2009年3月1日日曜日

【大阪地検特捜部】 郵便不正事件(記事一覧)

【衝撃事件の核心】「花には水を 人には愛を!」…理想とかけ離れた女社長の行状 郵便不正事件
2009.3.1 08:00
 大阪地検特捜部が強制捜査に乗り出した広告代理店「新生企業」(現・伸正、大阪市西区)による郵便法違反事件では、同社が障害者団体向けの郵便割引制度の“盲点”を巧みに突き、福祉をエサに130億円にも上る暴利をむさぼっていたことが明らかになった。郵便料金をめぐる過去最大規模の“巨額詐欺”だ。郵便事業会社は「制度が悪用されるという発想がなかった」としているが、制度自体を現場の職員が明確に知らないなどチェックの甘さが事件の背景にある。そのしわ寄せはすべて、新生企業に利用された形の障害者団体に向けられた。

だまされた障害者団体

 2月27日午前8時すぎ、大阪地検特捜部の係官4人が雨のぱらつく中、大阪府吹田市内の障害者団体の施設へ家宅捜索に入った。

 突然、捜索令状を示された施設職員は驚き顔で、作業中の障害者たちが不安そうに捜索の様子を見守っていた。

 この団体の理事長は平成18年秋、知人から「いい話がある。ちょっとぐらいお金が入るかもしれない」と持ち掛けられ、新生企業で社長の宇田敏代容疑者(53)=郵便法違反などで逮捕=と会った。

 刊行物の発行を勧められ、1通40銭が団体に入る約束。刊行物の同封で広告用ダイレクトメールの発送料金が15分の1にもなる仕組み。1年半で約240万円が銀行に振り込まれた。

 理事長は「そのお金でスタッフの昼ご飯になったし、みんなで忘年会もできた。それがこんなことになるなんて…」とうなだれる。

 問題発覚後、郵便事業会社から「発行所の責任」として、正規料金との差額約3億3000万円を請求された。

 「このままではつぶれてしまう」

 現在は大阪府の指導で弁護士と相談し、郵便事業会社と交渉中だという。

注射器が落下

 大阪市内が一望できる同市北区の超高層マンションの38階に住む宇田容疑者。最上階の部屋は有名タレントが所有していることで有名な高級物件だ。

 同月26日朝、特捜部の家宅捜索が入った際、近所の住民らが騒然となるトラブルが起きた。

 地検係官が部屋に入った後、宇田容疑者の部屋の窓から約130本の注射器が入った箱が落下してきたのだ。当時、マンション玄関付近でカメラを構えていた報道陣にも危うく当たりそうになったという。

 宇田容疑者が薬物を使用しているといううわさは新生企業関係者の間で根強く、事実、部屋から乾燥大麻が押収された。

 宇田容疑者は昭和51年、化粧品会社に入社。3年後に退社してクラブを一時経営した。平成16年に新生企業を設立してからは、銀色のポルシェに乗り、ブランド服に身を包んで営業活動に回ったという。

 「世のため人のため仕事をやっている」「20年以上福祉の経験がある」。宇田容疑者の誘い文句は巧みだった。

 「花には水を 人には愛を!」と書かれた名刺を配り、福祉を前面に出していたが、その場では本名を隠して「順子」という偽名を使っていた。

郵便事業会社に批判の声

 宇田容疑者の悪質な犯行の裏には、郵便事業会社のチェック体制の不備がある。障害者団体の関係者からも批判の声が上がる。

 障害者団体向け割引郵便制度を利用するには、(1)1回の発行部数が500部以上(2)1回の発行部数の8割以上が有料購読(3)広告が全体の5割以下-などの条件がある。

 これら条件を郵便局の窓口でチェックしなければならないが、郵便事業会社渉外広報部は「障害者福祉の向上を目的としていたため、不正があるということを念頭に置いていなかった。このため書類上のチェックしかしておらず、そこをつけ込まれてしまった」と話した。

 実際に発送作業にかかわっていた障害者団体の関係者は「郵便局の窓口の奥の壁には『目標売り上げ●円!』と書かれた紙が張ってある。売り上げノルマを達成するために不正を黙認していたのでは」と批判している。


郵便不正事件で障害者団体が悪用認識、リベートも
2009.3.18 02:00

 大阪市西区の広告代理店「新生企業」(現・伸正)が障害者団体の定期刊行物に適用される割引郵便制度を悪用した郵便法違反事件で、東京都内の障害者団体が制度の悪用を認識したうえで、新生企業側から「寄付金」と称したリベートを得ていた疑いのあることが17日、広告関係者への取材で分かった。

 大阪地検特捜部もこうした事実を把握し、障害者団体の関与を解明する方針を固めた。

 大阪国税局は同日、平成17年3月期からの3年間で約8700万円を脱税した法人税法違反の罪で新生企業社長、宇田敏代(53)と同社元取締役、阿部徹(55)の両容疑者を特捜部に告発。特捜部は18日にも同法と郵便法違反の罪で両容疑者を起訴する。

 また、大阪府警は近く、覚せい剤取締法違反容疑で宇田容疑者を再逮捕する方針。

 関係者によると、都内の障害者団体は約5年前、新生企業から割引制度の利用を持ち掛けられた。団体は定期刊行物の製作と発送をすべて自ら行い、新生企業からは広告主の紹介を受けていたという。

 割引制度を利用すれば、刊行物に企業パンフレットを同封したダイレクトメール(DM)の郵送料が1通8円(通常1通120円)になる場合もあるが、刊行物の発行部数の8割以上が有料購読でなければならない。ところが、この団体は広告主の無料顧客にすべて発送しており、制度対象外であることを認識。新生企業から1通当たり少なくとも50銭以上のリベートを得ていたという。

 さらに、自ら広告代理店に“営業活動”に回り、割引制度を紹介していた。ある広告代理店は「『私たちならDMを安く送れます』と売り込んできた。『問題はない』というので信じてしまった」と話す。

 団体幹部は産経新聞の取材に対し「違法性の認識は全くなかった」と話している。


ウイルコ会長ら逮捕へ 郵便法違反事件、広告主なども強制捜査
2009.4.16 02:10

 障害者団体の定期刊行物に適用される割引郵便制度を悪用した郵便法違反事件で、大阪地検特捜部は15日、大阪市西区の広告代理店「新生企業」(現・伸正)社長、宇田敏代被告(53)=同法違反罪などで起訴=らと共謀し、不正に郵便料金を免れた疑いが強まったとして、同法違反の疑いで、東証2部上場の印刷会社「ウイルコ」(石川県白山市)の会長(57)らを16日にも逮捕する方針を固めたもようだ。
 強制捜査の対象は、定期刊行物の発行元となった障害者団体「福祉事業支援組織・白山会」(東京都文京区)の会長(69)のほか、刊行物に同封した商品パンフレットの広告主だった大手家電量販会社「ベスト電器」(福岡市)や取引を仲介した大手広告代理店の子会社の幹部ら。逮捕者は10人近くに上り、特捜部は関係先として郵便事業会社新東京支店などを捜索する方針。

 新生企業が過去4年半で正規料金との差額約211億円を免れたとされる事件は、新たに障害者団体や広告主などに波及する見通しとなった。

 関係者によると、ウイルコなどは平成17年8月~20年2月、白山会などの刊行物とベスト電器の商品パンフレットを同封したダイレクトメール計約1190万通をベスト電器の顧客に郵送。割引制度の悪用で1通7円(通常は1通120円)に割り引かれ、少なくとも計約4億4000万円を不正に免れたとみられる。
 不正郵送には新生企業の宇田被告らが主体的に関与。ウイルコはパンフレットなどの印刷のほか、自ら広告主としてかかわったケースもあったという。

 白山会をめぐっては、民主党の牧義夫衆院議員(51)=愛知4区=が白山会の競合団体による割引制度悪用の実態を国会で質問し、白山会会長側から計24万円の寄付を受けたことが判明している。


ウイルコ会長ら逮捕へ ベスト電器DM、不正発送
2009.4.16 08:57

 障害者団体向け郵便料金割引制度の悪用事件で、印刷・通販大手「ウイルコ」(石川県白山市)や大手家電量販店「ベスト電器」(福岡市)が不正に関与していたとして、大阪地検特捜部は16日、郵便法違反容疑で関係先の家宅捜索を始めた。ウイルコの若林和芳会長(57)やベスト電器の担当部長らを逮捕の方針。

 実態のない障害者団体を利用した1000万通を超えるダイレクトメール(DM)の不正な格安発送に、広告主を含む大手企業が深くかかわっていた可能性が高く、特捜部は全容解明を進める。

 特捜部は16日朝、東京都文京区の障害者支援団体「白山会」を捜索し、会長を任意同行した。大手広告会社の子会社「博報堂エルグ」(福岡市)の担当者も取り調べるほか、大阪市の広告代理店「新生企業」(現・伸正)の社長、宇田敏代被告(53)=郵便法違反罪などで起訴=ら2人も再逮捕する。


ベスト電器部長を逮捕 通販ウイルコ会長らも
2009.4.16 14:30

 大手家電量販店「ベスト電器」が、障害者団体向け郵便料金割引制度を悪用して大量のダイレクトメール(DM)を格安で発送していたとして、大阪地検特捜部は16日、郵便法違反容疑で福岡市博多区の本社など関連先を一斉に家宅捜索、販売促進部長ら数人を逮捕した。制度を使うことを持ち掛けた疑いがある印刷・通販大手「ウイルコ」(石川県白山市)の若林和芳会長(57)=16日に辞任=らも取り調べており、10人近くを逮捕する。

 実態のない障害者団体を使った1千万通を超えるDMの不正発送に広告主を含む大手企業が深くかかわっていた可能性が高く、特捜部は全容解明を進める。
 10人は若林会長のほか、障害者支援団体「白山会」(東京都文京区)の会長、大手広告会社の子会社「博報堂エルグ」(福岡市)の担当者ら。

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ウイルコ若林会長が辞任
2009.4.16 14:51

 障害者団体向け郵便料金割引制度の悪用事件で、東証二部上場で印刷・通販大手のウイルコ(石川県白山市)は16日、若林和芳代表取締役会長(57)が15日付で辞任したと発表した。

 同社によると、若林会長は15日に辞任を申し出た。辞任理由は「一身上の都合」としている。

会見で違法性の認識否定 ベスト電器社長
2009.4.17 19:57

 障害者団体の定期刊行物に適用される割引郵便制度を悪用した郵便法違反事件で、広告主となっていた大手家電量販会社「ベスト電器」(福岡市)の濱田孝社長は17日、同市内で会見し、同制度を利用したきっかけを「障害者団体の活動の啓蒙(けいもう)にもなると考えた」と釈明。「違法性の認識はなかった」と繰り返した。

 濱田社長は同制度を使ったダイレクトメール(DM)の企画案について「(当時の)社長の決裁だった」と説明。広告代理店の「博報堂エルグ」側から事前に「法には触れないと聞いていた」とし「発送を始めた当初から違法とはまったく思っていなかった」と違法性の認識を一貫して否定した。

 また「お客さまや関係者に多大なご迷惑をかけたことをおわびします」と謝罪する一方、正規料金との差額の返還については「捜査の最終的な結論が出るまで、返還するかどうかも回答できない」と明言を避けた。


不正DM「審査甘い」郵便支店に集中 埼玉で拒否…東京持ち込み
2009.4.20 02:02

 障害者団体向けの割引郵便制度を悪用した郵便法違反事件で、障害者団体「白山会」を発行元とする不正ダイレクトメール(DM)の持ち込み先が当初、「第三種郵便物制度適用の承認審査が甘い」として業界内で知られた郵便事業会社の支店(旧郵便局)に集中していたことが19日、分かった。その一つの埼玉県内の支店が不正の“疑念”を抱き、白山会名義のDMの発送を拒否した後も、新東京支店(東京都江東区)では認められたという。

 また、発送先が不明だった際の不正DMの返却先が、同封された商品パンフレットの広告主の大手家電量販会社「ベスト電器」(福岡市)と申請されており、実際に大量に返却されたケースがあったことも判明。大阪地検特捜部は、新東京支店の担当者らが発行元と返却先が異なるなど不自然な状態を黙認した可能性があるとみて、事情を聴いている。

 関係者によると、郵便事業会社の関東支社管内では、群馬、埼玉両県内にある大量の郵便物を扱う拠点局が低料第三種郵便物の審査が甘いとして知られていた。適用要件の審査は郵便事業会社「第三種郵便物調査事務センター」(東京都墨田区)や各支社でも行われるが、白山会関係者は「支店の窓口さえパスすれば、後はエスカレーター式に承認が出た」と話す。

 ベスト電器から顧客へのDM郵送業務を受託した広告代理店「新生企業」(大阪市西区)が19年初頭、埼玉県内の支店に持ち込んだところ、配達できなかった際の返却先が発行元の白山会でなく、ベスト電器になっていたことで発送を断られたという。これを知った白山会会長、守田義國容疑者(69)が、約20年来の仲だった民主党の牧義夫衆院議員(51)=愛知4区=の事務所に相談し、男性秘書が同行して郵便事業会社側に問い合わせを行ったことが判明している。

 埼玉県内の支店が発送を拒否した後、その報告を受けた郵便事業会社は、白山会名義のDMの取り扱いに注意するよう各支店に文書で通知していた。だが、新たに持ち込まれた新東京支店は承認、19年2月2日から発送を始めたという。


【郵便法違反事件】健康食品社長逮捕へ DM郵送差額18億円 大阪地検捜索
2009.5.8 12:07

 障害者団体向けの割引郵便制度を悪用した郵便法違反事件で、新たに健康食品通販会社「元気堂本舗」(東京都港区)などの広告主のダイレクトメール(DM)を不正発送していたとして、大阪地検特捜部は8日、同法違反容疑で窪田勝社長(65)の取り調べを始めるとともに同社を家宅捜索した。

 同社は、DMに同封の定期刊行物を発行していた障害者団体「健康フォーラム」代表、菊田利雄被告(61)=起訴済み=の個人口座に手数料名目で計約2600万円を支払っており、特捜部は社長が違法性を認識していた事実とみて調べている。

 また、この不正発送にも関与していたとして、菊田被告のほか、広告代理店「新生企業」(大阪市西区)社長、宇田敏代(53)▽印刷・通販大手「ウイルコ」(石川県白山市)前会長、若林和芳(57)ら7被告=いずれも起訴=を再逮捕する方針。

 関係者によると、菊田被告らは平成18~20年、元気堂本舗など数社に通常120円の料金が8円になる低料第三種郵便物制度の利用を持ちかけ、同社の広告と健康フォーラムの定期刊行物を同封したDM約1600万通を発送。正規料金との差額約18億円を不正に免れた疑いが持たれている。

 民間信用調査会社によると、同社は10年に設立。青汁などの健康食品やトルマリン石を使った健康器具の通信販売を手掛け、18年5月期の売上高は12億5000万円。

 同社によると、17年8月から同制度の利用を始め、20年12月まで毎月2、3回、それぞれ10~30万通のDMを発送。この間、菊田被告の個人口座に手数料として毎月65万円ずつ計約2600万円を振り込んでいたという。

 窪田社長は8日朝、東京都杉並区の自宅前で報道陣に対し、「3年ぐらい前にある程度、違反と認識した。安いのがあればぜひ使ってみたいと思った。通販業界で日常的に使われていて(違反という)意識が薄らいだ。真摯(しんし)に反省しなければならない。ある程度、郵便事業会社も認めていたのではないか」と話した。


DM不正「誰かが受け付けてくれた」障害者団体会長 黙認常態化か
2009.5.20 14:22

 障害者団体向けの割引郵便制度を悪用した郵便法違反事件で、障害者団体「白山会」(東京)会長の守田義國容疑者(69)が違法ダイレクトメール(DM)を郵便事業会社に持ち込む際、「大きな支店は多くの窓口担当者がいるので最終的に誰かが受け付けてくれた」と関係者に話していたことが20日、分かった。違法DMを大量発送していた新東京など4支店の多くの社員が大阪地検特捜部の調べに「違法性を認識していた」と供述しており、大規模支店の中で違法DMを黙認する雰囲気が広がっていたとみられる。

 特捜部によると、同法違反容疑で逮捕された新東京支店総務主任、鈴木智志容疑者(39)は「白山会や(DMの広告主の)ベスト電器のために優遇したのではない。金品ももらったりしていない」と供述しているという。

 関係者によると、白山会は平成18年8月~20年9月、ベスト電器などが広告主の違法DM計約1600万通を発送。当初はさいたま新都心支店に持ち込んでいたが、19年1月に160万通を持ち込んだ際、形式的な不備を指摘され、発送を拒否された。

 その後、不備を修正しないまま埼玉県内の別の支店に持ち込んだが、「うちでは処理しきれない」として断られた。このため2月2日~4日、今度は新東京支店に申請したところ、同支店が発送を受け付けた。この発送の決裁は鈴木容疑者が行っていたという。

 白山会側はこの後、不備は修正したものの、違法DMの発送を続行。守田容疑者は知人に「不自然に思われないようさいたま新都心と新東京の2支店に分けて持ち込むようにした。窓口担当者が多いので誰かが受け付けてくれた」と話していたという。

 郵便事業会社によると、低料第三種郵便物の受付窓口には通常、申請書類を受け取る引き受け者と、発送通数などを調べる検査者が従事。大規模支店では1班約10人が1日3交代制で勤務している。

 2支店が違法DMの発送を拒否した後、郵便事業会社は白山会名義のDMに注意を呼びかける文書を各支店に配布していた。新東京支店がこの後に違法DMを受け付けていたことから、特捜部は、鈴木容疑者らが文書を把握していたかについても詳しく事情を聴く。



【主張】郵便不正 自らの手で体質改善図れ
2009.5.21 03:16

 障害者団体の定期刊行物に適用される料金割引制度を悪用した郵便法違反事件は、日本郵政グループの日本郵便(郵便事業会社)支店長らの逮捕に発展した。不正をチェックする立場にある郵便事業会社の刑事責任が問われる事態になったのである。

 障害者団体の定期刊行物は「低料第三種郵便物」が適用され、通常だと1通120円かかるところを8円で郵送できる。大阪の広告代理店が、これに目をつけ、活動実態のない障害者団体などの名義でダイレクトメール(DM)を発送していた。

 この広告代理店や、これを利用した家電量販大手などの関係者もすでに逮捕されている。日本郵便支店長らは、DMが制度適用の条件を満たしていないことを知りながら、発送を黙認していたとの疑いがもたれている。

 福祉目的の制度を悪用した企業の罪は重く、これを故意に見逃す行為は許されない。問題のDMを発行元とあて先不明時の返送先が異なるとの理由で発送を拒否した日本郵便の支店もあったのだから、言い訳はできない。

 今回の事件は、日本郵政グループ全体の問題としてとらえるべきだが、郵政民営化に全責任を押しつける議論はおかしいだろう。

 日本郵政をめぐっては、「かんぽの宿」のオリックス・グループに対する一括売却問題を契機に、政治家を中心に、民営化は誤りだったとの声が出ている。これには、近づく衆院選をにらんだ政治的な思惑がからんでいる。

 一連の不祥事でグループのトップである西川善文・日本郵政社長の責任追及は当然としても、それが民営化の流れを逆戻りさせようという勢力と結びつくことには警戒が必要だ。

 「かんぽの宿」で露呈した手続きの不透明性、障害者郵便不正で明らかになった法令順守意識の低さは、むしろ、民営化前からのお役所的なおざなりのチェック体制、さらには不祥事が続出した社会保険庁と通じる官僚体質の表れとみるべきである。

 無用の政治介入を許さぬためにも、日本郵政が自らの手で、組織上の問題点がなかったのか、社員の意識改革が遅れていなかったのかなどを厳しく検証しなければならない。そのうえで組織の体質を改善することが、再発防止には不可欠だ。最も重要なのは、日本郵政の自浄能力なのである。


郵便不正で厚労省の公印使用か 障害者団体の偽証明書 
2009.5.26 01:08

 障害者団体向けの割引郵便制度を悪用した郵便法違反事件で、障害者団体が制度の適用を受ける際に郵便事業会社(日本郵便)側に提出した偽の証明書に、厚生労働省の公印が使用されていた可能性が高いことが25日、分かった。厚労省にはこの証明書を発行した記録は残っていないが、省内で発行に関する「稟議書」が存在していたという情報もあり、大阪地検特捜部は証明書が作成された経緯を捜査している。

 証明書の発行に厚労省の職員が関与していれば、虚偽公文書作成容疑にあたるとみられる。

 この障害者団体は「白山会」(東京)の前身の「凛(りん)の会」。平成15年10月に設立され、16年1月から定期刊行物「凛」を発行、低料第三種郵便物制度適用の承認を受けた。

 承認申請に際し、国や自治体が発行する証明書を添付する必要がある。凛の会は16年5月28日付で、厚労省から「国内郵便約款料金表に規定する心身障害者団体であると認める」などとする証明書の発行を受けていたとされる。

 証明書には当時の厚労省障害保健福祉部企画課長の公印が押されていたが、厚労省の原簿に発行記録はなく、同省は「凛の会が偽造した可能性がある」としていた。

 しかし、特捜部が証明書について捜査した結果、公印は実物の可能性が高いことが判明。発行直前に凛の会の元会員が厚労省を訪れ、申請の進捗状況について確認していたことなども分かったという。


厚労省の係長逮捕 郵便不正で稟議書を偽造
2009.5.26 19:01

 障害者団体向け郵便制度悪用事件で、ダイレクトメール(DM)を不正発送していた障害者団体の承認に向けた厚生労働省の「稟議(りんぎ)書」を偽造したとして、大阪地検特捜部は26日、虚偽公文書作成・同行使の疑いで、同省障害保健福祉部企画課係長の上村勉容疑者(39)=東京都中野区=ら2人を逮捕した。

 特捜部によると、上村容疑者は容疑を認めている。ほかの逮捕者は障害者団体「凛の会」(現・白山会)の元会員、河野克史容疑者(68)。

 捜査関係者らによると、上村容疑者らは平成16年4月ごろ、倉沢邦夫容疑者(73)=郵便法違反容疑で逮捕=や元会員らが設立した凛の会への証明書発行の承認に向けた決裁手続きが進んでいるよう装った稟議書を、偽造した疑い。

 厚労省は稟議書を含め、凛の会への証明書を発行した記録や資料はないと主張。しかし、稟議書が内部文書の形式と酷似していたことから、特捜部は省内の職員が偽造したとみて捜査していた。


郵便不正事件 上村、河野容疑者との一問一答
2009.5.27 01:51

 上村勉容疑者は逮捕前日の25日に、河野克史容疑者は4~5月にそれぞれ産経新聞の取材に答えた。主なやりとりは次の通り。

 【上村容疑者】

 --凛の会との接点は
 「凛の会という障害者団体は知らないし、倉沢(容疑者)や河野(容疑者)についても記憶にない。名刺も残っていないので会ったことはないと思う」

 --凛の会の証明書の申請を受けたのではないか
 「まったく知らない。そもそも私の在職中の2年間で障害者団体から申請を受けたことはなかった」

 --申請は通常毎年2、3件あるが、在職中にゼロだったのは不自然ではないか
 「たまたま申請がなかっただけだと思うが…。別の部署で起案されたケースだと、自分の関知しないところで決裁されていたのかもしれない」

 【河野容疑者】

 --凛の会の証明書偽造に関与したのか 
 「申請手続きは倉沢容疑者に任せていたのでよく分からない。証明書は厚労省から正規に出たものだと思っていた」

 --なぜ倉沢容疑者に任せたのか
 「国会議員の秘書をしていたことで政治的な力に期待する部分もあった。そういう意味では自分にも責任があると思う」

 --上村容疑者とは面識はなかったのか
 「16年5月中旬に一度、上村容疑者の元を訪れたことはあるが、申請の進捗(しんちょく)状況を聞くためだった。結託して偽造にかかわったわけではない」


【郵便法違反事件】厚生労働省を家宅捜索 大阪地検
2009.5.27 09:33

 障害者団体向けの割引郵便制度を悪用した郵便法違反事件で、大阪地検特捜部は27日午前、東京・霞が関の厚生労働省の家宅捜索を始めた。

 事件をめぐっては、虚偽公文書作成・同行使容疑で同省障害保険福祉部係長の上村勉容疑者(39)が逮捕されている。特捜部は関連資料を押収するなどして、同省の組織的な関与がなかったか調べるとみられる。


【郵便法違反事件】厚労省、家宅捜索で騒然
2009.5.27 11:25

 障害者団体向けの郵便制度を悪用した郵便法違反事件で、27日午前に大阪地検特捜部の家宅捜索が入った東京・霞が関の厚生労働省は、騒然とした雰囲気に包まれた。

 午前9時ごろ、特捜部の係官約20人が厚労省の正面玄関から入ると、待ちかまえていた報道陣が一斉にカメラのフラッシュをたいた。


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 係官らは、逮捕された厚労省障害保健福祉部係長、上村勉容疑者(39)が所属する同部企画課などを捜索。企画課がある5階には警備員が立ち、職員らも出入りを繰り返すなど緊張したムードが漂った。障害者団体証明書の申請窓口である同課自立支援振興室の扉は鍵がかけられていた。

 詰めかけた報道陣と、それを制止しようとする広報室の職員とが「撮影はやめてください」「庁内は撮影禁止です」ともみ合いになるシーンもあった。

 厚労省の過去の不祥事でも、何度か繰り返された物々しい光景。最近は新型インフルエンザで存在感を見せていただけに、若手職員からは「また、もとのたたかれる厚労省に逆戻りだ」との声も聞かれた。


【郵便法違反事件】逮捕の厚労省係長、正規の稟議書を切り貼り
2009.5.27 13:00

 障害者団体向け割引郵便制度の悪用をめぐる虚偽公文書作成事件で、大阪地検特捜部に逮捕された厚生労働省障害保健福祉部係長、上村勉容疑者(39)が、障害者団体「凛(りん)の会」(解散)への証明書発行手続きが進んでいることを示すために偽の稟議書を作成した際、正規の古い稟議書を切り張りしていたことが27日、分かった。

 特捜部は同日朝から東京・霞が関の厚労省を家宅捜索。当時の他の担当職員のの聴取を進めており、厚労省の組織的関与の有無も含め慎重に捜査する。

 また、上村容疑者が特捜部の調べに、凛の会が制度適用の承認を受ける際に郵便事業会社(日本郵便)に提出した偽の証明書についても関与を認める供述をしていることが判明した。

 特捜部によると、上村容疑者が作成した偽の稟議書の上半分には、起案日の平成16年4月26日という日付と起案者の上村容疑者の署名、押印、下半分には、上司である障害保健福祉部企画課長や社会参加推進室長ら6人の決裁印欄と数人分の押印があった。

 上半分は上村容疑者が新たに作成し、下半分は古い正規の稟議書を切って張り合わせていた。当時すでに他部署に異動した同室長の決裁印も押されていたほか、決裁途中であることを示すため、数人分の印鑑を消してコピーした形跡が残っていたという。

 この稟議書は、凛の会の発起人、河野克史容疑者(68)が、加盟を申請していた「障害者団体定期刊行物協会」に承認審査が進んでいることを示す資料として提出された。しかし、同会関係者は「証明書の提出を求めていたのに稟議書を持ってきた。しかも張り合わせた感じがして不審に思った」と話していた。


郵便不正事件、厚労省局長が直接電話 倉沢被告「目の前で郵政幹部に」
2009.5.29 00:30

 障害者団体向け割引郵便制度の悪用をめぐる虚偽公文書作成事件で、「凛(りん)の会」(解散)主要メンバー、倉沢邦夫被告(73)=郵便法違反罪で起訴=が、障害者団体証明書の発行を求めて、厚生労働省の局長(当時・障害保健福祉部企画課長)と面会した際、「局長が目の前で郵便局会社副社長(当時・日本郵政公社東京支社長)に電話をかけた」と話していたことが28日、関係者の話で分かった。

 倉沢被告は大阪地検特捜部の調べに、局長の部下だった同部係長、上村勉容疑者(39)が作成した偽の証明書を「局長から直接受け取った」と供述していることがすでに判明している。

 特捜部も一連の事実を把握しているもようで、凛の会が制度の承認を受けられるよう局長が郵政側に何らかの便宜を図った可能性もあるとみて、会話の内容などを慎重に調べている。

 凛の会関係者によると、倉沢被告は平成16年2月、制度適用承認の相談のため厚労省を訪問。その後も数回にわたって訪れ、局長や上村容疑者、前任の担当者らと面会していた。局長はこの間に倉沢被告の目前で電話をかけたとみられる。

 副社長は産経新聞の取材に「局長とは面識がなく電話をもらった記憶もない」。局長は「凛の会についても、倉沢という人物についても心当たりがない」とそれぞれ話している。

 また、特捜部は同日、厚労省発行の証明書や稟議(りんぎ)書の偽造に組織的な関与がなかったかどうかを調べるため、関連先として障害保健福祉部の元部長が理事を務める厚労省の外郭団体を家宅捜索した。

 元部長は上村容疑者が稟議書などを偽造したとされる16年4月当時の上司。外郭団体によると、特捜部の係官に対し、「全く知らない」と関与を否定していたという。

【郵便不正】厚労省係長「何度もせっつかれ偽造」 「政治案件」として引き継ぎ
2009.5.29 13:38

 障害者団体向け割引郵便制度の悪用をめぐる虚偽公文書作成事件で、厚生労働省障害保健福祉部係長、上村勉容疑者(39)が大阪地検特捜部の調べに、障害者団体「凛の会」(解散)に偽の証明書などを発行した経緯について、「凛の会側から何度もせっつかれて偽造してしまった」と供述していることが29日、捜査関係者への取材で分かった。

 同会主要メンバー、倉沢邦夫被告(73)=郵便法違反罪で起訴=が民主党国会議員の名前をかたって証明書の発行を求めていたことから、特捜部は「政治的圧力」を感じた上村容疑者がたまらず偽造した可能性もあるとみて、当時の上司や同僚らから詳しい事情を聴いている。

 厚労省関係者によると、上村容疑者は平成16年4月に同部企画課に異動になった際、前任者から、凛の会の件について「政治案件」として引き継いだ。その後、複数回にわたって倉沢被告らの訪問を受けていた。

 一方、同会は前任者の勧めでNPO法人「障害者団体定期刊行物協会」に加盟を申請。しかし、証明書の提出を求められたため、倉沢被告が上村容疑者らに相談を持ちかけた。

 捜査関係者によると、上村容疑者は同月下旬、証明書の発行手続きが順調に進んでいるように装うため、内部文書である稟議(りんぎ)書を偽造、凛の会側にファクスで送信したという。

 その後、同会発起人の河野克史容疑者(68)=虚偽公文書作成・同行使容疑で逮捕=が5月中旬、証明書発行手続きの進捗(しんちよく)状況を尋ねるために厚労省を訪問。上村容疑者は河野容疑者の念押しに「分かりました」と答えたという。河野容疑者は同月20日ごろにも上村容疑者に電話をかけて確認。結局、偽の証明書は同月28日付で発行された。


郵便不正、証明書偽造は「自己保身のため」厚労省係長が供述
2009.6.2 02:05

 障害者団体向け割引郵便制度の悪用をめぐる虚偽公文書作成事件で、厚生労働省障害保健福祉部係長、上村勉容疑者(39)が大阪地検特捜部の調べに、「凛(りん)の会」(解散)に偽の障害者団体証明書を作成した動機について、「手早く発行できなければ仕事ができないと思われる。自己保身のためだった」という趣旨の供述をしていることが1日、分かった。偽造に関して上司らの指示の有無が焦点になっていたが、「政治案件」として引き継いだ上村容疑者が重圧を感じ、処理を急ぐために不正な手段を選んだ可能性が高まっている。

 一方、障害保健福祉部内で正規の稟議書が回されず、決裁のないまま証明書が発行されるなど不自然な点も残されており、特捜部は、決裁権を持つ上司らが上村容疑者の不正に気付いていなかったか、慎重に捜査を続けている。

 捜査関係者によると、上村容疑者は「自己完結的に処理した」と上司や同僚らの関与を否定する供述もしているほか、「凛の会側から何度もせっつかれて偽造してしまった」と焦りから偽造に至った状況を説明しているという。

 当時の障害保健福祉部長(57)=退職=の供述などによると、平成16年2月ごろ、民主党の国会議員が部長に電話で凛の会への対応を依頼。以後、部内で政治案件として扱われ、部長や企画課長=現局長=も同会主要メンバー、倉沢邦夫容疑者(73)=郵便法違反容疑で再逮捕=と面会していた。

 2カ月後に企画課係長へ異動した上村容疑者は4月末、倉沢容疑者の求めに応じて、発行手続きが進んでいるように装うために偽の稟議書を作成。さらに5月末~6月初めには、凛の会側に全く審査資料の提出も求めないまま、偽の証明書を発行した。


日本郵政 博報堂との契約を当面見送り
2009.6.3 11:53

 日本郵政は3日、博報堂子会社が郵便法違反事件に関与していた事実を踏まえ、博報堂との新規の広告業務契約を当面見合わせる方針を明らかにした。

 博報堂子会社の「博報堂エルグ」の執行役員が、障害者団体向けの郵便料金割引制度の不正利用事件に関わったとし、先月起訴されていた。ただ日本郵政は事件の発覚後も博報堂との契約を継続しており、鳩山邦夫総務相が取引を問題視する発言をしていた。


郵便不正事件で日本郵便支店長ら2人を略式起訴 大阪区検
2009.6.8 18:25

 障害者団体向け割引郵便制度を悪用した郵便法違反事件で、大阪区検は8日、制度の適用要件を満たしていないのを認識しながら、違法ダイレクトメール(DM)の発送を了承したとして、同法違反罪で郵便事業会社(日本郵便)の山本光男・新大阪支店長(59)と鈴木智志・新東京支店総務主任(40)、健康食品通販会社「キューサイ」(福岡市)の河本薫取締役営業本部長(51)を略式起訴した。

 大阪簡裁は同日、それぞれ罰金100万、70万、90万円の略式命令を出し、いずれも即日納付された。大阪地検特捜部によると、3人は起訴事実を認めているという。

 特捜部は、山本支店長らは個人的な利得を得ていないことに加え、事なかれ主義の企業体質などが背景にあったと判断。また、在宅で取り調べていた河本取締役は、DMの数が他の広告主と比べて少ないことから、それぞれ悪質性が低いとして公判請求を見送った。

 起訴状によると、山本支店長は平成20年9~10月、キューサイなどのDM約140万通、鈴木総務主任は19年2月、ベスト電器(同)のDM約130万通の発送を認め、正規料金との差額計約3億円の支払いを免れさせた。また、河本取締役は20年9月、自社の違法DM約57万通を発送し、約6500万円の差額の支払いを免れたとしている。


「偽造証明書を課長に渡した」 郵便制度悪用事件で係長供述
2009.6.11 02:00

 障害者団体向け割引郵便制度の悪用をめぐる虚偽公文書作成事件で、厚生労働省障害保健福祉部係長、上村勉容疑者(39)が大阪地検特捜部の調べに対し、「偽造した障害者団体証明書を当時の企画課長(現局長)に手渡した」と供述していることが10日、捜査関係者への取材で分かった。

 障害者団体「凛(りん)の会」の主要メンバー、倉沢邦夫容疑者(73)=郵便法違反容疑で再逮捕=は「局長から証明書を直接受け取った」と供述しており、上村容疑者の供述と符合する。

 特捜部は、局長が稟議書の決裁もしないまま、公印を押した証明書を凛の会側に交付していたことを重視、上村容疑者の偽造を認識していた可能性もあるとみて慎重に調べるとともに、上村容疑者がすでに偽造を認めている凛の会の証明書について、週明けの立件を視野に捜査している。

 捜査関係者によると、上村容疑者は「平成16年6月初めごろ、5月末付の証明書を手渡した」と説明。これまでの特捜部の調べでは、上村容疑者は凛の会への対応について、「政治案件」として引き継ぎを受けていた。

 上村容疑者は特捜部の調べに「手早く発行できないと仕事ができないと思われる。自己保身のために偽造した」などと供述していた。しかし、特捜部は、上司や同僚らが偽造を指示していなかったものの、不正の認識があった可能性もあるとみて捜査していた。


郵便不正「ノンキャリなので押しつけられた」 厚労省係長が供述
2009.6.11 13:33

 障害者団体向け割引郵便制度の悪用をめぐる虚偽公文書作成事件で、厚生労働省障害保健福祉部係長、上村勉容疑者(39)が大阪地検特捜部の調べに対し、厚労省内で政治案件として扱われていた「凛(りん)の会」(解散)の障害者団体証明書の発行などをめぐり、「自分はノンキャリアなのでややこしい仕事や面倒な仕事を押しつけられていた」と供述していることが11日、分かった。

 上村容疑者は偽造した証明書について、「凛の会側に自分で渡した」から「当時の課長(現局長)に渡した」と供述を変遷させており、特捜部は、証明書の申請から発行までの経緯の全容解明には局長の任意の聴取が必要と判断、近く事情聴取する方針を固めたもようだ。

 捜査関係者によると、上村容疑者は、局長に偽造した証明書を渡した際、局長から「分かりました。ありがとう」と声をかけられたなどと当時の状況を細かく説明。また、供述を変えた理由については、「キャリアの上司の名前を出したくなかった」との趣旨の供述をしているとされる。

 これまでの特捜部の調べでは、凛の会主要メンバー、倉沢邦夫容疑者(73)=郵便法違反容疑で再逮捕=は「証明書を局長から直接受け取った」と供述していた。

 一方、局長は5月末、産経新聞の取材に広報室を通じて、「凛の会についても倉沢という人物についても心当たりはない。彼らがなぜそのように言っているのか分からない」と否定するコメントを出した。

 凛の会関係者によると、上村容疑者は偽の証明書を作成する直前の16年5月中旬、手続きの進捗(しんちょく)状況を尋ねにきた同会発起人、河野克史容疑者(68)=虚偽公文書作成・同行使容疑で逮捕=と庁舎内の喫茶室で面会した。

 その際、「僕はキャリアではなくノンキャリアだから遠慮なく何でも言ってください」と話したほか、「上司の了解があり、決裁が早く済みそう」と局長らの関与を示唆する発言もしていたという。




郵便不正事件で大阪地裁、「捜査に疑問」と拘置短縮
2009.6.12 00:53

 大阪地裁(植野聡裁判長)は11日、郵便制度悪用事件で大阪地検特捜部が再逮捕した障害者団体「白山会」会長守田義国容疑者(69)の拘置延長について、「捜査に疑問を感じる」といったん認めた期間の延長を取り消し、3日間短縮する決定をした。

 弁護人が10日に「懇意の国会議員に依頼をした経緯ばかり連日調べられ、別件捜査だ」と延長取り消しを求め、準抗告していた。

 植野裁判長は決定理由で「証拠隠滅や逃亡の恐れがある」と拘置の必要性は認めた。その上で「(議員との関係は)郵便法違反事件の処分を決める際に解明が必要な事情とは認められない」と指摘。さらに「捜査の在り方に疑問を感じる。拘置は無限定に許されるものではない」とした。

 守田容疑者はこれまで、2件の郵便法違反罪で起訴され、5月29日には同法違反や私文書偽造・同行使容疑で3度目の逮捕をされた。


郵便不正 厚労省局長を一両日中に聴取へ 偽造を認識か
2009.6.14 00:03

 障害者団体向け割引郵便制度の悪用をめぐる虚偽公文書作成事件で、障害者団体「凛(りん)の会」の証明書を偽造したとされる厚生労働省障害保健福祉部係長、上村勉容疑者(39)が大阪地検特捜部の調べに、当時の上司で障害保健福祉部企画課長だった雇用均等・児童家庭局長(53)が証明書の偽造を認識していたことをうかがわせる供述をしていることが13日、分かった。

 特捜部は、証明書発行の詳しい経緯を解明するため、厚労省側に局長の事情聴取を要請しており、一両日中にも聴取に踏み切るとみられる。さらに聴取内容を踏まえ、虚偽公文書作成容疑などでの立件の可否について検討する方針。

 捜査関係者によると、上村容疑者は平成16年6月上旬、5月末の日付の証明書を偽造。逮捕当初は凛の会側に「自ら渡した」としていたが、その後、「局長に渡した」と供述を変えたことが分かっている。

 これまでの特捜部の調べでは、凛の会への証明書発行について、当時の部長(退職)が民主党国会議員の依頼を受けたことから、部内で「政治案件」として扱われており、局長も凛の会主要メンバー、倉沢邦夫容疑者(73)=郵便法違反容疑で再逮捕=と面談したことがあったという。

 また、倉沢容疑者は「証明書を局長から直接受け取った」と供述しているが、局長は産経新聞の取材に広報室を通じて「凛の会についても倉沢という人物についても心当たりはない」とコメントしている。


【郵便制度不正事件】厚労省局長を任意聴取
2009.6.14 10:31

 障害者団体向け割引郵便制度の悪用をめぐる虚偽公文書作成事件で、大阪地検特捜部は14日、厚生労働省障害保健福祉部係長、上村勉容疑者(39)の当時の上司で同部企画課長だった雇用均等・児童家庭局長(53)から任意の事情聴取を始めた。

 特捜部は、障害者団体「凛の会」の証明書を発行した経緯について詳しく事情を聴くとともに、上村容疑者が偽装したことへの認識の程度を確認。聴取内容を踏まえ、虚偽公文書作成容疑などでの立件の可否について上級庁と検討するもようだ。

 これまでの特捜部の調べによると、凛の会への証明書発行について、民主党国会議員が当時の部長(退職)に電話をかけて依頼していたことが分かっている。このため、厚労省内では「政治案件」として扱われ、局長も凛の会主要メンバー、倉沢邦夫容疑者(73)=郵便法違反容疑で再逮捕=と面談したことがあったという。

 また、倉沢容疑者は「証明書を局長から直接受け取った」と供述。上村容疑者も「証明書を局長に渡した」と話しているが、局長は産経新聞の取材に「凛の会についても倉沢という人物についても心当たりはない」とコメントしている。


【郵便制度不正事件】厚労省現役女性局長に逮捕状
2009.6.14 16:37

 障害者団体向け郵便制度悪用事件で、障害者団体「凛(りん)の会」(現・白山会)向けの証明書の偽造、発行に関与したとして、大阪地検特捜部は14日、虚偽公文書作成・同行使の疑いで、当時の担当課長だった厚生労働省雇用均等・児童家庭局長村木厚子容疑者(53)=埼玉県和光市=の逮捕状を取った。同日中に逮捕する。

 事件は、障害者福祉の根幹を担う厚労省の組織的な関与を問う局面に発展。凛の会の証明書は省内で「政治案件」として扱われていたとの供述もあり、特捜部は政界からの口利きも含め全容解明を進める。

 捜査関係者によると、証明書は2004年5月28日付で課長公印が押され、障害者団体を名乗る凛の会に厚労省から発行されたことになっていた。だが省内には発行に関する資料は残っていなかった。証明書発行に向けての稟議(りんぎ)書を偽造したとして同容疑で逮捕された同省係長上村勉容疑者(39)は、調べに証明書の偽造も認めていた。当時、村木容疑者は傷害保険福祉部企画課長で、上村容疑者の直属の上司だった。



【郵便不正事件】省庁のキャリアシステムが背景か
2009.6.15 11:32

 民主党国会議員の口利きがあり、厚労省内で「政治案件」として扱われた障害者団体「凛の会」の証明書発行。今回の事件では、この“腫れ物”のような案件をめぐり、法案の処理などで政治家の口利きを断れないキャリア官僚と、キャリアに追い込まれるノンキャリア職員という構図も浮かび上がる。

 証明書発行に絡む省内の指示は、当時の厚労省障害保健福祉部長(57)から始まった。「国会議員から電話がかかってきた。うまくやってくれ」

 平成16年2月、ほぼ丸投げされた同部企画課長だった村木厚子容疑者(53)は調整係長を担当者に指名。その後、4月に同係長に着任したノンキャリア職員の上村勉容疑者(39)が前任者から引き継ぎ、最終的に偽造という不正な手段をとった。

 政治案件はそれほど絶対視されていたのか。ある職員は政治家の口利きの存在を認めたうえで、「3日かかる手続きを1日で済ませたり、進展具合をこまめに報告したりと気配りを徹底するだけ。違法行為に手を染めるかどうかは別問題」と否定的だ。

 だが、別の職員は「政治案件は通常、対外的な交渉を担当する別の部署から伝えられる。しかし上司から直接指示があったとすれば、部下が『個人的に関係があるのでは』と勝手に思い込み、必要以上に気を使う可能性はある」と指摘する。

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 上村容疑者は特捜部の調べに、「凛の会側から何度もせっつかれた」と話す一方、「仕事ができない奴だと思われたくなかった。自己保身のためにやった」とも供述した。

 同僚らが「仕事一筋でまじめな性格だった」と口をそろえる上村容疑者。なぜそこまでして仕事を済ませたのか。その背景に中央省庁のキャリアシステムを挙げる職員もいる。厚労省の課長ポストはほとんどキャリアで占められ、職員の人事評価は各課長の仕事。同僚らは「案件処理のスピードは評価の大きな要素になっていた。キャリアににらまれたくない一心だったと思う」と話す。


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 一方、キャリアの村木容疑者はまったく違う立場にいた。当時、障害者自立支援法の準備に追われ、国会議員とも調整を重ねていた。ある職員は「法案は障害者団体から負担増になると反対の声が上がっていた。野党の議員の口利きに過剰に反応し、部下の不正を軽く流してしまったのでは」と推し量った。


【郵便不正事件】「直接面会して催促」と倉沢容疑者 村木容疑者は「知らない」
2009.6.16 01:30

 障害者団体向け割引郵便制度の悪用をめぐる虚偽有印公文書作成事件で、「凛(りん)の会」主要メンバー、倉沢邦夫容疑者(73)と厚生労働省障害保健福祉部係長、上村勉容疑者(39)が大阪地検特捜部の調べに対し、それぞれ障害者団体証明書の偽造直前、雇用均等・児童家庭局長、村木厚子容疑者(53)との直接のやりとりを詳述していることが15日、関係者の話で分かった。全面否認している村木容疑者の“外堀”はすでに埋められた格好だ。

 倉沢容疑者の供述によると、平成16年6月上旬、証明書の発行を急いでもらうために厚労省を訪問。当時、障害保健福祉部企画課長だった村木容疑者と面会し、「早く証明書を出してほしい」と直接催促した。これに対し、村木容疑者は「分かりました」と答えたという。

 一方、同課調整係長として証明書の発行を担当していた上村容疑者の供述では、この直後に村木容疑者に呼ばれ、「証明書はどうなっていますか。出せるなら早く出してあげて」と発行を急ぐよう指示されたという。この指示を受けて上村容疑者は証明書の偽造に踏み切ったとみられる。

 倉沢容疑者はこのほかにも、村木容疑者との直接のやりとりを具体的に供述している。

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 5月上旬から中旬の間にも厚労省を訪問し、村木容疑者に証明書の発行を要請するとともに、郵便事業会社(旧日本郵政公社)から低料第三種郵便物制度の適用を拒否されていることを説明。すると、村木容疑者は旧日本郵政公社東京支社長に電話をかけ、「証明書はまもなく出すので、凛の会に制度の適用を認めてほしい」と依頼したという。
 また6月上旬の偽造証明書の受け渡しについて、上村容疑者は「村木容疑者に渡した」、倉沢容疑者も「村木局長から直接受け取った」と供述するなど、2人の供述は矛盾しない点が多い。

 これに対し、村木容疑者は逮捕前の産経新聞の取材や逮捕後の調べに、「凛の会のことも証明書のことも知らない。倉沢容疑者に会ったこともない」と全面的に否認している。

 このため特捜部は、関係者の事情聴取などで2人の供述を裏付け、村木容疑者の容疑を固める方針。




【郵便不正事件】「正式決裁いらない」と局長指示 証明書偽造認識か
2009.6.16 02:00

 障害者団体向け割引郵便制度の悪用をめぐる虚偽有印公文書作成事件で、厚生労働省障害保健福祉部係長、上村勉容疑者(39)が大阪地検特捜部の調べに、「凛(りん)の会」(解散)の障害者団体証明書について、雇用均等・児童家庭局長、村木厚子容疑者(53)から「『正式な決裁はいらないから』と言われ発行をせかされた」と供述していることが15日、分かった。

 同会の証明書発行をめぐっては、民主党国会議員から当時の障害保健福祉部長(退職)に直接依頼されていたことがすでに判明している。

 特捜部は、「政治案件」であることを重くみた村木容疑者が、正式な手続きではないことを認識しながら上村容疑者に証明書を作成させたとみている。

 捜査関係者らによると、上村容疑者は平成16年4月、同部企画課調整係長に着任し、前任者から証明書の発行を議員案件として引き継ぎ。まもなく、当時の企画課長だった村木容疑者に「凛の会は活動実体がなく、証明書を発行できる可能性が低い」という趣旨の説明をした。

 その前後も、凛の会主要メンバー、倉沢邦夫容疑者(73)らが厚労省を度々訪れ、上村容疑者や村木容疑者に証明書の発行を要請。上村容疑者は6月上旬、村木容疑者に「正式な決裁はいらないから」と証明書の発行をせかされたため、総務係長が管理している企画課長の公印を押し、証明書を偽造。村木容疑者に渡したとみられる。


【郵便不正事件】後任の雇用均等・児童家庭局長に北村彰氏
2009.6.16 10:33

 厚生労働省は16日、郵便制度の悪用事件にからみ、虚偽有印公文書作成・同行使容疑で逮捕された厚労省雇用均等・児童家庭局長、村木厚子容疑者(53)を大臣官房付に、後任の局長に北村彰大臣官房審議官(雇用均等・児童家庭担当)を充てる人事異動を発令した。

 舛添要一厚労相は「少子化対策は課題が山積し、一刻の遅滞もゆるされないことから緊急決定した」と説明した。

 北村局長は大阪大学経済学部を卒業後、昭和54年に厚生省に入省。社会・援護局地域福祉課長や医薬食品局総務課長などを歴任した。



【郵便不正事件】「もう忘れて」厚労省局長が係長にくぎ
2009.6.16 13:25

 障害者団体向け割引郵便制度の悪用をめぐる虚偽有印公文書作成事件で、厚生労働省障害保健福祉部企画課長だった元雇用均等・児童家庭局長、村木厚子容疑者(53)の当時の部下で同部係長、上村勉容疑者(39)が大阪地検特捜部の調べに、「凛(りん)の会」の障害者団体証明書について、「村木局長から『この件はもう忘れて』と言われた」と供述していることが16日、分かった。

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 偽造後、上村容疑者が発行手続きに必要な申請書類を後でそろえようとしたところ、「村木局長から止められた」と供述していることも判明。特捜部は、村木容疑者が証明書発行の違法性を認識しながら、不正を黙認したとみている。

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 関係者の供述によると、凛の会主要メンバー、倉沢邦夫容疑者(73)が平成16年2月、証明書の発行を求めて厚労省を訪問した際、村木容疑者は「会員に障害者が少ない」と指摘しており、同会の活動実態に疑問を抱いていたとみられる。

 しかし、6月上旬に倉沢容疑者から直接催促を受けると、部下の上村容疑者に「活動実態はない団体かもしれないが出してあげて」と証明書の発行を指示していた。さらにその後、「もう忘れて」と上村容疑者にくぎを刺したという。



 証明書発行は、当時の部長(退職)が国会議員から電話で依頼された「政治案件」だったため、村木容疑者は過敏に反応し、審査や正規の手続きをしないことを黙認したとみられる。

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【郵便不正事件】国会議員が事務所から厚労省に電話 凛の会メンバーの目前で
2009.6.16 14:34

 障害者団体向け割引郵便制度の悪用をめぐる虚偽有印公文書作成事件で、「凛(りん)の会」の障害者団体証明書の発行について、同会主要メンバーの倉沢邦夫容疑者(73)が大阪地検特捜部の調べに対し、「民主党国会議員の事務所から目の前で厚生労働省の幹部に電話をかけてもらった」と供述していることが16日、関係者への取材で分かった。倉沢容疑者はこの議員の元秘書で、議員の“威光”を利用して証明書を得ようとしたとみられる。

 特捜部は16日、任意の聴取でこの議員から電話を受け、当時、障害保健福祉部企画課長だった雇用均等・児童家庭局長、村木厚子容疑者(53)=同日、大臣官房付に異動=に対応を指示したと証言している元同部長(退職)の東京都江戸川区の自宅を捜索した。一連の容疑を裏付けるのが目的とみられる。

 産経新聞の取材にこの議員の事務所は「そのような事実はなく、倉沢容疑者が陳情のために事務所に来たこともない」と全面的に否定している。

 関係者によると、倉沢容疑者らは平成15年10月に凛の会を立ち上げ、16年2月に厚労省から障害者団体証明書を得るため、この国会議員に厚労省への口利きを依頼したという。

 当日は、倉沢容疑者と元メンバーの2人が議員会館の事務所を訪問。議員と向かい合ってソファに座り、「凛の会という障害者団体を立ち上げたので厚労省の認可がほしい」と持ちかけた。議員は面識があった元部長にその場で電話し、「凛の会という団体が証明書の申請に行くのでよろしく頼む。担当者の名前を教えてくれ」と依頼したという。

 その後、倉沢容疑者は議員を通じて村木容疑者が担当と知り、厚労省を訪問。その後も複数回にわたって面会し、証明書の発行を催促していたとみられる。



【郵便不正】凛の会、証明書発行前にDM契約 発送期限迫り催促
2009.6.17 14:28

 障害者団体向け割引郵便制度の悪用をめぐる虚偽有印公文書作成事件で、障害者団体「凛の会」が厚生労働省から証明書の発行を受ける前に、割引制度を利用してダイレクトメール(DM)を格安で発送する契約を広告主と結び、代金を受け取っていたことが17日、関係者の話で分かった。また、同会主要メンバー、倉沢邦夫容疑者(73)が大阪地検特捜部の調べに「証明書が出なければ、郵便料金の差額分を負担しないといけないので焦っていた」との趣旨の供述をしているという。

 特捜部は、凛の会側がDMの発送期限が迫ったため、厚労省障害保健福祉部企画課長だった元雇用均等・児童家庭局長、村木厚子容疑者(53)や同部係長、上村勉容疑者(39)に発行の催促を繰り返したとみている。

 関係者によると、凛の会は平成16年初め、割引制度の適用を見越し、さいたま市の柔道整復師の養成を目的とした専門学校と、生徒募集広告のDMの発送契約を締結。4月に同会発起人、河野克史容疑者(68)名義の口座に専門学校から代金20万円が振り込まれた。

 一方、倉沢容疑者は2月、民主党の国会議員に“口利き”を依頼した上で、厚労省に証明書の発行を要請。しかし、なかなか発行されず、6月の発送期限が迫ったため、倉沢容疑者は4月以降、村木容疑者らに証明書の早期発行を繰り返し催促したという。

 また、発送期限までに制度適用の承認を得ないと、正規の郵便料金との差額数十万を負担しなければならなかったため、倉沢容疑者らが郵便事業会社(旧日本郵政公社)側とも度々交渉。上村容疑者が偽造した厚労省の稟議書を持ち込むなどしたが、承認されなかった。結局、6月10日ごろに東京の日本橋郵便局(当時)に証明書を提出。専門学校の広告を掲載したDM数千通を定期刊行物「凛」と同封して発送したという。

 広告主の専門学校は産経新聞の取材に対し、「当時の担当者がいないのでよく分からない。経緯を説明するつもりもない」としている。


【郵便不正】証明書発行「然るべくやりました」厚労省元部長が民主党議員に報告
2009.6.18 01:22

 障害者団体向け割引郵便制度の悪用をめぐる虚偽有印公文書作成事件で、厚生労働省障害保健福祉部の元部長(57)=退職=が大阪地検特捜部の調べに、元雇用均等・児童家庭局長、村木厚子容疑者(53)から「凛(りん)の会」の障害者団体証明書の発行の報告を受けた後、「民主党国会議員に『然るべくやりました』と伝えた」と供述していることが17日、関係者への取材で分かった。

 特捜部は「証明書のことは知らない」と全面否認している村木容疑者の関与を裏付ける供述とみている。また、元部長が国会議員にアピールするため電話で報告した可能性が高いと判断。今後、元部長が証明書が偽造されたことを認識していなかったか慎重に捜査を進める。

 関係者によると、元部長は平成16年6月上旬、当時、障害保健福祉部企画課長だった村木容疑者から「証明書を発行しました」と報告を受け、その後すぐに民主党国会議員に電話をかけたという。

 同会の証明書発行をめぐっては、凛の会主要メンバー、倉沢邦夫容疑者(73)が16年2月、民主党国会議員の事務所で厚労省への口利きを依頼。議員はその場で元部長に電話をかけ、元部長はその後、村木容疑者に「うまくやってくれ」と対応を指示したことがすでに判明している。

 村木容疑者は16年6月上旬、倉沢容疑者から直接、「早く証明書を出してほしい」と催促を受けると、「活動実態のない団体かもしれないが早く出してあげて」と同部係長の上村勉容疑者(39)に改めて指示したとされる。

     ◇

 郵便法違反などの罪で起訴された障害者団体「白山会」会長、守田義國被告(69)と広告代理店「新生企業」(現・伸正)社長、宇田敏代被告(53)が17日、保釈された。弁護人らによると、保釈保証金は守田被告が730万円、宇田被告が2000万円。


【郵便不正事件】厚労省捜索で職員の机から現金400万円 アルバイト報酬?
2009.6.19 11:02

 郵便制度悪用に絡む公文書偽造事件で、大阪地検特捜部に家宅捜索された厚生労働省雇用均等・児童家庭局総務課の職員の机から現金約400万円が見つかっていたことが19日、分かった。

 捜索は前局長、村木厚子容疑者(53)らの逮捕翌日の15日に実施された。厚労省は、有志の職員約10人で作る研究会のメンバーが業務時間外に民間の出版物を校閲した報酬だったと説明。「法的問題はないが、多額の現金を職場で保管していたのは不適切」として職員を口頭注意した。

 同局総務課によると、出版社から研究会の代表を務める職員名義の口座に振り込まれ、メンバーの職員らの私的な飲食費などに充てていた。現在代表の職員は、前任者から口座を引き継げないため現金で約400万円を渡されたが、「多忙で自分名義の口座に入金するのを忘れていた」と説明したという。


【郵便不正】村木容疑者、接見でも「偽造ありえない」
2009.6.20 13:17

 障害者団体向け割引郵便制度の悪用をめぐる虚偽有印公文書作成事件で、大阪地検特捜部に逮捕された厚生労働省元雇用均等・児童家庭局長、村木厚子容疑者(53)の弁護人が20日、産経新聞の取材に応じ、村木容疑者が「証明書をめぐり不正をしたことは一切ない」と話していることを明らかにした。

 弁護人によると、村木容疑者はこの日の接見で「日常業務から考えて証明書を偽造するなんてありえない」などと主張。民主党国会議員の“口利き”があったとされる点も「特別記憶に残ってはいないし、政治家とやりとりする理由もない」と否定しているという。

 また、障害者団体「凛の会」主要メンバーの倉沢邦夫容疑者(73)らと面会したかどうかについて、弁護人は「少なくとも記憶に残る会い方はしていないということだ」と話した。



郵便不正 別の2団体には厳格審査 「凛の会」前後に元局長が証明書決裁
2009.6.21 01:39

 障害者団体向け割引郵便制度の悪用をめぐる虚偽有印公文書作成事件で、厚生労働省が、障害者団体「凛の会」に偽の証明書を発行した前後の平成15年11月と17年9月、別の2団体について、厳格に審査した上で証明書を発行していたことが20日、厚労省関係者の話で分かった。いずれも当時、厚労省障害保健福祉部企画課長だった元雇用均等・児童家庭局長、村木厚子容疑者(53)が審査書類を確認した上で決裁していたという。

 村木容疑者は16年6月、凛の会の証明書について、同部係長、上村勉容疑者(39)に「活動実態はないかもしれないが出してあげて」と指示したことが判明している。大阪地検特捜部は、正規の手続きを理解している村木容疑者が、凛の会に偽の証明書の発行を認めていたことを示す“状況証拠”とみている。

 関係者によると、村木容疑者が企画課長に着任した15年8月、臓器移植患者を支援する「東京女子医大移植者の会」が証明書を申請し、全国約220人の会員名簿や定期刊行物、会規約などを提出。しかし、担当係長から「部数が制度利用に必要な500部より少ない」「刊行物に定価が書かれていない」などの不備を指摘されたという。

 書類審査を経た上で、村木容疑者の決裁で発行が認められたのは同年11月だった。同会の小柳啓一副会長(47)は「何度かやりとりをしたが、対応はすべて係長で、課長や部長には一度も会ったことがない」と話す。

 また、村木容疑者が異動する直前の17年9月、寝たきり患者の家族を支援する「全国遷延性意識障害者家族の会」に証明書が発行されていた。同会の申請は同年6月ごろといい、桑山雄次代表(53)は「担当の係長から会の活動内容や名簿について細かく質問された。名簿に載っている人物が実在しているかどうか、本当に障害者なのかという点まで確認した末に、ようやく発行してもらった」と証言している。

 この2団体のケースではいずれも、上村容疑者とは別の係長が対応し、村木容疑者らの決裁印が押された審査書類や証明書の控えなどが課内で保管されていたという。

 これに対し、凛の会は、主要メンバーの倉沢邦夫容疑者(73)が16年2月に厚労省を訪問した際、村木容疑者から「会員に障害者が少ない」と指摘されたにもかかわらず、その後、審査書類も提出しないまま証明書が発行された。証明書の控えなども保管されていなかったという。

【郵便不正】東京都でも証明書偽造か 「凛の会」関係団体がDM (1/2ページ)
2009.6.22 01:49

 障害者団体向け割引郵便制度の悪用をめぐる虚偽有印公文書作成事件にからみ、「凛の会」の元メンバーが設立にかかわった別の障害者団体が、活動実態がないにもかかわらず、東京都から証明書の発行を受け、不正ダイレクトメール(DM)を発送していたことが21日、関係者の話で分かった。郵便事業会社は不正に免れたと判断した数億円の返還を団体側に求めているという。都側には証明書を発行した記録が残っておらず、都は偽造の恐れもあるとして調査に乗り出した。

 この団体は自称・障害者団体「コラボレーション」(東京都中央区)。凛の会が「白山会」に引き継がれた平成18年春に設立された。代表理事は、凛の会の不正DMの企業広告を取り扱っていた広告会社社長が務め、同会元メンバーが理事に名を連ねるなど、凛の会とつながりが深い。

 関係者によると、同会主要メンバーの倉沢邦夫容疑者(73)の知り合いだった守田義國被告(69)=郵便法違反罪などで起訴=が17年ごろから、「常務理事」を名乗って同会の運営に介入し、内部対立に発展。守田被告らはその後、メンバーの大半を追い出した上で、18年4月に「白山会」に名称を変え利益を独占するようになったという。

 このころ、凛の会と取引のあった社長が元メンバーに声をかけ、コラボを設立。東京都福祉保健局に障害者団体証明書を申請し、18年8月ごろに発行を受けたとされる。コラボは同月から昨年秋まで定期刊行物を毎月3回発行。低料第三種郵便物制度を利用して、1回につき数千~数万通のDMを不正に安く発送していたという。

 理事だった元メンバーは産経新聞の取材に、「凛の会で割引制度の“うま味”を知り、制度を使い続けるために障害者団体をでっち上げた」。

社長は「障害者がはつらつと暮らしていけるような社会にしたいという思いから団体を設立した。知覚障害者を招いたコンサートの開催を手伝うなど、活動実態はあった」と主張している。

 一方、東京都障害者施策推進部は「団体名簿の提出を求めるなど厳しい承認審査を徹底しており、あやしげな団体に証明書を発行するようなことはない」としているが、保存されている18年以降の発行記録にコラボは含まれておらず、他の部署に残っていないか調べるとともに、当時の担当者から事情を聴く方針。

 障害者団体証明書は、障害者団体の活動拠点や規模に合わせて、厚労省のほか都道府県や市町村、行政区でも発行している。



【郵便不正】大阪府も不適切証明 審査書類保管なし
2009.6.24 14:13

 障害者団体向け割引郵便制度の悪用をめぐる虚偽有印公文書作成事件にからみ、大阪府が発行した障害者団体証明書の審査書類が保管されていないことが24日、分かった。この障害者団体には活動実態があるものの審査書類が残されていないことから、府は不適切な審査手続きが行われた可能性もあるとみて調査を始めた。

 府によると、団体は社会福祉法人藍野福祉会が運営する身体障害者通所授産施設「出藍荘」(大阪府茨木市)。一連の郵便不正で摘発された新生企業がこの団体の名義を使い違法ダイレクトメールを送っていたとみられる。

 証明書の発行は平成18年4月20日付。公印を押した場合に記される文書番号がなかった。また、証明書の多くの決裁は部長が行っているが、このケースではその下の室長が決裁していたという。


【郵便不正】新たに1人在宅起訴、2人略式起訴
2009.6.27 01:06

 障害者団体向け割引郵便制度を悪用した郵便法違反事件で、家具販売会社など4社のダイレクトメール(DM)を発送し、郵便料金を不正に免れたとして、大阪地検特捜部は26日、広告代理店「ペン」(京都市)の金慶光社長(53)を大阪簡裁に在宅起訴。紳士服販売店「フタタ」の内田吉彦・営業企画部長(54)と紙製品販売業「伊藤忠紙パルプ」(東京)の榎隆治・九州支店長(54)を略式起訴した。

 大阪簡裁は同日、それぞれ罰金100万円の略式命令を出し、2人は即日納付した。特捜部は、2人に違法性の認識がなく、DM通数も少なかったことから、悪質性が低いと判断、公判請求を見送った。

 また、健康食品販売会社「キューサイ」などのDMを発送したとして印刷・通販大手「ウイルコ」会長、若林和芳被告(57)や広告代理店「新生企業」(大阪市)社長、宇田敏代被告(53)ら3人を追起訴し、一連の郵便法違反事件の捜査を終結した。

 特捜部の調べでは、事件に関与した広告主は計11社。障害者団体計6団体の定期刊行物を装って発送された違法DMは計約3180万通に上り、不正に免れた正規料金との差額は約37億5000万円だった。


【郵便不正】「俺はフィクサー」元厚労省部長が政治家の窓口に
2009.7.3 00:28

 障害者団体向け割引郵便制度の悪用をめぐる虚偽有印公文書作成事件で、民主党国会議員から障害者団体証明書発行の依頼を受けたとされる厚生労働省障害保健福祉部の元部長(57)が、複数の国会議員から陳情を度々受けていたことが2日、関係者への取材で分かった。

 元部長が「政治案件」の窓口役だったことは職員の間で広く知られていたという。事件では、元雇用均等・児童家庭局長、村木厚子容疑者(53)が“政治力”を持つ上司の指示に応えようと偽造に至ったという構図が浮かび上がっている。

 「おれはフィクサーだから」
 関係者によると、元部長は周囲にこう吹聴し、週の半分は議員会館に出入りしていた。部下の職員らには「政治案件はきちんと処理しないといけない」「議員には貸しを作っておかないと」とよく口にしていたという。

 元部長は、平成18年、局長級の政策統括官を最後に退職したが、執務室には故郷・香川県の巨大な地図が掛けられ、「『退官したら知事選に出てほしい』と地元からよく頼まれるんだよ」とうれしそうに話していた。

 関係者は「まるで政治家の総合受付窓口のようだった。元部長が抱いていた政界進出への野心を議員に利用されたのではないか」とみる。

 一方、厚労省関係者によると、当時、元部長の部下の課長職にいた村木容疑者は目的実現のために粘り強く仕事を進めていくタイプ。法案を通すために裏工作をするような策略家ではないが、上司に対しては「イエスマン」だったという。

 証明書の偽造にかかわったとされる当時は、介護保険法改正案などの法案づくりの準備中だったが、関係者は「法案を通すためというより元部長の指示に忠実に従い、さらに部下の係長に指示しただけではないか」という。この関係者は、「元部長がいたからこそ起きた事件だろう」と指摘している。

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 大阪地検特捜部は、凛(りん)の会が障害者団体として実体がないにもかかわらず、証明書を発行したなどとして、勾留(こうりゅう)期限の4日にも、虚偽有印公文書作成・同行使罪で村木容疑者と障害保健福祉部係長、上村勉容疑者(39)の2人を起訴、同会主要メンバー、倉沢邦夫(73)と同会発起人、河野克史(68)の両容疑者を追起訴する方針。捜査関係者によると、村木容疑者は「凛の会も証明書も知らない」と全面否認を続けているが、ほかの3人はいずれも容疑を認めているという。


【郵便不正】厚労省前局長を起訴
2009.7.4 17:47

 郵便制度悪用に絡む厚生労働省の公文書偽造事件で、大阪地検特捜部は4日、障害者団体の偽の証明書発行に関与したとして虚偽有印公文書作成・同行使の罪で、厚労省の前雇用均等・児童家庭局長、村木厚子容疑者(53)=大臣官房付=ら4人を起訴した。

 ほかに起訴したのは、同省の元係長、上村勉(39)=1日付で主査、「凛(りん)の会」(現・白山会)設立者倉沢邦夫(73)、同会元会員河野克史(68)の3容疑者。捜査関係者によると、村木被告は「記憶にない」と否認。ほかの3人は認めている。

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 起訴状によると、村木被告は同省障害保健福祉部企画課長だった平成16年6月上旬、実体のない凛の会を障害者団体と認める証明書を部下だった上村被告に偽造させ、河野被告らが同月10日ごろ、旧日本郵政公社に提出した、としている。



【郵便不正】厚労省元係長を保釈
2009.7.6 11:31

 障害者団体向け割引郵便制度の悪用をめぐる虚偽有印公文書作成事件で、障害者団体証明書を偽造したなどとして虚偽有印公文書作成罪で起訴された厚生労働省障害保健福祉部元係長、上村勉被告(39)について、大阪地裁が保釈決定した。

 決定は4日付。上村被告は保釈保証金250万円を納付し、大阪拘置所から保釈された。


【郵便不正】「元局長は無実」 堂本前知事、住田弁護士らが訴え
2009.7.9 18:42

 障害者団体向け割引郵便制度悪用事件で、虚偽有印公文書作成・同行使罪で起訴された厚生労働省元雇用均等・児童家庭局長の村木厚子被告(53)をめぐり、堂本暁子前千葉県知事や住田裕子弁護士らが9日、厚労省を訪れ、「無実の村木厚子さんの解放を求めます」などとする声明を発表した。

 堂本前知事、住田弁護士はともに村木被告と10年以上前から、男女共同参画事業などを通じて親交があったという。

 堂本前知事は、「村木さんは逮捕直前に『身に覚えのないことを言われて困っている』と話していた。あんなに温かい人が犯罪に手を染めるはずがない」と訴えた。住田弁護士は、村木被告と接見したことを明らかにし、「詳細は話せないが、事件には別の筋書きがあると思う。真実は法廷で明らかになる」と話した。



【衝撃事件の核心】郵便不正事件村木元局長は拘置所で何を考える?広がる支援 揺るぎない自信の検察
2009.7.18 08:00

 4カ月以上にも及ぶ捜査が続いた郵便不正事件は、7月4日に厚生労働省元雇用均等・児童家庭局長、村木厚子被告(53)らの起訴でいったん終結した。厚労省係長らが次々と保釈されるなか、否認を続ける村木被告だけが保釈請求を裁判所に却下され、いまなお大阪拘置所で暮らしている。その村木被告に対する支援の広がりは予想外に大きく、全国の障害者団体を中心に著名人も名を連ねる。13日に接見禁止が解かれて以降、次々と接見に訪れる支援者に、村木被告は第2ラウンドともいえる公判への意欲を語るなど気丈さを見せているという。しかし、大阪地検特捜部はまったく動じる気配はない。厚労省の局長にまで昇りつめた女性キャリアは、塀に囲まれた部屋の中で何を思うのだろうか。

支援者にメッセージ「たくさん勇気もらった」

 「やっと20日間(勾留期間)が終わりました。起訴という結果になりましたが、裁判になって初めて検察側と弁護側、双方が対して公平な闘いになると聞いていたので、がっかりはしていません」

 村木被告が今月14日、家族を通じて支援者らに発信したメッセージだ。その文面からは村木被告の気丈な様子が十分うかがえる。

 そのなかでは勾留中に40通以上の励ましの手紙が届いたことにも触れ、「返事はすぐに出せないと思いますが、たくさん、たくさん元気をもらい勇気をもらったので、心から感謝しています」と女性らしい心配りをみせている。

 接見をめぐってはハプニングもあった。関係者によると、接見禁止が解かれた13日、家族が東京から大阪拘置所を訪れたが、先に村木被告の知人が接見してしまったため、接見できなかったという。弁護人以外の接見は1日1組に限定されているためで、家族は急きょ大阪に1泊し、翌14日に無事に会えたという。

 その後は次々と友人や支援者が接見に訪れており、すでに数週間先まで接見の予定が組まれるほどの人気ぶり。接見を済ませた知人女性には「規則正しい生活で逆に健康になったみたい」と冗談を言うほど元気だった。

 また、ロス疑惑で無罪を勝ち取ったことで知られる弘中惇一郎弁護士を弁護人に選任。公判に向け、知人に差し入れてもらった六法全書で法律の勉強をしているという。

「李下に冠を正さず」

 近年の事件では珍しく、村木被告には逮捕直後から、友人や障害者団体関係者らが支援活動を始めた。
 起訴後の9日には、堂本暁子・前千葉県知事や日本テレビ系「行列のできる法律相談所」の出演者で知られる住田裕子弁護士ら8人が早期保釈と事件の解明を求める声明を発表。会見で堂本前知事は「真摯な態度で官僚として血の通った仕事を貫いてきた人。不正などするわけがない」と力を込めた。

 また、障害者団体関係者ら400人以上が集まり、「支援する会」を設立。発起人の社会福祉法人「南高愛隣会」(長崎県)理事長の田島良昭さん(64)は「官僚の中で不正から最も遠いところにいたのが村木さんだ。330円のコーヒー代の支払いも割り勘にするぐらい絶えず自分を律していた」と強調する。

 関係者によると、村木被告が金銭面での“潔癖”を徹底するようになったのは、平成元年にリクルート事件で逮捕された旧労働省時代の先輩だった加藤孝元労働事務次官の一言がきっかけだった。

 「僕はうかつだった。失敗したよ。君は『李下に冠を正さず』(他人に疑われるような行為を避けること)という言葉を忘れずに仕事に励め」。省内で最も尊敬していた先輩官僚の突然の“暗転”を目の当たりにした村木被告。それ以降、飲食を共にした関係者に割り勘への理解を求めるようになったという。

検察は「有罪」へ揺るぎない自信
 「確かに人柄のよさは思い知らされた」。検察幹部は、村木被告への支援の広がりに感心を示す一方で、「それと無罪かはまったく別だ」と立証に関しては揺るぎない自信をのぞかせる。

 「凛の会主要メンバーの倉沢邦夫被告(73)は平成16年2月、低料第三種郵便物の適用に必要な証明書を得るため、以前に秘書をしていた民主党の国会議員に“口利き”を依頼。元同省障害保健福祉部長(57)=退職=から対応を指示された当時の企画課長、村木被告が、係長の上村勉被告被告(39)に「『実体のない団体かもしれないが早く出してあげて』などと指示し、同年6月に偽の証明書を発行した」

 これが、検察側が描き出した事件の構図だが、関係者や共犯者の供述にブレがないことが、検察側の自信の根拠になっている。

 起訴後の会見では、証明書は低料第三種郵便物の認可を受けるために必要不可欠で、社会的に極めて信用性が高いものだった▽必要な一切の審査書類がないまま発行された▽障害者団体として活動実体がない団体と知りながら証明書を与えた-などと指摘し、今回の事件の悪質性を強調した。

 村木被告は逮捕2日前の金曜日の夜、ごく親しい知人女性4人と一緒に酒を飲んだ。村木被告の事件への関与を示す報道が激化する中での会食だったため、当初は重苦しい雰囲気だったが、村木被告は「いろいろ言われているけど、私はまったく身に覚えがないのよ。だからみんな安心して」と明るく振る舞い、自身のことよりも自らが中心になって国会に法案を提出した改正育児・介護休業法のことを心配していたという。“冤罪”であることを確信していたのか、それとも“犯罪”を隠し通す自信があったのか…。

 検察関係者はいう。「事情聴取で凛の会メンバーと接触があったことを認めた上で、理路整然と偽造の意思がなかったことを説明されるとやっかいだった。むしろ『まったく記憶にない』と主張したので逮捕に踏み切れた。それだけ証拠はそろっているということだ」。



【郵便不正】厚生労働省元局長の上司が理事辞任
2009.7.22 11:32

 障害者団体向け割引郵便制度の悪用をめぐる虚偽有印公文書作成事件で、大阪地検特捜部に起訴された厚生労働省元雇用均等・児童家庭局長、村木厚子被告(53)の上司だった元障害保健福祉部長(57)が、勤務先の独立行政法人「福祉医療機構」(東京)理事を辞任していたことが22日、わかった。機構によると辞任は18日付で、理由は「一身上の都合」という。元部長は国会議員から障害者団体証明書の発行を依頼され、村木被告に対応を指示したとされる。



【郵便不正】障害者団体会長に懲役1年を求刑
2009.9.24 20:34

 障害者団体向け割引郵便制度を悪用し、郵便料金約19億8千万円の支払いを免れたとして、郵便法違反などの罪に問われた障害者団体「白山会」会長、守田義國被告(70)の論告求刑公判が24日、大阪地裁(横田信之裁判長)であった。検察側は「制度の承認取り消しを免れるため種々の工作をしており、厳罰で対処する必要がある」として、懲役1年、罰金3240万円を求刑した。

 一方、弁護側は、国会議員への贈賄など実際になかったことを疑われ、厳しい取り調べを受けたとして、情状に考慮すべきだと主張。守田被告は被告人質問で「誠に申し訳ありません」と涙ながらに謝罪した。


【郵便不正】厚労省元局長の保釈、決定
2009.10.13 13:05

 障害者団体向け割引郵便制度の悪用をめぐる障害者団体証明書偽造事件で、虚偽有印公文書作成・同行使罪で起訴された厚生労働省元雇用均等・児童家庭局長、村木厚子被告(53)について、大阪地裁は13日、保釈を決定した。保釈保証金は1500万円で、納付し次第、約4カ月ぶりに保釈される。

 村木被告は7月に起訴され、公判前整理手続き中。逮捕当初から一貫して否認しており、公判でも全面的に争う方針。保釈請求を地裁が却下したため、支援者らが早期に保釈するよう求めていた。


【郵便不正】厚労省元局長の保釈決定 大阪地検は準抗告
2009.10.13 13:36

 障害者団体向け割引郵便制度の悪用をめぐる障害者団体証明書偽造事件で、虚偽有印公文書作成・同行使罪で起訴された厚生労働省元雇用均等・児童家庭局長、村木厚子被告(53)について、大阪地裁は13日、保釈を決定した。保釈保証金は1500万円。保釈決定に対し、大阪地検は同日、準抗告した。

 村木被告は7月に起訴され、公判前整理手続き中。逮捕当初から一貫して否認しており、公判でも全面的に争う方針。村木被告は起訴直後にも保釈請求したが、地裁が却下していた。


【郵便不正】障害者団体「白山会」会長に有罪判決
2009.10.14 12:01

 障害者団体向け割引郵便制度を悪用し、郵便料金約19億8千万円の支払いを免れたとして、郵便法違反などの罪に問われた障害者団体「白山会」会長、守田義國被告(70)の判決公判が14日、大阪地裁で開かれた。横田信之裁判長は「福祉向上の制度趣旨を悪用した犯行で結果は重大」として、懲役1年、執行猶予3年、罰金3240万円(求刑懲役1年、罰金3240万円)を言い渡した。

 横田裁判長は判決理由で「対価を得る目的で動機に酌むべき点はなく、4千万円以上の利益を上げていた」と指摘した一方、「郵便局側のチェック体制にも問題がみられ、本人は反省している」と述べた。

 判決によると、守田被告は平成18~20年、団体の刊行物に大手家電量販店「ベスト電器」(福岡市)などのパンフレットを同封したダイレクトメールを発送するなどした。


【郵便不正】厚労省元局長の保釈認めず 検察の準抗告受け大阪地裁
2009.10.15 15:40

 郵便制度悪用に絡む厚生労働省の公文書偽造事件で、虚偽有印公文書作成・同行使罪で起訴された同省の元局長、村木厚子被告(53)=官房付=について、大阪地裁は15日、保釈を認めない決定をした。
 地裁は13日、いったん保釈を決定したが、大阪地検が同日、決定を不服として準抗告を申し立て、これを認めた。

 村木被告は7月に起訴され、公判前整理手続き中。弁護人によると、一貫して起訴状の内容を否認しており、公判でも無罪を主張する方針。

 起訴状によると、村木被告は障害保健福祉部企画課長だった平成16年6月、実体のない「凛(りん)の会」を障害者団体と認める課長の公印入り証明書を、部下だった同省元係長(40)=同罪で起訴=に偽造させ、凛の会会員らが旧日本郵政公社に提出したとしている。



【郵便不正】倉沢被告、偽証明書発行など起訴内容の大半を否認
2009.11.5 19:17

 障害者団体向け割引郵便制度が悪用された事件で、厚生労働省に偽の障害者団体証明書を発行させたとして虚偽有印公文書作成などの罪に問われた障害者団体「凛(りん)の会」(解散)主要メンバー、倉沢邦夫被告(74)の第2回公判が5日、大阪地裁(横田信之裁判長)で開かれた。

 倉沢被告は罪状認否で「証明書の作成過程を知らず、内容虚偽の違法な公文書とは考えていなかった」と起訴内容の大半を否認。弁護側は無罪を主張した。

 検察側は冒頭陳述で「被告はかつて秘書を務めていた国会議員を訪ね、発行の口添えを依頼した」と指摘。厚労省元雇用均等・児童家庭局長、村木厚子被告(53)=起訴=が元係長、上村勉被告(40)=同=に議員案件として証明書を作成させる際、「決済なんかいいから早急に作ってください。心配しなくていいから」と命じ、作成後に「大変だったでしょう。あとは私に任せて」と話した-とする上村被告の供述調書も朗読した。
 9月の初公判で倉沢被告は、郵便料金約3億7700万円の支払いを不正に免れたとされる郵便法違反罪の起訴内容は認めていた。


【郵便不正】元厚労省局長の保釈を許可 公文書偽造で大阪地裁
2009.11.24 18:4

 郵便制度悪用に絡む厚生労働省の公文書偽造事件で、虚偽有印公文書作成・同行使罪で起訴された同省の元局長、村木厚子被告(53)=官房付=について、大阪地裁は24日までに保釈を許可した。検察側は準抗告したが、棄却され、村木被告は保釈保証金1500万円を納付し次第、約半年ぶりに保釈される。

 村木被告は7月に起訴され、公判前整理手続き中。弁護人によると、捜査段階から一貫して起訴状の内容を否認しており、公判でも無罪を主張する方針。

 大阪地検特捜部は6月、村木被告を逮捕。弁護側は起訴直後にも保釈請求したが却下された。弁護側は公判前整理手続きが始まったことを受け、10月に再度、保釈請求。この際も大阪地裁がいったん保釈を許可したが、検察側の準抗告が認められ、保釈されなかった。


【郵便不正】厚労省の元局長を保釈 5カ月ぶり、否認のまま
2009.11.24 19:44

 郵便制度悪用に絡む厚生労働省の公文書偽造事件で、虚偽有印公文書作成・同行使罪で起訴された同省の元局長、村木厚子被告(53)=官房付=が24日、保釈保証金1500万円を納付し、逮捕から約5カ月ぶりに保釈された。


厚労省元局長の村木厚子被告が会見「記録も記憶にもない」 郵便不正
2009.11.25 22:10
 障害者団体向け割引郵便制度の悪用をめぐる障害者団体証明書偽造事件で、虚偽有印公文書作成・同行使罪で起訴され、保釈された厚生労働省元雇用均等・児童家庭局長、村木厚子被告(53)=官房付=が25日、大阪市内で記者会見し「偽の文書を作成するよう依頼されたことも、引き受けたことも、部下に命じて作らせたことも一切ない」と改めて無罪を主張した。

 約5カ月ぶりに保釈された村木被告は、夫や弁護人とともに会見に出席。国会議員や上司からの依頼、部下への指示があったとされる点は「手帳などの記録で確認したが、記録にも記憶にもまったく残っていない」と強く否定した。

 一方、一般的に国会議員からの依頼を“議員案件”と処理しているかについては「ないといえばうそになるが、議員案件だからルールを無視するのは幻想」と主張。自身の公印が押された証明書が発行された点は「ハンコは私自身が押すわけではない。誰の手でどうやってとは、想像では申し上げられない」と話した。

 現在は公判前整理手続き中で、初公判は来年1月に開かれる見通し。村木被告は、公判に向け「自分の主張をしっかり貫きたい」と強調した。



【郵便不正、厚労省元局長の村木被告会見】詳報(1)「まったく身に覚えない」
2009.11.25 22:15

 障害者団体向け割引郵便制度の悪用をめぐる障害者団体証明書偽造事件で、虚偽有印公文書作成・同行使罪で起訴され、24日夜に5カ月ぶりに保釈された厚生労働省元雇用均等・児童家庭局長、村木厚子被告(53)=官房付=が25日午後4時半から、大阪市内で記者会見を開いた。弁護人の弘中惇一郎弁護士と厚労省総括審議官の夫も同席し、約1時間にわたって質疑に応じた。会見のやりとりは次の通り。

               ◇
 弁護人 主任弁護士の弘中です。こちらが被告の村木と主人。昨日保釈になって、半年ぶりですが、いろいろと皆さんから直接話を聞きたいとのことだったのでこういう場を設けてもらった。当初は東京の方で落ち着いてからと考えていたが、大阪の裁判所で進行し、大阪の人が関心を持って取材報道しているということもあって、東京に帰ってからよりは多少疲れているが、今日の方がふさわしいということで。この後質問に応えるが、裁判中ということもあるので、場合によっては勘弁してくれとお願いすることもあるが了承願いたい。時間の制限はないが、1時間以内であれば。

 --幹事社から2、3問。今回、虚偽公文書作成で逮捕されたことについての村木被告の考えと主任弁護人からみて今回の事件の概括的な説明を。

 弁護人 一貫して無罪主張です。他の人は分からないが村木はまったく無実と思っている。検察官から開示された証拠をみているが、分析してみてもその確信は揺るがない。公判前整理手続きが半ば過ぎまで来ている。公判は来年1月から始まる予定だが無実であることを明らかにしたい。

 村木被告 言われているように公文書を作成するよう依頼されたことも一切ないし、引き受けたとか、部下に命じて作らせたとかも一切ない。裁判の中で明らかにしたい。

 --勾留された5カ月半の感想は?

 村木被告 逮捕されたときも、検察の言うことを聞いてもまったく身に覚えのないことで非常にショックを受けたが、時間がたって私自身そういうことをやっていないわけだから、きちんと真実が明らかになるよう努力しようとわりと早く割り切れた。そういう意味では非常に落ち着いて、静かに裁判に備えて拘置所の中では過ごせた。

 --昨日保釈されて、家族とも対面したときの気持ちは?

 村木被告 娘に怒られるかもしれないが下の18歳の娘に抱きつかれて泣かれまして。それまで一度も面会に来ても泣いたことのない娘だったのでいろいろ我慢してくれていたのだなと家族のありがたさも感じたし、たくさんの人からニュースで知ったよと連絡をもらいありがたいなという気持ちがしました。

 --逮捕されてから、当局を通じての情報では「記憶にない」といっていると聞いているが

 村木被告 私自身は、偽の証明書を作れと頼まれたとか、実際に部下に命じてやったとか一切ない。そういう事実がないことを一貫して言っている。記憶にないというのは、相手が偽団体とプラカードかけてきたのでなければ、通常にお願いにくる人とは会う。全部の人を記憶しているという自信はないので、そこの部分は記憶がないということを取り調べの時も申し上げていた。

 弁護人 凛の会とか倉沢(邦夫被告)にあったことについては記憶にはないが、日々いろんな人に会っているので忘れていることはあり得る。不正なことをやったことは絶対にないということ。

 --検察への取材だが、(厚労省元係長の)上村勉被告は村木被告から指示を受けていると話しており、主張が食い違うが

 村木被告 私自身が、何をして何をしていないかしか分からない。ほかとは接触もしていないので私からは申し上げようがない。私のことをしっかりと裁判で主張していくということかなと思っている。

 --事件の構図として上からの指示とか、他人との関係が大事になる。上司部下とのやりとりを話してほしい

 村木被告 私として、部下に命じて証明書を作らせたと指示したかと言われればしていないと言うだけ。その余のところ、自分がかかわっていないところは分からないということ。

 --政治家の関与ですが、倉沢被告の冒頭陳述で、参院議員から依頼を受けて村木被告に指示したという下りがあった。そういったことであれば印象に残るかと思うが。不正な行為の指示かどうかは別にして国会議員の依頼を元に、元部長が村木被告に依頼したことは?

 村木被告 まったく記憶にはありません。記録も取る方だが、忘れているだけかと思って確認したが、そういう記録も残っていない。まったく覚えがないということ。記録というのはスケジュールなんかは手帳で管理しているし、大事な仕事や今後大事になることとか、処理が結構やっかいなものとかは記録を結構取っている。最初に起きたときに5年も前のことだから忘れているかと確認したが、自分の記録にも記憶にもまったく残っておりません。

 --その一方で村木被告の公印が押された証明書が出ている事実はどう考える

 村木被告 あの~、実は検事のやりとりでもあったが、私には分からない部分としか言いようがない。判子を押すのは私自身が押すわけではないので。決裁はするが、今回は決裁もないということなので、誰の手でどうやってなぜというのはこれは想像では申し上げられない。自身として関与した部分はない。

 --上村被告だが、村木被告から指示されたという供述調書が残っている。上村被告が仕事のやりとりで指示する部分があるのか。どういう部下だったのか。人となりは

 村木被告 本当に率直に言って、企画課と社会参加推進室があり、係長が上村だが、物理的に部屋も別ですし、課長のほかに室長もいるし、私自身がその係長に直接指示したり、報告を受けるというのは非常にまれ。何か上村被告との仕事で印象に残っている部分は正直申し上げて何もない。


【郵便不正、厚労省元局長の村木被告会見】詳報(2)「議員案件でルール無視は幻想」
2009.11.25 23:02

 --弁護人に。記憶にない以外に村木被告が知らなかったことを立証できる物証はあるのか

 弁護人 刑事事件は検察が立証責任をする。こちらが記憶にないことを立証する前に、検察が事実があったことを立証する。物理的といえば関係者のスケジュール表とか手帳は押収されて存在するが、一切そういう記載はない。問題視されているような面談とか要請はない。物的証拠はそういうものになるだろう。証人による供述調書には同意していないし、証人尋問の中で、検察側の尋問にどう答え、こちらの反対尋問にどう答えるのか、事実に基づかない証言は弾劾できる。証人尋問を通じて事実を明らかにしたいと思っている。

 --今回、政治家の関与が取りざたされて、政治家から元部長、村木被告と。現実問題、上司も国会議員も摘発されていない。違法性の認識のない指示はしたが、偽造までしろといっていないという釈明で逃げ切れると思うが、それではない?

 弁護人 質問自体があれだが、議員が部長に無理をすることはないよと、合法的にできるならやってくれという依頼なら部長も村木被告に同じように依頼するだろう。村木被告が変心してやったということになる。よほど考えにくい特別な事情がないとやらない。議員に近い立場の人なら、なんとしてもやりたいだろうが下に行くほどなんとしてもやりたいとは考えにくい。上が普通にやってくれという話が、下に行けば突然無理させたという論理が破綻(はたん)している。そもそもそんな依頼を議員が否定している。指示があったというのは証人かどうか分からないが、真ん中の部長だけになる。上も下もない。それは相当無理な構図だと思っている。

 --主たるものは頼まれてもいないし指示もしていないという無罪主張?

 弁護人 頼まれるにも無限のニュアンスはある。こっちに回してくれという仕事がルーティンとしてあれば別だが、特別なものならば印象に残るもの。不正なものは絶対にない

 --労働族の村木被告が「やらないといけない」と考えたという見立てがあるが

 村木被告 あの、そうであれば私はずっと労働行政にいたし、厚生にいて2年目のことだからそれは上司の判断をあおぐとなる。そこまで無理をしないといけない先生なのか、労働と違って危ないことをしないといけない世界なのか。独断で判断するのはあり得ない。上司なり横なり信頼できる部下に相談したのではないか。

 --議員案件はあるのか

 村木被告 議員からお願いがないというのは嘘になると思うが、議員から言われたら議員案件だからルールを無視して何かするのも幻想。そういうことはない。

 --刑事事件とは別の観点で聞くが、紙一枚で郵便事業の不正が行われたことに驚きは? 無罪主張でかかわっていないかもしれないが、紙を出す側の立場としていま振り返ると?

 村木被告 あの、やっぱり役所の証明書がひとつの金もうけを助けてしまったことは事実、何が原因でそういうことが起こったかきちんと追及していかないといけない。刑事事件とは別にきちんとしていかないといけない。そのためにも、この問題に関する私のことも含めて真実が明らかにならないと原因が明らかにならない。原因をきちんとさせて再発防止、何が問題だったのかはっきりさせないといけないと痛感している。

 --倉沢被告は今回の取り調べの中で庁内や課内で直接会って手渡ししたと言っている。障害者団体と課内であって話したり、もののやりとりとかは現実としてあるのか?

 弁護人 あんまり漠然と広げて質問されると困る。

 --企画課長時代に課内で団体側の人間と会うことはあるのかないのか。

 村木被告 障害者団体の方とは山のようにものすごくたくさん会う。特に私はその分野でキャリアが長いわけではないので、できるだけたくさんの人と会うようにしていた。その意味で記憶にないといったのは、会った団体をすべて覚えているかと言われると正直自信がない。

 --証明書を渡すことは

 村木被告 役所ではあり得ません。担当から郵送したりするのが普通。大臣だったり企画課長の名前のものを本人に渡すことはありえないです。感謝状とかは本人から渡さないと意味がないかもしれないが、通知とか通達か証明とかを名義になっている人に手渡しをするのは役所ではないことだと思います。

 --倉沢被告の冒頭陳述では、村木被告が倉沢被告から言われて日本郵政の副社長に電話して、認可してやってくれという場面が出てくる。倉沢被告は否定するが、それについては思い当たることは?

 村木被告 思い当たることはありません、その方も存じ上げませんし、そういう意味ではまったく思い当たることはありません。

 --事件の構図として障害者自立支援法が成立前で無理をした?

 村木被告 それはかなり時期がずれていて、この事件があの年の2~6月くらいの出来事と聞いているが、8月の終わりとか9月くらいまでは、介護保険の年齢を引き下げて障害者福祉にこれを使えないかと議論されていて、障害者自立支援法の大きな骨格が出たのはこの年の秋でそれはまったく時期がずれている。

 --本案の骨子ができる以前から構想が練られていて、根回しも進んでいて現実的には始まっているという見方もあるが?

 村木被告 それにしても時期がまったく早すぎると思います。むしろ別の方向で走っていた時期で介護保険の議論の中で物事が動いていた時期でタイミングとしてそういう事実もないし、客観的に政策のプロセスのことだからそれにかかわった人ならきちんと分かる。

 --過酷な取り調べもあったか

 村木被告 あの、言いにくいが、言い分をきちんと聞いてもらったとはまったく思わないが、大きな声を出すとか長時間の取り調べとか脅迫するようなものは私に対してはなかった。



【郵便不正、厚労省元局長の村木被告会見】詳報(3)「なんでこんなことが起こるんだろうと」
2009.11.25 23:06

 --倉沢被告から直接手渡されたことはない?

 村木被告 記憶にはまったくないし、通常そういうことはしません。そういう意味で言えば、非常にイレギュラーなことをすれば覚えているのではないかなと思います。

 --企画課長の印鑑が押された偽の証明書が出回ったことは

 村木被告 組織としては原因を突き止めてこういうことが起こらないようにしないといけない。最終の決裁権者ですから、私に責任はあると思っています。原因と真実をきちんと知りたいと思っている。

 --復職すれば

 村木被告 まだそこまでは(笑)。やりがいもあるし、やってきたのでまたチャンスを与えられればと思っています。

 --公判では

 村木被告 かかわったことは一切ないので自分の主張をしっかり貫きたい。真実が明らかになるよう努力したい。

 --逮捕されたときは何でということだと思うが、その時の思いは

 村木被告 非常に不思議な感じがしました、何でこんなことが起こるんだろう。(目を少し赤くしながら)

 --これからしばらくどうするのか

 村木被告 1月の終わりから裁判が始まる。裁判について漠然と思っていたイメージよりスケジュールがタイトなので、体調と気持ちを維持してしっかり自分の主張をしていきたい。本当にびっくりするようなスケジュールなので。東京から大阪に通うので。
 弁護人 集中審議の予定。週に2、3回ということもあると思いますね。当然、公判前整理手続きが全部終わってから組むだろうが、1月の終わりに初公判というスケジュール。年度内結審を目指している、証拠の開示は、追加で申請があったりするものもあるから全部ではないが、最初の分は整理がついている。

 --その中では村木被告自身の被疑事実を認めた調書は?

 弁護人 ない、ありません。

 --関係者の供述調書はほとんどが不同意か?

 弁護人 不同意になりますね。

 --集中審議についてどう思うか?

 弁護人 ひとつの事件について集中した方がいいのかなと思うが、ほかの業務が犠牲になるので、痛し痒しということですかね。事件にもよると思う。検察官の立証が終わらないと反証の見通しが立たない場合は時間をおいてほしいと思うが、証拠の開示がかなりされていることもあって、集中審議をしてみても早期に真相解明できる方法かなと前向きに受け止めている。

 --証人で重要なのは

 弁護人 上村被告、元部長、倉沢被告、凛の会の発起人。

 --集中審議で早く終わることは望ましいか

 弁護人 そうですね。延々とかかるのかなというのがありましたから、思ったよりかなり裁判がつめて行われるのはありがたいなと思った。早く真実を明らかにしてもらいたいという思い。

 --証人申請の数とは

 村木被告 公判前整理手続きで明らかにしているのは2人。必ずしも職場の人ではない。

 --障害者団体に郵便割引がある制度を知っていたか

 村木被告 えっとですね、厚労省が証明書を発行するケースは少ないので、割引制度そのものは郵政民営化の国会のちょっと前の時期ですので、民営化になったときに残れるかどうか障害者団体も非常に心配していて、団体ともそういう話をしていた。何とか残してほしいということで役所として手伝えることは難しいが、団体とはそういう話をしていて、民営化法案より割と早くに残してくれることが決まって良かったと思った記憶がある。

 --課長だったときにきちんと発行している事例の記憶は

 村木被告 決裁文書をみて記憶を呼び起こそうとしたというのが事実。特に覚えてはいなかった。

 --不正利用の知識は

 村木被告 その時は情報交換をしたのが、残してほしいという団体の人たちだったからもしれないが、そういうことを団体と話題にした記憶は特にない。

 --凛の会という名前について記憶は

 村木被告 印象に残りそうな名前の感じはするが、新聞報道の時に何も記憶には…。

 --ない?

 村木被告 (うなずく)

 --障害者自立支援法だが、長妻大臣になってから法案廃止を明言しているがそれについては?

 村木被告 制度が前に進むのであれば、どんな形でも見直しをすることは大事なことだと思っている。ただ、自分は今仕事から離れているので、何とも申し上げる立場ではないが良くなればいいなとは思っている。

 -一番辛かったことと励ましは

 村木被告 励ましになったのは、家族とか関係者からたくさん手紙をもらったり、面会も毎日誰かが来てくれるということだったので非常に元気づけられた。辛かったのは、拘置所の職員は親切だったが、暑さと寒さが一番辛かった。

 --体調面ではどうか?

 村木被告 体重はたぶん、5、6キロ、もうちょっとかな、落ちちゃった。非常に規則正しい生活をして食事も3食とってちゃんと眠れていたので、健康を崩したりということはなかった。体重が落ちたので保釈は非常にありがたかった。

 --10月の保釈申請と今回の保釈申請の結果が異なっている理由は

 弁護人 公判前整理手続きがあって、弁護士としての主張や検察側の主張がはっきりした。公判の日程も決まった。裁判官からみれば、進行の全体像がかなりよく見えたんだろう。その中で、被告人が出て、証拠隠滅を図ることは現実的ではないと判断したのだろうことをわかってもらったことが、今回の保釈につながった。こういう意味では公判前整理手続きが被告の利益になることもある。前回と異なったことはないが、本人の誓約書や家族の上申書を具体的に詰めたものを提出したくらい。特定関係者との接触禁止はある。

 --ご主人から一言

 夫 夫としても、同僚としても公訴事実を読んだが、どれをとっても100%無実。まったくあり得ない構図。これからも厚子を支えていく。同じように信頼してくれる人からの励ましもありがたかった。


「民主議員に口添え依頼」郵便不正事件の被告が証言
2009.12.17 22:06

 郵便不正事件に絡み、障害者団体証明書を厚生労働省側に偽造させたとして、虚偽有印公文書作成・同行使などの罪に問われた障害者団体「凛(りん)の会」主要メンバー、倉沢邦夫被告(74)の公判が17日、大阪地裁(横田信之裁判長)であった。倉沢被告は被告人質問で、民主党の国会議員の実名を挙げ、「証明書発行の口添えをお願いした」と証言した。

 証言によると、倉沢被告は以前、この議員の秘書をしており、平成16年2月に議員会館を訪れ、「このたび障害者団体を設立し、厚労省の認可がいる」と口添えを依頼。議員は「厚労省に連絡しておく」と応じたという。

 また、共犯として起訴され、無罪を主張している元厚労省局長、村木厚子被告(53)については「証明書を庁舎内で村木さんから受け取ったのは間違いない」と述べた。



厚労省元女性局長はクロかシロか? 郵便不正事件 検察、弁護側ともに自信を深めるワケは…
2009.12.26 18:00

 果たしてクロなのか、シロなのか。郵便不正事件で、障害者団体証明書を偽造したとして虚偽有印公文書作成・同行使罪で大阪地検特捜部に起訴され、11月24日、逮捕から約5カ月ぶりに保釈された厚生労働省元雇用均等・児童家庭局長、村木厚子被告(53)の初公判が平成22年1月下旬に開かれる。敏腕弁護士とともに臨んだ保釈後の会見ではきっぱりと自らの関与を否定した村木被告。対する検察幹部も「立証に問題はない」と自信をのぞかせ、捜査にあたった特捜検事を公判に立会させて万全の態勢で臨む。公判では村木被告の元同僚らも証人として出廷する予定で、証言内容に注目が集まっている。
 
「100%無実」

 「全く身に覚えがない」
 11月25日、保釈翌日に開かれた記者会見。村木被告は繰り返し自らの“潔白”を公の場で訴えた。同席した弘中淳一郎弁護士はロス疑惑など数々の著名事件で無罪を勝ち取った“無罪請負人”だ。その弘中弁護士も「村木さんは全く無実。検察側の証拠を見てもその核心は揺るがない。公判で無実を明らかにしたい」と自信たっぷりに語った。

 また、夫で厚労省総括審議官の太郎さん(55)も会見に同席し、「妻は100%無実」と訴えるなど、まさに異例の会見になった。

 村木被告はこの会見で、これまで報道などで明らかにされた大阪地検の捜査内容をことごとく否定した。

 国会議員から依頼を受けた障害保健福祉部の元部長(57)に指示され、部下の元係長、上村勉被告(40)=起訴=に偽造を命じたとされることは「記録にも記憶にも残っていない。通常、直接指示したり報告を受けたりすることはない」。さらに、障害者団体「凛の会」主要メンバー、倉沢邦夫被告(74)=公判中=に偽造証明書を手渡したとされる点も、「郵送するのが普通で、役所内で手渡すことはあり得ない」と検察の言い分を真っ向から否定した。


“闘い”に備えて六法全書

 会見では最後まで強気の姿勢を崩さなかったが、保釈後に支援者へ送ったメールには本音をにじませる。6月14日の逮捕から5カ月以上に及んだ拘置所生活を振り返り、「期間が長くなるに従い、いつまでこうした生活が続くのかと、不安も大きくなってきておりましたので、私も家族も本当にホッといたしました」と心情を吐露。折れそうになる気持ちを支え続けたのは家族や支援者らの存在だったという。

 接見禁止が解けてからはほぼ毎日、のべ約70人が面会に訪れ、届いた手紙は約500通に及んだ。「拘置所の中で悲しくて泣いたことが一度もないとは申し上げませんが、その何十倍も、自分がいかに周りの方に恵まれているかを思ってうれし涙を流しました」と感謝の言葉を記した。

 有り余る時間を使って、支援者らから差し入れられた本150冊を読破。六法全書にも目を通し、来たるべき“闘い”に備えた。“麦飯ダイエット”の効果もあって体重は6キロ減少。暑さや寒さなど長期間の拘置所生活はやはり体に堪えたようで、年内は体調を整えることに専念するとし、最後は公判への決意で結んでいる。「真実を曲げずしっかりと主張をして、無実を証明したいと思います。がんばります」。

3月中にも結審

 支援者が数百人規模に増え、盛り上がる村木被告側に対し、検察側は全く動じる気配を見せない。「村木被告は部下に責任を押しつけているだけ。捜査段階では上司や部下、関係者ら全員が村木被告の関与を証言した。縦、横、斜めすべてガチガチに証拠が固まっている」。

 保釈後の会見に、厚労省事務次官に次ぐポストの夫が同席したことに触れ、「省の最高幹部級の現役官僚が公然と被告の肩を持つのはどうか。今後、証人として出廷する部下への無言のプレッシャーになり、真実を証言できない恐れがある」と批判し、「なりふり構わない異例の会見は逆にそれだけ村木被告側が追い込まれている証拠だ」と有罪立証に自信をのぞかせる。

 ただ、検察側の立証も万全とはいえない状況だ。凛の会主要メンバーの倉沢被告は先行して開かれている自らの公判で村木被告との共謀を否認した。

 倉沢被告の検察側冒頭陳述によると、村木被告は上村被告に「(国会議員の)先生からお願いされていることだし、部長から下りてきた話だから、決裁なんかいい。すぐに証明書を作って」と依頼。倉沢被告の前で、当時の日本郵政公社幹部に電話をかけ障害者割引の適用を依頼した、と主張している。
 
 倉沢被告は公判で、村木被告から直接、証明書を受け取ったことは認めたものの、「厚労省の担当係長から一度、村木被告を紹介されてあいさつしたが、名刺交換はしていない」「村木被告から郵政公社に電話してもらったとされる日には、結局、村木被告とは会わなかった」と捜査段階と供述を変遷させている。その理由について、「担当検事から『あなたの記憶違いだ』といわれ、そうかなと思ってサインした」と証言した。

 倉沢被告の供述の変遷が“アリの一穴”となるのか。村木被告の公判では、倉沢被告に加え、元部長や上村被告も証人として出廷する見通し。捜査段階では村木被告の関与を認めた3人がいかなる証言をするのか。無罪が明らかになれば復職したいという村木被告。いつかその日はやって来るのか。3月中にも結審する予定の公判から目が離せない。


【郵便不正】村木元局長の初公判は27日 厚労省の公文書偽造事件
2010.1.5 16:13

 郵便制度悪用に絡む厚生労働省の公文書偽造事件で、大阪地裁は5日、虚偽有印公文書作成・同行使罪で起訴された同省の元局長村木厚子被告(54)=官房付、休職中=の初公判を27日に開くことを決めた。
 村木被告は保釈中。捜査段階から一貫して起訴状の内容を否認し、初公判でも無罪を主張する。

 起訴状によると、村木被告は障害保健福祉部企画課長だった平成16年6月上旬、実体のない「凛の会」を障害者団体と認める課長の公印入りの証明書を部下に偽造させ、凛の会会員らが旧日本郵政公社に提出したとしている。


【郵便不正事件】「私は無罪です」村木被告、毅然と語る
2010.1.27 20:06

元厚労省局長の村木厚子被告
 「私は無罪です」。村木被告は罪状認否でこう口火を切ると、「国民から信頼を得られるよう仕事してきた。国会議員に依頼されても、法に反することを引き受けることはあり得ません」と、毅然(きぜん)とした口調で書面を読み上げた。

 紺のスーツに眼鏡をかけた姿で入廷。弁護人の前の被告人席には座らず、ロス疑惑で無罪を勝ち取った辣腕(らつわん)の主任弁護人、弘中惇一郎弁護士の隣に着席した。検察側の冒頭陳述の間は、手元の書類と照合しながらメモを取り、時折検察官を見据えた。

 逮捕までは障害者雇用や男女共同参画など厚労行政の一線で活躍してきた。現在は起訴休職中で、同じ厚労省で最高幹部の総括審議官を務める夫と子供2人に囲まれて「初めての主婦生活」を送るが、今も復職を強く願っている。

 昨年11月に保釈されるまでは、支援者らが連日拘置所に面会に訪れ、この日も傍聴席は満席だった。閉廷後に会見した村木被告は「応援が支えになっている。信頼に応えて裁判を闘っていきたい」と話した。



【郵便不正事件】検察側冒頭陳述要旨
2010.1.27 21:00

事案の概要
 被告は当時、厚生労働省障害保健福祉部企画課長として、障害者団体の申請に基づき低料第三種郵便に関する公的証明書の発行に従事していた。共犯の上村勉は同課社会参加推進室係長、河野克史は「凛の会」発起人、倉沢邦夫は会長だった。凛の会は障害者団体としての実体はなかった。

身上経歴等、低料第三種郵便の概要および厚労省による証明書の発行状況

 (省略)

犯行に至る経緯
 河野は低料第三種郵便を悪用し不法に収益を上げようとしたが、正規に証明書を得る見込みはなく、平成16年2月下旬、国会議員秘書の経歴を持つ倉沢に、国会議員へ口添えを依頼するよう指示した。国会議員は承諾して当時の障害保健福祉部長に電話をかけ、証明書の発行を要請した。

 部長は国会議員と懇意で有力政党の重鎮だったことから、国会で紛糾することなく予算や法案を成立させるためには、機嫌を損なわずに依頼を処理する配慮が必要と考えて了承した。

 部長は被告に便宜を図るよう指示し、被告は企画課長補佐に「秘書の倉沢さんが団体の新聞を低料第三種郵便で発送したいみたいなの。担当者を紹介してあげてください」と指示した。

 2月下旬、倉沢と面談し説明を受けた被告は、凛の会が障害者団体でないと理解して困惑しながらも、倉沢を部長に会わせた。倉沢が帰った後、社会参加推進室の室長補佐と係長に「ちょっと大変な案件だけど、よろしくお願いします」と告げた。以後、被告ら担当者間では、実体がどうあれ発行が決まっている「議員案件」と位置づけた。

 上村は4月1日付で係長となったが、凛の会から審査資料はまったく提出されていなかった。上村は発行を先送りしていたが、5月中旬、河野らから電話で催促され、時間稼ぎのために、手続きを進めるという虚偽の稟議書を作成し凛の会にファクスした。

 日本郵政公社に実体がないことを気づかれると危惧した河野は、厚労省から近く証明書を発行する予定だと伝えてもらおうと考えた。5月中旬、倉沢が企画課に赴くと、被告は「一応連絡してみますが、相手が応じるか分かりませんよ」と言いながら、面前で公社東京支社に電話した。

犯行状況
 河野は6月上旬、日本橋郵便局から証明書の原本を至急提出するよう要請されたため、上村につじつまが合うよう日付をさかのぼった証明書を無審査で発行するよう要請した。倉沢も企画課で被告にそう求めた。被告は少し考え込んだが、部長の指示があった議員案件だったことから了承した。

 6月上旬、上村は被告に問題点を伝えた上で、それでも発行していいか指示を仰いだ。被告は「先生からお願いされて部長からおりてきた話だから、決裁なんかいいんで、すぐに証明書を作ってください。上村さんは心配しなくていいから」などと告げた。

 上村は6月上旬、深夜に書面を作り、翌早朝ごろ企画課長の公印を押して5月28日付の虚偽の証明書を作成し、被告に手渡した。

 被告は部長に発行を伝え、部長は国会議員に電話で報告した。被告は証明書を受け取りにきた倉沢に「何とかご希望に沿う結果にしました」と言いながら証明書を交付した。
 上村は稟議書だけでも残した方が言い訳しやすいと考えたが、被告は「もう気にしなくていいですよ。忘れてください」などと告げた。その後も凛の会は資料を提出せず、6月10日ごろ不正に入手した証明書を提出して行使した。
その他情状
 (省略)



【郵便不正事件】弁護側冒頭陳述要旨
2010.1.27 21:34

基本的主張
 被告は無罪。共謀したこともないし、上村勉に証明書作成を指示したこともない。そもそも上村が書類を作っていた事実自体を全く知らなかった。

 被告は国家公務員になって31年間、常に法規を順守してまじめに取り組んできた。国会議員の依頼にも、法規に違反してまで従ったことはない。当時、証明書の不正発行をしてまで国会議員の機嫌をとらなければならない事情もなかった。

作られたストーリー
 上村、倉沢邦夫、河野克史は、被告とかかわりなく犯行に及んだ。倉沢の引っ張り込み供述をきっかけに、検察官は被告が関与したとするストーリーを作り上げ、3人を誘導し、記憶に反する供述調書に署名押印させた。厚生労働省関係者についても記憶に反する供述調書を作成し、署名押印させた。

 以上のことは次第に明らかになった。倉沢は自身の公判で、証明書が虚偽だったとの認識を否認した。上村の弁護人は、予定主張記載書面で被告との共謀を否認し、上村の単独犯行であること、上村が証明書を河野に交付したこと、検察官に虚偽の自白をさせられたことを明らかにしている。

物証は無罪を裏付ける
 被告の手帳やパソコンで作成していた業務日誌には、平成16年2月、5月、6月のいずれも倉沢との面会をうかがわせる記載はまったく存在せず、証明書の発行指示や交付についての記述も一切ない。倉沢の手帳にも被告との面会をうかがわせる記載は一切存在しない。

 16年5月中旬ごろ、被告が企画課から日本郵政公社東京支社に電話をかけたとの検察官の主張についても、通信記録は存在しないし、支社長も電話を受けたと述べていない。倉沢も自身の公判で否定した。

 上村が証明書を作成した日時は、フロッピーディスクに記録された文書ファイルのプロパティによれば、16年6月1日未明(午前1時20分06秒)以前であることが明らかである。従って、上村が6月上旬ごろになって、被告の指示をきっかけに証明書作成に踏み切ったという検察官の主張は破綻(はたん)している。

 16年6月上旬ごろ、被告が「凛の会」に証明書を取りに来るよう連絡した事実はない。通信記録は存在しないし、被告の依頼で連絡した人物は存在しない。「凛の会」で連絡を受けた人物は存在しない。被告の連絡を受けて倉沢が被告より証明書を受領したという検察官のストーリーは前提を欠き、ありえない。

ストーリーの不自然性
 元部長が被告に不正な手段を用いてでも証明書発行をするようにと指示をしていないことは、検察官も前提としている。被告の段階で指示を逸脱し、突如不正に証明書発行に踏み切ったことになるが、そうする合理的理由は考えられない。

 検察官の主張では、被告は上村だけでなく企画課あるいは社会参加推進室のスタッフにも不正な証明書発行を指示していたという。しかし、上村1人が悩み、ひそかに稟議書を捏造(ねつぞう)したり、深夜に証明書を作成して翌朝早朝押印するという経過は、他のスタッフの容認があり得ないことを示している。

 検察官の主張は関係者を脅したり懐柔したりして作り上げた個々の虚偽の供述調書をつなぎ合わせただけのもの。方々でほころびが顕著になっており、全体のストーリーとしては支離滅裂で、破綻している。

結論
 被告の無罪は明らかである。1日も早い無罪判決を下していただきたい。



【郵便不正】「凛の会」元会長が「村木被告から証明書」と証言
2010.2.3 21:26

 障害者団体向け割引郵便制度をめぐり偽造証明書を発行したとして、虚偽有印公文書作成・同行使罪に問われた厚生労働省元局長、村木厚子被告(54)の第3回公判が3日、大阪地裁(横田信之裁判長)で開かれた。検察側証人として、共犯とされる「凛の会」元会長、倉沢邦夫被告(74)=公判中=が出廷し「証明書は村木被告から受け取った」と証言した。

 一方で、捜査段階では村木被告とのやりとりを詳述したとされたが、「何度も調書の訂正を申し入れた」と指摘。「取調官から『裁判員制度が始まったから平易に書く』といわれ、納得してしまった」と述べた。村木被告と会った回数も検察側が主張する4回ではなく、2回だったとした。

 倉沢被告の証人尋問に先立ち、この日午前は凛の会発起人、河野克史被告(69)=起訴=が前日に続き出廷。裁判官が、河野被告が取り調べ時に記憶を喚起したとされる自筆の紙片を再度示したり、供述調書が作成された過程を問うたりして、約1時間にわたる異例の補充質問を行った。



【郵便不正】村木被告第3回公判詳報
2010.2.3 21:27

 村木厚子被告の第3回公判で行われた検察側証人、倉沢邦夫被告への尋問の主なやりとりは次の通り。

 《検察側が冒頭陳述で明らかにした村木被告と倉沢被告との接点は計4回あった。(1)証明書発行に向け便宜を求めた(2)日本郵政公社(当時)に手続きが進んでいると電話で伝えてもらった(3)日付をさかのぼった証明書を発行するよう求めた(4)証明書を受け取った-で、いずれも村木被告が当時課長を務めていた企画課内で行われたとされる》

 《これに対し弁護側は(1)~(4)をいずれも否定。村木被告は倉沢被告と会ったことはなく、場所が他の職員の目がある課内だったのは不自然などとして「検察が作り上げたストーリーは支離滅裂」と主張している》

 《検察官はこうした経緯を踏まえて質問した》

 検察官「村木被告の顔を見たら分かるか」

 倉沢被告「はい」

 検察官「法廷にいるか」

 倉沢被告「はい」

 検察官「どの方?」

 倉沢被告「私から見て、右側の前列左から2番目の方だと思います」

 《村木被告は弁護人の隣に着席している》

 検察官「村木被告と何回会ったことがあるか」

 倉沢被告「2回…です」

 検察官「最初は何の用件で会ったのか」

 倉沢被告「凛の会に認可をもらう手続きのために、厚労省の係長を訪問したときが最初です」

 検察官「2度目は」

 倉沢被告「証明書を取りにうかがったときだと思う」

 《検察側主張の(1)と(4)には沿った供述だが、(2)と(3)は否定した形だ。検察官はひとまず、倉沢被告がかつて秘書を務めた石井一参院議員(民主党)への口利き依頼に話を移す。倉沢被告は河野克史被告から指示され議員会館に行ったことは認めたが…》

 検察官「石井議員に会ってどんなメリットがあると思ったか」

 倉沢被告「経験上、国会議員の事務所から来たと(役所に)陳情すると、ていねいに応接していただいた。そういう意味で」

 検察官「それ以外に期待したことは?」

 倉沢被告「なかった」

 検察官「理由は供述調書に書いてあるようだが、覚えてないか」

 《検察官がさらに続けて何か言いかけると、弁護人が異議を申し立てた。結局、村木被告の動機とされる「議員案件」につながる証言は出そうで出てこない。話題は(1)に戻る》

 検察官「村木被告とはどんなやりとりを?」
 倉沢被告「『石井一事務所の倉沢と申します。障害者支援団体の件で相談に上がりました』と」

 検察官「村木被告は何と言ったか」

 倉沢被告「『ああ、そうですか』と言った程度と記憶している」

 検察官「それだけ? 名刺交換は?」

 倉沢被告「していません」

 《検察官は倉沢被告に企画課の入った部屋の見取り図を書かせた上で、(2)について尋ねた》

 倉沢被告「その件は厚かましいお願いなのでしていない。新任の係長(上村勉被告)が不在で会えず、村木被告にあいさつしておこうとしたが、電話中だったので機会を改めようと退出した」

 《(3)は河野被告の指示を受けたとされているが、さらに明快に否定した》

 倉沢被告「かなり難しい陳情をしているのに日付までお願いするのは失礼。河野被告が急ぐ状況は分かったが、私は無視した」

 検察官「催促してくれという再三の要請があったと思うが」

 倉沢被告「私の判断で一切しなかった」

 《(4)についてはこう語った》

 倉沢被告「課長(村木被告)が厚労省の封筒の上に、2行ぐらいの短い書類を載せて『ご苦労さまです』と手渡してくれた。私はお礼を言って帰った」

 検察官「それ以上の詳しいやりとりは?」

 倉沢被告「ありません」

 《その後、検察官は捜査段階の供述調書と公判供述の食い違いをただし、(2)(3)が逮捕後の早い段階から供述調書に書かれていることを指摘した》

 《村木被告は閉廷後、取材に倉沢被告について「顔を見ても何も思いださなかった」と語った。倉沢被告への弁護側の反対尋問は4日に行われる》


【郵便不正】第4回公判 「証明書受け取り」で応酬
2010.2.4 19:05

 障害者団体向け割引郵便制度をめぐり偽造証明書を発行したとして、虚偽有印公文書作成・同行使罪に問われた厚生労働省元局長、村木厚子被告(54)の第4回公判が4日、大阪地裁(横田信之裁判長)であった。前日に続き共犯とされる「凛の会」元会長、倉沢邦夫被告(74)=公判中=の証人尋問が行われた。

 検察側は冒頭陳述で「村木被告が平成16年6月上旬ごろ、厚労省で偽造証明書を倉沢被告に手渡した」と主張したが、倉沢被告は弁護側の尋問に対し、その時期には厚労省を訪問していないという内容の証言をした。



【郵便不正】第4回公判 倉沢被告への質問詳報
2010.2.4 19:49
 《冒頭に特捜部の検事が追加質問。倉沢被告が(1)証明書発行に向け便宜を求めた(2)証明書を受け取った-際に村木被告と面会したとする捜査段階の供述を、自分から進んでしたという証言を引き出した》

 《弁護人が村木被告と倉沢被告の面識がないという主張を裏付けるには、倉沢被告の証言を崩す必要がある。まず裁判長にこう求めた》

 弁護人「昨日の図面にさらに書き込みをしてもらいたいので、コピーを用意してほしい」

 《倉沢被告は3日の公判で、村木被告が当時課長だった企画課の部屋の見取り図を書いた。一方で弁護側は部屋を独自に“実況見分”した写真付き報告書を提出している》

 弁護人「検察官とは事前に打ち合わせた?」

 倉沢被告「しておりません」

 《事実は異なったが、この場面では聞き流された。弁護人は倉沢被告に本人の手帳を示し、(1)を問いただしていく》

 《企画課の部屋の中を実際にどう動いたのか、見取り図に赤ペンで書き込ませたが、それに関する質問はない。次回以降の公判に向けた布石だったのか》

 弁護人「村木被告に会社の名刺を渡さなかったのはなぜか」

 倉沢被告「初期的な陳情と位置づけていたので、そう考えなかった」

 《(2)では証明書を受け取ったとされる前後の状況を細かく尋ねた。「証明書が発行された」との電話連絡を倉沢被告が受けたとされることをめぐり、弁護人の言葉が熱を帯びてくる》

弁護人「電話の相手はだれ」

 倉沢被告「河野君(共犯とされる河野克史被告)だったと思う」

 弁護人「昨日は別の人と言ってなかった?」

 倉沢被告「はい」

 弁護人「昨日と今日で記憶が変わったの?」

 倉沢被告「ちょっとだれからか不鮮明で、昨日は河野君と違うと思ったので、そう申し上げた」

 弁護人「今日は?」

 倉沢被告「河野君ではなかったかと…」

 《厚労省に行った日時、持ち帰った証明書をどこでだれに渡したかの証言も揺らぎ始める。弁護人は改めて手帳を示しながら問う》

 弁護人「(平成16年の)6月1日は、大阪に出張したということですか」

 倉沢被告「はい。大阪から神戸へ」

 弁護人「この日に厚労省へ行ったことはないですね。2日は?」

 倉沢被告「たぶんないと思う」

 弁護人「3日は新宿と書いてあるが、厚労省には行ったか」

 倉沢被告「行く旨が書いてないし、ございません」

 《検察側が冒頭陳述で明らかにした偽造証明書の受け渡し時期は、16年6月上旬ごろ。4日は手帳に「休」とあり、5日は土曜、6日は日曜だった。弁護人は10日まで1日ずつ、質問を重ねたが、倉沢被告は行っていないと答え続ける》

弁護人「結局…」

 《何か言いかけたが言葉を引き取り「私の方からは以上です」と質問を終えた。検察官は倉沢被告の体調を理由に休憩を求め、再開後に質問に立った》

 検察官「厚労省に行ったときは、必ず手帳に記載していたのか」

 倉沢被告「必ずしも記載していません」

 《さらに検察官は、実際は検察側と事前の打ち合わせをした倉沢被告が、冒頭で否定した点をただした》

 検察官「なぜ勘違いしたのか」

 倉沢被告「打ち合わせ自体がいけないものだという思いがあって…」

 《傍聴席から思わず失笑がもれたが、弁護人はこのやりとりを逃さない》

 弁護人「検察官に言われると、いけないことでも応じるのか」

 倉沢被告「違う」

 弁護人「勘違いと言うが、どういう誤解をしたのか」

 倉沢被告「私は私の意思に基づいて話している。検察官の指示では話していない」

 弁護人「もう結構」

 《裁判官の補充質問では、6月上旬という証明書の受け渡し時期に話題が戻った。再び手帳が示される》

 右陪席裁判官「5月31日からの1週間で、証明書を受け取った可能性のある日は」

 倉沢被告「このページにはありません」

 右陪席裁判官「次のページ、6月7日から10日は」

 倉沢被告「…ございません」

 《倉沢被告は2度、すべてのページを見返したが、受け取った可能性のある日は見つからなかった。裁判長は念を押すように尋ねた》

 裁判長「手帳の5月31日から6月13日のページを見た限りでは、この間に厚労省へ受け取りに行ったことはないか」

 倉沢被告「はい」

 《補充質問は河野被告に対する尋問時より長く、1時間半以上に及んだ》


【郵便不正】厚労省元部長が証言翻す 民主議員の口利き「なかった」
2010.2.8 14:07

 障害者団体向け割引郵便制度をめぐり偽の障害者団体証明書を発行したとして、虚偽有印公文書作成・同行使罪に問われた厚生労働省元局長、村木厚子被告(54)の第5回公判が8日、大阪地裁(横田信之裁判長)で開かれた。当時上司だった元障害保健福祉部長が証人として出廷し、民主党の石井一参院議員から口利き電話を受け、村木被告に便宜を図るよう指示したとする捜査段階の供述について、「今の私の記憶にない」と事実上否定した。

 事件の構図を揺るがしかねない証言で、検察側にとって厳しい情勢となった。

 検察側は、共犯とされる「凛の会」元会長、倉沢邦夫被告(74)=公判中=と元部長らの供述などをもとに、石井議員からの証明書発行で口利きを受けた元部長が村木被告に便宜を図るよう要請、さらに村木被告が部下だった元係長、上村勉被告(40)=起訴=に発行を指示した-と主張している。

 元部長はこの日の公判で検察側の尋問に対し、口利き電話や村木被告への指示を事実上否定したうえで、村木被告から「証明書を渡した」と報告を受けた後に石井議員に連絡したという内容の供述調書についても、「電話の交信記録があると検事に言われたので論理的に判断したが、書かれてあることは事実ではない」と証言した。

 捜査段階で供述したのは「政治家から電話を受けることは日常茶飯事で、倉沢被告と年齢が近い国会議員秘書の応対をした記憶が残っていた。検事に言われ、そういうこともあったかと思い込んだ」と説明した。

 公判で一転させた理由として、最近になり、検事から交信記録はないと聞かされた▽倉沢被告が公判で「(私と)会ったことがない」と証言した▽上村被告が「村木被告の指示を受けていない」と供述を翻していると報道された-ことなどを挙げ、「この話が壮大な虚構ではないかと思った」と述べた。

 さらに供述調書全般について、「検事と2人だけの会話だけで作られた。違う視点があればまったく違うものになっていたはず」と指摘した。



【郵便不正】村木被告から指示なし 前任係長、障害者団体と面会は認める
2010.2.16 15:03

 障害者団体向け割引郵便制度をめぐり偽の証明書を発行したとして、虚偽有印公文書作成・同行使罪に問われた厚生労働省元局長、村木厚子被告(54)の第6回公判が16日午前、大阪地裁(横田信之裁判長)で始まった。当時部下だった元係長、上村勉被告(40)=起訴=の前任係長が証人として出廷し、証明書発行に関する村木被告からの指示について、「まったく受けていない」と明確に否定した。

 前任係長は捜査段階で「村木被告に報告をすると、『大変な案件だけどよろしくお願いします』と言われた」と供述していたが、この日の尋問では「報告は記憶にない」と説明し、調書の内容を否定。そのうえで、「上村被告の前任の私が指示を受けた事実はないから、おそらく村木被告は冤罪(えんざい)ではないかと思う」と述べた。

 一方、障害者団体「凛の会」元会長、倉沢邦夫被告(74)=公判中=と平成16年2月に省内で会った際に「村木被告もいた」と証言。村木被告が証明書発行に関与しなかった根拠のひとつとして、倉沢被告と一度も面会しておらず働きかけもなかったとする弁護側の主張と食い違いもみられた。

 このほか、16年4月に自身が異動する際、後任の上村被告に「石井議員がらみで、障害者団体としての実態はよく分からないから慎重にやるように、と引き継いだ」とも証言した。

【郵便不正公判】検察側やや守勢 24、25日にヤマ場の元係長尋問
2010.2.21 00:46

 “真実”は供述調書か公判証言か。虚偽有印公文書作成・同行使罪に問われた厚生労働省元局長、村木厚子被告(54)の公判は24、25の両日、大阪地裁(横田信之裁判長)で、実際に証明書を発行した元係長、上村勉被告(40)の証人尋問が行われ、最大のヤマ場を迎える。

 これまでに出廷した証人5人が捜査段階の供述内容を否定するなど検察側が守勢に回る展開。ただ、各証人から「内容を確認し調書に署名した」との証言を引き出しており、検察側の立証は「調書の信用性」をいかに証明できるかが大きな鍵になる。


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 検察側の主張は、平成16年、障害者団体向け割引郵便制度をめぐり、活動実体のない「凛の会」に偽造証明書を発行したとの内容。初公判で検察側は、当時課長だった村木被告が、(1)偽造証明書の作成を上村被告に指示した(2)凛の会元会長の倉沢邦夫被告(74)に証明書を手渡した-と指摘した。

 物的証拠は少なく、関係者の供述を積み上げた主張だが、捜査段階で(1)と(2)に沿う調書に署名した上村被告は現在、村木被告の関与を否定しているとされ、公判での証言が注目される。

 これまでの証人尋問でも、供述調書と異なる証言が相次いでいる。(1)に関し、上村被告の前任係長(48)は「課長から直接指示を受けることはありえない」と否定。(2)については倉沢被告が検察側の質問に、調書に沿った証言をしたが、弁護側が問いただすと該当する時期に厚労省へ行った可能性は「ない」と矛盾する内容を述べた。


【郵便不正】厚労元係長「自分一人で全部実行」 元局長指示を否定
2010.2.24 11:47

 障害者団体向け割引郵便制度をめぐり偽の証明書を発行したとして、虚偽有印公文書作成・同行使罪に問われた厚生労働省元局長、村木厚子被告(54)の第8回公判が24日、大阪地裁(横田信之裁判長)で開かれた。村木被告の指示を受けて偽造証明書を作成したとされる元係長、上村勉被告(40)=起訴=が証人として出廷し、「自分で勝手に決めて自分一人で全部実行したことです」と述べ、「指示があった」とする自らの供述調書の内容を否定した。

 上村被告は検察側の尋問に、「凛(りん)の会」案件について「自分と前任係長以外は知らないと思っていた」と説明。同会発起人、河野克史被告(69)=起訴=らから催促を受け、「制度改革のため予算の仕事が大変になるという重圧感があり、自分が勝手に出せば済むと考えた」と偽造に至る経緯を述べた。

 さらに、「村木被告と仕事の話で会話を交わしたことがない」と独断を強調し、作成した偽の証明書は「その日のうちに厚労省近くの喫茶店で河野被告に手渡した」と証言。「このときに民主党の石井一参院議員がからんでいる話だと初めて知った」と話し、議員の口利き案件であることから村木被告が偽造を指示したとする検察側主張を否定した。


【郵便不正公判】元係長、「局長関与」供述、「勾留長期化怖かった」から
2010.2.25 19:25

 障害者団体向け割引郵便制度をめぐり偽の証明書を発行したとして、虚偽有印公文書作成・同行使罪に問われた厚生労働省元局長、村木厚子被告(54)の第9回公判が25日、大阪地裁(横田信之裁判長)で開かれた。偽造証明書を作成したとされる元係長、上村勉被告(40)が前日に続き出廷。村木被告の指示があったとする供述調書に署名した経緯について「勾留が長引くのが怖かった」などと詳述した。

 この日には弁護側が、取り調べ当時に心境などを記した「被疑者ノート」を示しながら尋問。逮捕2日後は村木被告の指示を「認めなかった」と記入していたが、翌日は「責任を上に押しつけた形になってしまう」と揺れ、翌々日には「認めた」と記されていた。

 上村被告は当時を振り返り、「上司に言われてやったとした方が世間的には仕方ないと思ってくれるかと思ったが、やはり違うことは違う」と当時の心境を吐露した。

 このほか、上村被告は検察側の尋問で、勾留が長引くと思った理由について、平成19年3月と20年3月ごろにも、勝手に大臣印を押した公文書を作成・交付したことを明らかにした。上村被告は「申請はあったが間に合わなくなった。実害はなかった」と釈明した。

2009年2月17日火曜日

【日米同盟】 グアム協定

第三海兵機動展開部隊の要員及びその家族の沖縄からグアムへの移転の実施に関する日本国政府とアメリカ合衆国政府との間の協定

 日本国政府及びアメリカ合衆国政府は、1960年1月19日にワシントンで署名された日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約に基づく日米安全保障体制が共通の安全保障上の目標を達成するための基礎であることを確認し、2006年5月1日の日米安全保障協議委員会の会合において、関係閣僚が、安全保障協議委員会文書「再編の実施のための日米ロードマップ」(以下「ロードマップ」という。)に記載された再編案の実施が同盟関係における協力において新たな段階をもたらすものであり、かつ、沖縄県を含む地域社会の負担を軽減し、もって安全保障上の同盟関係に対する国民の支持を高める基礎を提供するものであると認識したことを想起し、グアムが合衆国海兵隊部隊の前方での駐留のために重要であって、その駐留がアジア太平洋地域における安全保障についての合衆国の約束に保証を与え、かつ、この地域における抑止力を強化するものであると両政府が認識していることを強調し、ロードマップにおいて、沖縄における再編との関係で兵力の削減及びグアムへの移転の重要性が強調され、並びに第三海兵機動展開部隊の要員約八千人及びその家族約九千人が部隊としての一体性を維持するような方法で二千十四年までに沖縄からグアムに移転することが記載されていることを再確認し、また、このような移転が嘉手納飛行場以南の施設及び区域の統合並びに土地の返還を実現するものであることを認識し、ロードマップにおいて、合衆国海兵隊CH-53Dヘリコプターは第三海兵機動展開部隊の要員が沖縄からグアムに移転する際に海兵隊岩国飛行場からグアムに移転し、KC-130飛行隊はその司令部、整備のための施設及び家族のための施設と共に海兵隊岩国飛行場を本拠とし、並びにその航空機は訓練又は運用のために海上自衛隊鹿屋基地及びグアムに交替で定期的に展開することが記載されていることを想起し、ロードマップにおいて、第三海兵機動展開部隊のグアムへの移転のための施設及び基盤の整備に係る費用の見積額102億7000万合衆国ドル(一〇、二七〇、〇〇〇、〇〇〇ドル)のうち、日本国は、沖縄県の住民が同部隊の移転が速やかに実現されることを強く希望していることを認識して、同部隊の移転を可能とするようグアムにおける施設及び基盤を整備するため、合衆国の2008会計年度ドルで28億合衆国ドル(二、八〇〇、〇〇〇、〇〇〇ドル)の直接的に提供する資金を含む60億9000万合衆国ドル(六、〇九〇、〇〇〇、〇〇〇ドル)を提供することが記載されていることを再確認し、また、合衆国は、グアムへの移転のための施設及び基盤の整備に係る費用の残額、すなわち、合衆国の2008会計年度ドルで算定して31億8000万合衆国ドル(三、一八〇、〇〇〇、〇〇〇ドル)の財政支出に道路の整備のための約10億合衆国ドル(一、〇〇〇、〇〇〇、〇〇〇ドル)を加えた額を拠出することがロードマップに記載されていることを再確認し、ロードマップにおいて、その全体が一括の再編案となっている中で、沖縄に関連する再編案は、相互に関連していること、すなわち、嘉手納飛行場以南の施設及び区域の統合並びに土地の返還は、第三海兵機動展開部隊の要員及びその家族の沖縄からグアムへの移転を完了することにかかっており、並びに同部隊の沖縄からグアムへの移転は、普天間飛行場の代替施設の完成に向けての具体的な進展並びにグアムにおいて必要となる施設及び基盤の整備に対する日本国の資金面での貢献にかかっていることが記載されていることを想起して、次のとおり協定した。


第一条

 1 日本国政府は、第九条1の規定に従い、アメリカ合衆国政府に対し、第三海兵機動展開部隊の要員約八千人及びその家族約九千人の沖縄からグアムへの移転(以下「移転」という。)のための費用の一部として、合衆
国の2008会計年度ドルで28億合衆国ドル(二、八〇〇、〇〇〇、〇〇〇ドル)の額を限度として資金の提供を行う。

 2 日本国の各会計年度において予算に計上されるべき日本国が提供する資金の額は、両政府間の協議を通じて日本国政府が決定し、及び日本国の各会計年度において両政府が締結する別途の取極(以下「別途の取極」という。)に記載する。


第二条

 アメリカ合衆国政府は、第九条2の規定に従い、グアムにおける施設及び基盤を整備する同政府の事業への資金の拠出を含む移転のために必要な措置をとる。


第三条

 移転は、ロードマップに記載された普天間飛行場の代替施設の完成に向けての日本国政府による具体的な進展にかかっている。日本国政府は、アメリカ合衆国政府との緊密な協力により、ロードマップに記載された普天間飛行場の代替施設を完成する意図を有する。


第四条
 アメリカ合衆国政府は、日本国が提供した資金及び当該資金から生じた利子を、グアムにおける施設及び基盤を整備する移転のための事業にのみ使用する。


第五条

 アメリカ合衆国政府は、日本国の提供する資金が拠出される移転のための事業に係る調達を行う過程に参加するすべての者が公正、公平かつ衡平に取り扱われることを確保する。


第六条

 日本国政府は日本国防衛省を実施当局に指定し、アメリカ合衆国政府はアメリカ合衆国国防省を実施当局に指定する。両政府は、実施当局が従うべき実施のための指針及び次条1(a) に規定する個別の事業について専門家間で協議を行う。そのような協議を通じて、アメリカ合衆国政府は、日本国政府が当該事業の実施に適切な方法で関与することを確保する。


第七条

 1(a) 日本国の各会計年度において日本国の提供する資金が拠出される個別の事業は、両政府間で合意し、及び別途の取極に記載する。

(b)アメリカ合衆国政府は、日本国政府が資金の提供を行う合衆国財務省勘定を維持する。アメリカ合衆
国政府は、当該勘定の下に日本国の各会計年度において日本国が提供する資金のための小勘定を開設し、及び維持する。

 2 日本国が提供した資金及び個別の事業に支払うことが契約上約束された当該資金から生じた利子は、前条に規定する実施当局の間で合意される指数を用いた計算方法に基づき、合衆国の2008会計年度ドルで28億合衆国ドル(二、八〇〇、〇〇〇、〇〇〇ドル)の額を限度として日本国が提供すべき資金の総額に繰り入れられる。

 3(a) (b) に規定する場合を除くほか、日本国の同一の会計年度において日本国の提供した資金が拠出され
たすべての個別の事業に係るすべての契約の終了後に日本国が提供した資金に未使用残額がある場合には、アメリカ合衆国政府は、日本国政府に対し、当該未使用残額を返還する。契約の終了は、更なる財政上及び契約上の責任からアメリカ合衆国政府を解除する文書の受領によって証明されるものとする。

  (b)アメリカ合衆国政府は、未使用残額を、日本国政府の実施当局の同意を得て、日本国の同一の会計年度において日本国の提供した資金が拠出された他の個別の事業のために使用することができる。

 4(a) (b)に規定する場合を除くほか、日本国の提供した資金が拠出された最後の個別の事業に係るすべての
契約の終了後、アメリカ合衆国政府は、日本国政府に対し、日本国が提供した資金から生じた利子を返還する。
契約の終了は、更なる財政上及び契約上の責任からアメリカ合衆国政府を解除する文書の受領によって証明されるものとする。

  (b)アメリカ合衆国政府は、日本国が提供した資金から生じた利子を、日本国政府の実施当局の同意を得て
、日本国の提供した資金が拠出された事業のために使用することができる。

 5 アメリカ合衆国政府は、日本国政府に対し、毎月、合衆国財務省勘定(日本国が提供した資金に関係する
すべての小勘定を含む。)における取引に関する報告書を提出する。


第八条

 アメリカ合衆国政府は、同政府が日本国の提供した資金が拠出された施設及び基盤に重大な影響を与えるおそれのある変更を検討する場合には、日本国政府と協議を行い、かつ、日本国の懸念を十分に考慮に入れて適切な措置をとる。


第九条

 1 第一条1に規定する日本国の資金の提供は、第二条に規定する措置においてアメリカ合衆国政府による資
金の拠出があることを条件とする。

 2 第二条に規定する合衆国の措置は、(1)移転のための資金が利用可能であること、(2)ロードマップに記載
された普天間飛行場の代替施設の完成に向けての日本国政府による具体的な進展があること及び(3)ロードマップに記載された日本国の資金面での貢献があることを条件とする。


第十条

 両政府は、この協定の実施に関して相互に協議する。

第十一条

 この協定は、日本国及びアメリカ合衆国によりそれぞれの国内法上の手続に従って承認されなければならない。この協定は、その承認を通知する外交上の公文が交換された日に効力を生ずる。


 以上の証拠として、下名は、署名のために正当に委任を受けてこの協定に署名した。
 二千九年二月十七日に東京で、ひとしく正文である日本語及び英語により本書二通を作成した。
 
 日本国政府のために
  中曽根弘文
 
 アメリカ合衆国政府のために
  ヒラリー・ロダム・クリントン

2009年2月3日火曜日

【日米同盟】 海賊対策(特措法の制定?)

日本海新聞一刀両断 小林節

護衛艦を保安庁へ移籍すればよい

2009/02/03の紙面より

 アフリカ・ソマリア沖(インド洋)の海賊対策に海上自衛隊を派遣するかどうかが問題になっている。

 まず前提として言葉を整理しておくが、世界の基準に従えば、海上自衛隊は海軍つまり海の軍隊であるが、海上保安隊は海の警察、他国の沿岸警備隊である。また、海賊行為はいわば海の強盗つまり犯罪で、むしろ、警察、海上保安庁の管轄である。

 だから、わが国の領海に続く排他的経済水域に続く公海上で、わが国に籍のある船舶が海賊(強盗)に襲われた場合に、それに対処することは海上保安庁の仕事である。また、公海上の外国籍船でも、日本の会社がそれを運航している場合や日本人や日本人の財産がそこで襲われている場合には、日本国にも保護責任とその権利がある。

 だから今、世界の無法地帯になってしまった観のあるソマリア沖に、わが国は海上保安隊を派遣すべきである。また、それは、世界中の諸国との交易で繁栄してきたわが国の、国際社会に対する責任でもある。

 ところが、実際には、ソマリア沖の海賊は、その装備や行動様式がいわばけちな泥棒のそれではなく、むしろ、私的な海軍化しており、わが国の海上保安隊では対応できない(つまり負けてしまう)危険性がある。

 そこで、外国の海軍との戦闘を想定した装備と訓練を得ている海上自衛隊を派遣すべきだとの意見が出て来るが、それはまた別の問題を惹起してしまう。

 第二次世界大戦の敗戦国として再出発したわが国は、憲法九条の下で、間違っても再度「侵略」国にならないために、海外では武力行使をしない…という条件を自ら自衛隊に課して来た。

 もちろん、ソマリア沖の海賊は、外国の軍隊でも外国の反乱軍(つまり分裂した国家)でもない。だから、海上自衛隊がソマリア沖で海賊と交戦したとしても、それは、もとより、憲法解釈上禁じられている、他国侵略に発展しかねない海外における自衛隊の武力行使ではない。

 しかし、いずれにせよこのような懸念を回避・解消できる方法がある。それは、装備と訓練の十分な海上自衛隊の一個部隊を防衛省から海上保安庁へ移籍し(出向させ)それをソマリア沖へ派遣することである。シーレーン(海上輸送路)はわが国の生命線でありその確保は急務である。

(慶大教授・弁護士)
ソマリア沖の海賊と自衛隊  2008年12月8日

国連安保理は6月8日、国連憲章第7 章に基づいて海賊対策を可能にする決議を行っている(決議1816号)。10月9日も同様の決議を行った(決議1838号)。だが、これには重大な問題がある。海賊行為は組織犯罪であり、国家による侵略などとは異なる。それを「国際の平和及び安全の維持」を拡張解釈して、ソマリアの領海(12海里)内における各国艦艇の活動を認めた安保理決議は、「国際法の空洞化に一層寄与するもの」と批判される所以である(Claudia Haydt, Maritimes Säbelrasseln, in: junge Welt vom 5.12.2008)。海洋法条約105 条も海賊対処は公海上であり、当該国の主権に属する領海には及ばない。これを領海で認めた1816号決議は、国際法の歴史のなかでまったく新しい事実とされる(N.Peach教授 T.Pflüger, Gefährliche Gewässer, in: junge Welt vom 23.10)。この決議は米国とフランスの主導で安保理で採択されたもので、ソマリアの主権を領海12海里について無にする代物だった。

  実は、ソマリア沖の海賊問題は、この海域をめぐる国際政治的な利害対立の焦点ともいえる。そもそも艦艇をどんなに出しても、海賊をなくすことは困難である。現地の状況をよく知るフランス海軍G.Valin 中将によれば、通常型のフリゲート艦は時速30マイルだから、15分で8マイル程度しか進まない。ソマリア海賊は、軍艦が水平線に見えないときは、何でもできることを知っているという。軍艦が見えたときは、巧みな航行技術を駆使して高速で逃げてしまうわけである。中将によれば、軍艦はソマリア沖の2 %程度しか確保し得ていないという(Der Spigel, a.a.O.)。海域を通るタンカーや輸送船をすべて護衛することは不可能である。これは軍艦だけでなく、巡視船の場合も同じである。

  ドイツも日本も海上における軍艦のプレゼンスを、国際政治の道具として利用する傾きにある。ソマリア沖海賊対策への自衛艦の参加問題も、実際の海賊対策というよりも、こうした国際的な活動への参加に重点があるようである。

  「対テロ戦争」(OEF)との関係も曖昧である。ソマリア海賊は、アルカイーダとの関係は不明である。にもかかわらず、OEFに参加しているタスク・フォース150も海賊対策に参加するなど、海賊対策という目的との関係で疑問が多い。さらに、米軍では、海上での海賊対処のほかに、海賊の地上基地を攻撃するという主張も出ているようである。ここまでくると、もはや海賊対策に名を借りた「対テロ戦争」の戦線拡大にほかならない。オバマ政権がイラク撤退の一方で、「対テロ戦争」の強化をはかる可能性があるなか、この動きは軽視できない。

  そもそも、海上交通路を確保するため、海賊対策に日本も参加するという議論だけでことを進めるのは一面的ではないか。この海域でなぜ海賊が出てくるのか、もっと背景を考える必要がある。この点で、チュービンゲン軍事化情報センターのClaudia Haydt の議論は興味深い。彼女がいうように、ソマリアの海賊問題には、以下のような構造的問題があることに注意すべきである。以下、その議論をまとめてみよう(Claudia Haydt, a. a. O.)。


  1991年にソマリア中央政府が崩壊して以来、ソマリア沿岸警備隊は消滅した。ヨーロッパの漁獲船団は、沿岸警備隊なきソマリアの海で、乱獲を行ってきた。2006年、国際環境保護団体グリーンピースは、ソマリアや他の地域での違法操業により、世界で最も貧しい人々に、年間数十億ドル単位の喪失が生じている問題を注目させようとした。夜、ソマリアの海は、たくさんの漁船団の灯火によって「マンハッタンの夜景のように見える」とは、ソマリアの漁業専門家の言葉である。これらの船団の国旗は、EU諸国と米国、日本のものだ。こうした形で魚の略奪と環境破壊が行われたことを、グリーンピースは海賊行為と呼んだ。そして、EUに対して明確な経済的・法的措置をとるよう求めたが、今日までほとんど行われなかった。このような状況のもとでEUが海賊対処のための艦艇を派遣すれば、結果的に、違法な漁獲船団は利益を得ることになる。

  違法操業と並んで「アフリカの角」海域の安全を脅かすのは、違法な廃棄物処理である。国連のソマリア特別大使は、08年6 月に、化学物質や放射能廃棄物まで捨てられていると述べた。また、国連環境プログラム(UNEP)のスポークスマンは、違法な廃棄物処理の経済的意義について語り、ヨーロッパでの廃棄物処理には1 トンあたり1000ドルかかるのに対して、「アフリカの角」に海洋投棄すればトンあたり2.5 ドルですむので、欧州企業にとっては大変安上がりであるとしている。

  ソマリアの海賊は海のプロで、漁師もいれば、元沿岸警備隊員もいる。90年代からのこうした状況への怒りが、海賊という形であらわれた側面は無視できない。今も海賊の一部は、「ソマリア海軍」や「国民ボランティア沿岸警備隊」を名乗っている。乗っ取った舶の身代金の相場は上昇していて、2007年は船一隻あたり10万ユーロだったが、今年は100万ユーロの単位になっている。

  海賊は組織犯罪だが、国家的にアレンジされたものではなく、海賊は戦争をやっているわけではない。マフィア的な構造を破壊するためには、軍艦や哨戒機は役立たない。効果的な軍事的解決というものは存在しえない。短期的にも軍事介入は非常に金がかかる。「アフリカの角」海域を通る船をすべて効果的に保護しようとしたら、全世界のすべての軍隊を動員しても足りない。

  インド洋における平和プロセスは、政治的・経済的展望が海賊の危険を大規模に低下させうることを示している。ソマリアの政治的解決のためには、すべての政治勢力が関わらねばならない。先進国は、自国の船団の違法操業や海洋投棄を取り締まることで、海洋の安全に大いに貢献できる。武器輸出をストップすることも重要である。


  以上、Claudia Haydtの議論を言葉を補って紹介した。そこから見えてくるのは、ソマリア海賊の問題は、実は、「グローバル格差社会」の集中的表現ともいえる。海賊たちは、日本を含む先進国がそれまで乱獲してきた漁業資源の代金回収と、廃棄物投棄の迷惑料を暴力的な方法でやっているともいえる。海賊行為は犯罪である。ソマリアの海賊は取り締まられねばならない。しかし、それは各国が海軍艦艇を派遣してすむ問題ではない。この問題の解決のために、日本ができることはほかにある。

  すでに、ブラックウォーターなどの米国の民間軍事会社(PMC) がタンカーや輸送船などの警備を請け負いはじめた。海賊との見えざる「連携」で手を組めば、この海域で新しい「市場」が生まれる。この地域の構造的問題の広がりと奥行きはかなりのものである。

  というわけで、まずは「海賊対策に自衛艦派遣を」「そのための特措法の制定を」という議論に乗らないこと。まずここから、まともな思考は始まる。

2009年1月15日木曜日

【東京地検特捜部】 田中良紹(ネット記事)

検察の「正義」
田中良紹 氏の記事です。

 昨年暮れに「リクルート事件・江副浩正の真実」(中央公論新社刊)を読んだ。著者は事件の中心人物江副浩正氏本人である。リクルート事件はロッキード事件と並んで戦後最大の疑獄事件とされるが、この本を読む限り事件には検察の「でっちあげ」とも言うべき作為がある。

 著者は113日間に渡る取り調べと13年を越える裁判の経過を公表することで、自らの体験を司法制度改革につなげたいとの思いから執筆したようだが、私には別の思いが心に重く残った。日本の政治がこの事件によって漂流を始め、高齢化社会を迎える国の制度設計が狂わされたという思いである。

 事件は「川崎市の助役にリクルート関連会社の未公開株が譲渡されている」という朝日新聞の報道から始まった。一地方自治体の汚職事件と思われたが、その後大疑獄事件へと発展していく。リクルートの未公開株が政界、財界、官界、マスコミ界と広範囲にばらまかれていたからである。

 新興企業のリクルートは自らの社会的地位を高めようと、財界、官界のみならず、有力政治家やマスコミ界にも未公開株をばらまいていた。一方でロッキード事件の影響から、それまで「民主主義のコスト」としての政治献金を担ってきた大企業が献金に消極的になり、リクルートが政治家にとって大企業に代わる新たな献金者となった。

 もとより未公開株の譲渡に違法性がある訳ではない。株は利益を得る場合も損をする場合もある。しかしメディアは「値上がり確実な未公開株」の譲渡を「濡れ手で粟」と表現し、さらに株を受け取った政治家の名前を小出しにする事で国民の怒りを誘い、それを増幅させていった。

 捜査以前にメディアの報道が過熱した。新聞とテレビは連日「リクルート疑惑」をトップで取り上げ、それに野党が呼応する。政権交代を望まないかつての野党は、国民生活に直結する予算の審議よりスキャンダル追及に力を入れた。予算委員会は常にスキャンダル追及の場となり、それは官僚を喜ばせた。お陰で官僚が作った予算案はほとんど審議されず、国民の目にも届かずに無修正で成立していくからである。そして追及する野党議員には最終場面で与党側からカネが流れて手打ちとなり、うやむやになるのが毎度のパターンだった。

 この時も「爆弾男」の異名をとる社民連の楢崎弥之助衆議院議員が国会での質問用にと資料の提供をリクルートに求めて来た。リクルートは「狙いはカネ」と考えて現金を用意するが楢崎議員は現金の受け取りを断る。しかし再び連絡してきて「例の物を持って来てくれ」と言った。社長室長が議員宿舎に現金を持参すると再び受け取りを拒否された。数日後、カネを渡そうとするシーンがスクープ映像として日本テレビで放送される。隠し撮りされていたのである。

 これが捜査のきっかけとなる。贈賄容疑で初めてリクルートに東京地検の家宅捜索が入り、カネを渡そうとした社長室長が逮捕された。続いて江副氏も逮捕されるが、容疑はNTT関係者に対する株の譲渡であった。NTTは既に民営化されていたが職員は準公務員と見なされ、株の譲渡は贈賄と断定された。

 当時の日本政治の最大課題は、将来の少子高齢化社会に備えて福祉財源を確保するため、シャウプ勧告以来の日本の税制を見直し、消費税導入を図る事であった。竹下総理は大蔵大臣当時から野党の社会党や公明党に根回しを行い、消費税を福祉目的税にする事も考えていた。消費税には野党も反対ではなかった。社会党はヨーロッパ型の福祉国家を目指しており、ヨーロッパ諸国は間接税に頼っていたからである。

 ところがリクルート事件によって消費税の議論は完全に吹き飛び、野党はリクルート疑惑追及の一点に的を絞った。誰も国の将来の事など考えない。目の前の疑惑追及に狂奔する。そのため国会に提出された消費税法案は自民党が単独で採決するしかなくなった。7月に招集された臨時国会は本格的な議論もないまま12月末に消費税法案を自民党単独で強行採決した。この不幸がその後も消費税に付きまとっていると私は思う。国民は消費税を福祉と結びつけて考える事をせず、力で押しつけられた税制と感じてしまうのである。

 本書によれば江副氏に対する取り調べは過酷だった。「否認を続けると後任社長も逮捕してリクルートを潰す」と毎回脅され、壁を向いて立たされ目を閉じる事を禁じられた。江副氏は恐怖感から検事が作成した調書に署名してしまう。株を賄賂として提供した覚えはないのに、それを認めて楽になろうとした。

 一つ認めると後はつるべ落としである。1回目の起訴の直後に眞藤恒NTT会長への贈賄容疑で2度目の逮捕となり、「眞藤会長に直接電話をした」とウソの調書に署名させられて眞藤氏をも起訴させてしまう。続いて高石邦男文部事務次官への贈賄容疑で3度目の逮捕、同じ日に加藤孝元労働事務次官への贈賄罪で3度目の起訴、そして高石事務次官への贈賄罪で4度目の起訴と続いた。

 そこからいよいよ政治家ルートの取り調べが始まる。宗像紀夫主任検事から「新聞がここまで書いているのに、政治家は何もなかったでは特捜のメンツが立たない」、「フランス映画の終わりにFINという文字が出るが、藤波、池田、中曽根の三点セットに応じて貰ってリクルート事件もFINにしたい」と言われる。

 既にウソを認めてしまった江副氏は検事の言うがまま調書に次々署名していく。会った事も電話をした事もない相手にお願いをしたり、藤波元官房長官を公邸に訪ねて請託をしたとウソの調書が作られていった。しかしそれでも吉永祐介東京地検検事正からは出来上がった調書の書き直しを命じられ、「ヘッドクォーターからまた怒られた」と検事が書き直した調書を何度も持って来る様子が綴られている。

 要するに事件の筋書きは検察が作る。そのシナリオに沿ってまずは贈賄側を精神的、肉体的な脅しで調書に署名させ、それを武器に収賄側を逮捕、起訴に追い込んでいく。それが検察の「正義」なのである。結局、政治家ルートでは中曽根康弘氏が訴追を免れ、藤波孝生元官房長官と公明党の池田克也衆議院議員が受託収賄罪で在宅起訴された。

 江副氏は裁判でそれらの調書を否認した。そのため平成元年から始まった公判は一審判決まで322回、13年3ヶ月かかった。裁判所が下したのは懲役3年、執行猶予5年の有罪判決だが、江副氏は事実上無罪に近い判決だと受け止めている。検察に控訴させて長期の裁判になる道を避けながら、江副氏の言い分も認められたと言うのである。

 江副氏はそれで納得したのかも知れない。しかしこの事件で日本政治が受けた傷は余りにも大きい。竹下総理の退陣後、総理になる筈のない政治家が次々総理になり、そして消えていった。政治が漂流を始めたのである。

 自民党政治に欠陥がなかったとは言わない。しかし竹下内閣が税制改革、安倍晋太郎氏が政治改革、そして藤波孝生氏が地方分権を政権の課題とする事が予定されていた。それが一気に崩れてこの国は行き先が見えなくなった。世界が冷戦後の新たな枠組みを模索している時、日本だけは混迷の中をただ彷徨っていたのである。

 去年3月に西松建設事件で小沢民主党代表の秘書が逮捕された時、リクルート事件の主任検事だった宗像紀夫弁護士が日本記者クラブで講演し、検察の捜査手法に疑問を呈した。その時「検察の暴走を止められるのはマスコミしかない」と発言したが、そう言いながら「しかし現役の時にマスコミは本当に都合が良かった」と宗像氏は言った。

 これまで検察とメディアが「都合の良い関係」で共に作り上げてきた事件は枚挙にいとまがない。代表格を一つ挙げればロッキード事件である。ロッキード社から日本の政界に流れた55億円の工作資金のうち解明されたのは田中角栄元総理が受領した5億円にすぎない。それを「総理大臣の犯罪」と囃し立て国民の目を真実からそらさせたのはメディアである。人身御供となった田中角栄氏は「闇将軍」となって日本政治を「裏支配」した。

 当時の新聞とテレビは田中角栄氏を総理に選んだ日本の民主主義の未熟さを大いに嘆いて見せたが、嘆かなければならないのは日本の民主主義を歪めてきた検察とメディアの「正義」の方ではないか。

2009年1月13日火曜日

【国内マスメディア】 新聞崩壊

記者クラブという「鎖国」制度 世界の笑いものだ
(連載「新聞崩壊」第1回/フリージャーナリストの上杉隆さんに聞く)
2008/12/30

日本の新聞社が一大危機を迎えている。広告激減に部数落ち込み。そして、なにより読者からの信頼が揺らいでいる。新聞は崩壊してしまうのか。連続インタビューで「新聞が抱える問題点」を様々な角度から浮き彫りにする。第1回は、「談合体質」が問題視され、世界でも珍しい「記者クラブ」について取り上げる。「ジャーナリズム崩壊」などの著書があり、ニューヨークタイムズ東京支局取材記者などを経て、現在フリーのジャーナリストである上杉隆さんに話を聞いた。

首相会見に記者クラブがNOを出す

日本では珍しくない「記者会見で権力側に事前に質問を渡す記者」は「世界では例がありません」と話す上杉隆さん。「そうしたことが読者に少しずつばれて来ている」
――記者クラブによる「厚い壁」を感じたときは、どんなときですか。

上杉 取材対象へのアクセス権を記者クラブという特殊な組織が独占していることが、そもそも問題なのです。

私は国会議員の秘書としてニュースを出す側の立場として記者クラブの内側にいたこともあり、また、質問権のない海外メディアというオブザーバーの記者としても、そして現在のフリーランスとして、クラブのまったく外側から、というようにさまざまな立場から多くの事例を見てきました。

小渕恵三首相時代のエピソードが印象に残っています。当時、NYタイムズの東京支局は、小渕首相へのインタビューを考えていました。議員秘書時代のつてを通じ申し込むと、小渕首相からOKの返事がありました。事務所側から、内閣記者会(記者クラブ)への告知を求められ、単に首相動静用の日程連絡というつもりで知らせました。すると、記者クラブからは「単独インタビューは認められない」という答えが返ってきました。

当然、支局長は怒りました。仮に首相側が拒否したというなら記事は書ける。単に「首相はインタビューを拒否した」と書けば良い。しかし、首相はOKしたが、政府機関でも何でもない記者クラブという組織が拒否したのでインタビューはできなかった、と説明しても、ニューヨークの読者は誰も理解できない。アメリカをはじめ世界各国には記者クラブなどないのですから。

――日本の記者クラブを外国メディアの記者はどう見ていますか。

上杉 世界の笑いものです。以前は韓国にも同種の記者クラブがありましたが、既になくなりました。私が調べた限りでは、記者クラブに近い制度があるのは、日本とアフリカのガボンだけです。アジアも南米も、もちろんそんな制度はなく、日本にきた記者たちは驚いています。

――どんな点に驚くのでしょうか。

上杉 例えば、政治家取材のときのメモ合わせ。政治家が何を話したかを各社が確認し合う行為です。こんなことを海外メディアでやれば即クビです。当然盗用の疑いを持たれますし、仮に、偶然でも似た記事が出ることがあれば、必死にそれが偶然であることを証明しようとします。ところが日本では、他社と同じような記事が出ていると安心する、というまったく逆のマインドが罷り通っています。

しかし、記者クラブ内だけで情報を独占し、横並びの記事を出すという今のやり方は、もう限界に来ています。ひとつにはインターネットの影響があると思います。以前は、政治家から聞いたそこそこの情報を1週間ぐらい置いて、いろいろ加味して記事として出す、ということも可能でした。しかし、今では国会議員自身がブログやHPで、早ければ瞬時にドンドン詳しい話を書いてしまう。官邸の中に入った議員の情報は1次情報ですから、当然詳しい。すると新聞記者がその情報をもとに記事をすぐに書いたとしても翌朝新聞が届くころには、ネット読者はもうその話を知っている、という事態になっています。
――芸能界でも、芸能人本人が最初にブログで発表してしまうため、芸能関係記者も困っているようです。

上杉 そうですね。国政だけでなく、いろんな所で同じようなことが起こっていると思います。

――記者クラブ側の言い分はどうなのでしょうか。加盟したいと言っても、一定の常駐時間を要求される例もあるようですね。様々な案件の中から実際にどの話で記者会見を設定するのか、といった調整をクラブがやっているのに、そこに外部の人間が入るのは「フリーライド」ただ乗りではないか、という不満もあるようです。

上杉 政治記者の究極の仕事は権力の監視です。だが、役所などの中にいて、「ただ見ている」だけでは監視とは言いませんし、何の意味もありません。権力を監視するということは、役所内クラブに何時間いるか、ということとは関係ありません。また、様々な案件への対応という点は、日本の新聞社が、本来通信社がやるワイヤーサービスと、新聞社がやるべき評論・分析、調査報道の仕事とを分けずに全部やっていることから発生している問題です。

発生したことを単にストレートニュースとして報じるのは、海外では通信社の仕事です。閣僚クラスへのぶら下がりなんかもそうです。APやロイターなどに任せています。そしてNYタイムズやワシントン・ポスト、ル・モンドなどの新聞社は、ジャーナリズムとしての記事などに力を注ぎます。この役割分担は、世界の新聞がやっていることです。

日本の全国紙の幹部と、新聞社と通信社の役割分担について話したことがあります。彼らは、共同(通信)や時事(通信)は信用できないと言います。では、自社に通信社の子会社を設立した上で、記者の大部分を移したらどうか。通信記者はより安い給料で雇えるし、新聞社としては人件費の面で身軽にもなる、新聞社本来の仕事に集中できる。こう提案すると、いいアイデアだ、秘策中の秘策だね、と驚くので、「いえ、通信社と新聞社の分業システムは、全世界でやってる話です」と答えたんですが。全国紙の記者は大雑把にいって今の10分の一の1社300人もいれば十分でしょう。

――いいアイデアだと思っているのに、全国紙はなぜ踏み切れないのでしょうか。

上杉 そんなことは無理だ、できない、と彼らは言います。しかし、現在の状況はすでにできる、できない、を議論している段階ではなく、やるか、やらないのか、になっているのです。まだなんとかなる、と勘違いしているのは、日本の新聞社では、編集・記者出身者が経営陣に加わるというゆがんだシステムが影響していると思います。いわば経営の素人が会社を経営している訳ですから。アメリカでは編集と経営は分離されています。優秀な記者が経営に携わろうと思ったら、MBA(経営学修士)を取るなどして会社に入りなおさなくてはなりません。経営と編集は別の職業なのです。
民主党はすでに記者会見を非クラブ加盟社外にも開放

――記者クラブ制の改革の面でも、経営サイドが熱心に取り組んでいるようには見えませんね。

上杉 先ほども触れた通り、日本の新聞社の経営者は記者出身です。彼らは記者クラブにどっぷりつかった上で、それなりに活躍をしてきました。クラブにもいろいろありますが、ライバル会社同士なのに仲良しというのも珍しくありません。すると、彼らにとっては、自分の成功体験・人生と記者クラブが重なってくるのでしょう。クラブを否定することは、自分たちの人生を否定することにつながる、という感覚なんでしょうね。

――記者クラブ制に問題があるのでは、ということは以前から漠然とは言われていました。著書の中で今回、具体的に問題点や現状を指摘されました。クラブの内側の人たちからの反応はありましたか。

上杉 若い記者の人たちから大きな反響がありました。自分もクラブ制度に疑問を感じていると。OBの人たちからは、「オレたちの頃よりひどくなってるな」という感想が寄せられました。昔はメモ合わせなんてしてなかったそうです。こちらから言わせれば同じ穴の狢なのですが。なによりも一定の年齢より上の現役の人たちは「上杉、許せない」と言っているようです。直接の抗議はないのですが、私の記事や著書に対し不満を持っている人は相当数いるな、と実感しています。逆に、政治家や官僚からは「よく書いてくれた」という反応が多いです。思うところがあるのでしょう、「あいつら、やっぱりおかしいだろ」と言いたかったようです。

――以前、首相の会見を記者クラブ主催ではなく、官邸主催にしたらどうか、と官邸側に持ちかけたことがあるそうですね。

上杉 官邸主催の話は、うまくいきませんでした。しかし、実は民主党は、岡田克也幹事長時代から記者会見をクラブ加盟社以外にも開放しています。それまで国会内控え室でやっていた会見を、党本部でするようになったのです。雑誌記者やフリーも入ることができます。ところが、私の知る限り新聞はこのことを1行も報じていません。長野県や鎌倉市でクラブが開放されたときは大騒ぎしたのにもかかわらずです。民主党番記者でも知らない人が多く、私が教えるとびっくりしていました。もちろん民主党職員でも知らない人がいたくらいです。

一度開いたものを閉じると相当な批判があります。よって、民主党は、もう閉じられないのです。総選挙の情勢はまったく分かりませんが、仮に民主党が政権を取った場合、民主党が記者会見をクラブ会員だけに限定する、今の記者クラブシステムと同じでやる、というのは難しいと思います。問題は、権力側から記者クラブ開放を実現されてしまう形になることです。そんなことになる前に、自分たちの力で自らクラブ開放をすべきではないか、と言ってるんですが。

――内閣記者会の反応はどうですか。

上杉 無視ですね。問題が存在してないことになってますから。

――今後、記者クラブはどうなっていくと予想しますか。

上杉 約150年前の日本は鎖国状態でした。地政学的に可能だったわけですが、交通手段の発達により、結局、日本は鎖国体制の放棄をせざるを得なくなりました。他業種が世界標準という荒波にもまれる中、これまで日本のメディアは日本語というバリアに守られてきました。だがそうした日本語という障壁による鎖国システムも限界に来たようです。ネット上の翻訳ソフトの発展には目覚しいものがあり、すべて正確、という訳にはいきませんが、「大体の意味は分かる」というレベルには達していて、情報によってはそれで十分だ、という場合もあります。

また、米大統領選のときオバマ候補へ世界中から寄付が集まった背景の一つには、SNS(ソーシャル・ネットワーク・サービス)のフェイスブックの活用がありましたが、これは英語だけでなく、アラビア語や韓国語などほとんど全ての国の言葉で変換して参加できるような仕組みになっています。

こうした現実をみていると、記者クラブが存続する可能性はどんどん狭まっています。日本語というバリアが崩壊に向かっていると感じています。そのときになって外資メディアが乗り込んできて、仕方なく記者クラブを開放するよりも、自ら変わる方が生き残る可能性が高いと思います。新聞社が経営的にやっていけなくなる、という危機が到来する中、記者クラブだけが残っても意味はないですからね。実際にどこか1社が倒れて、というショック療法で記者クラブ制度が崩れていく、というのは十分考えられます。

メモ:記者クラブ制度
1890年、帝国議会の取材を求める記者たちが「議会出入り記者団」を結成したのが始まりとされる。官庁や警察、地方自治体など各地に存在し、日本新聞協会加盟の新聞社やテレビ局が加盟している。記者会見などを主催し、加盟社以外の会見への出席は拒否するなどしている。日本新聞協会の「編集委員会の見解」によると、記者クラブは、公的機関などを継続的に取材するジャーナリストたちによって構成される「取材・報道のための自主的な組織」だ。さらに「情報開示に消極的な公的機関に対して、記者クラブという形で結集して公開を迫ってきた歴史がある」と振り返っている。「『開かれた存在』であるべき」「外国報道機関に対しても開かれており」などともうたっている。これに対し、上杉隆さんは、著書「ジャーナリズム崩壊」の中で、「ほとんどブラックジョークと見紛うほどである」と批判している。

上杉隆さん プロフィール
うえすぎ たかし 1968年、福岡県生まれ。NHK報道局やニューヨークタイムズ東京支局の取材記者を務める。鳩山邦夫衆院議員の公設秘書も経験。現在フリーのジャーナリストとして主に政治分野を取材している。著書にベストセラーとなった「官邸崩壊」や「ジャーナリズム崩壊」などがある。

北京の私服警官だらけの光景 新聞はどこまで伝えきれたのか
(連載「新聞崩壊」第2回/佐野眞一さんに新聞記者再生法を聞く)
2008/12/31

新聞の危機は経営面だけではない。インターネット上には、マスコミを揶揄する「マスゴミ」という表記があふれる。「おまえたちはゴミ」という掛詞なのだが、そこには記者たちへの不信感がにじみ出ている。相手の話を正しく聞き、意図を読み、そして伝える……。そんな「力」を記者たちが取り戻し、信頼を得るにはどうしたらいいのか。「新聞記者再生法」について、「カリスマ」などの著書があるノンフィクション作家の佐野眞一さんに聞いた。

記者は偉そうに見える、と読者から反発

「調査報道もさえない。いい印象は残っていない。ずいぶん昔の(朝日新聞の)『木村王国の崩壊』はよかったけど」と話す佐野眞一さん
――新聞が、経営的にも読者からの信頼という側面でも危機を迎えています。新聞記者の評判が悪くなったのはなぜだと思いますか。

佐野 例えばテレビでよく見かける、麻生首相の周りに金魚のウンコみたいに張り付いている若い番記者たち。一番悪いのは、どうも彼らは偉そうに見える。偉そうになってしまったのが、そこはかとなく伝わってくる。映像を見ている人からすれば、波風の立たない片言隻句を集めてるだけなのに、なんであんな態度なのか。そんな反発があると思いますよ。
永田町の噂話から一歩踏み出して、衆院解散の時期をつかんだとして、そんなに偉いことじゃない。ほどなく分かることだし、それをちょっと早く報じたからと言って、読者にしてみれば「あっそう」といった程度のことだろう。
――しかも、今回新聞は「10月解散」とかずいぶん解散時期を間違えて報道しましたね。いろいろと言い分はあるのでしょうが。

佐野 振り回されたんでしょうね。普段から特定の政治家に影響されちゃって、過剰な信頼を寄せている。そうした程度の情報なんだろうな、と読者には分かっちゃう。
――個々人の記者が偉そうにしている訳ではないのでしょうが、そう見えてしまうということですね。

佐野 そう、そう見えてしまう。記者たちが言葉を失ってしまうような厳しい局面の中で何をどう伝えるか、という訓練をしていないことが関係しているのではないか。切った張ったの事件や火事、災害の現場で、例えば子どもを亡くした母親を前にすると、記者は言葉を失うだろう。しかし、それを伝えるために苦労して編み出して言葉にする、そんな訓練をしっかり積んでいなければいけないと思う。記者教育の原点です。
――全国紙では、地方である期間警察を担当させています。

佐野 ルーティンとして取りあえず地方で何年かやってこい、という程度なのではないでしょうか。事件事故を担当しさえすればいい、という訳ではなく、言葉を失う、という状況に真っ正面から向き合うかどうか、なんです。そんなこと記者が一生懸命やっても評価は高くない、というのも問題点です。社会部が政治部より偉い、とかそういうことを言いたい訳ではない。訓練しておかないと、いざという時にゴリッと現実をえぐり出してそれを咀嚼することができないのです。
――ご自分の実体験の中で感じた新聞記者への不満はありますか。

佐野 例えば、単行本になった「東電OL殺人事件」は1997年に起きました。昼はエリートOLだが夜は売春をしていた39歳の渡辺泰子という女性が、渋谷ホテル街の一角で殺害された。ネパール人が逮捕され、1審は無罪、控訴審は逆転有罪無期懲役の判決が出た。上告は棄却され、再審請求中だ。新聞報道は事件発生後、ほどなく弱気になった。被害者名が匿名になり、詳報もなくなった。会社名も出なくなった新聞もあった。
実名か匿名かは難しい問題です。しかし、便宜的になんとなく面倒だから、といった安易な理由で1人の人間を「W」とかの記号にしていいのか。私は悩みながら実名で書いた。そうした悩む力がないと書く力は育たない。新聞は悩むことを避けてはいないか、と感じた。私は冤罪事件と見ているが、新聞は高裁判決以降の動きを十分に伝えていない。再審請求の話をいろいろ調べた上できちんと扱ったところは皆無に等しい。
何を聞くか何を見るか、の感度が衰えている
――新聞記者を「再生」し、読者の信頼を取り戻すには具体的にどうしたらいいのでしょうか。

佐野 新聞記者の使命とは何かを改めて考え直すべきだ。テレビやネットがどんどん速報する中、論評の力を磨く必要がある。それには常に歴史観を意識し、企画力をつけていかなければならない。今度出した本「目と耳と足を鍛える技術―初心者からプロまで役立つノンフィクション入門」(ちくまプリマー新書)では、読む力の大切さを訴えています。文字を読むだけでなく、人の気持ちや危険を読まなければならない。人の言っていることを正しく聞き取り理解して、それを伝える―これができれば少々の困難は乗り越えることができるのです。
もっとも、読む力は普通の人にとっても大事なことで、根源的な身体能力の一部だと思う。新聞記者たちにとっては、読む力は一層大事なはずなのに、衰えてしまっている。北京五輪の開会式取材でも感じたが、何を聞くか何を見るか、の感度は、常に訓練してないと磨かれない。具体的方策、というのはなかなか難しい。読む力、歴史観を常に意識して訓練すること、そして会社がそうした努力と結果をきちんと評価することが必要だと思う。
――論評力と歴史観の関係をもう少し詳しく教えて下さい。

佐野 例えば、「カリスマ」で書いた中内功(正しくは右のつくりは「刀」)さんのダイエーが2004年、産業再生機構に入れられてとどめを刺された。これを当時の新聞は拡大路線のつけがきた、とか誰でも言える近視眼的な論評しかできなかった。そう単純ではないと思います。米国の力がどこか背後で働いた、戦後経済史上最大のドラマとも言うべき動きで、まさに「歴史が動いた」瞬間だった。フィリピンでの戦争体験をもつ中内さんにとっては2度目の「敗戦」でもあった。こうした歴史観を持っていないと論評力がつくはずがない。
――先ほど話に出た北京五輪の開会式で感じられたことは。

佐野 拍手の音をちゃんと聞き分けた報道は見受けられなかったように思う。演出がすばらしい、とかそんな程度だった。すごい拍手だったのはタイペイ(台湾)のときだった。やっとオレたちの偉さが分かったか、という訳だろう。パキスタンの時も大きかった。パキスタンが中国の「敵」インドと敵対しているからで、敵の敵は味方だという心情だろう。逆に胡錦涛(国家主席)への拍手はブッシュのときより弱かった。これは人気がないな、と感じた。こうした耳の感度を持ちうるかどうかも大切だ。雑然としたさまざまな音の中でどこを聞くか、という問題です。
――どこを聞くか、ということはどこを見るかにも通じますね。

佐野 そうです。聞く感度、見る感度、これをもってないと目の前の光景を見ているようで見てないことになる。北京の私服警官だらけの光景を、制約はあったろうが、新聞はどこまで伝えきれただろうか。
佐野眞一さん プロフィール
さの しんいち 1947年、東京生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。出版社勤務を経てノンフィクション作家に。1997年、「旅する巨人」で第28回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。著書に「巨怪伝」「だれが『本』を殺すのか」「甘粕正彦 乱心の曠野」「沖縄 だれにも書かれたくなかった戦後史」など。

「変態記事」以降も毎日新聞の「ネット憎し」変わっていない
(連載「新聞崩壊」第3回/ITジャーナリスト・佐々木俊尚さんに聞く)
2009/1/ 1

毎日新聞が自社の英文サイトに「変態記事」を掲載していた、いわゆる「WaiWai事件」では、ネットユーザーが広告主に抗議の電話をする「電凸(でんとつ)」と呼ばれる行動が相次ぎ、同社の経営に大きな影響を与えた。事件後も、同社はWikipediaの記載内容を誤って報じるなど、「ネットに対する姿勢に変化がみられない」との声も根強い。「WaiWai事件」とは何だったのか。この事件を通じて見える新聞社とネットとの関係を、同社OBのITジャーナリスト、佐々木俊尚さんに聞いた。

――今回のWaiWai事件を考える時の論点はいくつかあると思いますが、その一つが、広告を狙い撃ちした「電凸」です。「電凸」を実行したのはいったい誰なのでしょうか。

佐々木 「毎日新聞のクライアントが誰か」というのは、紙面を見ればすぐに分かりますし、実際、200社以上に抗議の電話が入ったようです。「誰かが抗議ビラをつくってPDFにしてアップロードする」といったことが組織的に行われたのは、おそらく日本では初めてのことではないでしょうか。何故あそこまで大きくなったのか、びっくりしています。
「ネット世論」は、明らかに「普通の世論」とオーバーラップ

「ネット世論と一般世論はオーバーラップする」と語る佐々木俊尚さん
――影響力は、実際のところどのくらいあったのでしょう。

佐々木 毎日のウェブの広告は、ほぼ全滅しました。ただ、「毎日.jp」に出稿されている単体の広告が1つずつストップした訳ではありません。「毎日.jp」は、基本的にはヤフーの(広告配信サービスの)アドネットワークに取り込まれていて、ヤフーに対してスポンサー側から「毎日はアドネットワークから外してくれ」という要請があったようです。毎日新聞はヤフーの大事な提携パートナーですし、新聞業界では一番緊密な関係にある。ヤフー側も、かなり悩んだようです。なおかつ、1社だけ外すというのは前代未聞です。結局「クライアントの要求には応えないといけない」ということで、「毎日.jp」への広告は一斉削除、ということになりました。
――「広告ゼロ」の期間、結構長かったですね。2、3か月ぐらいでしょうか。

佐々木 6月終わりから始まって、8月いっぱいぐらいでしょうか。ウェブだけではなくて、本体の紙の方にも影響が出ました。ウェブの広告では、「被害額は年間で数億」というレベルですが、「毎日への広告は止めてもいいんだ」という傾向が広がってしまったのが大きい。すでにナショナルクライアントからすると、「もう出したくない」という思いが強くありました。朝日などと比べて、広告効果も見込めない。そういう状況で、WaiWai事件は「これ幸い」ということで、出稿をやめる格好の口実になった面があります。
――では、何故「電凸」が起きたのでしょう。その原動力はなんでしょう。「書き込みしているのは、ほんの一部の層」という指摘する声もありますし、「あんなものは大したことない」という評論家もいます。

佐々木 様々な論点が錯綜しているように思います。「『荒らしは無視してもいい』というブログを書くときのガイドラインが誤って普及して『ネットからの抗議行動も無視していい』と誤解されてしまったことに加え、インターネットに世論なんか存在しないと思われてしまっていることがあるでしょうね。「ネットなんてフリーターや引きこもりがやってるものだ」ぐらいの認識しかない。そこが決定的に間違っています。
すでに2ちゃんねるの平均年齢は30~40代。2ちゃんねるがスタートしたのが99年なので、当時の利用者が30ならば、もう40代近い。当然、彼らがみな引きこもりということはあり得なくて、2ちゃんねる上で「世論」として見られるのは、おそらく「まっとうな会社員で、技術系の人」というイメージです。具体的には、「IT系企業で係長やっている30代」といった人が中心なのではないでしょうか。そう考えると、「ネット世論」は、明らかに「普通の世論」とオーバーラップしてくる。そう思いたがらない人も多いですが…。
20~30代の若手記者までネットの悪口を言っている
――今回の「電凸」も、数から言っても「一部の人でやっている」というのは考えづらいですよね。

佐々木 WaiWai事件について、2ちゃんねるにはスレッドが230ぐらい立ちました。書き込みにして23万ぐらい。「一部の人が書いている」というのは、根拠がなさ過ぎる。ミクシィにも波及しているし、ブログにも広がっている。その読者も含めると、相当な数にのぼります。大手メディアではほとんど報道はされませんでしたが、インターネットを頻繁に利用する人は、大半が知っています。WaiWai事件を「毎日新聞低俗記事事件」と書いたら「そうじゃない」と怒られたこともありました。「あれは日本女性に対する侮辱であって、単なる低俗な記事を書いたということではない」、と。この事件は、本当に多くの人の怒りを呼んだんです。
――「『電凸』は威力業務妨害だ」といった指摘もありますね。

佐々木 そもそも、それを「威力業務妨害」だと発想するのが理解不能ですよ。だって、消費者運動の一種じゃないですか。実際に物を壊すとかであれば、威力業務妨害ですが、「電話をして抗議する」というのは、1970年代から消費者運動として行われてきたことです。
――2ちゃんねるの利用者層とは逆に、新聞の読者層についてはいかがですか。

佐々木 新聞の側が、読者の年齢層を上げてしまっています。元々、新聞では「標準家庭」という言葉が以前は使われていて、これは40歳ぐらいで専業主婦の妻と子供二人のいるサラリーマン家庭をイメージしたものです。そういう人たち向けに新聞を作っていたわけですね。ところが、若い人が新聞を読まなくなって、90年代ごろから読者の高齢化に付き添うようにして、新聞の中身も老化してしまうようになった。
その結果、中心読者層が60-70歳代になっていて、知らない内に、書く側も、それに合わせてしまっている。私は47歳ですが、(自分が毎日新聞に在籍していた時の)同期の記者に会うと、「何でそんなに老けた考えしてんの?」と、ビックリすることが多い。みんな「世の中が悪くなった」とか言いたがる。自分が理解できないモノは全部ダメなものだと考えてしまっていて、「ネットが悪い」「いまの若者はだめだ」と言いたがる。そんなもの、単なる老人史観でしかありません。
――新聞社の人は、「2ちゃん・ネット=悪いやつ」というイメージを持っているんでしょうね。

佐々木 新聞業界の人からは、「ビジネスとしてはインターネットとつきあっていかなければならないのはわかっているが、生理的にはどうしても受け入れられない」という考えが伝わってきます。
――毎日新聞は、特にその傾向が強いと思いますか?

佐々木 不思議なのは、ネットをよくわかっていない50代の記者が「ネットはけしからん」というのならともかく、20~30代の若手記者までネットの悪口を言っていることです。WaiWai事件以降、様々な地域面のコラムでネットの悪口が書かれるようになって、明らかに社内に「空気」ができているのだと思います。どう見ても、明らかに若い記者が書いている。毎日新聞は「ネット憎し」の空気で埋まってしまっている。
「うちの会社で起きたら、震え上がりますよ」
――毎日新聞側からすれば「不当に攻撃された」と思っているということですね。一方で、ネット側の毎日新聞に対するとらえ方は変わったでしょか?

佐々木 WaiWai事件が起こったという事実から受ける印象は変わらないんですが、問題は対応の仕方です。例えばお詫びの文章のなかに、「法的措置をとる」と強面で書いてあったり、PJニュースや個人のブロガーにひどい対応をして、そのことを(各メディアに)暴露されたりとか。今回のWikipediaの誤報の件でも、訳の分からないお詫びが紙面に出て、書かれた本人がWikipediaのノートで「毎日の記者から、こんなひどいこと言われた」と暴露している。こんなことがあると、ネットの人間は「毎日は、心底我々を憎んでいるんだな」と思ってしまう。一番びっくりするのは、これまで同様なことが起きているのに、また同じ誤りを繰り返すこと。WaiWaiの時にPJニュースとJ-CASTに(対応のずさんさを)書かれて分かっているはずなのに、それが全ての記者にいきわたっていない。毎日新聞はガバナンスが不足している会社なので、そういったことが末端まで行き渡っていないのかも知れない。
――毎日新聞以外の他の新聞社も、「電凸」を恐れているのでしょうか。

佐々木 みんな「うちの会社で起きたら、震え上がりますよ」といいます。だから自社の紙面ではWaiWai事件を大きく報道しなかった。報道したら、自分のところに降りかかると思っています。
――現場の記者は、WaiWai事件をどう受け止めていますか。

佐々木 私がつきあっている30代の記者はメディア担当が多いので、リテラシーの高い人ばかり。彼ら(毎日新聞の記者)からは「毎日新聞はつらい。上に何を言っても理解されない」という声も聞こえます。
――具体的には、どんなところが「理解されない」のでしょう。

佐々木 例えば、双方向性を理解していないこと。言論がフラット化していることを理解していない。「ブログは素人が書いているもの」ぐらいにしか思っていない。1990年代まではインターネットもしょせんはマス媒体をウェブ化しただけで、言論のフラット化なんて起きなかった。だからそのころまでは彼らもネットをある程度は理解していたと思うのですが、2000年代に入ってブログの登場などソーシャルメディアが台頭してくると、言論は瞬く間にフラット化された。しかしこのようなソーシャルでフラットな世界というのは、その場に身を置いている人間ではないと皮膚感覚として理解できないんです。新聞社との人間とブログの人間は、違う言語空間に生きています。ほとんどの新聞社の人間はブログなんて見ていなくて、彼らにとって、ネットとは「アサヒコム」なんです。
トップダウンでやれるところじゃないとダメ
――新聞とネットの距離感はいかがでしょうか。何らかの形で折り合いをつけないといけないと思いますが…。

佐々木 米国でも、オンラインで成功しているのはウォール・ストリート・ジャーナルぐらいですが、一般紙というよりは専門紙です。ニューヨーク・タイムズも減収で、日本の新聞社がこれからどういう方向に進めばいいのかというお手本となるべき新聞社が存在しない。国内に目を転じると、産経新聞のiza!は素晴らしいソーシャルメディアで、現場が「自分の記事が得体の知れないブロガーの記事と並列されるのが許せない」と、猛反対だったなか、社長の鶴の一声で開発が決まったものです。でも現状では新聞社の収益下落を救えるほどのパワーはない。ソーシャルメディアは儲からないんですね。あれが儲かれば、みんなが見習って、日本のメディアがソーシャルメディア化していくんでしょうけれど…。
――産経新聞のネットの取り組みはすごいですよね。

佐々木 ウェブ・ファースト(紙よりも先にウェブに記事が載る)ですし、会見全文を載せたり、裁判のライブ中継があったり…。一度掲載された記事が消えないのも魅力ですね。
――裁判のような長い記事でも、比較的読まれているそうです。

佐々木 その対極を行くのが、(記事読み比べサイトの)「あらたにす」。「サマリーだけウェブに載せて、本文は新聞で」という発想ですが、逆ですよね。ウェブの方が容量は多いんだから。
――今後、新聞社のネットに対する考え方は変わると思いますか?

佐々木 何らかのターニングポイントが来るのではないでしょうか。いまだに「インターネット世論は世論ではない」と思いたがっていますが、インターネット世論が世論だと言わざるを得ない局面が来る。そうなると、韓国みたいな状況がやってくる。一時はネット世論が権力を握るというところまでいったわけですから。ただ、韓国は行き過ぎて、ネット世論が肥大化してしまい、ネットの世論がリアルの世論と直結してしまった。その結果、「ネットで誹謗中傷を書かれて自殺」みたいなケースが頻発しました。さすがに日本のインターネットはそこまでの状況は作り出さないと思いますが、しかしどのような将来が待ち受けているのかは、まだわからないですね。
――毎日新聞にも、何らかの変化が起こる可能性はありますか。

佐々木 トップダウンでやれるところじゃないとダメだと思いますね。古い大きな組織なので、無理でしょう。山本七平の名著「『空気』の研究」じゃないですけど、社内を「空気」が支配しちゃっている。没落のスピードが速すぎて間に合わない(苦笑)心配もありますね。
佐々木俊尚さん プロフィール
ささき・としなお 1961年、兵庫県生まれ。フリージャーナリスト。愛知県立岡崎高校卒、早稲田大政経学部政治学科中退。1988年、毎日新聞社入社。岐阜支局、中部報道部(名古屋)を経て、東京本社社会部。警視庁捜査一課、遊軍などを担当し、殺人や誘拐、海外テロ、オウム真理教事件などの取材に当たる。1999年にアスキーに移籍し、月刊アスキー編集部デスク。2003年に退職。著書に「ウェブ国産力」、「ネット未来地図 ポスト・グーグル時代 20の論点」など。


新聞の20%以上は配達されない 「押し紙」という新聞社の「暗部」
(連載「新聞崩壊」第4回/フリージャーナリスト・黒薮哲哉さんに聞く)

読売1000万部、朝日800万部、毎日400万部……巨大部数を誇る全国紙。それだけ影響力が大きい「証」でもある。しかし、その部数に「暗部」を指摘する声もある。「押し紙」と呼ばれる配達されない新聞だ。全体の2割以上はある、というのが関係者の見方だ。ただ、新聞社側はその存在を認めていない。この問題に詳しいフリージャーナリストの黒薮哲哉さんに話を聞いた。
悲鳴を上げる販売店が増え始めたのはここ5~6年
――押し紙問題(*メモ参照)は、最初はどういうきっかけでいつごろ始まったのでしょうか。
黒薮 はっきりしませんが、かなり昔から続いています。ただ、初期のころは新聞の部数が伸びていたときで、新聞社がノルマとして多めの新聞を搬入しても景品をつければ読者を増やすことは難しくなかった。だから販売店にとってそれほど大きな負担ではなかったようです。
――それが販売店にとって迷惑なものへとその性格が変わったのはいつごろからですか。
黒薮 これもかなり以前からですが、本当にひどくなって悲鳴を上げる販売店が増え始めたのはここ5~6年でしょうか。
――そもそも販売店は、なぜ押し紙を断らないのでしょうか。実際には読者から集めることができない押し紙分の「新聞代」を負担して新聞社に納めないといけない訳で、損をするのではないですか。
黒薮 まず、新聞に折り込むチラシの収入があります。チラシの搬入枚数は、販売店が扱う新聞の総部数に準じるので、押し紙で部数を増やせばチラシの枚数も増える仕組みになっています。ですから押し紙が多ければ多いほど、チラシの収入も増えます。さらに新聞社が販売店へ補助金を支給します。つまりチラシの水増し収入と、押し紙で生じる損害を相殺するカラクリがあるのです。しかし、最近はチラシ収入が激減しています。補助金の全体像は正直つかめていませんが、少なくとも増えてはいないようです。当然、販売店は押し紙の損害を相殺できなくなってきました。それにもかかわらず新聞社と販売店の力関係は、販売店が圧倒的に弱者です。押し紙を断れないのです。それで不満の声を上げる販売店主たちが出始めた、というのが現状です。
――なぜチラシ収入が減ったのですか。
黒薮 複数の要素があります。各戸の郵便受けに直接チラシを入れるポスティング業者の登場も要因のひとつです。フリーペーパーやインターネット広告にチラシの役割を奪われた部分もあります。また、広告主の意識の変化も挙げられます。押し紙の存在が知られるようになり、新聞に折り込んでチラシを配っても本当にそんなに多数の読者の手元に届いているのか疑っている広告主もいます。また、広告による宣伝効果にも疑問を持ち始めているようです。ある不動産業者を取材すると、以前は2色刷りの新聞チラシで相当の効果があったが、近年は7色刷りの手の込んだチラシを配っても反応がない、と嘆いていました。勿論、最近では景気の影響もあります。
――実際にどの程度が押し紙なのでしょうか。
黒薮 全国的なデータはありません。個別の販売店を取材してきた私の推測では、おおむね3~4割は押し紙だとにらんでいます。もっとも地方紙は別です。地方紙の場合、押し紙をしてでも大部数にみせかけ、広告の媒体価値を競い合う必要性は全国紙に比べて薄いようです。
書類の上では押し紙はないことになっている
――4割というのはちょっと多すぎる気もしますが、具体例はありますか。
黒薮 新聞社も販売店名も分かっています。例えば九州地区のある全国紙の販売店では、07年秋に総部数2010部となっているところ、本当に読者に配っていたのは1013部でした。押し紙が997部、5割弱という計算になります。大阪では押し紙が7割という店もありました。首都圏の少ないところでも2割はあるかな、というのが実感です。必要な予備紙を計算に入れても実態は大して変わりません。
――新聞の部数は、日本ABC協会(新聞雑誌部数公査機構)が発表していますが、信頼性がある数字だと見られています。押し紙は見抜けないのでしょうか。
黒薮 ABCの数字は基本的に販売店へ搬入している部数であって、実際に配達されている数字ははっきりしません。協会の役員には各新聞社関係者がずらりと顔をそろえています。広告主側の役員もいる訳ですが、あえて押し紙に抗議して新聞社とことを構えたくはないでしょう。新聞社を相手にするのは大変です。たとえば私は、押し紙問題を取材する過程で、読売新聞西部本社サイドから2件の訴訟を起こされました。押し紙問題が表沙汰になることに相当な危機感を抱いたのだろう、と私は感じています。また、新聞社の関係者でも販売局以外の人は、押し紙の実態はよく知らないのかなという気もします。
――新聞社側は、押し紙の存在を認めているのでしょうか。
黒薮 認めていません。違法行為なので認めるわけにはいかないのでしょう。実際、販売店側が作る書類の上では押し紙はないことになっています。新聞社から、拡販しろというプレッシャーが強く、新聞拡販のノルマが達成できなければ、「怠け者」と見られてつぶされかねません。そんな状況で、自ら「実配部数」欄に押し紙を含んだ数を書き入れて、営業成績をよく見せるケースがあるのです。しかし、新聞社側からすれば、販売店が勝手にウソの数字を書き込み、信頼関係を裏切られたと主張することも可能なのです。
――そうした実態が垣間見える裁判があったそうですね。
黒薮 福岡県・筑後地区のケースです。裁判自体は、読売新聞側から解任された販売店主が地位保全を求めた訴訟です。07年12月、最高裁が読売の上告受理申し立てを退けるかたちで判決が確定したのですが、解任理由とされたのは、先ほど説明した「ウソの実配部数報告」でした。しかし、裁判の中で、「ウソの報告」をするまでに店主を追い込んだ新聞社側の体質が優越的地位の濫用にあたると指摘され、販売店の改廃は認められませんでした。
――今後どうなるでしょうか。
黒薮 チラシの減少も深刻ですが、そもそも読者も減っています。50代以上はともかく、それ以下の世代は本当に新聞を取らなくなっています。読売1000万部云々と言われ始めて10年以上たっていますが、ネットの急速な浸透で、実感として読者はここ最近相当減っているはずなのに、いまだに公表部数については、以前とほとんど同じ数字のまま。ということは、押し紙が増えていると推測できます。販売店側はもうそれを吸収できないのです。現在のような販売システムは、早晩崩壊すると予測しています。
――新聞社はどういう対策を取るのでしょうか。
黒薮 個人経営の販売店ではなく、新聞社側の資本も入った販売会社を増やしているようです。販売会社は、ある意味新聞社と一体の組織なので、押し紙に伴う金の流れも融通が利くようです。
――自主廃業する販売店は増えていますか。
黒薮 増えています。しかし、この業界は意外と縦社会というか、だれそれさんに以前世話になったので顔をつぶせないとか、外部の人間が考えるほど簡単にやめることができる訳ではなさそうです。とはいえ、経営不振のある新聞社では、普通の説得工作では追いつかないほど辞めたがっている店が出ています。このため、押し紙を減らす動きも出ているようです。閉店されてしまうと、後のなり手がいないからです。
<メモ:押し紙問題>
新聞社が、個人経営などの新聞販売店に対し、実際に読者に配達している部数より多くの新聞を「押しつけている」とされる問題。配達時に新聞が濡れたときなどに備える必要な「予備紙」(注文部数の2%まで)数を大きく上回っていると見られている。新聞社にとっては、部数が多いことは紙面広告を取る際に有利に働くことが背景にあると指摘されている。独占禁止法で禁じられている行為だ。
例えばこういう仕組みだ。新聞社がある販売店に1000部を搬入する。しかし、その販売店が本当に配っている新聞は800部だとする。するとその差の200部の大半が「押し紙」ということになる。対外的には、「この地区でうちの新聞は1000部も読まれています」と主張するという訳だ。新聞社側はその存在を認めていない。
黒薮哲哉さん プロフィール
くろやぶ てつや 1958年、兵庫県生まれ。フリージャーナリスト。1992年、「説教ゲーム」(改題:「バイクに乗ったコロンブス」)でノンフィクション朝日ジャーナル大賞「旅・異文化」テーマ賞を受賞。著書に「新聞ジャーナリズムの『正義』を問う」「新聞があぶない」「崩壊する新聞」など。


米国の新聞は決断した 「紙が減ってもウェブ中心でやる」
(連載「新聞崩壊」第5回/アルファブロガー・田中善一郎さんに聞く)
2009/1/ 3

販売も広告も先行き下り坂。ネット戦略に生き残りをかけるしかない。日本の新聞社はそう考えているように見える。ところが、先行している米国の様子を見ると、新聞社のウェブサイトは苦戦している。出稿される広告も減少に転じた。米国のメディア事情をアルファブロガーの田中善一郎さんに聞いた。

――米国と日本の新聞社のサイトはどこが違うのでしょう。

田中 まず英語圏なので、最初からグローバルな展開を視野に入れられる強みがあります。だから、ユニークユーザー数も多い。内容面で言うと、ニューヨーク・タイムズは、紙面に掲載されている記事のほとんどがウェブにも掲載されている。ネットに先に配信する「ウェブ・ファースト」も徹底しています。ネットのコンテンツは速報性もあるし、行数に制約がないし、時には映像も付く。記事一つ一つに厚みがあります。各記事から、関連する外部サイトの記事へのリンクが張られ、開放化に向かっているのも大きな特徴です。

トピックス記事のようなストックコンテンツも充実してきています。ニューヨーク・タイムズでは、約1万種のトピックス記事が随時更新されており、非常によくできています。Wikipediaのような事典ですが、信頼できる内容だし、最新ニュースも組み込まれています。同サイトのニュース記事内に出てくるキーワードには、関連するトピックス記事がリンク付けされています。
ソーシャルメディア化が進んでいることが特徴

「米国の新聞社ウェブサイトはソーシャルメディア化が進んでいる」と話す田中善一郎さん
――そのほかに特徴は?

田中 ソーシャルメディア化が進んでいること。例えばRSS。カテゴリー分けが非常に細かい。たいていの新聞社サイトでは200種ぐらいのRSSフィードを配信しています。ニッチなトピックスでもRSSフィードになっているし。複数の新聞社サイトを対象に特定分野の情報をRSSリーダーで収集する場合、効率よく行えます。特に、仕事に関する専門分野の情報収集環境が、日本とは全然違います。

サイトの基本設計に関しては、3~4年前まで日本の新聞社と大差なくて、紙の焼き直しに過ぎませんでしたが、急に状況がかわってきました。「まずはトップページに来てもらう」というやり方が行き詰まってきたからです。検索エンジンの進歩とRSSフィードの普及で、「まずは1面から読む」という紙媒体的な情報提供だけではユーザーが満足しなくなってきたのです。記事1本1本が検索対象になってきました。web2.0的な流れが生まれてきて、ユーザーの情報接触が「パッケージされたコンテンツを読む」から「読みたい記事だけを読む」というように変化が出てきています。
――ソーシャルメディア、特に、ブログとの関係についてはいかがでしょうか。

田中 ニューヨーク・タイムズでは、ブログの中で記事が話題になるような仕掛け作りを進めてきました。過去に遡ってすべての記事に固有のURLを与え、いつまでもリンク切れが起こらないようになっています。過去20年間の記事を含めて昔の記事までが無料で読めるため、ブロガーは安心してニュース記事を引用してリンクを張るようになってきました。
――新聞社サイト内で提供されているブログについてはいかがでしょう。

田中 いわゆる「記者ブログ」でも、日本と米国とでは様子が全然違います。日本では多くが、単にコラムをブログという形で掲載しているに過ぎませんが、米国ではブロガーとなる記者がブログの世界にうまく入り込んでいます。一般の記事に比べて、規制の少ない自由な視点でブログ記事を書いており、外部ブログとやり取りをしながら、一緒により良い記事を作り上げていこうとしています。つまりコンテンツをマッシュアップしていくプロセスが見られるのがおもしろいですね。さらに最近では、外部の有力ブログとライセンス契約を結び、外部ブログ記事を新聞社サイトでも掲載し始めています。
米国では3-4年前から新聞広告が急に落ち込む
――こうした試みで、確かに情報の価値が上昇しました。問題は、その結果「儲かるか」です。

田中 紙媒体では儲からないという結論を下し、儲かるかわからないネット媒体にシフトしているのが現状です。そこで米国の新聞社がどう変化してきたかを振り返る必要があります。実は、1970年ぐらいから読者の減少が始まっています。米国の人口が2億から3億に増えているにもかかわらずです。つまり、「新聞を読む人の割合」が、劇的に減った。それでも、指導者層の新聞に対する信頼は揺らがなかった。「信用できるニュースがいつでも得られる」メディアとしては、当時は新聞しかなかったからです。そのため、部数が落ち込んでも、新聞広告費が70年から2000年までの30年間で6倍以上も伸びたんです。「広告は上向きだったので、危機感を持つのが遅れた」と言う面があります。

ところが、ブログなどのソーシャルメディアが普及しだした3~4年前から、新聞広告が急に落ち込み始めました。この頃が転換期だと思います。06年~07年にかけて、広告は大幅に落ち込んだ。世間一般の景気がいい時でしたので、新聞社も「これはまずい」と受け止めた。みんなが「新聞が消える」と言い出したのはこの頃です。部数と広告が減少する負のスパイラルが加速化し、止まりそうもない、というのが現状です。これに金融危機が加わって、まさに踏んだり蹴ったりの状態です。
――ウェブと紙媒体の住み分けはできるのでしょうか。

田中 今までと逆に、紙はウェブの補完となっていくでしょう。頭が痛いのは、ウェブを充実させると、紙媒体の販売収入が減ってしまうこと。ニューヨーク・タイムズが、最も典型的な例でしょう。それでも、「紙を減らしてでも、ウェブをやるべき」という決断をした。収益性が悪くても、やらざるを得ない。
――日本の新聞社は、まさにその入り口にさしかかっていると言えそうですね。

田中 さらに米国の新聞社にとって具合が悪いのが、収入の7~8割を広告に依存していることです。それが年率で15%ぐらい落ち込んでいる。特にクラシファイド広告(求人広告など)の落ち込みがひどくて、ニューヨーク・タイムズでもこの1年で3割近く落ち込んでいる。これらの広告はネットに流出してしまったので、紙媒体に戻って来ることは絶対にありません。ネット広告がV字回復し,ネット事業が新聞社のけん引車になるまで、米新聞社の何社が持ちこたえられるかどうか。淘汰は避けられないでしょう。
中高年層には「現状のコンテンツの方が安心」
――日本の状況を見たときに、日本の新聞社サイトは、どういう風に変わるべきだと思いますか。

田中 一部の新聞社を除いてほとんどは、本気でネット事業に突っ走っているとは思えません。皮肉に聞こえるかもしれませんが、中高年向きの現状のサイトは合理性がある。少子高齢化で増えている中高年層では、「編集者の価値観でつくられた現状のコンテンツの方が安心」という声が主流でしょう。さらに何だかんだ言っても、売り上げは紙媒体の方がネットよりもはるかに多い。コンテンツをつくるのも営業をするのも、ネットの方が手間暇かかって大変なのです。紙と違ってネットでは、24時間対応しなければなりませんし。今の新聞社の人的リソースからすれば、ネット中心の事業展開はしばらく難しいでしょう。

やっぱり、ネットはやりたい人がやるべきです。紙媒体がダメになりそうだから、しかたなくネット媒体をやらされるでは成功しないはずです。意欲的にネット媒体に転身したいという若い人が増えてくればいいのですが。外部の血を導入するのも必要では。オンラインメディアに長けたネットベンチャーを買収するくらいでないとうまくいかないかもしれません。
――そうなると、中長期的にはジリ貧なのでは。

田中 確かにそうですが、「新聞が危ない」のではなくて「紙媒体が危ない」ということでしょう。新聞が提供してきたニュース記事のニーズがなくなっているのではない。何だかんだ言っても、いずれ紙媒体の時代は終わって、ネットが中心になっていきます。「質が高くて信用できるニュースメディアは新聞」と主張する人もいますが、「それが紙でないといけない」理由はどこにもありません。米国では、著名な記者がブロガーに続々と転身しています。多くの優秀な記者がネットメディアにはり付いていけば、ニュースペーパーは消えてもペーパーでない新聞が生き続けるのでは。
田中善一郎さん プロフィール
たなか・ぜんいちろう 1945年、兵庫県生まれ。68年、大阪大学工学部卒業。同年、コンピュータメーカーに入社し、情報通信システムの開発に従事。74年、日経マグロウヒル社(現・日経BP)に入社、「日経エレクトロニクス」記者を経て、「日経バイト」編集長、「日経コミュニケーション」編集長などを歴任。2006年4月、同社を退社。インターネット業界動向をピックアップし伝えるブログとして「メディア・パブ」を執筆中。


新聞を法律で守る必要あるのか 「再販制」という反消費者制度
(連載「新聞崩壊」第6回/鶴田俊正名誉教授に聞く)
2009/1/ 4

読書週間が始まった2008年10月27日、河村建夫・官房長官は記者会見で、新聞の再販制度について触れ、「制度維持することが文字・活字文化を維持することにつながる」と語った。新聞を「自由な競争」から守るという再販制度。新聞は特別に守る必要があるのだろうか。公正取引委員会の「再販問題を検討するための政府規制等と競争政策に関する研究会」座長も務めた、鶴田俊正・専修大名誉教授(産業組織論)に話を聞いた。

オウム真理教の教祖の理論と「同一視」される

「大学や高校で教えている私の家族もニュースはネットで十分と新聞は読んでいません」と話す鶴田名誉教授。教授自身はネット・ケータイでも情報を収集するが、「紙の新聞」も毎日読んでいるそうだ
――新聞の再販制度の問題点を簡単に解説して下さい。

鶴田 再販行為の基本的な問題点は、価格を拘束することによって、流通業の競争を制限し、小売業の営業の自由を奪い、消費者利益に反することにあります。一方、新聞業界は「再販制を廃止すると、価格競争が激しくなる。過疎地では新聞の値段が割高になって、消費者に迷惑をかける」「取材経費が圧縮されて紙面の質が低下し、民主主義の基盤が維持できなくなる」といった理屈を持ち出し、制度の維持を主張してきました。
――最近はどんな動きがあるのでしょうか。

鶴田 1990年代に入り、競争を進める流れが出てきました。化粧品や医薬品など指定再販と呼ばれていたものは90年代中に再販ができなくなりました。新聞についても、私が座長を務めた公正取引委員会の研究会などで議論されました。結局、公取委は2001年3月、「競争政策の観点から再販制度は廃止すべき」だが、まだ「国民的合意が形成されるに至っていない」として、「当面存続することが相当」という見解を発表しました。その後、再販制の弾力的運用云々が議論に挙がっています。しかし、基本的には01年のときから事態は変わっていません。私個人は当時も今も、新聞の再販制は撤廃すべきだと考えています。
――以前国会で、読売新聞の当時社長だった渡辺恒雄さんから、名指しで批判されたそうですね。

鶴田 1996年6月の規制緩和に関する衆院の特別委員会に参考人として出席した渡辺さんが、私を含め3人の学者の名前を挙げ「新聞なんかつぶしてやりたいと思っている、3人のイデオローグがいる」と言われました。私たちの議論を「大々的に報じない」のは、「オウム真理教の教祖の理論を長々と書かないのと同じ」なんていう表現もありました。
しかし、私の記憶では上のようなやりとりを新聞はどこも報じなかった。私たち学者の議論に反対するのは勿論自由です。しかし、日頃は他業種の競争政策に関しては「価格を決めるのは市場や消費者」などと規制緩和を社説などで主張しながら、自分たちのこととなると「社会の公器だから」などと特別扱いを求め、反対意見も公平に扱おうとしない。こんな姿勢には当時から疑問を感じていました。
私たちは、独自性がある新聞なら、再販制をなくしても破壊的価格競争にはならないと訴えていました。「新聞をつぶしたい」なんてとんでもない。新聞が消費者ニーズに敏感になり、その上でがんばってほしいと思っていたのです。
――渡辺さんは、なぜあそこまで強く再販廃止に反対したのでしょうか。

鶴田 新聞の営業政策の根幹を揺るがす、と感じたのでしょう。自分たちの新聞だけを売る、つまり専売店に部数増を強く求め、大部数を維持し、それによって広告の価値をあげていくビジネスモデルですね。そして部数増のため、(販売)拡張団による強引な勧誘や景品配りをする。新聞の中身や価格で競争していないのです。まあ、拡張団の活動は現在では以前のように強引ではないようですが。いずれにせよ、そういう形で築いてきたものが崩れていくと心配されて大反対したのでしょう。
――かなり前の話ですが、「ある学者が新聞とトイレットペーパーは商品として同じだと言い放って新聞を貶めた」という趣旨の新聞記事も出ました。

鶴田 ひどい話です。本来は、新聞側が自分たちの主張する「新聞の公共性」についてきちんと定義付けできていなかったのが問題の本質だったのです。それなのに、東大の三輪芳朗教授の言葉尻を捉え、新聞はゆがめて報じたのです。私は議事録を読んでいます。
1995年に開催した公取の小委員会で、新聞の「特別扱い」が必要な理由などについて意見が交わされました。ある新聞社の販売局長が「新聞は公共性・公益性が高い」と表現したので、三輪教授は公共性・公益性とは何かと質問したのです。すると新聞協会関係者が「誰に対しても、どこに住んでいても確実に、しかも同じように安く手に入るという仕組みは新聞にとって大事だ」と説明しました。別の新聞社関係者は「一般大衆ほとんどの人が使う有益な商品」と答えました。
これに対し三輪教授は、公共性というものが「あらゆる人に行き渡らなければならない」のだとしたら、「例えばトイレットペーパー」も「そうだろう」と指摘したのです。要するに、新聞社側が行った公共性の説明は「(定義として)十分ではないだろう」と言っただけなのです。
――自民党と新聞業界の結びつきが再販制存廃の議論に影響した、ということはあるでしょうか。

鶴田 あると思います。公取委員長人事で自民党有力者と懇意な人が選ばれてから、再販廃止に向けたそれまでの議論の流れが変わったな、と感じたこともあります。
再販制で守られたことが現在の苦境を招く皮肉
――新聞社は、ネット上で無料ニュースを相当な分量配信しています。紙では全国均一価格にこだわる姿勢とは矛盾しているのではないでしょうか。

鶴田 そうですね。新聞の長期購読者が割引などのメリットを受けられない一方、ネットではただや極めて安い料金で見ている人がいる。紙の新聞は読まず、ネットでニュースを見ただけで済ませる人が、若い人たちだけでなく私の周囲でも本当に増えています。特色ある新聞作りをこれまでに進めていれば、紙の優位性はもっとあったはずだと考えています。
――では、再販制の廃止が認められ、各紙が競争的に独自性ある紙面作りを進めていれば、ここまで新聞も苦しくならなかった?

鶴田 そうだと思います。新聞を守るために再販制を守ったつもりなのでしょうが、皮肉なことにその再販制に守られた中で新聞はここまで苦境に陥ってしまいました。再販制をたてに独自性を十分に発揮する競争から逃げてしまったからではないでしょうか。
――外国では新聞と再販制の関係はどうなっているのでしょうか。アメリカはありませんがなぜないのでしょう。

鶴田 最新状況は知りませんが、以前調べたときは、OECD(経済開発協力機構)加盟の中では、日本とドイツだけでした。ほかの国で新聞の再販制がないのは、必要がないからですよ。新聞もほかの商品と同じように売買される、というだけの話です。
――公取の01年の結論では「当面」とありました。新聞の再販制度は、近頃あまり話題になりませんが、決着はもう「存続」でついてしまったのでしょうか。

鶴田 まだ決着はついていないと考えています。新聞の特別扱いはおかしい、という考え方は底流として根強くあります。いずれまた公取は問題にせざるを得ない、と見ています。しかし、新聞社とコトを構えるのは相当エネルギーがいることなので、よほど公取のトップに腹の座った人がつかない限り、難しいかもしれません。
<メモ:再販制度と新聞>
再販売価格維持制度。製造業者(新聞社)が小売業者(新聞販売店)と定価販売の契約を結ぶことができる。独占禁止法で原則的に禁じられているが、1953年の独禁法改正で新聞や書籍など著作物は例外的に認められ、現在に至っている(法定再販)。新聞の場合、特殊指定(定価割引の原則禁止など)と合わせ、全国どこでも同じ料金という現在の状態が可能になっている。

鶴田俊正名誉教授 プロフィール
つるた としまさ 1934年、東京生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業、同大学院経済学研究科修士課程修了。1988年から2001年まで、公正取引委員会の「政府規制等と競争政策に関する研究会」で座長を務める。その間、「再販問題を検討するための政府規制等と競争政策に関する研究会」の座長にも就任し、公取委への提言をまとめた。現在、専修大名誉教授(経済政策、産業組織論)。社団法人「消費者関連専門家会議」(ACAP)会長。


人件費削るのは安易な方法 経営者はもっとビジョン示せ
(連載「新聞崩壊」第7回/新聞労連・一倉基益副委員長に聞く)
2009/1/ 5

広告収入の落ち込みで経営悪化が目立つ新聞業界。アメリカではすでに、米トリビューン社の破産申請やニューヨーク・タイムズの記者リストラなどの動きが出ている。働いている記者や社員たちの危機意識はどれくらいあるのか。日本新聞労働組合連合(新聞労連)の一倉基益・副委員長に聞いた。

「新しいビジネスモデル」イコール「ネット」ではない

「難しくて簡単に答えを出せない問題が多い」と話す一倉基益副委員長
――2008年の年末一時金(ボーナス)交渉の状況はどうですか。

一倉 08年はマイナスです。大幅ダウンを強いられています。07年もほとんどマイナスでしたが、幅はそうでもありませんでした。
――全国紙と地方紙との差、はあるのでしょうか。

一倉 日経さんだけは何とか…という感じですが、一般的には同じような状況です。
――大幅ダウンの理由は、やはり経営が厳しい、悪いということなのでしょうか。

一倉 新聞産業そのものが、我々が使っている言葉ではありませんが、衰退している、と周りの人は言っています。そう言われてしまう状況ということだと思います。
――その理由を聞かせてください。

一倉 部数の伸び悩み、広告の落ち込み、用紙代の高騰、この3つです。
――大変な状況ですね。新聞社の中にいる人たちは、危機感を持っているのでしょうか。

一倉 我々だけでなく、経営陣の方が(危機感を)持っているし、一般組合員も感じています。体力的には内部留保はある企業が多いのですが、ここ数年は人件費の削減が続いています。

 社員たちは、厳しい状況だということを数字上は理解していますが、どうすればいいかの答えを持っている訳ではありません。特に若い世代は漠然とした不安を持っています。一方で40―50代の中には、「自分たちがいる間は大丈夫だろう」という根拠のない安心感をもっている人たちもいます。しかし多少の差こそあれ、みな共通して、今の給与体系を将来維持できないのではないか、という危機感は持っています。
――そうした厳しい状況に対し、組合ではどう対処しようとしているのですか。

一倉 会社側が「危機だ」と言っている理由もそれなりにわかります。しかし、人件費を削るという安易な方法に手をつけるのは、良くないと主張しています。5年から10年先の経営ビジョンを示すべきだ。財務諸表を公開していくべきだ。こんなことも言っています。新聞社は上場していないので公開の義務がない、というところが多いのですが、財務諸表を分析し、本当に会社に体力がないのかを分析し、反論すべきは反論する、という立場ですね。そのために専門家に分析を頼んでいます。
――日本経済全体が厳しい状況を迎えています。そうした中、会社側へ労組から経営改革の提案をする、というのは難しいのではないですか。

一倉 組合本来の仕事ではないのですが、組合内部にそうした要望があったので、新聞社の新たなビジネスモデルを研究する産業政策研究会という組織を新聞労連内に07年に立ち上げました。しかし、まだ経営の現状をまとめた中間報告をした段階で、具体的にはまだ話せません。09年7月にはまとめたいと考えています。とはいえ、我々は経営者ではありません。雇用を守りながら、という中で答えは出しづらいところがあるのも事実です。報告書として完成品を示せるかどうかはまだ分かりません。
――アメリカでは、ロサンゼルス・タイムズ紙などを傘下に持つ米メディア大手トリビューンが破産申請をしたり、ニューヨーク・タイムズが記者をリストラしたり、テレビを含めリストラの嵐が吹き荒れています。日本も同じ状況になるのでは。

一倉 日本でも十分(同じような事態が)考えられると思います。広告の落ち込みは2007年より08年が大きく、09年はさらに落ちるのは分かりきっています。しかし、いたずらに状況に踊らされることなく、一つ一つできることをしていくしかありません。我々も新しいビジネスモデルについて研究をしていますが、本来の組合の仕事は経営ビジョンを示すことではなく雇用を守ることです。
――ただ、紙からインターネットへの移行を模索する動きが以前からありますがうまくいっていないようです。どう受け止めていますか。

一倉 新聞社の「新しいビジネスモデル」イコール「ネット」ではありません。課金システムを考えてもニュース配信だけでは産業として成り立たないでしょう。大手は過去の記事をアーカイブして有料化していますが、限界があるでしょう。ネットには手をつけない、ということも選択肢として検討すべきだと思っています。確かに、中四国、近畿、九州の地方紙12の社が共同で「釣りタイムズ」という有料携帯サイトを立ち上げ、これが課金システムを使って成功している、といった例はあります。しかし、全国一律でこうすれば、というものはなかなか見つかりません。
新聞社の給料水準について善し悪しは議論してない
――今のままいくと、雇用を守るか賃下げを飲むか、という話になるのでしょうか。

一倉 どう受け止めるかはこれからの議論だと思います。雇用といっても正規、非正規問題も存在しています。新聞業界でも約14%は非正規ですから。非正規の人たちを正社員化すべきだ、という運動方針案を掲げていますが、では人件費がふくらむのをどうするのかという議論も必要になってきます。
――そこは労組としては苦しいところではないですか。正規と非正規を一緒にする場合、リストラ・賃下げが条件ということになりかねません。

一倉 何を選択するのか、ですね。(正社員の)賃下げを容認する、という議論に行き着いた場合は、全体で受け止められるかどうかが問われます。しかし、議論はまだしていません。
――頭の片隅に置きながら、という段階?

一倉 そういうことですね。今は、非正規の人たちについて、きちんと法律に基づいた待遇を会社に求めていきます。
――ところで、テレビや新聞社の給料は高いのではないか、という批判が高まっています。

一倉 外部の人が言うのは自由です。テレビを含めて報道という使命の下に働いてきてこの水準が得られたという背景があります。産業構造として維持できなくなったという場合はともかく、周りから言われたから下げる、ということにはならないと思います。
――確かに報道に携わる人の給料は、不正への誘惑に負けないためにも高くあるべきだ、という議論もあります。高い必要があると考えていますか。

一倉 他産業と比べ高いことは認識していますが、その善し悪しは議論してないし、議論する必要があるかどうかも分かりません。
一倉基益さん プロフィール
いちくら もとえき 1962年生まれ。85年に上毛新聞社入社、広告局に配属。2007年10月から日本新聞労働組合連合(新聞労連)副委員長。新聞労連内の産業政策研究会の担当役員でもある。新聞労連は、全国紙やブロック紙、地方・地域紙、専門・業界紙などの労働組合86組合、約2万5500人が加盟している。労働条件の改善・向上への取り組みだけでなく、取材・報道のあり方を検証する新聞研究活動なども行っている。


「紙」にしがみつくほうが日本の新聞長生きできる
(連載「新聞崩壊」第8回/評論家・歌田明弘さんに聞く)
2009/1/ 6

危機を迎えつつある新聞業界は、「ネット化」に向けて突き進むべきか、それとも、もうしばらくは紙媒体に踏みとどまるべきなのか。「インターネットは未来を変えるか?」などの著書があり、ネットと既存メディアとの関係についての考察を続けている評論家の歌田明弘さんに、インターネットが新聞経営に与えた影響と、今後の見通しについて聞いた。

――いつ頃から、「ネットは新聞経営に影響を与える」という印象を持ち始めたのですか。

歌田 ネットで無料でニュースが読めるようになった時点で、どうなるのかなと思いましたね。ニューヨーク・タイムズは、「ウェブ・メディアの登場をほうっておけば、アメリカの新聞収入の屋台骨のクラシファイド広告(求人などの小広告)が奪われる」というレポートをコンサルタント会社から受けとったことをきっかけにサイトを立ち上げた。なぜやらないといけないかについての経営的な理由がはっきりしていた。日本の新聞社は、なぜネットメディアなのかということが、経営的にはあまりはっきりしていなかったのではないでしょうか。
新聞社の危機はネットメディアの現状と表裏

新聞社のネット事業展開の可能性について語る歌田明弘さん
――「新聞離れ」が指摘されますが、新聞の読者が「ネットに移った」のでしょうか。それとも、単に「読まなくなった」のでしょうか。

歌田 私は出版社出身ですが、毎月4000円の出版物を買ってもらうのは至難の業です。新聞を購読しているのは当たり前みたいな感覚があったときにはあまり考えずにとってもらえたかもしれませんが、90年代以降、家計がどんどん苦しくなり、支出を見直す必要が出てきて、しかもネットでニュースを手に入れるという代替手段があったとなれば、苦しくなるのは当然です。

いまは苦しいのは新聞社だけではないので、新聞業界以外の人間にとっては「ネットの登場で苦しい業種がもうひとつ出てきた」ぐらいのことともいえるわけですが、新聞社がなくなることが社会にとってどういう意味を持つかが重要ですね。

新聞社が倒産しても、同じような機能をネットメディアが担うのであれば、社会のダメージはそれほどないともいえるわけです。しかし、少なくとも日本では、さしあたりそう簡単に移行が成立しないのではないかと思います。
――新聞の評価すべき役割を挙げるとすれば、どのようなことですか。

歌田 やはり、社会に緊張感をもたらしているところでしょう。大上段に言えば、「権力の監視」ということになるわけですが、いろいろな軋轢が生じるにもかかわらず、それを社会的な使命だと思って追及し、正確さも損なわないようにするというのはかなりたいへんなことです。あらためてそういうと「そうかな」と思う人もいるかもしれませんが、新聞社以外の人はじつはあまりよくわかっていない。そこがそもそも問題といえば問題です。

新聞社のほうは、当然そうしたことは理解されているはずだと思っているのかもしれませんが、そうではない。

「ブログもジャーナリズム」といった議論がよくされていますが、ジャーナリズムのひとつだと思ってブログを書いている人もいるでしょうけど、そう言われると戸惑う人も多いでしょう。アメリカの場合は、ブログが物書きのデビューのための装置として機能しているところがあると思いますが、日本はあまりそうなっていない。無償の行為であれば、リスクを負うことまで求めるわけにもいかない。「私のブログはジャーナリズムだ」というのは自由ですが、そうであれと要求するのは要求しすぎ、というところもあります。

また会社組織であっても、ネットメディアは経営基盤が弱いところも多いので、取材などにお金をかけたり人手を割いたりすることもできず、多くのリスクを負って記事を書くこともしにくい。新聞社の危機というのはネットメディアの現状の問題と表裏になっているのだと思います。
――元ライブドア社長の堀江貴文さんは、「自分でメディアを立ち上げる」と宣言したことがあります。ネット上で、新聞社や通信社に代わるような動きが出てくると思いますか。

歌田 ネットでやろうと思ったら、お金儲け以外のモチベーションも必要でしょう。堀江氏の場合は、「ちょっと一泡吹かせてやろう」みたいな山っ気があったから自分でニュースをやろうと思ったのかもしれませんが、ただ儲けたいだけなら、新聞社みたいなことをネットでやるよりもほかのことを選ぶのではないでしょうか。

もちろん、かつて経営的な問題はともかく新聞を発行し始めた人たちがいたように、やる人が出てこないというわけではないでしょうが。
紙を全部やめてネット移行すると、10分の1以下の収入になる
――新聞社は、紙媒体からネットにすべてを切り替えてしまうと、収入が大きく減ってしまいますね。

歌田 そうですね。現状では、日経以外はデジタル部門の収入は全体の1%あるかないかのようですから、紙を直ちに全部やめてネットに移行すると、おそらく10分の1以下の収入になってしまうでしょう。無料でアクセスする人が増えても広告価値はそんなには上がらないので、購読料を失えば、ダメージはきわめて大きい。
――かなり読まれていたとしても、お金は沢山取れない。

歌田 アクセス数だけで広告料が決まるとなると、苦しいでしょう。

ただ、行動ターゲティング広告とか、無料にしても登録制を導入するなどして読者プロフィールがわかれば、新聞社サイトの利用者は比較的高収入の人が多いようですから、購買力のある人がアクセスしているということで広告料を高く設定することも可能になってくるかもしれません。

ウォール・ストリート・ジャーナルのサイトの記事は有料のものが多いですが、有料でもアクセスしてくれる読者がたくさんいるということで、広告料金を高く設定できている。完全無料化してしまえば、広告料金を引き下げなければならないようなことも起こってくるようです。
――それは、「ウォール・ストリート・ジャーナルが経済紙だから」という、特殊要因があるようにも思えます。

歌田 経済や、サブカル、音楽といった分野や特定の世代・層に特化するなど工夫が必要でしょう。一般のニュースを扱うだけでは、厳しいでしょうね。
――朝日・読売・毎日のような大手でも、なかなか利益を生むのは難しそうですね。

歌田 おっしゃる通りです。そう考えると、経営的には、大手の新聞社が安易にネットに全面移行するなどというのは考え物で、発想としては後ろ向きでジリ貧かもしれませんが、紙媒体にしがみつくほうが結局は長く生き延びられるのかもしれません。

ネットメディアは広告依存度が高く、そういう意味で不安定な要素が大きい。アクセス数を増やすためにきれいごとばかりを言っているわけにはいかないという側面もある。だから、経営的な意味だけでなく、質を保つという意味でも、購読料を捨てないことがさしあたり最大のリスク管理かもしれません。

ネットに全面移行するなどというのは、新聞社にとってだけでなく、社会にとってもプラスではないでしょう。そうはいっても、経営的に苦しくなってくれば、広告などいろいろな面でいずれにしても質の劣化が起こってくる可能性は大きいわけですが。
――紙でできる限り粘って、ネット以外の、他のやり方を模索する?

歌田 いまさらネットを無視するわけにはいかないでしょうけれど、少なくとも大きな新聞社は、まだまだコスト削減の余地がじつはあるのではないかと思います。米国に比べれば購読もされ、韓国などとは比べものにならないぐらい日本の新聞は信頼されてもいるという恵まれた環境があるので、コスト削減できれば生き延びられる余地は大きいはずです。
もっとも、自分たちが決めたルールが多くて、手を縛っているところもあるのではないかと思います。それでコスト削減ができないとなると、やはり危機は免れられないことになります。

例えば、通信社の配信でカバーできるところはして、それでカバーできないところに集中するというやり方もあるでしょう。ただ、大手の新聞社は、まさに通信社のような仕事をする方向にいよいよ向かう可能性もあります。他メディアも含めた多くのサイトにニュースを配信する。新聞の購読者がいよいよ少なくなり、広告以外の収入源を求めるならば、ニュース配信会社になるというのもひとつの選択肢です。多メディア状況が出現しているわけですから、自社媒体だけに固執する必要はないし、実際のところそれは無理でしょう。
歌田明弘さん プロフィール
うただ・あきひろ 1958年生まれ。評論家。東京大学文学部卒業。青土社「現代思想」編集部、「ユリイカ」編集長をへて、93年よりフリーランス。アメリカ議会図書館の資料の編集などをする一方、メディアや科学技術をテーマにした執筆を中心に活躍。著書に「ネットはテレビをどう呑みこむのか?」「科学大国アメリカは原爆投下によって生まれた」など。「週刊アスキー」にコラムを連載中。


新聞記者は会社官僚制の中で埋没 だから新しいニーズを掬えない
(連載「新聞崩壊」第9回/新聞研究者・林香里さんに聞く)
2009/1/ 7

日本の新聞記者は担当部署が2、3年で変わり、専門記者が育たないとよく言われる。その一方で、「地域の問題など身近な話題もカバーしきれていない」という批判も根強い。ロイター通信で記者経験がある東京大学大学院・情報学環准教授の林香里さんに、望ましい「新聞記者像」について聞いた。

――林さんは、新聞社が「身近な話題を取り上げること」の重要性を強調しています。

林 800万とか1000万部を発行するマンモス全国紙は、組織化されていないニーズを掬(すく)いきれていません。しかし、社会が複雑化、細分化している現代では、組織や制度からこぼれ落ちてしまう部分が多く、その部分にこそ多くの問題が生じているように思います。生活世界における子育てや介護学校の中の問題なども、実際そういうところが多いように思います
もう何十年も政党政治は形骸化していて、労働組合もダメだ、となると、だれが社会のさまざまなニーズを掬い上げるか。そこにはメディアの役割があると思うのですが、現実はなかなかそううまくいかない。むしろ、マスメディアは、何か大きな事件が起きると、ワーッといっせいにその方向に流れていってしまう。「マイノリティの問題を探し出す」とかなんとか言っているどころじゃないのが現実みたいですね。
多くの記者は、「認められないネタは、やらない方がいい」

「おもしろいジャーナリズムを目指すなら、小さくなって、とんがって出直すという選択肢もあるのではないか」と語る東京大学大学院・情報学環准教授の林香里さん
――新聞は、掬いきれていないことが多い、ということですね?

林 新聞で取り上げられると、「新聞が取り上げてくれた!」と喜ぶ当事者はまだまだ多いわけですが、裏をかえせば、普段は目を向けてもらえていない、光の当たっていない問題が多いということです。困難な難病治療、複雑な家庭事情、不公正な労働条件、先の見えない介護労働などなど。たくさんありますよね。新聞については、投書欄もバイアスがかかっている感じがするし。結局、一般読者は新聞に自分たちの存在を認知してもらいにくいことにフラストレーションがたまっている。新聞は規模が大きすぎて、どこか「新聞メタボ」で市民生活に鈍感な状態におちいっているのではないでしょうか。
――新聞は政治・経済に偏りがちで、その狭間を拾うのは不得手。何故そういうことが起こるのでしょうか。

林 トヨタのニュースであれば「トヨタを取材する」正当性(大義名分)の元に取材ができるし、麻生内閣も「支持率が落ちた」となれば、それだけで正当性ができて、すぐに取材ができる。記者クラブもある。ですが、まったく新しいニーズというのは、会社の中では「何故それが大事か」を、まず説明しないといけない。新聞社自体が大きな官僚機構ですから。そうなると、初動にすごいエネルギーが必要になります。多くの記者は、「認められないネタは、やらない方がいい」と、危ない橋を渡らなくなってしまう。外から見ていると、そういう悪循環のシステムができあがってしまったように思えますね。記者一人一人の責任や能力の問題というよりは、記者が巨大システムの中で埋没してしまって自分の意志をもてなくなっている。みんな忙しくて、目先のことに囚われてしまっている。いまはある意味で日本全体がそんな状態かもしれません。でも、記者という仕事は、必ず心のどこかに「余白」を残しておかないと、他人の痛みを感じ取ることができないのではないでしょうか。記者が会社員と違うのは、そういう種類の感受性を要求される仕事だということもあると思います。
――「新しいニーズ」のひとつが、インターネットだと思うのですが、新聞社の中では「ネットは悪の巣窟」のように思われているらしい。

林 本当にイヤだと思うのは、ネットに対する固定的偏見です。ネットにも変なのはありますけど、それを言うなら「マスメディアにも変なのあるでしょ?」って思います。沢山の人が「ネットの弊害が…」みたいなことを言ってきますが、私はそういう単純な図式は絶対に認めたくない。ネットを排除したり、媒体に序列をつけたりすることは、マスメディア側にも百害あって一利なし、です。
――記者が専門性を持つべきだという議論についてはどう思いますか。

林 どの世界にも最低限の知識やスキルは必要ですが、新聞社の場合、ジェネラリストが多すぎるのではないでしょうか。記者さんと仲良くなって「一緒に問題考えようよ」って思っても、2-3年経つとすぐに異動してしまう。もちろん、定期的にローテーションする人がいてもいいとは思うんですけど、情報を扱う企業としては、専門性にも配慮した方がいいですよね。「いまの時代、どんな読み物にもしっかりとした専門性がないと、なんかつまんないですよね。
わかりやすい意味づけをしないといけないという強迫観念
――ロイター通信に3年おられました。英国と日本の記者は違いますか。

林 英米の記者は最後までペンを持っています。日本みたいに一定の年齢になると販売や企画に回されるなんていうことはほとんどありません。書く人は、最後まで書いている。また、生涯ずっと1社にとどまる人は、ほとんどいません。数年したらステップアップのために別の会社に移るのが普通です。担当分野を変えずに、会社を替えるのです。記者は、自分の得意分野で業績をあげ、それをベースに会社を移っていきます。
――地方紙の記者を経て、ニューヨーク・タイムズなどの大手紙に就職する、というケースもありますね。

林 私の知人に、ロイター→ビジネスウィーク→ニューズウィークというキャリアを辿った人もいます。新聞記者は、週刊誌記者ともインターチェンジブル(交流可能)なんです。
――新聞記者自身も迷っています。

林 良心的な人ほど迷っているでしょう。それはやはり、彼・彼女たちが、マスメディアの巨大システムと自分の個人的良心や信条との摩擦を感じているからでしょう。社内では、新しくチャレンジをしようとする士気が低くなっているようだし、また、そういう取り組みを評価するシステムもない。しかし、長期的にはそれを作っていかないと元気な若い人が来なくなる恐れがあります。
――(新聞読み比べサイト)「あらたにす」の新聞案内人をなさっていますね。朝日・読売・日経を読み比べてみて、内容に差はあるものですか?

林 「あたらにす」を見ると、日経は事件報道については落ち着いた報道をしていることに気づきます。事件・事故を、距離を置いて観察している。「経済」という専門性が、そうした冷静さを正当化できるのでしょう。しかし、朝日・読売は、「一般紙」だから、なにか事件・事故が起きると突き放して見ることが出来ず、つい現場で警察と一体となって報道合戦に参加してしまっている。そして、いつも事件に何かわかりやすい意味づけをしないといけないという強迫観念をもっているようです。もちろん、いい意味で意味づけをしてくれればいいのですが、どうもそういう例が少ない。例えば、最近起きたインドのテロ事件では、亡くなった1人の日本人の周辺の話題ばっかり。実際は非常に多くの人が亡くなっているはずなのに、残りの人のことはまったく報じず、一人だけに徹底的にこだわる。これっていったい何なの?!って思いますね。さまざまな現象について、もうちょっと距離をもって報道しようとする姿勢があってもいいのではないでしょうか。プロとして要求されるニュースの選択や価値判断、ぜんぜんされていませんね。思考停止のナショナリズムとセンセーショナリズムが目立ちます。
――新聞はこれからどうしたらいいでしょうか。何かいいアイデアはありますか。

林 ありません。でも、全国紙は部数が1000万とか800万。押し紙があるとはいえ、多すぎますよね。これではどうしても大衆迎合になってしまうのではないでしょうか。近年、全国紙自身が「新聞は変われるか」という問いを立てているようですが、しかしたいていその解には「規模の縮小」という選択肢は入っていません。全国紙は、部数はこのままで、でも変わらなくちゃ、と考えているけれども、ちょっとそれは虫がよすぎるのではないかと思います。いっそ小さくなって、とんがって、出直すっていう選択もあるのではないでしょうか。おもしろいジャーナリズムを考えるなら、そのぐらいの踏ん切りがないとダメなのかもしれません。そうして、日本各地の地方紙も、全国紙のライバルとしてしっかりと自信を取り戻して、いま以上に丁寧に地方や地域からの発信力を強化していってほしいと思います。
林香里さん プロフィール
はやし・かおり ジャーナリズム研究者 東京大学大学院・情報学環准教授。ロイター通信東京支局記者、東京大学社会情報研究所助手、独バンベルク大客員研究員を経て現職。専門はジャーナリズム・マスメディア研究。朝日、読売、日経3社共同の新聞読みくらべウェブサイト「あらたにす」で「新聞案内人」を務める。著書に『マスメディアの周縁、ジャーナリズムの核心』「『冬ソナ』にハマった私たち」など。


ビジネスモデルが崩壊 身を削ぐような合理化が始まる
(連載「新聞崩壊」第10回/ジャーナリスト・河内孝さんに聞く)
2009/1/ 8

「新聞業界の危機」を「外野」から指摘する声は多いが、業界内部からの声が目立つことは多くない。そんな中、毎日新聞社OBの河内孝さんが自身の著書「新聞社-破綻したビジネスモデル」で業界の内情を暴露し、注目を集めている。社長室長や中部本社代表、常務取締役(営業・総合メディア担当)などを歴任し、新聞社経営の表と裏を知り尽くしているとも言っていい河内さんに、新聞業界のビジネスモデルや、生き残りのための方策について聞いた。

「部数がすべてを解決する」は一面真実だった

河内さんは「印刷・販売工程を各社で共通化すべき」と話す
――ここ数年でこそ、新聞は「衰退している」という言われ方をしますが、かつては「儲かる商売」だと言われてきました。何故儲かったのでしょうか。

河内 まず、国際的に見て、日本の新聞業界の特徴は、人口に比べて発行総部数が非常に多いことです。およそ5000万部と言われていますが、他の先進国に比べると大変な新聞大国です。英国も新聞大国と言われましたが、部数は1700万部しかありません。人口が倍近いアメリカとほぼ同じですからね。

一方、新聞社の数は日本では100前後なのに対して、米国は1400。国際的に見ると、日本の新聞社は、1社あたりの発行部数が非常に多い。これは、経営としてはすばらしいことで米国の大学教授の中には、「米国の新聞業界も、日本のように寡占化しないと生き残れない」と言う人もいます。ただ、この寡占化構造は、自発的に作り上げられたものではありません。日本でも、1930年代までは、1500~1600ぐらいの新聞社があったんです。それが、戦争遂行のための総動員体制になって「1県1紙政策」が強制され、様々な新聞が合併させられた結果、昭和18(1943)年には56まで減らされてしまった。これは国家統制という面では困りますが、経営の合理化という点で、良いこともあったんです。過当競争がなくなり、ある意味で、安定した。

戦争が終わっても、寡占化された経営構造は残った。その後の高度経済成長もあって、寡占化しながらマーケットが広がっていった。ある意味、理想的な経営環境だったんですね。そういう意味で、新聞は「儲かる商売」だったんです。
――具体的には、どのような「もうかる仕組み」があったのでしょうか。

河内 新聞社には「部数がすべてを解決する」という言葉もありましたが、これは一面の真実を表しています。高度成長期は、販売店が仮に実際の部数が1000部であったとして、発行本社の方で1200部(200部余計に)送っても、拡張努力でお客さんを増やせた。だから、「押し紙」ではなかった。部数が増えれば、広告単価も上がって、どんどん儲かるような仕組みが出来ていった。

全国販売店2万1000店で、1兆8000億円の売り上げ、そのうち半分近くを販売管理費に使っている。普通の商売だったら成立しませんよ。それでも何とかなっていたのは、広告売り上げが右肩上がりだったからです。広告代理店からの要請を断るのが大変、そういう夢のような時代があったんです。
――では、その「夢のような時代」は、いつ頃曲がり角を迎えたのでしょうか。

河内 転機は、バブル崩壊の頃ですね。現実には、高度成長が終わった80年代に兆候が見えてきたように思います。広告が、90年代から急落したんです。バブルのピーク時に比べると、半分ぐらいにまで落ち込んでいる。不景気が原因であれば、景気が回復すれば広告も戻るはずなのですが、現実にはそうではない。

地域でシェアが高い新聞の多くが、広告収入で前年割れの状態が続いています。これは、広告主が「新聞から他媒体に引っ越しちゃった」という現象です。「広告を出したいが、出せない」という訳ではない。

さらに言うと、2年ほど前に、日経の広告収入が読売に迫るぐらいの勢いで伸びてきたんです。そうなると広告営業上、「300万部と1000万部の違いは何なのか」という話になってきます。つまり、「部数、シェアー=広告単価」という黄金律が消滅してしまったんです。
――それでは、販売収入が落ち込んでいる理由は何でしょうか。

河内 やはり、「新聞離れ」でしょうね。若い人は新聞を読まないし、お年寄りは読んでも購読していない。図書館や公民館なんかで読んでいるんですね。

この原因は、携帯電話の普及にあるのではないかと思います。今、何だかんだ言って、携帯代金は、1世帯あたり2万円はかかるでしょう。その反面、「家庭で情報収集のためにいくら使いますか」という問いには、「2万円以下」という答えが圧倒的に多い。そうなると、減らされる対象は、月4000円の新聞とNHKにならざるを得ない。世帯別の購読率が下がって、販売収入に響いています。一般家庭だけでみると、購読率は50%を切っている、というデータもあります。
――では、こうした状況に対する有効な手立てはあるのでしょうか。

河内 米国の地方に行くと、プリンティング・デポ(printing depo、小規模印刷所)というものがあって、各社が共同で印刷機を使っています。「各社が出来るだけ遅くニュースを入れようとして、印刷機の取り合いが起こるのではないか」という人もいますが、速報性については、「テレビを見てもらえばいい」という考え方です。

日本でも同様の動きが起こっていて、販売激戦区の千葉県で、「朝日新聞を読売新聞の工場で印刷する」みたいなことが行われつつある。昔では考えられなかったことです。

私は、「出版社になりなさい」と言っているんです。一度校了すれば、印刷会社が印刷して、別の会社が流通を担当する。ところが、新聞社は原料を買ってくるところから売るまで、全部やっている。「部数至上主義」時代は上手くいっていたのですが、今後は紙の共同購入まで行くのではないかと思います。さらに、新聞社ごとに配達ルートがあるのがおかしいんです。これを共通化すれば、数百億円単位で合理化できるのではないでしょうか。もっとも共同販売にしますと、押し紙はできませんから販売部数は相当減りますよ。
新聞社のビジネスモデルは凋落している百貨店と同じ
――傘下に持っているテレビ局が支えてくれるから大丈夫、という考え方もありますね。テレビ局との関係についてはいかがでしょうか。

河内 確かに2年くらい前までは、「新聞に比べれば、テレビ局は持ちこたえられるだろう」という考え方もあった。ただ、テレビも広告費の落ち込みが激しくて、赤字に転落するキー局も出てきました。新聞とテレビで「老老介護」をしても仕方がありませんよね。テレビ局ではプロパー社員も高齢化しているし、ナショナリズムもあるから今後、新聞が支配してゆくのは難しくなるのではないでしょうか。

ただ、ある地域の新聞社には100人、系列のテレビ局には50人の記者がいるとして、「ビデオジャーナリスト」といった職業も一般化していることですし、仕事を共通化するという合理化策としては、あり得るのではないでしょうか。
――ネットとの関わりについてはいかがでしょうか。各社とも苦戦しているようですが、収益源にする方法はありますか。

河内 新聞社が大挙してネットに押しかけても、ポータルサイト、ヤフー、グーグルといったプラットフォームに儲けられるだけですよ。ストレートニュースのように、いったん消費者に無料にしたものは、後から「お金くれ」と言っても無理です。そこで、新聞社にしかない情報を発信する有料の専門サイトを作れば良いのではないでしょうか。ロング・テールの考え方です。

例えば、農水省のクラブには大量の資料が配布されて、10以上の業界紙でも、その内容を全部は紹介し切れていない。ネットならば、業界紙よりも詳しい情報を発信できるはずです。「じゃがいも新聞」「まぐろ新聞」とか。細かい、ニッチな情報を掲載するサイトをつくって有料で読んでもらえるようにすれば、可能性はあるのではないでしょうか。「お金を払ってもらえるコンテンツ」は、存在するはずです。

新聞社は、凋落しているデパートのビジネスモデル。「すべてがそこにある」ということは「読みたいものが何もない」になりかねない。オール・イン・ワンの新聞の使命は終わったことを認識して、金になるニッチな細かい情報を配信するような形で出直すべきです。
――最後に、各社の取り組みをどう見ていますか。

河内 朝日は半期ベースで100億円の営業赤字(連結)を計上しました。社内の緊張感は大変なもので、「社内の引き締めのためにやったのか」と邪推するほどです。ただ内部留保が2000億円ある朝日だから赤字が出しやすかった、という面はあると思います。

毎日・産経も、08年9月中間期には、それぞれ26億円、11億円(いずれも単体ベース)の営業赤字を計上しています。

特に毎日新聞について言えば、08年6月に社長が交代したばかりで、「交代時には思い切ったことがしやすい」ということがあります。これを機会に、ウミを出し切りたい、という思いもあるのではないでしょうか。

朝日は、今回の赤字計上で、読売、日経との(かつては「ANY」とも呼ばれた)業務連携に弾みがつくのではないでしょうか。具体的には、「原料の共同購入・印刷工程、販売流通の共有化」が進むでしょう。「身を削ぐような合理化」で、3社合わせれば、1000億円台の経費削減ができるはずです。

朝日は、出版本部を別会社にしたのはえらいですよね。私は、毎日のメディア局を別会社にしようと考えていたのですが、中々上手くいかなかった。別会社になると、競争に放り込まれるので、必死になりますよね。動きが速くなるし、思い切った決断もできます。

新聞という仕事は「印刷工場を持っていて、販売店を持っていないとダメだ」ということではありません。新聞社の本分は「的確にニュースを取材し、意味づけをして送る」ということに尽きるのであって、別に「(活版印刷を発明したとされる)グーテンベルグと心中しないといけない」とは思いません。

問題は、上が持っている危機感を、社全体で共有していないこと。若い人は、構造不況業種と思っているから「危機慣れ」している。なかなか「自分の問題として」経営問題を考えようとしませんね。
<メモ:止まらない広告・販売収入の落ち込み>
日本ABC協会の調査によると、07年4月の段階では811万部あった朝日新聞の部数は08年4月には6万部減少して805万部。毎日新聞は400万部が10万部も落ち込み、390万部になり、ついに「400万部割れ」となった。読売・日経・産経の3社は、ほぼ横ばいだ。
一方、07年の新聞広告費(電通調べ)は9462億円で、06年に比べて5.2%落ち込んでいる。マス4媒体(新聞、雑誌、テレビ、ラジオ)の広告費は3兆5699億円で、前年比2.6%減にとどまっており、新聞広告の落ち込みの大きさがうかがえる。
このような経営環境の悪化を受けて、朝日・毎日・産経の3社が、08年9月中間期(08年4月~9月)の決算で、連結・単体ベースともに営業赤字を計上している。

河内孝さんプロフィール
かわち・たかし ジャーナリスト。1944年東京都生まれ。慶應義塾大学法学部卒業。毎日新聞政治部、ワシントン支局、外信部長、社長室長、常務取締役などを経て2006年に退社。現在、(株)Office Kawachi代表、国際福祉事業団、全国老人福祉施設協議会理事。著述活動の傍ら慶應義塾大学メディアコミュニケーション研究所、東京福祉大学で講師を務める。

ネットで有名になり、新聞が売れる そんな好循環が中国では可能だ
(連載「新聞崩壊」第11回/中国メディア研究者 ミン大洪さんに聞く)
2009/1/ 9

新聞の発行部数が1日あたり1億を超える中国では、共産党幹部を読者とする人民日報などの政府機関紙に、読者離れが起きている。一方、その傘下にあるタブロイド紙は、百花繚乱の状況を呈し、全盛期を迎えている。中国の新聞の現状と未来をメディア研究者のミン大洪さんに聞いた。

政府機関紙は発行部数がどんどん減っている

「政府の管理はきちんとしています」と話すミンさん
――例年のことですが、年末に共産党機関紙の人民日報、国務院機関紙の経済日報は、拡販に力を入れました。それでも、あまり効果が出ていないようですね。

ミン 赤字で印刷した機関紙購読勧誘書が、地方自治体から数多く出されてました。省レベル、市レベル、さらに市の下にある県レベルからも出されています。機関紙を購読せよ、と命令するようなものですが、従う人は少ないようです。
中国では日本のABCのような、新聞発行部数を厳格に調べる機関はありません。自称の発行部数だけです。しかもそれは、新聞社の最高の機密とされています。新聞社の広告収入と直接関連するからでしょう。ただ、自称の発行部数でも、政府機関紙の発行部数は減り、あまり数字を公表しなくなりました。状況は厳しいはずです。
――政府機関紙以外の新聞の方が人気があるわけですね。

ミン 中国では1日に1億部以上の新聞が販売されています。世界中どこにもない規模です。新聞スタンドで自由に売買している新聞は、改革開放政策の中で出てきました。市民の注目を集め、あっという間に政府機関紙の市場を奪ってしまったのです。中国では「経営性の新聞」と呼んでいます。
若い読者は共産党の幹部、政府官僚を対象とする人民日報、経済日報にはほとんど興味はありません。
――政府機関紙はどうしようとしているのですか。

ミン 年末に、国務院の新聞出版署(局)で会議が開かれました。「経営性の新聞」と「公益性の新聞」(政府機関紙など)を分けて議論しました。政府機関紙はおそらく宣伝メディアとしてずっと必要であり、「公益性の新聞」と名前を変えて、残されていくだろうと思います。政府系新聞の発行部数の増加はあまり期待できないが、その傘下にある「経営性の新聞」が伸びれば何とかなるでしょう。
――つまり、人民日報の経営が成り立たなくても、傘下の環球時報がどんどん稼ぐ。それで安泰なわけですね。

ミン 中国には政府機関紙を中心に、85の新聞グループがあります。人民日報の下には若者に人気のある環球時報があります。同じ機関紙である光明日報の下にも、北京市民が愛読している新京報があります。これは、文化、芸能といった情報も盛り込んだ庶民的な新聞です。このように、機関紙の傘下のこれらのタブロイド紙は発行部数も多く、広告も入っていて、いずれも稼ぎ頭です。そのせいで、機関紙自体の経営も安泰です。
新聞のコンテンツは即刻ポータルに掲載される
――就職、火事の情報、伝染病の流行、盗難、俳優の私生活など、政府機関紙ではほとんど報道しない内容、市民の生活にかかわりのあるニュース、面白いニュースを流しています。しかし、一線を超えて、政府の見解と違う記事が出かねません。

ミン 政府の管理はきちんとしています。「経営性の新聞」でも、政府の見解と違う記事を作ってしまったら、それは政府機関紙の経営者、さらにその傘下の経営性新聞の経営者は責任を取らされると思います。
――「経営性の新聞」の経営は今後も安泰でしょうか。

ミン それは保障できません。競争は激しくなっているし、不動産や自動車産業にかげりが出たので、2008年の下半期から状況は一変しました。とりわけ広告について今年はどうなるか、あまり明るい展望は望めません。
――中国の多くの若者は、インターネットに熱中しています。

ミン シナネット(sina net)、ソーホーネット(Soho net)など中国では巨大なポータルサイトが発達しています。新聞で公表したコンテンツは即刻そこに掲載されます。いつでもどこでも読めます。一つのポータルサイトがあれば、なんでもそこから情報を引き出せます。
――外国では記事を全部ネットに掲載されると、新聞が売れなくなるという現象が起きています。

ミン 中国では状況は少々違います。若い読者はまずインターネットでニュースを読みます。自分の好きな記事を検索して読みます。その一方で、彼らはスタンドで新聞を買い、地下鉄でも自宅で読みます。インターネットに記事を掲載してしまうと、新聞が売れない、という現象はないのです。将来はわかりませんが。
新規創刊する新聞は、インターネットからも情報を発信しています。インターネットによって有名になり、今度は新聞の方がどんどん売れる、という好循環ができています。
――ネットに書き込みもする人がずいぶん多いですね。

ミン 昔、「大字報」(壁新聞)でしたが、今はインターネットの書き込みです。自由に発言しています。
――ただし、取材ができるポータルサイトは少ないですが。

ミン それで新聞は助かっている。ポータルサイトは掲載された記事をアップしていくだけです。新聞への依存度が高まっている、といってもおかしくありません。
ミン大洪さん プロフィール
Min Da-hong 1946年生まれ、中国社会科学院新聞研究所教授、中国インターネットメディア協会長。1981年から中国社会科学院新聞とコミュニケーション研究所に勤務、80年代にはコミュニケーション技術の、90年代からはインターネットの研究をした。インターネットおよびデジタルメディア研究室部長。
主な著作は、『数字伝媒概要』(デジタルメディア概要 2003年、復旦大学出版社)、『互聯網対社会政治影響研究』(インターネットが社会政治に対する影響の研究 2004年、国家社科基金項目)など多数。

再販、記者クラブ問題 新聞協会「当事者ではない」
(連載「新聞崩壊」第12回/新聞協会・新聞社の見解)
2009/1/13

連載の最後に当たり、2008年末から始まった連載の中で取り上げられた問題点について、「当事者」の新聞社や新聞協会はどう考えているのか聞いた。J-CASTニュースの取材に対する回答をまとめた。

「各クラブが自主的に運営している」
記者クラブと押し紙、再販制の問題については、社団法人「日本新聞協会」(会長、北村正任・毎日新聞会長)に取材した。同協会は、全国の新聞社や通信社、放送局140社が会員となっている。阿部裕行・総務部長と國府(こうの)一郎・編集制作部部長、富田恵・経営業務部部長らが交代しながら答えた。

まず協会の基本的な立場を「経営者団体でもなく、いわば倫理団体として発足した。ここで何かを決定する組織ではない」と説明した。

最初にJ-CASTニュース側は記者クラブ問題について質問した。記者クラブに関しては、協会の「編集委員会の見解」が公表されている。2002年にまとめられ、その後06年に一部改定されている。「見解」では、「取材・報道のための自主的な組織」などと記者クラブを位置付けている。また、「記者クラブは『開かれた存在』であるべき」「報道活動に長く携わり一定の実績を有するジャーナリストにも、門戸は開かれるべき」などとうたっている。

協会側は記者クラブについて、次のような説明をした。協会が示した「見解」は強制的なものではなく、全国にある各記者クラブが「見解に沿って」自主的に運営している。基本的にはクラブごとにルールをつくっている。クラブは、会員かオブザーバーかの違いはあるが「海外の方を含めて開放している」。勿論条件はあり、報道という公共的な目的を持ち、クラブ運営に支障がないことが必要だ。クラブ運営に支障がない、とは「取材活動を阻害しないこと」だ。記者クラブの数がいくつあるのか、合計何人が加盟しているのかは、許認可制ではないこともあり把握していない。ほとんどの記者会見には、記者クラブ加盟社以外の参加も認めているようだ。

以上の説明からすると、記者クラブとは、A省庁記者クラブやB県警記者クラブといったクラブごとに自主的な判断をする独立した組織ということのようだ。新聞協会も口出しできないし、ある1つの新聞社が決定権をもっているものでも勿論ない訳で、いわば治外法権的な組織といった所だろうか。また、オブザーバー参加とは多くの場合、会見に出ても質問する権利はないことを意味する。同協会が「見解」の中でもうたっている記者クラブが「『開かれた存在』であり続ける」という主張に対しては、元ニューヨークタイムズ東京支局取材記者で現在フリージャーナリストの上杉隆さんは、実態との乖離を指摘し、「ほとんどブラックジョークと見紛うほどである」と批判している。

「活字離れで国民のリテラシー低下が問題化」
次は押し紙問題について質問した。押し紙とは、新聞社が新聞販売店に対し、実際に読者に配られている部数より多い新聞を強制的に納入している、とされる行為だ。部数が多い方が広告価値が高い、という背景がある。その存在を指摘する声は少なくないが、独占禁止法で禁じられている行為でもあり、新聞社側は存在を認めていない。同協会は、次のような立場を明らかにした。

押し紙については、独占禁止法で禁じられ、公正取引委員会の告示で規定されている。独占禁止法を扱っているのは公正取引委員会で、「従って、新聞協会が取り扱える事項では毛頭ありません」。押し紙問題は、新聞協会が扱う事項ではない。「ノーコメントではなく、コメントできる立場ではない」

要するに、協会は当事者ではないので公正取引委員会に聞くべきでは、ということのようだ。そこでJ-CASTニュースは公正取引委員会に取材した。取引企画課によると、押し紙があった事実を認定して、押し紙をやめなさいという審決が1度出ている。1998年に北國新聞(石川県)に対して出された。ほかの新聞社はどうなのだろうか。「押し紙の事実に関して具体的な情報提供があれば、当然検討する」。実際に具体的な情報提供が現在あるのかどうかは、「具体的な案件は答えられない」としている。そして、一般論として、押し紙のような「優越的地位の濫用」事案は、被害者側(押し紙問題でいえば販売店)が、(新聞社からの)「報復を恐れて情報提供をしにくい状況はあるのではないか」との見方も示した。

最後は、再販制度について。再販制がなくなると新聞の価格競争が激しくなり、民主主義の基盤が揺らぐ、と新聞業界は制度維持を主張している。一方、制度を廃止し他業種と同じように自由に競争した方が消費者の利益になる、とする経済学者らの指摘がある。同協会は、再販制度と特殊指定を合わせ、広報資料を紹介しながらこの問題に対する見方を次のように示した。

公共性という点では新聞もトイレットペーパーも同じであると、一部の経済学者から指摘があった。しかし、新聞は民主主義の維持・発展と深くかかわる商品という点が他の商品と異なる。今のように同じ新聞はどこにいても同じ価格で提供できることが、民主主義社会の健全な発展を支える基盤となっている。新聞は、国民の「知る権利」に応える極めて公共性の高い商品性がある。制度がなくなり定価の割引が始まると、過疎地や高層住宅への配達に上乗せ料金が課されたり、配達そのものを拒否されたりしてしまうこともあり得る。そうした事態になれば言論の多様性確保の観点からも問題で、ゆえに再販制度と特殊指定は必要である。また、「活字離れによって国民のリテラシーが低下しているということが半ば社会問題化して」きている中、国も文字・活字文化振興法を定めた。こうした流れに逆行するような再販制・特殊指定廃止には反対だ。廃止を主張する立場からは「競争がない」と主張されるが、同じA新聞ならどこでも同じ価格ということであって、例えばA新聞とB新聞とは激しい競争をしている。現在の制度のもと、全国で5紙以上の新聞が読めるという多様性が確保されていることは正当に評価されていい。94%の新聞は戸別配達され、9割以上の人が戸別配達を支持している。紙の優位性が支持されている。

協会側の説明からは、同じ新聞なら全国どこでも同じ価格ということへのこだわりが垣間見える。再販制・特殊指定がなくなれば、都心部の人は今よりも安く新聞を買うことができるかもしれないが、過疎地などで値上げや配達拒否の動きが出て民主主義の基盤が揺らぎかねないので今の制度が必要だ、ということのようだ。しかし、各新聞社はインターネットで無料で多くの記事を配信している。「同じ価格」へこだわる姿勢と矛盾はないのだろうか。

この疑問に対して、協会側は、各新聞社がインターネットにどう対応するかは、各社の経営判断であり、紙の新聞を前提とした再販制度とは、リンクしないとの考えを示した。また、J-CASTニュース側は「例えば、東京で読む朝日新聞と大阪で読む朝日新聞、九州で読む朝日新聞は、掲載されている記事が全く同じという訳ではない」「特に1面と社会面では、例えば九州では載っているが、東京では1行も載っていないことも、その逆もある」と指摘した。その上で、東京の朝日新聞も九州の朝日新聞も「同じ新聞なら同じ価格」という文脈の中では、「同じ新聞」なのかと質問した。これに対し、協会側は「それは同じ新聞だろう」と説明した。

「見通しは公表しておりません」「回答を控えさせていただきたい」
また、J-CASTニュースは大手新聞社4社にも、今後の経営についての見通しを聞いてみた。具体的には(1)販売・広告収入は、どのように推移すると予測しているか。下落する場合、その対策はどうするのか(2)ネット事業で、どのようにして収益をあげるつもりなのか(3)新規事業を立ち上げて収益源にする予定はあるのか(4)仮に、これらの施策が不調に終わった場合、人員をリストラする予定はあるのか(5)中長期的に見た場合の事業の継続可能性はどうか、の5点について、質問状を送付した。

各社の回答は、経営の見通しについて公表を拒む姿勢を浮き彫りにするものだった。

例えば朝日新聞社は、質問項目別に回答を寄せたが、その内容はというと、(1)(2)については「見通しは公表しておりません」(3)は「様々な可能性について検討しております」(4)は「仮定の話については回答できません」(5)は「中長期的に見て事業の継続は可能だと考えております」と、事実上の「ゼロ回答」。

毎日新聞社は、

「当社は株式を上場しておりませんので、毎年6月の株主総会で株主に報告している事業報告以外に経営情報は公表しておりません」と、非上場であることを理由に、今後の見通しを明らかにしなかった。その上で、今後の取り組みについては「経済状況が厳しい中、当社は『論争のある』『分かりやすい』『役に立つ』をブランドの柱に、生活者の視点に立ち、読者に信頼される新聞を目指すとともに、デジタルメディア、出版、事業、放送、不動産部門などを含めたグループ経営の充実に力を入れていきます」
とのみコメント。具体的な内容については明らかにしなかった。

残りの2社は、

「質問内容が、公表していない事柄についての項目ばかりなので、今回については回答を控えさせていただきたい」(読売新聞社)

「今の時点でお答えできることはございません」(日経新聞社)
として、質問に回答すらしなかった。

2008年12月22日月曜日

【外交文書公開】 沖縄返還&核持込

<外交文書>米「核」寄港の容認を示唆 65年に佐藤首相
12月22日0時0分配信 毎日新聞
 
65年1月に佐藤栄作首相がマクナマラ米国防長官(肩書は当時)との会談で、核を搭載した米艦船の寄港を容認したと受け取れる発言をしていたことが、22日付で外務省が公開する外交文書で判明した。核の持ち込み問題で日米間に「密約」があったことをうかがわせる史料が、日本側にも残されていた。

 同月、首相として初めて訪米した佐藤首相は、13日にマクナマラ氏と45分間会談した。会談要旨によると、首相は中国が前年に行った核実験に触れ、「戦争になればアメリカが直ちに核による報復を行うことを期待している。(略)洋上のもの(核)ならば直ちに発動できるのではないかと思う」と述べた。マクナマラ氏は「洋上のものについてはなんら技術的な問題はない」と答えた。

 ただ佐藤首相は、日本の核兵器所有や使用には「あくまで反対である」と述べ、核兵器の日本の陸上基地への持ち込みは「発言に気をつけていただきたい」と否定的に語った。

 日米間の核問題に詳しい我部政明・琉球大教授(国際政治学)は、有事には日本近海での米軍の核搭載艦船の迅速な行動を佐藤首相が望んだと解釈できる、と指摘。これらの艦船が補給などで日本に寄港することになり、「首相は、核搭載艦船が事前協議の対象外として寄港することを前提に話したとみられる」と分析する。

 また会談でマクナマラ氏は、「日本がその防衛産業のなしうるような軍事的援助をアジアの諸国に与えることはできないであろうか」と、日本の武器輸出の可能性を質問。首相は、日本が生産していた宇宙開発用ロケットに言及して「必要があれば軍用にも使うことができる」と述べた。

 首相は「中共の核爆発の性質については昨夜(CIAから)説明を聞いた」とも発言。米中央情報局(CIA)が首相に中国の核実験の実態を説明していたことも判明した。首相がCIAに「ソ連、中共の地上設備」の衛星写真を示されたことは首相自ら日記などで記していたが、その一端が具体的に分かった。我部教授は「日本の情報収集力のなさを知る米国側は、国際情勢での首相の独断的な理解や不用意な発言をなくすため、CIAの情報を与えていた」と解説する。

 99年に公開された米側史料では、日米両国は60年の安保条約改定の前に、核兵器を搭載した米軍艦船の日本寄港などは、条約の付属文書で定める事前協議の対象としないと、秘密裏に合意していたことが判明している。

 佐藤首相は74年、非核三原則の提唱などが評価され、ノーベル平和賞を受賞した。

 ▽鈴木量博・外務省日米安全保障条約課長の話 日米間に「核密約」はない。佐藤首相の発言は、戦時において、洋上からの米の核抑止力の提供に一般的な期待を表明したものだと考えている。【鈴木英生】



【外交文書公開】核武装を「カード」にした佐藤首相の瀬戸際政策
2008.12.22 00:52 産経新聞

今回明らかになった外交文書は、佐藤栄作首相が「瀬戸際政策」を貫ける、わが国では希有(けう)な政治指導者であったことを、あらためて印象付けた。

 この瀬戸際政策の背景にあるのは、マクナマラ国防長官との会談3カ月前に成功した中国の核実験だが、これを機に米側に生じた「日本の核武装」への疑念を、佐藤氏は外交の切り札に利用した。佐藤氏が核武装を否定(私的には肯定)してもなお、米側は疑念を解かない。だからこそ、佐藤氏は、マクナマラ国防長官との会談前日のジョンソン大統領との会談で「核の傘」の保証を要請し、大統領に応じさせた。

 そして佐藤氏は、マクナマラ氏との会談で、たとえ通常兵器であっても、中国の日本に対する軍事行動には、「日本」ではなく、米国の核兵器で即時報復する方針を求めた。これは米側の懸念を逆手に取ったものだ。米戦略が明言されれば、これを中国側に認識させ、中国の侵攻を抑止することができるという計算が背景にある。

 実は、後の沖縄返還(1972年)に至る過程でも、佐藤氏は「核武装」を利用した。「核抜き・本土並み返還」を国民に約束する一方、米軍が沖縄を撤退すれば日本が核武装する雰囲気を醸成した。その結果、米軍基地・艦艇への「核持ち込み」と「核武装」は取引され、67年に佐藤氏が公表した「非核三原則」へとつながっていく。65年の段階で、マクナマラ氏に核持ち込み黙認を示唆したことは、その伏線であったといえよう。 

 「非核三原則」は、核兵器の「製造・保有・持ち込み」の禁止であった。その一つ「持ち込み」は積極的に黙認してきた。「非核」に加えて専守防衛という制約下では、他に国を守りようがないからだ。

 一方で「製造・保有」は佐藤内閣時代、関係組織で極秘裏に検討しており「はったり」ではなかったが故に、米国の譲歩を引き出すことに成功した。

 佐藤氏は「核武装論者」に限りなく近い「核の傘論者」であったのだ。

 核を「議論せず」を加えた「非核四原則」で、国は守れないことの歴史的証明である。(野口裕之)



【外交文書公開】戦時は中国に即時「核報復を」 佐藤首相が昭和40年に発言 マクナマラ米国防長官と会談時
2008.12.22 00:06 産経新聞

佐藤栄作首相が1965(昭和40)年1月、首相として初訪米した際のマクナマラ国防長官との会談で、中国と戦争になった場合には「米国が直ちに核による報復を行うことを期待している」と、先制使用も含めた核による即時報復を要請していたことが、22日付で外務省が公開した外交文書で明らかになった。


「瀬戸際政策」貫く 稀有な存在だった佐藤首相

 首相は「洋上のもの(核)ならば直ちに発動できるのではないか」と、核の持ち込み黙認とも受け取れる発言もしていた。首相が前日のジョンソン大統領との首脳会談で「核の傘」の保証を求めていたことはすでに明らかになっているが、先制核使用まで念頭に置いていたことが新たに分かった。

 マクナマラ長官との会談は、首相の宿泊先のブレアハウス(迎賓館)で行われた。首相は、日本は核開発能力を持つが核兵器製造の考えがないことを強調。米側に核の持ち込みに慎重な発言を求めたが、「戦争になれば話は別」と、米国が直ちに核で報復することへの期待を表明した。さらに洋上の艦船にある核兵器なら即時使用できるのではないかとの認識を付け加えた。


【外交文書公開】マクナマラ米国防長官とのやりとりの要旨
2008.12.22 00:30 産経新聞

佐藤栄作首相とマクナマラ米国防長官の主なやりとりは次の通り。

 長官 中国の核爆発(核実験)の性格が問題で、今後2、3年でいかに発展するかは注目に値する。問題は日本が核兵器の開発をやるかやらないかだ。

 首相 日本は核兵器の所有あるいは使用についてあくまで反対だ。技術的には核爆弾をつくれないことはないが、フランスのドゴール大統領のような考え方(独自の核兵器開発)は採らない。陸上への核兵器持ち込みについては発言に気を付けてほしい。もちろん、戦争になれば話は別で、米国が直ちに核による報復を行うことを期待している。その際、陸上に核兵器用施設を造ることは簡単ではないかもしれないが、洋上のものならば直ちに発動できるのではないかと思う。

 長官 洋上のものについてはなんら技術的な問題はない。日本の政治的な空気も漸次変わるのではないか。

 首相 日本が核兵器を持たないことは確固不動の政策だ。防衛産業育成の問題があり、差し支えないものは日本でつくりたい。


【外交文書公開】対中政策で仏に仲介要請 ニクソン訪中前に日本政府
2008.12.22 00:38 産経新聞

22日付で外務省が公表した外交文書で、1972(昭和47)年2月のニクソン米大統領訪中の直前に開かれた同年1月の日仏協議で、福田赳夫外相は大統領訪中後の明確な対中政策を示さない米国への苦言とも受け取れる発言をする一方、フランスに日中間の国交正常化の仲介を要請していたことが分かった。

 福田氏は中国をめぐる日米の「アプローチの違い」を強調。日本の頭越しに大統領訪中を準備した米政府への複雑な思いや、米中接近に焦りフランスを引き込もうとした様子がうかがえる。

 72年1月17、18両日の日仏協議で、福田氏はシューマン外相に対して、同月上旬に米国で開かれた日米首脳会談で米側がニクソン大統領の訪中について「訪問すること自体に意義がある」と説明したことを紹介。同時に「日本は日中国交正常化という明確な目標を持ち、そのために政府間の接触を行うことを考えている」と述べ「(米国と)アプローチの方法は異なる」と繰り返した。

外交文書:日本漁船拿捕「補償はバナナで」 中華民国打診
毎日新聞 22日
 
1954年に中華民国が日本に対し、拿捕(だほ)した日本漁船の補償金をバナナで支払う打診をしていたことが、22日付で公開された外交文書で明らかになった。「バナナ補償」は実現しなかったものの、当時の日本でバナナは高級品。打診を受けた議論は文書では判明しなかったが、心が動いていた可能性もありそうだ。

 日本政府は当時、台湾に逃れた中華民国政府を中国を代表する合法政府として承認していた。

 第二次世界大戦後、日本の船は連合国軍総司令部(GHQ)の「マッカーサーライン」によって活動領域が制限されており、47年11月~49年8月に東シナ海で中華民国に2隻が撃沈され、30隻が拿捕された。その後、日本政府は漁船の水揚げに相当する額の補償を求めていた。

 外交文書によると、こうした中、54年2月に中華民国側から一つの打診があった。

 「32隻のうち2隻の返還が決まったとの話がある。補償額は1隻当たり15万台湾ドル相当のバナナ。市場で買い付けたバナナを日本に送り、売上金をもって補償とする」。在日大使館から入った連絡はこういう内容だった。

 日本が求めた補償額が2隻で7600万円だったのに対し、当時の15万台湾ドルは360万円で、かなりの差があった。ただ、当時の日本でのバナナ1箱(45キロ)の市場価格は約2万5000円、輸入価格は約2700円。15万台湾ドルで購入できる60トンを売れば約3330万円となる計算だった。

 外務省は、バナナ補償不発の後、何らかの決着が図られたとみているが、記録は残っていないという。【篠原成行】

2008年12月18日木曜日

【遊びメモ】 安曇族

 時空の彼方に没し去ってしまった安曇野の古代風景・・・・峻厳な北アルプス山麓で営まれた「みすずかるまほろば安曇湖伝説」・・・・舟の民族、安曇族が辿った遙かなる安曇桃源郷への旅路・・・・そしてやがてくる舟の民族と馬の民族の激闘、「八面大王伝説」・・・・安曇と出雲に引かれた「点と線」・・・・飛鳥と安曇をつなぐ「時空のトンネル」・・・信濃善光寺と諏訪大社に秘められた「謎の真相」とは・・・・etc.
 「直観的場面構築手法」をもって大胆に描写する安曇野の古代史仮説

穂高神社境内に立つ安曇比羅夫の像
安曇比羅夫(阿部比羅夫)
 大将軍大錦中阿曇連比羅夫は、天智元年(662年)天智天皇の命を受け、船師170艘を率いて百済の王子豊璋を百済に護送、救援し王位に即かす。天智2年、新羅・唐の連合軍と戦うも白村江(朝鮮半島の錦江)で破れ、8月申戌27日戦死する。 9月27日の例祭(御船祭)の起因であり、阿曇氏の英雄として若宮社に祀られ、英智の神と称えられている。 伝統芸術である穂高人形飾物は、阿曇比羅夫と一族の勇姿を形どったものに始まると伝えられる。 (境内石碑より)

(一)舟の文化

 筆者は技術研究所を経営しているのであるが、県外の顧客に会社の住所にある安曇という文字を告げるのにいつも苦労する。「あづみ」がなぜに「安曇」になるのかが漢字文化に慣れている日本人をもってしても「ピン」とこないのである。

 安曇野の古代風景を語るには、まず日本民族成立の風景を描写しなければならない。日本文化の根源には「舟の文化」と「馬の文化」のふたつがあると言われる。舟の文化は南方系民族の文化であり、馬の文化は北方系民族の文化である。

 縄文の原住民が狩猟採集生活をする日本に稲作文明を携え南方から舟に乗ってやって来た人々がいる。日本人は「しゃがむ」という習性をもっている。田んぼのあぜ道で隣人と話すにしゃがみ、最近では夜更けの街の歩道で若者がしゃがむ。このしゃがむという習性は西欧や中国にはないものであり、特にインドシナ半島のタイやベトナムの人々に多く見られる。遺伝的視点で考えれば日本にたどり着いた南方系、舟の民族とはこのインドシナのタイやベトナムの人々であったかと思われる。

 この地方は古代より「タオイズム」の精神が伝わってきた風土をもつ。タオイズムはその地で「ヒンズー教」を、中国に伝わり「道教」を、その道教から「密教」を創始することにつながる。タオイズムとは陰陽の2気によって宇宙が構成されているという思想であり、その宇宙は「太極」と呼ばれる。
 ヒンズー教の男女交合神は現代感覚で見れば何と淫靡な像と言うことになるかもしれないがこのタオイズムで見れば、それこそが宇宙の姿なのである。密教の一教典である理趣経は奈良東大寺において毎日あげられるお経であり、この理趣経が男女の交合を述べた内容であることを知る人はあまりいない。

 このタオイズムの精神から考えられる人間像とは争いを好まず平々凡々のんびりと生きる自然人の姿である。住み着いた稲作文明を基とする南方系民族のこの穏やかな文化は「舟の文化」と呼ばれる。

 また話は脇道にそれるが密教を日本で創始した空海こと弘法大師は四国讃岐の人であり、幼名を「真魚(まお)」と言った。空海という名前もそうであるが彼の周りには「海のイメージ」が色濃く漂っている。青年僧空海が道を求めての山野彷徨の途上、奈良橿原にある久米寺で密教の一教典に巡り合う。瞬間に彼は仏法の神髄は密教にありとすべてを悟達したと言われている。後に中国唐の都、長安におもむき当時の密教座主、恵果に対面した彼は即座に伝法灌頂を授けられている。恵果はこの伝法を待っていたかのごとく、その後まもなくして静かに黄泉に旅立った。この時をもって密教の法灯は中国から日本に渡ったのである。
 これらの経過から素直に考えられることは空海自身がインドシナから密教の源流タオイズムの精神を背負って日本に渡ってきた舟の民族の末裔ではなかったかという推理である。
 また讃岐にある金比羅宮は日本では珍しく舟を祀った宮寺である。舟の民族は気候温暖な瀬戸内の讃岐に多く住み着いたということであろうか。

(二)馬の文化

 こうして穏やかに暮らしていた人々にもやがて転機が訪れる。「馬の文化」の到来である。

 馬の文化は北方系民族、つまり中国大陸の北部アルタイ民族に源を発する騎馬民族であろう。この北方系民族は南方系民族と異なり好戦的で気が荒い。これは温暖と寒冷の両者の気候の異なりがこの人格形成に多大に影響したものと考えられる。

 この騎馬民族が朝鮮半島を南下し日本に渡って来た。そしてそこに暮らす穏やかな南方系、舟の民族を圧迫する。この民族紛争の勝敗は明らかであり、好戦的で気が荒い北方系、馬の民族が勝利をおさめる。

 この間のくだりを語るものが日本神話に遺る「国譲りの話」なのではないかと私は考えている。また出雲の国に遺るさまざまな神話はその痕跡であろう。出雲の沖合いにある隠岐島で最後をとげた「大国主尊(おおくにぬしのみこと)」こそ舟の民族の族長であったのではないか。この尊に漂う徳性を備えた穏健でゆったりとした人格こそタオイズムから発生する南方系、舟の民族の特徴である。

 国の主権者はこの時をもって馬の民族に移り、その後この国には「馬の文化」が展開する。神話時代以後、日本史に史実として登場する大和朝廷とはこの北方系、馬の民族の末裔が樹立した政権である。現在の天皇家はこの血筋をくむものであるとされる。

 しかしこのふたつの異質の文化が極東の島国で出会い融合したことは歴史的に大きな意味をもった。日本民族の優秀さはこの文化の二面性の融合にこそある。

 日本人は温厚と過激の両面をもつ。切腹や神風特攻隊のような過激な行動は世界にも例がない。また広島、長崎に原爆を落とされても米国を強く恨むようなことをしない穏健さも兼ね備えている。
 また緻密さといいかげんさの両面をもつ。日本の工業製品の品質は世界一の緻密さから生まれ、日本の政治外交姿勢はまことにファジーそのものである。

 文明的に立ち遅れていた極東の島国が明治維新以来の近代化をまれにみる短期間で成し遂げ、GNP世界第2位になるほどに発展したことは歴史的奇跡であると言われる。この原因もまたこの南方系「舟の文化」と北方系「馬の文化」の融合にあったとすることができよう。

 日本人の顔もこのふたつの民族の顔が併存する。つまり「狸顔」と「狐顔」である。前者は南方系、後者は北方系である。この○と△の顔かたちでおおよその人格が確定する。それは狸と狐に代表される性格の違いであり、遙か時空の彼方にあった南方系と北方系の民族の血の異なりである。
 日本を訪れる南方系のベトナムやタイの人々の顔や北方系の韓国の人々の顔を眺める時、我々とのあまりの類似性に驚くのは私だけではあるまい。それは日本民族が背負った遠い過去の記憶の断象である。

 また日本人の宗教観も異質である。仏教あり、神教あり、キリスト教あり、道教あり、儒教あり等々。これらの宗教のすべてを許容する人間性はこれまた世界に例を見ない。この人間性もこのふたつの文化の融合によるところ大であろう。

(三)文字の表象

 日本の古代風景の説明はこのくらいにして、いよいよ安曇野の古代風景を描写してみよう。

 先年亡くなった歴史作家、司馬遼太郎氏によれば「安曇」とは海洋民族の一氏族であると言う。この海洋民族こそ南方系、舟の民族であり、この氏族が内陸に移り住み地名として痕跡を遺したのである。これと同様な地名として伊豆の「熱海」、東海の「渥美」をあげており、ともに舟の民族の足跡を地名として遺している。私はこれに「奄美」も入るであろうと考えている。九州と沖縄の間にある奄美諸島の奄美である。この島に伝わる風習や儀式の多くにインドシナ文化の特徴であるタオイズムが漂う。

 私は文字は時空の窓であると考えている。漢字は万物事象の形から創られた象形文字であり、文字自身が意味を顕わす「表意文字」である。かたや西欧の文字は「表音文字」と呼ばれ、音を顕わす文字でしかない。
 漢字は現代人が忘れ去ってしまった幾つかの過去時空の物語を動物の化石や文明の遺跡と同じようにその文字の中に遺している。難しく言えば時空が文字の中に「表象」しているのである。

 文字を眺めているとその文字という窓から過去時空の風景がかいま見えてくる。つまり、現代の日本人がピンとこない「安曇」という文字には安曇野が辿った過去時空が表象しているのである。

 日本文化の中核を成す漢字文化はこの意味で貴重な文化遺産である。

 安曇野の人々の祖先は舟の文化を背負いインドシナ→奄美→渥美→熱海→安曇と遙かな歴史を旅をしてきた性格穏やかな南方系民族である。

 安曇野のほぼ中央に位置する穂高神社では舟が祀られていると聞いた。この島に渡った原因でもある舟を祀るのに何ら疑問はなく、これもまた安曇人が南方系、舟の民族であることの痕跡であろう。

 安曇野には漢字よりも古い日本最古の文字「アヒル文字」が刻まれた遺石があることをかって何かの本で読んだことがある。私は未だその遺石を目にしてはいないがおそらくその文字形は現在のタイ語などに表象されるヒゲ状の文字に似かよっているのではないかと想像している。

 またタイやベトナムなどインドシナ半島の現代語の中に「あまみ、あつみ、あたみ、あづみ」などの言葉の音を捜してみるのも面白いと思う。その音の言葉が何を意味するのかにも興味がある。多忙な日常にかまけてこれらを探求する機会がいまだにもてない。いつかゆっくりと考えてみたいものである。

 司馬遼太郎氏は渥美、熱海などの海岸線に住み着いた舟の民族が内陸に移り住み安曇に至ったとしているが私には釈然としない疑問が残る。
 「海こそふるさと」というその思いを捨ててまで海の無い内陸の安曇野に移り住むことにはそれなりの大きな動機がなければならない。

 私はその動機を出雲の沖合いにある隠岐島で最後をとげた南方系、舟の民族の族長「大国主尊」の物語の中に見る。



 穏やかな南方系、舟の民族が気の荒い北方系、馬の民族に滅ぼされた経緯が大国主尊の「国譲りの話」であることは述べた。私は安曇人こそこの大国主尊につき従っていた舟の民族ではなかったかと考えている。

 馬の民族に追われた彼らは北陸路を辿り、糸魚川から姫川を遡り、仁科三湖周辺に住み着く。しかし追っての執念はすさまじくやがてはそこも危うくなる。彼らはさらに南下し、ついには安曇野に至ったのではなかったか。

 稲作は舟の民族が日本にもたらした最も偉大な文明であり、安曇野に至った彼らは葦原の荒野を見事な稲作田園にしあげたことであろう。そして今もなお我々が見る安曇野は日本でも有数な米作地帯である。

 しかし、そこにもやがて気の荒い馬の民族が襲ってくる。おそらく激しい戦いが幾度か繰り返されたことであろう。日本の古代神話「八岐大蛇(やまたのおろち)」伝説は有名であるが、この伝説はおそらく舟の民族と馬の民族が出雲で戦った状況を伝えているのではないかと思う。同様に安曇野には「八面大王(はちめんだいおう)」伝説がある。この類似性はいったい何を意味するのか。

 安曇野でも同様な戦いがあった証拠ではないのか。「八岐大蛇」伝説ではヒノ川の上流にいたという頭部が八つに分かれた大蛇をスサノウ尊が退治したとなっており、「八面大王」伝説では有明山の麓、宮城にいた八面大王を坂上田村麻呂が退治したとなっている。この鬼のような名前を付された大蛇や大王こそ舟の民族の族長の象徴であろう。温厚な舟の民族の中にも徹底抗戦する気概に溢れた大将もいたのであろう。

 歴史は後の権力者に有利に記述されるのであり、自分たちに正当性をもたせるように表現されるのは歴史の必然である。ゆえに征服者である馬の民族であるスサノウ尊や坂上田村麻呂が英雄となり、被征服者である舟の民族が八岐大蛇や八面大王になるのは当然である。歴史の真相は時の権力者によって常に隠蔽される宿命をおびているのである。

 おそらく出雲であった戦いと安曇であった戦いの構図は同じものであり、これらの戦いの物語が混合し、このように類似した伝説が後の世に遺されたのではなかったか。

 ともあれ、安曇野は渥美や熱海に住み着いた舟の民族が移り住んだのではなく、出雲から追われた舟の民族がようようにして辿り着いた場所とした方が話の筋がよく通る。

 また「出雲」と「安曇」の文字に象出した「雲」の表象相似は私に強い直観を促す。仁科三湖の「仁科」とはアイヌ語であり、「雲のごとし」という意味をもつ。

 また、「いずも、あづみ」という音もかなり近いものが感じられる。「あまみ、あつみ、あたみ」は清音で構成され、「いずも、あづみ」は濁音で構成されている。この音の異なりこそが両南方系、舟の民族が辿った歴史の異なりを表象しているように見えるのである。

 私はこれらの直観から「出雲は安曇」であるとの大胆な仮説を立ててみたい。それはまさにかすかに遺された安曇野の「点と線」の痕跡である。

(五)出雲と安曇

 出雲と安曇の表象相似の直観はさまざまなことを語る。

 かって梅原猛氏の法隆寺論「隠された十字架」をさかのぼる30年程前に読んだ。梅原氏は法隆寺は聖徳太子の遺徳を讃え建立された寺などではなく、太子一族をおそった非業な運命(太子の皇子である山背大兄王とその一族の斑鳩宮での虐殺事件、下手人は蘇我入鹿であるが裏で策謀したのは大化改新で活躍した藤原鎌足とされる)に対する太子一族の恨みの怨霊を封じ込める寺であることを隠蔽された歴史から解明し従来の通説を覆した。

 梅原氏がそれを直観したのは法隆寺で行われる「聖霊会」の祭事であった。法隆寺内陣、講堂の前で催される聖霊会は装束をまとった太子の聖霊が長い白髪を振り乱し狂ったように舞う。これを見学した梅原氏はこれは「聖霊」などの姿ではなく恨みにもだえ狂う「怨霊」の姿であることを瞬間に理解したのである。

 その後、法隆寺をつぶさに調査した梅原氏はそれを裏付ける幾多の証拠を見出し、この直観の正当性を確信するに至る。
 一般に神社仏閣の門は奇数間で造られるが、なぜか法隆寺は偶数間で造られている。偶数間で門を造ると門の中央に柱がきてしまい入出を拒絶するような構造になってしまう。梅原氏は怨霊が外界に出ることを許さない意図がこの門の構造に顕現していると言う。またこの偶数間の社寺の例を他に捜すと島根出雲大社であると述べている。出雲大社とはまさに恨みをのんで出雲沖、隠岐島で最後をとげた南方系、舟の民族の族長「大国主尊」を祀った神社である。

 表向きは聖徳太子や大国主尊の遺徳を奉るように見せて裏ではその怨霊封じ込めを画策するなど誰によって為されたのか。

 それは彼らを滅ぼし大和朝廷を樹立した北方系、馬の民族の権力者以外にいない。太子一族虐殺の策謀者である藤原鎌足は姓は中臣、神事を司る官職から出発した人であり若い頃は中国の革命の書を読み耽っていたと言われている。性格その他からして祖先は馬の民族であったと考えられる。
 日本古代史を確定したとされる「古事記」、「日本書紀」は鎌足の子、その後の藤原氏繁栄の礎を築いた藤原不比等の意向によって編纂されたものであるとされる。この時をもって、それまでの多くの古代史の真実は時空の闇に消え去ってしまった。ゆえに我々はその隠蔽された出雲神話や八面大王伝説の記述から真実を探し出さなくてはならなくなってしまったのである。

 倉田兼雄氏の「有明山史」によれば隠岐島で最後をとげた大国主尊の御子、建御名方命は反骨の士であり馬の民族に何としても屈服せず諏訪大社に流罪になったとしている。穂高神社はその御子の「見張り所」であり、穂高の「穂」は槍の穂先の意、「高」は高見するの意である。穂高とは槍を持ち見張るという意味になる。

 私にはこの反骨の御子と八面大王の顔がなぜか重なって見える。そして諏訪大社で催される死をも畏れぬ勇壮な御柱祭があたかも法隆寺で催される聖霊会での太子怨霊の恨みの舞のごとく、非業の最後を遂げた大国主尊一族の怨霊、荒ぶる魂の七年に一度の狂乱乱舞の様に見えてくる。


(六)みすずかるまほろば

 この稿を稲作文明をもたらした弥生初期の「舟の文化」の風景から書き始めた。それ以前にあった風景とは日本原住民が営んでいた一万二千年に渡る「縄文の文化」の風景である。

 その風景に映る安曇は安曇野と呼ばれる平野ではなく、北は大町から南は塩尻にいたる広大な淡水湖、「安曇湖」が横たわる風景である。

 高い山々に囲まれ、遠く鳥獣の鳴き声が響き、満々と紺青色の清水を貯えた静寂な湖の風景はまさに桃源郷と呼ぶにふさわしいものであったにちがいない。縄文人はこの安曇湖の湖畔に定住し、この湖と山の豊饒な自然の恵みの中で安定した狩猟採集社会を営んでいたことが想像される。

 松本の「蟻ヶ崎」、明科の「押野崎」等は安曇湖に突き出た岬の意味であり現代まで遺された文字の表象である。また安曇松本平の山麓には縄文期の遺跡や古年代の古墳が多く散在する。
 大正時代にはこれらの遺跡や古墳が鳥居龍蔵博士により調査され、前出の八面大王の岩屋と言われている宮城の石窟はドルメン式古墳と称すべきものであり、日本全国においても他に容易に見ることが出来ないものであるとされた。
 また穂高の山麓は養蚕の元祖である「天蚕」が始められた地域でも知られている。

 縄文の文化は「ディオニュソス的原始性」、その後に渡って来た舟の文化は「タオイズム的自然性」である。この両者の文化を考えれば両民族は違和感なく融和したことであろう。融和した穏やかな社会は人間の生活にとって理想に近いものではなかったか。

 しかし、その社会はそれほど長くは続かない。好戦的で性格が激しい馬の文化の到来である。両民族の平和な営みは破壊され馬の民族の強力な軍事力に従属を余儀なくされる。また馬の民族はそれに留まらず「蝦夷退治」と称して日本武尊や坂上田村麻呂を将軍とし東北地方まで追討の軍を派遣したのである。

 現在、日本列島の最北の地、北海道の片隅に居住するアイヌ民族はその追討を逃れた縄文と舟の民族の末裔であろう。アイヌ民族のもつディオニュソス的原始性とタオイズム的自然性はかっての両民族が遺した香しい遺伝子である。ちなみにアイヌという言葉は「人間」を意味する。

 司馬遼太郎氏は縄文集落「三内丸山遺跡」をもち、今でも「マタギ」が生活する下北と津軽の両半島で陸奥湾を囲む青森の地を日本民族の「ふるさと」であるとし、「北のまほろば」と呼んだ。

 だが私は日本列島中央に位置し峻厳な山々で外敵から守られ豊饒な自然に恵まれた安曇湖周辺に営まれた社会こそ日本民族の「ふるさと」であったと考える。その桃源郷を私は「みすずかるまほろば」と呼びたい。

 安曇湖が蟻ヶ崎により囲まれた内灘は現在の松本市街地であろう。その内灘の奥、背後に美ヶ原をひかえた「美須々ヶ丘」の地は息をのむような景勝地ではなかったか。私は信濃のまくら言葉「みすずかる」とはこの美須々から採った「美須々かる」をあてたい。

 もっともここまでくれば安曇古代史仮説と題するよりも安曇古代史「幻視」、あるいは安曇古代史「瞑想」と題したほうがよさそうではあるが。

(七)安曇古代ロマン

 技術の研究は常に大胆な仮説を立てるところから出発する。まず直観力により認識の飛躍を起こさなければ無から有を生むことはできない。この飛躍は奇想天外なものであってはならず常に発生した現象を過不足無く、かつ妥当性をもって説明できるものでなくてはならない。

 この稿は私の技術研究手法「直観的場面構築」をもって、今や安曇野の時空に隠蔽されてしまった過去の時空、言うなれば安曇野の「点と線」を推理してみたものである。

 直観的場面構築とは意識の大海の中に埋没していたさまざまな認識の断片がある時、集合組成し、ある場面(シーン)が構築される「意識メカニズム」のことである。私はこの手法を技術開発に応用し現在国内外200件以上の特許権の成立をみた。

 このメカニズムが作動するためには多くの認識断片を意識の大海に「蓄える」こと、その断片認識を一体的に合成させる「きっかけ」のふたつが要点である。
 前者に必要なことは多くのことを「見聞き、読み、感じる」努力であり、後者に必要なことは熟成の時を気長に「待つ」持続力である。

 ここで構築された「直観的歴史場面」は信州真田の里で育った私が青春期を大阪、奈良で過ごし、今ここ安曇野の地に至ったことによる。
 吉野、飛鳥、斑鳩、西の京、平城京奈良、奈良坂を越え平安京京都と彷徨した時期に蓄えられた認識断片と安曇野に至ったきっかけの僥倖が作用したものに他ならない。

 その結果として顕れた「安曇古代史場面」はまさに日本民族のふるさと「みずずかるまほろば」の桃源郷の風景であった。

 しかしながら前述したごとく、これらは「仮説」であり仮説は長い地道な努力で実証されなければならないのである。

 前出の倉田氏の「有明山史」によれば出雲は安曇から出発し、出雲神話は安曇神話を基とし、有明山は昔、「戸放山」と呼ばれ、天の岩戸の伝説は有明山が舞台であるとし、現在の戸隠山や姨捨の有明山は戦国期にかの地に移しかえられたものであり、創作された過去であるとする。
 その多くの証拠書類、遺物、遺品は悲しいかな明治維新によって為された「廃仏毀釈運動」により方々に散逸してしまっている。

 そして今、西暦二千年の安曇野はかってこの地にあったであろう縄文人の「まほろばの世界」や舟の民族と馬の民族の「激しい戦いの世界」の痕跡をすっかり時空の闇に没し去り「なにくわぬ顔」で横たわっている。
 また生活する我々といえば日々なる「頭のハエ」を追うのに忙しく、その地を北に南にと走り回っている。

 安曇古代史仮説は「歴史ロマン」でありロマンは我々の時空を限りなく広げ大いなる夢を抱かせてくれる。

 多忙な我々ではあるがたまには悠久な歴史ロマンに思いを馳せるのも一興であろう。この拙稿がその一興に幾ばくかの手助けになれば筆者として望外の幸甚である。

 そして、いつかどこかでこの安曇人が辿ったであろう悠久な物語をしっかりと書いてみたいという気が今している。 (了)

(上)それぞれの歴史ロマン

 「安曇古代史仮説」(安曇野の点と線)の掲載に対し、数多くの皆様方から多大な共感が寄せられました。紙面をお借りして深く感謝申しあげます。

 郷土の古代史研究家の皆様からのご助言、ご指摘をはじめ、多くの読者からの応答に接し、筆者として望外の幸甚に浴した次第です。皆様からのご厚志に対し幾分かのお礼にと願い、安曇古代史仮説後記として、その後のこもごもについてお話したいと思います。

 研究家の皆様からのご意見としては、広大な安曇湖を安曇野に出現させるためには山清路の水位を数十メートルあげなければならず、筆者が言うような安曇湖は存在しなかったという地勢学的見地からのご指摘、「信州のアイヌコタン」の著者、百瀬信夫氏から寄せられた「古代語研究」の視点から探求された安曇湖説、氏の長年にわたる古代史研究文献の数々からは筆者として多くの啓発を受けました。

 一般読者からのご意見の多くを紙面上割愛しなければなりませんが、ともに七年に一度の善光寺御開帳と諏訪大社御柱祭の類似性、御開帳で建てられる一本の「回向柱」と御柱祭で社を囲むように建てられる四本の「御柱」から、馬の民族による諏訪大社に施された舟の民族に対する怨霊封じ込め結界の構図をご指摘され「ハッと」させられましたし、松本の人々が馬刺を食べるのは舟の民族の末裔だからか・・?、韓国クラブへ行く人はタイクラブへは行かず、タイクラブへ行く人は韓国クラブへは行かない理由は舟の民族と馬の民族の遺伝子の違いか・・?等の質問には「ウーン」と唸ってしまいました。

 これらのご意見のすべてが、郷土安曇野を愛する思いから生まれたそれぞれの歴史ロマンであり、かってあったであろう古代安曇歴史空間の扉を開く貴重なキーワードであると思います。安曇古代史仮説の拙稿が、今後展開されるさらなる研究や論議の「きっかけ」となったならば筆者としてこれ以上の喜びはありません。

 今まさに日本のみならず世界を取巻く社会情勢は混迷を深め、未来社会の前途に暗雲が立ちこめている観があります。

 戦後日本は貧困の中から立ち上がり、馬車馬のごとく物質的豊かさを求め、その達成に向けて脇目もふらずに邁進してきたのですが、この幸せの青い鳥を求めて世界中をさまよった旅の果てに見たものとはいったい何であったのでしょうか・・。それはニューヨークの世界貿易センタービルが瓦礫と化した荒涼たる風景であり、日本政治経済のどうしようもない荒廃の風景ではなかったか・・。

 今、人々は疲れ果て、その彷徨の旅から故郷に帰ろうとしているように筆者には見えます。かってこの旅の出発点にあったであろう、大和民族の底流に流れていた貧しくはあっても熱き情感に満ち、臥薪嘗胆の矜持に裏打ちされた誇り高き人格に彩られていた社会への帰郷です。

 おそらく、安曇古代史仮説に寄せられた共感とはこの荒廃した物質世界からまほろばの世界に向けての望郷であり、回帰への願いに他なりません。その共感の多くが年輩者からのものであったことが、それをよく物語っているように思います。

 いつも言われることではありますが、幸せの青い鳥は我が家の窓辺に憩い、さえずっているのです。

(中)飛鳥と信濃の点と線

 今、筆者にはふたつの印象的な場面が脳裏に映っている。

 ひとつは青雲の志を胸に郷関を後にし、大阪での勉学生活を始めた頃に訪れた奈良国立博物館での風景である。押しボタンによりパネル表示された寺院に創建年代順に赤い豆電球が点灯する装置があった。最初のボタンで日本列島にふたつの点灯が表示された。ひとつは摂津難波の四天王寺、他のひとつは我が信濃の善光寺である。善光寺が奈良に点在する幾多の古寺より古いとは想像だにしないことであり、驚きとともに、郷関を出た直後の思いと重なり、大いに誇りを感じた記憶がある。薄暗い館内で点灯していた、ふたつの赤い豆電球の場面は今も鮮やかに目に残っている。

 もうひとつの印象的場面は八面大王の岩屋と言われている宮城の石窟を訪れた時に蘇った記憶であり、奈良飛鳥の地にある有名な「石舞台」と呼ばれる蘇我馬子の石室古墳の風景である。ともに横穴式石室、規模は石舞台の方が数倍大きいが、天井に大きな一枚岩を置いた構造は同じであり、筆者に奇妙な類似性感覚を与えた。

 蘇我馬子とは名前の通り、馬の民族であり、飛鳥古代王朝における蘇我氏の権力を確立した大王である。その馬子の子が蝦夷、蝦夷の子が大化改新で中大兄皇子(後の天智天皇)によって誅殺された蘇我入鹿である。馬子は天皇ではないにしろ、大王と呼ぶにふさわしい権力者であり、日本史における「蘇我物部の戦い」が彼の名を有名にしている。

 この戦いは大和の古豪族であり、自らも天神の子として神を擁護していた物部氏と渡来系の新興豪族であり、当時伝来した仏教を擁護する蘇我氏との勢力争いを背景とした「神仏宗教戦争」であった。

 筆者は法隆寺の近く、大和川が巻くように流れる王寺の高台に3年間ほど住んでいたが、蘇我馬子と物部守屋はこの付近の大和川を挟んで対峙した。その戦役では蘇我軍の中に若き日の厩戸皇子(後の聖徳太子)も従軍している。
 聖徳太子は蘇我系の皇子であり、その戦いの後、推古天皇の摂政として大臣馬子とともに仏教を基とした大和民族統治システムを創立することになる因縁がここから始まったと言ってもよい。その戦場からほど近い、斑鳩の地に斑鳩宮(後の法隆寺)を建立した遠因もここに感じる。

 そして、その戦いの戦局が不利になった時、「もしこの戦いに勝たせて頂いたなら、四天王を祀る寺塔を建てましょう」と誓願され、その後、戦局が有利に転じ勝利したことにより、前述の四天王寺が建立されたとされる。

 一方、破れた物部一族の弓削氏からは、後に弓削道鏡が輩出してくる。弓削道鏡とは、咲き匂う奈良の都と称された平城京隆盛を極めた頃、孝謙天皇に呪術でとり入り、自らが天皇になろうとした極悪人として歴史に刻まれた僧侶である。孝謙天皇とは東大寺大仏を建立した聖武天皇と光明皇后の娘として生まれた女帝である。呪術的加持祈祷は舟の民族特有のアミニズム的風習であり、物部氏が舟の民族の末裔であることを深く印象づける。

 仏教は馬の民族が、稲作は舟の民族が日本に伝えた最大の文化遺産であろう。

 極論すれば、このふたつの文化遺産からその後の日本人の生活文化や精神文化のほとんどすべてを読み解くことも可能であろう。
 また古代飛鳥王朝において、蘇我氏を馬の民族の代表とするならば、物部氏は逆に舟の民族の代表であり、飛鳥の地で行われた蘇我物部の戦いとは安曇の地で行われた戦いと同じ構図であったといえよう。

(下)特別の意味をもった地

 「扶桑略記」の仏教渡来の記述によれば、信濃善光寺の草創の年次は明らかにしえないが、欽明天皇の代に百済国の聖明王が献じた一尺五寸の阿弥陀仏像と一尺の観音・勢至像が善光寺如来であるといい、この像を推古天皇の代に秦巨勢大夫(はたのこせのたいふ)に命じ、信濃国に送ったと記している。
 さらに同書は「善光寺本縁起」を引用して、欽明天皇の代に、百済国より摂津難波に漂着した阿弥陀三尊仏が、推古天皇の代に信濃国、水内郡に移ったとしている。

 また「伊呂波字類抄」には、推古天皇の代に信濃国、麻績村へ如来が移され、さらに皇極天皇の代に、水内に移り善光寺が創建されたと述べている。

 これらの記述は、いずれも伝説的であって、その是非をにわかに定めることはできないが、境内から出土した瓦は白鳳期のものであり、その創立は七世紀後半と推定されている。

 また善光寺信仰の勧進教化の説話には善光寺如来と聖徳太子との間で消息の往返がなされ、冥界からの救済を説く善光寺信仰と、四天王寺の西門で極楽往生を願う念仏信仰とを結びつけ、善光寺如来と聖徳太子が共同で念仏者を往生させるという話が遺されている。

 これらの経緯からは仏教伝来草創期における摂津四天王寺と信濃善光寺に引かれた点と線がかいま見える。

 さらに八面大王の石窟がある宮城の地を地元の人は「みやしろ」と訓読みするが、音読みすると「きゅうじょう」となる。古来、きゅうじょう(宮城)とは唯一、天子が起居する館の呼称である。であれば、何故にこの地を宮城と呼び、大王、蘇我馬子と八面大王の石室古墳が同じ構造であったのか。

 推古帝、聖徳太子、蘇我馬子が創立した古代飛鳥王朝と古代安曇の地に引かれた点と線の痕跡をここに見る。

 安曇古代史仮説では出雲と安曇に引かれた点と線をたどり、安曇の地にあった馬の民族と舟の民族の戦いを描いた。しかし、どうやらその裏には飛鳥の地でくり広げられた馬の民族と舟の民族の戦いであった蘇我物部の神仏戦争や、摂津四天王寺と信濃善光寺にまつわる仏教伝来の点と線が複雑に入り組んでいるようである。

 いずれにしても、みすずかるまほろば信濃安曇の地とは大和国家成立にとって、特別の意味をもった地であったことに疑いはないようである。
 しかしながら歴史の闇は未だ多くの謎を秘めてこの地を深く覆っている。今後の研究が待たれるところである。

 最後に松本市の74歳、K子さんからのお便りをご紹介し、この稿を結ぶこととします。

・・・・母が南安曇の生まれでしたので嫁にきてからも「安曇はいいよ」と言葉のはしはしに云っておりました「松本の土とはちがうよ、石ころもないしネ」と畑の石をひろい「土地の人情があったかいよ」とも。今、(十年くらい)私はよく有明の温泉へ行くのですが、その間の景観がずい分変ってきました、こんなふうにもう数年変っていったらどうなるでしょう、私は眉間にしわがよってしまいます・・・・

 安曇野に生きた母と娘との「とある日の情景」、その母の思いを背負って今を生きるK子さんの心情はかってあったであろう「安曇湖桃源郷の風景」を筆者にかいま見せてくれてあまりあります。ありがとうございました。