2009年7月31日金曜日

【反貧困】 反貧困ネット

 7月31日、お茶の水の総評会館で反貧困ネット主催の「選挙目前!私たちが望むこと」の集会があった。


午後7時開会で開場が6時半。参加者の出足がよく、6時40分に会場に着いたが、すでにほとんどの席が埋まっている盛況ぶりだった。参加者の数は350名。壇上の左手前方に各党の政治家が並び、その奥に主催者の宇都宮健児と河添誠が座っていた。湯浅誠は総合司会役で、マイクのある会場左袖で起立したままだった。雨宮処凜が来てないな思っていたら、集会が終って会場を出たときにロビーで顔を合わせた。

雨宮処凜とはよくこういう状況で鉢合わせになる。
1月15日の派遣法改正集会のときもそうだった。顔を揃えた野党の政治家は、菅直人(民主党)、大門実紀史(共産党)、亀井郁夫(国民新党)、保坂展人(社民党)。

この種の集会のレギュラーである私の論争相手の彼女は今回欠席していて、やはりいるべき人間の顔がないと物足りなさを感じる。その代わり、今回は菅直人の隣に別の女性が座っていて、彼女の登壇が昨夜の集会のハイライトだった。
自民党の森雅子、44歳。太田光のお笑い政治番組に出演したらしいが、私には記憶がない。反貧困なり派遣法改正の集会で自民党の国会議員を見たのは初めてである。驚かされた。

森雅子は菅直人と一緒に会場に入って来て、菅直人の前に挨拶をして、菅直人が挨拶した後に二人で一緒に会場を出た。私は彼女が自民党の議員だとは知らなかったから、菅直人が選挙の新人候補を連れてきて紹介するのかと思っていた。

森雅子は、短いスピーチの中で、自分の家も多重債務で苦しんだこと、中学を出た後に働いて高校と大学に進学したこと、東北大学は月2400円の学生寮があったから助かったことなどを自己紹介した。さらに、反貧困には党派の壁はないと言い、貸金業法規制の国会審議では、むしろ民主党の議員の方がグレーゾーン金利の規制に消極的だったと暴露、前原誠司を名指しして、金利を引き下げるのではなく引き上げる方向に動いていると痛罵した。

この告発は満席の観衆をどよめかせたが、私も気になったので帰宅後にネットで検索エンジンを回して調査した。すると、彼女の証言を裏付けると思われる情報があった。

前原誠司のサイトの中に今年の元旦に上げられた「直球勝負(64)-なぜ政権交代が必要なのか」の記事があり、その最後の方に、「官製不況をもたらしている、建築基準法・金融商品取引法・貸金業法を見直します」とある。

今後、国会の委員会質問で前原誠司がどのような発言を残しているか精査する必要があるが、この政策文言だけ見ても、趣旨が金利の規制緩和にあり、サラ金の利用者ではなく業者に有利な方向に法改正をしようとしている姿勢が看取される。

「政権交代」に憑かれているブログ左翼の一部では、勘違いして前原誠司は新自由主義者ではないなどと擁護論を吐く者もいるが、貸金業法改正で金利の上限規制に反対しているのは、あの新自由主義の天部衆である木村剛と竹中平蔵ではないか。

この記事で並べている前原誠司の政策主張はどれも凄まじい。
(ア) 官製不況をもたらしている、建築基準法・金融商品取引法・貸金業法を見直します。
(イ) 極めて低い水準にある、海外からの日本への投資を増やします。
(ウ) 羽田空港の24時間国際空港化を目指します。
(エ) 出来るだけ早い時期に、海外からの観光客2000万人を達成させます。
これだけを見ると、中川秀直か世耕弘成の政策目録かと見まごうほどである。
ピカピカの新自由主義政治家のマニフェストだ。

森雅子のスピーチに対しては、会場からは拍手と同時に罵声を含んだ野次も飛び、私は呆気に取られたままだった。この反貧困集会の会場で、まさか初見参の森雅子が民主党批判の舌鋒をふるうなど夢にも思わなかったのか、菅直人も不意を衝かれた感じで、自分の出番までの間ずっと他の講演者の話も聞かずに隣の森雅子に小言を言い続けていた。鮮烈なデビューを飾った森雅子。サイトにも「格差解消」や「弱者救済の市民派弁護士の志」の言葉があって興味を惹く。だが、サイトやネットの中を見ると、丸山和也や与謝野馨との親密ぶりなど、とても彼女を信用できない情報ばかりが溢れている。

森雅子が反貧困の集会に出席した事情や背景が気になってさらに調べると、岩波から出ている一冊の本(横田一著『クレジット・サラ金列島で闘う人びと』)が見つかった。著者の横田一がこう書いている。「莫大な利益を稼ぎ出していたクレジット・サラ金業界に闘いを挑んだ人たちは、挫折を乗り 越えて社会正義の実現に奔走するようになった人生遍歴がありました。弁護士から金融庁 職員を経て参院議員となった森雅子さんは、中学生の時に一家が破産、借金取りに恫喝される絶望的な日々を経て、金利規制強化の最前線に立つことになりました。

サラ金問題の第一人者として金利引き下げ運動をリードした宇都宮健児弁護士も、若き イソ弁時代に二度の弁護士事務所追放を経験していました」。どうやら、サラ金問題での宇都宮健児との関係が接点だと推測できる。だが、貧困な家庭や境遇から這い上がった人たちが全て反貧困になるとは限らない。典型的なのが折口雅博で、逆に弱者を残酷に収奪する側に回ったり、弱者の側につく素振りをしながら自分の出世のために騙して利用するだけの人間も少なくない。

森雅子はどうだろうか。この集会の参加者で挨拶もした大門実紀史は、「国会にも超党派で多重債務問題対策議員連盟というのができまして、自民党の森雅子さんが大変尽力されて、超党派でできました」と言い、森雅子を高く評価している。この議員連盟の民主党代表が枝野幸男で、東北大学法学部で森雅子と同期である。いろいろと関係の糸が繋がって面白い。

今回の集会の最大のニュースは、菅直人の挨拶の発言であり、政権獲得後の民主党政府で貧困問題の調査を必ず実行すると約束したことだろう。実は、この公約は民主党のマニフェストに盛り込まれていた。私は、前々回の記事で民主党のマニフェストの中に「貧困」の言葉がないと書いたが、「格差」の文字は一度も出ないけれど、「貧困」の文字は一度だけ小さく出てくる。21ページの「最低賃金を引き上げる」の項目の中に「貧困の実態調査を行い、対策を講じる」とある。表記は小さいが、具体的にマニフェストに入れた点が大きいのだと菅直人は言いたかったのだろう。

貧困の実態調査は、湯浅誠が政治に訴え続けてきた要求で、岩波新書の『反貧困』でも特に強調されている。どうやら、湯浅誠は、貧困の実態調査を選挙で政党に要求する政策課題として狙いを定めていた様子で、6/26の「朝まで生テレビ」の討論会でも、(1)貧困の実態把握と(2)貧困率引き下げの目標設定の2点をマニフェストで公約するよう番組に出席した政党代表者に迫っていた。このうち、(1)は民主党の公約の中に入った。(2)については民主党は何も触れていない。そして、昨夜の集会で決議採択した宣言文には、次期首相が施政方針演説で貧困調査の実行と貧困率削減目標を立てることを宣言するよう求めた。

これに対して、菅直人は挨拶の中で、「私が総理大臣になれば施政方針演説の中に入れるけれど」と濁し、この集会宣言の要求の実行については確約を避けた。

湯浅誠は、選挙後の新政権が公約に従って貧困の実態調査に踏み切り、貧困率の現実を認めるだろうと確信しているかも知れない。だが、私は疑っている。民主党は貧困の実態調査をして対策を行うと言っているが、実態調査の中身や時期については不明であり、厚労省の従来の姿勢をどれほど転換させられるか不安が拭えない。

調査をやるとなれば、結果は事前に明白だから、その後の貧困率低減のための対策も抜本的にならざるを得ない。予算や法令も小手先の対応では済まないだろう。私が不安を覚えるのは、そのプロセスを国会で監視する野党勢力がないことだ。全てが民主党政権のフリーハンドに委ねられる。

誰が厚労大臣になるかで政策は大きく左右されるし、仮に新自由主義系の右派が労働行政を差配すれば、昨夜の集会宣言が要求した政策の内実とは似ても似つかぬ「貧困実態調査」や「対策」になることは目に見えている。骨抜きされる。湯浅誠は、宣言文の中で「政府は1965年以来、貧困率の測定を行っていません。つまり私たちが求めているのは半世紀ぶりの政策転換です」と言って実態調査の意義を強調しているけれど、あの橋本龍太郎の1府12省庁の行政改革でさえ、最初は明治以来の大革命だと大騒ぎして宣伝された。実態調査と対策が先送りにされたとき、あるいは骨抜きにされたとき、湯浅誠たちはどうするのだろうか。野党となった自民党に頼んで、次の選挙のマニフェストに入れてもらうのだろうか。

ここに陥穽がある。盲点があると思う。7/18号の週刊ポストに寄せた回答にあるように、湯浅誠は「政権交代」に期待し、「政権交代」によって貧困問題が解決に向かうことを展望しているが、民主党政権が公約を裏切った場合はどうなるのか。「政権交代」に全幅の信頼を置けるのか。民主党が反貧困ネットの期待どおりに政策を遂行すると信じるのは、あまりに政治的に素朴に過ぎないか。それと、私が気になるのは、今回の集会のマスコミの報道である。テレビカメラが入っていたが、放送されたニュースの映像を見ていない。集会後、数名の新聞記者が湯浅誠を取り囲んで取材するのを見たが、記事になって出ているものは決して多くない。東京、共同、朝日、時事、毎日。半年前の派遣村の頃は読売や産経や日経も湯浅誠に密着して動きを取り上げていて、一つの出来事(発表や会見)で複数の記事が上がっていた。今回、記者が読者に知らせなくてはいけないこと(バリュー)は、自民党の国会議員が反貧困集会に出席した事実と、民主党がマニフェストで貧困実態調査を公約し、菅直人が挨拶で公約を確認したことだが、記事がそこにフォーカスされておらず、政治としてのこの集会のメッセージが有効に一般読者に届いていない。


350名の参加者数など、選挙の時期の集会としてはむしろ少ない方で、情報のインパクトとして強くない。また全般に、記事が社会部の記事になっていて、貧困問題の集会として書かれていて、政治の記事になっていないことがある。本当は、政治部の記者を呼んで記事にさせないといけない。政界面の選挙報道の関心の角度から発信させなくてはいけなかった。

それと最後に、反貧困運動も政治に働きかけるのであれば、数と勢いを積極的に追求する必要があり、もう少しネットを活用することを考えるべきだろう。集会の事前告知や結果報告にネットを活用するべきだ。採択された宣言文だけでなく、ペーパーで提出された17項目の要求(反貧困ネットの選挙マニフェスト)や当日の報告者の資料はネットに掲示して公開すべきだ。

2009年7月30日木曜日

【年金問題】 年金改竄の実態

 私は、厚生労働大臣直属の調査委員会の委員として、「年金改ざん問題」の調査に加わった。その結果分かったことは、この「年金改ざん」による社会保険庁職員への非難がほとんど根拠のないものだということだ。

 少なくとも、社保庁職員が、国民に実害を生じさせるような「犯罪行為」に関わった具体的な証拠は、調査委員会の調査結果からは何一つ得られていない(標準報酬遡及訂正事案等に関する調査委員会報告書)。

そればかりか、全国の社会保険事務所で「仕事の仕方」として定着していた「標準報酬月額の遡及訂正」というやり方は、保険加入者間の負担の不公平を防止することにもつながるものでもあった。

 なぜ、ほとんど「空中楼閣」のような「社保庁組織丸ごと犯罪者集団ストーリー」が作り上げられてしまったのか。その大きな原因が、社保庁を含む厚生労働省のトップである舛添厚労大臣が、「改ざん」の事実を確認することもなく、制度の仕組みを理解することもなく、自らの部下である社保庁職員を「犯罪者」のように決めつけて一方的にこきおろしたことにある。大臣の国民への「人気取り」のパフォーマンスがマスコミのバッシングをエスカレートさせることにつながった。

 これまでにも数々の不祥事を重ねてきた社保庁組織や職員に問題が多々あったことは否定しないし、私は、それら全体を擁護する気持ちは全くない。しかし、少なくとも、この厚生年金記録の「改ざん問題」に関しては、社保庁職員に対する非難は明らかに重大な誤解によるものだ。

 しかも、その誤解を解消しないと、今後の年金に関する業務体制の構築や運用の在り方について重大な悪影響が生じる。将来の年金給付率の低下が予測され、若年世代に年金制度への不満が高まっている現状の下ではなおさらだ。誤解に基づくバッシングのツケは、将来、厚生年金加入者全体が払うことになりかねないのだ。

「刑事告発」が目的だった大臣直属の調査委員会

 中央大学法科大学院教授で弁護士でもある野村修也氏から、いわゆる年金「改ざん」問題に関する厚労省の調査委員会の件で依頼があったのは、9月末のことだった。「従業員の給料から年金保険料の半額が天引きされているのに、社保庁職員が、標準報酬月額を不正に減額して、事業者の年金保険料の支払いを免除したり、少なくしたりしている問題について、舛添厚生労働大臣から調査の依頼を受けている。場合によっては刑事告発に至る可能性もある。そのメンバーとして加わってほしい」という話だった。

 「消された年金」「年金改ざん」などと呼ばれて、社会的にも大きな関心を集めている問題であり、刑事処罰についての適切な判断のためにも検事経験の長い私のような弁護士が関わることが必要なのだろうと考えて、私は、野村教授の依頼を受けることにした。

 その後、具体的説明を受ける機会がないまま、10月6日の夕刻、厚生労働大臣室で調査委員会の最初の会合が行われることになった。そして、その当日の朝刊には、「年金改ざん、調査チーム設置へ、舛添厚労相、刑事告発も」という見出しで、この調査についての記事が出ていた。

 「舛添要一厚生労働相は5日、茨城県龍ケ崎市で講演し、厚生年金標準報酬月額改ざん問題での社会保険庁職員の関与を調べるため、弁護士数人でつくる厚労相直属の調査チームを6日に設置する方針を明らかにした。改ざんへの関与が明らかになった場合、公文書偽造などの罪に当たるため、時効になっていないケースの刑事告発を検討する。 舛添氏は『(改ざんされた)紙が残っていれば、それを証拠に悪い職員を逮捕できる。徹底的にうみを出したい』と述べた」

調査メンバーには直接の説明もないのに、舛添大臣は、調査の目的が「改ざん」への社保庁職員の関与の解明と関与した職員の刑事告発であることを公言している。要するに、社保庁職員が「公文書偽造などの犯罪行為」を行ったことが疑われているので、その具体的事実を明らかにして刑事告発するために我々弁護士を雇ったということのようだ。

 米国での違法行為が、個人の意思で個人の利益のために行われる単発的な行為、つまり「ムシ(害虫)型」が多いのに対して、日本での違法行為の多くは、組織の利益を主たる目的にして、継続的・恒常的に行われる「カビ型」だ。ムシ型は、その個人に厳しい制裁を科すという「殺虫剤の散布」で十分だが、カビ型違法行為は、その全体像を明らかにして原因となっている構造的問題を解明する「湿気や汚れの除去」をしなければ本当の解決にはならない。

かねて、官庁・企業の不祥事についてこのように述べている私には、社保庁の組織全体で行われていた可能性がある「年金改ざん」に対しても、違法行為の全体像を解明し、その構造的な要因を明らかにするカビ型対応が不可欠だと思われた。舛添大臣の依頼の趣旨が、単に、目についたムシに殺虫剤を撒く「ムシ退治」をしてほしいということであれば受任をお断りするしかないと考えて、10月6日の大臣室での初会合に臨んだ。

 会合に先立って舛添大臣から4人の調査委員への辞令交付が予定されているとのことで、大臣室の前にはテレビカメラが待ち構えていた。しかし、まず、大臣から調査の目的と趣旨についての説明を受けなければ、受任するか否かが判断できない。他の委員の意向も同様だった。4人の委員全員の要求で辞令交付の前に大臣と会談し、「『最初に告発ありき』ではなく、まず、事案の全体像を解明し、違法行為があればその悪性の程度を評価したうえで刑事告発の要否を判断するということでなければ受任できない」と条件を提示、大臣が了承したので、調査委員会の初回会合に移行し、テレビカメラを入れての大臣発言、辞令交付が行われた。そして、調査委員会の委員長には野村教授が就任、委員4人の下に9人の若手弁護士による調査チームも組織された。

 こうして、いわゆる「年金改ざん問題」についての厚労大臣直属の調査委員会の調査が始まった。しかし、その調査の結果からは、刑事告発の対象となる事実はおろか、不正行為への社保庁職員の具体的な関与はほとんど明らかにならかった。

厚生年金については、給与や報酬の実態に応じて事業主が個々の保険加入者の標準報酬月額を申告することになっており、それを基準に毎月の保険料が決まり、将来年金を受給する権利も生じる。この標準報酬月額の「遡及訂正」、つまり遡って引き下げる手続きをしたことが問題にされている。それによって、支払うべき保険料が遡って安くなるので、保険料の滞納額が帳消しになる一方、将来受け取ることになる年金額も減少する。

 ただ、「改ざん」と言っても、事業主の申告もなしに、社保庁職員が勝手にやったというのではない。少なくとも事業主自身の申告に基づいて遡及訂正が行われている。給与から保険料を天引きされている従業員の報酬月額がその本人の知らないうちに事業主によって勝手に引き下げられて、保険料の滞納が帳消しにされたのであれば、事業主による保険料の着服・横領そのものであり、それによって従業員の将来の年金額が不当に減らされ実質的な被害が生じる。舛添大臣が「犯罪」「刑事告発」などという言葉を口にするのは、そういう事業主による保険料の着服に社保庁職員が関わっている疑いがあるという意味のはずだ。

 しかし、そのような事業主の犯罪行為が実際にどの程度行われていたのかは、明らかになっていない。従業員分の報酬月額の遡及訂正に社保庁職員が関与したと疑う根拠はほとんどない。

 一方、事業主が自分の標準報酬月額の遡及訂正の申告をするのは、将来の年金が減ることを本人が納得したうえで手続きを行っているのだから実質的な被害はない。2008年11月28日に公表された調査委員会報告書で「社会保険事務所の現場で半ば仕事として定着していた」と述べているのは、このような事業主自身の標準報酬月額の遡及訂正だ。しかし、そのような行為が多くの社会保険事務所で恒常的に行われていたことには理由がある。

厚生年金は大企業向けに作られた制度

厚生年金は事業者に雇用される労働者を対象とする公的年金で、すべての法人事業者と従業員5人以上を常時雇用している個人事業主が厚生年金への加入が義務づけられ、従業員の保険料の半分は事業主が負担することになっている。個人事業主の場合は、事業主自身は厚生年金には加入できないが、法人事業者は、経営者もその家族も、法人から報酬を受け取っている限り厚生年金の加入の対象となる。厚生年金に加入すると、給与や報酬の額に応じて事業者の申告によって設定される標準報酬月額を基準に保険料の支払い義務と将来年金を受給する権利が生じる。

 このような厚生年金の制度は、経営基盤が安定し、経営者や従業員の社内での地位や待遇も明確に決められている大企業向けのものだ。大企業の場合、従業員の給与は給与規定などの社内規則で定められていて、その支払いの事実は賃金台帳に記載され、役員の報酬も取締役会決議などで定められているので、給与・報酬の金額が客観的に明らかでそれに応じて標準報酬月額を定めることが容易だ。

 資金繰りも計画的に行われ、社会的信用を重視するので、経営状態が変化しても社会保険料を滞納することもほとんどない。あらかじめ定められた標準報酬月額に基づいて保険料と年金受給額を定めるという方法での年金制度の運用に適している。

しかし、中小零細企業の場合は、法人であっても、その実態は個人事業者に近いものが多く、事業主が代表取締役、その親族が取締役という場合が多い。経営も不安定であり、収支が悪化すると、借金返済や従業員の給与の支払いが優先され、社会保険料の滞納が生じやすい。

 しかも、いったん滞納すると、年に14.6%という“サラ金”並みの延滞金がかかるので、滞納額は雪だるま式に膨れ上がっていく。一方、事業主も、形式的には法人の取締役などの地位にあっても、その報酬が「客観的に定まっている」とは到底言い難い。経営が悪化すると、報酬を受け取るどころか、売掛金や従業員の給与の支払いを事業主の借金で賄うというような「持ち出し」になることも珍しくない。

 一方、標準報酬月額は、厚生年金加入の時点で事業者の申告によって定められ、毎年度改定することになっているが、中小零細企業の場合、改定が行われないまま放置されていることも多い。経営悪化のため保険料を滞納 している事業主の場合、標準報酬月額が実際の報酬額より高い額のまま放置されている場合が多い。

中小零細企業の場合、あらかじめ給与・報酬の実態に応じて定められた標準報酬月額に基づいて保険料と年金受給額を定めるという厚生年金制度を適用していくことが、もともと困難なのだ。

保険料を払っても払わなくても将来の年金額は変わらない

 そして、重要なことは、厚生年金の場合、加入期間の標準報酬月額に応じた年金受給権は、保険料を滞納していても、事業主の倒産などで支払い不能が確定しても、全く変わらないということだ。要するに、厚生年金は保険料を払っても払わなくても将来もらえる年金は変わらない。労働者のための公的保険で、労働者は給与から保険料を天引きされているので、事業主が保険料を払わなかったからと言って年金がもらえないのはかわいそうだというのが、その理由だ。しかし、その結果、保険料を払わなかった事業主自身も、払った場合と同額の年金が受給でき、その分は、まじめに保険料を支払っている他の年金加入者が負担することになる。

 「そんなバカな!」と思われるかもしれない。調査委員会の調査を始めた段階では、委員も調査員も誰もこのことを認識していなかった。調査の過程で、厚労省の側に説明を求め、ようやく、それが確認できたのだ。このような厚生年金制度の下では、事業主の保険料滞納を放置すると保険加入者間の負担の公平を害することになる。

徴収率を維持するために社保庁職員が行うべきことは、まずは粘り強く説得して保険料を支払ってもらう努力をすることだ。しかし、経営不振で資金繰りに苦しんでいる中小零細企業に滞納している保険料を支払わせることは容易ではない。その場合、法律が予定している正規の手続きは、調査委員会報告書でも言っているように「毅然たる態度で滞納事業者の財産の差し押さえを行うこと」だ。

 しかし、中小零細企業には差し押さえて換価処分できるような会社名義の財産などほとんどないし、事業に不可欠な設備や売掛金が入金される銀行口座を無理に差し押さえたりすればただちに倒産してしまう。実際には、財産の差し押さえで保険料の滞納を解消することは容易ではない。

遡及訂正は保険加入者間の負担の公平のための唯一の手段

 そうなると、支払い困難な中小零細企業の事業主の保険料滞納を解消する唯一の方法は、事業主の標準報酬月額を遡って引き下げて、支払うべき保険料自体を遡って減額することだ。経営不振で資金繰りに困って長期間にわたって保険料を滞納している事業主であれば、まともに自分の報酬など受け取ることすらできない場合も多い。そのような事業主の標準報酬月額を遡って引き下げるのは、基本的に報酬の実態に近づけるもので、必ずしも「不適正」とは言えない。

 保険料が支払い困難な経営状態の事業者の滞納事案を放置した場合には、その事業者が倒産して多額の滞納が確定すると、保険料を支払わなかった事業主に将来多額の年金が支給されることになり、その資金は他の保険加入者が負担するという不合理な結果になってしまう。何とかして、そのような滞納を解消しようとするのが当然であり、それを放置する社保庁職員の方がよほど無責任と言えよう。

このように考えると、中小零細企業も含めて法人事業者にはすべて厚生年金への加入を義務づけている現行制度の下では、支払い困難と思える事案について、最終的な手段として、事業主側の納得を得たうえで標準報酬月額の遡及訂正を行うことは、加入者間の負担の公平を確保しながら年金財政を維持していくためにやむを得ない措置であったと言える。

 もっとも、「法令遵守」という観点だけから考えると全く違う考え方になる。報酬の実態に応じて保険料を支払うことは事業主にとっても法的義務なのだから、事業主が、標準報酬月額を実際に受け取っている報酬額を下回る金額に引き下げること、ましてや、そこに社保庁職員が関与することは許されない。調査委員会報告書が、事業主の標準報酬月額の遡及訂正も含めて不正行為ととらえ、関与した社保庁職員を処分の対象とすべきとしていることのベースにもこの考え方がある(報告書5ページ)。

 しかし、私は、この調査委員会の多数見解には異論がある。年金に関して「報酬の実態に応じて保険料を支払う義務」というのは、「所得に応じて税金を支払う義務」つまり、納税義務とは意味が異なる。

 納税は、納税者が国に対して一方的に義務を負うが、年金については、保険料の支払い義務とともに将来の年金受給権が生じる。標準報酬月額を実際の報酬額以下に引き下げたとしても、保険料の負担だけではなく将来の年金の給付の方も低くなるのであり、脱税のように国への支払い義務だけを一方的に引き下げるものではない。

 また、そもそも、個人事業者は厚生年金への加入義務がないばかりか加入することが認められてすらいない。一方、同程度の規模でも法人事業者はすべて厚生年金加入を義務づけられているが、実際には未加入の中小零細企業が膨大な数存在している。これら個人事業者や未加入事業者との比較から言えば、厚生年金に加入している中小零細事業主の標準報酬月額が実際の報酬額を下回ったとしても、そのこと自体は実質的には大きな問題とは言えない。

 ましてや、「保険料を払わなくても将来もらえる年金が変わらない」という現行制度の下で、保険料を滞納している中小零細事業主の標準報酬月額の遡及訂正は、保険料を支払わないで将来年金をもらう「年金泥棒」のような結果を防ぐ事実上唯一の手段なのであるから、この場合にまで遡及訂正が「違法だから許されない」というのは、実態を無視した「法令遵守」の形式論理そのものと言えよう。

 このように考えると、事業主の標準報酬月額の遡及訂正は、中小零細企業の経営実態からすると、そもそも報酬の実態に反する「不適正な遡及訂正」、つまり不正行為と言えるかどうかすらはっきりしないだけでなく、形式的に「法令遵守」に反していても、実質的に非難すべき行為とは言えないの だ。

 一方、従業員の標準報酬月額の遡及訂正の方は、それを事業主が従業員本人に無断で行って給与から天引きしていた保険料を着服したとすれば、事業主による犯罪であり、それに関わった社保庁職員がいるとすれば、公務員犯罪そのものだ。全国の社保庁職員の中にそういう職員がまったくいないと断言はできないが、少なくとも、調査委員会の調査ではそれを疑う具体的な根拠は得られていない。

 このように、同じ標準報酬月額の遡及訂正でも従業員の分と事業主の分とでは全く意味が違うのに、それが丸ごと「改ざん」と言われて犯罪行為のように扱われ、社保事務所の「仕事として定着していた」などと報道されたために、社保庁職員全体が社会から大きな誤解を受けることになった。

 私の新著『思考停止社会~「遵守」に蝕まれる日本』(講談社現代新書)では、「何も考えないで、単に『決められたことは守れば良い』」という「遵守」の姿勢がもたらす弊害が、「法令違反」の問題だけではなく、「偽装」「隠蔽」「捏造」「改ざん」などの問題にまで拡大している日本社会の現実について述べている。

 これらは必ずしも「法令違反」とは限らないが、一度そのレッテルを貼られると、一切の弁解・反論が許されず、実態の検証もないまま、強烈なバッシングの対象とされる。「年金改ざん」批判は、「思考停止」の典型と言えよう。「改ざん」という言葉が何を意味するのか、それが具体的にどのような行為で、どのような被害をもたらしたのか、ということすら明らかにされないまま、社保庁職員はマスコミなどから一方的に非難されたのだ。

 このような「年金改ざん」についての社保庁職員に対するバッシングがエスカレートしてしまったのはなぜなのか、舛添厚労大臣の発言や態度がどのような影響を及ぼしたのか、そして、それが、今後、給付率低下が予想される厚生年金制度にどのような悪影響を与えるのか、明日はその点について考えてみたい。

昨日の本コラムに対して、多くの方々からの反響があった。中には、私が述べていることの前提となる基本的事項についての質問・疑問もあった。厚生年金という制度に関わる問題であるだけに、若干分かりにくい面があったのかもしれない。

 そこで、「年金改ざん」問題を考える上での重要な事項について、改めて説明しておこうと思う。

年金額は「いくら支払うべきだったか」の金額で決まる

 まず、「保険料を払っても払わなくても将来もらえる年金額が変わらない」というのは、給与・報酬の実態に応じて申告で定める標準報酬月額に基づいて、支払うべき保険料と将来の年金受給額が決まっていて、その保険料を実際には払わなくても年金受給額には影響しないということだ。保険料を実際に「いくら支払ったか」ではなくて、「いくら支払うべきだったか」の金額に応じて、将来の年金額が決まるのだ。

 もし、保険料を滞納したまま事業者が倒産した場合のように、保険料の支払不能が確定した場合でも、年金の受給額には影響しない。それどころか、厚生年金の場合は、そもそも、保険料の滞納や不払いがあっても、標準報酬月額が変わらない限り、その人の年金受給額を減らすことにはなっていないのだ。

 厚生年金に加入している事業者が支払うべき保険料を支払わなければ、その分、保険料を支払う債務が残っているわけで、社保庁職員は、それを支払うよう説得し、それでも支払ってもらえなければ滞納処分としての差押えをして強制的に取り立てるというのが法律の建て前だ。

 しかし、実際には、保険料を滞納するような中小企業の場合、会社名義の財産はほとんどなく、差押えで滞納保険料を回収することは極めて困難だ。その結果、滞納が解消できないままになってしまっても、保険料を支払わなかった事業者の将来の年金額には影響しないということになる。

 その結果、保険料を真面目に払っている年金加入者の負担が増えるという不公平を招くというので、滞納している事業主の標準報酬月額を遡って引き下げて、支払うべき保険料自体を減額して、その分、年金受給額が少なくなるようにするというのが、事業主の標準報酬月額の遡及訂正だ(従業員と事業主の険料を区別して支払うことはできないが、事業主分だけの標準報酬月額を引き下げることは可能)。

 このような遡及訂正は、保険料を滞納している経営不振の事業主の報酬の実態に必ずしも反していないし、保険加入者の負担の公平のためにはやむを得ない措置と見るべきではないかというのが私の見方だ。

合理的な事業主案件まで「年金改ざん」と呼ばれた

 一方、従業員の標準報酬月額を本人が知らない間に遡及して引き下げるのは、その分、保険料を天引きされている従業員の年金受給額が減額されることになるから、まさに実質的な被害が生じる。このような案件は徹底して調査し、それに社保庁職員が関わっている事実があれば厳しく責任追及しなければならない。

 また、その結果不利益を受けている保険加入者がいれば救済しないといけない。しかし、少なくとも、調査委員会の調査では、この従業員の標準報酬月額の遡及訂正に社保庁職員が関わった具体的な根拠は得られていない。

 問題は、現時点では具体的に明らかにはなっていないと言っても、実際に、このような実質的な被害が生じている従業員案件がどの程度あるかだ。

この点については拙著『思考停止社会~「遵守」に蝕まれる日本』(講談社現代新書)で詳述しているが、今回の調査で対象とされた6.9万件の遡及訂正事案のうち、約70%が事業主分と思える1名だけの遡及訂正で、約30%の複数の遡及訂正の事案の中にも、事業主の親族など実質的に事業主に帰属するものや何らかの事情で従業員が架空である場合などが含まれている。

 その中から、本当に従業員の標準報酬月額が不当に遡及訂正され、被害が生じている案件を絞り込んだうえ、まず事業主側を調査対象にして一つひとつ丹念に事実関係を洗い出していかなければならない。それをやってみないと、従業員案件について社保庁職員を非難できるかどうか分からないのだが、そのような調査は、社保庁職員を主たる対象とする調査委員会の調査とはまったく方向が違うものだった

 結局、実質的被害がなく、それなりの合理的な理由のある事業主案件と犯罪行為そのものと言える従業員案件とをひとまとめに「年金改ざん」と呼んで、それに社保庁職員が組織ぐるみで関与したかのように非難してきたというのが、これまでの経過なのだ。

 社保庁という1つの官庁に対して、「年金改ざん」という名の下で、さしたる根拠もないのに強烈なバッシングが行われ、組織に対する信頼が崩壊してしまったのはなぜなのか、どのような経緯でそうなったのか。そこには、官庁・企業の不祥事に対するバッシングが拡大し、その歪みが生ずる構図に共通する要因が存在している。

社保庁への信頼はなぜこれほどまでに失墜したのか

 まず、社保庁が信頼を失墜するに至るまでの経過を振り返ってみる。

 ここ数年、社保庁では、不祥事が相次いだ。2004年3月、政治家の国民年金未納問題が報道されたのをきっかけに、同年7月、約300人の職員が未納情報等の業務目的外閲覧を行っていた「年金記録のぞき見問題」が発覚した。そして、同年9月には、カワグチ技研事件で社保庁の幹部職員が収賄罪で逮捕され、通常国会における年金改正法案の審議やマスコミの報道等で強い批判を受けた。

 2006年5月、全国各地の社会保険事務所が、国民年金保険料の不正免除を行っていたのが発覚した。2007年5月には、年金記録をオンライン化した際のコンピューター入力のミスや基礎年金番号に未統合のままの年金番号など5000万件強の「宙に浮いた年金記録」の問題が表面化し、年金記録のずさんな管理が批判された。そして、その確認作業が行われる中で、社保庁職員による年金保険料の横領事案が過去に50件あることが明らかになり、国民の激しい怒りを買い、既に被害弁償、懲戒処分済みのものも含めて27件が刑事告発された。

 そして、2008年4月、東京と大阪の両社会保険事務局において、確認されただけで計29人が組合活動に「ヤミ専従」をし、本来は支払う必要のない給与が約8億円支払われていたことが明らかになった。

 このような不正行為・犯罪の相次ぐ表面化で、社保庁という組織は、国民から「最低最悪の官庁」と決めつけられ、国民は「社保庁の職員ならどんな悪事を働いていても不思議ではない」という認識を持つに至った。そのような中で表面化したのが、今回の「年金改ざん問題」だった。

 前回詳しく述べたように、この問題については社保庁職員が厚生年金記録の「改ざん」という不正行為を行ったとして非難する根拠はほとんどない。しかし、国民は、それまでの社保庁に対するイメージから、この問題を、「社保庁職員が組織の都合や個人的な動機から組織ぐるみで行った不正行為」と決めつけ、「年金改ざん」という呼び方も定着した。その伏線となったのが国民年金不正免除問題だった。

国民年金不正免除問題が伏線に

 この問題は、収入が少ない人に対して申請をすることで保険料を免除・猶予する救済制度である国民年金保険料の免除・猶予の手続きを、本人からの申請がないままに行っていたというものだ。

 2004年の国民年金法の改正で、2005年度以降、市町村から所得情報を入手し免除・猶予の該当者を把握できるようになった。このため社保庁職員が、免除・猶予の事由の該当者に働きかけて免除・猶予の申請を出させようとしたが、戸別訪問しても不在だったり、文書を何度送っても反応がなかったりというような接触困難なケースが多かったので、本人からの申請を受けることなく免除・猶予の手続きを行ったという事案だ。これが全国で発生していたことが明らかになった。

 この免除制度というのは、免除の手続きをすることで、保険料を支払わなくても、老齢年金、障害年金、遺族年金の一部を受給できるという制度だ。保険料が支払えない低所得者に対して、老後の最低限の年金を確保させようとするところに目的がある。

 「不正免除」の多くは、せっかくこのような制度があるのに、それを知らないために免除申請をしていない該当者の利益のために行われた。それは社保庁職員の側の「悪事」と単純に切り捨ててよいとは必ずしも言えない。形式的には「違法」であっても、実質的に見て、被害や損害を与える行為ではない。

しかし、マスコミは、この不正免除問題でも一方的に社保庁を叩いた。実質的に、免除事由該当者の利益を図る面があったことなどはすべて無視され、社保庁職員が、年金の納付率を向上させて成績を良くしたいという動機だけで不正を行ったように単純化された。

「年金改ざん」が「組織ぐるみ」とされるまで

 このように「国民年金不正免除」が、「納付率」の向上という社保庁側の事情による不正行為と単純にとらえられたことが、「社保庁職員は、自分たちの都合のために何でもやりかねない人間」という印象を与えた。「年金改ざん」という問題が表面化した際にも、「徴収率」の向上のために他人の年金記録を勝手に改ざんしたというように受け取られたことは否定できない。

 当初、この「年金改ざん」が問題とされ始めた時、そのような行為に、社保庁職員の側がどのように関わっていたのかは全く不明だったが、多くの国民は、社保庁職員が組織ぐるみで徴収率向上のために不正行為を行ったのではないか、という疑いを持った。そこには「国民年金不正免除」問題からの連想が働いていたはずだ。

 その疑いを決定的にしたのが、滋賀県の大津社会保険事務所の元徴収課長の「社会保険事務所では徴収率向上のために組織的に年金記録の『改ざん』が行われていた」という証言だった。

 社会保険事務所で組織的に行われていたのは事業主の標準報酬月額の遡及訂正だったはずだが、この元徴収課長は、この2つを区別しないで、「改ざん」という不正行為が社会保険事務所の現場で組織的に行われていたように証言した。これによって、それまでは「疑い」であった「社保庁の組織ぐるみの改ざん」が、ほとんど確定的な事実のように扱われるようになった。

 そして、そのような見方を決定的にしたのが、舛添要一厚生労働大臣が、「年金改ざん」問題について、国会で「組織的関与があったであろうと思う。限りなくクロに近いだろう」と答弁し、これが「厚生労働大臣が社保庁の改ざんへの組織的関与を認めた」と報道されたことだ。

 そして、舛添大臣が、社保庁職員の関与者を刑事告発するために弁護士中心の調査委員会に事実関係を調査させると息巻いて立ち上げたのが、私も委員として加わった「標準報酬遡及訂正事案等に関する調査委員会」だった。

「法令遵守」的な不祥事対応は事態を一層悪化させる

 このようにして社保庁に対する信頼が崩壊し、組織全体が「犯罪者集団」のように見られることになってしまったことには2つのポイントがある。

 1つは、社保庁の一連の不祥事に対する対策が、単純な「法令遵守」に偏り過ぎていたことだ。社保庁の幹部が収賄で逮捕されたカワグチ技研事件に関連して、厚生労働省は省内に信頼回復対策推進チームを立ち上げたが、ここでの再発防止対策の柱は、法令遵守委員会の設置と内部通報制度の整備という単純な「法令遵守」のための措置だった。それらの対策が、それ以降の社保庁の不祥事の多発に対して全く効果がなかったことは明らかだ。

 そして、国民年金不正免除問題に関して、社保庁は、3次にわたって調査委員会を立ち上げ、事実関係の解明と原因の究明を行ったが、そこで書かれている原因分析は、法令遵守の観点から社保庁の組織や職員を批判しているだけで、多くの職員の不正行為の動機が「国民年金保険料の免除制度の恩恵を少しでも多くの人に受けさせたいという気持ちであったこと、それがこの問題の本質であること」は一切書かれていない。

 このように糾弾されるたびに、一方的に謝罪し、法令遵守の徹底を呼び掛けている間に、社保庁の組織は、どんどん追い込まれ、結局、組織自体が解体されるという事態に至った。

こういった「法令違反」や「偽装」「改ざん」「隠ぺい」「捏造」などで、いったん批判されると、一切の弁解・反論ができないまま、一方的に叩かれ、それが、新たな問題にまで波及し、事態が一層深刻化していく、という最近の官庁・企業の不祥事に共通する構図は、「水戸黄門の印籠を示された途端にその場にひれ伏す人々の姿」、すなわち、「遵守」による思考停止状態そのものだ。

信頼失墜を決定的にした舛添大臣のパフォーマンス

 もう1つ、社保庁の組織や職員にとって決定的な打撃になったのが、舛添大臣の発言と態度だ。舛添大臣は、社保庁を含む厚生労働省の組織のトップでありながら、その部下である社保庁職員をこき下ろし、事実を確認する前から部下の組織や職員の刑事責任にまで言及した。「改ざん」とはどういう意味で使われているのか、標準報酬月額の遡及訂正とどういう関係なのか、従業員の遡及訂正と事業主の分のみの訂正とどう違うのかなど、この問題を考えるに当たっての基本的な事項すら十分に理解していたとは思えない。

 せめて、「調査委員会を立ち上げるので、その調査結果を踏まえて適正に対応したい」と冷静な発言を行い、調査委員会の調査が終わった時点で、各委員から十分に話を聞いたうえで、問題の本質を、国民に分かりやすく説明する努力をしていたら、社保庁職員に対する誤った批判・非難がここまでエスカレートすることはなかったはずだ。

 組織内の不祥事が表面化した場合のトップの対応は様々だ。末端に責任を押しつけて自らは責任を問おうとしないトップもいれば、全責任は自分にあると言って引責辞任するトップもいる。しかし、事実関係を確認することもなく、当事者の弁解・反論を聞くこともなく、一方的に当該部門全体を「犯罪者扱い」するトップというのは、企業の世界ではあまり聞いたことがない。

 私は、社保庁という組織の体質自体に重大な問題があることは否定しないし、その組織がこれまで起こしてきた不祥事、トラブル全体を擁護するつもりはない。しかし、それにしても、今回の「年金改ざん」問題に対する世の中の認識は誤っており、批判・非難の行われ方は明らかに異常だ。

 社保庁やその職員にとっては、それも「自業自得」だという見方もできなくはない。しかし、問題はそれだけで済むものではない。この問題の本質を見極めることなく、このままの論調で「年金改ざん」を単純に社保庁の組織や職員の「悪事」のように決めつけて対応していけば、次に述べるように、厚生年金という制度とその運用に重大な支障を生じさせ、国民全体に大きな不利益をもたらすことになりかねない。
 

産業の二重構造と年金制度をどう調和させていくのか

 「標準報酬月額の遡及訂正」という行為自体が「年金改ざん」などと言われて丸ごと不正のように扱われると、社保庁側では、とにかく遡及訂正だけはやらないようにしようということになるであろう。

 中小零細事業者の事業主の保険料の滞納を解消する唯一の手段であったこの「標準報酬月額の遡及訂正」が行われなくなれば、保険料滞納が長期間にわたって放置されて徴収率が下がることになる。それは、将来、まじめに保険料を支払っている厚生年金加入者の負担で、滞納した事業主自身が高額の年金を受給できることにつながる。

 それを防止するために正規の手段は、調査委員会の報告書で言っているように、「毅然と差し押さえを行う」という方法しかないが、それによって中小零細事業者の滞納保険料を徴収することが困難だということは前回のこのコラムで述べた通りだ。

 では、遡及訂正の恒常化の背景となった「保険料を納めなくても年金がもらえる仕組み」という制度の枠組みそのものを改めればよいのかと言えば、それだけで解決できるような単純な問題ではない。

 厚生年金は、基本的には、多数の従業員を雇用する事業者が従業員の給与から保険料を天引きし、自らの負担分と合わせて保険料を支払うことを前提にしている労働者のための年金制度だ。

事業者が保険料を支払わなかった場合や倒産などで支払い不能となった場合に、年金を天引きされていた従業員が不利益を受けないようにするためには、厚生年金に加入している限り、実際の支払いの有無にかかわらず標準報酬月額に応じた年金の受給権が発生するという制度自体はやむを得ない面がある。

 そのような本来は労働者のための厚生年金が、中小零細事業者の実質的な事業主である代表者にまで適用されることに問題があることは確かだ。しかし、法人の代表取締役は、形式上は会社に雇われている立場であり、それが実質的に「事業主」と言えるかどうかの線引きは容易ではない。

 そう考えると、実態が個人事業者と変わらないような小規模な「法人事業者」をなくしていくこと、人的組織の面でも財産的にも法人としての十分な実体がある場合に限って法人としての会社の設立と存続を認める方向を目指すこと以外には根本的な解決はあり得ないように思える。

 しかし、実際には日本の会社法制は全く逆の方向に向かっている。2006年に商法から独立して定められた会社法では、株式会社の最低資本金の定めがなくなり、会社設立手続きも大幅に簡素化された。誰でも自由に簡単に株式会社が設立できるというのが現在の会社法だ。

「法令遵守」では解決できない日本の中小企業の実態

 極端な事例を考えた場合、1円の資本金で株式会社を設立し、定款で代表取締役の報酬額を定めておいて厚生年金に加入し高額の標準報酬月額を設定してしまえば、その後、保険料を何年間滞納し続けていようが、その報酬月額に見合う将来の年金受給権を得ることができることになる。会社の実体がなければ会社財産の差し押さえによって滞納保険料を徴収することもできない。その場合の年金の財源も、真面目に保険料を支払っている厚生年金加入者の負担になってしまう。

 小規模会社に関する会社法制の在り方は、社会保険制度や運用の問題と密接に関連する問題である。両者の整合性を考えながら制度改正を行わなければならないのに、日本では会社法の問題と社会保険制度の問題を全くバラバラに考えてきた。それが、制度の重大な矛盾を生じさせてしまった。

 この問題の背景には、法律の建て前通りにはいかない、つまり「法令遵守」では決して解決できない日本の中小企業の実態がある。その中小企業が、これまで戦後の日本経済の一翼を担ってきたのだ。

 日本の産業構造の二重性の下で、中小零細企業の経営の実態に適合した年金制度と運用の在り方を抜本的に検討する必要がある。それは、経済危機の深刻化に伴って中小零細企業の経営が急激に悪化し、社会保険料の負担が困難になりつつある現状においては、何はさておいても取り組まなければならない緊急の課題と言えよう。

 そのためには、実態も問題の所在も理解しようとせず、自らがトップを務める厚生労働省の一員である社保庁職員を一方的にこき下ろす「人気取りパフォーマンス」ばかり続けてきた舛添大臣が、まず、これまでの軽率な対応を謙虚に反省し、問題の本質に目を向けた対応を行うことが不可欠であろう。

 人気取りのためのパフォーマンスは、この「年金改ざん」問題に限らない。前に述べた社保庁の「ヤミ専従問題」でも同じだ。

 厚労省が事実関係の調査と処分の検討のために設置した第三者による調査委員会が、組織的、構造的な問題だという事案の性格や全額被害弁償済みであることなどを考慮して刑事告発については慎重に対処すべきとの見解を示していたのに、舛添大臣は、それを無視して40人もの社保庁職員を告発するよう指示し、結果的には全員不起訴(起訴猶予)となった。官公庁があえて刑事処罰を求めて告発した事件が全員不起訴になるというのは異例のことである。そのようなことに膨大な労力をかけるより、他に重要な問題が山ほどあるはずである。

 しかし、舛添大臣も含め「人気取りパフォーマンス」で目立っている政治家の名前ばかりが、人気崩壊の麻生首相に代わる「次の総理候補」として急浮上しているというのが、今の日本の政治の悲しい状況なのである。

 では、この問題について、今後何をすべきなのか、制度とその運用をどのように改めていったらよいのか。次回は、その点についての私の考え方を述べて、「年金改ざん」問題についての連載の締めくくりとしたい。

前々回と前回のこのコラムで述べてきたように、「年金改ざん」問題は、厚労省や社会保険庁組織が「法令遵守」に偏った対応ばかり行ってきたことや、組織のトップである舛添厚労大臣が、事実を確認もせず、問題の本質を理解することもなく、社保庁職員が犯罪者であるかのようにこき下ろしたことなどで、マスコミや世の中から、社保庁の職員が組織ぐるみで行った単なる「悪事」であるように決めつけられてしまい、問題が矮小化されている。

 では、この問題に対して、今後、どう対応したらよいのか、制度の在り方やその運用はどのように改めていったらよいのか。私なりの考え方を示しておきたい。

「年金改ざん」を巡る誤解の解消が急務

 何はさておいても、まず行わないといけないことは、この問題に関する国民の誤解を解消するために、「年金改ざん」と言われている問題を整理し、何が問題の本質なのかということを、分かりやすく国民に説明することだ。そのためには、厚労省トップとしての舛添大臣が、この問題の本質を理解し、自ら説明を行うべきだ。

 「年金改ざん」問題というのは、経営の不安定な中小企業に厚生年金という制度を適用したことで発生した問題で、大企業のサラリーマン、役員や公務員などには基本的に無関係だということをすべての国民に分かってもらうことが必要だ。「年金改ざん」と言われる「標準報酬月額の遡及訂正」が行われるのは何カ月にもわたる保険料の滞納が発生した場合であるが、大企業が社会保険料を長期にわたって滞納することはほとんどあり得ない。

 しかし、このような、ある意味では当然のことすら、新聞、テレビなどでは明確に伝えられてはいない。「『年金改ざん』は100万件以上に上る、その闇はどこまで広がっているのか分からない」というような報道もあり、多くの国民は、社保庁職員が組織ぐるみで行った「年金改ざん」のために自分たちも被害を受けた可能性があるような誤解をしているのが現状だ。

 次に、標準報酬月額の遡及訂正は、基本的に、事業者の申告によって行われたものだということを説明する必要がある。申告書自体を社保庁職員が偽造したというのであれば別だが、さすがにそのような話は、これまで全く出ていないし、そこまでして遡及訂正の訂正を行うほどの動機が社保庁職員の側には考えられない。調査委員会が設置したホットラインには全国から多数の情報が寄せられたが、その中でも、事業者の申告もしていないのに、勝手に年金が引き下げられたという情報提供はなかった。

 もっとも、前々回のこのコラムへのコメントの中に、「私は約35年間会社を経営し、現役を引退して5年後、社会保険事務所から連絡があり、給料が8万円に減額されているので確認したいと言う事でした。当時私の給料は75万円で一度も保険料の滞納はなく、引退するまで赤字決済はなく、もちろん給料減額はありませんし、減額されていた事等、私は全然知らない事であります」というものがあった。

 これが、事業主の標準報酬月額が本人の知らない間に遡及訂正されたということを意味するのであれば、調査委員会も、社保庁も認識していない事案である。

 標準報酬月額の遡及訂正は基本的に事業者自身の申告で行われているものであり、申告もなしに勝手に引き下げられている社保庁職員側の一方的な「改ざん」の事案は、現時点では全く見つかっていないが、万が一にもそういう事案があるのであれば徹底解明するということも明確にしておくべきであろう。

「事業主案件」と「従業員案件」の明確な区別を

 そして、重要なことは、同じ標準報酬月額の遡及訂正でも、事業主分の訂正(事業主案件)と従業員分の訂正(従業員案件)とは全く意味が異なること、現在把握されている遡及訂正の大部分は事業主案件(生計を同一にしている親族など分を含む)であることを国民に分かりやすく説明し、この2つを明確に区別した対応を行うことだ。

従業員案件は、保険料を天引きされていた従業員の標準報酬月額が本人の知らない間に遡って引き下げられ、その分、従業員の将来の年金受給額が減額される一方、事業主側が天引きしていた保険料を着服することになるのであるから、まさに実質的な被害が生じる犯罪そのものだ。このような案件は徹底して調査し、それに社保庁職員が関わっている事実があれば厳しく責任追及しなければならないのは当然だ。

 一方、事業主案件は、中小零細企業に厚生年金を適用することに伴って不可避的に発生する保険料の滞納に対して、それが「保険料を払っても払わなくても将来もらえる年金が変わらない仕組み」(前回のこのコラム1ページ参照)の下で、保険料を払わなかった事業主自身が将来多額の年金をもらうことになるという保険加入者間の負担と給付の不公平が生じることを防止するためには、やむを得ない面もある措置であった。滞納事業主に、保険料を払うよう説得し、差し押さえのための財産調査を行うなどの正規の手続きに向けての努力を全く行わず、安易に遡及訂正を行ったとすれば、そこに社保庁職員としての義務を尽くしていないと批判されるのもやむを得ない。しかし、この問題の根本には、厚生年金制度が中小企業の経営実態に適合していないという根本的な問題があり、重要なことは制度や運用の改善を行うことであって、社保庁職員の責任追及を行うことだけでは問題は解決しない。

 この事業主案件を、基本的に責任追及の対象から切り離し、その分の労力とコストを従業員案件についての調査に費やすのが合理的だ。従業員案件を徹底して解明するためには、調査委員会が対象とした6.9万件(社保庁が「長期間にわたる大幅な遡及訂正が行われ、直後に厚生年金資格喪失手続きが行われているもの」を不適正な遡及訂正が行われている可能性があるとして抽出した案件)だけを対象にしたのでは不十分である。

 長期間又は大幅な遡及訂正が行われている案件の中から、従業員が対象となっている案件を抽出し、その一つひとつについて事業主からの事情聴取を行い、給与の実態に反して不正に訂正されていないかどうかを確認し、そのうえで、社保庁職員の関与の有無を明らかにするという地道な調査を丹念に行っていく必要がある。調査委員会報告書でそのような方向性が示せなかったのは、その調査の中で確認できた事業主案件を「社保庁職員の組織ぐるみの不正」と評価し、従業員案件と明確に区別することなく、今後の調査の在り方を論じたところに原因がある。

事業主案件の背景にある構造的問題の解決の道筋

 では、事業主案件が社保庁の現場で広く行われ、「仕事の仕方」として定着していたことに対しては、どう対処すべきか。

 そのような行為は、中小企業に対する厚生年金の適用の現場で、やむを得ない面があったことは確かだが、問題は、それが不透明な非公式なやり方として定着していたことにある。

 そこで、当面の対応として考えられるのは、これまで非公式な方法として、現場で非公式に行ってきた標準報酬月額の遡及訂正を、要件を定めたうえで、制度化するか、あるいは、その運用方法として明確化することである。そのためには、報酬・給与の実態を確認する方法について何らかの基準を設けることや、遡及訂正によって将来の年金額が減額されることについて保険加入者側の承諾を得る手続きについても定めることが必要になる。

 しかし、それだけでは、前回の本コラム5ページで指摘した、年金受給権を確保するために、実体のない会社を設立して厚生年金に加入し高額の標準報酬月額を設定するというような確信犯的なやり方には対応できない。一定の規模以下の会社には一定の期間を「仮加入期間」として設定し、保険料支払いの実績を確認したうえで正式の加入を認めるというような方法も検討する必要がある。

 そして、最終的には、中小企業の実態に即した公的年金制度を創設すること以外にこの問題の根本的な解決はあり得ない。

事業者に社会保険料の半分を負担させることで公的年金による労働者の老後の保障を充実させようという趣旨の厚生年金制度が、企業の規模を問わずすべての法人事業者に一律に適用されるのが現行の厚生年金制度だ。その趣旨は尊重されるべきだが、日本の中小企業の実態は、そのような負担が可能な事業者ばかりではない。保険料負担が、14.6%という高額の延滞金と相まって中小企業の経営を圧迫する要因になることは避けがたい。

 そう考えた場合、基礎年金制度に下支えされた(厚生年金は国民年金の「上乗せ」の制度であり、加入している限り標準報酬月額が最低水準でも国民年金加入者の年金額を上回る)厚生年金の事業者の負担率を、大企業向けと中小企業向けとで区別するという方法もあり得るのではないか。

 法人事業者であっても、会社法などの法律が予定しているような組織や経営の実態ではない中小企業を巡る問題は、「法令遵守」だけでは絶対に解決できない問題である。法令による建前論ではなく、実態を把握し、現実を直視して解決策を考えていくほかない。

「遵守」を超えて「真の法治社会」を

 2年余り前に出した『「法令遵守」が日本を滅ぼす』(新潮新書)では、実態と乖離した法令を、そのまま単純に遵守すればよいという考え方が、日本社会に大きな弊害をもたらしていることを指摘した。先日公刊した『思考停止社会~「遵守」に蝕まれる日本』(講談社現代新書)では、「何も考えないで、単に『決められたことは守ればよい』」という「遵守」の姿勢がもたらす弊害が、「法令違反」の問題だけではなく、「偽装」「隠蔽」「ねつ造」「改ざん」などの問題にまで拡大している日本社会の現状について述べている。

 「法令違反」か否かとは関係なく、一度「偽装」などのレッテルを貼られると、一切の弁解・反論が許されず、実態の検証もないまま、強烈なバッシングの対象とされる。「年金改ざん」問題はその典型だ。

 「改ざん」という言葉が何を意味するのか、それが具体的にどのような行為で、どのような被害をもたらしたのか、ということすら明らかにされないまま、社保庁職員はマスコミなどから一方的に非難された。

 その一方で、この問題の本質が大企業向けの厚生年金制度を中小企業に適用することにあることも、この問題を放置すると、経済危機の深刻化、中小企業の経営悪化の下で厚生年金の徴収の現場が一層混乱し、回復不可能な状態になりかねないことも、ほとんど知らされていない。

 その構図は、多くの官庁・企業の不祥事に共通する。何か問題を起こすと、全く反論も弁解もできず、反省・謝罪をひたすら繰り返すばかりの官庁・企業の姿は、水戸黄門の印籠の前に、ただただひれ伏しているのと同様だ。

 その「遵守」の印籠の効果を高めているのが、国民への人気取りしか考えない政治家、責任回避の行政、問題を単純化するマスコミという「思考停止のトライアングル」だ。こうした中で、国民は、今この国で起きていることについて真相を知らされず、重大な誤解をさせられたまま、有権者、消費者、納税者などとして様々な選択を行わされている。

 同書では、この「年金改ざん」の問題をはじめ、食品を巡る偽装・隠ぺい、検査データねつ造、経済司法の貧困、裁判員制度、マスメディアの歪みなど様々な分野の問題を通して、そのような日本社会の現状を明らかにし、最後に、「遵守」による思考停止から脱却して「真の法治社会」を作っていく道筋を示している。

 我々は、まず、誰かに制裁を科して物事の決着をつけてしまおうとする単純な「悪玉」論を乗り越えて、少しでも多くの国民に、今起きていることの現実を知ってもらう努力をしなければならない。

 そして、そのうえで、どのような方向で解決したらよいのかを考えるコラボレーションの環を拡大していくことだ。多くの国民の利害に関わるこの厚生年金の問題への対応が、日本社会が日本人固有の知恵を取り戻せるかどうかのカギを握っている。

2009年7月29日水曜日

【自民党政権】 2009年衆議院選公約

自民公約案(1)…財源と成長・「民主に対抗」鮮明

閣議に臨む麻生首相(28日)=田中成浩撮影
 28日明らかになった自民党の衆院選政権公約(マニフェスト)案は「責任政党」を強調し、地方選連勝や政党支持率上昇で勢い付く民主党への危機感と対抗意識が鮮明になっているのが特徴だ。

 昨年9月の発足以来、景気対策に傾注してきた麻生内閣としての自負ものぞかせた。ただ、27日に政権公約を発表した民主党を意識してか、似通った政策も散見された。

 「日本の『力』が発揮され、すべての人に魅力ある国へ。それを実現する『責任』があります」

 麻生首相(自民党総裁)は政権公約案に寄せたあいさつで強調した。

 自民党は衆院選の論戦で消費税率引き上げや憲法改正など賛否両論ある分野にあえて言及して、民主党の政権公約が財源確保策や外交・安全保障政策などであいまいさを残した点を突く構えだ。政権公約案もその点に力を入れたという。

 「民主党はばらまきだけで、財源収入として入ってくるものがない。自民党は成長戦略で財源をつくり出し、それを分配する。そこが違いだ」

 首相は27日夜、東京都内のレストランで自民党の菅義偉選挙対策副委員長と会談し、民主党の政権公約に経済成長戦略と財政再建への取り組みが欠けているとの見方で一致した。

 自民党の政権公約案では「4度にわたって経済対策を矢継ぎ早に実施」と麻生内閣の取り組みを強調。〈1〉2010年後半に経済成長率2%を実現する〈2〉11年までに経済成長率や失業率などを07年の水準に戻す〈3〉12年以降、安定成長に乗せる――を掲げ、「あと2年間は経済対策に全力を尽くす決意だ」と訴えている。

 一方、財政再建では国と地方の基礎的財政収支(プライマリーバランス)に関し「今後10年以内に確実な黒字化を」と目標を設定。消費税率引き上げを巡っても「消費税を含む税制抜本改革を11年度から実施できるよう法制上の措置を講じる」とした税制改革の「中期プログラム」に沿って、「経済回復後に見直す準備を進める」と明記、民主党との差を強調した。

自民公約案(2)…自衛隊の海外派遣「当たり前」

 外交・安全保障政策では自衛隊を海外派遣するための恒久法制定を目指す考えを強調、「こんな『当たり前』(なこと)すら躊躇(ちゅうちょ)し、意見集約できない党に、日本の安全を任せられない」と民主党を非難した。

 というのも、民主党の政権公約では、旧社会党出身者らを抱えて自衛隊の海外派遣に慎重論が根強い党内事情を受け、自衛隊について言及がない。自民党は集団的自衛権行使を禁じた政府の憲法解釈の見直しや憲法改正の早期実現も盛り込み、「憲法に足らざる点があれば補う」などの表現にとどめた民主党との違いをここでも明確にした。

自民公約案(3)…世襲・子育て、民主と競い合う
http://www.yomiuri.co.jp/election/shugiin2009/news1/20090729-OYT1T00059.htm

一方で、自民党の政権公約案には、民主党と競い合う政策も少なくない。

 政治改革の柱となる「世襲」候補の立候補制限を巡っては、世襲議員の多い自民党内では反対論が根強かったが、民主党は既に国会議員の子や配偶者ら3親等以内の親族が同一選挙区から続けて出馬することを禁止する方針を決めている。このため、対抗上、一転して次々回から民主党と同様の制限を行うこととした。

 国会議員定数の削減についても、民主党が衆院比例定数(180)の80削減を打ち出したのに対し、自民党は「次々回から衆院議員定数(480)の1割以上削減、10年後には衆参議員定数(計722)の3割以上削減」を掲げて対抗した。

 子育て支援などでは、両党とも負担軽減策を次々と打ち出している。

 民主党が月額2万6000円の「子ども手当」創設を目玉とした一方で、自民党は今後4年間で、3~5歳児への教育の無償化を唱える。

 授業料などの軽減に関しては、民主党は公立高校生のいる世帯への授業料相当額の助成を盛り込んだのに対し、自民党は高校や大学で低所得者に限った授業料の無償化や、返還義務のない給付型奨学金制度の創設を盛り込んだ。

 自民党の石原伸晃幹事長代理は28日、都内での街頭演説で、政権公約案について、「国民の皆様方が『足りない』というところは十分補っていく。伸ばすべき分野はもっと伸ばしていく」と強調した。

 ただ、自民党の政権公約に最終的に、政策実行にかかる費用や財源が盛り込まれるかどうかは不透明だ。政府の概算によると、幼稚園・保育園の幼児教育の無償化に約7900億円、低所得者の授業料無償化には約229億円(私立高校で年収250万円未満は全額、同350万円未満は半額補助の場合)が必要となる。

 負担軽減策を次々と繰り出せば「ばらまき」批判がつきまとうのは必至だけに、こうした批判をどう払拭していくかが、問われる。(政治部 村尾新一)

2009年7月27日月曜日

【鳩山内閣】 鳩山政権の政権構想

7月27日 ロイター

<鳩山政権の政権構想>

●5原則

1.官僚丸投げの政治から、政権党が責任を持つ政治家主導の政治へ。

2.政府と与党を使い分ける二元体制から、内閣の下の政策決定に一元化へ。 

3.各省の縦割りの省益から、官邸主導の国益へ。 

4.タテ型の利権社会から、ヨコ型の絆(きずな)の社会へ。

5.中央集権から、地域主権へ。

●5策

1.政府に大臣、副大臣、政務官(以上、政務3役)、大臣補佐官など国会議員約100人を配置し、政務3役を中心に政治主導で政策を立案、調整、決定する。 

2.各大臣は、各省の長としての役割と同時に、内閣の一員としての役割を重視する。「閣僚委員会」の活用により、閣僚を先頭に政治家自ら困難な課題を調整する。事務次官会議は廃止し、意思決定は政治家が行う。 

3.官邸機能を強化し、首相直属の「国家戦略局」を設置し、官民の優秀な人材を結集して、新時代の国家ビジョンを創り、政治主導で予算の骨格を策定する。 

4.事務次官・局長などの幹部人事は、政治主導の下で業績の評価に基づく新たな幹部人事制度を確立する。政府の幹部職員の行動規範を定める。 

5.天下り、渡りのあっせんを全面的に禁止する。国民的な観点から、行政全般を見直す「行政刷新会議」を設置し、全ての予算や制度の精査を行い、無駄や不正を排除する。官・民、中央・地方の役割分担の見直し、整理を行う。国家行政組織法を改正し、省庁編成を機動的に行える体制を構築する。


03マニフェストの内閣財政局、05マニフェストの国家経済会議、09マニフェストの国家戦略局。これらは基本的に同一の機能を担うとされてきたもの。少なくとも三つにかかわった自分から見れば名称は異なれど予算編成など税財政骨格編成を官邸主導で行う部局。記者会見だけでは見えてこない。

2009年7月26日日曜日

【雑誌記事】 週刊文春(岸信介とCIA)

岸信介とCIA

<岸は同盟者ではなく、エージェントだった>

 『週刊文春』2007年10月4日号は、「岸信介はアメリカのエージェントだった!」と題する特集を組んだ。この特集が特筆されるのは、岸信介元首相がこれまでいわれていた「CIAの同盟者」ではなく、「CIAのエージェント(代理人、スパイの意味)」だったと断定していることである。同特集は、ミューヨーク・タイムズの現役記者、ティム・ウィナーの著書『 LEGACY of ASHES The History of the CIA』(灰の遺産 CIAの歴史、今年6月発行)から岸がCIAのエージェントだったとする部分を引用している。引用部分は次の部分である。

 「米国がリクルートした中で最も有力な二人のエージェントは、日本政府をコントロールするというCIAの任務遂行に協力した」
「(そのうちの一人)岸信介はCIAの助けを借りて日本の首相となり、与党の総裁となった」
「岸は新任の駐日米国大使のマッカーサー二世にこう語った。もし自分の権力基盤を固めることに米国が協力すれば、新安全保障条約は可決されるだろうし、高まる左翼の潮流を食い止めることができる、と。岸がCIAに求めたのは、断続的に支払われる裏金ではなく、永続的な支援財源だった。『日本が共産党の手に落ちれば、どうして他のアジア諸国がそれに追随しないでいられるだろうか』と岸に説得された、とマッカーサー二世は振り返った」
 「岸は、米国側の窓口として、日本で無名の若い下っ端の男と直接やり取りするほうが都合がいい、と米国大使館高官のサム・バーガーに伝えた。その任務にはCIAのクライド・マカボイが当たることになった」(注=CIA側の窓口となったビル・ハッチンソンもクライド・マカボイも日本共産党が発表した在日CIAリストには載っていない)

 「CIAの歴史」は同書の序文によれば、匿名の情報源も伝聞もない、全編が一次情報と一次資料によって構成された初めてのCIAの歴史の本である。

 重要なのは、岸信介が児玉誉士夫と並んで、CIAが日本政府をコントロールするためにリクルートした最も有力なエージェントと指摘していることである。そのために、CIAは岸に巨額の金を注いだと指摘している。
 つまり、安倍前首相がもっとも敬愛する祖父、岸信介はあの無謀な戦争を指揮した戦犯であるだけでなく、売国の政治家だったことが改めて裏付けられたことになる。岸は1952年7月、追放解除者を集めて、自主憲法制定を旗印に日本再建連盟を結成する。 

 自主憲法とはなにか。       
 あの悲惨な戦争体験から13年しかたっていない時期に岸信介首相(当時)はこんな発言をしている。朝日新聞の縮刷版によると、1958年10月15日付の夕刊の1面に、「憲法9条廃止の時」という記事が載っている。米国NBCの記者のインタビューに、岸は「日本国憲法は現在海外派兵を禁じているので、改正されなければならない」「憲法九条を廃止すべき時は到来した」と言明している。これが自主憲法の中身である。安倍前首相のいう「戦後レジームからの脱却」も、これと同じでる。まさに、自衛隊を米軍の身代わりとして海外で戦争させようというものにほかならない。米国の長年の願望である。 


 なぜ、鬼畜米英と叫んだ戦争指導者が、米国の手先になったのか。その秘密を解くカギが最近発売された完全版『下山事件 最後の証言』(柴田哲孝著、祥伝社文庫)にある。
 柴田氏の祖父(柴田宏氏)が勤めていた亜細亜産業の社長で戦前の特務機関である矢板機関の矢板玄(くろし)氏の証言に、その秘密が書かれている。以下、矢板証言の注目部分を引用する。
  

<岸を釈放したウィロビー>
 (佐藤栄作は、兄岸信介の件で来たのではないか。岸信介を巣鴨プリズンから出したのは、矢板さんだと聞いているが)
 「そうだ。そんなことがあったな。だけど、岸を助けたのがおれだというのはちょっと大袈裟だ。確かに佐藤が相談に来たことはあるし、ウィロビーに口は利いた。岸は役に立つ男だから、殺すなとね。しかし、本当に岸を助けたのは白洲次郎と矢次一夫、後はカーンだよ。アメリカ側だって最初から岸を殺す気はなかったけどな」
 注=東条内閣の閣僚で、戦争指導者の一人であり、A級戦犯容疑者として逮捕された岸の釈放については、昨年9月22日付「赤旗」の「まど」欄が、「GHQ連合国軍総司令部のウィロビー少将率いるG2(参謀部第二部)の『釈放せよ』との勧告があった」ことを紹介している。ウィロビーは、直轄の情報機関として、キャノン機関や戦後も暗躍した矢板機関を持っていた。 


<秘密工作の全容の解明を>
  CIAが「同盟者」である岸信介に総選挙で資金を流し、てこ入れしたことは、すでに共同通信の春名幹男氏が著書『秘密のファイル CIAの対日工作』(2000年刊、下)で、くわしく指摘している。それによると、マッカーサー二世大使は1957年10月、秘密電報を国務省に送っている。そこには、次のように書かれている。次の総選挙で自民党が負ければ、「岸の立場と将来は脅かされる」。後継争いに岸が負けた場合、「憲法改正などの政策遂行は困難となる」。さらに、「岸は米国の目標からみて最良のリーダーである。彼が敗北すれば、後任の首相は弱体か非協力的、あるいはその両方だろう。その場合、日本における米国の「立場と国益は悪化する」。
 マッカッサー大使はさらに岸を援助する提案をしている。その中身について、同書は、「結論から先にいえば、次の総選挙で中央情報局(CIA)の秘密資金を使って岸を秘密裏に支援すべきだ、という提案」だとしている。
 しかし、同書はCIAが具体的にどのような工作が行われたのかは明らかではないとしている。今回の週刊文春は、岸へ渡されたCIA資金は一回に7200万円から1億800万円で、いまの金にして10億円ぐらいと指摘しているが、その金が選挙対策としてどう使われたかは触れていない。  


  CIAの汚いカネで日本の政治がゆがめられたというこの問題は、戦後日本の最大の暗部である。CIAの秘密工作の全容を明らかにすべきである。外国から選挙資金をもらうことは、公選法や政治資金規正法や当時も外為法に違反する犯罪行為でもある。「東京新聞」(10月3日付)で、斎藤学氏(精神科医)が、週刊文春の記事が事実なら大変なことだと思うのだが、「他誌も新聞も平然としている」と疑問をなげかけている。

解説:CIA工作 戦後日本、「米の影響下」鮮明 日ソ接近防ぐ目的

 CIAの「緒方ファイル」は、戦後の日本政治が、東西冷戦の下、水面下でも米国の強い影響を受けながら動いていた様を示している。米情報機関が日本の首相を「作り」、政府を「動かせる」という記述は生々しい。

 CIAが日本で活動を本格化したのは、サンフランシスコ講和条約・日米安保条約が発効した52年からだ。米国では翌53年1月、共和党のアイゼンハワー政権が誕生。同7月の朝鮮戦争停戦を受け、新たなアジア戦略を打ち出そうとしていた。

 それがCIAの積極的な対日工作を促し、日ソ接近を防ぐ手段として55年の保守合同に焦点をあてることになった。当時の日本政界で、情報機関強化と保守合同に特に強い意欲を持っていた緒方にCIAが目をつけたのは当然でもあった。

 ただ、CIAの暗号名を持つ有力な工作対象者は他にもいた。例えば同じ時期、在日駐留米軍の施設を使って日本テレビ放送網を創設するため精力的に動いていた正力松太郎・読売新聞社主(衆院議員、初代科学技術庁長官などを歴任)は「PODAM(ポダム)」と呼ばれていた。

 加藤哲郎・一橋大大学院教授(政治学)によると、「PO」は日本の国名を示す暗号と見られるという。また、山本武利・早稲田大教授(メディア史)は「CIAは、メディア界の大物だった緒方と正力の世論への影響力に期待していた」と分析する。

 暗号名は、CIAが工作対象者に一方的につけるもので、緒方、正力両氏の場合、いわゆるスパイとは異なるが、CIAとの関係は、メディアと政治の距離も問いかける。

 時あたかも、政権交代をかけた衆院選が1カ月余り後に行われる。自民党結党時の政界中枢にかかわる裏面史が、この時期に明るみに出たのも因縁めく。

 また、自民党に代わり政権を担おうとしている民主党が、ここに来て、対米政策を相次いで見直したのは、日本の政界が、政党の新旧を問わず、半世紀以上前から続く「対米追随」の型を今なお引きずっているようにも見える。【後藤逸郎】
【関連記事】

* CIA:緒方竹虎を通じ政治工作 50年代の米公文書分析

毎日新聞 2009年7月26日 東京朝刊

1994年10月10日(朝日新聞)
CIA、自民に数百万ドル援助
50-60年代 左翼の弱体化狙う

【ワシントン8日=ニューヨーク・タイムズ特約】米ソ対立の冷戦時代にあった1950年代から60年代にかけ、米中央情報局(CIA)は、主要秘密工作のひとつとして日本の自民党に数百万ドル(当時は1ドル=360円)の資金を援助していた。米国の元情報担当高官や元外交官の証言から明らかになったもので、援助の目的は日本に関する情報収集のほか、日本を「アジアでの対共産主義の砦(とりで)」とし、左翼勢力の弱体化を図ることだった、という。その後、こうした援助は中止され、CIAの活動は日本の政治や、貿易・通商交渉での日本の立場などに関する情報収集が中心になった、としている。

55年から58年までCIAの極東政策を担当したアルフレッド・C・ウルマー・ジュニア氏は、「我々は自民党に資金援助した。(その見返りに)自民党に情報提供を頼っていた」と語った。資金援助にかかわったCIAの元高官1人は、「それこそ秘密の中心で、話したくない。機能していたからだ」と述べたが、他の高官は資金援助を確認している。
また、66年から69年まで駐日米大使を務めたアレクシス・ジョンソン氏は、「米国を支持する政党に資金援助したものだ」と述べ、69年まで資金援助が続いていたと語った。

58年当時、駐日米大使だったダグラス・マッカーサー2世は同年7月29日、米国務省に送った書簡の中で、「佐藤栄作蔵相(当時)は共産主義と戦うために我々(米国)から資金援助を得ようとしている」と記している。

マッカーサー2世は、インタビューに対し.「日本社会党は否定するが、当時、同党はソ連から秘密の資金援助を得ており、ソ連の衛星のようなものだった。もし日本が共産主義化したら、他のアジア諸国もどうなるかわからない。日本以外に米国の力を行使していく国がないから、特に重要な役割を担ったのだ」と語った。

自民党の村口勝哉事務局長は、そのようなCIAの資金援助については聞いていない、としている。
朝鮮戦争(50年-53年)当時、CIAの前身である米戦略サービス局(OSS)の旧幹部グループは、右翼の児玉誉士夫氏らと組んで、日本の貯蔵庫から数トンのタングステンを米国に密輸、ミサイル強化のためタングステンを必要としていた米国防総省に1000万ドルで売却。これを調べている米メーン大学教授の資料によると、CIAは280万ドルをその見返りに提供したという。




1994年10月13日(朝日新聞)
CIA、58年に特別班 日本向け選挙資金担当

【ワシントン12日=五十嵐浩司】米中央情報局(CIA)が1950年代から60年代にかけ、当時日本の政権を担当していた自民党に、極秘の資金援助を行っていたと疑われている問題で、CIAが58年4月に日本向けの選挙資金工作を担当する特別グループを作っていたことが12日に朝日新聞が入手したCIAの内部文書で明らかになった。また、これとは別に米国務省の内部文書によると、58年7月に当時の佐藤栄作蔵相が、在日米大使館を通じ選挙資金援助の要請を行った際、自民党の川島正次郎幹事長とみられる「カワシマ氏」を「窓口」に指定し、秘密のうちに慎重に取り扱うことを求めていた。米大使館はこの時には、資金援助を断った模様だが、CIAによる特別グループの設置は、これとは別に資金援助が行われた可能性を示している。

CIA文書は今年4月に「極秘」扱いを解かれたもので、50年代半ばから末にかけ、反共活動支援の目的で、フランスやフィリピン、ギリシャなど世界各国で選挙資金の援助工作をしていたことを記している。具体的な援助策は各国ごとに作られた「計画調整グループ」「特別グループ」で行われていた。日本担当のグループは58年4月11日に設置した、としている。

グループ設置が直ちに「援助の実施」を意味するものではないが、日本では同年5月に衆議院選挙が行われており、これに照準を合わせた動きだったとみられる。翌月には、米側の信任が厚かった岸信介氏を首班とする第2次岸内閣が発足した。

国務省文書によると、岸氏の弟でもある佐藤氏の「選挙資金援助要請」は、これを受け同年7月25日に行われたもので、59年6月に予定される参議院選挙用の資金調達が目的だったようだ。

同文書は、佐藤氏と会った当時のカーペンター米大使館1等書記官が国務省に送った「メモ」などで、これによると会談は佐藤氏が要請し、「報道陣を避けるため」東京グランドホテルで2人だけで行った。
佐藤氏は、日本共産党や日教組などの「脅威」を指摘すると同時に、「共産主義勢力」がソ連(当時)や中国から資金援助を受けている、と説明した。

一方、「これら過激分子と戦っている」政府と自民党は、支持者・企業から資金を集めており、また経済界の一部指導者たちが「結成も活動も報道されていない秘密のグループ」を通じて資金提供を図っているが、衆院選の後だけに「資金不足」と窮状を訴えている。

このうえで米側に「保守勢力が共産主義と戦うための資金援助の可能性」を打診した。窓口として「カワシマ氏」の名前を挙げており、当時の川島正次郎・自民党幹事長とみられる。

佐藤氏は、もし米国が援助に同意しても、「米国が困る立場にならないよう、極秘に行う」と提案している。
「メモ」に付けられた当時のマッカーサー大使からパーソンズ国務次官補(東アジア担当)にあてた書簡によると、佐藤氏は前年も同様の打診を行っていた、という。


1994年11月11日(朝日新聞)
「CIAが自民党へ資金援助」を検証
日米戦後史の裏面に光

米中央情報局(CIA)による自民党への秘密資金援助を、米ニューヨーク・タイムズ紙が報じてから1カ月。CIA・政府関係者の証言を集め、関連資料を分析すると(1)資金援助が始まったのは50年代後半、アイゼンハワー政権期らしい(2)60年代のうちに終了していた可能性も高い(3)援助の規模は伝えられた金額よりは少なかったのではないか、という輪郭が浮かび上がる。だが、関係者の多くはすでに故人になり、時間の壁も厚い。冷戦下に埋もれていた日米戦後史の裏面にきちんと光をあてるためにも、まだあるはずの機密文書の公開が望まれる。(ワシントン=梅原季哉・外報部)


●61年初頭には実行中

証言(1) 「ケネディ政権発足直後の61年2月、私を含めた数人の当局者が、自民党への秘密資金援助について、アイゼンハワー前政権からの引き継ぎとしてCIA情報官から説明を受けた」=元国務省情報調査局長、ロジャー・ヒルズマン氏(75)。
この資会援助について最も明確に証言したのがヒルズマン氏だ。それによると、引き継ぎを受けた場所は、ホワイトハウス西隣の旧行政府ビルの1室。バンディ大統領補佐官(国家安全保障担当)らも出席した。

ClA側 「自民党の代表が、アイゼンハワー政権期に駐日米大使とCIAに接触し『共産党がソ連から資金援助を受けている』ので、自民党が選挙ポスターや宣伝に使う『十分な多額』の資金提供を要請した」

それ以上具体的な中身の報告はなかった。ヒルズマン氏らは計画の妥当性についてCIA側を問い詰めた。
CIA側 「これは進行中の作戦で、選択肢は今すぐやめるか、徐々に額を減らしてなくすしかない。しかし、即時中止すれぱ、相手側が不満を抱いて公にされるかもしれない」
結局、ヒルズマン氏らは、計画を徐々に縮小して中止するようケネディ大統領に具申、そう決定された。


●占領下では活動に制約

資料(1) 「終戦から朝鮮戦争の途中まで、米軍の極東司令官だったマッカーサー将軍は、自分の管内でのCIAの存在に反対した」(CIA歴史スタッフ編の内部資料『ClA長官、アレン・ダレス』第2巻『情報活動の調整』)
証言(2) 「連合国軍総司令部(GHQ)には自前の情報機関G2もあり、もしCIAが巨額の資金を保守勢力に援助しようとしたら、マッカーサーにつぶされていたはずだ」「当時のCIAは予算も少なく、防諜(ぼうちょう)や情報収集活動が中心で、資金援助などできなかった」(占領下から50年代半ばまで日本に駐在した元ClA情報官)
この元情報官は、52年の占領終了までは、CIAが日本で秘密活動をするのは難しかったと強調した。


●57年には接触

57年ごろには、すでにCIAと自民党の間で接触があったことを裏付ける資料がある。
資料(2) 「議題『共産主義勢力の伸長、破壊活動防止のための日米協力について』。参加者は自民党外交調査会員、須磨弥吉郎代議士、元労相の千葉三郎代議士、ダグラス・マッカーサー2世大使……同代議士は翌18日、同じ問題について話し合うためにアレン・ダレスCIA長官を訪問した」(57年1月17日付、国務省会話メモ)
マッカーサー2世元大使はこの時、日本への着任を控えてワシントンにいた。須磨氏(故人)は、戦前、外務省情報部長を務めたことがある。同長官と自民党代議土との会談記録は、ほかには公開されていない。


●決定は58年4月か?

資料(3) 「選挙で特定の党派へ資金を供与するという案は、……長官が重要と認めた場合またはCIA予備費を支出する必要がある場合に、……特別グループ(SG)と呼ばれた会合にはかられた。【注】例えば……日本についてのSG会合、58年4月11日」(前出『アレン・ダレス』第3巻、『秘密活動』)

資料(4) 「岸首相の弟の佐藤栄作氏が、共産主義と戦うための金銭的援肋を我々に申し入れてきた……これは驚くほどのことではない。なぜなら彼は昨年も同様な考えを示していた」(58年7月29日付、マッカーサー2世駐日大使から、極東担当国務次官補への手紙)

証言(3) 「私自身は、そういった資金援助の決定には関与しなかった」(マッカーサー2世元大使)
確かに付属のメモによると、同大使は「資金援助は難しい」との考えを佐藤氏に伝えている。この時点では接触だけとも受け取れる。

証言(4) 「自民党側からの働きかけはアイゼンハワー政権期と聞いた。58年4月11日付のSG会合で秘密援助が決定された可能性は極めて高い」(ヒルズマン氏)
保守合同から2、3年たち、米国はアイゼンハワー、日本では岸政権だったこのころが、資金援助開始時期である可能性が高い。


●終了は?

証言(5) 「ニューヨーク・タイムズは、秘密資金援助は70年代初めに終了したらしいと報じていたが、私が知る限り、もっと早く終わっていたはずだ」(元ClA情報官)
証言(6) 「私が63年にCIA極東部門の長に就任したとき、日本については小さな作戦が2つあったが、意味がなかったので中止した。しかし、伝えられるような資金援助は、63年以前は知らないが、私の就任時点で存在したとは思えない」(コルビー元CIA長官)
2人の証言からは、ケネディ政権発足時に資金援助計画を徐々に縮小、中止させる方針が決まった後、まもなく終了した可能性も出てくる。


●金額は?

証言(7) 「資金援助の具体的な規模は説明されなかったが、『十分に重要な意味のある額』ということだった。推察だが、年に数十万ドルから百万ドル程度だったろう」「まず下限だが、年に数万ドル程度の規模では我々の議題になるはずがなかった」「(上限については)逆に年200万ドルを超えるようなら、巨額で目立つが、そういう記憶はない」(ヒルズマン氏)
前出のダレス長官の評伝でも、外国選挙への秘密資金援助がSG会合の議題になったのは、通常年25万ドルを超える場合だった、とされている。一方、金額が多過ぎると目立ち、秘密活動にならないというのがヒルズマン氏の説明だ。


●「冷戦で当然」の見方も

関係者の多くは、この資金援助について直接の知識のあるなしにかかわらず、当時の冷戦の枠組みでは当然のことだったと語る。ソ連による日本の左翼勢カへの援助は、米高官の間では「常識」だった。「CIAはただ、米国の政策を実行しただけだ」とCIA元情報官の1人はいう。
証言(8) 「秘密活動にかかわるCIA職員は、扱う金額が大きいほど出世しがちだった。資金援助は、対象を深く吟味せずに世界中で行われていた」(上院情報特別委員会元スタッフ、アンジェロ・コードゥビラ氏)
自民党への資金援助は、「ばらまき金」の側面も持っていたというのだ。


●機密保持期間は経過

資金援助に関するケネディ政権下の公文書は、30年間の機密保持期間を過ぎている。国務省外交史料諮問委員会の歴史学者たちは、公開して対日外交文書集に取り込むことを求めているが、主にCIAとの間で調整がついていない。

×  ×  ×
「私はアイゼンハワー政権も、自民党も過ちを犯したと思う。このことがすべて公になれば、そんな過ちは2度と繰り返さないに違いない」とヒルズマン氏は話した。


資金援助疑惑とは
「CIAは1950、60年代にかけ、主要秘密工作のひとつとして日本の自民党に数百万ドル(当時は1ドル=360円)の資金を援助していた。目的は日本に関する情報のほか、日本を『アジアでの共産主義に対する砦(とりで)』とし、左翼勢力の弱体化を図ることだった」(ワシントン10月8日発のニューヨーク・タイムズの記事の骨子)
「昔のことで、党職員に調べさせたが、そんな事実はない。迷惑な話だ」(自民党の森喜朗幹事長の話)

CIAと秘密活動
CIAは1947年の国家安全保障法で、大統領直属の情報機関として設立された。同法に「国家安全保障に影響するその他の機能を時に応じて果たす」とあるのが、CIAが秘密活動に従事する根拠だ。その後、数度の大統領令などで、国家安全保障会議(NSC)の政策決定を受けてCIAが秘密活動を集行する枠組みが定まった。それは大きく宣伝、政治工作、軍事作戦などに分類され、初期の典型的な政治工作としては、48年のイタリア総避挙でキリスト数民主党にてこ入れした例がある。


【関連記事】

米の機密文書公開に「待った」 「対日外交に影響」国務省
「核」寄港合意・CIAの資金援助疑惑  ケネディ政権下の資料
【ワシントン6日=梅原季哉】米ケネディ政権(1961年-63年)下でつくられた公文書の中に、日米両国政府の間に核兵器を搭載した艦船の日本寄港に関する合意があったことを裏づける複数の資料があり、米中央情報局(CIA)による自民党への秘密資金援助を示す公文書と共に、この8月の機密解除の最終的な法的期限が過ぎても公開されていないことが、朝日新聞社の調べで6日、わかった。公文書は原則として30年後までに機密を解かれるが、解除文書を取り込んで編集される同政権期の対日外交文書集が、いまだに刊行が決まっていない。
歴史・法学者らからなる米国務省の「外交史料諮問委員会」は「問題となった日本関係の公文書が非公開のままなら、正確な歴史は反映できない」と、日本関係の章の刊行自体の取りやめを勧告するという異例の措置までとっている。
問題になっているのは、米国務省が機密解除期間の30年をめどに逐次発刊している史料集「合衆国の外交」の中の章「日本・1961年-63年」に収録する予定の公文書。
朝日新聞社が入手した同諮問委の非公開討議の抄録によると、「日米安全保障条約の履行とそれに関連する軍事的問題、及び当時の日本の国内政治」の3つに関係した複数の公文書について、委員会側が機密の解除を求めた。しかし、国務省の政策担当者やCIAなどの反対で、いまだに実現していない。
抄録によると、「60年安保条約に関係し」「ライシャワー大使の回想録にも出てくる」問題についての文書公開が否定された。国務省の日本担当者は「今も対日外交関係を損なう恐れがある」と説明している。
核搭載艦船の日本寄港を認めた故ライシャワー駐日大使は81年、60年代前半に池田政権の大平外相と会談し、「核の持ち込みとは、陸揚げ及び貯蔵であり、寄港は意味しない」との日米間の口頭了解が、安保条約改定時からあったことを説明し、了解された、と発言。「会談は国務省からの訓令に基づき行われ、命令と報告の公電もあるはずだ」としていた。
また、当時の極東担当国務次官補、ロジャー・ヒルズマン氏(75)も先月末、朝日新聞記者に「63年春、その了解事項を日本側に再確認する決定にかかわった。公文書は残っているはずだ」と語った。
一方、CIAの自民党資金援助に関連した討議の抄録によると、国務省の日本担当者は昨年11月の時点で「自民党はまだ日本最大の政党で、政権に復帰する可能性もある」と公開に反対した。
同諮問委の-キムボル委員長は「守秘義務があり、内容は明かせないが、日米関係に関する複数の文書公開を委員会が求め、これについての国務省の決定が遅れているのは確かだ」と話している。(朝日新聞 1994/11/07)

CIAが大規模対日工作 最盛時は要員100人 自社議員らに報酬も 関係筋証言
【ワシントン5日共同】米中央情報局(CIA)は日本国内に、最盛時には100人以上、現在も約60人という在外支局としては「世界で最大規模」の要員を配置し、自民党や社会党の議員、政府省庁職員、朝鮮総連幹部、左翼過激派、商社員らに定期的に報酬を渡して秘密の情報提供者として確保してきたことが、複数のCIA関係筋の証言で明らかになった。CIAはこうした政治・安全保障分野だけでなく、経済・技術分野でも日本の対米貿易の交渉方針、日本企業の高度技術(ハイテク)を対象に、情報活動を展開してきた。

在日CIA工作の全体的な実態および陣容はこれまでほとんど知られていなかった。CIAスポークスマンはこうした工作について「ノーコメント」と論評を拒否した。
CIA関係筋は、CIAの情報提供者となっていた自社両党の議員の名前を明らかにすることを拒否したが、社会党議員については「長老で、1980年代に月25万円の報酬を手渡し、党の運動方針などを聞いた」とだけ述べた。また数人の自民党議員にも同様の報酬が支払われ各種の政治情報を得た、と同筋は指摘した。
情報提供者には地位に応じて、現金で月10万-25万円をホテルなどで手渡したという。
政治情報では、第1に首相の動向が最大の関心事。CIAは歴代首相の側近、周辺に常に情報提供者を確保してきた。
例えば、85年5月ボンで行われた中曽根・コール両首相の日本・ドイツ首脳会談の際にはCIA要員もボンに出張、会談直後に中曽根氏の側近からその内容を入手するといった方法。レーガン米大統領が中曽根首相にゴルフクラブを贈る際、好みをCIA要員が調べ、ロン・ヤス関係演出に一役買った。
自民党の中では金丸元副総裁がCIAに協力的だった。90年9月の金丸氏による北朝鮮訪問の前後には、同氏と親しかった中尾宏・元衆院議員(92年7月死去)が訪米、CIA側に状況を説明したという。
日米間の貿易交渉をめぐっては、主に通商代表部(USTR)の要請を受けてCIAが日本側の交渉態度を探るのが通例。88年6月決着した牛肉・オレンジ市場開放交渉では、農林水産省内の情報提供者から「日本の最終譲歩リスト」を入手していた、と別の関係筋は証言した。
電気通信分野の交渉に関連しても郵政省の内部やNTT、さらに通産省内部からも情報を得ていたという。日本企業のハイテクの軍事的側面も調査、京セラや大日本印刷、宇宙開発事業団、三菱重工、石川島播磨重工業などが調査対象となった。
このほか、中東の日本赤軍に国内の支援勢力がブラジル経由で数十万ドルを送金したことも突き止めるなど、左翼過激派の動向調査も怠らなかった。(中日新聞 1995/01/06)

報酬受け提供「考えられぬ」 自民事務局長
米中央情報局(CIA)に関する共同通信の報道について、名前をあげられた中曽根康弘元首相の事務所は、「CIA要員であるかどうかは別にして米大使館員との交流は昔からあった。しかし、こちらから情報を提供するということはなかった」と話している。
また、自民党の村口勝哉事務局長は「議員が報酬を受け取って情報を提供するということは考えられない」と話している。(朝日新聞 1995/01/06)

立法院選で保守勢力へ秘密資金
国家安全保障公文書館が米機密文書公開
1965年の立法院選挙で保守勢力を優位にすることで沖縄統治の安定を図ろうと、米国(CIA)から秘密の資金が持ち込まれたことを示す秘密文書が、ワシントンにある国家安全保障公文書館で公開された。同文書は同年6月の沖縄問題に関する国務省会議についてのもの。同問題だけでなく、日本への核持ち込み、沖縄での日の丸掲揚問題に対する米側の認識、国務省側と軍との対立など当時の米国、日本、沖縄の状況を生々しく伝えている。
文書の中では実際に資金が沖縄に流れたかどうかには触れられていない。同資料を発見したロバート・ワンプラー国家安全保障公文書館の分析研究員は「この文書の中で『303委員会にかける』話が出てくるが、この会議はこのような秘密工作を決定する委員会であること、ライシャワー氏らの会議の中身は、資金を流すかどうかではなく、どのようなルートで流すか具体的なことが討議されており、結果(資金が沖縄にいったかどうか)は疑いようがないのでは」と、実際に資金が流れたことを確信をもって語る。
303委員会は国務、国防両長官、ホワイトハウス高官、CIA長官らで構成し、CIAが実行部隊となった秘密工作を承認するかどうかを決定する機関。ワンプラー氏は同公文書館の日本プロジェクト担当部長で、「この文書を見た時、自分の目を疑った。話としては以前からあったが、文書があったとは全く知らなかった。私も二度読み返したほど」と、長年日米関係を調査研究してきた当人にも驚きだったようだ。(沖縄タイムス 1996/10/07)

直径50メートル 米極秘衛星?
静止軌道上 日本見下ろす 望遠鏡で確認
日本スペースガード協会(磯部しゅう三理事長)は4日、日本を見下ろす静止軌道上に直径約50メートルの巨大物体があるのを望遠鏡で発見、写真撮影に成功したと発表した。
同物体は継続的に軌道制御を行っており、運用中の人工衛星であることは明らか。同協会は、米国が通信傍受などのため極秘に運用している巨大パラボラアンテナ型の情報収集衛星の1つ、とみている。
発見したのは昨年12月。同協会の美星スペースガードセンター(岡山県美星町)の望遠鏡(口径1メートル)で、地球周回軌道にある人工衛星の破片などの宇宙ゴミ(スペースデブリ)を観測中に偶然見つけた。
巨大物体は東経120度、インドネシア付近の赤道上空の高度約3万6000キロの静止軌道にあり、明るさは9等星ほどで同軌道の人工衛星としてはきわめて明るかった。同協会は、明るさから物体の直径は約50メートルと割り出した。観測を続けたところ、同物体は常に軌道制御を行って厳密に位置を維持していることが分かった。
地球を回る軌道にある人工衛星やスペースデブリは、米空軍が観測し、自国の軍事衛星を除いてリストを公開しているが、発見した物体は記載がなかった。
米科学者達盟によると、米国は通信やレーダー波を傍受するため1970年代から、静止軌道に大型衛星を極秘に配置している。現在は、80年代半ば以降に打ち上げられた直径数十メートル-100メートルのマグナムと呼ばれる衛星などが運用中とみられる。(中日新聞 2002/04/04)

対日諜報網計画:戦後、20人の工作員投入案 米戦略諜報隊
米中央情報局(CIA)の前身組織が、終戦直後に作成したと見られる対日諜報網の計画案が、米国で見つかった。軍国主義や反米の動きを監視するのが目的で、戦後の日本に対する諜報活動を明確に示す初めての資料という。
この資料は「日本における戦後の秘密諜報工作計画」など。早稲田大の山本武利教授(メディア史)が今年1月、米メリーランド州の国立公文書館で発見した。陸軍省の戦略諜報隊(SSU)が46年前半ごろに作成し、幹部に提出したらしい。
中国、韓国、ベトナムなど極東全域を記した総論と国別の各論からなる計約100ページの文書の中にあり、「最高機密」に指定されていた。
計画案では、戦後の混乱が続く当時を秘密工作員が日本への浸透を行う「絶好の機会」と強調。「表面からは隠されているものの、反民主主義的、反米的な動きが潜在していることも否定できない」とみなしている。そのうえで諜報活動の重点項目として、政治、経済、宗教、陸海軍、国際関係を挙げた。
具体的には、東京・横浜、神戸・大阪・京都、札幌、名古屋、長崎など日本全体で工作員は当面17~20人とし、日本を南北2つに分け配置を検討した地図や、予算案を作っていた。
工作員には企業からの引き抜きが適当として、その候補として、戦前に拠点があった米国企業の所在地や代表者名を記したリストも付けていた。
計画案の邦訳は、今月中旬発売されるメディア研究誌「インテリジェンス」(紀伊国屋書店)第2号に掲載される。

秦郁彦・日本大学教授(現代史)の話 米国の情報活動の一端を示す貴重な文書資料だ。ただ、マッカーサーは日本占領にSSUなどを関与させる気がなかった。占領政策はうまくいき、右翼勢力が復活する恐れも小さくなって、連合国軍総司令部(GHQ)は次第に対ソ政策へ重心を移した。この資料は、その過渡期に作られた実行困難な計画だったと思う。(毎日新聞 2003/03/02)

米の「赤狩り」日本でも 50年前の議事録発見
終戦直後の日本で共産主義者らに便宜を図ったとして、米陸軍省が1954年4月、神奈川県の米軍座間基地で自国の同省職員に対して開いた聴聞会の議事録が見つかった。当時、米国では東西冷戦を背景に「赤狩り」と呼ばれた共産主義思想の弾圧が行われており、これが日本の地にも及んでいたことが初めて確認された。

標的とされたのは在日米極東軍司令部の民間職員だったドン・ブラウン氏(1905-80)。連合国軍総司令部(GHQ)の民間情報教育局情報課長を務め、対日メディア政策を統括。GHQ解消後、米陸軍に移籍したが、匿名の告発で、過去の日本の左翼系知識人らとの交際などが「国家安全保障上の利益に反する」とされた。
議事録は、ブラウン氏の代理人の弁護士トーマス・ブレークモア氏(1915-94)が保管。ブレークモア氏が死後に日本に残した文書類の中から、占領史研究家の笹本征男さん(59)=東京都世田谷区=が見つけた。
議事録によると、聴聞会は54年4月27日に座間基地内で、在日極東軍司令部の安全保障聴聞委員会が開いた。(1)GHQ情報課長当時、新聞や雑誌の用紙割り当てで共産主義寄りの出版物に便宜を図った(2)共産主義者、同調者と交際があった-などの告発事実を告げ、尋問が始まった。
交際相手には、女性の新しい生き方を中心とした評論活動をした石垣綾子氏ら日本人3人や、GHQ民政局次長として憲法草案をとりまとめたチャールズ・ケーディス氏、「ニッポン日記」の著者として知られるジャーナリストのマーク・ゲイン氏らが挙げられた。
ブラウン氏は「用紙割り当ては日本人の委員会が決め、自分たちには割当量に介入する権限はなかった」などと激しく反論。石垣氏らとの特別な交際も強く否定した。
告発を裏付ける事実は乏しく、議事録には審査結果の記録はなかったが、疑惑は晴れたとみられ、ブラウン氏は50年代後半まで在日極東軍に勤務。その後も日本に滞在し、74歳で亡くなった。同氏は戦時中や終戦直後の新聞、雑誌など膨大な史料を残し、横浜市の横浜開港資料館に所蔵されている。

古矢旬・北海道大教授(米政治外交史)の話 日本で赤狩りの聴聞会が行われていたとは初耳。米国の研究家にも知られていない貴重な史料だと思う。1954年は、急先ぽうだったマッカーシー上院議員が「陸軍にも『アカ』がいる」と攻撃した時期で、米陸軍省は外部の介入を避けるため、組織防衛として内部で厳しく忠誠審査をしたのではないか。

<米国の「赤狩り」> 東西冷戦下の米国で猛威をふるったリベラル派などへの思想弾圧。米議会上院と下院に調査委員会が設けられ、大学、研究機関、映画界などで多数の学者、芸術家らが「共産主義者」のレッテルをはられて追放された。ジョセフ・マッカーシー上院議員の活動が有名で「マッカーシズム」と称された。1954年末、上院が同議員への非難決議を可決するなどして終息した。(中日新聞 2004/03/29)

日本版「CIA」の誕生 防衛庁に要員920人
日本は「情報大国」に跳躍するために、情報組職の大規模な拡大・改編と、人的・物的な情報収集の強化策を推進中だと、中国青年報が19日付で報じた。

▲日本版「モサド」の創設
防衛庁は3月、10万件の軍事秘密文書にマグネッティック署名作業を終えた。文書を盗み出した場合、防衛庁の建物内に設置された検知装置が作動して警報装置が鳴るように設計されている。赤色の特殊用紙の機密文書は、不法コピーの瞬間、黒色に変色し、内容を見ることができなくなる。
同時に、防衛庁情報本部要員を110人から920人に増やし、軍事情報の収集、解読、保安能力を大幅に強化させた。
また、内閣情報研究室、通産省など6、7の省庁に分散している情報組職を統合・拡大する作業も進めている。各省庁の情報を総括して首相に報告する内閣情報研究室職員が120人に過ぎず、役割を十分に果たせないために、1000人以上に大幅増員し、事実上新たな情報機関を創設する計画だ。
日本版「ネオコン」(新保守主義者)の石破茂・防衛庁長官は、「内閣情報研究室を米中央情報局(CIA)やイスラエルのモサドのような情報機関に変貌させる計画だ」と明らかにしたと、同紙は伝えた。

▲007学校もある
4月24日、小泉純一郎首相の机には、北朝鮮の龍川(ヨンチョン)駅爆発事故現場を撮影した衛星写真が置かれた。昨年3月に打ち上げられた2基の軍事偵察衛星が撮影したものだ。日本政府は、これを基に対北朝鮮支援規模を決定した。
軍事偵察衛星は、98年8月に北朝鮮が日本列島を横断するテポドン・ミサイルを発射したことに刺激を受けたもの。2基の衛星が毎日15回地球を周り、韓半島、中国、ロシアなどの軍事情報を探知する。
日本は昨年11月に、2基の衛星をさらに打ち上げようとしたが、ロケットの打ち上げ失敗で延期になった。しかし06年までに4基体制を構築することを決め、1370億円の予算を策定している。
情報要員に対する訓練も強化した。代表的な情報訓練機関である小平学校は、毎年35歳以上の自衛隊の将校50人を入校させ、各種情報収集能力の育成はもとより、韓国語、中国語、ロシア語などの語学能力を身につけるスパルタ式教育を実施している。
川口順子外相は最近、英国のマスコミとの会見で、「日本も現在、007のような情報要員を養成中だ」としながら、「そのため、英国の情報機関の経験を学びたい」と話していた。(東亜日報 2004/06/20)

自衛隊創設時から極秘に日米作戦計画 首相に報告せず
自衛隊創設直後から、ソ連による日本侵攻を想定した「日米共同作戦計画」が、自衛隊と在日米軍の間で毎年作られていた。最高度の秘である「機密」指定で、存在そのものも秘密にされてきた。朝日新聞の取材に対し、複数の元自衛隊幹部が初めて証言した。
また、それを裏付ける米太平洋軍司令部の秘密指定が解除された報告書も見つかった。日本政府はこれまで、共同作戦計画づくりは78年の日米政府間合意である「日米防衛協力のための指針(旧ガイドライン)」にもとづいて始まったと説明してきたが、それが完全に覆された。
この計画は、旧ガイドラインの策定が始まるまで、自衛隊の最高指揮官である首相にも報告されず、正式な「政治の承認」のないままに行われていた。政治問題化を恐れて防衛庁が内密に処理していた。自衛隊の文民統制(シビリアンコントロール)の根幹を揺るがす問題で、政治責任の欠如は、イラク多国籍軍をめぐる国会審議・承認の回避など、現在にも尾を引いている。
証言したのは、50年代から70年代にかけて、統合幕僚会議や陸上幕僚監部でそれぞれ共同作戦計画づくりを直接担当した中村龍平・元統幕議長、源川幸夫・元東部方面総監、松村劭(つとむ)・元富士学校機甲科副部長ら。その内容は、琉球大の我部政明教授が入手した米太平洋軍司令部の73年版年次報告書と一致した。
計画の正式名称は、日本語で「共同統合作戦計画」。英語では「Coordinated Joint Outline Emergency Plan」(CJOEP)。日本語版と英語版の2通りが作られた。日本語版はA4判で数千ページ。十数部しか作成されず、防衛庁内の金庫に厳重に保管されたという。
計画は毎年改定され、統合幕僚会議議長と在日米軍司令官が署名した。防衛庁内局の防衛局長を通じ、防衛庁長官に報告される形になっていた。
「共同統合作戦計画」のシナリオは、ソ連軍が北海道に上陸侵攻。自衛隊がまず独力で対処し、米軍の来援を待つ。米軍の来援部隊は、陸軍が3個師団プラス1~2個旅団、海軍がおよそ3個空母機動部隊、空軍が十数個飛行隊。数次に分かれて、1週間から2カ月かけて日本に展開することになっていた。
陸海空自衛隊はこの共同作戦計画を前提に、毎年度の日本防衛計画である「年度防衛警備計画」(年防)を策定してきた。
一方、米側は、こうしたソ連軍による直接の日本侵攻よりも、朝鮮半島有事が日本に波及する事態の可能性が大きいと見て、その検討を優先するよう強く求めた。だが、日本側は「集団的自衛権の問題に踏み込む恐れがある」と主張し、具体的な検討には至らなかったという。
共同作戦の指揮権については、日米双方とも「統一指揮が望ましい」という点では一致したが、どちらも相手の指揮下に入ることを望まず、この点は作戦計画に明記されなかった。
日米の制服間による計画づくりは米側の主導により、日米安保条約(旧安保条約)が結ばれた翌年の52年から始まった。自衛隊の前身である保安隊の時代だった。54年に自衛隊が誕生し、翌55年に最初の計画が陸上幕僚監部と在日米陸軍司令部によって完成。57年から陸海空を統合する形で、統合幕僚会議と在日米軍司令部の間で作られるようになった。
日米ともに政府レベルでの承認は正式に行われなかった。米側は政府承認を求めたが、日本側が「難しい」と拒否したためだ。米太平洋軍司令部の報告書には「極めて微妙な政治問題であるため、自衛隊の担当者は政府の承認を得ることに消極的だった」とある。
しかし、70年代に入って、米政府は世界規模で各国との共同作戦計画の見直しを行い、日本との作戦計画の政治的位置づけのあいまいさに着目。政府承認を強く求めた。この結果、75年に坂田道太防衛庁長官とシュレジンジャー米国防長官の間で、「作戦協力」の協議開始で合意。78年に計画作りの指針である旧ガイドラインが出来た。

◇      ◇
〈旧ガイドラインと日米共同作戦計画〉 日米両政府が78年、日本が武力攻撃を受けた際などの防衛協力や任務の分担などを明確にした指針。これにもとづいて、改めて「共同作戦計画」の研究が日米制服間で始まり、84年に北海道侵攻を想定した作戦計画「5051」、95年に中東などの有事波及を想定した同「5053」が完成。いずれも防衛庁から首相に報告された。
旧ガイドライン以前に共同作戦計画が作られていたのではないかという疑惑は、65年と75年の衆院予算委員会で、岡田春夫議員(社会党)が64年ごろの防衛庁文書と見られる共同作戦計画「フライングドラゴン」の関連文書を示して追及した。防衛庁側は「共同作戦計画はない」「幕僚レベルの研究はしている」などと否定していた。(朝日新聞 2004/07/01)

平和シンボルに昭和天皇を利用 開戦半年後、米国が計画
「象徴」記述 半年早まる 米機密文書から確認 一橋大教授
米国が太平洋戦争開戦からわずか半年後の1942年6月、情報工作の一環として昭和天皇を「平和のシンボル(象徴)として利用する」との計画を立てていたことが、CIA(中央情報局)の前身であるOSS(戦略情報局)の機密文書で明らかになった。
専門家によると、米国の公文書が天皇を「象徴」と初めて表現したのは、これまで確認された中では同年12月で、この史料が最も早い時期に当たるという。
マッカーサー将軍がこの計画を知っていたことを示す文書も併せて見つかり、戦後日本の象徴天皇制の起源を解明する上で極めて重要な手掛かりとなりそうだ。
一橋大の加藤哲郎教授がワシントンの米国国立公文書館で、2001年に解禁されたOSS史料の中から発見した。
42年6月3日付で陸軍省心理戦争課の大佐が起草した「日本計画(最終草稿)」と題する文書で、抜粋が3ページ、本文が32ページ。連合軍の軍事戦略を助けるための、日本に対するプロパガンダ戦略を提言した内容。
抜粋では「日本の軍事作戦を妨害し日本軍の士気をくじく」など4つの政策目標を設定。それらを達成する11の宣伝目的の中に「日本の天皇を、慎重に名前を挙げずに平和のシンボルとして利用すること」と明記。
本文では「天皇は西洋の国旗のような名誉あるシンボル」だとし「軍当局への批判の正当化に用いることは可能であり、和平への復帰の状況を強めることに用いることもできるだろう」と記されている。
戦後、日本占領の統治者となるマッカーサー将軍が連合軍の司令官として、42年8月5日付で「日本計画」に寄せたメモも見つかった。
加藤教授の論文は雑誌「世界」(12月号)に掲載される。(中日新聞 2004/11/07)

対外情報機関設置を提言 有識者懇、英MI6「参考」に
今年4月から協議を続けてきた町村外相の私的懇談会「対外情報機能強化に関する懇談会」(座長・大森義夫元内閣情報調査室長)が報告書をまとめ、外相に提出した。英国の秘密情報機関「SIS」を念頭に「特殊な対外情報機関」を外相の下に設置するよう求めている。
現在、外務省では、国際情勢に関する情報の収集と分析、調査のために国際情報統括官をトップとする組織があり、各地の大使館員らが日々の活動を通じて情報収集する体制になっている。
報告書は、現状について「不十分と言わざるをえない」と指摘。専門的な教育や訓練を受けた「情報担当官」を大使館などに配置し、「情報収集活動に特化した活動を組織的に行っていく必要がある」と提言している。
さらに、「場合によっては通常の外交活動と相いれないものがある」と踏み込み、「特殊な対外情報収集活動を行う固有の機関」を外相の下に置くのが妥当だとしている。この中で、英国の秘密情報機関「SIS」にも言及し、「わが国としても参考になる」と位置付けている。
SISは「MI6」とも呼ばれる秘密情報庁で、機構上は外相のもとに置かれている。海外でのスパイ活動などを展開していると見られるが、活動内容の詳細は不透明な部分が多いとされる。
また、報告書は、国内の法制度についても「秘密保全に関する法体系が未整備」と批判。「秘密に接する者」を対象に「法的義務を課す制度の確立」などを提言した。
懇談会は、拓殖大海外事情研究所の森本敏所長や江畑謙介客員教授ら5人で構成されている。(朝日新聞 2005/09/14)

冷戦末期の対日政策、機密文書判明
【ワシントン=松川貴】ジョージ・ワシントン大学が主宰する研究機関「ナショナル・セキュリティー・アーカイ」は14日、米情報公開法に基づき1977年から92年の対日政策などについて、1750件、8000ページ以上に及ぶ機密文書を入手したことを明らかにした。この中で、日本の軍事力強化に対する米国の働きかけの一端が機密メモから明らかになった。
このメモは、ワインバーガー国防長官がレーガン大統領にあてた81年4月20日付の「鈴木(善幸)首相との会談での日本の防衛努力に対する話のポイント」。
同長官は大統領に対して「弾薬、ミサイル、魚雷などの重要品目の購入のために、81年予算で、大幅な追加上積みについて考えるように求める」と、日米首脳会談で話すようにアドバイス。そのうえで「日本の防衛(力)は自由世界にとって非常に重要である」と説得するように求めている。
さらに「北西太平洋で、海と空の防衛能力をこの10年以内にほぼ倍増させることだ」とし「フィリピンの北からグアムの西までの輸送航路を守る自衛隊力を意味する」と鈴木首相に話すように助言している。
また北朝鮮の核問題について、91年11月18日付ベーカー国務長官がチェイニー国防長官に送った公電で「日韓に同じ政策を維持させることが重要で、その仲介のため、われわれは重要な役割を演じるだろう」と前置き、「日本は北朝鮮に経済的てこ入れが可能で、韓国はそれが効果的に運用されることを望んでいる。しかし、日本に対する南北の厳しい歴史は政策調整を阻害するだろう」と分析。
この分析は現在に至る核問題での日米韓の共通政策の難しさを予言したともいえる。
今回の文書はカーター、レーガンからブッシュ現大統領の父親のブッシュ政権までをカバー。同アーカイブは「湾岸戦争や北朝鮮の核問題から貿易、通貨問題の核心部分に、どうやって日本を巻き込むかということを含め、冷戦末期に米国が、世界戦略を構築する苦闘が読み取れる」としている。(東京新聞 2005/12/16)

CIA:日本の左派勢力の弱体化狙い秘密資金工作
米中央情報局(CIA)が1950年代から60年代半ばにかけ、日本の左派勢力を弱体化させ保守政権の安定化を図るために、当時の岸信介、池田勇人両政権下の自民党有力者に対し秘密資金工作を実施、旧社会党の分裂を狙って59年以降、同党右派を財政支援し、旧民社党結党を促していたことが18日、分かった。
国務省が編さん、同日刊行した外交史料集に記された。編さんに携わった国務省担当者は共同通信に対し「日本政界への秘密資金工作を米政府として公式に認めるのは初めてだ」と語った。
米ソ冷戦の本格化や共産中国の台頭で国際情勢の緊張が高まる中、米国が日本を「反共のとりで」にしようと自民党への財政支援に加え、旧社会党の分断につながる工作まで行っていた実態が裏付けられた。日本の戦後政治史や日米関係史の再検証にもつながる内容だ。
ニューヨーク・タイムズ紙は94年、マッカーサー2世元駐日大使の証言などを基に、CIAが自民党に数百万ドルの資金援助をしていたと報じたが、当時の自民党当局者は「聞いたことがない」としていた。(共同)(毎日新聞 2006/07/19)

資金提供で親米政権安定化…CIAの対日工作明らかに
【ワシントン=貞広貴志】米国務省は18日、米中央情報局(CIA)が1958年から10年間にわたり自民党や旧社会党右派の有力政治家への秘密資金提供などを通じ、親米・保守政権の安定化と左派勢力の抑え込みに向けた工作を実施していたとの記述を盛り込んだ外交資料集(1964~68年)を刊行した。
国務省が編さんしたもので、資料によると、CIAの秘密工作には<1>自民党主要政治家への財政支援と選挙アドバイス<2>親米で「責任ある」野党育成に向けた野党穏健派の分断工作<3>極左勢力の影響力排除のための広報宣伝活動<4>同様の目的による社会各層の有力者に対する「社会活動」──の4種類があった。
資料は具体的な政党名など固有名詞には言及していないが、このうち<1>はアイゼンハワー政権が58年5月の総選挙を前に「数人の主要な親米・保守政治家に限られた額の財政支援」を行ったのが始まりで、当時の岸信介政権の自民党有力者に渡ったものと見られる。受け取った政治家には、「米実業家からの支援」と伝えられた。<2>も同じアイゼンハワー政権下の59年に始まり、年間7万5000ドル程度を継続拠出、旧社会党右派に民主社会党結成(60年)を促す工作などに使われた模様だ。(読売新聞 2006/07/19)

CIAが左派弱体化へ秘密資金 50-60年代、保革両勢力に
【ワシントン=共同】米中央情報局(CIA)が1950年代から60年代にかけて、日本の左派勢力を弱体化させ保守政権の安定化を図るため当時の岸信介、池田勇人両政権下の自民党有力者と、旧社会党右派を指すとみられる「左派穏健勢力」に秘密資金を提供、旧民社党結党を促していたことが18日、分かった。
同日刊行の国務省編さんの外交史料集に明記された。同省の担当者によると、日本政界への秘密工作を米政府として公式に認めたのは初めて。
米ソ冷戦が本格化した当時、日本を反共の「とりで」にしようと、自民党への支援に加え、左派勢力を分断する露骨な内政干渉まで行った米秘密工作の実態が発覚。日本の戦後政治史や日米関係史の再検証にもつながる重要史実といえそうだ。
同省刊行の史料集「米国の外交」第29巻第2部によると米政府は58-68年「日本の政治動向への影響を狙った4つの秘密計画」を承認。アイゼンハワー政権は58年の総選挙前に「数人の親米保守の有力政治家」への資金提供を行うことをCIAに認めた。
資金提供を受けた政治家には「米ビジネス界からの支援」との説明がなされたという。依然機密扱いの公文書を基に書かれた史料集は額や個人名を明かしていないが「適度の資金援助」が60年代も続いたとしている。
またCIAは59年以降「左派穏健勢力」を社会党から分断し、「より親米で責任ある野党」の出現を目指した「別の秘密計画」を展開。民主社会党(後の民社党)が誕生する60年には、計7万5000ドルの資金援助を行い、秘密工作が打ち切られる64年まで同額程度の支援が続けられた。
米紙は94年、米元高官の証言を基に、CIAが自民党に数百万ドルの資金援助をしていたと報じたが、当時の自民党首脳は否定。米政府が秘密工作を公式に認めたことで、同党の説明責任が問われるのは必至だ。

戦略的重要性示す

田中明彦・東大教授(国際政治)の話 米国は、冷戦によって、日本を何としても戦略的に確保しなければならないということになった。(米ソ両陣営が)特に戦略的に重要だとみた国で、国内勢力にいかに浸透していくかという争いでもあった。ソ連側からも日本の左派への資金援助もあったと言われているし、冷戦という国際的な競争環境の中での、日本の戦略的重要性を物語っている。(工作が始まった時期は)岸元首相が日米安保改定に向かう中、左派の動きも強くなっていたから、米国側に引き留めるために資金援助したのだろう。今までは政治的な配慮で公開していなかっただけで、この時期のことが「歴史」になってきたということが(公開の)背景にあると思う。(中日新聞 2006/07/19)

戦後に「新日本軍」計画 旧軍将官ら立案
吉田首相が拒否?幻に 米公文書で判明
【ワシントン=共同】旧日本軍幹部が太平洋戦争後の1950年前後、「新日本軍」に相当する軍組織の設立を独自に計画していたことが20日、機密指定を解除された米公文書で判明した。構想は連合国軍総司令部(GHQ)の了解の下で進み、河辺虎四郎元陸軍中将(故人、以下同)らが立案。最高司令官には宇垣一成元大将(元陸相)を想定しており、当時の吉田茂首相にも提案していた。
戦後史に詳しい複数の専門家によると、服部卓四郎元陸軍大佐ら佐官クラスの再軍備構想は知られているが、河辺氏ら将官級による新軍構想は分かっていなかった。毒ガス隊など3部隊の編成を目指した河辺氏らの構想は最終的に却下され「幻の計画」に終わった。
文書は、GHQや中央情報局(CIA)の記録を保管する米国立公文書館で見つかった。
河辺氏の経歴や活動を伝える秘密メモによると、河辺氏は警察予備隊発足前の50年2月ごろ(1)毒ガス隊(2)機関銃隊(3)戦車隊-からなる近代装備の「警察軍」構想を立案。
51年に入ると宇垣氏を「最高司令官」に、河辺氏を「参謀総長」に充てることを「日本の地下政府が決定した」と記載している。
「地下政府」は、公職追放された旧軍幹部らが日米両当局にさまざまな影響力を行使するためにつくったグループを指すとみられる。
秘密メモはまた、吉田首相が河辺氏らの構想を「受け入れている」と明記。構想を米側に説明するため、河辺、宇垣両氏らの訪米も検討していたと記している。
しかし河辺氏らの構想は採用されず、GHQのマッカーサー最高司令官は朝鮮戦争発生直後の50年7月に陸上自衛隊の前身である警察予備隊の創設を指示。再軍備を通じた旧軍将官の復権は実現しなかった。専門家は、旧軍色を嫌った吉田首相が河辺案を拒否したと分析している。

宇垣氏の名利用か

秦郁彦日大講師(日本現代史)の話 旧軍人の再軍備計画で圧倒的に有名なのは服部卓四郎元陸軍大佐のもの。宇垣一成元陸軍大将の名前が戦後にも取りざたされていたというのは初耳だ。戦時中はいつも東条英機元首相の対抗馬として担がれそうになったのが宇垣氏で「陸軍をまとめるのは宇垣しかない」という待望論があった。河辺虎四郎元陸軍中将は宇垣氏の知名度を利用しようとしたのかもしれない。

河辺虎四郎氏(かわべ・とらしろう) 1890年9月、富山県生まれ。陸軍大学校卒。ドイツ大使館付武官などを経て参謀次長。陸軍中将。終戦時に降伏条件協議のためマニラに飛んだ。終戦後に連合国軍総司令部(GHQ)歴史課に勤務。旧日本軍幹部による秘密情報機関「河辺機関」を率いた。1960年6月死去。

宇垣一成氏(うがき・かずしげ) 1868年8月、岡山県生まれ。陸軍大学校卒。陸軍省軍務局軍事課長などを経て、1924年に陸相就任、25年に大将。陸軍の装備近代化を進めた。38年に外相。終戦後の53年、参院選で全国区最高点当選を果たした。56年4月死去。(中日新聞 2006/08/21)

新日本軍構想 米利用 復権狙う 旧軍幹部らが「地下政府」
【ワシントン=共同】連合国軍総司令部(GHQ)の資金提供で反共工作に従事した旧日本軍幹部が、独自の再軍備計画を練っていた新事実が20日、判明した。終戦時に参謀次長だった河辺虎四郎元陸軍中将が、宇垣一成元陸相をトップに担ごうとした幻の「新日本軍構想」。米公文書からは、冷戦や朝鮮戦争を受けて日本を「反共のとりで」にしようとする米国を利用し、復権を図ろうと暗躍した旧軍幹部の姿が浮かび上がる。
「宇垣一成が率いる日本の地下政府」「日本の地下政府の情報部門であるKATO機関」
GHQの情報部門、参謀2部(G2)が集めたとみられる情報を記す秘密メモには「日本の地下政府」という言葉が何度も登場する。「KATO機関」の別名を持つ河辺氏の反共工作組織「河辺機関」が「地下政府」と呼ばれる旧軍幹部らの集団の一翼を担い、米側とのパイプ役を務めていたことが読み取れる。
1951年5月の秘密メモ「日本の情報機関グループと日本の国家的復活」は「明確な形で全能の政府が存在するわけではない」としながらも48年以降、公職追放になった旧軍幹部らが「地下政府」を組織していた経緯を説明。
宇垣氏に加え、首相経験者の若槻礼次郎、岡田啓介両氏や、宇垣氏を首班とした軍部独裁政権を樹立しようとした31年のクーデタ一未遂事件「3月事件」に参画した国家主義者の大川周明氏らが「地下政府の完全な実権」を握ろうと動いたと伝えている。
「河辺機関」の活動を通じてG2のウィロビー少将と関係を深めた河辺氏は、吉田茂首相のブレーンも務めた辰巳栄一元中将らとともに宇垣氏に接近。「陸軍のまとめ役として待望論が根強かった」(秦郁彦・日大講師)宇垣氏を最高司令官とし、自身は参謀総長に就任する形で旧軍の復活を狙ったとみられる。
終戦前、何度も首相候補に挙がり「宇垣軍縮」で陸軍の近代化を図った宇垣氏は、53年参院選で全国区最高点で当選する。知名度抜群で人望もあった宇垣氏を担いだ新軍構想は、旧軍幹部から見れば筋の悪い話ではなかったようだ。しかし軍人嫌いで知られる吉田首相と、日本の国家主義の台頭を警戒する米当局の抵抗に遭い、挫折したとみられる。(中日新聞 2006/08/21)

「日本版CIA」検討 安倍氏
≪首相直轄で情報力強化≫
安倍晋三官房長官が、次期首相就任を見据え、首相直轄の「対外情報機関」を創設し政府のインテリジェンス(情報・諜報(ちょうほう))機能の強化を検討していることが23日、明らかになった。「対外情報機関」は「日本版CIA」ともいえるもので、日本が自前の情報をもたなければ外交・安保政策は立ちゆかず、国と国民の安全、国益を確保することはできないとの問題意識がある。
政府には現在、警察庁、公安調査庁、内閣情報調査室などの情報部門がある。しかし、国内の治安情報の収集、分析に重点が置かれ、対外情報の収集は諸外国に比べ人員、権限とも極めて脆弱(ぜいじゃく)で「戦後日本がもっとも軽視してきた分野」(自民党幹部)だといえる。
検討されているのは、「対外情報機関」を内閣官房に置き、国内外で国際テロ情報、外国の政治、軍事情報の収集活動にあてる。米中央情報局(CIA)や英対外情報部(MI6)など各国の情報機関とも、情報交換をはじめ連携する体制を構築。要員は警察、防衛両庁や内閣情報調査室、外務省、民間から優秀な人材を登用する。
現行の次官級の「内閣情報官」を官房副長官級へ格上げし、「対外情報機関」や情報を評価、分析するスタッフである「情報補佐官」を指揮。重要な情報は首相へ直接、報告を上げるシステムへ改善し、関係各省庁による「内閣情報委員会」も新設し政府の「インテリジェンス・コミュニティー」を確立する。
安倍氏は自民党幹事長時代の平成16年、雑誌「正論」7月号で「国家戦略としての情報活動の重要性にいま一度目を向け、その機能を向上させなければならない」との考えを示している。今年3月には、「内閣情報官」に警察庁の三谷秀史外事情報部長(当時)を抜擢(ばってき)し、「安全保障や有効な外交を展開するためには情報収集能力が極めて重要だ」と強調した。
自民党は6月、「国家の情報機能強化に関する検討チーム」(座長・町村信孝前外相)が、「対外情報機関」「内閣情報委員会」の創設などを提言しており、安倍政権が誕生すれば、これをたたき台に年内にも政府のインテリジェンス機能強化に着手するとみられる。(産経新聞 2006/08/24)

防衛庁:米国に事務所を新設方針 軍事情報専門、大使館から独立
防衛庁は米情報機関との連携を強化するため、ワシントンに日本大使館から独立した情報専門の連絡事務所を新設する方針を固めた。防衛政策局幹部を年内にワシントンに派遣して事務所設置の作業に着手、年明けからの活動本格化を目指す。
これまでも防衛庁は米情報機関との間で情報を交換しており、7月の北朝鮮による弾道ミサイル発射の際にも衛星写真、北朝鮮軍の交信記録などを共有した。
しかし、米側の分析手法は格段に専門性が高くなっており、政府内には「何か起きた時に危機対応的に情報を共有するだけでは不十分」との指摘があった。また、出身省庁別に担当を分担する日本大使館の体制では連携が取れないケースも目立ち、防衛庁は軍事情報専門家による恒常的な連絡窓口が必要と判断した。
防衛庁が連絡事務所の主な相手先に想定しているのは、国防総省国防情報局(DIA)。DIAは物理・化学分析による計測情報が専門でスパイ組織も保有、国防総省管轄下の情報機関の束ね役の役割も担う。さらに、電波情報の国家安全保障局(NSA)、画像情報の国家地空間情報局(NGA)との連携も視野に入れている。【古本陽荘】(毎日新聞 2006/09/17)

ライシャワー勧告で中止 自民党への秘密資金工作
【ワシントン23日共同】1950年代後半から60年代にかけ、日本の保守政権安定と左派の弱体化を狙って自民党有力者らに資金を提供していた米中央情報局(CIA)の「秘密資金工作」は、工作発覚により日米関係に重大な支障が出ることを懸念した故ライシャワー駐日大使(当時)の勧告を受け、中止が決まったことが23日、分かった。関連文書の内容を知る米政府高官が共同通信とのインタビューで語った。
自民党有力者と、旧社会党右派を指すとみられる「左派穏健勢力」に秘密資金を提供していた同工作をめぐってはことし7月、国務省刊行の史料集「米国の外交」で存在が確認された。しかし関連文書は公開されていないため、中止に至る経緯は分かっていなかった。
高官はまた、米政府が秘密工作の中止に至る経過を伝える公文書3点の開示が、在日米大使館とCIAの反対で見送られたことを明らかにした。開示に踏み切った場合の日米関係への影響を危惧したとみられる。
高官によると、ライシャワー大使は64年1月、国務省の要請を受け、秘密資金工作に関する意見を伝達。(1)日米関係が成熟し、親米政治家への資金提供の必要はなくなった(2)工作発覚時のダメージが大きい-ことを理由に中止を勧告した。
高官は、ジョンソン米政権が最終的に工作中止を決める際、この勧告が「非常に決定的だった」と解説した。
今年7月に国務省が出した「米国の外交」第29巻第2部「日本」は、秘密工作に関するライシャワー氏のホワイトハウスあて書簡など関連公文書を掲載せず「編集者による注釈」として秘密工作の概要だけを説明した。

<エドウィン・ライシャワー氏> 米ハーバード大教授を経て日米安保条約改定後の1961年、ケネディ政権下で駐日大使に着任。沖縄返還交渉などに携わり、66年まで大使を務めた。東京で生まれ16歳まで日本に滞在、米国でも有数の知日派で日本研究者。沖縄返還の早期実施の必要性など米政府の重要決定に影響を与えた。大使離任後はハーバード大に戻り、日米友好に貢献。81年に「核を積んだ米艦船が日本領海を通過・寄港している」と発言、反響を呼んだ。90年9月に79歳で死去。

<対日秘密資金工作> 米紙ニューヨーク・タイムズは1994年、マッカーサー2世元駐日大使の証言などを基に、中央情報局(CIA)が50-60年代に自民党に数百万ドルの資金を援助していたと報じ、自民党は否定した。その後、岸信介政権への支援の重要性を指摘する米秘密公電などが見つかったほか、選挙資金援助の秘密工作に関与する特別グループが58年に設置されたことが判明した。96年には、65年の沖縄立法院選でCIAから自民党を経由した秘密資金援助計画が策定されていた事実も発覚した。(共同通信 2006/11/23)

軍事情報収集を一元化 協力者獲得やメディア戦略 来月、陸自に新隊
自衛隊の海外派遣や有事に備え、情報収集機能を一元化するために3月発足する陸上自衛隊の中央情報隊(約600人)の全容が5日、明らかになった。新設する「現地情報隊」は、海外派遣先で住民の協力者を獲得するとともに、地元メディアと友好的な関係を築いて情報発信に利用する。
中央情報隊は防衛相直轄で、隊本部(約50人、隊長は陸将補)は防衛省のある東京・市谷に設置。指揮下には、現地情報隊、基礎情報隊、地理情報隊、情報処理隊が置かれる。
朝霞駐屯地(東京都、埼玉県)の現地情報隊(約50人)は、海外派遣命令が出た際に現地入りする陸自先遣隊に同行。派遣先の住民を協力者にしてヒューミント(人的情報)ネットワークを構築するとともに、多国籍軍や治安・警備機関からテロなどの脅威情報を収集する。
また、メディアを通じて陸自活動に理解を求める戦略を実施。活動を住民がどう評価しているかも調査する計画だ。隊長には2等陸佐を充てる。
東京・市谷の基礎情報隊(約100人)は既存の中央資料隊を再編。公刊物などから国際貢献で派遣される際に必要な現地情報を収集するのに加えて、朝鮮半島有事などを想定した陸自の対テロ・ゲリラ戦闘上必要な軍事データ集めを強化する。
東京都立川市の地理情報隊(約360人)は既存の中央地理隊で、国内外の地図・画像情報のデータを収集する。市谷の情報処理隊(約40人)は新設部隊で、各部隊が集めた情報をデータベース化する。
中央情報隊は海外派遣や「周辺事態」に即応するため3月に発足する中央即応集団(約4100人)と緊密に連携。同集団指揮下の対テロ・ゲリラ専門部隊の特殊作戦群(千葉県・習志野駐屯地)や中央即応連隊(約700人、栃木県・宇都宮駐屯地)を情報面で支える。(中日新聞 2007/02/05)

旧日本軍幹部利用の工作失敗=情報不正確、中共浸透も-CIA文書
【ワシントン25日時事】第2次世界大戦後の1940年代末から50年代初め、日本を占領統治した連合国軍総司令部(GHQ)が旧日本軍幹部らを利用して展開した情報収集活動や反共工作について、米中央情報局(CIA)が、大半はうまいかなかったと判断していたことが25日までに分かった。米国立公文書館の調査グループが、機密指定を解除されたCIA文書を基に報告書をまとめた。
報告書によると、49年、GHQ参謀2部(G2)の資金援助を受けて、「タケ・マツ作戦」と呼ばれる秘密工作が開始された。「タケ」は海外での情報活動、「マツ」は日本国内の共産勢力の情報収集を意味し、旧日本軍の河辺虎四郎元参謀次長や有末精三元参謀本部第二部長(いずれも故人)が主導した。
ソ連(当時)や中国、北朝鮮に絡む情報収集などを目的としていたが、CIAによると、提供された情報の多くは不正確で、作り話もあった。しかも「50年代初めまでに、有末氏のグループには、さまざまなレベルで中国共産党の工作員が浸透していた」とされる。(時事通信 2007/02/26)

CIA、故児玉氏を酷評・情報工作「役立たず」
【ワシントン=共同】右翼の大物、故児玉誉士夫氏らを使い、東西冷戦中に情報収集や反共工作を行った米中央情報局(CIA)が、児玉氏らを「役立たず」として酷評していたことが2005―06年に機密解除されたCIAの内部文書で分かった。AP通信が25日までに伝えた。
文書は児玉氏のほか、陸軍参謀だった辻政信元大佐の働きについても「人格、経験の両面でどうしようもない」と切り捨てており、日本での工作活動全般が期待通りの成果を挙げていなかったことをうかがわせている。
1951年の文書でCIAは、日本での協力者に関し「名声や利益を得るために情報を水増ししたり、完全にでっち上げたりすることがよくある」と指摘。ソ連のサハリンへの浸透工作を図るため、ボートの資金を与えた協力者がいなくなってしまった具体例などを記している。児玉氏については53年の報告書で「情報工作員としての価値はほぼゼロ」と断定。「プロのうそつきで悪党、ペテン師、大どろぼう。情報工作は完全に無理で金もうけ以外に関心がない」と散々な評価を加えている。(日本経済新聞 2007/02/26)

日米共同の戦争司令部
昨年2月横田に創設
日米両政府の在日米軍再編合意に基づく日米共同の戦争司令部である「共同統合作戦調整センター」(BJOCC)が、昨年2月に米軍横田基地(東京都福生市など)に創設されていたことが判明しました。同センターがすでに活動を始めていることは今年6月に在日米軍側が明らかにしていましたが、設置時期が分かったのは初めてです。
同センターの設置は、事実上、自衛隊が米軍の指揮のもとに置かれ、憲法違反の集団的自衛権の行使につながる重大な動きです。
在日米軍再編で日米両政府は、米軍と自衛隊のいっそうの一体化・融合を狙っています。その中核の1つが、米軍と自衛隊との“統合司令部”である同センターです。在日米軍再編の日米合意(2005年10月)で横田基地への設置が打ち出されていました。
米軍準機関紙「星条旗」11月17日付によると、同センターは、同基地の在日米軍司令部の地下施設に設置され、昨年2月実施の日米共同統合指揮所演習で活動を開始。昨年7月の北朝鮮のミサイル発射などにも対応しました。24時間態勢で運用され、最大で150人が12時間交代で勤務できます。11月実施の日米共同統合実動演習でも使用されました。
同センターの設置は、アジア太平洋地域を管轄する米太平洋軍の司令官や日本の軍事当局者と在日米軍司令官との意思疎通をよりよくするのが狙いとされます。刻々と新しい戦況情報が送られてくる「危機行動チーム」のメーンフロアでは、それぞれの部署に米陸・海・空軍、海兵隊の兵士らとともに、それに対応した各自衛隊の兵士が配置されます。
在日米軍再編では、「ミサイル防衛」などを担う航空自衛隊航空総隊司令部(東京都府中市)が、10年に横田基地に移設される計画です。同基地に建設される航空総隊の新しい建物は、BJOCCとトンネルで結ばれる予定だとされています。(しんぶん赤旗 2007/12/01)

【日本共産党】 一水会からのメモ

 たまたま最近出会ったある議員から、内部文書を見せてもらう事がありました。今年の1月21日に全国都道府県財政部長会議が開かれ、浜の副委員長が党費納入問題について語っています。

それによると、昨年の年間党費納入率は63.9%。党費を納めているのは全体の6割であり、4割は未納です。公称40万人の党員数が本当だとしても、24万人しか実際に党費を払っていない計算になります。特に東京、愛知は6割にも満たないと指摘されています。

党費は収入の1%とされ、月給30万円とすれば月額3千円、収入の低い人は月額1千円、また党費免除というケースもありますが、払えない額ではありません。しかし、その党費ですら払わない実情がある。党費を払わないという事は活動に参加していないという事と同じです。この数字から推測するに、実際の共産党の活動党員は20万前後ではないかと思います。

しかし、ここ1年間はメディア報道にある様に。毎月千人以上新入党員が増えている。今年の会議では入党者2千人突破を目指そうとある。しかし、本来なら新入党員が増えているなら、党費も増えるはずです。わざわざ共産党に入るくらいだから、積極的に活動するだろうと思いますが、実際新入党員の多くが、党費も払わないし、赤旗すら読みません。つまり議員から世話になって入党申込書に名前は書くものの、ほとんど活動しないというのが実態です。そういう党員が増えている事実も、この党費納入率の数値から伺う事ができます。

またこの会議では、福井県の党組織が納入率を上げるべく活発な活動を続け、全国の教訓にしようと言われていますが、先月未納の党員に今月納入してもらうよう確認させる事に取り組んだと言う。こんな事は昔ならやりもしませんでした。党員が党費を集めないで、どうやって支持者にカンパを貰いに行ったり、赤旗購読者を増やしたり、選挙の協力を得られるのでしょうか? 党費集めに党の機関がこんなに苦労している様では、それだけで疲れ果ててしまい、党活動も外には向かえないでしょう。私が入党した当時(40年以上前)、党費納入率は100%が当たり前でした。革命政党・前衛政党である共産党が党内で党費を集められないのなら、どうやって労働者を指導できるのでしょうか?



創価学会は、先の都議選で全国から信者を動員、前回の議席を確保したが、共産党は東京の基盤が党費を払えない幽霊党員ばかりだったものだから、結果大幅に議席を減らしてしまった。

『蟹工船』ブームで若者の入党が多くなっているというプロパガンダを共産党は行っているが、実態は「派遣労働相談や生活保護相談」で世話になった共産党議員の後援会に入会した感覚の党員が多いのが実態なのだろう。
これでは彼らに運動の先頭を切るような期待をすることは無理だ。

悲しいかな60代が中心となって選挙運動を展開しているというのが共産党の現実だ。

【テレビ番組】 サンデープロジェクト」

 テレビで選挙に向けた激しいイデオロギー戦が展開されている。と言うより、経団連側からの一方的で攻撃的なプロパガンダが政治番組の視聴者にゲリラ豪雨のように集中散布されている。

昨日(7/26)のテレ朝「サンデープロジェクト」で行われた労働者派遣法改正に対する反動プロパガンダも凄まじかった。報道の中立性など最初から寸毫もなく、選挙後に与党となる現野党が取り纏めた改正案に対する糾弾が、田原総一郎と財部誠一と城繁幸によって徹底的に加えられるだけの内容になっていた。

スタジオに揃えた与野党の出演者は名目に過ぎず、現に与野党間での派遣法の討論場面は全くと言っていいほどなかった。自民党の石原伸晃と公明党の石位啓一はただ座っているだけで、討論の応酬は田原・財部・城のサンプロ側3人対野党4人の間で行われているのである。

問題提起を田原総一朗がして、主張は財部誠一がやり、民主党の松本剛明が反論を始めると途端に田原総一朗が遮って最期まで議論をさせず、財部誠一に振って反論をさせ、城繁幸に纏めさせる。

番組が視聴者に示した討論の結論は、
①派遣法改正をすれば日本の製造業は完全に空洞化すること、
②派遣法改正は日本経済にとってカントリーリスクであること
③非正規労働者が増えた責任はすべて連合にあること、だった。

民主党の「消費税増税4年間凍結」の政権公約は、テレビに登場する幹部たちの発言、特に岡田克也の曖昧な応答や、藤井裕久の「増税前倒し確約」発言によって次第になし崩しにされ、確固たる公約の信頼性を失いつつあります。

この状況を見ると、果たして民主党が労働者派遣法を改正して製造業派遣の規制に踏みこむ意思があるのか、大いに疑わしくなります。
無論、何度も言うように、今回の野党案そのものは事実上「骨抜き」で、登録型派遣を全面禁止する内容では毛頭なく、登録型の規制と言えるかどうかも怪しいのですが。

「サンデープロジェクト」を見ていると、経団連の指令を受けたマスコミは、すでに自民党の政権維持は諦めて、票を自民党に誘導するのではなく、政権を獲得する民主党の政策を選挙前の現在のものから経団連のマニフェストと同じ内容に転換させるべく揺さぶりをかける戦術にシフトしているようです。
その最大の標的が消費税増税で、告示前にマスコミ各社は、「4年間増税凍結の是非」とか、「民主党の4年間凍結は現実的か」を問う世論調査の波状攻撃に出るのではないでしょうか。
民主党の中でも新自由主義者の岡田克也は即増税派です。

記事に書きましたが、討論の最中、田原総一朗は、「連合っていうどうしようもない組織」が本来はクビにできる正社員を守っているために、年功序列の高い賃金が維持されているのだと暴言を吐きました。
この発言に対して連合は抗議をしないのでしょうか。番組では、松本剛明も辻元清美も黙って素通りさせていました。これは麻生首相の高齢者侮辱発言と同じかそれ以上に悪質で異常な暴言であり、中立であるべき報道番組のキャスターとして、特に選挙前の放送という状況や立場を考えれば、「政治的公平」を定めた放送法上も看過できない行為だと思われます。

現在、テレビでは自治労や日教組は「反日左翼」のレッテルが公然と貼られて、特に民報の政治番組の出演者から当然のように悪罵され排斥される政治対象となっていますが、世論調査でも民主党支持者が自民党支持者を追い抜き、連合の支持と支援を受けた民主党政権が誕生するかという現在、果たしてこのマスコミの「常識」や報道姿勢はそのまま放置されていいのでしょうかね。

少なくとも、この選挙の後は、過激な反共新自由主義者である城繁幸や財部誠一が報道番組の解説席に座って「中立」を偽装する図はなくなるように、テレビの世界も変わって欲しいものです。