2000年5月25日木曜日

【沖縄基地問題】 沖縄核貯蔵施設

木語:辺野古の核貯蔵施設=金子秀敏
http://mainichi.jp/select/opinion/kaneko/news/20100527ddm003070112000c.html
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 鳩山由紀夫首相の言葉を軽く感じるのはなぜだろう。

 むかし「ぶりっこ」という言葉があった。男の気を引くためにわざと女らしい仕草をするのは「かわい子ぶりっこ」。いつもいい子になるのは「いい子ぶりっこ」。

 鳩山首相は、いい子ぶりっこだ。普天間飛行場の移設先は「最低でも県外」だし、オバマ米大統領に会えば「トラスト・ミー」と英語が出る。沖縄の海兵隊は「学べば学ぶほど抑止力」で、沖縄の海を埋め立てるのは「自然への冒〓(ぼうとく)」である。

 それが行き詰まると、沖縄に出向いて「辺野古付近にお願いせざるを得ないとの結論に至った」と「断腸の思い」の謝罪をした。

 首相の言葉はどれをとっても非常に重い。その重い言葉がぺらぺらひらひら飛び交うから、軽く感じるのである。

 あっさり頭を下げるいい子に向かって、沖縄県の知事も市長も振り上げたこぶしのやりばに困る。

 野党自民党の谷垣禎一総裁もやりにくいだろう。「職を賭すと言った首相は、辞めるか国民に信を問うべきだ」と語ったものの、本気で解散に追い込む気迫は感じない。

 そもそも普天間飛行場を辺野古に移設するというのは自民党政権下でできた案である。それを鳩山政権が採用するというのだから、これに反対して解散に追い込むのは筋が通らない。

 自民党は発想の転換をしたらどうだろう。民主党を差し置いて辺野古移設で地元沖縄を説得し、日米安保体制を支えるのは自民党という軸を明確にするチャンスだ。これができれば政権奪取に活路が開ける。

 それにつけても、米国はなぜ辺野古にこだわるのか。今年の春、佐藤栄作元首相の机の引き出しの中から発見された「沖縄核密約」にはこのようなやりとりがあった。

 「(米国政府は)沖縄に現存する核貯蔵施設の所在地である嘉手納、那覇、辺野古及びナイキ・ハーキュリーズ基地を、いつでも使用可能な状態で維持し、重大な緊急事態の際には実際に使用できるよう求める」

 「(日本国政府は)そのような事前協議が行われた場合には、これらの要件を遅滞なく満たすであろう」

 末尾に最高機密の指定とニクソン大統領、佐藤首相の署名がある。

 辺野古には核貯蔵施設があり、有事には核兵器をまた運びこむ密約である。貯蔵施設が今でもあるなら、沖縄の「抑止力」の正体はこれではないか。それなら米国が辺野古に固執する理由も見える。(専門編集委員)
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日米密約検証/納得できぬ「沖縄核」否定 国民不在の外交を改革せよ
2010年3月11日
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-159044-storytopic-11.html
 やはり密約はあった。日米の密約を検証した外務省有識者委員会は1960年日米安保改定時の「核持ち込み」、朝鮮半島有事の「在日米軍の出動」、沖縄返還時の「軍用地原状回復費肩代わり」の3密約を認定した。歴代政権は国会で密約を否定してきたが、国民を欺く虚偽答弁という「国家のうそ」が明らかになった。

 安全保障、沖縄返還の重要な外交取り決めを一部政治家と官僚のみが決し、国民に隠してきたことは民主政治の否定に等しい。政府は国民主権、知る権利を踏みにじった歴代の首相、外相以下関係者の責任をただし、「国民不在の外交」を断ち切る改革を実現してもらいたい。

日米合意は核兵器撤去
 一方で、有識者委が沖縄返還後の沖縄への「核再持ち込み」日米首脳合意を「密約とは言えない」としたことは納得できない。

 「核再持ち込み」密約は、所在不明だった「合意議事録」が、佐藤栄作元首相の次男、佐藤信二元運輸相の元に保管されていたことが最近分かったばかりだ。

 同議事録は米大統領の意向として「米政府は緊急事態に日本政府との事前協議を経て、核兵器の沖縄再持ち込みと沖縄通過の権利を必要とする」と記し、「核兵器貯蔵地の嘉手納、那覇、辺野古、ナイキ・ハーキュリーズ基地を使用できる状態に維持する」と貯蔵場所まで明記している。

 これに対し日本国総理大臣は「事前協議が行われれば遅滞なく要件を満たす」と約束している。

 沖縄返還時に沖縄の米軍核兵器をすべて撤去することが日米の合意であり国民、県民の共通理解だった。その裏側で将来再び核兵器を沖縄に持ち込み、貯蔵することに日米首脳が合意していたとは国民、県民の誰も知らされず、了解していない。

 これを密約と言わずに何と呼べばいいのか。我部政明琉大教授が述べる「秘密とされ、かつ今もって公開されない約束(あるいは合意や了解)を密約と言う」とする定義が常識的だろう。

 国民の常識的感覚とは異なる有識者委報告の「密約とは言えない」との判断に対し、岡田克也外相は「(日米)両トップがサインした文書が何十年ぶりに出てきた。これこそ密約」との認識だ。

 政府は「核再持ち込み」を含め、4密約の全容を解明すべきだ。とりわけ県民は「核再持ち込み」に強い関心を抱かざるを得ない。

 「合意議事録」は核再持ち込みの貯蔵地をも列記し、生々しい。事前協議がない以上、持ち込みもないというのが外交常識かもしれないが、常識外の密約が横行する日米外交である。

 「復帰後の核再持ち込みの有無」「核貯蔵施設の存否」とともにこの際「復帰時の全核兵器撤去」についても米側にただし、県民の不安を払ってもらいたい。

米国追従の姿勢背景に
 核搭載艦の寄港による「核持ち込み」も同様だ。事前協議なしに持ち込まれた可能性がある。米側に有無を問うのは当然だ。

 岡田外相、鳩山由紀夫首相は非核三原則を堅持する考えを示した。であれば「核持ち込み」密約が無効であることを米側に確認し、事前協議のない核搭載艦の寄港を拒否する姿勢を示すべきだ。

 密約問題は「国民の知らない密約の存在」と同時に、事後に多数の関連文書が廃棄・消失され「密約の事実が隠ぺいされた」問題でもある。密約に関与した歴代の政治家、官僚とともに、廃棄・消失の責任もただす必要がある。

 4密約の背景には米軍事戦略に従い、朝鮮有事やベトナム戦への拠点基地を日本、沖縄に維持し、核兵器の持ち込みも容認、財政的な便宜も与える米国追従の姿勢が透けて見える。

 米軍駐留経費の日本側負担は米軍用地原状回復費負担の密約が源流と言われる。米軍普天間飛行場移設問題も、米側の意向通り「県内移設ありき」で進めたことが迷走の発端だ。

 密約の背景にある米国追従を改めるべきだ。鳩山政権が掲げる「対等な日米関係」の実現へ国民、県民本位の外交姿勢を確立してもらいたい。

 米兵の刑事事件で日米政府が1953年に交わした「重要案件以外、日本側は裁判権を放棄する」との密約合意も米公文書で分かっている。日米地位協定にも密約はないか。検証が必要だ。

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外務省が有事駐留検討 69年、米軍依存核などに限定
2010年2月21日
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-157927-storytopic-3.html
 【東京】新日米安保条約の更新を控えた1969年9月、外務省内部の政策論議で、日本の安全保障に関して在日米軍は「若干の限定された重要基地施設」まで整理縮小させ、平時は自衛隊がカバーして有事の米軍使用に備える体制を整えておくべきだとする考え方をまとめていたことが20日までに分かった。省内部文書「わが国の外交政策大綱」で明らかになった。省内で「常時駐留なき安保(有事駐留)」が論議されていたことになる。

 100ページ余の内部文書は69年9月25日付で「極秘」扱い。現在は秘密指定解除されている。

 国土安全の「抑止力」には、「核抑止力と西太平洋での大規模の機動的海空攻撃力と補給力のみを米国に依存」、ほかは自衛隊で賄うとしている。

 朝鮮半島事態を明示して、平時の抑止力は「若干の限定された重要基地施設を米軍へ提供するにとどめ」、有事には「これら基地の米軍使用と米軍の行動への支援が遺憾なく行われるよう体制を整えておく」と日本側の後方支援体制の必要性も指摘した。

 核兵器は「当面保有しないが、核兵器製造の経済的・技術的ポテンシャルは常に保持する」と宣言した。

 自衛隊の活動などに詳しい軍事問題研究会は「これが当時から政策として実行に移されていれば、今日の普天間移設問題は起こらなかっただろう。米軍が返還に消極的なのは、緊急時利用できる基地施設を最大限確保したいとの心理が働いている側面もあるのではないか」と分析している。(滝本匠)

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核密約文書県内反応 「沖縄蔑視」に怒り
2009年12月23日
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-154694-storytopic-3.html
 沖縄返還交渉をめぐり、有事の際の沖縄への核持ち込みに合意する内容の文書が見つかったことについて、県内の関係自治体首長や関係者からは「沖縄に基地を押し付けておけとの発想だ。沖縄蔑視(べっし)だ」などと強い憤りの声が聞かれた。市民団体は辺野古への新基地建設の危険性をあらためて指摘し、日本政府に謝罪を求める声も上がった。

 嘉手納飛行場に関する三市町連絡協議会会長の野国昌春北谷町長は「一連の密約が、今の沖縄の基地固定化につながっている」と指摘し「佐藤栄作元首相は『沖縄の返還なくして日本の戦後は終わらない』と名言を吐いたが、密約を見ると沖縄にそのまま基地を押し付けておけ、という発想だったんだろう。本土の政治家の沖縄蔑視を感じる」と憤った。宮城篤実嘉手納町長は「当然(核貯蔵は)あり得ると想定していた。外交上の秘密はいつも後から出てくる。詳細な情報を手に入れ、今後の取り組みを検討したい」と話した。

 復帰前、辺野古でカメラのフィルムを何度も米軍に抜かれた経験のあるヘリ基地反対協議会の大西照雄代表委員は「合意は現在も生きている。その中で辺野古の新基地は既存施設と併せ、演習、輸送、貯蔵、すべての面を備えた悪魔の要塞(ようさい)と言える。新基地は単なる抑止力ではなくアジアへの攻撃基地だ」と主張した。

 原水爆禁止県協議会の芳澤弘明代表理事は「核密約の存在は故若泉敬氏の著書で明らかになっているし、米関係者の証言もある。今回の文書はこれらの証言や平和勢力が暴露してきた事実を裏付けるものだ」と指摘し「日本政府はすべての密約を明らかにし国民に謝罪すべきだ」と求めた。

 沖縄返還密約訴訟の原告の1人、我部政明琉球大教授も若泉氏が密約文書を「(佐藤氏が)処置した」と書いていたことから「ないと思っていたものが実際に見つかったので感慨深い」と語った。

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嘉手納基地 1958年に核爆弾配備
2008年10月22日
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-137360-storytopic-3.html
 【東京】中国と台湾が武力衝突した1958年の台湾海峡危機の際、米軍が嘉手納基地に広島に投下された原爆の約250倍の威力のある戦略核爆弾を配備していたことが分かった。全米科学者連盟(FAS)の核兵器専門家ハンス・クリステンセン氏が情報公開法で入手した「米空軍戦略史」で明らかになった。

 返還前の沖縄に米軍が核兵器を貯蔵していたことは知られているが、米軍戦略の文書で、その事実が新たに裏付けられた。

 嘉手納基地に配備されていたのはMK―39とMK―6の2種類。MK―39の爆発力は約3750キロトン(約3・7メガトン)で、広島に投下された原爆(約15キロトン)の約250倍にあたる。

 58年1月1日から6月30日までの米空軍戦略史には、核爆弾を配備した台湾近辺の基地や爆弾の種類が記載されている。

 クリステンセン氏は戦略史をFASのウェブサイトに掲載。「台湾危機の核兵器」と題し、台湾海峡危機から近年の米中の核計画などを紹介している。

 台湾海峡危機をめぐっては、米シンクタンク「国家安全保障公文書館」が今年5月、当時の米政府内の協議内容をつづった文書を公開。台湾を支持する米軍の首脳部がアイゼンハワー大統領に対し、中国への原爆投下を進言したが、却下されていた経緯が明らかになっている。

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トマホーク発射実験継続/ホワイトビーチ寄港の原潜4隻
2000年8月24日
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-115737-storytopic-86.html

勝連町のホワイトビーチにたびたび寄港している米海軍の攻撃型原子力潜水艦四隻が過去5年間に、核弾頭型の巡航ミサイル・トマホークの発射試験を実施していたことが23日までに分かった。市民団体「ピースデポ(平和資料協同組合)」(神奈川県)が米研究者を通じて入手した米海軍公文書に記されている。試験継続を示す文書の存在で発射態勢の維持が裏付けられ、有事の核搭載や沖縄への核兵器持ち込みの懸念が依然として残されていることを浮き彫りにした。
市民団体、「核」持ち込みを懸念
公文書によると1995年から2000年までに発射試験を実施したのは米海軍ロサンゼルス級攻撃型原子力潜水艦のソルトレークシティー、ヒューストン、サンフランシスコ、ホノルル。発射試験は品質確認などの目的で米カリフォルニア州沖の二カ所の試験発射海域で計六回実施され、核弾頭の代替物(模擬弾)を装てんしたトマホークを魚雷発射管から発射した。

四隻はいずれも発射試験前後にホワイトビーチに寄港している。横須賀や佐世保にも寄港が確認されている。うちヒューストンは今月16日にもホワイトビーチに寄港した。

核弾頭型トマホークは91年の米ソ合意で平時では原潜から撤去され貯蔵庫に保管されることになっている。94年の米ロの「核態勢見直し」(NPR)では空母を含むすべての水上艦から核兵器を扱う能力自体をなくし、攻撃型原子力潜水艦の核トマホーク発射能力だけを維持することが決定された。米国は有事での再搭載に備えて320発の核トマホークを貯蔵しているといわれる。

ピースデポの梅林宏道代表は「NPR以後は原潜の核トマホーク能力も解消され、再搭載は考えにくいとの議論があった。その後の核トマホークの試験動向を伝える情報もなかった。しかし今回の文書で有事搭載の可能性は現実のもので、日本への原潜による核兵器持ち込みの可能性が継続していることが分かった」と指摘している。
有事の際の搭載が心配
蔵当真徳勝連町長 軍隊なので発射訓練を行うのは当然だろう。平時は積んでいないものの、いざという時に積むことが有り得ることは心配だ。ロシアの潜水艦事故もあったばかりで、事故が起こらないようにしてほしい。それにもまして各国が核弾頭を使わないよう努力すべきだ。
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劣化ウランとは
ウラン鉱山から採掘した天然ウランは、濃縮過程の中で、まず核兵器や原子力発電用の燃料となるウラン235(U235)と、低レベル放射性廃棄物となるウラン(U238)に分離されます。

高レベル放射性同位元素のU235は、全体の1%で残りは殆どがU238です。 この大量に生み出されるこの金属物質を『劣化ウラン』と呼びます。

劣化ウラン弾の人体への影響
120ミリ砲の場合、劣化ウランの貫通体の重量は約4700グラム、30ミリ砲で約300グラムです。衝撃による燃焼(1200度で発火する)で、このうち70%~20%が酸化ウランの微粒子となって大気中に飛散します。
厳重に密閉して永久保管すべき核のゴミを、景気良くばら撒くのですから結果は云わずともです。いったん酸化ウランの微粒子を体内に吸い込むと肺などにたまり、放射線のつよい化学毒性により癌など健康障害を起こすと言われています。

後遺症
湾岸戦争後、帰還兵やその子供に奇病が発生していますが、これが劣化ウランの後遺症でした。女性兵士キャロル・ビコーさんは脳障害・甲状腺異変に襲われ、彼女には甲状腺の無い子供が生まれています。(毎日新聞より)

 イラクの子供たちにも奇形児・先天性欠損児、白血病・癌が多発しています。
 この写真はテレビや他のマスメディアで報道されご存知方も多いとおもいます。
その惨状を切手にしたのが「この項目のトップページ」に紹介しています。
ベトナム戦争の枯葉剤ダイオキシンに匹敵しています。


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劣化ウラン 嘉手納に貯蔵/司令官が表明
2000年5月25日
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-115255-storytopic-86.html

嘉手納基地の米空軍第18航空団司令官のジェームス・スミス准将は24日、劣化ウラン弾が嘉手納弾薬庫内に現在も貯蔵されていることを明らかにした。1997年に発覚した鳥島射爆撃場での海兵隊機による劣化ウラン弾誤射事件以来、在日米軍基地内で劣化ウラン弾の貯蔵が具体的に明らかになったのは初めて。報道関係者に嘉手納基地内を紹介する「メディアデー(報道の日)」での記者会見で述べた。誤射事件後、在日米軍は海兵隊基地からはすべての劣化ウラン弾を撤去したと説明していたが、陸、海、空の三軍の基地での貯蔵の有無は明確にしていなかった。嘉手納弾薬庫への貯蔵が明らかになったことで、県は嘉手納基地に事実確認をした上で、県外撤去を求めていく方針だ。
スミス司令官と嘉手納弾薬庫を管理している米空軍第18弾薬中隊のロナルド・サミック少佐によると、貯蔵されている劣化ウラン弾の種類は空対地による戦車攻撃用で、韓国烏山基地などに配備されているA10サンダーボルト攻撃機が使用する30ミリ機関砲弾。貯蔵量については「把握していないが、嘉手納弾薬庫にある580の倉庫のうち一カ所で貯蔵されているだけで、全体からみれば量は少ない」と説明している。

弾薬庫の劣化ウラン弾は誤射事件当時から貯蔵されており、移動計画の予定はなく、今後も貯蔵される見通し。スミス司令官は「劣化ウラン弾は核兵器ではない。皆さんが思っているほどの危険はなく、人体への悪影響はほとんどない」と安全性を強調した。

劣化ウラン弾の在日米軍基地内の貯蔵の有無について97年8月、外務省沖縄事務所の原島秀毅沖縄担当大使(当時)は「日本に置かれている海兵隊所有の劣化ウラン弾は撤去したということだが、それ以外の部分については事柄の性質上、どこにあるかということは公表できない」と明言を避けていた。
劣化ウラン弾誤射事件 米海兵隊岩国基地所属のAV8Bハリアー機が1995年12月と96年1月、米軍の鳥島射爆撃場への実弾射撃訓練で劣化ウラン弾1520発を誤って撃った事件。同島からは一部のウラン弾しか回収できていない。劣化ウランはウラン235の割合が天然ウランより低いウランの総称。劣化ウラン弾は砲弾の貫通能力が高い上、鋼板に衝突すると小破片が自然発火する。ごくわずかに核分裂物質を含むほか、重金属としての毒性も指摘されている。

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政府、核査察を放棄/沖縄返還交渉で条件のむ/米国の秘密電報で判明
1999年5月15日
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-94173-storytopic-86.html
1972年の沖縄復帰を前に、核抜き本土並み返還の証明を要求する野党対策として、日本政府が核兵器の撤去と非核三原則の尊重を保証する書簡を求めたのに対し、米側が沖縄米軍基地の核の確認や査察をしないという条件を提示、日本側がこれをのんでいたことが15日、米国メリーランド州の米国立公文書館に保管されていた一連の秘密電報で分かった。

秘密電報を発見したのは琉球大学の我部政明教授(国際関係論)。米国の保証書簡の存在は知られていたが、査察などの放棄が条件となっていた事実が明らかになったのは初めてという。我部教授は「当時の政府は国内向けの対策として米国の保証が欲しかっただけで、貧弱な交渉をしていた。交渉過程で査察の要求すらしておらず、その意思もまったくなかったことが浮き彫りになった」と話している。

秘密電報は復帰直前の71年11月から72年5月までの間、在日米国大使館が国務省にあて、当時の福田赳夫外相と外務省の吉野文六アメリカ局長がアーミン・マイヤー駐日大使と会談した内容の概要などを報告している。

当時、日本政府は核抜き本土並み復帰を主張する野党対策に追われており、米側に保証の書簡を要求。秘密電報は、71年11月19日の会談で、同大使が「沖縄返還時に保証の書簡を出す条件は、核の確認や沖縄の貯蔵施設への査察をしないこと」と強調した事実を示している。

理由として米側は(1)世界各国にある米軍施設への査察要求につながる恐れがある(2)潜在的敵国の支援にしかならない不幸な先例をつくる-などの点を挙げた。交渉を通じ福田外相らは、米側の条件を認めた結果として保証の書簡を得ることができたという。

交渉終了後の72年5月の電報の中には米国務省のウィリアム・ロジャーズ長官(当時)から福田外相にあてた問題の保証の書簡も含まれていたが、「日本政府の政策に反しない方法で沖縄の返還は実行された。沖縄の核兵器に関して米国政府が(日本政府に)した保証は完全に実行された」などと記載されていただけで、核兵器の撤去や非核三原則の尊重の明言はなかった。

交渉の裏側明らかに/米、核戦略の崩壊懸念/日本、国会乗り切りに苦心

琉球大学の我部政明教授が米国立公文書館から入手した一連の秘密電報は、沖縄返還前に行われた核兵器に関する日米交渉の舞台裏の一端を明らかにしている。

核抜き本土並みを保証する書簡を要求した日本側に対し、米側は「条件は核査察や確認をしないこと」と提示。電報によると、福田赳夫外相らはこれを「ベリーグッド」と認めた上で、返還の時点で沖縄に核兵器はなくなったと保証してほしいことも希望。「核兵器に関する米国のこれまでのあいまいな表現は日本国民に不審を抱かせており、国民は直接的な声明を求めている」と要請したとされる。

それに対し、マイヤー米駐日大使は、ロジャーズ米国務長官やパッカード副長官が米国の上院公聴会で(沖縄の核撤去について)証言した内容を国会で使うよう提案。電報は「福田外相らは『それは既に国会答弁で使ったが、野党側から、米国民向けで日本政府向けではないと反論された』として直接的な言及をするよう希望した」と打電している。

さらに、国会戦術として「福田外相は、書簡を衆院本会議の最終段階の極めて重要な瞬間に使う」ことも伝えている。

これらのやりとりについて、我部教授は「当時の冷戦の緊張下で、米国はどこに核があり、どこに核がないか知られたくなかった。実際にフィリピン政府からも『わが国の米軍基地に核兵器があるか』などと尋ねられており、日本の前例が他国へも広がり、核兵器に関する世界戦略が崩れてしまうことを懸念していたようだ」と分析している。

沖縄返還前の核兵器については、若泉敬元京都産業大教授(故人)が「1969年の日米共同声明の際、緊急有事のときは沖縄への核持ち込みなどを事実上認めた密約が存在する」と著書の中で証言、核の疑惑は消えていない。
(以上、共同)

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劣化ウラン弾撤去の反響 久米島
1997年8月15日
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-90882-storytopic-86.html
「県内からの撤去は結構だが、住民の健康問題にかかわる鳥島に打ち込まれた劣化ウラン弾の回収を実施してほしい」-。劣化ウラン弾が沖縄の米軍基地から韓国へ撤去されたことを米国防総省報道官が明らかにしたことに、鳥島射爆撃場に実射された地元久米島は、県内からの移送を歓迎する一方、誤射されたウラン弾の早急な回収をあらためて要望する。平和団体は「移送したという米国側の情報だけでは信用できない。基地内で県民に確認させるべきだ」と疑いの姿勢を崩さない。

鳥島爆射撃場に劣化ウラン弾を実射され健康への不安を訴える久米島の具志川、仲里両村は6月に那覇防衛施設局などに住民全員の健康診断を申し入れているが、めどがたっていない。

具志川村の内間清六村長は「本当に撤去されたかどうかは疑問が残る。住民の健康のためにも鳥島の残存分の早急な撤去をお願いしたい」と話した。仲里村の平良曽清村長は「沖縄からの撤去は結構なことだが、鳥島に残されている不発弾の撤去を早期に実施してほしい。住民にとって不安は残っており、住民検診の実施を実現してもらいたい」と語気を強めた。

沖縄平和運動センターの新垣善春議長は「撤去したということは、これまで沖縄の米軍基地内に核関連兵器があったことをあらためて裏付けたもので、核と県民が同居していたことに背筋が寒くなる思いだ。撤去されたことが本当なら、この目で確認をさせてほしい」と米側の撤去発言にさらに疑いの目を向ける。

放射線問題に詳しい琉球大の矢ヶ崎克馬教授(物理学)は「沖縄から出て行ったからいいというものではない。劣化ウラン弾は廃棄すべきだ。鳥島での実射について影響がないというのは極めて恣(し)意的な見方だ」と話した。

一方、嘉手納弾薬庫を抱える沖縄市の新川秀清市長は「劣化ウラン弾は持ち込みから撤去に至るまで、地元には一切知らされていない。貯蔵中に環境面への影響がなかったのか、国の責任で確認すべきだ。立ち入り調査も必要ではないか」と語った。

宮城篤実嘉手納町長は「危険が回避されたことは町や住民にとって喜ばしい」と劣化ウラン弾の嘉手納弾薬庫からの撤去に歓迎の意向を示す一方で「弾薬庫には何が貯蔵されているか検証できず、われわれは常に危険と隣り合わせの生活を余儀なくされている」と怒りの声を上げた。

2000年1月8日土曜日

【日米安保】 岸信介(「極東」の範囲)

  昭和35(1960)年6月23日、旧日米安保条約を改定した新条約。正式名称は「日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約」と言い、一般的には「新安保条約」・「改定安保条約」、あるいは単に「日米安保条約」等と呼ばれている。

昭和27(1952)年4月28日に発効した日米安保条約(旧安保条約)であったが、更に米ソ両国を機軸とする東西両陣営の対立(冷戦)は激化。加えて、先の「敗戦国」日本が経済的に復興、再び「大国化」する事から、日本が経済力に見合った国際的な政治発言力・軍事力を標榜し、且つ、米国の軍事的隷属下から離脱する事を恐れた米国が、「同盟国」日本を、永遠に「米国の属国」としての地位に固定する目的で、旧安保条約を改定したとする意見もある。

これに伴い米国は日本に対して、名目的には「同盟国軍」と言いながら、実質的には「占領軍」として日本に駐留する米軍の「後方支援」を要求。所謂「思いやり予算」の拠出や『周辺事態法』の整備を通して、日本の隷属強化を図ったとする過激な意見も聞かれた。


日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約

(Treaty of mutual cooperation and security between Japan and the United States of America)
1960(昭和35)年1月19日 ワシントンで署名
1960年6月19日 国会承認
1960年6月23日 批准書交換・効力発生
1960(昭和35)年6月23日 条約第6号

 日本国及びアメリカ合衆国は、両国の間に伝統的に存在する平和及び友好の関係を強化し、並びに民主主義の諸原則、個人の自由及び法の支配を擁護することを希望し、また、両国の間の一層緊密な経済的協力を促進し、並びにそれぞれの国における経済的な安定及び福祉の条件を助長することを希望し、国際連合憲章の目的及び原則に対する信念並びにすべての国民及びすべての政府とともに平和のうちに生きようとする願望を再確認し、両国が(注、1)国際連合憲章に定める個別的または集団的自衛の固有の権利を有しているを確認し、両国が極東における国際の平和及び安全の維持に共通の関心を有することを考慮し、相互協力及び安全保障条約を締結することを決意し、よって、次のとおり協定する。

     第一条(平和の維持のための努力)
締約国は、国際連合憲章に定めるところに従い、それぞれが関係することのある国際紛争を平和的手段によつて国際の平和及び安全並びに正義を危うくしないように解決し、並びにそれぞれの国際関係において、武力による威嚇又は武器の行使を、いかなる国の領土保全又は政治的独立に対するものも、また、国際連合の目的と両立しない他のいかなる方法によるものも慎むことを約束する。
締約国は、他の平和愛好国と共同して、国際の平和及び安全を維持する国際連合の任務が一層効果的に遂行されるように国際連合を強化することに努力する。

     第二条(経済的協力の促進)
締約国は、その自由な諸制度を強化することにより、これらの制度の基礎をなす原則の理解を促進することにより、並びに安定及び福祉の条件を助長することによつて、平和的かつ友好的な国際関係の一層の発展に貢献する。締約国は、その国際経済政策におけるくい違いを除くことに努め、また、両国の間の経済的協力を促進する。

     第三条(自衛力の維持発展)
締約国は、個別的に及び相互に協力して、持続的かつ効果的な自助及び相互援助により、武力攻撃に抵抗するそれぞれの能力を、憲法上の規定に従うことを条件として、維持し発展させる。

     第四条(臨時協議)
締約国は、この条約の実施に関して随時協議し、また、日本国の安全又は極東における国際の平和及び安全に対する脅威が生じたときはいつでも、いずれか一方の締約国の要請により協議する。

     第五条(共同防衛)
各締約国は、日本国の施政の下にある領域における、いずれか一方に対する武力攻撃が、自国の平和及び安全を危うくするものであることを認め、自国の憲法上の規定及び手続に従つて共通の危険に対処するように行動することを宣言する。

前記の武力攻撃及びその結果として執った全ての措置は、国際連合憲章第五十一条の規定に従つて直ちに国際連合安全保障理事会に報告しなければならない。その措置は、安全保障理事会が国際の平和及び安全を回復し維持するために必要な措置を執つたときは、終止しなければならない。
     第六条(基地の許与)

日本国の安全に寄与し、並びに極東における国際の平和及び安全の維持の寄与するため、アメリカ合州国は、その陸軍、空軍及び海軍が日本国において施設及び区域を使用することを許される。
前記の施設及び区域の使用並びに日本国における合州国軍隊の地位は、千九百五十二年二月二十八日に東京で署名された日本国とアメリカ合州国との間の安全保障条約第三条に基づく行政協定(改正を含む。)に代わる別個の協定及び合意される他の取極により規律される。

     第七条(国連憲章との関係)
この条約は、国際連合憲章に基づく締約国の権利及び義務又は国際の平和及び安全を維持する国際連合の責任に対しては、どのような影響を及ぼすものではなく、また、及ぼすものとして解釈してはならない。

     第八条(批准)
この条約は、日本国及びアメリカ合州国により各自の憲法上の手続に従つて批准されなければならない。この条約は、両国が東京で批准書を交換した日に効力を生ずる。

     第九条(旧条約の失効)
千九百五十一年九月八日にサン・フランシスコ市で署名された日本国とアメリカ合州国との間の安全保障条約は、この条約の効力発生のときに効力を失う。

     第十条(条約の終了)
この条約は、日本区域における国際の平和及び安全の維持のため十分な定めをする国際連合の措置が効力を生じたと日本国政府及びアメリカ合州国政府が認めるときまで効力を有する。
もつとも、この条約が十年間効力を存続した後は、いずれの締約国も、他方の締約国に対しこの条約を終了させる意志を通告することができ、その場合には、この条約は、そのような通告が行われた後一年で終了する。
以上の証拠として、下名の全権委員は、この条約に署名した。
千九百六十年一月十九日にワシントンで、ひとしく正文である日本語及び英語により本書二通を作成した。

(両国全権委員氏名省略)
千九百五十一年九月八日にサンフランシスコ市で、日本語及び英語により、本書二通を作成した。
日本国のために        

岸 信介 
藤山愛一郎
石井光次郎
足立 正 
朝海浩一郎

アメリカ合衆国のために    

クリスチャン.A.ハーター
ダグラス=マッカーサー2世
J.グレイアム=バーンズ

条約第6条の実施に関する交換公文

(岸・ハーター交換公文)
1960(昭和35)年1月19日 ワシントンで署名

   (日本側往簡)

 書簡をもつて啓上いたします。本大臣は、本日署名された日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約に言及し、次のことが同条約第六条の実施に関する日本国政府の了解であることを閣下に通報する光栄を有します。

 合衆国軍隊の日本国への配置における重要な変更、同軍隊の装備における重要な変更並びに日本国から行なわれる戦闘作戦行動(前記の条約第五条の規定に基づいて行なわれるものを除く。)のための基地としての日本国内の施設及び区域の使用は、日本国政府との事前の協議の主題とする。

 本大臣は、閣下が、前記のことがアメリカ合衆国政府の了解でもあることを貴国政府に代わつて確認されれば幸いであります。

 本大臣は、以上を申し進めるに際し、ここに重ねて閣下に向かつて敬意を表します。
    千九百六十年一月十九日にワシントンで
岸 信介

 アメリカ合衆国国務長官 クリスチャン.A.ハーター閣下


   (合衆国側返簡)
 書簡をもつて啓上いたします。本長官は、本日付けの閣下の次の書簡を受領したことを確認する光栄を有します。
   <日本側書簡省略>
 本長官は、前記のことがアメリカ合衆国政府の了解でもあることを本国政府に代わつて確認する光栄を有します。
 本長官は、以上を申し進めるに際し、ここに重ねて閣下に向かつて敬意を表します。
    千九百六十年一月十九日
アメリカ合衆国国務長官 クリスチャン.A.ハーター

 日本国総理大臣 岸信介閣下


「極東」の範囲

昭和35(1960)年2月26日 政府統一見解

 一般的な用語として使われる「極東」は、別に地理学上正確に固定されたものでは無い。しかし、日米両国が、条約に言う通り共通の関心を持っているのは、極東における国際の平和及び安全の維持と言う事である。この意味で実際問題として両国共通の関心の的となる極東の区域は、この条約に関する限り、在日米軍が日本の施設及び区域を使用して武力攻撃に対する防衛に寄与しうる区域である。かかる区域は、大体において、フィリピン以北並びに日本及びその周辺の地域であって、韓国及び中華民国の支配下にある地域もこれに含まれている。(「中華民国の支配下にある地域」は「台湾地域」と読み替えている。)

 新(安保)条約の基本的な考え方は、右の通りであるが、この区域に対して武力攻撃が行われ、あるいは、この区域の安全が周辺地域に起こった事情の為、脅威されるような場合、米国がこれに対処する為、執る事のある行動の範囲は、その攻撃又は脅威の性質如何にかかるのであって、必ずしも前記の区域に局限される訳では無い。
 しかしながら米国の行動には、基本的な制約がある。すなわち米国の行動は常に国際連合憲章の認める個別的又は集団的自衛権の行使として、侵略に抵抗する為にのみ執られる事になっているからである。


事前協議の主題

昭和43(1968)年4月25日 衆議院外務委員会提出の政府答弁

 日本政府は、以下の様な場合に日米安保条約上の事前協議が行われるものと了解している。
1、「配置における重要な変更」の場合

陸上部隊の場合は1個師団程度、空軍の場合はこれに相当するもの、海軍の場合は1機動部隊程度の配置
2、「装備における重要な変更」の場合
核弾頭及び中・長距離ミサイルの持込み並びにそれらの基地の建設
3、我が国から行われる戦闘作戦行動(条約第5条に基づいて行われるものを除く。)の為の基地としての日本国内の施設・区域の使用


===================================================

注、1

国際連合憲章

(和訳現代文)
1945年6月26日署名 
10月24日発効 
(日本は56年12月加盟)
 われら連合国の人民は、われらの一生のうちに二度まで言語に絶する悲哀を人類に与えた戦争の惨害から将来の世代を救い、基本的人権と人間の尊厳及び価値と男女及び大小各国の同権とに関する信念をあらためて確認し、正義と条約その他の国際法の源泉から生ずる義務の尊重とを維持することができる条件を確立し、一層大きな自由の中で社会的進歩と生活水準の向上とを促進すること、並びに、このために、寛容を実行し、且つ、善良な隣人として互に平和に生活し、国際の平和及び安全を維持するためにわれらの力を合わせ、共同の利益の場合を除く外は武力を用いないことを原則の受諾と方法の設定によつて確保し、すべての人民の経済的及び社会的発達を促進するために国際機構を用いること、を決意して、これらの目的を達成するために、われらの努力を結集することに決定した。

 よつて、われらの各自の政府は、サン・フランシスコ市に会合し、全権委任状を示してそれが良好妥当であると認められた代表者を通じて、この国際連合憲章に同意したので、ここに国際連合という国際機構を設ける。

     第一章 目的及び原則
   第一条
国際連合の目的は、次のとおりである。
国際の平和及び安全を維持すること。そのために、平和に対する脅威の防止及び除去と侵略行為その他の平和の破壊の鎮圧とのため有効な集団的措置をとること並びに平和を破壊するに至る虞のある国際的の紛争又は事態の調整又は解決を平和的手段によつて且つ正義及び国際法の原則に従つて実現すること。
人民の同権及び自決の原則の尊重に基礎をおく諸国間の友好関係を発展させること並びに世界平和を強化するために他の適当な措置をとること。
経済的、社会的、文化的又は人道的性質を有する国際問題を解決することについて、並びに人種、性、言語又は宗教による差別なくすべての者のために人権及び基本的自由を尊重するように助長奨励することについて、国際協力を達成すること。
これらの共通の目的の達成に当つて諸国の行動を調和するための中心となること。

   第二条
 この機構及びその加盟国は、第一条に掲げる目的を達成するに当つては、次の原則に従つて行動しなければならない。
この機構は、そのすべての加盟国の主権平等の原則に基礎をおいている。
すべての加盟国は、加盟国の地位から生ずる権利及び利益を加盟国のすべてに保障するために、この憲章に従つて負つている義務を誠実に履行しなければならない。
すべての加盟国は、その国際紛争を平和的手段によつて国際の平和及び安全並びに正義を危くしないように解決しなければならない。
すべての加盟国は、その国際関係において、武力による威嚇又は武力の行使を、いかなる国の領土保全又は政治的独立に対するものも、また、国際連合の目的と両立しない他のいかなる方法によるものも慎まなければならない。

2000年1月7日金曜日

【日米安保(旧)】 日米軍事同盟

  昭和27(1952)年4月28日に発効した日米間の軍事同盟を定義した条約。1960年(昭和35年)1月19日に、ワシントンD.C.で締結された。日米同盟の根幹となっている。

全権委員であった吉田茂総理大臣が単独で、日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約(旧安保条約)に署名した。この調印式には、他の全権委員は欠席しており、唯一同行した池田勇人蔵相に対しても「この条約はあまり評判がよくない。君の経歴に傷が付くといけないので、私だけが署名する。」と言って一人で署名したという。

この条約に基づき、占領軍のうちアメリカ軍部隊は在日米軍となり、他の連合国軍(主にイギリス軍)部隊が撤収した後も日本に留まった。

正式名称は「日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約」。太平洋戦争で互いに敵同士になった日米両国であったが、戦後、米ソ対立(冷戦)や中国・北朝鮮の共産化により、米国は地政学的に重要な位置にあった日本を「防共の砦(とりで)」・「米国の前線基地」と意義付け、GHQ=米国が起草し日本に(押し付けた)とされる。

憲法第9条「戦争放棄」条項に反して、日本を再武装(警察予備隊→保安隊→自衛隊)させた。しかし、日本の再武装は、あくまでも米国の国家安全保障・世界政策の一環として認められたもので、武装化によって日本が自主独自路線を歩む事を認めるものでは無かった。

そこで、米国は日本の再武装に際して、米国と軍事同盟を締結させる事によって、日本の軍事力の把握・管理と、自衛隊を実質的に米軍指揮下に組み込む為の方策として、日米安保条約を締結した。その後、昭和35(1960)年6月23日に、より踏み込んだ内容の改定条約(新安保条約)が発効、同条約第9条の規定に基づき、本条約は失効した。この昭和35年の改定条約と区別する為、一般的には、「旧安保条約」等と呼ばれる事が多い。




日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約

(旧 日米安保条約)
昭和26(1951)年9月8日 サン-フランシスコで署名
昭和27(1952)年4月28日 条約第4号

 日本国は、(注、1)本日連合国との平和条約に署名した。日本国は武装を解除されているので、平和条約の効力発生の時において固有の自衛権を行使する有効な手段をもたない。

 無責任な軍国主義がまだ世界から駆逐されていないので、前記の状態にある日本国には危険がある。よつて、日本国は、平和条約が日本国とアメリカ合衆国の間に効力を生ずるのと同時に効力を生ずべきアメリカ合衆国との安全保障条約を希望する。

 平和条約は、日本国が主権国として集団的安全保障取極を締結する権利を有することを承認し、さらに、(注、2)国際連合憲章は、すべての国が個別的及び集団的自衛の固有の権利を有することを承認している。

 これらの権利の行使として、日本国は、その防衛のための暫定措置として、日本国に対する武力攻撃を阻止するため日本国内及びその附近にアメリカ合衆国がその軍隊を維持することを希望する。

 アメリカ合衆国は、平和と安全のために、現在若干の自国軍隊を日本国内及びその附近に維持する意思がある。但し、アメリカ合衆国は、日本国が、攻撃的な脅威となり又は国際連合憲章の目的及び原則に従って平和と安全を増進すること以外に用いられうべき軍備をもつことを常に避けつつ、直接及び間接の侵略に対する自国の防衛のため漸増的に自ら責任を負うことを期待する。

 よって両国は次の通り協定した。

   第一条
平和条約及びこの条約の効力発生と同時に、アメリカ合衆国の陸軍、空軍及び海軍を日本国内及びその附近に配備する権利を、日本国は、許与し、アメリカ合衆国は、これを受諾する。この軍隊は、極東における国際の平和と安全の維持に寄与し、並びに、一又は二以上の外部の国による教唆又は干渉によつて引き起こされた日本国における大規模の内乱及び騒じょうを鎮圧するため日本国政府の明示の要請に応じて与えられる援助を含めて、外部からの武力攻撃に対する日本国の安全に寄与するために使用することができる。

   第二条
第一条に掲げる権利が行使される間は、アメリカ合衆国の事前の同意なくして、基地、基地における若しくは基地に関する権利、権力若しくは権能、駐兵若しくは演習の権利又は陸軍、空軍若しくは海軍の通過の権利を第三国に許与しない。

   第三条
アメリカ合衆国の軍隊の日本国内及びその附近における配備を規律する条件は、両政府間の行政協定で決定する。

   第四条
この条約は、国際連合又はその他による日本区域における国際の平和と安全の維持のため充分な定をする国際連合の措置又はこれに代る個別的若しくは集団的の安全保障措置が効力を生じたと日本国及びアメリカ合衆国の政府が認めた時はいつでも効力を失うものとする。

   第五条
この条約は、日本国及びアメリカ合衆国によつて批准されなければならない。この条約は、批准書が両国によつてワシントンで交換された時に効力を生ずる。
以上の証拠として、下名の全権委員は、この条約に署名した。
千九百五十一年九月八日にサンフランシスコ市で、日本語及び英語により、本書二通を作成した。

日本国のために              
吉田茂

アメリカ合衆国のために         
ディーン=アチソン
ジョーン=フォスター=ダレス
アレキサンダー=ワイリー
スタイルズ=ブリッジス


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注1
日本国との平和条約=サンフランシスコ条約

日本国との平和条約

昭和27(1952)年4月28日 条約5号
昭和26(1951)年9月8日 サンフランシスコで署名
11月18日 国会承認、同日内閣批准
11月19日批准書認証
11月28日批准書寄託
(外務省告示10)
昭和27(1952)年4月28日午後10時30分 発効
(内閣告示1)
目次
前文

第一章 平和(PEACE)

第二章 領域(TERRITORY)

第三章 安全(SECURITY)

第四章 政治及び経済条項(PORITICAL AND ECONOMIC CLAUSES)

第五章 請求権及び財産(CLAIMS AND PROPERTY)

第六章 紛争の解決(SETTLEMENT OF DISPUTES)

第七章 最終条項(FINAL CLAUSES)

議定書

批准国

 連合国及び日本国は、両者の関係が、今後、共通の福祉を増進し且つ国際の平和及び安全を維持するために主権を有する対等のものとして友好的な連携の下に協力する国家の間の関係でなければならないことを決意し、よつて、両者の間の戦争状態の存在の結果として今なお未決である問題を解決する平和条約を締結することを希望するので、日本国としては、国際連合への加盟を申請し且つあらゆる場合に国際連合憲章の原則を遵守し、世界人権宣言の目的を実現するために努力し、国際連合憲章第五十五条及び第五十六条に定められ且つ既に降伏後の日本国の法制によつて作られはじめた安定及び福祉の条件を日本国内に創造するために努力し、並びに公私の貿易及び通商において国際的に承認された公正な慣行に従う意思を宣言するので、連合国は、前項に掲げた日本国の意思を歓迎するので、よつて、連合国及び日本国は、この平和条約を締結することに決定し、これに応じて下名の全権委員を任命した。これらの全権委員は、その全権委任状を示し、それが良好妥当であると認められた後、次の規定を協定した。


第一章 平和

第一条【戦争状態の終了、日本国の主権承認】
(a)
 日本国と各連合国間との戦争状態は、第二十三条の定めるところによりこの条約が日本国と当該連合国との間に効力を生ずる日に終了する。
(b)
 連合国は、日本国及びその領水に対する日本国民の完全な主権を承認する。

第二章 領域

第二条【領土権の放棄】
(a)
 日本国は、朝鮮の独立を承認して、斉州島、巨文島及び欝陵島を含む朝鮮に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する。
(b)
 日本国は、台湾及び澎湖諸島に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する。
(c)
 日本国は、千島列島並びに日本国が千九百五年九月五日のポーツマス条約の結果として主権を獲得した樺太の一部及びこれに近接する諸島に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する。
(d)
 日本国は、国際連盟の委任統治制度に関連するすべての権利、権原及び請求権を放棄し、且つ、以前に日本国の委任統治の下に あつた太平洋の諸島に信託統治制度を及ぼす千九百四十七年四月二日の国際連合安全保障理事会の行動を受諾する。
(e)
 日本国は、日本国民の活動に由来するか又は他に由来するかを問わず、南極地域のいずれの部分に対する権利若しくは権原又はいずれの部分に関する利益についても、すべての請求権を放棄する。
(f)
 日本国は、新南諸島及び西沙諸島に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する。

第三条【信託統治】
 日本国は、北緯二十九度以南の南西諸島(琉球諸島及び大東諸島を含む。)、孀婦(そふ)岩の南の南方諸島(小笠原群島、西ノ島及び火山列島を含む。)並びに沖の鳥島及び南鳥島を合衆国を唯一の施政権者とする信託統治制度の下におくこととする国際連合に対する合衆国のいかなる提案にも同意する。このような提案が行われ且つ可決されるまで、合衆国は、領水を含むこれらの諸島の領域及び住民に対して、行政、立法及び司法上の権力の全部及び一部を行使する権利を有するものとする。

第四条【財産】
(a)
 この条の(b)の規定を留保して、日本国及びその国民の財産で第二条に掲げる地域にあるもの並びに日本国及びその国民の請求権(債権を含む。)で現にこれらの地域の施政を行つている当局及びそこの住民(法人を含む。)に対するものの処理並びに日本国におけるこれらの当局及び住民の財産日本国及びその国民に対するこれらの当局及び住民の請求権(債権を含む。)の処理は、日本国とこれらの当局との間の特別取極の主題とする。第二条に掲げる地域にある連合国又はその国民の財産は、まだ返還されていない限り、施政を行つている当局が現状で返還しなければならない。(国民という語は、この条約で用いるときはいつでも、法人を含む。)
(b)
 日本国は、第二条及び第三条に掲げる地域のいずれかにある合衆国軍政府により、又はその司令に従つて行われた日本国及びその国民の財産の処理の効力を承認する。
(c)
 日本国とこの条約に従つて日本国の支配から除かれる領域とを結ぶ日本所有の海底電線は、二等分され、日本国は、日本の終点施設及びこれに連なる電線の半分を保有し、分離される領域は、残りの電線及びその終点施設を保有する。

第三章 安全

第五条【国連の集団保障、自衛権】
(a)
 日本国は、国際連合憲章第二条に掲げる義務、特に次の義務を受諾する。
(i)
 その国際紛争を、平和的手段によつて国際の平和及び安全並びに正義を危うくしないように解決すること。
(ii)
 その国際関係において、武力による威嚇又は武力の行使は、いかなる国の領土保全又は政治的独立に対するものも、また、国政連合の目的と両立しない他のいかなる方法によるものも慎むこと。
(iii)
 国際連合が憲章に従つてとるいかなる行動についても国際連合にあらゆる援助を与え、且つ、国際連合が防止行動または強制行動をとるいかなる国に対しても援助の供与を慎むこと。
(b)
 連合国は、日本国との関係において国際連合憲章第二条の原則を指針とすべきことを確認する。
(c)
 連合国としては、日本国が主権国として国際連合憲章第五十一条に掲げる個別的又は集団的自衛の固有の権利を有すること及び日本国が集団的安全保障取極を自発的に締結することができることを承認する。

第六条【占領終了】
(a)
 連合国のすべての占領軍は、この条約の効力発生の後なるべくすみやかに、且つ、いかなる場合にもその後九十日以内に、日本国から撤退しなければならない。但し、この規定は、一または二以上の連合国を一方とし、日本国を他方として双方の間に締結された若しくは締結される二国間若しくは多数国間の協定に基づく、又はその結果としての外国軍隊の日本国の領域における駐とん(「とん」には傍点)または駐留を妨げるものではない。
(b)
 日本国軍隊の各自の家庭への復帰に関する一九四五年七月二十六日のポツダム宣言の第九項の規定は、まだその実施が完了されていない限り、実行されるものとする。
(c)
 まだ対価が支払われていないすべての日本財産で、占領軍の使用に供され、且つ、この条約の効力発生のときに占領軍が占有しているものは、相互の合意によつて別段の取極が行われない限り、前記の九十日以内に日本国政府に返還しなければならない。

第四章 政治及び経済条項

第七条【二国間条約の効力】
(a)
 各連合国は、自国と日本国との間にこの条約が効力を生じた後一年以内に、日本国と戦前のいずれかの二国間の条約又は協約を引き続いて有効とし又は復活させることを希望するかを日本国に通告するものとする。こうして通告された条約又は協約は、この条約に適合することを確保するための必要な修正を受けるだけで、引き続いて有効とされ、又は復活される。こうして通告された条約又は協約は、通告の日の後三箇月で引き続いて有効なものとみなされ、又は復活され、且つ、国際連合事務局に登録されなければならない。日本国にこうして通告されないすべての条約又は協約は、廃棄されたものとみなす。
(b)
 この条の(a)に基いて行う通告においては、条約又は協約の実施又は復活に関し、国際関係について通告国が責任をもつ地域を除外することができる。この除外は、除外の適用を禁止することが日本国に通告される日の三箇月後まで行われるものとする。
第八条【終戦関係条約の承認、特定条約上の権益の放棄】
(a)
 日本国は、連合国が千九百三十九年九月一日に開始された戦争状態を終了するために現に締結し又は今後締結するすべての条約及び連合国が平和の回復のため又はこれに関連して行う他の取極の完全な効力を承認する。日本国は、また、従前の国際連盟及び常設国際司法裁判所を終止するために行われた取極を受諾する。
(b)
 日本国は、千九百十九年九月十日のサン・ジェルマン=アン=レイ(St.Germain-en-Laye)の諸条約及び千九百三十六年七月二十日のモントルー(Montreux)の海峡条約(昭和12年条約第1号)の署名国であることに由来し、並びに千九百二十三年七月二十四日にローザンヌ(Lausanne)で署名されたトルコとの平和条約の第十六条に由来するすべての権利及び利益を放棄する。
(c)
 日本国は、千九百三十年一月二十日のドイツと債権国との間の協定及び千九百三十年五月十七日の信託協定を含むその議定書並びに千九百三十年一月二十日の国際決済銀行に関する条約及び国際決済銀行の定款に基いて得たすべての権利、権原及び利益の放棄をパリの外務省に通告するものとする。

第九条【漁業協定】
 日本国は、公海における漁猟の規制又は制限並びに漁業の保存及び発展を規定する二国間及び多数国間の協定を締結するために、希望する連合国とすみやかに交渉を開始するものとする。

第十条【中国における権益】
 日本国は、千九百一年九月七日に北京で署名された最終議定書並びにこれを補足するすべての議定書、書簡及び文書の規定から生ずるすべての利益及び特権を含む中国におけるすべての特殊の権利及び利益を放棄し、且つ、前記の議定書、附属書、書簡及び文書を日本国に関して廃棄することに同意する。

第十一条【戦争犯罪】
 日本国は、極東国際軍事裁判所並びに日本国内及び国外の他の連合国戦争犯罪法廷の裁判を受諾し、且つ、日本国で拘禁されている日本国民にこれらの法廷が課した刑を執行するものとする。これらの拘禁されている者を赦免し、減刑し、及び仮出獄させる権限は、各事件について刑を課した一又は二以上の政府の決定及び日本国の勧告に基くの外、行使することができない。極東国際軍事裁判所が刑を宣告した者については、この権限は、裁判所に代表者を出した政府の過半数の決定及び日本国の勧告に基くの外、行使することができない。

第十二条【通商航海条約】
(a)
 日本国は、各連合国と、貿易、海運その他の通商の関係を安定した且つ友好的な基礎の上におくために、条約又は協定を締結するための交渉をすみやかに開始する用意があることを宣言する。
(b)
 該当する条約又は協定が締結されるまで、日本国は、この条約の最初の効力発生の後四年間、
(1)
 各連合国並びにその国民、産品及び船舶に次の待遇を与える。
(i)
 貨物の輸出入に対する、又はこれに関連する関税、課金、制限その他の規制に関する最恵国待遇
(ii)
 海運、航海及び輸入貨物に関する内国民待遇並びに自然人、法人及びその利益に関する内国民待遇。この待遇は、税金の賦課及び徴収、裁判を受けること、契約の締結及び履行、財産権(有体財産及び無体財産に関するもの)、日本国の法律に基いて組織された法人への参加並びに一般にあらゆる種類の事業活動及び職業活動の遂行に関するすべての事項を含むものとする。
(2)
 日本国の国営商企業の国外における売買が商業的考慮にのみ基くことを確保する。
(c)
 もつとも、いずれの事項に関しても、日本国は、連合国が当該事項についてそれぞれ内国民待遇又は最恵国待遇を日本に与える限度においてのみ、当該連合国に内国民待遇又は最恵国待遇を与える義務を負うものとする。前段に定める相互主義は、連合国の非本土地域の産品、船舶、法人及びそこに住所を有する人の場合並びに連邦政府をもつ連合国の邦又は州の法人及びそこに住所を有する人の場合には、その地域、邦又は州において日本国に与えられる待遇に照らして決定される。
(d)
 この条の適用上、差別的措置であつて、それを適用する当事国の通商条約に通常規定されている例外に基くもの、その当事国の対外的財政状態若しくは国際収支を保護する必要に基くもの(海運及び航海に関するものを除く。)又は重大な安全上の利益を維持する必要に基くものは、事態に相応しており、且つ、ほしいままな又は不合理な方法で適用されない限り、それぞれ内国民待遇又は最恵国待遇の許与を害するものと認めてはならない。
(e)
 この条に基く日本国の義務は、この条約の第十四条に基く連合国の権利の行使によつて影響されるものではない。また、この条の規定は、この条約の第十五条によつて日本国が引き受ける約束を制限するものと了解してはならない。

第十三条【国際民間航空】
(a)
 日本国は、国際民間航空運送に関する二国間または多数国間の協定を締結するため、一又は二以上の連合国の要請があつたときはすみやかに、当該連合国と交渉を開始するものとする。
(b)
 一又は二以上の前記の協定が締結されるまで、日本国は、この条約の最初の効力発生のときから四年間、この効力発生の日にいずれかの連合国が行使しているところよりも不利でない航空交通の権利及び特権に関する待遇を当該連合国に与え、且つ、航空業務の運営及び発達に関する完全な機会均等を与えるものとする。
(c)
 日本国は、国際民間航空条約第九十三条に従つて同条約の当事国となるまで、航空機の国際航空に適用すべきこの条約の規定を実施し、且つ、同条約の条項に従つて同条約の附属書として採択された標準、方式及び手続を実施するものとする。

第五章 請求権及び財産

第十四条【賠償、在外財産】
(a)
 日本国は、戦争中に生じさせた損害及び苦痛に対して、連合国に賠償を支払うべきことが承認される。しかし、また、存立可能な経済を維持すべきものとすれば、日本国の資源は、日本国がすべての前記の損害及び苦痛に対して完全な賠償を行い且つ同時に他の債務を履行するためには現在充分でないことが承認される。
 よって、
日本国は、現在の領域が日本国軍隊によつて占領され、且つ、日本国によつて損害を与えられた連合国が希望するときは、生産、沈船引揚げその他の作業における日本人の役務を当該連合国の利用に供することによつて、与えた損害を修復する費用をこれらの国に補償することに資するために、当該連合国とすみやかに交渉を開始するものとする。その取極は、他の連合国に追加負担を課することを避けなければならない。また、原材料からの製造が必要とされる場合には、外国為替上の負担を日本国に課さないために、原材料は、当該連合国が供給しなければならない。
(I)
 次の(II)の規定を保留して、各連合国は、次に掲げるもののすべての財産、権利及び利益でこの条約の最初の効力発生のときにその管轄の下にあるものを差し押さえ、留置し、清算し、その他何らかの方法で処分する権利を有する。
(a)
 日本国及び日本国民
(b)
 日本国又は日本国民の代理者又は代行者
並びに
(c)
 日本国又は日本国民が所有し、又は支配した団体
 この(I)に明記する財産、権利及び利益は、現に封鎖され、若しくは所属を変じており、又は連合国の敵産管理当局の占有若しくは管理に係るもので、これらの資産が当該当局の官吏の下におかれた時に前記の(a)、(b)又は(c)に掲げるいずれかの人又は団体に属し、又はこれらのために保有され、若しくは管理されていたものを含む。
(II)
 次のものは、前記の(I)に明記する権利から除く。
(i)
 日本国が占領した領域以外の連合国の一国の領域に当該政府の許可を得て戦争中に居住した日本の自然人の財産。但し、戦争中に制限を課され、且つ、この条約の最初の効力発生の日にこの制限を解除されない財産を除く。
(ii)
 日本国政府が所有し、且つ、外交目的又は領事目的に使用されたすべての不動産、家具及び備品並びに日本国の外交職員又は領事職員が所有したすべての個人の家具及び用具類その他の投資的性質をもたない私有財産で外交機能又は領事機能の遂行に通常必要であったもの
(iii)
 宗教団体又は私的慈善団体に属し、且つ、もつぱら宗教又は慈善の目的に使用した財産
(iv)
 関係国と日本国との間における千九百四十五年九月二日後の貿易及び金融の関係の再開の結果として日本国の管轄内にはいつた財産、権利及び権益。但し、当該連合国の法律に反する取引から生じたものを除く。
(v)
 日本国若しくは日本国民の債務、日本国に所在する有体財産に関する権利、日本国の法律に基いて組織された企業に関する利益又はこれらについての証書。但し、この例外は、日本国の通貨で表示された日本国及びその国民の債務についてのみ適用する。
(III)
 前記の例外(i)から(v)までに掲げる財産は、その保存及び管理のために要した合理的な費用が支払われることを条件として、返還しなければならない。これらの財産が清算されているときは、代わりに売得金を返還しなければならない。
(IV)
前記の(I)に規定する日本財産を差し押さえ、留置し、清算し、その他何らかの方法で処分する権利は、当該連合国の法律に従つて行使され、所有者は、これらの法律によつて与えられる権利のみを有する。
(V)
 連合国は、日本の商標並びに文学的及び美術的著作権を各国の一般的事情が許す限り日本国に有利に取り扱うことに同意する。
(b)
 この条約に別段の定がある場合を除き、連合国は、連合国のすべての賠償請求権、戦争の遂行中に日本国及びその国民がとつた行動から生じた連合国及びその国民の他の請求権並びに占領の直接軍事費に関する連合国の請求権を放棄する。

第十五条【連合国財産の返還】
(a)
 この条約が日本国と当該連合国との間に効力を生じた後九箇月以内に申請があつたときは、日本国は、申請の日から六箇月以内に、日本国にある各連合国及びその国民の有体財産及び無体財産並びに種類のいかんを問わずすべての権利又は利益で、千九百四十一年十二月七日から千九百四十五年九月二日までの間のいずれかのときに日本国内にあつたものを返還する。但し、所有者が強迫又は詐欺によることなく自由にこれらを処分した場合は、この限りでない。この財産は、戦争があつたために課せられたすべての負担及び課金を免除して、その返還のための課金を課さずに返還しなければならない。所有者により若しくは所有者のために又は所有者の政府により所定の期間内に返還が申請されない財産は、日本国政府がその定めるところに従つて処分することができる。この財産が千九百四十一年十二月七日に日本国に所在し、且つ、返還することができず、又は戦争の結果として損傷若しくは損害を受けている場合には、日本国内閣が千九百五十一年七月十三日に決定した連合国財産補償法案の定める条件よりも不利でない条件で補償される。
(b)
 戦争中に侵害された工業所有権については、日本国は、千九百四十九年九月一日施行の政令第三百九号、千九百五十年一月二十八日施行の政令第十二号及び千九百五十年二月一日施行の政令第九号(いずれも改正された現行のものとする。)によりこれまで与えられたところよりも不利でない利益を引き続いて連合国及びその国民に与えるものとする。但し、前記の国民がこれらの政令に定められた期限までにこの利益を許与を申請した場合に限る。
(c)
(i)
 日本国は、公にされ及び公にされなかつた連合国及びその国民の著作物に関して千九百四十一年十二月六日に日本国に存在した文学的及び美術的著作権がその日以後引き続いて効力を有することを認め、且つ、その日に日本国が当事国であつた条約又は協定が戦争の発生の時又はその時以後日本国又は当該連合国の国内法によつて廃棄され又は停止されたかどうかを問わず、これらの条約及び協定の実施によりその日以後日本国において生じ、又は戦争がなかつたならば生ずるはずであつた権利を承認する。
(ii)
 権利者による申請を必要とすることなく、且つ、いかなる手数料の支払又は他のいかなる手続もすることなく、千九百四十一年十二月七日から日本国と当該連合国との間にこの条約が効力を生ずるまでの期間は、これらの権利の通常期間から除算し、また、日本国において翻訳権を取得するために文学的著作物が日本語に翻訳されるべき期間からは、六箇月の期間を追加して除算しなければならない。

第十六条【非連合国にある日本資産】
 日本国の捕虜であつた間に不当な苦難を被つた連合国軍隊の構成員に償いをする願望の表現として、日本国は、戦争中中立であつた国にある又は連合国のいずれかと戦争していた国にある日本国及びその国民の資産又は、日本国が選択するときは、これらの資産と等価のものを赤十字国際委員会に引き渡すものとし、同委員会が衡平であると決定する基礎において、捕虜であつた者及びその家族のために、適当な国内期間に対して分配しなければならない。この条約の第十四条(a)2(II)の(ii)から(v)までに掲げる種類の資産は、条約の最初の効力発生の時に日本国に居住しない日本の自然人の資産とともに、引渡しから除外する。またこの条の引渡規定は、日本国の金融機関が現に所有する一万九千七百七十株の国際決済銀行の株式には適用がないものと了解する。

第十七条【裁判の再審査】
(a)
 いずれかの連合国の要請があつたときは、日本国政府は、当該連合国の国民の所有権に関係のある事件に関する日本国の捕獲審検所の決定又は命令を国際法に従い再検査して修正し、且つ、行われた決定及び発せられた命令を含めて、これらの事件の記録を構成するすべての文書の写を提供しなければならない。この再審査又は修正の結果、返還すべきことが明らかになつた場合には、第十五条の規定を当該財産に適用する。
(b)
 日本国政府は、いずれかの連合国の国民が原告又は被告として事件について充分な陳述ができなかつた訴訟手続において、千九百四十一年十二月七日から日本国と当該連合国との間にこの条約が効力を生ずるまでの期間に日本国の裁判所が行つた裁判を、当該国民が前記の効力発生の後一年以内にいつでも適当な日本の期間に再提出のため提出することができるようにするために、必要な措置をとらなければならない。日本国政府は、当該国民が前記の裁判の結果損害を受けた場合には、その者をその裁判が行われる前の地位に回復するようにし、又はその者にそれぞれの事情の下において公正かつ衡平な救済が与えられるようにしなければならない。

第十八条【戦前からの債務】
(a)
 戦争状態の介在は、戦争状態の存在前に存在した債務及び契約(債権に関するものを含む。)並びに戦争状態の存在前に取得された権利から生ずる金銭債務で、日本国の政府若しくは国民が連合国の一国若しくは国民に対して、又は連合国の一国若しくは国民が日本国の政府若しくは国民に対して負つているものを支払う義務に影響を及ぼさなかつたものと認める。戦争状態の介在は、また、戦争状態の存在前に財産の減失若しくは損害又は身体障害若しくは死亡に関して生じた請求権で、連合国の一国の政府が日本国の政府に対して、又は日本国政府が連合国政府のいずれかに対して提起し又は再提起するものの当否を審議する義務に影響を及ぼすものとみなしてはならない。この項の規定は、第十四条によつて与えられる権利を害するものではない。
(b)
 日本国は、日本国の戦前の対外債務に関する責任と日本国が責任を負うと後に宣言された団体の債務に関する責任とを確認する。また、日本国は、これらの債務の支払再開に関して債権者とすみやかに交渉を開始し、他の戦前の請求権及び債務に関する交渉を促進し、且つ、これに応じて金額の支払を容易にする意図を表明する。

第十九条【戦争請求権の放棄】
(a)
 日本国は、戦争から生じ、または戦争状態が存在したためにとられた行動から生じた連合国及びその国民に対する日本国及びその国民のすべての請求権を放棄し、且つ、この条約の条約の効力発生の前に日本国領域におけるいずれかの連合国の軍隊又は当局の存在、職務遂行又は行動から生じたすべての請求権を放棄する。
(b)
 前記の放棄には、千九百三十九年九月一日からこの条約の効力発生までの間に日本国の船舶に関していずれかの連合国がとつた行動から生じた請求権並びに連合国の手中にある日本人捕虜及び被抑留者に対して生じた請求権及び債権が含まれる。但し、千九百四十五年九月二日以後いずれかの連合国が制定した法律で特に認められた日本人の請求権を含まない。
(c)
 相互放棄を条件として、日本国政府は、また、政府間の請求権及び戦争中に受けた減失又は損害に関する請求権を含むドイツ及びドイツ国民に対するすべての請求権(債権を含む。)を日本国政府及び日本国民のために放棄する。但し、(a)千九百三十九年九月一日前に締結された契約及び取得された権利並びに(b)千九百四十五年九月二日後に日本国とドイツの間の貿易及び金融の関係から生じた請求権を除く。この放棄は、この条約の第十六条及び第二十条に従つてとられる行動を害するものではない。
(d)
 日本国は、占領期間中に占領当局の司令に基いて若しくはその結果として行われ、又は当時の日本国の政府によつて許可されたすべての作為又は不作為の効力を承認し、連合国民をこの作為又は不作為から生ずる民事又は刑事の責任に問ういかなる行動もとらないものとする。

第二十条【ドイツ財産】
 日本国は、千九百四十五年のベルリン会議の議事の議定書に基いてドイツ財産を処分する権利を有する諸国が決定した又は決定する日本国にあるドイツ財産の処分を確実にするために、すべての必要な措置をとり、これらの財産の最終的処分が行われるまで、その保存及び管理について責任を負うものとする。

第二十一条【中国と朝鮮の受益権】
 この条約の第二十五条の規定にかかわらず、中国は、第十条及び第十四条(a)2の利益を受ける権利を有し、朝鮮は、この条約の第二条、第四条、第九条及び第十二条の利益を受ける権利を有する。
第六章 紛争の解決

第二十二条【条約の解釈】
 この条約のいずれかの当事国が特別請求権裁判所への付託又は他の合意された方法で解決されない条約の解釈又は実施に関する紛争が生じたと認めるときは、紛争は、いずれかの紛争当事国の要請により、国際司法裁判所に決定のため付託しなければならない。日本国及びまだ国際司法裁判所規定の当事国でない連合国は、それぞれがこの条約を批准する時に、且つ、千九百四十六年十月十五日の国際連合安全保障理事会の決議に従つて、この条に掲げた性質をもつすべての紛争に関して一般的に同裁判所の管轄権を特別の合意なしに受諾する一般的宣言書を同裁判所書記に寄託するものとする。

第七章 最終条項

第二十三条【批准、効力発生】
(a)
 この条約は、日本国を含めて、これに署名する国によつて批准されなければならない。この条約は、批准書が日本国により、且つ、主たる占領国としてのアメリカ合衆国を含めて、次の諸国、すなわちオーストラリア、カナダ、セイロン、フランス、インドネシア、オランダ、ニュー・ジーランド、パキスタン、フィリピン、グレート・ブリテン及び北部アイルランド連合王国及びアメリカ合衆国の過半数により寄託された時に、その時に批准しているすべての国に関して効力を有する。この条約は、その後これを批准する各国に関しては、その批准書の寄託の日に効力を生ずる。
(b)
 この条約が日本国の批准書の寄託の日の後九箇月以内に効力を生じなかつたときは、これを批准した国は、日本国の批准書の寄託の日の後三年以内に日本国政府及びアメリカ合衆国政府にその旨を通告して、自国と日本国との間にこの条約の効力を生じさせることができる。

第二十四条【批准書の寄託】
 すべての批准書は、アメリカ合衆国政府に寄託しなければならない。同政府は、この寄託、第二十三条(a)に基くこの条約の効力発生の日及びこの条約の第二十三条(b)に基いて行われる通告をすべての署名国に通告する。

第二十五条【連合国の定義】
 この条約の適用上、連合国とは、日本国と戦争していた国又は以前に第二十三条に列記する国の領域の一部をなしていたものをいう。但し、各場合に当該国がこの条約に署名し且つこれを批准したことを条件とする。第二十一条の規定を留保して、この条約は、ここに定義された連合国の一国でないいずれの国に対しても、いかなる権利、権原又は利益も、この条約のいかなる規定によつても前記のとおり定義された連合国の一国でない国のために減損され、又は害されるものとみなしてはならない。

第二十六条【二国間の平和条約】
 日本国は、一九四二年一月一日の連合国宣言に署名し若しくは加入しており且つ日本国に対して戦争状態にある国又は以前に第二十三条に列記する国の領域の一部をなしていた国で、この条約の署名国でないものと、この条約に定めるところと同一の又は実質的に同一の条件で二国間の平和条約を締結する用意を有すべきものとする。但し、この日本国の義務は、この条約の効力発生の後三年で満了する。日本国が、いずれかの国との間で、この条約で定めるところよりも大きな利益をその国に与える平和処理又は戦争請求権処理を行ったときは、これと同一の利益は、この条約の当事国にも及ぼされなければならない。

第二十七条【条約文の保管】
 この条約は、アメリカ合衆国政府の記録に寄託する。同政府は、その認証謄本を各署名国に交付する。
 以上の証拠として、下名の全権委員は、この条約に署名した。
 千九百五十一年九月八日にサン・フランシスコ市で、ひとしく正文である英語、フランス語及びスペイン語により、並びに日本語により作成した。
(全権委員署名 省略)

議定書

 下名は、このために正当に権限を与えられて、日本国との平和が回復したときに契約、時効期間及び流通証券の問題並びに保健契約の問題を律するために、次の規定を協定した。
(以下略)

本条約の批准国は、現在次の46国である。(アルファベット順)

アルゼンティン(ARGENTINE)
オーストラリア(AUSTRALIA)
ベルギー(BELGIUM)
ボリヴィア(BOLIVIA)
ブラジル(BRAZIL)
カンボディア(CAMBODIA)
カナダ(CANADA)
チリ(CHILE)
コスタ・リカ(COSTA RICA)
キューバ(CUBA)
ドミニカ共和国(DOMINICAN REPBLIC)
エクアドル(ECUADOR)
エジプト(EGYPY)
エル・サルヴァドル(EL SALVADOR)
エティオピア(ETHIOPIA)
フランス(FRANCE)
ギリシャ(GREECE)
グァテマラ(GUATEMALA)
ハイティ(HAITI)
ホンデュラス(HONDURAS)
イラン(IRAN)
イラク(IRAQ)
ラオス(LAOS)
レバノン(LEBANON)
リベリア(LIBERIA)
メキシコ(MEXICO)
オランダ(NETHERLANDS)
ニュー・ジーランド(NEW ZEALAND)
ニカラグァ(NICARAGUA)
ノールウェー(NORWAY)
パキスタン(PAKISTAN)
パナマ(PANAMA)
パラグァイ(PARAGUAY)
ペルー(PERU)
フィリピン(PHILIPPINES)
サウディ・アラビア(SAUDI ARABIA)
南アフリカ連邦(SOUTH AFRICA)
スリ・ランカ(SRI LANKA)
シリア(SYRIAN ARAB)
トルコ(TURKEY)
グレート・ブリテン及び北部アイルランド連合王国(UNITED KINGDOM)
アメリカ合衆国(UNITED STATES OF AMERICA)
ウルグァイ(URUGUAY)
ヴェネズエラ(VENEZUELA)
ヴィエトナム(VIET NAM)
日本国(JAPAN)
附属及び関係法令

平和条約の実施に伴う民事判決の再審査等に関する法律
昭和27年4月28日 法律104
昭和27年4月28日 施行
平和条約の実施に伴う刑事判決の再審査等に関する法律
昭和27年4月28日 法律105
昭和27年4月28日 施行
平和条約の実施に伴う刑事判決の再審査の手続に関する規則
昭和27年4月28日 最高裁規則2
昭和27年4月28日 施行
日本国との平和条約の効力発生に伴う国家公務員等の懲戒免除に関する政令
昭和27年4月28日 政令130
昭和27年4月28日 施行
日本国との平和条約の効力発生に伴う予算執行職員等の弁償責任の減免に関する政令
昭和27年4月28日 政令131
昭和27年4月28日 施行
日本国との平和条約の効力発生及び日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約第三条に基く行政協定の実施に伴い国家公務員法等の一部を改正する等の法律
昭和27年6月10日 法律147
昭和27年6月10日 施行
昭和27年4月28日 適用
連合国及び連合国国民の著作権の特例に関する法律
昭和27年8月8日 法律302
昭和27年8月8日 施行
昭和27年4月28日 適用
日本国との平和条約第十五条(a)に基いて生ずる紛争の解決に関する協定
昭和27年10月8日 条約16
各国別発効
日本国との平和条約第七条の規定により各国との間の条約及び交換公文等が引き続き有効となる件
昭和27年12月11日 外務省・郵政省告示6 その他
各国との間の戦前の条約が破棄されたものとみなされることが確定した件
昭和28年8月4日 外務省告示67 その他
日本国における英連邦戦死者墓地に関する協定
昭和31年6月22日 条約14
昭和31年6月22日 発効
日本国と中華民国との間の平和条約
昭和27年8月5日 条約10
昭和27年8月5日 発効
日本国とインドとの間の平和条約
昭和27年8月26日 条約12
昭和27年8月27日 発効
日本国とビルマ連邦との間の平和条約
昭和30年4月16日 条約3
昭和30年4月16日 発効
日本国とインドネシア共和国との間の平和条約
昭和33年4月15日 条約3
昭和33年4月15日 発効
日本国と中華人民共和国との間の平和友好条約
昭和53年10月23日 条約19
昭和53年10月23日 発効
日本国とソヴィエト社会主義人民共和国との間の共同宣言
昭和31年12月12日 条約20
昭和31年12月12日 発効
日本国とチェッコスロヴァキア共和国との間の国交回復に関する議定書
昭和32年5月8日 条約4
昭和32年5月8日 発効
日本国とポーランド人民共和国との間の国交回復に関する協定
昭和32年5月18日 条約5
昭和32年5月18日 発効
日本国とビルマ連邦との間の賠償及び国際協力に関する協定
昭和30年4月16日 条約4
昭和30年4月16日 発効
日本国とフィリピン共和国との間の沈没船引揚に関する中間賠償協定
昭和28年10月29日 条約30
昭和28年10月29日 発効
日本国とフィリピン共和国との間の賠償協定
昭和31年7月23日 条約16
昭和31年7月23日 発効
日本国とインドネシア共和国との間の賠償協定
昭和33年4月15日 条約4
昭和33年4月15日 発効
日本国とヴィエトナム共和国との間の賠償協定
昭和35年1月12日 条約1
昭和35年1月12日 発効
日本国と大韓民国との間の基本関係に関する条約
昭和40年12月18日 条約25
昭和40年12月18日 発効
財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する日本国と大韓民国との間の協定
昭和40年12月18日 条約27
昭和40年12月18日 発効
日本国とシンガポール共和国との間の千九百六十七年九月二十一日の協定
昭和43年5月7日 条約2
昭和43年5月7日 発効
日本国とマレイシアとの間の千九百六十七年九月二十一日の協定
昭和43年5月7日 条約2
昭和43年5月7日 発効
特別円問題の解決に関する日本国とタイとの間の協定
昭和30年8月5日 条約9
昭和30年8月5日 発効
奄美諸島に関する日本国とアメリカ合衆国との間の協定
昭和28年12月25日 条約33
昭和28年12月25日 発効
南方諸島及びその他の諸島に関する日本国とアメリカ合衆国との間の協定
昭和43年6月12日 条約8
昭和43年6月26日 発効
太平洋諸島信託統治地域に関する日本国とアメリカ合衆国との間の協定
昭和44年7月7日 条約5
昭和44年7月4日 発効
琉球諸島及び大東諸島に関する日本国とアメリカ合衆国との間の協定
昭和47年3月21日 条約2
昭和47年5月15日 発効


=================================

注2
国際連合憲章

(和訳現代文)
1945年6月26日署名 
10月24日発効 
(日本は56年12月加盟)

 われら連合国の人民は、われらの一生のうちに二度まで言語に絶する悲哀を人類に与えた戦争の惨害から将来の世代を救い、基本的人権と人間の尊厳及び価値と男女及び大小各国の同権とに関する信念をあらためて確認し、正義と条約その他の国際法の源泉から生ずる義務の尊重とを維持することができる条件を確立し、一層大きな自由の中で社会的進歩と生活水準の向上とを促進すること、並びに、このために、寛容を実行し、且つ、善良な隣人として互に平和に生活し、国際の平和及び安全を維持するためにわれらの力を合わせ、共同の利益の場合を除く外は武力を用いないことを原則の受諾と方法の設定によつて確保し、すべての人民の経済的及び社会的発達を促進するために国際機構を用いること、を決意して、これらの目的を達成するために、われらの努力を結集することに決定した。

 よつて、われらの各自の政府は、サン・フランシスコ市に会合し、全権委任状を示してそれが良好妥当であると認められた代表者を通じて、この国際連合憲章に同意したので、ここに国際連合という国際機構を設ける。

     第一章 目的及び原則
   第一条
国際連合の目的は、次のとおりである。
国際の平和及び安全を維持すること。そのために、平和に対する脅威の防止及び除去と侵略行為その他の平和の破壊の鎮圧とのため有効な集団的措置をとること並びに平和を破壊するに至る虞のある国際的の紛争又は事態の調整又は解決を平和的手段によつて且つ正義及び国際法の原則に従つて実現すること。

人民の同権及び自決の原則の尊重に基礎をおく諸国間の友好関係を発展させること並びに世界平和を強化するために他の適当な措置をとること。

経済的、社会的、文化的又は人道的性質を有する国際問題を解決することについて、並びに人種、性、言語又は宗教による差別なくすべての者のために人権及び基本的自由を尊重するように助長奨励することについて、国際協力を達成すること。

これらの共通の目的の達成に当つて諸国の行動を調和するための中心となること。

   第二条
 この機構及びその加盟国は、第一条に掲げる目的を達成するに当つては、次の原則に従つて行動しなければならない。

この機構は、そのすべての加盟国の主権平等の原則に基礎をおいている。

すべての加盟国は、加盟国の地位から生ずる権利及び利益を加盟国のすべてに保障するために、この憲章に従つて負つている義務を誠実に履行しなければならない。

すべての加盟国は、その国際紛争を平和的手段によつて国際の平和及び安全並びに正義を危くしないように解決しなければならない。

すべての加盟国は、その国際関係において、武力による威嚇又は武力の行使を、いかなる国の領土保全又は政治的独立に対するものも、また、国際連合の目的と両立しない他のいかなる方法によるものも慎まなければならない。

2000年1月6日木曜日

【台湾問題】 米華相互防衛条約

米華相互防衛条約(アメリカ合衆国と中華民国との間の相互防衛条約)

 1954年12月2日作成,1955年3月3日発効  (ワシントンDC)

 この条約の締結国は、

 国際連合憲章の目的及び原則に対する信念並びにすべての国民及びすべての政府とともに平和のうちに生きようとする願望を再確認し、かつ、西太平洋地域における平和機構を強化することを希望し、

 両国の国民が前戦争中に同情及び相互の理想の共通のきずなによつてともに帝国主義者の侵略に対抗して戦うため結束するに至つた関係を相互に誇りを持つて想起し、

 いかなる潜在的侵略者もいずれか一方の締約国が西太平洋地域において孤立しているという錯覚を起すことがないようにするため、両国の団結の意識及び外部からの武力攻撃に対して自らを防衛しようとする共同の決意を公然とかつ正式に宣言することを希望し、また、

 さらに、西太平洋地域における地域的安全保障の一層包括的な制度が発達するまでの間、平和及び安全を維持するための集団的防衛についての両国の現在の努力を強化することを希望して、

 次のとおり協定した。

第一条

 締約国は、国際連合憲章に定めるところに従い、それぞれが関係することのある国際紛争を平和的手段によつて国際の平和、安全及び正義を危うくしないように解決し、並びにそれぞれの国際関係において武力による威嚇又は武力の行使を、国際連合の目的と両立しないいかなる方法によるものも慎むことを約束する。

第二条

 締約国は、この条約の目的を一層効果的に達成するため、単独に及び共同して、自助及び相互援助により、武力攻撃並びに締約国の領土保全及び政治的安定に対して外部から指導される共産主義者の破壊活動に抵抗する個別的及び集団的能力を、維持し発展させる。

第三条

 締約国は、その自由な諸制度を強化すること並びに経済的進歩及び社会福祉を促進させるために相互に協力すること並びにこれらの目的のために個別的及び共同の努力を重ねることを約束する。

第四条

 締約国は、この条約の実施に関し、自国の外務大臣又はその代理を通じて随時協議する。

第五条

 各締約国は、西太平洋地域においていずれか一方の領域に対して行なわれる武力攻撃が自国の平和及び安全を危うくするものであることを認め、自国の憲法上の手続に従つて共通の危険に対処するように行動することを宣言する。

 前記の武力攻撃及びその結果として執つたすべての措置は、直ちに国際連合安全保障理事会に報告しなければならない。その措置は、安全保障理事会が国際の平和及び安全を回復し及び維持するために必要な措置を執つたときは、終止しなければならない。

第六条

 第二条及び第五条の規定の適用上、「領土」及び「領域」とは、中華民国については、台湾及び澎湖諸島をいい、アメリカ合衆国については、その管轄権の下にある西太平洋の諸島をいう。第二条及び第五条の規定は、相互の合意によつて決定されるその他の領域についても適用される。

第七条

 台湾及び澎湖諸島の防衛のために必要なアメリカ合衆国の陸軍、空軍及び海軍を、相互の合意により定めるところに従つて、それら及びその附近に配備する権利を中華民国政府は許与し、アメリカ合衆国政府は、これを受諾する。

第八条

 この条約は、国際連合憲章に基づく締約国の権利及び義務又は国際の平和及び安全を維持する国際連合の責任に対しては、どのような影響も及ぼすものではなく、また、及ぼすものと解してはならない。

第九条

 この条約は、アメリカ合衆国及び中華民国により各自の憲法上の手続に従つて批准されなければならない。この条約は、両国が台北で批准書を交換した時に効力を生ずる。

第十条

 この条約は、無期限に効力を有する。いずれの一方の締約国も、他方の締約国に通告を行なつてから一年後にこの条約を終了させることができる。

 以上の証拠として下名の全権委員は、この条約に署名した。

 千九百五十四年十二月二日(中華民国四十三年十二月二日)にワシントンで、英語及び中国語により本書二通を作成した。

アメリカ合衆国のために
ジョン・フォスター・ダレス(署名)

中華民国のために
ジョージ・K・C・ヨー(署名)

[出典] 日本外交主要文書・年表(1),680‐683頁.主要条約集,1659‐1666頁.


しかし、71年には中国(中華人民共和国)が国際連合に加盟し、台湾(中華民国)は脱退。72年のニクソン大統領の電撃訪中をきっかけに米中は関係改善に向けて歩み出し、1979年に国交を樹立した。これにより米国と台湾は断交し、同条約は無効化した(1979年12月31日米華相互防衛条約が失効)

*ただし、米国の国内法で台湾(中華民国)を認めているともいう。
                              

2000年1月4日火曜日

【日中外交】 日中国交正常化(三原則)

 中国の復交三原則 (栗山尚一)

 日中国交正常化については、中国はかねてから復交三原則を公にしており、この三つの原則を柱とし、これを日本が受け入れるということによって正常化が実現できるという立場をとっていた。その三原則のうち、第一の原則が、中華人民共和国政府は中国を代表する唯一の合法政府であること、第二が、台湾は中華人民共和国の領土の不可分の一部であること、そして第三が、日台条約、すなわちすでに述べたような経緯・背景の下に日本が台湾(中華民国)と結んだ平和条約は不法・無効であり、廃棄されなければならないということ、この三つの原則の下に、日中国交正常化を実現するというのが中国の立場であり、日本としては、この三つの原則にどのように対応するかということが基本的な課題であった。

 結果的にはわずか二ヶ月しかなかった正常化交渉が通常の外交交渉とはかなり異質なものであったのは、当然のことながら日本は中国と一切の政府間の関係が存在しなかったために、この復交三原則は三原則として、中国が本当にどこまで柔軟な態度をとるのかということがなかなか把握できなかったからである。唯一、外務省あるいは日本政府が中国側の交渉姿勢について判断しうる材料になったものは、いわゆる竹入メモである。これは当時の公明党の竹入委員長が、田中内閣が誕生すると間もなく田中総理の意を帯して訪中し、周恩来総理との会談を通じて得られた中国側の考え方をメモにして帰国後に田中総理に提出したものである。

外務省事務当局としては、大平外務大臣を通じて示されたこのメモの内容を検討して中国の立場を判断せざるを得なかったのである。したがって、九月末に田中総理以下の日本政府の一行が北京に赴くまで、本当にこの交渉がうまくいくのかどうか、筆者自身個人的には余り自信がなかったというのが正直なところであった。

 さて、復交三原則の第一原則については、条約局として、特に法的な問題があるとは考えなかった。これは、日本政府が政治的決断をする問題であり、その決断さえあれば、国際法上は政府承認の変更ということである。台北に存在する中華民国政府が中国を代表しているというのが従来の日本の立場であったわけであるが、国交正常化というのは、結局のところ、中華人民共和国政府が中国を代表する正当政府であるという立場を日本政府が新たにとることを意味する。この点については、すでに一九四九年以来中華人民共和国政府が実質的に中国大陸における実効的支配を確立していた以上、国際法の観点から、問題があろうはずがなかった。

もちろん、中華人民共和国政府を承認すれば、台湾との外交関係は終了せざるを得ないということであり、その点が政治的な決断を必要としたのであるが、法律的には、国際法上も、国内法、憲法上も、問題はないと判断された。

唯一あり得たのは、この政府承認の変更について国会の承認が必要かどうかということであったが、これは、もっぱら行政府に委ねられている外交権の範囲内の事項であるというのが内閣法制局及び外務省の判断であった。したがって、外務省、特に条約局として対応しなければならなかったのは、もっぱら第二原則(台湾の法的地位)と第三原則(日華平和条約)の問題であった。

 すなわち、第二原則、第三原則それぞれについて、後述のように、日本側にとってかなり困難な問題があり、特に第二原則については、単に法律的な問題だけではなく、政治的に非常に大きな問題が存在し、そういう日本の法的・政治的立場というものを維持しながら中国の受け入れ可能な方式を見いだすことがわれわれの課題とされたの
である。

 日本の基本的な法的・政治的立場というのは、言うまでもなく、一九五一年にいわゆるサンフランシスコ体制(米国が提示した平和条約と旧安保条約のセット)を受け入れることによって、国際社会に復帰をしたということである。その政治的意味は、冷戦下の東西対立の中で、日本としては、西側の一国としての立場をとるという当時の吉田総理の政治的な選択であった。

かかる戦後の日本の国際政治上の座標軸を維持しながら、第二原則、第三原則にどういうふうに対応するかというのが、正常化の一番の課題であったわけである。外務省としては、この点について当初から大平外務大臣と田中総理に十分説明し、日中国交正常化は、この日本外交の基本的座標軸と両立しなくてはならないということについての政治レベルの理解を得て、正常化交渉に臨むことができた。

 台湾の法的地位
 そこで、まず第二原則にどのように対応したかということであるが、これは、当然のことながら、国際法上最終的な処分が完了していない地域、すなわち台湾の法的な地位をいかに認識するかという問題であった。当時国会等の揚で政府が明らかにしていたわが国の法的な立場は、「サンフランシスコ平和条約によって放棄した台湾がどこに帰属するかはもっぱら連合国が決定すべき問題であり、日本は発言する立場にない」というものであった。

 このような法的な立場を変更し、わが国が中国の第二原則、すなわち台湾は中華人民共和国の領土の不可分の一部であるという立場を認めることには、法律的な意味以上に重要な政治的な意味が存在した。それは何かと言えば、中国がそれ以前から維持している基本的な立場、すなわち台湾を武力で解放する最終的な権利を有しているという立場の正当性を認めることにつながるということであった。

 田中内閣に先立つ佐藤内閣の大きな外交課題は、沖縄返還の実現であったが、そのための対米交渉において大きな問題となったのは、沖縄における米軍基地の使用の問題であった。米側において最後まで沖縄の返還に難色を示したのは国防省を中心とした軍部であったのであるが、その理由は、沖縄を返還すれば、米国は沖縄の基地の使用について、六〇年に改訂された安保条約に基づく事前協議制度の制約を受けることになり、米国の施政権下にあったときと同じように基地を自由に使用することはできなくなるということにあった。

 当時の米国政府の最大の懸念は、北朝鮮の武力攻撃による朝鮮半島における紛争再発の可能性であったが、それに加えて、万一中国による台湾武力解放という事態が発生したときにも、日本、特に沖縄に存在する米軍基地を使用する必要が生じることが予想され、これが制約されることになれば、米国が韓国あるいは台湾(中華民国)に対し負っている条約上の防衛義務の履行に重大な支障が生じかねないということであった。

そこで、米国政府としては、沖縄を日本に返還しても、いざという場合に基地の使用が制約を受けないということについて、何らかの形で日本政府の保証を取り付ける必要があると考えた。この問題をめぐる日米間の折衝の結果が、一九六九年二月の佐藤・ニクソン共同声明である。

 この共同声明の第四項において、「大統領は、米国の中華民国に対する条約上の義務に言及し、米国はこれを遵守するものであると述べた」のを受けて、「台湾地域における平和と安全の維持も日本の安全にとって極めて重要な要素である」との総理大臣の認識が述べられている。(なお、朝鮮半島については、同じ第四項の別の部分において、「韓国の安全は日本自身の安全にとって緊要である」との総理大臣の認識が述べられた。)

 さらに、共同声明の第七項において、総理と大統領は、沖縄の「施政権返還にあたっては、日米安保条約及びこれに関連する諸取決めが変更なしに沖縄に適用されることに意見の一致をみた。これに関連して、総理大臣は、日本の安全は極東における国際の平和と安全なくしては十分に維持することができないものであり、したがって極東の諸国の安全は日本の重大な関心事であるとの日本政府の認識を明らかにした。総理大臣は、日本政府のかかる認識に照らせば、前記のような態様による沖縄の施政権返還は、日本を含む極東の諸国の防衛のために米国が負っている国際義務の効果的遂行の妨げとなるようなものではないとの見解を表明した」と述べられている。

すなわち、台湾を含めた極東地域の安全に関する日本政府の上述のような認識があれば、米国の条約上の防衛義務は妨げられないであろうという日米共通の理解を前提として、沖縄を本土並みの条件で日本に返還するという基本的な合意が佐藤総理とニクソン大統領の間で成立したのである。「本土並み」とは、一九六〇年に改訂された安保条約の第六条に基づく交換公文(いわゆる事前協議制度に関する合意で、わが国に対する武力攻撃が行われていない場合において、戦闘作戦行動のために在日米軍基地を使用するには、米国政府は日本政府との事前協議を必要とすることが定められている)がそのまま沖縄にも適用されることを米国政府が受け入れたことを意味した。

なおこの間題については、共同声明発出(一九七九年一一旦二日)に際し、佐藤総理が、ワシントンのナショナル・プレス・クラブにおいて行った演説において、次のとおり述べていることにも併せて留意する必要がある。

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 「台湾地域での平和の維持もわが国の安全にとって重要な要素であります。私は、この点で米国の中華民国に対する条約上の義務の遂行の決意を十分に評価しているものでありますが、万一外部からの武力攻撃に対して、現実に義務が発動されなくてはならない事態が不幸にして生ずるとすれば、そのような事態は、わが国を含む極東の平和と安全を脅かすものになると考えます。

したがって、米国による台湾防衛義務の履行というようなこととなれば、われわれとしては、わが国益上、先に述べたような認識を踏まえて対処していくべきものと考えますが、幸いにしてそのような事態は予見されないのであります。」
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 そこで台湾の法的地位の問題に戻ると、「台湾が中華人民共和国の領土の不可分の一部にすでになっている」というのが仮に日本政府の立場であるとすれば、この佐藤・ニクソン共同声明あるいはその背後にある安保条約の問題が非常に大きな影響を受けることになる。すなわち、中国が仮に台湾に対して武力を行使しても、これは国際法上は中国の国内問題であり、米国や日本がこれに関与する立場にない、あるいはそういう法的な根拠が存在しないということになるために、上記の佐藤・ニクソン共同声明が、事実上有名無実になってしまうという問題があったのである。

 台湾の法的地位は、そもそも米中間で双方の立場が厳しく対立した問題であった。ニクソン、キッシンジャー外交の成果として有名になったいわゆる上海コミュニケが、七一年に周恩来とキッシンジャーの間で合意されたが、その中で台湾は中華人民共和国の領土の不可分の一部であるとの中国側の立場に対し、米側は、そのような立場を"acknowledge"すると述べた。

日中国交正常化を準備するにあたって、外務省は、この"acknowledge"という表現の意味を内々に米側に照会したところ、文字どおり"acknowledge"であるというのが先方の説明であった。すなわち、中国の立場がどういうものであるかを認識している(しかし、承認したわけではない)というのが、この"acknowledge"という言葉に込められた意味であったのである。

(英語では、手紙を出すと、先方が手紙を受け取ったことを「確認」するという意味で同じ表現が用いられる。)日本としては、米国がこのような立場をとっている以上、それを越えて中国の立場を承認するわけにはいかない(そもそも台湾の地位から生じる問題は、米中間で話し合われるべきものであり、わが国が独自の立場をとることによって米国の立場を害することはできない)ので、その前提で中国の第二原則にどのように対応するかということを考えざるを得なかったのである。

(なお、日中国交正常化交渉を始めるにあたって、田中総理はその年の八月末にハワイでニタソン大統領と会談し、これから中国と国交正常化を行うが、それは日米安保体制と関わりない態様で実現するつもりである旨を説明し、大統領の了解を得た経緯がある。)

 上述のようなわが国の法的、政治的立場についての基本的認識を踏まえ、北京において日本側が中国側に提示した当初の共同声明案は、台湾の法的地位については中国政府の立場を「十分理解し尊重する」というものであったが、これは中国側が受け入れるところとならなかった。(因みに、外務省は上海コミュニケ後に中国と国交正常化を行った若干の国の共同声明の内容を把握していたが、いずれも上海コミュニケの表現を踏襲し、中国の立場を"acknowledge"するということで中国と合意していた。しかし中国は、この上海コミュニケ方式を日本に適用することは強く拒否する姿勢であった。)

 このような中国の強い姿勢は、ある程度予想されたことであった(台湾に対する影響力が一番強い国は米国と日本であるので、この問題については、日本に対して非常に厳しく迫る必要があるというのが中国の判断であろうと思われた)ので、あらかじめ準備していた腹案を日本側のぎりぎりの案として大平外務大臣が万里の長城視察に赴く車中で姫鵬飛外相に手交した。

対日交渉を取り仕切っていた周恩来総理がこの案を了承し、漸く台湾の法的地位の問題は決着した。

 この案が、最終的に合意された日中共同声明第三項後段の「日本国政府は、この中華人民共和国政府の立場を十分理解し尊重し、ポツダム宣言第八項に基づく立場を堅持する」という表現である。ポツダム宣言第八項では、「カイロ宣言の条項は履行せらるべく」とされており、そのカイロ宣言では、台湾は当時の中華民国、すなわち中国に返還されるべきものと書かれている。したがって、ポツダム宣言を受諾した日本は、台湾が中国に返還されることを受け入れたのであり、その立場を堅持するというのが、この共同声明第三項の意味である。

 しかし、そこで言外に含まれていることは、(日本政府の立場は、台湾が中国に返還されるべきものであるということであるが)中華人民共和国政府が実効的支配を及ぼしていない台湾が現実に同国の領土の一部になっているとの認識を日本政府は有していないということである。

これは、中華人民共和国政府の立場とは異なるものであったが、周恩来総理は、このことを理解した上で、日本政府が、中華人民共和国政府を「中国の唯一の合法政府」として承認した(共同声明第二項)ことによってコつの中国」の原則を受け入れ、その原則の下で台湾の中国への返還にコミットした点を重視し、わが方の案に同意する決断をしたものと思われる(少なくとも筆者はそのように考えている)。

そもそも、日本側は、共同声明の原案を北京で最初に提示したときに、日本政府の考え方は明確に説明したのであるから、中国側がわが方の立場を誤解した可能性はないのである。この共同声明第三項の意味については、田中総理も大平外務大臣も帰国後国会で質問を受け、特に野党からは、これによって安保条約でいう「極東」の範囲(政府統一見解によれば台湾が含まれる)から台湾が除外されたのかどうかということについて、再三質問があった。

これに対し、当時の衆議院の予算委員会において政府の統一見解として行われた大平外務大臣の答弁は、共同声明の日本政府の立場を繰り返した後に「したがって中華人民共和国政府と台湾との間の対立の問題は、基本的矧(傍線筆者)中国の国内問題であると考えます。わが国としてはこの問題が当事者間で平和的に解決されることを希望するものであり、かつこの問題が武力紛争に発展する可能性はないと考えております」というものであり、さらに付け加えて「なお安保条約の運用につきましては、我が国としては、今後の日中両国間の友好関係をも念頭において慎重に配慮する所存でございます」と述べられている。

 この統一見解にある「基本的には」という文言には重要な意味が含まれており、要するに台湾の間題は、台湾海峡を挾む両当事者の間で話し合いで解決されるべきものであり、日本政府はこれに一切介入する意思はなく、当事者間の話し合いの結果台湾が中華人民共和国に統一されるということであれば、日本政府は当然これを受け入れるのであって(それが共同声明の意味である)、平和的に話し合いが行われている限りにおいてはこれは中国の国内問題であるということである。

しかし、万々が一中国が武力によって台湾を統一する、いわゆる武力解放という手段に訴えるようになった場合には、これは国内問題というわけにはいかないということが、この「基本的には」という言葉の意味である。したがって日本政府の立場は、その後に続く「我が国としてはこの間題が当事者間で平和的に解決されるよう希望するもの」であるという部分を含め、全体としてこの統一見解によって示されていると理解すべきである。筆者は、この日本政府の立場は今日も変わっていないと考えている。

 日華平和条約問題
 中国の復交三原則の第三原則、すなわち日華平和条約問題についての日本政府の基本的立場は、以下のとおりであった。

 日華平和条約が「不法、無効であり、したがって廃棄されなければならない」とする中国の主張を正面から受け入れることは、法的にも政治的にも不可能である(同条約は、以前からわが国が中国を代表する正当政府と認めていた(国際社会の多くの国もそのように認めていた)中華民国政府との間に適法に締結された条約であり、その合法性を否定し、これを一方的に廃棄することは、国際法上も、また中華民国政府に対する信義上からも許されない)。

 他方、日中国交正常化後においても、同条約が、たとえ形式的にせよ、引き続き有効な条約として存在するとの立場をとることは、とうてい中華人民共和国政府が受け入れるところではない。したがって、外務省事務当局(条約局)に与えられた課題は、いかにして上記のわが国の基本的立場を否定することなく、中国側にとっても受け入れ可能な方式でこの問題を処理するか、ということであった。これは、法技術的には、適法に締結され、かつ終了規定がない、平和条約という性格を有する条約をどのようにして終了させるかという問題であった、

 竹入メモを通じてわが方が事前に得た感触では、中国側は、この問題については比較的柔軟に対応する用意があるやに思われたので、外務省は、それを考慮に入れつつ、内閣法制局との間で、考えられるいくつかの方式について検討を重ねた。こうした事務レベルにおける準備作業の前提となったのは、日中国交正常化は、国会の承認を要する条約によることなく、行政府(内閣)に委ねられた外交権(憲法第七三条二)の範囲内で行うという政府の基本
方針であった。

そのために、日華平和条約の処理についても、国会の承認を得る必要が生じるような方式は避ける必要があったのである。(なお、国交正常化への合意を、発効までに時間を要する国会承認条約によらず、共同声明形式で行うことについては、中国側にも異存がないことは、あらかじめ竹入メモの内容から明らかであった。)

 上記の政府の基本方針を踏まえつつ行われた法制局との慎重な協議の結果得られた結論は、概ね以下のようなものであった。
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1.日華平和条約は、基本的には処分的(dispositive)性格の条約である。即ち、同条約の中心的規定である法的な戦争状態の終結等の規定は、いずれも処分的効果を有するものである(すなわち、かかる規定の内容は、条約発効と同時に最終的効果が生じ、その後における条約の存続の有無によってその法的効果が変わることはない)。

  したがって、わが国としては、(当時中華民国政府によって代表された)中国との間の戦争状態は、日華平和条約(第一条)によって終結しているとの立場を維持せざるを得ない(中華民国政府による対日賠償請求権の放棄についても同様である)。

2.他方、その法的効果が条約の存続に依存する実体規定については、適用地域に関する交換公文に基づき、 中華民国政府が実効的に支配している地域(台湾)のみに適用されることとされている。かかる規定は、わが国が中華人民共和国政府を承認することの「随伴的効果」により実体的に終了する(台湾に実効的支配を及ぼしていない中華人民共和国政府との間で、かかる実体規定を実施する方法がない)と解される。このような政府承認の変更に伴って不可避的に生じる随伴的効果による日華平和条約の実体規定の終了については、中華民国政府
との合意を必要とせず、また、国会の承認も要しない(承認を得る意味がない)。

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 上記1.2.は、いずれも、当然のことながら、日本政府内における考え方の問題であり、かかる考え方に基づいて中華民国政府との間でいかに日華平和条約を処理するかについては、これを何らかの形で共同声明に含めるか否かを含めて検討されたが、結論として、国交正常化が合意され、共同声明が発出された直後に行われた記者会見において「日華平和条約は、日中国交正常化の結果として、存続の意義を失い終了したものと認められる」との一方的声明を行うことにより処理することとされたのである。

 このように、大平外務大臣の一方的声明により日華平和条約の終了を確認することについては、事前に中国側に内報したのであるが、これに対し、先方からは何らの異議も提起されなかった。中国側としては、
①日本側が日華平和条約は引き続き有効との立場をとらなかったこと、
②戦争状態の終結に関しては、共同声明前文において、「戦争状態の終結と日中国交の正常化という両国国民の願望の実現」を謳った上で、同声明第一項で、日中両国間の「これまでの不正常な状態は、この共同声明が発出される日に終了する」との合意が得られたこと、及び
③賠償についても、共同声明第五項に、中華人民共和国政府による「戦争賠償の請求を放棄する」との宣言が含まれたことを総合的に考慮し、中国の立場が基本的に確保されたと判断したのである。

 上記のような日華平和条約の処理方式については、将来の米中国交正常化に際し、台湾との米華相互防衛条約を処理しなくてはならないという問題を抱える米国政府も関心を持ち、わが方の理論構成等を非公式に照会してきた経緯がある。

しかし、米華相互防衛条約は、日華平和条約と異なり、処分的性格の条約ではないために、同様の処理方式をとることはできなかったと思われ、米国政府は、中華民国政府との間で相互防衛条約の終了規定に基づき条約終了の手続きをとった上で、七九年一月に米中国交正常化を行ったのである。

 日米防衛協力の新たな指針と台湾

 日中共同声明は、本稿で考察したように、いくつかの困難な法的問題及びこれに関連して生じる政治的問題を克服し、戦後二〇年続いた文字どおり不正常な状態に終止符を打って、日中国交正常化を実現することにより、その歴史的使命を果たしたのであるが、その後四半世紀を経過した今日、今一度当時の経緯を振り返ってみる必要が生じているように思われる。それは、九七年九月に日米間で合意された防衛協力の新たな指針(ガイドライン)と台湾との関係をめぐる問題である
                                         
 九六年四月にクリントン大統領が訪日した際に、日米両首脳が発出した日米安全保障共同宣言において、既存の「日米防衛協力のための指針」の見直しが合意され、これに基づいて作成されたのが、九七年九月に発表された新ガイドラインである。ところが共同宣言が発出された以後、中国側からこの新ガイドラインについて強い拒否的発言が続き、これを受けて、日本国内においても、種々の論議が行われるようになった。

中国側の反応は、要するに、新ガイドラインの適用範囲が台湾を含む(日米防衛協力の対象に台湾が含まれる)のであれば、これは、中国の国内問題への干渉であり、したがって、台湾を適用範囲から除外すべきであるというものである。これに対し、日米の外交当局は、中国に対し、新ガイドラインは中国を敵視するものではなく、また、特定の国あるいは地域を対象とするものではないとの説明を行っているが、中国は納得せず、依然として否定的発言が続いているというのが現状である。

 これは何故かと言えば、従来から中国側には、台湾が独立するのではないか、そして日米が陰に陽に台湾独立を支持するのではないかという強い懸念が存在するためである。そうした懸念は当たらないということを明確にするために、日本政府は日中共同声明において、ポツダム宣言第八項の立場を堅持する旨を宣明したのである。

その意味するところは、すでに述べたとおり、日本は、台湾が中華人民共和国に返還されるべきものと認識しており、したがって、その当然の帰結として、台湾独立を支持せず、支援もしないということである。

換言すれば、日本は、「二つの中国」あるいは「一つの中国、一つの台湾」を支持しないということにコミットしているのである。日本政府のこの立場は、今日も変わっておらず、米国政府も、基本的に同じ立場である。このように、日米双方とも中国が主張する一つの中国」の原則を受け入れているにもかかわらず、中国が懸念するのは、そうはいっても、台湾自身が独立に向けて動き出すのではないか、そうなると、それに同情的な国内勢力が日米双方に存在し、それが台湾の独立を支援することになるのではないかということである。

そのような事態は絶対に容認できないというのが中国の基本的立場であり、中国が従来から一貫して、台湾の武力解放を究極的手段としては放棄しないとの立場を固持している理由も、まさにこのためなのである。

 このことから明らかなように、新ガイドラインに対する中国の懸念は、現状では何ら実質的意味を持たない。中国は、台湾独立を阻止するために、武力解放を究極的手段として留保しているのであって、そのような事態が生じない限り、台湾との平和的話し合いによる統一の実現にコミットしている。したがって、中国の新ガイドラインに対する否定的発言の真の狙いは、その適用範囲に台湾が含まれるか否かという技術的(あるいは形式的)問題にあるのではなく、別の次元にあることを理解する必要がある。米中国交正常化が実現し、米国の台湾に対する条約上の防衛義務はなくなった(但し、米国には国内法としての台湾関係法が存在している)。その限りにおいて、台湾をめぐる状況は、日中国交正常化当時とは異なると言える。

しかし、台湾は、今日も中華人民共和国の支配の外にあり、台湾の住民の大多数は、独立には慎重であっても、政治・経済体制を異にする中華人民共和国との統一を拒否し、現状維持を望んでいるという台湾問題の本質には依然として変わりがない。この問題が、日米中三国の間で困難な政治問題化することを防ぐためには、今後とも日米両国が一つの中国」の原則を守るという立場を堅持すると同時に、台湾問題の解決はあくまでも当事者問の平和的話し合いによるべきものであることを機会ある毎に強調し続ける必要がある。

他方、中国も、軽々に武力解放に訴えようとすれば、国際社会は、このような台湾住民の意思に反し、アジア・太平洋の平和に重大な影響を及ぼす事態を中国の国内問題とは認識しないであろうことを理解していると強く期待したい。

米華相互防衛条約


2000年1月3日月曜日

【北朝鮮】 日(自・社)朝3党共同宣言

Ⅰ 自民・社会両党代表団の北朝鮮訪問と日朝3党共同宣言

1 日朝関係改善への動き1965年(昭和40年) 6月22日、日本と韓国は日韓条約諸協定を締結した。

戦後の日韓関係は、これを土台として政治、経済を中心に協力と交流を拡大してきた。条約諸協定の一つである日韓基本条約には、「大韓民国政府は、国連決議195号に明示されているとおりの朝鮮にある唯一の合法的な政府である(1)」と規定されており、これに沿って、日本政府は、韓国の管轄権は朝鮮戦争の休戦ライン以南に限られると解釈した(2)。

当時の佐藤首相は、国会で「朝鮮半島は二つの実質的な権威のもとに統治されている。こういう場合、片一方の国を承認した国は他方と外交関係を樹立しないのが今日までの外交慣例である。

また、国連決議を尊重しており、北とは外交関係を持たない(3)」との発言を行っており、北朝鮮との関係は「白紙」と位置づけた。これに対して、北朝鮮は、日韓条約を無効とし、対日賠償請求権をはじめ諸般の権利を引き続き保有するとの立場を主張した(4)。

こうした経緯から、長い間、日本と北朝鮮との関係改善の環境は整っていなかったが、1988年7月の盧泰愚大統領の「特別宣言」(以下「七・七宣言」という。) を契機として状況は変化した(5)。

日本政府は、この宣言により、国際情勢と南北朝鮮関係の双方で新しい時代が到来したことを確認し、北朝鮮との関係改善に向けて動き出したのである(6)。七・七宣言が出された同日、日本政府は、「関係国とも緊密に協議の上、日朝関係を積極的に進める」、2人の日本人船員が北朝鮮に抑留された第18富士山丸事件(7) の解決を前提条件として、「日朝間のすべての側面について北朝鮮側と話し合う用意がある」との見解を発表した(8)。

この後、1989年3月30日の衆議院予算委員会で、当時の竹下首相が、「朝鮮半島をめぐる情勢が新たな局面を迎えているこの機会に、改めて、同地域のすべての人々に対し、過去の関係についての深い反省と遺憾の意を表明したいと思う。

朝鮮民主主義人民共和国との間においても、朝鮮半島をめぐる新たな情勢に配慮しつつ、先に述べた認識に立脚して、関係改善を進めていきたい(9)」と発言した。この首相の発言は、北朝鮮の正式国名を用いるとともに、過去の北朝鮮との関係について「深い反省と遺憾」の意を表明し、日朝関係改善を進める意思を明確にした点で、朝鮮半島との外交において一つの節目となった。

そして、竹下首相が国会で発言を行った同日、北朝鮮に向けて当時の社会党代表団(田辺誠団長) が出発した。
北朝鮮側は、代表団との会談で、竹下首相の発言を「評価」する意向を示し、日本の国会議員団の北朝鮮訪問を受け入れることを表明した(10)。こうして日朝関係改善を進める環境が整えられていった。

2 自・社両党代表団の訪朝と日朝3党共同宣言

1990年9月24日から28日まで、当時の自由民主党代表団(金丸信団長)、日本社会党代表団(田辺誠団長) が北朝鮮を訪問した。訪問期間中、両代表団は、朝鮮労働党中央委員会の金日成総書記及び朝鮮労働党代表団(金容淳団長)と会談を行った。

この結果、北朝鮮に長期間抑留されていた第18富士山丸乗組員2人の釈放が実現することになった(11)。さらに、同年11月中に国交樹立のための外交交渉を開始することなどを盛り込んだ「日朝関係に関する日本の自由民主党、日本社会党、朝鮮労働党の共同宣言(1990年9月28日)」(以下「日朝3党共同宣言」という。) が発表された(12)。

この日朝3党共同宣言は、8項目からなり(表1参照)、「戦後45年間朝鮮人民が受けた損失について十分に公式的に謝罪を行い、償うべきである」こと、「朝鮮は一つである」ことなどが盛り込まれた(13)。

Ⅱ 日朝国交正常化交渉の歩み

1 3回の予備会談
日朝3党共同宣言の発表を契機に、日朝両政府は、国交正常化に向けた予備会談を始めた。

予備会談は、1990年11月から12月にかけて3回開催され、協議の結果、本交渉の議題として次の4点が確定した(14)。

①日朝国交正常化に関する基本問題、
②日朝国交正常化に伴う経済的諸問題、
③日朝国交正常化に関連する国際問題、
④その他双方が関心を有する諸問題。

予備会談では、北朝鮮側が求める戦前、戦中とあわせて戦後の「償い」問題と北朝鮮に対する「核査察」問題をめぐって対立したが、戦後の「償い」については、②の経済的諸問題で、「核査察」については、③の国際問題で議論す
ることで合意した(15)。
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日朝3党共同宣言(骨子)

3党は、自主・平和・親善の理念に基づき日朝両国間の関係を正常化し、発展させることが両国国民の利益に合致し、新しいアジアと世界の平和と繁栄に寄与すると認め、つぎのように宣言する。

一、過去に日本が36年間、朝鮮人民に与えた不幸と災難だけでなく、戦後45年間、朝鮮人民が受けた損失に対しても、十分に公式的に謝罪を行い、償うべきである。
二、できるだけ早い時期に国交を樹立すべきだ。
三、通信衛星の利用と、両国間の直行航空路を開設する。
四、日本政府は在日朝鮮人の法的地位を保証し、日本旅券の「北朝鮮除外事項」を削除する。
五、朝鮮は一つであり、南北の平和的統一は朝鮮人民の民族的利益に一致する。
六、地球上のすべての地域から「核の脅威」をなくす。
七、国交樹立のための政府間交渉が11月中に始まるよう政府に働きかける。
八、3党の関係を一層強化し、相互協調を発展させる。
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これまでの日朝交渉の歩み
第1回1991年1月30~31日(平壌)
第2回1991年3月11~12日(東京)
第3回1991年5月20~22日(北京)
第4回1991年8月30~9月2日(北京)
第5回1991年11月18~20日(北京)
第6回1992年1月30~2月1日(北京)
第7回1992年5月13~15日(北京)
第8回1992年11月5日(北京)
第9回2000年4月5~7日(平壌)
第10回2000年8月21~25日(東京)
第11回2000年10月30~31日(北京)
第12回2002年10月29~30日(クアラルンプール)
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(日朝3党共同宣言、出典) 以下の資料により作成。
環太平洋問題研究所『韓国・北朝鮮総覧1993』原書房, 1993.8, pp.591-592.
小田川興「日朝交渉の歩みをたどる」『北朝鮮その実像と軌跡』高文研, 1998.9, pp.252-253.

2000年1月2日日曜日

【北朝鮮】 北朝鮮賞賛記事

 別に朝日や毎日の肩を持つつもりもない。

ただ、最近は落ち着いたのだが、北朝鮮の問題が出てくるとやたらと産経と読売は、朝日が北朝鮮への賞賛記事を書いたと騒ぐ。 

当時、こういう北朝鮮ヨイショ記事を書きまくってたのはどこも似たようなものなんだから、自分の過去を棚に上げて他人様のことばかり非難するのはどうかと思うよ。

産経さんも読売さんも、まさかこの記事を知らないとは言わないでしょうね。

拉致問題は、早々に解決をしなければならない問題である。また同時に拉致を北朝鮮は何故にしなければならなかったのか。そこに拉致問題解決の緒が見えないだろうかと思う事がある。北朝鮮が何故に拉致という犯罪を起こしたのかを明確に書いた記事には出会わない。


産経新聞 1959年12月24日夕刊
「暖かい宿舎や出迎え/第二次帰国船雪の清津入港/細かい心づかいの受け入れ」

【清津で坂本記者】…出迎えた人は人口二十万のこの市で五万人。手に手に、もも色の造花、国旗を持って港一帯から沿道は歓呼の列で埋められた。…岸壁に着くと「マンセイ(万歳)」の爆発。五色の紙吹雪を浴びながら帰国者はすぐ前の休憩 所に入った。一階建てだが、日比谷公会堂以上の大きさ。ソファーが五、六〇あり、あとは清潔なベンチが並んでいた。

 熱風を送る装置がたくさんあって部屋は暖かく、千人近い帰国者をすっぽり収容してまだおつりのくる広さだ。こういうことのできる母国の経済力に帰国者は驚き、安心したに違いない。

 宿舎は6キロ離れた市内に別につくってある。帰国者のためにこの夏、わずか四〇日間の超スピードで完成した五階建ての長さ百メートルもある大ア パート、これも千人すっぽりはいれる。六畳くらいの部屋にはタンス、家具はもちろん小型ラジオまでついて至れりつくせりだ。私たちがみて感銘を受けたのは五万人の人が押し合いへし合いの混乱もなく秩序が整然としている ことだ。

それでいてみんなが同胞を迎える喜びにあふれていたこと。迎える準備が実に行き届いて、たとえば料理でも日本から帰った人にいきなり辛すぎるものは刺激が強すぎるだろうと甘くしてあったり万事に細かい心づかいがあらわれている点だった。

 帰国者の一人…は「この歓迎のありがたさはなんともいえません。肉親でもこんなにあたたかく迎えてくれるとは思えませんでした。私には手に職がありませんので何でもやって働きます」と語っていた。


読売新聞 1960年1月9日朝刊
「北朝鮮へ帰った日本人妻たち」

 はじめてみる夫の祖国、朝鮮民主主義人民共和国に帰った日本人妻たちはどんなお正月を迎えたでしょうか。

平壌でともに新春をすごした島元読売新 聞特派員から、第一船と第二船の帰国者や日本人妻たちの帰国後の模様、と くに北朝鮮で迎えたその日本人妻たちのはじめてのお正月の感想などを伝えてきました。

★「夢のような正月」〝ほんとうに来てよかった〟

 夫の祖国に帰った日本人妻たちはみんな喜びと幸福にひたっています。新 潟を出港するまでの不安や心配は、国をあげての大歓迎にすっかり消しとんでしまったようです。まだ言葉は通じないし習慣にもなじんでいませんが、日本人妻の代表が金日成首相に招かれて新年宴会に出席したり希望の職場につくなど日本で貧困と、ときには屈辱の生活をおくっていたその妻たちには夢のようなお正月。まだ日本で帰国をためらっている同じ境遇の人たちに
「早く来るように伝えてほしい」と口をそろえて語っているのです。

★おモチも特配

 第一船で夫の…さんと帰国した…さんは、まず平壌スターリン通りのアパートに入っておどろきました。机からイス、食卓の家具はもちろん、台所にはじゅう器一切、一か月分のお米、三か月分の燃料、ミソ、しょう油、マッチ、ゾウキン、買い物カゴまですぐ生活できるように揃っていたからです。

…さんは、夫が朝鮮人で何度も失業し、そのうえ四人の子どもをかかえていたため、これまで満足なお正月を迎えたことがなく、雑煮、菓子、くだもの、酒、しることそろったお正月ははじめてでした。「かあちゃんこれからもここでお正月をしようや」と日本語で喜ぶ子どもたちの姿を見て、本当に来てよかったと安心したそうです。

★どっちが祖国か
 …女性同盟から日本語のわかる人が来て、手をとって朝鮮語や料理を教えてくれたばかりか、大みそかなどは日本式の雑煮を作ってくれたほどの気の くばりようです。町でバスに乗っても「どうぞ、どうぞ」と座らされ、かえって恥ずかしいくらいだそうです。日本での冷たい目を思うと、どちらが本当の祖国なのかわからなくなることもあるほどで、純粋の日本人である自分でさえそう思っているのですから、朝鮮籍の子どもたちはどんなに喜んでいるでしょうと目をうるませるのです。


★決まる夫の勤め
 …

★金首相が招待

 こんなに感激しているのは何も…さんだけではありません。

記者の見たすべての日本人妻が、朝鮮に来てほっと解放されたような安らぎをみせているのです。肉親とわかれた感傷やノスタルジアなんかはみじんもなく、みんなが希望にあふれて前方を見つめているのです。…さん妻…さんは、大みそかに突然金首相から新年宴会の招待状を受けました。…東京から着たきりスズメのピンクのセーターに茶色のズボンで出席した…さんに、金首相はみずから「乾杯しようか」とサカズキをしたそうです。

★裏切らぬ期待

…さんは、六歳のとき父を失い母が女一人で六人の子どもを育ててくれた 環境に育ち、結婚後もオカラばかり一か月食べたこともあるそうですが「こんな私まで招いてくださって」と感泣していました。…

★朝鮮人への自信

 最後に、日本人妻の就職問題について述べてみましょう。言葉のわかる人 が少ないため、まだはっきり職場の決まっていない人も多いようですが、いつでも希望通りにするという確約があるそうです。帰国者たちの就職状況からみても、額面通りに受けとってよいでしょう。日本人妻たちは、「私たちは、この国に来て日本人妻ではなく本当に朝鮮人になりきることができ、またなりうる自信がわきました」と語っていました。


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 それに、この読売の記事なんか数あるヨイショ記事の中でも相当に罪深い。在日朝鮮人だの日本人のくせに在日とくっついた女なんぞは日本にいる限り貧困と屈辱の中で生きねばならないことを「当然の前提」とした上で、北朝鮮に行きさえすればこんなに素晴らしい生活が待ってるんですよ、と事細かに描き出している。この記事を食い入るように読んで「帰国」を決意した「日本人妻」たちの姿がつい目に浮かぶくらい。

 難民となって逃れてきた元帰国者やその子どもたちの口から語られるのは、「港が見えてきたとき、あまりのみすぼらしさに何かの間違いだと思った」とか、「(歓迎の席で出された食事は)まずくて食えなかった」とか、「日本生まれの子どもを連れて北に渡った母親は船を降りた瞬間から死ぬまで子どもに謝り続ける」とか、そういう話ばかりなのに、この「記者」たちはいったい何を見てきたのか。(だいたい、行ったのがどんな国だろうが肉親と別れた感傷すらないなんて、そんなはずあるわけないだろ。)

 ついでに言えば、当時日本人がみ~んな北朝鮮を賛美してたのは、それが「厄介者の朝鮮人」をタダで引取ってくれるとっても都合のいい存在だったから。北朝鮮がボロボロの貧乏国では在日が行きたがらないから、そういう現実は見なかったし見せなかった。

 そして今、まるで悪魔の国みたいに北朝鮮を非難罵倒しているのは、崩壊寸前の国内経済から貧乏人どもの目をそらし、アメリカのやらかす戦争に便乗して自分のちっぽけなプライドやフトコロを満たしたい人たち。彼らにとっては再び北朝鮮が実に都合のいい道具になってくれてるわけ。かつても今も、現実を見るんじゃなく見たいイメージを投影して見てるだけなのは同じこと。

 それにしてもこの国で一番情けないのは、「『構造改革』の痛みを一方的に負わされた側」、「税金はむしられ年金は減らされる側」、「リストラされる側」、「ホームレス状態に追い落とされる側」。それでいながら、安全な反対側にいる連中の口車にあっさり乗せられて国家権力様とその駒に過ぎない自分の区別すらつかなくなってることである。

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毎日新聞 1959年10月28日朝刊

「帰国」に実った超党派の友情/願いは一つ・人類愛/はればれ あっせん二人男」

 ただならぬ雲行きだった北朝鮮帰還問題も二十七日、すみきった秋空のように〝笑顔の解決〟にゴールインした。「帰還案内」をめぐる日本側と北朝鮮側のはげしい対立を思うと、鮮やかな逆転劇でもあった。だがそのうらには自民、社会という与、野党の立場を捨てて、在日朝鮮人の帰国という〝人道主義〟の旗じるしのもとにしっかりと手を結び合った二人の政治家―自民党の…代議士(帰国協力会代表委員)と社会党…代議士(同幹事長)の〝超党派友情〟があった。…


(「厄介払い」を「人道主義」だと解釈するという自己欺瞞もオマケでついてたということである)