2009年6月11日木曜日

【西松事件報告書】政治・検察・報道のあり方に関する第三者委員会



2009.6.10 19:42
            政治資金問題を巡る

    政治・検察・報道のあり方に関する第三者委員会

             報 告 書

          2009年6月10日

【目次】

はじめに 当委員会の目的と課題

第1章 検察の捜査・処分をめぐる問題

第2章 政治資金規正法のあり方について

第3章 検察・法務省のあり方について

第4章 報道のあり方について

第5章 政党の危機管理の観点からの分析

第6章 政治的観点から見た民主党の対応

おわりに

(補論)本件政治資金問題に関連する法解釈及び事実関係についての検討結果

【委員一覧】

飯尾潤(座長) 政策研究大学院大学教授

郷原信郎(座長代理) 名城大学教授、弁護士

櫻井敬子 学習院大学教授

服部孝章 立教大学教授

(敬称略、順不同)

はじめに 当委員会の目的と課題

 2009年3月3日、東京地検特捜部は、民主党の小沢一郎前代表の資金管理団体「陸山会」に関する政治資金規正法違反事件の強制捜査に着手した。小沢氏の公設第1秘書で陸山会の会計責任者の大久保隆規氏が、2003年から2006年までの政治資金収支報告書に、西松建設からの政治資金の寄付を「新政治問題研究会」などの政治団体からの寄付である旨の虚偽の記入を行った政治資金規正法違反の事実で逮捕され、同日夕刻から陸山会事務所などの関係箇所に対して捜索が行われた。

 これについて、民主党の鳩山由紀夫幹事長(当時)は、捜査について批判的なコメントを行い、小沢氏は、翌3月4日に記者会見を行って、「衆議院総選挙が取りざたされているこの時期に異例の捜査が行われたことは、政治的にも法律的にも、不公正な国家権力、検察権力の行使」と強く批判した。これに対して、報道からは、連日、小沢氏の政治資金をめぐる「疑惑」が大々的に報じられた。

 また、3月24日、大久保氏は逮捕事実とほぼ同じ同法違反の事実で起訴されたが、同日夜、小沢氏が民主党代表を続投する方針を表明したことに対して、小沢氏を批判する報道が集中し、「説明責任を果たしていない」「世論調査の結果『辞任すべきだ』との意見が6 割を超えている」などの理由で、小沢氏の辞任論が展開された。つまり、事件の位置づけに関して、民主党執行部の意見と、報道などから示される主流的な論調とが、真っ向から対立する図式となったのである。また、検察の捜査については、有識者などから、法律解釈、重大性・悪質性の問題、強制捜査のあり方などについて、少なからぬ疑問点が指摘された。

 こうした中で、民主党は、上記の政治資金をめぐる問題が、「政治的側面に留まらず、政治資金規正法の解釈、それを前提とした検察官僚や報道のあり方など、検討すべき角度が多岐にわたり」、「党代表がかかわる問題であるため、党内の議論だけでは議論が偏向してみられる恐れもある」として、党外の議論に委ねる方針を立てた(この点については、報告書をまとめる過程で、民主党に確かめた)。そして、上記政治資金問題をめぐる政治・検察・報道のあり方に関し、各分野の専門家が自由闊達に議論し、個々の問題点について「客観的かつ公正な見解を示す」党から独立した第三者機関を設けることとし、4月3日に鳩山幹事長(当時)から、「有識者会議」の設置が発表された。

 それを受けて、4月11日に発足したのが当委員会である。委員会発足にあたって、委員会の独立性・客観性を重視する観点から、議論すべき点、議論の方向性などは民主党側からは明確には示されなかったため、4月11日の初回会合では、委員会の目的自体について議論するところから活動を始めた。

 そこで、健康上の理由で欠席した服部委員を除く3 委員で「当委員会は、民主党小沢代表(当時)秘書の政治資金規正法違反事件に関する小沢代表(当時)および民主党の対応、説明責任について検討するとともに、政治資金問題をめぐる検察およびメディアのあり方について議論を行うことを目的とする」こととし、名称も「政治資金問題を巡る政治・検察・報道のあり方に関する第三者委員会」とした(なお、このことは、この後、服部委員から了解を取った)。また、事務局は、新日本パブリック・アフェアーズ株式会社が担当し、民主党から独立した第三者委員会として活動を続けてきた。

 また、民主党としても事態の把握に苦慮していることを踏まえ、当委員会の役割としては、事態の把握にかかわる論点の整理が重要であると考えた。そこで、当委員会の活動は、捜査機関ではない以上、個別具体的な事案の実態解明には限界があるので、むしろ、民主党が政党として取るべき対応を中心として、法的問題の整理も含め、関連する事項についての問題点を指摘することとした。

 問題は広く民主党の運営体制そのものにもかかわってくるが、代表の進退などに具体的な示唆を与えるような検討の仕方は避け、多角的な観点から、今回の事件および対応に関して、どのような問題点があるのかを検討した。

 検討の方法としては、本件に関する問題を全体的に検討するため、関連する事実の調査・確認、関係当局への書面による質問やヒアリング、ゲスト有識者との懇談・意見交換、当事者である小沢代表(当時)や民主党側を代表する鳩山幹事長(当時)などから書面による質問やヒアリングを行う一方、委員会内部において議論を重ねてきた。

 本報告書は、それらの議論・検討の結果を取りまとめたものである。

第1章 検察の捜査・処分をめぐる問題

 本章は、本件に関する真相究明を目的とするものではなく、第2章以下の検討の前提として、本件についての検察の捜査、処分をめぐる問題点を指摘することを目的とする。なお、本件に関する事実関係について、検察当局からは、公式の資料は公表されていないため、本章の記述は、すべて新聞などの報道によるものである。

 1・小沢氏秘書にかかる政治資金規正法違反の事実と問題点

 民主党代表であった小沢一郎氏の公設第1秘書の大久保隆規氏は、2009 年3月3日午後、東京地検の任意の事情聴取を受け、同日夕刻、政治資金規正法違反で逮捕され、引き続き拘置されて、3月24日に起訴された。

 逮捕・拘置事実は、小沢氏の資金管理政治団体「陸山会」の会計責任者としての大久保氏の、2003 年から2006年までの同団体の収支報告書についての虚偽記入の事実であり、西松建設のOBが代表者を務める「新政治問題研究会」「未来産業研究会」という2つの政治団体から総額2100万円の寄付を受けた旨の記載が、実際にはそれらの寄付が政治団体ではなく西松建設からの寄付だったとして、政治資金収支報告書の虚偽記入に当たるとされたものである(起訴事実では、上記政治団体から小沢前代表が代表を務める民主党岩手県第4区総支部への合計1400万円の寄付についての虚偽記入の事実が加えられ、虚偽記入にかかる金額は合計で3500万円となった)。

 東京地検の谷川恒太次席検事は、上記政治資金規正法違反の起訴を行った3 月24日、「ダミーの政治団体の名義を利用するという巧妙な方法により、多額の寄付を受けてきた事実を隠すため、という本件犯行の動機、犯行に至る経緯、犯行態様についての事情も考え合わせると、政治資金規正法に照らして看過しえない重大かつ悪質な事案と判断した」と述べている。

 そこで、問題となるのは、第1に、本件について政治資金規正法違反が成立するのか否か、第2に、仮に違反であるとしても、同法違反の罰則を適用すべき処罰価値ないし事案の重大性・悪質性が認められるのか、そして、第3に、被疑者を任意出頭当日に逮捕するという捜査手法を用いたことが妥当なのか否か、という点である。

 そして、それ以外にも、同じ政治団体名義で同様の寄付が自民党議員に対しても行われていたのに、小沢氏に関連する政治資金規正法違反の事実のみを立件し、逮捕・起訴を行ったことが偏った捜査ではないのかという点も問題となる。

 2・問題点についての検討

2-1 違反の成否

(1)法解釈上の問題

 ア 「寄付をした者」とはどのような意味か

 検察側の主張は、「寄付名義の政治団体は西松建設のダミーであり、本件の寄付について収支報告書に『寄付者』として西松建設と記載しなければいけない、それを政治団体と記載したことが虚偽記入に当たる」というものと考えられるが、検察の主張の重要な根拠とされているのが、寄付の資金の実質的な拠出者が西松建設だということだと思われる。

 ここで問題になるのが、政治団体や政党が寄付を受けた場合に、会計責任者に政治資金収支報告書に記載することが義務づけられている「寄付をした者」とはどのような意味なのか、ということである。寄付者として金銭の交付や振込など外形的な行為を行った者と資金の拠出者が異なっている場合に、外形的行為者と資金の拠出者のいずれが「寄付をした者」に該当するのか。例えば、図(略)のように、Aが自らの資金で政治団体Xに政治資金を提供しようと考えてBに現金を交付し、その資金で、Bが自己の名義の寄付として政治団体Xの会計責任者に現金を手渡した場合、会計責任者が、Aが資金の拠出者だということを知っていた場合に、政治団体X の収支報告書には、寄付者としてAを記載するべきなのか、Bを記載するべきなのか。この点について、資金の拠出者のAが寄付者であるとするなら、本件についても「寄付をした者」は西松建設と記載すべきということになろう。この点は、本件に関する重要な解釈問題である。

 同法上、「寄付」が、「金銭、物品その他の経済的利益の供与又は交付」(4条3項)と定義されていることからすると、ここでの「供与」は「金銭や利益を得させること」、交付は「金銭等を渡すこと」を意味する。

 それを前提にすると、寄付者として金銭の交付を行った者、つまり、図の事例で言えば、「供与者」であるかどうかは不明でも「交付者」であることは明らかにBを「寄付をした者」として収支報告書に記載すべきだということになる。

 すなわち、図の例で言えば、実質的にはA からXへの政治資金の「供与」であるが、形式的には、A からB、BからXの間で、それぞれ金銭の「交付」が行われている。この場合、Xの立場としては、定義規定で「交付」も「寄付」に含まれる以上、自分に金銭や利益を提供した直接の相手のBが「寄付者」として現金の「交付」を行っている以上、それがBの資金かAの資金かにはかかわりなく、その「交付」を「Bの寄付」として収支報告書に書けばよい。要するに、政治資金規正法で「寄付した者」と言っているのは、形式的に寄付者と称して金銭等の移転をしてきた者であり、実質的に資金を拠出した者ではないということになる。

 イ 関係当局の見解と問題点

 この点について関係当局の見解を把握するため、政治資金規正法を所管する総務省および罰則について審査を行う立場にある法務省の担当者にヒアリングへの出席と回答を求めたが、法務省当局からは、出席も回答も得られなかった。

 総務省からは担当補佐が出席したが、「収支報告書上、寄付の内訳への記載が求められる寄付者の氏名について、資金の拠出者と実際に寄付を行った者とが相違する場合に、資金の拠

出者を記載することが求められているのか(例えば、寄付として現金を持参してきたのはAだが、その資金はBが拠出していると認識していた場合に、その寄付を受領した政治団体Xの会計責任者は、寄付者をAと記載したら良いのかBと記載したら良いのか)」との質問に対して、「法律上『寄付をした者』を記載することとされているので、総務省としては、会計責

任者が法の趣旨にのっとり、実態を把握して『寄付をした者』を記載してくださいとしか言えない」との回答に繰り返すのみであった。

 この点に関し、衆議院法務委員会で、「『寄付をした者』というのは、資金を拠出した者という意味なのか、自分の名前で振り込みや金銭の行為などの外形的行為を行った者を意味するのか」との質問が行われたのに対して、大野恒太郎刑事局長は、「これは寄付した者をいかに認定するのかという事実認定、当てはめのことになる。実際に誰が寄付をした者なのかという認定をするに当たっては、金銭交付に至った経緯やその意図、金銭交付に関与した者の状況等、諸般の事情を個別具体的な事案に応じて判断することになる」旨、答弁した。

 要するに、法務省は、寄付の外形的な行為者と資金の拠出者が異なっている場合、いずれが「寄付をした者」に当たるかは、形式的に判断すべきことではなく、諸般の事情を総合的かつ実質的に判断しなければ結論を出せないというのである。

 このように、「寄付をした者」の判断について、一般論を示すことなく、個別の事案ごとに実態に基づいて行うべきとの見解によれば、政治団体、政党の政治資金の処理を行い、政治資金収支報告書の作成・提出を行うことを義務づけられている会計責任者は、寄付者をどう記載すべきかを自ら判断しなければならず、しかも、そこで、結果的に記載が誤っていたと認められた場合には、虚偽記入罪の刑事責任を問われるリスクを負わされるということになる。それは、政治資金収支報告の実務に重大な影響を与えることになりかねない。

 (2)寄付をめぐる実態との関係

 このように、政治資金規正法の解釈としては、「寄付をした者」とは、基本的に、「寄付者として金銭の交付や振込など外形的な行為を行った者」と解するべきだと考えられるが、このように解したとしても、例えば、寄付名義の団体、資金の拠出者から政治団体に金銭や利益を供与するための単なる「トンネル」のような存在で、寄付行為者としての実体がまったくない場合には「行為者」と認められず、資金の拠出者が寄付者となる場合もあり得る。そういう意味で、実態とまったく無関係に判断できるわけではない。

 本件は、刑事事件として起訴された事案なのであるから、実態に基づく判断は、最終的には、公判手続の中で証拠による事実認定に基づいて行うほかない。しかし、実態に基づいて検討を行うための一つの手がかりとなる資料がある。それは、西松建設が2009年5月15日に公表した内部調査委員会による調査報告書である。

 同報告書に記載された政治団体の実態およびその政治資金の寄付の実態によれば、これらの団体を、資金の拠出者から政治団体に金銭や利益を供与するための単なる「トンネル」のような実体のない団体とは認め難い。「寄付をした者」が政治団体ではなく西松建設であるとの検察の主張立証には相当な無理があり、「寄付をした者」を政治団体と記載したことは虚偽記入罪には該当しないのではないかと思われる。

 2-2・事案の重大性、悪質性

 (1)検察の説明とその問題点

 しかし、本件が、東京地検次席検事の説明のように、果たして、「巧妙な方法」によって多額の献金を「隠してきた」事案と言えるであろうか。以下のような理由から、本件は重大かつ悪質な事案とは言い難い。

 ア「表の献金」であること

 政治資金の寄附の事実自体を秘匿する、いわゆる「裏の献金」と、今回のように寄附の事実自体は収支報告書に記載された「表の献金」に関して寄附者の名義に問題があるという場合とでは、悪質性に大きな相違がある。「表の献金」であれば、収入の総額には偽りはないわけで、名義に問題がある献金も含めて、すべて支出の内訳の開示対象になる。「裏の献金」はそもそも不正な使途に支出することを目的として行われる。近年、支出の内訳について開示義務が著しく強化されており、支出の開示の対象となる「表の献金」に関する違反と、その開示義務を完全に免れようとする「裏の献金」とでは、悪質性がまったく異なる。本件で虚偽記入とされているのは、寄附の事実自体は収支報告書に記載されている「表の献金」にかかわる。

イ 政治団体名義での寄付の動機

 西松建設のダミーとされた2つの政治団体の設立の目的について、前記の西松建設の内部調査報告書では、「企業から政治家個人への献金が禁じられたことから、(中略)、政治団

体を設立して、政治団体からの献金を装って、政治家個人の政治団体に献金することを画策した」と述べている。また、この2つの政治団体の事件に関して、検察は、政治資金収支報告書の虚偽記入の事実に加えて、企業から政治家個人への寄付の禁止の事実も併せて起訴しており、企業の政治家個人への寄付の禁止を潜脱することが、政治団体名義での政治献金の目的だったように理解されている。

 しかし、政治資金規正法の改正経過に照らせば、そのような理解は適切ではない。「新政治問題研究会」が設立された時期の1995年施行の政治資金規正法改正は、企業・団体からの寄付を政党、政治資金団体、政治家個人の資金管理団体に限定するものであって、企業から政治家個人への寄付自体を全面的に禁止するものではなかった。小沢氏側への寄付も、同氏が党首であった新進党、自由党の政治資金団体の「改革国民会議」あてに行われていたもので、それは、西松建設の名義で行うことも可能であった。したがって、この団体による政治献金は、当初から、政治家個人への寄付の禁止の潜脱を目的とするものではなかった。

 1999年に、企業から政治家個人の資金管理団体への寄付が禁止されたことで、これらの団体名義で寄付することが、企業から政治家個人への寄付を隠蔽(いんぺい)するという実益が生じたとする点については、その後も2002年までは、小沢氏に関連する寄付は、政党の政治資金団体であった改革国民会議に対して行われていたのであり、西松建設の名義で寄付が行われても、寄付を受ける小沢氏の側にとって、とくに差し支えはなかったはずである。

 2003年に、自由党の民主党との合併によって民主党に所属することになった小沢氏側への寄付は、その後、小沢氏の資金管理団体である陸山会に対する寄付として継続されたが、その金額は、2つの団体からの寄付額は、それまでの改革国民会議に対する寄付とほぼ同額のまま維持された。今回、それについて政治資金収支報告書の虚偽記入の刑事責任を問われたわけであるが、上記のような経緯からすると、改革国民会議あてだった寄付を陸山会あてに切り替えるのに際して、「政治団体からの寄付」との認識だったことから、資金管理団体で受けても合法と単純に判断したためにそのまま政治団体からの寄付として処理したものと考えるのが合理的であろう。

 以上述べたところによれば、本件が仮に政治資金収支報告書の虚偽記入に該当するとしても、企業献金を積極的に隠蔽しようとする目的で行われたものではないと考えるのが合理的であろう。

 ウ「巧妙な方法」と言えるか

 また、本件の寄付者の記載が「新政治問題研究会」などの政治団体名義となっていたことが、実質的に西松建設からの資金による寄付であることを秘匿する「巧妙な方法」と言えるかどうか、それによって、本当の意味で、同社から多額の受けてきた事実を「隠してきた」と言えるのかについても疑問がある。

 新聞等では、これらの政治団体から寄付を受領した側の政治資金収支報告書には、これらの政治団体の所在地として「西松建設の本社所在地」が記載されている場合が多かったと報じられており、それは、寄付を受領する側が、実質的に西松建設と一体の団体と認識していたことを示しているだけでなく、両者の実質的に一体の関係が、関係者の間では既に周知の事実であったことを示している。しかも、2008年1月21日付の毎日新聞は「政治団体実態は企業」というタイトルで、与野党の多数の政治家に多額の政治献金を行っていた「新政治問題研究会」が、西松建設と実質的に一体である疑いを報じており、両者の一体の関係は、報道にも容易に知り得るものだったのである。

 これらの点から考えると、本件では、これらの政治団体の名義で寄付が行われたことが「巧妙な方法」とまでは言えず、西松建設からの寄付であることを「隠す」効果も希薄だったと考えられる。むしろ積極的に隠そうとするのであれば、むしろ、西松建設との関係が他には知られていない取引先業者を通しての迂回(うかい)献金の方が効果的だったと考えられる。仮に違反と判断されるとしても、その悪質性は低いと言うべきである。

 2-3・捜査手法

 本件事件の強制捜査に関する問題は、本件の検察の強制捜査では、大久保秘書に対しては、3月3日の朝、任意の事情聴取の要請があり、その当日の午後、出頭した大久保秘書の任意の事情聴取が行われ、それから数時間後に逮捕が行われたことである。

 2-1で述べてきたように、本件については、違反の成否についても、刑事罰を科すべき重大・悪質な事案なのかという点についても疑問がある。そのことを踏まえて考えたとき、果たして、本件で、上記のように、任意聴取の当日に被疑者を逮捕することが捜査方法として適切といえるのであろうか。

 被疑者の身柄を拘束するためには、「逃亡の恐れ」、「罪証隠滅の恐れ」のいずれかが必要であるが、大久保秘書の場合に「逃亡の恐れ」がないと考えるのが合理的であり、大久保秘書の逮捕事実とされた政治資金収支報告書の虚偽記入の事実は、「表の寄付」に関するもので、寄付の外形的事実は客観的に明らかであること、前記1で述べたように、本件で政治資金収支報告書の虚偽記入罪の成否の争点は、大久保秘書が、寄付の資金の拠出者が西松建設だと認識していたか否かではない。寄付の名義人である政治団体が、「寄付行為者」となり得る実体を備えていたかどうか、そして、そのことを大久保秘書の側が認識していたかどうかであることなどからすると、罪証隠滅の恐れは低いと言わざるを得ない。

 しかも、仮に、寄付行為者が西松建設だと認められるとしても、それについて異なった見解に基づいて寄付者を政治団体と収支報告書に記載したのであれば、任意聴取の中で、寄付者に関する見解の相違を指摘し、政治資金収支報告書を任意に訂正させれば政治資金の透明化の目的は十分に達成することが可能であった(この点に関して、「収支報告書を訂正すると、企業から資金管理団体への寄付の受領という犯罪を認めることになるので訂正で足りる問題ではない」との見解があるが、収支報告書作成の段階で企業団体からの寄付であることを認識していなければ犯罪は成立せず、後日、当局の指摘等によって、企業団体から献金に該当すると認識した場合には、収支報告書を訂正して適正な記載に改めるのは当然であり、それによって犯罪成立を認めることにはならない。この場合に訂正不能だというのは、犯罪

の成立には「犯意」が必要だという刑事法の基本的前提を欠いているといえよう)。

 このように、そもそも罰則適用を行う必要についてすら疑問な事件について、任意聴取を開始した当日にいきなり逮捕するという捜査手法は、公設秘書を逮捕することで政治的影響を生じさせることの方に主目的があったのではないか、と疑われても致し方ない面がある。

 しかも、大久保秘書は、逮捕後、引き続き拘置され、起訴後2カ月以上たった5月26日にようやく保釈された。このよう長期間の身柄拘束がいったいいかなる理由によるものなのか、検察には十分な説明を行う必要があろう。

 2-4・自民党議員等に対する寄付の取り扱いとの比較

 本件に関して大久保秘書の逮捕当初から問題にされてきたのが、「新政治問題研究会」と「未来産業研究会」からは、自民党所属議員など多数の議員に対して寄付が行われている事実を政治資金規正法違反として立件しないのに、小沢氏側に対する寄付だけを立件し、公設秘書の逮捕・起訴まで行ったのは、公平を欠く捜査・起訴ではないかという点である。

 この問題については、小沢氏側への寄付と自民党議員側への寄付との間で違反の成否の点で違いがあるのか否か、両者に違反が成立する場合に、自民党議員を含む多数の議員側への寄付を立件せず小沢氏側への寄付のみを立件することが相当と考えられるような事情があるのか否か、という2つの点から考えてみる必要がある。

 違反の成否に関するポイントが、寄付を受けた側が政治団体ではなく西松建設が資金を拠出していることを認識していたか否かではなく、政治団体に「寄付行為者」と認めるだけの実体があるか否かだということは、これまで述べてきたとおりである。したがって、違反の成否についてまず問題になるのは政治団体の実体という客観的な事実であり、その点は、寄付の相手方によって異なるものではない。仮に、政治団体が実体のない単なるダミーで寄付者が西松建設だとすると、それを、寄付を受領する側が認識していたかによって違反の成否が決まることとなり、小沢氏側と自民党議員側とで認識の相違が違反の成否に影響することもあり得る(前記2-1(2)で述べたとおり、西松建設の内部調査報告書の内容を前提とする限り、そもそも、これらの政治団体が、単に政治家に献金するための実体のない「トンネル」的な存在であったとは認めがたい)。

 小沢氏側への寄付のみを立件すべき事情があるとすれば、まず考えられるのは、西松建設関連団体の設立目的と小沢氏側への寄付とが密接な関係があったということであるが、設立後解散までの2団体からの寄付、パーティー券購入の総額のうち、小沢氏個人の政治資金として寄付された金額の割合は7・3%であり、自由党、新進党の政治資金団体や民主党岩手県連に対する寄付を含めても23・7%である。2団体が、小沢氏側への政治献金を主たる目的として設立されたものとは考えられない。

 また、政治資金規正法違反として立件可能な2003年以降の寄付に限って言えば、2団体からの小沢氏側への寄付の総額が3500万円であるのに対して、自民党議員側への寄付、政治資金パーティー券の購入額は、個別の議員ごとに見ると、比較的少額である。しかし、後に、2-5で述べるように、西松建設側の国澤元社長は、収支報告書の虚偽記入罪より法定刑が軽い「他人名義の寄付」100万円の事実で逮捕されているのであり、それとの比較で言えば、少なくとも100万円以上の寄付の受領については、虚偽記入罪が成立する限り、立件しないことの合理的な説明は困難である。

 さらに、重要なことは、2団体から、本件で逮捕、起訴された大久保秘書が会計責任者を務める小沢氏の資金管理団体の「陸山会」への寄付は、逮捕・起訴事実とされた2003年以降の2100万円だけであり、それ以前は行われていないということである。設立当初から、大久保秘書、又はその前任者の秘書と西松建設側との間で、西松建設から陸山会への巨額の政治献金を行うことを画策し、そのための手段として2つの政治団体が設立されたというような事情は認められないのである。

しかも、資料編11の「西松建設関連政治団体の献金先調査経緯」でも報告されているように、東京都港区内の「新政治問題研究会」と称する政治団体として、西松建設の関連団体のほかに、故橋本龍太郎氏が代表を務める資金管理団体が存在し、同団体から多数の自民党議員に多額の寄付が行われていた事実があり、官報に掲載されている自民党議員の政治資金収支報告書の要旨だけでは、いずれの団体からの寄付かが区別できない。一方、野党の小沢氏側への寄付については、橋本氏の資金管理団体からの寄付は考えられないので、「新政治問題研究会」名義の寄付は、西松建設関連であることの特定が容易である。

 西松建設が「新政治問題研究会」と称する団体を設立した真の意図は、橋本氏の資金管理団体と同一の名称の団体を千代田区内に設立することで、西松建設から自民党議員への寄付の具体的内容を、所在地を区までしか記載しない官報では容易に知り得ない状態にすることにあったのではないかとの推測も成り立ち得る(政治資金収支報告書の現物が総務省のホームページで公開されるようになったのは2009年1月以降である)。

これらの事実に照らせば、「新政治問題研究会」などの名義での西松建設側からの与野党の政治家への寄付に関する政治資金規正法違反の立件に関して、小沢氏側への寄付だけを特

別に取り扱う合理的な理由があるとは考えにくい。

 2-5・西松建設側への検察捜査に関する疑問

 上記の通り、小沢氏の秘書の大久保氏が逮捕・起訴された政治資金規正法違反事件そのものについて、違反の成否、事案の重大性・悪質性、捜査手法などに多くの疑問があることに加えて、西松建設側に対する検察捜査の内容・手法についても疑問がある。

 第1に、2-4で述べたところとも関連するが、西松建設側の元社長の国澤氏は、2006年に「陸山会」側に「他人名義」で100万円の寄付を行った事実、すなわち、西松建設からの寄付であるのに、政治団体の名義で寄付を行った事実で逮捕され、それに、同年の民主党岩手県第4区総支部にあてた400 万円の寄付の事実が加えられ、500万円の他人名義の寄付の事実で起訴されている。

 この他人名義の寄付の禁止規定の罰則の法定刑は収支報告書の虚偽記入より軽く「禁固3年以下又は50万円以下の罰金」であり、公訴時効が3年であるために起訴事実が少額になったものと考えられるが、時効完成前の同様の寄付の事実として、藤井孝男衆議院議員の資金管理団体に100万円、藤野公孝参議院議員の政党支部に100 万円、林幹雄衆議院議員の政党支部への100万円などの自民党議員側への寄付の事実があるのに、それらが国澤氏の起訴事実とされていないのはいかなる理由によるものであろうか。少なくとも、西松建設側の違反事実の成立については、寄付受領者側の認識は要件とならないはずであるから、小沢氏側に対する寄付と自民党議員側に対する寄付とで違反の成立について異なるところはないはずである。しかも、100万円の他人名義の寄付という国澤氏の逮捕事実は、上場企業の社長の在任中の事件の逮捕事実としては著しく軽い。検察としては、違反が認められる限り違法寄付の額を少しでも多くしようとするのが当然であるのに、上記の自民党議員に対する寄付をなぜ逮捕事実に加えないのか、このような検察の捜査のやり方に疑問がある。

 3 小括

 これまで述べてきたように、民主党代表であった小沢一郎氏の公設秘書の大久保氏を逮捕・起訴した政治資金規正法違反事件の捜査・処理に関しては、そもそも違反が成立するか否か、同法の罰則を適用すべき重大性・悪質性が認められるか、任意聴取開始直後にいきなり逮捕するという捜査手法が適切か、自民党議員等に対する寄付の取り扱いとの間で公平を欠いているのではないか、など多くの点について疑念がある。このような捜査・起訴のために、総選挙を間近に控えた時期に野党第一党党首を党首辞任に追い込むという重大な政治的影響を生じさせたことに関して、検察は説明責任を負っている。

第2章 政治資金規正法のあり方について  

 1・総務省の任務としての政治資金行政

 西松事件において提起された問題は、政治資金規正法において要求されている政治資金収支報告書における記載の真実性(虚偽でないこと)がどのようなものであるかということであった。具体的事件との関係ではもっぱら刑事罰の帰趨(きすう)に関心が寄せられているが、個別案件を離れてみると、政治資金規正法は政治家の活動にかかわるという特殊性があり、議員立法として制定された経緯はあるが、行政法規のひとつとして、総務省がその所管官庁として法律の執行にあたっている。政治資金をめぐる事務処理は、政治資金行政として総務省を通じて日常的に展開されており、具体的な処理基準等の提示や事務処理にかかわる助言・指導、説明要求・訂正命令などの関係者に対する監督権限の行使は、同省の責任において遂行される行政任務そのものである。

 ここでは、政治資金収支報告書の記載のあり方を念頭に、制度論の観点からその問題点について述べる。

 2・政治資金行政の仕組み

 2-1・基本的な制度設計

 一般に、行政法規が置かれることの第一義的な意味は、法の名宛人が順守すべき行為規範を示すことにある。政治資金規正法12条1項は政治団体の会計責任者が収支報告書の提出義務を負うことを定めているが、29条は「報告書の真実性の確保のための措置」として、報告書の提出にあたり「真実の記載」がされていることを誓う旨の宣誓書の添付をあわせて義務づけている。そして、監督権限を持つ総務大臣又は選挙管理委員会は、提出された届け出書類、報告書等に「形式上の不備」や、記載すべき事項の「記載が不十分」であると認めるときは、報告書等の提出者に対して、説明を求め、または報告書の訂正命令をすることができる(31条)。この説明要求・訂正命令を担保するため、説明・訂正を拒否したり、「虚偽の説明」「虚偽の訂正」をした場合には罰則が置かれている(24条7号)。これとは別に、収支報告書に「虚偽の記入」をした者に対する罰則が用意されており、25条1項3号に定めがある。以上が、政治資金行政の基本的なスキームである。

 行政法規に刑罰が置かれている場合(これを「行政刑罰」という)、行政法規は行為者の一般的な行為規範であると同時に犯罪構成要件としての意味も有する。したがって、行政法規に違反した場合は、行政庁による監督処分の対象となる場面と刑罰権発動の根拠となる場面が、重なって現れることに注意を要する。そして、一般に刑罰は国家に認められた最も苛烈(かれつ)な人権侵害行為であることから、行政法規違反については、より緩やかな措置である行政措置が優先的に適用されるべきであり、刑罰権は「最後の手段」として、一般行政で対応できない場合に初めてその発動が正当化されるべきものということができる。

 2-2・報告書の「真実」記載義務

 政治資金規正法の規定から、同法が報告書の記載について「真実の記載」であることを要求していることは疑う余地はないが、具体的に何をもって「真実の記載」とみるかは、法文上は必ずしも明らかではない。たとえば、5万円を超える寄付については「寄付をした者」を報告書に記載することとされているが(12条1項1号ロ)、これが外形的に寄付行為を行った寄付の名義人を指すのか(形式説)、実際に経済的負担をした出捐者を意味するのか(実質説)、そのいずれであるのかを直接定める具体的規定はない。そのため、法の要求する「真実性」が形式的真実・実質的真実のどちらであるかは、関連する規定から解釈するほかはない。

 この点、総務大臣等は「形式上の不備」ないし「記載が不十分」であるときに説明要求・訂正命令をすることができるが、ここで「形式上の不備」とは添付書類がないとか、記載すべき事項の記載がないなど一見して不備であることが明白な場合をいい、「記載が不十分」とは収支報告書等の記載内容が明確でなく適正でない場合や、収入・支出の積算に誤りがある場合のように、「記載上の適格性」を欠く場合をいうとされる。このように、総務省に「形式審査権」しか認められていないのは、本来自由であるべき政治活動に対する行政庁の関与は必要最小限にとどめるべきであるという考えに基づいている。

 総務省に形式審査権しか認められてない以上、行政レベルにおいて要求される記載の真実性は形式的なものにとどまり、それゆえ報告書に対する真実記載義務は、形式的真実を記載すべき義務として理解せざるを得ない。すなわち、第1章でも述べたように、「寄付をした者」とはあくまでも寄付者として金銭の交付や振込など外形的な行為を行った者と解され、実態として出捐を行った者ではないということである。仮に、法が実質的真実の探求を行政庁に要求し、現実の出捐者を究明すべきことを求めているならば、それを可能とするような政治団体事務所への立入権限や帳簿書類等の検査権限等の実質的審査権が付与されていなければ法目的を達成することはできない。しかし、現行法にはそのような規定はなく、法は真実性の探求について限度を設けていると理解される。

 3・政治資金規正法における「虚偽」の意味

 3-1・虚偽説明罪・虚偽訂正罪の場合

 説明要求および訂正命令の実効性確保については罰則が設けられており、「虚偽の説明」、「虚偽の訂正」をした場合には虚偽説明罪・虚偽訂正罪に問われる可能性がある(24条7号)。ここで、「虚偽の説明」ないし「虚偽の訂正」の意味が問題となるが、説明要求・訂正命令の内容は形式上読み取ることが可能な記載上の事項にとどまることから、虚偽説明罪ないし虚偽訂正罪における「虚偽」の意義もまた形式的に判断せざるを得ない。虚偽説明罪・虚偽訂正罪は行政庁の命令違反に対する罪であり、命令されていない事項(実質的真実にかかわる事項)について罪を問うことは罪刑法定主義からしてあり得ないからである。

 なお、訂正命令は行政手続法にいう不利益処分にあたり、総務大臣等にはいかなる場合が記載上の不適格に該当ずるかについてできるだけ具体的な処分基準を定めるべきことが要請

される(行政手続法12条1項、説明要求は同法3条1項14号の適用除外に該当する)。しかし、総務省においてその要請を満たすような基準はこれまでのところ示されていない状況にある。

3-2.虚偽記入罪の場合

 西松事件では、報告書に虚偽の記入があったことが罪に問われている。ここで「虚偽の記入」の意義が問題となるが、基本的には24条7号にいう「虚偽の説明」「虚偽の訂正」と同様に解すべきであろう。虚偽記入罪は、前述した虚偽説明罪や虚偽訂正罪とは異なり、行政庁の命令に違反したことに対する罪(間接罰)ではなく、虚偽記入という行為がただちに刑罰の対象とされているもの(直接罰)であるが、虚偽記入罪の犯罪構成要件は「12条1項…の報告書…に虚偽の記入をした者」とされ、12条1項にいう報告書の記載について要求される真実性が形式的なものにとどまることはすでに述べたとおりである。虚偽記入罪における「虚偽」に限って実体的真実性を要求するような解釈は、同一法律内の同一用語を、総務省との関係と警察・検察との関係とで別異とするもので、法解釈のあり方として整合性を欠くと言わざるを得ない。

 仮に、「寄付をした者」を総務省との関係では形式的な真実としての「外形的な行為者」と解し、警察・検察との関係では実質的な真実としての「現実の出捐者」と解するとすると、同じ法律要件が行政機関ごとに異なることになってしまう。しかし、もともと政治資金規正法は政治活動に対する行政の関与を最小限にとどめるべきであるという趣旨から、総務省による一般的な行政上の監督ですら抑制的であるべきとしていたはずである。総務省ですら関与を控えている事案について、警察・検察という別の行政機関が、総務省とは異なる独自の解釈にたって逮捕という強烈な人権規制行為に及ぶことは、法の趣旨に照らし、明らかにバランスを失しているというべきであろう。このように考えると、虚偽記入罪について実質的真実を要求する解釈は、法の示す価値判断に逆行するもので、不合理というほかない。

 4・行政刑罰における罪刑法定主義の意味

 一般に、行政刑罰においては関係する省庁が複数にわたるのが通例であり、ひとつの法律15の執行が省庁ごとにバラバラに行われる結果、ある省庁との関係では適法とされる行為が別

の省庁との関係では違法扱いされたり、あるいは関係省庁がいずれも責任を果たさないという消極的権限争議を生ずることが少なくない。これらは、いずれも「法執行における縦割りの弊害」といえるが、行政刑罰が罰則のひとつであるということから、罪刑法定主義との関係も重ねて問題となるため、縦割りの弊害はより深刻となる。

 西松事件では政治資金規正法違反を理由として刑罰権が発動されている。政治資金規正法の所管官庁は総務省であるが、罰則が問題となる限りにおいて法務省は法令協議にかかわり、

犯罪構成要件としての法令の解釈・罰則適用基準について事実上の公定解釈を示す立場にある。同法の解釈をめぐって、総務省は刑罰の問題であるとして具体的な解釈指針を示さず、他方で法務省は法律の所管官庁でないとして解釈基準を示そうとせず、両省の間で責任の押し付け合いともいえる状況が生じている。しかし、ことは刑罰の適用にかかわる問題であり、何が罪であるかについて事前に明確な定めを要求する罪刑法定主義の観点から見て、このような無責任な対応は到底容認されるものではない。西松事件についていえば、会計責任者にとってあらかじめどのように記載すればよいかが不明確なまま政治資金報告書に記載させられ、後になってその記載が法律に違反するとして処罰されるというようなことは、決して許されない。刑罰権の恣意(しい)的な発動を防止する観点から、総務省・法務省はともに適法行為と

違法行為の分水嶺(ぶんすいれい)について明らかにする責務があり、これは憲法上の要請である。

 5・政治資金規正法違反に対する制裁のあり方

 現行法は、政治資金規正法違反行為に対する制裁として罰則を中心に規定している。罰則を置くということは刑罰権の発動によって行為者に制裁を加えるという制度設計であり、処罰対象者が国会議員である場合には、立法府の活動に対する警察・検察当局による権力的介入を立法者みずからが容認していることを意味している。

 しかしながら、本来、政治資金については政治家が自ら律するべき問題であるという原点に立ち返ると、自らの不始末は自らただすという見識を持って、制裁措置についても議会自身がこれを発動するような仕組みを工夫することが望ましい。サンクションのあり方は多様であり、たとえば、現行法上認められている公民権の停止は刑罰を前提とするものであるが、刑罰と切り離した形で公民権の停止をひとつの制裁手段として整備することはもとより可能であるし、刑罰としての罰金に代えて非刑罰としての制裁金を新規に導入するなど、罰則以外の効果的な制裁措置の導入を真剣に検討すべきである。安易な罰則への依存は、法執行を警察・検察当局に依存することと同義であり、立法技術の観点からみても稚拙というほかない。具体的には、立法府の中に独立性の保障された機関を設けるなど、外国の例も参考に、政治資金の扱いに関するルール設定、制度設計について、国会において新機軸の議論が活発に行われることが期待される。この問題は、与野党相携えて、国権の最高機関としての見識

を示すことが国民の期待にも沿うものであろう。

第3章 検察・法務省のあり方について

1.問題の所在

 西松事件は、検察官による逮捕、公訴提起という「公権力の行使」に端を発した事案であり、第1章でも触れられたように、その前提とされた被疑事実について法律解釈上の疑問が提示され、また事案の重大性・悪質性の評価や捜査手法を踏まえ、検察による権限行使が法律の規定に照らし適切であったといえるかどうかが問題となる。また本件では、政権交代の可能性のある総選挙を間近に控えたタイミングにおいて、公権力の行使が野党第一党党首の第一秘書に向けられたものであったため、それが有権者の政治的選択に少なからぬ影響を与えたことは否定できない。そのため、民主主義社会における検察の権力行使のあり方、関連して、権力行使にかかる説明責任のあり方について、問題意識が喚起された。

 今日、さまざまな場面で説明責任が問われることが多いが、もともと、わが国で「説明責任」という概念が法律上登場したのは、1999年に制定された行政機関情報公開法1条においてのことである。法律上は、説明責任とは、政府がその諸活動を国民に説明する責務のことをいい、国民主権原理に根拠を有するものとされている。それは、主権者たる国民が国政に関する諸問題について意思決定を行うにあたって必要十分な情報を、政府自身が適時・適切に提供する責務を負っているということであり、政府の憲法上の責務と考えられている。したがって、政府の一部局である検察庁・法務省がその責任を負う立場にあることに疑いをはさむ余地がないことを、まず確認しておく。なお、刑罰権の行使にあたっては、検察庁のみならず、刑罰法規の解釈・運用について法務省刑事局が密接に関与していることから、刑罰権の発動を論ずるにあたっては、検察庁と法務省の双方を念頭に置く必要がある。

2.検察の権限について

2-1.検察官の権限

 検察官の職務について、検察庁法は、検察官はいかなる犯罪についても「捜査」をすることができるとし(検察庁法6条、刑事訴訟法191条1項)、刑事について、「公訴を行い、裁判所に法の正当な適用を請求し」、その他「公益の代表者」としてその権限を行使するとされている(検察庁法4条)。

 検察官は、多くの一般刑事事件については第1次捜査機関である警察が摘発した事件の送致を受け、必要に応じて捜査を行った上、その処分を決定する立場にある。一方、検察官が独自に摘発する、いわゆる検察独自捜査については、捜査着手の判断、強制捜査の要否の判断、処分の決定、すべてを検察官が行う。この場合には、すべてが検察組織によって行われるため、その権限行使の適否はとくに慎重に判断される必要がある。

 検察の権限は「準司法作用」と表現されることが多いが、司法作用そのものは裁判所の権限であり、検察権は司法作用ではないという意味で行政作用に属する。検察庁・法務省がひとつの行政組織として機能することは、検事総長がすべての検察庁職員に対して指揮監督権を認められることを前提に(検察庁法7条1項)、法務大臣が検察庁法4条および6条に規定する事務に関して検察官を一般に指揮監督することができるとともに、個別事件の取り調べ、処分についても検事総長を指揮することができるとされている(14条)点に表れている。いわゆる指揮権発動とは、法務大臣が現実にこの権限を行使して、捜査に直接介入することをいう。

2-2.公訴権の行使(起訴・不起訴)のあり方

 わが国では国家が犯罪者を訴追するという「国家訴追主義」がとられており(刑事訴訟法247条)、それは検察官の任務であるが、検察官が起訴するかどうかはその裁量判断に委ねられる。これを「起訴便宜主義」ないし「起訴裁量主義」という(248条)。しかし、検察官の裁量権の行使が常に正しいという保証はないため、不起訴の場合には、検察審査会、公務員犯罪についての付審判請求の制度が用意されている。これに対して、不当な起訴がなされた場合、人権侵害の危険性は不起訴の場合より直截的であるにもかかわらず、わが国では制度的手当てがない。そのため、学説上、この点は一種の法の欠陥であるとして、「公訴権濫用論」が唱えられ、不当な起訴については裁判所が公訴を棄却すべきであるという主張がかねてからなされている。西松事件との関連でいえば、政治資金規正法違反の罪は、殺人罪、窃盗罪のような典型的な自然犯と比べると形式犯的要素の強い行政犯であり、そのため、起訴するか・しないかにかかわる検察官の裁量が濫用される危険性は相対的に高く、しかも濫用された場合の社会的、政治的、経済的影響は甚大である。その意味で、通常の刑事事件との比較でいえば、本件については、公訴権行使が濫用されていないかどうかがとくに厳しく吟味される必要がある。

2-3.法務省と検察庁との関係

 法務省と検察庁の関係は政府内部における省庁間の問題であるため、一般にあまり知られていないが、両者は法律上、とりわけ人的関係においてきわめて近接した関係がある。

 個別具体的な事件の捜査・起訴などを行うのは検察庁であるが、法務省は「刑事法制に関する企画および立案に関すること」をその所掌事務とし(法務省設置法4条2号)、他省庁が罰則つきの法案を立案する場合には法令協議にかかわり、刑罰法規についてはその所管官庁としての地位にある。そして、法務省は「検察に関すること」(4条7号)もその所掌事務としていることから、検察庁が個別案件につき「裁判所に法の正当な適用を請求」するという業務(検察庁法4条)を行うにあたり、検察官の権限行使が適正に行われるよう、法務省が法令解釈などについて検察庁に対し資料提供、考え方を示すなどの助言を行うことは、その職務に属するとされる。すなわち、一般的な刑罰法規の解釈・運用に関してはもちろん、個別案件を契機とする刑罰法規の解釈・運用についても、検察庁および法務省は法的にみて協働関係にあるということができる。また、周知のとおり、法務省刑事局をはじめ同省幹部の枢要ポストは検察庁から出向した検事で占められているという独特の人事配置がなされていることから、法務省と検察庁はきわめて密接な関係を有しており、両者は実質上一体的な組織であるとみて差し支えない実態がある。

3.検察権の行使と民主主義の関係

3-1.議院内閣制との関係

 国民を主権者とする民主国家においては、検察の権限行使といえども民主的正当性が要求されることは当然であり、それが行政権の範疇(はんちゅう)に含まれる以上は、民主的正当化の要請の程度は、司法権を担う裁判官の場合に比して相対的に高いということができる。検察の権限が時の政府に都合のいい形で行使される傾向があるということは歴史の教訓であり、憲法50条が議員の不逮捕特権を保障しているのは、政府に批判的な議員の活動が政府によって妨害を受けないようにする趣旨である。検察の権限が議会に向けられる場合、与野党のいずれに対してもそれが公正・平等な形で行使されなければならないことはいうまでもないが、議院内

閣制のもとでは政府・与党が一体的であることから、とりわけ野党に対する権限行使について慎重な配慮が要求されるという指摘が可能である。

 西松事件では、政治資金規正法という、もともと政治の世界における権力バランスにかかわる法律の問題であるということに加えて、検察の権限行使が野党に対して向けられた事案であるため、民主主義の観点からすると、与党議員に対する事案処理との間でバランスがとれているかどうかは国民にとって重大な関心事項である。検察当局は自らの権力行使の正当性について、主権者たる国民に向けて踏み込んだ説明をすることが求められる。

3-2.直接的な民主的正当性を持たない検察官僚

 裁判官が行う判決については、憲法学上「統治行為論」が唱えられ、最高裁判例にもこれに依拠したものがある。統治行為論とは、高度に政治性のある国家行為については、たとえ裁判所による法律判断が可能であったとしても、事柄の性質上裁判所が審査をしない問題領域を認める考え方をいう。これは、政治問題は国民の代表者からなる国会および国会に信を置く内閣において解決されることが本来望ましく、裁判官は選挙によって選任されていないという意味で直接的な民主的正当性を持たない以上、政治問題については判断を差し控えることが好ましいという配慮に基づいている。このように、司法権ないし司法官僚たる裁判官

の判決行動につき民主主義への礼譲を説く考え方を司法消極主義という。西松事件は、検察官による逮捕、公訴提起が被疑者・被告人個人の問題を超えて、民主主義社会における国民の意思決定に少なからぬ影響を及ぼし得ることを示した事例であり、検察権力の行使が野党第一党に大きな打撃を与え、間近に控えた総選挙での国民による政権選択の可能性を事実上奪ってしまいかねない状況を作り出した。このような政治案件の場合、裁判官の権限行使にかかわる統治行為論と同様の発想に立って、検察官はたとえ法律的には逮捕、公訴提起が可能であったとしても、あえてこれを控えることが正当化される場合があるのではないかという問題が認識された。

3-3.政治資金規正法違反事案の特殊性

 本来、刑罰権の行使については、それが国家によるもっとも過酷な人権侵害行為であるということから、刑罰権の行使は抑制的であることが人権保障の観点から好ましいという「謙抑主義」の考え方が妥当している。起訴便宜主義は、起訴するについての法定要件を満たしている場合であっても検察官が諸般の事情を考慮したうえ、あえて起訴しない裁量を認めるものであり、謙抑主義の考え方が具現化したものと見うる。

 このように、検察官の権限行使は一般論としてもその慎重さが要求されるが、とりわけ政治資金規正法の虚偽記載罪においては、「虚偽」の意義をめぐり犯罪構成要件が明確性を欠き、その解釈・あてはめに疑義があること、そもそも法律自身が政治活動に対する行政による干渉について抑制的であるべきことをうたい、政治活動への配慮を要請している。この事情に加えて、西松事件は検察の権限行使が国民の政治的選択に少なからぬ影響を与えることが容易に予見される案件であった。このような事案では、直接的な民主的正当性を持たない検察官がその権限行使に踏み切るにあたっては、幾重にも慎重な考慮がなされることが求められており、通常の刑法犯とは同列に論じがたい面がある。本件のように重大な政治的影響のある事案について、単に犯罪構成要件を充足しうるという見込みだけで逮捕、起訴に踏み切ったとすれば、国家による訴追行為としてはなはだ配慮に欠けたとのそしりを免れないというべきであろう。逮捕・起訴を相当とする現場レベルでの判断があったとしても、法務行政のトップに立つ法務大臣は、高度の政治的配慮から指揮権を発動し、検事総長を通じて個別案件における検察官の権限行使を差し止め、あえて国民の判断にゆだねるという選択肢もあり得たと考えられる。また、本当の意味で法務省と検察庁とが独立した官庁なのであれば、このような観点からなされる法務大臣の指揮権発動を、法務省が組織的に支えることは可能なはずである。いずれにせよ、本件を契機として、指揮権発動の基準について、改めて研究・検討がなされて然るべきであろう。

4.検察・法務省の説明責任

4-1.行政刑罰の罰則適用方針に関する説明

 以上述べたところから、政治資金規正法違反の罰則適用方針については、事件処理に差し支えのない限度で、検察庁・法務省の双方に説明する責務がある。とくに、法律解釈にあいまいなところがある場合、行為者の予測可能性が確保されるよう、構成要件のみならず、あてはめの部分も含めて明確な法令の解釈基準を示すことは罪刑法定主義の要請するところである。本件では政治資金規正法にいう「虚偽」の概念が定かでなく、とくに従来形式説に依拠しながら突然実質説への「法律の解釈変え」がなされたうえで刑罰権の発動がなされたと見る余地がある。そのような経緯があるとすれば、本来立法府によって行われるべき法律改正を行政当局が事実上行ってしまっていることになり、説明責任を果たすべき要請は一層強まる。

4-2.裁量権行使が妥当であったことの説明

 起訴については、検察官は起訴便宜主義のもとで起訴しない選択肢があるなかであえて起訴に踏み切っているわけであるから、なぜ起訴しなければならなかったのか、起訴に値する悪質な事案であったという点について、検察は国民に対して積極的に説明をする必要がある。この点に関する検察官の説明責任は、被告人個人に対する関係では刑事訴訟手続のなかで有罪立証に力を尽くすことで果たされる性質のものであるが、国民の政治的意思決定について甚大な影響を及ぼす行為であったという面からは、国民一般に対して、過去の他の事案との比較、与党議員の事案との違いに言及しながら、西松事件の特殊な悪質性について、なぜそのように考えられるのか、その論理過程について必要な情報とともに踏み込んだ説明がなされる必要がある。

 また、起訴に先立つ逮捕に関し、どのような手順で逮捕に及ぶかという手続上の裁量について適正手続の保障(憲法31条)が及ぶことはいうまでもない。任意聴取から逮捕に移行する過程で、手続的な配慮を欠いていなかったかという点についても疑問が呈されており、長期にわたる身柄拘束の当否と合わせて、検察当局の説明が求められる。

4-3.検証可能性を確保すべきこと

 刑事訴訟に関する書類については、刑事訴訟法47条において公判開始前にその公開を禁ずる旨の規定があり、本報告書執筆時点で西松事件において起訴された秘書の被疑事実について正確に知る術がなく、不正確な報道に頼るしかないのが現状である。しかし、本件のように国民の政治的意思決定に少なからぬ影響を及ぼす事案では、被疑事実を記載した起訴状などは、その公開につき「公益上の必要」があり、同条が例外的に認める公開すべき場合にあたると考えられる(47条但書)。検察実務において、公判前には一切の公開を認めない現在の運用は刑事訴訟法47条但書を無意味化するもので、再考されるべきである。

 また、刑事事件の場合、訴訟が終結した後になっても、情報が適切に公開されない仕組みになっている。刑事事件の訴訟記録は、刑事確定訴訟記録法により、裁判所ではなく検察官が記録を保管することとされ、しかも広範な公開制限がかけられている。そのため、一般国民が、後日、判決文など検証に必要な書類を入手しようとしても、コピーはおろか、閲覧もままならないのが実情である。刑罰権の発動が適切になされたかどうかを証拠に基づいて事後的に検証することが制度上困難となっている。刑事事件特有の問題として、被告人や被害者のプライバシーに配慮することは当然であるが、他方で、不適切な公権力の行使がそのまま闇に葬られてしまうとすれば、民主主義社会にとって重大な脅威となりうることは指摘せざるを得ない。制度の改善が急務である。

 実際、当委員会において西松事件が不平等起訴かどうかを調査しようとしたが、検証に必要な過去の訴訟記録に十分に接することができず、類似案件との比較検討に支障があった。このような観点から、制度改善と並んで、過去の案件とのバランスについても、検察庁・法務省には西松事件が不公正・不平等な逮捕、起訴ではないことにつき、積極的な情報開示と具体的な説明が求められる。

第4章 報道のあり方について

 本年にかけて、各報道機関の世論調査結果は、政権交代の可能性が高いことを示していたところ、衆院選がこの秋までには実施されるという時期に起きた民主党小沢前代表の公設第1秘書逮捕をめぐって、報道機関は、新聞紙面そしてニュース放送の放送時間を連日大きく割いた。

 総選挙の結果次第では民主党の小沢前代表が総理大臣となる可能性があり、そうしたことがマスコミの報道にあふれている中での小沢前代表の秘書逮捕は、状況を一変させるビッグニュースであったが、今回のマスコミ報道では、事件の発展に関し、とくに小沢前代表に捜査が進展するのではといった予測報道が底流にあった。秘書逮捕以降、各報道機関の世論調査に「小沢一郎民主党代表は代表を辞任すべきか」といった質問項目が加えられたように、政治と金の問題とともに、政権交代を掲げる民主党代表の去就に注目が集まった。

 以下、本章では、事件をめぐるマスコミ報道について分析を行い、その問題点について指摘する。今回の報道全般を通して指摘できるのは、次の点である。

 第1に、検察あるいはその関係者を情報源とする報道が大きく扱われたこと。

 第2に、起訴以前、裁判開始以前で逮捕容疑の政治資金規正法違反を超えて、政治と金の問題とりわけ「巨額献金事件」といった決めつけをはじめ「有罪視報道」が展開されたこと。

 第3に、第1章で述べたような捜査、起訴を巡る疑問が指摘されているにもかかわらず、読者・視聴者に公正な視点から権力をチェックする報道が少なく、検察の捜査のあり方についての批判が十分に行われなかったこと。

 第4に、検察批判を外部の有識者の執筆原稿やスタジオなどでの討論に依存した姿勢は、多様な言論の表出という点で評価はできるが、本来はそれぞれの取材で明らかにしなければならないにもかかわらず、その努力を怠り、外部識者に委ねてしまったこと。

 第5に、地検特捜部の動きは、衆院選が取りざたされる中でのことであっただけに、通常の政治報道・事件報道以上の慎重かつ多面的な報道が求められたが、そうした姿勢が今回の報道機関全体に希薄であったということ。

1.有罪視報道と検察情報によりかかった報道

1-1.起訴報道時のNHKの「速報」の問題点

 NHKは、公設秘書の大久保氏が東京地検に起訴された当日の夜、小沢前代表が記者会見を開き、大久保秘書の行為が政治資金規正法違反に当たることを否定した上で、民主党の代表を続投する意向を表明した直後の深夜から翌日の朝までトップニュースで、大久保秘書が違反事実を認めているとの報道を、繰り返し繰り返し行った。この報道には多くの報道機関が追従したが、その報道姿勢には疑問が残る。

 このNHKのニュースは「うその記載を認める供述をしていることが関係者への取材でわかりました。・・・大久保秘書は、逮捕後、東京地検特捜部の調べに対し西松建設からの献金とは認識していなかったと不正を否定し、関係者によりますと、最近になって献金は西松建からだと認識していたとうその記載を認める供述をしているということです」という内容であった。

 拘置中で接見禁止となっている被疑者は、報道関係者も含め外部の人間とは接触できない。被疑者、被告人の供述内容を知り得るのは、捜査機関側と弁護人だけである。その内容は、守秘義務を負う捜査機関側、および弁護人側にとって、極めて重要な秘密事項であり、報道機関が供述内容についての情報を得たとすれば、そこには何らかの守秘義務違反の犯罪がかかわっていることになる。一体何を根拠に、「大久保秘書が虚偽記載を認めている」との報道を行ったのか、重大な疑問がある。

 この報道が行われた後、各新聞、テレビで世論調査が行われ、「小沢代表の説明に納得できるか」「小沢代表は続投すべきか」という質問に対する回答結果が、翌週の初めに次々と公表された。NHK の報道と、それに追従した他のメディアの報道によって、多くの人が、起訴された秘書が違反を否定しているのに、なおも違反を否定し続けている小沢前代表の「苦しい言い逃れ」の印象を受けて、「小沢代表の説明には納得できない」という回答に誘導されたと考えられる。

 当委員会は、NHKに対して書面で質問を行い、放送内容には真実性に問題がある上、放送の前提としての「うその記載」の意味が不明確であるとの問題の指摘を行った。これに対して、NHKは書面で回答したが、「うその記載」について、「放送した公訴事実の要旨『実際には西松建設から受けたのにOBの政治団体からの寄付だと記載した』とされる点と認識しています」と述べるにとどまっている。大久保秘書の容疑事実における「虚偽」の意味については、逮捕当初から、現行法は、政治資金収支報告書に寄付の資金の拠出者の記載を求めてはおらず、単に西松建設が資金の拠出者だと知っていながら政治団体と記載したということだけでは虚偽記入にはならないとの指摘があり、この点が、本件の犯罪の成否に関する重要なポイントであることはNHK側も認識できたはずである。NHKによる「大久保秘書が献金は西松建設からだと認識していたと、うその記載を認めた」との報道は、この「虚偽」の意味をあいまいにしたまま、西松建設が資金の拠出者であることを知っていたことを認めたことで「うその記載」を認めたという印象を視聴者に与え、関係者の情報をもとに同秘書を裁判開始以前の段階で有罪視するものであった。しかも、小沢前代表の会見のニュースに合わせて、この報道を深夜から朝まで繰り返した。総選挙が半年以内に実施されることが予定されている中で、有権者の投票行動に決定的な「判断材料」となりうる報道については、より多面的かつ公正公平な取材報道が求められる。このNHKの報道姿勢には重大な疑問が残る。

 さらに、多くの新聞、テレビが、このNHK の報道に追従し、「容疑を大筋で認めた」などと報じる中、毎日新聞など一部の新聞は、大久保容疑者は一貫して容疑を「否認」していると報じた。朝日新聞は、追従する報道は行ったものの、のちに弁護人側が、大久保秘書がうその記載を認めたとの報道に関して、これを否定するコメントを行った際、その全文を紙面に掲載している。ところが、NHKニュースでは、弁護人のコメントをまったく報じていない。検察情報に一方的に依拠し、弁護側からの取材を行わないで報道したばかりか、弁護人がコメントを行ってもまったく報じていない。

 こうした事件の推移および読者・視聴者の判断に大きな影響を与える情報については、当然ながら慎重な報道が求められる。この報道に情報源があるとすれば、検察関係者に限定されるだろうが、その一方当事者側の情報を、反対当事者に取材することもなく報じただけでなく、それに対する反論が出されても報じないというのは、報道の公平性を著しく欠くものである。公共放送の報道姿勢として重大な問題があり、まさに、メディアのコンプライアンスが厳しく問われる事例だといえよう。

 大久保秘書は保釈保証金1500万円を納め、5月26日夕刻、逮捕から約2カ月半ぶりに東京拘置所を出た。保釈後、弁護人を通じて発表したコメントは次のとおりである。

 「現在、私は、政治資金規正法違反被告事件で起訴され、公判を控えておりますので、事件の中身について発言を控えるべき立場にあることを皆様にご理解いただきたいと思います。

 ただし、問題とされている政治資金に関しては、私は政治資金規正法の定めに従って適切に処理し、かつ、そのとおり政治資金収支報告書に正しく記載したものであり、法を犯す意図など毛頭なく、やましいことをした覚えはありません。この点は、裁判の中できちんと争うべきことで、自分の主張は法廷で明らかにしてまいりたいと思います」

 収支報告書に「正しく記載」したことを主張する大久保秘書のコメントと、起訴時点でのNHKなどの「うその記載を認めた」報道との差異はあまりに大きい。

1-2.政治資金規正法を読み違えた産経報道

 3月8日付産経新聞に記載された「小沢氏 監督責任も 起訴なら失職の可能性 政治資金規正法」との記事は、政治資金規正法の誤った解釈による誤報であり、この記事を読む読者に大きな誤解を与えたといえる。

 政治資金規正法25条2項は「政治団体の代表責任者が当該政治団体の会計責任者の選任および監督について相当の注意を怠ったとき」に罰金刑に処すると定めているが、この「および」は選任についての相当の注意と監督についての相当の注意の両方を怠ったことを要件とする趣旨であり、「監督」についての相当の注意を怠っただけで罰金刑に処せられることはなく、ましてや公民権停止で失職する可能性もないことは明らかである。上記産経新聞の記事は、大久保氏が東京地検に逮捕された後、同地検が小沢前代表を聴取するなどと報じられる中で、小沢前代表の刑事責任追及の可能性と、それによる議員失職の可能性について国民に重大な誤解を与えるだけでなく、公職を辞職することで起訴猶予処分となって議員辞職を免れる余地があると示唆することで、小沢前代表自身の進退の判断にも重大な影響を与えかねないものである。

 このように「監督責任」を見出しに掲げ、「監督責任ミスが認定され、起訴された場合には、小沢氏は最終的に衆院議員を失職する可能性も出てくる」と述べた上で、故土屋義彦埼玉県知事が同様の事件で会計責任者に対する監督責任を認め、知事を辞職したことで、反省の情を認められて起訴猶予処分になったことにまで言及した同記事は、読者あるいは有権者に対し誤った政治判断を与えるだけなく、故土屋知事の事例を引き合いに出して、小沢前代表の進退にも影響を及ぼそうとする意図もうかがわれるものであり、NHKの報道と同様に、本件の一連の中で際立って問題を含む記事であった。また、この記事には「捜査関係者」といった語句が頻繁に登場しているが、その記述の通りであるとすれば、検察が報道機関をあたかも「広報機関」のように利用して、世論の誘導や小沢前代表の進退や捜査への対応に影響を及ぼそうとした疑いもある。上記のように、法律上は会計責任者に対する監督ミスだけで罰金刑に処せられることはなく、ましてや議員失職はあり得ないのであり、まったくの誤報である。産経新聞は徹底した報道検証が必要であると考えられるが、当委員会から書面で質問を行ったにもかかわらず、産経新聞からは本報告書執筆時点で、いまだ回答はない。

1-3.「捜査は自民関係者に波及しない」 内閣官房副長官の問題発言

 さらに、3月6日の朝刊各紙は、政府高官による「自民関係者、立件はない」「捜査は自民党議員に波及しない」とのオフレコ発言を伝えた。「(この)発言が大きな問題になってもメディアが率先するのではなく、結局、河村建夫官房長官の明示を待って実名に踏み切ったのは情けない。体のいい情報操作の手段に使われないよう、必要な場合は実名にするとともに、オフレコ懇談自体の是非も議論すべき時ではないか」(田島泰彦・上智大学教授)との指摘に、この国の報道機関は耳を傾けなければならない。このような政府中枢にいる人物のオフレコ発言といえども、報道機関自身がその真意を徹底して追求する姿勢が求められている。政府高官の実名を自らが明かすのではなく、官房長官の記者会見での表明を待つ姿勢は、今回の事件全体を覆う、報道機関の消極的姿勢を象徴するものであったといえよう。

1-4.検察の説明責任追及報道

 大久保秘書起訴時点で、毎日新聞は、小川一社会部長(当時)が「検察は説明責任を果たせ」との解説記事を3月25日付朝刊に掲載したことは評価しなければならない。しかしながら、報道による世論調査では、たとえば、5月11日の読売新聞朝刊1面で伝えられた内閣支持上昇29%、小沢氏続投「納得せず」7割といった調査結果に見られるように、小沢前代表側の「説明責任」と進退にマスコミ報道の中心が置かれ、検察の説明責任を求める声は、新聞報道では有識者の発言で見受けられたものの、新聞社自身の意見の表明としては少なかった。

 公設秘書逮捕につき、聴取開始直後に逮捕するという捜査手法が適切であったかについての言及も少なかった。また検察当局が刑事訴訟法を盾に説明責任を果たそうとはしないように、小沢前代表の側も訴訟当事者関係者として説明しうる範囲は限定されるだけに、報道機関によるこの問題の徹底検証が必要不可欠であった。

1-5.「代表辞任すべき」報道

 逮捕時から始まり、起訴直後から繰り返された執拗(しつよう)な代表辞任報道は一方的に政治状況を作り出し、民主党および代表を政治的に追い詰め、国民の判断をゆがめた可能性があり、大きな問題がある。また、各報道機関は、その世論調査の質問項目に「小沢代表は代表を辞任すべきかどうか」を設定し、過半数を大きく超える「辞任すべき」との調査結果を大きく報じた。しかし、どのような政治的責任があっての辞任であるのか、説明責任を果たさないから辞任すべきであるのか、極めてあいまいなままの質問であったと言わざるを得ない。政治倫理を問い続けること並びに政治と金の問題を追及することは報道機関の社会的責任の一つであるとしても、公設秘書の逮捕即辞任といった質問はあまりに短絡的であったし、辞任世論をあおったともいえよう。

2.秘書逮捕報道、起訴報道に見られる個別問題

2-1.過大・歪曲報道

 今回の事件は政治資金規正法違反容疑で立件されただけで、本報告書作成時点では、贈収賄や入札妨害などの罪は立件されていない。しかしながら、どのような根拠に基づいたのかは定かではないが、西松建設の東北地方における公共工事受注と今回問題とされている政治献金が関連しているかのような印象を与える報道が続いた。つまり、政治資金規正法違反にとどまらず贈収賄などの刑事事件に発展することをあたかも前提としたような事態が、新聞やテレビなどの報道で続いたのである。

2-2.検察の情報秘匿姿勢と報道側の沈黙

 大久保秘書起訴(3月24日)当日、東京地検谷川次席検事・佐久間特捜部長による司法記者クラブ記者への説明および質疑応答の際、記者クラブは加盟社以外の者の参加を認めたにもかかわらず、検察側が加盟社以外の参加を認めず、結果的に加盟社以外のジャーナリストが排除されたまま検察側の説明がなされたとの指摘がある。この点に関しては、資料編に付したように当事者からの証言を得た。また、テレビ撮影や説明・質疑内容の記録公開も許可されず、極めて閉鎖的な場での説明であった。ところが、新聞、テレビなどでは、このような検察の姿勢を批判することもなく、この加盟社以外のジャーナリストを排除した事実さえまったく報道されていない。今回の政治資金規正法違反に関する検察捜査には多くの疑問があり、検察の説明責任が問われているにもかかわらず、小沢前代表秘書の起訴という重大な節目の時点で、検察がどのような説明の姿勢を示したかについて、重要な事実をまったく報道しようとしないマスコミの姿勢は問題だと言わざるを得ない。

2-3.「捜査関係者」情報源明記報道

 さらに、今回の事件報道で特徴的な情報源にかかわる表記があったことを記しておきたい。逮捕以後の3月中の新聞各紙(朝日・読売・毎日・日経・産経・東京)に掲載された関連記事に捜査関係者という表記がしばしば見られる。

 産経新聞には、情報源として「捜査関係者」の登場頻度が各紙に比べ非常に高い。同様に日本経済新聞も捜査関係者は多く登場しているが、「関係者」は1回のみで、産経の0回と並んで、その他の4紙にはない報道姿勢といえよう。これは「関係者」表示に比べ、正確な情報源表示ともみられるが、逆に、表示の通りであるとすれば、捜査機関側の一方的な情報に依拠した偏った報道であると言わなければならない。さらに、公正な報道という観点から言えば、他方当事者である被疑者側からの情報も提供するべきであった。いずれにせよ、こうした情報源を明記する報道の場合には、より慎重な取材報道が求められることは言うまでもない。

 さらに付け加えるならば、裁判員制度開始に伴い、情報源の明示を報道機関各社は模索している。このような「関係者」はもちろん「捜査関係者」といった表記ですら、情報源明示とはいえない。本来ならば、その関係者の氏名を載せるべきである。しかし、掲載すれば情報の信用性は高まるものの、公務員による情報漏洩(ろうえい)の問題が浮かび上がるのである。

2-4.当委員会をめぐる報道

 当委員会について、以下にあるような正確性を欠いた記事も少なくはなかったことを記しておく。

■5月4日付 産経新聞 「小沢氏進退論」大合唱 思惑外れた民主党の有識者会議

 当委員会を「有識者会議」と記し、その論議が「事件の法解釈上の問題点などを検討するという鳩山由紀夫幹事長らの思惑を外れ『小沢氏の進退論』に集中、党幹部を慌てさせている。説明責任のための会議が小沢氏に『引導』渡すことにもなりかねない」と報じている。

 この記事には執筆した記者名が記されている。その記者がこの間の当委員会の記者会見などに出席していたならば、この記事内容とはならなかったはずである。

 また、地方紙に掲載された以下の記事も同様であった。

■5月1日の地方紙朝刊に次のような見出しが付けられた記事が並んだ。

 東奥日報 代表続投をめぐる民主有識者会議 “みそぎ”のはずが… 想定外の辞任勧告? 出席者 次々厳しい声

 信濃毎日新聞 西松の巨額献金事件 民主の有識者会議 相次ぐ小沢辞任論 みそぎのはずが思わぬ展開

 沖縄タイムス 最前線/みそぎにはずが辞任勧告? 民主有識者会議

 各紙に掲載された記事は通信社の配信記事であるが、当委員会が招いたジェラルド・カーティス氏や堀田力氏そして岩井奉信氏が「政権交代を目指すなら辞任すべき」と述べていることを伝えている。これは当委員会の見解ではなく、招いたゲストの、しかも、当委員会の質問とは関係ない発言の一部であるにもかかわらず、小沢代表(当時)の進退について委員会が議論しているかのような不正確な報道がなされた。

3.報道各社に求められる事件の報道検証

3-1.報道機関の蓄積データと今回の事件の対比を

 これまで、各報道機関は数多くの政治資金規正法違反をめぐる事件を報道してきた実績がある。その膨大な報道資料さらには取材で得たデータをもとに、今回のような検察の捜査着手時期、さらには容疑内容と逮捕事実、また起訴内容と逮捕事実や身柄拘束の是非などについて、各紙が解説記事で触れている。しかし、全体としては、今回の事例の特殊性を際立たせる報道になっているとは言い難い。

 報道機関に求められる公権力の動向を監視するという古典的機能に立ち返り、この3月以来の民主党を巡る政治報道の内容をそれぞれ検証し、読者・視聴者にその調査結果を示すことが報道機関として最低限必要なことだと考える。

 同時に、現行の政治資金規正法の問題点や当局の捜査手法についての批判的見解を、外部の識者談話や識者執筆の原稿などにゆだねることなく、個々の報道機関が公開された政治資金収支報告書の分析検討などの調査を行うほか、独自取材を通して、事実の解明に寄与することが求められる。その上で、調査・取材結果を市民に伝える責務を果たすべきである。

4.本件に関する報道のゆがみの原因

 この事件を巡る報道には検察側からとみられる情報に依存したものが少なくなかったといえよう。重大な政治的影響を生じさせる事件の報道にあって、とくに総選挙が近く実施されることが予測される状況での検察側の異例の捜査であるだけに、この間の報道は多くの問題点を残した。その背景に、記者クラブに象徴される当局と報道機関との不透明な関係があるとみられる。同時に、政治家と報道機関との適切な距離感が保たれていないという問題もある。

 本章で指摘したNHK、産経新聞の事例に見られるような、国民に誤解を与えるゆがんだ報道によって、社会的、政治的、経済的に重大な影響を及ぼすことのないように、組織内部においてコンプライアンス体制の整備に取り組むほか、報道界はジャーナリズムの原点に立ち返り、報道を巡る構造的な欠陥の解消に向けて積極的な取り組みを行うべきである。

第5章 政党の危機管理の観点からの分析

 野党第一党の地位にある政党が、政権選択をめざす総選挙を目前に控えた時期に、党首の資金管理団体に関する政治資金規正法違反の容疑で党首の公設秘書が検察に逮捕されるという事態に直面したとき、その政党はどのような対応をとるべきなのか、そして、その党首自身は、どういう態度で臨むべきなのか。

 本章では危機管理の観点から、そのような立場に立たされた政党と党首がどのように対応すべきかを検討し、今回の事件で、まさにその立場に立たされた民主党と小沢前代表が実際にとった対応を検証した上、民主党が今回の問題を教訓として取り組んでいくべき課題を提示する。

1.政党としてどのような基本方針で臨むべきか

 政党は国民に支持され、選挙で議席を獲得して政権を担当し、政策を実現することを目的としている。その目的実現のために、まず有権者の支持を得て議席を獲得し、国会内での多数勢力を獲得すること、野党においては選挙に勝利して政権を獲得することが必要であることは言うまでもない。

 一般論としては、かかる意味で、党首の政治資金問題が検察の強制捜査の対象とされるという事態に直面した政党は、まず、疑惑を厳粛に受け止め、党首に対して厳正に対処する姿勢を見せることで、党首の問題が党自体への国民の支持の低下につながることを最小限に食い止めることが必要である。

 しかし、一方で、民主的正当性を持たない検察の不当・違法な捜査権限の行使による政治介入が行われ得ること、それが、とりわけ時の政府に都合の良い形で行使される傾向があることは、第3章の3-1.で述べたとおりであり、そのような権限行使が行われたた疑いがあるのであれば、民主主義を担う政党として、憲法および法令によって認められた手段を駆使して、検察の不当な政治介入に対して毅然たる姿勢を示すことも重要である。

 民主党にとって今回の事件は、検察によって党首自身の政治資金に関する疑惑が指摘された一つの不祥事であると同時に、総選挙を半年以内に控えた時期に検察の捜査権限の行使が行われたことによって国民の政権選択に重大な影響が生じたという一つの政治問題の側面をも有している。小沢前代表自身が疑惑に対して十分な説明責任を果たし、国民の不信を払拭するため最大限の努力をすることが必要である一方、検察の捜査の適正さ、検察の捜査権限の行使のあり方に疑念があるのであれば、それがいかなる根拠によって行われ、その容疑事実や捜査手法にいかなる問題があるのかについて、可能な限り情報を収集し、問題の所在を明らかにすることで、国民に対して検察の不当な政治介入の疑いについて問題の指摘を行う必要がある。

 民主党にとって、小沢前代表に向けられた政治資金の疑惑に対して真摯に厳正に対処することと、検察捜査の政治介入の疑いに対して毅然たる姿勢をとることとの間には微妙な関係がある。検察捜査の問題を指摘することが、党首に向けられた政治資金の疑惑に対して政党として負うべき責任を回避しようとするものと受け取られてはならないし、検察捜査への批判が司法の権威を損なう態度として反発を招かないように配慮しなければならない。また、議会内で相当の勢力を有し、政権獲得をめざす政党が、政府・与党側の政治的意図による捜査の疑いを指摘することで、逆に、政権獲得後に政治的意図によって検察の捜査に介入することができると認識しているような誤解を招くことも避けなければならない。

 一方で、検察の捜査に関して疑念がある場合に、その問題に目を背け、検察の捜査を漫然と見守りながら事態の沈静化を図るだけでは、政党としての責任を果たしたとは言えない。政党としては、党首の疑惑に対して政党としての厳正かつ真摯な対応をとることと、検察捜査による不当な政治介入の疑いに対して適切な問題の指摘を行うことの両方が求められるのであり、そのために何より重要なことは、事態を客観的にとらえること、すなわち、事実関係を可能な限り正確に把握し、検察捜査に関する問題を的確に分析・検討した上で、政党としての対応を行うことである。


2.体制の構築

 政党として事態を客観的に把握して適切な対応を行い、国民からの信頼を確保できるようにするためには、どのような体制の構築が必要か。組織にとっての危機的事態が発生した場合、まず事実関係を把握し、その問題が自らの組織にとって、どのように位置づけられる問題なのかを明らかにし、基本方針を策定する必要がある。

 政党の最終的な意思決定を行う立場にある党首に対して疑惑が指摘された今回のような事件については、ともすれば、事件の当事者的立場にある党首自身の対応と政党としての対応が一体化してしまいがちであり、それが、政党自体が当事者として対応しているかのような誤解を与えかねない。それは、政党としての対応の客観性を担保する上で最大の支障になるものといえる。

 それを防ぐための最も直接的な解決方法は、党首がただちに自発的に辞任することである。しかし、党首が一方で疑惑を全面否定しながら辞任することは、疑惑を覆い隠したまま表面的に問題の沈静化を図ろうとする姿勢と受け取られ、かえって政党への不信を招くことになりかねない。また、今回の政治資金問題のように検察捜査にも多くの疑問・疑念がある場合、そのような問題から目を背けたまま、党首辞任で検察捜査に屈服したかの印象を与えるのは好ましくない。

 この際、今回の事件のように、検察の捜査が継続され、とりわけ、直接の担当者である会計責任者の身柄が拘束されている場合には、事件の核心部分についての事実を把握することは困難であるが、政治資金に関する問題で、しかも、今回の事件のように「表の献金」の問題であれば、少なくとも公開されている政治資金収支報告書に基本的な事実は記載されているのであり、それを含めた公開資料とマスコミ報道による情報等を分析・検討することで、相当程度事実を把握することができるはずである(第1章2.2-4 で述べた今回の事件の問題を把握する上で重要な事実が、当委員会で公開資料によって調査した結果からでも明らかになっている)。

 こうした調査結果は、まず、党内において事件に対する共通認識の形成に活用されねばならない。そして、次に重要なことは、党首の疑惑に対して、党としてのコメントや見解を公表し、事件について公平で冷静な見方が行われるよう国民に対して適切に情報発信していくことである。とりわけ、今回の事件のように検察の強制捜査が行われ、マスコミが検察側からと思える情報に基づいて、検察側の見方に偏った報道を続けている場合に、党として客観的な見地から意見を述べることが重要である。

 この情報発信、コメントは、党としての事実調査の過程でも、必要に応じて行う必要があるが、その際、前記2.で述べたように、露骨な検察批判を行うことによって、司法軽視との批判を招いたり、誤解を受けたりすることがないよう十分に留意する必要がある。捜査の容疑事実や捜査手法等に対して疑問な点があれば端的に指摘すべきであるが、「国策捜査」「不当捜査」などと主観的なコメントをすることは差し控えるべきであろう。特に、強制捜査着手後、起訴不起訴が決定される前の段階においては、その処分に影響を与えようとしているとの誤解を招かないようにしなければならない。問題を指摘した上で、検察当局の公正な判断・処分を期待する姿勢を維持することが、かえって捜査の問題を浮き彫りにする賢明な対応と言うべきであろう。


3.政党および党首として行うべきこと

3-1.政党としての対応

 上記のような体制を構築し、政党としての立場と当事者たる党首の立場を分離した上で政党として行うべきことは、まず、検察捜査の対象とされた事実について情報を収集し、必要な調査を行った上、党首からも説明を求めるなどして、政党として事実関係と問題点の把握を行うことである。

 この際、今回の事件のように、検察の捜査が継続され、とりわけ、直接の担当者である会計責任者の身柄が拘束されている場合には、事件の核心部分についての事実を把握することは困難であるが、政治資金に関する問題で、しかも、今回の事件のように「表の献金」の問題であれば、少なくとも公開されている政治資金収支報告書に基本的な事実は記載されているのであり、それを含めた公開資料とマスコミ報道による情報等を分析・検討することで、相当程度事実を把握することができるはずである(第1章2.2-4 で述べた今回の事件の問題を把握する上で重要な事実が、当委員会で公開資料によって調査した結果からでも明らかになっている)。

 こうした調査結果は、まず、党内において事件に対する共通認識の形成に活用されねばならない。そして、次に重要なことは、党首の疑惑に対して、党としてのコメントや見解を公表し、事件について公平で冷静な見方が行われるよう国民に対して適切に情報発信していくことである。とりわけ、今回の事件のように検察の強制捜査が行われ、マスコミが検察側からと思える情報に基づいて、検察側の見方に偏った報道を続けている場合に、党として客観的な見地から意見を述べることが重要である。

 この情報発信、コメントは、党としての事実調査の過程でも、必要に応じて行う必要があるが、その際、前記2.で述べたように、露骨な検察批判を行うことによって、司法軽視との批判を招いたり、誤解を受けたりすることがないよう十分に留意する必要がある。捜査の容疑事実や捜査手法等に対して疑問な点があれば端的に指摘すべきであるが、「国策捜査」「不当捜査」などと主観的なコメントをすることは差し控えるべきであろう。特に、強制捜査着手後、起訴不起訴が決定される前の段階においては、その処分に影響を与えようとしているとの誤解を招かないようにしなければならない。問題を指摘した上で、検察当局の公正な判断・処分を期待する姿勢を維持することが、かえって捜査の問題を浮き彫りにする賢明な対応と言うべきであろう。

3-2.当事者たる党首としての対応

 自らの政治資金の問題で公設秘書の会計責任者が逮捕された本件のような場合、党首の立場とは別個に政治家個人として対応することが必要となるが、この場合、野党第一党の党首という重要な地位にある政治家としての立場と、刑事事件の当事者的立場の両方に配慮した適切な対応をとることが求められる。

 通常は、刑事事件の当事者的立場にある者にとって、捜査中の事件についてのコメントには、刑事事件への影響を避けるという面からの制約がある。しかし、その一方で、政党の党首の地位にある政治家自らの政治資金が捜査の対象とされた場合、その容疑を真っ向から否定するのであれば、容疑を否定する対外的コメントを国民にわかりやすい形で行うことが不可欠であろう。ただ、ここで行うコメントが、マスコミに不正確に伝えられると、捜査で指摘された疑惑に対する姿勢に関して誤解を招くことにもなりかねない。また、党首ではなく政治家個人の立場での対応とはいえ、党首という立場を維持している以上、政権交代が実現した場合には行政の長たる内閣総理大臣の地位に就くこともあり得るのであるから、上記3-1.で党としての対応に関して述べたのと同様に、露骨な検察批判を行うことによって、司法軽視との批判を招いたり、誤解を受けたりすることがないよう留意する必要がある。

 このように、政治家としての対応については、微妙で困難な問題があるため、弁護士のサポートを受けるなどして、会見の設定、プレスリリース対応などを適切に行うことができるよう、個人事務所を中心とする十分な体制を構築する必要がある。

 そして、重要なことは、刑事事件の当事者的立場にある者にとっては、検察捜査に対して反論・批判を行うのであれば、刑事手続の中で行うのが本筋だということである。公設秘書が起訴されたのであれば、少しでも早く公判手続が開始され、その場で、検察に対する反論を行い不当な捜査・起訴であることを明らかにできるよう、最善を尽くすべきであろう。

4.本件に関して民主党および小沢前代表がとった対応に関する問題

4-1.党首としての立場と政治家個人の立場との一体化

 鳩山幹事長(当時)からの回答書によると、「問題が代表個人の政治資金問題であることから、まず小沢代表が事実関係を把握し、できるだけ速やかに説明するべきことを要請し、翌日の朝一番に臨時役員会を緊急開催するとともに、その直後に代表が記者会見を開いて説明を行いました」とのことであるが、党首自身の政治資金問題で公設秘書が逮捕されるという、党首の辞任にも結びつきかねない、党にとって重大かつ深刻な事態の発生を受けて、民主党がまず行わなければならないことは、事件について当事者的立場に立たされた小沢前代表と、目前に迫った総選挙で政権をめざす野党第一党の民主党という組織とを切り離すことであった。小沢前代表が疑惑を全面否定し、辞任の意志はないことが確かめられたのであれば、政治家個人としての小沢前代表の対応は本人にゆだね、それとは別個に、小沢前代表が意志決定にかかわらない形で民主党としての対応を行うための体制を構築することであった。

 表面化した党首の政治資金問題に関して、民主党独自に意思決定を行い、自立した対応がとれるような体制を整備する方法として、小沢前代表が、事件についての対応を行う期間内、代表の職務を停止し、代表の臨時代理を選任する方法と、党の一般的な体制を維持したまま、小沢前代表の政治資金問題について党内で独立して事実調査などの対応を行う特別の組織を立ち上げる方法とが考えられることは前に述べたとおりである。ところが、実際の民主党がとった対応では、小沢前代表が党首として党の活動全般にわたって最終的意思決定を行う体制を維持したまま、小沢前代表の説明を前提に党の事件への対応方針を決定した。その後も、政治家個人としての小沢前代表の立場と政党としての民主党との切り離しが図られないまま、国民に対する説明などの対外的対応が行われていった。

 また、小沢前代表が民主党本部での代表定例会見という形で事件に関する発言を行ったり、代表代行、幹事長などが記者会見で五月雨的に事件についてのコメントや検察リークを批判するコメントを行ったりしたため、小沢前代表と民主党と渾然一体となって検察捜査に反発し対決しているように受け取られ、マスコミから批判を受けることにつながった。

 しかも、検察捜査の対象となった事件の内容や性格、問題点についても、その背景となっている小沢前代表の政治資金問題全般についても、党として客観的に事実を把握することができなかったために、民主党内部でさまざまな見方・見解の対立を招き、前提事実があいまいなまま小沢前代表の進退をめぐる議論が行われるなど、混乱を極めることとなった。

 一方で、小沢前代表の側も、政治家個人としての、個人事務所を中心に事件対応のための特別の体制を構築すべきであるのに、それが行われないまま、民主党の組織に寄りかかる形での事件への対応が行われた。

 3月4日などの小沢前代表の記者会見は、政治家個人の資金管理団体の政治資金の問題なのであるから、党首という立場ではなく、政治家個人の立場で行うべきものであり、政治家個人の立場と党首の立場とを区別するために、個人事務所などを会見場所に設定して行うべきであった。

 ところが、実際には、会見は党本部で行われ、マスコミへの連絡、会場の準備など会見の設営についても、定例記者会見と同様、民主党の役員室が行った。そのため、小沢前代表個人としての発言なのか、民主党の党首としての発言なのかが判然としないまま、事件に対する検察との対決姿勢だけが強調されるという結果を招いた。

 民主党においては、当事者的立場にある小沢前代表が意思決定にかかわらない形で、小沢前代表の政治資金問題に対する党としての対応を決定するための体制を構築すること、小沢前代表においては、個人事務所を中心とするサポート体制を作ることが不可欠であったといえよう。

4-2.小沢前代表の説明について

ア 検察の捜査・処分に対する批判

 小沢前代表は、3月4日の記者会見で「衆議院総選挙が取りざたされているこの時期に異例の捜査が行われたことは、政治的にも法律的にも、不公正な国家権力、検察権力の行使」と述べて検察捜査を強く批判したが、その後の記者会見では、検察捜査を直接的に批判することはせず、3月17日の会見では、「献金を受けていたことは事実ですし、そして政治資金規正法の趣旨にのっとって、その通り報告をしてきたところです。いろいろと今、捜査を致しているところと推測していますが、検察当局の公正な結論が出ることを期待しています」と述べて、検察の公正な判断を期待するという穏当な言い方を行っている。

 そして、秘書が起訴された3月24日の夜の会見では、「献金を受けた事実はそのまま報告していますし、献金をいただいた相手方をそのまま記載するのが政治資金規正法の趣旨であると理解していまして、その認識の差が今日の起訴という事実になったことと思います。過去の例を見ても、この種の問題につきまして、逮捕、強制捜査、起訴という事例は記憶にありません。そういう意味で、政治資金規正法の趣旨から言っても、またそういう点から言っても、私としては、合点がいかない、納得がいかないというのが、今日の心境です。特に総選挙、まさに秒読みの段階に控えている今日であり、私の責任の重大さを感じると同時に、そういった形での結果については、自分としては納得できないという思いです」と述べて、政治資金の処理に関する見解の相違が起訴の原因という見方を示すとともに、婉曲的ながら、過去に例がない検察の強制捜査・起訴に対する批判的な発言をしている。

 第1章で述べたように、本件の検察の捜査・起訴には、多くの疑問があり、しかも、検察は、それらの疑問に対して説明責任を果たしていないことからすると、そのような検察捜査で政治的に大きな打撃を受けたと考えている当事者の小沢前代表が、検察に対して批判的な見解を述べるのはある程度は当然であり、会見などの経過を全体としてみると、検察批判発言が行き過ぎているとは思われない。しかし、突然の秘書の逮捕で若干感情的になっていたと思われる3月4日の会見での強い表現の検察批判が、その後マスコミで繰り返し取り上げられ、対決姿勢が強調されたことが、あたかも民主党が党として検察批判を行っているように受け取られ、その後の世論形成において結果として不利に作用したことは否めない。政治家個人としてのマスコミ対応のサポート体制が十分ではなかったことの問題が表れたとみることもできよう。

イ 政治資金規正法違反の容疑事実に関する説明

 3月4日の小沢前代表の記者会見における、西松建設の関連政治団体から陸山会への政治献金の違法性に関する発言の中で、その後、マスコミ側から「苦しい言い逃れ」のように扱われ、批判的世論形成の原因となったのが、(1)「西松建設そのものからの企業献金だという認識に立っているとすれば、政党支部は企業献金を受けることが許されておりますので、そういう企業献金という認識に立っていたとすれば、政党支部で受領すれば何の問題

も起きなかったわけでありまして、私どもの資金管理団体の担当者は、それは政治団体からの寄付という認識の下にあったから、政治資金管理団体で受領したということであったと報告を受けております」と、(2)「献金していただくみなさんに、そのお金の出所や、いろいろな意味においてそういうことをお聞きするということは、厚意に対して失礼なことでもありますし、通常、これは政治献金の場合だけではなく、そのような詮索(せんさく)をすることはないだろうと思っています。」の二つであった。

(2)の「詮索することはない」という言葉が、「資金の出所が西松建設であることを知る立場にない」という意味で受け取られ、(1)の「西松建設そのものからの企業献金だという認識に立っているとすれば」という言葉が、「資金の出資者が西松建設だと認識できたとすれば政党支部で受領すればよかった」という意味で受け取られたことが、小沢前代表が、資金の出所が西松建設だと認識する可能性すらなかったと主張しているように扱われ、「自分の会社に何かメリットがなければ政治献金をする意味がないのだから、西松建設が出資者だということは当然、小沢側が認識していたはずだ」という理由で、小沢発言は、不自然・不合理な弁解だとされ、「説明責任を果たしていない。納得できない」との批判につながった。

 しかし、当委員会でのヒアリングに対して、小沢前代表は、「政治資金規正法では、寄付をしてくださった個人や団体を収支報告書に記載すれば十分であり、資金の出資者を記載することは義務付けられていない」という前提で「政治団体から受領した以上、政治資金規正法にのっとって、政治団体からの寄付として収支報告書に記載すべきと考えたからこそ、そのように記載したということです」と答えている。

 また、「詮索することはない」という言葉の意味についても、ヒアリングでは、「寄付を頂く政治団体に対して、寄付の資金をどのようにして捻出(ねんしゅつ)されたのかということまでお尋ねするのは、誠に失礼なことですので、そこまで詮索するようなことはやっていないはずだと申し上げた」と説明した。

 その前提として、小沢前代表は「寄付を頂く際に、どこから資金が出ているかを一つひとつ確かめてみろということは、少なくとも、今の政治資金規正法では求められていない」ということも述べている。

 しかし、3月4日の記者会見の際の発言は、記者の側には、そのような意味には受け取らなかった。政治献金の資金が西松建設から出ているとの認識の有無が犯罪の成否のポイントだとの前提に基づいて、小沢前代表の発言は、その認識を無理に否定しようとする発言だと受け取られてしまった。

 第1章で述べたとおり、政治資金規正法上、収支報告書に記載が義務づけられているのは政治資金の出資者ではなく、寄付の外形的行為者と理解するという見解にたった上で犯罪の成否を議論するよう、記者への丁寧な説明を行う必要があった。この点も、個人事務所を中心とするサポート体制が整備されていたら、より適切な対応ができたのではないかと考えられる。

ウ その他の事項についての説明

 今回の政治資金問題に関連して、小沢前代表に対して、事件そのものについての説明以外に、ゼネコンから長年にわたって多額の政治献金を受けていたのであるから、その政治資金の使途についての説明を求める声がある。

 この点について、ヒアリングで質問したところ、小沢前代表は、「私は、政治資金規正法が定めるルールにのっとって、頂いた政治献金をすべて収入として収支報告書に記載し、その使い道についてもすべて収支報告書で公開しています。また、陸山会の事務所費については、当時の法律では義務付けられていないのに、事務所費の明細とすべての領収証を公開しました」「今回も同じようなことをすればいいではないか、といわれるかもしれませんが、事務所に強制捜査が入ったときに会計関係の書類をほとんど持っていかれてしまったので、説明する術がありません」と答えた。

 政治資金収支報告書に記載されている支出の内訳の程度では、政治資金の使途の説明として十分とは言い難いというのが一般的な感覚であろう。ただ、検察に会計関係の書類がすべて押収されているので、それ以上の詳細の開示ができないということであれば、現時点では、収支報告書上の支出の内訳以上の開示は困難である。結局のところ、今後の刑事手続の推移の中で、押収物の還付が受けられた時点で、改めて検討することになろう。

 今回、小沢前代表に説明責任を問う契機となった政治資金規正法違反の刑事事件が、一方で、皮肉にも、小沢前代表の政治資金についての開示を阻む要因になっているという見方もできよう。今後、刑事手続が進展し、公判において事件の内容が明らかにされる中で、背景事実として小沢前代表の政治資金の問題も立証の対象となり得るのであるから、小沢前代表の側でも、公判での立証の状況に対応し、また、第1章で述べた検察の捜査・処分に対する疑念が解消されるかどうかも見極めながら政治資金問題についての説明を行っていくべきであろう。

5.まとめ

 これまで述べてきたように、今回の事件に対する民主党および小沢前代表の対応は、政党の危機管理対応という観点からは問題がある。発端となった検察捜査自体に第1章で述べたような多くの疑念があり、また、それに関するマスコミ報道にも第4章で述べたような問題があることは確かであるが、政党としての危機管理に失敗した結果、政党支持率の低下、小沢代表(当時)の辞任を求める世論の高まりを受けて総選挙を目前に控えた時期の代表辞任という事態に至ったことは厳然たる事実であり、それは、多くの国民の支持を受け、その期待を担う政党にとって反省すべき事柄である。民主党にとっては、その危機管理の失敗を、今後、危機管理対応のみならず党運営全般に活用していくことこそが、今回の事件を乗り越えて国民の信頼を回復するための最良の手段である。

 危機管理の失敗の最大の原因は、今回の事件に関して、小沢前代表の政治家個人としての当事者的立場と、政党の党首としての立場とを切り離すことができず、両者の立場が渾然一体となったまま対応したことである。そのため、検察の捜査・起訴に関する問題やマスコミ報道の問題などがあっても、それらの問題を客観的な観点から的確に指摘することができず、事態の一層の悪化につながった。

 問題は、なぜ、当事者の立場と民主党の党首としての立場を切り離すことができなかったのか、ということである。危機管理の失敗の根本原因は、多くの場合、組織の日常の中にある。民主党の日常的な党活動の体制において、強烈な個性を持ったリーダーの指導力と、党としての判断や対応を客観化するシステムとの調和という面で問題がなかったのか、という観点から、今回の事件における危機管理の失敗の原因を検証してみることが必要であろう。

第6章 政治的観点から見た民主党の対応

 本章の目的は、民主党の求めに応じて、「小沢前代表および民主党の対応、説明責任について検討する」ことである。今回の政治資金規正法違反事件に関連して、小沢前代表や民主

党の「説明責任」を問う声は根強いが、具体的にどういう説明を求めているのかについて、さまざまな論点が錯綜(さくそう)し、小沢前代表や民主党が対応に苦慮したようにも見られる。そもそも、当委員会の設置自体、そうした戸惑いの現れとも見ることができる。そこで、本章では、広く国民の支持を獲得しようとする政党がとるべき政治戦略の観点から、小沢前代表および民

主党の対応を検討し、党内運営のあり方についての方策を示す。

 政党や政治家は広く国民の支持を獲得することを目的とする存在であり、問題がなければ、関心を持たれなくてもよい、というわけにはいかない。その意味で、政党や政治家は、積極的に自己の立場をアピールし続けなければならないのである。不利な状況においても、単に疑惑を解消するだけではなく、説明を通して、国民のなかに共感を広げるという積極的な姿勢が欠かせない。その点で、あまりに防衛的になるばかりでは、事態を有利に打開することにはならないことに注意が必要である。

1. 対応の前提

1-1.当事者的立場にある政治家と政党の区別

 すでに、第5章で見たように、今回、小沢前代表の問題と民主党の問題が、渾然一体としてイメージされたことは反省すべき点である。

 今回の政治資金規正法違反事件は、あくまで小沢前代表の個人事務所をめぐる問題であって、論理的に考えれば、民主党全体の問題ではない。しかし代表職にあって、政党を率いる立場にある政治家の問題である以上、一般の印象として、民主党そのものに問題があるとみられてしまう危険性がある。それを防ぐには、両者の区別を積極的に訴えていくことが何よりも必要であった。

 また、事件によって代表の進退が取りざたされるとき、まず、強調されないといけないのは、当事者的立場にある政治家と政党との区別であり、それを前提に議論を進めないと、代表辞任論に抵抗することは難しいし、万一、代表辞任という事態に立ち至った場合には、政党に対するダメージは大きくなる。その意味で、この両者を区別していくことは必須であった。

1-2.今回の事件の特殊性

 今回、小沢前代表の進退が大きな問題になった背景には、一般の刑事案件において、疑惑が生じ、捜査が行われた場合には、事柄の成否が明らかになる前でも、とりあえず疑惑を抱かれたことをもって、いったん身を引く事例が過去に多かったことがある。

 しかしながら、本件についてみれば、政治資金規正法の解釈をめぐって、検察側と小沢前代表側との間に見解の相違が見られ、それが事件の本質的な問題となっているため、贈収賄などの刑法犯の場合とは、大きく事情を異にする。

 ただ、そのことは、法律問題に必ずしも精通していない、一般の国民などには理解しにくいため、丁寧な説明によって、問題の所在に関する一定の理解を確保する努力が求められていた。

 また、長く見積もっても半年以内に総選挙を控えている時期の強制捜査であることは、政治情勢に対して重大な影響を与えるものであり、この点についての考慮も欠かせない。

1-3.検察に関する発言の問題

 強制捜査の時期などから、政府の一部に属する検察が、現政権側の利益のために、野党に打撃を与えるための捜査・起訴ではないかという疑いについては、あってはならないことではあるが、理論上は排除することはできない。

 そこで、当事者がそのような可能性に思い至って、それに憤慨するのを否定することまではできない。しかしながら、法的秩序の安定性を考えれば、司法に対する政治的介入を意図していると誤解されかねず、問題が大きい。

 その意味で、当事者的立場にある政治家が、総選挙の時期とからめて検察の措置を批判し、さらに進んで、検察のあり方そのものを直接批判することは、控えるべきであり、慎重な言い回しが求められる。総選挙の結果次第では、内閣総理大臣になることが予想される民主党の代表として、検察の独立性に疑問を呈するのは、政権の座に着いたら、逆に検察の活動に介入するのではないかという疑いを抱かせかねないからである。

 会見の記録などから、小沢前代表もこの問題の所在を理解していると推測されるが、秘書逮捕直後の会見では、やや感情的になったという印象のある発言があり、それが広く報道されたのは反省点である。

 もちろん、第1章で述べたような問題があるので、検察の措置に対抗するために、当事者的立場にある政治家が、検察の立場とは違う立場を取っていることを説明することは必要である。

 これに関して、民主党、とりわけ幹部は、先に述べた当事者的立場にある政治家と政党の立場を区別するという観点から、検察批判的な発言を抑制することが、より強く求められる。ところが、幹事長など党の幹部によって「国策捜査」という言葉が使われ、また検察に圧力を加えると誤解されかねない発言が相次いだのは、適切ではなかった。

 ただ、検察の措置に問題があるということを、全く論じていけないわけではなく、そうした問題の所在に人々の関心を向けさせる発言は認められる。政治的有効性からすれば、民主党関係者が抑制の効いた発言を続けるなかで、第三者の間から、検察の措置に関する批判がわき起こるといった事態の方が、より民主党にとって、好ましい事態であったと考えられる。

 2. 民主党代表としての小沢前代表の説明について

当事者的立場にある政治家としての小沢前代表の立場とは別に、民主党の代表としての小沢前代表には、説明すべきことはなかったのであろうか。もちろん、党の代表としての記者会見で、事件について聞かれることもあろうが、これについては、当事者的立場にある政治家として別に回答すると述べて、立場が違うことを明確にすべきである。

 しかし、今回の事件を契機に、小沢前代表の政治資金問題一般に関する認識や行動、さらには政治姿勢が問題とされたことについては、政党の代表をつとめる政治家として、積極的に自らの心情と行動を訴え、広く支持を求めるという行動をとることもできた。

 とりわけ惜しまれるのは、かつて代表選挙の際に「私も変わらねばなりません」と述べて、大きな共感を呼んだような展開がなかったことである。批判者のなかには、小沢前代表がかつて自民党の要職にあり、さまざまな利権にもかかわっていたはずで、その「体質」が今でも変わっていないという前提から、今回の事件を奇貨として、小沢前代表に対する批判を活発化させた論者も多い。そうしたときに、政治資金に関しても、時代の変化や社会の要請にかんがみ、かつての「体質」から脱却したと国民から認められるよう努力しているところである、といったことを述べるべきであったのではないか。

 そして、いわゆる政治資金の出所と使途に関する疑問に関しても、自民党など他の政治家と比べて、それほど突出した政治資金を集めているわけではないことを説明するほか、どういう目的で政治資金が使われるのか、例を挙げるなどして説明するということがあってもよかった。

 この点について、小沢前代表には、なぜ自分についてのみ政治資金の問題がとりあげられるのか、という思いがあったことは理解できるが、内閣総理大臣になりうる立場としては、何事によらず、国民一般への説得力を備えることは、大変重要なことである。現代社会においては、政治家とりわけ最高指導者には、高度な説明あるいは説得能力が求められるのであって、政治資金や政治姿勢に関する問題も、それに含まれるからである。

 これに関連して、集中豪雨的な小沢辞任論など、一方的な報道にさらされたために、やむをえない面もあるが、小沢前代表は、もっと積極的にマスコミに訴えかけるという姿勢があってもよかったのではないか。多くの国民が、報道を通じて政治状況を知ることを考えれば、説明の努力を続け、報道内容を変えていこうという姿勢を維持すべきである。「マスコミが悪い」といっても、報道内容の当否を一般の有権者が知ることは容易ではない以上、できるだけ有利な報道が行われるように努力し、少なくとも、努力している姿が伝わるように努めるべきなのである。そう考えると、記者会見においても、記者の背後に一般の国民がいることを考え、小沢前代表は言葉遣いを含めて、広く国民に訴えているのだという姿勢を保つ必要があった点も指摘しておきたい。

 また、民主党代表としての小沢前代表は、事件にもかかわらず、できる限り平常通りの執務に努めて、事件の影響を最小化すべきであった。政治資金規正法違反事件の帰趨にかかわらず、事件対応のために代表としての職務に差し障りがあるとすれば、別の批判を受けかねないからである。

3. 民主党の対応について

3-1.立場の区別と党外への訴えかけ

 政党において、所属議員に問題が起こったときの対応には、固有の難しさがある。それは、政党が集団でありながら、所属議員は国会議員として、固有の独立性を持っている点である。そこで、所属議員の問題を、政党全体の問題と区別し、所属議員が問題を処理できるように支援しつつ、問題の分離を図ることが必要となる。まして、今回の場合には、政党の代表者

について疑惑を持たれるという難しい事案であって、処理に苦慮したことは理解できるが、これについても、より洗練された対応が行われるべきであったと考える。

 先に述べたように、政党として、事件の当事者的立場となった代表とは、独立の立場で問題に対処しうることを示すことは重要であり、実際に、そのための体制整備が求められる。たとえば、問題に関する判断までも、民主党として、小沢前代表に委ねるということになれば、立場の区別ができないために、政党としての判断に問題が生じることも考えられる。従って、代表を除く執行部がこの問題について、自律的に対応できるための方策を考えておかねばならない。つまり、小沢前代表の政治家個人の問題と、政党の問題を区別するためには、小沢前代表が自身の問題にかかわる側面では行動しにくくなった状況において、民主党が政党として独自の立場を持つことを示す仕組みを備えるべきであった。

 今回、民主党内から代表の対応についての批判が噴出しなかったことは、代表に対する信頼と党内の一致結束を優先した多数の所属議員の判断によるものとみられる。しかし、党内の議論を行って、その姿を示しながら党内の認識統一を図る方が、好感を持ってみられたのではないか。その点で、政治家個人の問題に関して、民主党内で弁明ないし説明する機会を設け、小沢前代表と所属議員など民主党関係者が、疑問点について直接意見を交換する姿勢を社会に示すことが求められた。また、これを踏まえ、民主党が代表の問題に関して、代表個人の判断とは別に、政党としての意思決定を適切に行いうることを示すべきであった。そうした手順を経て、代表の置かれた状況を民主党として正しく理解し、多くの所属議員が代表を支持するという形になれば、より説得力のあるかたちで民主党の立場を主張することも可能であったであろう。

 いずれにせよ、党首に疑惑が提起され、批判を受けるという事態のなかで、政党がとるべきことは、党内状況の流動化を防いで、政党としての活動を正常に継続することだけではなく、対外的に積極的なアピールによって、ダメージを最小にすべく努力することである。

 これに関連して、民主党の仕組みとして、代表に問題が生じたときに、その問題に関して代表ぬきで党の方針を決める仕組みがないことが明らかになった。確かに、議員に問題が生じたときの機関に、常任幹事会の諮問機関と位置づけられている倫理委員会がある。ただ、倫理委員会は倫理的に問題のあった議員の処分を決めるためのもので、今回の場合には使えない。その点で、政治家個人の問題が発生したとき、党外から見て、問題を審査・評価するための仕組みが見えにくいのは問題である。

 なお、当委員会は、民主党から独立した純粋な第三者委員会であり、また実態の究明を目的とする機関ではない以上、民主党の説明責任を肩代わりすることはできないことを付言しておきたい。

おわりに

 半年以内に総選挙が行われるという時期に、政権獲得をめざす野党第一党が、党首の政治資金問題による検察の強制捜査によって深刻な打撃を受け、国民の政権選択にも大きな影響を及ぼした今回の問題は、日本の民主主義の基盤そのものにかかわる多くの重要な問題を提起することとなった。

 今回の政治資金規正法違反による検察捜査については、第1 章で述べたように、そもそも違反が成立するか否か、同法の罰則を適用すべき重大性・悪質性が認められるか、任意聴取開始直後にいきなり逮捕するという捜査手法が適切か、自民党議員等に対する寄付の取り扱いとの間で公平を欠いているのではないか等、多くの点について疑念がある。そのことが、政治活動と政治資金の関係に関して公開のルールを定める政治資金規正法の制度の枠組み、運用の在り方は、現在のままで良いのか、不当な捜査権限の行使や起訴に対して検察組織の外からのチェックシステムが設けられていない現在の制度に問題はないのかなど、第2 章及び第3章で述べた問題を提起することとなった。

 また、第4章で述べたように、今回の政治資金問題に関する報道のあり方には、情報源の偏り、公正さに欠ける報道内容などの問題があった。それによって、主権者たる国民による適切な判断の前提となる情報を提供するという報道機関の存在意義が、根本的に問われることになった。

 一方で、このような検察の捜査・起訴によって打撃を受けた民主党の側にも、小沢前代表の政治家個人としての当事者的立場と、政党の党首としての立場とを切り離すことができず、両者の立場が渾然一体となったまま対応したために、事態を客観的に把握し、党として適切に問題を指摘することができなかったことなど、政党としての危機管理の面の問題があった。また、広く国民の支持を獲得すべき政党の党内運営のあり方にも、情報発信のまずさなど政治戦略上の問題があった。それが、代表の政治資金にかかわる問題で民主党が政治的に窮地に立たされる大きな原因になった。

 民主党は、本報告書で述べた政治資金規正法の枠組み、検察のあり方、マスコミ報道などに関する問題などを的確に認識し、今後の党としての政策立案、制度論に生かしていくとともに、今回の問題を教訓として、党運営、党の組織に関する問題についても改善を図っていくべきである。

 今回の問題の教訓を生かすためには、民主党が政権交代を阻止しようとする検察の意図的な権限行使、マスコミ報道の被害者的立場にあるかのように受け止めることは適切ではない。今回の問題で露呈したさまざまな問題は、政治資金制度、検察制度、メディアに関する制度などに関する構造的な問題に根ざしたものであり、今、重要なことは今回のような事件で政党政治に対する脅威が生じさせないようにするために、その構造自体を改めることである。そのためには、むしろ政治的には対立する現在の政権政党などと協力しながら、政党間の共通の課題として、超党派的な立場から取り組むのが望ましい。

 民主党は、今回の一連の問題を、政権獲得をめざす政党に降りかかった災難ととらえるのではなく、民主主義国家における政治・検察・メディアの関係に関する重要な問題を顕在化させ、今後取り組むべき課題を認識する契機と受け止めるべきである。そのような前向きの取り組みを行うことができるかどうか、そこに政権を担い得る責任政党としての真価が問われているといえよう。

(補論)本件政治資金問題に関連する法解釈および事実関係についての検討結果

1.「寄付をした者」についての有識者見解の検討

第1章の2-1.(1)で述べたように、政治資金規正法の解釈としては、「寄付をした者」とは、基本的に、「寄付者として金銭の交付や振込など外形的な行為を行った者」と解するべきだと考えられるが、法務省は、「寄付をした者」の判断を、個別の事案ごとに実態に基づいて行うべきとの見解を示している。その前提として、政治資金規正法4 条3 項の「寄付」の定義規定との関係をいかに考えているかは不明であるが、当委員会の有識者懇談会にも参加した堀田力氏は、別の場において、この点について、「寄付とは財産上の利益を提供することで、法律が『交付』を含むとしたのは、使者や機関に対し手渡した場合も含むことを明らかにしたのであり、『交付』という外形があればすべて寄付になるわけではない。たとえば同法は寄付の斡旋(あつせん)に関する制限を設けているが、斡旋(あっせん)者に寄付金を託した場合でも、斡旋は斡旋で、寄付の受領ではない」と述べて、同法が、寄付者について、「形式」ではなく「実質」に基づいて記載を行うことを求めているとの見解を示している。

 同氏の見解は、法務省見解の根拠を推測する一つの手がかりになると思われるが、以下のような疑問がある。

 堀田見解のように、「使者や機関に対して手渡しをした場合も含む」という趣旨であれば、「寄付」の定義に「交付」という文言を含めるまでもなく、「供与」に含めて解することは可能である。例えば、実質判断を行う場合の典型である贈収賄の事例において、贈賄者が、収賄者と意思を合い通じた使者に現金を手渡した場合は、当然「供与」したと認定できるのであり、「交付」などという概念を持ち出す必要はない。公職選挙法は、民主主義の制度的基盤を支える法律という面で政治資金規正法と共通の性格を有するものであるが、同法は、当選を得る等の目的で、「選挙人又は選挙運動者に対し金銭、物品その他の財産上の利益」を「供与」する行為の禁止(同法221条1項1号)のほかに、「選挙運動者に対し金銭もしくは物品の交付、交付の申し込みもしくは約束をし又は選挙運動者がその交付を受け、その交付を要求しもしくはその申し込みを承諾」する行為を禁止しており(同条項5号)、「交付」という概念を用いているが、その意味は、「供与」が選挙人、選挙運動者に対して「金銭、利益を得させること」であるのに対して、「交付」は、選挙運動者に対して単に「金銭、利益を移転すること」である(典型的なのは、選挙人を買収する資金を運動者に託す行為)。

 このような公選法における「交付」という文言の意味との比較に照らしても、上記堀田見解のような「交付」の解釈を取る余地はなく、「寄付」の定義に「交付」が含まれているのは、前記のように、金銭、利益を「得させる」という「供与」の形態とは異なる、「単なる移転」の場合も「寄付」に含める趣旨だと考えられる。

 また、収支報告書に「寄付の斡旋者」の記載に関する規定があるが(同法12条1号ハ)、それも会計責任者が「寄付の斡旋」を受けたと認識できる範囲で形式的な判断によって記載すべき事項だと考えられる。斡旋者自身が政治団体等に現金を持参してきたとしても、「寄付者」として現金の交付ではなく、斡旋者が使者として現金を持参しただけである。いずれにしても同法が実質判断に基づく記載を求めていることを示すものではない。

 この点に関して、当委員会の有識者懇談会に出席した政治資金問題の専門家の日本大学教授の岩井奉信氏も、「今までの政治資金規正法の実質上の運用を見ていると、実質が誰であったのかまでは求めていない。実質まで確認することを求めるのは実際には無理だろう。したがって、有罪になるのは難しいだろうし、もしこれで有罪が取れるということになると、政治資金規正法の根幹がひっくり返ってしまうことになる。本件で虚偽記載を認めてしまうと、政治資金制度、収支報告書の根幹が揺るがされることになる。今回の事件を違法と言ってしまえば、違法は山のようにある。その摘発が検察の裁量権に任されているのであれば、ある種怖いことである。今回はそれが問題になったということで、非常に皮肉な言い方をすれば、検察が必ずしも正義ではないということが明らかになった」と述べている。

2.西松建設内部調査報告書に基づく検討

 西松建設内部調査報告書は、同社が、平成7年に施行された政治資金規正法の改正により、企業から政治家個人への献金が禁止されたことから、政治団体からの献金を装って政治家個人の政治団体等に献金することを画策し、そのために、「新政治問題研究会」と称する政治団体を設立したと述べており、同団体が、企業から政治家個人への寄付の禁止を潜脱する「脱法目的」のものであったことを認めている。

 しかし、同報告書は、一方で、「会員とする社員は、当時の幹部社員が全国の支店を回って、一人一人勧誘し、会員となる旨の了解を得ていた」と述べており、政治団体への加入が会社からの強制ではなく、社員の意志によって行われていたことを明らかにしている。

 そして、社員が政治団体に加入して支払う会費については、西松建設が「一部の社員に対して特別賞与の名目で金銭を交付し、その代わりに当該社員から年に2回、政治団体への寄付をさせていた」と述べているが、この特別賞与加算については、「具体的な上乗せ金額は本人には知らされず、政治団体への加入の勧誘を受けた際には『賞与で上乗せするから寄付をしてくれ』といわれていたに過ぎなかった」とされており、特別賞与加算が、社員が政治団体の会員として支払う会費の補填(ほてん)であることが明確に認識されていたわけではないようである。しかも、両者の金額を対比すると、特別賞与加算の金額が約11億円であるのに対して、政治献金、パーティー券の購入等に充てられた金額は、約5億9000万円であり、社員が源泉徴収される所得税等を考慮しても、両者の金額の差はあまりに大きい。賞与特別加算は、社員の会費支払いの単純な補填ではなく、政治団体への加入も含めた会社の意向への忠誠の程度などの総合的評価に基づいて支給されていたのではないかと考えられる。

 同政治団体の献金先と金額が西松建設によって決定されていたことなど、西松建設の統制下にある団体であったことは明らかであるものの、それは、親会社と連結100%子会社の関係と同様のものであって、上記のような同団体の活動や会費支払いの実態からすると、西松建設の役職員およびその家族を会員とする団体としての会員と組織の実体はあり、まったく実体のない、政治家に献金するための「トンネル」的な存在であったとは認め難い。

 このような実態に照らすと、連結100%子会社が親会社の指示にしたがって寄付を行った場合に、親会社が寄付者とならないのと同様に、同政治団体による寄付について西松建設を寄付者と認めることには相当な無理があるのではないかと思われる。

【民主党第三者委員会】 報告書要旨・概要

政治資金問題第三者委員会
報告書要旨・概要

報告書  本篇 (623kb)
http://www.dai3syaiinkai.com/pdf/090610report01.pdf
報告書 資料篇 (2,228kb)
http://www.dai3syaiinkai.com/pdf/090610report02.pdf
 
 第三者委員会のホームページ

◆民主第三者委の報告書要旨

 民主党の「政治資金問題をめぐる政治・検察・報道のあり方に関する第三者委員会」が10日にまとめた報告書の要旨は次の通り。

 【はじめに】=略。

 【検察の捜査・処分をめぐる問題】

 多くの点で疑念がある▽そもそも政治資金規正法違反が成立するか▽罰則を適用すべき重大性・悪質性があるか▽いきなり逮捕する手法が適切か▽自民党議員の扱いと公平を欠いていないか▽検察は重大な政治的影響を生じさせたことに説明責任を負っている。

 【政治資金規正法の在り方】

 総務省に形式審査権しか認められていない以上、要求される政治資金収支報告書の記載の真実性は形式的にとどまる▽警察・検察が総務省と異なる独自の解釈で強烈な人権規制行為に及ぶのはバランスを失している▽非刑罰としての制裁金の導入などを検討すべきだ。

 【検察・法務省の在り方】

 議院内閣制では政府・与党が一体であり、野党への権限行使に慎重な配慮が要求される▽権力行使の正当性について検察の踏み込んだ説明が求められる▽法相は高度の政治的配慮から指揮権を発動し、検察官の権限行使を差し止め、国民の判断に委ねる選択肢もあり得た。

 【報道の在り方】

 検察や関係者を情報源とする報道が大きく扱われた▽逮捕容疑を超えた「巨額献金事件」といった決め付けなど「有罪視報道」が展開された▽検察の捜査の在り方への批判が十分行われなかった▽衆院選が取りざたされる中、通常以上の慎重かつ多面的報道が求められたが、そうした姿勢が希薄だった。

 【政党の危機管理の観点からの分析】

 民主党の対応には危機管理対応の観点から問題があった。政治家個人と党首の立場を切り離せず、事態の悪化につながった。

 【政治的観点から見た民主党の対応】

 民主党幹部から「国策捜査」という言葉が使われたのは適切でなかった▽首相になり得る立場として、国民への説得力を備えることは大変重要。小沢一郎氏にはもっと積極的にマスコミに訴えかける姿勢があってもよかった。

 【おわりに】

 民主党が、政権交代を阻止しようとする検察の意図的な権限行使やマスコミ報道の被害者的立場にあると受け止めるのは適切でない▽今回のような事件で政党政治に脅威が生じないよう、構造自体を改めるべきだ。超党派的な立場から取り組むのが望ましい。 時事通信(2009/06/10-20:38)
 

◆報告書概要

■第1 章 検察の捜査・処分をめぐる問題

 民主党代表であった小沢一郎氏の公設秘書の大久保氏を逮捕・起訴した政治資金規正法違反事件の捜査・処理に関しては、そもそも違反が成立するか否か、同法の罰則を適用すべき重大性・悪質性が認められるか、任意聴取開始直後にいきなり逮捕するという捜査手法が適切か、自民党議員等に対する寄附の取扱いとの間で公平を欠いているのではないか、など多くの点について疑念がある。

 このような捜査・起訴のために、総選挙を間近に控えた時期に野党第一党党首を党首辞任に追い込むという重大な政治的影響を生じさせたことに関して、検察は説明責任を負っている。

■第2 章 政治資金規正法のあり方について

 西松事件では政治資金規正法違反を理由として刑罰権が発動されている。政治資金規正法の所管官庁は総務省であるが、罰則が問題となる限りにおいて法務省は法令協議にかかわり、犯罪構成要件としての法令の解釈・罰則適用基準について事実上の公定解釈を示す立場にある。

 同法の解釈をめぐって、総務省は刑罰の問題であるとして具体的な解釈指針を示さず、他方で法務省は法律の所管官庁でないとして解釈基準を示そうとせず、両省の間で責任の押し付け合いともいえる状況が生じている。

 しかし、ことは刑罰の適用にかかわる問題であり、何が罪であるかについて事前に明確な定めを要求する罪刑法定主義の観点から見て、このような無責任な対応は到底容認されるものではない。

 西松事件についていえば、会計責任者にとってあらかじめどのように記載すればよいかが不明確なまま政治資金報告書に記載させられ、後になってその記載が法律に違反するとして処罰されるというようなことは、決して許されない。

 刑罰権の恣意的な発動を防止する観点から、総務省・法務省はともに適法行為と違法行為の分水嶺について明らかにする責務があり、これは憲法上の要請である。

■第3 章 検察・法務省のあり方について

 西松事件では、政治資金規正法という、もともと政治の世界における権力バランスにかかわる法律の問題であるということに加えて、検察の権限行使が野党に対して向けられた事案であるため、民主主義の観点からすると、与党議員に対する事案処理との間でバランスがとれているかどうかは国民にとって重大な関心事項である。

 検察当局は自らの権力行使の正当性について、主権者たる国民に向けて踏み込んだ説明をすることが求められる。

■第4 章 報道のあり方について

 今回の報道全般を通して指摘できるのは、次の点である。

 第1に、検察あるいはその関係者を情報源とする報道が大きく扱われたこと。

 第2 に、起訴以前、裁判開始以前で逮捕容疑の政治資金規正法違反を超えて、政治と金の問題とりわけ「巨額献金事件」といった決めつけをはじめ「有罪視報道」が展開されたこと。

 第3 に、第1 章で述べたような捜査、起訴を巡る疑問が指摘されているにもかかわらず、読者・視聴者に公正な視点から権力をチェックする報道が少なく、検察の捜査のあり方についての批判が十分に行われなかったこと。

 第4 に、検察批判を外部の有識者の執筆原稿やスタジオなどでの討論に依存した姿勢は、多様な言論の表出という点で評価はできるが、本来はそれぞれの取材で明らかにしなければならないにも関わらず、その努力を怠り、外部識者に委ねてしまったこと。

 第5 に、地検特捜部の動きは、衆院選が取りざたされる中でのことであっただけに、通常の政治報道・事件報道以上の慎重かつ多面的な報道が求められたが、そうした姿勢が今回の報道機関全体に希薄であったということ。

■第5 章 政党の危機管理の観点からの分析

 今回の事件に対する民主党及び小沢前代表の対応は、政党の危機管理対応という観点からは問題がある。

 発端となった検察捜査自体に第1 章で述べたような多くの疑念があり、また、それに関するマスコミ報道にも第4 章で述べたような問題があることは確かであるが、政党としての危機管理に失敗した結果、政党支持率の低下、小沢代表(当時)の辞任を求める世論の高まりを受けて総選挙を目前に控えた時期の代表辞任という事態に至ったことは厳然たる事実であり、それは、多くの国民の支持を受け、その期待を担う政党にとって反省すべき事柄である。

 民主党にとっては、その危機管理の失敗を、今後、危機管理対応のみならず党運営全般に活用していくことこそが、今回の事件を乗り越えて国民の信頼を回復するための最良の手段である。

 危機管理の失敗の最大の原因は、今回の事件に関して、小沢前代表の政治家個人としての当事者的立場と、政党の党首としての立場とを切り離すことができず、両者の立場が渾然一体となったまま対応したことである。

 そのため、検察の捜査・起訴に関する問題やマスコミ報道の問題などがあっても、それらの問題を客観的な観点から的確に指摘することができず、事態の一層の悪化につながった。

 問題は、なぜ、当事者の立場と民主党の党首としての立場を切り離すことができなかったのか、ということである。危機管理の失敗の根本原因は、多くの場合、組織の日常の中にある。

 民主党の日常的な党活動の体制において、強烈な個性を持ったリーダーの指導力と、党としての判断や対応を客観化するシステムとの調和という面で問題がなかったのか、という観点から、今回の事件における危機管理の失敗の原因を検証してみることが必要であろう。

■第6 章 政治的観点から見た民主党の対応

 今回、民主党内から代表の対応についての批判が噴出しなかったことは、代表に対する信頼と党内の一致結束を優先した多数の所属議員の判断によるものと見られる。しかし、党内の議論を行って、その姿を示しながら党内の認識統一を図る方が、好感を持ってみられたのではないか。

 その点で、政治家個人の問題に関して、民主党内で弁明ないし説明する機会を設け、小沢前代表と所属議員など民主党関係者が、疑問点について直接意見を交換する姿勢を社会に示すことが求められた。

 また、これを踏まえ、民主党が代表の問題に関して、代表個人の判断とは別に、政党としての意思決定を適切に行いうることを示すべきであった。

 そうした手順を経て、代表の置かれた状況を民主党として正しく理解し、多くの所属議員が代表を支持するという形になれば、より説得力のあるかたちで民主党の立場を主張することも可能であったであろう。

 いずれにせよ、党首に疑惑が提起され、批判を受けるという事態のなかで、政党がとるべきことは、党内状況の流動化を防いで、政党としての活動を正常に継続することだけではなく、対外的に積極的なアピールによって、ダメージを最小にすべく努力することである。

■おわりに

 今回の問題の教訓を活かすためには、民主党が政権交代を阻止しようとする検察の意図的な権限行使、マスコミ報道の被害者的立場にあるかのように受け止めることは適切ではない。

 今回の問題で露呈した様々な問題は、政治資金制度、検察制度、メディアに関する制度などに関する構造的な問題に根ざしたものであり、今、重要なことは今回のような事件で政党政治に対する脅威が生じさせないようにするために、その構造自体を改めることである。

 そのためには、むしろ政治的には対立する現在の政権政党などと協力しながら、政党間の共通の課題として、超党派的な立場から取り組むのが望ましい。

 民主党は、今回の一連の問題を、政権獲得をめざす政党に降りかかった災難ととらえるのではなく、民主主義国家における政治・検察・メディアの関係に関する重要な問題を顕在化させ、今後取り組むべき課題を認識する契機と受け止めるべきである。

 そのような前向きの取り組みを行うことができるかどうか、そこに政権を担い得る責任政党としての真価が問われていると言えよう。
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 政治資金問題を巡る政治・検察・報道のあり方に関する第三者委員会
             報 告 書
          2009年6月10日
【目次】
はじめに 当委員会の目的と課題
第1章 検察の捜査・処分をめぐる問題
第2章 政治資金規正法のあり方について
第3章 検察・法務省のあり方について
第4章 報道のあり方について
第5章 政党の危機管理の観点からの分析
第6章 政治的観点から見た民主党の対応
おわりに
(補論)本件政治資金問題に関連する法解釈及び事実関係についての検討結果
【委員一覧】
飯尾潤(座長)   政策研究大学院大学教授
郷原信郎(座長代理)名城大学教授、弁護士
櫻井敬子      学習院大学教授
服部孝章      立教大学教授
(敬称略、順不同)

■はじめに 当委員会の目的と課題

 2009年3月3日、東京地検特捜部は、民主党の小沢一郎前代表の資金管理団体「陸山会」に関する政治資金規正法違反事件の強制捜査に着手した。小沢氏の公設第1秘書で陸山会の会計責任者の大久保隆規氏が、2003年から2006年までの政治資金収支報告書に、西松建設からの政治資金の寄付を「新政治問題研究会」などの政治団体からの寄付である旨の虚偽の記入を行った政治資金規正法違反の事実で逮捕され、同日夕刻から陸山会事務所などの関係箇所に対して捜索が行われた。

 これについて、民主党の鳩山由紀夫幹事長(当時)は、捜査について批判的なコメントを行い、小沢氏は、翌3月4日に記者会見を行って、「衆議院総選挙が取りざたされているこの時期に異例の捜査が行われたことは、政治的にも法律的にも、不公正な国家権力、検察権力の行使」と強く批判した。これに対して、報道からは、連日、小沢氏の政治資金をめぐる「疑惑」が大々的に報じられた。

 また、3月24日、大久保氏は逮捕事実とほぼ同じ同法違反の事実で起訴されたが、同日夜、小沢氏が民主党代表を続投する方針を表明したことに対して、小沢氏を批判する報道が集中し、「説明責任を果たしていない」「世論調査の結果『辞任すべきだ』との意見が6 割を超えている」などの理由で、小沢氏の辞任論が展開された。つまり、事件の位置づけに関して、民主党執行部の意見と、報道などから示される主流的な論調とが、真っ向から対立する図式となったのである。また、検察の捜査については、有識者などから、法律解釈、重大性・悪質性の問題、強制捜査のあり方などについて、少なからぬ疑問点が指摘された。

 こうした中で、民主党は、上記の政治資金をめぐる問題が、「政治的側面に留まらず、政治資金規正法の解釈、それを前提とした検察官僚や報道のあり方など、検討すべき角度が多岐にわたり」、「党代表がかかわる問題であるため、党内の議論だけでは議論が偏向してみられる恐れもある」として、党外の議論に委ねる方針を立てた(この点については、報告書をまとめる過程で、民主党に確かめた)。そして、上記政治資金問題をめぐる政治・検察・報道のあり方に関し、各分野の専門家が自由闊達に議論し、個々の問題点について「客観的かつ公正な見解を示す」党から独立した第三者機関を設けることとし、4月3日に鳩山幹事長(当時)から、「有識者会議」の設置が発表された。

 それを受けて、4月11日に発足したのが当委員会である。委員会発足にあたって、委員会の独立性・客観性を重視する観点から、議論すべき点、議論の方向性などは民主党側からは明確には示されなかったため、4月11日の初回会合では、委員会の目的自体について議論するところから活動を始めた。

 そこで、健康上の理由で欠席した服部委員を除く3 委員で「当委員会は、民主党小沢代表(当時)秘書の政治資金規正法違反事件に関する小沢代表(当時)および民主党の対応、説明責任について検討するとともに、政治資金問題をめぐる検察およびメディアのあり方について議論を行うことを目的とする」こととし、名称も「政治資金問題を巡る政治・検察・報道のあり方に関する第三者委員会」とした(なお、このことは、この後、服部委員から了解を取った)。また、事務局は、新日本パブリック・アフェアーズ株式会社が担当し、民主党から独立した第三者委員会として活動を続けてきた。

 また、民主党としても事態の把握に苦慮していることを踏まえ、当委員会の役割としては、事態の把握にかかわる論点の整理が重要であると考えた。そこで、当委員会の活動は、捜査機関ではない以上、個別具体的な事案の実態解明には限界があるので、むしろ、民主党が政党として取るべき対応を中心として、法的問題の整理も含め、関連する事項についての問題点を指摘することとした。

 問題は広く民主党の運営体制そのものにもかかわってくるが、代表の進退などに具体的な示唆を与えるような検討の仕方は避け、多角的な観点から、今回の事件および対応に関して、どのような問題点があるのかを検討した。

 検討の方法としては、本件に関する問題を全体的に検討するため、関連する事実の調査・確認、関係当局への書面による質問やヒアリング、ゲスト有識者との懇談・意見交換、当事者である小沢代表(当時)や民主党側を代表する鳩山幹事長(当時)などから書面による質問やヒアリングを行う一方、委員会内部において議論を重ねてきた。

 本報告書は、それらの議論・検討の結果を取りまとめたものである。

■第1章 検察の捜査・処分をめぐる問題

 本章は、本件に関する真相究明を目的とするものではなく、第2章以下の検討の前提として、本件についての検察の捜査、処分をめぐる問題点を指摘することを目的とする。なお、本件に関する事実関係について、検察当局からは、公式の資料は公表されていないため、本章の記述は、すべて新聞などの報道によるものである。

 1・小沢氏秘書にかかる政治資金規正法違反の事実と問題点

 民主党代表であった小沢一郎氏の公設第1秘書の大久保隆規氏は、2009 年3月3日午後、東京地検の任意の事情聴取を受け、同日夕刻、政治資金規正法違反で逮捕され、引き続き拘置されて、3月24日に起訴された。

 逮捕・拘置事実は、小沢氏の資金管理政治団体「陸山会」の会計責任者としての大久保氏の、2003 年から2006年までの同団体の収支報告書についての虚偽記入の事実であり、西松建設のOBが代表者を務める「新政治問題研究会」「未来産業研究会」という2つの政治団体から総額2100万円の寄付を受けた旨の記載が、実際にはそれらの寄付が政治団体ではなく西松建設からの寄付だったとして、政治資金収支報告書の虚偽記入に当たるとされたものである(起訴事実では、上記政治団体から小沢前代表が代表を務める民主党岩手県第4区総支部への合計1400万円の寄付についての虚偽記入の事実が加えられ、虚偽記入にかかる金額は合計で3500万円となった)。

 東京地検の谷川恒太次席検事は、上記政治資金規正法違反の起訴を行った3 月24日、「ダミーの政治団体の名義を利用するという巧妙な方法により、多額の寄付を受けてきた事実を隠すため、という本件犯行の動機、犯行に至る経緯、犯行態様についての事情も考え合わせると、政治資金規正法に照らして看過しえない重大かつ悪質な事案と判断した」と述べている。

 そこで、問題となるのは、第1に、本件について政治資金規正法違反が成立するのか否か、第2に、仮に違反であるとしても、同法違反の罰則を適用すべき処罰価値ないし事案の重大性・悪質性が認められるのか、そして、第3に、被疑者を任意出頭当日に逮捕するという捜査手法を用いたことが妥当なのか否か、という点である。

 そして、それ以外にも、同じ政治団体名義で同様の寄付が自民党議員に対しても行われていたのに、小沢氏に関連する政治資金規正法違反の事実のみを立件し、逮捕・起訴を行ったことが偏った捜査ではないのかという点も問題となる。

 2・問題点についての検討

2-1 違反の成否

(1)法解釈上の問題

 ア 「寄付をした者」とはどのような意味か

 検察側の主張は、「寄付名義の政治団体は西松建設のダミーであり、本件の寄付について収支報告書に『寄付者』として西松建設と記載しなければいけない、それを政治団体と記載したことが虚偽記入に当たる」というものと考えられるが、検察の主張の重要な根拠とされているのが、寄付の資金の実質的な拠出者が西松建設だということだと思われる。

 ここで問題になるのが、政治団体や政党が寄付を受けた場合に、会計責任者に政治資金収支報告書に記載することが義務づけられている「寄付をした者」とはどのような意味なのか、ということである。寄付者として金銭の交付や振込など外形的な行為を行った者と資金の拠出者が異なっている場合に、外形的行為者と資金の拠出者のいずれが「寄付をした者」に該当するのか。例えば、図(略)のように、Aが自らの資金で政治団体Xに政治資金を提供しようと考えてBに現金を交付し、その資金で、Bが自己の名義の寄付として政治団体Xの会計責任者に現金を手渡した場合、会計責任者が、Aが資金の拠出者だということを知っていた場合に、政治団体X の収支報告書には、寄付者としてAを記載するべきなのか、Bを記載するべきなのか。この点について、資金の拠出者のAが寄付者であるとするなら、本件についても「寄付をした者」は西松建設と記載すべきということになろう。この点は、本件に関する重要な解釈問題である。

同法上、「寄付」が、「金銭、物品その他の経済的利益の供与又は交付」(4条3項)と定義されていることからすると、ここでの「供与」は「金銭や利益を得させること」、交付は「金銭等を渡すこと」を意味する。

 それを前提にすると、寄付者として金銭の交付を行った者、つまり、図の事例で言えば、「供与者」であるかどうかは不明でも「交付者」であることは明らかにBを「寄付をした者」として収支報告書に記載すべきだということになる。

 すなわち、図の例で言えば、実質的にはA からXへの政治資金の「供与」であるが、形式的には、A からB、BからXの間で、それぞれ金銭の「交付」が行われている。この場合、Xの立場としては、定義規定で「交付」も「寄付」に含まれる以上、自分に金銭や利益を提供した直接の相手のBが「寄付者」として現金の「交付」を行っている以上、それがBの資金かAの資金かにはかかわりなく、その「交付」を「Bの寄付」として収支報告書に書けばよい。要するに、政治資金規正法で「寄付した者」と言っているのは、形式的に寄付者と称して金銭等の移転をしてきた者であり、実質的に資金を拠出した者ではないということになる。

イ 関係当局の見解と問題点

 この点について関係当局の見解を把握するため、政治資金規正法を所管する総務省および罰則について審査を行う立場にある法務省の担当者にヒアリングへの出席と回答を求めたが、法務省当局からは、出席も回答も得られなかった。

 総務省からは担当補佐が出席したが、「収支報告書上、寄付の内訳への記載が求められる寄付者の氏名について、資金の拠出者と実際に寄付を行った者とが相違する場合に、資金の拠出者を記載することが求められているのか(例えば、寄付として現金を持参してきたのはAだが、その資金はBが拠出していると認識していた場合に、その寄付を受領した政治団体Xの会計責任者は、寄付者をAと記載したら良いのかBと記載したら良いのか)」との質問に対して、「法律上『寄付をした者』を記載することとされているので、総務省としては、会計責任者が法の趣旨にのっとり、実態を把握して『寄付をした者』を記載してくださいとしか言えない」との回答に繰り返すのみであった。

 この点に関し、衆議院法務委員会で、「『寄付をした者』というのは、資金を拠出した者という意味なのか、自分の名前で振り込みや金銭の行為などの外形的行為を行った者を意味するのか」との質問が行われたのに対して、大野恒太郎刑事局長は、「これは寄付した者をいかに認定するのかという事実認定、当てはめのことになる。実際に誰が寄付をした者なのかという認定をするに当たっては、金銭交付に至った経緯やその意図、金銭交付に関与した者の状況等、諸般の事情を個別具体的な事案に応じて判断することになる」旨、答弁した。

 要するに、法務省は、寄付の外形的な行為者と資金の拠出者が異なっている場合、いずれが「寄付をした者」に当たるかは、形式的に判断すべきことではなく、諸般の事情を総合的かつ実質的に判断しなければ結論を出せないというのである。

このように、「寄付をした者」の判断について、一般論を示すことなく、個別の事案ごとに実態に基づいて行うべきとの見解によれば、政治団体、政党の政治資金の処理を行い、政治資金収支報告書の作成・提出を行うことを義務づけられている会計責任者は、寄付者をどう記載すべきかを自ら判断しなければならず、しかも、そこで、結果的に記載が誤っていたと認められた場合には、虚偽記入罪の刑事責任を問われるリスクを負わされるということになる。それは、政治資金収支報告の実務に重大な影響を与えることになりかねない。

 (2)寄付をめぐる実態との関係

 このように、政治資金規正法の解釈としては、「寄付をした者」とは、基本的に、「寄付者として金銭の交付や振込など外形的な行為を行った者」と解するべきだと考えられるが、このように解したとしても、例えば、寄付名義の団体、資金の拠出者から政治団体に金銭や利益を供与するための単なる「トンネル」のような存在で、寄付行為者としての実体がまったくない場合には「行為者」と認められず、資金の拠出者が寄付者となる場合もあり得る。そういう意味で、実態とまったく無関係に判断できるわけではない。

本件は、刑事事件として起訴された事案なのであるから、実態に基づく判断は、最終的には、公判手続の中で証拠による事実認定に基づいて行うほかない。しかし、実態に基づいて検討を行うための一つの手がかりとなる資料がある。それは、西松建設が2009年5月15日に公表した内部調査委員会による調査報告書である。

 同報告書に記載された政治団体の実態およびその政治資金の寄付の実態によれば、これらの団体を、資金の拠出者から政治団体に金銭や利益を供与するための単なる「トンネル」のような実体のない団体とは認め難い。「寄付をした者」が政治団体ではなく西松建設であるとの検察の主張立証には相当な無理があり、「寄付をした者」を政治団体と記載したことは虚偽記入罪には該当しないのではないかと思われる。

 2-2・事案の重大性、悪質性

 (1)検察の説明とその問題点

 しかし、本件が、東京地検次席検事の説明のように、果たして、「巧妙な方法」によって多額の献金を「隠してきた」事案と言えるであろうか。以下のような理由から、本件は重大かつ悪質な事案とは言い難い。

 ア「表の献金」であること

 政治資金の寄附の事実自体を秘匿する、いわゆる「裏の献金」と、今回のように寄附の事実自体は収支報告書に記載された「表の献金」に関して寄附者の名義に問題があるという場合とでは、悪質性に大きな相違がある。「表の献金」であれば、収入の総額には偽りはないわけで、名義に問題がある献金も含めて、すべて支出の内訳の開示対象になる。「裏の献金」はそもそも不正な使途に支出することを目的として行われる。近年、支出の内訳について開示義務が著しく強化されており、支出の開示の対象となる「表の献金」に関する違反と、その開示義務を完全に免れようとする「裏の献金」とでは、悪質性がまったく異なる。本件で虚偽記入とされているのは、寄附の事実自体は収支報告書に記載されている「表の献金」にかかわる。

 イ 政治団体名義での寄付の動機

 西松建設のダミーとされた2つの政治団体の設立の目的について、前記の西松建設の内部調査報告書では、「企業から政治家個人への献金が禁じられたことから、(中略)、政治団体を設立して、政治団体からの献金を装って、政治家個人の政治団体に献金することを画策した」と述べている。また、この2つの政治団体の事件に関して、検察は、政治資金収支報告書の虚偽記入の事実に加えて、企業から政治家個人への寄付の禁止の事実も併せて起訴しており、企業の政治家個人への寄付の禁止を潜脱することが、政治団体名義での政治献金の目的だったように理解されている。

 しかし、政治資金規正法の改正経過に照らせば、そのような理解は適切ではない。「新政治問題研究会」が設立された時期の1995年施行の政治資金規正法改正は、企業・団体からの寄付を政党、政治資金団体、政治家個人の資金管理団体に限定するものであって、企業から政治家個人への寄付自体を全面的に禁止するものではなかった。小沢氏側への寄付も、同氏が党首であった新進党、自由党の政治資金団体の「改革国民会議」あてに行われていたもので、それは、西松建設の名義で行うことも可能であった。したがって、この団体による政治献金は、当初から、政治家個人への寄付の禁止の潜脱を目的とするものではなかった。

 1999年に、企業から政治家個人の資金管理団体への寄付が禁止されたことで、これらの団体名義で寄付することが、企業から政治家個人への寄付を隠蔽(いんぺい)するという実益が生じたとする点については、その後も2002年までは、小沢氏に関連する寄付は、政党の政治資金団体であった改革国民会議に対して行われていたのであり、西松建設の名義で寄付が行われても、寄付を受ける小沢氏の側にとって、とくに差し支えはなかったはずである。

 2003年に、自由党の民主党との合併によって民主党に所属することになった小沢氏側への寄付は、その後、小沢氏の資金管理団体である陸山会に対する寄付として継続されたが、その金額は、2つの団体からの寄付額は、それまでの改革国民会議に対する寄付とほぼ同額のまま維持された。今回、それについて政治資金収支報告書の虚偽記入の刑事責任を問われたわけであるが、上記のような経緯からすると、改革国民会議あてだった寄付を陸山会あてに切り替えるのに際して、「政治団体からの寄付」との認識だったことから、資金管理団体で受けても合法と単純に判断したためにそのまま政治団体からの寄付として処理したものと考えるのが合理的であろう。

 以上述べたところによれば、本件が仮に政治資金収支報告書の虚偽記入に該当するとしても、企業献金を積極的に隠蔽しようとする目的で行われたものではないと考えるのが合理的であろう。

 ウ「巧妙な方法」と言えるか

 また、本件の寄付者の記載が「新政治問題研究会」などの政治団体名義となっていたことが、実質的に西松建設からの資金による寄付であることを秘匿する「巧妙な方法」と言えるかどうか、それによって、本当の意味で、同社から多額の受けてきた事実を「隠してきた」と言えるのかについても疑問がある。

 新聞等では、これらの政治団体から寄付を受領した側の政治資金収支報告書には、これらの政治団体の所在地として「西松建設の本社所在地」が記載されている場合が多かったと報じられており、それは、寄付を受領する側が、実質的に西松建設と一体の団体と認識していたことを示しているだけでなく、両者の実質的に一体の関係が、関係者の間では既に周知の事実であったことを示している。しかも、2008年1月21日付の毎日新聞は「政治団体実態は企業」というタイトルで、与野党の多数の政治家に多額の政治献金を行っていた「新政治問題研究会」が、西松建設と実質的に一体である疑いを報じており、両者の一体の関係は、報道にも容易に知り得るものだったのである。

 これらの点から考えると、本件では、これらの政治団体の名義で寄付が行われたことが「巧妙な方法」とまでは言えず、西松建設からの寄付であることを「隠す」効果も希薄だったと考えられる。むしろ積極的に隠そうとするのであれば、むしろ、西松建設との関係が他には知られていない取引先業者を通しての迂回(うかい)献金の方が効果的だったと考えられる。仮に違反と判断されるとしても、その悪質性は低いと言うべきである。

 2-3・捜査手法

 本件事件の強制捜査に関する問題は、本件の検察の強制捜査では、大久保秘書に対しては、3月3日の朝、任意の事情聴取の要請があり、その当日の午後、出頭した大久保秘書の任意の事情聴取が行われ、それから数時間後に逮捕が行われたことである。

 2-1で述べてきたように、本件については、違反の成否についても、刑事罰を科すべき重大・悪質な事案なのかという点についても疑問がある。そのことを踏まえて考えたとき、果たして、本件で、上記のように、任意聴取の当日に被疑者を逮捕することが捜査方法として適切といえるのであろうか。

 被疑者の身柄を拘束するためには、「逃亡の恐れ」、「罪証隠滅の恐れ」のいずれかが必要であるが、大久保秘書の場合に「逃亡の恐れ」がないと考えるのが合理的であり、大久保秘書の逮捕事実とされた政治資金収支報告書の虚偽記入の事実は、「表の寄付」に関するもので、寄付の外形的事実は客観的に明らかであること、前記1で述べたように、本件で政治資金収支報告書の虚偽記入罪の成否の争点は、大久保秘書が、寄付の資金の拠出者が西松建設だと認識していたか否かではない。寄付の名義人である政治団体が、「寄付行為者」となり得る実体を備えていたかどうか、そして、そのことを大久保秘書の側が認識していたかどうかであることなどからすると、罪証隠滅の恐れは低いと言わざるを得ない。

 しかも、仮に、寄付行為者が西松建設だと認められるとしても、それについて異なった見解に基づいて寄付者を政治団体と収支報告書に記載したのであれば、任意聴取の中で、寄付者に関する見解の相違を指摘し、政治資金収支報告書を任意に訂正させれば政治資金の透明化の目的は十分に達成することが可能であった(この点に関して、「収支報告書を訂正すると、企業から資金管理団体への寄付の受領という犯罪を認めることになるので訂正で足りる問題ではない」との見解があるが、収支報告書作成の段階で企業団体からの寄付であることを認識していなければ犯罪は成立せず、後日、当局の指摘等によって、企業団体から献金に該当すると認識した場合には、収支報告書を訂正して適正な記載に改めるのは当然であり、それによって犯罪成立を認めることにはならない。この場合に訂正不能だというのは、犯罪の成立には「犯意」が必要だという刑事法の基本的前提を欠いているといえよう)。

 このように、そもそも罰則適用を行う必要についてすら疑問な事件について、任意聴取を開始した当日にいきなり逮捕するという捜査手法は、公設秘書を逮捕することで政治的影響を生じさせることの方に主目的があったのではないか、と疑われても致し方ない面がある。

 しかも、大久保秘書は、逮捕後、引き続き拘置され、起訴後2カ月以上たった5月26日にようやく保釈された。このよう長期間の身柄拘束がいったいいかなる理由によるものなのか、検察には十分な説明を行う必要があろう。

 2-4・自民党議員等に対する寄付の取り扱いとの比較

 本件に関して大久保秘書の逮捕当初から問題にされてきたのが、「新政治問題研究会」と「未来産業研究会」からは、自民党所属議員など多数の議員に対して寄付が行われている事実を政治資金規正法違反として立件しないのに、小沢氏側に対する寄付だけを立件し、公設秘書の逮捕・起訴まで行ったのは、公平を欠く捜査・起訴ではないかという点である。

 この問題については、小沢氏側への寄付と自民党議員側への寄付との間で違反の成否の点で違いがあるのか否か、両者に違反が成立する場合に、自民党議員を含む多数の議員側への寄付を立件せず小沢氏側への寄付のみを立件することが相当と考えられるような事情があるのか否か、という2つの点から考えてみる必要がある。

 違反の成否に関するポイントが、寄付を受けた側が政治団体ではなく西松建設が資金を拠出していることを認識していたか否かではなく、政治団体に「寄付行為者」と認めるだけの実体があるか否かだということは、これまで述べてきたとおりである。したがって、違反の成否についてまず問題になるのは政治団体の実体という客観的な事実であり、その点は、寄付の相手方によって異なるものではない。仮に、政治団体が実体のない単なるダミーで寄付者が西松建設だとすると、それを、寄付を受領する側が認識していたかによって違反の成否が決まることとなり、小沢氏側と自民党議員側とで認識の相違が違反の成否に影響することもあり得る(前記2-1(2)で述べたとおり、西松建設の内部調査報告書の内容を前提とする限り、そもそも、これらの政治団体が、単に政治家に献金するための実体のない「トンネル」的な存在であったとは認めがたい)。

 小沢氏側への寄付のみを立件すべき事情があるとすれば、まず考えられるのは、西松建設関連団体の設立目的と小沢氏側への寄付とが密接な関係があったということであるが、設立後解散までの2団体からの寄付、パーティー券購入の総額のうち、小沢氏個人の政治資金として寄付された金額の割合は7・3%であり、自由党、新進党の政治資金団体や民主党岩手県連に対する寄付を含めても23・7%である。2団体が、小沢氏側への政治献金を主たる目的として設立されたものとは考えられない。

 また、政治資金規正法違反として立件可能な2003年以降の寄付に限って言えば、2団体からの小沢氏側への寄付の総額が3500万円であるのに対して、自民党議員側への寄付、政治資金パーティー券の購入額は、個別の議員ごとに見ると、比較的少額である。しかし、後に、2-5で述べるように、西松建設側の国澤元社長は、収支報告書の虚偽記入罪より法定刑が軽い「他人名義の寄付」100万円の事実で逮捕されているのであり、それとの比較で言えば、少なくとも100万円以上の寄付の受領については、虚偽記入罪が成立する限り、立件しないことの合理的な説明は困難である。

 さらに、重要なことは、2団体から、本件で逮捕、起訴された大久保秘書が会計責任者を務める小沢氏の資金管理団体の「陸山会」への寄付は、逮捕・起訴事実とされた2003年以降の2100万円だけであり、それ以前は行われていないということである。設立当初から、大久保秘書、又はその前任者の秘書と西松建設側との間で、西松建設から陸山会への巨額の政治献金を行うことを画策し、そのための手段として2つの政治団体が設立されたというような事情は認められないのである。

 しかも、資料編11の「西松建設関連政治団体の献金先調査経緯」でも報告されているように、東京都港区内の「新政治問題研究会」と称する政治団体として、西松建設の関連団体のほかに、故橋本龍太郎氏が代表を務める資金管理団体が存在し、同団体から多数の自民党議員に多額の寄付が行われていた事実があり、官報に掲載されている自民党議員の政治資金収支報告書の要旨だけでは、いずれの団体からの寄付かが区別できない。一方、野党の小沢氏側への寄付については、橋本氏の資金管理団体からの寄付は考えられないので、「新政治問題研究会」名義の寄付は、西松建設関連であることの特定が容易である。

 西松建設が「新政治問題研究会」と称する団体を設立した真の意図は、橋本氏の資金管理団体と同一の名称の団体を千代田区内に設立することで、西松建設から自民党議員への寄付の具体的内容を、所在地を区までしか記載しない官報では容易に知り得ない状態にすることにあったのではないかとの推測も成り立ち得る(政治資金収支報告書の現物が総務省のホームページで公開されるようになったのは2009年1月以降である)。

 これらの事実に照らせば、「新政治問題研究会」などの名義での西松建設側からの与野党の政治家への寄付に関する政治資金規正法違反の立件に関して、小沢氏側への寄付だけを特別に取り扱う合理的な理由があるとは考えにくい。

 2-5・西松建設側への検察捜査に関する疑問

 上記の通り、小沢氏の秘書の大久保氏が逮捕・起訴された政治資金規正法違反事件そのものについて、違反の成否、事案の重大性・悪質性、捜査手法などに多くの疑問があることに加えて、西松建設側に対する検察捜査の内容・手法についても疑問がある。

 第1に、2-4で述べたところとも関連するが、西松建設側の元社長の国澤氏は、2006年に「陸山会」側に「他人名義」で100万円の寄付を行った事実、すなわち、西松建設からの寄付であるのに、政治団体の名義で寄付を行った事実で逮捕され、それに、同年の民主党岩手県第4区総支部にあてた400 万円の寄付の事実が加えられ、500万円の他人名義の寄付の事実で起訴されている。

 この他人名義の寄付の禁止規定の罰則の法定刑は収支報告書の虚偽記入より軽く「禁固3年以下又は50万円以下の罰金」であり、公訴時効が3年であるために起訴事実が少額になったものと考えられるが、時効完成前の同様の寄付の事実として、藤井孝男衆議院議員の資金管理団体に100万円、藤野公孝参議院議員の政党支部に100 万円、林幹雄衆議院議員の政党支部への100万円などの自民党議員側への寄付の事実があるのに、それらが国澤氏の起訴事実とされていないのはいかなる理由によるものであろうか。少なくとも、西松建設側の違反事実の成立については、寄付受領者側の認識は要件とならないはずであるから、小沢氏側に対する寄付と自民党議員側に対する寄付とで違反の成立について異なるところはないはずである。しかも、100万円の他人名義の寄付という国澤氏の逮捕事実は、上場企業の社長の在任中の事件の逮捕事実としては著しく軽い。検察としては、違反が認められる限り違法寄付の額を少しでも多くしようとするのが当然であるのに、上記の自民党議員に対する寄付をなぜ逮捕事実に加えないのか、このような検察の捜査のやり方に疑問がある。

 3 小括

 これまで述べてきたように、民主党代表であった小沢一郎氏の公設秘書の大久保氏を逮捕・起訴した政治資金規正法違反事件の捜査・処理に関しては、そもそも違反が成立するか否か、同法の罰則を適用すべき重大性・悪質性が認められるか、任意聴取開始直後にいきなり逮捕するという捜査手法が適切か、自民党議員等に対する寄付の取り扱いとの間で公平を欠いているのではないか、など多くの点について疑念がある。このような捜査・起訴のために、総選挙を間近に控えた時期に野党第一党党首を党首辞任に追い込むという重大な政治的影響を生じさせたことに関して、検察は説明責任を負っている。

■第2章 政治資金規正法のあり方について

 1・総務省の任務としての政治資金行政

 西松事件において提起された問題は、政治資金規正法において要求されている政治資金収支報告書における記載の真実性(虚偽でないこと)がどのようなものであるかということであった。具体的事件との関係ではもっぱら刑事罰の帰趨(きすう)に関心が寄せられているが、個別案件を離れてみると、政治資金規正法は政治家の活動にかかわるという特殊性があり、議員立法として制定された経緯はあるが、行政法規のひとつとして、総務省がその所管官庁として法律の執行にあたっている。政治資金をめぐる事務処理は、政治資金行政として総務省を通じて日常的に展開されており、具体的な処理基準等の提示や事務処理にかかわる助言・指導、説明要求・訂正命令などの関係者に対する監督権限の行使は、同省の責任において遂行される行政任務そのものである。

 ここでは、政治資金収支報告書の記載のあり方を念頭に、制度論の観点からその問題点について述べる。

 2・政治資金行政の仕組み

 2-1・基本的な制度設計

 一般に、行政法規が置かれることの第一義的な意味は、法の名宛人が順守すべき行為規範を示すことにある。政治資金規正法12条1項は政治団体の会計責任者が収支報告書の提出義務を負うことを定めているが、29条は「報告書の真実性の確保のための措置」として、報告書の提出にあたり「真実の記載」がされていることを誓う旨の宣誓書の添付をあわせて義務づけている。そして、監督権限を持つ総務大臣又は選挙管理委員会は、提出された届け出書類、報告書等に「形式上の不備」や、記載すべき事項の「記載が不十分」であると認めるときは、報告書等の提出者に対して、説明を求め、または報告書の訂正命令をすることができる(31条)。この説明要求・訂正命令を担保するため、説明・訂正を拒否したり、「虚偽の説明」「虚偽の訂正」をした場合には罰則が置かれている(24条7号)。これとは別に、収支報告書に「虚偽の記入」をした者に対する罰則が用意されており、25条1項3号に定めがある。以上が、政治資金行政の基本的なスキームである。

 行政法規に刑罰が置かれている場合(これを「行政刑罰」という)、行政法規は行為者の一般的な行為規範であると同時に犯罪構成要件としての意味も有する。したがって、行政法規に違反した場合は、行政庁による監督処分の対象となる場面と刑罰権発動の根拠となる場面が、重なって現れることに注意を要する。そして、一般に刑罰は国家に認められた最も苛烈(かれつ)な人権侵害行為であることから、行政法規違反については、より緩やかな措置である行政措置が優先的に適用されるべきであり、刑罰権は「最後の手段」として、一般行政で対応できない場合に初めてその発動が正当化されるべきものということができる。

 2-2・報告書の「真実」記載義務

 政治資金規正法の規定から、同法が報告書の記載について「真実の記載」であることを要求していることは疑う余地はないが、具体的に何をもって「真実の記載」とみるかは、法文上は必ずしも明らかではない。たとえば、5万円を超える寄付については「寄付をした者」を報告書に記載することとされているが(12条1項1号ロ)、これが外形的に寄付行為を行った寄付の名義人を指すのか(形式説)、実際に経済的負担をした出捐者を意味するのか(実質説)、そのいずれであるのかを直接定める具体的規定はない。そのため、法の要求する「真実性」が形式的真実・実質的真実のどちらであるかは、関連する規定から解釈するほかはない。

 この点、総務大臣等は「形式上の不備」ないし「記載が不十分」であるときに説明要求・訂正命令をすることができるが、ここで「形式上の不備」とは添付書類がないとか、記載すべき事項の記載がないなど一見して不備であることが明白な場合をいい、「記載が不十分」とは収支報告書等の記載内容が明確でなく適正でない場合や、収入・支出の積算に誤りがある場合のように、「記載上の適格性」を欠く場合をいうとされる。このように、総務省に「形式審査権」しか認められていないのは、本来自由であるべき政治活動に対する行政庁の関与は必要最小限にとどめるべきであるという考えに基づいている。

 総務省に形式審査権しか認められてない以上、行政レベルにおいて要求される記載の真実性は形式的なものにとどまり、それゆえ報告書に対する真実記載義務は、形式的真実を記載すべき義務として理解せざるを得ない。すなわち、第1章でも述べたように、「寄付をした者」とはあくまでも寄付者として金銭の交付や振込など外形的な行為を行った者と解され、実態として出捐を行った者ではないということである。仮に、法が実質的真実の探求を行政庁に要求し、現実の出捐者を究明すべきことを求めているならば、それを可能とするような政治団体事務所への立入権限や帳簿書類等の検査権限等の実質的審査権が付与されていなければ法目的を達成することはできない。しかし、現行法にはそのような規定はなく、法は真実性の探求について限度を設けていると理解される。

 3・政治資金規正法における「虚偽」の意味

 3-1・虚偽説明罪・虚偽訂正罪の場合

 説明要求および訂正命令の実効性確保については罰則が設けられており、「虚偽の説明」、「虚偽の訂正」をした場合には虚偽説明罪・虚偽訂正罪に問われる可能性がある(24条7号)。ここで、「虚偽の説明」ないし「虚偽の訂正」の意味が問題となるが、説明要求・訂正命令の内容は形式上読み取ることが可能な記載上の事項にとどまることから、虚偽説明罪ないし虚偽訂正罪における「虚偽」の意義もまた形式的に判断せざるを得ない。虚偽説明罪・虚偽訂正罪は行政庁の命令違反に対する罪であり、命令されていない事項(実質的真実にかかわる事項)について罪を問うことは罪刑法定主義からしてあり得ないからである。

 なお、訂正命令は行政手続法にいう不利益処分にあたり、総務大臣等にはいかなる場合が記載上の不適格に該当ずるかについてできるだけ具体的な処分基準を定めるべきことが要請される(行政手続法12条1項、説明要求は同法3条1項14号の適用除外に該当する)。しかし、総務省においてその要請を満たすような基準はこれまでのところ示されていない状況にある。

 3-2.虚偽記入罪の場合

 西松事件では、報告書に虚偽の記入があったことが罪に問われている。ここで「虚偽の記入」の意義が問題となるが、基本的には24条7号にいう「虚偽の説明」「虚偽の訂正」と同様に解すべきであろう。虚偽記入罪は、前述した虚偽説明罪や虚偽訂正罪とは異なり、行政庁の命令に違反したことに対する罪(間接罰)ではなく、虚偽記入という行為がただちに刑罰の対象とされているもの(直接罰)であるが、虚偽記入罪の犯罪構成要件は「12条1項…の報告書…に虚偽の記入をした者」とされ、12条1項にいう報告書の記載について要求される真実性が形式的なものにとどまることはすでに述べたとおりである。虚偽記入罪における「虚偽」に限って実体的真実性を要求するような解釈は、同一法律内の同一用語を、総務省との関係と警察・検察との関係とで別異とするもので、法解釈のあり方として整合性を欠くと言わざるを得ない。

 仮に、「寄付をした者」を総務省との関係では形式的な真実としての「外形的な行為者」と解し、警察・検察との関係では実質的な真実としての「現実の出捐者」と解するとすると、同じ法律要件が行政機関ごとに異なることになってしまう。しかし、もともと政治資金規正法は政治活動に対する行政の関与を最小限にとどめるべきであるという趣旨から、総務省による一般的な行政上の監督ですら抑制的であるべきとしていたはずである。総務省ですら関与を控えている事案について、警察・検察という別の行政機関が、総務省とは異なる独自の解釈にたって逮捕という強烈な人権規制行為に及ぶことは、法の趣旨に照らし、明らかにバランスを失しているというべきであろう。このように考えると、虚偽記入罪について実質的真実を要求する解釈は、法の示す価値判断に逆行するもので、不合理というほかない。

 なお、形式説を採用するとしても、一切の実質的な判断を認めない立場(完全形式説と呼んでおく)をとらない限り、「寄付をした者」の認定にあたり一定の規範的評価を容れる余地があることは否定できない。このような解釈によれば、ダミー団体を利用した献金行為の脱法行為として虚偽記入罪の成否を問うことは、理論的可能性としてはこれを首肯しうる。もっとも、その場合、犯罪の成否は、主としてある政治団体が法的にみて全く形骸(けいがい)化しているといえるかどうかという事実認定にかかわり、訴追者たる検察官がそのレベルでの立証に成功しうるかどうかにかかっている。

 4・行政刑罰における罪刑法定主義の意味

 一般に、行政刑罰においては関係する省庁が複数にわたるのが通例であり、ひとつの法律15の執行が省庁ごとにバラバラに行われる結果、ある省庁との関係では適法とされる行為が別の省庁との関係では違法扱いされたり、あるいは関係省庁がいずれも責任を果たさないという消極的権限争議を生ずることが少なくない。これらは、いずれも「法執行における縦割りの弊害」といえるが、行政刑罰が罰則のひとつであるということから、罪刑法定主義との関係も重ねて問題となるため、縦割りの弊害はより深刻となる。

 西松事件では政治資金規正法違反を理由として刑罰権が発動されている。政治資金規正法の所管官庁は総務省であるが、罰則が問題となる限りにおいて法務省は法令協議にかかわり、犯罪構成要件としての法令の解釈・罰則適用基準について事実上の公定解釈を示す立場にある。同法の解釈をめぐって、総務省は刑罰の問題であるとして具体的な解釈指針を示さず、他方で法務省は法律の所管官庁でないとして解釈基準を示そうとせず、両省の間で責任の押し付け合いともいえる状況が生じている。しかし、ことは刑罰の適用にかかわる問題であり、何が罪であるかについて事前に明確な定めを要求する罪刑法定主義の観点から見て、このような無責任な対応は到底容認されるものではない。西松事件についていえば、会計責任者にとってあらかじめどのように記載すればよいかが不明確なまま政治資金報告書に記載させられ、後になってその記載が法律に違反するとして処罰されるというようなことは、決して許されない。刑罰権の恣意(しい)的な発動を防止する観点から、総務省・法務省はともに適法行為と違法行為の分水嶺(ぶんすいれい)について明らかにする責務があり、これは憲法上の要請である。

 5・政治資金規正法違反に対する制裁のあり方

 現行法は、政治資金規正法違反行為に対する制裁として罰則を中心に規定している。罰則を置くということは刑罰権の発動によって行為者に制裁を加えるという制度設計であり、処罰対象者が国会議員である場合には、立法府の活動に対する警察・検察当局による権力的介入を立法者みずからが容認していることを意味している。

 しかしながら、本来、政治資金については政治家が自ら律するべき問題であるという原点に立ち返ると、自らの不始末は自らただすという見識を持って、制裁措置についても議会自身がこれを発動するような仕組みを工夫することが望ましい。サンクションのあり方は多様であり、たとえば、現行法上認められている公民権の停止は刑罰を前提とするものであるが、刑罰と切り離した形で公民権の停止をひとつの制裁手段として整備することはもとより可能であるし、刑罰としての罰金に代えて非刑罰としての制裁金を新規に導入するなど、罰則以外の効果的な制裁措置の導入を真剣に検討すべきである。安易な罰則への依存は、法執行を警察・検察当局に依存することと同義であり、立法技術の観点からみても稚拙というほかない。具体的には、立法府の中に独立性の保障された機関を設けるなど、外国の例も参考に、政治資金の扱いに関するルール設定、制度設計について、国会において新機軸の議論が活発に行われることが期待される。この問題は、与野党相携えて、国権の最高機関としての見識を示すことが国民の期待にも沿うものであろう。

■第3章 検察・法務省のあり方について

 1.問題の所在

 西松事件は、検察官による逮捕、公訴提起という「公権力の行使」に端を発した事案であり、第1章でも触れられたように、その前提とされた被疑事実について法律解釈上の疑問が提示され、また事案の重大性・悪質性の評価や捜査手法を踏まえ、検察による権限行使が法律の規定に照らし適切であったといえるかどうかが問題となる。また本件では、政権交代の可能性のある総選挙を間近に控えたタイミングにおいて、公権力の行使が野党第一党党首の第一秘書に向けられたものであったため、それが有権者の政治的選択に少なからぬ影響を与えたことは否定できない。そのため、民主主義社会における検察の権力行使のあり方、関連して、権力行使にかかる説明責任のあり方について、問題意識が喚起された。

 今日、さまざまな場面で説明責任が問われることが多いが、もともと、わが国で「説明責任」という概念が法律上登場したのは、1999年に制定された行政機関情報公開法1条においてのことである。法律上は、説明責任とは、政府がその諸活動を国民に説明する責務のことをいい、国民主権原理に根拠を有するものとされている。それは、主権者たる国民が国政に関する諸問題について意思決定を行うにあたって必要十分な情報を、政府自身が適時・適切に提供する責務を負っているということであり、政府の憲法上の責務と考えられている。したがって、政府の一部局である検察庁・法務省がその責任を負う立場にあることに疑いをはさむ余地がないことを、まず確認しておく。なお、刑罰権の行使にあたっては、検察庁のみならず、刑罰法規の解釈・運用について法務省刑事局が密接に関与していることから、刑罰権の発動を論ずるにあたっては、検察庁と法務省の双方を念頭に置く必要がある。

 2.検察の権限について

 2-1.検察官の権限

 検察官の職務について、検察庁法は、検察官はいかなる犯罪についても「捜査」をすることができるとし(検察庁法6条、刑事訴訟法191条1項)、刑事について、「公訴を行い、裁判所に法の正当な適用を請求し」、その他「公益の代表者」としてその権限を行使するとされている(検察庁法4条)。

 検察官は、多くの一般刑事事件については第1次捜査機関である警察が摘発した事件の送致を受け、必要に応じて捜査を行った上、その処分を決定する立場にある。一方、検察官が独自に摘発する、いわゆる検察独自捜査については、捜査着手の判断、強制捜査の要否の判断、処分の決定、すべてを検察官が行う。この場合には、すべてが検察組織によって行われるため、その権限行使の適否はとくに慎重に判断される必要がある。

 検察の権限は「準司法作用」と表現されることが多いが、司法作用そのものは裁判所の権限であり、検察権は司法作用ではないという意味で行政作用に属する。検察庁・法務省がひとつの行政組織として機能することは、検事総長がすべての検察庁職員に対して指揮監督権を認められることを前提に(検察庁法7条1項)、法務大臣が検察庁法4条および6条に規定する事務に関して検察官を一般に指揮監督することができるとともに、個別事件の取り調べ、処分についても検事総長を指揮することができるとされている(14条)点に表れている。いわゆる指揮権発動とは、法務大臣が現実にこの権限を行使して、捜査に直接介入することをいう。

 2-2.公訴権の行使(起訴・不起訴)のあり方

 わが国では国家が犯罪者を訴追するという「国家訴追主義」がとられており(刑事訴訟法247条)、それは検察官の任務であるが、検察官が起訴するかどうかはその裁量判断に委ねられる。これを「起訴便宜主義」ないし「起訴裁量主義」という(248条)。しかし、検察官の裁量権の行使が常に正しいという保証はないため、不起訴の場合には、検察審査会、公務員犯罪についての付審判請求の制度が用意されている。これに対して、不当な起訴がなされた場合、人権侵害の危険性は不起訴の場合より直截的であるにもかかわらず、わが国では制度的手当てがない。そのため、学説上、この点は一種の法の欠陥であるとして、「公訴権濫用論」が唱えられ、不当な起訴については裁判所が公訴を棄却すべきであるという主張がかねてからなされている。西松事件との関連でいえば、政治資金規正法違反の罪は、殺人罪、窃盗罪のような典型的な自然犯と比べると形式犯的要素の強い行政犯であり、そのため、起訴するか・しないかにかかわる検察官の裁量が濫用される危険性は相対的に高く、しかも濫用された場合の社会的、政治的、経済的影響は甚大である。その意味で、通常の刑事事件との比較でいえば、本件については、公訴権行使が濫用されていないかどうかがとくに厳しく吟味される必要がある。

 2-3.法務省と検察庁との関係

 法務省と検察庁の関係は政府内部における省庁間の問題であるため、一般にあまり知られていないが、両者は法律上、とりわけ人的関係においてきわめて近接した関係がある。

 個別具体的な事件の捜査・起訴などを行うのは検察庁であるが、法務省は「刑事法制に関する企画および立案に関すること」をその所掌事務とし(法務省設置法4条2号)、他省庁が罰則つきの法案を立案する場合には法令協議にかかわり、刑罰法規についてはその所管官庁としての地位にある。そして、法務省は「検察に関すること」(4条7号)もその所掌事務としていることから、検察庁が個別案件につき「裁判所に法の正当な適用を請求」するという業務(検察庁法4条)を行うにあたり、検察官の権限行使が適正に行われるよう、法務省が法令解釈などについて検察庁に対し資料提供、考え方を示すなどの助言を行うことは、その職務に属するとされる。すなわち、一般的な刑罰法規の解釈・運用に関してはもちろん、個別案件を契機とする刑罰法規の解釈・運用についても、検察庁および法務省は法的にみて協働関係にあるということができる。また、周知のとおり、法務省刑事局をはじめ同省幹部の枢要ポストは検察庁から出向した検事で占められているという独特の人事配置がなされていることから、法務省と検察庁はきわめて密接な関係を有しており、両者は実質上一体的な組織であるとみて差し支えない実態がある。

 3.検察権の行使と民主主義の関係

 3-1.議院内閣制との関係

 国民を主権者とする民主国家においては、検察の権限行使といえども民主的正当性が要求されることは当然であり、それが行政権の範疇(はんちゅう)に含まれる以上は、民主的正当化の要請の程度は、司法権を担う裁判官の場合に比して相対的に高いということができる。検察の権限が時の政府に都合のいい形で行使される傾向があるということは歴史の教訓であり、憲法50条が議員の不逮捕特権を保障しているのは、政府に批判的な議員の活動が政府によって妨害を受けないようにする趣旨である。検察の権限が議会に向けられる場合、与野党のいずれに対してもそれが公正・平等な形で行使されなければならないことはいうまでもないが、議院内閣制のもとでは政府・与党が一体的であることから、とりわけ野党に対する権限行使について慎重な配慮が要求されるという指摘が可能である。

 西松事件では、政治資金規正法という、もともと政治の世界における権力バランスにかかわる法律の問題であるということに加えて、検察の権限行使が野党に対して向けられた事案であるため、民主主義の観点からすると、与党議員に対する事案処理との間でバランスがとれているかどうかは国民にとって重大な関心事項である。検察当局は自らの権力行使の正当性について、主権者たる国民に向けて踏み込んだ説明をすることが求められる。

3-2.直接的な民主的正当性を持たない検察官僚

 裁判官が行う判決については、憲法学上「統治行為論」が唱えられ、最高裁判例にもこれに依拠したものがある。統治行為論とは、高度に政治性のある国家行為については、たとえ裁判所による法律判断が可能であったとしても、事柄の性質上裁判所が審査をしない問題領域を認める考え方をいう。これは、政治問題は国民の代表者からなる国会および国会に信を置く内閣において解決されることが本来望ましく、裁判官は選挙によって選任されていないという意味で直接的な民主的正当性を持たない以上、政治問題については判断を差し控えることが好ましいという配慮に基づいている。このように、司法権ないし司法官僚たる裁判官の判決行動につき民主主義への礼譲を説く考え方を司法消極主義という。西松事件は、検察官による逮捕、公訴提起が被疑者・被告人個人の問題を超えて、民主主義社会における国民の意思決定に少なからぬ影響を及ぼし得ることを示した事例であり、検察権力の行使が野党第一党に大きな打撃を与え、間近に控えた総選挙での国民による政権選択の可能性を事実上奪ってしまいかねない状況を作り出した。このような政治案件の場合、裁判官の権限行使にかかわる統治行為論と同様の発想に立って、検察官はたとえ法律的には逮捕、公訴提起が可能であったとしても、あえてこれを控えることが正当化される場合があるのではないかという問題が認識された。

 3-3.政治資金規正法違反事案の特殊性

 本来、刑罰権の行使については、それが国家によるもっとも過酷な人権侵害行為であるということから、刑罰権の行使は抑制的であることが人権保障の観点から好ましいという「謙抑主義」の考え方が妥当している。起訴便宜主義は、起訴するについての法定要件を満たしている場合であっても検察官が諸般の事情を考慮したうえ、あえて起訴しない裁量を認めるものであり、謙抑主義の考え方が具現化したものと見うる。

 このように、検察官の権限行使は一般論としてもその慎重さが要求されるが、とりわけ政治資金規正法の虚偽記載罪においては、「虚偽」の意義をめぐり犯罪構成要件が明確性を欠き、その解釈・あてはめに疑義があること、そもそも法律自身が政治活動に対する行政による干渉について抑制的であるべきことをうたい、政治活動への配慮を要請している。この事情に加えて、西松事件は検察の権限行使が国民の政治的選択に少なからぬ影響を与えることが容易に予見される案件であった。このような事案では、直接的な民主的正当性を持たない検察官がその権限行使に踏み切るにあたっては、幾重にも慎重な考慮がなされることが求められており、通常の刑法犯とは同列に論じがたい面がある。本件のように重大な政治的影響のある事案について、単に犯罪構成要件を充足しうるという見込みだけで逮捕、起訴に踏み切ったとすれば、国家による訴追行為としてはなはだ配慮に欠けたとのそしりを免れないというべきであろう。逮捕・起訴を相当とする現場レベルでの判断があったとしても、法務行政のトップに立つ法務大臣は、高度の政治的配慮から指揮権を発動し、検事総長を通じて個別案件における検察官の権限行使を差し止め、あえて国民の判断にゆだねるという選択肢もあり得たと考えられる。また、本当の意味で法務省と検察庁とが独立した官庁なのであれば、このような観点からなされる法務大臣の指揮権発動を、法務省が組織的に支えることは可能なはずである。いずれにせよ、本件を契機として、指揮権発動の基準について、改めて研究・検討がなされて然るべきであろう。

 4.検察・法務省の説明責任
 4-1.行政刑罰の罰則適用方針に関する説明
 以上述べたところから、政治資金規正法違反の罰則適用方針については、事件処理に差し支えのない限度で、検察庁・法務省の双方に説明する責務がある。とくに、法律解釈にあいまいなところがある場合、行為者の予測可能性が確保されるよう、構成要件のみならず、あてはめの部分も含めて明確な法令の解釈基準を示すことは罪刑法定主義の要請するところである。本件では政治資金規正法にいう「虚偽」の概念が定かでなく、とくに従来形式説に依拠しながら突然実質説への「法律の解釈変え」がなされたうえで刑罰権の発動がなされたと見る余地がある。そのような経緯があるとすれば、本来立法府によって行われるべき法律改正を行政当局が事実上行ってしまっていることになり、説明責任を果たすべき要請は一層強まる。

 4-2.裁量権行使が妥当であったことの説明

 起訴については、検察官は起訴便宜主義のもとで起訴しない選択肢があるなかであえて起訴に踏み切っているわけであるから、なぜ起訴しなければならなかったのか、起訴に値する悪質な事案であったという点について、検察は国民に対して積極的に説明をする必要がある。この点に関する検察官の説明責任は、被告人個人に対する関係では刑事訴訟手続のなかで有罪立証に力を尽くすことで果たされる性質のものであるが、国民の政治的意思決定について甚大な影響を及ぼす行為であったという面からは、国民一般に対して、過去の他の事案との比較、与党議員の事案との違いに言及しながら、西松事件の特殊な悪質性について、なぜそのように考えられるのか、その論理過程について必要な情報とともに踏み込んだ説明がなされる必要がある。

 また、起訴に先立つ逮捕に関し、どのような手順で逮捕に及ぶかという手続上の裁量について適正手続の保障(憲法31条)が及ぶことはいうまでもない。任意聴取から逮捕に移行する過程で、手続的な配慮を欠いていなかったかという点についても疑問が呈されており、長期にわたる身柄拘束の当否と合わせて、検察当局の説明が求められる。

 4-3.検証可能性を確保すべきこと

 刑事訴訟に関する書類については、刑事訴訟法47条において公判開始前にその公開を禁ずる旨の規定があり、本報告書執筆時点で西松事件において起訴された秘書の被疑事実について正確に知る術がなく、不正確な報道に頼るしかないのが現状である。しかし、本件のように国民の政治的意思決定に少なからぬ影響を及ぼす事案では、被疑事実を記載した起訴状などは、その公開につき「公益上の必要」があり、同条が例外的に認める公開すべき場合にあたると考えられる(47条但書)。検察実務において、公判前には一切の公開を認めない現在の運用は刑事訴訟法47条但書を無意味化するもので、再考されるべきである。

 また、刑事事件の場合、訴訟が終結した後になっても、情報が適切に公開されない仕組みになっている。刑事事件の訴訟記録は、刑事確定訴訟記録法により、裁判所ではなく検察官が記録を保管することとされ、しかも広範な公開制限がかけられている。そのため、一般国民が、後日、判決文など検証に必要な書類を入手しようとしても、コピーはおろか、閲覧もままならないのが実情である。刑罰権の発動が適切になされたかどうかを証拠に基づいて事後的に検証することが制度上困難となっている。刑事事件特有の問題として、被告人や被害者のプライバシーに配慮することは当然であるが、他方で、不適切な公権力の行使がそのまま闇に葬られてしまうとすれば、民主主義社会にとって重大な脅威となりうることは指摘せざるを得ない。制度の改善が急務である。

 実際、当委員会において西松事件が不平等起訴かどうかを調査しようとしたが、検証に必要な過去の訴訟記録に十分に接することができず、類似案件との比較検討に支障があった。このような観点から、制度改善と並んで、過去の案件とのバランスについても、検察庁・法務省には西松事件が不公正・不平等な逮捕、起訴ではないことにつき、積極的な情報開示と具体的な説明が求められる。

■第4章 報道のあり方について

 本年にかけて、各報道機関の世論調査結果は、政権交代の可能性が高いことを示していたところ、衆院選がこの秋までには実施されるという時期に起きた民主党小沢前代表の公設第1秘書逮捕をめぐって、報道機関は、新聞紙面そしてニュース放送の放送時間を連日大きく割いた。

 総選挙の結果次第では民主党の小沢前代表が総理大臣となる可能性があり、そうしたことがマスコミの報道にあふれている中での小沢前代表の秘書逮捕は、状況を一変させるビッグニュースであったが、今回のマスコミ報道では、事件の発展に関し、とくに小沢前代表に捜査が進展するのではといった予測報道が底流にあった。秘書逮捕以降、各報道機関の世論調査に「小沢一郎民主党代表は代表を辞任すべきか」といった質問項目が加えられたように、政治と金の問題とともに、政権交代を掲げる民主党代表の去就に注目が集まった。
 以下、本章では、事件をめぐるマスコミ報道について分析を行い、その問題点について指摘する。今回の報道全般を通して指摘できるのは、次の点である。

 第1に、検察あるいはその関係者を情報源とする報道が大きく扱われたこと。

 第2に、起訴以前、裁判開始以前で逮捕容疑の政治資金規正法違反を超えて、政治と金の問題とりわけ「巨額献金事件」といった決めつけをはじめ「有罪視報道」が展開されたこと。

 第3に、第1章で述べたような捜査、起訴を巡る疑問が指摘されているにもかかわらず、読者・視聴者に公正な視点から権力をチェックする報道が少なく、検察の捜査のあり方についての批判が十分に行われなかったこと。

 第4に、検察批判を外部の有識者の執筆原稿やスタジオなどでの討論に依存した姿勢は、多様な言論の表出という点で評価はできるが、本来はそれぞれの取材で明らかにしなければならないにもかかわらず、その努力を怠り、外部識者に委ねてしまったこと。

 第5に、地検特捜部の動きは、衆院選が取りざたされる中でのことであっただけに、通常の政治報道・事件報道以上の慎重かつ多面的な報道が求められたが、そうした姿勢が今回の報道機関全体に希薄であったということ。

 1.有罪視報道と検察情報によりかかった報道

 1-1.起訴報道時のNHKの「速報」の問題点

 NHKは、公設秘書の大久保氏が東京地検に起訴された当日の夜、小沢前代表が記者会見を開き、大久保秘書の行為が政治資金規正法違反に当たることを否定した上で、民主党の代表を続投する意向を表明した直後の深夜から翌日の朝までトップニュースで、大久保秘書が違反事実を認めているとの報道を、繰り返し繰り返し行った。この報道には多くの報道機関が追従したが、その報道姿勢には疑問が残る。

 このNHKのニュースは「うその記載を認める供述をしていることが関係者への取材でわかりました。・・・大久保秘書は、逮捕後、東京地検特捜部の調べに対し西松建設からの献金とは認識していなかったと不正を否定し、関係者によりますと、最近になって献金は西松建からだと認識していたとうその記載を認める供述をしているということです」という内容であった。

 拘置中で接見禁止となっている被疑者は、報道関係者も含め外部の人間とは接触できない。被疑者、被告人の供述内容を知り得るのは、捜査機関側と弁護人だけである。その内容は、守秘義務を負う捜査機関側、および弁護人側にとって、極めて重要な秘密事項であり、報道機関が供述内容についての情報を得たとすれば、そこには何らかの守秘義務違反の犯罪がかかわっていることになる。一体何を根拠に、「大久保秘書が虚偽記載を認めている」との報道を行ったのか、重大な疑問がある。

 この報道が行われた後、各新聞、テレビで世論調査が行われ、「小沢代表の説明に納得できるか」「小沢代表は続投すべきか」という質問に対する回答結果が、翌週の初めに次々と公表された。NHK の報道と、それに追従した他のメディアの報道によって、多くの人が、起訴された秘書が違反を否定しているのに、なおも違反を否定し続けている小沢前代表の「苦しい言い逃れ」の印象を受けて、「小沢代表の説明には納得できない」という回答に誘導されたと考えられる。

 当委員会は、NHKに対して書面で質問を行い、放送内容には真実性に問題がある上、放送の前提としての「うその記載」の意味が不明確であるとの問題の指摘を行った。これに対して、NHKは書面で回答したが、「うその記載」について、「放送した公訴事実の要旨『実際には西松建設から受けたのにOBの政治団体からの寄付だと記載した』とされる点と認識しています」と述べるにとどまっている。大久保秘書の容疑事実における「虚偽」の意味については、逮捕当初から、現行法は、政治資金収支報告書に寄付の資金の拠出者の記載を求めてはおらず、単に西松建設が資金の拠出者だと知っていながら政治団体と記載したということだけでは虚偽記入にはならないとの指摘があり、この点が、本件の犯罪の成否に関する重要なポイントであることはNHK側も認識できたはずである。NHKによる「大久保秘書が献金は西松建設からだと認識していたと、うその記載を認めた」との報道は、この「虚偽」の意味をあいまいにしたまま、西松建設が資金の拠出者であることを知っていたことを認めたことで「うその記載」を認めたという印象を視聴者に与え、関係者の情報をもとに同秘書を裁判開始以前の段階で有罪視するものであった。しかも、小沢前代表の会見のニュースに合わせて、この報道を深夜から朝まで繰り返した。総選挙が半年以内に実施されることが予定されている中で、有権者の投票行動に決定的な「判断材料」となりうる報道については、より多面的かつ公正公平な取材報道が求められる。このNHKの報道姿勢には重大な疑問が残る。

 さらに、多くの新聞、テレビが、このNHK の報道に追従し、「容疑を大筋で認めた」などと報じる中、毎日新聞など一部の新聞は、大久保容疑者は一貫して容疑を「否認」していると報じた。朝日新聞は、追従する報道は行ったものの、のちに弁護人側が、大久保秘書がうその記載を認めたとの報道に関して、これを否定するコメントを行った際、その全文を紙面に掲載している。ところが、NHKニュースでは、弁護人のコメントをまったく報じていない。検察情報に一方的に依拠し、弁護側からの取材を行わないで報道したばかりか、弁護人がコメントを行ってもまったく報じていない。

 こうした事件の推移および読者・視聴者の判断に大きな影響を与える情報については、当然ながら慎重な報道が求められる。この報道に情報源があるとすれば、検察関係者に限定されるだろうが、その一方当事者側の情報を、反対当事者に取材することもなく報じただけでなく、それに対する反論が出されても報じないというのは、報道の公平性を著しく欠くものである。公共放送の報道姿勢として重大な問題があり、まさに、メディアのコンプライアンスが厳しく問われる事例だといえよう。

 大久保秘書は保釈保証金1500万円を納め、5月26日夕刻、逮捕から約2カ月半ぶりに東京拘置所を出た。保釈後、弁護人を通じて発表したコメントは次のとおりである。

 「現在、私は、政治資金規正法違反被告事件で起訴され、公判を控えておりますので、事件の中身について発言を控えるべき立場にあることを皆様にご理解いただきたいと思います。

 ただし、問題とされている政治資金に関しては、私は政治資金規正法の定めに従って適切に処理し、かつ、そのとおり政治資金収支報告書に正しく記載したものであり、法を犯す意図など毛頭なく、やましいことをした覚えはありません。この点は、裁判の中できちんと争うべきことで、自分の主張は法廷で明らかにしてまいりたいと思います」

 収支報告書に「正しく記載」したことを主張する大久保秘書のコメントと、起訴時点でのNHKなどの「うその記載を認めた」報道との差異はあまりに大きい。

 1-2.政治資金規正法を読み違えた産経報道

 3月8日付産経新聞に記載された「小沢氏 監督責任も 起訴なら失職の可能性 政治資金規正法」との記事は、政治資金規正法の誤った解釈による誤報であり、この記事を読む読者に大きな誤解を与えたといえる。

 政治資金規正法25条2項は「政治団体の代表責任者が当該政治団体の会計責任者の選任および監督について相当の注意を怠ったとき」に罰金刑に処すると定めているが、この「および」は選任についての相当の注意と監督についての相当の注意の両方を怠ったことを要件とする趣旨であり、「監督」についての相当の注意を怠っただけで罰金刑に処せられることはなく、ましてや公民権停止で失職する可能性もないことは明らかである。上記産経新聞の記事は、大久保氏が東京地検に逮捕された後、同地検が小沢前代表を聴取するなどと報じられる中で、小沢前代表の刑事責任追及の可能性と、それによる議員失職の可能性について国民に重大な誤解を与えるだけでなく、公職を辞職することで起訴猶予処分となって議員辞職を免れる余地があると示唆することで、小沢前代表自身の進退の判断にも重大な影響を与えかねないものである。

 このように「監督責任」を見出しに掲げ、「監督責任ミスが認定され、起訴された場合には、小沢氏は最終的に衆院議員を失職する可能性も出てくる」と述べた上で、故土屋義彦埼玉県知事が同様の事件で会計責任者に対する監督責任を認め、知事を辞職したことで、反省の情を認められて起訴猶予処分になったことにまで言及した同記事は、読者あるいは有権者に対し誤った政治判断を与えるだけなく、故土屋知事の事例を引き合いに出して、小沢前代表の進退にも影響を及ぼそうとする意図もうかがわれるものであり、NHKの報道と同様に、本件の一連の中で際立って問題を含む記事であった。また、この記事には「捜査関係者」といった語句が頻繁に登場しているが、その記述の通りであるとすれば、検察が報道機関をあたかも「広報機関」のように利用して、世論の誘導や小沢前代表の進退や捜査への対応に影響を及ぼそうとした疑いもある。上記のように、法律上は会計責任者に対する監督ミスだけで罰金刑に処せられることはなく、ましてや議員失職はあり得ないのであり、まったくの誤報である。産経新聞は徹底した報道検証が必要であると考えられるが、当委員会から書面で質問を行ったにもかかわらず、産経新聞からは本報告書執筆時点で、いまだ回答はない。←注・管理人の手による!

 1-3.「捜査は自民関係者に波及しない」 内閣官房副長官の問題発言

 さらに、3月6日の朝刊各紙は、政府高官による「自民関係者、立件はない」「捜査は自民党議員に波及しない」とのオフレコ発言を伝えた。「(この)発言が大きな問題になってもメディアが率先するのではなく、結局、河村建夫官房長官の明示を待って実名に踏み切ったのは情けない。体のいい情報操作の手段に使われないよう、必要な場合は実名にするとともに、オフレコ懇談自体の是非も議論すべき時ではないか」(田島泰彦・上智大学教授)との指摘に、この国の報道機関は耳を傾けなければならない。このような政府中枢にいる人物のオフレコ発言といえども、報道機関自身がその真意を徹底して追求する姿勢が求められている。政府高官の実名を自らが明かすのではなく、官房長官の記者会見での表明を待つ姿勢は、今回の事件全体を覆う、報道機関の消極的姿勢を象徴するものであったといえよう。

 1-4.検察の説明責任追及報道

 大久保秘書起訴時点で、毎日新聞は、小川一社会部長(当時)が「検察は説明責任を果たせ」との解説記事を3月25日付朝刊に掲載したことは評価しなければならない。しかしながら、報道による世論調査では、たとえば、5月11日の読売新聞朝刊1面で伝えられた内閣支持上昇29%、小沢氏続投「納得せず」7割といった調査結果に見られるように、小沢前代表側の「説明責任」と進退にマスコミ報道の中心が置かれ、検察の説明責任を求める声は、新聞報道では有識者の発言で見受けられたものの、新聞社自身の意見の表明としては少なかった。

 公設秘書逮捕につき、聴取開始直後に逮捕するという捜査手法が適切であったかについての言及も少なかった。また検察当局が刑事訴訟法を盾に説明責任を果たそうとはしないように、小沢前代表の側も訴訟当事者関係者として説明しうる範囲は限定されるだけに、報道機関によるこの問題の徹底検証が必要不可欠であった。

 1-5.「代表辞任すべき」報道

 逮捕時から始まり、起訴直後から繰り返された執拗(しつよう)な代表辞任報道は一方的に政治状況を作り出し、民主党および代表を政治的に追い詰め、国民の判断をゆがめた可能性があり、大きな問題がある。また、各報道機関は、その世論調査の質問項目に「小沢代表は代表を辞任すべきかどうか」を設定し、過半数を大きく超える「辞任すべき」との調査結果を大きく報じた。しかし、どのような政治的責任があっての辞任であるのか、説明責任を果たさないから辞任すべきであるのか、極めてあいまいなままの質問であったと言わざるを得ない。政治倫理を問い続けること並びに政治と金の問題を追及することは報道機関の社会的責任の一つであるとしても、公設秘書の逮捕即辞任といった質問はあまりに短絡的であったし、辞任世論をあおったともいえよう。

 2.秘書逮捕報道、起訴報道に見られる個別問題

 2-1.過大・歪曲報道

 今回の事件は政治資金規正法違反容疑で立件されただけで、本報告書作成時点では、贈収賄や入札妨害などの罪は立件されていない。しかしながら、どのような根拠に基づいたのかは定かではないが、西松建設の東北地方における公共工事受注と今回問題とされている政治献金が関連しているかのような印象を与える報道が続いた。つまり、政治資金規正法違反にとどまらず贈収賄などの刑事事件に発展することをあたかも前提としたような事態が、新聞やテレビなどの報道で続いたのである。

 2-2.検察の情報秘匿姿勢と報道側の沈黙

 大久保秘書起訴(3月24日)当日、東京地検谷川次席検事・佐久間特捜部長による司法記者クラブ記者への説明および質疑応答の際、記者クラブは加盟社以外の者の参加を認めたにもかかわらず、検察側が加盟社以外の参加を認めず、結果的に加盟社以外のジャーナリストが排除されたまま検察側の説明がなされたとの指摘がある。この点に関しては、資料編に付したように当事者からの証言を得た。また、テレビ撮影や説明・質疑内容の記録公開も許可されず、極めて閉鎖的な場での説明であった。ところが、新聞、テレビなどでは、このような検察の姿勢を批判することもなく、この加盟社以外のジャーナリストを排除した事実さえまったく報道されていない。今回の政治資金規正法違反に関する検察捜査には多くの疑問があり、検察の説明責任が問われているにもかかわらず、小沢前代表秘書の起訴という重大な節目の時点で、検察がどのような説明の姿勢を示したかについて、重要な事実をまったく報道しようとしないマスコミの姿勢は問題だと言わざるを得ない。

 2-3.「捜査関係者」情報源明記報道

 さらに、今回の事件報道で特徴的な情報源にかかわる表記があったことを記しておきたい。逮捕以後の3月中の新聞各紙(朝日・読売・毎日・日経・産経・東京)に掲載された関連記事に捜査関係者という表記がしばしば見られる。

 産経新聞には、情報源として「捜査関係者」の登場頻度が各紙に比べ非常に高い。同様に日本経済新聞も捜査関係者は多く登場しているが、「関係者」は1回のみで、産経の0回と並んで、その他の4紙にはない報道姿勢といえよう。これは「関係者」表示に比べ、正確な情報源表示ともみられるが、逆に、表示の通りであるとすれば、捜査機関側の一方的な情報に依拠した偏った報道であると言わなければならない。さらに、公正な報道という観点から言えば、他方当事者である被疑者側からの情報も提供するべきであった。いずれにせよ、こうした情報源を明記する報道の場合には、より慎重な取材報道が求められることは言うまでもない。

 さらに付け加えるならば、裁判員制度開始に伴い、情報源の明示を報道機関各社は模索している。このような「関係者」はもちろん「捜査関係者」といった表記ですら、情報源明示とはいえない。本来ならば、その関係者の氏名を載せるべきである。しかし、掲載すれば情報の信用性は高まるものの、公務員による情報漏洩(ろうえい)の問題が浮かび上がるのである。

 2-4.当委員会をめぐる報道

 当委員会について、以下にあるような正確性を欠いた記事も少なくはなかったことを記しておく。

■5月4日付 産経新聞 「小沢氏進退論」大合唱 思惑外れた民主党の有識者会議

 当委員会を「有識者会議」と記し、その論議が「事件の法解釈上の問題点などを検討するという鳩山由紀夫幹事長らの思惑を外れ『小沢氏の進退論』に集中、党幹部を慌てさせている。説明責任のための会議が小沢氏に『引導』渡すことにもなりかねない」と報じている。

 この記事には執筆した記者名が記されている。その記者がこの間の当委員会の記者会見などに出席していたならば、この記事内容とはならなかったはずである。

 また、地方紙に掲載された以下の記事も同様であった。

■5月1日の地方紙朝刊に次のような見出しが付けられた記事が並んだ。

 東奥日報 代表続投をめぐる民主有識者会議 “みそぎ”のはずが… 想定外の辞任勧告? 出席者 次々厳しい声

 信濃毎日新聞 西松の巨額献金事件 民主の有識者会議 相次ぐ小沢辞任論 みそぎのはずが思わぬ展開

 沖縄タイムス 最前線/みそぎにはずが辞任勧告? 民主有識者会議

 各紙に掲載された記事は通信社の配信記事であるが、当委員会が招いたジェラルド・カーティス氏や堀田力氏そして岩井奉信氏が「政権交代を目指すなら辞任すべき」と述べていることを伝えている。これは当委員会の見解ではなく、招いたゲストの、しかも、当委員会の質問とは関係ない発言の一部であるにもかかわらず、小沢代表(当時)の進退について委員会が議論しているかのような不正確な報道がなされた。
 3.報道各社に求められる事件の報道検証

 3-1.報道機関の蓄積データと今回の事件の対比を

 これまで、各報道機関は数多くの政治資金規正法違反をめぐる事件を報道してきた実績がある。その膨大な報道資料さらには取材で得たデータをもとに、今回のような検察の捜査着手時期、さらには容疑内容と逮捕事実、また起訴内容と逮捕事実や身柄拘束の是非などについて、各紙が解説記事で触れている。しかし、全体としては、今回の事例の特殊性を際立たせる報道になっているとは言い難い。

 報道機関に求められる公権力の動向を監視するという古典的機能に立ち返り、この3月以来の民主党を巡る政治報道の内容をそれぞれ検証し、読者・視聴者にその調査結果を示すことが報道機関として最低限必要なことだと考える。

 同時に、現行の政治資金規正法の問題点や当局の捜査手法についての批判的見解を、外部の識者談話や識者執筆の原稿などにゆだねることなく、個々の報道機関が公開された政治資金収支報告書の分析検討などの調査を行うほか、独自取材を通して、事実の解明に寄与することが求められる。その上で、調査・取材結果を市民に伝える責務を果たすべきである。

 4.本件に関する報道のゆがみの原因

 この事件を巡る報道には検察側からとみられる情報に依存したものが少なくなかったといえよう。重大な政治的影響を生じさせる事件の報道にあって、とくに総選挙が近く実施されることが予測される状況での検察側の異例の捜査であるだけに、この間の報道は多くの問題点を残した。その背景に、記者クラブに象徴される当局と報道機関との不透明な関係があるとみられる。同時に、政治家と報道機関との適切な距離感が保たれていないという問題もある。

 本章で指摘したNHK、産経新聞の事例に見られるような、国民に誤解を与えるゆがんだ報道によって、社会的、政治的、経済的に重大な影響を及ぼすことのないように、組織内部においてコンプライアンス体制の整備に取り組むほか、報道界はジャーナリズムの原点に立ち返り、報道を巡る構造的な欠陥の解消に向けて積極的な取り組みを行うべきである。

■第5章 政党の危機管理の観点からの分析

 野党第一党の地位にある政党が、政権選択をめざす総選挙を目前に控えた時期に、党首の資金管理団体に関する政治資金規正法違反の容疑で党首の公設秘書が検察に逮捕されるという事態に直面したとき、その政党はどのような対応をとるべきなのか、そして、その党首自身は、どういう態度で臨むべきなのか。

 本章では危機管理の観点から、そのような立場に立たされた政党と党首がどのように対応すべきかを検討し、今回の事件で、まさにその立場に立たされた民主党と小沢前代表が実際にとった対応を検証した上、民主党が今回の問題を教訓として取り組んでいくべき課題を提示する。

 1.政党としてどのような基本方針で臨むべきか

 政党は国民に支持され、選挙で議席を獲得して政権を担当し、政策を実現することを目的としている。その目的実現のために、まず有権者の支持を得て議席を獲得し、国会内での多数勢力を獲得すること、野党においては選挙に勝利して政権を獲得することが必要であることは言うまでもない。

 一般論としては、かかる意味で、党首の政治資金問題が検察の強制捜査の対象とされるという事態に直面した政党は、まず、疑惑を厳粛に受け止め、党首に対して厳正に対処する姿勢を見せることで、党首の問題が党自体への国民の支持の低下につながることを最小限に食い止めることが必要である。

 しかし、一方で、民主的正当性を持たない検察の不当・違法な捜査権限の行使による政治介入が行われ得ること、それが、とりわけ時の政府に都合の良い形で行使される傾向があることは、第3章の3-1.で述べたとおりであり、そのような権限行使が行われたた疑いがあるのであれば、民主主義を担う政党として、憲法および法令によって認められた手段を駆使して、検察の不当な政治介入に対して毅然たる姿勢を示すことも重要である。

 民主党にとって今回の事件は、検察によって党首自身の政治資金に関する疑惑が指摘された一つの不祥事であると同時に、総選挙を半年以内に控えた時期に検察の捜査権限の行使が行われたことによって国民の政権選択に重大な影響が生じたという一つの政治問題の側面をも有している。小沢前代表自身が疑惑に対して十分な説明責任を果たし、国民の不信を払拭するため最大限の努力をすることが必要である一方、検察の捜査の適正さ、検察の捜査権限の行使のあり方に疑念があるのであれば、それがいかなる根拠によって行われ、その容疑事実や捜査手法にいかなる問題があるのかについて、可能な限り情報を収集し、問題の所在を明らかにすることで、国民に対して検察の不当な政治介入の疑いについて問題の指摘を行う必要がある。

 民主党にとって、小沢前代表に向けられた政治資金の疑惑に対して真摯に厳正に対処することと、検察捜査の政治介入の疑いに対して毅然たる姿勢をとることとの間には微妙な関係がある。検察捜査の問題を指摘することが、党首に向けられた政治資金の疑惑に対して政党として負うべき責任を回避しようとするものと受け取られてはならないし、検察捜査への批判が司法の権威を損なう態度として反発を招かないように配慮しなければならない。また、議会内で相当の勢力を有し、政権獲得をめざす政党が、政府・与党側の政治的意図による捜査の疑いを指摘することで、逆に、政権獲得後に政治的意図によって検察の捜査に介入することができると認識しているような誤解を招くことも避けなければならない。

 一方で、検察の捜査に関して疑念がある場合に、その問題に目を背け、検察の捜査を漫然と見守りながら事態の沈静化を図るだけでは、政党としての責任を果たしたとは言えない。政党としては、党首の疑惑に対して政党としての厳正かつ真摯な対応をとることと、検察捜査による不当な政治介入の疑いに対して適切な問題の指摘を行うことの両方が求められるのであり、そのために何より重要なことは、事態を客観的にとらえること、すなわち、事実関係を可能な限り正確に把握し、検察捜査に関する問題を的確に分析・検討した上で、政党としての対応を行うことである。

 2.体制の構築

 政党として事態を客観的に把握して適切な対応を行い、国民からの信頼を確保できるようにするためには、どのような体制の構築が必要か。組織にとっての危機的事態が発生した場合、まず事実関係を把握し、その問題が自らの組織にとって、どのように位置づけられる問題なのかを明らかにし、基本方針を策定する必要がある。

 政党の最終的な意思決定を行う立場にある党首に対して疑惑が指摘された今回のような事件については、ともすれば、事件の当事者的立場にある党首自身の対応と政党としての対応が一体化してしまいがちであり、それが、政党自体が当事者として対応しているかのような誤解を与えかねない。それは、政党としての対応の客観性を担保する上で最大の支障になるものといえる。

 それを防ぐための最も直接的な解決方法は、党首がただちに自発的に辞任することである。しかし、党首が一方で疑惑を全面否定しながら辞任することは、疑惑を覆い隠したまま表面的に問題の沈静化を図ろうとする姿勢と受け取られ、かえって政党への不信を招くことになりかねない。また、今回の政治資金問題のように検察捜査にも多くの疑問・疑念がある場合、そのような問題から目を背けたまま、党首辞任で検察捜査に屈服したかの印象を与えるのは好ましくない。

 そこで考えられるのが、検察捜査によって表面化した疑惑に関して政党としての対応を行うのに必要な期間内は、当事者たる党首がその疑惑に関する党としての対応の意思決定にかかわらないようにするための臨時体制を整備することである。

 その体制整備の方法には次の二つが考えられる。一つは、政党としての活動一般については従前の体制を維持し、党首の疑惑への対応を行う独立した組織を党内に立ち上げるという方法である。この場合、独立性を確保するため、何らかの形で対応組織の中に外部者を加える必要があろう。もう一つは、一定の期間、党首の臨時代理を設置するなどして、党の活動一般についても、党首が党の意思決定にかかわる立場から離れて政党活動を行う体制を構築し、党内に疑惑への対応を行う組織を立ち上げて対応するという方法である。
 後者の方法をとるためには、本件のように党首自身についての問題が表面化した場合の臨時代理の選任などについて、党規約などであらかじめ定めておく必要がある。前者の方法であれば、執行部としての判断で行うことが可能であるが、この場合にも当事者である党首が、その決定にかかわらないようにする配慮が必要であろう。

 3.政党および党首として行うべきこと

 3-1.政党としての対応

 上記のような体制を構築し、政党としての立場と当事者たる党首の立場を分離した上で政党として行うべきことは、まず、検察捜査の対象とされた事実について情報を収集し、必要な調査を行った上、党首からも説明を求めるなどして、政党として事実関係と問題点の把握を行うことである。

 この際、今回の事件のように、検察の捜査が継続され、とりわけ、直接の担当者である会計責任者の身柄が拘束されている場合には、事件の核心部分についての事実を把握することは困難であるが、政治資金に関する問題で、しかも、今回の事件のように「表の献金」の問題であれば、少なくとも公開されている政治資金収支報告書に基本的な事実は記載されているのであり、それを含めた公開資料とマスコミ報道による情報等を分析・検討することで、相当程度事実を把握することができるはずである(第1章2.2-4 で述べた今回の事件の問題を把握する上で重要な事実が、当委員会で公開資料によって調査した結果からでも明らかになっている)。

 こうした調査結果は、まず、党内において事件に対する共通認識の形成に活用されねばならない。そして、次に重要なことは、党首の疑惑に対して、党としてのコメントや見解を公表し、事件について公平で冷静な見方が行われるよう国民に対して適切に情報発信していくことである。とりわけ、今回の事件のように検察の強制捜査が行われ、マスコミが検察側からと思える情報に基づいて、検察側の見方に偏った報道を続けている場合に、党として客観的な見地から意見を述べることが重要である。

 この情報発信、コメントは、党としての事実調査の過程でも、必要に応じて行う必要があるが、その際、前記2.で述べたように、露骨な検察批判を行うことによって、司法軽視との批判を招いたり、誤解を受けたりすることがないよう十分に留意する必要がある。捜査の容疑事実や捜査手法等に対して疑問な点があれば端的に指摘すべきであるが、「国策捜査」「不当捜査」などと主観的なコメントをすることは差し控えるべきであろう。特に、強制捜査着手後、起訴不起訴が決定される前の段階においては、その処分に影響を与えようとしているとの誤解を招かないようにしなければならない。問題を指摘した上で、検察当局の公正な判断・処分を期待する姿勢を維持することが、かえって捜査の問題を浮き彫りにする賢明な対応と言うべきであろう。

 3-2.当事者たる党首としての対応

 自らの政治資金の問題で公設秘書の会計責任者が逮捕された本件のような場合、党首の立場とは別個に政治家個人として対応することが必要となるが、この場合、野党第一党の党首という重要な地位にある政治家としての立場と、刑事事件の当事者的立場の両方に配慮した適切な対応をとることが求められる。

 通常は、刑事事件の当事者的立場にある者にとって、捜査中の事件についてのコメントには、刑事事件への影響を避けるという面からの制約がある。しかし、その一方で、政党の党首の地位にある政治家自らの政治資金が捜査の対象とされた場合、その容疑を真っ向から否定するのであれば、容疑を否定する対外的コメントを国民にわかりやすい形で行うことが不可欠であろう。ただ、ここで行うコメントが、マスコミに不正確に伝えられると、捜査で指摘された疑惑に対する姿勢に関して誤解を招くことにもなりかねない。また、党首ではなく政治家個人の立場での対応とはいえ、党首という立場を維持している以上、政権交代が実現した場合には行政の長たる内閣総理大臣の地位に就くこともあり得るのであるから、上記3-1.で党としての対応に関して述べたのと同様に、露骨な検察批判を行うことによって、司法軽視との批判を招いたり、誤解を受けたりすることがないよう留意する必要がある。

 このように、政治家としての対応については、微妙で困難な問題があるため、弁護士のサポートを受けるなどして、会見の設定、プレスリリース対応などを適切に行うことができるよう、個人事務所を中心とする十分な体制を構築する必要がある。

 そして、重要なことは、刑事事件の当事者的立場にある者にとっては、検察捜査に対して反論・批判を行うのであれば、刑事手続の中で行うのが本筋だということである。公設秘書が起訴されたのであれば、少しでも早く公判手続が開始され、その場で、検察に対する反論を行い不当な捜査・起訴であることを明らかにできるよう、最善を尽くすべきであろう。

 4.本件に関して民主党および小沢前代表がとった対応に関する問題

 4-1.党首としての立場と政治家個人の立場との一体化

 鳩山幹事長(当時)からの回答書によると、「問題が代表個人の政治資金問題であることから、まず小沢代表が事実関係を把握し、できるだけ速やかに説明するべきことを要請し、翌日の朝一番に臨時役員会を緊急開催するとともに、その直後に代表が記者会見を開いて説明を行いました」とのことであるが、党首自身の政治資金問題で公設秘書が逮捕されるという、党首の辞任にも結びつきかねない、党にとって重大かつ深刻な事態の発生を受けて、民主党がまず行わなければならないことは、事件について当事者的立場に立たされた小沢前代表と、目前に迫った総選挙で政権をめざす野党第一党の民主党という組織とを切り離すことであった。小沢前代表が疑惑を全面否定し、辞任の意志はないことが確かめられたのであれば、政治家個人としての小沢前代表の対応は本人にゆだね、それとは別個に、小沢前代表が意志決定にかかわらない形で民主党としての対応を行うための体制を構築することであった。

 表面化した党首の政治資金問題に関して、民主党独自に意思決定を行い、自立した対応がとれるような体制を整備する方法として、小沢前代表が、事件についての対応を行う期間内、代表の職務を停止し、代表の臨時代理を選任する方法と、党の一般的な体制を維持したまま、小沢前代表の政治資金問題について党内で独立して事実調査などの対応を行う特別の組織を立ち上げる方法とが考えられることは前に述べたとおりである。ところが、実際の民主党がとった対応では、小沢前代表が党首として党の活動全般にわたって最終的意思決定を行う体制を維持したまま、小沢前代表の説明を前提に党の事件への対応方針を決定した。その後も、政治家個人としての小沢前代表の立場と政党としての民主党との切り離しが図られないまま、国民に対する説明などの対外的対応が行われていった。

 また、小沢前代表が民主党本部での代表定例会見という形で事件に関する発言を行ったり、代表代行、幹事長などが記者会見で五月雨的に事件についてのコメントや検察リークを批判するコメントを行ったりしたため、小沢前代表と民主党と渾然一体となって検察捜査に反発し対決しているように受け取られ、マスコミから批判を受けることにつながった。

 しかも、検察捜査の対象となった事件の内容や性格、問題点についても、その背景となっている小沢前代表の政治資金問題全般についても、党として客観的に事実を把握することができなかったために、民主党内部でさまざまな見方・見解の対立を招き、前提事実があいまいなまま小沢前代表の進退をめぐる議論が行われるなど、混乱を極めることとなった。

 一方で、小沢前代表の側も、政治家個人としての、個人事務所を中心に事件対応のための特別の体制を構築すべきであるのに、それが行われないまま、民主党の組織に寄りかかる形での事件への対応が行われた。
 3月4日などの小沢前代表の記者会見は、政治家個人の資金管理団体の政治資金の問題なのであるから、党首という立場ではなく、政治家個人の立場で行うべきものであり、政治家個人の立場と党首の立場とを区別するために、個人事務所などを会見場所に設定して行うべきであった。

 ところが、実際には、会見は党本部で行われ、マスコミへの連絡、会場の準備など会見の設営についても、定例記者会見と同様、民主党の役員室が行った。そのため、小沢前代表個人としての発言なのか、民主党の党首としての発言なのかが判然としないまま、事件に対する検察との対決姿勢だけが強調されるという結果を招いた。

 民主党においては、当事者的立場にある小沢前代表が意思決定にかかわらない形で、小沢前代表の政治資金問題に対する党としての対応を決定するための体制を構築すること、小沢前代表においては、個人事務所を中心とするサポート体制を作ることが不可欠であったといえよう。

 4-2.小沢前代表の説明について

 ア 検察の捜査・処分に対する批判

 小沢前代表は、3月4日の記者会見で「衆議院総選挙が取りざたされているこの時期に異例の捜査が行われたことは、政治的にも法律的にも、不公正な国家権力、検察権力の行使」と述べて検察捜査を強く批判したが、その後の記者会見では、検察捜査を直接的に批判することはせず、3月17日の会見では、「献金を受けていたことは事実ですし、そして政治資金規正法の趣旨にのっとって、その通り報告をしてきたところです。いろいろと今、捜査を致しているところと推測していますが、検察当局の公正な結論が出ることを期待しています」と述べて、検察の公正な判断を期待するという穏当な言い方を行っている。

 そして、秘書が起訴された3月24日の夜の会見では、「献金を受けた事実はそのまま報告していますし、献金をいただいた相手方をそのまま記載するのが政治資金規正法の趣旨であると理解していまして、その認識の差が今日の起訴という事実になったことと思います。過去の例を見ても、この種の問題につきまして、逮捕、強制捜査、起訴という事例は記憶にありません。そういう意味で、政治資金規正法の趣旨から言っても、またそういう点から言っても、私としては、合点がいかない、納得がいかないというのが、今日の心境です。特に総選挙、まさに秒読みの段階に控えている今日であり、私の責任の重大さを感じると同時に、そういった形での結果については、自分としては納得できないという思いです」と述べて、政治資金の処理に関する見解の相違が起訴の原因という見方を示すとともに、婉曲的ながら、過去に例がない検察の強制捜査・起訴に対する批判的な発言をしている。

 第1章で述べたように、本件の検察の捜査・起訴には、多くの疑問があり、しかも、検察は、それらの疑問に対して説明責任を果たしていないことからすると、そのような検察捜査で政治的に大きな打撃を受けたと考えている当事者の小沢前代表が、検察に対して批判的な見解を述べるのはある程度は当然であり、会見などの経過を全体としてみると、検察批判発言が行き過ぎているとは思われない。しかし、突然の秘書の逮捕で若干感情的になっていたと思われる3月4日の会見での強い表現の検察批判が、その後マスコミで繰り返し取り上げられ、対決姿勢が強調されたことが、あたかも民主党が党として検察批判を行っているように受け取られ、その後の世論形成において結果として不利に作用したことは否めない。政治家個人としてのマスコミ対応のサポート体制が十分ではなかったことの問題が表れたとみることもできよう。

 イ 政治資金規正法違反の容疑事実に関する説明

 3月4日の小沢前代表の記者会見における、西松建設の関連政治団体から陸山会への政治献金の違法性に関する発言の中で、その後、マスコミ側から「苦しい言い逃れ」のように扱われ、批判的世論形成の原因となったのが、(1)「西松建設そのものからの企業献金だという認識に立っているとすれば、政党支部は企業献金を受けることが許されておりますので、そういう企業献金という認識に立っていたとすれば、政党支部で受領すれば何の問題も起きなかったわけでありまして、私どもの資金管理団体の担当者は、それは政治団体からの寄付という認識の下にあったから、政治資金管理団体で受領したということであったと報告を受けております」と、(2)「献金していただくみなさんに、そのお金の出所や、いろいろな意味においてそういうことをお聞きするということは、厚意に対して失礼なことでもありますし、通常、これは政治献金の場合だけではなく、そのような詮索(せんさく)をすることはないだろうと思っています。」の二つであった。

(2)の「詮索することはない」という言葉が、「資金の出所が西松建設であることを知る立場にない」という意味で受け取られ、(1)の「西松建設そのものからの企業献金だという認識に立っているとすれば」という言葉が、「資金の出資者が西松建設だと認識できたとすれば政党支部で受領すればよかった」という意味で受け取られたことが、小沢前代表が、資金の出所が西松建設だと認識する可能性すらなかったと主張しているように扱われ、「自分の会社に何かメリットがなければ政治献金をする意味がないのだから、西松建設が出資者だということは当然、小沢側が認識していたはずだ」という理由で、小沢発言は、不自然・不合理な弁解だとされ、「説明責任を果たしていない。納得できない」との批判につながった。

 しかし、当委員会でのヒアリングに対して、小沢前代表は、「政治資金規正法では、寄付をしてくださった個人や団体を収支報告書に記載すれば十分であり、資金の出資者を記載することは義務付けられていない」という前提で「政治団体から受領した以上、政治資金規正法にのっとって、政治団体からの寄付として収支報告書に記載すべきと考えたからこそ、そのように記載したということです」と答えている。

 また、「詮索することはない」という言葉の意味についても、ヒアリングでは、「寄付を頂く政治団体に対して、寄付の資金をどのようにして捻出(ねんしゅつ)されたのかということまでお尋ねするのは、誠に失礼なことですので、そこまで詮索するようなことはやっていないはずだと申し上げた」と説明した。

 その前提として、小沢前代表は「寄付を頂く際に、どこから資金が出ているかを一つひとつ確かめてみろということは、少なくとも、今の政治資金規正法では求められていない」ということも述べている。

 しかし、3月4日の記者会見の際の発言は、記者の側には、そのような意味には受け取らなかった。政治献金の資金が西松建設から出ているとの認識の有無が犯罪の成否のポイントだとの前提に基づいて、小沢前代表の発言は、その認識を無理に否定しようとする発言だと受け取られてしまった。

 第1章で述べたとおり、政治資金規正法上、収支報告書に記載が義務づけられているのは政治資金の出資者ではなく、寄付の外形的行為者と理解するという見解にたった上で犯罪の成否を議論するよう、記者への丁寧な説明を行う必要があった。この点も、個人事務所を中心とするサポート体制が整備されていたら、より適切な対応ができたのではないかと考えられる。

 ウ その他の事項についての説明

 今回の政治資金問題に関連して、小沢前代表に対して、事件そのものについての説明以外に、ゼネコンから長年にわたって多額の政治献金を受けていたのであるから、その政治資金の使途についての説明を求める声がある。

 この点について、ヒアリングで質問したところ、小沢前代表は、「私は、政治資金規正法が定めるルールにのっとって、頂いた政治献金をすべて収入として収支報告書に記載し、その使い道についてもすべて収支報告書で公開しています。また、陸山会の事務所費については、当時の法律では義務付けられていないのに、事務所費の明細とすべての領収証を公開しました」「今回も同じようなことをすればいいではないか、といわれるかもしれませんが、事務所に強制捜査が入ったときに会計関係の書類をほとんど持っていかれてしまったので、説明する術がありません」と答えた。

 政治資金収支報告書に記載されている支出の内訳の程度では、政治資金の使途の説明として十分とは言い難いというのが一般的な感覚であろう。ただ、検察に会計関係の書類がすべて押収されているので、それ以上の詳細の開示ができないということであれば、現時点では、収支報告書上の支出の内訳以上の開示は困難である。結局のところ、今後の刑事手続の推移の中で、押収物の還付が受けられた時点で、改めて検討することになろう。

 今回、小沢前代表に説明責任を問う契機となった政治資金規正法違反の刑事事件が、一方で、皮肉にも、小沢前代表の政治資金についての開示を阻む要因になっているという見方もできよう。今後、刑事手続が進展し、公判において事件の内容が明らかにされる中で、背景事実として小沢前代表の政治資金の問題も立証の対象となり得るのであるから、小沢前代表の側でも、公判での立証の状況に対応し、また、第1章で述べた検察の捜査・処分に対する疑念が解消されるかどうかも見極めながら政治資金問題についての説明を行っていくべきであろう。

 5.まとめ

 これまで述べてきたように、今回の事件に対する民主党および小沢前代表の対応は、政党の危機管理対応という観点からは問題がある。発端となった検察捜査自体に第1章で述べたような多くの疑念があり、また、それに関するマスコミ報道にも第4章で述べたような問題があることは確かであるが、政党としての危機管理に失敗した結果、政党支持率の低下、小沢代表(当時)の辞任を求める世論の高まりを受けて総選挙を目前に控えた時期の代表辞任という事態に至ったことは厳然たる事実であり、それは、多くの国民の支持を受け、その期待を担う政党にとって反省すべき事柄である。民主党にとっては、その危機管理の失敗を、今後、危機管理対応のみならず党運営全般に活用していくことこそが、今回の事件を乗り越えて国民の信頼を回復するための最良の手段である。

 危機管理の失敗の最大の原因は、今回の事件に関して、小沢前代表の政治家個人としての当事者的立場と、政党の党首としての立場とを切り離すことができず、両者の立場が渾然一体となったまま対応したことである。そのため、検察の捜査・起訴に関する問題やマスコミ報道の問題などがあっても、それらの問題を客観的な観点から的確に指摘することができず、事態の一層の悪化につながった。

 問題は、なぜ、当事者の立場と民主党の党首としての立場を切り離すことができなかったのか、ということである。危機管理の失敗の根本原因は、多くの場合、組織の日常の中にある。民主党の日常的な党活動の体制において、強烈な個性を持ったリーダーの指導力と、党としての判断や対応を客観化するシステムとの調和という面で問題がなかったのか、という観点から、今回の事件における危機管理の失敗の原因を検証してみることが必要であろう。

■第6章 政治的観点から見た民主党の対応

 本章の目的は、民主党の求めに応じて、「小沢前代表および民主党の対応、説明責任について検討する」ことである。今回の政治資金規正法違反事件に関連して、小沢前代表や民主党の「説明責任」を問う声は根強いが、具体的にどういう説明を求めているのかについて、さまざまな論点が錯綜(さくそう)し、小沢前代表や民主党が対応に苦慮したようにも見られる。そもそも、当委員会の設置自体、そうした戸惑いの現れとも見ることができる。そこで、本章では、広く国民の支持を獲得しようとする政党がとるべき政治戦略の観点から、小沢前代表および民主党の対応を検討し、党内運営のあり方についての方策を示す。

 政党や政治家は広く国民の支持を獲得することを目的とする存在であり、問題がなければ、関心を持たれなくてもよい、というわけにはいかない。その意味で、政党や政治家は、積極的に自己の立場をアピールし続けなければならないのである。不利な状況においても、単に疑惑を解消するだけではなく、説明を通して、国民のなかに共感を広げるという積極的な姿勢が欠かせない。その点で、あまりに防衛的になるばかりでは、事態を有利に打開することにはならないことに注意が必要である。

 1. 対応の前提

 1-1.当事者的立場にある政治家と政党の区別

 すでに、第5章で見たように、今回、小沢前代表の問題と民主党の問題が、渾然一体としてイメージされたことは反省すべき点である。

 今回の政治資金規正法違反事件は、あくまで小沢前代表の個人事務所をめぐる問題であって、論理的に考えれば、民主党全体の問題ではない。しかし代表職にあって、政党を率いる立場にある政治家の問題である以上、一般の印象として、民主党そのものに問題があるとみられてしまう危険性がある。それを防ぐには、両者の区別を積極的に訴えていくことが何よりも必要であった。

 また、事件によって代表の進退が取りざたされるとき、まず、強調されないといけないのは、当事者的立場にある政治家と政党との区別であり、それを前提に議論を進めないと、代表辞任論に抵抗することは難しいし、万一、代表辞任という事態に立ち至った場合には、政党に対するダメージは大きくなる。その意味で、この両者を区別していくことは必須であった。

 1-2.今回の事件の特殊性

 今回、小沢前代表の進退が大きな問題になった背景には、一般の刑事案件において、疑惑が生じ、捜査が行われた場合には、事柄の成否が明らかになる前でも、とりあえず疑惑を抱かれたことをもって、いったん身を引く事例が過去に多かったことがある。

 しかしながら、本件についてみれば、政治資金規正法の解釈をめぐって、検察側と小沢前代表側との間に見解の相違が見られ、それが事件の本質的な問題となっているため、贈収賄などの刑法犯の場合とは、大きく事情を異にする。

 ただ、そのことは、法律問題に必ずしも精通していない、一般の国民などには理解しにくいため、丁寧な説明によって、問題の所在に関する一定の理解を確保する努力が求められていた。

 また、長く見積もっても半年以内に総選挙を控えている時期の強制捜査であることは、政治情勢に対して重大な影響を与えるものであり、この点についての考慮も欠かせない。

 1-3.検察に関する発言の問題

 強制捜査の時期などから、政府の一部に属する検察が、現政権側の利益のために、野党に打撃を与えるための捜査・起訴ではないかという疑いについては、あってはならないことではあるが、理論上は排除することはできない。

 そこで、当事者がそのような可能性に思い至って、それに憤慨するのを否定することまではできない。しかしながら、法的秩序の安定性を考えれば、司法に対する政治的介入を意図していると誤解されかねず、問題が大きい。

 その意味で、当事者的立場にある政治家が、総選挙の時期とからめて検察の措置を批判し、さらに進んで、検察のあり方そのものを直接批判することは、控えるべきであり、慎重な言い回しが求められる。総選挙の結果次第では、内閣総理大臣になることが予想される民主党の代表として、検察の独立性に疑問を呈するのは、政権の座に着いたら、逆に検察の活動に介入するのではないかという疑いを抱かせかねないからである。

 会見の記録などから、小沢前代表もこの問題の所在を理解していると推測されるが、秘書逮捕直後の会見では、やや感情的になったという印象のある発言があり、それが広く報道されたのは反省点である。

 もちろん、第1章で述べたような問題があるので、検察の措置に対抗するために、当事者的立場にある政治家が、検察の立場とは違う立場を取っていることを説明することは必要である。

 これに関して、民主党、とりわけ幹部は、先に述べた当事者的立場にある政治家と政党の立場を区別するという観点から、検察批判的な発言を抑制することが、より強く求められる。ところが、幹事長など党の幹部によって「国策捜査」という言葉が使われ、また検察に圧力を加えると誤解されかねない発言が相次いだのは、適切ではなかった。

 ただ、検察の措置に問題があるということを、全く論じていけないわけではなく、そうした問題の所在に人々の関心を向けさせる発言は認められる。政治的有効性からすれば、民主党関係者が抑制の効いた発言を続けるなかで、第三者の間から、検察の措置に関する批判がわき起こるといった事態の方が、より民主党にとって、好ましい事態であったと考えられる。

 2. 民主党代表としての小沢前代表の説明について

 当事者的立場にある政治家としての小沢前代表の立場とは別に、民主党の代表としての小沢前代表には、説明すべきことはなかったのであろうか。もちろん、党の代表としての記者会見で、事件について聞かれることもあろうが、これについては、当事者的立場にある政治家として別に回答すると述べて、立場が違うことを明確にすべきである。

 しかし、今回の事件を契機に、小沢前代表の政治資金問題一般に関する認識や行動、さらには政治姿勢が問題とされたことについては、政党の代表をつとめる政治家として、積極的に自らの心情と行動を訴え、広く支持を求めるという行動をとることもできた。

 とりわけ惜しまれるのは、かつて代表選挙の際に「私も変わらねばなりません」と述べて、大きな共感を呼んだような展開がなかったことである。批判者のなかには、小沢前代表がかつて自民党の要職にあり、さまざまな利権にもかかわっていたはずで、その「体質」が今でも変わっていないという前提から、今回の事件を奇貨として、小沢前代表に対する批判を活発化させた論者も多い。そうしたときに、政治資金に関しても、時代の変化や社会の要請にかんがみ、かつての「体質」から脱却したと国民から認められるよう努力しているところである、といったことを述べるべきであったのではないか。

 そして、いわゆる政治資金の出所と使途に関する疑問に関しても、自民党など他の政治家と比べて、それほど突出した政治資金を集めているわけではないことを説明するほか、どういう目的で政治資金が使われるのか、例を挙げるなどして説明するということがあってもよかった。

 この点について、小沢前代表には、なぜ自分についてのみ政治資金の問題がとりあげられるのか、という思いがあったことは理解できるが、内閣総理大臣になりうる立場としては、何事によらず、国民一般への説得力を備えることは、大変重要なことである。現代社会においては、政治家とりわけ最高指導者には、高度な説明あるいは説得能力が求められるのであって、政治資金や政治姿勢に関する問題も、それに含まれるからである。

 これに関連して、集中豪雨的な小沢辞任論など、一方的な報道にさらされたために、やむをえない面もあるが、小沢前代表は、もっと積極的にマスコミに訴えかけるという姿勢があってもよかったのではないか。多くの国民が、報道を通じて政治状況を知ることを考えれば、説明の努力を続け、報道内容を変えていこうという姿勢を維持すべきである。「マスコミが悪い」といっても、報道内容の当否を一般の有権者が知ることは容易ではない以上、できるだけ有利な報道が行われるように努力し、少なくとも、努力している姿が伝わるように努めるべきなのである。そう考えると、記者会見においても、記者の背後に一般の国民がいることを考え、小沢前代表は言葉遣いを含めて、広く国民に訴えているのだという姿勢を保つ必要があった点も指摘しておきたい。

 また、民主党代表としての小沢前代表は、事件にもかかわらず、できる限り平常通りの執務に努めて、事件の影響を最小化すべきであった。政治資金規正法違反事件の帰趨にかかわらず、事件対応のために代表としての職務に差し障りがあるとすれば、別の批判を受けかねないからである。

 3. 民主党の対応について

 3-1.立場の区別と党外への訴えかけ

 政党において、所属議員に問題が起こったときの対応には、固有の難しさがある。それは、政党が集団でありながら、所属議員は国会議員として、固有の独立性を持っている点である。そこで、所属議員の問題を、政党全体の問題と区別し、所属議員が問題を処理できるように支援しつつ、問題の分離を図ることが必要となる。まして、今回の場合には、政党の代表者について疑惑を持たれるという難しい事案であって、処理に苦慮したことは理解できるが、これについても、より洗練された対応が行われるべきであったと考える。

 先に述べたように、政党として、事件の当事者的立場となった代表とは、独立の立場で問題に対処しうることを示すことは重要であり、実際に、そのための体制整備が求められる。たとえば、問題に関する判断までも、民主党として、小沢前代表に委ねるということになれば、立場の区別ができないために、政党としての判断に問題が生じることも考えられる。従って、代表を除く執行部がこの問題について、自律的に対応できるための方策を考えておかねばならない。つまり、小沢前代表の政治家個人の問題と、政党の問題を区別するためには、小沢前代表が自身の問題にかかわる側面では行動しにくくなった状況において、民主党が政党として独自の立場を持つことを示す仕組みを備えるべきであった。

 これに関連して、民主党の仕組みとして、代表に問題が生じたときに、その問題に関して代表ぬきで党の方針を決める仕組みがないことが明らかになった。確かに、議員に問題が生じたときの機関に、常任幹事会の諮問機関と位置づけられている倫理委員会がある。ただ、倫理委員会は倫理的に問題のあった議員の処分を決めるためのもので、今回の場合には使えない。その点で、政治家個人の問題が発生したとき、党外から見て、問題を審査・評価するための仕組みが見えにくいのは問題である。

 なお、当委員会は、民主党から独立した純粋な第三者委員会であり、また実態の究明を目的とする機関ではない以上、民主党の説明責任を肩代わりすることはできないことを付言しておきたい。

 今回、民主党内から代表の対応についての批判が噴出しなかったことは、代表に対する信頼と党内の一致結束を優先した多数の所属議員の判断によるものとみられる。しかし、党内の議論を行って、その姿を示しながら党内の認識統一を図る方が、好感を持ってみられたのではないか。その点で、政治家個人の問題に関して、民主党内で弁明ないし説明する機会を設け、小沢前代表と所属議員など民主党関係者が、疑問点について直接意見を交換する姿勢を社会に示すことが求められた。また、これを踏まえ、民主党が代表の問題に関して、代表個人の判断とは別に、政党としての意思決定を適切に行いうることを示すべきであった。そうした手順を経て、代表の置かれた状況を民主党として正しく理解し、多くの所属議員が代表を支持するという形になれば、より説得力のあるかたちで民主党の立場を主張することも可能であったであろう。

 いずれにせよ、党首に疑惑が提起され、批判を受けるという事態のなかで、政党がとるべきことは、党内状況の流動化を防いで、政党としての活動を正常に継続することだけではなく、対外的に積極的なアピールによって、ダメージを最小にすべく努力することである。

 おわりに

 半年以内に総選挙が行われるという時期に、政権獲得をめざす野党第一党が、党首の政治資金問題による検察の強制捜査によって深刻な打撃を受け、国民の政権選択にも大きな影響を及ぼした今回の問題は、日本の民主主義の基盤そのものにかかわる多くの重要な問題を提起することとなった。

 今回の政治資金規正法違反による検察捜査については、第1 章で述べたように、そもそも違反が成立するか否か、同法の罰則を適用すべき重大性・悪質性が認められるか、任意聴取開始直後にいきなり逮捕するという捜査手法が適切か、自民党議員等に対する寄付の取り扱いとの間で公平を欠いているのではないか等、多くの点について疑念がある。そのことが、政治活動と政治資金の関係に関して公開のルールを定める政治資金規正法の制度の枠組み、運用の在り方は、現在のままで良いのか、不当な捜査権限の行使や起訴に対して検察組織の外からのチェックシステムが設けられていない現在の制度に問題はないのかなど、第2 章及び第3章で述べた問題を提起することとなった。

 また、第4章で述べたように、今回の政治資金問題に関する報道のあり方には、情報源の偏り、公正さに欠ける報道内容などの問題があった。それによって、主権者たる国民による適切な判断の前提となる情報を提供するという報道機関の存在意義が、根本的に問われることになった。

 一方で、このような検察の捜査・起訴によって打撃を受けた民主党の側にも、小沢前代表の政治家個人としての当事者的立場と、政党の党首としての立場とを切り離すことができず、両者の立場が渾然一体となったまま対応したために、事態を客観的に把握し、党として適切に問題を指摘することができなかったことなど、政党としての危機管理の面の問題があった。また、広く国民の支持を獲得すべき政党の党内運営のあり方にも、情報発信のまずさなど政治戦略上の問題があった。それが、代表の政治資金にかかわる問題で民主党が政治的に窮地に立たされる大きな原因になった。

 民主党は、本報告書で述べた政治資金規正法の枠組み、検察のあり方、マスコミ報道などに関する問題などを的確に認識し、今後の党としての政策立案、制度論に生かしていくとともに、今回の問題を教訓として、党運営、党の組織に関する問題についても改善を図っていくべきである。

 今回の問題の教訓を生かすためには、民主党が政権交代を阻止しようとする検察の意図的な権限行使、マスコミ報道の被害者的立場にあるかのように受け止めることは適切ではない。今回の問題で露呈したさまざまな問題は、政治資金制度、検察制度、メディアに関する制度などに関する構造的な問題に根ざしたものであり、今、重要なことは今回のような事件で政党政治に対する脅威が生じさせないようにするために、その構造自体を改めることである。そのためには、むしろ政治的には対立する現在の政権政党などと協力しながら、政党間の共通の課題として、超党派的な立場から取り組むのが望ましい。

 民主党は、今回の一連の問題を、政権獲得をめざす政党に降りかかった災難ととらえるのではなく、民主主義国家における政治・検察・メディアの関係に関する重要な問題を顕在化させ、今後取り組むべき課題を認識する契機と受け止めるべきである。そのような前向きの取り組みを行うことができるかどうか、そこに政権を担い得る責任政党としての真価が問われているといえよう。

■(補論)本件政治資金問題に関連する法解釈および事実関係についての検討結果

1.「寄付をした者」についての有識者見解の検討

第1章の2-1.(1)で述べたように、政治資金規正法の解釈としては、「寄付をした者」とは、基本的に、「寄付者として金銭の交付や振込など外形的な行為を行った者」と解するべきだと考えられるが、法務省は、「寄付をした者」の判断を、個別の事案ごとに実態に基づいて行うべきとの見解を示している。その前提として、政治資金規正法4 条3 項の「寄付」の定義規定との関係をいかに考えているかは不明であるが、当委員会の有識者懇談会にも参加した堀田力氏は、別の場において、この点について、「寄付とは財産上の利益を提供することで、法律が『交付』を含むとしたのは、使者や機関に対し手渡した場合も含むことを明らかにしたのであり、『交付』という外形があればすべて寄付になるわけではない。たとえば同法は寄付の斡旋(あつせん)に関する制限を設けているが、斡旋(あっせん)者に寄付金を託した場合でも、斡旋は斡旋で、寄付の受領ではない」と述べて、同法が、寄付者について、「形式」ではなく「実質」に基づいて記載を行うことを求めているとの見解を示している。

 同氏の見解は、法務省見解の根拠を推測する一つの手がかりになると思われるが、以下のような疑問がある。

 堀田見解のように、「使者や機関に対して手渡しをした場合も含む」という趣旨であれば、「寄付」の定義に「交付」という文言を含めるまでもなく、「供与」に含めて解することは可能である。例えば、実質判断を行う場合の典型である贈収賄の事例において、贈賄者が、収賄者と意思を合い通じた使者に現金を手渡した場合は、当然「供与」したと認定できるのであり、「交付」などという概念を持ち出す必要はない。公職選挙法は、民主主義の制度的基盤を支える法律という面で政治資金規正法と共通の性格を有するものであるが、同法は、当選を得る等の目的で、「選挙人又は選挙運動者に対し金銭、物品その他の財産上の利益」を「供与」する行為の禁止(同法221条1項1号)のほかに、「選挙運動者に対し金銭もしくは物品の交付、交付の申し込みもしくは約束をし又は選挙運動者がその交付を受け、その交付を要求しもしくはその申し込みを承諾」する行為を禁止しており(同条項5号)、「交付」という概念を用いているが、その意味は、「供与」が選挙人、選挙運動者に対して「金銭、利益を得させること」であるのに対して、「交付」は、選挙運動者に対して単に「金銭、利益を移転すること」である(典型的なのは、選挙人を買収する資金を運動者に託す行為)。

 このような公選法における「交付」という文言の意味との比較に照らしても、上記堀田見解のような「交付」の解釈を取る余地はなく、「寄付」の定義に「交付」が含まれているのは、前記のように、金銭、利益を「得させる」という「供与」の形態とは異なる、「単なる移転」の場合も「寄付」に含める趣旨だと考えられる。

 また、収支報告書に「寄付の斡旋者」の記載に関する規定があるが(同法12条1号ハ)、それも会計責任者が「寄付の斡旋」を受けたと認識できる範囲で形式的な判断によって記載すべき事項だと考えられる。斡旋者自身が政治団体等に現金を持参してきたとしても、「寄付者」として現金の交付ではなく、斡旋者が使者として現金を持参しただけである。いずれにしても同法が実質判断に基づく記載を求めていることを示すものではない。

 この点に関して、当委員会の有識者懇談会に出席した政治資金問題の専門家の日本大学教授の岩井奉信氏も、「今までの政治資金規正法の実質上の運用を見ていると、実質が誰であったのかまでは求めていない。実質まで確認することを求めるのは実際には無理だろう。したがって、有罪になるのは難しいだろうし、もしこれで有罪が取れるということになると、政治資金規正法の根幹がひっくり返ってしまうことになる。本件で虚偽記載を認めてしまうと、政治資金制度、収支報告書の根幹が揺るがされることになる。今回の事件を違法と言ってしまえば、違法は山のようにある。その摘発が検察の裁量権に任されているのであれば、ある種怖いことである。今回はそれが問題になったということで、非常に皮肉な言い方をすれば、検察が必ずしも正義ではないということが明らかになった」と述べている。

2.西松建設内部調査報告書に基づく検討

 西松建設内部調査報告書は、同社が、平成7年に施行された政治資金規正法の改正により、企業から政治家個人への献金が禁止されたことから、政治団体からの献金を装って政治家個人の政治団体等に献金することを画策し、そのために、「新政治問題研究会」と称する政治団体を設立したと述べており、同団体が、企業から政治家個人への寄付の禁止を潜脱する「脱法目的」のものであったことを認めている。

 しかし、同報告書は、一方で、「会員とする社員は、当時の幹部社員が全国の支店を回って、一人一人勧誘し、会員となる旨の了解を得ていた」と述べており、政治団体への加入が会社からの強制ではなく、社員の意志によって行われていたことを明らかにしている。

 そして、社員が政治団体に加入して支払う会費については、西松建設が「一部の社員に対して特別賞与の名目で金銭を交付し、その代わりに当該社員から年に2回、政治団体への寄付をさせていた」と述べているが、この特別賞与加算については、「具体的な上乗せ金額は本人には知らされず、政治団体への加入の勧誘を受けた際には『賞与で上乗せするから寄付をしてくれ』といわれていたに過ぎなかった」とされており、特別賞与加算が、社員が政治団体の会員として支払う会費の補填(ほてん)であることが明確に認識されていたわけではないようである。しかも、両者の金額を対比すると、特別賞与加算の金額が約11億円であるのに対して、政治献金、パーティー券の購入等に充てられた金額は、約5億9000万円であり、社員が源泉徴収される所得税等を考慮しても、両者の金額の差はあまりに大きい。賞与特別加算は、社員の会費支払いの単純な補填ではなく、政治団体への加入も含めた会社の意向への忠誠の程度などの総合的評価に基づいて支給されていたのではないかと考えられる。

 同政治団体の献金先と金額が西松建設によって決定されていたことなど、西松建設の統制下にある団体であったことは明らかであるものの、それは、親会社と連結100%子会社の関係と同様のものであって、上記のような同団体の活動や会費支払いの実態からすると、西松建設の役職員およびその家族を会員とする団体としての会員と組織の実体はあり、まったく実体のない、政治家に献金するための「トンネル」的な存在であったとは認め難い。

 このような実態に照らすと、連結100%子会社が親会社の指示にしたがって寄付を行った場合に、親会社が寄付者とならないのと同様に、同政治団体による寄付について西松建設を寄付者と認めることには相当な無理があるのではないかと思われる。

■6)小沢一郎代表代行ヒアリング記録

開催日時:平成21年5月20日夕方(約2時間、実質的なヒアリング時間は1時間程度)
開催場所:都内ホテル会議室
出席者:飯尾潤(政策研究大学院大学教授)、郷原信郎(名城大学教授)、櫻井敬子(学習院大学教授)、服部孝章(立教大学教授)
対象者:小沢一郎代表代行

(あらかじめ定めた方針に基づき、このヒアリングを公開するかどうかについて、小沢代表代行側と協議し、非公開にて実施した)

(飯尾座長)
-本日は、お忙しい中、おいで頂きありがとうございました。先日、突然の辞任表明ということでわれわれも少々驚きましたが、当委員会としては、民主党からご依頼を受けている事項の検討を従来どおり行って報告書を取りまとめようと考えております。それに関して、小沢先生にも文書で質問をさせて頂き、既に文書で回答していただいていますが、それとは別に、今回の問題について、いろいろ小沢先生の説明不足などといわれてきたことについて、一度直接お話を伺いたいと思っておりました。その辺りのことについて、今日は、率直にお伺いしたいと思いますので、どうか忌憚のないところをお答え頂ければと思います。よろしくお願いいたします。

-公開でのヒアリングということも考えましたが、係属中の刑事裁判に関することでもあり、報道等で大きく取り上げられた場合に裁判への予断を与える可能性があります。また、検察、メディアがヒアリングに応じない中で小沢先生だけ公開の場でヒアリングを実施するとなると、三者間のバランスが著しく崩れます。そのようなことを勘案しまして、本日は、こうして非公開で小沢先生にお話をうかがうことにいたしました。なお、関連して申し上げますと、先般来、われわれの委員会で有識者をゲストに迎えて議論を公開しておりまして、われわれなりに、委員会の設置の目的に沿って、政治、検察、メディアの問題に関して、バランスのとれた大変中身のある議論を行ってきたつもりなのですが、マスコミの方では、これを小沢代表の進退問題ばかり議論しているというような誤った報道を行いまして、小沢先生にも大変ご迷惑をおかけしました。公開ヒアリングは、内容を一部だけ切り取って報道される結果になって、われわれも大変苦慮しております。

-まず、最初に私からお伺いいたします。今回の問題で、民主党代表を辞任されたことについて、どのようにお思いでしょうか。

(小沢代表代行)
-私は、自らの政治資金の処理について一点の曇りもないと考えていますので、政治資金の処理が違法だということで公設秘書の大久保が逮捕され、しかも起訴されたこと自体、まったく何かの間違いではないか、と思うばかりでした。しかし、検察の起訴以来、私が代表続投を表明したことに関してマスコミからいろいろ批判を受けたこともあり、その後の情勢をみますと、私がこのまま代表の座にいるよりも代表を交代することで、私の政治家としての悲願である、直近に迫った総選挙での政権交代がより確実になるのではないか、と考え、辞任を決断いたしました。

-私の辞任後に、代表選挙が公正に行われ、鳩山新代表が選出され、より強固な挙党態勢ができたことは、本当に良かったと思います。私は代表の座は降りましたが、今後も引き続き、総選挙での政権交代に向けて、全力投球していきたいと考えております。

(飯尾座長)
-代表を辞任しても、それまで問題にされてきた政治資金の問題についての説明責任がなくなるわけではない、というような指摘がありますが、どうお思いでしょうか。

(小沢代表代行)
-代表を辞任するということは大変重いことだと思います。何と言っても、代表のままでいれば、もし、民主党が政権をとれば総理大臣になるわけでありますが、代表を辞任した以上、それはないわけであります。私としては、自ら代表を辞任するという重い決断を行ったことで、やるべきことは十分にやったと思っております。そもそも、今回の政治資金の問題についてはまったくやましいことはありませんし、それに関して説明すべきことは十分に説明してきたつもりです。

(郷原委員)
-それでは、その政治資金の問題について、私からお伺いします。今回、3月3日に大久保秘書が逮捕された直後の4日に記者会見が行われましたが、その際、「政治団体が寄付をしてくれるということだったので資金管理団体で受領することにした。もしそれが西松建設そのものからの企業献金だという認識に立っていたとすれば、政党支部で受領すれば何の問題も起きなかった」「献金していただくみなさんに、そのお金の出所などをお聞きするということは、厚意に対して失礼なことなので、そのような詮索(せんさく)をすることはない」と言われています。この言葉が、「西松建設から来た金だという認識を否定した」「実質的な出資者を詮索しないで献金を受け取るのが当たり前」という意味に受け取られ、その後、大久保秘書の逮捕事実についての不自然・不合理な弁解をしているように言われたことが、説明責任を果たしていない、という批判の根拠になったように思うのですが、これらの言葉は、どのような意味で言われたのでしょうか。

(小沢代表代行)
-公設秘書の大久保の逮捕直後の記者会見での私の言葉が誤解されているようですが、私が言いたかったのは、当該寄付については、政治団体から受領した以上、政治資金規正法にのっとって、政治団体からの寄付として収支報告書に記載すべきと考えたからこそ、そのように記載したということです。

-その前提として、今の政治資金規正法では、寄付をしてくださった個人や団体を収支報告書に記載すれば十分であり、寄付を受け取る立場である私たち政治家の政治団体側が寄付をする相手側の政治団体への資金の出資者について調べたり記載したりすることは求められていません。このことは、郷原先生も仰っておりますし、他の多くの政治家もそのように認識して報告していると思います。

(郷原委員)
-「詮索することはない」というのは、どういう意味ですか

(小沢代表代行)
-その政治団体は、西松建設のOBや社員の方々が中心になって活動していた団体だということが、秘書の逮捕以降にいろいろ報道されております。しかし、寄付を頂く政治団体に対して、寄付の資金をどのようにして捻出(ねんしゅつ)されたのかということまでお尋ねするのは、誠に失礼なことですので、そこまで詮索(せんさく)するようなことはやっていないはずだと申し上げたまでです。

-それは、個人から献金を頂いた場合でも、同様ではないかと思います。寄付を頂いた個人の方に、その原資がどこから出ているのかをお聞きすることは大変失礼なことだと思います。
-寄付を頂く際に、どこから資金が出ているかを一つひとつ確かめなくてはならないとは、少なくとも、今の政治資金規正法では求められていないことだと思います。この点に関しては、私だけではなく、政治献金を頂いている政治家は、みんな同じように考えていると思います。

(郷原委員)
-ゼネコン業界からの政治献金について、どのようにお考えですか。

(小沢代表代行)
-私自身は、ゼネコンの政治資金だけではなくすべての政治資金について不透明な状況を何とか改めていかなければならないと考えてまいりましたし、そのために政治資金規正法の改正などのルールづくりにもかかわってまいりました。そうした中で、まず、私自身が行ってきたことは、どこから政治資金をいただいて何に使ったかを収支報告書に記載してすべて公開し、それを国民が見て判断できるような仕組みにする、ということであります。
-今回、その収支報告書の記載のうち、寄付を頂いた相手方の記載が誤っているとの指摘を、検察当局から受けたわけでありますが、先ほども申しましたように、政治団体からの寄付として受領したものを、そのとおりに記載しただけでありますので、現在の政治資金規正法のルールにおいては、記載が誤っているとの指摘は私には納得がいかないところであります。また、会計責任者がいきなり呼び出されて、その日のうちに逮捕されるというやり方がとられたわけですが、果たして、それが収支報告書の記載の誤りを指摘する方法として適切なものだったのか、大変疑問に思います。その点については、既に、政治資金規正法違反事件として起訴されておりますので、今後、刑事公判手続の中で主張し、裁判所の公正なご判断を頂きたいと思っております。

(飯尾座長)
-今回の事件を機に、ゼネコンから多額の政治資金を受け取っていたのだから、その使い道を全体的に説明すべきだという意見がありますが、政治資金収支報告書に記載された献金の使い道について、全体的に説明していただくことはできませんか。

(小沢代表代行)
-私自身は、すべて政治資金規正法による公開のルールにのっとって、頂いた政治資金の使い道を収支報告書に記載し明らかにしてきたところであります。これは、総務省のホームページに掲示されていますから、誰でも見ることができます。それから、今の法律では事務所費の明細や領収証も公開されることになっていますが、法律が改正されるまでは、事務所費については明細や領収証を公開する必要はありませんでした。しかし、以前あるマスコミに陸山会の事務所費が不正に使われているという記事を書かれた際に、平成19年の2月ころだったと思いますが、国会内で記者会見を開いて、平成15年から17年分の3年間の事務所費について、電話代や切手代に至るまですべての領収証を付して公開しております。今回も同じようなことをすればいいではないか、といわれるかもしれませんが、事務所に強制捜査が入ったときに会計関係の書類をほとんど持っていかれてしまったので、説明する術がありません。

(郷原委員)
-寄付を受けた資金で不動産を購入したということを問題にする論調もありますが。いかがですか。

(小沢代表代行)
-それは地元と東京における私の政治活動に使用しているものですが、不動産についても、その時の記者会見で、陸山会が保有するすべての不動産について登記簿謄本や権利証をお見せして、説明しました。私は、政治資金の使い方としては、事務所の家賃などを支払った後に何も残らない使い方よりも、事務所を購入してローンの元利払いをするという形にした方が政治団体の資産として残るわけですから、寄付をいただいた皆さんのお金のより有効な使い方であると考えて、そのようにしてきました。その結果、実際の所有者は資金管理団体なのに登記上は私の名義になっている不動産が複数ありますが、それは、資金管理団体自体の名義では登記できないという登記法上の制約から、やむを得ず団体の代表者である私の名義で登記をしただけで、何らおかしなことではありません。私個人の財産ではないことを明示した契約書も作っておりますし、資金管理団体の収支報告書にも保有財産として明確に記載しております。それも、頂いた政治資金を決して無駄にしてはならない、有効に活用したいと考えたからであります。

(飯尾座長)
-政治献金の制度の問題について、今回の事件を機に、企業団体献金の全面禁止の検討が行われていますが、この点についてはどのようにお考えですか。

(小沢代表代行)
-私は、企業団体献金というのは、ルールに基づいて正しく公開されている限りは、国民の浄財を政治に活用させていただく一つの方法であり今後も存続させていくことは何も問題だとは思っておりませんでした。

-しかし、今回の事件で、私としては、何らやましいことはなく、政治団体から寄付を受けたという事実に基づき開示すべきことを開示していたつもりなのに、私の資金管理団体が企業から献金を受けたとされ、政治資金規正法違反ということで検察の捜査を受けてしまいました。このように当事者も予期できない形で企業団体献金にまつわる問題が生じないような仕組みを考える必要があるのではないかと思うに至りました。

-そこで、もし企業団体献金を禁止するという方向で考えるのであれば、「公共事業を受注している企業団体からの献金を禁止」というのは、ほとんどの企業団体が国や自治体と何らかの関係がある以上、あまり意味がないでしょう。禁止するとすれば「全面禁止」にせざるを得ないのではないかというのが私の考えです。

-ただその一方で、個人献金を促進するための仕組み、例えば献金額の全額について税額控除を認めるといった制度を設ける必要はあると思っています。今の制度は所得控除が原則なので、所得が高くて税率も高い人でないとメリットが少ないという問題があります。税額控除を認めれば比較的所得が低く税率が低い人にもメリットがあり、寄付をする方の裾野が広がって、国民の政治参加が一層進むことになります。確か民主党は年間5万円までの個人献金について全額を税額控除にする案を検討しているはずです。

(櫻井委員)
-私から一点伺いたいのですが、小沢さんは、大久保秘書の逮捕の翌日の記者会見で検察捜査を不公正な国家権力、検察権力の行使と批判されましたが、この発言は、後になって考えて、まずかったとお思いですか、それとも当然の発言だったとお思いですか。

(小沢代表代行)
-予想だにしなかった大久保の逮捕という事態が起きて、私もいささか感情的になっていた面もあるかもしれませんが、あの場で言ったことは決して間違っていたとは思いません。今回の検察捜査は、前例のない異常なやり方だったと思いますし、検察権力の行使として、あってはならないことだと思います。私が、このように言ったことについて、民主党が政権をとったら今度は自分が国策捜査をやってやるという意味だ、というようなことを言う人がおりましたが、とんでもないことです。私は、検察権力が政治と結託するとか政治でねじ曲げられるというようなことは絶対にあってはならないと思いますし、今回の検察捜査もそのようなものではないと信じております。

-しかし、今回の件で明らかになったように、検察権力の行使の仕方によっては、政治に対して実に大きな影響が生じてしまいます。実際、私も、それによって、民主党代表の職を辞任することになったわけです。そういう検察権力の行使に対して、まったくチェックするシステムがないということは問題だと思います。政治によってねじ曲げられることはあってはなりませんが、検察の権力行使に対して何らかの公正なチェック・システムをつくることが重要ではないかと思います。

-今回の第三者委員会では、ぜひご専門の立場から、そのような検察制度のあり方についても議論していただいて、ご提言を頂きたいと思います。

(服部委員)
-今回の政治資金の問題についてのメディア報道についてはどうお思いですか。

(小沢代表代行)
-今回の問題についてのマスコミ報道は、事実や問題の本質を伝えることができていないと思います。委員の皆様はお分かりかと思いますが、今回は、事件自体とは全く次元の異なる問題までが意図的に一緒くたに報道され、そのような報道を前提にして多くの評論家が議論していました。その中で、「とにかく小沢は悪い」という構図が作られ、最終的には世論が「とにかく代表をやめろ」という方向に流されていったと思います。マスコミは、記者クラブ制度がある限り、どうしても現体制寄りになってしまうのではないかと思います。記者クラブなどという閉鎖的な一種のギルドの形では、マスコミの間にも競争原理が働きません。もっとオープンな場で、いろいろなマスコミが取材・報道をめぐって競い合うようにしなければいけませんし、そういうオープンなマスコミに対して政治も検察もきちんと説明責任を果たしていかなければならないと思います。

(飯尾座長)
-本日は、われわれからのご質問に対してお答え頂きましたが、これまでのマスコミの論調からは、この内容でも、まだ、説明不足だというような見方もあると思います。その点について、どうお考えですか。

(小沢代表代行)
-繰り返しになりますが、私は、政治資金規正法が定めるルールにのっとって、頂いた政治献金をすべて収入として収支報告書に記載し、その使い道についてもすべて収支報告書で公開しています。また、陸山会の事務所費については、当時の法律では義務付けられていないのに、事務所費の明細とすべての領収証を公開しました。

-なぜそこまでやったかといえば、私が率先して公開することで当時の安倍首相をはじめとする閣僚や与党幹部も後に続き、国民の政治への信頼回復につながるのではないかと思ったからです。記者会見でも安倍首相や閣僚、与党幹部に事務所費の開示を求めましたが、何の反応もありませんでした。これまで政治資金のディスクロージャーということについては、他の政治家以上に力を注いできたにもかかわらず、私だけが政治献金について説明責任を果たしていないといわれることが、まったく理解できません。

-むしろ、今回の私の秘書の大久保が逮捕された件について説明責任を果たすべきは、政権交代が現実のものとなってきた時期に、民主党の代表であった私に対して、前例のないやり方で突然秘書を逮捕するという捜査を行った検察であり、また、そういう、常識で考えても、総選挙での政権交代を妨害する政治的意図をもってやったとしか思えない検察捜査の問題をほとんど報じないで、連日、検察リークによると思える報道を繰り返し、あげくの果てには、世論が説明責任を果たしていない小沢の辞任を求めているなどと言って、連日、辞任キャンペーンを繰り広げたマスコミの方だと思います。

-そういう意味で、検察やマスコミの説明責任を求めるということを、ぜひこの委員会でしっかりやっていただきたいと思っていました。

-今回の事件が表面化した後、私は、記者会見もすべてフルオープンで行い、記者の質問には、できる限り丁寧に答えてきたつもりです。しかし、その内容は、十分に報じられていません。一方で、検察は、今回の件について、どういう説明責任を果たし、マスコミは、今回の報道姿勢についてどういう説明責任を果たしたのでしょうか。

(飯尾座長)
-検察当局に対しては、検事総長宛に文書で質問をしましたが、お答え頂けませんでした。マスコミに対しては、今回の報道の中で特に問題があると思えたケースに関して新聞、テレビ1社ずつに文書で質問をしましたが、新聞についてはいまだお答えを頂いていませんし、テレビの方も、一応回答の文書は頂いたものの、ほとんど答えにはなっていません。そういう意味で、検察、マスコミの方も説明責任を果たしていないではないか、といわれるのはわれわれとしてもわかります。われわれも、世の中から小沢先生が説明責任を果たしていないという言い方をされているので、その点について、このような場でご質問をしているということですが、それに対して、小沢先生としては、説明はこれまでにも十分に行っているし、本日もさらに説明した、というご主旨とうかがってよろしいでしょうか。

(小沢代表代行)
-そうです。ぜひ、今回の問題を、政治家小沢一郎の政治資金という単純な問題としてではなく、検察、マスコミのあり方にもかかわる重大な問題としてとらえていただきたいと思っています。そういう意味で、検察やマスコミが説明責任を果たすことが極めて重要であると考えています。

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第三者委員会より小沢氏への質問

質問(1) 秘書逮捕という緊急事態において、記者会見等の準備はどのように行われたのかに関し、民主党の組織を中心として準備されたのか。また政治家としての小沢議員の事務所を中心に行われたのかなど、状況を御教示ください。また、秘書起訴に際しての記者会見についても同じことを御教示ください。

回答(1)
いずれの記者会見についても、党代表であった私の判断で実施することを決めました。
マスコミへの連絡、会場の準備など会見の設営については、定例の記者会見と同様、民主党の役員室が行いました。
冒頭コメント、質問への回答など会見の内容については、党組織の関与はありません。私が各方面から入手し得た情報を基にして、私の判断で対応しております。

質問(2)
民主党内部では、この問題に関して代表から、議員総会などの場で説明されたものと思われますが、どのような考え方に基づいて、どのような説明をされたのか、私どもも報道などによっては、いくらか状況を承知しておりますが、報道などによって判断するのが適当かどうかという問題がございますので、そうした経緯とその内容を代表御自身から御説明いただければ幸いです。

回答(2)
民主党所属の国会議員に対しては、秘書が起訴された直後の3月27日に、参議院の議員総会と衆議院の代議士会のそれぞれにおいて、直接説明する機会をいただきました。
その際、私の秘書逮捕、起訴の件で議員各位にご迷惑、ご心配をかけたことにお詫びを申し上げると共に、収支報告書上の献金を受けた相手方の記載が虚偽であったとして起訴されたが、法の解釈としても捜査手法としても納得できない旨を理由と共に説明し、理解を求めました。
なお、私の記者会見での発言内容は、毎回、党所属の全国会議員宛てに電子メールで配信しており、今回の問題に関して私が記者会見で行った説明についても周知されていることと思います。

質問(3)
国民一般に対する説明の場としては、記者会見などの機会を通じて説明されたものと存じますが、上記と同様に、どのような考えに基づいて、どのように説明してこられたのか、広くお考えをお聞かせいただき、これまでの経緯について御説明いただきたく存じます。

回答(3)
本年3月3日の秘書逮捕から同月24日の起訴に至るまで、4度の記者会見(4日、10日、17日、24日)と3度のいわゆる「ぶら下がり」会見(6日、7日、12日)において、この問題に関する説明を行いました。
これらの説明の場において、私は、政治献金の扱いについては、政治資金規正法に則って、正確に処理し、報告し、収支もすべてオープンにしており、秘書の嫌疑もいずれ晴れるはずであるということを繰り返し申し上げてまいりました。私が行った説明の詳細については、各会見の模様が民主党のホームページでご覧になれますので、ご参照ください。

質問(4)
今回の事件において、代表は検察の捜査のあり方を批判され、政治資金規正法違反に該当しないとの主張をされていますが、そのことは基本的には刑事手続の中で明らかにされるべきものと思われます。これに関して当事者的地位にある者として、代表は積極的かつ迅速に対応するべきと考えられますが、どのようにお考えになり、どのように対応されているのかお聞かせください。

回答(4)
ご指摘のとおり、今回の事件における検察捜査の問題点や秘書の行為の適法性については、係属中の刑事裁判で無罪判決を得ることが最も有効な説明責任の果たし方であると考えております。今後、検察からどのような主張・立証方針が示されるかにより、弁護団の具体的な対応方法も決まってくるかと思いますが、私としても、弁護団と協力しつつ、その責任を果たしていきたいと考えております。

質問(5)
今回の問題は、秘書が関係されたとされる事件自体の問題と、それを契機に起こった「政治とカネ」の問題に分けて考えることが出来るかと思いますが、その両者をどのように区別して、説明をされてきたのか、お考えをお聞かせください。これについては、事件そのものについては、刑事手続の場で明らかにされるとしても、それをきっかけに起こった、小沢代表の政治資金のあり方について、もっと説明すべきだという考え方がありますので、それに関するお考えもあわせて御説明いただければ幸いです。

回答(5)
1. 前者の「秘書が関係されたとされる事件自体の問題」については、前述の記者会見等の場において、私の把握している事実関係とそれに対する私の考え方を述べてまいりました。
後者の「政治とカネ」の問題については、従来から政治資金規正法に則り、私の関連政治団体における政治資金の収支や保有資産のいっさいを公開させていただいているところであります。

2. 私の政治資金のあり方について、もっと説明すべきだという考え方があることは承知しております。貴委員会において、公開済みの収支報告書の内容、他の政治家との比較、検察の説明責任、メディア報道の公正さなどの問題も併せて検討された上、私の説明が不十分であるとのご意見であれば、私は真摯に受け止め、ヒアリングに応じたいと思います。

質問(6)
事件をきっかけとして、さまざまな政治的反響がありましたが、その際、小沢代表の政治家個人の問題と、民主党の政党としての問題は、どのように区別して対応してこられたのか、御説明ください。

回答(6)
今回の事件は、私の関連政治団体で頂いた政治献金の会計処理につき違法行為があったとの理由により、私の秘書が逮捕・起訴されたものであり、民主党の活動とは無関係であります。
したがって、基本的には私個人の責任において私の秘書の嫌疑を晴らすべく努力し、弁護団の活動に支障を来たさない範囲内で党内外に説明責任を果たすべきと考え、対応してまいりました。
前述のとおり、私は、政治献金の扱いについては、政治資金規正法に則って正確に処理し、報告しております。また、収支もすべてオープンにしており、総務省のホームページをご覧いただくと私の資金管理団体の収支の明細が分かるようになっております。
このような私の姿勢に対し、党内外から理解・支持する声も多く、そのような声に支えられつつ、私は、先日まで代表職を務めてまいりました。しかしながら、私の秘書が逮捕・起訴されたという事実とこれを契機とする私に批判的な報道の数々により、民主党に対する一般有権者の印象と党内の結束に芳しくない影響が生じたことも事実であります。

2009年6月9日火曜日

【北朝鮮】 北朝鮮の核と朝鮮戦争再発の可能性

 不思議なことに、日本国内で何かが起きると北朝鮮でも事件が起きる。まるで北朝鮮が誰かに操られているような気がしてならない。もしかしたら、日本が別の外圧の影響を受けるように北朝鮮も足並みをそろえて問題が起きるのであろうか。

田中宇氏の記事は、参考として残しておこうと思う。

北朝鮮は核武装、日本は?朝鮮戦争再発の可能性

2009年6月2日 & 9日    田中 宇
 5月25日、北朝鮮が地下核実験を行った。5月27日には、韓国がこれまで控えていた米国主導のPSI(米軍などが公海上で、疑わしい北朝鮮などの船を臨検する事業)に参加すると決めたことへの報復として、北朝鮮は1953年に米国と締結した朝鮮戦争の停戦協定を破棄すると表明した。

 朝鮮半島の緊張感は高まったが、米国は平静を装っている。米大統領府の報道官は「北朝鮮は、これまでに何度も停戦協定を破棄すると脅したことがあるが、実際には停戦協定はずっと持続している」と、北の停戦破棄を軽視した。 (White House downplays North Korea's threats)

 また北朝鮮は事前に、核実験の実施予定を米国に伝えていたと、韓国政府筋が言っている。北朝鮮が米国に実験予定を伝えたということは、中国やロシアにも事前に伝えていた可能性が高い。北朝鮮は、中国からの経済援助なしには立ちゆかないので、中国を怒らせたくないはずだ。国連安保理で日米が北朝鮮制裁を求めるたびに、中国とロシアが北を擁護して制裁案を骨抜きにしてくれているので、北はロシアにも恩義がある。 (South Korea: US Notified of Nuke Test by North Korea in Advance)

 北朝鮮は4月5日に核弾頭も搭載しうるミサイル(ロケット)を試射した後、4月末から、核実験や追加のミサイル試射をする予定があると、繰り返し表明していた。そのため、今回の北の核実験に対しても、米国などの政界やマスコミは驚いていない。オバマ政権は「冷静な対応」をしていると報じられ、米議会も大した反応をしていない。 (US weighs options to tackle N Korea)

▼政権移譲策か、対米戦略か

 北朝鮮の今の時期に核実験を行った理由については、複数の説がいわれている。一つは「昨秋倒れた67歳の金正日は、後継者(三男もしくは娘婿など)への政権移譲を考えており、政権移譲が行われる期間、国内の結束を維持しておくために、米国や韓国との対立を煽り、北朝鮮国内の戦時体制を強化しているという説だ。 (US Believes North Korea Plans Kim Succession)

 二つ目の説は、北朝鮮は米国と不可侵条約を結んで経済援助を受けることで国体を護持したいが、米国の政権が強硬姿勢のブッシュから対話姿勢のオバマに代わり、いずれまた米国との交渉が再開されるだろうから、その前にブッシュ政権時代に北朝鮮が行った譲歩(寧辺原子炉の停止など)を全部破棄し、核実験もやって、交渉に使えるカードをたくさん用意したという見方である。これらの2つの説に基づけば、北の核実験は、核兵器の保有自体が主目的ではなく、政権移譲や対米交渉の方が主眼だから、米国や日韓などは、特に北の核実験を恐れる必要はなく、冷静に対応すればよいという話になる。

 しかし私から見ると、一つ目の説は十分あり得るが、二つ目の説には疑問がある。北朝鮮は4月末に、もう6カ国協議には2度と戻らないと表明した。米国との合意に基づいて核開発を廃棄する手続きに入ったのは間違いだったとも表明し、その上で今回の核実験の実施があった。米政府も、北朝鮮は6カ国協議の場に戻ってきそうもないと認めているが、その一方で米朝直接交渉をやる方針でもなさそうで、米政界では「北朝鮮の問題は中国に任せてしまえ」という共和党主導の意見が強い。 (Why Pyongyang clings to its weapons) (US Plans No Concessions to Lure North Korea Back to Talks) (Clinton: North Korean Return to Talks Implausible)

 そこで三つ目の説が出てくる。「北朝鮮は、ブッシュ政権時代に米国と交渉して核開発を破棄する方向に進んだが、米国は北朝鮮との不可侵条約を結んでくれず、北に対する敵視もやめなかった。米政権が対話重視を掲げるオバマになって、北朝鮮は米国が出方を変えて北に不可侵を約束する姿勢を見せることを期待したが、100日たっても米国の態度は何も変わらない。そこで北朝鮮は、米国と和解して自国を安全にするのではなく、実際に核兵器を開発して軍事的に抑止力をつけることで自国を守る戦略に転換し、核実験を行った」という説である。北は、米朝関係の和解を求める「Aプラン」から、独力で核軍事力を獲得して自衛する「Bプラン」に転換したと、在日北朝鮮関係者がアジアタイムスに書いている。 (Kim Jong-il shifts to plan B)

 ブッシュ政権で北朝鮮担当の高官だったビクトル・チャも、北の核実験の直前に、これに近いことを書いている。チャは「北が米国から支援をとりつけるために騒いでいたのは過去の戦略だ。今や北は米国に、不可侵の公約や経済援助だけでなく、北の政権を守護してくれる恒久的な方針を採ることを求めている。この要求が通るまで、北は核兵器開発やミサイル開発をやめない」「北は、米国から核保有国として認めてもらい、米朝が対等な立場で核軍縮を行う展開を望んでいる」という趣旨のことを書いている。 (What do the North Koreans really want? By VICTOR CHA)

▼米国が北朝鮮を核武装させた?

 ブッシュ政権以来の米政府は、北朝鮮の問題を本気で解決しようとしているのかどうか疑問がある。共和党は、前政権時代から「北朝鮮のことは中国に任せてしまえ」という気運が強い。現与党の民主党は、米朝直接交渉を手がけた先々代のクリントン政権からの流れで、北朝鮮と直接交渉して核問題を解決しようとする気運があり、オバマが北朝鮮担当の全権代理に任命したスティーブン・ボズワースは、北と直接交渉することもあり得ると示唆していた。 (N.K. puts ball in Obama's court)

 しかしボズワースは、ワシントンから700キロも離れたボストン郊外のタフツ大学の国際関係大学院長と兼務の「パートタイム全権代理」だ。中東和平担当のミッチェルや、アフガン・パキスタン担当のホルブルックといった、他の地域担当の全権代理がフルタイムであるのと比べると、オバマは北朝鮮と本気で交渉する気があるかどうか疑問だ。 (A Part-Time Envoy for a Full-Time Task)

 オバマ政権に、北朝鮮の核問題を解決しようとする意志があったとしても、有効策はもう残っていないという指摘もある。北朝鮮は110万人という世界第5位の兵力の陸軍と、18万人という世界最大の特殊部隊(韓国に潜入するための部隊)を持つ。北朝鮮軍は兵器が古く、燃料も不足だが、米軍が北朝鮮に侵攻した場合に受ける抗戦は、イラクやアフガンで受けた抗戦より、ずっと激しいものになる。米軍はイラクとアフガンで占領の泥沼に陥り、軍事費もどこを削るかという話になっており、米国には新たな戦争をやる余裕がない。

 北朝鮮に対する米国主導の経済制裁もやり尽くした感があり、意味のある追加制裁はできない。北朝鮮を制裁したいなら、米国は、中国に頼むしかない。米国の政権は民主党だが、対北朝鮮戦略では「中国に任せてしまえ」という共和党と同じ立場にしか立てない。しかも中国は、自国の傘下のマカオのデルタ銀行に対して米国財務省が「北朝鮮が使っている銀行を制裁する」として05年に行った金融制裁(対米取引禁止)で中国政府自身が困難に巻き込まれ、怒っている。中国は、米国などが北朝鮮の船舶を公海上で検査しようとするPSIも、北朝鮮を刺激しすぎるとして支持していない。4月に北がロケット発射(ミサイル試射)をしたとき、日本は国連で中国に対し、強い制裁策に乗れと迫ったが、中国は拒否した。中国は、米国主導の北朝鮮制裁には乗らない姿勢だ。 (World powerless to stop North Korea)

 そもそも北朝鮮に核兵器の技術を与えたのは米国だ、という説まである。北の核技術は、パキスタンの核兵器開発を主導して「核の父」と呼ばれるAQ・カーン博士に教えてもらった(見返りに北はパキスタンにミサイル技術を教えた)とされているが、カーンは米国CIAの要員ではないかと疑われている(オランダ当局がカーンを裁こうとしたが、何者かに裁判記録を盗まれた。CIAの仕業と言われている)。米国は、カーン経由で北朝鮮に核技術を流して核開発させ、途中まで進んだところで「先制攻撃」するつもりだったのではないかと考える分析者もいる(カーンは、北朝鮮以上に米国から先制攻撃の対象とされていたイランにも遠心分離器を売っている)。 (Ruling Party Official: Japan Should Attack North Korea)

 米政府が正気なら、クリントン政権が米朝直接交渉によって途中まで手がけた「北に軽水炉を与える代わりに核兵器を作らせない」というやり方を続けたはずだ(米国は朝鮮半島全体を覇権下におさめられた)。しかしブッシュは前任者のやり方を潰し、北の核兵器開発を誘発するかのような「悪の枢軸」「先制攻撃」の威嚇を展開する一方で、解決策を中国に任せた。そして、オバマは「対話」と言いつつ無策のままだ。米政府は、正気ではない状態が続いている。

▼中国とロシアの対応

 米オバマ政権は、イラクとアフガンの戦争、イランとの微妙な関係、西岸入植地撤退をめぐるイスラエルとの対立顕在化など、外交では中東の諸問題に忙殺されている。金融経済でもGMの倒産、失業増、米国債の下落、財政赤字急増など危機が拡大し、北朝鮮の問題は手つかずのまま、中国に任せる度合いが増しそうだ。米国は、増刷し続ける米国債を中国に買い続けてもらう必要があり、今週はガイトナー財務長官が中国を訪問してお願いしている。ブッシュ時代の米政府は、中国に対し「先制攻撃されたくなかったら北朝鮮をおとなしくさせろ」と脅す感じだったが、今では逆に米国の方が下手に出なければならない。そして、北朝鮮と国境を接するがゆえに北の崩壊による悪影響が大きい中国は、北朝鮮問題に関し、米国よりずっと穏健なやり方を好んでいる。 (Chinese students laugh at Geithner's assurances)

 中国政府は、北の核実験に「断固として反対する」との表明を発表した。しかし中国当局はその一方で、北の政府が核実験を示唆したのと同時期の4月末、中朝国境の中国側の丹東から、北朝鮮側の新義州への、中国人の日帰り観光ツアーを3年ぶりに再開することを許可した。中国が北の核実験に断固反対なら、北朝鮮が外貨(人民元)を稼げる国境の観光旅行の再開など認めないはずだ。 (China Reopens Border With North Korea to Tourists)

 北朝鮮が核武装したがるのは、米国が前政権時代、北朝鮮を先制攻撃や政権転覆の対象として名指しし、北が対抗して核兵器開発したくなる方向に追い込んだためである。この経緯があるので、中国は北の核武装をやむを得ない動きと見ているのではないか。中国は経済面で北の生殺与奪を握っているので、北が核武装しても、中国を核攻撃する恐れはない。金正日はもともと「修正主義」の中国が嫌いで、父である金日成の死後、90年代後半には中朝関係が悪化したが、その後、中国なしには自国が立ちゆかないと自覚したらしく、今では中国に対する「礼節」を欠かさない。 (北朝鮮を中国式に考え直す)

 ロシアも、北の核実験に対して、中国と似た容認の態度である。ロシアのラブロフ外相は北の核実験を非難したが、ラブロフは4月末に北朝鮮を訪問し、この時には、北を制裁すると脅すのは逆効果だと、米国を批判して北朝鮮を擁護する表明を放っている。ラブロフは、北の問題は6カ国協議で解決するしかないとも言ったが、北はラブロフの訪問前に「6カ国協議には2度と出ない」と宣言している。 (Russia opens efforts to get N Korea back into talks) (Why Pyongyang clings to its weapons)

 中露にとっては、北の核兵器開発より、自国の隣で起きる米朝戦争の方がずっと怖い。北朝鮮が戦場になると、米露・米中の戦争の危険が増すからだ。中露の周辺には、言うことを聞かない小国がいくつかあり、中露は小国の反逆には慣れている。北朝鮮の核武装は、中露にとって迷惑ではあるが、北が精度の低い核兵器を何発か持ったところで、中露にとって大した脅威ではない。中国とロシアは、西方の中央アジアや中東の問題ではロシアが主導して中国が賛同し、東方の北朝鮮の問題では逆に中国が主導してロシアが賛同するかたちで、協調した外交姿勢をとっている。

 米国の立場は悪化しているが、単に悪化しているのではなく、米国は事実上、地政学的な立場を転換させつつある。海洋勢力(シーパワー)と大陸勢力(ランドパワー)との対峙で国際政治をモデル化する地政学で見ると、クリントン政権までは「米国が日韓を率いて北朝鮮と交渉し、必要なら制裁する」という、米日韓という海洋勢力が結束し、大陸勢力たる北朝鮮と対峙する構図だった(中・露・北という大陸勢力間の関係は分裂気味だった)。

 しかし今、北朝鮮は冷戦後しばらく冷えていた中露との関係を再強化して、中露関係も良くなって大陸勢力は結束を強めた。米国は北を制御する方策を失って、中国に頼っている。米国は、表向きの戦略構図は依然として大陸勢力を敵視しているが、実際には大陸勢力の台頭を助長し、困窮する日本や韓国をなだめるという「隠れ大陸勢力」的な存在になってきている。アヘン戦争(1840年)以来150年ぶりに、ユーラシアにおける地政学的な力関係が、海洋側優勢から大陸側優勢に逆転しつつある。その主因は、海洋側(米英中心主義)を加勢する行為を過剰にやって大陸側(多極主義)を優勢にしてしまった、米国の隠れ多極主義である。

▼日本の核武装は対米従属の終わり

 この地政学的な大転換は、日本や韓国にも大きな影響を与えている。日本では、このところ自民党内から「北朝鮮に対抗して日本も核武装すべきだ」「日本が核武装すべきかどうかという議論(日本が核武装しうることを世界に見せること)ぐらいは必要だ」といった議論が湧き出てきている。日本の核武装議論は「広島・長崎」「平和憲法」との関係で語られることが多いが、より大事なのは「日本が核武装すると、米国は日本を核の傘から外し、日米安保体制は終わる」という点である。 (Doubts grow in Japan over US nuclear umbrella)

 自民党は、朝鮮戦争停戦から2年後の1955年に保守合同で作られた。その目的は、朝鮮戦争で確定した東アジアの冷戦体制を維持すること、つまり対米従属一本槍で、中国、ロシア、北朝鮮を恒久的に敵視する日本の国是を恒久化することである。自民党は、米国の軍産英複合体の傘下に作られた。その後、1970年代に米国中枢で多極主義が台頭し、軍産側との暗闘になりつつも、米中関係の改善や米ソ冷戦の終結があり、この米国の転換を受けて日本は、中国との関係を改善したものの、ロシアとの北方領土問題は不解決の態度(非現実的な4島返還にこだわる)で、日本はいまだに対米従属の永続が国是となっている。

 対米従属党の伝統を持つ自民党の上層部が「日本の核武装」イコール「対米従属の終わり」であると気づかないはずがない。自民党内から出てくる核武装論は、米国の覇権衰退が近いことを認識した上で、日本は「アメリカ以後」に備えねばならないという意識の発露であると私には見える。自民党内から「核武装」の議論が出てくるのは、地政学的な転換を意味している。

 自民党内で核武装を主張するのは「防衛族」が中心だが、日本の官庁の中で、外務省はまるごと「対米従属省」である半面、新設の防衛省は「対米従属以後」を見据えている部分があり、日中の軍事交流に積極的である。日本では、外務省が軍産英複合体の傘下にあり、防衛省が非軍産系であり「軍」をめぐるねじれの関係にある。日本の核武装を議論するほど、防衛省が前面に出てくる。当然、外務省とその傘下にある国際政治学者らは「平和主義」を装い、日本の核武装に反対する。

 とはいえ、日本が核武装することは、対米従属とは別のところで自滅的な危険をはらんでいる。今後、世界の覇権構造が多極化によって国際社会では中露が強くなる傾向が続くだろうが、中露は、米国やEU(英仏)とともに核保有を許された5大国であり、自分たち以外の国が核を保有することに強く反対している。日本の核兵器は、北朝鮮の核よりずっと精度が高いだろうから、中露は日本の核武装には、特に反対だ。そして貿易立国、資源輸入国である日本は、国際社会による経済制裁に対して非常に弱い。イスラエルのように秘密に核開発しても、日本人はユダヤ人より謀略や詭弁がずっと下手なので、すぐにばれる(満州事変を思い出すべき)。

 日本が核武装するとしたら、米国の覇権崩壊が顕在化してから、中露などの台頭が確定的になって世界の政治構造が多極化するまでの混乱期に、どさくさ紛れにやってしまうことは、あり得る。その場合に「北朝鮮の核脅威に対抗するため、日本も核武装せざるを得なくなった」という弁解が使われるかもしれない。今後、自民党が弱くなって日本政界の混乱がひどくなると、核武装や「反朝鮮・反露・反中国」を煽るポピュリスト政治家が増え、核武装への気運が高まるかもしれない。

▼韓国も核武装?

 北朝鮮の核実験を受け、日本だけでなく韓国も核武装する可能性がある。米英軍産複合体としては、北朝鮮と韓国の両方を核武装させると、朝鮮半島の南北対立を恒久化でき、地政学的な失地拡大に歯止めをかけられる。韓国では、冷戦末期の1980年代に、秘密裏に核兵器開発が行われ、米国のレーガン政権(隠れ多極主義)に発見されて阻止された経緯がある。

 同時期には、インドとパキスタンも核兵器開発技術をどこからか注入されて相互に核武装し、これによって印パの分断は固定化され、印パが和解して経済発展し、南アジアが自立して安定強化する可能性が失われた。もともと印パの分断を扇動したのは、印パを一つの植民地として支配していた英国であり、第2次大戦直後、米国の多極主義(拡大均衡策)の影響でインド植民地を独立させざるを得なくなったとき、英国はイスラムとヒンドゥの宗教対立を扇動して印パを分裂させた。印パの核武装は、その延長にある。

 印パや韓国北朝鮮をめぐる核武装の話の裏には、南インドや朝鮮半島の分断を固定化したい軍産英複合体の思惑があり、彼らがパキスタンのカーン博士や、その他のエージェントを通じて、敵味方双方に核技術を流し込んだ疑いがある。影響力を失いつつある軍産英複合体が、朝鮮半島の分断固定化を目指し、韓国の核兵器開発をもう一度扇動する可能性がある。

 韓国では最近、左翼(対北朝鮮融和派)だった盧武鉉前大統領が汚職捜査の末に自殺に追い込まれた。自殺は「盧武鉉は汚職をした」という見方よりも、右派(対米従属派)の李明博現大統領が、左派のシンボルだった盧武鉉を「追い詰めて死なせた」という見方を、より強く誘発し、韓国では左右両派の政治対立が激化している。こうした動きも、米英中心主義と多極主義の地政学的な対立と、関係があるように見える。

 私はここ数日、ひょっとして朝鮮半島でもうすぐ戦争が始まるのではないかという懸念を抱くようになった。1953年の朝鮮戦争の停戦以来、韓国と北朝鮮は何度も小規模な戦闘になったことがあるが、米軍が参加する大規模な本格戦争には発展していない。北朝鮮が騒ぐのは米韓などからの経済支援がほしいからであって大戦争など望んでいないし、米国も韓国や中国の経済発展に投資しており極東の大戦争は望まないというのが、従来の構図だった。

 だから今回も、北の核実験後、海上の南北分界線の周辺で南北が相互に侵犯して緊張が高まっても、本格戦争にはならないという見方もできる。しかし、もっと巨視的な、世界の覇権構造をめぐる米英中枢の暗闘との関係で見ると、今の状況は、朝鮮半島で戦争が起こっても不思議ではない感じがする。

 朝鮮戦争は1950年に北朝鮮が韓国に侵攻して武力による南北統一を試みたために発生したが、あの戦争は東アジアをめぐる政治の構図を大きく変えた。当時は49年に中国の内戦で共産党が国民党を台湾に追い出して中華人民共和国を創設したばかりで、米国では、それまで加勢していた国民党を見捨て、勝った共産党政権を承認する新姿勢に転換しようとする動きが起きた。当時、中国はすでに新生国際連合の安保理常任理事国に選ばれ、世界の5大国の一つとして米国から認知されていた。

 当時の米国では、中ソを5大国の中に迎えて多極的な覇権構造を作ろうとする動き(多極主義)と、英国の発案に乗って米欧とソ連などとの永続的な対立構造(冷戦)を作ろうとする動き(米英中心主義)があり、米国が共産中国と国交を結ぶ方向は多極主義的だった。しかしこの動きは、50年の北朝鮮軍の韓国侵攻によって潰えた。3年間の朝鮮戦争の中で、米軍が反撃北進して中国国境に迫ったため、中国は北朝鮮側に立って参戦せざるを得なくなり、米中は決定的に敵対した。冷戦が東アジアに波及し、米国では多極主義的な戦略が影を潜めた。

 日本敗戦後の朝鮮では、南北とも、めぼしい政治活動家は左翼だった。北朝鮮側は、韓国への軍事侵攻などしなくても、時間をかけて韓国の左翼と結託して韓国を反米左翼化させ、北朝鮮に有利な南北統一への動きを政治的に進めることができたはずだ。それなのに北朝鮮は、拙速な軍事侵攻による南北統一を試みてしまった。これは単に、金日成の愚かさが原因なのかもしれないが、北の南侵によって、冷戦を欧州からアジアに拡大したかった英米中心主義(軍産英複合体)の野望が劇的に成功しているところから考えて、むしろ金日成による南侵を誘発する策略が米英側から行われた結果であると考えられる。

 具体的には、米国は開戦5カ月前の50年1月、米国が守るべき極東の一線として対馬海峡を通る防衛線(アチソンライン)を発表し、米軍が韓国を防衛圏と考えていないかのような姿勢を見せ、北朝鮮側の冒険主義を煽ったふしがある。1990年のイラクのクウェート侵攻前、米国側がサダム・フセインに対して「米国はイラクとクウェートの国境紛争には介入しない」と示唆して侵攻を誘発したのと同種の策略である。米国側は、北朝鮮が韓国などでの諜報活動から得る情報の中に「今韓国を侵攻すればうまくいく」と北に思わせるような偽情報を紛れ込ませることもできたはずだ。

 真珠湾攻撃やナチスのポーランド侵攻など、相手から先に手を出させる誘発作戦を成功させ、正当性を確保してから100倍返しをするのがアングロサクソンの戦争方法である(大義なしに侵攻した03年の米イラク戦争は自滅的な例外であり、あの戦争で米国は覇権を喪失している)。

▼朝鮮再戦争を喜ぶ日本

 1950年の朝鮮戦争前には、米国の対中国政策として親中国的な多極主義が優勢で、軍産英複合体の反中国的な戦略は弱かったが、朝鮮戦争によって一気に形勢が逆転した。今また、米国では、中国の急速な台頭を誘発・容認する多極主義が優勢だ。そして、イラクとアフガンの泥沼化、英イスラエルの窮地など、軍産英複合体は世界的に窮地に追い込まれている。

 今後、ドルが崩壊して北米のみの共通通貨「アメロ」と交代し、東アジアの中心通貨が人民元になったりしたら、世界の多極化は不可逆的となり、米英中心主義は死んでしまう。この米英中心主義の窮地を一発逆転するために、朝鮮戦争の再発が誘発されるおそれがあると、私は懸念している。 (U.S. Weighs Intercepting North Korean Shipments )

 北朝鮮の核実験を受けて、米国は、日韓などを誘って、公海上で北朝鮮の船を臨時検査する「拡散安全保障イニシアチブ(PSI)」を実施しようとしている。PSIの検査対象は、大量破壊兵器の原材料を運んでいそうな怪しい船だが、どの船が怪しいかというのは主観的な問題であり、米軍は北朝鮮の通常の貿易船を臨検していくかもしれない。北朝鮮はこれを宣戦布告とみなし、直接遠くの米国には反撃できないので、韓国との軍事衝突を起こす可能性がある。今は北も、一触即発の雰囲気を作っているだけかもしれないが、米国が一線を越えれば、北も一線を越え、戦争になりうる。すでにロシアは、戦争になるかもしれないとの懸念を表明している。

 PSIに基づく北朝鮮船に対する臨検は、まだ実際には一度も実施されたことがない。PSIは国連決議に基づくものではなく、米国が単独覇権主義を採っていたときに米国務省にいたネオコンのジョン・ボルトンが作ったものだ。国際法では、武力行使が許されているのは、国連安保理で武力による問題解決が不可避だと決議された場合のみだ。PSIについては、一部の国々の軍隊が怪しいと主観的に思った公海上の商船を強制査察することが合法なのか、違法な武力行使にあたらないのかという点が、精査されていない。中国は、PSIの合法性が疑問だとして、参加していない。

 米国がPSIを強硬に実施し、北朝鮮と米韓日が戦闘状態に入った場合、中国は中立を保ったまま仲裁しようとするだろうが、戦火が拡大すると、しだいに中立が保ちにくくなる。60年前の朝鮮戦争と同様、米韓軍が北朝鮮の対中国国境に迫ったりしたら、前回と同様、中国は北朝鮮側に立って参戦せざるを得なくなる。こうなると、米国の多極主義者が企図していた、中国を台頭させて米中協調で世界を支配するといった多極化戦略はつぶれ、代わりに冷戦型の米中対立が復活する。

 冷戦前と異なり、米国の資本家は韓国や中国に巨額の投資をしているので、もはや米国は朝鮮半島で中国と戦争するなどという馬鹿なことはしないだろうとは言い切れない。米英中心主義は昔から、潰されるよりは世界戦争を起こして逆転した方が良いと思っている(だから2度も大戦が起きた)。投資の儲けは、一度戦争をやって焼け野原にした後、復興していけば回収できる。前の記事に書いたが、米国には、パキスタンの核技術が北朝鮮に流れるようにして北朝鮮を核武装させたのは米国自身だとする分析もある。世界の支配構造全体を賭けた戦いなのだから、米英中枢の両派は必死で、何でもやりうる。金日成・金正日親子やサダム・フセイン、ヒットラー、旧日本軍部などは、このアングロサクソン内部の長期暗闘のチェスの駒にすぎない。 (Is North Korea About to Blow Up the World? by Justin Raimondo)

 しかし、駒は駒としての勝ち負けがある。米国が本当に北朝鮮と戦争してくれるかもしれない状況になったので、韓国の右派政権や日本といった、恒久対米従属を希求する人々は、にわかに活気づき、喜々として(うれしさをこらえて厳しい顔をして)「戦争を覚悟せねばならない」と国民に呼びかけ、北朝鮮非難の声を高めている。

 朝鮮戦争を再発できれば、米国にとって東アジアで最重要の国は中国から日本に戻る。日本にとっては「中国ざまみろ」である。在韓・在日米軍の駐留も続く。朝鮮は焼け野原になっても、日本には戦争特需が再来するかもしれない。テポドンが飛んできても当たらないので大したことはない。冷戦党だった自民党は、存在意義を再び国民に認めてもらえる。昨年の福田首相辞任後に起きそうだった自民解党の政界大再編を何とか先延ばししておいてよかったという話になる。

▼朝鮮再戦争なら中国はドルを潰す

 しかし、米国と中国が戦争に近づくとしたら、経済の面から違う展開が起こりうる。中国は今、米国債を世界で最も多く買っている。ガイトナー財務長官が中国を訪問して「米国債は安全ですから、これからも買ってください」と説いて回ったばかりである。金融対策の失敗と財政赤字の急増、ドルの刷りすぎで、米国債の世界的な信用は潜在的に落下し続けている。すでに中国国内では、米国債は危ないという見方が強まっている。(China airs fears on US debt, dollar--lawmaker)

 そんな中で、米国が北朝鮮に強硬姿勢をとって開戦し、中国を戦争に巻き込もうと迫ってきたら、中国はどうするか。軍隊を中朝国境に差し向ける前に、まず米国債を売って米国の長期金利を高騰させ、ドルに対する信頼性を下落させようとするはずだ。中国は、ロシアなどと組んで進めている、ドルを使わない貿易決済体制の実現を急ぐだろう。すでにドルと米国債は張り子の虎で、米英のマスコミやアナリストの客観性を装ったプロパガンダで何とか支えられているにすぎないことを、中国側は知っているはずだ。ドルを支え続けるのも壊すのも、中国の方針しだいである。

 米中対立になって中国がドルを破壊するのなら、日本は、中国ざまみろとか対米従属万歳と喜んでいる場合ではない。日本が対米従属を続けたいのは、米国が最強の覇権国だからである。ドルや米国の覇権が崩壊しては元も子もない。

 戦争になったら、国連安保理でも、中国はこれまでの慎重さをかなぐり捨て、常任理事国としてPSIの違法性を突くだろう。PSIの基本はブッシュの単独覇権主義なので、イスラム世界は中国の側につく。原油高騰が煽られる。ロシアは、以前に欧露協調で米国の強硬姿勢をなだめようとしたイラン問題の関係でPSIに参加しているが、北朝鮮問題で中国が反米的になってPSIを非難し始めたら、ロシアも同調するだろう。国連では、創設以来の60年間の米英による国連支配を打破しようとする動きが強まる。 (The path with North Korea)

 中国にドルを壊されるのなら、米国は北朝鮮と戦争するはずがないと考えるのが常識論だ。しかし私が見るところ、ブッシュ前政権以来の米国は、中国やロシアやイスラム世界をわざと怒らせて反米で結束させ、世界を多極化しようとしてきた観がある。中国は米国からの挑発に乗らず、米国から嫌がらせを受けても黙って受け流してきた。その分、ブッシュの多極化戦略は効果が出なかった。ところが今、オバマ政権になって、もしかすると北朝鮮と本当に戦争し、今度こそ中国を怒らせる(反米の側に追いやる)ことができるかもしれないという場面になっている。

 オバマは、イスラエルや英国に対する冷淡さを見ると、どうもブッシュの戦略を継承する隠れ多極主義である。しかもオバマは、イスラエルの入植地建設を強硬に禁じるなど、大胆なところがある(彼は選挙時から大胆さを売り物にしてきた)。そう考えると、オバマが一線を越えて北朝鮮と戦争になり、中国を怒らせてドル崩壊を早めるという展開があり得る。

 こうした私の予測は、確定的なものではない。米英中心主義と多極主義の暗闘の構図が間違っていないとしても、両派の今の力関係を測ることは難しい。力関係によっては、一発逆転の戦争勃発まで至らないかもしれない。しかし半面、6カ国協議が再開されて北朝鮮問題が外交で解決する見通しがないのも事実である。北朝鮮は、核実験した以上、核武装まで一気に進みたいと思っているだろうし、国際社会における米国の力も落ちているので、たとえ米国が北との直接交渉に応じたとしても、米国主導の問題解決は困難だ。宙ぶらりんのまま、一触即発の危険な状態が続くことは間違いない。

【与太話】 intelligenceとinformation

重要度を増すinformationとintelligenceの違いに関して

個人的には、この備忘録にはinformationは残したくはない。本来であれば新聞記事は、たいして資料にはなりえないように思うしなによりもintelligenceの欠片も見てとれないからである。生の加工をしていない情報がinformationであるならば、まだintelligenceに変えることも可能であるが、日本の新聞はintelligenceの欠片もないばかりか、propagandaと化しているようにしか思えない報道である。

しかし、あえて某新聞社の記事は、あまりにも偏向記事が多いので残しておいて後に「喧嘩」のために残しておこうと思う。


日本語の辞書を引くと、informationとintelligenceは、どちらにも「情報」という訳語が与えられています。実際に日本語の「情報」には、informationの意味も、intelligenceの意味も含まれていますから、この訳は間違いであるとは言えません。しかしinformationとintelligenceという言葉の意味は大きく異なり、その違いを正しく意識することは、近年ますます重要になってきていると思います。

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アメリカ人の上司に市場調査(market analysis)を命じられて、結果のレポートを提出したところ、

「こんなのは、informationに過ぎない。intelligenceを持って来い!」

なんて言われることも、いつかあるかもしれません。その上司に「今どき、コイツはinformationとintelligenceの違いもわからないのか・・・」と思われないようにしておくことは、色々な意味で無駄にはならないと思うのです。

さて、intelligence。普段、英語に接する機会の多い方であれば、このintelligenceはざっくり言って「知能(的)」というポジティブな意味があり、現実には「諜報」というニュアンスで軍事関係の用語として用いられることが多く、米CIAや英MI6の真ん中のIが、このintelligenceを現している(CIA = Central Intelligence Agency / MI6 = Military Intelligence 6)ということはご存知かもしれません。

では、intelligenceという単語は、それ単独で軍事的な情報のことだけを指すのかというと、必ずしもそうではありません。実際に欧米のビジネスの現場では「market intelligence」とか「business intelligence」、「competitive intelligence」という言葉が頻出しますが、それらの中身は、政府機関によるスパイ活動(military intelligence)とは仮に似ているところがあったとしても、根本的にその目的とするところが異なります。

言葉ですからもちろん曖昧な部分もあるのですが、簡単に言ってしまえば、informationというのは加工されていない生データか、それに近いものです。これに対してintelligenceとは、数あるinformationを必要性や信頼性に応じて取捨選択し、その内容を分析し、さらには分析をする人間の解釈まで加えられているような、informationからは何歩もプロセスが進んだ結果として得られるもののことを指しています。残念ながら、このintelligenceに正しく対応するような日本語の語彙は存在しないので、日本でintelligenceに関する議論をするときは、そのままインテリジェンスというカタカナ語を利用するしかないでしょう。

もう一歩だけ話を突っ込んでおきます。自然にどこからか生まれてくるinformationとは違って、intelligenceは「何らかの決断を助ける」ためにアナリストによって能動的に生み出されます。informationはそこらへんを漂っているものですが、intelligenceにはdecision makerを助けるという明確な存在の目的があるのです。そんなintelligenceには、良いintelligenceと悪いintelligenceを分けるための4つの評価軸が存在すると考えられています(注1)。

評価軸1.timely
良いintelligenceは、何らかの決断のためにこそ求められるのですから、決断にとって常にタイミングが重要である以上、そうしたintelligenceの創出もタイミングが命となります。より多くのinformationを集めることに集中してしまって、タイミングを犠牲にしてしまうのは、intelligenceの創出においては時に「collectionの罠」とも呼ばれ、気をつけて避けねばならないこととされています。informationを完全に収集することは不可能であるとして、あるところでcollectionはスパッと止めて、分析に移らないとならないのです。

評価軸2.tailored
良いintelligenceは、ある決断にとって必要となる深さと幅を持っていることが重要で、冗長だったり、または足りなかったりすることはintelligenceの質に問題があるとされます。逆にいうなら、informationのcollectionをはじめる前に、そもそもどういったintelligenceが求められているのかを明確にしないとならないということです。テーラー・メードの服を作るのに、まず身体の寸法を測らずに、サイズの異なる布を探しに行くことはナンセンスなのです。

評価軸3.digestible (easy to digest)
良いintelligenceは、簡単に理解できるフォーマットになっていないとなりません。社長と偶然同じエレベータに乗り合わせたとき、エレベータ内にいる1分間の間に、新事業の提案をするようなことを、特に「エレベータ・ピッチ(elevator pitch)」と言うことがありますが、まさにこれが最高のintelligenceの形態です。ストーリーが「何をするべきか」という提案に関して明確であることが、intelligenceをdigestibleにするための秘訣です。

評価軸4.clear regarding the know and the unknown
intelligenceは限られた時間内に創出されます。無限の時間がかけられない以上、intelligenceのベースとなるinformationのcollectionが不完全なものであることは不可避なのです。よって、優れたintelligenceは必ず探したけれど、見つからなかったinformationに関する言及があります。何を知っているかではなく、何を知らないのかを理解することは容易ではありません。だからこそこれが、intelligenceの質を分けるけるポイントになるのです。

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ネット環境が今ほど整備される以前の社会においては、informationを多く持っているものが競争を優位に戦うことができました。そんな時代には、informationを得ることができるソース(情報源)をどれぐらいたくさん持っているかが勝敗を分ける鍵となりました。

ところが、ネットで検索さえすれば、読みきれないほどのinformationが入手できる現代社会においては、ソースを多く持つことではなくて、まず検索にヒットするinformationを上手に「捨てる」技術を身につけることが求められます。そして手元に残ったinformationを分析し、自分なりの解釈を加えることで自らの中にintelligenceを蓄積して行くことが重要ではないでしょうか。