始めが今回の国賠訴訟である。……真実を洞察し、歴史(の審判)に耐える判決を期待する」と述べ、最終弁論を締め括った。

 閉廷後に藤森弁護士は「2005年4月25日の提訴から1年8ヶ月、ついに弁論は終結した。当初入手できた資料は、米公文書と吉野・井川両尋問調書、刑事1~3審判決のみという手探りの状態でスタートした裁判だったが、各方面の協力を得て密約の事実および刑事判決・決定の誤判性について立証できたと思う。国側は最後まで実質的な認否・反論はせず、本質的な争いを避け、あくまでも形式論で逃げる戦術を取り続けた。裁判所においては、形式的な判断に依らず、証拠に基づく公正で厳密な事実判断と問題の本質を踏まえた実質的判断がなされるよう、裁判官の良心と勇気に期待して、2007年3月27日の判決言い渡しを待ちたいと思う」と述べ、傍聴人へ謝意を表した。

 [注]澤地久枝著『「密約──外務省機密漏洩事件」』。中公文庫版は絶版になったが、2006年「岩波現代文庫」で復刊。『第13章 新たな出発』からの引用。

【外務省】 外務省 外交文書 公開に関する規則

「外交記録公開に関する規則」骨子

【基本的考え方】

●30年経過した文書は自動的公開を原則とする。
→非公開部分は真に限定する。
→30年経過文書は「移管」又は「廃棄」を原則とする。
(「延長」は原則行わない。)
→保存期限が30年未満の文書は「延長」又は「廃棄」を原則とする。
(外交記録公開推進委員会からの特段の要求等がある場合には「移管」も可。)

●公開文書の歴史的意義等は「文書自体に語らしむ」との習慣を定着させる。

1.外交記録公開審査の対象
(1)作成から30年以上経過した行政文書
(イ)昭和53年末までに作成された文書(永年保存ファイルを含む)(約22,000冊)。
(ロ)今後、30年の保存期間が満了するもの(約2,000冊/年)。
(2)30年未満の保存期間が満了した行政文書

2.自動的公開の原則(非公開部分の限定)
●作成から30年以上経過した行政文書は、原則自動的に公開する。
●非公開部分は、現時点及び将来的に具体的な悪影響が生じるものに限定する。
情報公開法及び公文書管理法の関連規定を踏まえると、例えば、以下の情報
が想定されるが、以下に該当するものでも非公開とする部分は真に限定。
(1)個人に関する情報(個人の権利利益を害するおそれがあるもの等)
(2)法人等に関する情報(正当な利益を害するおそれがあるもの等)
(3)国の安全、他国との信頼関係等が現時点及び将来的に損なわれるもの。

①現時点及び将来的に国家の安全保障等に悪影響を与える情報
②現在及び将来的な交渉に悪影響を与える情報等

3.非公開部分に関する判断の流れ
●一次審査:官房総務課にて外務省OBも活用しつつ一次的判断を行う。
●二次審査:その上で、主管課室にて念のため必要最小限の確認を行う。
●最終判断:外交記録公開推進委員会(以下、委員会)が妥当性を判断し、
大臣の了承を最終的に得る。

4.既に30年以上経過した行政文書の公開手続(1.(1)(イ)の文書)
①委員会が、公開審査の優先順位を決定して、大臣の了承を得て、官房総務課長に
通知する(委員会の各種決定においては、有識者の意見を求めることができる。)。
②官房総務課長は移管審査を行い、廃棄・移管について判断する。(原則として延長
は行わない。)
③・④・⑤官房総務課長は審査結果を委員会に報告し、委員会はその妥当性を判断す
る。委員会は、大臣に報告し、その了承を得る。
⑥官房総務課長は、一次審査を行う。主管課室長は、期限を定めて二次審査を行い、
結果を官房総務課長に報告する。
⑦官房総務課長が必要と認める場合は、非公開部分について、主管課室長に対して、
再審査を指示できる。
⑧官房総務課長は、外交史料館の意見も踏まえ、公開審査結果(公開ファイルの非公

5.(参照) http://www.mofa.go.jp/mofaj/public/pdfs/kisoku_kosshi.pdf

6.30年未満の行政文書の公開手続(1.(2)の文書)
官房総務課長及び主管課室長は、外交史料館の意見も踏まえ、移管審査により主として
保存期間の延長又は廃棄を判断する。
(外交記録公開推進委員会からの特段の要求等がある場合には「移管」も可。)
→移管をすることとなる場合には4.の流れと同じ。

7.行政文書の廃棄手続
(1)既に作成から30年以上経過した行政文書
官房総務課長(主管課室長)が移管審査及び公開審査において、外交史料館の意見も踏まえ、廃棄の是非につき初歩的な判断を行う。
(2)今後30年の保存期限が満了する行政文書
官房総務課長及び主管課室長が移管審査(保存期間満了の前年の9月に開始)及び公開審査において、外交史料館の意見も踏まえ、廃棄の是非につき初歩的な判断を行う。
(3)保存期限30年未満の行政文書
官房総務課長及び主管課室長が移管審査(保存期間満了の前年の9月に開始)及び公開審査において、外交史料館の意見も踏まえ、廃棄の是非につき初歩的な判断を行う。
→いずれも廃棄相当と判断される文書のリストを委員会に提示し、委員会がその妥当性を判断し、最終的に大臣の了承を得る。

8.行政文書として保存期間を延長した文書及び非公開部分のその後の扱い
→5年が経過した時点で、官房総務課長及び主管課室長が移管審査及び公開審査を改めて行う。

9.対外公表方法
(注)本件規則は、公文書管理法施行(平成23年4月予定)に伴い、関連の政令等との整合性を図るため一部見直しを行う必要が出てくるものと思われる。

→公表の手続を終えたものから、ファイル名を定期的に対外公表し、外交史料館で閲覧できるようにする。
(現在の霞クラブのみに限定したエンバーゴ付きの公表方式を改め、すべてのプレス・学者等が同時に公表情報にアクセスできる「静かな公開方式」とする。)

2007年4月17日火曜日

軍事戦略の原点

 米国海軍の元少将のJ・S・ワイリーによって1967年に出版された「The Military Strategy: A General Theory of Power Control」という本がある。 

その、J・S・ワイリーの”The Military Strategy: A General Theory of Power Control ”の日本語版(奥山真司訳)が”軍事戦略の原点”である。書籍そのものはハードカバーからソフトカバーへと変えられページ数も少々厚手の岩波文庫程度のものである。

”The Military Strategy: A General Theory of Power Control”と言う本そのものは、マイナーな本ではあるがJ・S・ワイリー元少将は、アメリカ海軍では天才とまで言われた人物である。この本自体は戦略学理論の入門書と紹介されているが、一般的な戦略書とは趣が異なり軍事のみならずビジネスおよび国家にも応用できる一般的な戦略理論を構築する際の総合な基礎として活用ができる書ともいえる。

”The Military Strategy: A General Theory of Power Control”そのものは、欧米の戦略学の分野では古典的名著として評価されている模様である。自分が手にした”軍事戦略の原点”は2007年の春先に日本で発売されたものである。

この本の中でのポイントは、「戦略」とは何であり「戦術」とはどう違うのかシンプルな議論から始まり、「累積戦略」と「順次戦略」という二つの戦略のパターンに関する解説をしている。戦略の分類として、陸上・海上・航空・毛沢東のゲリラ戦の4種に分類している。また、陸海空の戦略が異なるのは当然で、目的に合わせた統合運用について60年代にその必要性に目を付けている。

 また、戦略のアプローチとして、華々しい戦闘を続ける「順次戦略」と地味に敵戦力を削ぐ「累積的戦略」の2つを挙げ、この2つの適切な組み合わせが必要とする柔軟性は、まさにビジネスや国家に適用される汎用性を持つ戦略と言えよう。

ここで簡単に要約をすると、先ず今までの戦略を、「順次戦略」と「累積戦略」という2つのパターンに分類した上で、「陸上戦略理論」「海上戦略理論」「航空戦略理論」「ゲリラ戦理論」とに理論的に整理している。

「順次戦略」というのは、例えば、敵野戦軍を撃滅して敵の首都を占拠すれば敵国は降伏するであろうというように、敵を攻略するための諸段階がある程度明確で、それを順次こなしていくような戦略であると理解できる。これに対して「累積戦略」というのは、海軍による経済封鎖や空軍による工業地帯の爆撃のように、その効果が敵に対して累積的にジワリジワリと発揮される戦略であると理解できる。

少々わかり辛いと思うのでもう少し身近な例に例えると、「順次戦略」とは、言わば。一般小売店はじめとし企業の経営のようなもので、顧客数・売上げ・仕入れ・経費を、過去のデータを基に順次組み立てていくもので、これは目に見えるかたちである程度の予測が立つことを基に、次の戦略を練るというものである。

それに対して「累積戦略」は、それぞれに全く関連性の無い個別の戦いの積み重ねが、ある段階を境に一挙に効果を発揮するという戦略である。J・S・ワイリー元少将のこの本では「累積戦略」の例として、
第二次大戦中に米軍が行った日本の商船や補給船等への潜水艦による攻撃・撃沈を挙げている。

一部の戦略家を除き、米軍日本軍側も、この攻撃が戦争全体の結末にどの程度影響を与えたかは当初読みきれていなかったというのが事実ではないだろうか。しかし、太平洋のあちこちで日本の商船等の撃沈(兵站・補給路の寸断)を積み重ねていったことで、日本軍ばかりか日本全体が窮してしまったというのは紛れもない事実なのである。


 本書の中で、J・S・ワイリーは彼の総合理論の解説に先立ち、西洋の三つの戦略理論と、東洋の戦略家によって提唱されたやや新しい戦略理論を提示する。すなわちマハンやコーベットによってその基礎が築かれた「海洋戦略理論」、ドゥーエによって提示された「航空戦略理論」、クラウゼヴィッツの研究に遡る「陸上戦略理論」であり、そして毛沢東のゲリラ戦略「人民戦争論」である。これら四つが既存の戦略理論であるが、同時にこれらは彼らの思考様式の土台である。つまり水兵には水兵の戦略的思考様式があり、それは海洋戦略理論を土台にしたものであり、その理論が彼らの行動の指針となるのだ。

 パイロットにはパイロットの思考様式があり、兵士には兵士のそれがある。そしてワイリーによれば、彼らの理論はそれぞれ特定の状況においてはそれなりの妥当性があり、また現実との整合性を多少なりとも有するものである。

 だがまさにそのことによって、それぞれの理論の主唱者たちの間で意見の衝突が生じるのだという。なぜなら彼らは自分らの信奉する理論をそれぞれ「戦略の総合理論」であると考えており、「その戦略のパターンをどの戦争のどの状況にも適用できる」と考えているからだ。

だがその何れもが「総合理論」となり得ないことは筆者であるJ・S・ワイリー言を俟たずとも明らかであり、これらは「それぞれの分野に特化された特殊な理論であり、それぞれ特定の条件下でのみ有効で、各理論が暗黙のうちに想定している状況に現実が当てはまらなくなってくると、そのとたんに有効性を失ってしまうもの」なのである。そこでJ・S・ワイリーは、本書において改めて「戦略の総合理論」の構築の必要性を説き、同時にその提示を試みる。

 総合理論は「紛争の状況、時代、場所を選ばず、しかもあらゆる制限や限界の存在や、それが課せられてくる状況にもすべて適用できるものでなければならない」普遍的なものとされ、それぞれの特化した理論を越えそれらを統合することができるような「ある程度のレベルの高さを持っていることが必要」と考えられる。

J・S・ワイリーはある程度の普遍性を持った総合理論に近いものとしてリデルハートの「間接アプローチ」(*第一次世界大戦後、リデル・ハートによって提唱された間接アプローチ戦略(Indirect approach strategy)とは正面衝突を避け、間接的に相手を無力化・減衰させる戦略をいう)を紹介するが、それもそのコンセプトが一定の形を持たず不明瞭でいい加減な部分があり、よって限界があるとしている。

J・S・ワイリーはここに自らの総合理論を構築しようと試みるが、まずは理論の根底にあるという以下の四つの想定を見てみたい。

 第一の想定:戦争やトラブルは起こるものと考えていなければならない
 第二の想定:戦争や争い事はの目的は敵をコントロールすることにある
 第三の想定:戦争やトラブルおよび争い事は我々の計画通りに進むことはなく、予測不可能である
 第四の想定:戦争や争い事の結果を最終的に決定するのは戦場に銃を持って立つ兵士である

 ここでは第二、第四の想定のみに言及しておきたい。

 第二の想定は、戦争遂行の目的があくまで「敵の意志の屈服」にあることを我々に想起させるものであり、戦争の目的を「敵の破壊」という手段と混同する過ちから我々を遠ざけてくれるものだ。

コントロールとはすなわち敵の意志の屈服であり、それは心理的関係に基づいている。平時における軍事力の意義とは、潜在的敵国に対する心理的インパクトとして用いられる所謂「物理的暴力の脅し」であるが、その意義はおそらく戦時においても消滅しない。

モーゲンソーは、物理的暴力が現実に行使されると、二者の間の心理的関係に代わって物理的関係が生じ、従って軍事力と政治権力とは区別されなければならないとしたが、上の想定を考慮するならば、戦時においても最終的に勝敗を左右するのは心理的インパクトであると考えなければならない。

 第四の想定はランドパワーの優位を主張する筆者(J・S・ワイリー)の信条である。たとえ現代の戦争で他の手段が決定的な影響力を持ち、敵にどのような荒廃や破壊を与えたとしても、戦争の行く末を最終的に決定するのは現場にいる兵士、すなわち陸軍である。

この想定には、太平洋戦争において米軍が日本本土に上陸する前に勝利したように、反証となりそうな事実がある。だがこれに対して筆者(J・S・ワイリー)は、日本側が米軍の本土上陸の可能性を認識したことによって、つまり第二の想定と併せ、米軍のプレゼンスが日本側に心理的インパクトを与えたことによって、戦争の決着が着いたのだと説いている。重要なのは銃を持つ兵士が戦場に立つ(日本にとっては「上陸する」)ことが可能であると認識されるか否かである。

 さて、筆者は戦略の総合理論とはこのようなポイントを発展させたものでなければならないとして、以下三点を主張している。

①戦略家が実践時に目指さなければならない最大の目標は、自分の意図した度合いで敵をコントロールすること。
②これは、戦争のパターン(形態)を支配することによって達成される。
③この戦争のパターンの支配は、見方にとっては有利、そして敵にとっては不利になるようなところへ「重心」を動かすことによって実現される。

「パターン」や「重心」といった単語は曖昧な部分を含む事から厳密に定義することは困難であろう。翻訳者の奥山氏は本書を『孫子』の現代版かつ西洋版として絶賛しているのだが、西洋的発想というより東洋的発想に近いように思えてならない。

戦争や争い事は、基本的に次の状況が予測不可能であるが、予測が困難な状況においてできる限りそれを予測するにはどうしたら良いか。

答えは非常に単純明快で、その状況を支配すれば良いのだ。つまり、自国にとって有利な戦争のパターンを勝ち取り、それをコントロールすることに他ならない。目下の戦争のパターンが相手に有利なものであれば、それを自分にとって有利なパターンに変更しなければならない。

 そこでキーとなるのが戦争の「重心」という概念である。我々は戦争の「重心」(the center of gravity)を新たな状況、もしくは自ら好む状況へシフトさせることで、戦争を自らの好むパターンに変更しようと努力するのである。

おそらくあらゆる戦争(ビジネスや国家運営にもいえる)には「重心」があり、その場面・場所・行動の変化によって戦局(両者の有利・不利、あるいは均衡)が流動するのだ。従って双方の戦略家は「重心」はどこにあるのか、それは敵国が望む場所にあるのか、自国の望む場所にあるのかといった問題を考えなければならない。戦争における重心こそがすべての戦略家が獲得しようとしなければならない基本的な優位なのであり、この自国の望む位置へのシフトが、自国の望む戦争のパターンを導くのである。

ここで、気が付くのは戦争という一つの事例のみならず概念という曖昧な言葉を用いたことで孫子同様、戦争に限らない様々なジャンルに活用できると言うことになる。戦略とは、自分が優位に立てるフィールドに敵を引きずり込むこと(「重心」を動かすこと)で、敵を「コントロール」すること、と理解できる。敵野戦軍の撃滅は相手をコントロールするための一つの手段であり、目的ではないとするところに、孫子やリデル・ハートとの共通性が見出せる。


2007年3月8日木曜日

【財政再建】 国の借金

 この記事を引越しをしながら、日本の国は本当にやっていけるのか不安になる。2007年3月8日にこの記事がアップされ債権が500兆円あるという。昨年(2009年)11月には国の借金は
864兆円だと騒ぐ。今年の夏(2010年)の参議院選挙では、菅政権が、消費税を口にし敗北をしている。

果たしてどの数字が正しいのか。財務官僚の手のひらで、消費税議論を行う前に政府ははっきりと数字を国民に示す必要があるだろう。

2007年と同程度の債権が国外にあるならば、まずはそれを清算させるべきであり、同時に国の資産を明確にし貸借を明確にし、未来に対して計画を組むべきである。

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債権国である日本は世界一立場が弱い
http://www.nikkeibp.co.jp/sj/2/column/p/52/index.html

 日本は現在、世界一の債権大国である。GNP(国民総生産)が500兆円だが、それと同じ500兆円ほどを世界中に貸している。

 GNPと同じ規模の債権ということは、それを債務国が返してくれたら、日本人は丸1年間、働かなくてもいいということだ。もし10%ずつの利息をくれたら、年間50兆円も入ってくる。そうなれば、日本国民は税金をいっさい納めなくてもよくなる。

 このように、日本は気前よく貸したり投資して、世界一の債権国になっているが、それなのにあらゆる議論でその自覚がなく、日本は貧乏だとか、輸出をして金を稼がなければ生きていけないとか、相変わらずそうした話ばかりが聞こえてくる。

 それから、世界各国に金を貸したり投資したり援助したりしているから、みんな感謝しているはずだと日本人は思っているが、これは大間違いで、本当はみんな日本の敵なのだ。金を貸すと嫌われる。そんなことは当たり前であり、どうして日本人は忘れているのだろう。

 多くの日本人は、他人に金を貸すときの気持ちがあまり分かっていない。日本人には「何とかお金を借りて、それを真面目に返しました。わたしは立派な人間です」という感覚の人がとても多い。だから、金を貸せば感謝されるだろうと思っているが、外国でそんな感覚を持っている国はない。そのことを日本人は知らなすぎる。

 政策研究をしたり、日本国家の将来を考えたりする会合はいろいろなところで開かれている。それらに参加すると、「根本が抜けているな」とわたしはいつも感じる。つまり「金を貸す国はどうあるべきか」という議論がまったくない。貸したら真面目に返してくれる国を想定して議論を進めるのは、根本的に間違っている。

 世界一の債権国として、日本は外国に対してどういう態度をとればよいのか。それを考えるには、いくつもの段階を踏んで論理を積み上げていかなければならない。

 まず最初の段階は、世界の常識と日本の常識が、まるで違っていることを認識することである。国際金融において、「借りた金はなるべく返さない」のが世界の常識で、「死んでも返そう」が日本の常識だ。外国は返さないのが当たり前だと思っている。

 さらに、なるべく返さないだけではなく、国際金融では、外国は踏み倒そうとする。理由は、国際社会には警察も裁判所もないからで、国際金融にはそういう危険があることを、日本は認識する必要がある。

 それから、日本政府は外国政府に対して交渉をしない。特に民間債権の取り立てに関しては逃げてしまう。「民間のことは民間でやってください」と、大使館や領事館が逃げてしまう。

 そんな政府は世界では珍しい。外国の政府は民間の債権だろうと、一生懸命取り立てに励んでくれる。しかし日本政府は民間債権をかばってくれない。だから民間企業は政府を頼りにしてはいけない。

 第二に、債務を踏み倒す国に対しては軍隊を出すのが国際常識である。国家対国家はそれぞれ主権を持っているから、軍事力に対してだけは言うことを聞く。本当に軍隊を出すか出さないかは別として、まずそれが常識である。

 それでも債務国が債務を果たさなければ、軍隊が駐留することになる。「返すまでずっとそこいるぞ」と。実際、世界中でそうしたことが行われている。

 ずっと金を借りている国では、やがてどこかの国の軍隊が軍事基地を持つことになる。日本も昔は米国から金を借りていたから、その名残で今も軍事基地がある。

 本来なら、今は米国に金を貸しているのだから、「帰れ」と言えばいい。そして「ちゃんと返済するかどうか心配だ」といって、逆に日本が米国に軍隊を駐留させていいのだ。

 そんなことは国際関係論のイロハの「イ」である。だが日本でそれを言っても、だれも賛同しない。ワシントンで言えば、「それはそうだ」と賛同してもらえる。

 かつて日米貿易摩擦のころに、わたしはワシントンで米国人にこんな話をした。「米国は日本に国債を売りつけている。とめどもなく日本から借金をしている。やがて米国がその金を返さなくなったら、日本は取り立てるために、ホワイトハウスの横に日本の「債権取立回収機構」というビルを建てるだろう。そのビルの名前は“イエローハウス”になるだろう」と。

 そんな話を聞いても、米国人は怒らなかった。ユーモアも通じたのだろうが、「理屈で言えばそうだ」と言って、笑っていた。

 その“イエローハウス”が建ったとき、日本の軍隊が米国に駐留すると言うと、これは無用な制裁になるが、しかし、相手が米国ではなくもっと小さい国であれば、そういうことになるだろう。

 金を借りている国が「軍隊の駐留を認めない」と言えば、日本は自然に、もう金を貸さなくなる。返してくれるかどうか心配だから、当たり前のことだ。

 すると相手国は困って、結局、「どうぞ駐留してください」となる。だから国際金融をやっていると、必ず軍事交流になってしまう。債務国は軍事基地を提供し、債権国は軍隊を海外派遣するようになる。これは当たり前のことで、世界では珍しくもなんともない。

 もしそれを避けようとするならば、「保障占領」という前例がある。つまり担保を取る。例えば、第一次世界大戦が終わったとき、ドイツはフランスに対して弁償金を払う約束をした。しかし、ちゃんと払うかどうか分からない。そこでフランスは、ルール地方の工業地帯に軍隊を入れて占領した。

 これは侵略でも占領でもない。担保に取っただけ。ドイツがちゃんと払えば、いずれ軍隊は引き上げると、フランスは約束した。これが保障占領という制度である。

 だから米国がもっと金を貸せと言うのなら、日本は米国のどこかを保障占領しなければいけない。これは全然おかしくも何ともない。

 日本の会社は世界各国で、担保も取らずに数千億円も投資して石油を掘ったり、プラントを造ったりして、没収された。日本人は大変お人よしだという例だが、そういう前例は枚挙にいとまがない。

 次に、債権国と債務国の仲が悪くなって戦争になったとき、周辺の関係国や利害関係国はどちらの味方をするのだろう。これについても日本と外国では、常識がまったく違う。

 日本では、関係国は当然、債権国である日本に味方をしてくれると思っている。しかし現実はまったく逆である。

 今、日本が中国に「貸した金を返せ」と言い、中国は返さないと言って、戦争が始まったとしたら、周辺国はどちらに味方するだろう。日本が正しいのだから周辺国は日本に味方をしてくれると、日本人は思っている。だがわたしはその逆だと思う。周辺国はみんな中国の側について、日本に宣戦布告すると思う。日本から金を借りている国は、全部中国について、日本に宣戦布告する。

 それはなぜか。どうやら中国が勝ちそうだからだ。もしも中国が勝つなら、中国に味方しておけば、自分たちの日本からの借金をチャラにしてもらえる。それだけでなく、日本の財産をみんなでもらって山分けしてしまおうというわけだ。


 前例はたくさんある。例えば、第一次世界大戦のときに、ドイツと英国・フランスが戦争をした。そのときに米国は英国・フランスの方に付いた。その理由の一つは、米国が英国とフランスにたくさん金を貸していたからだ。

 米国はドイツには金を貸していなかった。だから米国中の財閥や銀行、資本家は、英国とフランスに勝ってほしかった。ドイツが勝ったら、自分が英国やフランスに貸していた金がパーになる恐れがある。それは困るから、財閥や銀行、資本家は当時の大統領に英国・フランスの側に付けと、強力な圧力をかけた。

 つまり、みんな自分が投資した国がかわいい。そう動くのがお金の世界の論理だ。だから周辺国はまず武力が強くて勝ちそうな側に付く。それから、自分が金を貸している方に付く。金を借りた国には付かない。正義なんかは後回しである。

 日本は今、世界中に一番たくさん貸している国である。それは、世界で一番立場が弱い国ということだ。世界中から「日本が負けて借金がパーになってほしい」と思われている。

 中国の側について日本に宣戦布告して、中国が勝ったら自分たちも戦勝国だと乗り込んで来て日本から財産をぶんどる。それが国際常識である。これからの日本について考えるなら、現在のそうした状況を大前提としなければいけない。

追記
国の借金864兆円に 国民1人あたり680万
[社会]
2009年11月11日 09:01 更新
http://www.data-max.co.jp/2009/11/864680.html

 10日、財務省は国債や借入金など「国の借金」が過去最高の864兆5,226億円になったことを発表した。前回発表の6月末から4兆2,669億円増加している。国民1人あたり約680万円の借金を背負っていることになる。

 長期、中期、短期を会せた普通国債残高が563兆2,530億円。財政投融資特別会計国債(財投債)が126兆6,884億円。借入金56兆2,036億円のほか政府短期証券114兆208億円などとなっている。

 膨れ上がる一方の国の借金に対し、鳩山政権がどのような対応をとっていくのか注目される。

国の借金は過去最高の864兆円! 赤ちゃんにも678万円!
2009.11.10 22:02
http://sankei.jp.msn.com/economy/finance/091110/fnc0911102203030-n1.htm

 財務省は10日、国債や借入金などの国の債務残高(借金)が9月末時点で864兆5226億円になったと発表した。前回公表時の6月末から4兆2669億円増加し、過去最大を更新した。10月1日時点の人口で割ると、国民1人当たり約678万円の借金を背負っている計算になる。

 内訳は普通国債が563兆2530億円で最大。借入金が56兆2036億円、政府系機関などへの貸付金に回す財投債が126兆6884億円、一時的な資金不足を補う政府短期証券は114兆208億円だった。また、主に税金で返済する普通国債に借入金の一部を加えた国の長期債務残高は590兆円となった。
 21年度の国債発行額は、景気対策のための財政出動や税収の落ち込みで過去最大の50兆円に達する見込みで、来年3月末に900兆円の大台を突破する可能性がある。

【PJニュース 2009年11月12日】

11月10日の財務省の発表で、わが国の債務残高が864兆5226億円と発表した。これを受け大手メディアでは国民一人当たりの「国の借金」が約678万円 となったと報じている。だが現実的に考えてみれば、この数字は何の意味も持たない。「国の借金」の貸し手や「国の資産」のことを考えなければ、「国の借金」の現実は見えてこないのだ。実際に計算してみれば、一人当たりの借金など存在しないのだ。

まず、貸し手を考えてみよう。わが国の国債の約93%は国内保有、言い換えれば国民の資産である。つまり、678万円のうち630万円は国民の資産だということにほかならず、仮に国民が政府の借金を返済しなければならないとするなら、その部分は相殺されるため、残額、すなわち海外に対して返済しなければならない額は一人当たり48万円となる。

一方で、政府が保有している金融資産が約475兆円(今年6月末速報値)であるから、一人当たり372万円の「国の資産」を保有する計算である。つまり、この両者を相殺すれば最終的に国民は一人当たり324万円得ることができる。

もっとも、国家の借金をすべて返済する、つまり国家を清算するなどという事態が発生することはまずありえないことであるし、そうなった時点でのわが国の財務状況は現状とは異なる訳だから、現状を基にしたこういった計算の意味は極めて小さい。第一、他国と比べればわが国の状況はまったくもって問題はないのだ。

例えば、アメリカを見てみよう。連邦政府の借金は7.20兆米ドル、約644兆円相当である。米国の人口3億406万人で割れば、一人当たり212万円相当となるだろう。だが、米国債の国内保有比率は40%弱であるため、一人当たりの負担額は127万円相当となる。一方米国政府の保有資産は1.92兆ドル、すなわち172兆円相当であるからにして、米国民一人当たりでは50万円相当に過ぎない。つまり、ここで一人当たり70万円相当以上のマイナスとなっている。

イギリスはどうだろうか。DMOのデータによれば、国債発行残高は8550億英ポンド、約128兆円相当である。人口は6097万人となっているので、一人当たり210万円で、国内保有比率が65%前後であるから一人当たりで73万円前後である。英国政府の資産が1430億英ポンド程度であるから、こちらは一人当たり35万円、つまりこちらも一人当たり40万円近いマイナスである。

このように、わが国の額面上の一人当たり債務額が大きいとはいえ、真に返済義務のある分、つまり国外で調達されている額ベースで考えればわが国は極めて小さく、またさらにいえば一人当たりの政府資産額はけた違いに多い。というより、政府資産が莫大(ばくだい)で、かつ政府の債務の大半が国内で調達されているわが国は世界的に見て異例の好状況なのだ。

そのわが国において、あたかも政府の借金を国民が背負っているかのような誤解を与え、いたずらに財政危機を煽(あお)ることは明らかに誤りであるといわざるを得ないであろう。【了】

2007年1月1日月曜日

【原子力発電】 平井憲夫氏

   原発がどんなものか知ってほしい

平井憲夫

私は原発反対運動家ではありません

 私は原発反対運動家ではありません。二○年間、原子力発電所の現場で働いていた者です。原発については賛成だとか、危険だとか、安全だとかいろんな論争がありますが、私は「原発とはこういうものですよ」と、ほとんどの人が知らない原発の中のお話をします。そして、最後まで読んでいただくと、原発がみなさんが思っていらっしゃるようなものではなく、毎日、被曝者を生み、大変な差別をつくっているものでもあることがよく分かると思います。

 はじめて聞かれる話も多いと思います。どうか、最後まで読んで、それから、原発をどうしたらいいか、みなさんで考えられたらいいと思います。原発について、設計の話をする人はたくさんいますが、私のように施工、造る話をする人がいないのです。しかし、現場を知らないと、原発の本当のことは分かりません。

 私はプラント、大きな化学製造工場などの配管が専門です。二○代の終わりごろに、日本に原発を造るというのでスカウトされて、原発に行きました。一作業負だったら、何十年いても分かりませんが、現場監督として長く働きましたから、原発の中のことはほとんど知っています。

「安全」は机上の話

 去年(一九九五年)の一月一七日に阪神大震災が起きて、国民の中から「地震で原発が壊れたりしないか」という不安の声が高くなりました。原発は地震で本当に大丈夫か、と。しかし、決して大丈夫ではありません。国や電力会社は、耐震設計を考え、固い岩盤の上に建設されているので安全だと強調していますが、これは机上の話です。

 この地震の次の日、私は神戸に行ってみて、余りにも原発との共通点の多さに、改めて考えさせられました。まさか、新幹線の線路が落下したり、高速道路が横倒しになるとは、それまで国民のだれ1人考えてもみなかったと思います。

 世間一般に、原発や新幹線、高速道路などは官庁検査によって、きびしい検査が行われていると思われています。しかし、新幹線の橋脚部のコンクリートの中には型枠の木片が入っていたし、高速道路の支柱の鉄骨の溶接は溶け込み不良でした。一見、溶接がされているように見えていても、溶接そのものがなされていなくて、溶接部が全部はずれてしまっていました。

 なぜ、このような事が起きてしまったのでしょうか。その根本は、余りにも机上の設計ばかりに重点を置いていて、現場の施工、管理を怠ったためです。それが直接の原因ではなくても、このような事故が起きてしまうのです。

素人が造る原発

 原発でも、原子炉の中に針金が入っていたり、配管の中に道具や工具を入れたまま配管をつないでしまったり、いわゆる人が間違える事故、ヒューマンエラーがあまりにも多すぎます。それは現場にブロの職人が少なく、いくら設計が立派でも、設計通りには造られていないからです。机上の設計の議論は、最高の技量を持った職人が施工することが絶対条件です。しかし、原発を造る人がどんな技量を持った人であるのか、現場がどうなっているのかという議論は1度もされたことがありません。

 原発にしろ、建設現場にしろ、作業者から検査官まで総素人によって造られているのが現実ですから、原発や新幹線、高速道路がいつ大事故を起こしても、不思議ではないのです。

 日本の原発の設計も優秀で、二重、三重に多重防護されていて、どこかで故障が起きるとちゃんと止まるようになっています。しかし、これは設計の段階までです。施工、造る段階でおかしくなってしまっているのです。

 仮に、自分の家を建てる時に、立派な一級建築士に設計をしてもらっても、大工や左官屋の腕が悪かったら、雨漏りはする、建具は合わなくなったりしますが、残念ながら、これが日本の原発なのです。

 ひとむかし前までは、現場作業には、棒心(ぼうしん)と呼ばれる職人、現場の若い監督以上の経験を積んだ職人が班長として必ずいました。職人は自分の仕事にプライドを持っていて、事故や手抜きは恥だと考えていましたし、事故の恐ろしさもよく知っていました。それが十年くらい前から、現場に職人がいなくなりました。全くの素人を経験不問という形で募集しています。素人の人は事故の怖さを知らない、なにが不正工事やら手抜きかも、全く知らないで作業しています。それが今の原発の実情です。

 例えば、東京電力の福島原発では、針金を原子炉の中に落としたまま運転していて、1歩間違えば、世界中を巻き込むような大事故になっていたところでした。本人は針金を落としたことは知っていたのに、それがどれだけの大事故につながるかの認識は全然なかったのです。そういう意味では老朽化した原発も危ないのですが、新しい原発も素人が造るという意味で危ないのは同じです。

 現場に職人が少なくなってから、素人でも造れるように、工事がマニュアル化されるようになりました。マニュアル化というのは図面を見て作るのではなく、工場である程度組み立てた物を持ってきて、現場で1番と1番、2番と2番というように、ただ積木を積み重ねるようにして合わせていくんです。そうすると、今、自分が何をしているのか、どれほど重要なことをしているのか、全く分からないままに造っていくことになるのです。こういうことも、事故や故障がひんぱんに起こるようになった原因のひとつです。

 また、原発には放射能の被曝の問題があって後継者を育てることが出来ない職場なのです。原発の作業現場は暗くて暑いし、防護マスクも付けていて、互いに話をすることも出来ないような所ですから、身振り手振りなんです。これではちゃんとした技術を教えることができません。それに、いわゆる腕のいい人ほど、年間の許容線量を先に使ってしまって、中に入れなくなります。だから、よけいに素人でもいいということになってしまうんです。

 また、例えば、溶接の職人ですと、目がやられます。30歳すぎたらもうだめで、細かい仕事が出来なくなります。そうすると、細かい仕事が多い石油プラントなどでは使いものになりませんから、だったら、まあ、日当が安くても、原発の方にでも行こうかなあということになります。

 皆さんは何か勘違いしていて、原発というのはとても技術的に高度なものだと思い込んでいるかも知れないけれど、そんな高級なものではないのです。

 ですから、素人が造る原発ということで、原発はこれから先、本当にどうしようもなくなってきます。

名ばかりの検査・検査官

 原発を造る職人がいなくなっても、検査をきっちりやればいいという人がいます。しかし、その検査体制が問題なのです。出来上がったものを見るのが日本の検査ですから、それではダメなのです。検査は施工の過程を見ることが重要なのです。

 検査官が溶接なら溶接を、「そうではない。よく見ていなさい。このようにするんだ」と自分でやって見せる技量がないと本当の検査にはなりません。そういう技量の無い検査官にまともな検査が出来るわけがないのです。メーカーや施主の説明を聞き、書類さえ整っていれば合格とする、これが今の官庁検査の実態です。

 原発の事故があまりにもひんぱんに起き出したころに、運転管理専門官を各原発に置くことが閣議で決まりました。原発の新設や定検(定期検査)のあとの運転の許可を出す役人です。私もその役人が素人だとは知っていましたが、ここまでひどいとは知らなかったです。

 というのは、水戸で講演をしていた時、会場から「実は恥ずかしいんですが、まるっきり素人です」と、科技庁(科学技術庁)の者だとはっきり名乗って発言した人がいました。その人は「自分たちの職場の職員は、被曝するから絶対に現場に出さなかった。折から行政改革で農水省の役人が余っているというので、昨日まで養蚕の指導をしていた人やハマチ養殖の指導をしていた人を、次の日には専門検査官として赴任させた。そういう何にも知らない人が原発の専門検査官として運転許可を出した。美浜原発にいた専門官は三か月前までは、お米の検査をしていた人だった」と、その人たちの実名を挙げて話してくれました。このようにまったくの素人が出す原発の運転許可を信用できますか。

 東京電力の福島原発で、緊急炉心冷却装置(ECCS)が作動した大事故が起きたとき、読売新聞が「現地専門官カヤの外」と報道していましたが、その人は、自分の担当している原発で大事故が起きたことを、次の日の新聞で知ったのです。なぜ、専門官が何も知らなかったのか。それは、電力会社の人は専門官がまったくの素人であることを知っていますから、火事場のような騒ぎの中で、子どもに教えるように、いちいち説明する時間がなかったので、その人を現場にも入れないで放って置いたのです。だから何も知らなかったのです。

 そんないい加減な人の下に原子力検査協会の人がいます。この人がどんな人かというと、この協会は通産省を定年退職した人の天下り先ですから、全然畑違いの人です。この人が原発の工事のあらゆる検査の権限を持っていて、この人の0Kが出ないと仕事が進まないのですが、検査のことはなにも知りません。ですから、検査と言ってもただ見に行くだけです。けれども大変な権限を持っています。この協会の下に電力会社があり、その下に原子炉メーカーの日立・東芝・三菱の三社があります。私は日立にいましたが、このメーカーの下に工事会社があるんです。つまり、メーカーから上も素人、その下の工事会社もほとんど素人ということになります。だから、原発の事故のことも電力会社ではなく、メー力-でないと、詳しいことは分からないのです。

 私は現役のころも、辞めてからも、ずっと言っていますが、天下りや特殊法人ではなく、本当の第三者的な機関、通産省は原発を推進しているところですから、そういう所と全く関係のない機関を作って、その機関が検査をする。そして、検査官は配管のことなど経験を積んだ人、現場のたたき上げの職人が検査と指導を行えば、溶接の不具合や手抜き工事も見抜けるからと、一生懸命に言ってきましたが、いまだに何も変わっていません。このように、日本の原発行政は、余りにも無責任でお粗末なものなんです。

いいかげんな原発の耐震設計

 阪神大震災後に、慌ただしく日本中の原発の耐震設計を見直して、その結果を九月に発表しましたが、「どの原発も、どんな地震が起きても大丈夫」というあきれたものでした。私が関わった限り、初めのころの原発では、地震のことなど真面目に考えていなかったのです。それを新しいのも古いのも一緒くたにして、大丈夫だなんて、とんでもないことです。1993年に、女川原発の一号機が震度4くらいの地震で出力が急上昇して、自動停止したことがありましたが、この事故は大変な事故でした。なぜ大変だったかというと、この原発では、1984年に震度5で止まるような工事をしているのですが、それが震度5ではないのに止まったんです。わかりやすく言うと、高速道路を運転中、ブレーキを踏まないのに、突然、急ブレーキがかかって止まったと同じことなんです。これは、東北電力が言うように、止まったからよかった、というような簡単なことではありません。5で止まるように設計されているものが4で止まったということは、5では止まらない可能性もあるということなんです。つまり、いろんなことが設計通りにいかないということの現れなんです。

 こういう地震で異常な止まり方をした原発は、1987年に福島原発でも起きていますが、同じ型の原発が全国で10もあります。これは地震と原発のことを考えるとき、非常に恐ろしいことではないでしょうか。

定期点検工事も素人が

 原発は1年くらい運転すると、必ず止めて検査をすることになっていて、定期検査、定検といっています。原子炉には70気圧とか、150気圧とかいうものすごい圧力がかけられていて、配管の中には水が、水といっても300℃もある熱湯ですが、水や水蒸気がすごい勢いで通っていますから、配管の厚さが半分くらいに薄くなってしまう所もあるのです。そういう配管とかバルブとかを、定検でどうしても取り替えなくてはならないのですが、この作業に必ず被曝が伴うわけです。

 原発は一回動かすと、中は放射能、放射線でいっぱいになりますから、その中で人間が放射線を浴びながら働いているのです。そういう現場へ行くのには、自分の服を全部脱いで、防護服に着替えて入ります。防護服というと、放射能から体を守る服のように聞こえますが、そうではないんですよ。放射線の量を計るアラームメーターは防護服の中のチョッキに付けているんですから。つまり、防護服は放射能を外に持ち出さないための単なる作業着です。作業している人を放射能から守るものではないのです。だから、作業が終わって外に出る時には、パンツー枚になって、被曝していないかどうか検査をするんです。体の表面に放射能がついている、いわゆる外部被曝ですと、シャワーで洗うと大体流せますから、放射能がゼロになるまで徹底的に洗ってから、やっと出られます。

 また、安全靴といって、備付けの靴に履き替えますが、この靴もサイズが自分の足にきちっと合うものはありませんから、大事な働く足元がちゃんと定まりません。それに放射能を吸わないように全面マスクを付けたりします。そういうかっこうで現場に入り、放射能の心配をしながら働くわけですから、実際、原発の中ではいい仕事は絶対に出来ません。普通の職場とはまったく違うのです。

 そういう仕事をする人が95%以上まるっきりの素人です。お百姓や漁師の人が自分の仕事が暇な冬場などにやります。言葉は悪いのですが、いわゆる出稼ぎの人です。そういう経験のない人が、怖さを全く知らないで作業をするわけです。

 例えば、ボルトをネジで締める作業をするとき、「対角線に締めなさい、締めないと漏れるよ」と教えますが、作業する現場は放射線管理区域ですから、放射能がいっぱいあって最悪な所です。作業現場に入る時はアラームメーターをつけて入りますが、現場は場所によって放射線の量が違いますから、作業の出来る時間が違います。分刻みです。

 現場に入る前にその日の作業と時間、時間というのは、その日に浴びてよい放射能の量で時間が決まるわけですが、その現場が20分間作業ができる所だとすると、20分経つとアラ-ムメーターが鳴るようにしてある。だから、「アラームメーターが鳴ったら現場から出なさいよ」と指示します。でも現場には時計がありません。時計を持って入ると、時計が放射能で汚染されますから腹時計です。そうやって、現場に行きます。

 そこでは、ボルトをネジで締めながら、もう10分は過ぎたかな、15分は過ぎたかなと、頭はそっちの方にばかり行きます。アラームメーターが鳴るのが怖いですから。アラームメーターというのはビーッととんでもない音がしますので、初めての人はその音が鳴ると、顔から血の気が引くくらい怖いものです。これは経験した者でないと分かりません。ビーッと鳴ると、レントゲンなら何十枚もいっぺんに写したくらいの放射線の量に当たります。ですからネジを対角線に締めなさいと言っても、言われた通りには出来なくて、ただ締めればいいと、どうしてもいい加滅になってしまうのです。すると、どうなりますか。

放射能垂れ流しの海

 冬に定検工事をすることが多いのですが、定検が終わると、海に放射能を含んだ水が何十トンも流れてしまうのです。はっきり言って、今、日本列島で取れる魚で、安心して食べられる魚はほとんどありません。日本の海が放射能で汚染されてしまっているのです。

 海に放射能で汚れた水をたれ流すのは、定検の時だけではありません。原発はすごい熱を出すので、日本では海水で冷やして、その水を海に捨てていますが、これが放射能を含んだ温排水で、一分間に何十トンにもなります。

 原発の事故があっても、県などがあわてて安全宣言を出しますし、電力会社はそれ以上に隠そうとします。それに、国民もほとんど無関心ですから、日本の海は汚れっぱなしです。

 防護服には放射性物質がいっぱいついていますから、それを最初は水洗いして、全部海に流しています。排水口で放射線の量を計ると、すごい量です。こういう所で魚の養殖をしています。安全な食べ物を求めている人たちは、こういうことも知って、原発にもっと関心をもって欲しいものです。このままでは、放射能に汚染されていないものを選べなくなると思いますよ。

 数年前の石川県の志賀原発の差止め裁判の報告会で、八十歳近い行商をしているおばあさんが、こんな話をしました。「私はいままで原発のことを知らなかった。今日、昆布とわかめをお得意さんに持っていったら、そこの若奥さんに「悪いけどもう買えないよ、今日で終わりね、志賀原発が運転に入ったから」って言われた。原発のことは何も分からないけど、初めて実感として原発のことが分かった。どうしたらいいのか」って途方にくれていました。みなさんの知らないところで、日本の海が放射能で汚染され続けています。

内部被爆が一番怖い

 原発の建屋の中は、全部の物が放射性物質に変わってきます。物がすべて放射性物質になって、放射線を出すようになるのです。どんなに厚い鉄でも放射線が突き抜けるからです。体の外から浴びる外部被曝も怖いですが、一番怖いのは内部被曝です。

 ホコリ、どこにでもあるチリとかホコリ。原発の中ではこのホコリが放射能をあびて放射性物質となって飛んでいます。この放射能をおびたホコリが口や鼻から入ると、それが内部被曝になります。原発の作業では片付けや掃除で一番内部被曝をしますが、この体の中から放射線を浴びる内部被曝の方が外部被曝よりもずっと危険なのです。体の中から直接放射線を浴びるわけですから。

 体の中に入った放射能は、通常は、三日くらいで汗や小便と一緒に出てしまいますが、三日なら三日、放射能を体の中に置いたままになります。また、体から出るといっても、人間が勝手に決めた基準ですから、決してゼロにはなりません。これが非常に怖いのです。どんなに微量でも、体の中に蓄積されていきますから。

 原発を見学した人なら分かると思いますが、一般の人が見学できるところは、とてもきれいにしてあって、職員も「きれいでしょう」と自慢そうに言っていますが、それは当たり前なのです。きれいにしておかないと放射能のホコリが飛んで危険ですから。

 私はその内部被曝を百回以上もして、癌になってしまいました。癌の宣告を受けたとき、本当に死ぬのが怖くて怖くてどうしようかと考えました。でも、私の母が何時も言っていたのですが、「死ぬより大きいことはないよ」と。じゃ死ぬ前になにかやろうと。原発のことで、私が知っていることをすべて明るみに出そうと思ったのです。

普通の職場環境とは全く違う

 放射能というのは蓄積します。いくら徴量でも十年なら十年分が蓄積します。これが怖いのです。日本の放射線管理というのは、年間50ミリシーベルトを守ればいい、それを越えなければいいという姿勢です。

 例えば、定検工事ですと三ケ月くらいかかりますから、それで割ると一日分が出ます。でも、放射線量が高いところですと、一日に五分から七分間しか作業が出来ないところもあります。しかし、それでは全く仕事になりませんから、三日分とか、一週間分をいっぺんに浴びせながら作業をさせるのです。これは絶対にやってはいけない方法ですが、そうやって10分間なり20分間なりの作業ができるのです。そんなことをすると白血病とかガンになると知ってくれていると、まだいいのですが……。電力会社はこういうことを一切教えません。

 稼動中の原発で、機械に付いている大きなネジが一本緩んだことがありました。動いている原発は放射能の量が物凄いですから、その一本のネジを締めるのに働く人三十人を用意しました。一列に並んで、ヨーイドンで七メートルくらい先にあるネジまで走って行きます。行って、一、二、三と数えるくらいで、もうアラームメーターがビーッと鳴る。中には走って行って、ネジを締めるスパナはどこにあるんだ?といったら、もう終わりの人もいる。ネジをたった一山、二山、三山締めるだけで百六十人分、金額で四百万円くらいかかりました。

 なぜ、原発を止めて修理しないのかと疑問に思われるかもしれませんが、原発を一日止めると、何億円もの損になりますから、電力会社は出来るだけ止めないのです。放射能というのは非常に危険なものですが、企業というものは、人の命よりもお金なのです。

「絶対安全」だと五時間の洗脳教育

 原発など、放射能のある職場で働く人を放射線従 事者といいます。日本の放射線従事者は今までに約 二七万人ですが、そのほとんどが原発作業者です。 今も九万人くらいの人が原発で働いています。その 人たちが年一回行われる原発の定検工事などを、毎 日、毎日、被曝しながら支えているのです。

 原発で初めて働く作業者に対し、放射線管理教育 を約五時間かけて行います。この教育の最大の目的 は、不安の解消のためです。原発が危険だとは一切 教えません。国の被曝線量で管理しているので、絶 対大丈夫なので安心して働きなさい、世間で原発反 対の人たちが、放射能でガンや白血病に冒されると 言っているが、あれは“マッカナ、オオウソ”であ る、国が決めたことを守っていれば絶対に大丈夫だ と、五時間かけて洗脳します。  

 こういう「原発安全」の洗脳を、電力会社は地域 の人にも行っています。有名人を呼んで講演会を開 いたり、文化サークルで料理教室をしたり、カラー 印刷の立派なチラシを新聞折り込みしたりして。だ から、事故があって、ちょっと不安に思ったとして も、そういう安全宣伝にすぐに洗脳されてしまって 、「原発がなくなったら、電気がなくなって困る」 と思い込むようになるのです。

 私自身が二〇年近く、現場の責任者として、働く 人にオウムの麻原以上のマインド・コントロール、 「洗脳教育」をやって来ました。何人殺したかわか りません。みなさんから現場で働く人は不安に思っ ていないのかとよく聞かれますが、放射能の危険や 被曝のことは一切知らされていませんから、不安だ とは大半の人は思っていません。体の具合が悪くな っても、それが原発のせいだとは全然考えもしない のです。作業者全員が毎日被曝をする。それをいか に本人や外部に知られないように処理するかが責任 者の仕事です。本人や外部に被曝の問題が漏れるよ うでは、現場責任者は失格なのです。これが原発の 現場です。

 私はこのような仕事を長くやっていて、毎日がい たたまれない日も多く、夜は酒の力をかり、酒量が 日毎に増していきました。そうした自分自身に、問 いかけることも多くなっていました。一体なんのた めに、誰のために、このようなウソの毎日を過ごさ ねばならないのかと。気がついたら、二〇年の原発 労働で、私の体も被曝でぼろぼろになっていました。

だれが助けるのか

 また、東京電力の福島原発で現場作業員がグライ ンダーで額(ひたい)を切って、大怪我をしたこと がありました。血が吹き出ていて、一刻を争う大怪 我でしたから、直ぐに救急車を呼んで運び出しまし た。ところが、その怪我人は放射能まみれだったの です。でも、電力会社もあわてていたので、防護服 を脱がせたり、体を洗ったりする除洗をしなかった。 救急隊員にも放射能汚染の知識が全くなかったので、 その怪我人は放射能の除洗をしないままに、病院に 運ばれてしまったんです。だから、その怪我人を触 った救急隊員が汚染される、救急車も汚染される、 医者も看護婦さんも、その看護婦さんが触った他の 患者さんも汚染される、その患者さんが外へ出て、 また汚染が広がるというふうに、町中がパニックに なるほどの大変な事態になってしまいました。みん なが大怪我をして出血のひどい人を何とか助けたい と思って必死だっただけで、放射能は全く見えませ んから、その人が放射能で汚染されていることなん か、だれも気が付かなかったんですよ。

 一人でもこんなに大変なんです。それが仮に大事 故が起きて大勢の住民が放射能で汚染された時、一 体どうなるのでしょうか。想像できますか。人ごと ではないのです。この国の人、みんなの問題です。

びっくりした美浜原発細管破断事故!

 皆さんが知らないのか、無関心なのか、日本の原 発はびっくりするような大事故を度々起こしていま す。スリーマイル島とかチェルノブイリに匹敵する 大事故です。一九八九年に、東京電力の福島第二原 発で再循環ポンプがバラバラになった大事故も、世 界で初めての事故でした。

 そして、一九九一年二月に、関西電力の美浜原発 で細管が破断した事故は、放射能を直接に大気中や 海へ大量に放出した大事故でした。

 チェルノブイリの事故の時には、私はあまり驚か なかったんですよ。原発を造っていて、そういう事 故が必ず起こると分かっていましたから。だから、 ああ、たまたまチェルノブイリで起きたと、たまた ま日本ではなかったと思ったんです。しかし、美浜 の事故の時はもうびっくりして、足がガクガクふる えて椅子から立ち上がれない程でした。

 この事故はECCS(緊急炉心冷却装置)を手動 で動かして原発を止めたという意味で、重大な事故 だったんです。ECCSというのは、原発の安全を 守るための最後の砦に当たります。これが効かなか ったらお終りです。だから、ECCSを動かした美 浜の事故というのは、一億数千万人の人を乗せたバ スが高速道路を一〇〇キロのスピードで走っているの に、ブレーキもきかない、サイドブレーキもきかな い、崖にぶつけてやっと止めたというような大事故 だったんです。

 原子炉の中の放射能を含んだ水が海へ流れ出て、 炉が空焚きになる寸前だったのです。日本が誇る多 重防護の安全弁が次々と効かなくて、あと〇・七秒 でチェルノブイリになるところだった。それも、土 曜日だったのですが、たまたまベテランの職員が来 ていて、自動停止するはずが停止しなくて、その人 がとっさの判断で手動で止めて、世界を巻き込むよ うな大事故に至らなかったのです。日本中の人が、 いや世界中の人が本当に運がよかったのですよ。

 この事故は、二センチくらいの細い配管についている 触れ止め金具、何千本もある細管が振動で触れ合わ ないようにしてある金具が設計通りに入っていなか ったのが原因でした。施工ミスです。そのことが二 十年近い何回もの定検でも見つからなかったんです から、定検のいい加減さがばれた事故でもあった。 入らなければ切って捨てる、合わなければ引っ張る という、設計者がまさかと思うようなことが、現場 では当たり前に行われているということが分かった 事故でもあったんです

もんじゅの大事故

 去年(一九九五年)の十二月八日に、福井県の敦 賀にある動燃(動力炉・核燃料開発事業団)のもん じゅでナトリウム漏れの大事故を起こしました。も んじゅの事故はこれが初めてではなく、それまでに も度々事故を起こしていて、私は建設中に六回も呼 ばれて行きました。というのは、所長とか監督とか 職人とか、元の部下だった人たちがもんじゅの担当 もしているので、何か困ったことがあると私を呼ぶ んですね。もう会社を辞めていましたが、原発だけ は事故が起きたら取り返しがつきませんから、放っ ては置けないので行くのです。

 ある時、電話がかかって、「配管がどうしても合 わないから来てくれ」という。行って見ますと、特 別に作った配管も既製品の配管もすべて図面どおり 、寸法通りになっている。でも、合わない。どうし て合わないのか、いろいろ考えましたが、なかなか 分からなかった。一晩考えてようやく分かりました 。もんじゅは、日立、東芝、三菱、富士電機などの 寄せ集めのメーカーで造ったもので、それぞれの会 社の設計基準が違っていたのです。

 図面を引くときに、私が居た日立は〇・五mm切り 捨て、東芝と三菱は〇・五mm切上げ、日本原研は〇 ・五mm切下げなんです。たった〇・五mmですが、百 カ所も集まると大変な違いになるのです。だから、 数字も線も合っているのに合わなかったのですね。

 これではダメだということで、みんな作り直させ ました。何しろ国の威信がかかっていますから、お 金は掛けるんです。

 どうしてそういうことになるかというと、それぞ れのノウ・ハウ、企業秘密ということがあって、全 体で話し合いをして、この〇・五mmについて、切り 上げるか、切り下げるか、どちらかに統一しようと いうような話し合いをしていなかったのです。今回 のもんじゅの事故の原因となった温度センサーにし ても、メーカー同士での話し合いもされていなかっ たんではないでしょうか。

 どんなプラントの配管にも、あのような温度計が ついていますが、私はあんなに長いのは見たことが ありません。おそらく施工した時に危ないと分かっ ていた人がいたはずなんですね。でも、よその会社 のことだからほっとけばいい、自分の会社の責任で はないと。

 動燃自体が電力会社からの出向で出来た寄せ集め ですが、メーカーも寄せ集めなんです。これでは事 故は起こるべくして起こる、事故が起きないほうが 不思議なんで、起こって当たり前なんです。

 しかし、こんな重大事故でも、国は「事故」と言 いません。美浜原発の大事故の時と同じように「事 象があった」と言っていました。私は事故の後、直 ぐに福井県の議会から呼ばれて行きました。あそこ には十五基も原発がありますが、誘致したのは自民 党の議員さんなんですね。だから、私はそういう人 に何時も、「事故が起きたらあなた方のせいだよ、 反対していた人には責任はないよ」と言ってきまし た。この度、その議員さんたちに呼ばれたのです。 「今回は腹を据えて動燃とケンカする、どうしたら よいか教えてほしい」と相談を受けたのです。

 それで、私がまず最初に言ったことは、「これは 事故なんです、事故。事象というような言葉に誤魔 化されちゃあだめだよ」と言いました。県議会で動 燃が「今回の事象は……」と説明を始めたら、「事 故だろ! 事故!」と議員が叫んでいたのが、テレ ビで写っていましたが、あれも、黙っていたら、軽 い「事象」ということにされていたんです。地元の 人たちだけではなく、私たちも、向こうの言う「事 象」というような軽い言葉に誤魔化されてはいけな いんです。

 普通の人にとって、「事故」というのと「事象」 というのとでは、とらえ方がまったく違います。こ の国が事故を事象などと言い換えるような姑息なこ とをしているので、日本人には原発の事故の危機感 がほとんどないのです。

日本のプルトニウムがフランスの核兵器に?

 もんじゅに使われているプルトニウムは、日本が フランスに再処理を依頼して抽出したものです。再 処理というのは、原発で燃やしてしまったウラン燃 料の中に出来たプルトニウムを取り出すことですが、 プルトニウムはそういうふうに人工的にしか作れな いものです。

 そのプルトニウムがもんじゅには約一・四トンも使 われています。長崎の原爆は約八キロだったそうです が、一体、もんじゅのプルトニウムでどのくらいの 原爆ができますか。それに、どんなに微量でも肺ガ ンを起こす猛毒物質です。半減期が二万四千年もあ るので、永久に放射能を出し続けます。だから、そ の名前がプルートー、地獄の王という名前からつけ られたように、プルトニウムはこの世で一番危険な ものといわれるわけですよ。

 しかし、日本のプルトニウムが去年(一九九五年) 南太平洋でフランスが行った核実験に使われた可能 性が大きいことを知っている人は、余りいません。 フランスの再処理工場では、プルトニウムを作るの に核兵器用も原発用も区別がないのです。だから、 日本のプルトニウムが、この時の核実験に使われて しまったことはほとんど間違いありません。

 日本がこの核実験に反対をきっちり言えなかった のには、そういう理由があるからです。もし、日本 政府が本気でフランスの核実験を止めさせたかった ら、簡単だったのです。つまり、再処理の契約を止 めればよかったんです。でも、それをしなかった。

 日本とフランスの貿易額で二番目に多いのは、こ の再処理のお金なんですよ。国民はそんなことも知 らないで、いくら「核実験に反対、反対」といって も仕方がないんじゃないでしょうか。それに、唯一 の被爆国といいながら、日本のプルトニウムがタヒ チの人々を被爆させ、きれいな海を放射能で汚して しまったに違いありません。

 世界中が諦めたのに、日本だけはまだこんなもの で電気を作ろうとしているんです。普通の原発で、 ウランとプルトニウムを混ぜた燃料(MOX燃料) を燃やす、いわゆるプルサーマルをやろうとしてい ます。しかし、これは非常に危険です。分かりやす くいうと、石油ストーブでガソリンを燃やすような ことなんです。原発の元々の設計がプルトニウムを 燃すようになっていません。プルトニウムは核分裂 の力がウランとはケタ違いに大きいんです。だから 原爆の材料にしているわけですから。

 いくら資源がない国だからといっても、あまりに 酷すぎるんじゃないでしょうか。早く原発を止めて、 プルトニウムを使うなんてことも止めなければ、あ ちこちで被曝者が増えていくばかりです。

日本には途中でやめる勇気がない

 世界では原発の時代は終わりです。原発の先進国 のアメリカでは、二月(一九九六年)に二〇一五年 までに原発を半分にすると発表しました。それに、 プルトニウムの研究も大統領命令で止めています。 あんなに怖い物、研究さえ止めました。

 もんじゅのようにプルトニウムを使う原発、高速 増殖炉も、アメリカはもちろんイギリスもドイツも 止めました。ドイツは出来上がったのを止めて、リ ゾートパークにしてしまいました。世界の国がプル トニウムで発電するのは不可能だと分かって止めた んです。日本政府も今度のもんじゅの事故で「失敗 した」と思っているでしょう。でも、まだ止めない 。これからもやると言っています。

 どうして日本が止めないかというと、日本にはい ったん決めたことを途中で止める勇気がないからで 、この国が途中で止める勇気がないというのは非常 に怖いです。みなさんもそんな例は山ほどご存じで しょう。

 とにかく日本の原子力政策はいい加減なのです。 日本は原発を始める時から、後のことは何にも考え ていなかった。その内に何とかなるだろうと。そん ないい加減なことでやってきたんです。そうやって 何十年もたった。でも、廃棄物一つのことさえ、ど うにもできないんです。

 もう一つ、大変なことは、いままでは大学に原子 力工学科があって、それなりに学生がいましたが、 今は若い人たちが原子力から離れてしまい、東大を はじめほとんどの大学からなくなってしまいました。 机の上で研究する大学生さえいなくなったのです。

 また、日立と東芝にある原子力部門の人も三分の 一に減って、コ・ジェネレーション(電気とお湯を 同時に作る効率のよい発電設備)のガス・タービン の方へ行きました。メーカーでさえ、原子力はもう 終わりだと思っているのです。

 原子力局長をやっていた島村武久さんという人が 退官して、『原子力談義』という本で、「日本政府 がやっているのは、ただのつじつま合わせに過ぎな い、電気が足りないのでも何でもない。あまりに無 計画にウランとかプルトニウムを持ちすぎてしまっ たことが原因です。はっきりノーといわないから持 たされてしまったのです。そして日本はそれらで核 兵器を作るんじゃないかと世界の国々から見られる、 その疑惑を否定するために核の平和利用、つまり、 原発をもっともっと造ろうということになるのです」 と書いていますが、これもこの国の姿なんです。

廃炉も解体も出来ない原発い

 一九六六年に、日本で初めてイギリスから輸入し た十六万キロワットの営業用原子炉が茨城県の東海村で稼 動しました。その後はアメリカから輸入した原発で 、途中で自前で造るようになりましたが、今では、 この狭い日本に一三五万キロワットというような巨大な原 発を含めて五一の原発が運転されています。

 具体的な廃炉・解体や廃棄物のことなど考えない ままに動かし始めた原発ですが、厚い鉄でできた原 子炉も大量の放射能をあびるとボロボロになるんで す。だから、最初、耐用年数は十年だと言っていて、 十年で廃炉、解体する予定でいました。しかし、一 九八一年に十年たった東京電力の福島原発の一号機 で、当初考えていたような廃炉・解体が全然出来な いことが分かりました。このことは国会でも原子炉 は核反応に耐えられないと、問題になりました。

 この時、私も加わってこの原子炉の廃炉、解体に ついてどうするか、毎日のように、ああでもない、 こうでもないと検討をしたのですが、放射能だらけ の原発を無理やりに廃炉、解体しようとしても、造 るときの何倍ものお金がかかることや、どうしても 大量の被曝が避けられないことなど、どうしようも ないことが分かったのです。原子炉のすぐ下の方で は、決められた線量を守ろうとすると、たった十数 秒くらいしかいられないんですから。

 机の上では、何でもできますが、実際には人の手 でやらなければならないのですから、とんでもない 被曝を伴うわけです。ですから、放射能がゼロにな らないと、何にもできないのです。放射能がある限 り廃炉、解体は不可能なのです。人間にできなけれ ばロボットでという人もいます。でも、研究はして いますが、ロボットが放射能で狂ってしまって使え ないのです。

 結局、福島の原発では、廃炉にすることができな いというので、原発を売り込んだアメリカのメーカ ーが自分の国から作業者を送り込み、日本では到底 考えられない程の大量の被曝をさせて、原子炉の修 理をしたのです。今でもその原発は動いています。

 最初に耐用年数が十年といわれていた原発が、も う三〇年近く動いています。そんな原発が十一もあ る。くたびれてヨタヨタになっても動かし続けてい て、私は心配でたまりません。

 また、神奈川県の川崎にある武蔵工大の原子炉は たった一〇〇キロワットの研究炉ですが、これも放射能漏 れを起こして止まっています。机上の計算では、修 理に二〇億円、廃炉にするには六〇億円もかかるそ うですが、大学の年間予算に相当するお金をかけて も廃炉にはできないのです。まず停止して放射能が なくなるまで管理するしかないのです。

 それが一〇〇万キロワットというような大きな原発です と、本当にどうしようもありません。

「閉鎖」して、監視・管理

 なぜ、原発は廃炉や解体ができないのでしょうか。 それは、原発は水と蒸気で運転されているものなの で、運転を止めてそのままに放置しておくと、すぐ サビが来てボロボロになって、穴が開いて放射能が 漏れてくるからです。原発は核燃料を入れて一回で も運転すると、放射能だらけになって、止めたまま にしておくことも、廃炉、解体することもできない ものになってしまうのです。

 先進各国で、閉鎖した原発は数多くあります。廃 炉、解体ができないので、みんな「閉鎖」なんです。 閉鎖とは発電を止めて、核燃料を取り出しておくこ とですが、ここからが大変です。

 放射能まみれになってしまった原発は、発電して いる時と同じように、水を入れて動かし続けなけれ ばなりません。水の圧力で配管が薄くなったり、部 品の具合が悪くなったりしますから、定検もしてそ ういう所の補修をし、放射能が外に漏れださないよ うにしなければなりません。放射能が無くなるまで 、発電しているときと同じように監視し、管理をし 続けなければならないのです。 

 今、運転中が五一、建設中が三、全部で五四の原 発が日本列島を取り巻いています。これ以上運転を 続けると、余りにも危険な原発もいくつかあります 。この他に大学や会社の研究用の原子炉もあります から、日本には今、小さいのは一〇〇キロワット、大きいの は一三五万キロワット、大小合わせて七六もの原子炉があ ることになります。

 しかし、日本の電力会社が、電気を作らない、金 儲けにならない閉鎖した原発を本気で監視し続ける か大変疑問です。それなのに、さらに、新規立地や 増設を行おうとしています。その中には、東海地震 のことで心配な浜岡に五機目の増設をしようとして いたり、福島ではサッカー場と引換えにした増設も あります。新設では新潟の巻町や三重の芦浜、山口 の上関、石川の珠洲、青森の大間や東通などいくつ もあります。それで、二〇一〇年には七〇~八〇基 にしようと。実際、言葉は悪いですが、この国は狂 っているとしか思えません。

 これから先、必ずやってくる原発の閉鎖、これは 本当に大変深刻な問題です。近い将来、閉鎖された 原発が日本国中いたるところに出現する。これは不 安というより、不気味です。ゾーとするのは、私だ けでしょうか。

どうしようもない放射性廃棄物

 それから、原発を運転すると必ず出る核のゴミ、 毎日、出ています。低レベル放射性廃棄物、名前は 低レベルですが、中にはこのドラム缶の側に五時間 もいたら、致死量の被曝をするようなものもありま す。そんなものが全国の原発で約八〇万本以上溜ま っています。

 日本が原発を始めてから一九六九年までは、どこ の原発でも核のゴミはドラム缶に詰めて、近くの海 に捨てていました。その頃はそれが当たり前だった のです。私が茨城県の東海原発にいた時、業者はド ラム缶をトラックで運んでから、船に乗せて、千葉 の沖に捨てに行っていました。

 しかし、私が原発はちょっとおかしいぞと思った のは、このことからでした。海に捨てたドラム缶は 一年も経つと腐ってしまうのに、中の放射性のゴミ はどうなるのだろうか、魚はどうなるのだろうかと 思ったのがはじめでした。

 現在は原発のゴミは、青森の六ケ所村へ持って行 っています。全部で三百万本のドラム缶をこれから 三百年間管理すると言っていますが、一体、三百年 ももつドラム缶があるのか、廃棄物業者が三百年間 も続くのかどうか。どうなりますか。

 もう一つの高レベル廃棄物、これは使用済み核燃 料を再処理してプルトニウムを取り出した後に残っ た放射性廃棄物です。日本はイギリスとフランスの 会社に再処理を頼んでいます。去年(一九九五年) フランスから、二八本の高レベル廃棄物として返っ てきました。これはどろどろの高レベル廃棄物をガ ラスと一緒に固めて、金属容器に入れたものです。 この容器の側に二分間いると死んでしまうほどの放 射線を出すそうですが、これを一時的に青森県の六 ケ所村に置いて、三〇年から五〇年間くらい冷やし 続け、その後、どこか他の場所に持って行って、地 中深く埋める予定だといっていますが、予定地は全 く決まっていません。余所の国でも計画だけはあっ ても、実際にこの高レベル廃棄物を処分した国はあ りません。みんな困っています。

 原発自体についても、国は止めてから五年か十年 間、密閉管理してから、粉々にくだいてドラム缶に 入れて、原発の敷地内に埋めるなどとのんきなこと を言っていますが、それでも一基で数万トンくらいの 放射能まみれの廃材が出るんですよ。生活のゴミで さえ、捨てる所がないのに、一体どうしようという んでしょうか。とにかく日本中が核のゴミだらけに なる事は目に見えています。早くなんとかしないと いけないんじゃないでしょうか。それには一日も早 く、原発を止めるしかなんですよ。

 私が五年程前に、北海道で話をしていた時、「放 射能のゴミを五〇年、三百年監視続ける」と言った ら、中学生の女の子が、手を挙げて、「お聞きして いいですか。今、廃棄物を五〇年、三百年監視する といいましたが、今の大人がするんですか? そう じゃないでしょう。次の私たちの世代、また、その 次の世代がするんじゃないんですか。だけど、私た ちはいやだ」と叫ぶように言いました。この子に返 事の出来る大人はいますか。

 それに、五〇年とか三百年とかいうと、それだけ 経てばいいんだというふうに聞こえますが、そうじ ゃありません。原発が動いている限り、終わりのな い永遠の五〇年であり、三百年だということです。

住民の被曝と恐ろしい差別

 日本の原発は今までは放射能を一切出していませ んと、何十年もウソをついてきた。でもそういうウ ソがつけなくなったのです。

 原発にある高い排気塔からは、放射能が出ていま す。出ているんではなくて、出しているんですが、 二四時間放射能を出していますから、その周辺に住 んでいる人たちは、一日中、放射能をあびて被曝し ているのです。

ある女性から手紙が来ました。二三歳です。便箋 に涙の跡がにじんでいました。「東京で就職して恋 愛し、結婚が決まって、結納も交わしました。とこ ろが突然相手から婚約を解消されてしまったのです。 相手の人は、君には何にも悪い所はない、自分も一 緒になりたいと思っている。でも、親たちから、あ なたが福井県の敦賀で十数年間育っている。原発の 周辺では白血病の子どもが生まれる確率が高いとい う。白血病の孫の顔はふびんで見たくない。だから 結婚するのはやめてくれ、といわれたからと。私が 何か悪いことしましたか」と書いてありました。こ の娘さんに何の罪がありますか。こういう話が方々 で起きています。

 この話は原発現地の話ではない、東京で起きた話 なんですよ、東京で。皆さんは、原発で働いていた 男性と自分の娘とか、この女性のように、原発の近 くで育った娘さんと自分の息子とかの結婚を心から 喜べますか。若い人も、そういう人と恋愛するかも 知れないですから、まったく人ごとではないんです。  こういう差別の話は、言えば差別になる。でも言 わなければ分からないことなんです。原発に反対し ている人も、原発は事故や故障が怖いだけではない、 こういうことが起きるから原発はいやなんだと言っ て欲しいと思います。原発は事故だけではなしに、 人の心まで壊しているのですから。

私、子ども生んでも大丈夫ですか。たとえ電気がなくなってもいいから、私は原発はいやだ。

 最後に、私自身が大変ショックを受けた話ですが、 北海道の泊原発の隣の共和町で、教職員組合主催の 講演をしていた時のお話をします。どこへ行っても、 必ずこのお話はしています。あとの話は全部忘れて くださっても結構ですが、この話だけはぜひ覚えて おいてください。

その講演会は夜の集まりでしたが、父母と教職員 が半々くらいで、およそ三百人くらいの人が来てい ました。その中には中学生や高校生もいました。原 発は今の大人の問題ではない、私たち子どもの問題 だからと聞きに来ていたのです。

 話が一通り終わったので、私が質問はありません かというと、中学二年の女の子が泣きながら手を挙 げて、こういうことを言いました。 

 「今夜この会場に集まっている大人たちは、大ウ ソつきのええかっこしばっかりだ。私はその顔を見 に来たんだ。どんな顔をして来ているのかと。今の 大人たち、特にここにいる大人たちは農薬問題、ゴ ルフ場問題、原発問題、何かと言えば子どもたちの ためにと言って、運動するふりばかりしている。私 は泊原発のすぐ近くの共和町に住んで、二四時間被 曝している。原子力発電所の周辺、イギリスのセラ フィールドで白血病の子どもが生まれる確率が高い というのは、本を読んで知っている。私も女の子で す。年頃になったら結婚もするでしょう。私、子ど も生んでも大丈夫なんですか?」と、泣きながら三 百人の大人たちに聞いているのです。でも、誰も答 えてあげられない。

 「原発がそんなに大変なものなら、今頃でなくて、 なぜ最初に造るときに一生懸命反対してくれなかっ たのか。まして、ここに来ている大人たちは、二号 機も造らせたじゃないのか。たとえ電気がなくなっ てもいいから、私は原発はいやだ」と。ちょうど、 泊原発の二号機が試運転に入った時だったんです。

 「何で、今になってこういう集会しているのか分 からない。私が大人で子どもがいたら、命懸けで体 を張ってでも原発を止めている」と言う。

 「二基目が出来て、今までの倍私は放射能を浴び ている。でも私は北海道から逃げない」って、泣き ながら訴えました。

 私が「そういう悩みをお母さんや先生に話したこ とがあるの」と聞きましたら、「この会場には先生 やお母さんも来ている、でも、話したことはない」 と言います。「女の子同志ではいつもその話をして いる。結婚もできない、子どもも産めない」って。

 担任の先生たちも、今の生徒たちがそういう悩み を抱えていることを少しも知らなかったそうです。

 これは決して、原子力防災の八キロとか十キロの問題 ではない、五十キロ、一〇〇キロ圏でそういうことがい っぱい起きているのです。そういう悩みを今の中学 生、高校生が持っていることを絶えず知っていてほ しいのです。

原発がある限り、安心できない

 みなさんには、ここまでのことから、原発がどん なものか分かってもらえたと思います。

 チェルノブイリで原発の大事故が起きて、原発は 怖いなーと思った人も多かったと思います。でも、 「原発が止まったら、電気が無くなって困る」と、 特に都会の人は原発から遠いですから、少々怖くて も仕方がないと、そう考えている人は多いんじゃな いでしょうか。

 でも、それは国や電力会社が「原発は核の平和利 用です」「日本の原発は絶対に事故を起こしません。 安全だから安心しなさい」「日本には資源がないか ら、原発は絶対に必要なんですよ」と、大金をかけ て宣伝をしている結果なんです。もんじゅの事故の ように、本当のことはずーっと隠しています。

 原発は確かに電気を作っています。しかし、私が 二〇年間働いて、この目で見たり、この体で経験し たことは、原発は働く人を絶対に被曝させなければ 動かないものだということです。それに、原発を造 るときから、地域の人達は賛成だ、反対だと割れて、 心をズタズタにされる。出来たら出来たで、被曝さ せられ、何の罪もないのに差別されて苦しんでいる んです。

 みなさんは、原発が事故を起こしたら怖いのは知 っている。だったら、事故さえ起こさなければいい のか。平和利用なのかと。そうじゃないでしょう。 私のような話、働く人が被曝して死んでいったり、 地域の人が苦しんでいる限り、原発は平和利用なん かではないんです。それに、安全なことと安心だと いうことは違うんです。原発がある限り安心できな いのですから。

 それから、今は電気を作っているように見えても、 何万年も管理しなければならない核のゴミに、膨大 な電気や石油がいるのです。それは、今作っている 以上のエネルギーになることは間違いないんですよ。 それに、その核のゴミや閉鎖した原発を管理するの は、私たちの子孫なのです。

 そんな原発が、どうして平和利用だなんて言えま すか。だから、私は何度も言いますが、原発は絶対 に核の平和利用ではありません。

 だから、私はお願いしたい。朝、必ず自分のお子 さんの顔やお孫さんの顔をしっかりと見てほしいと。 果たしてこのまま日本だけが原子力発電所をどんど ん造って大丈夫なのかどうか、事故だけでなく、地 震で壊れる心配もあって、このままでは本当に取り 返しのつかないことが起きてしまうと。これをどう しても知って欲しいのです。

 ですから、私はこれ以上原発を増やしてはいけな い、原発の増設は絶対に反対だという信念でやって います。そして稼働している原発も、着実に止めな ければならないと思っていあす。

 原発がある限り、世界に本当の平和はこないので すから。

筆者「平井憲夫さん」について:

1997年1月逝去。
1級プラント配管技能士、原発事故調査国民会議顧問、原発被曝労働者救済センター代表、北陸電力能登(現・志賀)原発差し止め裁判原告特別補佐人、東北電力女川原発差し止め裁判原告特別補佐人、福島第2原発3号機運転差し止め訴訟原告証人。
「原発被曝労働者救済センター」は後継者がなく、閉鎖されました。

2006年11月23日木曜日

【沖縄密約】 沖縄密約裁判

2006年11月23日11時16分
沖縄密約

「国家賠償訴訟」で西山氏が核心に迫る証言 沖縄「密約」裁判 池田龍夫(ジャーナリスト)


  「西山太吉・国家賠償訴訟」第8回口頭弁論が2006年11月7日、東京地裁で開かれた。昨年7月5日の第1回弁論から約1年半、今回は原告本人(西山氏)の尋問が行われ、核心に迫る証言が胸に響いた、今訴訟最大のヤマ場とあって、110人が長い列を作り、抽選によって49人に傍聴が許された。加藤謙一裁判長が原告代理人・被告指定代理人に対して原告側提出書証の確認をしたあと、原告指定代理人・藤森克美弁護士から西山氏への尋問が行われた。尋問時間は40分余、西山氏は米外交文書・吉野文六発言などの新事実を挙げて「沖縄返還交渉の“密約”の存在」を指摘。淡々と語る姿勢が強く印象に残った。

 [沖縄返還交渉と『密約』]

 沖縄返還協定は1971年6月17日に調印、72年5月15日発効し、25年ぶりに祖国復帰した。返還米軍用地の原状回復補償費につき「米国の自発的支払い」と協定に明記されていたのに、実際は400万ドルを日本側が肩代わりする約束を密かに交わしていた疑いが濃くなった。

 西山太吉・毎日新聞記者(当時)が外務省の電信文を極秘入手、暴露したのが「沖縄密約事件」の発端。日本政府は、国会や法廷で終始「密約」の存在を否定してきたが、2000年と2002年の米外交文書公開によって「密約」を裏付ける事実が明らかになった。さらに2006年2月、返還交渉当時の責任者だった吉野文六・元外務省アメリカ局長が密約否定発言を翻して、「返還時に米国に支払った総額3億2000万?の中に原状回復費400万ドルが含まれていた」と証言、「密約」の存在を認めた。

 一方、西山氏と外務省女性事務官は1972年4月、国家公務員法の「そそのかし」と「秘密漏えい」の疑いで逮捕。東京地裁の一審では無罪だったが、東京高裁では懲役4月・執行猶予1年と逆転、78年の最高裁審理で西山氏の上告が棄却されて有罪が確定した。

 長い間屈辱に耐えていた西山氏が2005年4月、「密約を知りながら違法な起訴で名誉を侵害された」として国に謝罪と約3300万円の賠償を求めて提訴したのが、「西山国賠訴訟」をめぐる経緯である。

 「原告代理人が米公文書や刑事一審の弁論要旨、刑事判決、電信文、新聞記事等を示しながら、沖縄返還交渉において密約に至ったプロセスや事情、刑事公判における検察側証人の偽証、最高裁決定の誤判とその原因をどう考えるか、『情を通じ』という文言が盛り込まれた異例の起訴状によって流れがどう変わったか、提訴に至った原告の理由・心情等について尋ね、原告は、佐藤・ニクソン共同声明の嘘や、密約にしなければならない事情が日本政府のみにあったこと、沖縄返還協定は裏に3つの秘密書簡を含む虚偽協定であること、起訴状によって流れが激変し機密論は一気に消え取材論のみになったこと、沖縄返還に始まるいびつな構造は今日につながる重大な問題であり、米公文書や吉野発言等によって明らかな密約を政府が否定するのであれば、立証責任・説明責任を負うところ、政府はただ否定し続けているという恐ろしいことが罷り通っており、有利な情報のみ一方的に流し都合の悪い情報は隠蔽する国の行為は“情報操作”ではなく“情報犯罪”である等と証言しました。

 また、原告は、自らが受けた精神的苦痛は到底言葉で言い表せるものではないとしながらも厳密な証拠に基づく公正な刑事裁判ではなく、検察側による偽証や公然と行われた不公正な裁判を受けさせられたことからくる“人間としての怒り”“不条理感”という言葉を使ってこれを表現しました」

 ――藤森法律事務所HPに掲載された「裁判の様子」全文だが、西山氏が法廷で語ったナマの言葉を紹介し、参考に供したい。

 西山氏は尋問に先立って、詳細な「陳述書」を東京地裁に提出、この日の法廷陳述もその内容に沿ったもので、「密約」の存在は、「(1)柏木・ジューリック合意(2)吉野・シュナイダー密約(3)米国の『ケーススタディ』の発掘」で証明されていると強調した。

▼「日米共同声明」の嘘
 「1969年の佐藤・ニクソン共同声明には、嘘が書かれている。『財政問題はこれから協議を開始する』とあるが、柏木・ジューリック財政担当官によって5億2000万ドルの掴み金を米国に払う密約が共同声明前に合意されていた。米国が負担すべき現状回復費400万ドルなどは“氷山の一角”であり、沖縄返還交渉そのものに密約があった。また、『核は撤去する』と書いてあるが、緊急時の核持ち込みを佐藤首相は飲まされていた。極秘事項だったが、対米交渉に当たった人物(若泉敬・京都産業大教授=故人)が返還後に真相を明らかにしている。まさに協定の偽造であり、密約どころの話ではない」。

▼最高裁の誤判
 「検察側が偽証を誘導しており、裁判は公平でなかった。厳密な証拠に基づいた裁判で負けたのらよい。だが、検察は証拠を全部開示しないばかりか、悪用・乱用して10幾つかの偽証を行った。こんなに偽証の多い裁判を、今まで聞いたことがない。この問題(沖縄返還交渉の経緯)が国会で審議されることを避けるために偽装が行われた。この点を究明せず、問題の本質を理解しないまま判決が下された。司法のレベルの低さと不条理感を味わった」。

▼政府に「立証責任」がある
 「政府は『密約はなかった』と一貫して主張しているが、日本の矛盾を世界に示してしまった。米国の外交機密文書と吉野氏発言を政府が全部否定するなら、それを立証する責任がある。先進国なら必ず行うことで、説明責任を果たさないことは大変なことだ。検察が政府を擁護し、検察が組織犯罪に加担している」。

▼「情報操作」どころか「情報犯罪」
 「起訴状の『情を通じて』という言葉で、世の中の流れが変わった(『言論・報道の自由』と『取材方法』の問題は別途論じるべきだが)。検察側が情報操作したことだが、メディアにも責任があったと思う。政府は情報を操作して不利なものを隠蔽、沖縄が無償返還されるイメージを国民に与えた。これは情報操作といったものではなく、情報における犯罪だ。それは、『米軍再編』にもつながる今日的問題であり、国賠訴訟を提起した動機だ」。

[裁判後、藤森克美弁護士のコメント]

 裁判を起こした時には、2002年発掘の米公文書と(もしくわ1~3審の)判決文程度しか手許になかった。その後「米国のケーススタディー」「柏木・ジューリック秘密合意」「吉野・シュナイダー秘密文書」の3つの重要文書が入手できた。米公文書と吉野発言に追加して、『密約の存在』を立証できたと思う。

 国側は当初、20分の反対尋問を要求していた。40分の原告側尋問のあと裁判長が被告側(国代理人)に「質問を…」の求めたところ、「ありません」と答え、すぐ閉廷になった。普通、反対尋問がない場合は認めたことになるが、国は中身で争うのは不利とみて、『除斥期間』や『時効』で争うつもりかもしれない。

 職業的な魂を持った裁判官なら『誤判』と言わなければおかしい。本来なら、米公文書が見つかった時点で、検察が再審を請求すべきケースだった。時効にもかかっていない。

 今後さらに証拠を集め、検察の嘘に迫りたい。加藤裁判長はこれまでいい判決を書いており、良心的裁判官ではないか(刑事記録の提出要求には応じなかったが)。高いモラルを持っている裁判官なら正しい判断をしてくれるはずだ」。      (了)




2006年11月06日14時42分
安倍政権をどう見るか

「核持ち込み」の怖れ…非核3原則堅持の再確認を 

  北朝鮮の核実験強行によって。世界は揺れに揺れている。「北朝鮮への国連制裁」「ミサイル防衛網強化」「核ドミノ現象の恐れ」……物騒な動きが危機を増幅している。この時代状況に乗じ、不安感を煽ってナショナリズム(愛国心)喚起のテコにしようとの謀略に騙されたら一大事だ。憲法9条はもとより、「非核3原則」を堅持してきた日本国民は、今こそ「国是を守る」覚悟を固めなければならない。

▽「核保有の議論も…」と外相、政調会長の暴言

 北朝鮮の暴挙に対して国連安全保障理事会は10月14日(日本時間15日未明)、国連憲章第7章に基づく制裁決議を全会一致で採択した。中国・ロシアに配慮して、非軍事的な経済制裁になったが、一部タカ派政治家から驚くべき発言が飛び出した。15日朝「テレビ朝日」に出演した中川昭一・自民党政調会長が「(日本に)核があることで、攻められないようにするために。その選択肢として核(兵器の使用)ということも議論としてある。議論は大いにしないと(いけない)」と熱っぽく語ったのである。「もちろん非核3原則があるが、憲法でも核保有を禁止していない」とも付け加えている(毎日10・16朝刊)。

 18日には麻生太郎外相が衆院外務委員会で「核保有の議論を全くしていないのは多分日本自身であり、他の国がみんなしているのが現実だ。隣の国が(核兵器を)持つとなった時に、一つの考え方としていろいろな議論をしておくのは大事だ」と述べた(朝日10・19朝刊)。

 核拡散を防ぐため全世界が懸命に努力してい最中に、自民党の政策責任者と外相の相次ぐ暴言には呆れ果てる。安倍晋三首相をはじめ他の閣僚・党幹部は「非核3原則は、一切変更しない」と述べて両発言を打ち消しているが、北朝鮮危機に便乗して、自民党政府の“本音”が口をついて出たとも勘ぐれる。

 核保有・ミサイル防衛に関し、安倍首相が官房副長官時代の2002年5月13日に行った講演の衝撃が蘇る。早稲田大学客員教授・田原聡一朗氏主催「大隈塾」のゲストとして「危機管理と意思決定」と題する講演で述べたもので、当時ホットな政治課題になっていた「有事法制関連法案」が主要テーマだった。有事法制の必要性を講演したあと、田原氏との質疑応答で“踏み込んだ発言”をしているので、参考のため問題個所をそっくり引用しておきたい(サンデー毎日2002・6・2号)。

 田原氏「有事法制ができても、北朝鮮のミサイル基地は攻撃できないでしょう。これは撃っちゃいけないんでしょう。先制攻撃だから」
 安倍氏「いやいや、違うんです。先制攻撃はしませんよ。しかし、先制攻撃を完全に否定はしていないのですけども、要するに『攻撃に着手したのは攻撃』と見なすんです。(日本に向けて)撃ちますよという時には、一応ここで攻撃を『座して死を待つべきでない』といってですね、この基地をたたくことはできるんです。(略)撃たれたら打ち返すということが、初めて抑止力になります」
 田原氏「じゃあ、日本は大陸間弾道弾を作ってもいい?」
 安倍氏「大陸間弾道弾はですね、憲法上は問題ではない」

 「ええっ」と、驚いたような声を上げる田原氏。そして、安倍氏は
 「憲法上は原子爆弾だって問題ではないですからね。憲法上は。小型であればですね」とも断言した。田原氏が「今のは、むしろ個人的見解と見たほうがいいの? 大陸間弾道弾なんて持てるんだよ、というのは」と念を押すと、
 「それは私の見解ではなくてですね。大陸間弾道弾、戦略ミサイルで都市を狙うというのはダメですよ。日本に撃ってくるミサイルを撃つということは、これはできます。その時に、例えばこれは、日本は非核3原則がありますからやりませんけども、戦術核を使うということは昭和35年(1960年)の岸(信介=故人)総理答弁で『違憲ではない』という答弁がされています。それは違憲ではないのですが、日本人はちょっとそこを誤解しているんです。ただそれ(戦術核の使用)はやりませんけどもね。ただ、これは法律論と政策論で別ですから。できることは全部やるわけではないですから」

 この「安倍発言」を受けて、福田康夫官房長官(当時)は2002年5月311日「非核3原則は今までは憲法に近かったけれども、これからはどうなるのか。憲法改正を言う時代だから、非核3原則だって、国際緊張が高まれば、国民が『持つべきではないか』となるかもしれない」(毎日02・6・1朝刊)と語って、物議を呼んだ。これは番記者に対するオフレコ発言だったため「政府首脳言明」と固有名詞を伏せて報道されたが、小泉純一郎首相(当時)は「私は何も言ってない。誤報はやめてくれ」と記者団に不満を述べ、その直後に福田官房長官が「実名報道に同意した」という毎日6・4朝刊の裏話も興味深い。

▽「米の核ミサイルを即時日本に配備せよ!」と煽る中西京大教授

 以上、政府・与党首脳の“問題発言”を概観したが、安倍首相のブレーンといわれる中西輝政京大教授の「米の核ミサイルを即時日本に配備せよ!」との緊急提言に驚愕した。同氏が今まで主張してきたことを「週刊文春」(06・10・19号)誌上で最も刺激的に発表したもので、非核3原則を骨抜きにする恐るべき提言だ。数十万部の大衆週刊誌に、このようなプロパガンダが掲載されたことに、日本国の“危機的状況”を痛感した。非核3原則の「持ち込ませず」の1項を取り払って「米の核ミサイルを日本に配備せよ」ということ。俗耳に入りやすい論理で、ナショナリズムを刺激して“核保有”の道を開こうとの意図を感じる。

 中西教授は同誌で、「日本が独自に核を持つという選択肢は現実にはありえない。ではどうするか。日本が北朝鮮の核を抑止する唯一の方法、それは米国の核を在日米軍に配備することです。それも核を搭載したイージス艦や潜水艦を日本海に展開しただけでは抑止力になりません。日本国内の在日米軍の基地に、北朝鮮に向けたミサイルを目に見えた形で配置して、初めて核は抑止力たりえるのです。もちろんそのためには、非核3原則のうちの『持ち込ませない』の撤廃が必要となる。……日本が独自に核を持つよりは、米国にとってはるかに受け入れやすいプランであるのも確かです」と得々と持論を吹聴しているのである。

 この「中西提言」が安倍政権の政策にどう影響するかは、もちろん定かでないが、安倍首相の“ご意見番”が発した提言だけに今後の行方を厳しく監視することが緊要だ。

▽「核積載の米艦寄港」…ライシャワー証言の衝撃

 安倍晋三・福田康夫両氏の「核保有、ミサイル防衛」に関する4年前の発言を検証したが、その時の考えと現在の姿勢が大きく変化したとは思えず、首相になった安倍氏が「非核3原則変更は考えてない」といくら強調しても俄かに信じ難い。「非核3原則を堅持する」と言いながら、国是を踏みにじる“密約”が存在していたことが暴露されてきた歴史的経緯があるからだ。そこで、「非核3原則」をめぐる約40年の変遷をたどってみたい。

 「非核3原則」は、1967年12月11日の衆院予算委員会で核兵器の有無が問題化した際、佐藤栄作首相が「核兵器を持たず、作らず、持ち込ませず」と答弁したのが最初。沖縄の本土復帰を悲願とした佐藤政権にとって、「核抜き」を国民に約束せざるを得ない背景があったようだ。その後、1971年11月24日の衆院本会議(沖縄返還国会)で「非核兵器ならびに沖縄米軍基地縮小に関する決議」が採択された。

「1.政府は,核兵器を持たず、作らず、持ち込ませずの非核3原則を遵守するとともに、沖縄返還時に適切な手段をもって、核が沖縄に存在しないこと、ならびに返還後も核を持ち込ませない措置をとるべきである。
 1.政府は、沖縄米軍基地についてすみやかな将来に縮小整理の措置をとるべきである。
右決議する。」という画期的な国会決議だった。

 さらに1976年6月8日の「核不拡散条約(NPT)批准に合わせて衆参両院外務委員会が同年「非核3原則を国是として確立されていることに鑑み、いかなる場合も忠実に履行、遵守することに政府は努力すべき」と決議している。

 ところが、非核3原則の陰に密約があったことを裏付ける「ライシャワー発言」が1981年5月17日、明るみに出て大騒ぎになった。駐日米大使だったライシャワー氏が帰国後、毎日新聞のインタビューに応じたもので。「核積載の米艦船・航空機の日本領海・領空の通過・寄港は『核持ち込みに当たらない』との日米口頭了解が60年安保改定当時に存在、核積載米艦船は日本に寄港している」との爆弾証言だった。

 これに対して日本政府は「米国からの事前協議要請がないから、『核持ち込み』はない」と強弁し続けていたが、1999年それを覆す米外交文書が見つかった。朝日新聞が同年5月15日夕刊に特報したもので、「事前協議」の虚構性が暴露されてしまった。この公文書は池田勇人内閣時代(1963年)のものであり、朝日の記事から主要点を引用し参考に供したい。

 「核兵器を積んだ米艦船などの日本への寄港・通過を、1963年4月に大平正芳外相(当時)が米側に認めていたことを示す文書が、米国立公文書館で見つかった。核搭載の一時通過をめぐってはライシャワー元駐日大使が81年に『日米間に口頭了解があり、実際に核を積んだまま寄港している』などと発言して問題化したが、公文書で大平氏の『了解』が明らかになったのは初めて。文書は米国防長官が国務長官にあてた書簡で、大平氏の了解が、その後も米政府内の基本認識として生き続けてきたことをうかがわせる。日本政府は今も『核搭載船の寄港も事前協議の対象』と主張しているが、事前協議の虚構性が米政権幹部の最高レベルが交わした文書で裏付けられたことになる。

 問題の文書は、72年6月にレアード国防長官が、攻撃型空母ミッドウェーの横須賀母港化や2隻の戦闘艦の佐世保への配備などを日本政府に認めさせるようロジャース国務長官に要請した書簡。昨年末に米国立公文書館で解禁された資料で、我部政明・琉球大教授(国際関係論)が入手した。書簡では、国務省側が核兵器を搭載している航空母艦を日本に寄港させる場合は日米両政府で事前協議の問題が生じることを心配したことに対し、国防長官は『事前協議は法的にも日米間の交渉記録で問題がないことは明らかだ。ライシャワー大使が63年4月に大平外相と話し合った際、核搭載船の場合は日本領海や港湾に入っても事前協議が適用されないことを大平外相も確認した。以後、日本政府がこの解釈に異議を唱えてきたことはない』とつづっている。

 また、核を搭載せずに航空母艦を配備することができないか、という国務省の提案に国防長官は『それでは軍事的に意味がない』と拒否。結局、両長官のこの書簡から1年4カ月後の73年10月にミッドウェーは横須賀に配備された。大平・ライシャワー会談の交渉記録そのものは明らかになっていないが、我部教授は『大平外相とライシャワー大使の密約のあった当時は米原子力潜水艦の寄港問題などで日本国内に論議が巻き起こっており、ライシャワー氏とすれば口頭でも確認しておく必要があった。書簡のやりとりを見れば、その後も米側が事前協議制度を何とか形がい化させようとしていたことがわかる』と話す」

▽「核兵器の抑止力」が通じない時代状況

 60年案保改定時からの経緯を検証してみて、核問題が戦後政治を揺さぶってきたことが明らかになった。周期的に政治問題化してきたが、今度の北朝鮮核実験が投げかけた問題は一層深刻である。米下院・情報特別委員会が10月3日公表した報告書で「北朝鮮が核実験を行えば日本、台湾、韓国は自身の核開発の計画を検討するだろう」との警告を発したことを、東京新聞(10・13朝刊)が報じている。

 さらに「日本の核武装については、安倍政権もその意思がないことを強調するが、ドミノ現象は北東アジアだけでなく、イランを起点にして中東地域にも飛び火しかねない。『サウジアラビア、エジプト、シリア、場合によってはトルコまでもが核武装に走る可能性がある』と米シンクタンクCNSの部長は分析する。……半面、北朝鮮を核実験に追い込んだのは米国自身との皮肉な側面もある。ブッシュ政権はイラク、イラン、北朝鮮の『悪の枢軸』のうち、大量破壊兵器保有の裏づけを得られなかったイラクを攻撃した。核兵器を持たなければイラクの二の舞いになると考えた北朝鮮、イランを核開発に追い立てたともいえる米国。そんなねじれた立場で、いかにしてドミノ倒しを防げるか…」と、同紙は鋭く迫っていた。

 前段で指摘した中川・麻生発言が、核拡散の引き金になるようだったら一大事である。二人の“核発言”は北朝鮮への抑止効果を狙っただけとの見方もあるようだが、果たしてそうだろうか。NPTを脱退して核実験を強行した北朝鮮外交に対抗して、日本がNPTを脱退することは国際信義上不可能なこと。「議論するのはいいではないか」と麻生外相が言い張っても、憲法9条・非核3原則・NPTの縛りがある現状で、性急な“核論議”は不毛であり、前向きな結論は導き出せない。例えば、「米国にならって、日本を銃社会にしよう」との問題提起をしたら“時代錯誤”との非難を受けるに違いないが、「北朝鮮に対抗するため、核武装について議論しよう」との発言も同様に愚かな発想ではないか。

 中西教授が言うように、米国の核を日本に配備することが抑止力になるとは考えられない。“米ソ核均衡の時代”より複雑化した世界になったことに加え、追い詰められた北朝鮮のような国家は自暴自棄の戦術で抵抗する。従って、核抑止力が相手には通じないばかりか、却って暴発を招きかねない。

 この点につき、田中宇氏(国際問題評論家)は「核兵器をめぐるブッシュ政権の政策のもう一つの特徴は、イランや北朝鮮などの反米国を脅し、逆に核兵器を持たせてしまうように扇動した結果、世界で核保有しそうな国が急増し、従来の『核抑止力』が無効になってしまったことである」と指摘。さらに「日本人は、核兵器が抑止力を失いつつある今ごろになって、核武装したがっている。本当は『核兵器は抑止力が失われたので、もう全世界で核廃絶した方が良いのではないか』と主張した方が外交的に得策なのに、世界の変化が見えていない。対米従属の気楽さが、日本人を浅い考え方しかできない人々にしてしまった」と、日本外交の非力と構想力の貧困を糾弾していた(田中宇HP10・24)。

 非核3原則は、「核艦船の寄港」によって「2・5原則」に変質しているが、本土への「核持ち込み」を許して「2原則」になったら、「非核3原則の国是」は解体の運命をたどる。この危機的状況を厳しく捉え、「核廃絶」を全世界に訴え続けることこそ日本の責務である。



2006年09月22日21時51分
沖縄密約

沖縄「密約」事件と国家犯罪 国賠訴訟と「西山陳述書」 


  日米両政府は2006年5月1日、「在日米軍再編」最終報告書にサインした。前年秋から「日米安全保障協議委員会」(2プラス2)で協議していた重大案件で、米政府が全世界をにらんだ米軍トランスフォーメーションの一環としての「在日米軍再編」であるとの認識が必要だ。その観点から最終報告書を点検すると、「日米軍事一体化」がますます鮮明になってきたことが読み取れる。

 日米が合意した「ロードマップ」には、「①米ワシントン州にある『米陸軍第一軍団司令部』を、2008年9月までに神奈川県の米軍キャンプ座間に移転させる。②沖縄駐留米海兵隊約1万5000人のうち約8000人と家族約9000人を、2014年までにグアムへ移転させる。③米軍普天間飛行場を、2014年までに名護市の米軍キャンプ・シュワブ区域の辺野古岬へ移転させる」と記されており、この3点が再編計画の柱といえる。

 特に「(d)沖縄再編案間の関係」の項に、米国の対日政策の強固な布石を感じた。「▼全体的なパッケージの中で、沖縄に関連する再編案は、相互に結びついている。▼特に、嘉手納以南の統合及び土地の返還は、第3海兵機動展開部隊要員及びその家族の沖縄からグアムへの移転完了に懸かっている。▼沖縄からグアムへの第3海兵機動展開部隊の移転は、①普天間飛行場代替施設の完成に向けた具体的な進展②グアムにおける所要の施設及びインフラ整備のための日本の資金的貢献に懸かっている」と、明らかに“パッケージ決着”を日本側に迫る内容である。

 この取り決めに基づいて、グアム移転経費として約60・9億㌦(約7000億円)の負担を日本側に押し付けた。米側負担分が、日本側負担より少額の41・8億㌦だから、法外な移転経費の請求だ。また、ローレス米国務副長官が最終合意のあと「米軍再編に伴う日本側の負担総額は3兆円」と口走った背景に、米国の腹黒い対日戦略を感じる。合理的な積算根拠を示さずに“掴み金”的なカネを日本側に強要する、米外交の常套手段は相変わらずで、「日米同盟」の名のもとに騙され続ける日本外交の非力が嘆かわしい。

 敗戦後61年、沖縄の本土復帰から34年の歳月が流れたが、沖縄は今も「米軍基地の島」である。米軍再編→日米軍事一体化が進行する現在、奇しくも沖縄返還時の密約問題がクローズアップされてきた。佐藤栄作政権が推進した沖縄返還に関し、毎日新聞記者が暴いた「沖縄密約事件」。有罪判決を受けた西山太吉・元記者が2005年春、国を相手取って「国家賠償訴訟」を起こし、現在も東京地裁で審理が続いている。

 2000年と2002年の米外交文書公開によって、30数年前の佐藤・ニクソン日米首脳が調印した「沖縄返還協定」の中に密約があったことが暴露されてしまった。しかし、日本政府は情報公開に応じないばかりか、「密約はなかった」と否定し続けている。2006年2月には「吉野証言」が飛び出して、「佐藤政権時代の国家的犯罪」の様相が一層濃くなってきた。「吉野証言」については既に本欄で取り上げたが、当時の日米交渉のキーマンと言える吉野文六・外務省アメリカ局長(当時)が、長年の“密約否定発言”を翻して、密約の存在を認めた証言の重みは頗る重い。

 新事実が次々明るみに出てきている中で、「西山国賠訴訟」口頭弁論が1年半近く東京地裁で続けられ、2006年11月に大きなヤマ場を迎えようとしている。8月29日の第7回弁論で、加藤謙一裁判長が「次回に、原告本人の当事者尋問を行う」と伝えたからである。第6回弁論(6月6日)の際に裁判長が「陳述書提出」を求め、原告側代理人・藤森克美弁護士から「原告本人(西山太吉氏)の陳述書」「米国務省(国防分析研究所)の報告書」 「我部政明・琉球大教授の著作」などが8月中旬までに提出されていた。それらを確認のうえ、原告本人尋問が決まったわけで、次回(11月7日)の尋問時間は、主尋問(原告側代理人による尋問)40分、反対尋問(国側代理人による尋問)20分の予定である。

 藤森弁護士は「原告本人の尋問時間を90分で申請していたが、半分弱の40分に削られた。しかし、立証趣旨や尋問事項を制限されなかったので、制約を受けず網羅的に尋問を行う機会が確保されたという点で、評価したい」と感想を述べている。

 東京地裁に8月提出された「原告本人の陳述書」を精読したが、最新資料にまで目を通して密約問題を分析した記述に説得力があった。日米交渉の経緯を追究し、第4章(『密約隠し』の再生産)では、「2000年の米公文書は沖縄返還協定調印後間もなく国務省が、2002年のそれは協定発効後に米国の国家安全保障局が作成したもので、いずれも外交交渉の過程ではなく、その終了後に用意された文書である。そして、吉野氏といえば協定調印時の外務省アメリカ局長であり、かつ二通の秘密文書のイニシアルの本人であって、それこそ実務の最高責任者として交渉の全容に精通している人物である。

 米公文書の内容は電信文のそれとも完全に整合し、また、吉野氏がその重要部分を認めたことからも、そこに一語の狂いもあろうはずのない性質のものである。もし、現政府が、このような厳正な事実をあえて否定しようとするのなら、それ相応の立証責任をともなわねばならない」と鋭く迫っている

 西山氏が30数年前「沖縄密約」を暴いたきっかけは「基地返還に伴う米軍用地復元補償費400万㌦」の疑惑だったが、それは“氷山の一角”。沖縄返還実現を“花道”に引退を目論んだ佐藤栄作政権が、ベトナム戦争で財政ピンチに直面した米政府の無謀な要求を次々呑み、“密約”の形で日本が巨額のカネを貢いだ構図が、白日のもとに曝されてしまった。その後発掘された新資料で明らかになったように、「密命を受けた柏木雄介―ジューリック両財務担当官によって敷かれたレールに乗って、作為的な沖縄返還定案が出来上がった」と判断するのが妥当な分析である。

 澤地久枝さんの名著『密約』は30年近く絶版になっていたが、最近、岩波現代文庫から復刊された。執拗に不条理な事件を追った澤地さんの思いは深く、巻末の「沈黙をとくー2006年のあとがき」の文章が素晴らしかった。沖縄問題の底の深さ。「佐藤栄作内閣のもとに、本土復帰した沖縄は、今なお依然として米軍基地の島でありつづけている」と、次のように今日的問題点を指摘している。

 「米軍独自の戦略によって、沖縄にいる海兵隊の一部はグアムへ移駐する。その費用は7000億円の支出を日本は求められて支払う。米軍再編成費の日本分担金は3兆円といわれる。日米安保条約にはじまる日米間の『密約』の堆積。国家機密の壁によって阻まれ、主権者が知り得ず、したがって論議はされず、効果的な反対表明もない長年月の結果がいま、事実として日本の主権者に課せられつつあるのだ。この本で私は政府の対米『密約』と男女関係との比重の倒錯、本質のすりかえを初心者らしいしつこさで追及した。当時、『氷山の一角』という認識はあったが、隠された全容が、主権国家であることを揺るがすほどのものであること、憲法とくに第9条改変へ向かわざるを得ない本質を含むことまで考え及ばなかった」と率直に告白し、「低次元の問題にまんまとすりかえられた『密約』問題は、世紀を超えて日本を拘束する対米関係からこぼれた『ほころび』であった。責任を問われるべき佐藤首相以下、ほとんどが故人となった。本質を見抜けず、『すりかえ』を許した主権者の責任は、現在の政治状況の前に立つ私たちに示唆と教訓を残しているはずである」と結んだ文章に感慨を覚えた。

 「沖縄密約」事件をきちんと総括することが、日本の今後を考える上で極めて重要であると、痛切に感じた。



       「西山陳述書」の一部を抜粋
「西山陳述書」は第1章から第5章まで多岐にわたっているため、「対米支払い」に関する記述の一部をピックアップして紹介させていただく。(原文のまま)

▼沖縄の1972年返還は、それより2年半前の1963年11月、ワシントンで行われた当時の佐藤首相とニクソン米大統領との会談の結果、発表された「日米共同声明」により決定した。この共同声明が出来上がるまでの日米間の交渉については、返還が実現した1972年5月15日から2ヵ月後に完成した「沖縄返還――省庁間調整のケース・スタディ」と題する米国務省の秘密文書の中に、克明に記述されている。この文書については、秘密解除後まもなくの1996年4月、朝日新聞が核密約問題に限って、一部報道したことがあるが、文書全体の内容と問題点は、これまで紹介されないまま今日に至っている。この文書は、米国務省が3人の情報関係の専門家に委託し、これら専門家が、交渉に携わった関係者の一人一人に面接、聴取した結果を「誰々が何月何日に……」といった具合に、日取りを追って、その実態を詳細かつ綿密に記録したもので、恐らく沖縄返還交渉の核心を知る上で、これ以上の外交文書はないといっても過言ではない。(ちなみに、日本の外務省は、沖縄返還については、戦後の他の重要な外交案件、例えば日韓交渉、日米新安保条約交渉などとともに、いまだに、その関連文書のほとんどを開示していない。)この文書によって判るのは、沖縄返還交渉は、1969年11月の日米共同声明発表の時点で、その骨格というべきものは、すべて固まっていたという事である。もちろん、最大の難点とされた財政問題、すなわち、対米支払い問題も日米双方の間で、5億㌦以上の額で合意に達し、合意議事録まで作成されたのである。にもかかわらず、この事実は日本側からの申入れで伏せられ、声明には一切盛り込まれないまま,後になって、協定に,ウソを書いてみせかける(秘密電文中にあるアピアランス)か、あるいは、交渉結果そのものを隠してしまう外交上、あまり例のない国家犯罪へと発展していくのである。

▼沖縄返還の“密約”問題の焦点ともいえる財政問題に移るが、その前に、強調しておきたいことがある。それは、本件の“密約”なるものは、通常いわれる“裏取引”にとどまるものではなく、条約、協定案にかかわるという点である。いうまでもなく、条約、協定案は、国の予算案同様、衆院通過後の“自然承認”が認められている最高度の承認案件である。憲法上、国会は、国権の最高機関であり、その国会の最高度の承認案件に、かりにもウソ、ゴマカシがあるとすれば、そのこと自体が、違憲・違法であることは、まさに、自明の理であり、司法の世界では、イロハの「イ」に属する話であろう。しかるに、審理を尽した一審においてさえ、“密約”を“遺憾”としながらも“違法”の判示までは下せなかった。有価証券報告書の“虚偽表示”あるいは、“粉飾決算”の場合、株主に損害を与えるとして、必ずといってよいほど“有罪”となる。納税者(主権者でもあるが)の権利・義務に、直接かかわる財政関係の協定案の“虚偽表示”は、そのような部類のものとはグレードの異なる重大犯罪ではないのか。こうした原則的疑問を呈すること自体、極めて不自然なことであるが、ある意味では、それは国の水準を如実に示していることにもなる。“承認案件”に触れることは、自らの退路を断つという心理が、裁判官に働いたのかもしれないが、最高裁のこれについての初歩的な誤判からも窺えるように、検察側証人による徹底した偽証とその偽証を利用して訴訟を主導した、検察側のこれまた徹底的な“裁判妨害”こそが“違法”回避の判示をもたらした最大の要因であったといえる。

▼財政問題については、1969年6月頃から、まず、日米双方の閣僚レベルで原則的な話し合いが始まった。ここで、わが方の福田蔵相は、一見、不可解な態度を取り始める。ケネディ財務長官との会談で「今度の財政問題の折衝は、日本の大蔵省と米財務省、つまり,両財務当局の間だけで、余人を交えずに、進めていきたい」といった具合に、普通、外務省中心に行われる外交交渉とは、やや異なる交渉のやり方を提案したのである。また、「沖縄をカネで買った」(米秘密文書)という日本の議会の批判をかわすため、財政問題の決着は共同声明発表後まで持ち越したいとも提案した。交渉方式を財務当局に厳密に限定しようとする背景には、もともと困難な事態が予想されていたこの問題を打開するには、まず政府内部からの横ヤリや批判を排しながら、ことを秘密裡に運ばなければならない場面が必ず出てくる。それには、交渉の主体を、佐藤―福田ラインの直接指導下におく必要があるという判断があったからで、この点については、吉野文六元外務省アメリカ局長も、そのオーラル・ヒストリー(2003年)の中で、いみじくもこう語っている。「……沖縄に関わる資金の問題は、我々から言えば『けしからん』と思うけれども、それはアメリカ大使館が柏木財務官とか、その他の国際金融局(注・大蔵省)の事務方と、我々の知らぬ間にひそひそと計算して、数字を積み上げていたんです。最後になって、大蔵省の方から『これだけになるよ』と言って来たわけです。『そんなものは知らんよ。お前の方でこそこそやっていたのだから、協定に書くわけにはいかん』と我々は頑張っていたのです……」と述懐している。しかし、いくら外務省が頑張ってみても、もとはといえば、佐藤―福田ラインの了承の下に決まったのであるから、どうしようもなかったのである。

▼1969年11月10日にまとまった柏木―ジューリック合意は、日本側の意向により、差し当たっては、口頭(オーラル)によるものとし、佐藤・ニクソン共同声明発表後、10日経った12月2日に両代表が秘密覚書(SECRET-MEMO)にサインした。それによる対米支払いの概要は次のようなものである。
(1)電力、水道などの米資産の買い取り費として、1億7500万㌦
(2)基地移転及び返還に関係する一括解決金として2億㌦(返還後、5年間に、
物品、役務で提供)
(3)日本銀行は、ニューヨーク連銀に、最低6000万㌦を25年間、無利子で預金する。(注・それにより、米側に、1億1200万㌦を供与することになる)
(4)米軍関係の日本人労働者に、日本の社会保障制度を適用することにともなう費用として3000万㌦
 このような財政問題の取り決めに当たって日米間で最も難航したのは、日本側が、国会対策上、費目ごとの厳正な積み上げ方式を主張したのに対し、米側は、それでは、期待する金額には、到底届かないとして、掴み金方式を提示し、そのいずれを採用するかで争った点であった。しかし、米側の主張は固く、結局、日本側が歩み寄り、大ざっぱな費用計算でハジキ出した米資産買い取り以外は、基地移転や返還関係費用の名目で2億㌦の掴み金をしはらうことになった。これを合計すると、3億7500万㌦となる。これに、預金利子相当分の1億1200万㌦その他を加えると5億2000万㌦近くの金額となる。ケース・スタディは、これについて「5億2000万㌦で合意」と記述し、米国防省あたりは、6億ドルを要求していたが、国務省は、期待以上の金額として歓迎の意向を示したと書いている。端的に言えば、沖縄返還の対米支払いを米側は、その内訳を問題にせず、常に「掴み金」としてとらえていたのである。2000年、2002年の米外交機密文書及び最近の“吉野発言”で証明されたように、後になった柏木―ジューリック秘密合意に加算されたのが、米軍用地復元補償費400万㌦、VOA施設の海外移転費1600万㌦、計20000万㌦であり、この総額の中身を国内説明できるように、編成(いわば偽装)し直した上で、協定化する作業が70年から71年前半にかけて行われたのである。

▼柏木―ジューリックで決った対米支払いのうち、預金利子の免除や基地従業員への社会保障の適用を除いたいわば“真水”部分の額は、合計で3億7500万㌦である。2000年発掘の米外交文書にあるように、「……もともと財政的には、3億㌦で解決するはずが、3億2000万㌦に増えてしまった。……増加分は、返還土地の原状回復要求に対する400万㌦とVOAA施設の移転費1600万㌦。日本政府がこれらのコストを特別に追加支出することは伏せなければならない……」ということに照らせば、この3億7000万㌦はまず、3億㌦と7500万㌦に分離され、この7500万㌦が米軍施設改善移転費6500万㌦と返還に伴う基地従業員の労務管理費1000万㌦として特別扱いになったということができる。もとは1本のものだったのだ。この点で、米公文書は「日本政府が…基地施設改善移転費枠が設けられている事実を極秘にしているのは…3億2000万㌦を超える解決では国会を納得させられないと考えているからだ」と明確に解説している。さらに、この費用が極秘になったのは、単なる基地の移転や改良は、米側の負担とするという日米地位協定の枠をはみ出すので、(877号電信文中の“リベラルな解釈”の部分)国会通過は容易でないと見たからでもある。要約すれば、3億2000万㌦という対米支払いは、柏木・ジューリック合意から派生したもので、それは、1億7500万㌦という米資産買い取り費、軍用地復元補償及びVOA移転費の日本側による肩代わり金(追加支出)2000万㌦それに残余の1億2500万㌦の「掴み金」から成り立っているのである。

 米公文書の「3億2000万㌦に関する合意は、返還協定7条にある通り、資産買い取りのための1億7500万㌦は例外だが、内訳を合意する気はなかった。それはできないことだった。……日本政府が内訳をどう説明しようと自由だ。……」という記述は、この問題の実態をずばりと突いている。「3公社、労務関係費、第8項(注・核抜き)のそれぞれにいかに割り振るかは日米でよく打合せ、対議会説明の食違いなく必要以外の発言はせざるよう米側と完全に一致する必要がある」(1034号電信文)――という日本政府の懸念は、もし、米側がもらう額の立場上、気がゆるんで国内の報道機関などに、「あの中には日本側からの追加支出2000万㌦が含まれている」ことを漏らすようなことにでもなれば、大変な事態になるという恐れからきている。この間の事情は、2002年に発見された米秘密文書を見ればよくわかる。同文書は次のように記述している。

「2、日本の立場――日本政府のこの問題に対するアプローチは、いかなるアメリカとの密約の存在もきっぱりと否定するというものである。さらに、アメリカへのいかなる資金提供もないと否定するものである(原告注・だから、いまでも日本政府は否定し続けている)。日本政府は、報道機関からの追及に対して、我々(アメリカ政府)も同一歩調をとるように要求してきている。

 3、推奨されるアメリカの立場――我々は、上院に対しては、条約に関する聴聞会において、密約事項として、この補償問題の処理について告知しているが、もしこの問題が今後、議会や報道機関の厳密な追及の対象になるとすれば、我々は、補償額が推定400万㌦を超えないことを追認することは避けられないだろう。また、この問題で密約が存在するという事態を追認することは避けられないだろう…」。

 密約発覚後の事態ではあれ、このように、日本側と米側の立場は明確に異なっている。だから、3億2000万㌦の内訳について電信文中の日本側の懸念は深刻なものだったと言えよう。
 検察側証人は、この3億2000万㌦について、5億㌦、6億㌦もする本来の主張を譲歩させたとウソの証言をし、地裁もそれを前提に判示した。しかし、事実はこれまで述べてきたように、米側は、実質5億数千万㌦に達する支払額を獲得して満足していたのである。同証人は、この3億2000万㌦の内訳は、資産買い取り費1億7500万㌦、人件費増加分7500万㌦、核兵器撤去費7000万㌦から成り、密約事項は、一切ないと証言した。

 さらに請求権については協定上、規定された米側による「自発的支払い」は、文字通りの「自発的支払い」であり、電信文の「請求権」の項目で「財源の心配までしてもらっていることは多としている…」と述べている点についても、それは、3億2000万㌦という金額全体についての謝意を表明したものと証言した。この点は、さすがに地裁も納得せず、「合理的根拠がない」と突っぱねたが、事実は、米外交文書による説明に留まらず、最近になって、吉野証人もそれが“偽証”であることを認めたのである。





2006年04月01日09時32分
沖縄密約

沖縄返還密約「吉野文六証言」の衝撃と米軍再編 


 外交でも、内政でも重大案件の処理を誤ったため、後世にツケを残したケースは枚挙にいとまがない。いま問題化しているBSE(牛海綿状脳症)ライブドアなど〝四点セット〟の混乱もその例証だが、今月の論稿では35年もベールに包まれていた「沖縄返還密約」の背景を探り、直面する「米軍基地再編」問題との関連を考察してみたい。

 「沖縄密約事件」は、西山太吉・元毎日新聞記者が1971~72年の取材過程で入手した外交秘密電文を暴露したのが発端。これに対し、時の佐藤栄作政権は「密約はなかった」と強弁し、逆に西山記者と外務省女性事務官(安川壮審議官付き)とのスキャンダルにすり替えて「外交機密漏洩事件」として断罪、真相を隠蔽してしまった。

事件から30年経過したため米国外交文書が公開され、日本の研究者とメディアが究明した結果、2000年と2002年に「日本の400万ドル肩代わり密約」を裏づける外交文書が発掘された。ところが、日本の外交文書公開はいぜん不完全で、政府は〝密約〟を否定し続けている。このため西山氏は昨年4月「不当な起訴で記者活動を停止させられた」として、国に3300万円の損害賠償と謝罪を求める訴訟を東京地裁に起こし、現在審理中である。

▽ベール剥ぎ取った北海道新聞のスクープ

 店ざらし状態の外交責任を問うための「西山・国賠訴訟」だったが、新聞の関心は何故か薄く、雑報程度の扱いに終始しており(沖縄県紙は相当の扱いだが)、沖縄密約事件が投げかけた〝今日的意味〟が伝えられていないことに不満を感じてきた。このモヤモヤを吹き飛ばしたのが、北海道新聞2月8日朝刊の衝撃的スクープだった。

 「沖縄の祖国復帰の見返りに、本来米国が支払うべき土地の復元費用を、日本が肩代わりしたのではないかとされる1971年署名の沖縄返還協定について、当時、外務省アメリカ局長として対米交渉に当たった吉野文六氏は、2月7日までの北海道新聞の取材に『復元費用400万ドル(当時の換算で約10億円)は、日本が肩代わりしたものだ』と政府関係者として初めて日本の負担を認めた」との特ダネ証言に、度肝を抜かれた。35五年前、スナイダー米公使と交わした「密約文書」の存在につき、吉野氏は今まで自筆のサインは認めたものの、「交換公文の内容は一切覚えていない」とシラを切り続けてきたからである。

 西山氏は1971年入手した秘密電文をもとに「沖縄にある米国資産などの買い取りのため、日本が米国に支払う3億2000万ドルの中に400万ドルが含まれている」との疑惑を発掘、特ダネとして追及した。この400万ドルは、米軍が接収していた田畑などの復元のため米国が日本に支払うと約束していた費用。吉野氏がこのほど北海道新聞記者の取材に応え、「国際法上、米国が払うのが当然なのに、払わないと言われ驚いた。当時、米国はドル危機で、議会に沖縄返還で金を一切使わないことを約束していた背景があった。交渉は難航し、行き詰まる恐れがあったため、沖縄が返るなら400万ドルも日本側が払いましょう、となった。当時の佐藤栄作首相の判断」と、〝密約〟の経緯を証言した事実は極めて重い。

 審理中の西山・国賠訴訟で原告側は「国家権力中枢の組織犯罪という巨悪が隠蔽され、公正な刑事裁判を受ける権利を奪われた」として、虚偽公文書作成罪・偽計業務妨害罪・憲法七三条三号(条約の国会承認)違反…等を掲げて弁論を展開。「できれば、吉野氏を弁護側証人に申請したい」との構えをみせている。(社民党は証人喚問を要請)

 北海道新聞2月8日朝刊特ダネに即座に反応したのは共同通信。吉野氏に確認取材したうえで、同日夕刊用に配信した。際どい時間帯だったのに、共同電を夕刊一面大トップに仕立てた琉球新報・沖縄タイムスの価値判断を評価したい。他の主要地方紙も夕刊で追っていたのに、全国紙の感度の鈍さに驚いた。共同加盟社の東京(中日)新聞は8日夕刊に掲載したものの第二社会面3段扱い。毎日・朝日が2日遅れの10日朝刊、読売が11日朝刊掲載になったのは、ニュース判断を誤った失態と言わざるを得ない。朝日の二度にわたる関連特集や社説掲載など、主要各紙の〝紙面修復〟への努力は認めるものの、全国紙の扱いから受けるインパクトが希薄だったように思う。

 87歳の吉野氏は、各新聞社の相次ぐインタビュー(民放ではテレビ朝日)に応じ、「400万ドル肩代わり」以外に、「当時公表されていなかったVOA(米政府短波放送)移転費1600万ドルも、日本が支払った3億2000万ドルに含まれていた」などの新証言を次々明かしている。「大蔵省(当時)のやったことだから細かいことは分からない」と言うが、積算根拠の薄弱な〝掴み金〟を支払って、沖縄を返還させた構図が透けて見える。

 3月8日の参院予算委では福島瑞穂・社民党党首が政府の隠蔽体質を執拗に迫ったが、「密約は無かった」と繰り返すばかりだった。まさに〝臭い物に蓋〟…説明責任を果たさない政府の傲慢さは噴飯ものである。「米側の公文書と吉野証言で(密約は)歴史の事実として確定したものとしか言いようがない。政府がいくら否定しても説得力を持たない」(毎日2・11社説)など、各紙社説は一様に正確な情報開示を政府に求めている。
 「問題は『機密漏洩』ではなく『密約』にこそあったはずだが、情報源をめぐるスキャンダルになり、密約追及はかすんでしまった。当時のマスコミ報道も含め、世論が操作される怖さを教訓として記憶しておきたい」(北海道新聞2・14社説)「名誉を回復し国家賠償と謝罪を求めるために起こした裁判の長さを考えれば、政府の責任はより重くなろう。もう一つ付け加えれば、西山氏と取材を続けながら、政府の意図に乗る形で『記者と外務省職員のスキャンダル』に終わらせてしまったメディアの責任も問われなければなるまい」(沖縄タイムス2・9社説)……等々の指摘もまた重要で、過去の報道姿勢を謙虚に反省し、今後の取材・紙面づくりに生かすよう望みたい。

▽巨額な沖縄海兵隊グアム移転費要求

 現在、「在日米軍再編」をめぐる日米交渉が大詰めを迎えている。キャンプ座間への米陸軍第一軍団司令部移設など、自衛隊と米軍一体化運用が重点とみられ、沖縄駐留米海兵隊数千人のグアム移転、普天間飛行場のキャンプ・シュワブ沿岸部(名護市)への移設などの行方も注目されている。米側は海兵隊約1万8000人のうち8000人削減が可能と提案しているが、グアムへの移転費用(基地整備費なども含む)の日本側負担を求めてきた。その負担額は、総額100億ドル(約1兆1800億円)の75%…75五億ドル(約8850億円)もの巨額要求である。積算根拠が曖昧なことは、35年前「沖縄返還交渉」時の3億2000万ドル(当時の換算で約980億円)要求とそっくりな手口ではないか。「米側は過去の日米協議で『約80億ドル』と伝えているが、『建設する具体的な施設の数や内容など積算根拠がなく、腰だめの数字に過ぎない』(防衛庁幹部)という」との指摘(読売2・11朝刊)通りのお粗末さだ。

 一事が万事、今回の米軍再編協議を通じて、米国の対日交渉のしたたかさ・冷徹さ、日本外交の詰めの甘さを痛感するばかりである。3月末までに、「米軍再編に関する日米最終報告」が出る予定だったが、「中間報告」(昨秋)に盛られた普天間飛行場の名護市移設と米海兵隊のグアム移転費用の日本側負担などをめぐって政府と地元自治体、日米政府間の具体的調整が難航、最終決定は四月に持ち越された。米軍基地に悩まされてきた地元感情を無視して強行を図る「米軍再編」の行方が、極めて憂慮される事態である。

▽「政府の政治責任を厳しく問え」

「沖縄密約問題は協定が結ばれた当時のウソばかりでなく、いまの日本の姿もあぶりだしている。それは、説明責任を放棄したまま根拠なく否定を続ける政府や外務省の体質であり、それを十分に追及しきれていないメディアの姿勢だ。国会で承認された協定に反する密約を交わし、ウソをつき続ける政府が責任を問われないこの国に、民主主義があると言えるのだろうか」――沖縄密約問題をウオッチしている田島泰彦・上智大教授(メディア法)の指摘(朝日3・9朝刊)に共感する。

「沖縄」をめぐる新旧の大テーマを比較検討してみて、35年前の「沖縄密約」のツケが、「日米同盟」の名のもとに悪影響を及ぼし続けている現実を改めて痛感させられた。
「基地の島オキナワ」の厳しい状況はなお継続している。険しい日米関係の現状を踏まえ、「吉野証言」の重みを反芻し、「西山国賠訴訟」を見詰めていくべきだろう。