2009年6月7日日曜日

【与太メモ】 堀江貴文・武部勤

裏付けの取れていないメモ

武部と堀江の関係。
 
 永田町では武部ーホリエモンには金銭を巡る関係が厳然とあるというのだ。
 自民党関係者がいう。

「実は武部幹事長はホリエモンから2~3億円の金をもらっているんです。この金はホリエモンが自民党の公認を取って衆議院議員のバッチを付けたいということから始まっていました。

 ホリエモンは次男・毅を通じて武部幹事長に接触。是非とも自民党公認で当選したいと懇願していました。そこで、福岡1区で推薦しようということになったんですが、ここで山崎拓さんが猛反対。山崎さんはこの話を聞いて艦艇に乗り込み「ホリエモンみたいな自民党が公認するなんてとんでもない。絶対反対だ」と小泉総理にねじ込んだんです。

 小泉総理・官邸もホリエモンの調査で「こいつは危ないし、ダメだ」という報告を受けていたんで山拓さんに「それは良くわかっています。公認はしません」と明快に答え、公認の認定はできませんでした。

 この公認問題に頭を抱えたのが武部勤幹事長でした。武部幹事長は千葉4区で出馬した藤田幹雄を通じて金を受け取っているんです。

 藤田幹雄はソニーからホリエモンの企業を上場する際に手を貸し売り抜けた光通信ー資産運用会社を経て千葉4区で民主党の野田佳彦国対委員長を1000票弱まで追いつめ、ゾンビ当選した人物です。

 藤田は武部幹事長の長男・新の女房の姉の亭主ということで武部毅とは特に仲がよかった。

 次男の毅はどうしようもない遊び人で六本木などで遊びほうけていた。その取り巻きはやくざまがいの人物も多い。

 その仲間に混じって「宮下」なる人物が徘徊しています。藤田幹雄の政策秘書は「宮内修二」何らかの関係があるとしか思えない。

 ともかく、毅ー宮内ー藤田の関係を注目しています。

 ホリエモンメールの話がでて以来、武部幹事長の様子がおかしい。これが偽物だったからといって武部幹事長自身が安泰ということはありません。
 また、武部幹事長は約束した?ホリエモンの自民党公認がとれなかったばかりか、落選させてしまった。
 選挙後、まずいと思ったのか武部幹事長が考えたのがホリエモンが希望する「広島カープ」買収でした。球団買収には「ナベツネ・読売新聞主観・渡辺恒雄」の許可がいる。
 そこで武部幹事長はほとんど面識のなかった「ネベツネ」に「ホリエモンが広島カープを買収したがっているがどうだろうか」と電話を入れるんですが、ナベツネさんはけんもほろろで追い返す。
 困った武部幹事長はホリエモンに金を出させ「LDP」という会社いう会社を作らせた。ここに自分自らと二階俊博経産大臣、竹中平蔵総務大臣、佐藤敬夫を引き連れて参画する。
 ホリエモンの会社は1,「自由新報」を刷新し10万部作る。ここに自民党を支援する経済界の幹部を呼び、今後の展開を述べさせる。
2,「自由新報」を日刊化して100万部を無料配布し、自民党への支持を呼び戻す
 という2案を提出させ06年4月にも展開するという状況だった。
 これがホリエモン逮捕でパーなった。本来なら3月に政治資金報告書に掲載すべきところをしないですむ。ホリエの逮捕が早くて武部幹事長は今頃ほっとしてるんじゃないですか」

「この情報にはマスコミ関係者が間に入っている」
 永田が衆議院予算委員会質疑直後にかったった発言だ。
「スワ!情報提供者は誰だ」
 とマスコミ関係者が動くの当たり前。
「永田に偽情報をつかませた人物は誰だ」
 この情報を整理してみる。
「永田が大蔵省に入省した時の同期が現在、財務省を退職し「ライブドア」の経理担当をやっているらしい。その同期の友人が永田に情報を流したのではないか」
という説がある。
「いや、この間に誰かをかました」
 とういう説もある。
 また、週刊新潮をやめフリーになった某氏に名前があがった。
 某氏に「どうもあんたの名前が挙がっているようだ」
というと
「何ですかそれ。私は永田と会ったこともないし、そんなことをいわれる筋合いはない」
とむっとする。
 そこで再調査。
 数年前週刊ポストで「清原がアメリカで遊んでいる」という記事を作り、清原から名誉毀損の裁判を起こされ1000万円の損害賠償を払えという判決を受けた人物らしいということがわかった。

 名前は西澤孝。42~43歳らしい。 (後訂正 32歳)
 週刊ポストは当然のごとく西澤を放逐。西澤はその後週刊誌各社を渡り歩いたようだが、週刊ポストの印象が強く各社とも門前払いだった。

 そこで京橋に「デュモン・マーケッテイング」という会社を作り、業界向けの月刊誌を作っていた。この2月号に永田寿康が表紙に堂々と載り「永田寿康と西澤孝」の対談が掲載されているという。各社この雑誌を探しているのだが、いかんせんミニコミのような雑誌。なかなか発見されないようで・・・・。

 西澤は「俺は福沢諭吉の玄孫」「笹川堯の隠し子」などと大洞を吹く男だという。
 これも本当かどうかわからないが、「オレゴン州立大学ジャーナリスト学科卒」
 といっていたようだ。
 住居は竹中総務大臣と同じ湾岸の超高級マンション。

 時に車をぶつ受けられたと右翼一緒に損保会社にねじ込み金にしたこともあるという。
 まあ、典型的なほら吹きで詐欺師。こんな男に何故民主党幹部がだまされたのか全くわからない。
 西澤ー永田は土曜日以来、連絡が取れなくなったようだ。

 自民党・平沢勝栄議員。
「これは完全に偽物ですよ。私は民主党が黒く塗っり公表したメールよりもっと鮮明なメールを持っている」

 2月20日、降着状況になれば必ず爆弾を打ち出す平沢勝栄議員が発言し永田町、マスコミは大騒ぎ。翌21日にはテレビ、ラジオに出ずっぱりと田中真紀子騒動以来の檜舞台に躍り上がった。

 マスコミに引っ張りだこの平沢代議士に直撃。

「これは永田議員が入手したと思われる頃にこちらも入手した。あるマスコミ関係の人物がいろいろと売り歩いていたらしい。ところが、マスコミも馬鹿じゃない。このメールは怪しいというので取り合わなかったようだ。

 そこでその人物は永田のところに持ち込んだようだ。永田は真偽も確かめずに公表したんじゃないか。
 だが、私の見るところ永田発表のメールは全くの偽物だ。

 ただ、肝心なところは武部幹事長にライブドアから金が流れているという事実はあり得る話。ははは」。
 昨年初当選した武部幹事長の親戚・藤田幹雄を通じて武部幹事長に金が流れているらしいという噂は消えてない。
 今回のホリエモンメール騒動は全くの偽物だったが、武部幹事長周辺に金が渡った可能性はわからない。武部幹事長もホリエモンメールが偽物だったから大丈夫。とわいえ率先して無所属のホリエモンの応援行くには何らかの訳がありそうだ。疑問が残る。

東京地検特捜部・・・・100人体制をひいて、日本の闇にきりこむ・・・・というか、切り込んでほしいんだけど・・・・・
「おいおい!特捜部は大丈夫か?」
 副部長自ら、取り調べにあたっているけど、堀江はおちず!聴取官交代話も。

 最初の逮捕案件である風説に流布、インサイダー。問題は投資事業組合の存在。あの時点では規制に引っかからないし、違法とは言い切れない。「実質支配」というのは特捜部の造語か?
 叩いて、資料読み込んで、粉飾決算にやっとたどり着いた。

 マネーロンダリング?香港、スイス、バミューダ・・・・。実はここには、直接の捜査権はない。さらに、財政部というか、財務というか、英文の資料読み込めるスタッフは何人いるか?外交的圧力を加えるなら別だけど、ここは小泉も、外務省のやる気なし。

 闇の金というけど、一万円札には、黒も、シロも、闇も、代紋も、ホリエモンマークもかかれていない。
 粉飾決算だけだったら、セイブと同じで、これだけ世界のマーケットを騒がしておいて、なんだったのか?とならんことを祈りたい。

 知人の貧乏弁護士・・・・・俺なら、無罪とはいわんけど、かなり引っ張れる。
 頑張れ、地検特捜部・・・・!

 日本のマーケットをぶちこわしたのは誰だ!と、いわれないことを祈りたい。
 
あの「メール」はガセだけど、真性の「メール」がある。こっちが本物で、こっちが本命。そこからいくと、武部周辺に金が流れていることは間違いない。その傍証として、うちの取材メモを引用、パクリするのはかまわないけど。うちのボスの松永他加志に問い合わせするのはかまわないけど。

「ほほう、会社謄本とりましたか?会社設立書とりましたか?政治資金報告書とりましたか?有価証券報告書とりましたか?え?東京?じゃ、広島とりましたか?沖縄とりましたか?」

 という空虚な電話をボスがしているのを、となりできいていると、俺はむなしくなる。
 2重、3重のミスを民主党はおかしつつある。

 これ書くと、また、ボスから、つっこまれてこのブログは休刊になるけど・・・・・・。
 仙石さんとか、楢崎さんとか、いい追求型の政治家はいた。うちのボスなんかも、もろにかかわったケースもたくさんあると、俺は思う。昔の話をしたがらないボスだが、その辺、うまく質問すると、えんえんと、自慢話するから、この辺から、聞けばいいとおもうのに・・・・と俺はおもう。

 問題は、この辺の追求に関しては、俺はまだ、ガキだったからボスがどうやりとりしたか裏はしらないけど、ボスに聞くと「裏はまったくない」という。「正々堂々、正面突破」で、「公文書を固めて、証言者を固めた」そして「この段階で、情報をふるいにかける。ひなたぼっこ出来る情報か(表に出せる情報か)、ひなたぼっこ出来ない情報か(永久に表に出せない情報)・・・。

 どっちが正しいかでない。どっちも正しいこともあれば、どっちも間違っていることもある。問題は、その時代の、同時性の認識。判断基準は、欲損得にからんでいないか・・・。

 どんないい情報も、裏がとれないと意味はない・・・とはみないう。
 しかし、我々は、裏がとりにくい情報もあつかうし、書くこともある。
 この時に判断するのは、同時代性。特定の欲損得にからんでいないか?

 民主党には今後、真贋ふくめて情報提供はないかもしれないし、圧倒的に減るかもしれないという、重大な問題について、考えるべきで。
 耐震偽造で、馬淵は、死守したし、今後もするだろう・・・。今後、「馬淵は信用できる」・・・・これ評価。
 永田、野田、・・・・・鳩山、河村、あとテレビ組・・・・「ま、あかんね」・・・・これ評価、俺がいったわけじゃない。
 それよりも最悪は「執行部全体が信用できん」・・・・という評価。これも俺が行った訳じゃない。
 だが、
       これが痛いのだ!
 永田がひとつ重要な間違いを犯しているとしたら。間違えたことは、まだゆるせる。勇み足であったかもしれん。これも許せれる。謝ればいい。もちろん俺や、執行部に対してでなくて、国民に、謝罪して、それに応じる責任をとればいい。
       国民は寛容だ!
 つまり・・・・自分の責任は当然、執行部への責任は当然。国会への責任も当然。・・・・・・入院して、ほとぼりさますのも本人の決定事項でないかもしれんから、ま、許すけれど、「情報提供者」をなぜ、さらしたままにしておくのか?真贋は、第三者のかってな判断。もし、ちがっていて起訴されたら、各メデイアが対応する・・・・。
 問題は、永田は、民主党は一度は信用した情報提供者を、なぜ?
     「死守」
 しないのか?真贋問題以前・・・・・。の問題。

 民主党・永田寿康衆院議員に「堀江メール」を提供したという「ジャーナリスト」がほぼ判明した。
「ま、フリーのジャーナリストというか、元記者というべきか・・・」ということで、本人の名誉のためにAさんとしておこう。
 実は、このAさんが、複数の週刊誌の編集部のおなじ企画をもちこんでいたことも判明した。

「おもしろいネタだとおもったが、真贋様々な堀江メールなるものがとびかっているのが、現実。このメールの生データのメールデーターの確認がとれるかどうか?さらに、このメールのでもというか、元ネタもとが確認できるかどうか?これがとれないと、記事にするのは難しいと答えた。鼻から拒否したわけじゃない。そうしたら、永田議員のところにいっていた」(某週刊誌編集部)
 ということで、自民党さんがいうように最初から「ガセメールだから、断った」ということではない。
 もしかすると、永田議員のところでは、生のメールデータや、元ネタが確認できたからこそ、踏み込んだと解釈したいのだが・・・。

「対象となる銀行名、口座名義を我々は押さえている。必ずしも武部氏の次男の名義の口座とはかぎらない」(民主党関係者)・・・・・
「だから、国政調査権を要求する。それを拒否する自民党は横暴だし、疑惑隠し!」(前出・関係者)
 という論理で、国民はどこまで納得できるか。
 いやたしかに、ボス風にいうと、「枯れ木も山の賑わい」というし、辻野記者風にいうと「犬もあるけば棒にあたる」、俺風にいうと、「下手な鉄砲も数うてばあたる」
 「ホリエモン・武部次男・武部長男・武部幹事長」をめぐる4者の関係は憶測もふくめてだが、数々の疑惑がささやかれていることは事実。この突破口として「国政調査権」を要求するという民主党の苦肉の策はわからなくもないが・・・・。実は、これは諸刃の刃。

「これで武部幹事長の疑惑はすべてシロと逆証明につながる」(自民党幹事長周辺)

 この決着は下手すると、2月22日(水) の党首討論でつくかもしれない。

 民主党が「武部の壁」をくずせるとしたら、「合わせ技」しかない。今からでも遅くないから、ホリエモンと「武部の息子」の関係を整理しておいてたたみ込むしかない。その上で、メールの件から、口座の件(それも、例の口座)への、国政調査権を発動せざるえなくなるまで、おいこめたら、・・・・民主党の合わせ技一本はありうる。でないと、判定負け。この負けは永田議員一人の問題ですまない。

 あ、その時も、相手から「ガセ情報」と一蹴されたら、二の矢三の矢をうてるだけの「ネタ」にしぼっておくことですね。小泉は無理でも、「武部の壁」は少しは崩せるかもしれない。

 何を隠そう「武部は調子に乗りすぎ」とおもっている自民党議員はたくさんいるし、「堀江の毒まんじゅう」を相当くっていると思いこんでいる自民党議員もいるからだ。
 ということで、きわめて風見鶏的な取材メモでした。

2009年6月6日土曜日

【メモ】 狼

◎日本列島にいた狼たち/ジャーナリスト橋本伸/1
エゾオオカミ/北海道/人間と共生した〝狩をする神〟

 日本列島には、百数十年前まで、2種類のオオカミが生息していました。ところが、明治時代に相次いで絶滅に追い込まれました。オオカミはなぜ、絶滅したのか。日本列島にはどんなオオカミがいたのか。探ってみました。
  ◇
 北海道にいたエゾオオカミは、人間にはやさしかったようです。

掃討作戦で絶滅?

 北海学園大学教授だった更科源蔵氏の著書『コタン生物記Ⅱ』(1976年刊)にこんな話が載っています。
 ――狼のことを釧路地方では狩をする神と呼び、十勝地方では鹿を獲る神と呼んでいる。この神様は鹿を獲って満腹になると、人間を呼んで残りの肉をさずけてくれるからである。また狼が鹿を獲って食べているところに行きあっても、咳払いをすると獲物を置いて人間に席を譲ってくれるものであるという。

 アイヌの人たちとエゾオオカミが〝いい関係〟で共生できたのは、明治以前の北海道には信じられないくらいたくさんのエゾシカがいたからと思われます。ところが、平岩米吉氏の著書『狼―その生態と歴史』などによれば、明治に入って、続々と開拓民が送り込まれ、エゾシカを毎年何万頭も殺したため、エゾシカが激減しました。

 その結果、主食のシカを捕れなくなったエゾオオカミは家畜、なかでも牧場の馬を狙うようになったのです。このため、オオカミの掃討作戦が行われ、オオカミの捕獲者には、最高で1頭10円という高額の賞金まで出したのです。賞金制度が1888年に廃止されるまで全道で捕獲されたオオカミの数は1539頭とも1827頭ともいわれています(このなかには北海道開拓使だったエドウィン・ダン氏の献策によって牧場で毒殺されたオオカミは入っていません)。こうしてエゾオオカミは1889年(明治22年)ごろまでにほぼ絶滅に追い込まれたとみられています。

大きな頭と

 長い爪と… では、エゾオオカミはどれぐらいの大きさだったのか。作家の戸川幸夫氏がエドウィン・ダン氏の二男の夫人ダン・道子さんから拝借したダン氏の書いた『我が半世紀の回想』に貴重な記録があります。ダン氏はこう記しています。

 「十分に生育した狼は七十ポンドから八十ポンドの重量があり、大きな頭と、恐ろしい歯牙で武装された口とを持っている。一般に極めて痩せていたが、筋肉はすばらしく逞しかった。毛の色は夏の間は灰色であるが、冬になると灰色がかった白色になり、毛は厚く且つ長くなる。足跡はその大きさですぐわかる。一番大きな犬の足よりも三倍か、四倍の大きさがあり、その形は似ているが爪はずっと長い」

 70ポンドから80ポンドといえば、換算すれば32㌔から36㌔になります。アーネスト・T・シートンによれば、アメリカのハイイロオオカミの体重がオス35㌔~47㌔、メス25㌔~36㌔といいますから、ハイイロオオカミの小型のオスぐらいだったことになります。

「狼の王」の学名も

 平岩氏と並んで、戦前から日本犬とオオカミの研究に打ち込んできた斎藤弘吉氏は著書『日本の犬と狼』(1964年発行)で、エゾオオカミについてこう指摘しています。

 「現在、標本の残っているものは、北海道大学博物館に牡牝の剥製一対とアイヌ人が狩猟神として祭った狼頭骨牝牡各一頭分収蔵されており、他に故杉山氏蔵の狼頭骨一個、並びに大英博物館所蔵の牡頭骨があって合計六体である。大英博物館蔵の頭骨は特に巨大で、先年同博のポコック氏が、カニス・ルプス・レックスという狼の王の意の新学名をつけて発表したくらいであって、旧大陸で獲られた狼中では、シベリアのコリマ河畔で捕った、カニス・ルプスデュダンスキー牡が匹敵するくらいであろう」

◎日本列島にいた狼たち/ジャーナリスト橋本伸/2
ニホンオオカミ/列島に広く生息していたが

 1992年8月、広島県加計(かけ)町の福光寺に保管されていた頭骨がニホンオオカミの頭骨と鑑定されました。明治8年(1875年)に亡くなった「住職の大祖父」が寺近くで捕獲したとの伝承があるといいます。

 西日本では、四国や九州でニホンオオカミの頭骨が見つかっていますが、中国地方で、ニホンオオカミの頭骨が確認されたのは、初めてのことです。同地方に江戸時代、あるいは明治の初めまで、ニホンオオカミがいたのはほぼ間違いありません。


「自然環境センター」の米田政明研究員(当時)が鑑定した広島県加計町のニホンオオカミの頭骨(1992年)

片山潜も書いた

 江戸時代末期に、加計町に近い岡山県弓削(ゆげ)村に生まれた著名な革命家、片山潜も『わが回想』(上巻)で、こう書いています。

 「又冬寒い晩などは夜更けて狼(おおかみ)の叫(な)くすさまじい嫌な声が聞こえることもあっておっかなかった」

 エゾオオカミと比べ、小柄だったニホンオオカミですが、遠吠(ぼ)えはすさまじいものだったようです。実際、ニホンオオカミの子どもさえ、強いイヌを恐れさせたという逸話がたくさん残っています。

 松谷みよ子さんの『現代民話考第十巻』(狼・山犬 猫)に、奈良県のこんな話が載っています。

 ――ある時、矢谷さんが村におりていくのに仔犬(こいぬ)がついてきた。仔犬が道を歩いていると、大きく強そうな犬までがこそこそ逃げてしまう。仔犬は実は狼だったのである。

 平岩米吉氏も『狼―その生態と歴史』で、「甲子夜話」にある次の話を紹介しています。

 ――伯州(鳥取県)の大山で狼の子を捕らえ、それを雲州(島根県)松江城下へもってきて、見世物にした。この狼の子は猫ほどの小さなものであったにもかかわらず、大きな犬が三間(5・5㍍)も離れているところから震えてしまって、鞭(むち)でうってもすすめなかった。

1905年が最後

 ニホンオオカミは1905年(明治38年)、奈良県鷲家口(わしかぐち)で捕獲されたのを最後に絶滅したといわれています。北海道を除く日本列島に広く生息していたニホンオオカミはなぜ絶滅したのでしょうか。

 平岩氏は、前記著書で、絶滅の原因として次の五つを上げています。

 ①海外からの狂犬病の侵入と流行によって、病狼となったオオカミが人を襲うようになった②このため、当時発達の著しかった銃器の対象になった③銃は鹿などの猟獣に向けられ、食物を奪った④開発の進行により、オオカミの生息地が奪われた⑤家犬との接触で、激しい伝染力をもつ疫病がニホンオオカミの世界に侵入、集団の中に広がった。

有害獣として駆除

 しかし、果たしてこれらの原因だけなのでしょうか。この点で、ことしの春、東京農工大大学院農学府の中沢智恵子氏がオオカミセミナーで行った研究報告が大変参考になります。 それによれば、東北6県の公文書調査で、かなりの数のニホンオオカミが有害獣として駆除されていたことが判明したというのです。 とりわけ岩手県では、オオカミ捕獲者への手当金制度開始時の布達で、オオカミは天皇の支配拡張を妨げるものと断定するなど、家畜を捕食するオオカミを天皇への反抗と見なしていたことが明らかになりました。 中沢氏は、江戸時代からの狼害対策が明治になっても続き、とりわけ岩手県ではオオカミ駆除手当金制度を1875年に開始、その後の5年間ほどで、子オオカミも含め、合計201頭が捕獲されたことを明らかにしました。 狂犬病やジステンバーの流行による打撃のうえに、懸賞金までかけられたことが、ニホンオオカミの絶滅に拍車をかけたのは間違いありません

◎日本列島にいた狼たち/ジャーナリスト橋本伸/3
佐川のオオカミ/高知/最大級の頭骨、四国で発見

 1999年3月5日、毎日新聞が、「ニホンオオカミの最大級頭がい骨 高知県の旧家で発見」と報道しました。

先祖が山中で射殺

 この頭骨は、高知県仁村森の片岡幸貞さん(当時73歳)方に「先祖が山中で天保八年(一八三七年)に射止めた」と伝えられ、保管されていたものでした。
 頭がい骨の最大長は23・5㌢で、日本各地で発見されたニホンオオカミの頭骨では最大と大阪市立大学医学部で鑑定されました。骨の上部に弾丸で貫いた穴があり、骨には肉片も付着しており、DNA鑑定も可能でした。

江戸時代まで生息

 なぜ四国に大型のニホンオオカミが江戸時代まで生息していたのか。仁淀村(現在は合併して仁淀川町)の近くに佐川町というところがあります。

 斎藤弘吉著『日本の犬と狼』によれば、紀元前5000年から紀元前後にわたるわが国の遺跡から、他の獣骨とまじってオオカミの骨が発掘されています。そのなかでも大きいのが、この佐川町で発掘されたオオカミの骨でした。

 斎藤氏はこう指摘しています。
 「特に土佐佐川の洞窟からは、日本石器時代の狼としては最も体格の大きいものが数体分、東大長谷部教授等によって発掘された」「わが国石器時代の狼のうちでも、その体格が特に大きい土佐佐川発掘のものは、現代日本狼よりも大きいが、地質時代の化石狼よりは小さく、ほぼ現代朝鮮狼の中体格くらいである。佐川以外の各地から発掘された石器時代狼の体格は、ほぼ現代日本狼の範囲内である」

 斎藤氏のいう「現代日本狼」とは、江戸時代中期以後に採集されたもので、主に頭骨です。


ニホンオオカミの骨格 佐野市葛生化石館

発見した

 骨に咬痕 佐川オオカミが発掘されたのは、佐川町城ノ台の石灰洞遺跡です。1941年(昭和16年)に長谷部言人博士らによって調査されたものです。

 『高知県の考古学』(1966年発行)は、縄文早期とみられるこの遺跡について、こう指摘しています。
 「調査の結果、石鏃・石槌・土器片などの遺物は洞窟の奥深いところから、洞中の堆積土中からは人骨をはじめ狼その他の獣骨が発見されている」

 「これらについても同遺跡を調査された長谷部博士は、石器時代人の食糧になった獣類などの骨でなく、これらの骨のなかにある狼が洞窟内にくわえこんだ動物の遺残であるとされ、穴熊や狸の骨には狼の咬痕がついているとされている。この狼の骨はこれも長谷部博士の研究によれば、特に〝佐川狼〟と名づけられ」「縄文時代には本州・四国・九州に住んだであろうとされている」

 珍しいのは、この遺跡からは小柄な老男子の骨の破片が多数発見され、なかにはオオカミのかみ痕が発見されていることです。

シベリア系の血?

 さて、佐川オオカミはどこからきたのか。ニホンオオカミの研究家で知られる直良信夫氏は『狩猟』(1968年刊)の中で、こう書いています。

 「本州、四国、九州には、ニホンオオカミとよばれていた、やや小型のオオカミが棲息していたが、実際には、そのような小型のものばかりではない。古墳時代後期の頃まで、エゾオオカミなどとともに、シベリアオオカミの系統にはいる大型のオオカミも棲息していた」

 縄文時代の〝佐川狼〟と江戸時代の仁淀村のオオカミは、古墳時代まで四国に生き残っていたシベリアオオカミの血を引いているのでしょうか。

◎日本列島にいた狼たち/ジャーナリスト橋本伸/5
続・化石オオカミ/ナウマンゾウと一緒にきた?

 前回、化石オオカミは北方系オオカミで、気候の温暖化で南方系オオカミが勢力を強めた説を紹介しました。

駆逐説が否定され 

 しかし、国立歴史民俗博物館教授の春成秀爾氏によると、新たな動物種の登場から、大陸と日本列島の陸橋の存在は次のように推定されるとしています(「更新世末の大形獣の絶滅と人類」2001年)。 
 氷河時代ともいわれ、新型の哺乳(ほにゅう)動物が出現した更新世は、約180万年前から約1万3000年前とされています。 

 春成教授は、更新世前期(120―100万前)は、南西?の道(東中国海)からシガゾウなどが、更新世中期前半(60―50万年前)に南西の道からトウヨウゾウなどが、更新世中期後半(40―30万年前)に西の道(朝鮮海峡)からナウマンゾウなどが、更新世後期末(3―2万年前)に北の道(宗谷海峡)からマンモスなどがきたと推測されるといいます。 この説に従うと、3万年前より古い化石オオカミは北方系ではなく、北方系オオカミを駆逐したのは南方から移住してきたオオカミという説そのものが否定されてしまいます。


化石オオカミの上あご(右側)と頭骨のレプリカ。佐野市葛生化石館

南西から渡った?

 それを裏付けるように、直良信夫氏は労作『日本産狼の研究』で、「最初に渡ってきたオオカミ」との見出しで、北九州市門司区松ケ枝町の洞窟(どうくつ)から出土したオオカミの化石について、こう記述しています。

 「大形のオオカミが、洪積世(注=更新世)のごく初期に、西南日本の一隅にゾウやサイなどと共にすでに出現していたという事実は、日本のオオカミを研究しようともくろんでいる私にとっては、特記に値することがらでなければならない。私の手もとには、現在では前臼歯その他の貧弱な資料しか残されていないが、臼歯の大きさからみて、大形のオオカミであったことがたしかめられた」

 さらに、直良氏は「北関東地方の化石オオカミ」の見出しで、栃木県葛生町(現・佐野市)会沢大久保宮田石灰工業の採石場から発見された化石オオカミについて、こう述べています。
 「復元して見ると、頭蓋(とうがい)骨長が約二六〇㍉㍍、基底骨長が約二五〇㍉㍍であったから、すばらしく大形なオオカミであったことが考えられよう。シベリア産のオオカミ(頭蓋骨長二三五・二㍉㍍、基底骨長二一九・〇㍉㍍)に比べてみると、頭骨はひとまわりほど大きく…」

 直良氏は、この葛生町の化石オオカミの生息年代を「下部洪積世(注=更新世前期)の終り頃のものか、あるいは中部洪積世のある時期」としています。同じ層からは、ヒョウや褐色グマの化石も発見されています。
 化石オオカミは北方系オオカミというより、南西あるいは西の道から、トウヨウゾウやナウマンゾウと一緒に日本列島に渡ってきたようです。


ナウマンゾウの骨格(更新世後期)。佐野市葛生化石会館

次第に寒くなり…

 直良氏は、前出の著書で、こう指摘しています。 「日本の洪積世はその前半は南方系のゾウの分布が示しているように、概して熱帯性獣類の棲息に好条件をもった環境が、久しく続いていた。したがってこのような気候風土では、北ユウラシア系に属するオオカミにとっては、割合にすみにくい世界であったといえよう」 ところが、日本の洪積世(更新世)も中期ごろから、しだいに寒くなってきたようで、続いてこう述べています。 「そのために北ユウラシア系好寒性の野獣化石の発見される地点からは、多少の差異はあってもオオカミの化石骨の出土が多い。発見される量も多いが個体の異常な発達が特に目立つ」

3 Responses to “続・化石オオカミ/ナウマンゾウと一緒にきた?/5”
Katymosscow Says:
5月 11th, 2009 at 2:54:04
被銜纓逶 髓珥褂 冽 艢 辣粳缺 碼韲驪 — 硼辮碼 艢 跂�,
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◎日本列島にいた狼たち/ジャーナリスト橋本伸/6/九州産ニホンオオカミ/北九州市から過去最大の頭骨

江戸時代の読本作家、滝沢馬琴を有名にした『鎮西八郎為朝外伝椿説弓張月』(1805年起草)に2頭のオオカミが登場します。

馬琴は知っていた?

 為朝が豊後の国(現在の大分県)の山中で道に迷ったとき、2頭のオオカミの子がシカの死体を前に血まみれで争っているのを仲裁したところ、2頭は争いをやめ、以来為朝が追い返そうとしても、離れずに為朝の住まいまでついてきました。2頭は山雄と野風と名づけられ、猟犬のように、シカやイノシシを捕らえては為朝の下に運んできたと書かれています。

 滝沢馬琴は、九州にニホンオオカミが生息していると知っていたのでしょうか。豊後の国の隣の肥後(現在の熊本県)藩主細川重賢の動物の写生本『毛介綺煥』(1758年)にオオカミの図があることから、知っていたかもしれません。

 それはともかく、熊本県でオオカミの骨が発見されたのは近年になってからです。1967年に八代郡泉村(現・八代市泉町)矢山岳のたて穴で発見(報告は1969年)されたのが第1標本です。

 第2標本は同じ八代郡泉村京丈山洞窟からニホンオオカミの全身骨格が発見されたもので、1990年代末に骨学的検討と年代測定が試みられています。

 熊本市立熊本博物館の「熊本博物館報」(1999年7月)に掲載された報告によれば、このオオカミの頭骨全長は218・8㍉で、平均より少し大きいといえます。

室町から江戸初期に

 さらに、放射性炭素法を使って、骨の年代測定を行った結果、室町時代から江戸時代初期にさかのぼる可能性が示されたといいます。室町時代から江戸初期といえば、その大半は各地で戦乱が相次いだ時代です。そんな時代に平均より大きなニホンオオカミが九州の山野を駆け回っていたことになります。

 注目されるのは、そんな九州から、過去最大のニホンオオカミの頭骨が出てきたことです。

 2004年6月27日、北九州市で開かれた日本古生物学会で、同市小倉南区平尾台の石灰岩洞窟で1972年に発見された動物の頭骨がニホンオオカミの頭骨で、うち1点はニホンオオカミでは過去最大の頭骨であることが発表されました。報告したのは、群馬県立自然史博物館の長谷川善和館長らのグループでした。

 同博物館の研究報告(8号)から、詳細をみてみると――。報告された標本は4点で、うち3点は福岡県北九州市の平尾台の頭骨で、1点は熊本県泉村矢山岳産の頭骨と体骨格の一部です。いずれもニホンオオカミの骨と鑑定されていますが、注目されるのは平尾台のこむそう穴から発見された第2標本です。

ずば抜けた頭骨が

 これまで、高知県仁淀村から発見された頭骨(全長235・8㍉)が過去最大級とされてきました。ところが、こむそう穴の第2標本は、吻の先が欠落しているものの、下あごの長さは仁淀村のものより大きく、そこから推定すると、頭骨全長は242・1㍉と、これまでのニホンオオカミでは最大級となります。

 同研究報告が掲載している各地のニホンオオカミの頭骨30点の表によれば、全長が230㍉を超えているものは4点しかなく、242㍉はずば抜けているといえます。

 平尾台の洞窟からは、ステゴドンゾウやナウマンゾウも発見されています。しかし、こむそう穴の第2標本が発見された地点で採集された動物遺骸は、野ウサギなど現生種ばかりであり、「更新世まで古くはならない」としています。同時に、各標本とも化石化の程度は弱く、江戸時代から明治時代初期に捕獲されたものより、「古いものと思われる」としています。

 室町時代から江戸時代にかけてのニホンオオカミの中でも、最大級のものが日本列島の南方に位置し、一種の島国である四国や九州に生息していたということは大変興味深いことです。

◎日本列島にいた狼たち/ジャーナリスト橋本伸/7/イヌのルーツは?/東アジアのオオカミが有力

 人間が最初に家畜化した動物といわれるイヌ。では、イヌの祖先はどんな動物なのか。これについては、さまざまな議論がありました。イヌとオオカミとジャッカル、コヨーテは交配が可能なことから、オオカミ説やジャッカル説、オーストラリアの野生犬、ディンゴ説などが生まれました。

世界のイヌの71%が

 ノーベル賞も受賞した世界的な動物学者、コンラート・ローレンツは、イヌの多くはジャッカル系で、わずかにオオカミ系も存在しているとして、ジャッカル祖先説を普及させました。しかし、その後の研究で、ジャッカル説を撤回しています。ディンゴ説は、いまではディンゴはイヌそのものであり、人間とともにオーストラリアに移住したイヌが野生化したものと考えられています。

 この点で、米科学誌『サイエンス』2002年11月22日号が興味深い論文を掲載しました。母親だけから受け継がれるミトコンドリアDNAの分析から、世界のイヌの祖先をたどると、少なくとも5頭の雌オオカミに行き着くというのです。

 それによると、スウェーデン王立工科大学のサボライネン博士らは欧州、アジア、アフリカなどの計654頭のイヌと、ユーラシア大陸の38頭のオオカミのミトコンドリアDNAを解析。塩基配列を比較検討し、五つまたは六つのグループに分類できることを解明しました。このうち東アジアのオオカミを祖先とするグループに、世界のイヌの71%が属していました。

3万年前に家畜化

 実は、1990年代のイヌとオオカミのDNA分析で、「イヌにもっとも近縁なのはオオカミであり、少し距離をおいてコヨーテ、つぎにジャッカルの順に近縁になっている。DNAの解析からは、オオカミだけがイヌの直接の祖先であると結論できるようだ」(猪熊壽著『イヌの動物学』)ということや、「イヌの家畜化は世界のいろいろな場所で異なる時期に生じた、あるいは一度家畜化されたイヌは各地で何回もオオカミと交雑されたことが示唆されている」

(同)ことなどがわかっていました。『サイエンス』論文は、こうした研究を土台にさらにくわしく調べたものでした。
 また、この『サイエンス』論文は、考古学的記録はオオカミの家畜化の時期を1万4000年前から9000年前と推測しているとのべたうえで、一方で私たちのデータは4万年前、もしくは1万5000年前に東アジアにおいて一頭のタイプのオオカミから始まったことを示唆している、とのべています。そのうえで、最終的には、オオカミの家畜化は1万5000年前の方が可能性が高いと結論づけています。

 実は、考古学では、1万5000年前よりも古いイヌの化石が発掘されています。
 猪熊氏は先の著書で、こう指摘しています。

 「考古学的研究によると、イヌはいまから約3万年前には人類の住居の周囲で暮らしていたようである。アラスカのユーコン地方で、少なくとも2万年前のイヌの化石が発掘されている(Kurten and Anderson 1980)。アメリカインディアンがアジアからアメリカへ渡ったのは約2万6000―2万8000年前なので(Muller―Beck 1967)、アラスカのイヌはヒトとともにアジアから移動した可能性が強い。イヌはそれより前の時代に、すでにヒトと共存していたのである」

柴犬の方が近縁

 一方、『サイエンス』2004年5月21日号は、米国の研究チームが85種414頭のイヌとオオカミのDNAを比較した結果、シェパードよりも柴犬や秋田犬、チャウチャウの方がオオカミに近いとする論文を掲載しました。

 外見がオオカミに似ているシェパードより、柴犬や秋田犬の方がオオカミに近縁なのは、イヌの有力な祖先が東アジアのオオカミだったせいでしょうか。

◎日本列島にいた狼たち/ジャーナリスト橋本伸/8/縄文イヌはどこから/家畜化したニホンオオカミ?

 氷河時代末のドイツ・ライン地方の集落遺跡「ゲナスドルフ」は、火山から噴出した軽石に覆われ、さまざまな遺物、住居跡が良好な状態で残っていたことで知られています。放射性炭素の年代測定によると、住居跡は紀元前1万400年のもので、当時は、温暖期に属していました。

歯に家畜化の兆候

 注目されるのは、ここから発見された二つのオオカミの歯です。オオカミを家畜化すると、その兆候は歯にも現れますが、ゲナスドルフのオオカミの歯は、わずかしか変形していないので、「すでに『イヌ』、あるいは幼獣を捕まえて人間が飼い慣らしたオオカミであると、明言できないこともない」(『ゲナスドルフ―氷河時代狩猟民の世界』)と指摘されています。

 明治大学名誉教授の大塚初重氏は、近著『考古学から見た日本人』で、3万年以上前に住んでいた旧人・ネアンデルタール人がすでにオオカミを飼い慣らし、マンモスを狩っていたという説があることを紹介しています。
 実際、ネアンデルタール人が3万年前に飼っていたイヌの骨を、東京大学理学部の調査隊がシリアで発見したという指摘もあります(佐原眞著『体系日本の歴史①日本人の誕生』)。

 ネアンデルタール人がイヌを飼っていたとすれば、新人と呼ばれる私たちの直接の祖先が、親とはぐれた子オオカミや巣穴の子オオカミを捕らえて飼い慣らし、狩猟に使ったことは、十分考えられます。

飼い慣らす努力が

 日本でも「長野県茅野市近郊の遺跡では、ニホンオオカミを飼い慣らして、家犬化することに努力している」(直良信夫著『狩猟』)という例も発見されています。

 では、縄文イヌは、ニホンオオカミを飼い慣らし、家畜化したものなのでしょうか。そういう気がしないでもありません。

 しかし、「骨学的研究によれば、和歌山県産のイヌにニホンオオカミの特徴らしきものがわずかに出現するけれども、現在の日本犬にニホンオオカミの血は一滴も混ざっていないというのが定説である」(今泉忠明著『イヌの力』2000年刊)という指摘もあります。

 確かに、縄文時代早期に発見された日本最古の縄文イヌ(約9500年前の夏島貝塚遺跡)が完全に家畜化されたイヌであることから、大陸から渡来したと考える方が自然かもしれません。

 岐阜大学農学部の田名部雄一教授(当時)の「血液タンパク質」に注目した研究によると、本州の日本犬の祖型は、南方から渡来したヘモグロビン遺伝子と朝鮮半島から渡来したヘモグロビン遺伝子の両タイプの混血によって生じたものと推測されています(猪熊壽著『イヌの動物学』2001年刊から)。

大きさ柴犬ほど

 今泉氏は、縄文人とともに各地にすみ着いた日本犬の祖先たちはその後に朝鮮半島経由で渡ってきた弥生犬の交雑を受け、日本犬が誕生したとしています。

 では、縄文イヌの容姿はどんなものだったのでしょうか。肩までの高さは35㌢から40㌢前後と、中型の日本犬ぐらいのニホンオオカミよりさらに小型で、柴犬ほどの大きさです。大塚氏は先の著書で、こう書いています。

 「現在の柴犬など在来の日本犬と比べると、骨が丈夫で、顔立ちもより鼻筋がとおったキツネ顔で、猟犬のようにあばら骨が浮き出るほど痩身だったという」

 また、縄文時代の泥人形やその後の銅鐸に描かれたイノシシ狩りの絵によれば、立耳・巻尾です。
 縄文時代初期に弓矢を手に入れた縄文人は、縄文イヌの助けを得て、シカやイノシシ狩りをしていたようです。縄文イヌが各地で大切に埋葬されていた理由が分かるような気がします。

◎日本列島にいた狼たち/ジャーナリスト橋本伸/9/ルーツを探る/シベリアン・ハスキーに近い

 ニホンオオカミやエゾオオカミは、いったいどこからきたのか。DNA分析で、そのルーツ(祖先)を探る研究はすでに始まっています。

DNA分析に成功

 ニホンオオカミのDNA分析に初めて成功したのは、石黒直隆・帯広畜産大学助教授(当時、現岐阜大学教授)です。5年前の2002年9月19日に発表されました(「毎日」)。

 分析したのは、連載3回目で紹介した江戸時代末期に射殺された高知県仁淀村のオオカミです。同年5月、石黒氏らが骨粉や肉片を採取、ミトコンドリアDNAを分離増殖し、塩基配列を確定しました。その結果、オオカミの特徴を持ってはいるものの、モンゴルや中国のオオカミとは遺伝的に遠く、シベリアン・ハスキー犬にもっとも近いことがわかりました。

 これは、驚きです。というのは、北方系のエゾオオカミに対して、ニホンオオカミの先祖は、モンゴルや中国のオオカミと遺伝的に近いのでは、と思いこんでいたからです。

 シベリアン・ハスキーは、シベリア北東部の極寒の地に住むチュクチ族に数千年にわたって改良されてきたそりイヌで、オオカミそっくりな風ぼうのイヌです。チュクチ族は、高価な毛皮の獲得を狙って、武力でシベリア全土を支配下に置こうと東進してきた大ロシア帝国に対して抵抗を続け、長年にわたって独立を維持してきた民族です。

「エゾ」は大陸系

 その後、石黒氏はエゾオオカミとニホンオオカミの遺伝的違いの解明に着手、2003年3月、日本獣医解剖学会で、「絶滅した日本のオオカミの遺伝的特徴と系統解析」と題して、講演しました。その要旨を紹介します。

 〈目的〉 エゾオオカミは形態的にもニホンオオカミに比べて大きく大陸系のオオカミとされてきた。一方、ニホンオオカミは大陸系オオカミと比べ、体型が小さくイヌに近い形質を有していた。本研究では、絶滅したオオカミの骨よりミトコンドリアDNAを増幅し、エゾオオカミとニホンオオカミの遺伝的な違いについて解析して大陸系のオオカミと比較したので、その成績を報告する。

 〈材料と方法〉 エゾオオカミは、北海道大学北方生物圏フィールド科学センター植物園に所蔵されている四肢骨を2個体分解析した。ニホンオオカミは、第134回日本獣医学会で報告した四国・高知産のニホンオオカミ1個体に加えて、骨の特徴からニホンオオカミと同定され博物館などに保存されていた試料4個体を解析した。ミトコンドリアDNA(mtDNA)の分析は、骨より骨粉を採取し骨に残存しているmtDNAのDグループ600bpをPCR法にて増幅し、これまで報告されているオオカミとイヌの塩基配列と比較して系統解析を行った。

 〈結果と考察〉 今回解析したエゾオオカミ2体は、mtDNAの塩基配列が同じであり、系統解析した結果、大陸系オオカミに分類され、増幅した600bpの塩基配列はカナダ・ユーコン地方のオオカミと同じであった。ニホンオオカミに関しては、2個体は十分な領域が増幅できなかったが、残り2個体は以前報告した高知産のニホンオオカミと系統樹上ほぼ同じグループに位置し、大陸系のオオカミとは異なっていた。

ユーラシアから

 石黒氏らの研究から推測できるのは、ユーラシア大陸にいたオオカミが陸続きだったベーリング海峡を越えて、アラスカに行くとともに、北海道にも進出してきたのだろうということです。

 しかし、ニホンオオカミがなぜ中国やモンゴルのオオカミよりシベリアン・ハスキーと遺伝的に近いのか、わかりません。なぞのままです。今後の解明が期待されます。

2009年6月5日金曜日

【経済事件メモ】 水谷建設と白川司郎

水谷建設と白川司郎

経済事件は5年乃至10年周期で、同じ人脈、同じ手口で繰り返されることが多い。そういう意味では、当局の捜査対象なったり、マスコミ報道された企業や人物以外の周辺人脈まで、チェックしておくと後の事件の全体像を把握する上で、役に立つことが多い。

 さて、今回取り上げる記事は、東京地検特捜部の捜査対象として注目されている水谷建設と周辺人脈について「潮流ジャーナル」で取り上げたものだ。今から10年ほど前、1995年の秋から半年以上かけて取材した内容を、1996年2月から数回連載されている。

 水谷建設について企業研究の対象としたのは同誌が最初だったと思う。プロ向けの専門記事として書いたので、事件関係に詳しい記者しか、この記事には関心をもたなかった。ただし現在関心を持たれている企業、人脈の原型となる構図はここに現れているはずだ。

 日付や役職、企業名などは執筆当時のままである。

★住専リスト『窪田』の背景に注目される、建設、政界人脈の広がり
 白川司郎、水谷建設など話題の人物、企業が登場

 『住専』とつけば、何でもマスコミは飛びつくご時勢である。住専がらみといえばそれだけで、悪の代名詞のように騒がれる風潮は疑問だが、先頃公表された、大口融資先リストに登場する企業およびその周辺グループの概要を調べると、なかなか興味深い会社が幾つも登場している。その中には本誌も過去に取り上げたものも数多くあるのだが、ここでは、京都の窪田グループを見てみたい。

 何故窪田グループなのか。

 大蔵省発表のリストでは、窪田グループは総合住金の融資先として5位にランクされている。もっともトップの末野興産からみると残高にして130億円であり、住専全体でみるとさらに下位になる。であるから、これまでの住専報道では目立つ存在ではなかった。しかし、民間調査会社の調査報告書によれば、他の金融機関からの負債も合わせると総額では1000億円以上ともいわれる。

 本誌では、これまでも別の記事で、太陽グループと日本リースの不良債権処理についてレポートしているが、これは『住専』の不良債権問題はさらに大きな銀行、ノンバンク全体の問題として評価すべきと考えるからだ。

 また、同社の登記簿謄本の役員欄を溯って見ると、政界、財界と太いパイプをもつといいわれる人物が登場する。

 また、その人物とのかかわりから、窪田グループが手掛けているゴルフ場の造成工事にここ数年の“急成長”ぶりが業界で注目されている建設会社も登場する。

 そういう意味で、この窪田グループのゴルフ場、住専問題以上に情報関係者の関心を呼んでいる。

 テレビタレントの北野誠氏が夕刊紙で、「財テクのつもりで買ったゴルフ会員権が値上がるどころか、完成できず、被害者の会の通知が送られてきた…」とネタ話にしていたゴルフ場がある。

 『ノース広島カントリークラブ』(広島県三次市)は平成4年に開発許可を得て、全体36ホールのうち平成7年秋には18ホールがオープンする予定だった。ところが、資金難で造成工事が遅れ、現在ストップ状態にある。昨年暮れに会社側と会員有志との間で話し合いがもたれるなど、会社側は事態の悪化を防ごうとしている。

 会員も会社側に協力して、完成を待とうというグループと、解約を要求するグループと2派あるようで、一本化はできていない。そういうところへ噴出したのがこの住専問題。オーナー会社の窪田グループが大口融資先リストに乗っているわけで、このゴルフ場の先行きは厳しいものになりそうだ。

 北野誠氏は同じタレント仲間のやしきたかじんから紹介されたという。夕刊紙記事では損したかのようにぼやいているが、実際は早々と解約したらしい。このゴルフ場、広島の山奥にあるにもかかわらず、外に上岡龍太郎、西城秀樹の関係者など芸能界関係者の会員も多いようだ。

 開発会社はノース広島開発(株)(広島県三次市秋町字梅ヶ原1111番地の1 代表取締役 窪田孝治氏 資本金1000万円)といい、一度同地で頓挫したゴルフ場物件の所有会社を買収したものだ。

 その新しいオーナーが窪田グループ。中心の(株)窪田(京都市中京区河原町2条下ル一之船入町366 代表取締役窪田孝治氏 資本金9500万円)は、京都に貸しビル数十棟、沖縄などでリゾートホテルを経営する不動産業者。創業者の窪田操氏は現在は代表取締役を退いているが、実質的実権はいまだに同氏が握っているという。 バブル時代に急成長し、その青年時代が劇画のモデルにもなったともいう。自伝を出版したりもし、いわゆる立志伝中の人物であるが、その反面、謎めいた部分も多いといわれる。

 民間調査会社の調査報告書によれば、グループでの負債総額は1000億円を超える。「住専」関係では前述したように総合住金からの融資約130億円が焦げ付いており、そのうち84億円が損失見込額とされている。
 大蔵省の査定では『既存の融資対象物件の事業計画が進展せず、多額の資金が固定化している先に対し、資金使途や融資額の妥当性把握のための資料等を徴求することなく、多額の資金に応需しているもの』とされている。実態がよくわからないまま貸し込んだ、ということである。

 ちなみに同社の本社ビルには平成6年8月30日付けで京都市の差押、さらに9月21日には京都府の差押登記が設定されている。

 現状は、ビルの家賃収入やホテルの収入でしのいでいるということなのだが、金利の支払いもままならない状況であるともいわれる。銀行、ノンバンクなども差押、競売などの回収を急ぐ様子もない。このあたり、マスコミでも話題になっている住専の大口貸付先と似たような状況である。一般個人あるいは小口の業者であれば、たちまち差押、競売と取り立てを急ぐにもかかわらず、窪田に対しては協調的ともいわれている。それゆえか、同社は単なる不動産会社以上の人脈、や力をもっていると、京都の同業者や金融関係者ではささやかれている。京都市郊外に広い土地を買収しはじめているという噂すらあるのである。今のところ、確証のある話ではない。やっかみもあるのかもしれないが、こうした話がまことしやかに流れるように、この窪田という会社の“実力”は通常の不動産会社とはやや異質なものとして見られていることは確かだ。

 グループ本体が登記簿謄本などをみる限りでは、差押などの設定がなされているにもかかわらず、「ゴルフ場を必ず完成させる」という根拠となる資金的背景がどこにあるのか興味深いものがある。中断している工事も新しい業者が決まったようで、再開するとしている。

◎日安保、水谷建設をつなぐ人脈 

 もともと、このゴルフ場について、建設工事発注先としては、日鉄商事が広島県には届けられていた。ところが、実際の工事は東海興業と水谷建設が受注している。

 バブル崩壊によって、日鉄商事側の状況が変わったのだという。ちなみにこのノース広島カントリーの土地には一切抵当権等がついていない。日鉄商事側もファイナンスがつけられなかったということである。
 窪田側としては、既に会員権を売り出していることから、どうしても着工しなければならなかった。そこで、ある人物が登場する。

 (株)窪田の登記簿謄本によれば、平成5年5月6日から同年9月21日まで、白川司郎という人物が代表取締役として就任している。

 「会長の人脈から日安保という会社の白川氏の紹介で、東海興業と水谷建設が工事を請け負うことになった」とノース広島開発では説明する。

 日安保とは日本安全保障警備(株)の略称であり、青森県6カ所村の原子力再処理施設を警備する会社である。この会社は元警視総監などいわゆるヤメ警組といわれる人脈の警備会社。しかし白川司郎氏は警察官僚出身ではない。同氏は三塚博氏の元秘書であり、平成3年頃吹き荒れた三塚博スキャンダルの中で、マスコミの情報源ともなった人物。三塚氏に限らず、政財界に太いパイプをもつといわれている。

 その白川司郎氏が、建設会社を紹介するだけでなく、日安保が保証することで、東海興業、水谷建設の工事受注が決定したのだという。その際に白川氏が窪田の代表取締役に就任する理由が発生したものと思われるが窪田ではそれについては明らかにしていない。

 ともあれ、東海興業が防水工事とゴルフクラブ、水谷建設がゴルフ場造成工事を受注して平成5年秋には着工したわけだ。

 ここで登場する、水谷建設という会社、なじみのない社名だが、注目しておきたい。

 同社は三重県桑名市に本社をおく建設会社。売上420億円は、いわゆる大手ゼネコンから比べるとさほどでもないが、同社は土木下請け工事を専門とするサブコンとして全国展開する数少ない会社の一つという。バブル末期に急成長し、バブル崩壊後も、その業績を維持しつづけるということで、ここ数年急激に力をつけてきたと、業界の注目を集めている建設会社なのである。 なぜ、注目されるかというと、大きなダムなどの工事で、業界関係者にいわせると「取れるはずがない工事を受注している」というのである。知っての通り、建設業界は長年談合で成り立ってきただけに、大きなプロジェクトになると、受注業者はだいたい読める仕組みになっている。それが、意外ところで、同社が工事を取るケースが多いというのである。

 たしかに、建設業界はゼネコン疑惑以後の、一般競走入札導入の動きで、情報漏れもおおくなり、入札が中止になるような混乱もある。それに加えて、同社が技術力、価格競争力といった、本来の建設会社としての地力をつけて来たということもあるのだろうが、それにしても同じ建設業界で噂になるだけの力の背景がどのあたりにあるのか、関心をもたれていたことも事実である。

 で、この窪田のノース広島カントリークラブ工事から、はからずもその人脈の一端が見えて来たのである。ノース広島カントリークラブ、窪田、水谷建設を結ぶ人脈を探ることで、単なる『住専』の不良再建問題を超えた人脈の構図が見えてきそうな気配である。

★住専リスト『窪田』の背景で注目される建設・政界人脈の広がり
 『涼仙ゴルフクラブ』にみる水谷建設成長の原点

 東の桃源社、西の末野興産という東西の“住専借金王”に捜査の手が入り住専問題もひとつの山場を迎えたが、こうした住専融資先リスト上位に登場する会社に集中した巨額資金の行方に加え、彼らに特権的な利益を与えた人脈、金脈の解明こそが、今後の課題である。渦中の2大借金王については、捜査当局の動きを注目するとして、本誌では興味深い人脈が浮上した「窪田」グループの周辺をその象徴的な開発プロジェクトから見て行く作業を続けよう。

◎もうひとつの「ゴルフ場」と水谷建設

 水谷建設(株)は三重県桑名市に本社を置く建設会社である。

 創業は昭和21年5月、法人設立は昭和35年12月である。資本金は4800万円。

 同社は総合建設業のゼネコンに対して、サブコンと呼ばれる専門工事業者である。公共工事などでも、元請けのゼネコンから発注をうけ、実際の工事を行う下請けの施工業者である。建設業界は元請け、下請けあわせて50数万社といわれ、受注高数千億円のスーパーゼネコンと呼ばれるところから、数千万円の零細業者まで、数多くの業者がひしめき合っているが、水谷建設は、一般的な下請けというイメージとは程遠く、大型機械を駆使した土木工事の分野で、トップクラスの業績を上げている。

 民間調査会社の調査報告書によれば、同社は創業社長の水谷一三氏の死亡後、長男の水谷正氏が昭和48年代表に就任した。 その後平成元年には水谷正氏も死亡したため、実弟の水谷勤氏が代表取締役に就任。残る2人の兄弟、紀夫、功の各氏らと協力して経営にあたってきたという。そして、ここ数年、業界でも注目を集める業績を残している。

 その一つが、地元での、自社関連ゴルフ場の開発、オープンである。

 その『涼仙ゴルフクラブ』(三重県員弁郡員弁町)は、平成4年7月の開業で、会員権の募集価格は4000万円といわれている。(実際の売り出し価格は3500万円前後)ともいわれているが、業界誌記者によれば、平成2年春が会員権相場のピークで、その後のバブル崩壊で相場は暴落している。『涼仙ゴルフクラブ』の開発はその丁度端境期にあたり、その価格は、当時としてみれば、業界関係者からすれば、異常な高値とはいえないものの、桑名周辺には『桑名国際』をはじめ、有名ゴルフコースが集中しており、かなり強気の展開だったとはいえそうだ。

 なにしろ「クラブハウスだけで40億円はかかっているらしい。どこからか琴の音が聞こえてくるような凝った作り」(地元住民)という評判になるほどであるから、相当資金を次ぎ込んだことは間違いないようだ。

 しかし、会員募集は、91年11月という微妙な時期からとはいえ、3500万円とも4000万円ともいわれるそれの縁故募集500名が「ほぼ完売した」(業界誌記者)という。「地元の有力銀行が協力して法人への『はめ込み』が行われることはよくあります」(同)ということもあるというが。

 ところで、この『涼仙ゴルフクラブ』実際の経営は大東開発(株)(三重県桑名市大字福島753-2)という会社が行っている。代表取締役は水谷紀夫氏。3兄弟の一人である。

 ゴルフ場の土地には大東開発(株)を債務者に平成3年8月31日付けで、東海銀行が極度額120億円、大垣共立銀行が同60億円、三重銀行が同60億円の根抵当権を設定している。極度額合計で240億円ということになる。民間調査会社の調査報告書によれば、長期の借入金は215億円に上っているという。

 それだけの資金調達をした上で、大東開発が建設会社に工事発注したわけだが、この場合、『ノース広島』の時と異なり水谷建設が“元請け”にはなっていない。工事はゼネコンの前田建設工業と鹿島のJVで受注しているが、実際の造成は水谷建設が「下請け」しているわけだ。

 わざわざ、建設コストを高くしてもゼネコンを入れるあたり、日ごろのお得意先へのサービスということもあるのかもしれないが、前田建設工業と鹿島とは、特に水谷建設との関係が深いといわれている。

 しかし、じっさいのコストは、建設会社が、自社の建物を建てるのと同じで、かなりコストダウン出来てもおかしくはない。そうなると、200億円以上の建設費用はバブル当時とはいえかなり余裕があったのではないかといわれる。さらに、会員権も「完売」したのであれば、このゴルフ場開発によって、それなりの資金を同社は確保できたのではないか、と見る向きもある。 実際、登記簿謄本によれば、『涼仙ゴルフクラブ』の土地に設定された根抵当権はまだ抹消されていない。(もっとも、根抵当権の極度額であるから、返済が終わっていないということにはならないが)

 業界関係者によれば、水谷建設の進撃が始まるのは、このゴルフ場の建設と前後してからだという。しかも、ノース広島カントリークラブで因縁の深いことを示した、白川司郎氏の存在もその成長を支えた一人であるという。同氏の存在というものが、一建設業者の成長とどのようにかかわっているのか。ゴルフ場開発でみられる資金的余裕(?)と白川司郎氏との接点は同社の業績にどのように結び付いてゆくのか。

 ちなみに民間調査会社の調査報告書によれば、平成6年10月末の手持ち受注残450億円のうち、8割以上がダム工事、電力関係となっている。情報通によれば同社の成長を見るうえで特に注目すべきは、東北地方の巨大プロジェクトだというのであるが…。

2009年6月4日木曜日

【第三委員会】 総務省担当者

【総務省担当者からのヒアリング】
行政企画局政治資金課課長補佐 市川 靖之 氏
(質問 .1)
-(政治資金)収支報告書上、寄附の内訳への記載が求められる寄附者の氏名について、資金の拠出者と実際に寄附を行った者とが相違する場合に、資金の拠出者を記載することが求められているのか。
(回答)
-総務省に問い合わせてもらっても、寄附をした者を書いてくださいとしか言えない。会計責任者が法の趣旨に則り実態を把握して記載してくださいとしか言えない。
(質問 .2)
-政治資金規正法上、寄附者となることができない政治団体は存在するのか。仮に存在するのであれば、どのような政治団体が該当するのか。
(回答)
-政治団体の定義は、資料の3条等で法律上定義されている。また、寄附をできない政治団体は、設立届けを出していない政治団体、二年間収支報告を行っていない政治団体である(3条、5条、6条、17条2項等について説明)。
(質問 .3)
-ある企業・団体が、人員、資金などをすべて負担して政治団体を設立し、完全に支配している場合、その政治団体が行った寄附については、政治資金収支報告書には、「寄附者」をどのように記載すればよいのか。
(回答)
-個別の事案については回答できないが、完全に支配しているという意味も明確ではなく回答しにくいが、政治団体であればこの法律の趣旨に則って報告書の記載・提出をお願いしたい。
(質問 .4)
-政治資金規正法22条の6に定める「本人の名義以外の名義・・で」、「匿名で」とは、それぞれどのような行為を言うのか。
(回答)
-本人の名義以外の名義を使うケース、氏名等を表示しないケースが該当する。

【委員会側コメント】
 「政治資金の寄附についてAが資金を出して、その資金でBが寄附をしてきたという場合、それを受け取った政治団体の会計責任者は、収支報告書に寄附者としてAを記載すれば良いのかBを記載すれば良いのか」との質問を、総務省担当者に対して繰り返し行ったが、「法の趣旨に則り、実態に基づいて適切に記載して頂きたい」との回答を繰り返すばかりであった。これでは、全国に無数に存在する政治団体、政党、政党支部の会計担当は、寄附者について収支報告書にどう記載したら良いのかまったくわからない。それを会計責任者が自分で判断し、間違っていたら罰則が適用されるというのでは、とても会計責任者はやっていられない。これは、今回の事件を機に検討が開始されている、企業団体献金の全面禁止をめぐる議論にも重大な影響を与えかねない(個人献金も、その資金の出所がわからないと受け取れないということになる)。
 政治資金規正法の解釈・運用に関して重大な問題があることが、今回のヒアリングで明らかになったというべきであろう。



政治資金規正法を所管する総務省の担当者(自治行政局選挙部政治資金課の市川課長補佐)が出席。

委員たちは、この法律が収支報告書に記載せよと定める「寄付者」が、形式的に寄付行為を行った者なのか、それとも実際のカネの出所か、どちらを指すのか明確にしようとしている。

しかし、判明したのは、この法律は非常にあいまいな部分が多く、場合によっては捜査当局が都合良く運用しうる、ということだった。

西松事件において、2つの政治団体(=寄付行為者)が報告書に記載されているのだから、西松建設(=資金拠出者)が伏せられたことに問題はなかったと明言してきた委員の1人、郷原氏は、ちょっとげんなりしたのではないだろうか。

◆罰則規定があいまい

郷原氏(G)と総務省担当者(A)のやり取りはこう。

G:我々が聞きたかったのは、寄付の行為者と資金の拠出者が違う場合、寄付の行為者だけでなく資金の拠出者も収支報告書にも書かなければならないのか?
A:拠出というのが、多種多様な世の中、形態がある。拠出という一語を持って、先生が考えているような結論になるかどうかは定かではない。
G:要するに、寄付をしたという金銭の移転という外形的行為をした人を書けということで、それ以外の人を書けとは政治資金規正法は求めていないのでは?
A:法律のことしか我々は言えないが、寄付というのはこういう定義で、寄付をした者を記載しろとなっている。
G:ということですよね。それ以外の人を書けとはなっていないんですよね。
A:寄付をした者を記載しなさいとなっている。
(委員苦笑)
G:その寄付をした者の意味は供与と交付とあるわけで、外形的に金銭を移転させる行為を自分の名前で行う場合……。
A:まあ、条文上は外形的にとは明文としては書いていない。金銭物品その他財産上の利益の供与または交付という風に書いている。
G:とすると、単純化して言った場合、Aという人がBという人にお金を渡して、Bという人が政治団体や政党などに寄付した場合、それを受け取った側は、もしお金が出ているのは実はBじゃなくてAなんだとある程度認識していた場合、どう収支報告書に記載すべきか尋ねられたら、どう答えるのか。
A:我々としては、寄付はこういう定義で、寄付をした者を記載してくださいと答える。

こうした役人然とした煮え切らない対応に、郷原氏は当然、こう突っ込む。

「行政庁が基本的にこうすべきだという解釈を示すべきだと思う。それがなければ、罰則の適用を捜査機関、司法当局がどうにでも解釈してしまう」

委員たちにあれこれ言われ、総務省担当者は最後はこう嘆く。

「(政治資金規正法は)議員立法で、主たる改正も国会で議論されたという経緯を考えると、何というのか、政府提案の法律に比べると、言い難い部分があるが……」

つまり、自民の議員先生方が勝手に穴だらけの法律を作ったんだから、役人側としては何とも言えない部分があるんだ、と。

「トンネル献金」など日常茶飯事の自民党の先生方が、自分たちが摘発されないように抜け道のある法律をつくったわけだから、法解釈があいまいになるのは当然なのだ。


以下、もう少し詳しいテープ起こし。

※A=総務省担当者、G=郷原信郎・名城大教授、S=桜井敬子・学習院大教授、I=飯尾潤・政策研究大学院大教授

G:金銭が移転する、経済的利益が移転する、という場合の広く含む概念が「寄付」ではないのか。
A:供与、交付どちらも含むので、おっしゃる通りだろう。
G:我々が聞きたかったのは、寄付の行為者と資金の拠出者が違う場合、寄付の行為者だけでなく資金の拠出者も収支報告書にも書かなければならないのか? 資金の拠出者が違う場合であっても、記載しなくて良いのか?
A:拠出というのが、多種多様な世の中、形態がある。拠出という一語を持って、先生が考えているような結論になるかどうかは定かではない。
G:要するに、寄付をしたという金銭の移転という外形的行為をした人を書けということで、それ以外の人を書けとは政治資金規正法は求めていないのでは?
A:法律のことしか我々は言えないが、寄付というのはこういう定義で、寄付をした者を記載しろとなっている。
G:ということですよね。それ以外の人を書けとはなっていないんですよね。
A:寄付をした者を記載しなさいとなっている。
(苦笑)
G:その寄付をした者の意味は供与と交付とあるわけで、外形的に金銭を移転させる行為を自分の名前で行う場合……。
A:まあ、条文上は外形的にとは明文としては書いていない。金銭物品その他財産上の利益の供与または交付という風に書いている。
G:とすると、単純化して言った場合、Aという人がBという人にお金を渡して、Bという人が政治団体や政党などに寄付した場合、それを受け取った側は、もしお金が出ているのは実はBじゃなくてAなんだとある程度認識していた場合、どう収支報告書に記載すべきか尋ねられたら、どう答えるのか。
A:我々としては、寄付はこういう定義で、寄付をした者を記載してくださいと答える。
G:それ以上に、収支報告書に記載すべき人はこういう意味なんだとは教えないということ?
A:教えないというか、条文としてはここまでしか書いていないので、個々具体の資金の拠出の形態がさまざまあるのは容易に想像されますし、用件を我々が個々具体的に把握するのは不可能なので、法律上はこうなっているという紹介にとどまるしかない。
S:そうすると、形式が整っていることに行政、総務省としては関心を置いて法の運用をしていると理解してよいのか?
A:そこはですね、関心があるというより、非常に政治活動の自由と密接に関係しているので、行政府がこの政治団体の活動に一般的に考えて関与するのはいかがかという風に考えている。ですから、法律上の書類上の形式審査しか認められていないんだろうと考えている。関心がないというより、法律上、そういう権限しかないと。
(略)
A:補足して説明すると、基本理念、この法律の基本的な考え方は、収支の状況を明らかにすることをむねとし、これに対する判断は国民にゆだねる。適切に執行していくことが我々の考えだろうと。
G:その収支の状況を明らかにするというのが、どこまで求められているのかが分からないと、どうやっていいのか分からないということになると思うが。収支報告書を提出する方は。どう記載すればよいか疑問に思った場合は、どこに聞けば良いのか。
A:我々も法律に書いてある範囲でお答えする。
G:そのときに、非常に迷うと思う。資金の拠出者と寄付の外形的行為をした人が違う時には、どうしたらいいのかと聞いて、法律に書いてある通りと言われても、書きようがないとなってしまうと思う。これじゃ収支報告書我々書けませんと言われたらどうするのか。
A:収支報告書を作成するのは会計責任者なので、そこは法律の趣旨に乗っ取って会計責任者が判断してもらう。
G:会計責任者が、この法律上求められている義務がどういうことなのか分からないとなった場合、誰かに教えてもらわなければならない。どうするのか。
A:繰り返しになるが、我々としては寄付の定義を述べ、その寄付をした人を記載してくださいと言うにとどまる。
I:それはやっぱり寄付する人がそういう風にその趣旨に対してきちんと行動するということですね?
A:はい。2条2項に書かれているが、政治団体はその責任を自覚し、政治資金の収支に当たってはいやしくも国民の疑惑を招かないよう法律に基づき公明正大に行わなければならないという基本理念がある。そこに基づいて会計責任者が適切に判断してもらいたい。
S:じゃあ、自己責任でやってくれということですか? 罰則があるので、構成要件としての意味合いもありますよね? その法の解釈が。予測可能性が担当者の人には答えられない感じがするのだが。関連して29条に、報告書の真実性の確保のための措置とあるが、真実性とは何か。定義は。
A:実態に即して記載していただくということ。
S:実態とはどこまでが実態か?
A:実態を把握しているのが会計責任者。
G:まさにその通りだが、でも、何が求められているのか分からなければ、実態をどう表現していいのか分からないのでは。
S:だから、25条の虚偽記入の「虚偽」の概念がまさに問題になるのだが、そこをどうするかで刑罰を受けるかもしれないという、そういう制裁がありうるという中で(会計責任者は)記載しなければならない。(しかし)具体的な基準が示されていないことになるが。
(略)
G:本来どう罰則が適用されるかということは、政治資金規正法のルールの周知が徹底されて、それを守っていればいいんだけれども、意図的に守らない政治団体とか会計責任者がいれば罰則を適用しますよ、となるはず。ですから、行政庁が基本的にこうすべきだという解釈を示すべきだと思う。それがなければ、罰則の適用を捜査機関、司法当局がどうにでも解釈してしまう。まずは総務省として寄付が何を意味するのか、供与が何を意味するのか、交付が何を意味するのかという条文の意味を説明するのが普通だろうと思うが。
A:議員立法で、主たる改正も国会で議論されたという経緯を考えると、何というのか、政府提案の法律に比べると、言い難い部分があるが……。

【総務省関連】 郷原信郎氏定例記者レクの概要

 西松事件で一貫して、マスコミ報道のあり方と検察の恣意的捜査に異を唱えていた郷原信郎氏が、日本郵政のガバナンスとコンプライアンスを検証をはじめている。この記事をココログから引越しをしたのが2010年に入ってからなので、引越しの時点では総務省の顧問と言う立場である。なお記事は、アップされた日付けとなっている。


2009.6.4
第62回定例記者レクの概要

名城大学コンプライアンス研究センター 郷原信郎
今日は二つのテーマを用意しました。まず一昨日、6月1日の二階経産大臣の派閥に対する西松建設の例の関連団体からのパーティ券の購入について、収支報告書の虚偽記入で告発を受けていた事件について不起訴処分をした件。この件は、政治団体の方の収支報告書の虚偽記入の問題と、お金を出していたほうの西松建設側が他人名義の寄付、この事件では他人名義のパーティ券の購入の容疑にも問われていて、同様に告発をされていたのですが、こちらの方も不起訴になりました。この2つの問題に分けて考えてみる必要があると思うんです。

まず政治団体側の問題です。この「新しい波」という二階氏の派閥の政治団体の側に収支報告書の虚偽記入罪が成立するかどうかということに関して、読売新聞の記事が一番詳しかったのですが、パーティ券の購入を西松建設側に依頼したのは二階経産省の秘書で、新しい波事務局では西松側と接触がなく、2団体がどうしてもダミーだということを認識していなかったという理由で、嫌疑不十分で不起訴になったということだそうです。こちらの方の不起訴はこういう事実関係を前提にすれば致し方ないのかなという感じがします。陸山会の問題では、直接、西松建設関連の政治団体側や西松側との接触があったのは、小沢氏の秘書の、逮捕された大久保秘書だったのだろうと思います。

ところが、今回は派閥のパーティ券の問題で、このパーティの主催をする政治団体というのは、二階さんという政治家そのものでなくて、派閥だということなので、この政治団体の収支報告書の記載などは、二階氏の秘書などではなく、派閥の側の担当者が行っていることになります。こうなると、仮にこの2団体が西松建設のダミーであったとしても、ダミーだということの認識がなかったということは十分考えられるところで、これは仕方がないという感じがします。もちろん、それにはもっと隠された事実があって、この派閥の関係者も丸ごと西松建設との関わりを知っていたとか、そういったところにも関わっていたというような可能性もないではないかも知れませんけれども、少なくともそういうような事実が出て来てないということになると、ここは政治資金規正法違反に問うのは認識の点で無理だというのは、これはいちおう理解できるところだという感じがします。

問題はもう1つの西松建設側の被疑事実です。こちらはこの読売新聞にも書いてあるように、「一方、国沢被告は違法献金の仕組みを考案したが、民主党の小沢一郎前代表の秘書の事件ですでに起訴されているため、起訴するまでもないと判断した」と。だから、起訴猶予だと言うんですけども。こういう理由で起訴猶予にできるかなという感じがします。まず、この西松建設側、国沢社長はもともと確か7千万ぐらいの外為法違反の事実で逮捕されてたんです。それで、今回この小沢代表の秘書が逮捕されたと同時に、再逮捕されたわけです、政治資金法違反で。その事実は陸山会に対する100万円の他人名義の寄付の事実です。そして、起訴の段階で500万円に膨らんだわけです。当初は陸山会に対する寄付でしたが、それをなんとか金額を増やしたかったんでしょう。小沢さんが代表を務める政党支部のほうへの寄付も含めて、他人名義の寄付500万ということで起訴されたわけです。ただ、少なくとも逮捕拘留容疑は100万円の他人名義の寄付だったのです。

一方、今回起訴猶予になった他人名義のパーティ券の購入ですけども、これは収支報告書によりますと、6月21日に愛知のパーティで120万、それから7月28日に東京のパーティで100万、それから6月26日にこれも愛知で60万、7月20日に60万。トータルすると340万になります。となると、起訴事実の500万と340万を比較しても、そんなに小さな金額ではない。3分の2ぐらいですよね。しかも逮捕拘留事実の100万と比較すると3倍以上です。これがなぜ、すでに小沢前代表の秘書の事件で起訴されているために起訴するまでもないというのか。これでは起訴猶予にする理由にならないのではないかという感じがします。

敢えてそこを忖度すると、もともとこの件は外為法違反のほうが本件で、そっちの方が量刑上も重要な事実なんだから、この他人名義の寄付だとか、他人名義のパーティ券の購入の部分は端パイだ。最初から大して重要じゃないんだというのならわかります、そういうのであれば。ただ、そうであれば、最初から100万円だけの事実で再逮捕するのかというところが疑問になりますし、もう1つはもしそういう考え方で外為が主体で、政治資金規正法違反は大して重要じゃないと言うのであれば、6月19日の西松建設側の第1回公判のときにも、全体のうちわずかの部分しか書かないのが当然だと思います。その被告人の起訴された事件の中ではほんのちいさなもので、量刑上もそれほど重要性はないんだけども、そこのところだけを世間に対して目立つようにしたいという他の目的をもって、政治資金のところばかり冒陳の記述を膨らませるということは通あってはならないと思いますし、その辺のバランスが問題になるのではないかと思います。いろんなところで今後のこの事件をめぐる動きにも関わってくるのではないかという気がします。

いずれにしても、二階派の政治団体のほうの虚偽記入について嫌疑不十分は致し方ないという気がしますが、西松建設側の不起訴理由については、私はちょっとおかしいのではないかという感じがします。そういったところに、そもそも自民党側の事件には手をつけたくない、という検察の姿勢がうかがわれるのではないかと思います。
もう1つのテーマが、例の日本郵政株式会社の西川社長が続投する・しないということで、今大変な騒ぎになっていて、鳩山総務大臣がこの続投の人事案は認可しないということを言っているということなんですが。この問題を企業の、会社のコーポレートガバナンスの観点からどう考えたらいいのか。これはちょっとむずかしい問題ですね。今回、私も少し考えてみました。

まず、そもそも日本郵政株式会社というのはどういう経緯でできたのか。日本郵政株式会社法というのは基本的にどういう考え方の法律なのかということを考えてみないといけないのではないかと思います。要は例の郵政民営化の流れの中で、それまで日本郵政公社だったものが、分割されて民営化されたわけです。そのときに公社から民営会社になって、100%株式を国が保有する会社になった。一方で、こういう役員の人事に対する国の介入ということで、会社の取締役の選任・解任、並びに監査役の選任・解任の決議は総務大臣の認可を受けなければ、その効力を生じないということになったわけです。要するに、これは郵政民営化に伴って、それまで公社だったものを完全に民間会社にしていくのだけれども、そのプロセスでまだ公社的なといいますか、公的な性格の強い会社という存在にどうしてもならざるを得ない、その移行期では。その移行期において役員の選任・解任についての所管官庁の認可というような制度を残したということになります。

一方で、すでに民営会社になって、株式会社化されているわけですけども、その株式は国が100%すべて持っているわけです。今回、問題になっているのは、民営会社になった、民間会社になったんだけども、100%国が株式を持っているという状況で、その保有している株式を所管している大臣は財務大臣、そして郵政公社のところからきている、民間会社になっても国の介入、管理が予定されている、その認可権のところは総務大臣の所管。そこで両方の大臣の意見が違っているのをどうしていくのかということになっているわけです。

この問題、どうしてこういった認可をしないということが出て来ているかというと、例のかんぽの宿の問題で、要するにこの問題に関して、日本郵政の西川社長が責任をとるべきだという考え方を鳩山総務大臣はしているわけです。これがむしろ公的な会社としての社長の責任なんだと。こういった問題を引き起こした以上、公的な会社の社長の人事のあり方として辞任するのが当然だという考え方にもとづいて、それを今回の認可のところでそういう結果を実現しようとしているわけです。

そう考えると、株式を担当している財務大臣のところで「株主として異論はない、それでそのまま続投してもらってかまわない」という話と、総務大臣のところでの認可の話とはまったく方向の違う話なんだと思うんです。財務大臣のほうというのは株主の立場ですから、要するにこの会社の経営者として、会社の利益を生んでもらわないといけない、損失を出さないようにしてもらわないと困るという観点から、この西川社長が続投するんだという人事は会社にとって必ずしもマイナスではないという判断をしたということだと思います。

ところが、公的な性格を持った会社ということになると、国民の意思というものをある程度反映させて、多くの国民が疑念を持っている問題について、きちんと決着をさせないと、国民の信頼を得て事業を行っていくことができないという観点から、総務大臣が認可権限に基づいて「この人事はノーだ」と言っているのであり、株主の利益の問題とは別の観点の判断なのかなという感じがします。

私は、この問題に関しては、今の過渡期状況をどのようにとらえるかということにもよるんですけれども、やはり総務大臣の立場での判断が、これがむしろ優先されるべきなのかなと思います。問題はその総務大臣の判断が適切なのかどうかということだと思います。第三者委員会がこのかんぽの宿の売却に関していろんな問題があったことを指摘はしているけども、結論としてはそれは違法ではなかったという判断を示している。そこが非常に微妙なんですね。違法ではなかったかも知れないけども、この西川社長の下で進めようとしてきたかんぽの宿の問題が、そのまま社長が続投することが適切ではないと言えるような問題なのかどうか、ということを改めて総務大臣の判断が適切かどうかということを考えなきゃいけないわけで、財務大臣が、株主の立場でいいといっているから別に問題ないんだという理屈はちょっとおかしいんじゃないかという感じがします。

かんぽの宿問題も非常に微妙なので、これはなんとも言えないところなんですけど、そこをもう一回じっくり鳩山総務大臣は何をもって「これは絶対に続投は認められないんだ」と言うか。それに対して、そうじゃないんだと。これは続投することを容認することが、むしろ公的な性格を持った会社としても適当なんだと言えるのかどうか。そこを詰めて考えていかないといけない。そこがポイントなんじゃないかと思っています。

私の方からは以上です。

□□ プロセスから、どうして総務相が考えが優先されるべきだというふうになるのでしょうか。

郷原 私の考え方は、完全に公社だったところから、完全に民営会社になる。最終的には民営会社として認可というのがなくなっていくプロセスなんです。今どういう段階にあるかということなんだけれども、おそらく日本郵政という会社にはまだかなり公的な性格が残っていて、その公的な性格というところに関して、総務大臣の認可権というのが残っている。とすると、その公的な性格を持っているところというところが、おそらくかんぽの宿の売却問題に関しても、そういう制約の下で売却すべきだということになっているわけでしょう。だから、ここでこの西川社長の下で売却をしようとしたことに関して、ああいう、いわゆる不祥事というのが発生して、それに対して国民の疑惑を招いたということが問題になっているわけで、もしこれが本当に絶対許されないような不祥事を起こしたのに、社長が経営責任をとろうとしないということであれば、それについて総務大臣が、認可権に基づいて「ノー」というのは当然のことではないかと思います。それを「いや、今後ちゃんとやっていくんだから、株主に対して迷惑かけないんだからいいや」ということで考えられるかと言ったら、おそらくそうは考えられないだろうと思います。そういった公的な性格の部分を考えて、やはり認可ということは残っているわけだから、総務大臣がそういう観点から認可しないというのは、理屈上はおかしくはないと思っているんです。それと関係なく、「財務大臣が100%の株式をすべて所管しているんだから、財務大臣がいいと言えば、総務大臣が口を出すべきではない」とは言えないだろうと思います。

問題は総務大臣が言っている「認可しない」というのは、これが適切なのかどうかというのは、もうちょっと議論を詰めないといけないところで、今問題になっているのは、総務大臣と財務大臣が意見が違っていて、調整不可能になってどうしたらいいのかという話をしているんだけれども、僕はむしろ総務大臣の認可権限というのは、ちょっと本件については無視できないだろう。そうであれば、総理大臣が総務大臣とよく話をして、それで納得するかどうかの話であって、財務大臣は引っ込んでいた方がいいんじゃないかということなんです。

□□ コーポレートガバナンスという観点から、つまり日本郵政は傘下に4事業会社をぶら下げている持ち株会社であるわけです。今回、かんぽである日本郵政、持ち株会社のところで不動産事業売却ということで、そこが問われているわけですけれども、一方でそれ以外にも郵便事業会社での郵便不正とか、傘下の事業会社でもいろいろ起きていると。だから鳩山大臣はトータルで日本郵政グループのガバナンスがなっていないという説明をもって、退任の要求をしているわけですけれども、その考え方はどうなんでしょうか。つまり一説には持ち株のトップに傘下の郵便事業のところまで責任を求めるのは酷じゃないかという考え方もあるようですけども、そこはコーポレートガバナンスという観点から見ると、どうですか。

郷原 やはりそれは連結ベースで、グループベースで考えるのが最近の会社法とか、企業のコーポレートガバナンスの潮流でしょうね。それは別におかしなことではない。やはり、もともとは1つの公社だったものが分割されて、それを持ち株会社として、どうやって全体をうまくマネージしていくのかということは、これはやはり持ち株会社自体の問題でもあるし、しかも私は例の郵便不正事件というのは、日経ビジネスオンラインにも前にちょっと書いたのですが、郵政民営化を進めていく過程で、競争原理を徹底するという前提であれば、もう少し料金設定も自由にしないといけないはずなのに、郵便法という古いスキームがそのまま残っていて、たしか第三者郵便は120円、それから大口割引60円と、その下が障害者割引で突然8円になっちゃうわけでしょう。そういうような硬直的な価格設定のもとで、郵便事業会社側で取扱い数量を確保しろと。受注量を確保しろと言われたって、できないでしょう。それで郵便料金の収入の問題と、量を確保の問題をトータルで考えると、8円という料金での受託にもかなり重きを置かざるをえなくなったというようなところが背景にあるのではないかと思います。そうだとすると、これは郵政民営化という国の政策の進め方の問題であって、ある意味では日本郵政株式会社という持ち株会社の経営方針とか、経営姿勢がもっとも問われる問題と言えるのではないか。そういう意味では、その問題も併せて、社長続投を認可するかしないかという判断の材料にするというのは全然おかしくないと思いますね。

□□ 郷原さんは、例えば今のかんぽの宿の問題とか、例の郵便会社の問題とか、そういうことが起きた結果としての日本郵政グループ全体のコーポレートガバナンスの問題について、これはやっぱり問題があるよねと。今、見えてる事実からしても問題あるよねと。ついては、これは今の企業社会の普通の常識であれば、企業責任をとってもいいような、そういう問題を起こしたのであるというふうに見られるのか、いや、そこまでは行かないよねというような問題なのか、どちらでしょうか。

郷原 私はむしろそういう意味で考えると、郵政民営化を円滑に進めていくプロセスに失敗しているんじゃないか。それは国の方針で始めたことなんだけども、それをやはり全体の企業グループのトップとして着実に、円滑に進めていこうというのは経営者の責務じゃないですか。それが果たされてないのでその過程でこんな問題が発生しているわけだから、やはり責任を問われるのは当然じゃないかと思うんです。その責任の重さの判断については事実に基づいて細かく考えていかなければいけないので、その当否について私の立場ではっきりしたことは言えませんが、鳩山総務大臣が「これは辞任に値する。それを辞任させない、続投させるという判断がおかしい」というのは、それなりに理屈は通っているということです。

□□ これ、どこに真実があるのかむずかしいと思うんですけれども、この制度設計に問題があるとしたら、それを来てまだ2年に満たない西川社長に全責任を被せるということになんとなく割り切れない感じがあるんですよね。
郷原 そうですね。だから、そこは私も今回の問題とか、日本郵政株式会社のコーポレートガバナンス全体について細かく検討したわけじゃないので、西川社長が持ち株会社の社長の立場でいったいどこまでのことができたのかについては、ちょっとなんとも言えないんですが、しかし、基本的にこの郵政民営化のスキーム、その船が向かっていく方向自体がまともじゃないんじゃないかと思われるときに、その船の船長さんなんだから、船長さんはやっぱりしっかりしてもらわないと困る。おかしいんだったら、おかしいってちゃんと言ってもらわないと困るでしょう。それを、そのまま船長として船を操縦してきて1つの方向に舵を切ってきた。その結果、こういう問題が発生しているということは、かなり重大な問題と受け止めてもらわないといけないんじゃないかということですね。

□□ 所感をおうかがいしたいんですけれども。小沢問題の強制捜査があってちょうど丸3ヶ月になるんですが、この間、郷原さんは一方の側に立って、検察捜査について一石を投じて、この間世の中にいろんな論争を呼び起こしてきたと思うんです。その成果、ありやなしやと。この3ヶ月の時点で中間総括を聞かせていただけますか。

郷原 改めて振り返ってみると、3月4日だから、ちょうど3ヶ月前ですか。大久保秘書の逮捕、強制捜査着手の翌日に記者レクをやって、そこで20人余りの人が来てくれて、私が今回の強制捜査の対象となった政治資金規正法違反の事実について、いろんな問題点を指摘した。そのとき記者レクに集まった人のうちかなりの割合の記者の人たちがそれなりのアウトプットを行ってくれた。週刊誌とか新聞、通信社とか、いろんな人がいたわけですけども。それが今までにはなかったような、この種の検察捜査に対する社会の反応につながったということは言えるんじゃないか、そういう意味では私がこの記者レクの場で発言をした意味はあったかなという気はするんです。

もちろん最初は、捜査の状況がまったくわからなかったわけだから、いろんな仮定の下で考えるしかなかったし、基本的には捜査の行方を見守りながらコメントをしていくしかなかったわけです。私は検察の内部の情報はまったく入手し得ない立場で、外からこの事件を見て、考えられるだけのことを考えて、ものを言ってきたつもりですが、基本的には私が外から見て予測したことは、ほぼその通りの展開になっていったのではないかと思います。司法クラブの方々は検察の内部から情報をとろう、とろうとされてたんだと思うんですけども、意外と離れたところから客観的にものを見ていったほうが正確に動きが予測できたという面があるのではないかという感じがします。

一方で、私が検察捜査の問題を指摘して、一方でそれが政治的に民主党の小沢代表の辞任の時期を遅らせることになったとか、有利に働いたという面もあるかもしれないんですが、これはまったく私の意図するところではありません。私は政治的にはいろんな場で言ってますけれども、もともと小沢的政治手法というのは支持しないというか、あまり自分としては評価しないという立場であって、別に小沢さんを延命させようというような意図で発言をしていたわけではまったくありません。私は検察捜査のあり方についてものを言うのは、検察に長くお世話になってきた自分の義務だと思っています。こういうかたちで問題のある捜査がもしそのまま容認されて、その程度の捜査で今後重大な政治的影響が生じさせられるということになったら、日本の民主主義にとっても重大な脅威になるだけでなく、ほんとに検察の組織自体にとってもマイナスだし、後輩たちの、これから良い仕事をやっていかないといけない特捜検察にとっても絶対マイナスだと思うんです。

その問題に関しては民主党の設置した第三者委員会の報告書、たぶん来週ぐらいには公表できることになると思うので、そちらのほうをぜひよく読んでもらいたいと思います。われわれ第三者委員会のほうでは別に特別の新たな調査とかやったわけじゃなくて、公表されている資料――収支報告書とか、あるいは西松検察の内部調査委員会の報告書とか、そういったものにもとづいて改めて今回の事件を見るしかなかったわけですが、いくつかはっきり言えることは、今回の西松建設の事件は、私が今まで思っていた以上に刑事事件として問題があると考える根拠になるような事実が、第三者委員会の事実確認の中でたくさん出て来たということです。1つは、多くの人は西松建設の政治団体から陸山会に対する寄付は2003年以前にも行われていたが時効にかかっていた。2003年以降のものだけが時効にかかっていなくて捜査の対象にされ、起訴された、というふうに思っていると思いますし、私もそうだったんですけども、そうじゃないんです。この陸山会に対する寄付は2003年以降だけです。それ以前はありません。これは収支報告書を調べてみてもらえばいい。2002年までは小沢氏が党首をしていた自由党の政治資金団体、改革国民会議に対して行われていた。その寄付がほぼそっくりそのまま振り替わるかたちで陸山会のほうに行くようになったんです。

ですから、その段階で小沢さんが自由党の党首として民主党に合併したわけですから、合併に伴う事務手続的なものとして、陸山会の収支報告書に西松検察から従来改革国民会議で受けていた寄附を、どう記載するかについて、政治団体だから資金管理団体で寄附を受けても問題ないという判断が行われたと見るのが自然ではないかなと思います。とすると、捜査の最初の段階で言われていた、西松建設の政治団体はそもそも小沢氏への政治資金を流すために、そういったことを画策してつくった団体なんだ、という話はいったいどこから出てきていたのだろう、ということが大変疑問になります。これは少なくとも政治資金収支報告書を見ると明らかです。

『思考停止社会』で様々な分野の事例について世の中が大変誤解をしている問題を書きましたけれども、この西松献金事件もひょっとしたら世の中が大変な誤解をしているのではないかという感じがします。それ以外にもいろいろありますが。その辺は第三者委員会の報告書の中で書くことになると思います。

2009年6月2日火曜日

【沖縄密約資料】 核持込及び公開文書

  共同通信による「60年安保の核密約」記事は、なかなかのヒットだった。配信を受けた新聞社の中で、東京新聞は1面、北海道新聞も1面。ほかにも多くの地方紙がこのニュースを大きく扱ったようだ。(私に見落としのない限り)全国紙の朝日新聞、読売新聞は、この件を全く報じていない。毎日新聞は「一部報道を官房長官が1日の会見で否定した」という形で報じたが、せめて、最低でもそのくらいの記事にはすべきだろう。「一部報道」という引用のやり方も、いい加減に止めたらどうかと思うが、まったく無視することはなかろう。

そして、である。この共同通信の記事が配信された後の、外務省の記者会見が、会見記録のテキストを読む限り、どうやら、全く盛り上がっていない。ふつうなら、スクープされた怒り・情けなさもあって、容赦ない質問が飛び交う、、、ものだと思っていた。しかし、実情は違ったようだ。以下は、外務省のHPに記載された6月1日の薮中三十二外務事務次官の会見記録(当該箇所のみ抜粋)である。


(問)一部報道で、「60年安保の核持ち込み密約」があったと報じられています。報道によれば、外務官僚が文書を管理して出す出さないを判断していたと、そして総理、外務大臣にも教えたり教えなかったりと、実際に引継ぎもされていたと、具体的に匿名ですが4人の次官の証言も報じられていると、これについて、事実関係を教えてください。

(事務次官)これは明白であり、そのような密約は存在しないということ、これは繰り返し歴代の総理、外務大臣も説明をされておられますけれども、これに尽きているということですし、私が承知していることもそれに尽きているということです。

(問)特段引き継がれてはいないと。

(事務次官)全くありません。

(問)その4人の中には、日本政府は国民に嘘をついていたと証言されている方もいます。否定するということは、その4人の方が嘘をついているというご認識なのでしょうか。

(事務次官)その4人の方というのが、どういう方で、どのような形でインタビューされたのかよくわかりませんが、私が申し上げたいことは、そのような密約は存在しないということです。私自身もそれ以外一切承知していませんし、大事なことは歴代の総理も外務大臣もきちんと明確に説明をされていると、これに尽きていると私は考えています。

(問)国民の方から見ると、どちらが本当なのか、むしろ具体的な4人の方のお話の内容からみると、外務省の方が嘘をついているのではないかと思うのではないかと思うのですが、80年代から90年代に次官をされていたということで、ある程度特定されるのですが、外務省として話しを聞いて事実関係を調べるというお気持ちはあるのでしょうか。

(事務次官)その必要は全くないと思っています。我々としての説明は一貫している訳ですから、それ以上の事は必要ないと考えております。


会見記録が実際のQ&Aを忠実に再現しているものと考えたら、この核密約問題に関する質問は4つ。北朝鮮問題があったとはいえ、全体の問答からすれば、全体の5分の1弱の分量しかない。事の重大さに比べたら、いかにも質問が少ないではないか。加えて、質問がどうにも優しい。別に、言葉を荒げる必要はないが、この会見録の感じからすると、記者たちは、ずいぶんと「物分かり」が良さそうだ。

例えば、3つめの(問)。質問者は「次官経験者の4人は嘘をついたということか」と聞いているのに、藪中次官はそれに答えず、「密約は存在しない」と言っている。質問の仕方を説経したいわけではないが、もっと、たたみかけて聞けばいいのに、と思う。「では、次官経験者4人が嘘をついたということでいいですね?」とか、「藪中次官は正直者だけれども、藪中次官の先輩の4人は嘘つきなんですね?」とか。あるいは「こんなデタラメを書かれたわけだから、共同通信には当然、抗議したんですね?」とか。

だいたいにおいて、米国でこれに関する公文書が公開されているにもかかわらず、日本政府は「密約はない」と言い続ける。その図式こそが、滑稽極まりないのだ。そして、そういう、「公然たる嘘」を許してきたメディア側の責任も相当に重い。

例として適切かどうか分からないが、数年前、北海道警察の裏金問題を追及した際、当時の取材班は取材をスタートさせる際、「裏金の存在を公式に警察に認めさせる」ことを目標に置いた。なぜなら、公式に認めさせない限り、いくら悪弊を暴く記事であっても、「書きっぱなし」で終わる可能性が高かったからだ。警察の裏金自体はその時点でも、過去、週刊誌や全国紙などで何度も報道されていた。警察の裏金の存在を暴くこと自体は、何も、全く新しい話ではなかった。しかし、それに関する過去の報道は、「裏金の存在を暴く → 警察は否定 → そのうちウヤムヤになる」というパターンの繰り返しだったのである。これでは、世の中、悪弊はなかなか是正されないのだ。北海道警察が裏金の存在を認めるに至ったのは、原田宏二さんという元道警の大幹部が、実名で名乗り出て、その存在を暴露したことが大きく寄与しているが、「認めさせるまで報道を続ける」というしつこさも結構な役割を担っていたと思う。

今回の「核密約」報道も、何となく、これに似ているように思える。もちろん、見えぬところで取材は継続しているかもしれないし、この先、さらに驚くような関連ニュースが出るのかもしれない。だから即断はできないのだが、しかし、例えば、報道後、最初の外務大臣会見だった2日の会見では、記者側から核密約の質問は全く出ていない。公式な記者会見での質問だけが取材ではないが、少なくともスクープされたネタに関して質問も出ないのだから、やる気の無さは覆い隠しようもない。

「会見で質問してもどうせ否定するから」などと思ってはいけない。たしかに、公の記者会見で「はい、確かに密約はございました」などと認めることは、ほぼあり得ないだろう。しかし、外務省幹部に厳しい質問を矢継ぎ早に浴びせ、それに対して何と答えたか・答えなかったかは記録に残せる。その繰り返しが大事なのである。「知る権利の代行者であるわれわれ記者は、この問題を看過しませんよ」という姿勢を見せ続けることが、まずは大事なのだ。そして、そういう会見記録の集積は、その時々の政治や官僚の姿勢を映し出す。国民には政治的判断の大きな材料になるし、後の世代にとっても価値ある記録になるはずだ。

密約を公式に認めさせることはできないにしても、せめて、会見でそれぐらいの質問は重ねて欲しい。「もう、会見はいやだ。取りやめにしたい」。相手にそう思わせてこそ、記者だと思う。


日米核密約/政府は真実を語るときだ 

 外交には秘密が付いて回るとはいえ、これはどうにも釈然としない。1960年の日米安全保障条約改定の際、核兵器を積んだ米軍艦船などの日本立ち寄りを黙認したとされる日米両政府間の密約である。

 その中身については、これまで何度か米側の開示公文書で明らかになっている。ところが、日本政府は一貫して密約の存在を否定し続けてきた。

 一方の政府が開示した公文書の内容と、もう一方の政府の説明が百八十度食い違う。不可解な「ねじれ」が解消されないなか、新たな証言が飛び出した。

 4人の外務事務次官経験者が共同通信社に明らかにしたもので、密約は次官らによって管理され、その判断で一部の首相と外相にだけ伝えられていたという。

 うち1人は、核に関する非公開の日米了解があり、次官の引き継ぎ事項になっていたことは「大秘密だった」と語った。密約をめぐる日本側の文書が外務省にあったという証言のほか、国会で事実と違う答弁を続け、「何か恥ずかしいなという思いがあった」と振り返った元次官もいる。

 次官といえば事務方のトップだ。外交現場の中枢にいた複数の当事者の証言が、何を物語るか。1人の元次官が明言したように、政府が長年くり返してきた説明がうそだったということだろう。

 国民に対する背信というほかない。同時に、「持たず、つくらず、持ち込ませず」という日本の「非核三原則」にも、重大な疑念を抱かせてしまう。

 問題はそれだけではない。核兵器の持ち込みという、戦後日本の根幹にかかわる問題が、限られた首相にしか伝えられていなかったという点だ。密約の内容を話していい首相と、そうでない首相を役人サイドで選別していたというから、官僚主導も極まっていた感がある。

 これらの証言について、河村建夫官房長官はあらためて密約を否定し、「米政府から事前協議がない以上、核持ち込みがないことに疑いを持っていない」と語った。

 従来とまったく変わらない見解を述べる対応には、歴代次官の証言がもつ重みを真剣に受け止めようという姿勢はうかがえない。日米安保への影響を懸念しているのかもしれないが、政府への信頼が大きく損なわれてしまう。

 こんな証言があってなお、重大な食い違いを放置していては、失うものの方が大きい。政府は真実を語るときだ。
(6/8 09:57)



米核密約証言 もはや言い逃れはできない
2009年6月2日

 1960年に日米安全保障条約(安保条約)が改定された際、米艦船や航空機に搭載された核兵器の持ち込みを、日本は黙認するという密約が日米間で交わされていたことが一段と鮮明になった。今回は外務官僚機構トップにいた人たちの証言だけに、政府も言い逃れはできまい。全容を国民に開示し、うそをついてきたことを率直に謝罪すべきだ。

 政府は、核兵器の持ち込みに関する事前協議制度について、日米間の合意は安保条約第6条の実施に関する交換公文と「核持ち込み」を事前協議の対象にするとの藤山・マッカーサー口頭了解以外にないとし、密約を否定。米政府から事前協議の申し入れがない以上、「核兵器の持ち込みはない」と答弁してきた。

 ところが、密約は外務省の歴代事務次官が管理、一部の首相や外相に伝えてきたと4人の次官経験者が証言した。

 密約の存在を裏付ける資料は米国の公文書公開に伴い、2000年ごろから報道されてきた。今回の証言を受け、政府はあらためて密約を否定しているが、事務方のトップを務めた次官の証言は重い。

 現在の日米安保条約は、51年のサンフランシスコ平和条約と同時に締結された安保条約を失効させた上で新たに成立した。

 旧安保条約に基づく米軍の駐留を引き続き認め、実態は改定とみなされ、「60年安保」ともいわれる。密約はその際、「秘密議事録」の形で文書化された。

 事前協議制度を設け、その運用として「現行の手続き」が盛り込まれたとされる。つまりは「旧安保の慣行でよい」との合意である。

 米政府戦略は「核兵器の存在は肯定も否定もしない」態度で一貫している。今後も米側から事前協議の申し入れがあり得ないのは明らかだ。

 日本は世界で唯一の被爆国であり、「核兵器は持たず、作らず、持ち込ませず」の三原則を唱えている。

 沖縄返還前の67年12月、沖縄を含む日本全体への「核兵器持ち込み反対」の世論に押され、当時の佐藤栄作首相が国会で表明、歴代政府もこれを国是として認めてきた。非核三原則の国是に反する密約を認めるわけにはいかない。政府は真相を明らかにし、改めるべきは改めるべきだ。


<核密約>河村官房長官が改めて否定
6月1日19時29分配信 毎日新聞

 河村建夫官房長官は1日の記者会見で、1960年の日米安全保障条約改定に際し、両政府が結んだ日本への「核持ち込み」黙認の密約を外務省が組織的に管理していたとの一部報道について、「(同条約で定めた)核持ち込みの事前協議がない以上、核持ち込みはなかったということに全く疑いを持っていない」と述べ、密約を改めて否定した。

 藪中三十二外務事務次官も会見で「密約はないと歴代首相、外相が説明している。それに尽きる」と否定した。

 一方、共産党の市田忠義書記局長は同日の会見で「事実とすれば、『非核三原則』を国是とする政府が国民をだまし続けてきたことに他ならない」と指摘。「核持ち込み」に関する密約があったと証言したとされる元外務事務次官4人を国会に参考人招致して真相究明すべきだとの認識を示した。【中澤雄大】

1. 刑事1~3審における明白な事実認定の誤まり

(1) 民事1審の原告本人尋問の中で言及したところであるが、本件事件の争点となっている1034号電信案(甲42)の3項「請求権」の項で、原文は「本大臣より重ねて何か政治的に解決する方法を探求されたく、なおせっかくの320がうまくいかず、316という端数となっては対外説明が難しくなる旨付言しておいた」とあるが、刑事1審判決でも2審でも最高裁決定でも「対米説明」と認定されており、明白な事実誤認を冒しています。

 対外とは、外務省及び政府からの外のという意味、要するに国会だとか、メディアだとかを指すものです。甲42の証拠の原文も「対外説明」とあるし、文脈上も対米説明では意味をなさないのだから「対米説明」は全くの事実誤認である。

 然るに刑事1~3審はこの明白な誤まりを是正することなく確定させている。最高裁決定を含め刑事確定判決の脆弱さを感じざるを得ません。尚、民事1審判決はこの点につき何の根拠も示さずに是正されている。

(2) 同じく民事1審原告尋問の中で指摘したところであるが、無罪判決を言渡した1審判決でさえ、吉野証人の嘘を看破れず、「秘密書簡発出の点に終局的には米国側からの要求を阻止できたことが認められ、以上の事実を総合してみると、体裁を整えることや秘密書簡発出を巡る折衝もなお違法ということはできない」と判示した(乙2p61)のです。この点が誤判であったことは、米公文書の存在や、2006年2月以降の吉野発言によって明らかであります。この点も刑事判決の事実認定のもろさを示しています。

(3) ①次に堀籠幸男現最高裁判事が本件刑事最決の判例解説を書いております。担当調査官が当該判例解説を書くと聞いておりますので、堀籠判事が、当該担当調査官であったと推察します。

 同判事は解説のp159で以下のとおり述べています。

 「いわば戦争によって失ったわが国の領土の一部を外交交渉という平和的手段により返還してもらうという重大な国家目的を達成するために、わが国の外交担当者が米国の外交担当者と行った一種の操作が対米請求権の財源問題である。すなわち、沖縄の施政権返還に伴い日本側がアメリカに支払う金員は、いわば政治的な?み金として3億2千万ドルと決ったが、そのうちから400万ドルは対米請求権の財源として使用することが合意された。しかしアメリカ側は財源の実質的負担は日本がすることになったとして国内を説得する必要があり、他方、日本側は請求権の財源を日本が負担するものではないとして国内を説得する必要があったため、右400万ドルが3億2千万ドルのうちから支払われることを秘匿しておくという合意がなされたものと考えられる。

 そうだとすると、我国が沖縄の施政権返還に伴い支払うべき金員の総額については国会の承認を得るものとされているのであるから、対米請求権の財源の処理の仕方について、それぞれの国内対策上若干の形式上の操作を加えたことは、外交交渉の過程ではある程度やむを得ないところであって、外交担当者に授権された範囲内のことであるというべく、違法とまではいえないのではなかろうか」
と記述している。

 これらは、本件最高裁決定を担当した最高裁判事の事実認識や法的評価を端的に示していると見るのが自然である。

② しかしながら、これらの事実認識が悉く間違っていたことは、本訴1・2審で提出した証拠によって明らかです。

   甲11(柏木・ジューリック秘密覚書)、甲24の1~5(ケーススタディ)、甲1の1~3(2002年発掘の米公文書)、甲2~5(2000年発掘の米公文書)、甲38(若泉敬論文)、2006年2月吉野発言などによって、明らかであります。

 解説が示した「沖縄の施政権の返還に伴い、日本がアメリカに支払う金員は3億2千万$に決まった」というのが抑々客観事実に反することであるし、400万$を米側は財源の実質的負担は日本が負担することになったとして国内を説得する必要がありとあるが、日本が米国に頼み込んだことで、アメリカが国内説得の必要性は全く感じていなかったものです。沖縄密約の出発点は、1969年の日米共同声明の前に柏木・ジューリック間で掴み金5億2000万$弱を日本が支払うということから始まっており、これに加算されたのが復元補償費の本件400万$とVoAの移転費1600万$の合計2千万$であり、この総額の中味を国内説明できるように、偽装し直した上で協定化する作業が大蔵省から外務省へ押しつけられたというのが歴史の真実なのである。

 ところで、刑事公判では、日米共同声明の時にすでに沖縄返還の財政取り決めは大方決着ついていたことは一切法廷に顕出されていなかった。刑事弁護人の弁論要旨には一切触れられていないことからもそのことは判る。

従って、最高裁第1小法廷の判事の認識と評価が「国内対策上若干の形式上の操作を加えた」とか、「外交担当者に授権された範囲内のことであり、違法とまでとはいえない」と外務省に同情的評価を与えていたということは全く的はずれという外ないのである。

刑事裁判として成り立たせるためには、日米共同声明の時点からの事実と証拠が刑事公判廷に顕出され、1034号電信文が法の保護に値する秘密なのか否か、佐藤政権の権力犯罪を示す証拠なのか否かが論ぜられなければならなかったのである。

米国の情報自由法によって、近時情報公開された前述の事実なり証拠が刑事公判で顕出されていれば、控訴人が無罪であったことは必定である。

2.
(1) 民事控訴審になってからも、密約を裏付ける米公文書が発掘され、控訴人は甲107~112、113として提出することができました。前者は「米国による沖縄の地権者に対する『自発的支払い』について、日本政府が、電信文の漏出により国会においてかなりの苦境に陥っており、(日本政府が)信託基金の設立延期を米国側に要請し、米財務省がこれに応えて1973年に延期を決定したというものです。

 後者は、沖縄返還後も、有事の際に米軍が核兵器を持ち込むことを日本側を認めた米公文書の発掘です。甲38の若泉敬論文の正しさを裏付けるものです。

 このように今後も米の情報自由法による米公文書の開示と発掘によって、続々と密約やその内容と詳細が発掘され、1034号電信文案が法の保護に値する秘密に該らず、却って佐藤政権の権力犯罪を示すことが一層明らかになっていくことが確実に予測できます。

(2) 今の処、吉野発言以外に告白する関係者は出現していませんが、外務省関係者、検察関係者から出て来ないとは限りません。

 又、日本で政権が交代した時に、外務省が隠してやまない沖縄交渉関連文書が出て来ないとも限りません。それらが出て来た時、控訴人の冤罪性が益々磐石なものとなることはあれ、検察主張立証の正しさを裏付けるものは出て来ようがあり得ません。同じく刑事最決の正しさを裏付けるものは出て来ようがあり得ません。

3. 吉野文六は、本件一審判決後も朝日新聞記者の取材に応じ、それは甲88の1~4のインタビュー記事となっている。ここでも数々の事実を重ねて暴露している。

 国家公務員は退職後も守秘義務が課せられている。しかし、外務省や政府高官や司法当局から、吉野の国家公務員法違反の言及はない。吉野が真実を述べているから手も足も出せないのである。

4. 真実は裁判の出発点である。

 沖縄密約事件において、今や真実が何かは明らかである。東京高裁第9民事部におかれては、刑事最高裁の誤判を正し、公正な判決を言渡されんことを期待するものであります。


六五年の日韓協定は、日本から韓国に無償三億ドル、年利3・5%の有償二億ドルの計五億ドルの経済協力をすることで締結された。三十五年に及んだ植民地支配の清算名目の金額と比べても、沖縄返還で動いた金の規模の大きさが想像できる

【吉野勉強会】 佐藤優・渡辺秀生

吉野勉強会 佐藤優・渡辺秀生氏と陸軍中野学校を語る